ゲスト
(ka0000)
聖導士学校――これから
マスター:馬車猪

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- やや易しい
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~25人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 7日
- 締切
- 2019/09/02 07:30
- 完成日
- 2019/09/07 20:23
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
邪神の脅威は去った。
大地を覆い尽くそうとした力を失い悉く消え去った。
残っているのは、極一部の歪虚を除けば自然発生した雑魔程度だ。
対邪神戦の主力がクリムゾンウェストへ帰還した今、人類全体が歪虚に敗北することはあり得ない。
抗戦の時代が終わり、復興と飛翔の時代が始まるのだ。
●司教達
「まさか生きているうちに平和を味わえるとは」
「有休をとって先に行った連中の墓に報告せねば」
「お前は有給休暇を与える側じゃろうが!」
好好爺然とした司教達が屈託のない笑顔で笑い合い、雑魔の1匹もいない平原を飽きること無く眺めている。
少年時代から過酷な人生を歩いて来た。
友を奪われ愛する者も傷つけられ、対歪虚戦に全てを捧げてここまで来た。
青い空に白い小鳥が飛んでいる。
夏の暑さにも負けず地上に目を向け、虫を見つけて急降下する。
地上では命の営みと奪い合いが続く。
だがもう邪神はいない。
人類に絶滅をもたらす格の歪虚はもはや存在しないのだ。
「今日は何をする日だったか忘れてしまった」
「まだ惚けるには早いぞ。まあ私もだが」
「後は若いのに任せるとしよう」
平和な光景は、山と積まれた黄金よりも、最高の美女よりも魅力的だ。
死ぬまで眺めても飽きる気がしなかった。
●後継者達
十代半ばの助祭が手を止めた。
対邪神戦末期の、最悪の人材不足に対応するため導入したPDA……というより情報システムが緊急度順にタスクを表示している。
近世から数ヶ月に移行するほどの激変だがこの助祭にとっては自然なことだ。
この聖導士学校に文盲の孤児として入学した後、現役ハンターの教師から各世界の最新情報や対歪虚戦の最前線の技術や覚悟を叩き込まれて来たので羽ペンで羊皮紙に報告書を書く方に違和感がある。
「何か」
地に足がついていない気がする。
この地も大きな被害を受けたが、領主館や町を失った周辺地域に比べたなら無傷とすらいえる。
戦争末期に丘精霊ルルが使った対歪虚結界の影響で歪虚も激減し、助祭個人と深い関係にある農業法人も一気にその規模を拡大して膨大な富を生み出すようなるはずだ。
学校も順調のはずだ。
周辺の聖導士学校と違って人的被害もなく物的被害も少ないので、転入という形で覚醒者という貴重な資源を受け入れ己の色に染める権利を手に入れた。
「重要なことを見落としている気が」
立身出世のため聖堂教会入りした助祭にとっては最高の展開のはずだ。が、比喩で無く生命の危機をくぐり抜けて来た経験が警鐘を鳴らしている。
こういうときこそ上司に相談したいのに、司教も司祭も全権限を助祭に渡したままどこかに消えている。
PDAに新たなタスクが表示される。
慣れた手つきで取り上げる。今朝も頑張って整えた眉が危険な角度を描き、綺麗な形をした指が画面をタップし回線を繋げた。
「先輩、全身鎧の修理費申請の書類間違ってます。先輩のって装甲1センチ越えの特注品ですから既製品枠じゃなくてハンターの特注枠です」
現役ハンターな先輩の泣き言をぶった切って別の相手に繋げる。
「ジョン! あんた私を舐めてる訳? 酒代をこっち持ちにさせるつもりならもう少し体裁を……あんたの部下はあんたの管理下でしょうがなんとかなさい!」
ライバルも順調に出世しているようなので嬉しくなる。
回線を切って気合いを入れ直し、増え続けるタスクに立ち向かう。
もう、奇妙な感覚のことを忘れていた。
●戦略会議
「蜚鳥盡、良弓藏、狡兔死、走狗烹。つまりリストラのお時間です」
司祭は世間話を口にするように現状を要約した。
「我々……まあこの場で直接属しているのは校長先生と私だけですが、対歪虚強硬派閥は強力な歪虚という脅威があるから許容されてきた派閥です」
凄まじく贅沢な教育を行う学校を維持できているのも、商業主義そのもののブライダル事業を見て見ぬ振りをされているのも、歪虚に対抗するという圧倒的大義名分があればこそだ。
「コネや金や人材を駆使すれば延命は可能です」
戦争時の酷使で悲鳴をあげる脳味噌を騙し騙し使う。
以前は5桁と5桁の乗算が暗算で出来たが今は2桁が精一杯。
記憶力も思考の速度も下がりに下がってはいるが、以前から考えていたことなら説明可能だ。
「ですが効率が最悪です。戦災からの復興、世界間国家間の成長競争が始まるのに周囲の足を引っ張るのは……戦死した先達に合わせる顔がありません」
その言葉を聞いた瞬間、多かれ少なかれ不満を持っていた有力者達が勢いを失う。
まあ1名というか1柱はよく分かっていないが。
「一番まずいのが農業法人です」
「えっ」
「機械化を進めると農業に人がいらなくなって社会が激変しかねません。派閥の笠が無くなれば国内のあらゆる勢力に狙われると思います」
「ちょっ、今資金繰りぎりぎりで」
慌てる社長を横目で見ながら話を続ける。
「学校は危険です。既存の聖導士養成校とも王立学校ともカリキュラムが違い過ぎ、他にあわせろという要求が殺到するでしょう」
「続けるなら政治闘争必須かね」
「はい」
全員が頭を抱えた。
この場に農業や教育の専門家はいても政治家はいない。
一番向いているイコニアも、本質は法術使いであり狂信者だ。
百戦錬磨の貴族や官僚相手の王宮での戦いでは勝ち目がない。
「対策は?」
「何か打つ手は!?」
問われたイコニアは、以前と比べてはっきりしない意識で考えた。
何も、思いつかない。
「利用価値を維持し続けることです」
だから一般論しか口に出来ない。
「しさい!」
元気な挙手があった。
全員見ないふりをしたいが、この地における最高の権威なのでそれは不可能だ。
「私はっ?」
何故かウェディングドレス姿の外見年齢10歳が、きらきらした目を向けてくる。
何かコメントが欲しいらしい。
褒めて欲しいという気持ちが顔に出ている。
「ハンターの皆さんに協力してあげて下さい。きっとそれが、1番良い未来に繋がると思います」
「うん!」
丘精霊ルルは元気にうなずき、夕食が待つ食堂へ駆けていった。
●招待状
我が校はハンターを歓迎します。 聖導士学校
我が社はハンターを歓迎します。 ルル農業法人
●ハンターが介入しない場合の未来予想
・聖導士学校
聖導士課程は規模を縮小して存続。医療課程は王立学校に吸収される。
その過程でハンターが教えた内容はかなり削られる。
・農業法人
最終的にばらばらに。社員1人1人が少し裕福な農民として生活する。
・隣領からの避難民
千人近くがこの地に残留し、農業法人の社長がまとめ役となる。
・イコニア
派閥の甲斐性と、派閥の影響下にあった人々の再就職に尽力する。
激務が祟り10年以内に死去。
・マティ
中央の聖堂に異動。そこそこ出世する。
・丘精霊ルル
森を維持しながら社長の家に入り浸る。
家系が絶えても、何もかもが失われても。
大地を覆い尽くそうとした力を失い悉く消え去った。
残っているのは、極一部の歪虚を除けば自然発生した雑魔程度だ。
対邪神戦の主力がクリムゾンウェストへ帰還した今、人類全体が歪虚に敗北することはあり得ない。
抗戦の時代が終わり、復興と飛翔の時代が始まるのだ。
●司教達
「まさか生きているうちに平和を味わえるとは」
「有休をとって先に行った連中の墓に報告せねば」
「お前は有給休暇を与える側じゃろうが!」
好好爺然とした司教達が屈託のない笑顔で笑い合い、雑魔の1匹もいない平原を飽きること無く眺めている。
少年時代から過酷な人生を歩いて来た。
友を奪われ愛する者も傷つけられ、対歪虚戦に全てを捧げてここまで来た。
青い空に白い小鳥が飛んでいる。
夏の暑さにも負けず地上に目を向け、虫を見つけて急降下する。
地上では命の営みと奪い合いが続く。
だがもう邪神はいない。
人類に絶滅をもたらす格の歪虚はもはや存在しないのだ。
「今日は何をする日だったか忘れてしまった」
「まだ惚けるには早いぞ。まあ私もだが」
「後は若いのに任せるとしよう」
平和な光景は、山と積まれた黄金よりも、最高の美女よりも魅力的だ。
死ぬまで眺めても飽きる気がしなかった。
●後継者達
十代半ばの助祭が手を止めた。
対邪神戦末期の、最悪の人材不足に対応するため導入したPDA……というより情報システムが緊急度順にタスクを表示している。
近世から数ヶ月に移行するほどの激変だがこの助祭にとっては自然なことだ。
この聖導士学校に文盲の孤児として入学した後、現役ハンターの教師から各世界の最新情報や対歪虚戦の最前線の技術や覚悟を叩き込まれて来たので羽ペンで羊皮紙に報告書を書く方に違和感がある。
「何か」
地に足がついていない気がする。
この地も大きな被害を受けたが、領主館や町を失った周辺地域に比べたなら無傷とすらいえる。
戦争末期に丘精霊ルルが使った対歪虚結界の影響で歪虚も激減し、助祭個人と深い関係にある農業法人も一気にその規模を拡大して膨大な富を生み出すようなるはずだ。
学校も順調のはずだ。
周辺の聖導士学校と違って人的被害もなく物的被害も少ないので、転入という形で覚醒者という貴重な資源を受け入れ己の色に染める権利を手に入れた。
「重要なことを見落としている気が」
立身出世のため聖堂教会入りした助祭にとっては最高の展開のはずだ。が、比喩で無く生命の危機をくぐり抜けて来た経験が警鐘を鳴らしている。
こういうときこそ上司に相談したいのに、司教も司祭も全権限を助祭に渡したままどこかに消えている。
PDAに新たなタスクが表示される。
慣れた手つきで取り上げる。今朝も頑張って整えた眉が危険な角度を描き、綺麗な形をした指が画面をタップし回線を繋げた。
「先輩、全身鎧の修理費申請の書類間違ってます。先輩のって装甲1センチ越えの特注品ですから既製品枠じゃなくてハンターの特注枠です」
現役ハンターな先輩の泣き言をぶった切って別の相手に繋げる。
「ジョン! あんた私を舐めてる訳? 酒代をこっち持ちにさせるつもりならもう少し体裁を……あんたの部下はあんたの管理下でしょうがなんとかなさい!」
ライバルも順調に出世しているようなので嬉しくなる。
回線を切って気合いを入れ直し、増え続けるタスクに立ち向かう。
もう、奇妙な感覚のことを忘れていた。
●戦略会議
「蜚鳥盡、良弓藏、狡兔死、走狗烹。つまりリストラのお時間です」
司祭は世間話を口にするように現状を要約した。
「我々……まあこの場で直接属しているのは校長先生と私だけですが、対歪虚強硬派閥は強力な歪虚という脅威があるから許容されてきた派閥です」
凄まじく贅沢な教育を行う学校を維持できているのも、商業主義そのもののブライダル事業を見て見ぬ振りをされているのも、歪虚に対抗するという圧倒的大義名分があればこそだ。
「コネや金や人材を駆使すれば延命は可能です」
戦争時の酷使で悲鳴をあげる脳味噌を騙し騙し使う。
以前は5桁と5桁の乗算が暗算で出来たが今は2桁が精一杯。
記憶力も思考の速度も下がりに下がってはいるが、以前から考えていたことなら説明可能だ。
「ですが効率が最悪です。戦災からの復興、世界間国家間の成長競争が始まるのに周囲の足を引っ張るのは……戦死した先達に合わせる顔がありません」
その言葉を聞いた瞬間、多かれ少なかれ不満を持っていた有力者達が勢いを失う。
まあ1名というか1柱はよく分かっていないが。
「一番まずいのが農業法人です」
「えっ」
「機械化を進めると農業に人がいらなくなって社会が激変しかねません。派閥の笠が無くなれば国内のあらゆる勢力に狙われると思います」
「ちょっ、今資金繰りぎりぎりで」
慌てる社長を横目で見ながら話を続ける。
「学校は危険です。既存の聖導士養成校とも王立学校ともカリキュラムが違い過ぎ、他にあわせろという要求が殺到するでしょう」
「続けるなら政治闘争必須かね」
「はい」
全員が頭を抱えた。
この場に農業や教育の専門家はいても政治家はいない。
一番向いているイコニアも、本質は法術使いであり狂信者だ。
百戦錬磨の貴族や官僚相手の王宮での戦いでは勝ち目がない。
「対策は?」
「何か打つ手は!?」
問われたイコニアは、以前と比べてはっきりしない意識で考えた。
何も、思いつかない。
「利用価値を維持し続けることです」
だから一般論しか口に出来ない。
「しさい!」
元気な挙手があった。
全員見ないふりをしたいが、この地における最高の権威なのでそれは不可能だ。
「私はっ?」
何故かウェディングドレス姿の外見年齢10歳が、きらきらした目を向けてくる。
何かコメントが欲しいらしい。
褒めて欲しいという気持ちが顔に出ている。
「ハンターの皆さんに協力してあげて下さい。きっとそれが、1番良い未来に繋がると思います」
「うん!」
丘精霊ルルは元気にうなずき、夕食が待つ食堂へ駆けていった。
●招待状
我が校はハンターを歓迎します。 聖導士学校
我が社はハンターを歓迎します。 ルル農業法人
●ハンターが介入しない場合の未来予想
・聖導士学校
聖導士課程は規模を縮小して存続。医療課程は王立学校に吸収される。
その過程でハンターが教えた内容はかなり削られる。
・農業法人
最終的にばらばらに。社員1人1人が少し裕福な農民として生活する。
・隣領からの避難民
千人近くがこの地に残留し、農業法人の社長がまとめ役となる。
・イコニア
派閥の甲斐性と、派閥の影響下にあった人々の再就職に尽力する。
激務が祟り10年以内に死去。
・マティ
中央の聖堂に異動。そこそこ出世する。
・丘精霊ルル
森を維持しながら社長の家に入り浸る。
家系が絶えても、何もかもが失われても。
リプレイ本文
●貧富
風は適度な水分を含み、日差しは強いが過酷ではない。
1番荒れた土地でも、数年前に鬼が彷徨っていた土地とは比べものにならないほど豊かだ。
なのに無力な民が溢れている。
配給で食い繋いではいるが力なく土の上に蹲っている。
「渇! 機械にできることは人にも出来るわ! ヌシら、この地に溢るる民を隣領の民だからと見捨てるつもりか!」
ユーレン(ka6859)の言葉は激しく、しかし芯の部分は冷静だ。
「それが元王国騎士として正しい所業と思うてか! 全ての民が戻るには何もかも足りんのだ、この地でお前らが受け入れんでどうするか!」
無骨な男が苦しげな表情になる。
農業用ゴーレムを多数抱える法人の代表者であり、王国騎士として戦い抜いた男だ。
「そ」
「貴方は黙って下さい」
労りと冷酷が並立する不思議な声が、男の口を封じてユーレンに警戒心を抱かせる。
やや年嵩の妊婦がいる。
大きな腹を抱え、疲労で顔色が悪く、そもそも覚醒者ですらないのに横の男より存在感がある。
「人を多く雇えば経費が嵩む」
ユーレンは声を柔らかくして説得の為の言葉を組み立てる。
目の前の女が、妊婦という立場を利用する人間ならいくらでもやりようがあった。
だが、心底から家族を守る為に動いている女は油断できない。
「それでも我等にはルルの加護がある。やりようはいくらでもあるのだ。この地で職なき盗人や餓死者を出さぬために我等が踏ん張らねばならぬ」
「社長が元騎士であるということを理由にそこまで要求しますか」
元はただの行き遅れだったはずの女が、今は貴族の婦人にしか見えない。
服装が理由では無い。
目から感じられる知性と、高度な訓練を感じさせる表情と声の制御が出自を誤認せるのだ。
「人が労苦を厭いて街に移り住む迄、ヌシらの子供にこの地を引き継ぐ15年、我等がやらねばならぬのだ」
「話になりません」
ただ否定するだけではない。
夫である社長に大型タブレットを持って来させ、数値では無く小麦が詰まった倉を表示させる。
「これが今回、我々が無償で提供した小麦です」
ペンだこが目立つ指で画像切り替えの操作をする。今朝撮影された倉庫は、何も残っていない。
「違約金も必要になりました。今年の利益は全て消ています」
「それでもだ!」
ユーレンが敢えて強い口調を選ぶ。
法人幹部の発言ではなく、避難民達から漂う反感の気配に気付いたのだ。
嫉妬の感情が、急速に密度と量を増やして妊婦に向かう。
「何人ここと学校に就職したと思っている、必要なユニットなぞ依頼してハンターに出させろ。その方が維持費の節約になるわ!」
だから、ユーレンが彼等を代弁していると錯覚させることで暴発を阻止する。
「ハンターの貸与が永遠に続くとは思えません。最大の脅威は消えたのですよ」
副社長は揶揄も悪意もなくただ事実を指摘する。
「我々は小作人を雇うつもりはありません。割に、あわないのです」
邪神撃破によりリアルブルーとの連絡は維持された。
地球解凍後は経済的にも文化的にも影響が強くなるのは確実で、悪い意味で保守的なやり方を採用するのは危険過ぎた。
●戦略会議
「実際の所どうなのだ。この地で歪虚が出続けるなら、この地の独自メソッドを取り上げようなどと考える馬鹿貴族は出ないと思うが」
日雇いの指揮を終えたその足で、ルベーノ・バルバライン(ka6752)が会議に参加する。
ハンターを除く参加者は皆疲れ果てていて、司会者である助祭マティは立ったまま意識を失っている。
「ルベーノさん、そんなこと言ったらお隣の領主さんが可哀想ですよぅ」
たおやかな女性が淡い非難を口にする。
非覚醒状態であるのに存在感は目に焼き付くほどで、星野 ハナ(ka5852)と今日初めて出会った教職員……うち4割が未婚男性高給取りが動揺している。
「きつい冗談を言われますな。それでは私が馬鹿貴族のように聞こえますぞ」
恰幅の良い貴族が平静を装おうとして失敗している。
ハナが徽章を動かす度に、焦りの浮かんだ瞳が徽章中央の聖紫晶石を追ってしまう。
紫光大綬章。
王国に対する絶大な功績を証明する物であり、その持ち主を邪険に扱えば王国という巨大な権威が敵になる。
「今回これ持ちのハンターは結構来てるんですよねぇ。みんなこの地の復興のために鋭意努力してましてぇ。勿論隣領の御領主様達の復興にもできる範囲の手助けはさせていただくつもりですよぅ」
領主達の息が止まった。
「領主ジョークという奴かな」
ルベーノがにやりと笑う。
「そうなんですかぁ」
ハナが鮫のように笑い、オブザーバーとして招かれた貴族達の胃壁を削られる。
「人手が此方に取られ過ぎたら領主様の所の復興人員が足りなくなるじゃないですかぁ。長居は領主様達にとっても損だと思いますぅ」
欲を出さずにとっとと帰れという意思は、誤解なく伝わった。
ソナ(ka1352)がマティをソファーに寝かせて司会を代わる。
「土地の開拓と産業の担い手は必要です」
農業法人が機械化大規模農業を指向しているのは事実だが、この地域の開発に人手が必要なのも事実だ。
強力な歪虚が消え自然発生する雑魔しかいなくなったのだから、これまでと比べると極小のリスクで開発出来る。
「平地の畑の価値は高く、重要なものです」
イツキ・ウィオラス(ka6512)が議論の前提を改めて口にする。
牽制と揚げ足取りに傾きかけてきた議論が、清廉なエルフ達の言葉で修正されていく。
「建材の入手と、畑の再整備が重要だと……思います」
イツキは複雑怪奇な議論を纏める能力は持っていない。
だが、最も重要なことを見失うことは絶対にない。
「なあ領主よ。避難民全員を元に戻せるのか?」
逞しい体を豪華な椅子の上で寛がせ、ルベーノが刃のような視線を向ける。
「全員が無理ならここでの受け入れに動くしかない。流民が発生したら中央政府にどう思われるか、言うまでもあるまい?」
領主3人はポーカーフェイスを保ったつもりだが、ハンター達の目や鼻から本心を隠せない。
外の脅威が存在しないなら内側に対して強く出られる。王国中央の力が増すのだ。
散々支援された上で治安を悪化させれば中央の介入を招きかねない。そうなれば近くにある農業法人も巻き込まれる。
「人を受け入れるなら人力でできることを増やさねばならんだろうよ。最先端と逆行しようが仕方あるまい。復興には時間が掛かるが初動が遅れればそのつけはどんどん次の世代に回ることになる」
ルベーノはじろりと妊婦を見て、妊婦が冷や汗を浮かべる前に圧力を低下させる。
「それが嫌なら今まで以上に復旧への協力をすることだ。それに」
領主達に強い視線を向ける。
「隣領の被害は主に住居と堤防よ。ここから資材を提供すれば復旧の前倒しは可能であろう?」
領主達の顔色が目に見えて良くなる。
「輸送には我が領民を貸し出そう」
「私もだ」
「無論私も」
少しでも値切ろうとする領主達に、ルベーノは不敵な笑みを向ける。
「安心しろ。貴様等の予想よりずっと早く済む」
ルベーノの自信に満ちた態度に、時代に置いてけぼりにされる予感を覚える領主達であった。
その翌日早朝。
深夜までの議論と準備の疲れを見せずにルベーノが大声で指示を出す。
「2班は下がれ! よしいいぞ。1班、引っ張れ!」
かけ声と共に綱が引っ張られ、根元の切れ目から大木が折れた。
土から生えているのに既に乾燥が終わっているとしか思えない、林業に縁深い者ほど違和感を感じる音が響いた。
「まさかこれが借りられるとはね」
真新しいルクシュヴァリエが、枯れ果てた森に入って根元から折れた木を回収する。
枯れ草や木片が装甲に付着して酷い見た目になるが動きに異常は無い。
「ジャック班長、この機体が見えている?」
「はい、在校生と聴講生全員、マリィア教官の北西50メートルで待機中です」
生徒と聖堂戦士が真剣な顔でマリィア・バルデス(ka5848)の機体を注視している。
刻騎ゴーレム「ルクシュヴァリエ」は、王国産CAMを目指して設計製作された機体だ。
技術的に他国にも他世界にも劣っている傾向がある王国の民とっては、非常に誇らしく魅力的なユニットだ。
「これは最低限中の最低限の動作よ。無理な動きをさせると関節に疲労がたまるわ。整備にどれだけお金がかかるか、昨日の授業の復習は済ませているわね?」
聖導士学校卒業生であるジャック助祭と、金勘定スキルを持つ聖導士や一部生徒が顔を青くする。
ルクシュヴァリエは採算度外視機なのでとにかく金がかかる。
傲慢や邪神という敗北即滅亡の脅威が去った今、新規建造がされるかどうかも不明なほどだ。
「申し訳ないけど1人1人に十分な登場時間は与えられない。可能な限り見て覚えること。良いわね?」
「はい!」
紫光大綬章持ちのCAM乗りの指導を受ける機会は、普通の聖導士には与えられない。
生徒も聴講生も目を見開いて、全ての動きを目に焼き付けようとマリィア機を凝視するのだった。
驚くべき手際で積み上げられていく乾燥大木だが、一定以上には溜まらない。
工学の限界に挑戦するような荷台拡張改装を施された車両が、限界近い速度で運び出しては戻って来るからだ。
「はっきり言って移送の役にしか立たないからな、俺のトラックは」
急減速急停止にも関わらず、ギアもブレーキも傷めず荷台の中身も揺らさない。
魔導トラックは未改造。全て純粋にトリプルJ(ka6653)の技術による成果だ。
「落としても食えるが危ねぇぞ。慎重にいけ慎重に」
戻る際に運び込むのはバケツリレーの容量で他地域から送られてきた食料。
代わりに載せられるのは当然のように感想大木。
クレーンはなくてもルクシュヴァリエはいて、水分補給をする時間も無く積み込みと固定が完了する。
「乗れるのは1人だけだぜ。よし、行くぞ」
1人助手席に乗せて出発する。
乾いている上に枝も落とされているとはいえ、大木10本近くは非常に重い。
車体は危険なほど沈み込み、加減速してもなかなか速度に反映されない。
運転の難易度が異様なほど高い。
「だ、大丈夫なんですかっ」
体格だけならトリプルJより立派な男が縋る様に言う。
「さぁなぁ」
非常に危険なことは事実なので正直に説明する。
「安全ベルトをしっかり着けておけば大丈夫なんじゃねーか?」
砂利道で時速60キロを出す。
完璧に固定してもワイヤがぎしぎしと軋み、ゆっくりとブレーキを踏んだだけでも荷物の大木がこちらに向かって来る気がする。
「おっと出たぞ。歪虚だ」
「かあちゃーん!」
旧型狂気の群れを思い出し泣き出す大男。
身長は同じでもすらりとしたトリプルJは、悠然と鼻歌を歌いながら左手でハンドルを持ち右手を窓の外に出す。
「雑魔……雑魔か」
ボール大の不透明雑魔が弾んでいる。
気配は極小。
隠密能力は皆無。
つまり、ひたすらに弱い歪虚で雑魔基準でも最底辺だ。
「最後に依頼で倒したのはいつだったかね」
相対速度61km/h。
トリプルJにとっては止まっているのと変わらない。
手を伸ばし、静かに触れて衝撃を伝え、僅かな負マテリアルが消えただの水に戻る。
それを瞬時に終えて窓から腕を引っ込める。
飛び散った水がトラックの側面にかかる。
相変わらず騒いで祈る男の声をBGMに、トリプルJは工事現場までは巡航速度を維持して滑らかに停止した。
「よし、次にとりかかるぞ。おい兄ちゃんこれ食っとけ差し入れだ」
現場監督をしているドワーフが小さな包みを投げてくる。
トリプルJが危なげなく受け取って開くと、ぱさついたパンに干し肉を挟んだだけの昼食が現れた。
「順調かい?」
「ふん、見ての通りじゃ。おいそこは逆だ。無精をせずに順々に外せ!」
ゴーレムもCAMもなく、覚醒者も皆無。
しかし熟練者に指示されることで、工事の効率が少しずつ上昇している。
トリプルJは強靱な歯と顎で噛みきり砕いて飲み下す。ダッシュボードから取り出したミネラルウォーターを飲み干して昼食完了だ。
一度降りて荷台を見る。いくつかの届け物が固定されているのを監督と共に確認して運転席に戻る。
「次も頼む」
呼びかけられたトリプルJは軽く手を振って、最大速度での輸送を続けるのだった。
●戦略会議本番
スチール机にパイプ椅子が並ぶ、無味乾燥な会議室。
よく見てみると窓も無いし情報端末も見当たらない。
心得のある者なら、防音対策まで施されているのが分かるだろう。
「つまり他機関からの同化圧力がすごいというわけじゃな?」
ミグ・ロマイヤー(ka0665)が端的に現状を要約する。
「王国ですからね」
王国民であるエステル(ka5826)がため息をつく。
グラズヘイム王国はその豊かさ故に古いものが残っている。
その中には巡礼陣を筆頭に良いものもある。
が、以前は合理的でも今は因習でしかないものはそれ以上に存在する。
「そういうことなら現実に合わせて軟着陸していくしかあるまいよ」
ペットボトルの封を切り、生温い紅茶で唇を湿らせる。
「緊急時に特化した組織が平時にどうなるかについては嫌というほど見てきた。しがみつくと末路は悲惨じゃよ」
少し前までは、人類の全力を出し尽くしても倒せぬ歪虚が存在した。
だが邪神討伐に成功した今、歪虚は人類が死力を尽くさなくても対抗可能な程度の存在になった。
「大勢に逆らうのではなく現実を踏まえて残したいところに注力していくのがよかろう。ふふ、そこまでは分かっているという顔じゃな」
「分かっていることでも口に出すのは重要です」
痛みを堪えながらイコニアが答える。
「分かっているつもりになっているだけということも、私も含めて良くあることですから」
ミグへの非難ととれる発言になっていることに気付けていない。
こりゃ思ったより重症じゃのうと考えながら、ミグは説明の速度をイコニアの思考速度に合わせて落としていく。
「であるならばフロンティアを目指すしかあるまい。つまりはかつての歪虚支配地域の開拓に乗り出すための橋頭堡として学校と農業法人を再編していけばいいのではないか?」
「このタイミングで巨大案件に手を出すのですかっ」
司祭は立ち上がりかけ、ひぅ、悲鳴を漏らす。
バランスを崩し、パイプ椅子に体が衝突して、ぎしりと音が鳴った。
「はいゆっくり呼吸してー」
宵待 サクラ(ka5561)が介抱を始めたのを見て、ミグが説明を続ける。
「布教範囲が広がることについては教会からは文句は出ないじゃろうし、税収が見込めるなら王国とてあまり厳しいことは言うまい。長期的に見れば、高確率で配当が見込める案件じゃからの」
「利益がありすぎるのも問題ではないかしら」
マリィアが口を挟む。
元軍人なので組織内政治についても知っている。
一口噛もうとする者もいれば、丸ごと奪おうとする者も単純に足を引っ張る者も出てくることが容易に想像できる。
「これが多少なりとも使えるなら協力するのはやぶさかじゃないけど……」
紫光大綬章をスチールデスクの上に置く。
それだけで無味乾燥な机に風格が出てくるような、圧倒的な雰囲気がある徽章だ。
「これ、本当に効力があるのかしら」
「領地がないとはいえ男爵位ですよ。物理的な力と権威の両方を兼ね備えた存在がどれほど怖い、か」
顔を両手で押さえてイコニアが苦しむ。
指でかきむしっても脳に届かず、ひたすら耐えることしかできない。
「私は男爵位申請するつもりはないですけどぉ、頭数が必要ならいくらでも手を貸しますよぅ。数の暴力が必要ならどんどん呼んで下さいねぇ」
ハナは帳簿に目を通しながら宣言する。
彼女にとって王国の爵位はその程度の存在であって、今苦しんでいる避難民の方がずっと重要だった。
「そうだよ男爵位だよ」
団扇でイコニアを扇ぎながら、ここ数日頭を酷使しているサクラが口を開いた。
「もう申請していいんだっけ?」
「一番最初に名誉男爵位の候補から外されそうなサクラさんが何言ってるんですか」
「初耳だよそれ」
団扇の速度が上がる。
金の髪がゆらゆらと揺れ、じっとりと浮かんだ汗が乾燥して体温が下がる。
「私のためってことは分かりますけどやり過ぎなんです。あれだけ派手にやったら目をつけられますよ。今から大人しくしても半々くらいだと思いますよ」
「だとしたらイコちゃんの学校長推薦も駄目?」
「いやぁ」
「それは……」
思わずと言った感じでいくつも声があがって、視線による押し付け合いの末にミグが代表して発言する。
「功を評価すれば司教で足らず、罪を評価すれば絞首刑で足らぬという評価じゃろ?」
平時なら途中で失脚する状況でも続投したことで、イコニアの功も罪も積み上がりすぎている。
「悪いことは言わぬ。蜥蜴の尻尾として使う気が無いなら止めておけ。老い先短い分、帝国人のミグを使った方がまだましじゃよ」
「そこまでの状況かぁ」
サクラは肩を落とすが速度は落とさない。
空調のない室内の温度が、かなりの速度で上昇中だ。
「どの目的を選ぶとしても」
エステル(ka5826)が資料を閉じて立ち上がる。
他の面々に新しい意見はなく、エステルだけに視線が集中する。
揃いも揃って高位あるいは超高位の覚醒者なので視線が剣先にようにも感じる。
「歪虚との戦闘が減り、戦死者減少による人口増加は確実です。雇用を増やさないと今回を乗り切っても大量の流民が発生します。それに、直近の問題として戦争孤児の問題があります。この周辺はまだましですが、邪神討伐直前の被害が各国とも深刻です。孤児や傷病者などの受け入れもある程度はするしかないでしょう」
「また、副社長から文句を言われそうですね」
エステルの意見に賛同しているからこそ、イコニアの悩みは深刻だ。
「飲んで貰うしかないでしょう。農業法人をさらに発展させ、この地域を王国の一大穀倉地帯へと発展させることが最低限必要です」
大言壮語ではない。
必要に迫られた切実な内容だ。
「グランドゼロ、北方、竜園など、歪虚が消えた事で負のマテリアルに汚染された土地を蘇らせていく事業が立ち上がると見込まれます。そのプロトタイプになるかどうかは分かりませんが」
他国の汚染と比べればこの地の汚染は軽度で物資も運び込み易い。
いずれにせよ、他国で大きな事業が始まるなら需要が増えて食料輸出も要請されるだろう。
「副産物として収穫物の加工、警備、運搬等で雇用も作れます」
「理屈は分かります。でもエステルさん一番肝心なことが抜けています。……資金が足りません」
頭の痛みとは別の痛みに耐えながら、司祭がじっとエステルを見つめた。
「学校の南の古のエルフ達の土地を、麦畑として開拓という名目で出資を募ることを考えています。私も……些少ですが現金化が間に合った1億ほど持ってきました」
小さくても厳重な金庫から小切手を取り出す。
司祭は最初は己の不具合を疑うかのように己の耳を叩き、目を細めて裏書きを確かめ激しく噴いた。
「貴方何をっ」
「必要だからする。イコニアさんと同じですよね」
反論の術が無くなり、司祭はサクラに頼んで羊皮紙を取っくるよう頼む。
「私情ですけれどルルの象徴である麦で土地を満たし、古のエルフ達への僅かながらの慰霊も兼ねてやりたく」
「参りました。お望みなら聖堂教会の司祭位もつけましょうか」
内容は皮肉っぽいけれども圧倒的な実力者に教えを請うかの様な態度だ。
エステルは数瞬考えをまとめるのに使い、かねてから考えていたことを直接司祭へ伝える。
「イコニア様、単調直入ですが、まだ、派閥で私買ってもらえたりするでしょうか?」
一瞬の空白。
何度か瞬きをして、引き攣った表情でイコニアが答えた。
「立場の失墜が確実な我々では、今後地位が上がるだけのエステルさんを引き取れませんよ」
己と己の派閥の失墜を受け入れているとしか思えない、覇気のない笑みだった。
「イコちゃん何勘違いしてんだよ!」
手は優しく言葉は激しく、友人故の容赦の無さでサクラが指摘する。
「色々残ってるのに何が人の世は安泰だ!」
ネットワークから外れたままのPDAで地図を起動する。
王国を小さくすると帝国と帝国が現れ、さらに小さくするとエトファリカとリグ・サンガマが現れる。
そこまでが人の領域だ。
「人間領域がたかが一半島しか残ってなくてどこが平和だ!
王国を限界まで小さく表示させると、広大な無人地帯が画面一杯に現れる。
「雑魔狩り尽くすために今こそ聖導士の力が必要だ、寝ぼけてんじゃない!」
「腹、立つ、なぁ、もぉ」
司祭の緑の瞳が底冷えのする光を放つ。
「自殺を思いとどまるのが精一杯だって分かってるでしょうが!」
本音を出すほどにサクラを信頼し、甘えていた。
「我慢すれば治るんだから甘えるな! それにね」
目に強い光を浮かべたまま言葉を柔らかくする。
「イコちゃんが死ぬ時に今回の人生は悔いなしって思えるならそれが私の1番の幸せなんだ。イコちゃんって受け身で取り零さないが基本じゃん? 生き延びるために他の所に連れてって新しい何かを掴んでも取り零した何かが永遠に刺さってそうじゃん。なら、真っ向勝負でここで戦おうと思ってさ」
だから手段を選ぶなよお前そんなお行儀の良い存在じゃないだろ。
サクラの言葉と言外の言葉が正面からイコニアを殴りつけた。
「まあ、わたくしも本音としては派閥も潰さず、打倒歪虚への情熱を開拓に向けて貰えればと思うのですけれど」
エステルの的確なフォローによりイコニアが劣勢になる。
「実際、力を維持せねば己の意見も通せんよ」
保存されていた茶菓子を遠慮無く食べ終え、ミグがPDAの地図を眺める。
膨大な情報が詰め込まれている半島部から離れるほど情報の密度が低くなり最も端は白紙同然だ。
ミグは人類の欲望の強さを知っている。
すぐには無理でも確実に開拓は行われ、いずれ全てが人類の領域に変わる。
これは推測では無く確信だ。
「まずは対歪虚戦で培ってきた技術をもっていって、文句が出ないような地域を広げるべきじゃな」
開拓をどこが主導するかは分からないが、これだけ広大な土地を単独で開拓できる国も組織も存在しない。
イコニアの派閥が手を上げれば、便利に使われるかもしれないが開拓に組み込まれるだろう。今はどこも手段を選ぶ余裕がないのだ。
「その上で、開拓で得た知見を王国側に技輸入という形にしてやれば、革新も受け入れやすくなるというものである」
焦らず十数年から数十年先を見据えた、ミグらしい老練な策だった。
「さすがに壮大過ぎると……」
痛みがイコニアの思考を邪魔する。
短期的な記憶力も情報処理能力も激減しているため、本当に簡単なことしか判断できない。
紙を使って物資のやりくりを計算してるエステルが見えた。
エステル、為替、1億と思考が進み、脳裏が晴れ渡るように1つの思考として繋がる。
「今なら、可能?」
結論に飛びつこうとする己の戒める。
一見素晴らしく見えるだけの雑な計画など無数に存在する。
イコニア自身新人司祭時代には何度も失敗して上司に庇って貰っているし、王国政界で活動しているときも破滅した人間を無数に見て来た。
だがそれでも、魅力的なのだ。
「1世紀後にどうなっていると思う?」
イコニアの頭の程度を知っているのでミグは全てを説明しない。
勝手に推測を重ね、ミグが思う通りの計画と未来に気付くはずだからだ。
サクラが胸を撫で下ろす。
ああは言ったがイコニアがそろそろ限界だった。
生きる希望、あるいは欲望があれば、もう少しは我慢できるはずだった。
●新たなステージへ
「教師として置いてもらえないか」
ボルディア・コンフラムス(ka0796)の問いに、校長はまず驚き次に戸惑った。
「有り難いですが、英雄に相応しい待遇は用意できませんよ」
有象無象の歪虚から著名な歪虚まで、数え切れない歪虚を屠ってきたのがボルディアだ。
当然のように邪神に挑んで最期まで戦い抜いた。
「そんな意味で言ったんじゃねぇよ。まだ歪虚はいるけどよ。俺がずっといならなくても大丈夫な程度にはなったんだ」
やり遂げた達成感と、微かな寂寥感がある。
「ガキ共の面倒をこれからも見たいってのは、志望利用としては駄目か?」
「十分です。これからは同僚としてよろしくお願いします」
校長の乾いた手とボルディアの戦士の手が固く握手を交わし、その上から小さな手の平がそっと重ねられた。
「ところでこの茶番後何度すればいいんだ」
「ボルディアさんまだ撮影中です!」
近代的を通り越して未来的な撮影装置が壁一面を埋め尽くし、ボルディア達にスポットライトを集中させている。
校長は暑さに負けて汗を流し、カソック姿のルルは北谷王子 朝騎(ka5818)と一緒に何やら相談している。
「すみません先生。学校の宣伝のため、後少しご協力を」
助祭マティが深々と頭を下げる。
英雄が教師として赴任するというイベントは宣伝として最良の一つだ。
それに、実戦的であると同時に冷静なボルディアの授業は、元から評価も高いし生徒からの人気もある。
「これが初仕事かよ……」
OKが出るまで、この後3時間が必要だった。
「遅れてすまねぇ」
ボルディアはわざと小さな足音を立てて会議室に入る。
議論を主導しているハンス・ラインフェルト(ka6750)と目礼を交わし、部屋の隅に座ってPDAを立ち上げた。
映し出されのは教師用のマニュアルだ。
王国のそれではなく、情報伝達速度が凄まじい世界で磨き抜かれた逸品である。
「熱が出て倒れても手当が出るのかねぇ」
「つまりこの学校が他の王立学校より優れていると見せつければ良いのでしょう?」
王立学校の公開情報と聖導士学校の現カリキュラムが大型ディスプレイに表示されている。
「つまり将来的にルクシュヴァリエに乗れる授業を組み込めば良いんじゃないでしょうか。あの機体は聖導士のスキルをかなりカバーできますから。その授業を組み込めれば他と隔絶する理由が立ちます。ゴーレムだけでは砲戦学校と競合しますから、それは組み込まない方が良さそうです」
「砲戦学校ね。どこも努力してるってことか」
ボルディアは半ば聞き流しながらマニュアルに集中している。
思いつきもしなかった内容もあるし、既に使ってはいるが教えられて初めて理屈の分かった内容まであり、読んで疲れはするが非常に楽しい。
「この学校の士官学校要素を強めてもいい。他と隔絶し続けるレベルを維持できれば他の雑音は踏み潰せると思いますね」
「理屈は分かるがルクシュヴァリエは取り合いになるのではないか?」
「最初から諦める必要もないでしょう」
教師陣との議論によって案が磨かれ、中央への要請内容も纏まっていく。
「おう、俺もいいか」
内容が纏まったタイミングでボルディアが挙手して皆に了解を得て壇上へ上がる。
「戦時中ならともかく、平時であの授業は虐待って言われちまう」
表示されているカリキュラムを指差す。
短期間で使える人材を量産する洗練された内容ではある。
そして、リアルブルーの教育関係者が憤死しかねない過酷な内容だ。
「温い訓練をしろとは言っていない。文官人材の充実、部活動や、地域交流の一環として音楽サークルをさせるのもいい。これについては他に適任者がいるな」
資料準備中のアリア・セリウス(ka6424)と軽くうなずき合う。
「それでは卒業まで倍はかかりますぞ」
「生徒の為であれば教え方も改める。しかし期の途中で内容が変わることになる生徒は最悪ついて行けなくなるぞ!」
ボルディアの提案が有効と認めているからこそ、反発が強い。
「数年かけて徐々に変えるしかねぇよ」
教師用のマニュアルを指で撫でる。
理解するのも困難、実行するのはさらに困難だ。
これもリアルブルーの最新技術の結晶なのだから。
「先輩方、数年は睡眠不足になるが付き合ってもらうぜ」
ボルディアに負けない、獰猛な笑みが返ってきた。
「次は金銭面についてです」
ソナが壇上に立つ。
「とても、お金が必要です」
素朴で温和、強烈な個性がひしめくハンターの良心とも呼ばれるエルフが顔色を悪くしている。
「昨日ボルディアさんが触れた様に、授業料をとらざるを得なくなります。奨学金で補いますが、生徒への負担増は避けられないでしょう」
今後派閥が無事であっても以前のような支援は不可能だ。
「また、医療は知識の更新も重要です。今いるリアルブルー出身者は非常に優秀ですが、リアルブルーの教育機関との連携が取れなければ質を維持出来ません」
リアルブルー解凍は必ず行われ、リアルブルー内での凄まじい研鑽も再開される。
連絡をとるだけでも金と手間が必要だが、やらなければ技術格差が酷くなるばかりだ。
「王国内での有用性の正面という点では、王国内での各種機関との連携が必要です。医療関係者同士なら有益性は分かりそうですから、先生方を通して各医療機関との提携を目指したいです」
「やるべき事が、多いですな」
教授というべき立場の医者が、責任の重さを感じて悲鳴じみたうめき声をもらした。
「急ぐ必要があるが焦る必要は無い」
ソナが休憩に入ってフィーナ・マギ・フィルム(ka6617)が現状について述べる。
「現状において幾つかの分野では突出している」
その優位を維持する為の具体的な方策を述べていく。
曖昧になっている分野を細分化して学科を作り、教育の小、中、高、研究分野に於いては大学を設置しより専門的な教育を目指す。
当然、これまでとは違い生徒の選抜も必要になることも指摘する。
「教育に段階をつけることで基礎を盤石なモノにし、高度社会を作り上げ、発展させる研究者、技術者を輩出する事を目的としつつ、そこから取り残されない為の最低限の知識を教育する事を目的とする」
数年で実現は不可能だ。
しかし最初に有効な全体構想を描くことで、全ての効率が向上する。
「勿論問題もある」
予算だ。
1億が投入された農業法人とは違い、減っていく予算を有効活用してなんとかするしかない。
教師の心が折れてしまいそうな、過酷な状況だった。
●教育現場
社会の激変が進行中でも日常は止まらない。
生徒が炊き出し等に駆り出される頻度も徐々に減っていき、本格的に授業が再開される。
しかもハンターによる授業だ。
期待と少しの恐怖に胸をどきどきさせ、ルクシュヴァリエを目印に駆け足で移動する。
しかし搭乗訓練に参加できるのはほんの少しだった。
単純に期待の数が足りない。
ハンスが徒歩で出迎える。
生徒が咄嗟に背後を振り返ると、同じく教師役のディーナ・フェルミ(ka5843)がふにゃりと微笑んだ。
それに惑わされたのは新入生だけだ。
重く分厚い鎧を着ているのに足取りは軽く疲れも感じさせないディーナを見て、実勢経験のある生徒や戦士が震え上がる。
「重い鎧を着てメイスを構えて戦場を駆け回って治療と戦闘を行うのが聖導士の仕事なの」
だから生徒に普段より重い武器防具を持たせている。
闇鳥が蠢いていた頃なら疲労で移動速度が落ちる自殺強要同然の行為だ。が、弱い雑魔しか出ない今なら疲れて倒れるのを許容しての訓練が出来る。
「今日は前衛と中衛を交互に入れ替えて雑魔と戦闘するの」
自身に身長より大きなメイスを持ったまま魔導ママチャリに乗る。
揺れすらしない、凄まじい身体能力であった。
「では参りましょうか」
演習が始まった。
生徒にも闇鳥の印象が焼き付いていて、のどかな光景も凶悪な歪虚が潜んでいるようにしか見えないようだ。
大重量の装備が体力を削り、焦りが精神を削る。
だから、薄い負マテリアルで構成された雑な動きのスケルトンにも気付かず近づかれてしまう。
「足がっ」
生徒の動きが鈍い。
前衛と中衛が混じって攻撃できるはずのタイミングで攻撃が出来ない。
「こちらも激変していますね」
ハンスは平然とメモをとっている。
生徒が何を出来て何が出来ないのか知るのは指導のために必要だ。
それに、歪虚の能力と出現位置と討伐場所の情報も同等レベルで重要だ。
他領の領主と交渉するときに非常に使えるからだ。
ディーナがセイクリッドフラッシュを我慢する。彼女なら一瞬で勝利出来るが、敵が弱すぎる状況で手を貸すと訓練にならない。
生徒が持つ通常型メイスがスケルトンを砕く。
油断せず周囲を警戒するのは大したものだが、生徒のほとんどが息を乱していて警戒も雑になっている。
「では次に参りましょう。隣領から立ち入りの許可は出ています。普段と異なる歪虚と戦うのも良い経験になりますよ」
穏やかなハンスが悪魔に見えていた。
ハンスは生徒の心身の体調を見極め負荷を調節する。
それに加えて、隣領に発生した雑魔についての情報や隣領領民の反応まで克明に記録する。
「これも積み重なれば他との違いを際立たせる一助になるとは思いますね」
これからは、強いだけでは生き残れないのだ。
また、マリィアによる搭乗訓練も別方向で過酷だ。
機体内部の中小精霊に耐えきれずに動けず終わる戦士もいるし、ただ伏せて起き上がることが出来ず倒れて機体を傷つける生徒までいる。
傲慢王相手の決戦や邪神相手の死戦のため開発されたので、初心者への配慮皆無の機体だからだ。
剣を振る動作では無く、走り、守り、運ぶ、平和の中でも価値が落ちない動作も教え込む。
「スキルは大食いだけど、聖導士向きの機体だと思うわ」
機体の応急処置という名目でヒールの練習もさせている。
これまで教わった内容を絞り出すような実機訓練はマリィアの予想以上に効果があり、操縦技術以外もかなりの向上が見込めそうだ。
「休みながら聞け」
生徒に気付かせずに雑魔を警戒しながら、ボルディアが静かに語りかける。
「俺等が今まで教えてきたのは戦いから生き残る術だった。これから教えるのは戦わない術だ。戦争が終わった平和な時代を維持するのが、これからのお前等の使命だ。それを忘れんな」
形は変わっても、戦いは続くのだった。
「戦闘の必要性は少なくなるのですが」
遠くから聞こえる実機演習の音をBGMに、月の光と比較されるレベルの美女がキーボードを叩いている。
表計算の結果は相変わらず酷い赤字だ。
短期育成を目的とした戦闘科目や設備を縮小しても、教育期間が長くなるので焼け石に水だ。
「皆で仲良く」
迷ったときはこの単文を思い出す。
丘精霊ルルの心からの願いであり、この地にとってもアリア自身にとっても実現を目指す価値のある言葉だ。
実現が困難なことも、各自の利害が衝突するのも承知の上だ。
目的達成のため何が必要で、何を削ってよいか考えを進めた上で来期以降の予算案の試案を組み立てる。
「官僚の自前育成に手を出すことになりますか」
この学校にいれば忘れそうになるのだが、王国は良くも悪くも保守的であり、社会の上層もほぼ人間一色だ。
丘精霊は古エルフの惨劇を忘れていない。
王国の支配を今より強く受けるようになれば、些細なことから致命的な争いが発生しかねない。
「地方文化と信仰の共存、地域の祭事や統治を同時に行える文官的能力……」
中央に相談したら、高望みが過ぎると疲れた顔で言われそうな人材が必要になる。
「教区を任せられる人材の育成を……最低でもマティ助祭?」
黙々と署名をしていた校長が、ぎょっとして振り向いた。
「あの子は数年に一度の人材だよっ!? ハンター諸君なら月1で見つかる人材かもしれんが、あの質を狙って育てるのは無茶だ」
「必要なことです」
アリアは平然としている。
「この数年、掲げたのは継承という理想と夢。それを実現させる為には動き続けるかありません」
賛同者の署名がずらりとならんだ羊皮紙を渡す。
教師全員と、内容が理解できる生徒の署名がそこにある。
「人材として王国に還元出来る。短期的とはいえハンターの協力もある。夢物語ではありません」
「それは、そうだが」
合格点ではなく満点を狙うやり方だ。
これまで無数の困難を知恵と物理的力で粉砕してきたハンターがいればなんとかなりそうな気もするが、長年生きてきた経験がいくらなんでも高望みだと警告している。
「今すぐに決める必要はありません。……少し、出て来ますね」
保存して教職員が閲覧可能な場所に移動させる。
校長は己の端末で中身を調べ、賛同者に加わりたい衝動に襲われた。
●エルフの歌
ユキウサギ2人が、小柄な体を活かして墓石と墓石の隙間を掃除している。
専門の業者を呼べない事情があるので範囲が広く、常人を上回る体力を持つ2人でもかなりの重労働だ。
それ以上に大変なのはソナだ。
花の飾り付けから法術を使った土地の浄化、乾いた花の回収から新たなお供え物まで全て1人でやっている。
「私は時々しか……」
ため息が出そうになったの意識して耐える。
この地にいるときは、どんなに忙しいときでも毎朝ここに参っている。
けれど不在の期間の方が長い。
生徒や教職員の一部がたまに面倒を見てくれているようだが余り熱心では無い。
これは、人間が滅ぼしたエルフを奉る墓なのだ。
「ルル様も」
ここを訪れている気配があまり無い。
古エルフを己の中でどう位置づければいいのか迷っているのかもしれない。
「現実逃避とまでは言いませんが」
想いがあって迷うなら、信頼できる存在に相談して欲しい。
人類が駄目でも、東方から丘に植え替えられた桜の精もいるのだから。
「あ、れはっ」
「常識枠エルフじゃねーか!」
「失礼を言うじゃなぇこの馬鹿リーダー! すみませんソナさん。今回もお世話になります」
汗だくの青年エルフ達が駆けてくる。
大きな楽器ケースを背中に括り付け、墓の手前で停止して荒い息をつく。
なお、リーダー格の青年は足が釣ってうめき声を上げている。
元は売れないバンドエルフで、今はそれなりに売れている司会者兼コメディアン兼ミュージシャンだ。
ハンターが何度も関わらなければ今でも法人でバイトをしていたはずなので、ソナやアリアに対して非常に大きな恩を感じている。
「後で生徒さん達も来ます。ソナさんもどうです」
携帯用の機器を設置する手際に熟練を感じる。
言動はコメディでも楽器の扱いは丁寧かつ繊細で、真摯な修練を今も続けているのが分かる。
「わたしは……」
風とそれ以外の気配を感じた。
墓石と、その後ろにある何かを見た上で気付かないふりをして、四角いハンドベルを武器ではなく楽器として構える。
「そう来なくちゃ」
バンド全員がにやりと笑う。
広げた楽譜には、鎮魂のためハンター主導で作成された曲が載っていた。
「騒がしくしてごめんなさい」
アリアが生徒と卒業生の一部を連れてきた。
数は多くはない。
訓練でも演習でもなく、余暇に自主的に参加していることを考えれば決して少なくは無い。
「あの方は?」
ソナが見慣れぬ顔を見つけてアリアに問うた。
代わりに返事をしたのはマティ助祭だ。
「北隣の参加です。領主様の係累で……」
祭事を司ることになる将来の司祭となる学生達への経験にするため、アリアは見守りはするが開催と運営を全て生徒へ任せた。
今回の件が巧くいったら、音楽祭も生徒に任せていくつもりだ。
慰霊を止めるつもりはない以上、いずれ必ず周辺地域に知られるので、マティは積極的に巻き込むことにしたらしい。
「まぁ」
ソナの表情に呆れの要素は無い。
是非巧くいって欲しいという、祈るような想いが強く出ている。
「あのっ、始めますっ」
女生徒が緊張しながら呼びかける。
青年エルフは脇役に徹し、しかしその存在感で以て場の空気を引き締める。
少なくとも、幼くすらある1年生が大人しくなる効果はある。
「ルル様と、かつてここにいた方達に捧げます」
アリアやソナと違って、古代エルフの怨念そのものである闇鳥と直接戦ったことはない。
歌詞はともかく鎮魂の想いはほぼ込められていない。
それでも皆無ではない。
精霊への感謝や日常を喜ぶ心は十分だ。
数百年に渡って犠牲を無視してきたかつての領主と領民とは、そこがはっきりと違う。
アリアが、子供達の声が主役になるよう唱和する。
ソナが、万感の想いを込め曲を形作る。
爽やかな風が吹き、濃くも薄くもないマテリアルが墓と草を撫でる。
墓の裏の気配は曲が終わっても動かず、アリアが一瞬意識を外した瞬間にどこかへ消えた。
●翼の落ちた場所
毛並みの良いイェジドが、何もない荒野で足を止めた。
邪神や王級歪虚が関わっていない戦いとしては最大級の決戦が行われた場所なのに、今では雑魔1匹すらいない静かな場所だ。
イツキ・ウィオラス(ka6512)はエイルの背から降りる気になれない。
闇鳥と戦い、古エルフを知り、返り血と憎悪を浴びながら戦った結果がこの場所だ。
悔いはある。
だが、この結果より上等な結果があり得たかを考えても、より悲惨な結果に行き着いた気がしてならない。
カイン・A・A・マッコール(ka5336)はイェジドから降りて、リーリーから降りたアルマ・A・エインズワース(ka4901)と協力して墓標を組み立て固い地面に突き立てる。
「簡素でごめんな、あの時腹は立っていたけど、殺す気はなかった、お陰でイコニアさんと前より話せるようになったから感謝してる、だから気にかかってた」
傲慢とすら言える言葉ではある。
だが、元々この地に縁もなく、エルフでもない人間が抱く感情としては極自然なものだ。
「生まれてきて孤独なまま忘れられるのは寂しいだろ、だから僕で良ければ、君に名をつけさせて欲しい。ルチオ。祖父の所の言葉で光とか希望って意味らしい、今ん所負け戦だけど、僕に家族が出来たら僕の所に生まれ変わって来い。またなルチオ」
墓標を軽く撫で、立ち上がる。
「これから……世界はどう変わっていくんでしょうか」
空色のワイバーンを引き連れ、ユウ(ka6891)がしゃがみ込んで可愛らしいお菓子を供える。
真剣なルルと一緒に作ったせいか、オーブンから出して時間が経っているのに真新しい。
「大きな脅威は乗り越えることはできた、でも歪虚は残りこれからも私達の生活に関わってくる。中には知性を持った個体が生まれる時がくるかもしれない」
この地での戦いと、邪神との戦いを振り返る。
守護者としての力が宿ったままの己の体を見下ろす。
「でも、だからこそ私は」
無意識に力が籠もる。
鍛え抜かれた魂と肉体でも負担が大きな力が表に出ようとしている。
ユウは己の心に逆らわず、身の内に流れる龍の血を活性化させた。
「それは無理なことかもしれない、共にあることは不可能かもしれない。それでも、きっといつか歪虚とも手を紡ぐ日がくると信じこれからも進み続けます」
柔らかな光が細い雨となって墓標を濡らし地に染みこむ。
受け取る相手は最早心の中にしか存在せず、ここにあるのは土と墓標だけだ。
「どうか、安らかに」
だから自身の心に誓うのだ。
最後の瞬間まで、走り続けることを。
●司祭
「イコさん、経歴と家名を捨てて偽名で隠れ暮らす選択は出来ない? 社長夫妻用家を作るついでに」
メイム(ka2290)が準備したのはイコニアを今の立場から逃がす手段だ。
ひらひらさせるコピー用紙には具体的な手順がみっちりと書き込まれ、ベッドから眺めるイコニアも成功はしそうだと考えた。
「メイムさん」
大きな声を出そうとして痛みに呻く。
「私がそんなことをする人間かどうか、分かっているでしょう」
仮にこのまま回復しないのだとしても、王国内外とのコネは有効だ。
今イコニアが逃げ出せば、派閥と共に沈む人間が1桁増え、学校に向かう資金も滞る。
「でもこのくらいしないと危険だよー。ねぇルルさん」
朝騎にべったりのはずのルルが真剣な顔で立っている。
「司祭の貢献は認めている」
イコニアによって地上へ引きずり出された頃とは違い、人類に理解可能な意思と精霊としての力を兼ね備えた存在としてそこにある。
「イコが糾弾されず生きる為に見た目認識阻害とか?」
「司祭が望むなら。でも、望むような人間ならあれほどの術は使えないし使わない」
シーツにくるまったままのイコニアが、頷こうとして悲鳴をあげた。
「ルル」
「駄目」
サクラの言葉を途中で遮る。
「それは絶対に駄目。サクラと契約した精霊と大精霊の意に反することは出来ない」
人類とは異なる思考を理屈を無理に翻訳したような、硬い言葉遣いだ。
「そっか……」
サクラが肩を落とす。
イコニアを襲う痛みは拷問じみていて、しかも今後数ヶ月続く。
どんな手段を使っても癒したかったが、ここまではっきり拒否されるということはルル以外に頼んでも拒絶されるのだろう。
「お疲れ様でした」
ユウが静かに声をかけた。
ドラグーンという戦士の種族に生まれ育ったので、今彼女がどれだけ苦しんでいるか実感として分かる。
介錯を懇願しても誰も笑わないほど苦しいはずだ。
「イコニアがどんな選択をしても私達は友人です。近くにいられなくても傍にいます」
そういう生き方を貫く覚悟がある。
「もし困ったことがあればいつでも相談にのります」
だから頑張れとは言えない。
既に十分頑張っている。
ユウはその頑張りに寄り添うことに決め、友の次の行動を待った。
「本当にお疲れ様」
ディーナが器用にマシュマロを切り分け、重傷者でも食べられるサイズの欠片をイコニアの口に運ぶ。
歯で噛む必要もなく、甘みが舌から脳に届いて痛みを一時的に忘れることが出来た。
「戦い続ければ誰でも私になれるけど、戦い続けても誰もカーナボン司祭にはなれないの。この地が救われたのは司祭のおかげだと思うの……ありがとう」
お互い鍛錬の跡が濃い手で軽い握手を交わす。
「ディーナさん?」
違和感に気付く。
覚醒時でもないのに、はっとするほど生き生きとしている。
「私はもう少ししたらタスカービレで結婚するの」
ようやく思い至る。
結婚式でなら何度も見たことがある、幸せのまっただ中の表情だ。
「歪虚とは一生戦っていくけれど、居ない所で死なれたくない人ができたから。でもそれまでは、この地の平穏に尽くすつもりなの」
そこで微かに表情が曇る。
「カーナボン司祭は……いいの?」
王国の結婚適齢期はリアルブルーと比べると早い。
今後も激務が続くイコニアは、非常に拙い立場にある。
「イコちゃん、今の体調なら明日出来ることは今日やらないべきだけどさー。今世のことは今世で済ますべきだよ。絶対イコちゃんは後悔しても仕方なかったって無理に納得しようとするから……」
そう言うサクラだけでなくユウも心配そうだ。
種族的な特徴故に王国よりもさらに婚期が早い。
「続きはカインさんとしておいで」
いきなりイコニアに口づけして精神的に混乱させ、イェジド二十四郎の背に乗せ送り出すのだった。
そして、その送り出された先の部屋である。
「カインさんちょっと出ていて欲しいです」
「何故だ?」
カインは混乱した。
アルマが邪魔する気だとは思わない。
しかし、口説き落とすための最期の機会でこういう行動をするのは予想外だった。
「このままじゃ喧嘩別れですよ」
妻帯者の発言は説得力がある。
カインは呼吸どころか一瞬心臓まで止まった。
「ドアの後ろで聞いていてもいいですから待機していて下さいねー」
呆然としたカインを追い出してから数秒後、イェジドに運ばれイコニアが入室した。
「わぅー」
右の瞳が微かに紅に輝く。
触診するまでもなく、彼女の体調の悪さがはっきりと分かる。
「イコニアさんは自分だけで頑張ろうとしちゃだめだと思うです」
ふんすと抗議しつつベッドにも使えるソファーに寝かせる。
触れるのは常に服越し。しかも下心が皆無なので二十四郎も積極的に協力していた。
「わぅー。イコニアさんは自分だけで頑張ろうとしちゃだめだと思うです」
この体調でもハンターのサポートに動いている。
心配を通り越して呆れてしまう。
「ちゃんとおはなしするです。戦争終わったなら、一人で何もかもする必要もないですー」
態度は独特でも言っていることは常識的だ。
なのでイコニアも全く反論できない。
「わふわふ。イコニアさんの事大事に思ってるひと、けっこうたくさんいるです。たぶんいちばんも、僕知ってるですっ」
えへ、と笑うアルマを見て無意識に唇に手が伸びる。
すべきこと、したいこと、やってはいけないことがグルグル頭の中を回る。
「適度に肩の力を抜かないと、イコニアさんを大事にしようとしてる子を悲しませるですよ?」
実のところ、アルマの言葉は彼女にほとんど影響を与えていない。
充実した私生活がもたらす安定感の方が圧倒的に目立っていて司祭を動揺させている。
このままでは死ぬまで自ら経験することがないからだ。
「それじゃ」
無造作にドアを開ける。
カインが軽く目を見開いて非難の視線を向けて来るが気付かないふりをしてイコニアの元へ押しやる。
「生きていて、よかった」
数分かけて動揺を鎮め、ようやくそれだけ口に出来た。
あの戦場で、彼女はいつ死んでもおかしない術を使っていた。
生き延びたことは分かっていても、直接目にしないと不安になる。
「橋の上で言った事、改めて……」
一度口を閉じる。
ここで躊躇うようなら以前の二の舞だと、本能とアルマの気配で察する。
「いつも傍に居られるわけじゃない。けど、辛い目に会ってるときは、すぐさま助けに行きたい」
ベッドの横に跪き視線をあわせる。
「背負ってる物が重すぎるようなら、その半分を持ってやりたい」
迷うように中途半端に上げられた手の平に自分の掌を重ねる。
「これからの人生で起こる、素晴らしい何もかもを分かち合いたい」
彼女が背負うものの重さは嫌というほど知っている。
一手間違うだけで大勢を破滅させてしまう、とても過酷な戦場にいる。
「貴女の人生に起こる、辛く苦しい何もかもを一緒に乗り越えたい。だから僕と一緒に生きて欲しい、イコニア」
緑の瞳に感情の揺れがない。
悪意こそないが好意も薄い。
だが、誠実な信頼というべきものは感じられた。
「私は良い妻にはなれません」
それでもいいのかともだから許してとも言わない。
カインは無言で力を込め、愛する女を抱きしめる。
「すき、はしあわせなことですー」
アルマはイェジドを促し、2人だけを部屋に残して扉を閉じるのだった。
●夢の中
新居は小さなログハウスだった。
小柄な2人でも手足が触れるほどで、けれど触れあう感触が気持ちよくて2人ともにこにこしている。
朝目が覚めると鼻が触れあう距離で向き合っていて、動き時はいつも指をしっかり絡めたままだ。
おしゃべりも、食事の準備から後片付けも、カードゲームもそれ以外の遊びも楽しすぎて夢の中のよう。
時々仕事に出かけるのは……とても残念だけどしかたない。
奥さんは、とっても大事な役割を担う精霊なのだから。
「おかえりなちゃ~い。ご飯にしまちゅか? お風呂にしまちゅか? それとも」
エプロンをたくし上げる。
下には下着しかつけていないのでちょっと涼しくて、けれど視線を感じて頬が赤くなる。
「朝騎にしまちゅか?」
そこで意識が途絶えたことだけは、記憶に残っていた。
「はっ!? まさか夢落ちでちゅかっ!?」
朝騎が腹筋だけで跳ね起き符を取り出す。
守護者に相応しいマテリアルが脈動し、木々に止まっていた鳥達が大慌てで逃げ出した。
「まさか……おはようのちゅーも、三食のあーんも全部夢でちゅかっ。ふにふにすべすべのルルしゃんの肌も、ひょっとしてあの告白も……」
マテリアルが陰っていく。
かつての翼持つ歪虚を上回る何かが生じようとする。
そんな危険な状況で、ごほん、とわざとらしい咳払いが響いた。
真剣ではあるがある無味乾燥な、医者らしい医者がじっと朝騎を見つめている。
「全て現実です。証拠が必要でしたら保安部から映像を回収して下さい」
朝騎は素直に従い、ケーブルに繋いだPDAで動画を再生し満足げな表情になった。
なお、医者の背後では反省中と墨書されたTシャツ姿のルルが正座中である。
「焦ったでちゅよ。正座してるルルしゃんも可愛いでちゅねー」
テンション高く撮影を始める朝騎と調子に乗り始めるルルを見比べ、医者が深く重い息を吐く。
「高濃度の正マテリアルに溺れて意識を失っていました。率直に言って、健康に害があるかどうかも分かりません」
丘精霊ルルの外見はエルフの少女だが、中身は神秘の固まりだ。
深く縁を繋ぎほぼ常時近くにいる朝騎がどんな影響を受けるか、予想することも出来ない。
「人もエルフも精霊も仲良く、めでたしめでたしになるって決まってるでちゅ。ねー」
ねー。
大勢からの真摯な信仰を受けてルルの力は確実に拡大している。
医者は表情を変えず決断を下す。
丘精霊と朝騎の体調と変質についての情報は貴重で、カルテ単体でも研究機関間の奪い合いが起きかねない代物だ。
これを研究して世に出したい気持ちもありはするが、邪神を退けた人間と、歪虚から直接守ってくれた精霊に害を与えることは出来ない。
彼は、全て墓に持って行くことにした。
「井戸はいらないのかなー」
メイムと、刻令ゴーレムのーむたんと、朝騎のGnomeがぼんやり丘を見上げている。
水が溜まっているはずがないのに、中腹から湧き水が流れている。
とりあえず判断を保留して工事に戻る。
イコニアは学校の教員寮に部屋を持ち、ルル農業法人社長夫妻も北に新居を建設予定なので、これ以上家を建てる必要は無い。
だが、参拝者が増え続けているので休憩所やいざというときの避難所が必要だ。
参拝者が雨に降られて倒れたりしたら、ルルの方が心労で倒れてしまう。
「ルルさーん、増築しないでいいのー?」
いいよー。
いまのがいいー。
空気の振動ではなく純粋な意思が伝わってくる。
覚醒者や心身が鍛え抜かれた者ならともかく、常人なら意思に触れるだけで傷を負うかもしれない。
「手持ち無沙汰だよー」
了承が得られたら法律的にぎりぎりなことまでやるつもりでここ来たのだが、やってるのは平和で適法な工事だけだ。
限られた電気と訳の分からない水道しかない場所で工事は高難度だが、メイムにとっては普段の活動より難易度が低い。
同時に道の整備まで可能なほどだ。
「すみませーん、通らせてもらいますよぅ」
東方茶屋兼用トラックが北からやって来る。
砂利道ですらない道をすいすいと踏破して、丘精霊の視線に気付いてゆっくりと速度を落として止まった。
「おぉ、お社が」
「ありがたやありがたや」
荷台に詰め込まれた老人達が丘を拝んでいる。
かつて離散したこの地の領民とは違って信仰心が厚い。
実際に精霊が宿り御利益まで与えてくれるルルを拝まない理由が存在しない。
「この人達の為にも、隠れていた方がいいと思いますよぅ」
ルルが外行きモードで……一般人が想像する精霊らしい精霊として顔を出そうとしたのに気付いて止める。
直接目にするのも直接言葉を交わすのも、普通の老人達にとっては負担が大きすぎる。
「トイレはこっちでーす。男女別だよー」
メイムが呼びかけゴーレムがそれぞれ誘導する。
リアルブルー基準でも王都基準でも野趣溢れる作りでも、王国の田舎に住む人間にとっては洗練されていて都会の雰囲気を感じられる建物だ。
ハナも気分転換をすることにして、一度運転席から降りて来た道を振り返る。
「せいぜい千人までだと思うんですよねぇ、こちらで面倒みられる避難民はぁ」
とても広く土も超えている。
中世風の統治をするなら人間をいくらでも詰め込むことが出来るだろう。
しかし、悪い意味でも合理的な農業法人が関わるなら千でもぎりぎりだ。
「このまま隣の領主様の肝煎りで帰っていただいてぇ、食料だけ輸送して炊き出しもあちらでやって貰った方が良いと思いますぅ」
人は良さそうな老人達を遠くから眺める。
気の毒だとは思う。
非難と復旧をするのは大変だとは思う。
「このままじゃ生徒巻き込んでこちらも共倒れになりかねないですぅ」
だが、ハナがうけたのは学校のための依頼であって隣領のための依頼ではない。
衣食住のための物資を同時に運ぶくらいしか、出来ることはなかった。
「ルル様、新たな縁を結ばれたこと、お祝い申し上げます」
ハナの車両が出発してから、ユウが自作かつ力作のウェディングケーキを運んで来た。
「ご結婚されましたです? おめでとーです、お幸せにです!」
アルマも全身で祝いを述べる。
精霊と人間との婚姻というのは、あり得ないと言ってもおかしくない出来事だ。
ルルとの付き合いが浅いアルマがここまで自然に祝ってくれていることに、ルルは喜ぶと同時に困惑していた。
「前例がありますです。僕が全霊。なお、妻は英霊です」
えへんと胸を張る。
ルルは驚いてアルマに注意を向け、アルマとは別の匂いに気付いて驚きを強める。
ありがとう。
よろしく伝えてください。
「はいです!」
アルマはにこやかに笑い、振る舞われた紅茶に口をつけた。
「ねえルルさん。フィーナさんの工事も済ませたんだけど」
メイムは言いづらそうな表情だ。
「本当にいいの? あたしは2人ほどルルさんと親しくないから言うべきじゃないのかもしれないけど……」
エルフに見える精霊が戸惑っている。
朝騎や生徒と遊ぶときに見せる顔ではなく、土地を象徴する側面が濃く現れているのに、即断即決できずに言葉を探す。
精霊として光栄なことです。
そう伝えられたメイムの口元が微かに痙攣する。
本当に久しぶりに、目の前の存在が人とは違うことに気付かされた。
そのフィーナは最初にルルと挨拶してどこかに消えた。
「ここか」
医者が、戦場に向かうような装備で森の前に立っている。
強力な歪虚が消えて対歪虚の力は薄れたが、丘精霊ルルの祝福は相変わらず強力で近づくだけで良いそうだ。
「っ」
いきなり至近距離にワイバーンの顔が現れる。
向こう傷が目立つ顔を一度医者に近付けて、医者本人であることを確かめてから森の中へ戻っていく。
「すみません」
フィーナが歩いてくる。
森のあらゆる要素がフィーナを守り支えているのに、歩くのも息をするのも辛そうだ。
「この通りの体調です」
森から出て倒れても困るので、外部との境界ぎりぎりでワイバーンに支えて貰った。
「精密検査の結果、ですよね」
「それもあります」
生き物としての格が圧倒的に上のエルフとワイバーンの前でも、医者はただ義務を果たす。
「この地では延命も難しい」
悔しさと無力感に耐え、事実のみを口にする。
フィーナは渡された書類を見て、己の感覚通りの結果であることを確認する。
「ルル様がいない王都ではより状況が悪くなります。解凍後のリアルブルーへの渡航を検討して下さい」
フィーナが一般的な年月生きるつもりなら、これが実質的に唯一の選択肢だ。
「イコニア司祭も渡航に同行して治療に協力してくれます。最新技術と強力な法術の組み合わせであれば完治の可能性もあります」
強力な癒やし手が他世界に長期間出向くなど普通はあり得ない。
学校に大きな貢献をしたフィーナだから、イコニアも協力を確約したのだ。
「ルルのもとで死ねないリスクがあるのに?」
灰色の瞳に怒りが浮かんでいないのが恐ろしい。
「はい」
次の瞬間消し飛ばされる危険を承知の上で、いずれ医学部を率いる男が断言した。
今のフィーナは生命維持の魔術を怠っただけで危篤に陥りかねない。
何より、自分の半分も生きていないフィーナを助けたかった。
「情報提供には、感謝します」
フィーナは静かに頭を下げ、それ以上何も言わずに己の住処へ向かうのだった。
●かつて荒野だった場所
小さな中継器とソーラーパネルを並べて固定をするまで、3分もかからなかった。
「聞こえるー?」
上機嫌のルルがHMDに表示される。
複数の中継器を通した通信なのに、音割れもなく映像もその場にいるが如くだ。
「こちらエルバッハです。現在地はIの13。今の所異常は見当たりません」
「こっちも元気……あぁーっ!」
微かな電子音が聞こえる。
まるで運転でもしているかのようにルルの上半身が左右に揺れ、膝の上にルルを抱え込んでいた朝騎まで揺れている。
「では」
通信を終了して南を向く。
「危険はないと思いますが、念のため確認しておいた方が良いと思いますから」
受信を知らせる表示が1つ。
場所は学校、相手はイコニアだ。
「今大丈夫ですか」
「問題」
HMDに歪虚発見報告。
表示されたときには脚部への操作は終わっている。
黒塗装に金を飾られたR7ウィザードが南西へセンサを向ける。
「ありません」
一瞬名無し鴉に見えたが気のせいだった。
風に流され南隣の領地からやって来た、ただの鳥に限りなく近い飛行歪虚だ。
「こちらの画面では戦闘中になっているのですが。今すぐ増援を……」
エルバッハ・リオン(ka2434)は暗算を始める。
風の向きと強さだけでなく、惑星の情報まで必要な複雑な計算を独力で済ませて機体と答え合わせをする。
機体の側が速度優先でコンマ以下を削って計算していた。
自身のの計算結果を選択して偏差射撃を実行。
衝撃と発砲音が響いてしばらくして、残骸も残さず上空の雑魔が粉微塵に吹き飛ぶ。
「飛行能力をも持つ歪虚を1体撃破しました。Iの14へ移動を再開します」
邪神を打倒してほとんど時間が経っていないのに、リアルブルーの解凍すら行われていないのに、世界各地が急速に変化している。
この地に届いた通信機器もその1つだ。
ロッソが到着頃、一部のハンターが目指して物資不足で諦めたものが簡単に手に入る。
「本当に変わりましたね」
「ええ。司祭がおしゃべりをしながら仕事にするようになるとは思いませんでした」
真面目腐った顔でエルバッハが言うと、司祭はあははと柔らかな笑みを浮かべた。
「皆さんに感化されたのかもしれません」
とりとめのない話を続けながら双方仕事を確実に進める。
墓標周辺にも新たな歪虚の反応は無し。
歪虚汚染があるとはいえ、一度ルルが浄化した効果は大きいらしい。
「エルバッハさん?」
急に反応がなくなったことに気付いて司祭が真剣な顔になる。
エルバッハは、HMDに新たな表示がないのに限界まで五感と霊的な感覚を研ぎ澄ませる。
所々に雑草が生えつつある原野に、微かな違和感が一定の間隔で現れては消える。
「イツキさんに連絡をお願いします」
脚部の操作は間に合わない。
腕部シールドを傾けるのとファイアーボールの射出操作だけをぎりぎりで完遂した。
爆発音に紛れて翼の音が聞こえた。
盾の表面に見慣れた足型が刻まれたとの報告がHMDに映る。
闇鳥だ。
半透明の……つまり高い知性を持つ、ルルの結界の中でも生き延びた強敵だ。
「到着まで5分、私もすぐに向かいまっ」
興奮しすぎて痛みが再発し倒れ伏す。
司祭が無様を晒している間も攻防は続き、純粋な操作技術とスラスターの組み合わせてエルバッハが被害を最小限にとどめる。
「今です」
マテリアルキャノンを使って術を発動。
闇鳥は異様な水準の回避術で爆発を避ける。
だがそれは罠だ。
既に、頭上から空色のワイバーンが迫っている。
「闇鳥がこんな所に」
龍血覚醒したユウの力は圧倒的だ。
闇鳥がクウを狙っても魔剣で以て爪を弾き飛ばし、不安定な空中から正確な攻撃を次々放つ。
ぎりぎりで躱せはしたがユウやクウと違って余裕はない。
闇鳥は風が砂を巻き上げた瞬間に反転して北へと逃げる。
そこからは追いかけっこだった。
CAMとしては速くても龍や鳥には劣るウィザードがまず脱落した後、速度と知恵を競い合う戦いがしばらく続く。
「咎は、この身に」
イェジドと呼吸をあわせ、傷跡残る荒野をイツキが駆ける。
後1つだ。
地の底に蠢く怨念もついに絶え、生き残りの闇鳥は目の前の個体のみ。
結局、何が残ったのか、何を遺せたのか、決着を目の前にしてもまだ分からない。
「一槍に全霊込めて」
だからこそ歩みは止められない。
あの司祭やこの地の為の剣となる覚悟が魂に焼き付いている。
「悪夢の終わりを告げましょう」
胸が痛い。
古エルフの子を滅ぼした感触は未だ生々しく、かつての覚悟も決意も無意味だったのではという虚無感が心を苛む。
「たとえ、独善的な」
闇鳥が声にならない怒号を放つ。
濃密な殺意がイツキの髪を揺らし、エイルが負けじと咆哮する。
「自己満足であろうとも」
イツキほどの使い手であれば、武器を振るうことはマテリアルを振るうことと同じだ。
鋭い穂先と化したマテリアルは儚くも冷たく、強靱な負マテリアルの貫き雪のような煌めきを残す。
「これで、終わりです!」
白き龍が刃を振り下ろす。
闇鳥は恐るべき反応速度で回避行動を開始する。
斬撃が飛んできたとしても十分に躱せるはずだ。
だがその程度では超越者である守護者には届かない。
斬撃は光に変わり、十分余裕を以て避けたはずの巨体を捉える。
強靱さと粘り強さを兼ね備えた肉が、光に冒され柔く脆く変わる。
数秒経過で元に戻る程度の変化ではあるが、守護者相手に数秒の好きは致命傷だ。
「ご」
漏れそうになった言葉を噛み潰し、イツキが悲鳴じみた叫びと共に槍を突き入れる。
鳥の形をした歪虚が動きを止める。
端から崩れながら憎悪を燃やしてブレスを放とうとして、限界を超えた体に致命的な罅が入る。
槍と剣が慈悲の一撃を与える。
手に残った感触は、一生忘れられそうになかった。
●新規雇用
腹が激しく鳴った。
授業では脳を酷使し、演習では体も酷使し、避難民の警護や炊き出しでは前記の2つに加えて表情筋も酷使した。
地面に腰を下ろせばそのまま寝てしまいそうだ。
それでも、通い慣れた道を半ば無意識に進む。
すぅっと。
見慣れぬ機械が追い越していった。
形は四つ足で、背中の巨大な籠には汗と汚れがこびりついた運動着がみちりと詰まっている。
「え」
「何?」
同級生と顔を見合わせてから数秒後。
ようやく異常に気付いて機械を追った。
「皆さん」
寮の入り口には、籠の受け渡しをする元自動兵器達とメイド服を着こなしたオートマトンが待ち受けていた。
「帰宅が遅れる時は連絡をお願いします。日常での使用も控えてください」
生徒が無意識に構えていたメイスを、抵抗の意思も持たさず回収する。
俺が運ぶ! と全身で主張する元兵器へ食事の後整備をさせるから運ぶだけにしなさいと声を使わず伝えた後、新たな寮母にして寮部門責任者でもあるフィロ(ka6966)が生徒を案内する。
呆然と、流されるようにシャワーを浴びて軽く着替えて席につき、筋骨を逞しくするだけでなく舌を楽しませる食事を平らげたあたりでやっと落ち着く。
「なんで本職のメイドがいるの!?」
貴族として生まれ育った一部生徒が動揺するほどにフィロはメイドとして完璧だ。
王国とは異なる文化と理屈で動いても完璧なのだから、本家でも雇えないことが想像できてしまいますます混乱する。
「寮母さんが来るって先生が言ってた気が……」
授業についていくだけで精一杯で頭に入っていなかった。
「それより日課済ませないと。今日の洗い物はっ」
微かに甘いの香りが漂う。
一切埃を立てずにフィロが紅茶を準備し、PDAを通じて通達されているはずの情報を説明した。
「家事の訓練は週一度に変更されました。他の時間割も変更されていますので確認をお願いします」
寮内警備のオートソルジャーと情報を交換している間も、フィロの態度は完璧だった。
生徒が全員就寝した後、フィロは自分の目で寮を外側から見ていた。
就職目的で履歴書を持参したら予算と権限をその場で渡され寮部門の立ち上げを任された。
邪神が消えた結果、行き場を失った損傷自動兵器達を引き取ったのは、安全を考えるとそれ以外に方法がなかったからだ。
普通に求人をするとスパイが殺到する。
「給料、どう設定しましょう」
元自動兵器に給料を出しても気にもされないはずだ。精霊や大型幻獣と比べれば平凡な存在でしかないし、フィロに任された予算にはまだまだ余裕があるのだから。
同時刻。
寮職員オートソルジャーを指導しつつパン生地を練りながら、カインが気の抜けた表情をしていた。
「女と付き合うって、こんな感じなのか?」
パン生地の形に気付いて慌てて形を普通のパンにする。
すごく楽しいことがあったはずなのに、イコニアによってぎちぎちに詰め込まれた知識により楽しい記憶が追い出されている気がする。
「マリッジブルーはまだまだ早いですよー」
様子を見に来たアルマが、カインの様子に気付いて心配そうな顔になる。
「いや結婚はまだ……いつなんだろ」
覇気が無い。
愛情が薄れた訳ではないが気力体力ともに危険な状態だ。
「なるほどー」
アルマは聞き役に徹した。
すると、カインとイコニアの価値観の隔たりが見えてくる。
両者とも相手にあわせているつもりでも、断絶に近いほどかけ離れているようだ。
「浚って逃げたら関係が破綻しそうですしー」
「そうなんだよな……」
貴族出身の聖職者と、幼少時から一人で過酷な生を送ってきたカインの組み合わせだ。
普通の男女ならいつ喧嘩別れしてもおかしくない。
「イコニアさんも悪い子じゃないですよ」
少なくとも、カイン相手にマウントをとろうとしたり知識を誇ったりはしない。
影響力の大きな己と関わることで、今後必ずカインに降りかかる面倒や悪辣な策を防ぐために手を打っているだけだ。
だからこそ大変ともいえる。
カインがこれだけ疲れていてもイコニアはこれ以上妥協できないのだ。
「それは分かってる。分かっては……いるさ」
この状態でも、カインは決して調理に手を抜かなかった。
●みんな仲良く
避難民の帰還が進み、人口密度が低くなった。
つまり猫の天下だ。
時折通る魔導トラックや大型幻獣には道を譲るが、害虫や害鳥を仕留めて農業に貢献する猫達は誰はばかることなく分け前を主張する。
「待って、待って下さい」
イツキが猫に埋もれている。
子猫から老猫まで全力で媚びを売り、しかし目だけは肉食獣獣じみている。
エイルがイツキを助けようと咆哮一発。
強力な歪虚でも耐えきれずに止まるはずなのに、イツキが抜け出る前に回復して足止めと媚び売りを激しくする。
「朝騎!」
「助けるでちゅ!」
学校から出て来た精霊は、猫パンチの迎撃をうけ撃退され精霊に泣き付かれた朝騎も慰めるのに忙しくて戦線離脱する。
「エイルさんこれ案内でちゅ。イツキさんの分もどうぞでちゅ」
花嫁装束のルルが紙面の半分を占める何かの宣伝だ。
私たち結婚しまちた、と書かれているので結婚報告だろうか。
「エクラ教ルル派を立ち上げたでちゅ。この先、数百年、古エルフの様な悲劇を起こさず、人々が平和に、ルルしゃんが笑顔で暮らせるように頑張りるでちゅ!」
土地そのものでもあるルルが熱心に頷いている。
将来的にはこの土地で確実に流行る。
もっとも、今もそれなり以上の信仰心がルルに向いているので、ただの現状追認で終わるのかもしれないが。
「1家族1皿です。甘えた声を出しても駄目ですっ」
どれだけ媚びを売ってもイツキが折れてくれないので、猫達は譲歩を引き出すのを諦め愛想を引っ込める。
イツキの前に整然と並ぶ様は、野生動物でも飼い猫でも無く誇り高き従業員風だった。
「くすぐったいです」
猫餌「マーシー・オブ・プリンセス」を配り終えても猫はイツキの指を撫で、平然と混じっていたユグディラが高級猫餌の入手先をメモしている。
イツキは追い払うのを諦め真新しいベンチに腰を下ろす。
負マテリアルは、人類に暮らしに伴うわずかな量しか感じない。
きっとこのまま平和が続いていくのだと、頭では無く魂が確信している。
「それでも」
彼らの――古エルフの事を、伝えていかなければならない。
この地で起きた悲劇。
この地に刻まれた傷。
誰もが忘れても無かったことにはならず、忘れてしまえばいずれ第二の闇鳥が誕生する。
「私は」
魂の疲れを無視して立ち上がる。
最早武力が必要ないのだとしても、イツキ達の戦いは終わらない。
風は適度な水分を含み、日差しは強いが過酷ではない。
1番荒れた土地でも、数年前に鬼が彷徨っていた土地とは比べものにならないほど豊かだ。
なのに無力な民が溢れている。
配給で食い繋いではいるが力なく土の上に蹲っている。
「渇! 機械にできることは人にも出来るわ! ヌシら、この地に溢るる民を隣領の民だからと見捨てるつもりか!」
ユーレン(ka6859)の言葉は激しく、しかし芯の部分は冷静だ。
「それが元王国騎士として正しい所業と思うてか! 全ての民が戻るには何もかも足りんのだ、この地でお前らが受け入れんでどうするか!」
無骨な男が苦しげな表情になる。
農業用ゴーレムを多数抱える法人の代表者であり、王国騎士として戦い抜いた男だ。
「そ」
「貴方は黙って下さい」
労りと冷酷が並立する不思議な声が、男の口を封じてユーレンに警戒心を抱かせる。
やや年嵩の妊婦がいる。
大きな腹を抱え、疲労で顔色が悪く、そもそも覚醒者ですらないのに横の男より存在感がある。
「人を多く雇えば経費が嵩む」
ユーレンは声を柔らかくして説得の為の言葉を組み立てる。
目の前の女が、妊婦という立場を利用する人間ならいくらでもやりようがあった。
だが、心底から家族を守る為に動いている女は油断できない。
「それでも我等にはルルの加護がある。やりようはいくらでもあるのだ。この地で職なき盗人や餓死者を出さぬために我等が踏ん張らねばならぬ」
「社長が元騎士であるということを理由にそこまで要求しますか」
元はただの行き遅れだったはずの女が、今は貴族の婦人にしか見えない。
服装が理由では無い。
目から感じられる知性と、高度な訓練を感じさせる表情と声の制御が出自を誤認せるのだ。
「人が労苦を厭いて街に移り住む迄、ヌシらの子供にこの地を引き継ぐ15年、我等がやらねばならぬのだ」
「話になりません」
ただ否定するだけではない。
夫である社長に大型タブレットを持って来させ、数値では無く小麦が詰まった倉を表示させる。
「これが今回、我々が無償で提供した小麦です」
ペンだこが目立つ指で画像切り替えの操作をする。今朝撮影された倉庫は、何も残っていない。
「違約金も必要になりました。今年の利益は全て消ています」
「それでもだ!」
ユーレンが敢えて強い口調を選ぶ。
法人幹部の発言ではなく、避難民達から漂う反感の気配に気付いたのだ。
嫉妬の感情が、急速に密度と量を増やして妊婦に向かう。
「何人ここと学校に就職したと思っている、必要なユニットなぞ依頼してハンターに出させろ。その方が維持費の節約になるわ!」
だから、ユーレンが彼等を代弁していると錯覚させることで暴発を阻止する。
「ハンターの貸与が永遠に続くとは思えません。最大の脅威は消えたのですよ」
副社長は揶揄も悪意もなくただ事実を指摘する。
「我々は小作人を雇うつもりはありません。割に、あわないのです」
邪神撃破によりリアルブルーとの連絡は維持された。
地球解凍後は経済的にも文化的にも影響が強くなるのは確実で、悪い意味で保守的なやり方を採用するのは危険過ぎた。
●戦略会議
「実際の所どうなのだ。この地で歪虚が出続けるなら、この地の独自メソッドを取り上げようなどと考える馬鹿貴族は出ないと思うが」
日雇いの指揮を終えたその足で、ルベーノ・バルバライン(ka6752)が会議に参加する。
ハンターを除く参加者は皆疲れ果てていて、司会者である助祭マティは立ったまま意識を失っている。
「ルベーノさん、そんなこと言ったらお隣の領主さんが可哀想ですよぅ」
たおやかな女性が淡い非難を口にする。
非覚醒状態であるのに存在感は目に焼き付くほどで、星野 ハナ(ka5852)と今日初めて出会った教職員……うち4割が未婚男性高給取りが動揺している。
「きつい冗談を言われますな。それでは私が馬鹿貴族のように聞こえますぞ」
恰幅の良い貴族が平静を装おうとして失敗している。
ハナが徽章を動かす度に、焦りの浮かんだ瞳が徽章中央の聖紫晶石を追ってしまう。
紫光大綬章。
王国に対する絶大な功績を証明する物であり、その持ち主を邪険に扱えば王国という巨大な権威が敵になる。
「今回これ持ちのハンターは結構来てるんですよねぇ。みんなこの地の復興のために鋭意努力してましてぇ。勿論隣領の御領主様達の復興にもできる範囲の手助けはさせていただくつもりですよぅ」
領主達の息が止まった。
「領主ジョークという奴かな」
ルベーノがにやりと笑う。
「そうなんですかぁ」
ハナが鮫のように笑い、オブザーバーとして招かれた貴族達の胃壁を削られる。
「人手が此方に取られ過ぎたら領主様の所の復興人員が足りなくなるじゃないですかぁ。長居は領主様達にとっても損だと思いますぅ」
欲を出さずにとっとと帰れという意思は、誤解なく伝わった。
ソナ(ka1352)がマティをソファーに寝かせて司会を代わる。
「土地の開拓と産業の担い手は必要です」
農業法人が機械化大規模農業を指向しているのは事実だが、この地域の開発に人手が必要なのも事実だ。
強力な歪虚が消え自然発生する雑魔しかいなくなったのだから、これまでと比べると極小のリスクで開発出来る。
「平地の畑の価値は高く、重要なものです」
イツキ・ウィオラス(ka6512)が議論の前提を改めて口にする。
牽制と揚げ足取りに傾きかけてきた議論が、清廉なエルフ達の言葉で修正されていく。
「建材の入手と、畑の再整備が重要だと……思います」
イツキは複雑怪奇な議論を纏める能力は持っていない。
だが、最も重要なことを見失うことは絶対にない。
「なあ領主よ。避難民全員を元に戻せるのか?」
逞しい体を豪華な椅子の上で寛がせ、ルベーノが刃のような視線を向ける。
「全員が無理ならここでの受け入れに動くしかない。流民が発生したら中央政府にどう思われるか、言うまでもあるまい?」
領主3人はポーカーフェイスを保ったつもりだが、ハンター達の目や鼻から本心を隠せない。
外の脅威が存在しないなら内側に対して強く出られる。王国中央の力が増すのだ。
散々支援された上で治安を悪化させれば中央の介入を招きかねない。そうなれば近くにある農業法人も巻き込まれる。
「人を受け入れるなら人力でできることを増やさねばならんだろうよ。最先端と逆行しようが仕方あるまい。復興には時間が掛かるが初動が遅れればそのつけはどんどん次の世代に回ることになる」
ルベーノはじろりと妊婦を見て、妊婦が冷や汗を浮かべる前に圧力を低下させる。
「それが嫌なら今まで以上に復旧への協力をすることだ。それに」
領主達に強い視線を向ける。
「隣領の被害は主に住居と堤防よ。ここから資材を提供すれば復旧の前倒しは可能であろう?」
領主達の顔色が目に見えて良くなる。
「輸送には我が領民を貸し出そう」
「私もだ」
「無論私も」
少しでも値切ろうとする領主達に、ルベーノは不敵な笑みを向ける。
「安心しろ。貴様等の予想よりずっと早く済む」
ルベーノの自信に満ちた態度に、時代に置いてけぼりにされる予感を覚える領主達であった。
その翌日早朝。
深夜までの議論と準備の疲れを見せずにルベーノが大声で指示を出す。
「2班は下がれ! よしいいぞ。1班、引っ張れ!」
かけ声と共に綱が引っ張られ、根元の切れ目から大木が折れた。
土から生えているのに既に乾燥が終わっているとしか思えない、林業に縁深い者ほど違和感を感じる音が響いた。
「まさかこれが借りられるとはね」
真新しいルクシュヴァリエが、枯れ果てた森に入って根元から折れた木を回収する。
枯れ草や木片が装甲に付着して酷い見た目になるが動きに異常は無い。
「ジャック班長、この機体が見えている?」
「はい、在校生と聴講生全員、マリィア教官の北西50メートルで待機中です」
生徒と聖堂戦士が真剣な顔でマリィア・バルデス(ka5848)の機体を注視している。
刻騎ゴーレム「ルクシュヴァリエ」は、王国産CAMを目指して設計製作された機体だ。
技術的に他国にも他世界にも劣っている傾向がある王国の民とっては、非常に誇らしく魅力的なユニットだ。
「これは最低限中の最低限の動作よ。無理な動きをさせると関節に疲労がたまるわ。整備にどれだけお金がかかるか、昨日の授業の復習は済ませているわね?」
聖導士学校卒業生であるジャック助祭と、金勘定スキルを持つ聖導士や一部生徒が顔を青くする。
ルクシュヴァリエは採算度外視機なのでとにかく金がかかる。
傲慢や邪神という敗北即滅亡の脅威が去った今、新規建造がされるかどうかも不明なほどだ。
「申し訳ないけど1人1人に十分な登場時間は与えられない。可能な限り見て覚えること。良いわね?」
「はい!」
紫光大綬章持ちのCAM乗りの指導を受ける機会は、普通の聖導士には与えられない。
生徒も聴講生も目を見開いて、全ての動きを目に焼き付けようとマリィア機を凝視するのだった。
驚くべき手際で積み上げられていく乾燥大木だが、一定以上には溜まらない。
工学の限界に挑戦するような荷台拡張改装を施された車両が、限界近い速度で運び出しては戻って来るからだ。
「はっきり言って移送の役にしか立たないからな、俺のトラックは」
急減速急停止にも関わらず、ギアもブレーキも傷めず荷台の中身も揺らさない。
魔導トラックは未改造。全て純粋にトリプルJ(ka6653)の技術による成果だ。
「落としても食えるが危ねぇぞ。慎重にいけ慎重に」
戻る際に運び込むのはバケツリレーの容量で他地域から送られてきた食料。
代わりに載せられるのは当然のように感想大木。
クレーンはなくてもルクシュヴァリエはいて、水分補給をする時間も無く積み込みと固定が完了する。
「乗れるのは1人だけだぜ。よし、行くぞ」
1人助手席に乗せて出発する。
乾いている上に枝も落とされているとはいえ、大木10本近くは非常に重い。
車体は危険なほど沈み込み、加減速してもなかなか速度に反映されない。
運転の難易度が異様なほど高い。
「だ、大丈夫なんですかっ」
体格だけならトリプルJより立派な男が縋る様に言う。
「さぁなぁ」
非常に危険なことは事実なので正直に説明する。
「安全ベルトをしっかり着けておけば大丈夫なんじゃねーか?」
砂利道で時速60キロを出す。
完璧に固定してもワイヤがぎしぎしと軋み、ゆっくりとブレーキを踏んだだけでも荷物の大木がこちらに向かって来る気がする。
「おっと出たぞ。歪虚だ」
「かあちゃーん!」
旧型狂気の群れを思い出し泣き出す大男。
身長は同じでもすらりとしたトリプルJは、悠然と鼻歌を歌いながら左手でハンドルを持ち右手を窓の外に出す。
「雑魔……雑魔か」
ボール大の不透明雑魔が弾んでいる。
気配は極小。
隠密能力は皆無。
つまり、ひたすらに弱い歪虚で雑魔基準でも最底辺だ。
「最後に依頼で倒したのはいつだったかね」
相対速度61km/h。
トリプルJにとっては止まっているのと変わらない。
手を伸ばし、静かに触れて衝撃を伝え、僅かな負マテリアルが消えただの水に戻る。
それを瞬時に終えて窓から腕を引っ込める。
飛び散った水がトラックの側面にかかる。
相変わらず騒いで祈る男の声をBGMに、トリプルJは工事現場までは巡航速度を維持して滑らかに停止した。
「よし、次にとりかかるぞ。おい兄ちゃんこれ食っとけ差し入れだ」
現場監督をしているドワーフが小さな包みを投げてくる。
トリプルJが危なげなく受け取って開くと、ぱさついたパンに干し肉を挟んだだけの昼食が現れた。
「順調かい?」
「ふん、見ての通りじゃ。おいそこは逆だ。無精をせずに順々に外せ!」
ゴーレムもCAMもなく、覚醒者も皆無。
しかし熟練者に指示されることで、工事の効率が少しずつ上昇している。
トリプルJは強靱な歯と顎で噛みきり砕いて飲み下す。ダッシュボードから取り出したミネラルウォーターを飲み干して昼食完了だ。
一度降りて荷台を見る。いくつかの届け物が固定されているのを監督と共に確認して運転席に戻る。
「次も頼む」
呼びかけられたトリプルJは軽く手を振って、最大速度での輸送を続けるのだった。
●戦略会議本番
スチール机にパイプ椅子が並ぶ、無味乾燥な会議室。
よく見てみると窓も無いし情報端末も見当たらない。
心得のある者なら、防音対策まで施されているのが分かるだろう。
「つまり他機関からの同化圧力がすごいというわけじゃな?」
ミグ・ロマイヤー(ka0665)が端的に現状を要約する。
「王国ですからね」
王国民であるエステル(ka5826)がため息をつく。
グラズヘイム王国はその豊かさ故に古いものが残っている。
その中には巡礼陣を筆頭に良いものもある。
が、以前は合理的でも今は因習でしかないものはそれ以上に存在する。
「そういうことなら現実に合わせて軟着陸していくしかあるまいよ」
ペットボトルの封を切り、生温い紅茶で唇を湿らせる。
「緊急時に特化した組織が平時にどうなるかについては嫌というほど見てきた。しがみつくと末路は悲惨じゃよ」
少し前までは、人類の全力を出し尽くしても倒せぬ歪虚が存在した。
だが邪神討伐に成功した今、歪虚は人類が死力を尽くさなくても対抗可能な程度の存在になった。
「大勢に逆らうのではなく現実を踏まえて残したいところに注力していくのがよかろう。ふふ、そこまでは分かっているという顔じゃな」
「分かっていることでも口に出すのは重要です」
痛みを堪えながらイコニアが答える。
「分かっているつもりになっているだけということも、私も含めて良くあることですから」
ミグへの非難ととれる発言になっていることに気付けていない。
こりゃ思ったより重症じゃのうと考えながら、ミグは説明の速度をイコニアの思考速度に合わせて落としていく。
「であるならばフロンティアを目指すしかあるまい。つまりはかつての歪虚支配地域の開拓に乗り出すための橋頭堡として学校と農業法人を再編していけばいいのではないか?」
「このタイミングで巨大案件に手を出すのですかっ」
司祭は立ち上がりかけ、ひぅ、悲鳴を漏らす。
バランスを崩し、パイプ椅子に体が衝突して、ぎしりと音が鳴った。
「はいゆっくり呼吸してー」
宵待 サクラ(ka5561)が介抱を始めたのを見て、ミグが説明を続ける。
「布教範囲が広がることについては教会からは文句は出ないじゃろうし、税収が見込めるなら王国とてあまり厳しいことは言うまい。長期的に見れば、高確率で配当が見込める案件じゃからの」
「利益がありすぎるのも問題ではないかしら」
マリィアが口を挟む。
元軍人なので組織内政治についても知っている。
一口噛もうとする者もいれば、丸ごと奪おうとする者も単純に足を引っ張る者も出てくることが容易に想像できる。
「これが多少なりとも使えるなら協力するのはやぶさかじゃないけど……」
紫光大綬章をスチールデスクの上に置く。
それだけで無味乾燥な机に風格が出てくるような、圧倒的な雰囲気がある徽章だ。
「これ、本当に効力があるのかしら」
「領地がないとはいえ男爵位ですよ。物理的な力と権威の両方を兼ね備えた存在がどれほど怖い、か」
顔を両手で押さえてイコニアが苦しむ。
指でかきむしっても脳に届かず、ひたすら耐えることしかできない。
「私は男爵位申請するつもりはないですけどぉ、頭数が必要ならいくらでも手を貸しますよぅ。数の暴力が必要ならどんどん呼んで下さいねぇ」
ハナは帳簿に目を通しながら宣言する。
彼女にとって王国の爵位はその程度の存在であって、今苦しんでいる避難民の方がずっと重要だった。
「そうだよ男爵位だよ」
団扇でイコニアを扇ぎながら、ここ数日頭を酷使しているサクラが口を開いた。
「もう申請していいんだっけ?」
「一番最初に名誉男爵位の候補から外されそうなサクラさんが何言ってるんですか」
「初耳だよそれ」
団扇の速度が上がる。
金の髪がゆらゆらと揺れ、じっとりと浮かんだ汗が乾燥して体温が下がる。
「私のためってことは分かりますけどやり過ぎなんです。あれだけ派手にやったら目をつけられますよ。今から大人しくしても半々くらいだと思いますよ」
「だとしたらイコちゃんの学校長推薦も駄目?」
「いやぁ」
「それは……」
思わずと言った感じでいくつも声があがって、視線による押し付け合いの末にミグが代表して発言する。
「功を評価すれば司教で足らず、罪を評価すれば絞首刑で足らぬという評価じゃろ?」
平時なら途中で失脚する状況でも続投したことで、イコニアの功も罪も積み上がりすぎている。
「悪いことは言わぬ。蜥蜴の尻尾として使う気が無いなら止めておけ。老い先短い分、帝国人のミグを使った方がまだましじゃよ」
「そこまでの状況かぁ」
サクラは肩を落とすが速度は落とさない。
空調のない室内の温度が、かなりの速度で上昇中だ。
「どの目的を選ぶとしても」
エステル(ka5826)が資料を閉じて立ち上がる。
他の面々に新しい意見はなく、エステルだけに視線が集中する。
揃いも揃って高位あるいは超高位の覚醒者なので視線が剣先にようにも感じる。
「歪虚との戦闘が減り、戦死者減少による人口増加は確実です。雇用を増やさないと今回を乗り切っても大量の流民が発生します。それに、直近の問題として戦争孤児の問題があります。この周辺はまだましですが、邪神討伐直前の被害が各国とも深刻です。孤児や傷病者などの受け入れもある程度はするしかないでしょう」
「また、副社長から文句を言われそうですね」
エステルの意見に賛同しているからこそ、イコニアの悩みは深刻だ。
「飲んで貰うしかないでしょう。農業法人をさらに発展させ、この地域を王国の一大穀倉地帯へと発展させることが最低限必要です」
大言壮語ではない。
必要に迫られた切実な内容だ。
「グランドゼロ、北方、竜園など、歪虚が消えた事で負のマテリアルに汚染された土地を蘇らせていく事業が立ち上がると見込まれます。そのプロトタイプになるかどうかは分かりませんが」
他国の汚染と比べればこの地の汚染は軽度で物資も運び込み易い。
いずれにせよ、他国で大きな事業が始まるなら需要が増えて食料輸出も要請されるだろう。
「副産物として収穫物の加工、警備、運搬等で雇用も作れます」
「理屈は分かります。でもエステルさん一番肝心なことが抜けています。……資金が足りません」
頭の痛みとは別の痛みに耐えながら、司祭がじっとエステルを見つめた。
「学校の南の古のエルフ達の土地を、麦畑として開拓という名目で出資を募ることを考えています。私も……些少ですが現金化が間に合った1億ほど持ってきました」
小さくても厳重な金庫から小切手を取り出す。
司祭は最初は己の不具合を疑うかのように己の耳を叩き、目を細めて裏書きを確かめ激しく噴いた。
「貴方何をっ」
「必要だからする。イコニアさんと同じですよね」
反論の術が無くなり、司祭はサクラに頼んで羊皮紙を取っくるよう頼む。
「私情ですけれどルルの象徴である麦で土地を満たし、古のエルフ達への僅かながらの慰霊も兼ねてやりたく」
「参りました。お望みなら聖堂教会の司祭位もつけましょうか」
内容は皮肉っぽいけれども圧倒的な実力者に教えを請うかの様な態度だ。
エステルは数瞬考えをまとめるのに使い、かねてから考えていたことを直接司祭へ伝える。
「イコニア様、単調直入ですが、まだ、派閥で私買ってもらえたりするでしょうか?」
一瞬の空白。
何度か瞬きをして、引き攣った表情でイコニアが答えた。
「立場の失墜が確実な我々では、今後地位が上がるだけのエステルさんを引き取れませんよ」
己と己の派閥の失墜を受け入れているとしか思えない、覇気のない笑みだった。
「イコちゃん何勘違いしてんだよ!」
手は優しく言葉は激しく、友人故の容赦の無さでサクラが指摘する。
「色々残ってるのに何が人の世は安泰だ!」
ネットワークから外れたままのPDAで地図を起動する。
王国を小さくすると帝国と帝国が現れ、さらに小さくするとエトファリカとリグ・サンガマが現れる。
そこまでが人の領域だ。
「人間領域がたかが一半島しか残ってなくてどこが平和だ!
王国を限界まで小さく表示させると、広大な無人地帯が画面一杯に現れる。
「雑魔狩り尽くすために今こそ聖導士の力が必要だ、寝ぼけてんじゃない!」
「腹、立つ、なぁ、もぉ」
司祭の緑の瞳が底冷えのする光を放つ。
「自殺を思いとどまるのが精一杯だって分かってるでしょうが!」
本音を出すほどにサクラを信頼し、甘えていた。
「我慢すれば治るんだから甘えるな! それにね」
目に強い光を浮かべたまま言葉を柔らかくする。
「イコちゃんが死ぬ時に今回の人生は悔いなしって思えるならそれが私の1番の幸せなんだ。イコちゃんって受け身で取り零さないが基本じゃん? 生き延びるために他の所に連れてって新しい何かを掴んでも取り零した何かが永遠に刺さってそうじゃん。なら、真っ向勝負でここで戦おうと思ってさ」
だから手段を選ぶなよお前そんなお行儀の良い存在じゃないだろ。
サクラの言葉と言外の言葉が正面からイコニアを殴りつけた。
「まあ、わたくしも本音としては派閥も潰さず、打倒歪虚への情熱を開拓に向けて貰えればと思うのですけれど」
エステルの的確なフォローによりイコニアが劣勢になる。
「実際、力を維持せねば己の意見も通せんよ」
保存されていた茶菓子を遠慮無く食べ終え、ミグがPDAの地図を眺める。
膨大な情報が詰め込まれている半島部から離れるほど情報の密度が低くなり最も端は白紙同然だ。
ミグは人類の欲望の強さを知っている。
すぐには無理でも確実に開拓は行われ、いずれ全てが人類の領域に変わる。
これは推測では無く確信だ。
「まずは対歪虚戦で培ってきた技術をもっていって、文句が出ないような地域を広げるべきじゃな」
開拓をどこが主導するかは分からないが、これだけ広大な土地を単独で開拓できる国も組織も存在しない。
イコニアの派閥が手を上げれば、便利に使われるかもしれないが開拓に組み込まれるだろう。今はどこも手段を選ぶ余裕がないのだ。
「その上で、開拓で得た知見を王国側に技輸入という形にしてやれば、革新も受け入れやすくなるというものである」
焦らず十数年から数十年先を見据えた、ミグらしい老練な策だった。
「さすがに壮大過ぎると……」
痛みがイコニアの思考を邪魔する。
短期的な記憶力も情報処理能力も激減しているため、本当に簡単なことしか判断できない。
紙を使って物資のやりくりを計算してるエステルが見えた。
エステル、為替、1億と思考が進み、脳裏が晴れ渡るように1つの思考として繋がる。
「今なら、可能?」
結論に飛びつこうとする己の戒める。
一見素晴らしく見えるだけの雑な計画など無数に存在する。
イコニア自身新人司祭時代には何度も失敗して上司に庇って貰っているし、王国政界で活動しているときも破滅した人間を無数に見て来た。
だがそれでも、魅力的なのだ。
「1世紀後にどうなっていると思う?」
イコニアの頭の程度を知っているのでミグは全てを説明しない。
勝手に推測を重ね、ミグが思う通りの計画と未来に気付くはずだからだ。
サクラが胸を撫で下ろす。
ああは言ったがイコニアがそろそろ限界だった。
生きる希望、あるいは欲望があれば、もう少しは我慢できるはずだった。
●新たなステージへ
「教師として置いてもらえないか」
ボルディア・コンフラムス(ka0796)の問いに、校長はまず驚き次に戸惑った。
「有り難いですが、英雄に相応しい待遇は用意できませんよ」
有象無象の歪虚から著名な歪虚まで、数え切れない歪虚を屠ってきたのがボルディアだ。
当然のように邪神に挑んで最期まで戦い抜いた。
「そんな意味で言ったんじゃねぇよ。まだ歪虚はいるけどよ。俺がずっといならなくても大丈夫な程度にはなったんだ」
やり遂げた達成感と、微かな寂寥感がある。
「ガキ共の面倒をこれからも見たいってのは、志望利用としては駄目か?」
「十分です。これからは同僚としてよろしくお願いします」
校長の乾いた手とボルディアの戦士の手が固く握手を交わし、その上から小さな手の平がそっと重ねられた。
「ところでこの茶番後何度すればいいんだ」
「ボルディアさんまだ撮影中です!」
近代的を通り越して未来的な撮影装置が壁一面を埋め尽くし、ボルディア達にスポットライトを集中させている。
校長は暑さに負けて汗を流し、カソック姿のルルは北谷王子 朝騎(ka5818)と一緒に何やら相談している。
「すみません先生。学校の宣伝のため、後少しご協力を」
助祭マティが深々と頭を下げる。
英雄が教師として赴任するというイベントは宣伝として最良の一つだ。
それに、実戦的であると同時に冷静なボルディアの授業は、元から評価も高いし生徒からの人気もある。
「これが初仕事かよ……」
OKが出るまで、この後3時間が必要だった。
「遅れてすまねぇ」
ボルディアはわざと小さな足音を立てて会議室に入る。
議論を主導しているハンス・ラインフェルト(ka6750)と目礼を交わし、部屋の隅に座ってPDAを立ち上げた。
映し出されのは教師用のマニュアルだ。
王国のそれではなく、情報伝達速度が凄まじい世界で磨き抜かれた逸品である。
「熱が出て倒れても手当が出るのかねぇ」
「つまりこの学校が他の王立学校より優れていると見せつければ良いのでしょう?」
王立学校の公開情報と聖導士学校の現カリキュラムが大型ディスプレイに表示されている。
「つまり将来的にルクシュヴァリエに乗れる授業を組み込めば良いんじゃないでしょうか。あの機体は聖導士のスキルをかなりカバーできますから。その授業を組み込めれば他と隔絶する理由が立ちます。ゴーレムだけでは砲戦学校と競合しますから、それは組み込まない方が良さそうです」
「砲戦学校ね。どこも努力してるってことか」
ボルディアは半ば聞き流しながらマニュアルに集中している。
思いつきもしなかった内容もあるし、既に使ってはいるが教えられて初めて理屈の分かった内容まであり、読んで疲れはするが非常に楽しい。
「この学校の士官学校要素を強めてもいい。他と隔絶し続けるレベルを維持できれば他の雑音は踏み潰せると思いますね」
「理屈は分かるがルクシュヴァリエは取り合いになるのではないか?」
「最初から諦める必要もないでしょう」
教師陣との議論によって案が磨かれ、中央への要請内容も纏まっていく。
「おう、俺もいいか」
内容が纏まったタイミングでボルディアが挙手して皆に了解を得て壇上へ上がる。
「戦時中ならともかく、平時であの授業は虐待って言われちまう」
表示されているカリキュラムを指差す。
短期間で使える人材を量産する洗練された内容ではある。
そして、リアルブルーの教育関係者が憤死しかねない過酷な内容だ。
「温い訓練をしろとは言っていない。文官人材の充実、部活動や、地域交流の一環として音楽サークルをさせるのもいい。これについては他に適任者がいるな」
資料準備中のアリア・セリウス(ka6424)と軽くうなずき合う。
「それでは卒業まで倍はかかりますぞ」
「生徒の為であれば教え方も改める。しかし期の途中で内容が変わることになる生徒は最悪ついて行けなくなるぞ!」
ボルディアの提案が有効と認めているからこそ、反発が強い。
「数年かけて徐々に変えるしかねぇよ」
教師用のマニュアルを指で撫でる。
理解するのも困難、実行するのはさらに困難だ。
これもリアルブルーの最新技術の結晶なのだから。
「先輩方、数年は睡眠不足になるが付き合ってもらうぜ」
ボルディアに負けない、獰猛な笑みが返ってきた。
「次は金銭面についてです」
ソナが壇上に立つ。
「とても、お金が必要です」
素朴で温和、強烈な個性がひしめくハンターの良心とも呼ばれるエルフが顔色を悪くしている。
「昨日ボルディアさんが触れた様に、授業料をとらざるを得なくなります。奨学金で補いますが、生徒への負担増は避けられないでしょう」
今後派閥が無事であっても以前のような支援は不可能だ。
「また、医療は知識の更新も重要です。今いるリアルブルー出身者は非常に優秀ですが、リアルブルーの教育機関との連携が取れなければ質を維持出来ません」
リアルブルー解凍は必ず行われ、リアルブルー内での凄まじい研鑽も再開される。
連絡をとるだけでも金と手間が必要だが、やらなければ技術格差が酷くなるばかりだ。
「王国内での有用性の正面という点では、王国内での各種機関との連携が必要です。医療関係者同士なら有益性は分かりそうですから、先生方を通して各医療機関との提携を目指したいです」
「やるべき事が、多いですな」
教授というべき立場の医者が、責任の重さを感じて悲鳴じみたうめき声をもらした。
「急ぐ必要があるが焦る必要は無い」
ソナが休憩に入ってフィーナ・マギ・フィルム(ka6617)が現状について述べる。
「現状において幾つかの分野では突出している」
その優位を維持する為の具体的な方策を述べていく。
曖昧になっている分野を細分化して学科を作り、教育の小、中、高、研究分野に於いては大学を設置しより専門的な教育を目指す。
当然、これまでとは違い生徒の選抜も必要になることも指摘する。
「教育に段階をつけることで基礎を盤石なモノにし、高度社会を作り上げ、発展させる研究者、技術者を輩出する事を目的としつつ、そこから取り残されない為の最低限の知識を教育する事を目的とする」
数年で実現は不可能だ。
しかし最初に有効な全体構想を描くことで、全ての効率が向上する。
「勿論問題もある」
予算だ。
1億が投入された農業法人とは違い、減っていく予算を有効活用してなんとかするしかない。
教師の心が折れてしまいそうな、過酷な状況だった。
●教育現場
社会の激変が進行中でも日常は止まらない。
生徒が炊き出し等に駆り出される頻度も徐々に減っていき、本格的に授業が再開される。
しかもハンターによる授業だ。
期待と少しの恐怖に胸をどきどきさせ、ルクシュヴァリエを目印に駆け足で移動する。
しかし搭乗訓練に参加できるのはほんの少しだった。
単純に期待の数が足りない。
ハンスが徒歩で出迎える。
生徒が咄嗟に背後を振り返ると、同じく教師役のディーナ・フェルミ(ka5843)がふにゃりと微笑んだ。
それに惑わされたのは新入生だけだ。
重く分厚い鎧を着ているのに足取りは軽く疲れも感じさせないディーナを見て、実勢経験のある生徒や戦士が震え上がる。
「重い鎧を着てメイスを構えて戦場を駆け回って治療と戦闘を行うのが聖導士の仕事なの」
だから生徒に普段より重い武器防具を持たせている。
闇鳥が蠢いていた頃なら疲労で移動速度が落ちる自殺強要同然の行為だ。が、弱い雑魔しか出ない今なら疲れて倒れるのを許容しての訓練が出来る。
「今日は前衛と中衛を交互に入れ替えて雑魔と戦闘するの」
自身に身長より大きなメイスを持ったまま魔導ママチャリに乗る。
揺れすらしない、凄まじい身体能力であった。
「では参りましょうか」
演習が始まった。
生徒にも闇鳥の印象が焼き付いていて、のどかな光景も凶悪な歪虚が潜んでいるようにしか見えないようだ。
大重量の装備が体力を削り、焦りが精神を削る。
だから、薄い負マテリアルで構成された雑な動きのスケルトンにも気付かず近づかれてしまう。
「足がっ」
生徒の動きが鈍い。
前衛と中衛が混じって攻撃できるはずのタイミングで攻撃が出来ない。
「こちらも激変していますね」
ハンスは平然とメモをとっている。
生徒が何を出来て何が出来ないのか知るのは指導のために必要だ。
それに、歪虚の能力と出現位置と討伐場所の情報も同等レベルで重要だ。
他領の領主と交渉するときに非常に使えるからだ。
ディーナがセイクリッドフラッシュを我慢する。彼女なら一瞬で勝利出来るが、敵が弱すぎる状況で手を貸すと訓練にならない。
生徒が持つ通常型メイスがスケルトンを砕く。
油断せず周囲を警戒するのは大したものだが、生徒のほとんどが息を乱していて警戒も雑になっている。
「では次に参りましょう。隣領から立ち入りの許可は出ています。普段と異なる歪虚と戦うのも良い経験になりますよ」
穏やかなハンスが悪魔に見えていた。
ハンスは生徒の心身の体調を見極め負荷を調節する。
それに加えて、隣領に発生した雑魔についての情報や隣領領民の反応まで克明に記録する。
「これも積み重なれば他との違いを際立たせる一助になるとは思いますね」
これからは、強いだけでは生き残れないのだ。
また、マリィアによる搭乗訓練も別方向で過酷だ。
機体内部の中小精霊に耐えきれずに動けず終わる戦士もいるし、ただ伏せて起き上がることが出来ず倒れて機体を傷つける生徒までいる。
傲慢王相手の決戦や邪神相手の死戦のため開発されたので、初心者への配慮皆無の機体だからだ。
剣を振る動作では無く、走り、守り、運ぶ、平和の中でも価値が落ちない動作も教え込む。
「スキルは大食いだけど、聖導士向きの機体だと思うわ」
機体の応急処置という名目でヒールの練習もさせている。
これまで教わった内容を絞り出すような実機訓練はマリィアの予想以上に効果があり、操縦技術以外もかなりの向上が見込めそうだ。
「休みながら聞け」
生徒に気付かせずに雑魔を警戒しながら、ボルディアが静かに語りかける。
「俺等が今まで教えてきたのは戦いから生き残る術だった。これから教えるのは戦わない術だ。戦争が終わった平和な時代を維持するのが、これからのお前等の使命だ。それを忘れんな」
形は変わっても、戦いは続くのだった。
「戦闘の必要性は少なくなるのですが」
遠くから聞こえる実機演習の音をBGMに、月の光と比較されるレベルの美女がキーボードを叩いている。
表計算の結果は相変わらず酷い赤字だ。
短期育成を目的とした戦闘科目や設備を縮小しても、教育期間が長くなるので焼け石に水だ。
「皆で仲良く」
迷ったときはこの単文を思い出す。
丘精霊ルルの心からの願いであり、この地にとってもアリア自身にとっても実現を目指す価値のある言葉だ。
実現が困難なことも、各自の利害が衝突するのも承知の上だ。
目的達成のため何が必要で、何を削ってよいか考えを進めた上で来期以降の予算案の試案を組み立てる。
「官僚の自前育成に手を出すことになりますか」
この学校にいれば忘れそうになるのだが、王国は良くも悪くも保守的であり、社会の上層もほぼ人間一色だ。
丘精霊は古エルフの惨劇を忘れていない。
王国の支配を今より強く受けるようになれば、些細なことから致命的な争いが発生しかねない。
「地方文化と信仰の共存、地域の祭事や統治を同時に行える文官的能力……」
中央に相談したら、高望みが過ぎると疲れた顔で言われそうな人材が必要になる。
「教区を任せられる人材の育成を……最低でもマティ助祭?」
黙々と署名をしていた校長が、ぎょっとして振り向いた。
「あの子は数年に一度の人材だよっ!? ハンター諸君なら月1で見つかる人材かもしれんが、あの質を狙って育てるのは無茶だ」
「必要なことです」
アリアは平然としている。
「この数年、掲げたのは継承という理想と夢。それを実現させる為には動き続けるかありません」
賛同者の署名がずらりとならんだ羊皮紙を渡す。
教師全員と、内容が理解できる生徒の署名がそこにある。
「人材として王国に還元出来る。短期的とはいえハンターの協力もある。夢物語ではありません」
「それは、そうだが」
合格点ではなく満点を狙うやり方だ。
これまで無数の困難を知恵と物理的力で粉砕してきたハンターがいればなんとかなりそうな気もするが、長年生きてきた経験がいくらなんでも高望みだと警告している。
「今すぐに決める必要はありません。……少し、出て来ますね」
保存して教職員が閲覧可能な場所に移動させる。
校長は己の端末で中身を調べ、賛同者に加わりたい衝動に襲われた。
●エルフの歌
ユキウサギ2人が、小柄な体を活かして墓石と墓石の隙間を掃除している。
専門の業者を呼べない事情があるので範囲が広く、常人を上回る体力を持つ2人でもかなりの重労働だ。
それ以上に大変なのはソナだ。
花の飾り付けから法術を使った土地の浄化、乾いた花の回収から新たなお供え物まで全て1人でやっている。
「私は時々しか……」
ため息が出そうになったの意識して耐える。
この地にいるときは、どんなに忙しいときでも毎朝ここに参っている。
けれど不在の期間の方が長い。
生徒や教職員の一部がたまに面倒を見てくれているようだが余り熱心では無い。
これは、人間が滅ぼしたエルフを奉る墓なのだ。
「ルル様も」
ここを訪れている気配があまり無い。
古エルフを己の中でどう位置づければいいのか迷っているのかもしれない。
「現実逃避とまでは言いませんが」
想いがあって迷うなら、信頼できる存在に相談して欲しい。
人類が駄目でも、東方から丘に植え替えられた桜の精もいるのだから。
「あ、れはっ」
「常識枠エルフじゃねーか!」
「失礼を言うじゃなぇこの馬鹿リーダー! すみませんソナさん。今回もお世話になります」
汗だくの青年エルフ達が駆けてくる。
大きな楽器ケースを背中に括り付け、墓の手前で停止して荒い息をつく。
なお、リーダー格の青年は足が釣ってうめき声を上げている。
元は売れないバンドエルフで、今はそれなりに売れている司会者兼コメディアン兼ミュージシャンだ。
ハンターが何度も関わらなければ今でも法人でバイトをしていたはずなので、ソナやアリアに対して非常に大きな恩を感じている。
「後で生徒さん達も来ます。ソナさんもどうです」
携帯用の機器を設置する手際に熟練を感じる。
言動はコメディでも楽器の扱いは丁寧かつ繊細で、真摯な修練を今も続けているのが分かる。
「わたしは……」
風とそれ以外の気配を感じた。
墓石と、その後ろにある何かを見た上で気付かないふりをして、四角いハンドベルを武器ではなく楽器として構える。
「そう来なくちゃ」
バンド全員がにやりと笑う。
広げた楽譜には、鎮魂のためハンター主導で作成された曲が載っていた。
「騒がしくしてごめんなさい」
アリアが生徒と卒業生の一部を連れてきた。
数は多くはない。
訓練でも演習でもなく、余暇に自主的に参加していることを考えれば決して少なくは無い。
「あの方は?」
ソナが見慣れぬ顔を見つけてアリアに問うた。
代わりに返事をしたのはマティ助祭だ。
「北隣の参加です。領主様の係累で……」
祭事を司ることになる将来の司祭となる学生達への経験にするため、アリアは見守りはするが開催と運営を全て生徒へ任せた。
今回の件が巧くいったら、音楽祭も生徒に任せていくつもりだ。
慰霊を止めるつもりはない以上、いずれ必ず周辺地域に知られるので、マティは積極的に巻き込むことにしたらしい。
「まぁ」
ソナの表情に呆れの要素は無い。
是非巧くいって欲しいという、祈るような想いが強く出ている。
「あのっ、始めますっ」
女生徒が緊張しながら呼びかける。
青年エルフは脇役に徹し、しかしその存在感で以て場の空気を引き締める。
少なくとも、幼くすらある1年生が大人しくなる効果はある。
「ルル様と、かつてここにいた方達に捧げます」
アリアやソナと違って、古代エルフの怨念そのものである闇鳥と直接戦ったことはない。
歌詞はともかく鎮魂の想いはほぼ込められていない。
それでも皆無ではない。
精霊への感謝や日常を喜ぶ心は十分だ。
数百年に渡って犠牲を無視してきたかつての領主と領民とは、そこがはっきりと違う。
アリアが、子供達の声が主役になるよう唱和する。
ソナが、万感の想いを込め曲を形作る。
爽やかな風が吹き、濃くも薄くもないマテリアルが墓と草を撫でる。
墓の裏の気配は曲が終わっても動かず、アリアが一瞬意識を外した瞬間にどこかへ消えた。
●翼の落ちた場所
毛並みの良いイェジドが、何もない荒野で足を止めた。
邪神や王級歪虚が関わっていない戦いとしては最大級の決戦が行われた場所なのに、今では雑魔1匹すらいない静かな場所だ。
イツキ・ウィオラス(ka6512)はエイルの背から降りる気になれない。
闇鳥と戦い、古エルフを知り、返り血と憎悪を浴びながら戦った結果がこの場所だ。
悔いはある。
だが、この結果より上等な結果があり得たかを考えても、より悲惨な結果に行き着いた気がしてならない。
カイン・A・A・マッコール(ka5336)はイェジドから降りて、リーリーから降りたアルマ・A・エインズワース(ka4901)と協力して墓標を組み立て固い地面に突き立てる。
「簡素でごめんな、あの時腹は立っていたけど、殺す気はなかった、お陰でイコニアさんと前より話せるようになったから感謝してる、だから気にかかってた」
傲慢とすら言える言葉ではある。
だが、元々この地に縁もなく、エルフでもない人間が抱く感情としては極自然なものだ。
「生まれてきて孤独なまま忘れられるのは寂しいだろ、だから僕で良ければ、君に名をつけさせて欲しい。ルチオ。祖父の所の言葉で光とか希望って意味らしい、今ん所負け戦だけど、僕に家族が出来たら僕の所に生まれ変わって来い。またなルチオ」
墓標を軽く撫で、立ち上がる。
「これから……世界はどう変わっていくんでしょうか」
空色のワイバーンを引き連れ、ユウ(ka6891)がしゃがみ込んで可愛らしいお菓子を供える。
真剣なルルと一緒に作ったせいか、オーブンから出して時間が経っているのに真新しい。
「大きな脅威は乗り越えることはできた、でも歪虚は残りこれからも私達の生活に関わってくる。中には知性を持った個体が生まれる時がくるかもしれない」
この地での戦いと、邪神との戦いを振り返る。
守護者としての力が宿ったままの己の体を見下ろす。
「でも、だからこそ私は」
無意識に力が籠もる。
鍛え抜かれた魂と肉体でも負担が大きな力が表に出ようとしている。
ユウは己の心に逆らわず、身の内に流れる龍の血を活性化させた。
「それは無理なことかもしれない、共にあることは不可能かもしれない。それでも、きっといつか歪虚とも手を紡ぐ日がくると信じこれからも進み続けます」
柔らかな光が細い雨となって墓標を濡らし地に染みこむ。
受け取る相手は最早心の中にしか存在せず、ここにあるのは土と墓標だけだ。
「どうか、安らかに」
だから自身の心に誓うのだ。
最後の瞬間まで、走り続けることを。
●司祭
「イコさん、経歴と家名を捨てて偽名で隠れ暮らす選択は出来ない? 社長夫妻用家を作るついでに」
メイム(ka2290)が準備したのはイコニアを今の立場から逃がす手段だ。
ひらひらさせるコピー用紙には具体的な手順がみっちりと書き込まれ、ベッドから眺めるイコニアも成功はしそうだと考えた。
「メイムさん」
大きな声を出そうとして痛みに呻く。
「私がそんなことをする人間かどうか、分かっているでしょう」
仮にこのまま回復しないのだとしても、王国内外とのコネは有効だ。
今イコニアが逃げ出せば、派閥と共に沈む人間が1桁増え、学校に向かう資金も滞る。
「でもこのくらいしないと危険だよー。ねぇルルさん」
朝騎にべったりのはずのルルが真剣な顔で立っている。
「司祭の貢献は認めている」
イコニアによって地上へ引きずり出された頃とは違い、人類に理解可能な意思と精霊としての力を兼ね備えた存在としてそこにある。
「イコが糾弾されず生きる為に見た目認識阻害とか?」
「司祭が望むなら。でも、望むような人間ならあれほどの術は使えないし使わない」
シーツにくるまったままのイコニアが、頷こうとして悲鳴をあげた。
「ルル」
「駄目」
サクラの言葉を途中で遮る。
「それは絶対に駄目。サクラと契約した精霊と大精霊の意に反することは出来ない」
人類とは異なる思考を理屈を無理に翻訳したような、硬い言葉遣いだ。
「そっか……」
サクラが肩を落とす。
イコニアを襲う痛みは拷問じみていて、しかも今後数ヶ月続く。
どんな手段を使っても癒したかったが、ここまではっきり拒否されるということはルル以外に頼んでも拒絶されるのだろう。
「お疲れ様でした」
ユウが静かに声をかけた。
ドラグーンという戦士の種族に生まれ育ったので、今彼女がどれだけ苦しんでいるか実感として分かる。
介錯を懇願しても誰も笑わないほど苦しいはずだ。
「イコニアがどんな選択をしても私達は友人です。近くにいられなくても傍にいます」
そういう生き方を貫く覚悟がある。
「もし困ったことがあればいつでも相談にのります」
だから頑張れとは言えない。
既に十分頑張っている。
ユウはその頑張りに寄り添うことに決め、友の次の行動を待った。
「本当にお疲れ様」
ディーナが器用にマシュマロを切り分け、重傷者でも食べられるサイズの欠片をイコニアの口に運ぶ。
歯で噛む必要もなく、甘みが舌から脳に届いて痛みを一時的に忘れることが出来た。
「戦い続ければ誰でも私になれるけど、戦い続けても誰もカーナボン司祭にはなれないの。この地が救われたのは司祭のおかげだと思うの……ありがとう」
お互い鍛錬の跡が濃い手で軽い握手を交わす。
「ディーナさん?」
違和感に気付く。
覚醒時でもないのに、はっとするほど生き生きとしている。
「私はもう少ししたらタスカービレで結婚するの」
ようやく思い至る。
結婚式でなら何度も見たことがある、幸せのまっただ中の表情だ。
「歪虚とは一生戦っていくけれど、居ない所で死なれたくない人ができたから。でもそれまでは、この地の平穏に尽くすつもりなの」
そこで微かに表情が曇る。
「カーナボン司祭は……いいの?」
王国の結婚適齢期はリアルブルーと比べると早い。
今後も激務が続くイコニアは、非常に拙い立場にある。
「イコちゃん、今の体調なら明日出来ることは今日やらないべきだけどさー。今世のことは今世で済ますべきだよ。絶対イコちゃんは後悔しても仕方なかったって無理に納得しようとするから……」
そう言うサクラだけでなくユウも心配そうだ。
種族的な特徴故に王国よりもさらに婚期が早い。
「続きはカインさんとしておいで」
いきなりイコニアに口づけして精神的に混乱させ、イェジド二十四郎の背に乗せ送り出すのだった。
そして、その送り出された先の部屋である。
「カインさんちょっと出ていて欲しいです」
「何故だ?」
カインは混乱した。
アルマが邪魔する気だとは思わない。
しかし、口説き落とすための最期の機会でこういう行動をするのは予想外だった。
「このままじゃ喧嘩別れですよ」
妻帯者の発言は説得力がある。
カインは呼吸どころか一瞬心臓まで止まった。
「ドアの後ろで聞いていてもいいですから待機していて下さいねー」
呆然としたカインを追い出してから数秒後、イェジドに運ばれイコニアが入室した。
「わぅー」
右の瞳が微かに紅に輝く。
触診するまでもなく、彼女の体調の悪さがはっきりと分かる。
「イコニアさんは自分だけで頑張ろうとしちゃだめだと思うです」
ふんすと抗議しつつベッドにも使えるソファーに寝かせる。
触れるのは常に服越し。しかも下心が皆無なので二十四郎も積極的に協力していた。
「わぅー。イコニアさんは自分だけで頑張ろうとしちゃだめだと思うです」
この体調でもハンターのサポートに動いている。
心配を通り越して呆れてしまう。
「ちゃんとおはなしするです。戦争終わったなら、一人で何もかもする必要もないですー」
態度は独特でも言っていることは常識的だ。
なのでイコニアも全く反論できない。
「わふわふ。イコニアさんの事大事に思ってるひと、けっこうたくさんいるです。たぶんいちばんも、僕知ってるですっ」
えへ、と笑うアルマを見て無意識に唇に手が伸びる。
すべきこと、したいこと、やってはいけないことがグルグル頭の中を回る。
「適度に肩の力を抜かないと、イコニアさんを大事にしようとしてる子を悲しませるですよ?」
実のところ、アルマの言葉は彼女にほとんど影響を与えていない。
充実した私生活がもたらす安定感の方が圧倒的に目立っていて司祭を動揺させている。
このままでは死ぬまで自ら経験することがないからだ。
「それじゃ」
無造作にドアを開ける。
カインが軽く目を見開いて非難の視線を向けて来るが気付かないふりをしてイコニアの元へ押しやる。
「生きていて、よかった」
数分かけて動揺を鎮め、ようやくそれだけ口に出来た。
あの戦場で、彼女はいつ死んでもおかしない術を使っていた。
生き延びたことは分かっていても、直接目にしないと不安になる。
「橋の上で言った事、改めて……」
一度口を閉じる。
ここで躊躇うようなら以前の二の舞だと、本能とアルマの気配で察する。
「いつも傍に居られるわけじゃない。けど、辛い目に会ってるときは、すぐさま助けに行きたい」
ベッドの横に跪き視線をあわせる。
「背負ってる物が重すぎるようなら、その半分を持ってやりたい」
迷うように中途半端に上げられた手の平に自分の掌を重ねる。
「これからの人生で起こる、素晴らしい何もかもを分かち合いたい」
彼女が背負うものの重さは嫌というほど知っている。
一手間違うだけで大勢を破滅させてしまう、とても過酷な戦場にいる。
「貴女の人生に起こる、辛く苦しい何もかもを一緒に乗り越えたい。だから僕と一緒に生きて欲しい、イコニア」
緑の瞳に感情の揺れがない。
悪意こそないが好意も薄い。
だが、誠実な信頼というべきものは感じられた。
「私は良い妻にはなれません」
それでもいいのかともだから許してとも言わない。
カインは無言で力を込め、愛する女を抱きしめる。
「すき、はしあわせなことですー」
アルマはイェジドを促し、2人だけを部屋に残して扉を閉じるのだった。
●夢の中
新居は小さなログハウスだった。
小柄な2人でも手足が触れるほどで、けれど触れあう感触が気持ちよくて2人ともにこにこしている。
朝目が覚めると鼻が触れあう距離で向き合っていて、動き時はいつも指をしっかり絡めたままだ。
おしゃべりも、食事の準備から後片付けも、カードゲームもそれ以外の遊びも楽しすぎて夢の中のよう。
時々仕事に出かけるのは……とても残念だけどしかたない。
奥さんは、とっても大事な役割を担う精霊なのだから。
「おかえりなちゃ~い。ご飯にしまちゅか? お風呂にしまちゅか? それとも」
エプロンをたくし上げる。
下には下着しかつけていないのでちょっと涼しくて、けれど視線を感じて頬が赤くなる。
「朝騎にしまちゅか?」
そこで意識が途絶えたことだけは、記憶に残っていた。
「はっ!? まさか夢落ちでちゅかっ!?」
朝騎が腹筋だけで跳ね起き符を取り出す。
守護者に相応しいマテリアルが脈動し、木々に止まっていた鳥達が大慌てで逃げ出した。
「まさか……おはようのちゅーも、三食のあーんも全部夢でちゅかっ。ふにふにすべすべのルルしゃんの肌も、ひょっとしてあの告白も……」
マテリアルが陰っていく。
かつての翼持つ歪虚を上回る何かが生じようとする。
そんな危険な状況で、ごほん、とわざとらしい咳払いが響いた。
真剣ではあるがある無味乾燥な、医者らしい医者がじっと朝騎を見つめている。
「全て現実です。証拠が必要でしたら保安部から映像を回収して下さい」
朝騎は素直に従い、ケーブルに繋いだPDAで動画を再生し満足げな表情になった。
なお、医者の背後では反省中と墨書されたTシャツ姿のルルが正座中である。
「焦ったでちゅよ。正座してるルルしゃんも可愛いでちゅねー」
テンション高く撮影を始める朝騎と調子に乗り始めるルルを見比べ、医者が深く重い息を吐く。
「高濃度の正マテリアルに溺れて意識を失っていました。率直に言って、健康に害があるかどうかも分かりません」
丘精霊ルルの外見はエルフの少女だが、中身は神秘の固まりだ。
深く縁を繋ぎほぼ常時近くにいる朝騎がどんな影響を受けるか、予想することも出来ない。
「人もエルフも精霊も仲良く、めでたしめでたしになるって決まってるでちゅ。ねー」
ねー。
大勢からの真摯な信仰を受けてルルの力は確実に拡大している。
医者は表情を変えず決断を下す。
丘精霊と朝騎の体調と変質についての情報は貴重で、カルテ単体でも研究機関間の奪い合いが起きかねない代物だ。
これを研究して世に出したい気持ちもありはするが、邪神を退けた人間と、歪虚から直接守ってくれた精霊に害を与えることは出来ない。
彼は、全て墓に持って行くことにした。
「井戸はいらないのかなー」
メイムと、刻令ゴーレムのーむたんと、朝騎のGnomeがぼんやり丘を見上げている。
水が溜まっているはずがないのに、中腹から湧き水が流れている。
とりあえず判断を保留して工事に戻る。
イコニアは学校の教員寮に部屋を持ち、ルル農業法人社長夫妻も北に新居を建設予定なので、これ以上家を建てる必要は無い。
だが、参拝者が増え続けているので休憩所やいざというときの避難所が必要だ。
参拝者が雨に降られて倒れたりしたら、ルルの方が心労で倒れてしまう。
「ルルさーん、増築しないでいいのー?」
いいよー。
いまのがいいー。
空気の振動ではなく純粋な意思が伝わってくる。
覚醒者や心身が鍛え抜かれた者ならともかく、常人なら意思に触れるだけで傷を負うかもしれない。
「手持ち無沙汰だよー」
了承が得られたら法律的にぎりぎりなことまでやるつもりでここ来たのだが、やってるのは平和で適法な工事だけだ。
限られた電気と訳の分からない水道しかない場所で工事は高難度だが、メイムにとっては普段の活動より難易度が低い。
同時に道の整備まで可能なほどだ。
「すみませーん、通らせてもらいますよぅ」
東方茶屋兼用トラックが北からやって来る。
砂利道ですらない道をすいすいと踏破して、丘精霊の視線に気付いてゆっくりと速度を落として止まった。
「おぉ、お社が」
「ありがたやありがたや」
荷台に詰め込まれた老人達が丘を拝んでいる。
かつて離散したこの地の領民とは違って信仰心が厚い。
実際に精霊が宿り御利益まで与えてくれるルルを拝まない理由が存在しない。
「この人達の為にも、隠れていた方がいいと思いますよぅ」
ルルが外行きモードで……一般人が想像する精霊らしい精霊として顔を出そうとしたのに気付いて止める。
直接目にするのも直接言葉を交わすのも、普通の老人達にとっては負担が大きすぎる。
「トイレはこっちでーす。男女別だよー」
メイムが呼びかけゴーレムがそれぞれ誘導する。
リアルブルー基準でも王都基準でも野趣溢れる作りでも、王国の田舎に住む人間にとっては洗練されていて都会の雰囲気を感じられる建物だ。
ハナも気分転換をすることにして、一度運転席から降りて来た道を振り返る。
「せいぜい千人までだと思うんですよねぇ、こちらで面倒みられる避難民はぁ」
とても広く土も超えている。
中世風の統治をするなら人間をいくらでも詰め込むことが出来るだろう。
しかし、悪い意味でも合理的な農業法人が関わるなら千でもぎりぎりだ。
「このまま隣の領主様の肝煎りで帰っていただいてぇ、食料だけ輸送して炊き出しもあちらでやって貰った方が良いと思いますぅ」
人は良さそうな老人達を遠くから眺める。
気の毒だとは思う。
非難と復旧をするのは大変だとは思う。
「このままじゃ生徒巻き込んでこちらも共倒れになりかねないですぅ」
だが、ハナがうけたのは学校のための依頼であって隣領のための依頼ではない。
衣食住のための物資を同時に運ぶくらいしか、出来ることはなかった。
「ルル様、新たな縁を結ばれたこと、お祝い申し上げます」
ハナの車両が出発してから、ユウが自作かつ力作のウェディングケーキを運んで来た。
「ご結婚されましたです? おめでとーです、お幸せにです!」
アルマも全身で祝いを述べる。
精霊と人間との婚姻というのは、あり得ないと言ってもおかしくない出来事だ。
ルルとの付き合いが浅いアルマがここまで自然に祝ってくれていることに、ルルは喜ぶと同時に困惑していた。
「前例がありますです。僕が全霊。なお、妻は英霊です」
えへんと胸を張る。
ルルは驚いてアルマに注意を向け、アルマとは別の匂いに気付いて驚きを強める。
ありがとう。
よろしく伝えてください。
「はいです!」
アルマはにこやかに笑い、振る舞われた紅茶に口をつけた。
「ねえルルさん。フィーナさんの工事も済ませたんだけど」
メイムは言いづらそうな表情だ。
「本当にいいの? あたしは2人ほどルルさんと親しくないから言うべきじゃないのかもしれないけど……」
エルフに見える精霊が戸惑っている。
朝騎や生徒と遊ぶときに見せる顔ではなく、土地を象徴する側面が濃く現れているのに、即断即決できずに言葉を探す。
精霊として光栄なことです。
そう伝えられたメイムの口元が微かに痙攣する。
本当に久しぶりに、目の前の存在が人とは違うことに気付かされた。
そのフィーナは最初にルルと挨拶してどこかに消えた。
「ここか」
医者が、戦場に向かうような装備で森の前に立っている。
強力な歪虚が消えて対歪虚の力は薄れたが、丘精霊ルルの祝福は相変わらず強力で近づくだけで良いそうだ。
「っ」
いきなり至近距離にワイバーンの顔が現れる。
向こう傷が目立つ顔を一度医者に近付けて、医者本人であることを確かめてから森の中へ戻っていく。
「すみません」
フィーナが歩いてくる。
森のあらゆる要素がフィーナを守り支えているのに、歩くのも息をするのも辛そうだ。
「この通りの体調です」
森から出て倒れても困るので、外部との境界ぎりぎりでワイバーンに支えて貰った。
「精密検査の結果、ですよね」
「それもあります」
生き物としての格が圧倒的に上のエルフとワイバーンの前でも、医者はただ義務を果たす。
「この地では延命も難しい」
悔しさと無力感に耐え、事実のみを口にする。
フィーナは渡された書類を見て、己の感覚通りの結果であることを確認する。
「ルル様がいない王都ではより状況が悪くなります。解凍後のリアルブルーへの渡航を検討して下さい」
フィーナが一般的な年月生きるつもりなら、これが実質的に唯一の選択肢だ。
「イコニア司祭も渡航に同行して治療に協力してくれます。最新技術と強力な法術の組み合わせであれば完治の可能性もあります」
強力な癒やし手が他世界に長期間出向くなど普通はあり得ない。
学校に大きな貢献をしたフィーナだから、イコニアも協力を確約したのだ。
「ルルのもとで死ねないリスクがあるのに?」
灰色の瞳に怒りが浮かんでいないのが恐ろしい。
「はい」
次の瞬間消し飛ばされる危険を承知の上で、いずれ医学部を率いる男が断言した。
今のフィーナは生命維持の魔術を怠っただけで危篤に陥りかねない。
何より、自分の半分も生きていないフィーナを助けたかった。
「情報提供には、感謝します」
フィーナは静かに頭を下げ、それ以上何も言わずに己の住処へ向かうのだった。
●かつて荒野だった場所
小さな中継器とソーラーパネルを並べて固定をするまで、3分もかからなかった。
「聞こえるー?」
上機嫌のルルがHMDに表示される。
複数の中継器を通した通信なのに、音割れもなく映像もその場にいるが如くだ。
「こちらエルバッハです。現在地はIの13。今の所異常は見当たりません」
「こっちも元気……あぁーっ!」
微かな電子音が聞こえる。
まるで運転でもしているかのようにルルの上半身が左右に揺れ、膝の上にルルを抱え込んでいた朝騎まで揺れている。
「では」
通信を終了して南を向く。
「危険はないと思いますが、念のため確認しておいた方が良いと思いますから」
受信を知らせる表示が1つ。
場所は学校、相手はイコニアだ。
「今大丈夫ですか」
「問題」
HMDに歪虚発見報告。
表示されたときには脚部への操作は終わっている。
黒塗装に金を飾られたR7ウィザードが南西へセンサを向ける。
「ありません」
一瞬名無し鴉に見えたが気のせいだった。
風に流され南隣の領地からやって来た、ただの鳥に限りなく近い飛行歪虚だ。
「こちらの画面では戦闘中になっているのですが。今すぐ増援を……」
エルバッハ・リオン(ka2434)は暗算を始める。
風の向きと強さだけでなく、惑星の情報まで必要な複雑な計算を独力で済ませて機体と答え合わせをする。
機体の側が速度優先でコンマ以下を削って計算していた。
自身のの計算結果を選択して偏差射撃を実行。
衝撃と発砲音が響いてしばらくして、残骸も残さず上空の雑魔が粉微塵に吹き飛ぶ。
「飛行能力をも持つ歪虚を1体撃破しました。Iの14へ移動を再開します」
邪神を打倒してほとんど時間が経っていないのに、リアルブルーの解凍すら行われていないのに、世界各地が急速に変化している。
この地に届いた通信機器もその1つだ。
ロッソが到着頃、一部のハンターが目指して物資不足で諦めたものが簡単に手に入る。
「本当に変わりましたね」
「ええ。司祭がおしゃべりをしながら仕事にするようになるとは思いませんでした」
真面目腐った顔でエルバッハが言うと、司祭はあははと柔らかな笑みを浮かべた。
「皆さんに感化されたのかもしれません」
とりとめのない話を続けながら双方仕事を確実に進める。
墓標周辺にも新たな歪虚の反応は無し。
歪虚汚染があるとはいえ、一度ルルが浄化した効果は大きいらしい。
「エルバッハさん?」
急に反応がなくなったことに気付いて司祭が真剣な顔になる。
エルバッハは、HMDに新たな表示がないのに限界まで五感と霊的な感覚を研ぎ澄ませる。
所々に雑草が生えつつある原野に、微かな違和感が一定の間隔で現れては消える。
「イツキさんに連絡をお願いします」
脚部の操作は間に合わない。
腕部シールドを傾けるのとファイアーボールの射出操作だけをぎりぎりで完遂した。
爆発音に紛れて翼の音が聞こえた。
盾の表面に見慣れた足型が刻まれたとの報告がHMDに映る。
闇鳥だ。
半透明の……つまり高い知性を持つ、ルルの結界の中でも生き延びた強敵だ。
「到着まで5分、私もすぐに向かいまっ」
興奮しすぎて痛みが再発し倒れ伏す。
司祭が無様を晒している間も攻防は続き、純粋な操作技術とスラスターの組み合わせてエルバッハが被害を最小限にとどめる。
「今です」
マテリアルキャノンを使って術を発動。
闇鳥は異様な水準の回避術で爆発を避ける。
だがそれは罠だ。
既に、頭上から空色のワイバーンが迫っている。
「闇鳥がこんな所に」
龍血覚醒したユウの力は圧倒的だ。
闇鳥がクウを狙っても魔剣で以て爪を弾き飛ばし、不安定な空中から正確な攻撃を次々放つ。
ぎりぎりで躱せはしたがユウやクウと違って余裕はない。
闇鳥は風が砂を巻き上げた瞬間に反転して北へと逃げる。
そこからは追いかけっこだった。
CAMとしては速くても龍や鳥には劣るウィザードがまず脱落した後、速度と知恵を競い合う戦いがしばらく続く。
「咎は、この身に」
イェジドと呼吸をあわせ、傷跡残る荒野をイツキが駆ける。
後1つだ。
地の底に蠢く怨念もついに絶え、生き残りの闇鳥は目の前の個体のみ。
結局、何が残ったのか、何を遺せたのか、決着を目の前にしてもまだ分からない。
「一槍に全霊込めて」
だからこそ歩みは止められない。
あの司祭やこの地の為の剣となる覚悟が魂に焼き付いている。
「悪夢の終わりを告げましょう」
胸が痛い。
古エルフの子を滅ぼした感触は未だ生々しく、かつての覚悟も決意も無意味だったのではという虚無感が心を苛む。
「たとえ、独善的な」
闇鳥が声にならない怒号を放つ。
濃密な殺意がイツキの髪を揺らし、エイルが負けじと咆哮する。
「自己満足であろうとも」
イツキほどの使い手であれば、武器を振るうことはマテリアルを振るうことと同じだ。
鋭い穂先と化したマテリアルは儚くも冷たく、強靱な負マテリアルの貫き雪のような煌めきを残す。
「これで、終わりです!」
白き龍が刃を振り下ろす。
闇鳥は恐るべき反応速度で回避行動を開始する。
斬撃が飛んできたとしても十分に躱せるはずだ。
だがその程度では超越者である守護者には届かない。
斬撃は光に変わり、十分余裕を以て避けたはずの巨体を捉える。
強靱さと粘り強さを兼ね備えた肉が、光に冒され柔く脆く変わる。
数秒経過で元に戻る程度の変化ではあるが、守護者相手に数秒の好きは致命傷だ。
「ご」
漏れそうになった言葉を噛み潰し、イツキが悲鳴じみた叫びと共に槍を突き入れる。
鳥の形をした歪虚が動きを止める。
端から崩れながら憎悪を燃やしてブレスを放とうとして、限界を超えた体に致命的な罅が入る。
槍と剣が慈悲の一撃を与える。
手に残った感触は、一生忘れられそうになかった。
●新規雇用
腹が激しく鳴った。
授業では脳を酷使し、演習では体も酷使し、避難民の警護や炊き出しでは前記の2つに加えて表情筋も酷使した。
地面に腰を下ろせばそのまま寝てしまいそうだ。
それでも、通い慣れた道を半ば無意識に進む。
すぅっと。
見慣れぬ機械が追い越していった。
形は四つ足で、背中の巨大な籠には汗と汚れがこびりついた運動着がみちりと詰まっている。
「え」
「何?」
同級生と顔を見合わせてから数秒後。
ようやく異常に気付いて機械を追った。
「皆さん」
寮の入り口には、籠の受け渡しをする元自動兵器達とメイド服を着こなしたオートマトンが待ち受けていた。
「帰宅が遅れる時は連絡をお願いします。日常での使用も控えてください」
生徒が無意識に構えていたメイスを、抵抗の意思も持たさず回収する。
俺が運ぶ! と全身で主張する元兵器へ食事の後整備をさせるから運ぶだけにしなさいと声を使わず伝えた後、新たな寮母にして寮部門責任者でもあるフィロ(ka6966)が生徒を案内する。
呆然と、流されるようにシャワーを浴びて軽く着替えて席につき、筋骨を逞しくするだけでなく舌を楽しませる食事を平らげたあたりでやっと落ち着く。
「なんで本職のメイドがいるの!?」
貴族として生まれ育った一部生徒が動揺するほどにフィロはメイドとして完璧だ。
王国とは異なる文化と理屈で動いても完璧なのだから、本家でも雇えないことが想像できてしまいますます混乱する。
「寮母さんが来るって先生が言ってた気が……」
授業についていくだけで精一杯で頭に入っていなかった。
「それより日課済ませないと。今日の洗い物はっ」
微かに甘いの香りが漂う。
一切埃を立てずにフィロが紅茶を準備し、PDAを通じて通達されているはずの情報を説明した。
「家事の訓練は週一度に変更されました。他の時間割も変更されていますので確認をお願いします」
寮内警備のオートソルジャーと情報を交換している間も、フィロの態度は完璧だった。
生徒が全員就寝した後、フィロは自分の目で寮を外側から見ていた。
就職目的で履歴書を持参したら予算と権限をその場で渡され寮部門の立ち上げを任された。
邪神が消えた結果、行き場を失った損傷自動兵器達を引き取ったのは、安全を考えるとそれ以外に方法がなかったからだ。
普通に求人をするとスパイが殺到する。
「給料、どう設定しましょう」
元自動兵器に給料を出しても気にもされないはずだ。精霊や大型幻獣と比べれば平凡な存在でしかないし、フィロに任された予算にはまだまだ余裕があるのだから。
同時刻。
寮職員オートソルジャーを指導しつつパン生地を練りながら、カインが気の抜けた表情をしていた。
「女と付き合うって、こんな感じなのか?」
パン生地の形に気付いて慌てて形を普通のパンにする。
すごく楽しいことがあったはずなのに、イコニアによってぎちぎちに詰め込まれた知識により楽しい記憶が追い出されている気がする。
「マリッジブルーはまだまだ早いですよー」
様子を見に来たアルマが、カインの様子に気付いて心配そうな顔になる。
「いや結婚はまだ……いつなんだろ」
覇気が無い。
愛情が薄れた訳ではないが気力体力ともに危険な状態だ。
「なるほどー」
アルマは聞き役に徹した。
すると、カインとイコニアの価値観の隔たりが見えてくる。
両者とも相手にあわせているつもりでも、断絶に近いほどかけ離れているようだ。
「浚って逃げたら関係が破綻しそうですしー」
「そうなんだよな……」
貴族出身の聖職者と、幼少時から一人で過酷な生を送ってきたカインの組み合わせだ。
普通の男女ならいつ喧嘩別れしてもおかしくない。
「イコニアさんも悪い子じゃないですよ」
少なくとも、カイン相手にマウントをとろうとしたり知識を誇ったりはしない。
影響力の大きな己と関わることで、今後必ずカインに降りかかる面倒や悪辣な策を防ぐために手を打っているだけだ。
だからこそ大変ともいえる。
カインがこれだけ疲れていてもイコニアはこれ以上妥協できないのだ。
「それは分かってる。分かっては……いるさ」
この状態でも、カインは決して調理に手を抜かなかった。
●みんな仲良く
避難民の帰還が進み、人口密度が低くなった。
つまり猫の天下だ。
時折通る魔導トラックや大型幻獣には道を譲るが、害虫や害鳥を仕留めて農業に貢献する猫達は誰はばかることなく分け前を主張する。
「待って、待って下さい」
イツキが猫に埋もれている。
子猫から老猫まで全力で媚びを売り、しかし目だけは肉食獣獣じみている。
エイルがイツキを助けようと咆哮一発。
強力な歪虚でも耐えきれずに止まるはずなのに、イツキが抜け出る前に回復して足止めと媚び売りを激しくする。
「朝騎!」
「助けるでちゅ!」
学校から出て来た精霊は、猫パンチの迎撃をうけ撃退され精霊に泣き付かれた朝騎も慰めるのに忙しくて戦線離脱する。
「エイルさんこれ案内でちゅ。イツキさんの分もどうぞでちゅ」
花嫁装束のルルが紙面の半分を占める何かの宣伝だ。
私たち結婚しまちた、と書かれているので結婚報告だろうか。
「エクラ教ルル派を立ち上げたでちゅ。この先、数百年、古エルフの様な悲劇を起こさず、人々が平和に、ルルしゃんが笑顔で暮らせるように頑張りるでちゅ!」
土地そのものでもあるルルが熱心に頷いている。
将来的にはこの土地で確実に流行る。
もっとも、今もそれなり以上の信仰心がルルに向いているので、ただの現状追認で終わるのかもしれないが。
「1家族1皿です。甘えた声を出しても駄目ですっ」
どれだけ媚びを売ってもイツキが折れてくれないので、猫達は譲歩を引き出すのを諦め愛想を引っ込める。
イツキの前に整然と並ぶ様は、野生動物でも飼い猫でも無く誇り高き従業員風だった。
「くすぐったいです」
猫餌「マーシー・オブ・プリンセス」を配り終えても猫はイツキの指を撫で、平然と混じっていたユグディラが高級猫餌の入手先をメモしている。
イツキは追い払うのを諦め真新しいベンチに腰を下ろす。
負マテリアルは、人類に暮らしに伴うわずかな量しか感じない。
きっとこのまま平和が続いていくのだと、頭では無く魂が確信している。
「それでも」
彼らの――古エルフの事を、伝えていかなければならない。
この地で起きた悲劇。
この地に刻まれた傷。
誰もが忘れても無かったことにはならず、忘れてしまえばいずれ第二の闇鳥が誕生する。
「私は」
魂の疲れを無視して立ち上がる。
最早武力が必要ないのだとしても、イツキ達の戦いは終わらない。
依頼結果
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依頼相談掲示板 | |||
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/09/01 00:52:19 |
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相談卓 北谷王子 朝騎(ka5818) 人間(リアルブルー)|16才|女性|符術師(カードマスター) |
最終発言 2019/09/01 22:18:40 |
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質問卓 北谷王子 朝騎(ka5818) 人間(リアルブルー)|16才|女性|符術師(カードマスター) |
最終発言 2019/09/01 10:14:23 |