ゲスト
(ka0000)
宛てない思い
マスター:音無奏

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- 普通
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~25人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 無し
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/10/21 19:00
- 完成日
- 2019/10/30 23:01
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
封筒を手に、一筋だけ空いた箱の入れ口に押し込むと、手紙が落ちて見えなくなる。
入れ口は手が入れられないほどに細く、箱の深さも相まって入れた手紙にはもう手が届きそうにない。こういう箱なのだ、わかっていた。
これで良かったのかどうか考えると胸の動悸が収まらなくて、でももうどうしようもないから、未練がましく箱に触れた後、人影は箱のある教会を後にした。
残されたのは、静かな礼拝堂に手紙が収められた箱が一つ。
…………。
「……いや、別にそこまで思いつめるような話じゃないからな?」
イオは強めな口調で前置きをして、噂話を聞きたがるハンター達の前で話を始めた。
その教会はシャリール地方の郊外にあり、定期的に街の人間が掃除に来る以外は殆ど無人となっている。
敢えて無人になっている、とでもいうべきか。
街からさして離れていない事もあり、人目を好まず、静かに礼拝を捧げたい人間のためにそう配慮されていた。
件の箱は頑丈な木製であり、礼拝の邪魔をしないで済むよう礼拝堂の隅に置かれている。傍らに冊子があり、郵便箱について説明されていた。
『この郵便箱に入れた手紙は届かない』
郵便箱の中身は定期的に配達を生業とする人間――この街ではイオが回収し、教会の裏手で焼き上げる。
中身は決して見ないし、たとえ本人を名乗る人間がいても手紙を渡す事はない。
入れられたものは誰の目に触れる事もなく、確実に焼却されるようになっている。
「焼くために手紙を出すんですか?」
「焼いてもらうために手紙を出す、が正しいかな」
ハンター達の問いかけにイオは些細な訂正を施した。
焼かれる事を承知で出す手紙なのだから、即ち誰にも言えない気持ちや未練の類に他ならない。
だがどのような内容であれイオがそれを知る事はない、故に躊躇する事もなく手紙を火にくべる。
投函した本人では決着のつけられない気持ちを、他人が代わりに断ち切るのだ。
手紙も、それを出す人間も、思いは様々だろう。
思いを記し、それを火の中に送り込む事で思うのは解放か、後悔か。
投函された手紙を返す事は出来ないけれど、後悔したならもう一度書けばやり直せるのだとイオは静かに言う。
「焼いてすっきりしたって奴もいるし、焼いてしまった事で重大さに気がついたって奴も少なくはない」
殴り込みも多いけどなとイオは苦笑して、後悔したならもう一回手紙を書き直せばいいんだよと繰り返し告げた。
「別に、これで焼かれるのは手紙だけだ、失敗としては致命的じゃない、気づけたのなら幾らでもやり直しが出来る」
話を終えたイオは席を立つ、誰が反応を示したとか、そういうのも知るつもりはないようだ。
「手紙を焼いたことは煙でわかると思うよ。その時の立ち入りは許可出来ないけど……文房具屋なら、この街にあるから」
入れ口は手が入れられないほどに細く、箱の深さも相まって入れた手紙にはもう手が届きそうにない。こういう箱なのだ、わかっていた。
これで良かったのかどうか考えると胸の動悸が収まらなくて、でももうどうしようもないから、未練がましく箱に触れた後、人影は箱のある教会を後にした。
残されたのは、静かな礼拝堂に手紙が収められた箱が一つ。
…………。
「……いや、別にそこまで思いつめるような話じゃないからな?」
イオは強めな口調で前置きをして、噂話を聞きたがるハンター達の前で話を始めた。
その教会はシャリール地方の郊外にあり、定期的に街の人間が掃除に来る以外は殆ど無人となっている。
敢えて無人になっている、とでもいうべきか。
街からさして離れていない事もあり、人目を好まず、静かに礼拝を捧げたい人間のためにそう配慮されていた。
件の箱は頑丈な木製であり、礼拝の邪魔をしないで済むよう礼拝堂の隅に置かれている。傍らに冊子があり、郵便箱について説明されていた。
『この郵便箱に入れた手紙は届かない』
郵便箱の中身は定期的に配達を生業とする人間――この街ではイオが回収し、教会の裏手で焼き上げる。
中身は決して見ないし、たとえ本人を名乗る人間がいても手紙を渡す事はない。
入れられたものは誰の目に触れる事もなく、確実に焼却されるようになっている。
「焼くために手紙を出すんですか?」
「焼いてもらうために手紙を出す、が正しいかな」
ハンター達の問いかけにイオは些細な訂正を施した。
焼かれる事を承知で出す手紙なのだから、即ち誰にも言えない気持ちや未練の類に他ならない。
だがどのような内容であれイオがそれを知る事はない、故に躊躇する事もなく手紙を火にくべる。
投函した本人では決着のつけられない気持ちを、他人が代わりに断ち切るのだ。
手紙も、それを出す人間も、思いは様々だろう。
思いを記し、それを火の中に送り込む事で思うのは解放か、後悔か。
投函された手紙を返す事は出来ないけれど、後悔したならもう一度書けばやり直せるのだとイオは静かに言う。
「焼いてすっきりしたって奴もいるし、焼いてしまった事で重大さに気がついたって奴も少なくはない」
殴り込みも多いけどなとイオは苦笑して、後悔したならもう一回手紙を書き直せばいいんだよと繰り返し告げた。
「別に、これで焼かれるのは手紙だけだ、失敗としては致命的じゃない、気づけたのなら幾らでもやり直しが出来る」
話を終えたイオは席を立つ、誰が反応を示したとか、そういうのも知るつもりはないようだ。
「手紙を焼いたことは煙でわかると思うよ。その時の立ち入りは許可出来ないけど……文房具屋なら、この街にあるから」
リプレイ本文
…………。
ほんの少し、鬼塚 陸(ka0038)は立ち止まる時間を得た。
この感触をなんというのだろう、むず痒いようで、少し落ち着かなくて、何かやるべき事はないだろうかとつい探してしまう自分がいる。
やれる事はある、でもそれは自分を駆り立てるような切羽詰まったものじゃない。今したいと思った事をやってから行こうと考えて、リクは筆を取るための場所へと向かった。
大切な記憶があった、大切な人と言葉を交わし、共に戦場を駆け抜けた記憶。
彼女がこの世界から姿を消してどれくらい経ったかもわからない、……少し、わからないようにしていた部分もあった。
自分が歩き出したのはきっとエルフハイムから、エルフハイムを変えようと決意して、二人で闘い続けた。
君がいなくなっても自分は止まらなかった、いや、止まりたくなかった。
君がいなくても君と交わした言葉はこの胸に残っているから、この想いを薄れさせたくなくて、次々と戦場を渡り歩いた。
止まらなければ、まだ覚えていられる。
君がいなくなって、僕まで歩みを止めてしまったら、この記憶は何になるだろう。
二人で話し合った夢は宙に消え、世界を変えるのは他の誰かで、君との接点を失った僕はいつしか君の事を忘れてしまう。
そんな未来になってしまうのが嫌で、怖くて、必死に……必死に戦い続けてきた。
エルフハイムから始まって、帝国に渡り、王国を訪ね、辺境に赴いた。
自分がかつて居たリアルブルーにも行ったし、東方での戦いにも関わった。
そしていつしか世界を救うところまで辿り着いて、ただの凡人だったリクは、二つの世界と契約した守護者になって、邪神と闘った。
歩いてきた軌跡を思い返しながら、リクは近況報告をするように、彼女が知らないだろう世界の続きの話を記し続ける。
(君が居なければ……オレはきっとここまで来れなかった)
手向けるべき言葉を考えて、溢れる思いと共に感謝を綴った。
初めて自分を好きだと言ってくれた人、自分に価値をくれた人。君がいたから今のリクがいる。
胸の記憶を噛み締めながら、リクは今の世界の事を記して行く。
彼女はいつだって“誰もが笑って生きていられる世界”を望んでいたから、少しだけだけど、それに向けて進めた気がすると伝えるために。
言葉を尽くした後、リクは続きの便箋を出して言葉を書き始めた。
これからの世界に君がいないのを寂しく想う、少なくない感傷が溢れたけれど、悲観する事だけは決してなかった。
だって自分は生きている、この世界で、これからも。
僕は君の気持ちを未来へと届けられただろうか。
出来るだけの事はしたと信じて、リクは少し変わった気持ちを、これからの事を書き示して行く。
『これから先は、すこし自分の為に生きてみようと思う。
君が望んだ世界で……君の分まで。
笑って、泣いて、”生きよう”と思う。
向こうの世界でまた出会えた時に、君の願いはかなったと言えるように。』
記憶はいつか眠りにつくだろう、でもそれはなくなる訳じゃない。
彼女が変えたリクはこれからも在り、これからも生き続ける。
『だから最後にひとつだけ伝えたかったんだ
愛してくれて、ありがとう
君と出会えて、本当に良かった
──またね』
想いを込めて署名し、インクが乾くのを待って封筒に入れた。
この手紙は届かない、だから想いを彼女が愛した世界に還す。
――いつかまた会える日が来たら、その時胸に抱いた気持ちを、自ら伝える事になるだろう。
+
――果たして、彼らはどうなったのだろうか。
かの大精霊と黙示騎士を巡る因縁、誓約の守護者として見守るとアーサー・ホーガン(ka0471)は決めていて、しかし自らの流儀から口を出せずにいた。
気にならないと言えば嘘になる、しかし彼らに問いかけるのは自分の中の何かが違う。
だが消化しきれない思いがあった以上思考は堂々巡りをするばかりで、いい加減に疲れたアーサーはどこかでけじめをつける必要性を感じていて、そんな時に教会の噂話を聞いていた。
案内された通りに便箋を購入し、作業台の前に重く腰を落とす。
必要なのは気持ちの整理だけだ、別段凝った準備はしていない。派手さもなく無難という理由だけで選んだ便箋を広げ、自分が言いたい事はなんだっただろうかとアーサーは思考の海に沈む。
どっち宛にするべきなのか、話を聞くならリアルブルーにしたかったが、アーサーが語りかけたいと思ったのは黙示騎士の方だ。
彼は業から解放されたのだろうか、問いかけたかったが自身で返事を得たいとは思っていない、ただ答えがあるなら大精霊に伝えてくれないだろうかと思うのだ。
大精霊は語っていた、彼を受け入れなきゃならない。押し付けた業から彼らを解放しなきゃならないと。
彼が抱く思い、抱く決意に対して挟める口はない、だがその結果は本人に伝わって欲しいと思っている、或いは既に伝わっていて、自分がそれを知らないだけかもしれないが。
人類に手を貸したからには大丈夫だろうと予測はつく、ただアーサーに確かめる術はなく、据わりが悪いだけで。
顛末を気にしてしまうのはアーサーの事情でしかない、故にリアルブルーに答えを尋ねる事もなく、ただ虚空に思いを放つ。
完成した文面は短かった、黙示騎士に対する一方的な問いかけと、答えがあるならリアルブルーに伝えて欲しいという言付け。
届かないのはわかっている、だがそれでいい、決着がつかなかったアーサーの思いはこれで区切りにすると決めたのだから。
手紙を封筒に入れ、教会に向かう。さして気負う事もなく封筒を箱に投げ込み、引きずる事もなく背を向けた。
(我々は知らない、知ることはないだろう、か……)
イグノラビムス、それがこの後半に当てはまる言葉。
きっとその通りになる、アーサーがこの件についてこれ以上知ろうとすることは、ない。
+
書き始める前に一度目を閉ざし、思いを馳せる。
かつての記憶は鮮やかに浮かび、しかしこれに続く未来が生まれる事は永久にないという事実が蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)の心を刻む。
世界はなんて残酷で、自分はなんて愚かだったのだろう。
小さく開いた口からかすれた声が漏れ、閉ざした瞳からは涙が溢れた。それを拭う事もなく、蜜鈴は筆を取って思いを記すのだ。
遅すぎると自分でもわかっている、しかしそれでも彼の人の事を思わずにはいられない。
草木を目にすれば貴方の事を思い、風が吹けばそのまま心が攫われそうになる。
はちきれそうな程に思いを募らせても貴方に届く事はない、それでも気持ちが大きすぎて止める事も呑み込む事も出来ないから、蹲るしかないこの弱さと我儘を許して欲しい。
みっともなさを笑ってくれて構わない、明日が在ると、何の疑いもせずに信じていた。
明日にも貴方が居て、自分は望んで会いに行ける、そうして貴方の傍に行き、未来を語る事が出来ると思っていたのだ。
なんて愚か、なんて慢心なのだろう。
思いは行き先を失い、彼と交わした『オイマトの民を見守る』という約束だけが残された。必ず守るからと嗚咽のように綴る、それはもしかしたら、彼の望んだ形ではないかもしれないけれど。
遠く遠く彼を想い続ける、待つ事は無い、巡る魂だって見つけてみせると想いを記していく、だって。
『心が砕け落ちる程に……愛して居ます』
最後にその言葉を刻んで、蜜鈴は筆を置いた。楚々とした筆跡で記された手紙の下側に、緋色の蝶が風を感じさせる若緑に踊っている。インクが乾くのを待ちながら、蜜鈴は暫しその絵柄を眺めていた。
この手紙がどうなるかはわかっている。
今まで火に巻かれただろう数々の手紙を思い、これもそうなるならそれもいいだろうと、乾いた手紙を封筒に入れて閉ざした。
扉を細く開けて外を伺い、知人の姿がない事を確認してから外に身を滑らせる。
万が一にも鉢合わせてしまう訳にはいかない、心配させてはいると思う、そういう心優しい人たちだから、蜜鈴も彼らを大切に思っている。
だからこそ、ダメなのだ。自身が愛した全ては死に逝く定めにある、少なくとも蜜鈴はこの身がそういう呪いに在ると確信していた。
馬鹿な事をと言われるかもしれない、そんな事はないと否定されるかもしれない、だが事実蜜鈴の大切な人は失われてしまった、蜜鈴にとってはそれが心を打ちのめす程に大きい。
もう一度だなんて、試す強さは蜜鈴にないのだ。
彼らを愛してる、だから努めて距離を置くようにしよう、この気持ちを薄める事は出来ないかもしれないけれど、少しでも彼らから呪いを遠ざけるために。
+
教会の噂話を聞いても、それ以上の何かを神代 誠一(ka2086)とクィーロ・ヴェリル(ka4122)の二人が語らう事はなかった。
思うところがない訳じゃない、それは短くない付き合いと、お互いの間にある空気感でわかっている。
きっと何かあるのだろうと誠一は口を開こうとするのだけれど、クィーロはふいと誠一に背を向けて、「外に出てくる」とそっけなく告げた。
「そう、か」
誠一に何が言えるだろう、一緒に行く? 言いたい事を話せ? 踏み込むだけの思い切りはどちらにもなくて、誠一は言いかけた事を呑み込むしかない。
何か抱えているのは誠一だけじゃないはずなのに、クィーロはそれを誠一に分かち合おうとはしなかった。
聞かせてくれたらいいのに、思うだけで示す事は出来ず、大人びた弁えの良さが誠一を引き下がらせる。
「……気をつけてな」
結局はそんな、保護者じみた事しか口に出来ず、クィーロが鼻で嗤って出ていくのを見送るしかなかった。
…………。
誠一から離れて暫くした後、クィーロは重かった息をようやく吐き出した。
彼が思った通りに自分は言えない気持ちを抱えてて、彼がそれを分かち合うのを望んでいる事にクィーロだって気づいている。
自分を慮ってくれる彼に随分と酷い態度を取ってしまった、いや、彼の事を思うならもっと手酷く振る舞うべきだったかもしれない。
誠一は優しくて忍耐強い、彼を遠ざけようとするなら、暴言の幾つかは覚悟する必要があっただろう。
どうすればそれが可能だろうかと考えて、しかし何かを堪えるような誠一の顔が記憶に浮かび、クィーロはそれ以上思考を巡らせる事が出来なかった。
彼は優しくて忍耐強いけど、傷つかない訳ではないのだ。そんな彼の気持ちを踏みにじる事が出来なくて、行き詰まったクィーロの気持ちは再び重いものに変わっていく。
(……届かない手紙、か)
誠一の望みを知っていて、クィーロは尚彼に背を向ける。
……背を向けるのが今は精一杯、未練と罪悪感を振り払うようにして、クィーロは歩く速度を早めていた。
筆と便箋を携えて、クィーロは一人になれる場所を探した。
誰にも見られないように壁を背にして筆を取り、ようやく一息つく事が出来る。
一人になれば威嚇するべき相手もいなくなって、クィーロが持つ落ち着いた気性も戻って来れるのだ。振る舞いを偽るのはそうするしかないと思っているからで、しかしその偽りに気づかれる訳にはいかなかった。
宛名は迷う事なく書く事が出来た、大切な相棒へ。
本人のいない場所でこんな呼び方をすることに自身の狡さと情けなさを痛感してしまう、こんな自分を知ったら彼はどう思うだろう、笑うか怒るか、いずれにせよクィーロには空想を遊ばせる事しか出来ない。
そんな内心をも余さず記し、今度は彼に隠している真実を書いた。
クィーロたる『僕』の記憶を取り戻している事、しかし同時に、この世界に来る前に大切な人との繋がりを自ら断ってしまっていた事を思い出した事。
自ら手放した俺に誰かと一緒にいる資格はないと語り、誠一は何一つ悪くないと切々に綴った。
誠一がいつも無理に笑っているのを見ると心が張り裂けそうになる、だからもう僕に関わらないで欲しい、僕の事は忘れて次に進んで欲しい、それがクィーロの抱く唯一の望みだった。
嫌ってなんかいない、大切に思ってる。それでもクィーロはこれからも誠一に会う度悪態をつくだろう。
届かないとわかっている手紙に本心を綴るところも含めて、自分は最低だった。
唯一の祈りを、誠一の未来に幸あらん事をと最後に書いて、クィーロは手紙を終える。
伝える事のない言葉は手紙に押し付けて、葛藤と共に火炙りの箱へ押し込んだ。
…………。
クィーロが出ていくのを見送って、誠一は小さく息を吐いた。
呆れた訳じゃない、ただ自身の不甲斐なさと、打開できない現状に対してため息が漏れる。
クィーロは教会に行ったのだろうか、言えない気持ちがあるのに、自分はそれを打ち明ける相手に選んでもらえない。
自室に戻り、事務仕事に使っていた紙を一枚抜いて、ペンを走らせた。
淀みない筆致で手紙として書いたのは自身の近況や、経験したことの感想、後日談。さして特別でもないこの手紙こそが、今の誠一にとっての特別だった。
だって、昔はこういった手紙を多く交わしたから。
夕食の約束、戦利品の報告、一番多かったのは二人での連携打ち合わせだったか。
夜を通して手紙を送りあった事もあったのに、今はこれを受け取ってもらえるかどうかもわからない。
紙をもう一枚出して、今度は渦巻く気持ちをつらつらと書いて行った。
クィーロに何があったのか、彼は語ってくれないけれど、彼の振る舞いからはなんとなく負い目のようなものを感じている。
関わりへの拒絶、自分への不信。何があったか誠一には知る由もないけれど、それは向き合えないものではないと誠一は思っている。
だから、何があったのか教えて欲しい。
クィーロはクィーロだって、誠一は向き合う覚悟を決めているから。
一字一句、書いていく度に気持ちが固まっていく。
かつてクィーロと交わした約束を、誠一は今も守るつもりでいた。
自分の言葉に嘘はつかない、しかし“今のクィーロ”に関わる理由はそれだけでもなかった。
自分を遠ざけようとするあいつは怒るだろうか、遠ざかるどころか誠一はクィーロに近づき、彼の事を知りたいと思っている。
今のクィーロがどんな人間で、かつてのクィーロがどんな人間だったのか。
今のクィーロも、かつてのクィーロも、誠一が相棒だと認めるクィーロの一部には違いなかった。
知らないからだというなら、教えて欲しい。自分はクィーロの事を知りたいと思っている、知った上で関わりたいし、受け入れたいと思っている。
かつて交わした言葉を覚えてくれているだろうか。
本当の名を思い出したら、自分にだけは教えてくれると言ってくれた事を。
呼んで欲しいと言っていたのに、その願いも叶えさせてくれないのだろうか。
気持ちを書いた手紙を畳んで、誠一はクィーロが戻ってくるのを待ち受ける事にした。
もう少し考える時間はあったけれど、彼と向き合わない事には始まらない。
――お前から離れて幸せになれるはずもない。
他の誰でもない、今のクィーロこそ誠一は必要としていた。
+
広げた紙を前に、銀 真白(ka4128)は困惑を募らせていた。
話を聞いて思い立ったはいいが気持ちを上手く形に出来なくて、墨を浸した筆が所在なさげに揺れる。
気を惹かれたのは確かだ、宛てたいと思った先も心にある、道具だって準備出来たのに動けずにいるのはどういう事か。
文を書く習慣がそれほどなかったのもあるだろう、用があるなら直接赴けばいいと思っていた、顔を見て話す方が感触は確かで、相手の存在も返事も直に感じる事が出来る。
(……だが、それは……)
もう叶う事はない、会いたいと思っても、彼の人はどこにもいない。
だからだろうか、手紙という手段に惹かれてしまったのは。届かないとわかってても語りかける誘惑に、この身を律しきれなかった。
とどめなく心を揺らす気持ちこそあれど、それを明確な言葉にする事は出来なかった。仮にあの方がまだいたとして、……己はきっと気の利いた事を言う事も出来ず、傍らに控え、仲間と共にいる空気を噛みしめるだけだっただろう。
その幸福は当たり前に続くものではないと、今の己はもう知ってるというのに。
ほんの少し夢を見る。
自身にもっと積極性があり、遊び心があったら、彼の人ともっと多くの光景を見られたのだろうか。
聞きたい事を聞いていれば、己の知らない多くを彼の人は語ってくれたのだろうか。
……詮のない夢だ、深く沈み込むものでもない。ただ果たせなかった願いを白昼夢に見て、少しだけの感傷が足元に滴るだけ。
聞きたかった事、言いたかった事、どれもがぼんやりと浮かぶけれど、少しの痛みを残しながら消えていく。
溜まっていく痛みは嵩を増して心を揺らすけど、己がそれを零す事はなかった。
幻想を掴む事は出来ない、故人に手を届かせる事も出来ない。
なんでと思う気持ちは未だにある、一緒に生きたかったと今も叫んでいた。彼の人が口にするだろう答えは不思議と実感を持って心の中にあり、それだけが武士の刀のように真白を支え、崩れ落ちる事を踏みとどまらせる。
預かった志は胸にあり、優しくて痛かったユメは真白の背中を押す。
その信頼を無為にして崩れ落ちる事など、どうして出来よう。
誰も欠けていないかつては輝いて眩かったけれど、これ以上振り返る事は出来なかった。
彼の人が信じたもの、預けたかったものはそこにはないから、弱さに膝を折らないように、真白は痛みを堪えて前を向くしかない。
広げた手紙は相変わらずの白紙、過去に伸ばす腕はなく、未来に彼の人はいなかった。
「……っ」
どうせ火に燃やす手紙なのだから何を書いても良かったのに、燃やせるものなんて、何一つ思い浮かばない。
気の利いた事も言えず、思う所がない訳でもなく――火にくべる言葉として、思い浮かんだものはたった一つしかなかった。
『私は元気だ』
未来を信じて逝った彼に、これで安心してもらえるだろうかと、それだけを思った。
私達が元気でいる事で、あなたがくれた未来が輝くものだと証明する。
もっと気の利いた事が言えれば良かったのだけれど、泣かない事が精一杯だから、どうか許して欲しい。
弱さと希望と感謝を手紙に託して、届かない箱へと差し入れる。
弱さは火に燃え、希望と感謝が彼の方に届きますように。
+
望まれた通りに、なるべく前向きになるように努めて日々を回す。
悼みを感じていないはずもない、でも崩れ落ちる事も望まれていない。
メアリ・ロイド(ka6633)に出来るのは彼にとっていい女であるように強がり続ける事だけ。
見ていますか、褒めてくれますか。
後者は少し高望みだろうかと考えて、どうせなら突っぱねてくれればいいのにと叶わない望みを抱いた。
郵便箱の話を聞いて、胸が逸るのも止められず便箋を買っていた。
宛先のない気持ちならある、燃やして煙にすれば空に届くだろうかと思えば、思いとどまる事は出来なかった。
貴方に届きますようにと願う空色の便箋、しまい込んでいた深い蒼色の万年筆を出して、くるりと手の中で回す。
本当は彼への誕生日プレゼントとして用意したものだけれど、結局渡せずじまいだった。
手元に残してしまったのは弱さなのかどうか、メアリ自身にだってわかっていない。でもどうせなら自分で使おうと決めて、それくらいは許してくれますよねと、心の空いた部分に問いかけを投げる。
彼に、何を伝えよう。
一枚目は手が震えて字がガタガタになってしまったので廃棄した、二枚目でやっと落ち着いて書けるようになって、どんな話なら彼が喜ぶだろうかと考えて、まずは未来を手にした事を告げた。
彼の望み通りに、自分は元気だとも。友達とだって楽しく過ごしている、前を向いて生きている、もうすぐリアルブルーにも戻れるだろう。
とりとめのない日々をつらつらと記して、これが彼の望んだ未来であればいいなと思うばかりだった。
書く事もなくなって、心に残ったのは自分の気持ちだけ。どうやって書こうか凄く迷って、心が叫ぶままに力強い言葉を記した。
――私は今もあんたが一番好きだ。
流石に手紙にはもうちょっと礼儀正しく書いたけど、心の叫びを偽れるはずもない。
先の事はわからないと一応書いたけれど、それでも私は貴方が思うよりも遥かに頑固で、思い通りにならなくて、してやったという形の笑みが少しだけ口元に浮かんだ。
穏やかな気持ちで手紙を書き終え、封筒に入れる。手紙を携えメアリは教会へと向かった。
別れを告げる訳じゃない、気持ちを断ち切る訳でもない。
ただ宛てる先がなかったから空に届けたかっただけ。
衝動のままに手紙を箱に押し込んで、一番好きだって言ってるじゃないですかと、胸の気持ちを強く噛み締めた。
メアリの寿命はまだ来ていないから、あの人がいる空には行けない。
だから手紙だけでも一足先に彼の傍へ行ってもらう。
彼がいるのは空だろうか宇宙だろうか、ふと視線を向ければ、教会の裏手で空を見上げている人影を見た。
自分の他にも似たような人がいる、抱えるものは決して一緒ではないけれど、誰もが何かを大切に抱えている。
人影に向けて小さく目礼をして、メアリはその場を立ち去った。
+
教会の方角に気を配って数日、ついに煙が上がった。
先か後かはわからない、だが自身が預けた手紙も焼けたのだろうとマキナ・バベッジ(ka4302)は思う。
煙が天に上っていくのを見ながら抱いたのは、安堵のような寂寥のような、不思議な心地だった。
何も出来なかった事をずっと気に病んでいた。
思いを聞く事も出来ず、彼らを送る事も出来ず、時期を逸した思いが胸に燻るばかりで。
自己満足だとしても、決着をつけたかった、そうしないと僕はかつての僕に顔向けできず、いつまでも立ち止まっているばかりだったと思うから。
手を合わせる気持ちで、最初に彼らの冥福を祈った。地に眠った後はせめて安らかであるように、粛々とした祈りをこめた。
彼らが心配しないように、彼らが気にかけるだろう人たちの近況、そして少しだけ自分の事も書いた。
――何も出来なくてごめん、その懺悔を書くのに、随分と勇気を要した。
自分は彼らの助けになれなかった、彼らの心を掬う事が出来なかった。手紙に記す事はなかったけれど、改めてその事実を正面から受け止める。
この痛みと、痛みを招いた未熟さを、マキナは自らの内に刻んでいく。
そうして正面から受け止めた上で、彼らと出会えたことへの感謝を告げるのだ。
彼らとの出会い、彼らとの思い出、それを綴る心境は間違いなく悲しみが滲んでいたけれど、幸いだと言えるくらいには、悲しみだけでもなかった。
『――あなたたちと知り合えて良かった』
飾り気もなくただ素直なだけの感謝を書いて手紙を締めくくる、その手紙を教会に預け、つい先程その行き先を見届けた。
焼いた手紙は天に届くだろうか、届かなくても構わない、どんな結果になろうとも、マキナはこれを一度足を止めてしまった自身の出発点にすると決めていた。
いきなり強くなった訳じゃない、不安で、怖くて、痛みだって残っている。
でも、かつて抱いた願いを思い出した、諦めたくない、頑張りたい、強くなりたいと、自らの内にいる誰かが言っていた。
情けない姿を見せたという記憶は朧気に残っている、そんな情けない僕に失望する事なく、誰かは手を取って励ましてくれたのだ。
彼を失望させたくない、今度は、少しずつでも彼の願いが叶うようにしたい、だから。
「……夢の続きを叶えに行こう」
もらった勇気に、これからの僕が応えられますように。
ほんの少し、鬼塚 陸(ka0038)は立ち止まる時間を得た。
この感触をなんというのだろう、むず痒いようで、少し落ち着かなくて、何かやるべき事はないだろうかとつい探してしまう自分がいる。
やれる事はある、でもそれは自分を駆り立てるような切羽詰まったものじゃない。今したいと思った事をやってから行こうと考えて、リクは筆を取るための場所へと向かった。
大切な記憶があった、大切な人と言葉を交わし、共に戦場を駆け抜けた記憶。
彼女がこの世界から姿を消してどれくらい経ったかもわからない、……少し、わからないようにしていた部分もあった。
自分が歩き出したのはきっとエルフハイムから、エルフハイムを変えようと決意して、二人で闘い続けた。
君がいなくなっても自分は止まらなかった、いや、止まりたくなかった。
君がいなくても君と交わした言葉はこの胸に残っているから、この想いを薄れさせたくなくて、次々と戦場を渡り歩いた。
止まらなければ、まだ覚えていられる。
君がいなくなって、僕まで歩みを止めてしまったら、この記憶は何になるだろう。
二人で話し合った夢は宙に消え、世界を変えるのは他の誰かで、君との接点を失った僕はいつしか君の事を忘れてしまう。
そんな未来になってしまうのが嫌で、怖くて、必死に……必死に戦い続けてきた。
エルフハイムから始まって、帝国に渡り、王国を訪ね、辺境に赴いた。
自分がかつて居たリアルブルーにも行ったし、東方での戦いにも関わった。
そしていつしか世界を救うところまで辿り着いて、ただの凡人だったリクは、二つの世界と契約した守護者になって、邪神と闘った。
歩いてきた軌跡を思い返しながら、リクは近況報告をするように、彼女が知らないだろう世界の続きの話を記し続ける。
(君が居なければ……オレはきっとここまで来れなかった)
手向けるべき言葉を考えて、溢れる思いと共に感謝を綴った。
初めて自分を好きだと言ってくれた人、自分に価値をくれた人。君がいたから今のリクがいる。
胸の記憶を噛み締めながら、リクは今の世界の事を記して行く。
彼女はいつだって“誰もが笑って生きていられる世界”を望んでいたから、少しだけだけど、それに向けて進めた気がすると伝えるために。
言葉を尽くした後、リクは続きの便箋を出して言葉を書き始めた。
これからの世界に君がいないのを寂しく想う、少なくない感傷が溢れたけれど、悲観する事だけは決してなかった。
だって自分は生きている、この世界で、これからも。
僕は君の気持ちを未来へと届けられただろうか。
出来るだけの事はしたと信じて、リクは少し変わった気持ちを、これからの事を書き示して行く。
『これから先は、すこし自分の為に生きてみようと思う。
君が望んだ世界で……君の分まで。
笑って、泣いて、”生きよう”と思う。
向こうの世界でまた出会えた時に、君の願いはかなったと言えるように。』
記憶はいつか眠りにつくだろう、でもそれはなくなる訳じゃない。
彼女が変えたリクはこれからも在り、これからも生き続ける。
『だから最後にひとつだけ伝えたかったんだ
愛してくれて、ありがとう
君と出会えて、本当に良かった
──またね』
想いを込めて署名し、インクが乾くのを待って封筒に入れた。
この手紙は届かない、だから想いを彼女が愛した世界に還す。
――いつかまた会える日が来たら、その時胸に抱いた気持ちを、自ら伝える事になるだろう。
+
――果たして、彼らはどうなったのだろうか。
かの大精霊と黙示騎士を巡る因縁、誓約の守護者として見守るとアーサー・ホーガン(ka0471)は決めていて、しかし自らの流儀から口を出せずにいた。
気にならないと言えば嘘になる、しかし彼らに問いかけるのは自分の中の何かが違う。
だが消化しきれない思いがあった以上思考は堂々巡りをするばかりで、いい加減に疲れたアーサーはどこかでけじめをつける必要性を感じていて、そんな時に教会の噂話を聞いていた。
案内された通りに便箋を購入し、作業台の前に重く腰を落とす。
必要なのは気持ちの整理だけだ、別段凝った準備はしていない。派手さもなく無難という理由だけで選んだ便箋を広げ、自分が言いたい事はなんだっただろうかとアーサーは思考の海に沈む。
どっち宛にするべきなのか、話を聞くならリアルブルーにしたかったが、アーサーが語りかけたいと思ったのは黙示騎士の方だ。
彼は業から解放されたのだろうか、問いかけたかったが自身で返事を得たいとは思っていない、ただ答えがあるなら大精霊に伝えてくれないだろうかと思うのだ。
大精霊は語っていた、彼を受け入れなきゃならない。押し付けた業から彼らを解放しなきゃならないと。
彼が抱く思い、抱く決意に対して挟める口はない、だがその結果は本人に伝わって欲しいと思っている、或いは既に伝わっていて、自分がそれを知らないだけかもしれないが。
人類に手を貸したからには大丈夫だろうと予測はつく、ただアーサーに確かめる術はなく、据わりが悪いだけで。
顛末を気にしてしまうのはアーサーの事情でしかない、故にリアルブルーに答えを尋ねる事もなく、ただ虚空に思いを放つ。
完成した文面は短かった、黙示騎士に対する一方的な問いかけと、答えがあるならリアルブルーに伝えて欲しいという言付け。
届かないのはわかっている、だがそれでいい、決着がつかなかったアーサーの思いはこれで区切りにすると決めたのだから。
手紙を封筒に入れ、教会に向かう。さして気負う事もなく封筒を箱に投げ込み、引きずる事もなく背を向けた。
(我々は知らない、知ることはないだろう、か……)
イグノラビムス、それがこの後半に当てはまる言葉。
きっとその通りになる、アーサーがこの件についてこれ以上知ろうとすることは、ない。
+
書き始める前に一度目を閉ざし、思いを馳せる。
かつての記憶は鮮やかに浮かび、しかしこれに続く未来が生まれる事は永久にないという事実が蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)の心を刻む。
世界はなんて残酷で、自分はなんて愚かだったのだろう。
小さく開いた口からかすれた声が漏れ、閉ざした瞳からは涙が溢れた。それを拭う事もなく、蜜鈴は筆を取って思いを記すのだ。
遅すぎると自分でもわかっている、しかしそれでも彼の人の事を思わずにはいられない。
草木を目にすれば貴方の事を思い、風が吹けばそのまま心が攫われそうになる。
はちきれそうな程に思いを募らせても貴方に届く事はない、それでも気持ちが大きすぎて止める事も呑み込む事も出来ないから、蹲るしかないこの弱さと我儘を許して欲しい。
みっともなさを笑ってくれて構わない、明日が在ると、何の疑いもせずに信じていた。
明日にも貴方が居て、自分は望んで会いに行ける、そうして貴方の傍に行き、未来を語る事が出来ると思っていたのだ。
なんて愚か、なんて慢心なのだろう。
思いは行き先を失い、彼と交わした『オイマトの民を見守る』という約束だけが残された。必ず守るからと嗚咽のように綴る、それはもしかしたら、彼の望んだ形ではないかもしれないけれど。
遠く遠く彼を想い続ける、待つ事は無い、巡る魂だって見つけてみせると想いを記していく、だって。
『心が砕け落ちる程に……愛して居ます』
最後にその言葉を刻んで、蜜鈴は筆を置いた。楚々とした筆跡で記された手紙の下側に、緋色の蝶が風を感じさせる若緑に踊っている。インクが乾くのを待ちながら、蜜鈴は暫しその絵柄を眺めていた。
この手紙がどうなるかはわかっている。
今まで火に巻かれただろう数々の手紙を思い、これもそうなるならそれもいいだろうと、乾いた手紙を封筒に入れて閉ざした。
扉を細く開けて外を伺い、知人の姿がない事を確認してから外に身を滑らせる。
万が一にも鉢合わせてしまう訳にはいかない、心配させてはいると思う、そういう心優しい人たちだから、蜜鈴も彼らを大切に思っている。
だからこそ、ダメなのだ。自身が愛した全ては死に逝く定めにある、少なくとも蜜鈴はこの身がそういう呪いに在ると確信していた。
馬鹿な事をと言われるかもしれない、そんな事はないと否定されるかもしれない、だが事実蜜鈴の大切な人は失われてしまった、蜜鈴にとってはそれが心を打ちのめす程に大きい。
もう一度だなんて、試す強さは蜜鈴にないのだ。
彼らを愛してる、だから努めて距離を置くようにしよう、この気持ちを薄める事は出来ないかもしれないけれど、少しでも彼らから呪いを遠ざけるために。
+
教会の噂話を聞いても、それ以上の何かを神代 誠一(ka2086)とクィーロ・ヴェリル(ka4122)の二人が語らう事はなかった。
思うところがない訳じゃない、それは短くない付き合いと、お互いの間にある空気感でわかっている。
きっと何かあるのだろうと誠一は口を開こうとするのだけれど、クィーロはふいと誠一に背を向けて、「外に出てくる」とそっけなく告げた。
「そう、か」
誠一に何が言えるだろう、一緒に行く? 言いたい事を話せ? 踏み込むだけの思い切りはどちらにもなくて、誠一は言いかけた事を呑み込むしかない。
何か抱えているのは誠一だけじゃないはずなのに、クィーロはそれを誠一に分かち合おうとはしなかった。
聞かせてくれたらいいのに、思うだけで示す事は出来ず、大人びた弁えの良さが誠一を引き下がらせる。
「……気をつけてな」
結局はそんな、保護者じみた事しか口に出来ず、クィーロが鼻で嗤って出ていくのを見送るしかなかった。
…………。
誠一から離れて暫くした後、クィーロは重かった息をようやく吐き出した。
彼が思った通りに自分は言えない気持ちを抱えてて、彼がそれを分かち合うのを望んでいる事にクィーロだって気づいている。
自分を慮ってくれる彼に随分と酷い態度を取ってしまった、いや、彼の事を思うならもっと手酷く振る舞うべきだったかもしれない。
誠一は優しくて忍耐強い、彼を遠ざけようとするなら、暴言の幾つかは覚悟する必要があっただろう。
どうすればそれが可能だろうかと考えて、しかし何かを堪えるような誠一の顔が記憶に浮かび、クィーロはそれ以上思考を巡らせる事が出来なかった。
彼は優しくて忍耐強いけど、傷つかない訳ではないのだ。そんな彼の気持ちを踏みにじる事が出来なくて、行き詰まったクィーロの気持ちは再び重いものに変わっていく。
(……届かない手紙、か)
誠一の望みを知っていて、クィーロは尚彼に背を向ける。
……背を向けるのが今は精一杯、未練と罪悪感を振り払うようにして、クィーロは歩く速度を早めていた。
筆と便箋を携えて、クィーロは一人になれる場所を探した。
誰にも見られないように壁を背にして筆を取り、ようやく一息つく事が出来る。
一人になれば威嚇するべき相手もいなくなって、クィーロが持つ落ち着いた気性も戻って来れるのだ。振る舞いを偽るのはそうするしかないと思っているからで、しかしその偽りに気づかれる訳にはいかなかった。
宛名は迷う事なく書く事が出来た、大切な相棒へ。
本人のいない場所でこんな呼び方をすることに自身の狡さと情けなさを痛感してしまう、こんな自分を知ったら彼はどう思うだろう、笑うか怒るか、いずれにせよクィーロには空想を遊ばせる事しか出来ない。
そんな内心をも余さず記し、今度は彼に隠している真実を書いた。
クィーロたる『僕』の記憶を取り戻している事、しかし同時に、この世界に来る前に大切な人との繋がりを自ら断ってしまっていた事を思い出した事。
自ら手放した俺に誰かと一緒にいる資格はないと語り、誠一は何一つ悪くないと切々に綴った。
誠一がいつも無理に笑っているのを見ると心が張り裂けそうになる、だからもう僕に関わらないで欲しい、僕の事は忘れて次に進んで欲しい、それがクィーロの抱く唯一の望みだった。
嫌ってなんかいない、大切に思ってる。それでもクィーロはこれからも誠一に会う度悪態をつくだろう。
届かないとわかっている手紙に本心を綴るところも含めて、自分は最低だった。
唯一の祈りを、誠一の未来に幸あらん事をと最後に書いて、クィーロは手紙を終える。
伝える事のない言葉は手紙に押し付けて、葛藤と共に火炙りの箱へ押し込んだ。
…………。
クィーロが出ていくのを見送って、誠一は小さく息を吐いた。
呆れた訳じゃない、ただ自身の不甲斐なさと、打開できない現状に対してため息が漏れる。
クィーロは教会に行ったのだろうか、言えない気持ちがあるのに、自分はそれを打ち明ける相手に選んでもらえない。
自室に戻り、事務仕事に使っていた紙を一枚抜いて、ペンを走らせた。
淀みない筆致で手紙として書いたのは自身の近況や、経験したことの感想、後日談。さして特別でもないこの手紙こそが、今の誠一にとっての特別だった。
だって、昔はこういった手紙を多く交わしたから。
夕食の約束、戦利品の報告、一番多かったのは二人での連携打ち合わせだったか。
夜を通して手紙を送りあった事もあったのに、今はこれを受け取ってもらえるかどうかもわからない。
紙をもう一枚出して、今度は渦巻く気持ちをつらつらと書いて行った。
クィーロに何があったのか、彼は語ってくれないけれど、彼の振る舞いからはなんとなく負い目のようなものを感じている。
関わりへの拒絶、自分への不信。何があったか誠一には知る由もないけれど、それは向き合えないものではないと誠一は思っている。
だから、何があったのか教えて欲しい。
クィーロはクィーロだって、誠一は向き合う覚悟を決めているから。
一字一句、書いていく度に気持ちが固まっていく。
かつてクィーロと交わした約束を、誠一は今も守るつもりでいた。
自分の言葉に嘘はつかない、しかし“今のクィーロ”に関わる理由はそれだけでもなかった。
自分を遠ざけようとするあいつは怒るだろうか、遠ざかるどころか誠一はクィーロに近づき、彼の事を知りたいと思っている。
今のクィーロがどんな人間で、かつてのクィーロがどんな人間だったのか。
今のクィーロも、かつてのクィーロも、誠一が相棒だと認めるクィーロの一部には違いなかった。
知らないからだというなら、教えて欲しい。自分はクィーロの事を知りたいと思っている、知った上で関わりたいし、受け入れたいと思っている。
かつて交わした言葉を覚えてくれているだろうか。
本当の名を思い出したら、自分にだけは教えてくれると言ってくれた事を。
呼んで欲しいと言っていたのに、その願いも叶えさせてくれないのだろうか。
気持ちを書いた手紙を畳んで、誠一はクィーロが戻ってくるのを待ち受ける事にした。
もう少し考える時間はあったけれど、彼と向き合わない事には始まらない。
――お前から離れて幸せになれるはずもない。
他の誰でもない、今のクィーロこそ誠一は必要としていた。
+
広げた紙を前に、銀 真白(ka4128)は困惑を募らせていた。
話を聞いて思い立ったはいいが気持ちを上手く形に出来なくて、墨を浸した筆が所在なさげに揺れる。
気を惹かれたのは確かだ、宛てたいと思った先も心にある、道具だって準備出来たのに動けずにいるのはどういう事か。
文を書く習慣がそれほどなかったのもあるだろう、用があるなら直接赴けばいいと思っていた、顔を見て話す方が感触は確かで、相手の存在も返事も直に感じる事が出来る。
(……だが、それは……)
もう叶う事はない、会いたいと思っても、彼の人はどこにもいない。
だからだろうか、手紙という手段に惹かれてしまったのは。届かないとわかってても語りかける誘惑に、この身を律しきれなかった。
とどめなく心を揺らす気持ちこそあれど、それを明確な言葉にする事は出来なかった。仮にあの方がまだいたとして、……己はきっと気の利いた事を言う事も出来ず、傍らに控え、仲間と共にいる空気を噛みしめるだけだっただろう。
その幸福は当たり前に続くものではないと、今の己はもう知ってるというのに。
ほんの少し夢を見る。
自身にもっと積極性があり、遊び心があったら、彼の人ともっと多くの光景を見られたのだろうか。
聞きたい事を聞いていれば、己の知らない多くを彼の人は語ってくれたのだろうか。
……詮のない夢だ、深く沈み込むものでもない。ただ果たせなかった願いを白昼夢に見て、少しだけの感傷が足元に滴るだけ。
聞きたかった事、言いたかった事、どれもがぼんやりと浮かぶけれど、少しの痛みを残しながら消えていく。
溜まっていく痛みは嵩を増して心を揺らすけど、己がそれを零す事はなかった。
幻想を掴む事は出来ない、故人に手を届かせる事も出来ない。
なんでと思う気持ちは未だにある、一緒に生きたかったと今も叫んでいた。彼の人が口にするだろう答えは不思議と実感を持って心の中にあり、それだけが武士の刀のように真白を支え、崩れ落ちる事を踏みとどまらせる。
預かった志は胸にあり、優しくて痛かったユメは真白の背中を押す。
その信頼を無為にして崩れ落ちる事など、どうして出来よう。
誰も欠けていないかつては輝いて眩かったけれど、これ以上振り返る事は出来なかった。
彼の人が信じたもの、預けたかったものはそこにはないから、弱さに膝を折らないように、真白は痛みを堪えて前を向くしかない。
広げた手紙は相変わらずの白紙、過去に伸ばす腕はなく、未来に彼の人はいなかった。
「……っ」
どうせ火に燃やす手紙なのだから何を書いても良かったのに、燃やせるものなんて、何一つ思い浮かばない。
気の利いた事も言えず、思う所がない訳でもなく――火にくべる言葉として、思い浮かんだものはたった一つしかなかった。
『私は元気だ』
未来を信じて逝った彼に、これで安心してもらえるだろうかと、それだけを思った。
私達が元気でいる事で、あなたがくれた未来が輝くものだと証明する。
もっと気の利いた事が言えれば良かったのだけれど、泣かない事が精一杯だから、どうか許して欲しい。
弱さと希望と感謝を手紙に託して、届かない箱へと差し入れる。
弱さは火に燃え、希望と感謝が彼の方に届きますように。
+
望まれた通りに、なるべく前向きになるように努めて日々を回す。
悼みを感じていないはずもない、でも崩れ落ちる事も望まれていない。
メアリ・ロイド(ka6633)に出来るのは彼にとっていい女であるように強がり続ける事だけ。
見ていますか、褒めてくれますか。
後者は少し高望みだろうかと考えて、どうせなら突っぱねてくれればいいのにと叶わない望みを抱いた。
郵便箱の話を聞いて、胸が逸るのも止められず便箋を買っていた。
宛先のない気持ちならある、燃やして煙にすれば空に届くだろうかと思えば、思いとどまる事は出来なかった。
貴方に届きますようにと願う空色の便箋、しまい込んでいた深い蒼色の万年筆を出して、くるりと手の中で回す。
本当は彼への誕生日プレゼントとして用意したものだけれど、結局渡せずじまいだった。
手元に残してしまったのは弱さなのかどうか、メアリ自身にだってわかっていない。でもどうせなら自分で使おうと決めて、それくらいは許してくれますよねと、心の空いた部分に問いかけを投げる。
彼に、何を伝えよう。
一枚目は手が震えて字がガタガタになってしまったので廃棄した、二枚目でやっと落ち着いて書けるようになって、どんな話なら彼が喜ぶだろうかと考えて、まずは未来を手にした事を告げた。
彼の望み通りに、自分は元気だとも。友達とだって楽しく過ごしている、前を向いて生きている、もうすぐリアルブルーにも戻れるだろう。
とりとめのない日々をつらつらと記して、これが彼の望んだ未来であればいいなと思うばかりだった。
書く事もなくなって、心に残ったのは自分の気持ちだけ。どうやって書こうか凄く迷って、心が叫ぶままに力強い言葉を記した。
――私は今もあんたが一番好きだ。
流石に手紙にはもうちょっと礼儀正しく書いたけど、心の叫びを偽れるはずもない。
先の事はわからないと一応書いたけれど、それでも私は貴方が思うよりも遥かに頑固で、思い通りにならなくて、してやったという形の笑みが少しだけ口元に浮かんだ。
穏やかな気持ちで手紙を書き終え、封筒に入れる。手紙を携えメアリは教会へと向かった。
別れを告げる訳じゃない、気持ちを断ち切る訳でもない。
ただ宛てる先がなかったから空に届けたかっただけ。
衝動のままに手紙を箱に押し込んで、一番好きだって言ってるじゃないですかと、胸の気持ちを強く噛み締めた。
メアリの寿命はまだ来ていないから、あの人がいる空には行けない。
だから手紙だけでも一足先に彼の傍へ行ってもらう。
彼がいるのは空だろうか宇宙だろうか、ふと視線を向ければ、教会の裏手で空を見上げている人影を見た。
自分の他にも似たような人がいる、抱えるものは決して一緒ではないけれど、誰もが何かを大切に抱えている。
人影に向けて小さく目礼をして、メアリはその場を立ち去った。
+
教会の方角に気を配って数日、ついに煙が上がった。
先か後かはわからない、だが自身が預けた手紙も焼けたのだろうとマキナ・バベッジ(ka4302)は思う。
煙が天に上っていくのを見ながら抱いたのは、安堵のような寂寥のような、不思議な心地だった。
何も出来なかった事をずっと気に病んでいた。
思いを聞く事も出来ず、彼らを送る事も出来ず、時期を逸した思いが胸に燻るばかりで。
自己満足だとしても、決着をつけたかった、そうしないと僕はかつての僕に顔向けできず、いつまでも立ち止まっているばかりだったと思うから。
手を合わせる気持ちで、最初に彼らの冥福を祈った。地に眠った後はせめて安らかであるように、粛々とした祈りをこめた。
彼らが心配しないように、彼らが気にかけるだろう人たちの近況、そして少しだけ自分の事も書いた。
――何も出来なくてごめん、その懺悔を書くのに、随分と勇気を要した。
自分は彼らの助けになれなかった、彼らの心を掬う事が出来なかった。手紙に記す事はなかったけれど、改めてその事実を正面から受け止める。
この痛みと、痛みを招いた未熟さを、マキナは自らの内に刻んでいく。
そうして正面から受け止めた上で、彼らと出会えたことへの感謝を告げるのだ。
彼らとの出会い、彼らとの思い出、それを綴る心境は間違いなく悲しみが滲んでいたけれど、幸いだと言えるくらいには、悲しみだけでもなかった。
『――あなたたちと知り合えて良かった』
飾り気もなくただ素直なだけの感謝を書いて手紙を締めくくる、その手紙を教会に預け、つい先程その行き先を見届けた。
焼いた手紙は天に届くだろうか、届かなくても構わない、どんな結果になろうとも、マキナはこれを一度足を止めてしまった自身の出発点にすると決めていた。
いきなり強くなった訳じゃない、不安で、怖くて、痛みだって残っている。
でも、かつて抱いた願いを思い出した、諦めたくない、頑張りたい、強くなりたいと、自らの内にいる誰かが言っていた。
情けない姿を見せたという記憶は朧気に残っている、そんな情けない僕に失望する事なく、誰かは手を取って励ましてくれたのだ。
彼を失望させたくない、今度は、少しずつでも彼の願いが叶うようにしたい、だから。
「……夢の続きを叶えに行こう」
もらった勇気に、これからの僕が応えられますように。
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最終発言 2019/10/21 15:38:38 |