ゲスト
(ka0000)
p876『漆黒の猟犬』/アンナの捜査日誌
マスター:のどか

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 不明
- オプション
-
- 参加費
1,500
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 4~10人
- サポート
- 0~5人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2015/08/01 15:00
- 完成日
- 2015/08/16 02:05
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
あてがわられた執務室の机で、アンナ=リーナ・エスト(kz0108)は目の前に山となった書面を前に、傍らの手帳へと忙しなくペンを走らせていた。
眼前に詰まれたのは同盟中から集めた様々な歪虚事件の資料。
中には神霊樹のネットワークを通じてハンターオフィスからかき集めた依頼の報告書も数多くある。
そんな中から彼女が探してるのは、とある歪虚の情報――いや、とある歪虚達の情報。
事の発端は、数日前の事であった。
一時の休日を経て軍へと戻ったアンナ達エスト隊に、大佐から1つの指令が下されていた。
――ここ数ヶ月、同盟各地の駐在所から不可解な歪虚事件の報告が相次いでいる。それらの事件が偶発的なものなのか、若しくは関連性のあるものなのかを調査して欲しい。
不可解な事件と言うのが、数ヶ月に渡り連続して発生している「狂気」と思わしき歪虚による、一般民の惨殺及び精神汚染事件。
事件の起こった街や村では、精神疾患に悩まされる目撃者が相次いでいた。
そこに、依頼を担当していたハンター達からの「あれは狂気だ」と言う証言を併せ、暫定的ではあるが同盟軍も敵を「狂気」の歪虚と認識していた。
狂気と言えば一年前のラッツィオ島での事件が記憶に新しいが、あの一件で島に潜む狂気は駆逐し、浄化も行ったはず。
取り逃がした個体があったのか……そうであったのならば、あたかも街に突然「発生」したかのように現れるのはおかしい。
ここクリムゾンウェストでは、狂気の個体など見ることは無かったのだから。
もちろん、偶発的な事件である可能性も否ではない。
だが、それらの依頼を受けて居たハンター達同様に、この事件の裏に潜む気味の悪い「意志」のようなものを感じ取っていたアンナは、偶発的な事件であるとはどうしても断言しきれない気持ちが強かった。
そして、その気持ちを裏付ける証言が彼女の下に訪れた。
調査の一端として被害者への聞き込みを行っていたアンナ達は、直近の事件の関係者と思われる男に接触する事ができた。
片腕を失った、元楽器職人と言う男は、証言によれば怪物と意識を共有していたのだと言う。
「――私は目にしました。怪物の中から、私に襲い掛かる大勢のハンター達の姿を……ただ、それとは別に、彼らの姿を見た気がしたのです」
そう口にした男は、精神汚染の後遺症か時たま衝動的に頭を掻き毟りながらも、震える唇で言葉を紡ぐ。
「私は……彼らを見ていました。怪物よりも、もっと低い目線。そう……ニンゲンと同じ。白い服を身に纏って、左手には……真っ白いページの本。いや、違う、書きかけの文字がありました。そうして右手に羽ペンを持って――」
そこまで口にして、唐突に男は奇天烈な叫び声を上げてベッドの上で暴れ出していた。
慌てて医療関係者が集まり、彼の体を抑え、落ち着くようにと耳元で諭す。
その姿はまるで思い出してはいけないのだと、“理解”しては、“認識”してはいけないのだと、彼の心が拒絶反応を示しているかのようにも見えていた。
その件があってから、アンナ達のこの事件に対する見方は大きく変わっていた。
楽器職人が見たと言う、白いローブの人物が何者かは分からない。
だが、歪虚と意識を共有していたと言う職人の言葉は真実であるとしたら、同じく意識を共有していたローブの人物もまた、何らかの関係者である可能性が高い。
職人と同じ、事件の被害者なのか……それとも。
少なくとも、精神汚染に侵された者達の中に、それらしい人物は居ない。
が、調査を続けるにつれ、狂気事件のあった各所で同じような人物――白いローブを着た男の目撃情報が相次いで入り込んできたのだ。
それらは移り気な雲のように、不定形で統一性の無い証言。
それでも、一つ一つの証言で輪郭を浮かび上がらせるかのように、少しずつ事件を象るべく、今はただ「時間」と「労力」と「足」を駆使するほか無い。
「――隊長!」
不意に執務室のドアが開け放たれ、部下の少年・ピーノが駆け込んでくる。
全力で走ってきたのか息を弾ませた様子の彼は、アンナの机の前へと駆け寄ると、握り締めくしゃくしゃとなってしまった書状を1枚、彼女に手渡した。
「ヴァリオスで歪虚発生――おそらく狂気であると判断します」
勢いでずれたのであろうメガネを掛け直し、一息でそういい切ったピーノ。
その言葉を聞いて、アンナは音を立てて席から立ち上がった。
「他の2人を招集しろ。すぐに支度をしろと、言い添えてな」
その言葉に敬礼で返すピーノ。
アンナは脚のホルスターに銃を差し込むと、小脇に立てかけた巨大なトランクケースをデスクの上へと引っ張り出し、開け放つ。
そこで一瞬何事か考え込むと、ピーノへ一言付け加えた。
「それと、オフィスにも連絡を入れてくれないか。この事件に関しては、彼らの方が鼻が効くかもしれない――」
言いながら中に折りたたまれた巨大な魔導機を取り出すと、傍らのメモ帳へと視線を移す
白いローブの男。
その文字を、瞳に焼き付けるかのように。
『漆黒の猟犬』
極彩の街「ヴァリオス」は、今日も平和であった。
遥か東方の国の動乱など他所に、西方には西方の時間が流れる。
中でもさらにこの同盟という土地は、ことさらそう言った危機からはかけ離れた場所に存在していた。
街を行き交う人々はお洒落に身を着飾り、笑顔と、商人達の客寄せの声が響く街。
そんな美しい街並に、不意に空からボトリと、真っ黒い液体が降り注いだ。
子供ほどの大きさのそれは、どす黒いスライムのような、粘着質の物体。
降り注いだそれは、びしゃりと地面に撃ち広がると、ジュウジュウ音と煙を立てて石畳へと張り付いた。
街の人々は何事かと円を成し、その液体を取り囲む。
こんなものは見たことが無い、何なのだろうと。
それは平和ゆえの好奇心でもあったのかもしれない。
不意に、液体の表面がびくりと波打った。
ボコボコと沸騰するかのように泡立ち、膨らみ、何かの形へと変わってゆく。
次第に、その液体が黒い動物のような姿へと成型されていったことに気づいた矢先――液状の生物が、鋭い歯を閃かせ、眼前の男に噛み付いていた。
街を貫く叫びと共に、飛び散る血液。
同時に、肉の焼けるような嫌な音と臭いが辺りに広がる。
その姿を目前にし、人々は弾かれたようにその場を駆け出していた。
騒ぎ、喚き、謎の液体から遠ざかろうと不恰好に駆ける住民達。
が、その行く手を遮るかのようにボトリ、ビチャリと、天から同じ液体が降り注ぐ。
否、それは側溝からぬるりと、はたまた建物の隙間からにゅるりと、街の至る所から現れる。
平和な世界に警鐘を鳴らすその存在に、街がパニックに陥るのには、そう時間は必要なかった。
眼前に詰まれたのは同盟中から集めた様々な歪虚事件の資料。
中には神霊樹のネットワークを通じてハンターオフィスからかき集めた依頼の報告書も数多くある。
そんな中から彼女が探してるのは、とある歪虚の情報――いや、とある歪虚達の情報。
事の発端は、数日前の事であった。
一時の休日を経て軍へと戻ったアンナ達エスト隊に、大佐から1つの指令が下されていた。
――ここ数ヶ月、同盟各地の駐在所から不可解な歪虚事件の報告が相次いでいる。それらの事件が偶発的なものなのか、若しくは関連性のあるものなのかを調査して欲しい。
不可解な事件と言うのが、数ヶ月に渡り連続して発生している「狂気」と思わしき歪虚による、一般民の惨殺及び精神汚染事件。
事件の起こった街や村では、精神疾患に悩まされる目撃者が相次いでいた。
そこに、依頼を担当していたハンター達からの「あれは狂気だ」と言う証言を併せ、暫定的ではあるが同盟軍も敵を「狂気」の歪虚と認識していた。
狂気と言えば一年前のラッツィオ島での事件が記憶に新しいが、あの一件で島に潜む狂気は駆逐し、浄化も行ったはず。
取り逃がした個体があったのか……そうであったのならば、あたかも街に突然「発生」したかのように現れるのはおかしい。
ここクリムゾンウェストでは、狂気の個体など見ることは無かったのだから。
もちろん、偶発的な事件である可能性も否ではない。
だが、それらの依頼を受けて居たハンター達同様に、この事件の裏に潜む気味の悪い「意志」のようなものを感じ取っていたアンナは、偶発的な事件であるとはどうしても断言しきれない気持ちが強かった。
そして、その気持ちを裏付ける証言が彼女の下に訪れた。
調査の一端として被害者への聞き込みを行っていたアンナ達は、直近の事件の関係者と思われる男に接触する事ができた。
片腕を失った、元楽器職人と言う男は、証言によれば怪物と意識を共有していたのだと言う。
「――私は目にしました。怪物の中から、私に襲い掛かる大勢のハンター達の姿を……ただ、それとは別に、彼らの姿を見た気がしたのです」
そう口にした男は、精神汚染の後遺症か時たま衝動的に頭を掻き毟りながらも、震える唇で言葉を紡ぐ。
「私は……彼らを見ていました。怪物よりも、もっと低い目線。そう……ニンゲンと同じ。白い服を身に纏って、左手には……真っ白いページの本。いや、違う、書きかけの文字がありました。そうして右手に羽ペンを持って――」
そこまで口にして、唐突に男は奇天烈な叫び声を上げてベッドの上で暴れ出していた。
慌てて医療関係者が集まり、彼の体を抑え、落ち着くようにと耳元で諭す。
その姿はまるで思い出してはいけないのだと、“理解”しては、“認識”してはいけないのだと、彼の心が拒絶反応を示しているかのようにも見えていた。
その件があってから、アンナ達のこの事件に対する見方は大きく変わっていた。
楽器職人が見たと言う、白いローブの人物が何者かは分からない。
だが、歪虚と意識を共有していたと言う職人の言葉は真実であるとしたら、同じく意識を共有していたローブの人物もまた、何らかの関係者である可能性が高い。
職人と同じ、事件の被害者なのか……それとも。
少なくとも、精神汚染に侵された者達の中に、それらしい人物は居ない。
が、調査を続けるにつれ、狂気事件のあった各所で同じような人物――白いローブを着た男の目撃情報が相次いで入り込んできたのだ。
それらは移り気な雲のように、不定形で統一性の無い証言。
それでも、一つ一つの証言で輪郭を浮かび上がらせるかのように、少しずつ事件を象るべく、今はただ「時間」と「労力」と「足」を駆使するほか無い。
「――隊長!」
不意に執務室のドアが開け放たれ、部下の少年・ピーノが駆け込んでくる。
全力で走ってきたのか息を弾ませた様子の彼は、アンナの机の前へと駆け寄ると、握り締めくしゃくしゃとなってしまった書状を1枚、彼女に手渡した。
「ヴァリオスで歪虚発生――おそらく狂気であると判断します」
勢いでずれたのであろうメガネを掛け直し、一息でそういい切ったピーノ。
その言葉を聞いて、アンナは音を立てて席から立ち上がった。
「他の2人を招集しろ。すぐに支度をしろと、言い添えてな」
その言葉に敬礼で返すピーノ。
アンナは脚のホルスターに銃を差し込むと、小脇に立てかけた巨大なトランクケースをデスクの上へと引っ張り出し、開け放つ。
そこで一瞬何事か考え込むと、ピーノへ一言付け加えた。
「それと、オフィスにも連絡を入れてくれないか。この事件に関しては、彼らの方が鼻が効くかもしれない――」
言いながら中に折りたたまれた巨大な魔導機を取り出すと、傍らのメモ帳へと視線を移す
白いローブの男。
その文字を、瞳に焼き付けるかのように。
『漆黒の猟犬』
極彩の街「ヴァリオス」は、今日も平和であった。
遥か東方の国の動乱など他所に、西方には西方の時間が流れる。
中でもさらにこの同盟という土地は、ことさらそう言った危機からはかけ離れた場所に存在していた。
街を行き交う人々はお洒落に身を着飾り、笑顔と、商人達の客寄せの声が響く街。
そんな美しい街並に、不意に空からボトリと、真っ黒い液体が降り注いだ。
子供ほどの大きさのそれは、どす黒いスライムのような、粘着質の物体。
降り注いだそれは、びしゃりと地面に撃ち広がると、ジュウジュウ音と煙を立てて石畳へと張り付いた。
街の人々は何事かと円を成し、その液体を取り囲む。
こんなものは見たことが無い、何なのだろうと。
それは平和ゆえの好奇心でもあったのかもしれない。
不意に、液体の表面がびくりと波打った。
ボコボコと沸騰するかのように泡立ち、膨らみ、何かの形へと変わってゆく。
次第に、その液体が黒い動物のような姿へと成型されていったことに気づいた矢先――液状の生物が、鋭い歯を閃かせ、眼前の男に噛み付いていた。
街を貫く叫びと共に、飛び散る血液。
同時に、肉の焼けるような嫌な音と臭いが辺りに広がる。
その姿を目前にし、人々は弾かれたようにその場を駆け出していた。
騒ぎ、喚き、謎の液体から遠ざかろうと不恰好に駆ける住民達。
が、その行く手を遮るかのようにボトリ、ビチャリと、天から同じ液体が降り注ぐ。
否、それは側溝からぬるりと、はたまた建物の隙間からにゅるりと、街の至る所から現れる。
平和な世界に警鐘を鳴らすその存在に、街がパニックに陥るのには、そう時間は必要なかった。
リプレイ本文
●漆黒の猟犬
エスト隊と共にヴァリオスの商店街の一角を訪れたハンター達の前には、文字通りの地獄のような光景が広がっていた。
街の真っ只中に現れた歪虚に、人々は恐れ、慌て、錯乱し、阿鼻叫喚の渦に包まれる。
現れた液状の狂犬・ハウンドは、その熱し上がった体で地面を這い、時に躍動し、逃げ惑う人々の喉元へと歯牙を振るう。
血液がその体に飛び散っては、焼け付くような蒸発音と共に、嫌な臭いと立ち上る煙が、脳裏に強く焼きついた。
「うわ……パニック映画みたいだ」
あまりに現実離れをした光景を目にした時、人は何を思うのか。
そう口にした鳴沢 礼(ka4771)とっては、少なくとも空想のようだと言い聞かせる事でしか自身を保つ事が出来なかったのかもしれない。
「モンデュー! 確かに、リアルブルーのコズミックホラーを思わせる歪虚だね」
同じように口にしたイルム=ローレ・エーレ(ka5113)であるが、こちらはまた決意を新たにするようにレイピアの刃を抜き放ち、怪物へと対峙する。
「仕方ない。今一度、ボクは騎士となろう!」
その芝居染みても聞こえる宣言に、礼はハッとして刀の柄を握り締める。
「そうだ……これ、現実なんだよな。頑張らなきゃ、だよなっ!」
言いながら平手でパンと自分の頬を叩くと、決意を新たにした瞳で愛刀を鞘から抜き放っていた。
「そこを……退くのじゃ!」
大通りを貫くヴィルマ・ネーベル(ka2549)の雷撃が、市民へと飛び掛った猟犬の鼻先を掠める。
猟犬はどろりと体を液状にして石畳の上に着地すると、再び犬の形を成して彼女の方へと身を躍らせる。
「やたらめったら噛みつくだなんて……躾のなってない犬は、ちゃんと教育しないといけないわねぇ」
入れ替わりに前に出たクリス・クロフォード(ka3628)は、迫る猟犬の横面に拳を振りかざす。
ザワリと背筋を悪寒が走るも、それを何とか押しとめて流星の如き一撃を見舞う。
ビチリと、打ち入った感触はスライムを殴ったよう。
手応えがあるのか無いのか分からない中、拳を貫くような熱が体表を駆け巡った。
「……ッ!」
まるで、真っ赤に焼けた炭に手を突っ込んだかの如き痛覚。
打ち付けた拳と、飛び散った破片の降り注いだ身体。
服は焼け落ち、触れた肌は真っ赤に焼け爛れる。
「クリスさん!」
「回復ならまだ要らないわよ!」
その怪我を見て法具を差し向けた来未 結(ka4610)を見て、クリスは言葉でそれを制す。
「まだ大丈夫よ。こんな所で生命線を切らないで」
口にするも、空気に触れた腕が痛むのか顔を半分顰めるクリスの表情から、強がっているのは見ての通り。
「……分かりました、町の人を誘導している間、何とかよろしくお願いします!」
その様子を見て、結も逸る気持ちを抑えて指輪を付けた手のひらを胸元でぐっと握り締める。
「アンナ君。歪虚はボクらに任せて、避難誘導を頼むよ。地理はフィオーレ君が熟知しているだろうし、ピーノ君とバン君で敵の追撃を抑えて兎に角ここから離れるんだ」
「……分かった。すまないが、ここは任せた」
イルムの言葉に、アンナ=リーナ・エスト(kz0108)は手にしていた大型の魔導射杭を背中へ担ぐと、代わりに拳銃を抜き放って逃げ惑う市民達の先導に走る。
「あの、お気をつけてくださいね~」
ちょっと上目遣いでそう言葉を残すフィオーレに、イルムがニコリと微笑みで返すと、エスト隊は一丸となって大通りの先へと駆け抜けて行った。
それを見送って、眼前に蔓延る敵へと視線を戻したイルム。
カチャリと金属の擦れる音がして、思わずレイピアを握る手を、その柄ごと押さえた。
「手が震えるなんて何時ぶりだろう……それでも」
言い聞かせるように口にして、戸惑う市民の中へとその身を躍らせる。
「道の両脇を空けて、指示に従って逃げるんだ!」
先導するエスト隊を切っ先で指し、イルムは声を張り上げていた。
「押さないで、必ず皆を安全な場所へお連れしますから!」
恐々とする市民へと、声を掛けて誘導を手伝うアメリア・フォーサイス(ka4111)。
迫る猟犬の足元を凍弾で牽制し、僅かずつでも時間を稼ぐ。
「これだけの敵、一体どこから……降ってきたのを見た人は居ないのですか?」
「わからねぇ……少なくとも、この辺一体の空や地面から湧き出るように現れたんだ」
アメリアの問いに、血走った目でそう答えた男は、彼女の手を振り払うようにしてその場を逃げ出してゆく。
躓いて、つんのめりながらも、ただただ生にしがみ付くように逃げ惑う。
「せめてどこから来たのか分かれば、何か助けになると思うのだけれど……」
遠い視線で街を見渡しながら、縋るように空を見上げるアメリア。
広がる青空は地上の喧騒など知らず、晴天に澄み渡っていた。
●ローブの男を探して
商店街の喧騒に紛れ、街を駆ける4つの影。
キヅカ・リク(ka0038)、シェリル・マイヤーズ(ka0509)、超級まりお(ka0824)、リリア・ノヴィドール(ka3056)、4人のハンターは市民の避難とは別の任務を持って街を駆け抜けていた。
「マンマ・ミーア! ここまでのパニックは始めてだよ!」
目をぱちくりさせながら口にしたまりおに、リリアは落ち着いた様子で頷いて見せた。
「今までの事件に関連性があったとして……今回のは少し、異常なの」
これまで同盟都市で起きていた偶発的に見えた狂気事件は、その全てが個人やその周囲の狭いコミュニティを狙ったものであった。
それから見れば今回の事件はあまりに無差別。
まるで関わりも何も無い人達が、無作為に殺されている様に見える。
「謎の本……だったっけ。もしかしたら事件の根本に関係しているかもしれないっていうの」
「うん。ボクも現物を見たことはないのだけれど……『奇怪なる世界の人々』っていう本で、作者はキアーヴェ・A・ヴェクター」
リクの問いに、まりおがこくりと頷く。
「……であるなら、そのローブの人が作者であると見て良いのかな」
小さく、首を傾げるリク。
「分からない……でも、会ってみれば全てがわかる」
シェリルの中にあった確信めいた疑問が、その背中を後押しする。
「ボクは避難民の中に紛れていないか、探してくるよ。もしかしたら、今回の事件の“媒介者”も見つかるかもしれないし」
「それなら僕は、可能な限り上空から探してみる。仮にその人が謎の本の作者だとして、事件全体を眺められる高所に居るかもしれないしね」
雑踏の中へと消えてゆくまりおと対照的に、足元から発したマテリアルで空高く舞い上がるリク。
「あたしも、高い所を探してみるのよ。シェリルさんも来る?」
立ち並ぶ店の屋根の上を見上げて、リリアはシェリルへと問う。
シェリルはフードの奥に隠れた瞳を向けると、小さく首を横に振った。
「いくつか当たりはつけているから……そこから回ってみるつもり。逃げ遅れた人も、居るかもしれないし」
「分かったの。じゃあ、そっちはそっちで任せたのよ」
手を振って、掛けてゆくリリアを見送ってシェリルもまた、静かにその歩みを進めていた。
「狂気……逢いたい。ううん、逢わなきゃ」
フードを深く被り直し、その足を速めるシェリル。
弾みゆく吐息の先、口の端に僅かに、笑みを浮かべながら。
●狂乱の避難戦
「大丈夫っすから! 押し合わないで向こうへ避難してください!」
猟犬に対峙しながら、肩越しに背面の市民達へと声を荒げる礼。
市民達はその言葉を聞いているのか居ないのか、時折ヒステリックな叫び声を上げながらもただただ生きるために走り、もがく。
「誰かのシナリオに踊らされておる感覚……癪に触るのぅ」
しかめっ面でワンドを構えるヴィルマは、吐き捨てるように告げる。
「皆、生きるために必死なのじゃ。それを他人の都合で奪われるなど……あってはならぬことなのじゃ」
ことさら歪虚になんて――練り上げた火球を放ち、猟犬の群れに炸裂。
爆炎に巻き込まれた猟犬達は、その身をいくらか四散させるも思うほどのダメージは入っていないように見える。
「この熱相手じゃ、炎の攻撃はあまり効かないのかしらね……」
爆炎に呑まれた猟犬へと、クリスはすかさず拳を叩き込む。
「これでも、線や点の攻撃よりはマシのはずなんだけど……ねッ!」
叩き込んだ拳に伝わる痛覚は、もはや感覚にすらならず、真っ赤に焼けた拳を勢いのままに振りぬいた。
その一撃に、風船が割れたかのように身を四散させる猟犬。
弾け飛んだ漆黒の液体が、黒い霧となって霧散してゆく。
「やっと一体……あと何体、これを相手取れば言いのかしらね」
服のいたる所を焼け焦がしながらも、休む暇は無しとすぐに身構え敵に対峙する。
その背後から、放たれた魔術の石礫が地面を潜航するかのように液状と化して迫る歪虚へと打ち込まれていた。
「どこかに本体でもと思ったのじゃが……今の所それらしき影は見えんのぅ」
時折上空や周囲に視線を走らせながら、ヴィルマはくいと帽子の端を上げて視界を広げてみせる。
ハンター達の目的の大きい所は敵歪虚の撃破にあったが、これだけの数の歪虚、どこかに本体が居るのでは――その意識は常に切らす事は無かった。
「この辺は避難が済んだっすね! 戦線を下げて、抜けた歪虚を追うっすよ!」
「流石に、3人で押さえきるのは難しいのぅ……じゃが、抜かれたら追って、倒すだけじゃ」
礼の言葉に、意識を新たに頷くヴィルマ。
迫る歪虚を一時尻目に、ハンター達は避難誘導班を追うように、商店街を駆け抜けて行く。
一方、エスト隊を先頭に、ハンター達が扇動する住民避難の一団は商店街の外れへと行き着こうとしていた。
被害範囲が広いせいもあってか、まだ幾分気丈な者から、精神汚染らしきものを受けていると見受けられる者まで。避難民の様子は多岐に渡る。
「ここを抜ければ、一先ずこの街は出られるわ~」
土地勘のあるフィオーレの指差した先。
風景が商店街のそれからがらりと変わり、おそらく区画の区切りと思われる地点を目指してただただ、命からがら走る。
「追手は……見えません。撒けた、のでしょうか?」
背後を振り返りながら、心配そうに口にした結。
見たところ、追ってくるような歪虚の気配は無い。
「こんな時なんだけど、クリムゾンウェストも、それだけで十分奇怪な世界だと思うんですけどね」
「奇怪……あの、本の話かい?」
ぽつりと口にしたアメリアの言葉に、イルムが確かめるように言葉を返す。
「私がリアルブルー出身だからっていうのもあるのだろうけれど……それはもう、ファンタジーですよ、ファンタジー!」
「うーん、ボクからすればこれが日常だからなんともコメントし辛い所はあるのだけれどね。でも、その『本』が事件に関係しているのなら、それはこの世界でも奇怪な話だと思うよ」
ハンター達が意識を置く『本』の存在。
その意味は?
ローブの男の存在は?
この事件には、謎しか無い。
「避難している人達の中には居ない……か」
きょろりと、市民の雑踏の中から赤い帽子を覗かせて、まりおは小さくため息を吐く。
でも、ここに紛れていないならば一体どこから事件を見ているのか。
ローブの男は、どこかからこの事件の様子を見て『本』を書いているのだと……若しくは書いた本の様子を確かめているのだと、それがハンター達の見解。
既に商店街からも遠く離れ、人の目の届く所では無い。
諦めたのか、それとも――
「――なんだ、コイツは」
不意に、若い男の叫び声と共に銃声が響き渡った。
その戦闘音に、怯えるようにびくりと肩を震わせる避難民。
「どうした」
「いえ……これを見てください。宙に浮いていたので、撃ち落としたのですが」
引き金を引いた男、ピーノの傍に異変を感じて駆け寄る隊長のアンナ。
自然と、ハンター達もその場へと集まる。
「なにこれ……きもちわるいですね」
地面に転がっていたのは1個の目……そう、眼球だった。
誰の、いや何の?
ただ1つだけの眼球が、銃弾に打ち抜かれて破裂したように、そこにぶちまけられていた。
「これは――」
その姿を見て息をのんだのは、まりおただ一人。
彼女にはそう、確かにそれには見覚えがあったのだから。
「ごめん皆、ここをお願い! ボクは街に戻るよ!」
もしも予想が正しければ、全てが間違っていた。
まだ間に合うか……それだけを気がかりに、元来た道を引き返す。
「――皆さん、気をつけてください! 来ます!」
突然、叫んだ結の言葉を遮るように上空からびちゃりと地面に着弾する黒い液体。
それは周囲の街道からも寄せ集まるように姿を現し、獰猛な獣の姿へと身を変容させてゆく。
「敵は随分と良く効く鼻をお持ちのようだね」
苦笑気味にレイピアを構えなおすイルムに釣られ、避難民を囲むように陣を布くハンターとエスト隊。
「礼さん達の方でも歪虚が移動を始めたって……数を減らしながら、こっちに向かってるそうです!」
「ならそれまで、なんとしても耐えましょう……!」
トランシーバー片手に叫ぶアメリアに、呼応しベルの音を響かせる結。
乗せて奏でる結の歌声に、少しでも狂気に打ち勝つ勇気を得られれば良いと信じて――
●狂気の筆
「一体、どこに居るんだろう……」
屋根伝いにブーツを吹かし、上空から目を凝らすリク。
背の高い建物は一通り調べ終えた……が、既に街の避難も完了しているのか、人っ子一人どころか人の居た気配すらも無い。
「リリアさん、そっちの様子はどう?」
『こっちもサッパリなの……もしかしたら、街には居ないのかしら?』
同じく、リクよりは低い位置だが屋根伝いに街を見渡すリリア。
トランシーバー越しに響くその声には、その手応えの無さにか、やや覇気が薄く感じられた。
「一度合流して、どこまで探したか情報を共有しようか?」
それは暗に、打開策の相談をしようという意味も含まれていたのだが、受話口の奥から響くのは否定の声。
『ううん、これだけ見つからないなら、なおさら手分けした方が良いと思うのよ。あまり遠いとちょっと考えにくいけど……それでも、少し捜索範囲を広げてみるの』
「分かった。街の人達に合わせて移動している可能性もあるし、僕も皆が逃げた方向に足を伸ばしてみるよ」
そう言って、通信を切る。
人と話せたからか、リクは溜まっていた手応えなしの鬱憤も多少晴れた気分で、意気を新たに大きく深呼吸。
「がんばろう、こうしている間にも被害は広がっているかもしれないんだ」
温存のために一度屋根の上へと降り立ち、リリアと同じように屋根伝いに街を駆けた。
そんな時、不意にザーと電波の受信を示すトランシーバー。
「……なんだろう、シェリルさんかまりおさんかな?」
響くその音は、不自然に長く、通話ボタンをずっと押し続けているかのようで、一向に聞こえてこない相手の声に不信感を抱く。
『……やっぱり、ここに居た』
否、確かに響いた。
やや遠い位置からの、それはシェリルの声。
『……ね……と……いか』
同時に、もっと遠い位置から、何とか拾っているかのような音量で届く見知らぬ声。
そのただならぬ雰囲気に、リクは思わず足を止めて受話口を耳に当てがい耳を澄ます。
暫くの間。
否、コツリと靴が木製の床を叩く音が先から響く。
『おじさんは、歪虚で……狂気?』
『……どうしてここが分かったのかね?』
そこまで聞き取って、リクは弾かれたように屋根の上から飛び降りていた。
間違いない、シェリルが目標へ接触したのだ。
通信はおそらく、相手にばれない様に通信だけ入れたまま、その事を知らせようとしているに違いない。
どこだ、探さなければ。
たった独りで接触するのは、あまりに危険過ぎるのだから――
僅かに時を戻し、シェリルは静けさの包む商店街を独り歩いていた。
きょろりと見渡す視線でとある『看板』を見かけると、躊躇う事無くその門を開け放つ。
彼女が訪れたのは街にある酒場。
やや陰鬱とした雰囲気を漂わせる、古く、この街にしてはあまり綺麗な方ではない店だった。
扉を開けた瞬間に、ザワリと首の後ろの毛が逆立つのを感じる。
「見つけた……やっぱり、ここに居た」
瞳に飛び込んで来た真っ白な衣装を前に、ポケットに突っ込んだ手でレシーバーの通話ボタンを押す。
眼前に目した青年は、真っ白な衣装――シェリルの目からすれば、アラブ風の装束を纏い――誰も居ない酒場のカウンターに腰掛けて熱心にペンを走らせていた。
手元には開かれた大きな書物。
走らせる手元に狂いは無く、また、迷いも無い。
「――今、良い所でね。ちょっと、待ってくれないか」
彼はペンを走らせる手も、視線も、書物から離さず、親しい友人にでも会ったかのような口調だけでそう告げた。
一見、シェリルの目からは彼に敵意も、そして歪虚のそれらしい陰鬱とした負のマテリアルも感じはしない。
彼女はそれに言葉は返さず、コツリコツリと、青年の下へ向かってその歩みを進めてゆく。
「キアーヴェ・A・ヴェクター……? おじさんは、歪虚で……狂気?」
単刀直入に、そう問うたシェリル。
その問いに、青年は一瞬ピタリとその筆を止めるも、すぐに執筆を再開する。
「……どうしてここが分かったのかね?」
相変わらずに視線は合わせず、落ち着いた口調で質問に質問で返す青年。
「ベッペさん……あの人は、おじさんの目から私を見ていた。そのベッペさんが、歪虚の目と繋がっていたなら、おじさんもまた同じように繋がっていたんじゃないかなって……そうしたら、きっと静かな場所。事件の喧騒を避けて、酒場とかに居るんじゃないかって」
「なるほど、賢い子だ。いや、私のミスとも言えるがね」
シェリルの答えに、彼は感心したように笑みを浮かべると、そこで初めて顔を上げてぱたりと本の表紙を閉じた。
横顔を隠していた布がはだけ、その顔が露になる。
見据えたその瞳は、先の被害者がそうであったように充血で白目が真っ赤に染まっており、視線はどこを見るでもなく虚ろで、まるで生気を宿しては居なかった。
「その知恵に敬意を表して答えよう――私はアルフレッド。アルフレッド・ヴェクターと言う」
「アルフレッド・ヴェクター……A・ヴェクター……?」
シェリルの言葉に、アルフレッドは「ふむ」と小さく鼻を鳴らす。
同時に瞳の充血が引いてゆき、瞳に生気も戻り、不衛生ながらも整ったその表情が露となった。
「筆を執った際には“キアーヴェ”と名乗る事もあるよ」
繋がったその答えに、シェリルの鼓動はドクリと高鳴り、身体が熱を持ったように熱くなるのを確かに感じていた。
●媒介者
避難先にも現れた猟犬へと、ハンター達は対応に追われていた。
エスト隊も協力を惜しまないが、下手に隊列を崩すと避難民達の方へと抜けてしまう可能性がある今、あまりおおっぴらに動く訳にも行かない。
近づいてきた敵を切り返す、一進の無い一退ばかりの攻防。
「どこか、安全に退避できる場所は無いんですか……!?」
猟犬の出鼻を挫くようにライフルの轟音を響かせるアメリアが、何かに縋るようにそう口走る。
敵の足元で弾けた弾丸がその前脚を零下に包み込み、猟犬はもんどり打つように地面を転げた。
「安全って言われても~、屋内じゃどこかしらからか入ってこられちゃうでしょ~?」
この辺には一番土地勘のあるフィオーレであるが、敵の特性から考えれば篭城は得策ではない。
流石にそれくらいは彼女も分かっているようで、退避場所の選定に頭を悩ませる。
「退く場所が無いなら、ここで全て倒すしかねぇだろ!」
「悔しいが、今回ばかりはキミの意見に賛成だ……隊長、攻めなければいずれ誰も守れなくなります」
エスト隊の男子勢は、この逆境に完全に攻勢を示し、アンナへと指示を求める。
アンナは僅かにその表情を曇らせ、思案する。
時間が無いのは分かっているが、それでも彼女もまた若いのだ。
大勢の命を天秤に掛けられて、その決を下すには幾ばくかの迷いも生じていた。
「――何度でも言うぞ、そこを退くのじゃ!」
その時、翔る紫電が戦場を貫いた。
全身を雷撃で貫かれて奇声を発する猟犬に、拳と刃が同時に叩き込まれる。
「待たせて悪かったわね……街の歪虚を駆逐するのに、思ったより時間が掛かっちゃってね」
「遅れた分は、働いて返すっすよ!」
雷撃の残光をワンドの先に灯すヴィルマの前で、敵陣へと踊り掛かったクリスと礼が猟犬の一体を仕留める。
その姿を確認するや否や、アンナは略帽を正して声を張り上げた。
「フィオーレとピーノは避難民の前方で支援を! バンは私と共に打って出る! ハンターも力を貸してくれ!」
「「「ラジャッ!」」」
指令と共に即座に行動に移るのは流石の軍か、彼女の指示通りにフィオーレとピーノの2人はその場に残り、アンナとバンは敵陣へと突貫する。
「皆さん、一度こちらに集まってください。回復の術を展開します!」
合流した3人へと、治癒の術を施す結。
遠目では分からなかったが、近くで見た彼らの体は既に多くの傷と火傷に包まれていた。
「正直な話をすれば、もう二度とあんなのと対峙したく無いっすよ……けど、独りじゃないんだ!」
僅かながらでも傷を癒し、猟犬の歯牙へと刃を振るう礼。
「そう……皆が居る。だから動け。動かないと死ぬ。動くしかないんだから……!」
アメリアは言い聞かせるように口にして、深く息を吸い込み、そして吐き出す。
沈みゆく意識の中で戦意を新たに、銃口を突きつける。
フィオーレに加え、ピーノと3人、後方からの銃弾の雨がハウンドの群に突き刺さった。
「バン君、キミの勇敢さなら恐怖を振り払える。市民達を守ってね」
「当然だ。ただ殺して破壊するだけのバケモン共と違って、背負ったモンが違うんだよ!」
口にしながら、アンナの隣で大声を上げて猟犬達を威嚇しながら、大振りで下から太刀を振り上げる。
巻き上がる戦塵と共に、真っ二つに切り上げられる歪虚。
と同時に――アンナのスカートがひらりと風に舞って捲れ上がった。
「ブッ――」
思わず吹いたのは目を見張って戦況分析に努めていたピーノと、礼と……まあ、健全な青少年の方々。
「何をしている……こんな時に!」
「ち、違うって、違います! リクの野郎に『狂気に効くまじないだ』って言われたからよ!」
顔の上半分に影を落としながら魔導射杭を自らに向けて構えるアンナを前に、思わず両手を上げて震えるバン。
「……まあ、くだらなすぎて確かに狂気なんてどうでも良くなったかもしれないわね」
含むように小さく笑いながら、クリスの拳が唸りを上げて猟犬を殴り上げる。
その言葉に、アンナはどこか腑に落ちない様子ではあったが、飛び掛った歪虚をその射杭の銃床で殴り返すと、そのまま切っ先をタール色の体へと叩き付ける。
瞬間、ゼロ距離から放たれた機導砲の輝きと共に、歪虚の姿は飛散・蒸発していた。
「まあいい、今はその働きぶりで返して貰う」
「は、はいっ!」
背中から放たれる希薄に、思わず敬礼で返すバン。
「個人的には役得と言った所だけど、女性と歪虚の扱いには気をつけるんだね、バン君」
こちらもまたクスリと笑みを浮かべながら駆けるイルムが、強烈な踏み込みと共に、回避行動を取ろうとした敵の動きを遮るようにして、その刃を閃かせる。
そのまま飛び散る体液を掻い潜り、イルムは一足飛びのく。
「ベストなタイミングじゃ……打ち込むぞ!」
再び貫くヴィルマの紫電が、イルムが押さえ込んだ敵を貫きその先の個体までを焼き上げる。
手前の1体は雷撃と同時に霧散するも、その霧の向こうから別の個体が火の輪を潜るが如く、戦場を飛び出していた。
「しまった、抜かれた……!」
叫ぶクリスの視線の先に、迫る歪虚に応戦する後衛の3人の姿が映りこむ。
「ダメ……勢いが!」
その破竹の勢いに気圧されて、完全に手元が狂っているフィオーレ。
猟犬はその勢いのままに、避難民の群れへと飛び掛る。
「させない……!」
迫る牙を、銃の腹で遮り、押さえるアメリア。
ガチリと、銃を咥え込む敵に覆いかぶされながら、必至に逃れようともがく。
「――だ、ダメだ。こんな所には居られない……俺は逃げるぞ!」
不意に、間近でその様子を目にした市民の一人が震える声でそう叫んでいた。
「どけ! 俺は生きる、生きるんだぁ!」
傍の子供を押しのけ、集団から逃げ出す男。
それを見て、弾かれたように人々はその場から駆け出していた。
「邪魔だ! 俺の道を塞ぐな!」
「生きたい生きたい生きたい生きたい生きたいぃぃぃぃぃ!!!」
「お願い、この子だけでも逃がしてあげてください!!」
周囲の人を押して、時に引いて、泣き叫び、喚き、ただ己が、親しい者が生きるためにすべてを厭わない。
それは一重に、別の意味での地獄絵図。
「皆さん、落ち着いてください! 必ず、私達が助けてみせます!」
ベルを鳴らしながら叫ぶ結であったが、パニックの喧騒を前に声は届かず、変わりに血走った瞳達が視線の先に映っていた。
「まてよ、媒介者ってまさか……ウソだよな?」
その様子に思わずその場に立ち竦む礼。
必ず、今回の事件の媒介者、若しくは本体が居るハズだと。
それをなんとかすれば事件は解決するハズだと、そう思っていた。
逃げ出した人々が、一人、また一人と、防衛網をすり抜けた歪虚に噛み付かれ、引き裂かれる。
運よく逃げ出せる者も何名か居るが、折り重なって倒れていくその喧騒を前に、もはや秩序などは存在していなかった。
「敵の数に、この惨状……まさか商店街の人、皆が媒介者だとでも言うのかえ?」
ヴィルマの言葉は、ここに居た誰もが辿り着き、そして絶望した答え。
その真偽は定かでは無いが賽は既に投げられてしまった。
必死の言葉も届かぬこの喧騒を止める術は、もはや無い。
「あ、諦めないぜ……歪虚を倒しきれば、きっと!」
いつかそうしたように、パンと顔を平手で打って気持ちを新たにする礼。
自分達が絶望していては、誰も助からない。
「無限に沸くわけじゃないことを、切に願うわ……」
縦横無尽に襲い来る猟犬達を前にして、クリスの脳裏の最悪のシナリオは是が非でも避けたい唯一の希望であった。
●この奇怪なる世界の人々へ
「――すまないが、私はこの続きを書かねばならないのでね。キミの言うとおり、またどこか静かな場所を探すとするよ。なかなかこれが、面白い局面なのでね」
言いながら、片目だけを充血で真っ赤に染めながら立ち上がるキアーヴェ。
「逃がさない――」
逃すまいとキアーヴェへと向かって放たれるシェリルの手裏剣。
が、その刃は開かれた本の間から伸び出した、甲羅を纏った巨大な腕によって遮られる。
「おや……聡明ではあるが、その気性は幾分とせっかちなようだね」
キアーヴェは吸い込まれるように本の中へと消えてゆく甲腕の奥で細くにこやかな笑みを浮かべる。
「――シェリルさん!」
不意にドアが蹴破られ、狭い店内に飛び込んでくる3つの影。
「大丈夫!? 怪我は……無いみたいだね。よかった」
真っ先に飛び込んで来たリリアに続いて来たリクは、シェリルの様子を確かめるとホッと一息。
そして、眼前のキアーヴェへと視線を向ける。
「キアーヴェ・A・ヴェクター……随分と探したんだよ、その本!」
言いながら、息を吐かぬ動きで彼の背後を取るまりお。
(いい、せーので――)
アイコンタクトでタイミングを計るも、それを待たずにリリアが瞬時に動き出していた。
「もしも人間なら……ごめんなさい、なの!」
問答無用で唸りを上げて放ったチャクラムが、本を持つその手へと迫る。
仕方ないと、1テンポ遅れて床を蹴ったまりおの刃が強烈な光を放ち、手にした本へと振り下ろされる。
「ふむ……そういうのはあまり得意ではないのだが」
キアーヴェは左手の指先に緑色に輝く炎を灯すと、そのまま床へとぽとりと落とす。
瞬間、自身を中心に渦を描くようにして円形に広がった火種から、巨大な炎の柱が立ち上った。
「あぶな……っ!?」
咄嗟に身を翻して退避し、難を逃れるまりお。
リリアの円刃もまた、その勢いに弾かれて床を転がった。
「……一体何なのよ貴方は。そして、何なのよその本は」
口惜しそうにしながらも、意地を振り絞って問うリリア。
「おや、彼女の仕込んだ通信機で聞いていなかったのかな。私はアルフレッド。キアーヴェでも構わないよ。そして――そう言えば、この本の事は語っていなかったね」
言いながら、分厚い本の拍子が表紙が見えるように掲げ上げるキアーヴェ。
硬い皮の切れ端を繋ぎ合わせたような不気味ながらも荘厳な表紙に、緑の火が灯るように輝く文字――『奇怪なる世界の人々』。
「それが、例の本なのね……?」
「うん、僕も実物を見るのは初めてだけど……」
リリアの問いに、まりおは小さく頷き返す。
「さて……あまり長居もしていられないな。たった今、良いフレーズが頭の中に浮かんでいるのだよ」
言いながらキアーヴェは再び炎を足元へと落とすと、火種は店内を四方八方に駆け巡り、ゴウと言う音と共に建物が炎に包まれる。
その様子を見届けて男が本を開くと、その紙面にそっと手を触れる。
「させるか……ッ!」
怪しげな動作を前に、リクが構えた魔導槍の先から放たれた火炎。
咄嗟に回避したキアーヴェの足の先が、僅かに炎に包まれる。
「ハンターと言うのは、初対面の相手に随分と暴力的なものだね」
「少なくとも味方で無い事が間違いない相手なら、躊躇した方が負けだ」
睨みつけるような視線で真っ赤に染まった眼を射抜くように見据えるリクに、キアーヴェは再び小さく鼻を鳴らした。
「それなら私にも、手はあると言うものだ」
パタリと本を閉じるキアーヴェ。同時に、燃え盛る壁や天井の木目から、ずるりと黒い液体が染み出してくる。
それらはすぐに猟犬の形を成すと、ハンター達の前へと狂おしい唸り声を上げてゆく手を遮るように対峙する。
「では、私は失礼するよ。増えすぎる登場人物は物語に幅は利かせるが、厚みを損なう。機会があれば、また会おう」
先ほどの甲腕で、燃え盛り脆くなった壁をひと思いにぶち壊し、外への道を作り出すキアーヴェ。
が、炎と猟犬を縫って駆けたシェリルがその懐へと迫りゆく。
振り下ろした刃は、そのまま甲腕に受け止められるも、意を決したように声を発していた。
「この間の質問の答え……誰かの結末なら、変えてあげたいと思う。自分のは……何にしても…まだ終わらせない」
「そうか、なるほど」
「おじさんの結末は……? 怪異の種を蒔いた先に、何があるの……?」
「物語の結末を先に問うというのは、いささか情緒を欠いているのではないかな?」
力を込めてなぎ払われた甲腕に、その小さな体はふわりと宙を舞う。
何とか無事に着地して、シェリルはすぐに視線を彼の元へと向けるも、その姿は既に差し込む外の光の先へと進んでしまっていた。
「人は皆その本質を隠し、偽り、生きている。それは意識的なものであっても、無意識であってもだ」
男はバサリと衣服に燃え移った火の粉を払うと、言い残すように口を開く。
「果たしてその瞳の奥の輝きは、キミ達のどのような本質を現しているのだろうね」
「待って――」
なおも追おうとしたシェリルの前を遮るように猟犬が飛び出し、リクが彼女の肩を掴む。
「ダメだ。今はこの歪虚達を倒して、早くここから離脱しないと……僕たちまで丸こげになっちゃうよ」
言いながら首を横に振るリクを前に、口惜しそうに頷くシェリル。
焼け落ちてゆく店の中で、彼らの瞳の中に灯る輝きは一体何を映し出して居たのだろうか――
●プロローグ
「ごめんなさいなの、逃がしてしまったの……」
合流し、事の経緯を伝えた4人は焼け落ちた酒場の前でエスト隊始め他のメンバー達との合流を果たしていた。
「こちらも似たようなものです……守れなかった。すぐ傍に、目の前に居たのに……」
結の握り締めるベルが悲しげに音を奏でる。
混乱の末、何とか歪虚の全滅を確認したハンター達であったが、あのパニックの中で失った犠牲も多く、一概に万事成し遂げたとは決して口に出来ない様子であった。
「後の始末は我々同盟軍が引き受ける……今回の急な要請に強力して貰って、本当に感謝している」
小さく頭を下げるアンナを前に、小さく首を横に振るハンター達。
「それで、男の方はどうだったのじゃ……?」
「それが、なんとも言えないの。ただ、あの本がカギになっているとは思うの」
ヴィルマの問いにありったけの事を話すリリア。
「今回の僕の見立ては間違ってたみたいだけど……でも、あの本がまだ完成途中って言う事は確か。目的は分からないけれど、あれは完成させちゃいけないんだと思うよ」
捜し求めた本を眼前にし、一歩届かなかったまりおには口惜しそうに唇を噛み締める。
ようやく繋がりかけた事件の真相に逃げられ、その後悔は人一倍であった。
「それで、結局……敵なんすかね? 歪虚?」
礼の疑問は、おそらくこの場に居る全員が暗に抱いていたもの。
彼が事件の首謀者であるなら敵である事は間違いないのかもしれないが、その正体は結局の所分からずじまいであったからである。
「僕も整理がつききってなくって申し訳ないのだけれど……少なくとも、一見して歪虚では無いようには思えた。今まで出会ってきた言葉を解す歪虚と違って、その陰鬱な負のマテリアルは一切感じなかったんだ」
記憶を思い返すように口にしたリク。
「ただ、放った炎の魔術からは確かにそれを感じていた……だからこそ混乱しているんだ。彼が何者なのか」
歪虚なのか――人間なのか。
直接的な言葉はあえてぼかして、そう皆に説明をしていた。
口にした所で、不安を煽るだけでメリットは無いと。
それが、自ら自問自答したリクの最終的な判断であった。
「私……病院へ行ってきます。一度でも意識を共有していたベッペさんなら、もしかしたら何か分かる事があるのかもしれないですし」
そう、強い意志で言った結にアンナは病院の地図を手渡し、自分の名前を使うと良いと口添える。
闇雲の中でありながらも僅かな可能性にもがくしか無いと、暗に彼女は示していた。
数々の狂気と絶望の中でも道を見つけ続ける事が、人類の唯一の希望。
ヴォイドの襲撃を受けたあのコロニーの事件の中でも、失う事が無かった気持ち。
――諦めないこと。
きっとその先にも、物語は続いていくのだから。
エスト隊と共にヴァリオスの商店街の一角を訪れたハンター達の前には、文字通りの地獄のような光景が広がっていた。
街の真っ只中に現れた歪虚に、人々は恐れ、慌て、錯乱し、阿鼻叫喚の渦に包まれる。
現れた液状の狂犬・ハウンドは、その熱し上がった体で地面を這い、時に躍動し、逃げ惑う人々の喉元へと歯牙を振るう。
血液がその体に飛び散っては、焼け付くような蒸発音と共に、嫌な臭いと立ち上る煙が、脳裏に強く焼きついた。
「うわ……パニック映画みたいだ」
あまりに現実離れをした光景を目にした時、人は何を思うのか。
そう口にした鳴沢 礼(ka4771)とっては、少なくとも空想のようだと言い聞かせる事でしか自身を保つ事が出来なかったのかもしれない。
「モンデュー! 確かに、リアルブルーのコズミックホラーを思わせる歪虚だね」
同じように口にしたイルム=ローレ・エーレ(ka5113)であるが、こちらはまた決意を新たにするようにレイピアの刃を抜き放ち、怪物へと対峙する。
「仕方ない。今一度、ボクは騎士となろう!」
その芝居染みても聞こえる宣言に、礼はハッとして刀の柄を握り締める。
「そうだ……これ、現実なんだよな。頑張らなきゃ、だよなっ!」
言いながら平手でパンと自分の頬を叩くと、決意を新たにした瞳で愛刀を鞘から抜き放っていた。
「そこを……退くのじゃ!」
大通りを貫くヴィルマ・ネーベル(ka2549)の雷撃が、市民へと飛び掛った猟犬の鼻先を掠める。
猟犬はどろりと体を液状にして石畳の上に着地すると、再び犬の形を成して彼女の方へと身を躍らせる。
「やたらめったら噛みつくだなんて……躾のなってない犬は、ちゃんと教育しないといけないわねぇ」
入れ替わりに前に出たクリス・クロフォード(ka3628)は、迫る猟犬の横面に拳を振りかざす。
ザワリと背筋を悪寒が走るも、それを何とか押しとめて流星の如き一撃を見舞う。
ビチリと、打ち入った感触はスライムを殴ったよう。
手応えがあるのか無いのか分からない中、拳を貫くような熱が体表を駆け巡った。
「……ッ!」
まるで、真っ赤に焼けた炭に手を突っ込んだかの如き痛覚。
打ち付けた拳と、飛び散った破片の降り注いだ身体。
服は焼け落ち、触れた肌は真っ赤に焼け爛れる。
「クリスさん!」
「回復ならまだ要らないわよ!」
その怪我を見て法具を差し向けた来未 結(ka4610)を見て、クリスは言葉でそれを制す。
「まだ大丈夫よ。こんな所で生命線を切らないで」
口にするも、空気に触れた腕が痛むのか顔を半分顰めるクリスの表情から、強がっているのは見ての通り。
「……分かりました、町の人を誘導している間、何とかよろしくお願いします!」
その様子を見て、結も逸る気持ちを抑えて指輪を付けた手のひらを胸元でぐっと握り締める。
「アンナ君。歪虚はボクらに任せて、避難誘導を頼むよ。地理はフィオーレ君が熟知しているだろうし、ピーノ君とバン君で敵の追撃を抑えて兎に角ここから離れるんだ」
「……分かった。すまないが、ここは任せた」
イルムの言葉に、アンナ=リーナ・エスト(kz0108)は手にしていた大型の魔導射杭を背中へ担ぐと、代わりに拳銃を抜き放って逃げ惑う市民達の先導に走る。
「あの、お気をつけてくださいね~」
ちょっと上目遣いでそう言葉を残すフィオーレに、イルムがニコリと微笑みで返すと、エスト隊は一丸となって大通りの先へと駆け抜けて行った。
それを見送って、眼前に蔓延る敵へと視線を戻したイルム。
カチャリと金属の擦れる音がして、思わずレイピアを握る手を、その柄ごと押さえた。
「手が震えるなんて何時ぶりだろう……それでも」
言い聞かせるように口にして、戸惑う市民の中へとその身を躍らせる。
「道の両脇を空けて、指示に従って逃げるんだ!」
先導するエスト隊を切っ先で指し、イルムは声を張り上げていた。
「押さないで、必ず皆を安全な場所へお連れしますから!」
恐々とする市民へと、声を掛けて誘導を手伝うアメリア・フォーサイス(ka4111)。
迫る猟犬の足元を凍弾で牽制し、僅かずつでも時間を稼ぐ。
「これだけの敵、一体どこから……降ってきたのを見た人は居ないのですか?」
「わからねぇ……少なくとも、この辺一体の空や地面から湧き出るように現れたんだ」
アメリアの問いに、血走った目でそう答えた男は、彼女の手を振り払うようにしてその場を逃げ出してゆく。
躓いて、つんのめりながらも、ただただ生にしがみ付くように逃げ惑う。
「せめてどこから来たのか分かれば、何か助けになると思うのだけれど……」
遠い視線で街を見渡しながら、縋るように空を見上げるアメリア。
広がる青空は地上の喧騒など知らず、晴天に澄み渡っていた。
●ローブの男を探して
商店街の喧騒に紛れ、街を駆ける4つの影。
キヅカ・リク(ka0038)、シェリル・マイヤーズ(ka0509)、超級まりお(ka0824)、リリア・ノヴィドール(ka3056)、4人のハンターは市民の避難とは別の任務を持って街を駆け抜けていた。
「マンマ・ミーア! ここまでのパニックは始めてだよ!」
目をぱちくりさせながら口にしたまりおに、リリアは落ち着いた様子で頷いて見せた。
「今までの事件に関連性があったとして……今回のは少し、異常なの」
これまで同盟都市で起きていた偶発的に見えた狂気事件は、その全てが個人やその周囲の狭いコミュニティを狙ったものであった。
それから見れば今回の事件はあまりに無差別。
まるで関わりも何も無い人達が、無作為に殺されている様に見える。
「謎の本……だったっけ。もしかしたら事件の根本に関係しているかもしれないっていうの」
「うん。ボクも現物を見たことはないのだけれど……『奇怪なる世界の人々』っていう本で、作者はキアーヴェ・A・ヴェクター」
リクの問いに、まりおがこくりと頷く。
「……であるなら、そのローブの人が作者であると見て良いのかな」
小さく、首を傾げるリク。
「分からない……でも、会ってみれば全てがわかる」
シェリルの中にあった確信めいた疑問が、その背中を後押しする。
「ボクは避難民の中に紛れていないか、探してくるよ。もしかしたら、今回の事件の“媒介者”も見つかるかもしれないし」
「それなら僕は、可能な限り上空から探してみる。仮にその人が謎の本の作者だとして、事件全体を眺められる高所に居るかもしれないしね」
雑踏の中へと消えてゆくまりおと対照的に、足元から発したマテリアルで空高く舞い上がるリク。
「あたしも、高い所を探してみるのよ。シェリルさんも来る?」
立ち並ぶ店の屋根の上を見上げて、リリアはシェリルへと問う。
シェリルはフードの奥に隠れた瞳を向けると、小さく首を横に振った。
「いくつか当たりはつけているから……そこから回ってみるつもり。逃げ遅れた人も、居るかもしれないし」
「分かったの。じゃあ、そっちはそっちで任せたのよ」
手を振って、掛けてゆくリリアを見送ってシェリルもまた、静かにその歩みを進めていた。
「狂気……逢いたい。ううん、逢わなきゃ」
フードを深く被り直し、その足を速めるシェリル。
弾みゆく吐息の先、口の端に僅かに、笑みを浮かべながら。
●狂乱の避難戦
「大丈夫っすから! 押し合わないで向こうへ避難してください!」
猟犬に対峙しながら、肩越しに背面の市民達へと声を荒げる礼。
市民達はその言葉を聞いているのか居ないのか、時折ヒステリックな叫び声を上げながらもただただ生きるために走り、もがく。
「誰かのシナリオに踊らされておる感覚……癪に触るのぅ」
しかめっ面でワンドを構えるヴィルマは、吐き捨てるように告げる。
「皆、生きるために必死なのじゃ。それを他人の都合で奪われるなど……あってはならぬことなのじゃ」
ことさら歪虚になんて――練り上げた火球を放ち、猟犬の群れに炸裂。
爆炎に巻き込まれた猟犬達は、その身をいくらか四散させるも思うほどのダメージは入っていないように見える。
「この熱相手じゃ、炎の攻撃はあまり効かないのかしらね……」
爆炎に呑まれた猟犬へと、クリスはすかさず拳を叩き込む。
「これでも、線や点の攻撃よりはマシのはずなんだけど……ねッ!」
叩き込んだ拳に伝わる痛覚は、もはや感覚にすらならず、真っ赤に焼けた拳を勢いのままに振りぬいた。
その一撃に、風船が割れたかのように身を四散させる猟犬。
弾け飛んだ漆黒の液体が、黒い霧となって霧散してゆく。
「やっと一体……あと何体、これを相手取れば言いのかしらね」
服のいたる所を焼け焦がしながらも、休む暇は無しとすぐに身構え敵に対峙する。
その背後から、放たれた魔術の石礫が地面を潜航するかのように液状と化して迫る歪虚へと打ち込まれていた。
「どこかに本体でもと思ったのじゃが……今の所それらしき影は見えんのぅ」
時折上空や周囲に視線を走らせながら、ヴィルマはくいと帽子の端を上げて視界を広げてみせる。
ハンター達の目的の大きい所は敵歪虚の撃破にあったが、これだけの数の歪虚、どこかに本体が居るのでは――その意識は常に切らす事は無かった。
「この辺は避難が済んだっすね! 戦線を下げて、抜けた歪虚を追うっすよ!」
「流石に、3人で押さえきるのは難しいのぅ……じゃが、抜かれたら追って、倒すだけじゃ」
礼の言葉に、意識を新たに頷くヴィルマ。
迫る歪虚を一時尻目に、ハンター達は避難誘導班を追うように、商店街を駆け抜けて行く。
一方、エスト隊を先頭に、ハンター達が扇動する住民避難の一団は商店街の外れへと行き着こうとしていた。
被害範囲が広いせいもあってか、まだ幾分気丈な者から、精神汚染らしきものを受けていると見受けられる者まで。避難民の様子は多岐に渡る。
「ここを抜ければ、一先ずこの街は出られるわ~」
土地勘のあるフィオーレの指差した先。
風景が商店街のそれからがらりと変わり、おそらく区画の区切りと思われる地点を目指してただただ、命からがら走る。
「追手は……見えません。撒けた、のでしょうか?」
背後を振り返りながら、心配そうに口にした結。
見たところ、追ってくるような歪虚の気配は無い。
「こんな時なんだけど、クリムゾンウェストも、それだけで十分奇怪な世界だと思うんですけどね」
「奇怪……あの、本の話かい?」
ぽつりと口にしたアメリアの言葉に、イルムが確かめるように言葉を返す。
「私がリアルブルー出身だからっていうのもあるのだろうけれど……それはもう、ファンタジーですよ、ファンタジー!」
「うーん、ボクからすればこれが日常だからなんともコメントし辛い所はあるのだけれどね。でも、その『本』が事件に関係しているのなら、それはこの世界でも奇怪な話だと思うよ」
ハンター達が意識を置く『本』の存在。
その意味は?
ローブの男の存在は?
この事件には、謎しか無い。
「避難している人達の中には居ない……か」
きょろりと、市民の雑踏の中から赤い帽子を覗かせて、まりおは小さくため息を吐く。
でも、ここに紛れていないならば一体どこから事件を見ているのか。
ローブの男は、どこかからこの事件の様子を見て『本』を書いているのだと……若しくは書いた本の様子を確かめているのだと、それがハンター達の見解。
既に商店街からも遠く離れ、人の目の届く所では無い。
諦めたのか、それとも――
「――なんだ、コイツは」
不意に、若い男の叫び声と共に銃声が響き渡った。
その戦闘音に、怯えるようにびくりと肩を震わせる避難民。
「どうした」
「いえ……これを見てください。宙に浮いていたので、撃ち落としたのですが」
引き金を引いた男、ピーノの傍に異変を感じて駆け寄る隊長のアンナ。
自然と、ハンター達もその場へと集まる。
「なにこれ……きもちわるいですね」
地面に転がっていたのは1個の目……そう、眼球だった。
誰の、いや何の?
ただ1つだけの眼球が、銃弾に打ち抜かれて破裂したように、そこにぶちまけられていた。
「これは――」
その姿を見て息をのんだのは、まりおただ一人。
彼女にはそう、確かにそれには見覚えがあったのだから。
「ごめん皆、ここをお願い! ボクは街に戻るよ!」
もしも予想が正しければ、全てが間違っていた。
まだ間に合うか……それだけを気がかりに、元来た道を引き返す。
「――皆さん、気をつけてください! 来ます!」
突然、叫んだ結の言葉を遮るように上空からびちゃりと地面に着弾する黒い液体。
それは周囲の街道からも寄せ集まるように姿を現し、獰猛な獣の姿へと身を変容させてゆく。
「敵は随分と良く効く鼻をお持ちのようだね」
苦笑気味にレイピアを構えなおすイルムに釣られ、避難民を囲むように陣を布くハンターとエスト隊。
「礼さん達の方でも歪虚が移動を始めたって……数を減らしながら、こっちに向かってるそうです!」
「ならそれまで、なんとしても耐えましょう……!」
トランシーバー片手に叫ぶアメリアに、呼応しベルの音を響かせる結。
乗せて奏でる結の歌声に、少しでも狂気に打ち勝つ勇気を得られれば良いと信じて――
●狂気の筆
「一体、どこに居るんだろう……」
屋根伝いにブーツを吹かし、上空から目を凝らすリク。
背の高い建物は一通り調べ終えた……が、既に街の避難も完了しているのか、人っ子一人どころか人の居た気配すらも無い。
「リリアさん、そっちの様子はどう?」
『こっちもサッパリなの……もしかしたら、街には居ないのかしら?』
同じく、リクよりは低い位置だが屋根伝いに街を見渡すリリア。
トランシーバー越しに響くその声には、その手応えの無さにか、やや覇気が薄く感じられた。
「一度合流して、どこまで探したか情報を共有しようか?」
それは暗に、打開策の相談をしようという意味も含まれていたのだが、受話口の奥から響くのは否定の声。
『ううん、これだけ見つからないなら、なおさら手分けした方が良いと思うのよ。あまり遠いとちょっと考えにくいけど……それでも、少し捜索範囲を広げてみるの』
「分かった。街の人達に合わせて移動している可能性もあるし、僕も皆が逃げた方向に足を伸ばしてみるよ」
そう言って、通信を切る。
人と話せたからか、リクは溜まっていた手応えなしの鬱憤も多少晴れた気分で、意気を新たに大きく深呼吸。
「がんばろう、こうしている間にも被害は広がっているかもしれないんだ」
温存のために一度屋根の上へと降り立ち、リリアと同じように屋根伝いに街を駆けた。
そんな時、不意にザーと電波の受信を示すトランシーバー。
「……なんだろう、シェリルさんかまりおさんかな?」
響くその音は、不自然に長く、通話ボタンをずっと押し続けているかのようで、一向に聞こえてこない相手の声に不信感を抱く。
『……やっぱり、ここに居た』
否、確かに響いた。
やや遠い位置からの、それはシェリルの声。
『……ね……と……いか』
同時に、もっと遠い位置から、何とか拾っているかのような音量で届く見知らぬ声。
そのただならぬ雰囲気に、リクは思わず足を止めて受話口を耳に当てがい耳を澄ます。
暫くの間。
否、コツリと靴が木製の床を叩く音が先から響く。
『おじさんは、歪虚で……狂気?』
『……どうしてここが分かったのかね?』
そこまで聞き取って、リクは弾かれたように屋根の上から飛び降りていた。
間違いない、シェリルが目標へ接触したのだ。
通信はおそらく、相手にばれない様に通信だけ入れたまま、その事を知らせようとしているに違いない。
どこだ、探さなければ。
たった独りで接触するのは、あまりに危険過ぎるのだから――
僅かに時を戻し、シェリルは静けさの包む商店街を独り歩いていた。
きょろりと見渡す視線でとある『看板』を見かけると、躊躇う事無くその門を開け放つ。
彼女が訪れたのは街にある酒場。
やや陰鬱とした雰囲気を漂わせる、古く、この街にしてはあまり綺麗な方ではない店だった。
扉を開けた瞬間に、ザワリと首の後ろの毛が逆立つのを感じる。
「見つけた……やっぱり、ここに居た」
瞳に飛び込んで来た真っ白な衣装を前に、ポケットに突っ込んだ手でレシーバーの通話ボタンを押す。
眼前に目した青年は、真っ白な衣装――シェリルの目からすれば、アラブ風の装束を纏い――誰も居ない酒場のカウンターに腰掛けて熱心にペンを走らせていた。
手元には開かれた大きな書物。
走らせる手元に狂いは無く、また、迷いも無い。
「――今、良い所でね。ちょっと、待ってくれないか」
彼はペンを走らせる手も、視線も、書物から離さず、親しい友人にでも会ったかのような口調だけでそう告げた。
一見、シェリルの目からは彼に敵意も、そして歪虚のそれらしい陰鬱とした負のマテリアルも感じはしない。
彼女はそれに言葉は返さず、コツリコツリと、青年の下へ向かってその歩みを進めてゆく。
「キアーヴェ・A・ヴェクター……? おじさんは、歪虚で……狂気?」
単刀直入に、そう問うたシェリル。
その問いに、青年は一瞬ピタリとその筆を止めるも、すぐに執筆を再開する。
「……どうしてここが分かったのかね?」
相変わらずに視線は合わせず、落ち着いた口調で質問に質問で返す青年。
「ベッペさん……あの人は、おじさんの目から私を見ていた。そのベッペさんが、歪虚の目と繋がっていたなら、おじさんもまた同じように繋がっていたんじゃないかなって……そうしたら、きっと静かな場所。事件の喧騒を避けて、酒場とかに居るんじゃないかって」
「なるほど、賢い子だ。いや、私のミスとも言えるがね」
シェリルの答えに、彼は感心したように笑みを浮かべると、そこで初めて顔を上げてぱたりと本の表紙を閉じた。
横顔を隠していた布がはだけ、その顔が露になる。
見据えたその瞳は、先の被害者がそうであったように充血で白目が真っ赤に染まっており、視線はどこを見るでもなく虚ろで、まるで生気を宿しては居なかった。
「その知恵に敬意を表して答えよう――私はアルフレッド。アルフレッド・ヴェクターと言う」
「アルフレッド・ヴェクター……A・ヴェクター……?」
シェリルの言葉に、アルフレッドは「ふむ」と小さく鼻を鳴らす。
同時に瞳の充血が引いてゆき、瞳に生気も戻り、不衛生ながらも整ったその表情が露となった。
「筆を執った際には“キアーヴェ”と名乗る事もあるよ」
繋がったその答えに、シェリルの鼓動はドクリと高鳴り、身体が熱を持ったように熱くなるのを確かに感じていた。
●媒介者
避難先にも現れた猟犬へと、ハンター達は対応に追われていた。
エスト隊も協力を惜しまないが、下手に隊列を崩すと避難民達の方へと抜けてしまう可能性がある今、あまりおおっぴらに動く訳にも行かない。
近づいてきた敵を切り返す、一進の無い一退ばかりの攻防。
「どこか、安全に退避できる場所は無いんですか……!?」
猟犬の出鼻を挫くようにライフルの轟音を響かせるアメリアが、何かに縋るようにそう口走る。
敵の足元で弾けた弾丸がその前脚を零下に包み込み、猟犬はもんどり打つように地面を転げた。
「安全って言われても~、屋内じゃどこかしらからか入ってこられちゃうでしょ~?」
この辺には一番土地勘のあるフィオーレであるが、敵の特性から考えれば篭城は得策ではない。
流石にそれくらいは彼女も分かっているようで、退避場所の選定に頭を悩ませる。
「退く場所が無いなら、ここで全て倒すしかねぇだろ!」
「悔しいが、今回ばかりはキミの意見に賛成だ……隊長、攻めなければいずれ誰も守れなくなります」
エスト隊の男子勢は、この逆境に完全に攻勢を示し、アンナへと指示を求める。
アンナは僅かにその表情を曇らせ、思案する。
時間が無いのは分かっているが、それでも彼女もまた若いのだ。
大勢の命を天秤に掛けられて、その決を下すには幾ばくかの迷いも生じていた。
「――何度でも言うぞ、そこを退くのじゃ!」
その時、翔る紫電が戦場を貫いた。
全身を雷撃で貫かれて奇声を発する猟犬に、拳と刃が同時に叩き込まれる。
「待たせて悪かったわね……街の歪虚を駆逐するのに、思ったより時間が掛かっちゃってね」
「遅れた分は、働いて返すっすよ!」
雷撃の残光をワンドの先に灯すヴィルマの前で、敵陣へと踊り掛かったクリスと礼が猟犬の一体を仕留める。
その姿を確認するや否や、アンナは略帽を正して声を張り上げた。
「フィオーレとピーノは避難民の前方で支援を! バンは私と共に打って出る! ハンターも力を貸してくれ!」
「「「ラジャッ!」」」
指令と共に即座に行動に移るのは流石の軍か、彼女の指示通りにフィオーレとピーノの2人はその場に残り、アンナとバンは敵陣へと突貫する。
「皆さん、一度こちらに集まってください。回復の術を展開します!」
合流した3人へと、治癒の術を施す結。
遠目では分からなかったが、近くで見た彼らの体は既に多くの傷と火傷に包まれていた。
「正直な話をすれば、もう二度とあんなのと対峙したく無いっすよ……けど、独りじゃないんだ!」
僅かながらでも傷を癒し、猟犬の歯牙へと刃を振るう礼。
「そう……皆が居る。だから動け。動かないと死ぬ。動くしかないんだから……!」
アメリアは言い聞かせるように口にして、深く息を吸い込み、そして吐き出す。
沈みゆく意識の中で戦意を新たに、銃口を突きつける。
フィオーレに加え、ピーノと3人、後方からの銃弾の雨がハウンドの群に突き刺さった。
「バン君、キミの勇敢さなら恐怖を振り払える。市民達を守ってね」
「当然だ。ただ殺して破壊するだけのバケモン共と違って、背負ったモンが違うんだよ!」
口にしながら、アンナの隣で大声を上げて猟犬達を威嚇しながら、大振りで下から太刀を振り上げる。
巻き上がる戦塵と共に、真っ二つに切り上げられる歪虚。
と同時に――アンナのスカートがひらりと風に舞って捲れ上がった。
「ブッ――」
思わず吹いたのは目を見張って戦況分析に努めていたピーノと、礼と……まあ、健全な青少年の方々。
「何をしている……こんな時に!」
「ち、違うって、違います! リクの野郎に『狂気に効くまじないだ』って言われたからよ!」
顔の上半分に影を落としながら魔導射杭を自らに向けて構えるアンナを前に、思わず両手を上げて震えるバン。
「……まあ、くだらなすぎて確かに狂気なんてどうでも良くなったかもしれないわね」
含むように小さく笑いながら、クリスの拳が唸りを上げて猟犬を殴り上げる。
その言葉に、アンナはどこか腑に落ちない様子ではあったが、飛び掛った歪虚をその射杭の銃床で殴り返すと、そのまま切っ先をタール色の体へと叩き付ける。
瞬間、ゼロ距離から放たれた機導砲の輝きと共に、歪虚の姿は飛散・蒸発していた。
「まあいい、今はその働きぶりで返して貰う」
「は、はいっ!」
背中から放たれる希薄に、思わず敬礼で返すバン。
「個人的には役得と言った所だけど、女性と歪虚の扱いには気をつけるんだね、バン君」
こちらもまたクスリと笑みを浮かべながら駆けるイルムが、強烈な踏み込みと共に、回避行動を取ろうとした敵の動きを遮るようにして、その刃を閃かせる。
そのまま飛び散る体液を掻い潜り、イルムは一足飛びのく。
「ベストなタイミングじゃ……打ち込むぞ!」
再び貫くヴィルマの紫電が、イルムが押さえ込んだ敵を貫きその先の個体までを焼き上げる。
手前の1体は雷撃と同時に霧散するも、その霧の向こうから別の個体が火の輪を潜るが如く、戦場を飛び出していた。
「しまった、抜かれた……!」
叫ぶクリスの視線の先に、迫る歪虚に応戦する後衛の3人の姿が映りこむ。
「ダメ……勢いが!」
その破竹の勢いに気圧されて、完全に手元が狂っているフィオーレ。
猟犬はその勢いのままに、避難民の群れへと飛び掛る。
「させない……!」
迫る牙を、銃の腹で遮り、押さえるアメリア。
ガチリと、銃を咥え込む敵に覆いかぶされながら、必至に逃れようともがく。
「――だ、ダメだ。こんな所には居られない……俺は逃げるぞ!」
不意に、間近でその様子を目にした市民の一人が震える声でそう叫んでいた。
「どけ! 俺は生きる、生きるんだぁ!」
傍の子供を押しのけ、集団から逃げ出す男。
それを見て、弾かれたように人々はその場から駆け出していた。
「邪魔だ! 俺の道を塞ぐな!」
「生きたい生きたい生きたい生きたい生きたいぃぃぃぃぃ!!!」
「お願い、この子だけでも逃がしてあげてください!!」
周囲の人を押して、時に引いて、泣き叫び、喚き、ただ己が、親しい者が生きるためにすべてを厭わない。
それは一重に、別の意味での地獄絵図。
「皆さん、落ち着いてください! 必ず、私達が助けてみせます!」
ベルを鳴らしながら叫ぶ結であったが、パニックの喧騒を前に声は届かず、変わりに血走った瞳達が視線の先に映っていた。
「まてよ、媒介者ってまさか……ウソだよな?」
その様子に思わずその場に立ち竦む礼。
必ず、今回の事件の媒介者、若しくは本体が居るハズだと。
それをなんとかすれば事件は解決するハズだと、そう思っていた。
逃げ出した人々が、一人、また一人と、防衛網をすり抜けた歪虚に噛み付かれ、引き裂かれる。
運よく逃げ出せる者も何名か居るが、折り重なって倒れていくその喧騒を前に、もはや秩序などは存在していなかった。
「敵の数に、この惨状……まさか商店街の人、皆が媒介者だとでも言うのかえ?」
ヴィルマの言葉は、ここに居た誰もが辿り着き、そして絶望した答え。
その真偽は定かでは無いが賽は既に投げられてしまった。
必死の言葉も届かぬこの喧騒を止める術は、もはや無い。
「あ、諦めないぜ……歪虚を倒しきれば、きっと!」
いつかそうしたように、パンと顔を平手で打って気持ちを新たにする礼。
自分達が絶望していては、誰も助からない。
「無限に沸くわけじゃないことを、切に願うわ……」
縦横無尽に襲い来る猟犬達を前にして、クリスの脳裏の最悪のシナリオは是が非でも避けたい唯一の希望であった。
●この奇怪なる世界の人々へ
「――すまないが、私はこの続きを書かねばならないのでね。キミの言うとおり、またどこか静かな場所を探すとするよ。なかなかこれが、面白い局面なのでね」
言いながら、片目だけを充血で真っ赤に染めながら立ち上がるキアーヴェ。
「逃がさない――」
逃すまいとキアーヴェへと向かって放たれるシェリルの手裏剣。
が、その刃は開かれた本の間から伸び出した、甲羅を纏った巨大な腕によって遮られる。
「おや……聡明ではあるが、その気性は幾分とせっかちなようだね」
キアーヴェは吸い込まれるように本の中へと消えてゆく甲腕の奥で細くにこやかな笑みを浮かべる。
「――シェリルさん!」
不意にドアが蹴破られ、狭い店内に飛び込んでくる3つの影。
「大丈夫!? 怪我は……無いみたいだね。よかった」
真っ先に飛び込んで来たリリアに続いて来たリクは、シェリルの様子を確かめるとホッと一息。
そして、眼前のキアーヴェへと視線を向ける。
「キアーヴェ・A・ヴェクター……随分と探したんだよ、その本!」
言いながら、息を吐かぬ動きで彼の背後を取るまりお。
(いい、せーので――)
アイコンタクトでタイミングを計るも、それを待たずにリリアが瞬時に動き出していた。
「もしも人間なら……ごめんなさい、なの!」
問答無用で唸りを上げて放ったチャクラムが、本を持つその手へと迫る。
仕方ないと、1テンポ遅れて床を蹴ったまりおの刃が強烈な光を放ち、手にした本へと振り下ろされる。
「ふむ……そういうのはあまり得意ではないのだが」
キアーヴェは左手の指先に緑色に輝く炎を灯すと、そのまま床へとぽとりと落とす。
瞬間、自身を中心に渦を描くようにして円形に広がった火種から、巨大な炎の柱が立ち上った。
「あぶな……っ!?」
咄嗟に身を翻して退避し、難を逃れるまりお。
リリアの円刃もまた、その勢いに弾かれて床を転がった。
「……一体何なのよ貴方は。そして、何なのよその本は」
口惜しそうにしながらも、意地を振り絞って問うリリア。
「おや、彼女の仕込んだ通信機で聞いていなかったのかな。私はアルフレッド。キアーヴェでも構わないよ。そして――そう言えば、この本の事は語っていなかったね」
言いながら、分厚い本の拍子が表紙が見えるように掲げ上げるキアーヴェ。
硬い皮の切れ端を繋ぎ合わせたような不気味ながらも荘厳な表紙に、緑の火が灯るように輝く文字――『奇怪なる世界の人々』。
「それが、例の本なのね……?」
「うん、僕も実物を見るのは初めてだけど……」
リリアの問いに、まりおは小さく頷き返す。
「さて……あまり長居もしていられないな。たった今、良いフレーズが頭の中に浮かんでいるのだよ」
言いながらキアーヴェは再び炎を足元へと落とすと、火種は店内を四方八方に駆け巡り、ゴウと言う音と共に建物が炎に包まれる。
その様子を見届けて男が本を開くと、その紙面にそっと手を触れる。
「させるか……ッ!」
怪しげな動作を前に、リクが構えた魔導槍の先から放たれた火炎。
咄嗟に回避したキアーヴェの足の先が、僅かに炎に包まれる。
「ハンターと言うのは、初対面の相手に随分と暴力的なものだね」
「少なくとも味方で無い事が間違いない相手なら、躊躇した方が負けだ」
睨みつけるような視線で真っ赤に染まった眼を射抜くように見据えるリクに、キアーヴェは再び小さく鼻を鳴らした。
「それなら私にも、手はあると言うものだ」
パタリと本を閉じるキアーヴェ。同時に、燃え盛る壁や天井の木目から、ずるりと黒い液体が染み出してくる。
それらはすぐに猟犬の形を成すと、ハンター達の前へと狂おしい唸り声を上げてゆく手を遮るように対峙する。
「では、私は失礼するよ。増えすぎる登場人物は物語に幅は利かせるが、厚みを損なう。機会があれば、また会おう」
先ほどの甲腕で、燃え盛り脆くなった壁をひと思いにぶち壊し、外への道を作り出すキアーヴェ。
が、炎と猟犬を縫って駆けたシェリルがその懐へと迫りゆく。
振り下ろした刃は、そのまま甲腕に受け止められるも、意を決したように声を発していた。
「この間の質問の答え……誰かの結末なら、変えてあげたいと思う。自分のは……何にしても…まだ終わらせない」
「そうか、なるほど」
「おじさんの結末は……? 怪異の種を蒔いた先に、何があるの……?」
「物語の結末を先に問うというのは、いささか情緒を欠いているのではないかな?」
力を込めてなぎ払われた甲腕に、その小さな体はふわりと宙を舞う。
何とか無事に着地して、シェリルはすぐに視線を彼の元へと向けるも、その姿は既に差し込む外の光の先へと進んでしまっていた。
「人は皆その本質を隠し、偽り、生きている。それは意識的なものであっても、無意識であってもだ」
男はバサリと衣服に燃え移った火の粉を払うと、言い残すように口を開く。
「果たしてその瞳の奥の輝きは、キミ達のどのような本質を現しているのだろうね」
「待って――」
なおも追おうとしたシェリルの前を遮るように猟犬が飛び出し、リクが彼女の肩を掴む。
「ダメだ。今はこの歪虚達を倒して、早くここから離脱しないと……僕たちまで丸こげになっちゃうよ」
言いながら首を横に振るリクを前に、口惜しそうに頷くシェリル。
焼け落ちてゆく店の中で、彼らの瞳の中に灯る輝きは一体何を映し出して居たのだろうか――
●プロローグ
「ごめんなさいなの、逃がしてしまったの……」
合流し、事の経緯を伝えた4人は焼け落ちた酒場の前でエスト隊始め他のメンバー達との合流を果たしていた。
「こちらも似たようなものです……守れなかった。すぐ傍に、目の前に居たのに……」
結の握り締めるベルが悲しげに音を奏でる。
混乱の末、何とか歪虚の全滅を確認したハンター達であったが、あのパニックの中で失った犠牲も多く、一概に万事成し遂げたとは決して口に出来ない様子であった。
「後の始末は我々同盟軍が引き受ける……今回の急な要請に強力して貰って、本当に感謝している」
小さく頭を下げるアンナを前に、小さく首を横に振るハンター達。
「それで、男の方はどうだったのじゃ……?」
「それが、なんとも言えないの。ただ、あの本がカギになっているとは思うの」
ヴィルマの問いにありったけの事を話すリリア。
「今回の僕の見立ては間違ってたみたいだけど……でも、あの本がまだ完成途中って言う事は確か。目的は分からないけれど、あれは完成させちゃいけないんだと思うよ」
捜し求めた本を眼前にし、一歩届かなかったまりおには口惜しそうに唇を噛み締める。
ようやく繋がりかけた事件の真相に逃げられ、その後悔は人一倍であった。
「それで、結局……敵なんすかね? 歪虚?」
礼の疑問は、おそらくこの場に居る全員が暗に抱いていたもの。
彼が事件の首謀者であるなら敵である事は間違いないのかもしれないが、その正体は結局の所分からずじまいであったからである。
「僕も整理がつききってなくって申し訳ないのだけれど……少なくとも、一見して歪虚では無いようには思えた。今まで出会ってきた言葉を解す歪虚と違って、その陰鬱な負のマテリアルは一切感じなかったんだ」
記憶を思い返すように口にしたリク。
「ただ、放った炎の魔術からは確かにそれを感じていた……だからこそ混乱しているんだ。彼が何者なのか」
歪虚なのか――人間なのか。
直接的な言葉はあえてぼかして、そう皆に説明をしていた。
口にした所で、不安を煽るだけでメリットは無いと。
それが、自ら自問自答したリクの最終的な判断であった。
「私……病院へ行ってきます。一度でも意識を共有していたベッペさんなら、もしかしたら何か分かる事があるのかもしれないですし」
そう、強い意志で言った結にアンナは病院の地図を手渡し、自分の名前を使うと良いと口添える。
闇雲の中でありながらも僅かな可能性にもがくしか無いと、暗に彼女は示していた。
数々の狂気と絶望の中でも道を見つけ続ける事が、人類の唯一の希望。
ヴォイドの襲撃を受けたあのコロニーの事件の中でも、失う事が無かった気持ち。
――諦めないこと。
きっとその先にも、物語は続いていくのだから。
依頼結果
参加者一覧
サポート一覧
依頼相談掲示板 | |||
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相談卓 ヴィルマ・レーヴェシュタイン(ka2549) 人間(クリムゾンウェスト)|23才|女性|魔術師(マギステル) |
最終発言 2015/08/01 14:40:38 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2015/07/28 20:12:10 |
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![]() |
質問卓 シェリル・マイヤーズ(ka0509) 人間(リアルブルー)|14才|女性|疾影士(ストライダー) |
最終発言 2015/07/29 23:58:11 |