ゲスト
(ka0000)
【聖呪】其の夢は聖なるか呪わしきか
マスター:ムジカ・トラス

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- 不明
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~25人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2015/08/13 07:30
- 完成日
- 2015/08/30 13:29
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●
オーレフェルトの争乱を乗り越え、聖堂教会の法術研究者のオーラン・クロスは今――パルシア村に居た。もう、堪えられなかったのだ。かつての行動が現状を運命づけたと確信を抱いていたから、もう、留まる事はできなかった。
パルシア村にはゲオルギウス達騎士の姿は無く、ハンター達が警護要員として配されていた。旅人を装って村に入ったオーランは警戒をすり抜けて一人、洞窟へと赴いた。聖女の亡霊がいるという洞窟へだ。
洞窟のあちらこちらに張り巡らされた茨に傷付き、ときに血を流しながらオーランが進むと、そこには、二つの人影があった。青年と少女。
この村の自警団の団長のアラン。その身に過大なマテリアルを宿してしまった青年。
そして――亡霊になり果てた、元聖女。
不意に落ちた静寂は、その場にいた生者たちに呼吸すらも赦さなかった。
オーランはかつての少年を知っていた。
だからこそ。動揺から立ち直ったオーランは、口を開く。
「……あの時は」
漸くの想いで告げようとした言葉は、しかし。
「貴様ァ………ッ!」
砲弾のような勢いで駆けたアランに、言葉ごと弾き飛ばされた。茨に叩きつけられたオーランはその衝撃と棘の激痛に歯を食いしばって耐えるしかない。アランも、忘れてはいなかった。忘れる筈がなかった。
「貴様、貴様、貴様、貴様……ッ!」
「ぐ、ぅァ……」
何度も何度も何度も、アランはオーランの身体を壁に押し付けた。ぐず、と粘質な音が響き、血色と苦鳴が洞窟に弾ける。
「どの面下げて此処に来た! エリカを、俺達を滅茶苦茶にした貴様らが……!」
「……っ!」
怨嗟の声に、オーランは目を見開く。鋭利で、烈火の如き言葉と激憤に身を引き裂かれた想いだった。言葉は、浮かぶそばから霧散していく。この憎悪にかけるべき言葉が、見当たらない。
「またエリカを殺しに来たのか、教会……!」
「……それは、違う!!」
「じゃあ、何故だ!」
アランの手が、止まる。息が届くほどの距離での睨み合いの中で、オーランは言葉を探す。
だが。
――赦されたかった。
浮かんできたのは、あまりに身勝手な本音だった。
告げられる、筈も無い。
「…………」
アランの目が、心が冷え込むのが解り、男は死を覚悟した。同時に、もう、いいか、とも。
果たすべきは、もう果たしたのだ。今さら救われようなどと、虫のいい話は無いだろう、と。
その時だ。
「ヤメテ」
声が、落ちた。瞬後だ。
少女の身体から、何かが、弾けた。
光だ、とオーランは錯覚した。アランにとっては、どうだっただろうか。
光に呑まれたオーランは、そのまますぐに意識を手放した。
その日。洞窟から湧いた光は――その村に居た全ての覚醒者を呑みこんだ。
●
『少女』が目を覚ましたのは、余りに騒々しい雑踏の只中だった。
彼女はすぐに、思い出す。
此処が、『千年祭』の会場であることを。
色褪せた世界の中で、彼女の身体だけが彩りを保っているようだった。
驚愕に包まれたままの彼女はゆるゆると視線を巡らせ、遠くに、『少女』を見た。
少女は、その小さな身体を思えば余りに高い木組みの台の上で祈り手を組んで『その時』を待っていた。
『自ら』が奉納の舞いを為す、その光景を、少女はじっと眺めていた。
●
聖堂教会の法術研究者、オーラン・クロスが目を覚ましたのは、とある教会の内部だった。
喧々諤々、絢爛たる装いの聖職者たちが口角から泡を飛ばして議論を――いや、混乱を深めていた。
誰しもが、この千年で初めての事態に直面し、畏れを抱いていたのだ。
それは――オーランにとってもそうだった。これまでに何度も見てきた、茨の夢。
「……」
オーランはこの光景を知っていたから、跪いて、祈りを捧げるしか無かった。跪く際によろめき、ぶつかった椅子が倒れる。気付いた聖職者の一人が怪訝そうにオーランを見つめたが、すぐに視線を切った。
オーランは、そんなことを気にする余裕もなかった。
悪夢の蓋がもうすぐ開く事を、彼は知っていたから。
●
パルシア村の自警団青年、アランが目を覚ましたのは、広々とした荒野のど真ん中だった。
視線の低さ、身体の小ささが、妙に懐かしい。
すぐに直感した。もうすぐ、夜が来る。モノトーンの世界の中で、紅い紅い夕日だけが、不吉を孕んでいるよう。
「……これ、は」
馴染みのある光景だった。
そこは、パルシア村から北へ向かう、道なき道。亜人達の世界との境界線――不毛の大地。
アランは知っていた。この先に、一人の少女がいる事を。
込み上げる衝動に耐えきれず、走り出す。
今度こそ、守る。守ってみせる。決意と共に、アランは往った。
解っている。遅すぎたのだ。今更走ったところで、結末は変わらない。
それでも、何かをしないわけにはいかなかった。『亡霊』と出会った今なら猶の事だ。
だから、走った。痛みを、振り切るように。
●
『彼女』が目を覚ましたのは、暗い暗い谷の底だった。
遠く――本当に、遥か遠くで瞬く星だけが僅かに光を届けている。それ以外は、驚くほどに静かだった。まるで、ありとあらゆるイキモノがその場から消え果てたように。
沈黙の中、彼女は膝を抱えて座り込む。
此処が、今しばらくは安全な場所だということを、彼女は知っていたから。
隣に在る『死体』は、何も言わずに彼女を受け容れたようだった。
この場所は、本当に、居心地が良かった。
……”かつては”。
のろのろと、彼女は顔を上げる。
「……ねえ。なんで、貴方達がここにいるの?」
亡霊と化した『彼女』が、貴方達に問いかけた。
●
ハンター達は馴染みのない光景に、動揺したかもしれない。不運を嘆いたかもしれないし、興味を抱いたかもしれない。
『互い』を見れば、周りを見れば、解ったのではないだろうか。
自分たちが何処に居るのかを。
自分たちが、幻影の、あるいは、悪夢の中に、居ることを。
これが、空想の産物なのか、過日の再現なのか、それとも再演なのか、はたまた――。
ただひとつ、はっきりと言える事は。
ハンター達は意思を持ち、その意のままに振るえる手足があり、此処は、彼らの夢ではないことだった。
――ならば。そこで描かれる物語は、如何様なものになるのだろうか。
オーレフェルトの争乱を乗り越え、聖堂教会の法術研究者のオーラン・クロスは今――パルシア村に居た。もう、堪えられなかったのだ。かつての行動が現状を運命づけたと確信を抱いていたから、もう、留まる事はできなかった。
パルシア村にはゲオルギウス達騎士の姿は無く、ハンター達が警護要員として配されていた。旅人を装って村に入ったオーランは警戒をすり抜けて一人、洞窟へと赴いた。聖女の亡霊がいるという洞窟へだ。
洞窟のあちらこちらに張り巡らされた茨に傷付き、ときに血を流しながらオーランが進むと、そこには、二つの人影があった。青年と少女。
この村の自警団の団長のアラン。その身に過大なマテリアルを宿してしまった青年。
そして――亡霊になり果てた、元聖女。
不意に落ちた静寂は、その場にいた生者たちに呼吸すらも赦さなかった。
オーランはかつての少年を知っていた。
だからこそ。動揺から立ち直ったオーランは、口を開く。
「……あの時は」
漸くの想いで告げようとした言葉は、しかし。
「貴様ァ………ッ!」
砲弾のような勢いで駆けたアランに、言葉ごと弾き飛ばされた。茨に叩きつけられたオーランはその衝撃と棘の激痛に歯を食いしばって耐えるしかない。アランも、忘れてはいなかった。忘れる筈がなかった。
「貴様、貴様、貴様、貴様……ッ!」
「ぐ、ぅァ……」
何度も何度も何度も、アランはオーランの身体を壁に押し付けた。ぐず、と粘質な音が響き、血色と苦鳴が洞窟に弾ける。
「どの面下げて此処に来た! エリカを、俺達を滅茶苦茶にした貴様らが……!」
「……っ!」
怨嗟の声に、オーランは目を見開く。鋭利で、烈火の如き言葉と激憤に身を引き裂かれた想いだった。言葉は、浮かぶそばから霧散していく。この憎悪にかけるべき言葉が、見当たらない。
「またエリカを殺しに来たのか、教会……!」
「……それは、違う!!」
「じゃあ、何故だ!」
アランの手が、止まる。息が届くほどの距離での睨み合いの中で、オーランは言葉を探す。
だが。
――赦されたかった。
浮かんできたのは、あまりに身勝手な本音だった。
告げられる、筈も無い。
「…………」
アランの目が、心が冷え込むのが解り、男は死を覚悟した。同時に、もう、いいか、とも。
果たすべきは、もう果たしたのだ。今さら救われようなどと、虫のいい話は無いだろう、と。
その時だ。
「ヤメテ」
声が、落ちた。瞬後だ。
少女の身体から、何かが、弾けた。
光だ、とオーランは錯覚した。アランにとっては、どうだっただろうか。
光に呑まれたオーランは、そのまますぐに意識を手放した。
その日。洞窟から湧いた光は――その村に居た全ての覚醒者を呑みこんだ。
●
『少女』が目を覚ましたのは、余りに騒々しい雑踏の只中だった。
彼女はすぐに、思い出す。
此処が、『千年祭』の会場であることを。
色褪せた世界の中で、彼女の身体だけが彩りを保っているようだった。
驚愕に包まれたままの彼女はゆるゆると視線を巡らせ、遠くに、『少女』を見た。
少女は、その小さな身体を思えば余りに高い木組みの台の上で祈り手を組んで『その時』を待っていた。
『自ら』が奉納の舞いを為す、その光景を、少女はじっと眺めていた。
●
聖堂教会の法術研究者、オーラン・クロスが目を覚ましたのは、とある教会の内部だった。
喧々諤々、絢爛たる装いの聖職者たちが口角から泡を飛ばして議論を――いや、混乱を深めていた。
誰しもが、この千年で初めての事態に直面し、畏れを抱いていたのだ。
それは――オーランにとってもそうだった。これまでに何度も見てきた、茨の夢。
「……」
オーランはこの光景を知っていたから、跪いて、祈りを捧げるしか無かった。跪く際によろめき、ぶつかった椅子が倒れる。気付いた聖職者の一人が怪訝そうにオーランを見つめたが、すぐに視線を切った。
オーランは、そんなことを気にする余裕もなかった。
悪夢の蓋がもうすぐ開く事を、彼は知っていたから。
●
パルシア村の自警団青年、アランが目を覚ましたのは、広々とした荒野のど真ん中だった。
視線の低さ、身体の小ささが、妙に懐かしい。
すぐに直感した。もうすぐ、夜が来る。モノトーンの世界の中で、紅い紅い夕日だけが、不吉を孕んでいるよう。
「……これ、は」
馴染みのある光景だった。
そこは、パルシア村から北へ向かう、道なき道。亜人達の世界との境界線――不毛の大地。
アランは知っていた。この先に、一人の少女がいる事を。
込み上げる衝動に耐えきれず、走り出す。
今度こそ、守る。守ってみせる。決意と共に、アランは往った。
解っている。遅すぎたのだ。今更走ったところで、結末は変わらない。
それでも、何かをしないわけにはいかなかった。『亡霊』と出会った今なら猶の事だ。
だから、走った。痛みを、振り切るように。
●
『彼女』が目を覚ましたのは、暗い暗い谷の底だった。
遠く――本当に、遥か遠くで瞬く星だけが僅かに光を届けている。それ以外は、驚くほどに静かだった。まるで、ありとあらゆるイキモノがその場から消え果てたように。
沈黙の中、彼女は膝を抱えて座り込む。
此処が、今しばらくは安全な場所だということを、彼女は知っていたから。
隣に在る『死体』は、何も言わずに彼女を受け容れたようだった。
この場所は、本当に、居心地が良かった。
……”かつては”。
のろのろと、彼女は顔を上げる。
「……ねえ。なんで、貴方達がここにいるの?」
亡霊と化した『彼女』が、貴方達に問いかけた。
●
ハンター達は馴染みのない光景に、動揺したかもしれない。不運を嘆いたかもしれないし、興味を抱いたかもしれない。
『互い』を見れば、周りを見れば、解ったのではないだろうか。
自分たちが何処に居るのかを。
自分たちが、幻影の、あるいは、悪夢の中に、居ることを。
これが、空想の産物なのか、過日の再現なのか、それとも再演なのか、はたまた――。
ただひとつ、はっきりと言える事は。
ハンター達は意思を持ち、その意のままに振るえる手足があり、此処は、彼らの夢ではないことだった。
――ならば。そこで描かれる物語は、如何様なものになるのだろうか。
リプレイ本文
●千年祭・1
例え色褪せて見えようとも、そこに在る“熱”は紛い物では無かった。どこまでも続く人の波濤。飛び交う声は威勢に満ちている。
ああ、なんと平和で、慈しみに満ちた光景だろう。
「……ここは、どこでしょう?」
往来の中、少女と見紛うほどの風貌の少年が一人、その柔らかな頬を摘んでいた。葛根 水月(ka1805)だ。表情には驚嘆。それでも、どこかに歓びが混じっている。抓った頬の痛みが現実感を伴って迫る。
「なんですかこれ、すごいっ! すごいですねっ!」
これが夢か幻かは解らない。ただ、尋常ならざる事態だということは明らかで。水月は「わぁ……!」と喝采をあげた。
「……祭り?」
柏木 千春(ka3061)。歓喜の声を上げる水月を他所に、怪訝そうに周囲を見渡す。遠くに有る――巨大な、あまりに巨大な祭壇それが、人混みの彼方に微かに視界の端に飛び込んでくる。
「これは……」
見覚えは無い。だが、この規模の祭りは千春の知る限り、ただ一つしかない。
「千年祭、です……?」
「そうですね」
零れた声にすぐに応答が返った。振り返れば、シャロン=フェアトラークス(ka5343)が同じように辺りを見渡している。目的の誰かは見つからなかったのだろうか、少しだけ気だるげに息を吐いた。
「……まだ時間はありそうですね」
シャロンの言葉に千春は舞台に視線を戻した。思考が巡る。
――これは、好機かもしれない。誰かが、何かを、私達に見せようとしている。なんのために? 解らない。
ただ。見なくちゃいけない、と。強くそう思った。だから。
「私、いきますね」
「ええ、お気をつけて」
千春は人波を掻き分けて――舞台の方へと向かっていった。それに気づいた水月は「おっ!」と声を上げて、同じく黒山の人だかりへと突入していく。千春とは違い、ふわふわと浮ついた視線は周囲の祭りっぷりに向けられているようだった。
「……さて」
シャロンは何事か物思うようにそれを眺めていたようだが、すぐに視線を切った。次いで向けられた先。青髪の少女――セイラ・イシュリエル(ka4820)が、ある人物に向かって向かって手を伸べていた。茫洋と周囲を見渡す、歳の頃十五程の少女へと。
「貴女も、“この世界”の人じゃないみたいね?」
「……ええ、と」
「折角の祭りだもの、一緒に見ましょ」
笑みの気配を伴ったセイラの言葉に少女は戸惑ったようだった。衣装の随所に散った宝玉や金細工しゃらりと鳴る。セイラは微笑みを返した。怯えでもない、悲しみでもない、そして、未知を前にした驚きもない少女の様子に胸中に落ちたのは一つの理解。
――ああ、この娘も知ってるのね。
セイラはかつてこの祭りに居たから、悩む様子の少女にどんな言葉を掛けるかを考えた――その時だ。
「私もご一緒しても?」
シャロンの言葉が、折よく入り込んだ。セイラはすぐに笑みで答える。
「ええ! 多い方が楽しめるもの……さ、行きましょ」
「あ、えっと!」
少女はそのまま引きづられるように二人に連れて行かれていった。
●定めし者の教会・1
はじめに感じたのは、耳をつんざく声、声、声。あまりの騒々しさに八原 篝(ka3104)は顔を顰めた。
「何、これ?」
ひと目で解る建築の見事さ、その荘厳さが裸足で逃げ出しそうな程に喧々囂々としている。
「会議ですか」
傍ら、バレーヌ=モノクローム(ka1605)はしゃんと背筋を伸ばして見渡した。沈思しているのは数人だけだ。豪奢たる衣装に身を包んだ聖職者達の多くは口角から泡を飛ばしている。
「とはいえ、議論、と言えたもんじゃなさそうだな」
耳を澄ます余裕を得たヴァイス(ka0364)の言葉に、バレーヌも倣う。
『何故エクラ様は……』
『準備に不備はなかったのならあの女が……!』
「千年祭の後の祭り、というところか」
「みたいですね。となると此処から始まったのかな……」
肩をすくめたヴァイスに、バレーヌは頷く。連想し、過るものがあり、僅かにその表情が曇る。
「あら、オーランさん、御機嫌よう」
歌うようにラル・S・コーダ(ka4495)が言った。笑みの先には跪き、俯くオーランが居た。
「何でオーランが此処に……って」
気配に気づき、聖職者達をかき分けるように篝は、震える背に穿たれた昏く歪つな穴と流れ出る赤黒い血を認めた。
「怪我してるじゃない!」
言葉と気配にオーランは呻いた。暗く虚脱した男の目にラルは淡く息を吐いた。
――重症ですね、これは。
「……これがオーランさんの、心に残る古い傷なのですね」
小さく、呟く。
――そしてきっと、沢山の人達に同じ形の傷を残している。
なら。不可思議な現象に、感謝しても良いかもしれない。知るべきを知れる予感があった。
「ほら、シャキッとして。ヒール、できるでしょ? ……ったく」
動こうとしないオーランの外套を無理やり脱がす。傷に触るだろうが、斟酌しない。
「お父さんくらいの年のヒトにそんな顔されててもやりにくいの、よ!」
「いっ……!」
「目、さめた? ほら、さっさとする」
「ぁ、うん、すまない」
癒やしの法術が紡がれる。騒がしくも、静かな時間が暫し隙間を埋める。漸く人心地ついた篝が、こう問うた。
「……で、何があったの?」
「それは――」
オーランは、ゆっくりと語りだした。
●茫漠なる荒原・1
乾いた風が、ジャック・J・グリーブ(ka1305)の頬を撫でた。砂の気配に我に返る。
「……ん? お」
重傷を負っていた筈だが、存外と身体が軽い。
「ンだ、こりゃ?」
「解らない、けど……」
混乱する自らの馬を落ち着かせているアルト・ヴァレンティーニ(ka3109)。
つと、遠くに見える、一人の少年が駆けてくる姿が際立っていることに気づいた。そう。ジャックとアルトを除けば、彼にだけ色がある。
年の頃は十五ほど、だろうか。必死な形相で疾駆する少年に二人は見覚えがあった。
「アランさん?」
「だな。あの無鉄砲っぷりを見間違うワケねぇ」
穏やかじゃない空気に、アルトは知らぬ内に剣に手を伸ばした。何かが、起ころうとしている。
「過去、ということ……? まさか……いや、そんな荒唐無稽なこと」
「あー、間違いねえ、あのガキは間違いなくアランだな。おーい! アラン!」
どんどん、その姿が大きくなる。確信を得たジャックが手を振るが、アランは一顧だにしない。様子の無さは容易に窺い知れた。
「……仕方ねェな」
「ジャックさん?」
彼達を無視して突き抜けようとしていくアランと交差するように助走をつけたジャックは、
「オラァッ!」
「ぶあ……っ!?」
殴った。
アランの横っ面を。
全力の一撃に少年の身体が盛大に吹き飛んだ。少年は空中で回転し、地面に叩きつけられ、「ぶっ」と呻いて転がり、そのままぴくりとも動かなくなった。
「……何をしてるの、キミ」
アルトが思わずキミ呼ばわりしてしまったのも宜なるかな、だろう。
「アイツはこうでもしねェと落ち着かねェだろ?」
アランを引きずり立たせようとするジャックを見つめながら、アルトは慨嘆した。
●峡谷の聖地・1
何かに続き、びょうびょうと夜叉の遠吠えにも似た風の音が耳朶を打つ。そう、風だ。クローディオ・シャール(ka0030)は我に返る。
「これはどういうことだ。我々の身にいったい何が起きた……?」
答えはない。誰も彼もが似たようなものだった。人影の数は十を超えている。一人の少女――ブラウ(ka4809)がふらふらと立ち上がり、何処かへと向かっていくのを脇目に、見渡していると。
「――それはコッチが聞きたいぜ……っつーか、お前が呼んだんじゃないのか……?」
声が落ちた。ナハティガル・ハーレイ(ka0023)のものだ。男はこめかみに手をやりながら、苦い声で言う。それは、“問い”に対してのものだった。
視線が集まる。その先に、居た。女だ。暗い、修道服に似たボロを着込んだ女。
「呼んでないわ」
短く不穏を孕んだ声で女はナハティガルに返事を返す。そこに。
「何故ここにいるのかァ?」
ユハニ・ラハティ(ka1005)の、いやに陽気な声が響いた。
「ファンキーだからじゃん!」
何処からとも無く怪訝な声が上がるが、そんな事この男は気にはしないのだろう。小気味よく身体を揺らしながら、続ける。
「儂はファンキー、お主の姿もファンキー、であれば遭遇するのはもはや必然じゃん?」
「「「…………」」」
「ファンキーとはかくも導かれるものなのかもしれねーじゃーん!
歓迎しようが無視しようが、此処にいるのは事実じゃん!
それなら元気無さそうなお主の側に居てやるじゃーん!」
じゃーん。
じゃーん。
じゃーん……
「……」
反応すらなかった事に空気が固まる。
「これは一体……」
訝しげに眉を顰めたマヘル・ハシバスの耳に、
「マヘルー、ほっぺつねってー」
「……はい」
囁き声が届いた。小鳥遊 時雨(ka4921)だ。くい、と頬を示す時雨の頬を言われた通りに摘む。
「……いひゃい」
「どうやら夢じゃないみたいですね」
「そうだねー……って」
じっと、“女”を見つめる時雨。過った姿は――たわわに実った巨峰――ではなく。
「ん……もしかして、リルエナの?」
「確かに、似てるね」
檜ケ谷 樹(ka5040)が同意する。全体の雰囲気は、よく似ていた。となると、この複雑怪奇な現象にも理解出来なくもない。
だが、リルエナと決定的に違うのは――その拒絶、だろうか。視界の暗さも相まって、沈鬱に過ぎる。
そこに、一人の少女が近づいていった。何故か顔を赤らめたエミリー・ファーレンハイト(ka3323)はもじもじとしながら近づき、
「あ、あの」
直視できないのか、目を背けながら、言う。
「私、どうしても聞きたいことがあるのです……」
不意にその目に籠もった何かに最初に反応したのは――ハンター達だった。
「果たして、亡霊のスカートを捲るとどうなるのか。私気になってしまって……!」
「……っ!?」
介入するには余りに遠い距離で――惨劇は起こった。好奇心には勝てなかったか、公序良俗など気にならなかったのだろうか。
エミリーの手が一息に亡霊のスカートに届く。
「ちょ、ちょっとだけだから、ほんの少しだけだから! 痛くないから!」
「……何をしているの?」
「きゃ……ッ!?
エミリーは至って本気で、でもあわよくば場が馴染めば良いな、という心持ちだった――かどうかは定かではないが、何処からか現れた彼女の腰程の太さはありそうな“茨”に縛られ、包み込まれてしまった。
「……、……!」
声も響かぬ程の密閉具合だと知れた。しかも、茨は遠くへ遠くへと離れていく。よほど警戒されたらしい。だが、奇妙に場は解れた。少なくとも直ぐに殺す事を選ぶ精神性はないらしいと知れた。
ナハティガルは苦笑を一つこぼすと、詫びの色を滲ませて、言う。
「俺はナハティガル。お前の名前を教えて欲しい……そして、お前が此処に居る訳を」
「エリカ」
元聖女の女は、虚ろな声音で、そう告げた。そして。
「此処が安全だから、私はここにいるわ……いえ、居た、かしら。
――でも、そうじゃなくなったみたいね」
●千年祭・2
水月は、たとえそれが夢の中でも遠慮などしなかった。
「祭おじさん、これ、クレープ? 一つ頂戴!」
「ん? 珍しい顔だな……アンタ何処から来たんだ? まァいいか、ほれ!」
示された分の料金を払ったとき、怪訝な顔をされなかった事に安堵した。不安だったのだ。並んでいた時から。
「通貨が、使えちゃったよーですね……」
にひ、と悪戯猫のような笑みを浮かべる水月の手には、新鮮なベリーを用いたクレープ。色褪せてはいるが、この香りは、本物だ。
「……ふっふ」
お味も、大変よろしかった。
「盛況だねー」
「そうですね」
「……」
セイラとシャロン、そして少女もまた、人混みの只中にいた。セイラとシャロンは視線を交わすと、苦笑を零す。
少女の正体を、彼女たちは察していた。だが、一方で解らなかった事もある。少女が何に気を取られているのか、と。
少女は、“舞台”を見ていない。それでいて、時折、どこか遠くを眺めるのだった。
「――そろそろ、ですが」
囁くシャロンの声に、セイラは目を細めて頷くと、少女の背を軽く叩いて、指さした。人の流れとは逆方向にある露店だった。
「ね、彼処でヒカヤ茶を出してる所があるよ。行ってみよ!」
「思ったより簡単にこれた、けど」
隠密に気を使いはしたが厳重な警備の割に存外簡単に千春はそこまで辿り着く事ができた。彼女が、この世界では異物だからだろうか。
広大な舞台の、その真裏。そこには“少女”がいた。絢爛豪華な装いをした幼い少女は、敬虔な者であれば跪きそうなほどの神々しさだ。でも。それよりもなお、千春の目を奪うものがあった。
その横顔。その痛ましげな瞳。手にしているのは木製の古臭い飾り細工だった。作りは拙く幼稚なそれを、彼女は血が滲みそうな程に固く握りしめていた。
――ああ。
千春は、エクラに捧げるこの儀式を知っていた。大人たちは、その周りには居ない。配慮の末か。
そう。『配慮の末』だ。千春には、それが分かってしまった。
聖女はこれから、消えて、いなくなる。実際にはそうならなかったことは勿論知っているけれど。
なぜ、そうならなかったのかも――千春は理解してしまった。
「……だったら、これは……」
●定めし者の教会・2
自然と、ハンター達はオーランの周りに集うていた。
「聖女の亡霊に、会いに行ったんだ。そこでアラン君と取っ組み合いになって」
「無茶をしたな」
「……まあ、ね」
ヴァイスの苦笑に、オーランは引き攣れた表情で応じる。
「で、一方的にやられたってわけ……」
胡乱げな篝の視線から逃れるように、オーランは戸口へと視線を送った。
「あの子の亡霊が――何かをした。幻術か、何かは僕にもわからないけど……ここは、王都のとある教会だ。僕はここで、ある研究をしていた」
「法術の、ですね」
気遣わしげなラルに、頷くオーラン。
「うん……千年祭の儀式が失敗に終わり、聖女を保護した教会は、此処で議論を交わしていた。とは言え、答えなんか出るわけがない。五百年前の記録の通りに執り行った儀式が、唐突に潰えた。その答えを持っている人間なんて誰も居なかったからね」
「混乱している様子は解るが……此処で、一体何が起こる?」
「……」
ヴァイスの鋭い眼差しに、オーランは言葉を呑んだ。痛みを堪えているように。
そっと。その背に触れるものがあった。ラルの、やわらかな手だった。
そうしてラルは、優しく、暖かな歌を紡ぐ。透き通る歌声は、其の意図が無い故か、聖職者達には届かなかったのだろう。
――わたくしは、責めませんわ。責めることなの出来ません。
想いの乗った旋律に、オーランは苦笑した。
「僕は気を使わせてばかりだな」
「……それは、そうみたいですね」
バレーヌの苦笑に頭を掻いたオーランは、痛ましげな表情のままこう告げた。
「もうすぐ、『僕』が来る。この場所に。ある事実を、告げるために」
転瞬。凄まじい音と共に戸が開いた。音が止む。静寂の中、荒く息をつく青年に視線が集まる。青年は視線に戦いたように目を見開いていたが、
『どうしたのかね、オーラン・クロス』
壮年の男性の声に、己を取り戻したか。荒い息を整えて、こう告げた。
『法術陣のマテリアルが』
居並ぶ聖職者が、若造であるオーランの言葉に見事に転じていくのを、ハンター達は目にした。
『消失、しています』
●茫漠なる荒原・2
「……キミはエリカさんを追っている、と」
「ああ」
今、彼女の背で愛馬に同乗している彼を少年、と呼んでも良かったのだが――パーソナリティは青年のアランのそれだった。今更少年呼ばわりもしずらい。それもこれも「大峡谷に行くのは初めてだな」と嘯いている男が悪い。あのまま颯爽と馬に乗せ、なあなあに出来たら恰好も付いたものなのに。
「彼女は、荒野を抜け、大峡谷から飛び降りた……筈だ」
「ハズ、ってことは見れなかったのか?」
ジャックの問いに、アラン少年は苦い表情をしたのだろう。腰に回る手が硬く強張るのをアルトは感じた。
「……ああ。亜人達に阻まれたんだ。進む途中で、沢山の亜人達の死体があった。亜人達はそれに激怒していて……当然のように、通りがかった俺を襲った」
「――エリカさん、か」
アルトがその名を呼ぶと、馬の呼気と蹄の連なりだけが暫し、耳朶を打った。
「間違い、ないと思う。騎士団が遺体の回収を諦める程の場所へ、彼女は独りで行った。
……俺は、追いつけなかった」
痛みに満ちた声だった。大峡谷は、人の手が届かぬ『亜人達の国』と言っていい。近づくほどに亜人達の襲撃は増すだろう。
「ハ。来やがった」
その証左に、というべきか。ジャックの視線の先に、亜人達の一団がいる。
「なるほど。少しは手応え有りそうだね」
土地柄、というべきだろうか。茨を関する個体程ではなさそうだが、屈強そうな亜人も目につく。
そして、馬蹄の音は、高く響いている。ゆえに。
――亜人達は、彼らを、アランをはっきりと見た。諒解不能な咆声には殺意が籠る。
「切り抜けよう」
「おゥ」
アルトの言葉に対するジャックの返事は短い。
アランは、不可思議で仕方が無かった。これは、悪夢だ。悪夢だった筈だ。どういう意図で。何が起こってこうなったか解らない。でも。
――アラン。てめェは何か勘違いしてるかもしれねェがな。
回想するのは、ジャックの言葉だった。殴られて、吹き飛ばされて、その後で陽気に、しかし真剣な表情で、彼はこう言った。
――今は仲間がいるンだよ。独りじゃねぇ。
「……ああ」
アランが頷くと、同時。
「行くぜ!」
ジャックの銃撃と同時。最も近しい位置に居たゴブリンの頭部が爆ぜた。血煙が上がる中、二頭のゴースロンは速度を緩める事なく、一団を貫いた。
「押し通る……!」
振動刀が閃くと、その数だけ亜人が斃れ伏していく。苦鳴を上げる間も、なかった。後ろに居たアランが亜人の遺体を蹴り飛ばし、空間を押し広げる。
「こちらの方が足は速い! 突破しよう!」
瞬く間に突破した二匹は、土煙を上げて亜人達を置いていく。意図を察し、追跡に回る亜人達だったが、すぐに悔しげな咆哮をあげた。
「――さて、何処までいけるかな」
刃の血と脂を払ったアルトは、遠くなっていく亜人を振り返り眺めて言う。
峡谷は遠く、存在すらも定かではない。
地平線の彼方を見据えながら、それでも、少女には気負いはなかった。
●峡谷の聖地・2
ふと。クローディオはエリカの傍らに、それを見つけた。服は破れ、千切れてはいた。明らかに、死んでいると知れた。なのに奇妙に綺麗な――。
「……寒いだろう」
立ち上がり、その“遺体”に自らの外套を掛けようとした、その時だ。割って入る小さな影があった。ブラウだ。ブラウは遺体の側に跪き、その身体を抱きかかえると、一息に――その匂いを嗅いだ。
「……貴女の事は知らないけど、とても素敵な香りね」
「……」
仲睦まじく、恋人のような距離感で囁くブラウを前にクローディオは手にした外套を再び身につけることにした。
「うな、“わがはい”になにかごよう?」
感じた視線に、“それ”はそう応じた。小首を傾げるのはちいさな人形だった。黒い素地が、その持ち主――黒の夢(ka0187)を想起させる。一方で肝心の黒の夢はというと、細く、通る声で歌を紡いでいる。その目は何者も映してはいない。
ただ、彼女と共にある二頭の狛犬と、人形は違った。人形は極めて彼女に似た仕草で遠くを指さして、こういうのだった。
『ユメのまいごちゃん、ものがたりはあっちよ?」
まるで、“彼女”を護るように。二頭と一体は、地獄の底で彼女を背負い続ける――。
「エリカさん」
つ、と。視線を戻したエリカの傍らに、ユージーン・L・ローランド(ka1810)とジル・ティフォージュ(ka3873)が立っていた。
「先ほど、何故か、と言ったな。……『知るため』だとも」
ジルは洒脱だがどこか影のある笑みを浮かべて、こう問うた。
「問おう……貴女はここで、『何に向けて』、『何を祈った』?」
「……」
「僕はきっと、それを聞いた上で貴女を送るためにここにいます」
ユージーンが、『兄』であるジルの言葉を継いで、言う。彼女がかつて何を抱いたのか。二人は、ある意味で此処に順応していたといえるだろう。過去は変わらず、死人は帰らない。この夢から持ち帰られるものは、限られていた。
しかし。
「…………」
問いに、答えはなかった。抱えた膝に顔を埋めるようにして、エリカの亡霊は。
「――煩いわね」
と、吐き捨てた。
遺体と、亡霊。なんとなく事情が読めてきた。クローディオは空を見上げた。遠い、遠い空を。
「ぞっとしないな」
想起されたのは――過去か、はたまた想像の産物か。何れにせよ男は軽く顔を振った。聖女は身を投げたのだろう。あの遠い光の先から。そのことがどうにも、胸に響いていた。
「……それにしても、生き物らしい生き物がいませんね」
周囲を見て回っていたマヘルが、ぽつと呟いた。
「茨小鬼が見れるとおもったのですけど……」
「あら。それらしいのはあっちに居たわ」
応じたのは雨音に微睡む玻璃草 ( ka4538 ) ――フィリアである。
お散歩していたの、と薄く微笑んで言うフィリアに、マヘルは微かに驚きを抱きながら、聖女の亡霊に向き直る。
「――どういう、事ですか?」
「知らないわ」
ぼつ、ぼつと呟く。踏み込んだ事でなければ、それなりの答えがかえってくるらしい。
「私はずっと此処にいたもの」
時雨に視線を送ったマヘルに、彼女は頷いた。聖女の隣で体育座りをしている彼女に一つ礼を残して、その場を後にする。何人かがその後を追ったようだった。
ルカは彼らの背を見送りながら、ひとり考えに沈んでいた。
――儀式の失敗だけなら、きっとこうはならなかった。誰もが……自己保身を優先し、他者を、思いやらなかった?
その結果が、これだ。
ルカは小さく、そして重く、息を吐いた。
「……アランさんの悲憤は、彼自身と教会への憤り……」
教会は恐れ、アラン、そしてエリカ自身すらも奪われた。
そのことに陰鬱さが勝り、どうにも胸中は重く淀んでしまうのだった。
●千年祭・3
遠く。人々の気配がにわかに活気づいた。歓声は、『聖女』を迎えたものだろう。シャロンは木の器の茶を吐息で冷ましている少女に視線を落とした。似てるどころか、瓜二つ。それでも、少女の瞳には覚悟があった。死を目前とした老人のような勁さと達観に、シャロンは『それ』を了解した。
「――この物語は、変わらないのね」
彼女が眼前の少女に働きかけた所で、今更この夢は変わらないと知れた。
でも、と。同時に思う。投げかけたい言葉もあったからだ。
屋根を登り高所に陣取った水月は、買いあさった戦利品を手に舞台を見下ろした。
「あは、ここからだとよく見えますねぇー♪」
いつしか、音はひたりと止んでいた。静まり返ったのは聖女が跪き、祈りを捧げたから。群衆の高まる期待は籠る熱を錯覚させるほど。水月にしても、そうだ。一体何が、どうなっていたのか。それが、今から解る。
立ち上がった聖女が舞い始めた。同時に、舞台に煌々と光が灯った。清浄なマテリアルの光に驚嘆の声があがる。最初こそ、視覚的な効果か、と転移者らしい感性で受け止めた水月だったが。
「ちょ……っ?!」
数瞬の後。水月は腰を浮かしかけた。覚醒者である彼はそれを感じたし、目にしていた。
舞台に浮かび上がった緻密な『陣』と、そこから沸き上がるあまりにも茫漠なマテリアルを。
それは、少女が舞うごとに高まっていく。際限なく、何処までも。
「……なにこれ」
今や蒼天を貫く程の光が舞台を覆っていた。舞台の下に居る者達にはもはや何も見えまい。紗蘭と鳴る聖女の装束の音だけが、舞台の上の動きを感じさせている筈だ。
これが、千年祭。これが、エクラ教会が果たそうとした儀式。心が震えた。
眩しすぎる光は、『エクラ』を想起させるのか。自然と観客達が跪き始める。
「これが、異世界……!」
結末を知りながらも、彼の胸中は、この上なく沸き立っていた。あまりの光量に、直視する目が痛む。そのマテリアルの放射に、身体が震える。
「……すごい……!」
感極まる水月とは対照的に。千春は、焦っていた。
何も、何一つとして、怪しいものはなかった。目を皿にして千春は探したのだ。怪しい人。怪しい装置。怪しい魔法の存在。何一つ無かった。警備は万全であることが、十分に解っただけだった。
結論は、一つしかなかった。それしか残らなかった。茫然としながら、千春は視線を転じる。
「貴女は……」
舞台の上で、聖女が舞っている。先程までの様子が嘘のように、毅然と。
光が、徐々に収束していく。ざわめきが聞こえた。観客たちは何れも祈りを捧げているから、気づいてはいないのだろう。だが、聖職者達――中でもこの祭典を執り行う者達は違った。
人の気配が走り、呆然と、へたり込むように据わった『聖女』を運び出していく。観客達にそれと悟らせぬ為の判断は、正解だったのだろう。混乱する舞台裏を他所に、表では静かなものだった。
儀式の失敗は、それが失敗と呼んで良いのか――千春は、そうは思いたくはなかったけれど、でも。
「貴女は、生きたいと、望んでしまったの……?」
そう、理解せざるを得なかった。
――これが彼女の罪だと言うのなら……。
千春は、無性に、祈りを捧げたくなった。
●定めし者の教会・3
世界が変じ、転じた。
「え、ちょっと……なにこれ?」
突如現れた『オーラン』の言葉を最後に、ハンター達の所在が切り替わっていた。ラルの歌が連続性を如実に示しているが、それ故に訪れた唐突な変化に怪訝げな篝にバレーヌが応じる。
「パルシア村、だね」
現在の姿と比べると若干以上に見窄らしいが、基本的な作りや雰囲気から解る。
――ここだ。ここで、“呪い”が生まれ、取引が成されたんだ。
思考するバレーヌを他所に、ヴァイスがオーランへと歩を進めた。痛ましげな表情は、恐らく彼しか知らない、あの場の続きを思い返しているからなのだろう。読み取れてはいたが、ヴァイスには聞かねばならないことがあった。
「法術陣。あの場で、そう言っていたな」
「……そういう術式がある。マテリアルを蓄積する性質の術が、ね」
「へえ……」
「法術陣は、ある意味で教会の『全て』が詰まっているんだ。願いも、意義も。教会はそれらを全て、喪った。五百年の全てが、あの日喪われたことが明らかになったんだ」
五百年。歌いながら、ラルはその時の永さを思った。エルフである彼女にとってはともかく、人にとってはどうだろう。たかだか十五年で、これだけ人は苦しむというのに。
「僕は、その意味を深く考えていなかったんだ」
――そう。あなたは、知らなかっただけ。
それが罪だというのならば、彼の自罰は余りにも重すぎるとラルは思った。
でも。続く言葉で、理解した。
「あの日、教会が割れた」
小さく、言葉を呑んだオーラン。だが、もう止まれなかった。
「今思えばそれは、自己防衛の為のものだと思う。でも、それだけに激しかった。責任の所在。聖女を赦すのか、赦さざるか。本来教会内で収まるべきそれが溢れて……此の村を、飲み込んでしまった」
ヴァイスは小さく目を細めた。その意味と――視界の端、村に至ろうとする一団を目にしたからだ。
「あれが、そうか」
「ああ」
疲れた顔のオーランは、こう結んだ。
「……本当に、悔やまれるよ」
痛みを孕んだ声に、ヴァイスは気づいては居たが――慰めの言葉は、呑み込んだ。それを労る視覚は己にはない、と。思っていたから。
●茫漠なる荒原・3
道行は、想定していたよりも容易かった。馬の脚で駆け抜けながら、亜人達の遺体の脇を抜ける。
「……まだ、亜人が集まっていないのか」
「そう見てェだが……随分過激みたいだな」
口笛を一つ鳴らすジャックは、興味深げに遺体達を見下ろした。何をどうしたら“こう”なるのか。轢き潰され、引き千切られて散らばる血肉の華。
「まるで龍にでもやられたみたいだね……と、急ごう。此の先で間違いはないみたいだし」
実際に龍と相まみえたアルトらしい感想に、アランは苦い息を零した。直ぐに馬首を巡らせて、疾走を再開した。
暫しの間、言葉は無かった。灰色の世界を切り裂く中で、向かい風が泥のように重い。つと、ジャックの視線がアランへと流れた。
「てめぇは何の為にエリカを追ってんだ?」
辛気臭ェ顔しやがって、と吐き捨てるジャックにアランは絶句した。同乗するアルトの表情は揺るがないままだ。
「昔婚約者だった責任からか? それとも単に好きだからか?」
「…………」
並走するジャックはアランの背を強く叩いた。そうして、不満気な馬の気配に鼻を鳴らす。
「てめぇの心に向き直ってみろよ」
まるで、銃弾のように鋭い言葉だった。言葉を無くしたアランを無視して、ジャックは次弾を装填した。向かう先、遺体達に集うように亜人達が騒いでいる姿が飛び込んでくる。
しゅらり、と。音が響く。アルトだ。
「キミはただ、キミの成したい事をすればいい」
研ぎ澄まされた刃のような言葉だった。
「……すまない、助かる」
アランはアルトの背にしがみつきながら、目を閉じた。
万夫不当を体現する二人でなければ、こうはならなかっただろう。信頼を背負い、アルトは馬を奔らせた。
恋の味は知らない。それでも、こうすることでアランが前を向けることは解っていたから。
雑把な言い方をすれば――斬って、斬って、斬りまくる。それに尽きた。
そうして、彼女はそれを為した。為すだけの力が、彼女にはあったのだ。
灰色の世界に、新たに血の華が咲き、狂う。
●峡谷の聖地・4
「亜人達の姿が、変わってきている」
時間の流れが加速しているのだろう。時折見えるゴブリン達の姿の中に時折、奇異な個体が目立つようになった。
「これが亜人達の歴史……なのか」
「変、ですね――」
ナハティガルの声に、同じものを見ていた静架(ka0387)が呟いた。
「亜人達は、一定の場所から先へと進めていないように見えます」
「……確かに、な」
峡谷の底で、確かに亜人達は変貌を遂げつつある。あるものは巨大に。あるものは、異能を身につけて、それを振るっている。
「一体、ここに何があるんだ……?」
何もない空間だ。だが、亜人達にとってはそれは、“何か”であるようだ。
――呪われし亜人、という言葉が男の頭を過った。
歌が、響く。歌い、踊り続ける黒の夢は、周囲の状況には目もくれない。
沈鬱な歌声が――常夜のように昏いそこを包み続ける。鎮魂歌というには、あまりに畏れと哀切が強く滲むで声だった。
所変わって、亡霊の傍らで。時雨は空を見上げていた。定位置を確保してすっかり落ちついてしまった彼女は、遠くに見える空の変遷を見つめていた。
「あっという間だねー。なんか走馬灯みたい」
「……走馬灯?」
「うん……ぁー」
そこに。
「ねえ、おねえさんはどうしてここにいるの?」
微笑するフィリアが、言葉を投げた。
「隠れんぼ? それともお使いかしら? わたしもこの前お使いをしたの。おじいさんに頼まれたのよ。
ねえ、おねえさん。
――一杯持ってる『それ』を此処に持っていくようにおじいさんに言われたの?」
ひたり、と。時の流れが止まった。
「あら……?」
「ぬぉ、ファンキーじゃん……!」
星の流れを眺めていたユハニや時雨が眉を顰める中、亡霊の様子が変わったことにその場に居たハンター達は気づいた。
「……オーランさん、のことだね」
おじいさん、という呼び名を補足するユージーンの声が響く。だが、『それ』とは――と、思考する必要はなかった。
「いいえ、違うわ」
昏く。燃えるような怨嗟と共に、エリカは呟いた。応答の筈なのに、それはまるで独白のようだった。
「――私は、此処に捨てに来たの。儀式の意味も、私が私で在ることも。
誰にも何も言われてないわ。彼らが望んだマテリアルごと……“私”は、此処で死んだ」
ああ、そうだわ、と。エリカはむしろ満足気に、嘲笑った。初めて見せた生々しい感情の発露に、ある者は目を細め、ある者は痛ましげに目を伏せた。
「自分で決めたんでしょう? なら仕方がないわ」
その中で。くるりくるりと、フィリアの傘が回る。彼女自身が黒の夢が語る『ものがたり』の住人であるかのような、非現実的な光景を目にしながら、ルカは深い哀しみを抱いた。
――彼女には、誰も救えないかもしれない。
彼女は紛うことなく、亡霊だった。彼女を自死に至らせしめた、昏い情の顕現だと分かった。
英霊と幽霊は、違う。
負の想念からなる後者は、徹頭徹尾、歪虚である、ということだ。
●定めし者の教会・4
「最低過ぎるわ」
「……そう、ですね。あれはちょっと」
憤慨する篝に、余りの醜さに歌うことを止めたラルが応じる。
『オーラン』を伴って現れた聖職者は現状を専門家であるオーランに語らせ、思いつく限りの語彙を使って聖女の背徳を詰り尽くした。儀式の失敗の原因は聖女にこそあるのだと断じ、『聖女』の資格を廃すると宣言した聖職者は、相応に高位にあるのだろう。その威光も手伝い、聖女の『罪』は、パルシア村を付近の村から孤立させたのだから。
「どうして誰も……聖女を守らないんだ?」
「多分、動揺していたんだと思います。聖女が……エリカさんが帰ってきたことに。元々信仰の篤い村だったそうですから」
ヴァイスの疑念に答えを返したのは、家に引きこもるエリカの様子を見て戻ってきたバレーヌが言う。
「此処から先のことは、僕は知らない。ただ、自らの浅慮が引き起こした事態に震えていた」
つ、と。オーランの目から雫が落ちた。ラルと篝は、男の視線の先を見る。
パルシア村の全容が、そこにあった。人々が傷つき、昨日までと違う今日に惑い、明日を嘆く。ある者は教会を恨み、ある者はエリカを詰る。
澱のように凝る、憎悪と憤怒。それらは連続し、連鎖して村に渦巻いていた。
「慎重に、やるべきだったんだ。才に溺れて、好き勝手に研究していた僕はそんな事も知らなかった」
ラルは目を細める。決して美しいものではない。澎湃と涙を流すオーランの姿もこの村の現状も。でも、彼女は彼が研究を再開していたことを知っていた。
長い時間は、一度は彼の傷に蓋をすることが出来たのだろう。
でも、その蓋は開いてしまった。ゴブリン達の挙兵。亡霊となった聖女。死した人々に、今も苦しむ誰か達。
そこまで考えて、漸く、解った。彼が、真に後悔していることを。
「ここが……分水嶺だったのですね」
「そう、か」
ヴァイスが、言葉を継いだ。
「彼女の自死を防げていたら、全ては違った。そして、それが出来たのは――というわけか」
「……」
去っていく、自失した様子の『オーラン』を横目に眺めた男はただ、頷いた。
「……オーラン」
篝が、言葉をかけようとした。
その時だ。
再び、世界が巡った。早回しの光景に、一同は辺りを見渡した。
――もう少しだけ、続くのかな。
その事にバレーヌが安堵を抱いた。此処からだ。これを、彼は見たかったのだ。固唾を飲んで見守る中、篝が呟いた。
「……この夢は、貴方だけの夢じゃないのね」
「どういう、ことだい?」
「貴方は此処から先を知らない。でも、夢は続いている」
「……エリカ」
「ええ。彼女は、続きを見せようとしているのかも」
果たして、その言葉の真偽は定かではなかったが。
世界が軋むように、開けていった。
●峡谷の聖地・5
「……マテリアルが、生物を異形に変える……ですか」
改めて合流したマヘルが、合点がいったように頷く。彼にとっては裏付けがとれた形だった。
「亜人達を阻んでいたのは……」
――高濃度に過ぎるマテリアルか?
静架が改めて見渡すと、遺体と亡霊の周囲には不自然な程に草木が無い。
「適応できなかった……?」
「……エリカ。お前は、此処から“出てきた”な」
「そうね」
ナハティガルの言葉に応じるエリカはこれまでよりも饒舌だった。
「此処が安全じゃなくなったからよ」
言葉と同時。それまでひたりと止まっていた世界が軋み音を立てて進みだす。
――変化は、唐突だった。
「何かが、近づいているな」
クローディオの呟きに従って、ハンター達は遠くに影を認めた。
一匹の小さな亜人。それが、こちらに向かおうとしては離れるのを繰り返す姿だった。
長じてくるにつれて、その体躯は立派なものとなってきている。そして、その表情には明確な意思が浮かんでいた。
視線の先。幸せそうに横たわるブラウの隣――エリカの遺体を喰らおうという、強い意思が。
「『何に向けて』、『何を祈った』、と。そう言っていたわね」
「応とも」
亜人を見つめながら、ジルに向けてそう言った。
「呪っていたのよ。何もかも。壊したかったの。あの亜人も。全てを」
「……」
「殺せた筈。壊せた筈。でも、何かに遮られてできなかったわ。私は膝を抱えて、怯えながら見ている事しか出来なかった」
「――贄」
そうして、フライス=C=ホテンシア(ka4437)は現状を余さず理解した。
「そうか」
――お前は、喰われたのか。
フライスと契約した精霊が、悲鳴にも似た鳴き声を一つ挙げて、フライスの身に溶け込んでいく。
「お前も、捨てられたのか……」
その胸中に去来した過去が、その激情をどんどん駆り立てていく。
――そうだ。聖なる炎で全てを灰に帰そう。裁きを下そう。
憎悪にこごっていく両の目で、フライスは己の手を見た。
柔らかな、女の手だった。爪を立て、握りしめる。
「……俺の手で」
昏い声で、そう呟いた。その時だ。
「ちょっと待って」
ブラウが、身を起こしてそう言った。向かう先は――一匹の亜人。明確な意思が込められたそれに、亜人は驚愕するよりも先に牙を剥いて襲いかかってきた。彼にとっては、唐突に現れたように見えただろうに。尤も、ブラウはそんなことは斟酌しなかった。
「彼女を、食べるつもり?」
勿体無いわ、と。少女は蕩けるように嗤って、怒りと共に刃を抜いた。真っ向から相対するように踏み込み、斬りつける。血の匂いに陶然と笑むブラウが亜人に殴られ壁にたたきつけられる段に至って初めて、ハンター達は驚愕から立ち直る。
「ちっ……やるぞ!」
ナハティガルの動きに応じるように、一斉にハンター達は動き出す。十人を超えるハンター達がこの場にはいた。
そして。
未だ王ならぬ亜人には、それを捌ける道理など、ありはしなかった。
「……え……?」
驚愕する亡霊を他所に、ただ一匹の亜人は絶息し、地に伏すこととなる。
“悪夢”が、正しく“夢”となった瞬間だった。
●千年祭・4
呆気に取られている観客達を他所に、舞台から誰よりも遠くに居るセイラとシャロン達は少女に向き合っていた。
寂しげな微笑を浮かべる少女に、セイラは笑いかける。
「……私、この国が好きだわ。皆の笑顔が好きなのよ」
「私も、です」
変わらぬ表情のまま告げる少女の頬にセイラは手を伸ばした。柔らかく、暖かな感触。
「私は、歪虚の侵略で守りたかった人を喪って。私だけじゃない。未だ悲しみに暮れる人も多い……でも、どんなに闇が深くても、私はこの国を諦めないわ」
まるで、騎士の誓いのようだった。セイラはそうして、真っ直ぐに少女を見つめて、言う。
「お願い、教えて。貴女は“エリカ”でしょう?」
「……はい」
何処までも寂しげに、“エリカ”は頷いた。
「でも、今の私は泡沫みたいなもので――」
その私も、もう、消えるだけ。
掠れた声に、その手を取る者が居た。
「ねえ、貴女の宿命、運命、呪われし結末。私に分けていただけないかしら」
シャロンだ。
「――どうして?」
「死んだ筈の貴女が、何かの代償で消えてしまうのだとしても……そうすれば、未来は、変えられるから」
「……」
不意に。はたはたと、雫が零れた。頬を伝うそれはセイラの指を伝い、染みこんでいく。温かい、熱い雫だった。
「アランを」
嗚咽を堪えるように、噛みしめるように、エリカは続ける。
「……私のせいで苦しみ、今も痛みを抱えている人たちを」
言葉を紡げば紡ぐだけ、その身体が、世界に溶けるように消えていく。遺言のようなそれを、少女達はじっと聞いていた。
――救って。
光だ。柔らかな光となって、エリカが溶けていく。肌のぬくもりも、零した雫も。
――ごめん、なさい。
最後にそう言って、エリカは、消えた。跡形も無く。
「……」
セイラは重く深く、息を吐いた。挙げた手を、下ろす気には、なれなかった。そこに感じていた熱すらも喪われる気がして。
離れていた場所に居た千春も、水月も、声を聞いていた。
消えていたのは、エリカだけじゃなかった。周囲の光景もまた、急速に消えていこうとしている。
夢が、終わる、その前に。
――ありがとう。
この夢を見て、この夢を終えた者達は、そんな言葉を聞いた。
●定めし者の教会・5
気づくと彼らは家の中に居た。眼前にはまだ壮年であった村長と、一人の行商人らしい青年の姿がある。
「取引の現場だ……」
「取引、ですか?」
知らぬ内に固く手を握っていたバレーヌの声に、ラルが小首を傾げる。
「パルシア村には、不自然なお金の流れがあったんです。それが……」
転瞬。音が、爆発した。
『今さら教会が何を言う……!』
『彼らにだって都合はある。さっき話しただろう?』
弾けたのは、村長の怒声。応じる青年は鷹揚としたもの。
『……ッ』
『このままじゃこの村は立ちいかないのは目に見えてる。教会は君達を“救おう”としてるんじゃない。彼らなりの謝意なんだ』
『――出て行け! 今直ぐ! この村から!』
「って、あれ?」
取引は、破綻していた。慌てた様子のバレーヌに、
「……取引は、この『後』で結ばれたってことか」
ヴァイスが唸る。
「後、って――」
「聖女が、死んでから、じゃないか」
「そんな……っ!」
「「なっ!?」」
思わず、立ち上がった。唐突な気配に、村長と青年は異口同音に驚愕している。無理もない。ヴァイスの深い溜息を背に、バレーヌは口を開いた。
「あ、あの! この選択は間違ってます」
――あれ、そうだろうか? 解らない。けど。
「い、一番つらいのは、不安なのは、エリカさんじゃないですか……? なのに、皆、彼女を無視して――」
言葉に息を呑んだのは村長だけではない。オーランもまた、そうだった。事態の重さは、彼には解らないままだ。見た目はともかく、彼はまだ幼い。
それだけに、言葉には強い感情が篭る。
けれど。
激情を、飲み込んで――静かな口調で、呟くように、こう結んだ。
「もう一度落ち着いて皆で考えてみませんか……? 皆で美味しいご飯でも食べて」
「……あ」
柔らかな声音が、きっかけとなったか。
消えていく。溶けていく。揺れた目の村長も、低く笑う青年も、あらゆる調度品が色を無くしたまま、薄く光に飲み込まれていった。
バレーヌは手を伸ばした。まだ、見届けていない。なのに。
でも。その背に誰かが触れていた。柔らかく、暖かな――。
――そうして、この夢も終わった。
●茫漠なる荒原・4
「……死体じゃねぇ所を探すほうが大変だな」
吐き捨てるジャックの声。その鎧の至る所は傷つき、くたびれている。アルトにしてもそうだ。突破の代償が、その身体に刻まれていた。
「おかげで、楽ができたんだろうけど……」
近づけば近づくほどに、暴威の痕は深く刻まれていた。でも、アルトは馬脚を緩めなかった。
――これは、ボク達の仕事だ。
アランの痛みは気配を通して伝わっていた。だからこそ、彼女は彼を運ぶ。その後悔が、彼を曇らせないように。
「アラン」
短く呼ぶアルト達の先には、深い深い崖があった。少しずつ、近づいていく。
その淵に立つ、村娘にしかみえない、幽玄たる少女の元へと。
「ついたよ」
十メートル程の距離を置いて、アルトは馬を止めた。
「――ありがとう」
短い返事に、「いってらっしゃい」とアルトは見送り、見送るジャックは、太い笑みを浮かべた。
「さァて……どうする、アラン」
―・―
ゆっくりと、歩いて行く。彼女は、崖に向かって俯いたままだった。
「……僕は」
僕は、思うままに、言葉を紡ぐ。
「後悔、してるんだ」
既に問われたことだったから、言葉はすぐに出てきた。
「あの時、僕は必死だった。でも、苦しかった。怖かったんだ。激変した世界が――死ねないって嘆く君が、怖かった」
言葉はざくざくと胸を裂く。君が振り向く気配に、口元が、全身が戦慄くのを止められない。
「だから君を、守れなかった。立ち向かう勇気が、無かったから」
僕は震える手を握る。まだ、小さな手だ。それでも、十分だった筈だ。君を守るには、過ぎた力なんていらなかった。
僕はそれを知らなかったんだ。
「エリカ」
吹き上がる風を背に立つ君の顔を見たら、言葉が解けそうで。だから。
「僕は、君が、好きだった。もっと笑って欲しかった。ずっと一緒に居たかった」
喪失と後悔は、不可分だった。君と茨は分かちがたく結びついている。
でも。
「……死なないでくれ。これが、夢だとしても、守らせてくれ」
ジャック。
アルト。
本当に、すまない。下らない、身勝手な思いで。君達の勁さに足るものじゃなくて。
「たとえ世界を敵に回しても、僕は君の側にいる」
―・―
それから先のことを、アルトもジャックは目にすることはできなかった。ただ、振り向いた少女の表情は、見えていた。彼女は微笑んでいた。笑って、泣いていた。
「……なんだかなァ」
「どうしたんだい」
少女たちを中心に世界が光に飲まれていく中で、ジャックは呟いた。
「救われねェ、ッて思ってな」
「……どうかな。ボク達は変えることが出来たから」
何かが、変わるんじゃないかな、とアルトは笑った。
『夢』が終わっていく。
その狭間。確かに、声を聞いた。
――もう、いいんだよ。アラン。
――ありがとう。さようなら。私も、好きだったよ。
●峡谷の聖地・6
満足気なブラウを他所に、ユージーンやクローディオ、ルカらが遺体の埋葬を行った。
「どうか……貴女の眠りが安らかであるように」
ユージーンの祈りに続いて、ルカの奏でる笛が黒の夢の細い歌声と交じり合い、峡谷の底に響く。その中で、エリカの亡霊は、唖然としていた。現実を受け止めきれぬようだった。
そこに、男が彼女と視線を合わせて跪うた。
「自分は静架と申します。貴女の物語の一端を拝見致しました」
男は、亡霊の目の色が変わっている事に気づいた。
「地に未練を残した魂は天に帰る翼を得られず、地に縛られると聞いたことがあります……」
それでも、とりたてて表情を動かす事なく、真摯な表情で、そう言う。
「一発殴りたい相手がいるなら代行しますよ」
「……」
言葉に籠められた冗句の響きに、亡霊は気づかなかったようだった。だが、言葉に対する反応は、返る。
「たいへんだったねー」
ずっと亡霊の隣で座っていた時雨は、柔らかく微笑みを浮かべていた。
「今も昔も周りが騒いで盛り上がって。いつも、置いてけぼりだったような気がして……違ってたらごめんね? ホントは死んだらおしまい。だけどまだ此処にいるなら、できること、伝えること、あるんじゃないかな」
「……」
膝に顔を埋める亡霊の背を、時雨は優しく撫でた。彼女には亡霊の胸中が理解できていた。亡霊を覆っていた、根源的な恐怖、怯えが消えていたからだ。
「ね、どうしたい?」
「――」
かすれた声は小さすぎて時雨の耳には届かなかった。けれど、「やめて」と言っているように聞こえて、時雨は淡く息を吐く。
ユハニが、快活に笑った。
「カハハ! 色々思う事はあるかも知れねーが、問題は時間とハンターが解決すると昔っから決まってるじゃーん!
儂達が居る! つまり解決はもうすぐ。安心するじゃん!」
なあ? と振り返った先にいたのは、樹。
「ねえ、エリカ。伝言があるんだ」
先ほどまで、言うのを躊躇っていた言葉だった。でも今なら届く、と。そう思ったからだ。
「必ず、君に処へ行くってさ。リルエナから、だよ」
「……リルエナ……?」
聖女の妹であるリルエナのためにも伝えなくてはいけない、そう思っていた言葉だった。だから、亡霊の顔が上がった事に安堵を抱く。リルエナと似た顔つきの彼女に、続ける。
「15年間。彼女は哀しみしかない時間を必死に生きてきた。リルエナちゃんは大きくなったよ……その、いろんな意味で」
軽く頬を掻いて、彼はこう結んだ。
「彼女は今、前に進もうとしている。……なにか、メッセージはある?」
そこに。
「あの……アランさん、オーランさんにも、貴女という光が……必要、なんです」
ルカが、言葉を続けた。亡霊が歪虚に他ならぬ事は、彼女も十分解っていた。
けれど、これは夢だ。夢に、なったのだ。だから。今なら、と言葉を紡ぐ。
「貴女のしたかった事、したい事、望み、祈り――願いを教えて下さい」
真摯な表情で、祈るように。
「貴女の心は彼等の救いになるから……お願いです」
「…………」
――その言葉は、亡霊にとっては痛みを伴ったのかもしれない。
けれど、長い時間をおいて彼女は確かに、笑った。
「ほんと、バカね……」
諦めるように、息を吐いて。ルカと樹に、向き直った。
「ねえ、なら、伝えて」
笑みに滲んだ虚勢にルカ達が気づいた、瞬後の事だった。
夢が、世界がひび割れていく。黒々とした何かに覆われて、飲み込まれていく。
夢の終わりは、あっという間に訪れた。
軋む音の只中でエリカの亡霊はこんな言葉を託したのだった。
「殺して。私を。私はもう、帰れないから。だから」
――終わらせて。
歌が、高く響く。黒の夢の、悲鳴にも似た歌声を最後に――夢は、終わった。
●
あの『夢』は、ほんの一瞬の出来事だったと後に知れた。我に返ったハンター達は地に倒れ伏すでもなく、寸前までそうしていたであろう姿でそこに居た。
そうして、夫々に己のなしたい事をなしたのだった。
例えば、千春はアランに、聖女の想いを伝えたし、篝は――再び傷の痛みに苦しみもがいていたオーランのケツを蹴飛ばして治療を促した。
ただひとつ、大きく違うことがあったとすれば。
亡霊が一切の反応を返さなくなっていた。まるで人形のように目を見開き、ぴくりとも動かないようになってしまっていたのだ。
彼女を見るものには、一切の生の気配が消えているように見えた。
――憑き物が落ちたようなアランとオーランは、その姿を見て、静かに涙を流したのだった。
「『天にまします、我らが光よ』……空しい言葉だな。それで光とやらが救ってくれた事などないだろうに」
目を覚ました後。傍らにいたユージーンに、ジルはそう言った。
「神は人を救いも裁きもしない。人を救えるのはいつだって人だけだ……人を裁くのも」
「縋ってでも立てれば良し。おのが身を哀れめとばかりに嘆くだけならそれまでの事、ということか」
柔らかな、それでいて厳粛な面持ちで応じたユージーンに、ジルは苦笑と共に言う。
「信仰ってね。自分にしか触れられない心の奥底で迷子になっちゃった時にほんのちょっとだけ縋れるような、それくらいの力しかないけど、そういう時には必要な力なんだと僕は思うよ……ちょっと不謹慎かな」
「さて、な」
傍らの“弟”の背を叩きながら、ジルは言葉を濁した。
最後に見た亡霊の姿が、その胸に焼き付いていた。
今。ジルの隣にユージーンがいるように。彼女にも、ハンター達が居た。
それでも。
行き場をなくした憎悪の蛇が時折ちろりと舌を出し、男の胸中で動くのは――傍らに彼が居ても、変わらないのだ。
そのことが、どうにも気がかりだった。
続
例え色褪せて見えようとも、そこに在る“熱”は紛い物では無かった。どこまでも続く人の波濤。飛び交う声は威勢に満ちている。
ああ、なんと平和で、慈しみに満ちた光景だろう。
「……ここは、どこでしょう?」
往来の中、少女と見紛うほどの風貌の少年が一人、その柔らかな頬を摘んでいた。葛根 水月(ka1805)だ。表情には驚嘆。それでも、どこかに歓びが混じっている。抓った頬の痛みが現実感を伴って迫る。
「なんですかこれ、すごいっ! すごいですねっ!」
これが夢か幻かは解らない。ただ、尋常ならざる事態だということは明らかで。水月は「わぁ……!」と喝采をあげた。
「……祭り?」
柏木 千春(ka3061)。歓喜の声を上げる水月を他所に、怪訝そうに周囲を見渡す。遠くに有る――巨大な、あまりに巨大な祭壇それが、人混みの彼方に微かに視界の端に飛び込んでくる。
「これは……」
見覚えは無い。だが、この規模の祭りは千春の知る限り、ただ一つしかない。
「千年祭、です……?」
「そうですね」
零れた声にすぐに応答が返った。振り返れば、シャロン=フェアトラークス(ka5343)が同じように辺りを見渡している。目的の誰かは見つからなかったのだろうか、少しだけ気だるげに息を吐いた。
「……まだ時間はありそうですね」
シャロンの言葉に千春は舞台に視線を戻した。思考が巡る。
――これは、好機かもしれない。誰かが、何かを、私達に見せようとしている。なんのために? 解らない。
ただ。見なくちゃいけない、と。強くそう思った。だから。
「私、いきますね」
「ええ、お気をつけて」
千春は人波を掻き分けて――舞台の方へと向かっていった。それに気づいた水月は「おっ!」と声を上げて、同じく黒山の人だかりへと突入していく。千春とは違い、ふわふわと浮ついた視線は周囲の祭りっぷりに向けられているようだった。
「……さて」
シャロンは何事か物思うようにそれを眺めていたようだが、すぐに視線を切った。次いで向けられた先。青髪の少女――セイラ・イシュリエル(ka4820)が、ある人物に向かって向かって手を伸べていた。茫洋と周囲を見渡す、歳の頃十五程の少女へと。
「貴女も、“この世界”の人じゃないみたいね?」
「……ええ、と」
「折角の祭りだもの、一緒に見ましょ」
笑みの気配を伴ったセイラの言葉に少女は戸惑ったようだった。衣装の随所に散った宝玉や金細工しゃらりと鳴る。セイラは微笑みを返した。怯えでもない、悲しみでもない、そして、未知を前にした驚きもない少女の様子に胸中に落ちたのは一つの理解。
――ああ、この娘も知ってるのね。
セイラはかつてこの祭りに居たから、悩む様子の少女にどんな言葉を掛けるかを考えた――その時だ。
「私もご一緒しても?」
シャロンの言葉が、折よく入り込んだ。セイラはすぐに笑みで答える。
「ええ! 多い方が楽しめるもの……さ、行きましょ」
「あ、えっと!」
少女はそのまま引きづられるように二人に連れて行かれていった。
●定めし者の教会・1
はじめに感じたのは、耳をつんざく声、声、声。あまりの騒々しさに八原 篝(ka3104)は顔を顰めた。
「何、これ?」
ひと目で解る建築の見事さ、その荘厳さが裸足で逃げ出しそうな程に喧々囂々としている。
「会議ですか」
傍ら、バレーヌ=モノクローム(ka1605)はしゃんと背筋を伸ばして見渡した。沈思しているのは数人だけだ。豪奢たる衣装に身を包んだ聖職者達の多くは口角から泡を飛ばしている。
「とはいえ、議論、と言えたもんじゃなさそうだな」
耳を澄ます余裕を得たヴァイス(ka0364)の言葉に、バレーヌも倣う。
『何故エクラ様は……』
『準備に不備はなかったのならあの女が……!』
「千年祭の後の祭り、というところか」
「みたいですね。となると此処から始まったのかな……」
肩をすくめたヴァイスに、バレーヌは頷く。連想し、過るものがあり、僅かにその表情が曇る。
「あら、オーランさん、御機嫌よう」
歌うようにラル・S・コーダ(ka4495)が言った。笑みの先には跪き、俯くオーランが居た。
「何でオーランが此処に……って」
気配に気づき、聖職者達をかき分けるように篝は、震える背に穿たれた昏く歪つな穴と流れ出る赤黒い血を認めた。
「怪我してるじゃない!」
言葉と気配にオーランは呻いた。暗く虚脱した男の目にラルは淡く息を吐いた。
――重症ですね、これは。
「……これがオーランさんの、心に残る古い傷なのですね」
小さく、呟く。
――そしてきっと、沢山の人達に同じ形の傷を残している。
なら。不可思議な現象に、感謝しても良いかもしれない。知るべきを知れる予感があった。
「ほら、シャキッとして。ヒール、できるでしょ? ……ったく」
動こうとしないオーランの外套を無理やり脱がす。傷に触るだろうが、斟酌しない。
「お父さんくらいの年のヒトにそんな顔されててもやりにくいの、よ!」
「いっ……!」
「目、さめた? ほら、さっさとする」
「ぁ、うん、すまない」
癒やしの法術が紡がれる。騒がしくも、静かな時間が暫し隙間を埋める。漸く人心地ついた篝が、こう問うた。
「……で、何があったの?」
「それは――」
オーランは、ゆっくりと語りだした。
●茫漠なる荒原・1
乾いた風が、ジャック・J・グリーブ(ka1305)の頬を撫でた。砂の気配に我に返る。
「……ん? お」
重傷を負っていた筈だが、存外と身体が軽い。
「ンだ、こりゃ?」
「解らない、けど……」
混乱する自らの馬を落ち着かせているアルト・ヴァレンティーニ(ka3109)。
つと、遠くに見える、一人の少年が駆けてくる姿が際立っていることに気づいた。そう。ジャックとアルトを除けば、彼にだけ色がある。
年の頃は十五ほど、だろうか。必死な形相で疾駆する少年に二人は見覚えがあった。
「アランさん?」
「だな。あの無鉄砲っぷりを見間違うワケねぇ」
穏やかじゃない空気に、アルトは知らぬ内に剣に手を伸ばした。何かが、起ころうとしている。
「過去、ということ……? まさか……いや、そんな荒唐無稽なこと」
「あー、間違いねえ、あのガキは間違いなくアランだな。おーい! アラン!」
どんどん、その姿が大きくなる。確信を得たジャックが手を振るが、アランは一顧だにしない。様子の無さは容易に窺い知れた。
「……仕方ねェな」
「ジャックさん?」
彼達を無視して突き抜けようとしていくアランと交差するように助走をつけたジャックは、
「オラァッ!」
「ぶあ……っ!?」
殴った。
アランの横っ面を。
全力の一撃に少年の身体が盛大に吹き飛んだ。少年は空中で回転し、地面に叩きつけられ、「ぶっ」と呻いて転がり、そのままぴくりとも動かなくなった。
「……何をしてるの、キミ」
アルトが思わずキミ呼ばわりしてしまったのも宜なるかな、だろう。
「アイツはこうでもしねェと落ち着かねェだろ?」
アランを引きずり立たせようとするジャックを見つめながら、アルトは慨嘆した。
●峡谷の聖地・1
何かに続き、びょうびょうと夜叉の遠吠えにも似た風の音が耳朶を打つ。そう、風だ。クローディオ・シャール(ka0030)は我に返る。
「これはどういうことだ。我々の身にいったい何が起きた……?」
答えはない。誰も彼もが似たようなものだった。人影の数は十を超えている。一人の少女――ブラウ(ka4809)がふらふらと立ち上がり、何処かへと向かっていくのを脇目に、見渡していると。
「――それはコッチが聞きたいぜ……っつーか、お前が呼んだんじゃないのか……?」
声が落ちた。ナハティガル・ハーレイ(ka0023)のものだ。男はこめかみに手をやりながら、苦い声で言う。それは、“問い”に対してのものだった。
視線が集まる。その先に、居た。女だ。暗い、修道服に似たボロを着込んだ女。
「呼んでないわ」
短く不穏を孕んだ声で女はナハティガルに返事を返す。そこに。
「何故ここにいるのかァ?」
ユハニ・ラハティ(ka1005)の、いやに陽気な声が響いた。
「ファンキーだからじゃん!」
何処からとも無く怪訝な声が上がるが、そんな事この男は気にはしないのだろう。小気味よく身体を揺らしながら、続ける。
「儂はファンキー、お主の姿もファンキー、であれば遭遇するのはもはや必然じゃん?」
「「「…………」」」
「ファンキーとはかくも導かれるものなのかもしれねーじゃーん!
歓迎しようが無視しようが、此処にいるのは事実じゃん!
それなら元気無さそうなお主の側に居てやるじゃーん!」
じゃーん。
じゃーん。
じゃーん……
「……」
反応すらなかった事に空気が固まる。
「これは一体……」
訝しげに眉を顰めたマヘル・ハシバスの耳に、
「マヘルー、ほっぺつねってー」
「……はい」
囁き声が届いた。小鳥遊 時雨(ka4921)だ。くい、と頬を示す時雨の頬を言われた通りに摘む。
「……いひゃい」
「どうやら夢じゃないみたいですね」
「そうだねー……って」
じっと、“女”を見つめる時雨。過った姿は――たわわに実った巨峰――ではなく。
「ん……もしかして、リルエナの?」
「確かに、似てるね」
檜ケ谷 樹(ka5040)が同意する。全体の雰囲気は、よく似ていた。となると、この複雑怪奇な現象にも理解出来なくもない。
だが、リルエナと決定的に違うのは――その拒絶、だろうか。視界の暗さも相まって、沈鬱に過ぎる。
そこに、一人の少女が近づいていった。何故か顔を赤らめたエミリー・ファーレンハイト(ka3323)はもじもじとしながら近づき、
「あ、あの」
直視できないのか、目を背けながら、言う。
「私、どうしても聞きたいことがあるのです……」
不意にその目に籠もった何かに最初に反応したのは――ハンター達だった。
「果たして、亡霊のスカートを捲るとどうなるのか。私気になってしまって……!」
「……っ!?」
介入するには余りに遠い距離で――惨劇は起こった。好奇心には勝てなかったか、公序良俗など気にならなかったのだろうか。
エミリーの手が一息に亡霊のスカートに届く。
「ちょ、ちょっとだけだから、ほんの少しだけだから! 痛くないから!」
「……何をしているの?」
「きゃ……ッ!?
エミリーは至って本気で、でもあわよくば場が馴染めば良いな、という心持ちだった――かどうかは定かではないが、何処からか現れた彼女の腰程の太さはありそうな“茨”に縛られ、包み込まれてしまった。
「……、……!」
声も響かぬ程の密閉具合だと知れた。しかも、茨は遠くへ遠くへと離れていく。よほど警戒されたらしい。だが、奇妙に場は解れた。少なくとも直ぐに殺す事を選ぶ精神性はないらしいと知れた。
ナハティガルは苦笑を一つこぼすと、詫びの色を滲ませて、言う。
「俺はナハティガル。お前の名前を教えて欲しい……そして、お前が此処に居る訳を」
「エリカ」
元聖女の女は、虚ろな声音で、そう告げた。そして。
「此処が安全だから、私はここにいるわ……いえ、居た、かしら。
――でも、そうじゃなくなったみたいね」
●千年祭・2
水月は、たとえそれが夢の中でも遠慮などしなかった。
「祭おじさん、これ、クレープ? 一つ頂戴!」
「ん? 珍しい顔だな……アンタ何処から来たんだ? まァいいか、ほれ!」
示された分の料金を払ったとき、怪訝な顔をされなかった事に安堵した。不安だったのだ。並んでいた時から。
「通貨が、使えちゃったよーですね……」
にひ、と悪戯猫のような笑みを浮かべる水月の手には、新鮮なベリーを用いたクレープ。色褪せてはいるが、この香りは、本物だ。
「……ふっふ」
お味も、大変よろしかった。
「盛況だねー」
「そうですね」
「……」
セイラとシャロン、そして少女もまた、人混みの只中にいた。セイラとシャロンは視線を交わすと、苦笑を零す。
少女の正体を、彼女たちは察していた。だが、一方で解らなかった事もある。少女が何に気を取られているのか、と。
少女は、“舞台”を見ていない。それでいて、時折、どこか遠くを眺めるのだった。
「――そろそろ、ですが」
囁くシャロンの声に、セイラは目を細めて頷くと、少女の背を軽く叩いて、指さした。人の流れとは逆方向にある露店だった。
「ね、彼処でヒカヤ茶を出してる所があるよ。行ってみよ!」
「思ったより簡単にこれた、けど」
隠密に気を使いはしたが厳重な警備の割に存外簡単に千春はそこまで辿り着く事ができた。彼女が、この世界では異物だからだろうか。
広大な舞台の、その真裏。そこには“少女”がいた。絢爛豪華な装いをした幼い少女は、敬虔な者であれば跪きそうなほどの神々しさだ。でも。それよりもなお、千春の目を奪うものがあった。
その横顔。その痛ましげな瞳。手にしているのは木製の古臭い飾り細工だった。作りは拙く幼稚なそれを、彼女は血が滲みそうな程に固く握りしめていた。
――ああ。
千春は、エクラに捧げるこの儀式を知っていた。大人たちは、その周りには居ない。配慮の末か。
そう。『配慮の末』だ。千春には、それが分かってしまった。
聖女はこれから、消えて、いなくなる。実際にはそうならなかったことは勿論知っているけれど。
なぜ、そうならなかったのかも――千春は理解してしまった。
「……だったら、これは……」
●定めし者の教会・2
自然と、ハンター達はオーランの周りに集うていた。
「聖女の亡霊に、会いに行ったんだ。そこでアラン君と取っ組み合いになって」
「無茶をしたな」
「……まあ、ね」
ヴァイスの苦笑に、オーランは引き攣れた表情で応じる。
「で、一方的にやられたってわけ……」
胡乱げな篝の視線から逃れるように、オーランは戸口へと視線を送った。
「あの子の亡霊が――何かをした。幻術か、何かは僕にもわからないけど……ここは、王都のとある教会だ。僕はここで、ある研究をしていた」
「法術の、ですね」
気遣わしげなラルに、頷くオーラン。
「うん……千年祭の儀式が失敗に終わり、聖女を保護した教会は、此処で議論を交わしていた。とは言え、答えなんか出るわけがない。五百年前の記録の通りに執り行った儀式が、唐突に潰えた。その答えを持っている人間なんて誰も居なかったからね」
「混乱している様子は解るが……此処で、一体何が起こる?」
「……」
ヴァイスの鋭い眼差しに、オーランは言葉を呑んだ。痛みを堪えているように。
そっと。その背に触れるものがあった。ラルの、やわらかな手だった。
そうしてラルは、優しく、暖かな歌を紡ぐ。透き通る歌声は、其の意図が無い故か、聖職者達には届かなかったのだろう。
――わたくしは、責めませんわ。責めることなの出来ません。
想いの乗った旋律に、オーランは苦笑した。
「僕は気を使わせてばかりだな」
「……それは、そうみたいですね」
バレーヌの苦笑に頭を掻いたオーランは、痛ましげな表情のままこう告げた。
「もうすぐ、『僕』が来る。この場所に。ある事実を、告げるために」
転瞬。凄まじい音と共に戸が開いた。音が止む。静寂の中、荒く息をつく青年に視線が集まる。青年は視線に戦いたように目を見開いていたが、
『どうしたのかね、オーラン・クロス』
壮年の男性の声に、己を取り戻したか。荒い息を整えて、こう告げた。
『法術陣のマテリアルが』
居並ぶ聖職者が、若造であるオーランの言葉に見事に転じていくのを、ハンター達は目にした。
『消失、しています』
●茫漠なる荒原・2
「……キミはエリカさんを追っている、と」
「ああ」
今、彼女の背で愛馬に同乗している彼を少年、と呼んでも良かったのだが――パーソナリティは青年のアランのそれだった。今更少年呼ばわりもしずらい。それもこれも「大峡谷に行くのは初めてだな」と嘯いている男が悪い。あのまま颯爽と馬に乗せ、なあなあに出来たら恰好も付いたものなのに。
「彼女は、荒野を抜け、大峡谷から飛び降りた……筈だ」
「ハズ、ってことは見れなかったのか?」
ジャックの問いに、アラン少年は苦い表情をしたのだろう。腰に回る手が硬く強張るのをアルトは感じた。
「……ああ。亜人達に阻まれたんだ。進む途中で、沢山の亜人達の死体があった。亜人達はそれに激怒していて……当然のように、通りがかった俺を襲った」
「――エリカさん、か」
アルトがその名を呼ぶと、馬の呼気と蹄の連なりだけが暫し、耳朶を打った。
「間違い、ないと思う。騎士団が遺体の回収を諦める程の場所へ、彼女は独りで行った。
……俺は、追いつけなかった」
痛みに満ちた声だった。大峡谷は、人の手が届かぬ『亜人達の国』と言っていい。近づくほどに亜人達の襲撃は増すだろう。
「ハ。来やがった」
その証左に、というべきか。ジャックの視線の先に、亜人達の一団がいる。
「なるほど。少しは手応え有りそうだね」
土地柄、というべきだろうか。茨を関する個体程ではなさそうだが、屈強そうな亜人も目につく。
そして、馬蹄の音は、高く響いている。ゆえに。
――亜人達は、彼らを、アランをはっきりと見た。諒解不能な咆声には殺意が籠る。
「切り抜けよう」
「おゥ」
アルトの言葉に対するジャックの返事は短い。
アランは、不可思議で仕方が無かった。これは、悪夢だ。悪夢だった筈だ。どういう意図で。何が起こってこうなったか解らない。でも。
――アラン。てめェは何か勘違いしてるかもしれねェがな。
回想するのは、ジャックの言葉だった。殴られて、吹き飛ばされて、その後で陽気に、しかし真剣な表情で、彼はこう言った。
――今は仲間がいるンだよ。独りじゃねぇ。
「……ああ」
アランが頷くと、同時。
「行くぜ!」
ジャックの銃撃と同時。最も近しい位置に居たゴブリンの頭部が爆ぜた。血煙が上がる中、二頭のゴースロンは速度を緩める事なく、一団を貫いた。
「押し通る……!」
振動刀が閃くと、その数だけ亜人が斃れ伏していく。苦鳴を上げる間も、なかった。後ろに居たアランが亜人の遺体を蹴り飛ばし、空間を押し広げる。
「こちらの方が足は速い! 突破しよう!」
瞬く間に突破した二匹は、土煙を上げて亜人達を置いていく。意図を察し、追跡に回る亜人達だったが、すぐに悔しげな咆哮をあげた。
「――さて、何処までいけるかな」
刃の血と脂を払ったアルトは、遠くなっていく亜人を振り返り眺めて言う。
峡谷は遠く、存在すらも定かではない。
地平線の彼方を見据えながら、それでも、少女には気負いはなかった。
●峡谷の聖地・2
ふと。クローディオはエリカの傍らに、それを見つけた。服は破れ、千切れてはいた。明らかに、死んでいると知れた。なのに奇妙に綺麗な――。
「……寒いだろう」
立ち上がり、その“遺体”に自らの外套を掛けようとした、その時だ。割って入る小さな影があった。ブラウだ。ブラウは遺体の側に跪き、その身体を抱きかかえると、一息に――その匂いを嗅いだ。
「……貴女の事は知らないけど、とても素敵な香りね」
「……」
仲睦まじく、恋人のような距離感で囁くブラウを前にクローディオは手にした外套を再び身につけることにした。
「うな、“わがはい”になにかごよう?」
感じた視線に、“それ”はそう応じた。小首を傾げるのはちいさな人形だった。黒い素地が、その持ち主――黒の夢(ka0187)を想起させる。一方で肝心の黒の夢はというと、細く、通る声で歌を紡いでいる。その目は何者も映してはいない。
ただ、彼女と共にある二頭の狛犬と、人形は違った。人形は極めて彼女に似た仕草で遠くを指さして、こういうのだった。
『ユメのまいごちゃん、ものがたりはあっちよ?」
まるで、“彼女”を護るように。二頭と一体は、地獄の底で彼女を背負い続ける――。
「エリカさん」
つ、と。視線を戻したエリカの傍らに、ユージーン・L・ローランド(ka1810)とジル・ティフォージュ(ka3873)が立っていた。
「先ほど、何故か、と言ったな。……『知るため』だとも」
ジルは洒脱だがどこか影のある笑みを浮かべて、こう問うた。
「問おう……貴女はここで、『何に向けて』、『何を祈った』?」
「……」
「僕はきっと、それを聞いた上で貴女を送るためにここにいます」
ユージーンが、『兄』であるジルの言葉を継いで、言う。彼女がかつて何を抱いたのか。二人は、ある意味で此処に順応していたといえるだろう。過去は変わらず、死人は帰らない。この夢から持ち帰られるものは、限られていた。
しかし。
「…………」
問いに、答えはなかった。抱えた膝に顔を埋めるようにして、エリカの亡霊は。
「――煩いわね」
と、吐き捨てた。
遺体と、亡霊。なんとなく事情が読めてきた。クローディオは空を見上げた。遠い、遠い空を。
「ぞっとしないな」
想起されたのは――過去か、はたまた想像の産物か。何れにせよ男は軽く顔を振った。聖女は身を投げたのだろう。あの遠い光の先から。そのことがどうにも、胸に響いていた。
「……それにしても、生き物らしい生き物がいませんね」
周囲を見て回っていたマヘルが、ぽつと呟いた。
「茨小鬼が見れるとおもったのですけど……」
「あら。それらしいのはあっちに居たわ」
応じたのは雨音に微睡む玻璃草 ( ka4538 ) ――フィリアである。
お散歩していたの、と薄く微笑んで言うフィリアに、マヘルは微かに驚きを抱きながら、聖女の亡霊に向き直る。
「――どういう、事ですか?」
「知らないわ」
ぼつ、ぼつと呟く。踏み込んだ事でなければ、それなりの答えがかえってくるらしい。
「私はずっと此処にいたもの」
時雨に視線を送ったマヘルに、彼女は頷いた。聖女の隣で体育座りをしている彼女に一つ礼を残して、その場を後にする。何人かがその後を追ったようだった。
ルカは彼らの背を見送りながら、ひとり考えに沈んでいた。
――儀式の失敗だけなら、きっとこうはならなかった。誰もが……自己保身を優先し、他者を、思いやらなかった?
その結果が、これだ。
ルカは小さく、そして重く、息を吐いた。
「……アランさんの悲憤は、彼自身と教会への憤り……」
教会は恐れ、アラン、そしてエリカ自身すらも奪われた。
そのことに陰鬱さが勝り、どうにも胸中は重く淀んでしまうのだった。
●千年祭・3
遠く。人々の気配がにわかに活気づいた。歓声は、『聖女』を迎えたものだろう。シャロンは木の器の茶を吐息で冷ましている少女に視線を落とした。似てるどころか、瓜二つ。それでも、少女の瞳には覚悟があった。死を目前とした老人のような勁さと達観に、シャロンは『それ』を了解した。
「――この物語は、変わらないのね」
彼女が眼前の少女に働きかけた所で、今更この夢は変わらないと知れた。
でも、と。同時に思う。投げかけたい言葉もあったからだ。
屋根を登り高所に陣取った水月は、買いあさった戦利品を手に舞台を見下ろした。
「あは、ここからだとよく見えますねぇー♪」
いつしか、音はひたりと止んでいた。静まり返ったのは聖女が跪き、祈りを捧げたから。群衆の高まる期待は籠る熱を錯覚させるほど。水月にしても、そうだ。一体何が、どうなっていたのか。それが、今から解る。
立ち上がった聖女が舞い始めた。同時に、舞台に煌々と光が灯った。清浄なマテリアルの光に驚嘆の声があがる。最初こそ、視覚的な効果か、と転移者らしい感性で受け止めた水月だったが。
「ちょ……っ?!」
数瞬の後。水月は腰を浮かしかけた。覚醒者である彼はそれを感じたし、目にしていた。
舞台に浮かび上がった緻密な『陣』と、そこから沸き上がるあまりにも茫漠なマテリアルを。
それは、少女が舞うごとに高まっていく。際限なく、何処までも。
「……なにこれ」
今や蒼天を貫く程の光が舞台を覆っていた。舞台の下に居る者達にはもはや何も見えまい。紗蘭と鳴る聖女の装束の音だけが、舞台の上の動きを感じさせている筈だ。
これが、千年祭。これが、エクラ教会が果たそうとした儀式。心が震えた。
眩しすぎる光は、『エクラ』を想起させるのか。自然と観客達が跪き始める。
「これが、異世界……!」
結末を知りながらも、彼の胸中は、この上なく沸き立っていた。あまりの光量に、直視する目が痛む。そのマテリアルの放射に、身体が震える。
「……すごい……!」
感極まる水月とは対照的に。千春は、焦っていた。
何も、何一つとして、怪しいものはなかった。目を皿にして千春は探したのだ。怪しい人。怪しい装置。怪しい魔法の存在。何一つ無かった。警備は万全であることが、十分に解っただけだった。
結論は、一つしかなかった。それしか残らなかった。茫然としながら、千春は視線を転じる。
「貴女は……」
舞台の上で、聖女が舞っている。先程までの様子が嘘のように、毅然と。
光が、徐々に収束していく。ざわめきが聞こえた。観客たちは何れも祈りを捧げているから、気づいてはいないのだろう。だが、聖職者達――中でもこの祭典を執り行う者達は違った。
人の気配が走り、呆然と、へたり込むように据わった『聖女』を運び出していく。観客達にそれと悟らせぬ為の判断は、正解だったのだろう。混乱する舞台裏を他所に、表では静かなものだった。
儀式の失敗は、それが失敗と呼んで良いのか――千春は、そうは思いたくはなかったけれど、でも。
「貴女は、生きたいと、望んでしまったの……?」
そう、理解せざるを得なかった。
――これが彼女の罪だと言うのなら……。
千春は、無性に、祈りを捧げたくなった。
●定めし者の教会・3
世界が変じ、転じた。
「え、ちょっと……なにこれ?」
突如現れた『オーラン』の言葉を最後に、ハンター達の所在が切り替わっていた。ラルの歌が連続性を如実に示しているが、それ故に訪れた唐突な変化に怪訝げな篝にバレーヌが応じる。
「パルシア村、だね」
現在の姿と比べると若干以上に見窄らしいが、基本的な作りや雰囲気から解る。
――ここだ。ここで、“呪い”が生まれ、取引が成されたんだ。
思考するバレーヌを他所に、ヴァイスがオーランへと歩を進めた。痛ましげな表情は、恐らく彼しか知らない、あの場の続きを思い返しているからなのだろう。読み取れてはいたが、ヴァイスには聞かねばならないことがあった。
「法術陣。あの場で、そう言っていたな」
「……そういう術式がある。マテリアルを蓄積する性質の術が、ね」
「へえ……」
「法術陣は、ある意味で教会の『全て』が詰まっているんだ。願いも、意義も。教会はそれらを全て、喪った。五百年の全てが、あの日喪われたことが明らかになったんだ」
五百年。歌いながら、ラルはその時の永さを思った。エルフである彼女にとってはともかく、人にとってはどうだろう。たかだか十五年で、これだけ人は苦しむというのに。
「僕は、その意味を深く考えていなかったんだ」
――そう。あなたは、知らなかっただけ。
それが罪だというのならば、彼の自罰は余りにも重すぎるとラルは思った。
でも。続く言葉で、理解した。
「あの日、教会が割れた」
小さく、言葉を呑んだオーラン。だが、もう止まれなかった。
「今思えばそれは、自己防衛の為のものだと思う。でも、それだけに激しかった。責任の所在。聖女を赦すのか、赦さざるか。本来教会内で収まるべきそれが溢れて……此の村を、飲み込んでしまった」
ヴァイスは小さく目を細めた。その意味と――視界の端、村に至ろうとする一団を目にしたからだ。
「あれが、そうか」
「ああ」
疲れた顔のオーランは、こう結んだ。
「……本当に、悔やまれるよ」
痛みを孕んだ声に、ヴァイスは気づいては居たが――慰めの言葉は、呑み込んだ。それを労る視覚は己にはない、と。思っていたから。
●茫漠なる荒原・3
道行は、想定していたよりも容易かった。馬の脚で駆け抜けながら、亜人達の遺体の脇を抜ける。
「……まだ、亜人が集まっていないのか」
「そう見てェだが……随分過激みたいだな」
口笛を一つ鳴らすジャックは、興味深げに遺体達を見下ろした。何をどうしたら“こう”なるのか。轢き潰され、引き千切られて散らばる血肉の華。
「まるで龍にでもやられたみたいだね……と、急ごう。此の先で間違いはないみたいだし」
実際に龍と相まみえたアルトらしい感想に、アランは苦い息を零した。直ぐに馬首を巡らせて、疾走を再開した。
暫しの間、言葉は無かった。灰色の世界を切り裂く中で、向かい風が泥のように重い。つと、ジャックの視線がアランへと流れた。
「てめぇは何の為にエリカを追ってんだ?」
辛気臭ェ顔しやがって、と吐き捨てるジャックにアランは絶句した。同乗するアルトの表情は揺るがないままだ。
「昔婚約者だった責任からか? それとも単に好きだからか?」
「…………」
並走するジャックはアランの背を強く叩いた。そうして、不満気な馬の気配に鼻を鳴らす。
「てめぇの心に向き直ってみろよ」
まるで、銃弾のように鋭い言葉だった。言葉を無くしたアランを無視して、ジャックは次弾を装填した。向かう先、遺体達に集うように亜人達が騒いでいる姿が飛び込んでくる。
しゅらり、と。音が響く。アルトだ。
「キミはただ、キミの成したい事をすればいい」
研ぎ澄まされた刃のような言葉だった。
「……すまない、助かる」
アランはアルトの背にしがみつきながら、目を閉じた。
万夫不当を体現する二人でなければ、こうはならなかっただろう。信頼を背負い、アルトは馬を奔らせた。
恋の味は知らない。それでも、こうすることでアランが前を向けることは解っていたから。
雑把な言い方をすれば――斬って、斬って、斬りまくる。それに尽きた。
そうして、彼女はそれを為した。為すだけの力が、彼女にはあったのだ。
灰色の世界に、新たに血の華が咲き、狂う。
●峡谷の聖地・4
「亜人達の姿が、変わってきている」
時間の流れが加速しているのだろう。時折見えるゴブリン達の姿の中に時折、奇異な個体が目立つようになった。
「これが亜人達の歴史……なのか」
「変、ですね――」
ナハティガルの声に、同じものを見ていた静架(ka0387)が呟いた。
「亜人達は、一定の場所から先へと進めていないように見えます」
「……確かに、な」
峡谷の底で、確かに亜人達は変貌を遂げつつある。あるものは巨大に。あるものは、異能を身につけて、それを振るっている。
「一体、ここに何があるんだ……?」
何もない空間だ。だが、亜人達にとってはそれは、“何か”であるようだ。
――呪われし亜人、という言葉が男の頭を過った。
歌が、響く。歌い、踊り続ける黒の夢は、周囲の状況には目もくれない。
沈鬱な歌声が――常夜のように昏いそこを包み続ける。鎮魂歌というには、あまりに畏れと哀切が強く滲むで声だった。
所変わって、亡霊の傍らで。時雨は空を見上げていた。定位置を確保してすっかり落ちついてしまった彼女は、遠くに見える空の変遷を見つめていた。
「あっという間だねー。なんか走馬灯みたい」
「……走馬灯?」
「うん……ぁー」
そこに。
「ねえ、おねえさんはどうしてここにいるの?」
微笑するフィリアが、言葉を投げた。
「隠れんぼ? それともお使いかしら? わたしもこの前お使いをしたの。おじいさんに頼まれたのよ。
ねえ、おねえさん。
――一杯持ってる『それ』を此処に持っていくようにおじいさんに言われたの?」
ひたり、と。時の流れが止まった。
「あら……?」
「ぬぉ、ファンキーじゃん……!」
星の流れを眺めていたユハニや時雨が眉を顰める中、亡霊の様子が変わったことにその場に居たハンター達は気づいた。
「……オーランさん、のことだね」
おじいさん、という呼び名を補足するユージーンの声が響く。だが、『それ』とは――と、思考する必要はなかった。
「いいえ、違うわ」
昏く。燃えるような怨嗟と共に、エリカは呟いた。応答の筈なのに、それはまるで独白のようだった。
「――私は、此処に捨てに来たの。儀式の意味も、私が私で在ることも。
誰にも何も言われてないわ。彼らが望んだマテリアルごと……“私”は、此処で死んだ」
ああ、そうだわ、と。エリカはむしろ満足気に、嘲笑った。初めて見せた生々しい感情の発露に、ある者は目を細め、ある者は痛ましげに目を伏せた。
「自分で決めたんでしょう? なら仕方がないわ」
その中で。くるりくるりと、フィリアの傘が回る。彼女自身が黒の夢が語る『ものがたり』の住人であるかのような、非現実的な光景を目にしながら、ルカは深い哀しみを抱いた。
――彼女には、誰も救えないかもしれない。
彼女は紛うことなく、亡霊だった。彼女を自死に至らせしめた、昏い情の顕現だと分かった。
英霊と幽霊は、違う。
負の想念からなる後者は、徹頭徹尾、歪虚である、ということだ。
●定めし者の教会・4
「最低過ぎるわ」
「……そう、ですね。あれはちょっと」
憤慨する篝に、余りの醜さに歌うことを止めたラルが応じる。
『オーラン』を伴って現れた聖職者は現状を専門家であるオーランに語らせ、思いつく限りの語彙を使って聖女の背徳を詰り尽くした。儀式の失敗の原因は聖女にこそあるのだと断じ、『聖女』の資格を廃すると宣言した聖職者は、相応に高位にあるのだろう。その威光も手伝い、聖女の『罪』は、パルシア村を付近の村から孤立させたのだから。
「どうして誰も……聖女を守らないんだ?」
「多分、動揺していたんだと思います。聖女が……エリカさんが帰ってきたことに。元々信仰の篤い村だったそうですから」
ヴァイスの疑念に答えを返したのは、家に引きこもるエリカの様子を見て戻ってきたバレーヌが言う。
「此処から先のことは、僕は知らない。ただ、自らの浅慮が引き起こした事態に震えていた」
つ、と。オーランの目から雫が落ちた。ラルと篝は、男の視線の先を見る。
パルシア村の全容が、そこにあった。人々が傷つき、昨日までと違う今日に惑い、明日を嘆く。ある者は教会を恨み、ある者はエリカを詰る。
澱のように凝る、憎悪と憤怒。それらは連続し、連鎖して村に渦巻いていた。
「慎重に、やるべきだったんだ。才に溺れて、好き勝手に研究していた僕はそんな事も知らなかった」
ラルは目を細める。決して美しいものではない。澎湃と涙を流すオーランの姿もこの村の現状も。でも、彼女は彼が研究を再開していたことを知っていた。
長い時間は、一度は彼の傷に蓋をすることが出来たのだろう。
でも、その蓋は開いてしまった。ゴブリン達の挙兵。亡霊となった聖女。死した人々に、今も苦しむ誰か達。
そこまで考えて、漸く、解った。彼が、真に後悔していることを。
「ここが……分水嶺だったのですね」
「そう、か」
ヴァイスが、言葉を継いだ。
「彼女の自死を防げていたら、全ては違った。そして、それが出来たのは――というわけか」
「……」
去っていく、自失した様子の『オーラン』を横目に眺めた男はただ、頷いた。
「……オーラン」
篝が、言葉をかけようとした。
その時だ。
再び、世界が巡った。早回しの光景に、一同は辺りを見渡した。
――もう少しだけ、続くのかな。
その事にバレーヌが安堵を抱いた。此処からだ。これを、彼は見たかったのだ。固唾を飲んで見守る中、篝が呟いた。
「……この夢は、貴方だけの夢じゃないのね」
「どういう、ことだい?」
「貴方は此処から先を知らない。でも、夢は続いている」
「……エリカ」
「ええ。彼女は、続きを見せようとしているのかも」
果たして、その言葉の真偽は定かではなかったが。
世界が軋むように、開けていった。
●峡谷の聖地・5
「……マテリアルが、生物を異形に変える……ですか」
改めて合流したマヘルが、合点がいったように頷く。彼にとっては裏付けがとれた形だった。
「亜人達を阻んでいたのは……」
――高濃度に過ぎるマテリアルか?
静架が改めて見渡すと、遺体と亡霊の周囲には不自然な程に草木が無い。
「適応できなかった……?」
「……エリカ。お前は、此処から“出てきた”な」
「そうね」
ナハティガルの言葉に応じるエリカはこれまでよりも饒舌だった。
「此処が安全じゃなくなったからよ」
言葉と同時。それまでひたりと止まっていた世界が軋み音を立てて進みだす。
――変化は、唐突だった。
「何かが、近づいているな」
クローディオの呟きに従って、ハンター達は遠くに影を認めた。
一匹の小さな亜人。それが、こちらに向かおうとしては離れるのを繰り返す姿だった。
長じてくるにつれて、その体躯は立派なものとなってきている。そして、その表情には明確な意思が浮かんでいた。
視線の先。幸せそうに横たわるブラウの隣――エリカの遺体を喰らおうという、強い意思が。
「『何に向けて』、『何を祈った』、と。そう言っていたわね」
「応とも」
亜人を見つめながら、ジルに向けてそう言った。
「呪っていたのよ。何もかも。壊したかったの。あの亜人も。全てを」
「……」
「殺せた筈。壊せた筈。でも、何かに遮られてできなかったわ。私は膝を抱えて、怯えながら見ている事しか出来なかった」
「――贄」
そうして、フライス=C=ホテンシア(ka4437)は現状を余さず理解した。
「そうか」
――お前は、喰われたのか。
フライスと契約した精霊が、悲鳴にも似た鳴き声を一つ挙げて、フライスの身に溶け込んでいく。
「お前も、捨てられたのか……」
その胸中に去来した過去が、その激情をどんどん駆り立てていく。
――そうだ。聖なる炎で全てを灰に帰そう。裁きを下そう。
憎悪にこごっていく両の目で、フライスは己の手を見た。
柔らかな、女の手だった。爪を立て、握りしめる。
「……俺の手で」
昏い声で、そう呟いた。その時だ。
「ちょっと待って」
ブラウが、身を起こしてそう言った。向かう先は――一匹の亜人。明確な意思が込められたそれに、亜人は驚愕するよりも先に牙を剥いて襲いかかってきた。彼にとっては、唐突に現れたように見えただろうに。尤も、ブラウはそんなことは斟酌しなかった。
「彼女を、食べるつもり?」
勿体無いわ、と。少女は蕩けるように嗤って、怒りと共に刃を抜いた。真っ向から相対するように踏み込み、斬りつける。血の匂いに陶然と笑むブラウが亜人に殴られ壁にたたきつけられる段に至って初めて、ハンター達は驚愕から立ち直る。
「ちっ……やるぞ!」
ナハティガルの動きに応じるように、一斉にハンター達は動き出す。十人を超えるハンター達がこの場にはいた。
そして。
未だ王ならぬ亜人には、それを捌ける道理など、ありはしなかった。
「……え……?」
驚愕する亡霊を他所に、ただ一匹の亜人は絶息し、地に伏すこととなる。
“悪夢”が、正しく“夢”となった瞬間だった。
●千年祭・4
呆気に取られている観客達を他所に、舞台から誰よりも遠くに居るセイラとシャロン達は少女に向き合っていた。
寂しげな微笑を浮かべる少女に、セイラは笑いかける。
「……私、この国が好きだわ。皆の笑顔が好きなのよ」
「私も、です」
変わらぬ表情のまま告げる少女の頬にセイラは手を伸ばした。柔らかく、暖かな感触。
「私は、歪虚の侵略で守りたかった人を喪って。私だけじゃない。未だ悲しみに暮れる人も多い……でも、どんなに闇が深くても、私はこの国を諦めないわ」
まるで、騎士の誓いのようだった。セイラはそうして、真っ直ぐに少女を見つめて、言う。
「お願い、教えて。貴女は“エリカ”でしょう?」
「……はい」
何処までも寂しげに、“エリカ”は頷いた。
「でも、今の私は泡沫みたいなもので――」
その私も、もう、消えるだけ。
掠れた声に、その手を取る者が居た。
「ねえ、貴女の宿命、運命、呪われし結末。私に分けていただけないかしら」
シャロンだ。
「――どうして?」
「死んだ筈の貴女が、何かの代償で消えてしまうのだとしても……そうすれば、未来は、変えられるから」
「……」
不意に。はたはたと、雫が零れた。頬を伝うそれはセイラの指を伝い、染みこんでいく。温かい、熱い雫だった。
「アランを」
嗚咽を堪えるように、噛みしめるように、エリカは続ける。
「……私のせいで苦しみ、今も痛みを抱えている人たちを」
言葉を紡げば紡ぐだけ、その身体が、世界に溶けるように消えていく。遺言のようなそれを、少女達はじっと聞いていた。
――救って。
光だ。柔らかな光となって、エリカが溶けていく。肌のぬくもりも、零した雫も。
――ごめん、なさい。
最後にそう言って、エリカは、消えた。跡形も無く。
「……」
セイラは重く深く、息を吐いた。挙げた手を、下ろす気には、なれなかった。そこに感じていた熱すらも喪われる気がして。
離れていた場所に居た千春も、水月も、声を聞いていた。
消えていたのは、エリカだけじゃなかった。周囲の光景もまた、急速に消えていこうとしている。
夢が、終わる、その前に。
――ありがとう。
この夢を見て、この夢を終えた者達は、そんな言葉を聞いた。
●定めし者の教会・5
気づくと彼らは家の中に居た。眼前にはまだ壮年であった村長と、一人の行商人らしい青年の姿がある。
「取引の現場だ……」
「取引、ですか?」
知らぬ内に固く手を握っていたバレーヌの声に、ラルが小首を傾げる。
「パルシア村には、不自然なお金の流れがあったんです。それが……」
転瞬。音が、爆発した。
『今さら教会が何を言う……!』
『彼らにだって都合はある。さっき話しただろう?』
弾けたのは、村長の怒声。応じる青年は鷹揚としたもの。
『……ッ』
『このままじゃこの村は立ちいかないのは目に見えてる。教会は君達を“救おう”としてるんじゃない。彼らなりの謝意なんだ』
『――出て行け! 今直ぐ! この村から!』
「って、あれ?」
取引は、破綻していた。慌てた様子のバレーヌに、
「……取引は、この『後』で結ばれたってことか」
ヴァイスが唸る。
「後、って――」
「聖女が、死んでから、じゃないか」
「そんな……っ!」
「「なっ!?」」
思わず、立ち上がった。唐突な気配に、村長と青年は異口同音に驚愕している。無理もない。ヴァイスの深い溜息を背に、バレーヌは口を開いた。
「あ、あの! この選択は間違ってます」
――あれ、そうだろうか? 解らない。けど。
「い、一番つらいのは、不安なのは、エリカさんじゃないですか……? なのに、皆、彼女を無視して――」
言葉に息を呑んだのは村長だけではない。オーランもまた、そうだった。事態の重さは、彼には解らないままだ。見た目はともかく、彼はまだ幼い。
それだけに、言葉には強い感情が篭る。
けれど。
激情を、飲み込んで――静かな口調で、呟くように、こう結んだ。
「もう一度落ち着いて皆で考えてみませんか……? 皆で美味しいご飯でも食べて」
「……あ」
柔らかな声音が、きっかけとなったか。
消えていく。溶けていく。揺れた目の村長も、低く笑う青年も、あらゆる調度品が色を無くしたまま、薄く光に飲み込まれていった。
バレーヌは手を伸ばした。まだ、見届けていない。なのに。
でも。その背に誰かが触れていた。柔らかく、暖かな――。
――そうして、この夢も終わった。
●茫漠なる荒原・4
「……死体じゃねぇ所を探すほうが大変だな」
吐き捨てるジャックの声。その鎧の至る所は傷つき、くたびれている。アルトにしてもそうだ。突破の代償が、その身体に刻まれていた。
「おかげで、楽ができたんだろうけど……」
近づけば近づくほどに、暴威の痕は深く刻まれていた。でも、アルトは馬脚を緩めなかった。
――これは、ボク達の仕事だ。
アランの痛みは気配を通して伝わっていた。だからこそ、彼女は彼を運ぶ。その後悔が、彼を曇らせないように。
「アラン」
短く呼ぶアルト達の先には、深い深い崖があった。少しずつ、近づいていく。
その淵に立つ、村娘にしかみえない、幽玄たる少女の元へと。
「ついたよ」
十メートル程の距離を置いて、アルトは馬を止めた。
「――ありがとう」
短い返事に、「いってらっしゃい」とアルトは見送り、見送るジャックは、太い笑みを浮かべた。
「さァて……どうする、アラン」
―・―
ゆっくりと、歩いて行く。彼女は、崖に向かって俯いたままだった。
「……僕は」
僕は、思うままに、言葉を紡ぐ。
「後悔、してるんだ」
既に問われたことだったから、言葉はすぐに出てきた。
「あの時、僕は必死だった。でも、苦しかった。怖かったんだ。激変した世界が――死ねないって嘆く君が、怖かった」
言葉はざくざくと胸を裂く。君が振り向く気配に、口元が、全身が戦慄くのを止められない。
「だから君を、守れなかった。立ち向かう勇気が、無かったから」
僕は震える手を握る。まだ、小さな手だ。それでも、十分だった筈だ。君を守るには、過ぎた力なんていらなかった。
僕はそれを知らなかったんだ。
「エリカ」
吹き上がる風を背に立つ君の顔を見たら、言葉が解けそうで。だから。
「僕は、君が、好きだった。もっと笑って欲しかった。ずっと一緒に居たかった」
喪失と後悔は、不可分だった。君と茨は分かちがたく結びついている。
でも。
「……死なないでくれ。これが、夢だとしても、守らせてくれ」
ジャック。
アルト。
本当に、すまない。下らない、身勝手な思いで。君達の勁さに足るものじゃなくて。
「たとえ世界を敵に回しても、僕は君の側にいる」
―・―
それから先のことを、アルトもジャックは目にすることはできなかった。ただ、振り向いた少女の表情は、見えていた。彼女は微笑んでいた。笑って、泣いていた。
「……なんだかなァ」
「どうしたんだい」
少女たちを中心に世界が光に飲まれていく中で、ジャックは呟いた。
「救われねェ、ッて思ってな」
「……どうかな。ボク達は変えることが出来たから」
何かが、変わるんじゃないかな、とアルトは笑った。
『夢』が終わっていく。
その狭間。確かに、声を聞いた。
――もう、いいんだよ。アラン。
――ありがとう。さようなら。私も、好きだったよ。
●峡谷の聖地・6
満足気なブラウを他所に、ユージーンやクローディオ、ルカらが遺体の埋葬を行った。
「どうか……貴女の眠りが安らかであるように」
ユージーンの祈りに続いて、ルカの奏でる笛が黒の夢の細い歌声と交じり合い、峡谷の底に響く。その中で、エリカの亡霊は、唖然としていた。現実を受け止めきれぬようだった。
そこに、男が彼女と視線を合わせて跪うた。
「自分は静架と申します。貴女の物語の一端を拝見致しました」
男は、亡霊の目の色が変わっている事に気づいた。
「地に未練を残した魂は天に帰る翼を得られず、地に縛られると聞いたことがあります……」
それでも、とりたてて表情を動かす事なく、真摯な表情で、そう言う。
「一発殴りたい相手がいるなら代行しますよ」
「……」
言葉に籠められた冗句の響きに、亡霊は気づかなかったようだった。だが、言葉に対する反応は、返る。
「たいへんだったねー」
ずっと亡霊の隣で座っていた時雨は、柔らかく微笑みを浮かべていた。
「今も昔も周りが騒いで盛り上がって。いつも、置いてけぼりだったような気がして……違ってたらごめんね? ホントは死んだらおしまい。だけどまだ此処にいるなら、できること、伝えること、あるんじゃないかな」
「……」
膝に顔を埋める亡霊の背を、時雨は優しく撫でた。彼女には亡霊の胸中が理解できていた。亡霊を覆っていた、根源的な恐怖、怯えが消えていたからだ。
「ね、どうしたい?」
「――」
かすれた声は小さすぎて時雨の耳には届かなかった。けれど、「やめて」と言っているように聞こえて、時雨は淡く息を吐く。
ユハニが、快活に笑った。
「カハハ! 色々思う事はあるかも知れねーが、問題は時間とハンターが解決すると昔っから決まってるじゃーん!
儂達が居る! つまり解決はもうすぐ。安心するじゃん!」
なあ? と振り返った先にいたのは、樹。
「ねえ、エリカ。伝言があるんだ」
先ほどまで、言うのを躊躇っていた言葉だった。でも今なら届く、と。そう思ったからだ。
「必ず、君に処へ行くってさ。リルエナから、だよ」
「……リルエナ……?」
聖女の妹であるリルエナのためにも伝えなくてはいけない、そう思っていた言葉だった。だから、亡霊の顔が上がった事に安堵を抱く。リルエナと似た顔つきの彼女に、続ける。
「15年間。彼女は哀しみしかない時間を必死に生きてきた。リルエナちゃんは大きくなったよ……その、いろんな意味で」
軽く頬を掻いて、彼はこう結んだ。
「彼女は今、前に進もうとしている。……なにか、メッセージはある?」
そこに。
「あの……アランさん、オーランさんにも、貴女という光が……必要、なんです」
ルカが、言葉を続けた。亡霊が歪虚に他ならぬ事は、彼女も十分解っていた。
けれど、これは夢だ。夢に、なったのだ。だから。今なら、と言葉を紡ぐ。
「貴女のしたかった事、したい事、望み、祈り――願いを教えて下さい」
真摯な表情で、祈るように。
「貴女の心は彼等の救いになるから……お願いです」
「…………」
――その言葉は、亡霊にとっては痛みを伴ったのかもしれない。
けれど、長い時間をおいて彼女は確かに、笑った。
「ほんと、バカね……」
諦めるように、息を吐いて。ルカと樹に、向き直った。
「ねえ、なら、伝えて」
笑みに滲んだ虚勢にルカ達が気づいた、瞬後の事だった。
夢が、世界がひび割れていく。黒々とした何かに覆われて、飲み込まれていく。
夢の終わりは、あっという間に訪れた。
軋む音の只中でエリカの亡霊はこんな言葉を託したのだった。
「殺して。私を。私はもう、帰れないから。だから」
――終わらせて。
歌が、高く響く。黒の夢の、悲鳴にも似た歌声を最後に――夢は、終わった。
●
あの『夢』は、ほんの一瞬の出来事だったと後に知れた。我に返ったハンター達は地に倒れ伏すでもなく、寸前までそうしていたであろう姿でそこに居た。
そうして、夫々に己のなしたい事をなしたのだった。
例えば、千春はアランに、聖女の想いを伝えたし、篝は――再び傷の痛みに苦しみもがいていたオーランのケツを蹴飛ばして治療を促した。
ただひとつ、大きく違うことがあったとすれば。
亡霊が一切の反応を返さなくなっていた。まるで人形のように目を見開き、ぴくりとも動かないようになってしまっていたのだ。
彼女を見るものには、一切の生の気配が消えているように見えた。
――憑き物が落ちたようなアランとオーランは、その姿を見て、静かに涙を流したのだった。
「『天にまします、我らが光よ』……空しい言葉だな。それで光とやらが救ってくれた事などないだろうに」
目を覚ました後。傍らにいたユージーンに、ジルはそう言った。
「神は人を救いも裁きもしない。人を救えるのはいつだって人だけだ……人を裁くのも」
「縋ってでも立てれば良し。おのが身を哀れめとばかりに嘆くだけならそれまでの事、ということか」
柔らかな、それでいて厳粛な面持ちで応じたユージーンに、ジルは苦笑と共に言う。
「信仰ってね。自分にしか触れられない心の奥底で迷子になっちゃった時にほんのちょっとだけ縋れるような、それくらいの力しかないけど、そういう時には必要な力なんだと僕は思うよ……ちょっと不謹慎かな」
「さて、な」
傍らの“弟”の背を叩きながら、ジルは言葉を濁した。
最後に見た亡霊の姿が、その胸に焼き付いていた。
今。ジルの隣にユージーンがいるように。彼女にも、ハンター達が居た。
それでも。
行き場をなくした憎悪の蛇が時折ちろりと舌を出し、男の胸中で動くのは――傍らに彼が居ても、変わらないのだ。
そのことが、どうにも気がかりだった。
続
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俺様が立てた華麗なる相談卓 ジャック・J・グリーヴ(ka1305) 人間(クリムゾンウェスト)|24才|男性|闘狩人(エンフォーサー) |
最終発言 2015/08/09 12:29:15 |
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聞きたい事があるんだけど? 八原 篝(ka3104) 人間(リアルブルー)|19才|女性|猟撃士(イェーガー) |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
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