ゲスト
(ka0000)
マティのアトリエ
マスター:湖欄黒江

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 易しい
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 4~6人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 無し
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2015/09/29 09:00
- 完成日
- 2015/10/07 05:01
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●
マティの寝室は、アトリエの屋根裏に設けられていた。
彼女が目を覚ますと、毛布で隠れた脚の上に、折り畳まれた新聞が置いてある。
今朝も、住み込みで働く少年の内誰かが、
寝起きの悪いマティを起こすのを諦めて、それだけ置いていったのだろう。
マティは億劫そうに上体を起こすと、充血した目でじっと新聞を睨む。
『バルトアンデルス日報』。唸るような低い声ひとつして、手を伸ばした。
毛布の上に新聞を広げながら、右手で、北向きの窓のカーテンを半分だけ開いた。
アトリエは帝都南東、ブレーナードルフ区の河岸にあって、すぐ目の前をイルリ河が流れている。
河面は白く霞がかり、北岸のバルトアンデルス城の威容も、今朝は薄ぼやけて見えた。
既に秋の空気だった。右手に力を込めて窓を押し開けると、
涼しい風が、淀んだ水の匂いと共に室内へ流れ込んでくる。
本格的な冷え込みが始まるまでに、河原の仲間たち全員へまともな家を用意してやりたい。
リーダーの老婆も、相変わらず体調が思わしくない。誰かに任せて、医者へ連れて行かなければ。
そんなことを考えながら新聞を読み始めた目に、『フリクセル』の文字が留まる。
●
バルトアンデルス市長による、貧民街再開発計画の公式発表。
記事によると、市長は予てからの計画通り、銀行家・ヴェールマンの出資を元手に、
まずは貧民街の老朽化した建築物、特に南部の住宅街整備を推し進める、と言っている。
併せて商業施設の誘致と近隣河川港の拡張を見込んで、貧民街北部の廃墟群にも手をつける予定だ。
廃墟群は現在、新参の少年ギャングが縄張りにしているのだが、
(手打ちが済んだ、ということね)
ギャングの頭目・ライデンと、帝都暗黒街の顔役・フリクセルの間で何らかの取引があったのだろう。
しかし肝心のフリクセルの名は、市長による計画発表の中に含まれていなかったそうだ。
記者――署名は『ドリス・ターク』――は、その理由を以下のように推測している。
「7月のシュレーベンラント反乱に付随して、
フリクセル警備保障(FSD)社員の暴力行為が問題視されている今、
社の代表である氏の名前が、再開発計画のイメージダウンにつながることを恐れたのでは」
だが、あくまで公式発表から名前を外しただけで、計画そのものには依然として関わり続けるであろう――
それは確かだ、とマティは思う。
まさに昨日、FSDの関係者が彼女の下を訪れ、
近日行われるアトリエの完成披露パーティにて、会場と来場者の警備を任されたいと言ってきたばかりだ。
元々はマティの依頼を受けたハンターが立案し、こちらから直接フリクセルに打診したのだが。
(今は仕方のないこと。どの道、警備は必要だもの)
パーティの招待客の中には、彼女自身のパトロン含め、著名な新興ブルジョワも幾人か混じっている。
帝都という人口密集地の、特に治安の良くない場所へ招く以上、それなりの用意はしておかねば。
更に、今回はバルトアンデルス市長の招待と引き換えの無料奉仕。
警備の諸経費は丸々、市の再開発事業部が負担してくれるそうだ。
実質は、フリクセルがFSDにタダ働きさせているだけだが、こちらの金銭的負担が減るのは助かる。
パトロンに頼めば幾らでも金は出る、と画商のベッカートは言うが、頼りたくない。
作品という対価もなしに頼るのでは物乞いと同じだ。その点、再開発の連中とは取引になる。
先方は計画の色づけにアトリエを使い、マティの側は無料で警備会社を雇える。
●
とある会社から、マティに宛てて慈善金の申し込みもあった。
フリクセル所有の会社だろう。こちらがハンターを雇って独自に動いていると知り、金で抱き込む腹か。
受けて立つ。フリクセルら悪党どもを利用し、出し抜いてやる。
だが今は、アトリエの無事な船出が先決だ。新聞を放り出して、マティは階下に降りた。
煉瓦造りの空き倉庫を改造した、アトリエの1階。吹き抜けの2階側から見下ろせば、
河原から集まった浮浪者仲間が、今日もあれこれと力仕事をしてくれている。
まず1階南側に、マティの作品制作の為のスペースを用意。
他の部分は、街で拾い集めてきたガラス片の仕分けと加工の場、
加えて、簡単なガラス細工も作れるようにと、炉やその他の道具を設けていた。
いずれはちょっとした工房に仕立て、仲間たちの手にもちゃんとした職をつけさせるつもりだ。
この間、ハンターがギャングから取り戻してくれたふたりの子供、
エミールとクルトも、痩せ細った身体で一所懸命に、荷運びや掃除といった雑用を引き受けている。と、
「姉さん! ベッカートさんが、表で待ってるよ」
エミールがこちらに気づいて、そう教えてくれた。慌てて階段を下り、外へ向かった。
●
「失礼、その……早くに押しかけてしまって」
寝間着にガウンを羽織っただけのマティを見て、ベッカートは河のほうへ顔を背けた。
アトリエ前の河原。霞たなびくイルリ河を見下ろしながら彼が言う。
「パーティの翌日からすぐ、あの方の使いでリゼリオに出張でして。
準備やら何やらあって……だから今の内、色々打ち合わせとこうと思いましてね」
「済みません、毎度ながらお手数おかけしてしまって」
マティが石のごろごろした河原を歩いて、ベッカートの横に立つ。
「ここらの地面も、当日までにちゃんとしときますから」
「あっ、はい、ええと……作品は順調ですか」
「お蔭さまで。みんな本当に良く働いてくれますから、私もちゃんと製作に集中できてますよ。
パーティのほうも無事間に合いそうで。招待状もひと通り書き終えたし」
ベッカートが振り向きかけ、それから慌てて目を河面に戻す。
「良かったら、僕が預かっときますよ。皆忙しいでしょう、用事のついでに出しておきますから」
「本当? それじゃ、すぐに取ってくるから」
封筒の束を抱えて、マティがアトリエから戻ってきた。
ベッカートが預かって、1枚ずつ宛先を確認する。
途中、自分とパトロンのルートヴィヒ宛の招待状を抜き、そちらは懐へ仕舞った。
「ご招待、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
「御大の分も僕から直接……これは?」
ベッカートが1枚の手紙を、まじまじと見つめた。
「ハンターオフィス宛、でよろしいんですか?」
「ええ。本当は直接送りたいとこだけど、個人の宛先が分からなかったものだから。
それにまぁ、うちの宣伝も兼ねてってとこね。まだまだ、あちらの世話になりそうだもの」
それからふたりで少し話して、アトリエの完成披露パーティ開催が問題なさそうだと分かると、
ベッカートは挨拶もそこそこに立ち去っていく。
ハンター宛の招待状。そういえば、河原での乱闘事件以来、何度も彼女を助けてきた男も居るようで――
ベッカートはどういう訳か、少し憂鬱になった。
マティの寝室は、アトリエの屋根裏に設けられていた。
彼女が目を覚ますと、毛布で隠れた脚の上に、折り畳まれた新聞が置いてある。
今朝も、住み込みで働く少年の内誰かが、
寝起きの悪いマティを起こすのを諦めて、それだけ置いていったのだろう。
マティは億劫そうに上体を起こすと、充血した目でじっと新聞を睨む。
『バルトアンデルス日報』。唸るような低い声ひとつして、手を伸ばした。
毛布の上に新聞を広げながら、右手で、北向きの窓のカーテンを半分だけ開いた。
アトリエは帝都南東、ブレーナードルフ区の河岸にあって、すぐ目の前をイルリ河が流れている。
河面は白く霞がかり、北岸のバルトアンデルス城の威容も、今朝は薄ぼやけて見えた。
既に秋の空気だった。右手に力を込めて窓を押し開けると、
涼しい風が、淀んだ水の匂いと共に室内へ流れ込んでくる。
本格的な冷え込みが始まるまでに、河原の仲間たち全員へまともな家を用意してやりたい。
リーダーの老婆も、相変わらず体調が思わしくない。誰かに任せて、医者へ連れて行かなければ。
そんなことを考えながら新聞を読み始めた目に、『フリクセル』の文字が留まる。
●
バルトアンデルス市長による、貧民街再開発計画の公式発表。
記事によると、市長は予てからの計画通り、銀行家・ヴェールマンの出資を元手に、
まずは貧民街の老朽化した建築物、特に南部の住宅街整備を推し進める、と言っている。
併せて商業施設の誘致と近隣河川港の拡張を見込んで、貧民街北部の廃墟群にも手をつける予定だ。
廃墟群は現在、新参の少年ギャングが縄張りにしているのだが、
(手打ちが済んだ、ということね)
ギャングの頭目・ライデンと、帝都暗黒街の顔役・フリクセルの間で何らかの取引があったのだろう。
しかし肝心のフリクセルの名は、市長による計画発表の中に含まれていなかったそうだ。
記者――署名は『ドリス・ターク』――は、その理由を以下のように推測している。
「7月のシュレーベンラント反乱に付随して、
フリクセル警備保障(FSD)社員の暴力行為が問題視されている今、
社の代表である氏の名前が、再開発計画のイメージダウンにつながることを恐れたのでは」
だが、あくまで公式発表から名前を外しただけで、計画そのものには依然として関わり続けるであろう――
それは確かだ、とマティは思う。
まさに昨日、FSDの関係者が彼女の下を訪れ、
近日行われるアトリエの完成披露パーティにて、会場と来場者の警備を任されたいと言ってきたばかりだ。
元々はマティの依頼を受けたハンターが立案し、こちらから直接フリクセルに打診したのだが。
(今は仕方のないこと。どの道、警備は必要だもの)
パーティの招待客の中には、彼女自身のパトロン含め、著名な新興ブルジョワも幾人か混じっている。
帝都という人口密集地の、特に治安の良くない場所へ招く以上、それなりの用意はしておかねば。
更に、今回はバルトアンデルス市長の招待と引き換えの無料奉仕。
警備の諸経費は丸々、市の再開発事業部が負担してくれるそうだ。
実質は、フリクセルがFSDにタダ働きさせているだけだが、こちらの金銭的負担が減るのは助かる。
パトロンに頼めば幾らでも金は出る、と画商のベッカートは言うが、頼りたくない。
作品という対価もなしに頼るのでは物乞いと同じだ。その点、再開発の連中とは取引になる。
先方は計画の色づけにアトリエを使い、マティの側は無料で警備会社を雇える。
●
とある会社から、マティに宛てて慈善金の申し込みもあった。
フリクセル所有の会社だろう。こちらがハンターを雇って独自に動いていると知り、金で抱き込む腹か。
受けて立つ。フリクセルら悪党どもを利用し、出し抜いてやる。
だが今は、アトリエの無事な船出が先決だ。新聞を放り出して、マティは階下に降りた。
煉瓦造りの空き倉庫を改造した、アトリエの1階。吹き抜けの2階側から見下ろせば、
河原から集まった浮浪者仲間が、今日もあれこれと力仕事をしてくれている。
まず1階南側に、マティの作品制作の為のスペースを用意。
他の部分は、街で拾い集めてきたガラス片の仕分けと加工の場、
加えて、簡単なガラス細工も作れるようにと、炉やその他の道具を設けていた。
いずれはちょっとした工房に仕立て、仲間たちの手にもちゃんとした職をつけさせるつもりだ。
この間、ハンターがギャングから取り戻してくれたふたりの子供、
エミールとクルトも、痩せ細った身体で一所懸命に、荷運びや掃除といった雑用を引き受けている。と、
「姉さん! ベッカートさんが、表で待ってるよ」
エミールがこちらに気づいて、そう教えてくれた。慌てて階段を下り、外へ向かった。
●
「失礼、その……早くに押しかけてしまって」
寝間着にガウンを羽織っただけのマティを見て、ベッカートは河のほうへ顔を背けた。
アトリエ前の河原。霞たなびくイルリ河を見下ろしながら彼が言う。
「パーティの翌日からすぐ、あの方の使いでリゼリオに出張でして。
準備やら何やらあって……だから今の内、色々打ち合わせとこうと思いましてね」
「済みません、毎度ながらお手数おかけしてしまって」
マティが石のごろごろした河原を歩いて、ベッカートの横に立つ。
「ここらの地面も、当日までにちゃんとしときますから」
「あっ、はい、ええと……作品は順調ですか」
「お蔭さまで。みんな本当に良く働いてくれますから、私もちゃんと製作に集中できてますよ。
パーティのほうも無事間に合いそうで。招待状もひと通り書き終えたし」
ベッカートが振り向きかけ、それから慌てて目を河面に戻す。
「良かったら、僕が預かっときますよ。皆忙しいでしょう、用事のついでに出しておきますから」
「本当? それじゃ、すぐに取ってくるから」
封筒の束を抱えて、マティがアトリエから戻ってきた。
ベッカートが預かって、1枚ずつ宛先を確認する。
途中、自分とパトロンのルートヴィヒ宛の招待状を抜き、そちらは懐へ仕舞った。
「ご招待、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
「御大の分も僕から直接……これは?」
ベッカートが1枚の手紙を、まじまじと見つめた。
「ハンターオフィス宛、でよろしいんですか?」
「ええ。本当は直接送りたいとこだけど、個人の宛先が分からなかったものだから。
それにまぁ、うちの宣伝も兼ねてってとこね。まだまだ、あちらの世話になりそうだもの」
それからふたりで少し話して、アトリエの完成披露パーティ開催が問題なさそうだと分かると、
ベッカートは挨拶もそこそこに立ち去っていく。
ハンター宛の招待状。そういえば、河原での乱闘事件以来、何度も彼女を助けてきた男も居るようで――
ベッカートはどういう訳か、少し憂鬱になった。
リプレイ本文
●
真田 天斗(ka0014)に、依頼で縁のあった第一師団・ヴルツァライヒ専従捜査隊員が答える。
「ラングハイン水運。業務は主に建築資材の水上運搬、港湾建設、日雇い労働者の派遣……」
そこで隊員は、面白がるような顔をした。
「あんた『オルデン』と揉めてるのか?」
●
浮浪者仲間と仕出し屋が河原へ集まって、椅子やテーブル、料理のワゴンを並べていく。
マティもテーブルに花瓶を置いて回りながら、レイ・T・ベッドフォード(ka2398)へ、
「ありがとう――レイ」
「差し当たり数日の入院で、病状を見るそうです」
彼は今朝、河原のリーダー格だった老婆を、
フリクセルに紹介されたとある病院へ連れて行ったばかりだ。報告が終わると、
「後はやっておきますので、どうぞご自分の支度を。
子供たちへの土産に菓子など置いてまいりましたから、是非マティ様もお召し上がり下さい」
早起きのせいか、マティは顔色が冴えない。勧め通りにアトリエへ戻って行く。と、
「パーティの後に、お時間を頂けますか?」
レイが残りの花瓶を抱いたまま、呼び止める。
振り返るマティ。ふっと微笑んで、それからまた歩き出した。
●
やがて河原へ集まり出した招待客、その中に、
「見てくれは地味だけど、広くて使い易そうな建物じゃんか」
ヒュムネ・ミュンスター(ka4288)。マティにアトリエ開設を勧めた張本人だ。
ハンター仲間のデュシオン・ヴァニーユ(ka4696)に、
「あんた、マティとは?」
「初対面でございますけれど、お噂を聞いて……」
着替えと化粧を済ませたマティが、アトリエから下りてきた。
招待客と挨拶を交わしつつ、ヒュムネたちの下へ。
「来てくれたのね、嬉しいわ」
「俺様が見届けない訳に行かないだろ。アトリエ完成、おめでとう!
これであんたも一国一城の主。昔に比べりゃ、すげぇ良い顔つきになってるぜ!」
ヒュムネはマティと握手を交わしつつ、デュシオンに紹介する。
「おはようございます、ドリス様」
メリル・E・ベッドフォード(ka2399)の後から、ドリスが天斗と連れ立ってやって来た。
「おはよう。弟さんは?」
「先に来ている筈なのですが……」
何はともあれ、まずは3人でマティへ祝辞を述べる。天斗が花籠パイの包みを渡し、
「お祝いの品です、皆様で召し上がって下さい。それから……」
「バルツの記者さんね、1度お会いしたことがあるわ」
ドリスとマティが話し始めると、メリルは改めてレイを探した。
そんな彼女の目が、ウィンス・デイランダール(ka0039)の姿を認める。
「よう。あんたの弟」
ウィンスは首を振って、来た道を示す。
「途中で、溝に嵌った馬車戻すの手伝ってたぜ。一張羅のまんまで大丈夫かアイツ?」
メリルが頭を抱えると、
「見回りついでに手伝ってまいります、失礼」
天斗が言って、さっと会場を出ていった。
●
護衛、使用人、その他身内を大勢引き連れてルートヴィヒが現れる。
お供のベッカート、それからエンゲルスがマティへ駆け寄って来て、
「御大をお連れしましたよ」
「約束の品も。数がぎりぎりなんだ、後で確認してもらえるかい」
マティがふとこちらを見たので、メリルが、
「もしかして、記念品のことで?」
「そう。貴方が手紙で教えてくれるまで、すっかり忘れてたわ」
済まなそうな笑みを残し、マティはルートヴィヒの出迎えに行く。
こちらも市庁の職員や記者を引き連れて、市長のバスラ―が到着。
レイと天斗が服の埃を払いつつ会場へ戻ると、客は既に出揃っていた。
「さて」
ウィンスが席に踏ん反り返る。
デュシオンはヒュムネとふたり、乾杯用のグラスを手に待っていたが、
「これから乾杯なのでは?」
尋ねられると、ウィンスはぐっと首を逸らして天を仰いだ。
「経験上、こっからがなげーぞ。覚悟しとけ」
マティの挨拶はごくごく簡潔に終わり、次は市長――ウィンスの読み通り、話の長い男だった。
「帝都市民の生活向上! これは経済的側面に限らず、文化的・内面的問題でもありまして……」
演説をぶつ市長の後ろで、ルートヴィヒがこれみよがしにあくびをする。
やがて挨拶はエンゲルスに引き継がれるが、こちらも中々話が終わらない。
「革命13年! この激動の時代にあって我々が為すべきは、帝国魂、鉄血の精神の涵養となれば……」
「温くなっちまうよ」
ヒュムネも諦め、杯を置いた。
●
エンゲルスが長いながい挨拶の果て、ようやく乾杯の音頭を取る。
あちらこちらでグラスの触れ合う音がし、客たちが歩き回り始めた。
マティと市長、エンゲルスの周囲にも、新聞各紙の記者が早速詰めかける。
「一番乗りは帝国通信社さんか。全国紙だ、良い宣伝になるよ」
どういう訳か、ドリスは高見の見物をしている。デュシオンとヒュムネが、
「北狄征伐の続報が出るまでなら、きっと記事にして下さるものと思い、お勧めしたのです」
「目についた新聞社、片っ端から招待状出させたんだ。あんたは行かなくて良いのか?」
ドリスがにやっと笑う。
「後日、独占取材。地元の強みだね」
やがて記者たちがばらけ始めると、幾人かをヒュムネが引き受けた。
「マティはどんな困難でもめげず、此処まで努力してきたんだ。
それだけじゃねぇ、今まで助けてくれた仲間を見捨てねぇ義侠心もある。
そんな人柄だからこそ、良い作品が生まれるんだと思うぜ……」
賑わうパーティの席上から、天斗は河を眺めていた。
制服姿の男たちを乗せたボートが1隻、水上に留まっている。
「FSDですね。河原の東西と、南の通りにも配置されていました」
「ここでもフリクセルの影、か。ねぇ、例の尾行者の話だけど」
ドリスだった。天斗が飲み物を手渡し、
「ラングハイン水運――『騎士団(オルデン)』の者かと」
ドリスが頷く。
『オルデン』とはフリクセルを発起人として設立された組織で、
早い話が、帝都に巣食うやくざ者たちの連合だ。
傘下のひとつ、ラングハイン一家は、貧民街を除くブレーナードルフ区各所に縄張りを持つらしい。
「特集記事の為にあちこち顔突っ込んでるからね、それで警戒されたか」
「その後はお変わりありませんか?」
「大丈夫、まだ――」
メリルが来た。3人で、今度はルートヴィヒを探しに出る。
●
「アトリエの案内、しなくて良いのか。さっき客を入れてたろ」
隅の席にひとりで居たウィンスの下を、マティが訪れた。
「正直、大して見せるものはないから。それにエンゲルスが、代わりに喋ってくれてる」
「あの、話の長ぇ前衛芸術の男か」
マティはウィンスの隣に座ると、
「有志でアトリエを拡張して、前衛派の拠点にしようって話も出てるのだけど」
「良いじゃねーか。人が集まる、金が集まる、何ごともまずはそっからだろ」
マティは黙って、アトリエのほうを振り返る。ウィンスはおもむろにグラスを置き、
「……多分、この貧民街に帝国の縮図が生まれる」
再開発計画による資本の流入。ついていける住民は、仕事のある者たちだけだ。
このままではマティの浮浪者仲間など、雇用の見込みのない人間は切り捨てられる。
「だが肝心の計画を引っ張ってるフリクセル自身、脛に傷が多い。計画自体、この先どうなるか分からない」
周囲では正装の子供たちが、置き去りの食事をせっせとワゴンに積み替えている。
通りすがった1台へ、ウィンスが手を伸ばして料理と酒瓶を取った。
「ブルジョワジーの中には帝政を良しとせず、
同盟のような自由な政治を目論む一派がいるって噂もある。
付き合いを間違えると厄介な話が舞い込む可能性もある。……で」
マティの前に、皿と瓶を押し出す。
「率直に、こういう話をどう思う?」
「率直に言って」
マティが空いたグラスを引き寄せ、
「頭が痛い」
「上等だ」
ウィンスが片手で瓶を取り上げ、マティの杯へ注いだ。
「土地でも買ったらどうだ。計画が本格化する前、安い内が買い時だ」
「そんな、そこまで儲かってないわよ」
「先々にでもよ。で、店でも開くか、医者でも見つけて開業させれば。
婆さんのこともあるしな。兎に角、これで終わらず何でもやれよ」
●
「ルートヴィヒ様、お久し振りでございます」
「真田君、それにベッドフォード君。展覧会で世話になったね。
ヴァニーユ君。『魔剣』原作者のひとりだ」
アトリエ内で、ハンターたちとルートヴィヒが握手を交わす。
「で、君は……」
「レイ・T・ベッドフォードと申します」
ルートヴィヒは今日もロッソ製の背広に身を包み、金縁の片眼鏡は曇りひとつない。
「帝国随一の資産家でいらっしゃると聞いております。
それだけの財をお持ちなら、自由にならないことは何もない。却って退屈されたりはしませんか?」
「レイ」
姉の掣肘も気にせず、レイはルートヴィヒと差し向かいで話し始めた。
「金で買えないものは多いさ。だから、私はマティ女史のような人物が好きなんだ。
私にない『才能』という財産を使って、世界を豊かにする人々がね。
そして私は、金貨と引き換えに観覧席を買ってるようなものかな?」
「成る程。ところで」
レイが、傍目にそれと分からぬくらいの小さな動きで身構える。
「貴方はヴルツァライヒではないですか?」
周囲の人々が、水を打ったように静まり返った。
気まずい沈黙を破って、ルートヴィヒが爆笑する。
片眼鏡を外して涙を拭いながら、顔を上げ、
「何故、そう、思ったのかね?」
「実は、勘でして」
真顔で答えるレイに、そこでまたひと笑い。ルートヴィヒは息絶えだえに、
「すごい……質問をするものだね、君、は……いや、こんなに笑ったのは、久し振り、だ!
行く先々で、同じ質問をしてるんじゃないかね?」
「いえ……ただ、マティ様を手助けしたいのです」
「ヴルツァライヒが、彼女を狙ってる、と?」
「そういうことも、あるかと思いましっ」
レイを引っ張って下がらせつつ、メリルがルートヴィヒに頭を下げた。
●
「この度は、愚弟が大変な不始末を致しまして」
何ごとかと駆けつけたマティへ、またもメリルが陳謝する。
傍には冷汗を浮かべたベッカート。マティに耳打ちされ、アトリエへ入っていく。
「全く、あれは本当に頓珍漢で天然で、真顔で斜め上の発言をする馬鹿者です。けれど」
溜め息を吐くマティに、メリルが言った。
「とても、心の優しい子なのです。どうか……」
メリルに頭を下げさせたまま、マティも建物に入った。
入れ替わりに、ドリスと天斗が様子を見に来ると、
「ドリス様。今度も、お願いがございます」
「初演は12月頃になりそうだよ。北狄征伐勝利の祝いにできれば良いね」
アトリエ奥の作業台に横たえられた画を前に、ルートヴィヒがデュシオンへ告げる。
「わたくしからも、公演の成功を祈らせて頂きますわ」
「衣装や何かは、また面白い作家を見つけたんだ。
音楽のほうもね、帝都老舗の楽団を引っ張り込んだところさ」
「本当に、人脈が広くてらっしゃるのですね」
デュシオンが言うと、
「ヴルツァライヒとか?」
後ろに居たメリルがまたも謝ろうとするのを止め、
「勘、というのは大事なものだよ。霊感と言っても良い。
己が得たヴィジョンを、合理・非合理の別なくあるがまま受け入れ、形にする。
芸術家向きの資質じゃないかね? 世界に意味はない、『人間』だけがそれを作る」
ルートヴィヒが、デュシオンとメリルを画のほうへ招き寄せる。
間近にはマティの作品も、石膏に埋められた色ガラスの集まりでしかない。
だが離れて見ればそれは確かに、イルリ河南岸から眺めたバルトアンデルス城を描いている。
「世界」
デュシオンが呟けば、
「これが彼女の世界だ。1度ならず砕けてしまったものを、慎重に繋ぎ直していく――」
「失礼、少々よろしいでしょうか」
天斗が戻って来て、ドリスをルートヴィヒに紹介した。
そして話題はマティの作品の感想から、
帝都前衛派の活動、そして劇団『魔剣』の公演へと移っていく。
アトリエ2階では、ベッカートが市長に売り込みをかけていた。
マティに計画のシンボルとなるような作品を作らせる――ヒュムネのアイデアだった。
●
会食の席でも、来客たちの芸術談義。
陽が傾き、ちょうど彼らの話題も尽きた頃、パーティはお開きとなる。
ルートヴィヒ始め、マティの作品を予約中の招待客へは、退席の際に手土産が配られた。
鉄器にガラスをはめ込んだ小皿で、訊けばメリルの助言を受けた後、
エンゲルスの仲間と共同で急遽製作したもののようだ。
「無理を、言ってしまいましたかしら」
「土産のことか?」
メリルとウィンスが小声で話し合う。
ふたりの視線の先では、ドリスがマティらと共にルートヴィヒの見送りをしている。
「ドリス様にも色々と。貧民街、引いては帝国の為と、皆様を巻き込んでしまい……」
「マティにも言ったがな。周りの都合は関係ない、てめーの都合を世界に押しつける、
それが逞しさだ。俺たちも同じことじゃねーか?
……今の帝国が気に入らない。俺がこの件を手伝う理由は、それだけだ」
市長も会場を出ていく。話しかけるドリスの脇には、天斗が護衛のようにぴったりとついていた。
仕出し屋や浮浪者仲間を手伝ってワゴンを押しながら、ヒュムネがデュシオンに言う。
「良い画を描いてたろ、マティは」
「ええ、とても」
答えるデュシオンの胸には、ルートヴィヒの言葉が残っていた。
砕け散ったマティの世界。少しずつ、繋ぎ合わせていかなければならない。
(あのガラスは、失われた世界の欠片ですのね)
●
「パトロンが離れれば、今の私は何ほどの者でもない。それは分かるわね?」
「申し訳ございません」
マティは受け取った祝いの品、銀の香炉を抱いたまま、
屋根裏部屋のベッドに腰かけ、レイを睨みつける。
大きく息を吐くと、じっと頭を垂れる彼に向かって、
「で。私は一体、何に巻き込まれようとしてるの?」
「……今後は表立っての事件より、貴方以外を狙った搦め手が厄介なものです。何かあればご連絡を」
言い残して、レイは部屋を去ろうとする。最後に、
「アトリエ開設、改めておめでとうございます。
今の貴方はご自身だけでなく、周りの誰かを助けようとしている……
そのことが、私にはとても眩しい」
そうしてレイが出ていった後、マティはしばらくぼうっとしていたが、
やがて香炉をベッド脇の机に置き、マッチを探し始める。
中々下りてこないマティを心配して、屋根裏に上がったベッカート。
ドアをノックしようとした矢先、室内から香木の柔らかな香りを嗅ぎ、微かな寝息を聴く。
伸ばしかけた手を下ろした。
リゼリオ出張の間も、誰かが自分に代わって、彼女を助けてくれることを祈る。
(例え、あのおかしな男でも)
小さな花束を1階の作業台に残して、ベッカートはアトリエを去る。
河原に吹く夜風は、嫌に冷たかった。
真田 天斗(ka0014)に、依頼で縁のあった第一師団・ヴルツァライヒ専従捜査隊員が答える。
「ラングハイン水運。業務は主に建築資材の水上運搬、港湾建設、日雇い労働者の派遣……」
そこで隊員は、面白がるような顔をした。
「あんた『オルデン』と揉めてるのか?」
●
浮浪者仲間と仕出し屋が河原へ集まって、椅子やテーブル、料理のワゴンを並べていく。
マティもテーブルに花瓶を置いて回りながら、レイ・T・ベッドフォード(ka2398)へ、
「ありがとう――レイ」
「差し当たり数日の入院で、病状を見るそうです」
彼は今朝、河原のリーダー格だった老婆を、
フリクセルに紹介されたとある病院へ連れて行ったばかりだ。報告が終わると、
「後はやっておきますので、どうぞご自分の支度を。
子供たちへの土産に菓子など置いてまいりましたから、是非マティ様もお召し上がり下さい」
早起きのせいか、マティは顔色が冴えない。勧め通りにアトリエへ戻って行く。と、
「パーティの後に、お時間を頂けますか?」
レイが残りの花瓶を抱いたまま、呼び止める。
振り返るマティ。ふっと微笑んで、それからまた歩き出した。
●
やがて河原へ集まり出した招待客、その中に、
「見てくれは地味だけど、広くて使い易そうな建物じゃんか」
ヒュムネ・ミュンスター(ka4288)。マティにアトリエ開設を勧めた張本人だ。
ハンター仲間のデュシオン・ヴァニーユ(ka4696)に、
「あんた、マティとは?」
「初対面でございますけれど、お噂を聞いて……」
着替えと化粧を済ませたマティが、アトリエから下りてきた。
招待客と挨拶を交わしつつ、ヒュムネたちの下へ。
「来てくれたのね、嬉しいわ」
「俺様が見届けない訳に行かないだろ。アトリエ完成、おめでとう!
これであんたも一国一城の主。昔に比べりゃ、すげぇ良い顔つきになってるぜ!」
ヒュムネはマティと握手を交わしつつ、デュシオンに紹介する。
「おはようございます、ドリス様」
メリル・E・ベッドフォード(ka2399)の後から、ドリスが天斗と連れ立ってやって来た。
「おはよう。弟さんは?」
「先に来ている筈なのですが……」
何はともあれ、まずは3人でマティへ祝辞を述べる。天斗が花籠パイの包みを渡し、
「お祝いの品です、皆様で召し上がって下さい。それから……」
「バルツの記者さんね、1度お会いしたことがあるわ」
ドリスとマティが話し始めると、メリルは改めてレイを探した。
そんな彼女の目が、ウィンス・デイランダール(ka0039)の姿を認める。
「よう。あんたの弟」
ウィンスは首を振って、来た道を示す。
「途中で、溝に嵌った馬車戻すの手伝ってたぜ。一張羅のまんまで大丈夫かアイツ?」
メリルが頭を抱えると、
「見回りついでに手伝ってまいります、失礼」
天斗が言って、さっと会場を出ていった。
●
護衛、使用人、その他身内を大勢引き連れてルートヴィヒが現れる。
お供のベッカート、それからエンゲルスがマティへ駆け寄って来て、
「御大をお連れしましたよ」
「約束の品も。数がぎりぎりなんだ、後で確認してもらえるかい」
マティがふとこちらを見たので、メリルが、
「もしかして、記念品のことで?」
「そう。貴方が手紙で教えてくれるまで、すっかり忘れてたわ」
済まなそうな笑みを残し、マティはルートヴィヒの出迎えに行く。
こちらも市庁の職員や記者を引き連れて、市長のバスラ―が到着。
レイと天斗が服の埃を払いつつ会場へ戻ると、客は既に出揃っていた。
「さて」
ウィンスが席に踏ん反り返る。
デュシオンはヒュムネとふたり、乾杯用のグラスを手に待っていたが、
「これから乾杯なのでは?」
尋ねられると、ウィンスはぐっと首を逸らして天を仰いだ。
「経験上、こっからがなげーぞ。覚悟しとけ」
マティの挨拶はごくごく簡潔に終わり、次は市長――ウィンスの読み通り、話の長い男だった。
「帝都市民の生活向上! これは経済的側面に限らず、文化的・内面的問題でもありまして……」
演説をぶつ市長の後ろで、ルートヴィヒがこれみよがしにあくびをする。
やがて挨拶はエンゲルスに引き継がれるが、こちらも中々話が終わらない。
「革命13年! この激動の時代にあって我々が為すべきは、帝国魂、鉄血の精神の涵養となれば……」
「温くなっちまうよ」
ヒュムネも諦め、杯を置いた。
●
エンゲルスが長いながい挨拶の果て、ようやく乾杯の音頭を取る。
あちらこちらでグラスの触れ合う音がし、客たちが歩き回り始めた。
マティと市長、エンゲルスの周囲にも、新聞各紙の記者が早速詰めかける。
「一番乗りは帝国通信社さんか。全国紙だ、良い宣伝になるよ」
どういう訳か、ドリスは高見の見物をしている。デュシオンとヒュムネが、
「北狄征伐の続報が出るまでなら、きっと記事にして下さるものと思い、お勧めしたのです」
「目についた新聞社、片っ端から招待状出させたんだ。あんたは行かなくて良いのか?」
ドリスがにやっと笑う。
「後日、独占取材。地元の強みだね」
やがて記者たちがばらけ始めると、幾人かをヒュムネが引き受けた。
「マティはどんな困難でもめげず、此処まで努力してきたんだ。
それだけじゃねぇ、今まで助けてくれた仲間を見捨てねぇ義侠心もある。
そんな人柄だからこそ、良い作品が生まれるんだと思うぜ……」
賑わうパーティの席上から、天斗は河を眺めていた。
制服姿の男たちを乗せたボートが1隻、水上に留まっている。
「FSDですね。河原の東西と、南の通りにも配置されていました」
「ここでもフリクセルの影、か。ねぇ、例の尾行者の話だけど」
ドリスだった。天斗が飲み物を手渡し、
「ラングハイン水運――『騎士団(オルデン)』の者かと」
ドリスが頷く。
『オルデン』とはフリクセルを発起人として設立された組織で、
早い話が、帝都に巣食うやくざ者たちの連合だ。
傘下のひとつ、ラングハイン一家は、貧民街を除くブレーナードルフ区各所に縄張りを持つらしい。
「特集記事の為にあちこち顔突っ込んでるからね、それで警戒されたか」
「その後はお変わりありませんか?」
「大丈夫、まだ――」
メリルが来た。3人で、今度はルートヴィヒを探しに出る。
●
「アトリエの案内、しなくて良いのか。さっき客を入れてたろ」
隅の席にひとりで居たウィンスの下を、マティが訪れた。
「正直、大して見せるものはないから。それにエンゲルスが、代わりに喋ってくれてる」
「あの、話の長ぇ前衛芸術の男か」
マティはウィンスの隣に座ると、
「有志でアトリエを拡張して、前衛派の拠点にしようって話も出てるのだけど」
「良いじゃねーか。人が集まる、金が集まる、何ごともまずはそっからだろ」
マティは黙って、アトリエのほうを振り返る。ウィンスはおもむろにグラスを置き、
「……多分、この貧民街に帝国の縮図が生まれる」
再開発計画による資本の流入。ついていける住民は、仕事のある者たちだけだ。
このままではマティの浮浪者仲間など、雇用の見込みのない人間は切り捨てられる。
「だが肝心の計画を引っ張ってるフリクセル自身、脛に傷が多い。計画自体、この先どうなるか分からない」
周囲では正装の子供たちが、置き去りの食事をせっせとワゴンに積み替えている。
通りすがった1台へ、ウィンスが手を伸ばして料理と酒瓶を取った。
「ブルジョワジーの中には帝政を良しとせず、
同盟のような自由な政治を目論む一派がいるって噂もある。
付き合いを間違えると厄介な話が舞い込む可能性もある。……で」
マティの前に、皿と瓶を押し出す。
「率直に、こういう話をどう思う?」
「率直に言って」
マティが空いたグラスを引き寄せ、
「頭が痛い」
「上等だ」
ウィンスが片手で瓶を取り上げ、マティの杯へ注いだ。
「土地でも買ったらどうだ。計画が本格化する前、安い内が買い時だ」
「そんな、そこまで儲かってないわよ」
「先々にでもよ。で、店でも開くか、医者でも見つけて開業させれば。
婆さんのこともあるしな。兎に角、これで終わらず何でもやれよ」
●
「ルートヴィヒ様、お久し振りでございます」
「真田君、それにベッドフォード君。展覧会で世話になったね。
ヴァニーユ君。『魔剣』原作者のひとりだ」
アトリエ内で、ハンターたちとルートヴィヒが握手を交わす。
「で、君は……」
「レイ・T・ベッドフォードと申します」
ルートヴィヒは今日もロッソ製の背広に身を包み、金縁の片眼鏡は曇りひとつない。
「帝国随一の資産家でいらっしゃると聞いております。
それだけの財をお持ちなら、自由にならないことは何もない。却って退屈されたりはしませんか?」
「レイ」
姉の掣肘も気にせず、レイはルートヴィヒと差し向かいで話し始めた。
「金で買えないものは多いさ。だから、私はマティ女史のような人物が好きなんだ。
私にない『才能』という財産を使って、世界を豊かにする人々がね。
そして私は、金貨と引き換えに観覧席を買ってるようなものかな?」
「成る程。ところで」
レイが、傍目にそれと分からぬくらいの小さな動きで身構える。
「貴方はヴルツァライヒではないですか?」
周囲の人々が、水を打ったように静まり返った。
気まずい沈黙を破って、ルートヴィヒが爆笑する。
片眼鏡を外して涙を拭いながら、顔を上げ、
「何故、そう、思ったのかね?」
「実は、勘でして」
真顔で答えるレイに、そこでまたひと笑い。ルートヴィヒは息絶えだえに、
「すごい……質問をするものだね、君、は……いや、こんなに笑ったのは、久し振り、だ!
行く先々で、同じ質問をしてるんじゃないかね?」
「いえ……ただ、マティ様を手助けしたいのです」
「ヴルツァライヒが、彼女を狙ってる、と?」
「そういうことも、あるかと思いましっ」
レイを引っ張って下がらせつつ、メリルがルートヴィヒに頭を下げた。
●
「この度は、愚弟が大変な不始末を致しまして」
何ごとかと駆けつけたマティへ、またもメリルが陳謝する。
傍には冷汗を浮かべたベッカート。マティに耳打ちされ、アトリエへ入っていく。
「全く、あれは本当に頓珍漢で天然で、真顔で斜め上の発言をする馬鹿者です。けれど」
溜め息を吐くマティに、メリルが言った。
「とても、心の優しい子なのです。どうか……」
メリルに頭を下げさせたまま、マティも建物に入った。
入れ替わりに、ドリスと天斗が様子を見に来ると、
「ドリス様。今度も、お願いがございます」
「初演は12月頃になりそうだよ。北狄征伐勝利の祝いにできれば良いね」
アトリエ奥の作業台に横たえられた画を前に、ルートヴィヒがデュシオンへ告げる。
「わたくしからも、公演の成功を祈らせて頂きますわ」
「衣装や何かは、また面白い作家を見つけたんだ。
音楽のほうもね、帝都老舗の楽団を引っ張り込んだところさ」
「本当に、人脈が広くてらっしゃるのですね」
デュシオンが言うと、
「ヴルツァライヒとか?」
後ろに居たメリルがまたも謝ろうとするのを止め、
「勘、というのは大事なものだよ。霊感と言っても良い。
己が得たヴィジョンを、合理・非合理の別なくあるがまま受け入れ、形にする。
芸術家向きの資質じゃないかね? 世界に意味はない、『人間』だけがそれを作る」
ルートヴィヒが、デュシオンとメリルを画のほうへ招き寄せる。
間近にはマティの作品も、石膏に埋められた色ガラスの集まりでしかない。
だが離れて見ればそれは確かに、イルリ河南岸から眺めたバルトアンデルス城を描いている。
「世界」
デュシオンが呟けば、
「これが彼女の世界だ。1度ならず砕けてしまったものを、慎重に繋ぎ直していく――」
「失礼、少々よろしいでしょうか」
天斗が戻って来て、ドリスをルートヴィヒに紹介した。
そして話題はマティの作品の感想から、
帝都前衛派の活動、そして劇団『魔剣』の公演へと移っていく。
アトリエ2階では、ベッカートが市長に売り込みをかけていた。
マティに計画のシンボルとなるような作品を作らせる――ヒュムネのアイデアだった。
●
会食の席でも、来客たちの芸術談義。
陽が傾き、ちょうど彼らの話題も尽きた頃、パーティはお開きとなる。
ルートヴィヒ始め、マティの作品を予約中の招待客へは、退席の際に手土産が配られた。
鉄器にガラスをはめ込んだ小皿で、訊けばメリルの助言を受けた後、
エンゲルスの仲間と共同で急遽製作したもののようだ。
「無理を、言ってしまいましたかしら」
「土産のことか?」
メリルとウィンスが小声で話し合う。
ふたりの視線の先では、ドリスがマティらと共にルートヴィヒの見送りをしている。
「ドリス様にも色々と。貧民街、引いては帝国の為と、皆様を巻き込んでしまい……」
「マティにも言ったがな。周りの都合は関係ない、てめーの都合を世界に押しつける、
それが逞しさだ。俺たちも同じことじゃねーか?
……今の帝国が気に入らない。俺がこの件を手伝う理由は、それだけだ」
市長も会場を出ていく。話しかけるドリスの脇には、天斗が護衛のようにぴったりとついていた。
仕出し屋や浮浪者仲間を手伝ってワゴンを押しながら、ヒュムネがデュシオンに言う。
「良い画を描いてたろ、マティは」
「ええ、とても」
答えるデュシオンの胸には、ルートヴィヒの言葉が残っていた。
砕け散ったマティの世界。少しずつ、繋ぎ合わせていかなければならない。
(あのガラスは、失われた世界の欠片ですのね)
●
「パトロンが離れれば、今の私は何ほどの者でもない。それは分かるわね?」
「申し訳ございません」
マティは受け取った祝いの品、銀の香炉を抱いたまま、
屋根裏部屋のベッドに腰かけ、レイを睨みつける。
大きく息を吐くと、じっと頭を垂れる彼に向かって、
「で。私は一体、何に巻き込まれようとしてるの?」
「……今後は表立っての事件より、貴方以外を狙った搦め手が厄介なものです。何かあればご連絡を」
言い残して、レイは部屋を去ろうとする。最後に、
「アトリエ開設、改めておめでとうございます。
今の貴方はご自身だけでなく、周りの誰かを助けようとしている……
そのことが、私にはとても眩しい」
そうしてレイが出ていった後、マティはしばらくぼうっとしていたが、
やがて香炉をベッド脇の机に置き、マッチを探し始める。
中々下りてこないマティを心配して、屋根裏に上がったベッカート。
ドアをノックしようとした矢先、室内から香木の柔らかな香りを嗅ぎ、微かな寝息を聴く。
伸ばしかけた手を下ろした。
リゼリオ出張の間も、誰かが自分に代わって、彼女を助けてくれることを祈る。
(例え、あのおかしな男でも)
小さな花束を1階の作業台に残して、ベッカートはアトリエを去る。
河原に吹く夜風は、嫌に冷たかった。
依頼結果
参加者一覧
サポート一覧
マテリアルリンク参加者一覧
依頼相談掲示板 | |||
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相談はこちら。 レイ・T・ベッドフォード(ka2398) 人間(リアルブルー)|26才|男性|霊闘士(ベルセルク) |
最終発言 2015/09/28 20:21:32 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2015/09/26 22:57:02 |