• 聖呪

【聖呪】其の怨恨が、解き放たれし先で

マスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態
ショート
難易度
やや難しい
オプション
  • relation
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
4~6人
サポート
0~0人
マテリアルリンク
報酬
普通
相談期間
5日
締切
2015/10/20 12:00
完成日
2015/10/28 11:06

みんなの思い出

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オープニング


 ぎぎ、と。軋む音が虚空に響き渡り、波紋のように緩やかに反響する。
 その中心で独り佇む女が居た。長い髪の毛は乱れきって筋張った細い手足が力なく投げ出されている。
 密集した茨が束となり、それが更に犇めき壁を成すそこは広かった。茨の壁を抜けて中心に差し込む光は――蒼白な月光。

 息づかいも、
 身じろぎも、
 ただの一つも、彼女は残すことはない。

 彼女は正しく死んでいた。
 しかし、彼女は夢を見る。

 そこで。
 かつて聖女で、死して亡霊となった彼女は――静かに、発狂していた。



 その頃。
『各地の同胞を集めろ』
 茨の王が発した報は正しく伝播し、各地の茨小鬼と彼らが従える亜人達へと正しく伝わっていく。

 獣を駆り、大地を直走る茨小鬼。彼もまた、情報を伝えるために昼夜問わずに忠を尽くしていた。豊富なマテリアル故に疲れを知らず、その足取りは軽かった。

 だが。獣の脚が、ゆらり、ゆらりと遅くなっていく。
 手綱を握る茨小鬼の視線はいつしか彼方に固定されていた。睨むように歪められた顔は険しい。
 亜人の表情ではあるが、見るものが見れば――そう、抗っていると感じたことだろう。
 そのままに、茨小鬼と獣は進路を変えた。

 疾走する先にあったのは――。



 あの日。突如現れた大量の茨は、村を轢き潰した。村人の移動は騎士団にの手に寄って速やかに行われた。だから、今、そこには無人の荒野しかありはしなかった。
「……やっぱりだ。あのマテリアルの残滓が残ってる」
「ならば、あとはどこまで辿れるか、ですね」
 法術陣の専門家であるオーラン・クロスは、その荒野を進んでいた。その傍らには、油断なく周囲を見渡しているフォーリ・イノサンティ(kz0091)の姿もある。
「オーラン。もう少し急げないのですか?」
 温厚なフォーリにしては珍しく、急いた様子で言うのには、事情がある。
 オーランは、クラベルに狙われている現状を踏まえて、王都に護送された筈だったのだ。一体全体、どうしたものか、オーランは王都から逃げ出して、此処にいる。それ故に護衛のための戦士団を動員できず、彼一人が護衛をしていた。
「……ダメだ、微細すぎて……」
 ぶつぶつと呟き、法具や触媒を惜しみなく使いながら進むオーランに、フォーリは慨嘆するほかない。
 フォーリは熟練の聖導士だ。それでも、彼一人では黒大公ベリアルの直属の配下であるクラベルは止められまい。そして、護衛は望めない現状は、苦い。
 とはいえ、だ。家族を喪った痛みを抱くフォーリは、オーランの後悔を十二分に理解していた。
 そんな旧友たっての頼みだったからこそ、護衛として彼は此処にいる。

 どれだけそうやって進んだのだろう。
 ただただ、辿る先。瘴気のように煙って見える先に、《森》を見つけた。

 ――茨の、森だ。

 犇めく茨の中で、来訪する者を歓迎するように大きく描かれた円は、出入り口のように見えた。
「……オーラン。此処は危険です」
「何故だ」
 前に進まんとするオーランを、フォーリは押しとどめた。疲労の滲んだ様子で反駁するオーランに、フォーリは。
「……足跡があります」
 指し示す先。大型の獣や、ゴブリンによるものとおぼしき足跡が連なっていた。
「それに……此処のマテリアルは異質です。私達だけでは心もとない」
 現状で、すぐに動かせる戦力は知れていた。
「……連れ戻すかい、僕を」
 結論に至ったオーランが皮肉げな苦笑と共に言うのに対し、フォーリは頬を緩めた。
「戻りましょう。
 ――戻って、ハンターを呼びます」



 その日の内にハンターが招集され、その場へと足を踏み入れたのは黄昏も過ぎた宵の口。
「対応しきれぬ事態が起これば直ぐに撤退をします。いいですね?」
 そう言って進んだフォーリを追って踏み入ると、幅こそ3、4メートルはあるが、そこはまるで茨の小路、といった風情であった。
 茨で出来た壁は密であり、隙間らしい隙間は見当たらず、生者の気配など、ただの一つもありはしない。
「……進もう」
 オーランの言葉を受けて、進む。五十。百。二百。歩幅を頼りに、大まかに距離の辺りを付けながら進んだ。
 ふと。
 先頭を進むフォーリの足が止まった。

 ――ああ……私は今まで、何をしていたの……?

 声が、響いていた。殷々と、耳障りな音と共に。
 オーランが「……エリカ」と呟く。痛みを堪えるようではあるが、それら全てを呑み込んだ声色で。だから、だろう。フォーリは歩を進めていく。そこに、独白するような声音が、響き続ける。

 ――夢を見ていたのね……私を欺くための。

 じきに小路の果てが見えた。入り口に近づいたフォーリが、僅かに身を乗り出して出口から中を見る、と。
「……戦闘の準備を。茨小鬼達が、茨に取り込まれています。そして」
 言いながら、僅かに後ずさった。まるで、何かを刺激しないように、静かに。
 ただ、その声は震えていた。

『見せていたのは……貴女《エリカ》……それとも、貴方《エクラ》なの?』

 声の出処は、既に明らかだった。その『部屋』の向こう。そこから、はっきりと、声がする。
「フォーリ、駄目だ」
 オーランがフォーリの肩を固く掴む中、ハンター達は二人の先に、それを見た。

 人の胴程もある生臭く腐り果てた、茨の群れ。
 瘴気を放つそれが部屋の中心から絡まりながら天上を目指すように突き立っている。
 辿る先に、それが居た。

『……壊さなきゃ。貴方を……殺さなきゃ……だって、貴方は誰も救わない……』

 エリカ。
 恐らくは、その亡霊が。

『……ねぇ。そう思わない?』

 そう言った彼女は。

 木のうろのような眼窩で、こちらを見ていた。



「漸く、確信が得られたぞ……っと、正気に戻るんだ、フォーリ!
 護衛の任を果たせ! 恐らくあれが予想通りのものなら、僕達だけでは勝ち目がない! 退こう!」
「……ッ、分かり、ました」
 言葉に、今にも挑みかかりそうなくらいに殺気を滲ませていたフォーリは視線を引き千切る。「行け!」と叫ぶ声に、フォーリは振り切るように疾走を開始した。
 その時だ。茨の小路を形作っていた壁が、ぞわり、と音を立てて蠢く。過密ですらあったそれが、一息に網のように疎となった。
 その《奥》から湧き上がった腐った茨が、残った壁に撃ち当たり、腐汁を小路へと飛ばし散らす中。

『――“アナタ”はまだ、抗うのね』

 後方から、声が追ってきた。
 撤退をするべく小路を見れば、先ほどまでとは全く異なる光景が、そこにあった。
 腐汁にまみれた小路。網のようになった茨をばちばちと打ち付け続ける腐った茨。
「走ろう! あの子は――歪虚はまだ、この茨を掌握しきれていない!」
 確信の篭った口調でオーランはそう叫ぶと、一心不乱に走りだした。

 振り返りたくなかったのは。
 それが強大だったから――ではなく。

 《彼女》が余りに醜悪で、徹頭徹尾、歪虚であったから、かもしれない。

リプレイ本文


 ハンター達の決断は速かった。直ぐに撤退に移る。
「聖女も堕ちれば、ただの歪虚ですか……死者の怨念は、誇りや信念すら奪い去るんですね」
 リーリア・バックフィード(ka0873)は後方へと流れて消えた。不潔にして醜悪な心身の腐敗に、引きだされるような呟きだった。
「それは、どう、かな!」
 悼みの滲む声を、些か不細工に並走する南條 真水(ka2377)は短く切って捨てる。
「いつから抱いてたものだか……ってもう! どうして追いかけてくるんだ!?」
「わたし、知ってるわ」
 雨音に微睡む玻璃草(ka4538)――フィリアだ。
「知ってるの。南の茨は犇めいて、夜守の影が水辺を伝い――角砂糖が夢を見ちゃ駄目って、誰が決めたのかしら?」
 確信めいた、甘い声をしていた。
「ふふ、寝ている所を起こしちゃうからいけないんだわ。居眠りなおじさんも良く言ってるもの。『微睡み妨げる不届き者め!』って」
 くすくすと笑うフィリアに、真水は「……君の夢もなかなかなものっぽいね」と曖昧に濁す。
「速いわね」
 ジェーン・ノーワース(ka2004)は振り返る事なく、言う。背中に届く異音は、歪虚が彼女たちの速度と距離を喰い潰している事をまざまざと感じさせた。
「……前門の虎、後門の狼、だったけな」
 言の葉をぽつりと舌に乗せたのは、龍華 狼(ka4940)。眼前。腐汁を散らし荒れ狂う茨があった。刀を握る手に、力と意志が篭もる。
 ――後悔も、反省もした。だから。
 必ず道を拓く、と自らに任じる。

 その時だ。
 後方の異音が一際高まった。同時、二つの動きが生まれる。ジェーンの手から手裏剣が放たれ、柏木 千春(ka3061)は反転。細やかな髪をなびかせながら、
「――喰い止めます! 皆さんは前へ!」
 決意の眼差しと共に、そう言った。



「すまない!」
 オーランの声を残して、リーリア、フィリア、狼、フォーリが往く。その背を追う真水は振り返り。
「次は真水さんが撃つから、後退して!」
「はいっ!」
 後退しながら応える千春は歪虚と相対した。歪虚の細い身体は痛みを覚える程に蒼白く、痩せていた。眼球を無くした黒々とした眼窩は千春を見下ろしている。
 ――確かに、視線が絡んだ。そう認識した。
『貴方も、救ってあげる』
「……貴方を、救えなくてごめんなさい」
 言葉を紡ぐ歪虚の乾いた唇に、千春はそう答えた。女の歪虚は紫光を抱き、千春は聖光をその身に宿す。
 ――この間も、今だって。貴方を救えない。けれど。
 想いと共に、千春は法術を解き放った。

「きゃっ!?」
 相対の直後に放たれた砲撃を、重装備で身を固めた千春では避ける事が出来なかった。盾を通して伝わる凄まじい衝撃。そして、身を貫く悍ましい負のマテリアルに、少女の背が慄える。
 身を侵す『毒』に抗った瞬間、そこに直向きで強い『意志』を感じたからだった。
 それは、千春の想いと同じ色をしていた。



「振り返らないで! 急ぎましょう!」
 リーリアを最前に、フィリアと狼がオーランの脇を固める形で疾走していた。先行していたフォーリは、オーラン達の後方を担うことにしたようだ。その更に後方で、真水が反転。機導術を紡ぎ始める。
 ――冷静、だな。
 フォーリの様子を見て、狼はこそりと息をつく。失敗するわけにはいかなかった。オーランを連れ帰る、そのために彼は此処にいるのだから。
「気をつけてください!」
 先行するリーリアの声が響く。同時、彼女の槍が銀光を返し、液体が弾ける音が響いた。軌跡を遡ると、腐った茨が液体を飛ばして来ていた。酸にも似た悪臭が鼻をつく。リーリアはそのまま、次いで伸びてきた茨を切り落とした。
「これは……腐汁? レジストをお願いします」
「あ、ああ」
「オーラン達は先へ。私が施術します」
「頼む!」
 切り落とした拍子に足が止まったリーリアと、彼女に支援を施すフォーリを置いて、狼達は駆ける。まだ歪虚達からの距離は安全圏とは言いがたかったからだ。そのまま走ること、十数秒。
「っ!?」
 オーランの悲鳴が上がった。彼の右方から凄まじい衝突音が響く。それと同時、先程と同じく放たれた腐汁は――。
「ふふ、『おじいさん』、怖かったの?」
 フィリアがかざした『傘』に、阻まれた。そのまま、鼻歌を歌いながら少女は何事もなかったかのように進む。
「あ、ありがとう……」
 どこか釈然としないものを感じながらも、オーランはフィリアの背を追った。



 後方。こちらは苦戦していた。
 彼女たちはローテーションを敷いていた。真水が全力で下がれば千春が撃つ。その次は、千春が下がり、真水が撃つ。ジェーンは常に最後列に近しい位置をとる。
 交互に位置取りを変える三人は――『並ぶ』。正確には、真水の足のほうが機導術の分だけ速く、やや千春が遅れる形になっていた。結果として、負担が千春に集う形になる。もちろん、真水も亡霊の砲撃のような一撃に貫かれることはあったが、それでも、千春よりは遥かにマシだった。
 負荷の分散が、ローテーションが、機能していなかった。
「……中途半端に、正気なのね」
 そして。ジェーンは歪虚が『己を狙わなくなった』事に気づいた。その事に、苦い舌打ちを零す。
「大丈夫?」
「まだ、いけます……っ!」
 そう応えた千春の損耗が特に重い。自らに治療を施す事で辛うじて保ててはいる、が。
「――もうちょっと、だよ」
 真水は転進することで、先を見る。オーラン達が、着実に出口に至ろうとしていることを。
 だが、言葉にはどうしても苦さが滲んだ。自分たちの攻撃は、確かに効果を上げている。歪虚の茨も、少女の身体も、傷付いていた。それでも、止まる素振りだけは一切見せはしないのだ。
 届かない、かもしれない。
 一方で、自然と真水の足が遅くなった。これ以上飛ばして距離を離し過ぎると、千春は確実に――。

 死ぬ。



「もうすぐ、出口……、というのに!」
 疾駆しながら、最前を往くリーリアは怒気と共に吐き捨てた。
「もう、棘を隠すことは止めたのですね……!」
 眼前。《壁》を打ち破った茨が蛇の如く身を乗り出していた。十本。二十本。続々と数を増やしていくそれを前に、なおも踏み込む者がいた。
「茨を抜けます! 注意してください!」
 狼はそう叫んで、身を躍らせた。全身を鞭打されながらも、怖じる事なく踏み込み――片手に握る白銀の刃が縦横無尽に奔った。
 ――ダチにも、心配かけちまってんだ! こんな所で終わらせられねぇよ!
「あァ……ッ!」
 空間を弾くほどの、気勢と共に。
 ざんざんばらり。舞刀士の剣閃が、冴えた。はたりと茨は切れ落ち、空間が生まれる。
 飛び込み、押し開くには十分な空間が。
「……抗うことを忘れたら、生きる価値はありません」
 リーリアが走りこみ、道を確保する。力の籠った勁い眼差しと共に、彼女は言う。
「だから私は、貴女に抗いましょう」
 遠間にある茨に、彼女の槍では届かない。けれど。その手が霞む。殷々と音を引いて、ワイヤーウィップが奔り、道の先の茨を撃ち落とす。
「わたしは、雨は好きよ」
 ――でも、これは嫌い。
 オーランたちを追うように『後方から』放たれた毒液を傘で受け止めたフィリアの呟きを背に、リーリアが声を張る。
「さあ、早く!」
「ああ!」
 その声に引っ張られるように、オーランは茨の道を――終に、抜けた。




 ぱきり。

 響いたのは呆気ない程に軽い音だった。だが、最悪を招く、絶望的な破綻だと直ぐに知れた。
 ジェーンを除いて、損耗が大きすぎた、から。
 壁となっていた茨が弾けた瞬後、自由を得た茨達が一斉にうごめき、奔る。
 向かう先は――ジェーン・ノーワース。手裏剣を握る彼女の身体は、事態を正しく認識する前に動いていた。
「……、っ!」
 瞬目する暇も無かったはずだ。それでも、彼女はひとつ目を身を低くして回避してみせた。加速を殺さず、そのままに元聖女の歪虚から距離を外しすらした。だが。次々と、茨は至る。それを見たジェーンは――声を枯らし、叫んだ。
「足を止めないで……っ!」
 真水も千春も、ジェーンの心からの声を聞いていた筈だ。けれど。とっさの判断で術を紡ぐ。ジェーンが捕まる。足が止まる。そうなったら『彼女』は終わる。
 だから、その思う所を顕現させた。
「『アイル・クロノ』! その茨を間引いて!」
「退いて……ッ!」
 紅色の光条と聖光に茨の群は弾け、ジェーンの身が軽くなり――瞬後には離れた位置の茨が伸びてくるのを知覚する。苛立ちが募り、ジェーンは幾度目かの舌打ちを落とした。
「さあ、急ぎましょう!」
 千春が叫んだ。ジェーンの背を叩くような声だった。
 ――……っ!
 ジェーンの応答の声は、しかし。
『さぁ、眠りなさい』
 ぞっとするほどの近くに居た巨大な歪虚――腐り落ちた茨の抱擁に呑まれて、拍子抜けするほどの静けさの中、掻き消えた。
 タイミングが、悪かった。彼女たちが横並びに近しくなった瞬間――あるいはその瞬間を狙ったのかもしれないが――、歪虚は、彼女たちの後背に居た。だから、ローテーションがあの形で成され、この状況への備えが不足していた現状、この結果は必然だった。
「ジェーンさん! ……待って!」
「こりゃあ南條さん、ヘマったなぁ」
 振り返って絶叫する千春に、観念したように苦笑を浮かべる真水。足を止めた真水は頭上を見上げて、呟いた。
「随分と変わり果てちゃったねぇ、《茨姫》」
「真水さん……!」
「……解る気がするよ、茨姫。君は何を壊したいんだい。何を、殺したいんだい。子鬼か、人か、教会か――エクラか」
 茫と光を放つ目は、まっすぐに歪虚を見上げていた。射抜くような、強い目で。
「違うよね。本当に壊れてしまいたいのは、茨姫。キミ自身じゃあないのかい」
『貴女は優しいのね。でも』
 口元だけが異質な程に釣り上がった『女』の顔は、それでも、美しかった。黒々とした眼窩はもはやなにも映していなくても。
『――私はもう、壊れてしまったの。他ならぬ、エクラのせいだわ。エクラは、誰も、何も見ていなかった』
「……残念だね、甘くて幸せな、決して終わらない悪い夢に導けたら、良かったんだけど」
『大丈夫よ。エクラの元で闇に抗い続けることこそが、他ならぬ悪夢なのだから……早く、目を覚まさなくちゃ』
 ――貴女は、悪くないわ。

 言葉と同時。真水は負のマテリアルに飲み込まれ、意識を失った。



「おい! 待てよ!」
 突破したオーランを見たフォーリは、直ぐに踵を返した。眼前には切り散らすた茨。そして、こちらをまっすぐに見据える少年、狼。
 響いたのは、狼の怒声だった。
「あんたまで暴走してどうすんだ! 何をすべきか考えろ!」
「暴走?」
 引き攣ったフォーリの顔に、少年は掴みかかろうとすらした。
「ええ、そうですね。そうかもしれません。確かに、私は冷静じゃないかもしれない」
「……っ」
 両肩を抑えたフォーリの表情は――畏れていた。それでも、嗤っていた。その表情が引き攣るたびに、その描く感情が目まぐるしく変わる様に狼は息を呑む。次いで、視線の先にあるものを辿り、狼は息を呑んだ。
 茨の騒々しさに呑まれて消えていた、後方の窮地を。そして、周囲から茨が『至っている』ことを。
「死を想うのは、恐ろしい事、ですね」
 最後にそう言って笑って、狼の手を振り払って歩を進めた。
「でも、行かなくては」
「……ねえ、おじさん」
 進もうとするフォーリの背に、言葉を投げた少女がいた。フィリアだ。少女が被っている四つ目の仮面は、黒々とした下降線を描いている。まるで、泣いているように。
「纏う茨は熟れては熟し、腐り落ちてはグズりと薫っているわ……《ソレ》は何も救わないの? 《ソレ》は何かを救わなくちゃいけないの?」
「――」
「おねえさんは……おじさんは、おじいさんは、救われたかったの?」
「…………そうかもしれません」
 僅かに、悔悟の表情を見えて、慨嘆したフォーリ・イノサンティは。
「求めては、いけなかったのでしょうね」
 少女にそう言って、奔った。
「狼さん、フィリアさん! あなた方は、彼女たちの退路を!!」
 最後に、その言葉を残して。
「フォーリ……ッ!」
「……貴方が行っても、邪魔になるだけです。貴方は離れて!」
 オーランの声も、リーリアの声も、その一切合切を無視して。

 ただ一人。
「……私は、雨は好き。『雨音』は好き。だから耳を澄ますの。何があっても」
 小首を傾げたフィリアは、仮面の裏でどんな表情をしているのだろう。わからない。声色も、その姿勢も、不気味なほどに、揺らがない。
 茨が通路へと殺到してくる中、少女は遠くを見つめた。
「――ねぇ、『雨音』を聞かせて?」












 青い空を見た。鉄の構造物に覆われたそこで、『彼女』は幸せそうに笑っていた。
 その耳朶を、声が打つ。遠くで聞いた、懐かしい声だった。

 ――。



「……っ!」
 少女――ジェーンが目を覚ますと、木造の天井が飛び込んできた。周りを見渡そうと身を起こすと、全身に激痛が奔る。
「オーランさん! ジェーンさんが!」
 隣を見ると真水が倒れている。傷だらけだ。甲斐甲斐しくジェーンの汗を拭っていた狼が声を張ると、真水の治療にあたっていたオーランが駆け寄ってきた。真水の側にいたリーリアも、安堵の表情を見せてこちらを見ている。
「良かったっ! 解るか、ジェーン!」
「――ジェーン」
 呼ばれた名を茫と繰り返す視線が揺れる。頭が割れそうだ。窓際。座り込んでいる千春の姿が目に入った。俯いていて、その表情は伺えない。フィリアはそんな彼女の隣で、鼻歌を歌っているようだった。可憐だが不安定な節回しが、いやに心を締め付ける。
「一人、足りないわ」
「……」
 言葉に千春の身体が強張るのを、ジェーンは見た。狼も、リーリアもそうだった。ただ、オーランだけがまっすぐにジェーンを見つめていた。
「……あいつは」
 声色に。少女は目をそらし、首に掛かる頭巾でその顔を隠した。
 何かから、逃れるように。

「死んだよ」





 帰路は暗く、重いものとなった。
 その中で、ぽつりと落ちた言葉たちをオーラン・クロスは生涯忘れないだろう。
“救われなかったから、恨むのですか?”
 ありもしないものに縋る弱さを真っ向から切って捨てたリーリアの言葉は、オーランの胸の裡に痛みを生む。その恨みこそが彼から友人を奪ったことを、強く意識させたからだ。

 そして。

”――彼女のような人間を……悲劇を、なくしてください”
 頭を垂れて、囁くように紡がれた千春の願い。
 応える言葉も、その力も、オーランは持っていなかった。それでも。
 縋らずには居られない、そんな願いを前にして、それを無碍にすることは、出来なくて。
「……ああ」
 終わりは近いと、わかっていたから。彼はそう頷き、その背を叩いた。


 この日。
 フォーリ・イノサンティは死んだ。

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MVP一覧

  • ヒースの黒猫
    南條 真水ka2377
  • 清冽なれ、栄達なれ
    龍華 狼ka4940

重体一覧

  • グリム・リーパー
    ジェーン・ノーワースka2004
  • ヒースの黒猫
    南條 真水ka2377

参加者一覧

  • ノブリスオブリージュ
    リーリア・バックフィード(ka0873
    人間(紅)|17才|女性|疾影士
  • グリム・リーパー
    ジェーン・ノーワース(ka2004
    人間(蒼)|15才|女性|疾影士
  • ヒースの黒猫
    南條 真水(ka2377
    人間(蒼)|22才|女性|機導師
  • 光あれ
    柏木 千春(ka3061
    人間(蒼)|17才|女性|聖導士
  • 囁くは雨音、紡ぐは物語
    雨音に微睡む玻璃草(ka4538
    人間(紅)|12才|女性|疾影士
  • 清冽なれ、栄達なれ
    龍華 狼(ka4940
    人間(紅)|11才|男性|舞刀士

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ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2015/10/19 00:19:35
アイコン 相談卓
リーリア・バックフィード(ka0873
人間(クリムゾンウェスト)|17才|女性|疾影士(ストライダー)
最終発言
2015/10/20 02:40:44