ゲスト
(ka0000)
スキレの戦闘記録・砂地の犬
マスター:硲銘介

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 易しい
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 4~8人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2015/10/24 19:00
- 完成日
- 2015/11/01 08:27
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●
――怪物が怪物として成立しているのは、彼らが僕達の想像を事も無げに踏み越えていくからだ。
暗闇を怖いと感じるのと理屈は同じだ。わからないもの、知らないものは怖い……これは幼子も大人も関係ない、人間なら誰しもが抱く当然の感情だよ。
その恐怖を軽減する為に人は予測を立て、予め思考の道筋を作っておくんだ。そうする事で頭が空白になってしまう時間を少しでも短くするためにね。
でも、その予測も何も無いところからでは組む事はできない。だからこそ、未知の領域に住まう怪物は畏怖の対象に成り得る――それは当たり前の事だけど。
けれど、僕達は既に入口に立っている。未知の領域にいる存在との邂逅を経験し実感している。僕達は知る為の第一歩として彼らを認識し始めているんだ。
それはきっと何でもないような事だけど、同時にとても凄い事でもあるんじゃないかって僕は思うんだ。
……あぁ、だから僕は―――
●
――不意に、そんな事を話す男の姿を思い出した。
子供相手に難しい話をだらだらと話すそいつは、うん……なんというか、えらく鈍感だったのだと思う。
柔和な笑みを絶やさずにいたそいつは一見そうは見えないが、人間らしい感情を欠いていた。特に、恐れるという事柄に関しては壊滅的だった。
曰く、幼い頃から恐怖という感情がまるでわからなかった。厳しい巨漢を目の前にして泣く事もない幼子とか、嫌だなと思った。
だから、男は恐怖というものについて学んだ。未知が誘発するその感情を知識として完全に把握した男は――遂に、その感情を自分のものとする事はなかった。
結局のところ、そもそもそいつには感情を司る何かが欠落していたのだろう。人間性に問題は無いのに、そこだけはどうしようもなかったのだ。
自身に付随する欠陥。それを認めた男は克服をあっさりと諦めた。諦めて、それを活かす事にした。
いつからか世界を脅かし続ける怪物――歪虚と呼ばれる存在について独自の研究を始め、その性質について書物に纏め始めたのだ。
下手くそな手製の表紙に“歪虚図鑑”と得意気に印し、やはり下手くそな字の手書きのページを重ねていく男は無邪気に笑っていた。
大した能力も無いくせに、恐れる心だけは無い男はあちこちの戦場跡や秘境を巡り、歪虚についての情報を書き溜めていった。
数ヶ月おきに家に戻ってきては冒険譚を聞かせてくるそいつの体には、どんどん傷が増えていった。
誰もが恐れ、やりたがらない行為。だからこそ、僕がやるんだ――男はそう言って、降りかかる苦難をものともしなかった。
要するに、そいつは底なしに純粋だったのだ。誰かの為になって、自分にしか出来ない事。それを見つけた男は子供のようにそれに熱中していった。
まぁ、そんな人も、もういない。恐怖というのは危機を感知する機能の一端でもあるのだから、それが壊れた男はそもそも、生き残ることに不器用だったのだ。
私が師匠と慕っていた人。魔境の冒険を嬉しそうに語る異端者。私が恋をした冴えない男は――ある日、あっさりと死んでしまった。
「……ほんと、物好きな師弟。我が事ながら趣味が悪いわよね、スキレ」
そして自嘲気味に呟いた私は――彼が遺した書きかけの書物を手に旅に出た。
その汚い本を完成させ、歪虚に怯える人たちの為になるのが彼の夢だったのだ。
それが叶う事無く彼は逝ってしまったけど……生憎と、あんな男の弟子になった私は負けず劣らずのお人好しだった。
図鑑の完成。それを、成し遂げたいと思った。多分、理由は意志を継ぐとかそんな大層なものではない。
ただ、見たかったのだ。あの不器用極まりない朴念仁の夢を――あと、それを成し遂げた時に彼がどんな顔をするのか。
私が知る限り一度だって涙を流さなかったあの男が歓喜のあまり泣くところとか、超見たい。
恐怖もそうだけど、あの人はとことん鈍かった。私がなんで毎日のように自分の元に通っていたのかなんて、まるで気づきもしなかった。
そんな男が感情を堪えきれなくなる様を見てみたかった。こっちまで感極まって泣いてしまうかもしれないし、もしかして逆に笑ってしまうかも。
……なんにせよ、あの人と共にその時を迎えるのはきっと途轍もなく楽しいに決まってる。だったら、躊躇う理由はない。
再会はきっとあの世だろうけど、完成した本をドヤ顔で突きつけてやりたいと思ってしまった。
その時の彼の顔を想像し励みにすれば、私の旅は存外悪くなかったのだ。
●
「さて、と……」
高台に立った私は眼下のそれを見下ろしながら師匠の本を紐解いた。
汚い字とちょっと上手なスケッチが並ぶページを捲って行くと、ちょうど現実で目にしているものに似た姿を見つけた。
歪虚、砂犬。もしくはサンドワンワン。……ちなみに、前者が師匠。後者が私のネーミングになる。
師匠は名前は分かりやすく簡潔にと言っていたが、恐怖を軽減する為の本なのだから名前は可愛いほうがいいに決まってるのだ。
そもそも私は話を聞いただけで実物を見たのは初めてだったのだが、見てみなさいあの姿を。なんか黒ずんでてダークな感じではあるけどどことなく愛嬌があるような気がしないでもない。
……うん。まぁ、思ってたより可愛くはなかったけど。でも砂犬ではあんまりにも味気ないんじゃないかな!?
――さて、そのワンワンについてだけど私はアレを退治しなくてはならないのだ。
旅の途中に立ち寄った村で受けた依頼になるのだが、あの群れは村の畑を荒らしていく困ったやつららしい。私が歪虚に詳しい旅人と聞きつけた村人に頼られ、こうして討伐に赴いたのだ。
といっても、私に歪虚をどうにかする力なんてものはない。師匠のような精神構造でもないので普通の人間と変わらない。要するに、滅茶苦茶怖いし近寄りたくない。
なので村人から受け取った依頼金で雇ったハンター達を連れてきた。餅は餅屋、歪虚には覚醒者をぶつけるのが常道というものだ。
戦闘は彼らに任せて、私は安全な場所で全力で応援すると決めている。無論、狙われないように心の中で唱えるのだが。
私は歪虚の知識を提供し彼らの助けとなる。ハンター達は私の情報を元に戦う。これは立派な共闘と言える。言いたい。
「――それでは皆さん、よろしくお願いします。怪我とか出来るだけしないよう、適度に頑張ってきちゃってくださいね」
私の声に応じてくれたハンター達を振り返る。その容姿はバラバラだし、正直私には技量なんて見て取れないのだが……彼らならきっと成し遂げてくれる筈だろう。
師匠が集めた情報を活かし、村の人達を救ってくれること――そして彼らが全員無事に戻ってくることを祈りながら、私はその背中を見送った。
――怪物が怪物として成立しているのは、彼らが僕達の想像を事も無げに踏み越えていくからだ。
暗闇を怖いと感じるのと理屈は同じだ。わからないもの、知らないものは怖い……これは幼子も大人も関係ない、人間なら誰しもが抱く当然の感情だよ。
その恐怖を軽減する為に人は予測を立て、予め思考の道筋を作っておくんだ。そうする事で頭が空白になってしまう時間を少しでも短くするためにね。
でも、その予測も何も無いところからでは組む事はできない。だからこそ、未知の領域に住まう怪物は畏怖の対象に成り得る――それは当たり前の事だけど。
けれど、僕達は既に入口に立っている。未知の領域にいる存在との邂逅を経験し実感している。僕達は知る為の第一歩として彼らを認識し始めているんだ。
それはきっと何でもないような事だけど、同時にとても凄い事でもあるんじゃないかって僕は思うんだ。
……あぁ、だから僕は―――
●
――不意に、そんな事を話す男の姿を思い出した。
子供相手に難しい話をだらだらと話すそいつは、うん……なんというか、えらく鈍感だったのだと思う。
柔和な笑みを絶やさずにいたそいつは一見そうは見えないが、人間らしい感情を欠いていた。特に、恐れるという事柄に関しては壊滅的だった。
曰く、幼い頃から恐怖という感情がまるでわからなかった。厳しい巨漢を目の前にして泣く事もない幼子とか、嫌だなと思った。
だから、男は恐怖というものについて学んだ。未知が誘発するその感情を知識として完全に把握した男は――遂に、その感情を自分のものとする事はなかった。
結局のところ、そもそもそいつには感情を司る何かが欠落していたのだろう。人間性に問題は無いのに、そこだけはどうしようもなかったのだ。
自身に付随する欠陥。それを認めた男は克服をあっさりと諦めた。諦めて、それを活かす事にした。
いつからか世界を脅かし続ける怪物――歪虚と呼ばれる存在について独自の研究を始め、その性質について書物に纏め始めたのだ。
下手くそな手製の表紙に“歪虚図鑑”と得意気に印し、やはり下手くそな字の手書きのページを重ねていく男は無邪気に笑っていた。
大した能力も無いくせに、恐れる心だけは無い男はあちこちの戦場跡や秘境を巡り、歪虚についての情報を書き溜めていった。
数ヶ月おきに家に戻ってきては冒険譚を聞かせてくるそいつの体には、どんどん傷が増えていった。
誰もが恐れ、やりたがらない行為。だからこそ、僕がやるんだ――男はそう言って、降りかかる苦難をものともしなかった。
要するに、そいつは底なしに純粋だったのだ。誰かの為になって、自分にしか出来ない事。それを見つけた男は子供のようにそれに熱中していった。
まぁ、そんな人も、もういない。恐怖というのは危機を感知する機能の一端でもあるのだから、それが壊れた男はそもそも、生き残ることに不器用だったのだ。
私が師匠と慕っていた人。魔境の冒険を嬉しそうに語る異端者。私が恋をした冴えない男は――ある日、あっさりと死んでしまった。
「……ほんと、物好きな師弟。我が事ながら趣味が悪いわよね、スキレ」
そして自嘲気味に呟いた私は――彼が遺した書きかけの書物を手に旅に出た。
その汚い本を完成させ、歪虚に怯える人たちの為になるのが彼の夢だったのだ。
それが叶う事無く彼は逝ってしまったけど……生憎と、あんな男の弟子になった私は負けず劣らずのお人好しだった。
図鑑の完成。それを、成し遂げたいと思った。多分、理由は意志を継ぐとかそんな大層なものではない。
ただ、見たかったのだ。あの不器用極まりない朴念仁の夢を――あと、それを成し遂げた時に彼がどんな顔をするのか。
私が知る限り一度だって涙を流さなかったあの男が歓喜のあまり泣くところとか、超見たい。
恐怖もそうだけど、あの人はとことん鈍かった。私がなんで毎日のように自分の元に通っていたのかなんて、まるで気づきもしなかった。
そんな男が感情を堪えきれなくなる様を見てみたかった。こっちまで感極まって泣いてしまうかもしれないし、もしかして逆に笑ってしまうかも。
……なんにせよ、あの人と共にその時を迎えるのはきっと途轍もなく楽しいに決まってる。だったら、躊躇う理由はない。
再会はきっとあの世だろうけど、完成した本をドヤ顔で突きつけてやりたいと思ってしまった。
その時の彼の顔を想像し励みにすれば、私の旅は存外悪くなかったのだ。
●
「さて、と……」
高台に立った私は眼下のそれを見下ろしながら師匠の本を紐解いた。
汚い字とちょっと上手なスケッチが並ぶページを捲って行くと、ちょうど現実で目にしているものに似た姿を見つけた。
歪虚、砂犬。もしくはサンドワンワン。……ちなみに、前者が師匠。後者が私のネーミングになる。
師匠は名前は分かりやすく簡潔にと言っていたが、恐怖を軽減する為の本なのだから名前は可愛いほうがいいに決まってるのだ。
そもそも私は話を聞いただけで実物を見たのは初めてだったのだが、見てみなさいあの姿を。なんか黒ずんでてダークな感じではあるけどどことなく愛嬌があるような気がしないでもない。
……うん。まぁ、思ってたより可愛くはなかったけど。でも砂犬ではあんまりにも味気ないんじゃないかな!?
――さて、そのワンワンについてだけど私はアレを退治しなくてはならないのだ。
旅の途中に立ち寄った村で受けた依頼になるのだが、あの群れは村の畑を荒らしていく困ったやつららしい。私が歪虚に詳しい旅人と聞きつけた村人に頼られ、こうして討伐に赴いたのだ。
といっても、私に歪虚をどうにかする力なんてものはない。師匠のような精神構造でもないので普通の人間と変わらない。要するに、滅茶苦茶怖いし近寄りたくない。
なので村人から受け取った依頼金で雇ったハンター達を連れてきた。餅は餅屋、歪虚には覚醒者をぶつけるのが常道というものだ。
戦闘は彼らに任せて、私は安全な場所で全力で応援すると決めている。無論、狙われないように心の中で唱えるのだが。
私は歪虚の知識を提供し彼らの助けとなる。ハンター達は私の情報を元に戦う。これは立派な共闘と言える。言いたい。
「――それでは皆さん、よろしくお願いします。怪我とか出来るだけしないよう、適度に頑張ってきちゃってくださいね」
私の声に応じてくれたハンター達を振り返る。その容姿はバラバラだし、正直私には技量なんて見て取れないのだが……彼らならきっと成し遂げてくれる筈だろう。
師匠が集めた情報を活かし、村の人達を救ってくれること――そして彼らが全員無事に戻ってくることを祈りながら、私はその背中を見送った。
リプレイ本文
●
「もう一度おさらいしておきましょうか。サンドワンワンの脅威の殆どは彼らの巣、その形態によるものです。ですから推奨される戦術は――」
戦闘に赴く直前のハンター達にスキレは最終確認として図鑑に書き溜められたその歪虚の情報を語って聞かせる。
言葉通りその講義は二度目であり、拝聴の是非は個人の判断に委ねられていた。多くの者は自身の装備の確認に余念が無くそちらを優先し、その他の数名はスキレの声に耳を傾けていた。
その中でも最も熱心に説明を受けていたのはブリジット(ka4843)とシン(ka4968)の二名であろう。
「つまり、巣から出してしまえばいいんですね。情報ありがとうございます、助かります」
解説を十分に呑み込んだブリジットは恭しく頷いた。傍らでメモを取っていたシンもトレードマークのメガネをくぃっと動かして続く。
「凄い知識だね。そこまで知られてるような相手でもないと思うけど」
シンからの賞賛を受けてスキレはそっと手にした図鑑の表紙を愛でるように撫でた。
「知られていないからこそ、知らせることには価値がある。皆さんのお役に立てたのなら、きっと本望だと思います」
まるで、そこにはいない誰かのことを語るように。スキレは柔らかに微笑んだ。
「サンドワンワン? 可愛いネーミングね。私もそっちのほうがいいと思うわよ」
未知の怪物に対するスキレの講義を耳にしながら、ケイルカ(ka4121)はくすくすと笑って呟いた。
講義を中断させるような意図はなく、その言葉は同じように戦支度を終えた戦友たちに向けられていた。
「ふぅん……さんどわんわん、なあ。確かに砂犬って名前はちょいと味気がなさすぎる……わかりやすいとは思うんだがね」
文挟 ニレ(ka5696)が応じる。ハンターとしての初仕事を前にした彼女だが、その語調には一切の気負いも見られなかった。
「砂犬、サンドワンワン……私としては前者がシンプルで良いと思いますね」
対してエルバッハ・リオン(ka2434)は味気ないと評された名称を推した。
「ふーむ……間をとって砂わんこでどうかしら?」
対抗意見を纏めるようにクウ(ka3730)が提案した。いつの間にか命名に対する議論のような意見が出始めている事にグリムバルド・グリーンウッド(ka4409)は困ったように眉根を寄せて見せた。
「可愛いとは思うんだが……いや、まぁそれは今はいいか。しかし、実際には初めて見たが名前ほど可愛くはねぇな」
ハンター達がいる高台からは遠目だが件の歪虚の姿が見て取れた。距離の影響もあり輪郭のぼやけたその影は――なるほど。列挙された呼び名には不相応な外見であった。
だがグリムバルドにはその方が都合が良かった。なまじ愛らしい見た目であったなら僅かばかりでも狩に影響していたかもしれない。
「畑を荒らすらしいし。容赦なくやれそうで何よりだぜ。引っ張って来るまでが大変そうだが、さくさく掃除するとしようかね」
「ワンコは可愛いですけれど、サンドワンワンは畑を荒らすからダメですの!」
グリムバルドの言葉にクリスティン・エリューナク(ka3736)がこくこくと頷き、小柄ながらのやる気を見せる。
結局のところ呼び名の統一は為っていないが……元より、歪虚はただ滅するだけの標的に過ぎない。この束の間の論議も愛着あってのものではなく、それこそ余興でしかなかった。
「まぁ――それはさておき、せっかく敵の情報があるのですから、有効に活用しましょうか」
エルバッハが呟くと共に歩き出す。スキレの講義が終わったのを見計らっての事だ。
彼女に続くように他の者も進む。目指すは未だ名前も定まらない怪異の獣。だがしかし、彼らにはその未知に対する知識が授けられている。
戦場に赴くハンター達の背中にはスキレの声援が届いていた。
●
歪虚、砂犬の巣へと身を隠しながら接近していく。岩陰から双眼鏡を覗いたエルバッハが周辺を慎重に探る。
既知の生物で例えるのなら、砂犬の巣は蟻地獄のそれに近いものだった。とはいえ螺旋状の中心に主が構える狩猟の為の構造とはまた異なる。砂地の中でも際立って細かい流砂に崩された地面は砂風呂の様でもあった。
先程高台から窺った時には巣の外に数匹の影が見えていたが、今はそれも見当たらない。どうやら家の中に引っ込んだらしい。運は、こちらに向いている。
斥候の不在につけ込むようにハンター達は砂の城攻めを開始した。
「砂地が得意ならドロドロにしちゃえばいいのよ――砂犬の巣に水かけるわよ~」
ケイルカの号令で一同が岩陰から飛び出し巣に急接近をかける。
それぞれが手にするのは水が並々注がれた桶である。ケイルカが無数に用意した桶を用い近くの水場から汲んだ水、それがこの策の要であった。
一斉に内部に向けて水が投げ入れられる。巣を包囲するように展開したハンター達が放った水は巣のあちこちに散って吸われていった。
砂犬の特性として乾燥した砂の下での機動性がある。それを潰す為の大量の水である。
砂は水を吸い込み固まり、潜む砂犬の足を鈍らせる。砂と泥、中を掻き進むうえでどちらが困難かといえば、言うまでもない。
……しかし、砂犬達は巣の異常に慌て飛び出す事はなかった。いざ地上に出た時の戦力低下を知ってか、或いは野生の本能で籠城こそが自分達の常套手段と悟ったのか。
水浸しの巣で尚も穴熊を決め込む敵に対し、クウは次の策に移ろうとしていた。
巣の近くに放った干し肉とツナ缶にも砂犬達は反応を見せない。餌としては期待できないと悟り、後の回収を決意し――次の瞬間には、躊躇なく自身を巣の直中に飛び込ませていた。
「ふふ、私のお肉なら干し肉とかツナ缶よりは美味しいわよ。きっと」
言葉通り、狙いは自身を餌としての釣り。つまりは囮である。
踏み出したクウの脚が水を吸い泥と化した地面に埋もれていく。深さはそれなりで、膝上まで沈みこんだ体に僅かばかり動揺を抱いた。
だが、すぐさまそれは引っ込む。ハンターとしての直感がクウの体を動かした。
突如、泥の中から砂犬の牙が飛び出す。寸前で身を捩ってかわしたクウに追撃するよう、二匹、三匹と数を増し立て続けに飛び掛ってきた。
一見怒涛の攻めに見える砂犬の強襲ではあったが、これは本来の形ではない。この巣に潜む歪虚の数は八、本来であればその全てが間断なく牙を剥き、巣に踏み入った獲物を一瞬で仕留めていた。
それを妨げたのは紛れもない、悪化した彼らの足場にある。普段の倍増しに抵抗を増した泥の中の移動は砂犬にも困難であり、その連繋をも妨げたのだ。
三度目の攻撃を払い、クウは脚部にマテリアルを集中させる。途端、泥の中に沈んだ脚が軽くなる。瞬脚の駆動に伴い奔るエネルギーが泥を弾き飛ばしているようにすら思えた。
泥沼と化した巣の中をクウは易々と駆け回り、遅れて追いついてくる砂犬の牙を悉くあしらって行く。回避を主体に動く中で手にした水鉄砲で犬達を挑発する余裕さえ見せていた。
回避と、ウォーターガンによる翻弄の繰り返し。幾度か繰り返されたそれの最後に、クウは華麗な跳躍をもって泥沼の中から離脱した。
一度は篭城を選択し得た獣達であったが、みすみす獲物を逃すまいとする欲が今度は判断を鈍らせた。クウを追って、砂犬達は次々と地上へと姿を晒していった。
●
巣から引き揚げるクウ。彼女とすれ違うように交わる影が一つ。
「――明鏡止水、閃迅の太刀」
金の髪を揺らしながら舞う様に踏み出したブリジットの居合い抜きが、真っ先に巣を飛び出した先頭の砂犬を捉える。
鼻面に鮮烈な一太刀を浴びせさせられた歪虚は堪らずその場に倒れこみ、その体を踏み越えるように次の獣が迫り来る。
スキレの前情報の通り、いざ地上へと躍り出た砂犬の動きは野犬のそれと大差がない。狩場である巣を飛び出したという事は彼らにとっての最高のアドバンテージを手放したことに他ならない。
対して、二本の脚がしかと大地を踏みしめる感覚は人間の側にこそ利をもたらす。ブリジットのステップは危なげなく踏まれ、円運動を軸とした足運びを魅せ、砂犬の野卑な牙をあしらっていた。
だが二匹、三匹と追い縋る歪虚。大半を捌きつつも、振りかぶられる鋭い爪の攻撃は幾度となくブリジットの鎧を削っていた。抜刀の構えで受ける彼女も、手数で圧倒されては不利は否めない。
「ヒール――!」
その背中に、クリスティンの声が響く。術法の詠唱と共に、光の輝きがブリジットの傷を癒していく。
前衛の騎士の後方でクリスティンは援護に当たっていた。直接戦闘には自信の無い彼女だったが、支援に関しては物怖じすることなく胸を張れた。
ブリジットに惑わされ、眼前の敵ばかり目がいく獣には気づきようもないが、与えた傷はすぐさまを癒やされていた。
前衛の騎士と後衛の術師。定番であり無難、鉄板の連繋は絶大な効力を及ぼす。クリスティンは攻めを前衛の剣に託し、ブリジットは援護を頼みに攻撃の直中に身を置き続けた。
ブリジットが張った位置と対になる場所でシンは騎馬から降りた。
視線が向くのは泥に塗れた犬の巣。その中に蠢くものをシンは見逃さなかった。
村での事前の調べが功を奏した。クウを追って巣の外へ出た砂犬の数は七――しかし、全部で敵は八体の筈なのだ。
ならばこそ、そこに残りが潜むのは必然だった。注視した一点の泥が、爆ぜる。
「――そこ!」
叫ぶと共に剣を振るう。飛び出した犬の爪を弾き、泥を被った姿が地上へと着地する。
いよいよ視認せしめた敵を前にシンが狙うは先手必勝。軸足と神経にマテリアルを循環させ、敵の一指の動きさえも見落とさず集中する。
砂犬の前足に力が――そう見て取った瞬間に、シンは駆け抜け刀を薙いだ。突撃姿勢に入っていた獣は反応は及んでも回避は叶わず、一閃のもとにその存在を霧散させた。
「――おいで、私の猫ちゃん。犬なんかに負けないわよ」
砂犬が巣から飛び出すや否や、ケイルカは呟いた。次の瞬間には彼女の傍らに光る何かが現出していた。それは人懐こく主人の肩に上って見せた。
幻影の猫。ケイルカが戦闘姿勢に入った証である。肩に乗った相棒に微笑みかけケイルカは術の行使へと移る。それに伴い、幻影の猫も戦意を表すように啼いた。
先ず放たれた水の球が駆ける砂犬の手前に飛んだ後破裂する。衝撃は敵を吹き飛ばすも、その効果はケイルカの期待したものではなかった。
砂地、乾燥を好む砂犬ならば水を苦手とするのではないか。その発想のもとの攻撃だったのだが。
落胆も僅かに、ケイルカは次の攻めへ移る。彼女の眼前に備えられた一本の矢、射線は走る歪虚へと向いている。
「行くわよ、猫ちゃん。あの悪い犬を退治よ」
主人の声に応え、猫が啼く。その咆哮に合わせるように放たれた矢は、はたして彼女らの敵を見事貫いて見せた。
「スリープクラウド――眠りなさい」
エルバッハの詠唱によって青白いガスが一面を覆った。僅か一瞬の充満ではあったが、その効果は絶大であった。
ガスが晴れた後、周囲の砂犬は全て倒れ伏していた。無論、死した訳ではない。睡眠ガスの効力によって眠りに落ちたのだ。
強制的な眠りによって晒された膨大な隙。それを見逃すという発想など、戦場において誰が持ち合わせようか。
グリムバルド、そしてニレが不敵に笑う。魔導銃と呪符による追い込みが功を奏し、眠りの呪文による一網打尽を果たした今、笑いを溢さずにはいられない。
グリムバルドの詠唱は光の三角形を現出させるデルタレイ。三点より放たれる光線は眠り動かない歪虚を確かに貫くだろう。
一方、ニレは先の追い込みに用いた呪符をドローアクションを用いて再装填を済ませていた。
前準備をもって放たれる符術師の魔法は魔術師のそれとはまた異なる。独特の雰囲気を纏う彼らの術はその起源を強く意識させるものでもあった。
胡蝶符。呪符の消費を持って形作られるはひとひらの蝶。しかし実態は無く、美しさに反して敵を屠る為だけの術法である。
無機、有機。それぞれを感じさせる二者の魔法は交錯し、無防備な歪虚の群れに炸裂する。眩い閃光が失せる頃には周辺の戦闘は一通りの終結を見せていた。
●
仕事は済んだ。これよりは各々が思った事を為すだけである。
たとえば。グリムバルドは砂犬の掘り返した地面の整地に取り掛かった。村から離れているとはいえ、知らず踏み込んだ者が怪我をするようなものを放置は出来なかった。
たとえば。ケイルカは犬達が荒らした畑の修繕を手伝いに向かった。彼女の家もまた農家であり、とても他人事とは思えなかった。
そして、何人かは依頼人であるスキレへの仔細報告を済ませていた。ブリジットが丁寧に頭を下げ礼を示す。
「ありがとうございました。おかげで随分楽に戦う事が出来ました」
「ありがとう。貴女と、貴女の紡ぐそのノートに感謝するよ」
シンも同様に礼を言いスキレとその知識の源である歪虚図鑑を讃えた。向けられた賛辞にこそばゆいものを感じながら、スキレは破顔し礼を返す。
「こちらこそ。まだ完成には程遠いですが……それでも、誰かの救いになれたなら良かった」
愛おしく本を撫でるスキレを眺め、ニレが口を開く。
「さておき、だ。依頼人の姉さんよ。おたくがどうしてこんな事をしてるのか……だがまあ、危ねえ橋を渡ってまでたどり着きたいとこがあるんだろう?」
問いかけにスキレは迷わず、黙って頷いた。その姿に、ニレは満足そうに笑む。
「だったらあっしは応援するよ。頑張ってるヤツには手を貸したくなる性分だ。また入用だってんならいつでも声をかけてくんな……あぁ、もちろん」
――先立つモノは必要だがね。悪戯っぽく笑いながら言って、ニレはあっさりと去っていった。最後まで飄々とした姿をスキレは少し戸惑いながらも見送った。
そんな彼女の傍にいつの間にかクウが立っていた。クウはスキレと、その手の図鑑を交互に見て言った。
「恐れ知らずは早死にするわ。未知を恐れて――でもその恐れと向き合いながら前に進んでいける人間こそ勇敢で、道を残していけるものだと思うのね」
真剣な眼差しで語るクウだったが、そこまで言って顔を崩す。そのまま耳元で囁くようにして言葉を続けた。
「お師匠さん……彼氏さん? が示してくれた道。その気があるなら成し遂げられるわよ、きっと!」
クウの素直な励ましにスキレは僅かに頬を染めつつも、素直に感謝した。異端の道には違いないが、理解してくれる人はいるのだ。
彼女の旅はまだ続いていくだろう。歪虚の発生が鎮まらない限り、旅路に果ては無いかもしれない。
それでも、足は止めない。一切の恐れを見せなかったあの人のように、スキレもまた歩みを恐れる事はしなかった。
「もう一度おさらいしておきましょうか。サンドワンワンの脅威の殆どは彼らの巣、その形態によるものです。ですから推奨される戦術は――」
戦闘に赴く直前のハンター達にスキレは最終確認として図鑑に書き溜められたその歪虚の情報を語って聞かせる。
言葉通りその講義は二度目であり、拝聴の是非は個人の判断に委ねられていた。多くの者は自身の装備の確認に余念が無くそちらを優先し、その他の数名はスキレの声に耳を傾けていた。
その中でも最も熱心に説明を受けていたのはブリジット(ka4843)とシン(ka4968)の二名であろう。
「つまり、巣から出してしまえばいいんですね。情報ありがとうございます、助かります」
解説を十分に呑み込んだブリジットは恭しく頷いた。傍らでメモを取っていたシンもトレードマークのメガネをくぃっと動かして続く。
「凄い知識だね。そこまで知られてるような相手でもないと思うけど」
シンからの賞賛を受けてスキレはそっと手にした図鑑の表紙を愛でるように撫でた。
「知られていないからこそ、知らせることには価値がある。皆さんのお役に立てたのなら、きっと本望だと思います」
まるで、そこにはいない誰かのことを語るように。スキレは柔らかに微笑んだ。
「サンドワンワン? 可愛いネーミングね。私もそっちのほうがいいと思うわよ」
未知の怪物に対するスキレの講義を耳にしながら、ケイルカ(ka4121)はくすくすと笑って呟いた。
講義を中断させるような意図はなく、その言葉は同じように戦支度を終えた戦友たちに向けられていた。
「ふぅん……さんどわんわん、なあ。確かに砂犬って名前はちょいと味気がなさすぎる……わかりやすいとは思うんだがね」
文挟 ニレ(ka5696)が応じる。ハンターとしての初仕事を前にした彼女だが、その語調には一切の気負いも見られなかった。
「砂犬、サンドワンワン……私としては前者がシンプルで良いと思いますね」
対してエルバッハ・リオン(ka2434)は味気ないと評された名称を推した。
「ふーむ……間をとって砂わんこでどうかしら?」
対抗意見を纏めるようにクウ(ka3730)が提案した。いつの間にか命名に対する議論のような意見が出始めている事にグリムバルド・グリーンウッド(ka4409)は困ったように眉根を寄せて見せた。
「可愛いとは思うんだが……いや、まぁそれは今はいいか。しかし、実際には初めて見たが名前ほど可愛くはねぇな」
ハンター達がいる高台からは遠目だが件の歪虚の姿が見て取れた。距離の影響もあり輪郭のぼやけたその影は――なるほど。列挙された呼び名には不相応な外見であった。
だがグリムバルドにはその方が都合が良かった。なまじ愛らしい見た目であったなら僅かばかりでも狩に影響していたかもしれない。
「畑を荒らすらしいし。容赦なくやれそうで何よりだぜ。引っ張って来るまでが大変そうだが、さくさく掃除するとしようかね」
「ワンコは可愛いですけれど、サンドワンワンは畑を荒らすからダメですの!」
グリムバルドの言葉にクリスティン・エリューナク(ka3736)がこくこくと頷き、小柄ながらのやる気を見せる。
結局のところ呼び名の統一は為っていないが……元より、歪虚はただ滅するだけの標的に過ぎない。この束の間の論議も愛着あってのものではなく、それこそ余興でしかなかった。
「まぁ――それはさておき、せっかく敵の情報があるのですから、有効に活用しましょうか」
エルバッハが呟くと共に歩き出す。スキレの講義が終わったのを見計らっての事だ。
彼女に続くように他の者も進む。目指すは未だ名前も定まらない怪異の獣。だがしかし、彼らにはその未知に対する知識が授けられている。
戦場に赴くハンター達の背中にはスキレの声援が届いていた。
●
歪虚、砂犬の巣へと身を隠しながら接近していく。岩陰から双眼鏡を覗いたエルバッハが周辺を慎重に探る。
既知の生物で例えるのなら、砂犬の巣は蟻地獄のそれに近いものだった。とはいえ螺旋状の中心に主が構える狩猟の為の構造とはまた異なる。砂地の中でも際立って細かい流砂に崩された地面は砂風呂の様でもあった。
先程高台から窺った時には巣の外に数匹の影が見えていたが、今はそれも見当たらない。どうやら家の中に引っ込んだらしい。運は、こちらに向いている。
斥候の不在につけ込むようにハンター達は砂の城攻めを開始した。
「砂地が得意ならドロドロにしちゃえばいいのよ――砂犬の巣に水かけるわよ~」
ケイルカの号令で一同が岩陰から飛び出し巣に急接近をかける。
それぞれが手にするのは水が並々注がれた桶である。ケイルカが無数に用意した桶を用い近くの水場から汲んだ水、それがこの策の要であった。
一斉に内部に向けて水が投げ入れられる。巣を包囲するように展開したハンター達が放った水は巣のあちこちに散って吸われていった。
砂犬の特性として乾燥した砂の下での機動性がある。それを潰す為の大量の水である。
砂は水を吸い込み固まり、潜む砂犬の足を鈍らせる。砂と泥、中を掻き進むうえでどちらが困難かといえば、言うまでもない。
……しかし、砂犬達は巣の異常に慌て飛び出す事はなかった。いざ地上に出た時の戦力低下を知ってか、或いは野生の本能で籠城こそが自分達の常套手段と悟ったのか。
水浸しの巣で尚も穴熊を決め込む敵に対し、クウは次の策に移ろうとしていた。
巣の近くに放った干し肉とツナ缶にも砂犬達は反応を見せない。餌としては期待できないと悟り、後の回収を決意し――次の瞬間には、躊躇なく自身を巣の直中に飛び込ませていた。
「ふふ、私のお肉なら干し肉とかツナ缶よりは美味しいわよ。きっと」
言葉通り、狙いは自身を餌としての釣り。つまりは囮である。
踏み出したクウの脚が水を吸い泥と化した地面に埋もれていく。深さはそれなりで、膝上まで沈みこんだ体に僅かばかり動揺を抱いた。
だが、すぐさまそれは引っ込む。ハンターとしての直感がクウの体を動かした。
突如、泥の中から砂犬の牙が飛び出す。寸前で身を捩ってかわしたクウに追撃するよう、二匹、三匹と数を増し立て続けに飛び掛ってきた。
一見怒涛の攻めに見える砂犬の強襲ではあったが、これは本来の形ではない。この巣に潜む歪虚の数は八、本来であればその全てが間断なく牙を剥き、巣に踏み入った獲物を一瞬で仕留めていた。
それを妨げたのは紛れもない、悪化した彼らの足場にある。普段の倍増しに抵抗を増した泥の中の移動は砂犬にも困難であり、その連繋をも妨げたのだ。
三度目の攻撃を払い、クウは脚部にマテリアルを集中させる。途端、泥の中に沈んだ脚が軽くなる。瞬脚の駆動に伴い奔るエネルギーが泥を弾き飛ばしているようにすら思えた。
泥沼と化した巣の中をクウは易々と駆け回り、遅れて追いついてくる砂犬の牙を悉くあしらって行く。回避を主体に動く中で手にした水鉄砲で犬達を挑発する余裕さえ見せていた。
回避と、ウォーターガンによる翻弄の繰り返し。幾度か繰り返されたそれの最後に、クウは華麗な跳躍をもって泥沼の中から離脱した。
一度は篭城を選択し得た獣達であったが、みすみす獲物を逃すまいとする欲が今度は判断を鈍らせた。クウを追って、砂犬達は次々と地上へと姿を晒していった。
●
巣から引き揚げるクウ。彼女とすれ違うように交わる影が一つ。
「――明鏡止水、閃迅の太刀」
金の髪を揺らしながら舞う様に踏み出したブリジットの居合い抜きが、真っ先に巣を飛び出した先頭の砂犬を捉える。
鼻面に鮮烈な一太刀を浴びせさせられた歪虚は堪らずその場に倒れこみ、その体を踏み越えるように次の獣が迫り来る。
スキレの前情報の通り、いざ地上へと躍り出た砂犬の動きは野犬のそれと大差がない。狩場である巣を飛び出したという事は彼らにとっての最高のアドバンテージを手放したことに他ならない。
対して、二本の脚がしかと大地を踏みしめる感覚は人間の側にこそ利をもたらす。ブリジットのステップは危なげなく踏まれ、円運動を軸とした足運びを魅せ、砂犬の野卑な牙をあしらっていた。
だが二匹、三匹と追い縋る歪虚。大半を捌きつつも、振りかぶられる鋭い爪の攻撃は幾度となくブリジットの鎧を削っていた。抜刀の構えで受ける彼女も、手数で圧倒されては不利は否めない。
「ヒール――!」
その背中に、クリスティンの声が響く。術法の詠唱と共に、光の輝きがブリジットの傷を癒していく。
前衛の騎士の後方でクリスティンは援護に当たっていた。直接戦闘には自信の無い彼女だったが、支援に関しては物怖じすることなく胸を張れた。
ブリジットに惑わされ、眼前の敵ばかり目がいく獣には気づきようもないが、与えた傷はすぐさまを癒やされていた。
前衛の騎士と後衛の術師。定番であり無難、鉄板の連繋は絶大な効力を及ぼす。クリスティンは攻めを前衛の剣に託し、ブリジットは援護を頼みに攻撃の直中に身を置き続けた。
ブリジットが張った位置と対になる場所でシンは騎馬から降りた。
視線が向くのは泥に塗れた犬の巣。その中に蠢くものをシンは見逃さなかった。
村での事前の調べが功を奏した。クウを追って巣の外へ出た砂犬の数は七――しかし、全部で敵は八体の筈なのだ。
ならばこそ、そこに残りが潜むのは必然だった。注視した一点の泥が、爆ぜる。
「――そこ!」
叫ぶと共に剣を振るう。飛び出した犬の爪を弾き、泥を被った姿が地上へと着地する。
いよいよ視認せしめた敵を前にシンが狙うは先手必勝。軸足と神経にマテリアルを循環させ、敵の一指の動きさえも見落とさず集中する。
砂犬の前足に力が――そう見て取った瞬間に、シンは駆け抜け刀を薙いだ。突撃姿勢に入っていた獣は反応は及んでも回避は叶わず、一閃のもとにその存在を霧散させた。
「――おいで、私の猫ちゃん。犬なんかに負けないわよ」
砂犬が巣から飛び出すや否や、ケイルカは呟いた。次の瞬間には彼女の傍らに光る何かが現出していた。それは人懐こく主人の肩に上って見せた。
幻影の猫。ケイルカが戦闘姿勢に入った証である。肩に乗った相棒に微笑みかけケイルカは術の行使へと移る。それに伴い、幻影の猫も戦意を表すように啼いた。
先ず放たれた水の球が駆ける砂犬の手前に飛んだ後破裂する。衝撃は敵を吹き飛ばすも、その効果はケイルカの期待したものではなかった。
砂地、乾燥を好む砂犬ならば水を苦手とするのではないか。その発想のもとの攻撃だったのだが。
落胆も僅かに、ケイルカは次の攻めへ移る。彼女の眼前に備えられた一本の矢、射線は走る歪虚へと向いている。
「行くわよ、猫ちゃん。あの悪い犬を退治よ」
主人の声に応え、猫が啼く。その咆哮に合わせるように放たれた矢は、はたして彼女らの敵を見事貫いて見せた。
「スリープクラウド――眠りなさい」
エルバッハの詠唱によって青白いガスが一面を覆った。僅か一瞬の充満ではあったが、その効果は絶大であった。
ガスが晴れた後、周囲の砂犬は全て倒れ伏していた。無論、死した訳ではない。睡眠ガスの効力によって眠りに落ちたのだ。
強制的な眠りによって晒された膨大な隙。それを見逃すという発想など、戦場において誰が持ち合わせようか。
グリムバルド、そしてニレが不敵に笑う。魔導銃と呪符による追い込みが功を奏し、眠りの呪文による一網打尽を果たした今、笑いを溢さずにはいられない。
グリムバルドの詠唱は光の三角形を現出させるデルタレイ。三点より放たれる光線は眠り動かない歪虚を確かに貫くだろう。
一方、ニレは先の追い込みに用いた呪符をドローアクションを用いて再装填を済ませていた。
前準備をもって放たれる符術師の魔法は魔術師のそれとはまた異なる。独特の雰囲気を纏う彼らの術はその起源を強く意識させるものでもあった。
胡蝶符。呪符の消費を持って形作られるはひとひらの蝶。しかし実態は無く、美しさに反して敵を屠る為だけの術法である。
無機、有機。それぞれを感じさせる二者の魔法は交錯し、無防備な歪虚の群れに炸裂する。眩い閃光が失せる頃には周辺の戦闘は一通りの終結を見せていた。
●
仕事は済んだ。これよりは各々が思った事を為すだけである。
たとえば。グリムバルドは砂犬の掘り返した地面の整地に取り掛かった。村から離れているとはいえ、知らず踏み込んだ者が怪我をするようなものを放置は出来なかった。
たとえば。ケイルカは犬達が荒らした畑の修繕を手伝いに向かった。彼女の家もまた農家であり、とても他人事とは思えなかった。
そして、何人かは依頼人であるスキレへの仔細報告を済ませていた。ブリジットが丁寧に頭を下げ礼を示す。
「ありがとうございました。おかげで随分楽に戦う事が出来ました」
「ありがとう。貴女と、貴女の紡ぐそのノートに感謝するよ」
シンも同様に礼を言いスキレとその知識の源である歪虚図鑑を讃えた。向けられた賛辞にこそばゆいものを感じながら、スキレは破顔し礼を返す。
「こちらこそ。まだ完成には程遠いですが……それでも、誰かの救いになれたなら良かった」
愛おしく本を撫でるスキレを眺め、ニレが口を開く。
「さておき、だ。依頼人の姉さんよ。おたくがどうしてこんな事をしてるのか……だがまあ、危ねえ橋を渡ってまでたどり着きたいとこがあるんだろう?」
問いかけにスキレは迷わず、黙って頷いた。その姿に、ニレは満足そうに笑む。
「だったらあっしは応援するよ。頑張ってるヤツには手を貸したくなる性分だ。また入用だってんならいつでも声をかけてくんな……あぁ、もちろん」
――先立つモノは必要だがね。悪戯っぽく笑いながら言って、ニレはあっさりと去っていった。最後まで飄々とした姿をスキレは少し戸惑いながらも見送った。
そんな彼女の傍にいつの間にかクウが立っていた。クウはスキレと、その手の図鑑を交互に見て言った。
「恐れ知らずは早死にするわ。未知を恐れて――でもその恐れと向き合いながら前に進んでいける人間こそ勇敢で、道を残していけるものだと思うのね」
真剣な眼差しで語るクウだったが、そこまで言って顔を崩す。そのまま耳元で囁くようにして言葉を続けた。
「お師匠さん……彼氏さん? が示してくれた道。その気があるなら成し遂げられるわよ、きっと!」
クウの素直な励ましにスキレは僅かに頬を染めつつも、素直に感謝した。異端の道には違いないが、理解してくれる人はいるのだ。
彼女の旅はまだ続いていくだろう。歪虚の発生が鎮まらない限り、旅路に果ては無いかもしれない。
それでも、足は止めない。一切の恐れを見せなかったあの人のように、スキレもまた歩みを恐れる事はしなかった。
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2015/10/23 19:12:32 |
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砂犬もしくはサンドワンワン狩り クウ(ka3730) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|疾影士(ストライダー) |
最終発言 2015/10/24 15:24:35 |