ゲスト
(ka0000)
グラズヘイム北方動乱戦勝記念祭
マスター:藤山なないろ
このシナリオは5日間納期が延長されています。
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オープニング
●戦勝記念祭
グラズヘイム王国、首都イルダーナ。
「号外! 号外だよ!!」
「北方動乱、遂に決着! 茨の王が討ち取られた!!」
「去年王都を蹂躙したベリアル配下の歪虚クラベルも、同時に討伐されたそうだ!」
その日、街は大いに沸き立っていた。
王国民には馴染みの深いヘルメス新聞社が大量の号外を刷り出し、街では日雇いの少年たちがせっせとそれを配り歩いている。
先の王国北部での亜人との戦争──“北方動乱”が遂に決着した。
そしてその戦いにおいて貢献したハンター、貴族らの叙勲式が慎ましくも無事に終了したということが王都中の話題を席巻していた。それは、最も人通りの多い王都第三街区の商店街も然り。
「嫁いだ娘が北部に居たんだ。これで漸く安心出来る」
「なぁなぁ、“あのクラベル”が倒されたってのは本当か?」
「あぁ! 動乱の最中に倒しちまったハンターと貴族の連合軍は大したもんだ!」
「王都がやつらに踏みにじられてから1年、ようやくの朗報だな」
「って、おやおやエリオット様じゃないか! 叙勲式の帰りかい?」
「我らが騎士団も本当によくやったぞ!」
「騎士団長殿、うちのカボチャもってけよ。うめえから!」
「とびきり上等な葡萄もあるよ。ほら、遠慮しないで!」
──そんな第三街区の一角に、王国騎士団本部はあった。
◇
「お帰りなさい、エリオット様。……どうなさいました?」
本部へ帰還したエリオットを出迎えたのは、彼の直轄の部下であり、秘書としての役割も務めている女騎士フィア。
「……すごい……騒ぎだった……」
ぐったりとした様子の青年が大切そうに抱きかかえていた袋は、街の人々に持たされた焼き立てのパンや、南瓜、葡萄、林檎などなど。それをフィアではなく、入口に控えていた騎士にそのまま手渡すと「街の皆からの祝いの品だ。皆で頂くといい」と告げ、言葉少なに騎士団長室へ向かう。
そんな青年の半歩後ろに付き添いながら、フィアは笑い声をあげた。
「ふふ。街で、もみくちゃにされたんですね」
「こんな朗報も、昨今なかったからな。たまにはいいだろう……」
どう見ても青年の顔はげっそりしているが、心の底では喜んでいるのだろう。感情が表に出にくい男だ。
「エリオット様は我らが王国騎士団のマスコットですから、仕方がありませんね」
「……どういう意味だ?」
ぶすっとした顔で、纏っていた儀礼用ジャケットを脱いでソファに放り投げると、いつもの革張りのソファへ腰かけて漸く息を吐く。
フィアは敢えて口にしなかったが、街の人々にとってエリオットは王国復興の象徴のひとつであった。
王国暦1009年、今から6年前に傲慢の歪虚とグラズヘイム王国が相対した「ホロウレイドの戦い」。
戦いの末、王国は先王や騎士ら多くの犠牲を伴いながらも王国北西のイスルダ島へとなんとか敵を押し返したが、王国の負った傷は途方もなく大きいものだった。あの戦いで、国王を、家族を、友を、数えきれないほどの騎士を喪い、闇の中に突き落とされた王国の民にとって、国を守るために再び立ちあがった王国騎士団と、新たに着任した若き騎士団長の姿はまさに希望そのものだった。
当時24歳のエリオットは、騎士団長を拝命するにはいささか若く、戦闘能力の高さで言えば赤の隊副長のダンテとは互角だっただろうし、軍を率いることについては青の隊副長のゲオルギウスに大きく水をあけられていた。
それでも、生き残った王国騎士たちが、失意に暮れた人々が、そして“象徴”を求める為政者たちが、エリオットを騎士団長にと望んだ。王都で育ち、この国の為に尽くしてきた彼の生来の生真面目さや、誠実さ、そして強さが、当時の国に必要だったのだろう。
だからこそ、分不相応と知りながら彼は周囲の望みに応えたいと願い、王国騎士団を率いる大任を拝命している。
未だ彼自身、その役に相応しいとは思えぬままであるのだが。
「街の皆さんから、愛されているということですよ」
「さぁな。それはわからんが……本当に、こんな空気は久しぶりだ」
あれから5年の時を経た昨年、黒大公ベリアルを将とする歪虚の軍勢が、再び王都へと進軍を開始した。この戦いにハンターたちも協力し、10月下旬、王国西方ハルトフォート砦で敵軍を迎え撃つ防衛戦が開始されるが、11月に入り、ベリアルは王都イルダーナへの直接攻撃という奇襲作戦を強行。ハンターたちと王国軍はベリアル配下の歪虚フラベルを撃破し、ベリアルにも手傷を負わせ撤退させることに成功するが……王都が再び負った爪痕は決して小さくない。
歪虚に直接襲撃された王都では、多くの家が破壊され、多くの人が死んだ。命を取り留めたからといって、寝たきりになったり、就労することのできない体になってしまう者も多く、家族を失った悲しみのみならず、その後生活すらままならなくなった者もいる。
それでも、あれから1年、復興は着実に進んできた。それは王国が歪虚との戦いの影で復興政策に注力してきたこともあるが、なにより王国の民の心が“おれていない”事の証でもあるはずだと信じている。
「騎士団本部の様子もご覧になりました?」
首を横に振るエリオットに微笑み、
「みな、とても安堵した顔をしています。それに、どこか嬉しそう」
騎士団長室の扉を開放するフィア。聞こえてくる声が、いつも以上に活気に満ちている。
「こんなにも笑顔があふれるものなんですね。6年前の私達は、こんな風、だったんでしょうか」
──もう、思い出せないんですけどね。
ぽつりと呟くフィアはどこか遠い目をしていて、それに気付いた青年はソファから立ち上がった。
「……確かに、思い出すにはいい機会だな」
「え?」
その意味を理解できずに問い返したフィアの目には、6年前、崩壊した王国騎士団を背負って立つと誓った──あの日に生まれた希望の象徴が映っていた。
●とある爺の場合
「……若いな」
エリオットの発案により、王都第三街区に居を置く騎士団と商店街の皆と合同で戦勝記念祭を開催する旨の通達があった。それに対し、青の隊隊長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトがため息交じりに呟く。
「最後になりますが、此度の青の隊を中心とした北方動乱の決着、見事であったと大司教殿、並びに殿下よりお言葉を賜っているそうです」
「ふん。そんなもん何の足しにもならん。どうせなら騎士団長の地位を寄越してもらいたいくらいだが」
そう言って、老兵は質のよい古びたパイプを口にくわえる。
ややあって、薄い煙と共に吐き出したのはのは、緊張感を帯びた一言だった。
「祭、か。……やるならば、一刻も早い開催を、と伝えろ。猶予はさほどないぞ。恐らく、な」
再びパイプを口にくわえると、無言で使者の退室を促す。
「ソリス・イラの因果は、これで解かれたか」
人の気配が失せたのを確認し、呟く老爺に刻まれた皺は、ほんの少し和らいだように見えた。
グラズヘイム王国、首都イルダーナ。
「号外! 号外だよ!!」
「北方動乱、遂に決着! 茨の王が討ち取られた!!」
「去年王都を蹂躙したベリアル配下の歪虚クラベルも、同時に討伐されたそうだ!」
その日、街は大いに沸き立っていた。
王国民には馴染みの深いヘルメス新聞社が大量の号外を刷り出し、街では日雇いの少年たちがせっせとそれを配り歩いている。
先の王国北部での亜人との戦争──“北方動乱”が遂に決着した。
そしてその戦いにおいて貢献したハンター、貴族らの叙勲式が慎ましくも無事に終了したということが王都中の話題を席巻していた。それは、最も人通りの多い王都第三街区の商店街も然り。
「嫁いだ娘が北部に居たんだ。これで漸く安心出来る」
「なぁなぁ、“あのクラベル”が倒されたってのは本当か?」
「あぁ! 動乱の最中に倒しちまったハンターと貴族の連合軍は大したもんだ!」
「王都がやつらに踏みにじられてから1年、ようやくの朗報だな」
「って、おやおやエリオット様じゃないか! 叙勲式の帰りかい?」
「我らが騎士団も本当によくやったぞ!」
「騎士団長殿、うちのカボチャもってけよ。うめえから!」
「とびきり上等な葡萄もあるよ。ほら、遠慮しないで!」
──そんな第三街区の一角に、王国騎士団本部はあった。
◇
「お帰りなさい、エリオット様。……どうなさいました?」
本部へ帰還したエリオットを出迎えたのは、彼の直轄の部下であり、秘書としての役割も務めている女騎士フィア。
「……すごい……騒ぎだった……」
ぐったりとした様子の青年が大切そうに抱きかかえていた袋は、街の人々に持たされた焼き立てのパンや、南瓜、葡萄、林檎などなど。それをフィアではなく、入口に控えていた騎士にそのまま手渡すと「街の皆からの祝いの品だ。皆で頂くといい」と告げ、言葉少なに騎士団長室へ向かう。
そんな青年の半歩後ろに付き添いながら、フィアは笑い声をあげた。
「ふふ。街で、もみくちゃにされたんですね」
「こんな朗報も、昨今なかったからな。たまにはいいだろう……」
どう見ても青年の顔はげっそりしているが、心の底では喜んでいるのだろう。感情が表に出にくい男だ。
「エリオット様は我らが王国騎士団のマスコットですから、仕方がありませんね」
「……どういう意味だ?」
ぶすっとした顔で、纏っていた儀礼用ジャケットを脱いでソファに放り投げると、いつもの革張りのソファへ腰かけて漸く息を吐く。
フィアは敢えて口にしなかったが、街の人々にとってエリオットは王国復興の象徴のひとつであった。
王国暦1009年、今から6年前に傲慢の歪虚とグラズヘイム王国が相対した「ホロウレイドの戦い」。
戦いの末、王国は先王や騎士ら多くの犠牲を伴いながらも王国北西のイスルダ島へとなんとか敵を押し返したが、王国の負った傷は途方もなく大きいものだった。あの戦いで、国王を、家族を、友を、数えきれないほどの騎士を喪い、闇の中に突き落とされた王国の民にとって、国を守るために再び立ちあがった王国騎士団と、新たに着任した若き騎士団長の姿はまさに希望そのものだった。
当時24歳のエリオットは、騎士団長を拝命するにはいささか若く、戦闘能力の高さで言えば赤の隊副長のダンテとは互角だっただろうし、軍を率いることについては青の隊副長のゲオルギウスに大きく水をあけられていた。
それでも、生き残った王国騎士たちが、失意に暮れた人々が、そして“象徴”を求める為政者たちが、エリオットを騎士団長にと望んだ。王都で育ち、この国の為に尽くしてきた彼の生来の生真面目さや、誠実さ、そして強さが、当時の国に必要だったのだろう。
だからこそ、分不相応と知りながら彼は周囲の望みに応えたいと願い、王国騎士団を率いる大任を拝命している。
未だ彼自身、その役に相応しいとは思えぬままであるのだが。
「街の皆さんから、愛されているということですよ」
「さぁな。それはわからんが……本当に、こんな空気は久しぶりだ」
あれから5年の時を経た昨年、黒大公ベリアルを将とする歪虚の軍勢が、再び王都へと進軍を開始した。この戦いにハンターたちも協力し、10月下旬、王国西方ハルトフォート砦で敵軍を迎え撃つ防衛戦が開始されるが、11月に入り、ベリアルは王都イルダーナへの直接攻撃という奇襲作戦を強行。ハンターたちと王国軍はベリアル配下の歪虚フラベルを撃破し、ベリアルにも手傷を負わせ撤退させることに成功するが……王都が再び負った爪痕は決して小さくない。
歪虚に直接襲撃された王都では、多くの家が破壊され、多くの人が死んだ。命を取り留めたからといって、寝たきりになったり、就労することのできない体になってしまう者も多く、家族を失った悲しみのみならず、その後生活すらままならなくなった者もいる。
それでも、あれから1年、復興は着実に進んできた。それは王国が歪虚との戦いの影で復興政策に注力してきたこともあるが、なにより王国の民の心が“おれていない”事の証でもあるはずだと信じている。
「騎士団本部の様子もご覧になりました?」
首を横に振るエリオットに微笑み、
「みな、とても安堵した顔をしています。それに、どこか嬉しそう」
騎士団長室の扉を開放するフィア。聞こえてくる声が、いつも以上に活気に満ちている。
「こんなにも笑顔があふれるものなんですね。6年前の私達は、こんな風、だったんでしょうか」
──もう、思い出せないんですけどね。
ぽつりと呟くフィアはどこか遠い目をしていて、それに気付いた青年はソファから立ち上がった。
「……確かに、思い出すにはいい機会だな」
「え?」
その意味を理解できずに問い返したフィアの目には、6年前、崩壊した王国騎士団を背負って立つと誓った──あの日に生まれた希望の象徴が映っていた。
●とある爺の場合
「……若いな」
エリオットの発案により、王都第三街区に居を置く騎士団と商店街の皆と合同で戦勝記念祭を開催する旨の通達があった。それに対し、青の隊隊長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトがため息交じりに呟く。
「最後になりますが、此度の青の隊を中心とした北方動乱の決着、見事であったと大司教殿、並びに殿下よりお言葉を賜っているそうです」
「ふん。そんなもん何の足しにもならん。どうせなら騎士団長の地位を寄越してもらいたいくらいだが」
そう言って、老兵は質のよい古びたパイプを口にくわえる。
ややあって、薄い煙と共に吐き出したのはのは、緊張感を帯びた一言だった。
「祭、か。……やるならば、一刻も早い開催を、と伝えろ。猶予はさほどないぞ。恐らく、な」
再びパイプを口にくわえると、無言で使者の退室を促す。
「ソリス・イラの因果は、これで解かれたか」
人の気配が失せたのを確認し、呟く老爺に刻まれた皺は、ほんの少し和らいだように見えた。
リプレイ本文
●北方動乱戦勝記念祭
騎士団本部を出ると、そこは王都イルダーナで最も賑わう第三街区商店街。目抜き通りには多数の商店や露天が並び、今日は昼間から酒場も営業開始。その騒ぎは通常の比ではない。なんせ、こんなお祭り騒ぎは実に数年ぶりの出来事だ。
「ざくろんってお祭りとかお祝い事、何気に好きよね~」
くすりと微笑み、アルラウネ(ka4841)が恋人である時音ざくろ(ka1250)の顔を覗き込む。
「だ、だってこの間は怪我してたし。それに……」
間近で自分を見つめてくる恋人の顔。その青い瞳が蠱惑的で、思わずざくろの喉が鳴る。しかし、少年は首を振ってぽつりと本音を漏らした。
「……もっと、一緒に思い出増やしたくて」
鼓動を抑え込むように深呼吸。やがて、意を決したように少年は恋人の手を取った。
「あれ、射的かな?」
二人は、多くの人でごった返す商店街でも一際賑わう屋台を見つけた。その中心では、一人の少女がギャラリーの声援を一身に浴びている。
「すげえ! もう10発連続命中だぞ!!」
「いいぞ嬢ちゃん、もっとやれ!!」
歓声を浴びる少女の名はミオレスカ(ka3496)。
「はい。やはり、お祭りとあらば、射的はしないといけませんから」
こくりと頷き、そして構える。玩具といえど銃に触れると少女の目の色温度が下がる。それに合わせて周囲の歓声が水をうったように静まり返り、そして……
──パンッ!!
軽い音が響くと、それは台の端に位置した巨大なぬいぐるみを撃ち落とした。
既に少女に景品をあらかた持って行かれたらしく、射的屋のおやじの悲鳴を肴に、シューティングショウに熱狂する人々から笑いが起こる。
「仕方ない、ですね。今のが一番の大物でしたから、この辺でお開きにします」
ぺこりと頭を下げるミオレスカは、小さな体に持ち切れないほどの景品を一生懸命抱えると、祭りの人混みに消えていった。
「いやぁ~……いいもん見せてもらったぜ」
「流石ハンター、本職は違うわ」
去ってゆくギャラリーの後に残ったのは、しょぼくれた屋台の親父と仲睦まじいカップルだけ。
「……あの、おじさん。まだ店じまいじゃないよね?」
ざくろがおずおずと尋ねるものの、店主はむしろ強引に二人に射的を勧めてくる。
「いやいや、大歓迎だよ。さ、可愛い彼女さんのために、いいもん当てて帰ってな!」
実際、射的が始まれば、流石ハンターと言わざるを得ない。
その辺の素人とはくぐってきた修羅場が違うのだ。だがしかし。
「……ん、なかなか難しいわ」
本音か、建前か。アルラウネの撃つ弾は狙った獲物に対し、僅か右にそれた。直後、少女の隣でパンッと小気味よい銃声が響き、同時にどさりと音を立てて何かが落下した。
「うん、鈍ってないみたいだ」
常日頃銃を用いていないとはいえ、歪虚を相手に戦う日々だ。
大人しく静止した的を相手に、ざくろが攻撃を外すわけがない。
「流石ざくろんね……」
「そうかな? ありがとう」
ほんのり朱に染まる顔を隠さないざくろは、うまく撃てない恋人のためにとアルラウネの後ろに回る。
「ほら、銃はこう持って、この角度で……」
肌と肌をぴたりと合わせるようにして、彼女の両腕に触れ、腕の角度や姿勢を正す。そして……
「もう少し脇を緩めて、うん。そんなかんじ、それで……!!?」
少年の手が、"うっかり"暖かくて柔らかい何かに触れた。
「う、うわわわっ!!」
少年は漸く状況を自覚したのだろう。女の子らしいしなやかさがある暖かい二の腕。それに何より彼女自身から花のように魅惑的な香りがする。そんな風に、今なお初心な反応を見せるざくろを愛しく思ったのだろう。アルラウネがくすりと笑った。
「ううん、全然いいの。でもね、ざくろん」
ちら、と自分たちの様子を仏のような目で見守る存在を見やり、
「教えてくれるのは嬉しいけど……ほら、店員さんの目が……」
「ごっ、ごめん……!」
それからしばし、遊び疲れた二人は噴水の傍のベンチに仲良く並んで腰をかけた。
他愛のない話で笑い合いながら、やがて頃合いを見計らってざくろがあるものをさしだした。
「アルラ、さっきのこれ……今日の、思い出に」
それは、かわいらしいくまのぬいぐるみだった。
大切な人が自分の為に頑張って手に入れてくれた贈り物だ。嬉しくないわけがない。
アルラウネの手は、贈り物を受け取るかと思いきや、それを素通りし、ざくろの首の後ろにまわる。そして、ぬいぐるみごと愛しい人をぎゅっと抱きしめた。
「……ありがとう、ざくろん」
◇
賑わう第三街区の街並みを、少し離れたベンチからぼんやりと眺める少女がいた。
祭りの風景が、いつか見たあの夢の“祭”の光景に重なって──柏木 千春(ka3061)は、小さく息をつく。
目の前の景色に“彼女”の姿はない。あの痛ましげな瞳も、幼い横顔も、今自分の目に映る景色には存在しない。
──でも、あの日見たことは、彼女の願いは、確かにここに在った。
「……ッ」
唇を噛み、俯く。白く小さな拳には、思いの限りの力が籠っている。
彼女の役に立ちたいと差し伸べたはずの手は、もはや行くあてを失い、それでも素直に自分の胸元へ引き戻せずにいる。
瞼の裏には、今もなお焼きついている。フォーリ・イノサンティの最期もそう。護るべき人を護れなかったこと。大切な人を失う悲しみを背負わせてしまったことが心に暗い影を落とす。そんな時だった。
「おねえちゃん」
千春の足先に小さな毬が転がってきた。気付いて顔を上げると、幼い少女の姿が在る。
どんな理屈かも、どんな理由かもわからない。千春の錯覚の可能性だって否定できない。
なのにそれは、夢で見た“エリカ”によく似ていた。あの少女より、随分歳は幼いが。
「それ、わたしのなの。あっくんがね、けとばしちゃったの」
「……あ、あの……」
震える手でボールを拾い、そしてそっと少女に渡そうと手を伸ばす。
そんな千春ににこりと笑いかける顔まで、エリカに良く似ている気がした。
「ありがとう!」
そっと千春の手を両手で包むように触れ、ボールを握りしめると少女は王都を駆けていく。
白昼夢でないことは、手に触れた温かさが伝えてくれている。それを噛み締めるように、千春は立ち上がった。
「ん。……もう、大丈夫」
今はまだ、心から笑うことは出来なくても。
それでも……今度こそは、守れるように。この平和が何時までも続くようにと、少女は願い、歩き出した。
◇
酒を片手にふらふらとあちこちの様子を見ては、祭りの空気に口角を挙げる男が一人。
「ほーん、中々美味そうじゃねえの。おっさんも一つもらおうかしらぁ」
屋台のフライドフィッシュを一つ手に入れ、おもむろにかじりながら第三街区をほっつき歩くのは鵤(ka3319)。
男が目抜き通りを歩いてしばし、賑わう商店街を抜けて行くと、そこには聳え立つ城壁があった。城壁の奥には、聳え立つ城と、隣に並ぶ聖ヴェレニウス大聖堂の姿。王都に住まう人間なら誰もが日々目にする王国の象徴だ。
「……思えば王都に足を踏み入れるのは、あの巨大羊の襲来以降かねぇ」
思い返すは、あの惨劇。今、鵤自身が立つこの場所も戦場となり、多くの人の血が流れた。
正直、それ自体はどうでもいいことだ。そういう事実があった。それだけのことだからだ。
ただ、あの戦いにおいて惨劇の主な原因となった存在──人の壁を切り刻む、少女の姿をした歪虚を思い返す。
非常に知的好奇心がそそられる対象だった。あの少女がというより、あれが用いたもの自体が、だ。
「旦那の目的は逃したが……」
ぽつりと呟く。
“負の楔”──あれが敵の意図通りに為されていたのなら、今頃自分たちはどうなっていただろうか。
「ま、どうでもいいことだな」
起こらなかった事に執着する必要もない。
過ぎた情報とはつまり、生きていない……死んだ情報ということだ。
それにいま価値があるとも思えず、鵤は煙を吐き出した。
煙の向こう、男の目は一瞬だけひどく無機質な色をして見せたが、それもすぐまた元に戻る。
踵を返す男は白衣と紫煙を風に任せながら、賑わう酒場へと姿を消していった。
◇
「しっかしまぁ、禁欲のきの字もありゃしねえな……」
呆れを隠すこともせず、クルス(ka3922)は「通行人の邪魔だ」とばかりに商店街で大の字になって寝こける男の腕をひっつかんだ。
「おい、おっさん。昼間っから寝るにはちと寒い季節だぜ」
「んあ? そーれもないろ」
──だめだ、こいつ。
溜息一つ、零したところで祭りに興じる連中に聞こえるはずもない。
諦め半分、クルスは男をひょいと背負うと、通路の脇にぽいと捨て置いた。
「飲んだくれに効くとは思えねえけど。ま、餞別程度にくれてやるよ」
そう言って、少年は男にキュアを施すと再び祭りの熱狂へと戻っていった。
こんな騒ぎの中に居て思うのは、先ほど立ち寄った王国騎士団本部でのこと。
叙勲式に同席していた騎士団長のエリオットとかいう男から聞かされた話──それは、このお祭り騒ぎが王国にとって非常に珍しい機会であるということだった。
『先のアークエルス防衛戦でのデルギン隊迎撃に際し、俺の部下を1人でも多く救おうと尽力してくれたこと、心から感謝している』
ポケットには、昨日の受勲式以降、突っこんだままになっていた大層な勲章がある。
「俺が叙勲なんてな……」
どこか燻った気持ちでいたクルスが喧騒の中から見上げた空は、清々しいほどに美しい青をしている。
──でも、じいさんに少しは顔向けできるかな。
懐かしい顔を思い出し、クルスは改めて自分の手に視線を落とした。
大したことをしたつもりじゃない。ただ目の前の事に必死になって、1つでも多くの死を防ぐためがむしゃらになっただけだった。だからこそ、心境が勲章の形とこの騒ぎを受け入れるのに、少しの時間が必要だっただけ。
ふと気付けば、酒にのまれて喧嘩を始めた男たちが目に付いた。
しようもない連中だが、そんな光景にクルスは小さく笑いを零す。
「まあ……勝って守れたからこそ、こうやって馬鹿騒ぎも出来るんだろうからな」
やれやれと小さく独り言ち、少年はその騒ぎを諌めるべく、杖を片手に力強い一歩を踏み出した。
●王国騎士団本部にて
騎士団本部は、普段と異なる様子を見せていた。酒にのまれた大人の喧嘩と、それを仲裁する騎士。迷子の子供と、それをあやしながら別室へ案内する騎士。転んで動けなくなったご老人の処置をしているケースもあれば、治安のいい王国と言えど熱気に乗じてスリを働く輩もいる。
──まぁ、酷い状態だった。
そんな本部に、疲れた南條 真水(ka2377)がやってきた。
普段なかなか入ることのできない施設だ。休憩が目的ではあるが、記念に丁度いいだろうと少女はふらふら奥へ進んでいく。すると、ホールに続く廊下の向こうに人だかりが見えた。
「皆さま、お疲れさまですわ」
「おお! 久しぶりじゃねぇか。どこの迷子かと思ったぞ!」
「迷子じゃないですわ。チョココ(ka2449)ですの! アップルシナモンのタルトを焼いてきましたの」
……そこには、小さな妖精さん(のような娘)がいた。
なんで妖精さんがいるのかはこの際置いておくとして、そこで真水は気が付いた。
なんだかいいにおいが漂っている。
──なるほど、ここは食堂か。
小食な真水は今あまり食べ物に用がないのだが、食堂の椅子には用がある。どうせなら座って休みたいじゃないか。
休憩がてら隅の椅子に腰かけていると、必然、そこでの光景が目に入ってきた。
「あー、やっぱうめえ。嬢ちゃんの作るもんはなんでも沁みるわ」
「嬉しいですの。そうですわ、休憩にお茶も用意しますわー」
そんな会話を聞いていると、真水は少し興味がわいてきた。
折角騎士団本部に来たのだ。名物料理(※注:名物ではない)を食べずしては始まらない。
すすす、と席を移動して賑わうテーブルに連なると、チョココが切り分けたタルトを一口ご相伴にあずかる。
真水がそんな幸せをほんわり享受していると、騎士たちがチョココに声をかけはじめた。
「嬢ちゃん、祭りは楽しんだか?」
「ええ。わたくし、お祭りは大好きですの♪」
妖精さん──もといチョココはにこーっと愛らしい笑みを浮かべている。疲れた時は、可愛い子供の笑顔も心にしみるものだ。だからかは解らないが、ある騎士の懐かしみが周囲に伝播し、皆がしんみりと笑う。
「王都も久々の賑わいだよ。……昔はいつもこんな感じだったはずなのにな」
これは紛れもなく嬉しいことのはずなのだが、それをどこか俯瞰している自分自身がいるのだろう。
「……ヒトの生きる力は凄いですわ」
少し静かになった食堂で、チョココがにこりと笑う。
「わたくしも、こう見えて過去に故郷を失った身ですけど……諦めてはいませんわ」
「そうだな。国も、人も、まだこんなにも力が溢れてるんだから」
「はいですの。いつか復興の日の為に……」
彼女たちのやりとりを横目に、真水はぼんやりと先の祭りの様子を思い返していた。
受勲以降、携帯している翠光中綬章をポーチから取り出し、それを眺めて息を吐く。
勲章の中央には翠石が燦然と輝いていて、真水自身に不釣り合いな印象を与えてくるのが苦々しくもある。
そんな輝きに気がついたのだろうか。
「たまげたもんだ。そいつぁ王国の勲章か?」
「え……あ、はい」
「めったにお目にかかれねェ代物だぞ」
周囲の騎士たちがわらわらと真水を取り囲んでいく。
状況に気後れしながらも、真水は改めて居心地の悪さに視線を落とした。
「でも……こんな立派な勲章は、南條さんには似合わないよ」
しばし騎士たちは不思議そうな顔で互いに視線を送り合っていたが、真水に朗らかに笑いかける。
「そういうやつも、たまにはいていいんじゃないか」
「似合わなくて構わないなら、家のタンスに放っておけばいい。似合いたいなら、そうなるように歩めばいい」
「悩むのもいいさ。嬢ちゃんまだ若いだろ! そうだ、悩みが吹っ飛ぶように力比べでもするか?」
向けられる様々な言葉に苦笑する真水。けれど、一呼吸の後に腕まくりをする。
「仕方がないですね。ちなみに、女の子だからって甘く見ない方が……」
そう言って、根拠のない自信で真水は僅かに微笑んだ。
◇
『痛い痛い痛いもう降参ボクの負けでいいから離してー……!』
そんな悲鳴が聞こえてくる騎士団本部にずかずか侵入してきた青年──ジャック・J・グリーヴ(ka1305)は、ある重厚な扉の前で足を止めると、無頓着にノックを繰り返す。
「よぉ爺さんボケてねぇか? 北方動乱お疲れさん、て事で乾杯しようや」
返答を待たずに扉を開いた青年は、隙間からこれみよがしにデュニクスワイン「ロッソフラウ」を見せつける。
そんな青年の様子に部屋の主ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトはしばし閉口していたが──
「……もういい、入れ」
──やがて、露骨に溜息を吐いた。
「でも謎は色々と残っちまったよなぁ」
「ほう。何が気になる?」
「何って、法術陣やら巡礼やら諸々よ。……この先も、問題が起こりそうだ」
そんな気配がする。
──そう言って、ジャックはグラスを一気に空けると、どこか挑戦的な瞳で王国騎士団副長の男を見据える。
「……なぁ爺さん。俺をてめぇの駒にしねぇか?」
「くだらん戯言を」
所詮酒席でのこと。取り合う気はないと突き放すゲオルギウスだが、青年の眼差しが随分鋭いことに気が付いた。
「王国にゃ家族がいんだ、問題はさっさと解決してぇんだよ」
──この小僧、わしを利用しようと言う腹を隠さんのだな。
言葉を重ねるジャックの頭の天辺から指の先まで、じっくりと値踏みするようにゲオルギウスが見詰める。そんな男にとって、ジャックは酷く物珍しく映った。
「貴様、名は……」
「あ? 今さらふざけんな、俺様は……」
「ジャック・ジョン・グリーヴ、だったな。成りあがりの貴族、グリーヴ家が輩出した金の亡者。父親の方はリアルブルーの出身……いや、祖父もそうであったか。四男一女の次男坊で、貿易に手を出し派手な商売をしている。やり口から随分商売敵が多いようだな、夜道は気をつけるがいい。お前はハンターでもあるが、本業はさてどれだろうな。そういえば、貴様の金への執着ぶりだが……」
途端、言葉を遮るようにテーブルに拳が叩きつけられた。その衝撃音で老戦士の“ご挨拶”が終わるも、ジャックの瞳にはいまだ強い感情が滲んでいる。
「……悪くないな」
「試したのかよ」
くつくつと喉を震わす老戦士はワインボトルに手を伸ばすと、2つのグラスへ同様に注ぐ。
王国騎士団副長、そして諜報を兼ねる青の隊隊長でもある男は、他意のある笑みを浮かべた。
「小僧、貴様を買ってやる。貴族、商人、ハンター、密偵……四足のわらじ、履きこなして見せるがいい」
不敵に笑って応じる青年は、老戦士の売り言葉を一蹴し、勢いのままにグラスを掲げる。
「おい、爺さん。誰に向かって言ってんだ?」
こうして、ジャック・J・グリーヴと王国騎士団副団長ゲオルギウスの間に密約が交わされることとなった。
「ちなみに、小僧。“ぎゃるげえ”とやらは、そんなに面白いものなのか?」
◇
一方、第三街区の表通りでは祭りの熱狂に比例して問題事が増え始めていた。当然周囲の賑わいはそれを覆い隠すほどの盛況ぶりであり、静謐なエルフの森で生まれ育ったアイシュリング(ka2787)がこの空気に唖然とするのも無理のない事だったと言える。
──あの人が企画した祭りなんて、物珍しいと思ってきてみたけれど……。
少女の胸中を支配する戸惑いと気遅れ。眼前に広がる未知の世界に一歩を踏み出すことができないでいた。
けれど、そんな少女にも祭りは等しく熱気を分け与えてくれる。
「そこのべっぴんさん、迷子かい?」
すぐ近くの屋台の主が声を張ってアイシュリングに笑いかける。
「いいえ、そういうわけじゃ……」
「困った時は、“騎士団本部”に行くと良い。気のいい連中だよ」
耳慣れた響きに、少女は我に返る。きっとこんな状態では彼らも大変なことになっているだろう。
「……そうね、ありがとう」
容易く想像できる光景が、少しおかしく思えてくる。だからかは解らないが、少女はほんの少し口角をあげた。
さて、場所は騎士団本部に戻る。
「案の定、だなぁ」
祭りの運営本部でもあるこの場所の扉を開いた瞬間飛び込んでくる怒鳴り声や鳴き声に苦笑いを浮かべ、誠堂 匠(ka2876)が頬を掻いた。
「エリオットさん。お疲れ様です」
「あぁ、匠か。ええと……」
匠が"敢えて"声をかけた相手──それはこの祭りの発起人でもあり王国騎士の頂点でもあるエリオット・ヴァレンタインだった。重ね重ねになるが、一応彼はこの国の軍事における最高責任者でもあるのだが、そんな彼がいま何をしていたのかと言うと。
「その子のこと、俺が変わりましょうか?」
「………」
迷子対応だ。
匠が見兼ねた理由は、エリオットの仏頂面に迷子の少年が泣きやまず、まともに話ができる状態でなかったからだ。
「いや、今日の祭りはあくまでハンターや街の人々の為のものだ。これしきのこと……」
「おがあぁざあぁぁぁんん!!」
「………」
匠が溜息を吐いた。それでも「あんたの顔が怖いからだよ」と言えるはずもない。
「ともあれ、ほら。以前から皆さん、頑張り通しなんだし」
「それはお前たちも同じだろう?」
先の北方動乱における最終決戦。そこで働きを見せたハンターたちには王国から翠光小綬章、或いは翠光中綬章が与えられていた。その叙勲式にはエリオットも立ち会っている。匠が勲章を賜わる姿もしっかりと目に焼き付けていたのだから、今日の彼は労われてしかるべきと騎士団長は考えたのだろう。
「いや、あれは……」
複雑な表情で言葉を詰まらせる青年。そこへ……
「あなたたち、さっきから何をしているの?」
現れたのは、青年二人組を呆れ顔で見つめるアイシュリングだった。
基本的に匠は悪くないのだが、世の中には巻き添えという言葉もある。
「こんなお兄さんたちは置いて、あっちに行きましょう」
アイシュリングが白い手を差し出すと、見惚れたらしい少年はぴたりと泣きやんでおずおずと手を伸ばす。
「……見事なものだな」
「あなたが不出来すぎるのよ」
子供に向けるものとは全く異なる冷めた顔で青年を見やるアイシュリングだが、ハッと気付いて咄嗟に口を噤むと小さく首を振る。
「ともかく……裏の仕事で、わたしにできることがあったら、代わりにやっておくから。少しだけでも表に出てきて」
アイシュリングは、しっかりと子供の手を握り締めながら、いつもより優しい声色で……矢継ぎ早にこう告げた。
「街の人たちは、きっとあなたの顔を見たら喜ぶと思うわ」
先ほど匠にも同じようなことを言われた気がすると言って、青年は逡巡。
その迷いを後押しするように、匠がエリオットの肩を力強く叩いた。
「ここはなんとかしますよ。だから、行ってきてください」
重ねられた匠の言葉に再び促され、ようやくエリオットは首肯した。
「解った。気遣いに、甘えさせてもらうとしよう」
●簡易武術会、開催
そんなこんなでエリオットが騎士団本部を出て僅か一歩のところだった。
「エリオット・ヴァレンタイン。王国の頂点見せてくれないか?」
少女の申し出をいまいち理解できていない男に、美しい真紅の髪の少女──アルト・ヴァレンティーニ (ka3109)が尚も言葉を重ねる。
「私は茨の王を倒した者だ。どうか、手合わせを」
「ああ、いや、お前のことは知っている。先の叙勲式、俺も立ち合わせてもらっていたからな。だが、俺は今……」
困った様子のエリオットを見つけたのだろう。今度はヴァルナ=エリゴス(ka2651)が現れた。
「こんにちは。今日は賑やかな一日ですね。エリオット様はちゃんと休んでおられますか?」
「……こういうことだ」
騎士の頂点であるはずの男の情けない顔に、アルトはただ目を丸くした。
「──つまり? 今のあなたは、休息することと街の人との交流が為すべき仕事だと?」
「実際、そうしてハンターに勤務を交代してもらって得た貴重な時間だからな」
騎士団長の説明に、ヴァルナがすかさず首を縦に振る。
「せめてこういう日ぐらい、少しはお休みになられませんと。それに、顔を見せれば街の方々も喜ぶでしょうしね」
誠意をもって説明する青年だが、どうにも歯切れが悪い。その顔を見たアルトは、直感で瞬時に悟った。
──この男、本当は戦いたいんじゃないか?
それに気づいた時、少女はにやりと口の端をあげ、両手を叩いた。
「解った。じゃあ、こうしよう」
そして、2時間後──。
「戦勝記念祭、最大の催しが始まるよ! なんと、あの茨の王討伐者アルト・ヴァレンティーニと、我らが王国騎士団長エリオット・ヴァレンタインの直接対決だ!! 飛び入り参加も大歓迎! 会場は噴水広場だよ!」
「……どうしてこうなったんですか……」
愛犬を連れて第三街区を散歩中のルカ(ka0962)は、その触れこみを耳にした途端、盛大に肩をおとした。
「あ、ルカさん。こんにちは」
柔らかい声にルカが振り向くと、そこにはヴァルナの姿がある。
「ヴァルナさん……」
「ええ、あの……大丈夫です。わかります。王国の皆さんに顔を見せるだなんて、体の良い言い訳ですよね……」
苦笑交じりというより、もう呆れの類だろう。
どうしてあの男は大人しく休息できないのか──両者の頭にはそんな言葉が浮かんでは消えた。
「でも……エリオットさん、なんだかすごく活き活きしてませんか?」
騎士団員が長の一声で超特急に仮設したリングの外から男の様子を見ていたルカがぽつりと零すと、隣でヴァルナも苦笑いを浮かべる。
「ここ最近で一番楽しそう、ですね……ひとまず気分転換になったのであれば良いのですが」
そんな二人に気づいたのかエリオットがリングの中央からこちらへやってくる。
「ルカ、ヴァルナ。祭りは楽しんでいるか?」
いやもう、そういう話じゃないんですけどね。
顔を見合わせて溜息をつく二人に、理由がわからず首を傾げるエリオット。とりあえずルカが抱いている犬に気付いてそっと撫でまわす。
そんな男を見て、ルカが観念したように眉を寄せて笑う。
「エリオットさん、私から一つだけ。アルトさんは大変お強いです。どうかお怪我をしないように」
「そうですよ。……あ、その時はルカさんが治療要員ですかね」
「……お前たちの見解は理解した。ともかく、そこで見ていろ」
楽しむより楽しんで欲しい。癒されるより癒したい──ルカの願い通りかは解らないが、心なしか楽しげに見える男はリングの中央へと歩いて行った。
──そして、試合が始まった。
開始と同時、アルトが石畳を蹴った。持ち前の速度と技術による撹乱を織り混ぜ、刀を振るう。少々癖のある剣撃が二閃──しかし、それは青年の体を裂くより前に、切れ味の悪い訓練用の剣に叩き返された。
その手ごたえに笑みを浮かべ、アルトが短く息を吸う。そして“剣閃連華”。すさまじい速さで二度の剣閃が舞う。
冷静に、忠実に。翻弄し、撹乱する。直感、朧刃、そして……視線をフェイントに逆サイドへ二連、切りつけた。
──斬った。
二撃目がなんとか男の鎧に叩きこまれた。だが、寸でのところで重心がずらされ的確に致命傷をそれている。
「……いい腕だ、アルト・ヴァレンティーニ」
男が僅かに楽しげな顔をしたのも束の間、突如エリオットは剣の握りを変えて後退を開始。距離をあける勢いを転化して剣を大きく引くと、驚異的な身体能力で踏み込み、切っ先を突き出す。
放たれる強烈な衝撃がアルトを刺し貫こうと迫るが、ぎりぎりでそれをかわし、アルトが不敵に微笑む。
「あなたもだ、騎士団長。驚いたよ、捉えたはずなのに手ごたえがないなんて」
だが、その時重大な事実に気付いた。
青年との距離は約6m。相手は攻撃余力を残した短い移動にチャージングを重ね、少女が易々埋められない距離を作り上げた。実際、アルトが攻撃の為に接近すると、その隙を突いてエリオットの刺突一閃が穿たれ、少女の大腿部に強烈な痺れと激痛が走る。
「……回避が困難な技ばかりだな」
「お互い様だろう?」
両雄睨み合い、そして口の端を上げる。
「お前との手合わせは高揚する。だが……」
アルトだけを見据え、青年は腰を落とした。
「惜しいが、時間は有限だ」
──直後、アルトが接近に費やした行動の直後に刺突一閃が穿たれ、勝敗は決した。
両者には観客から惜しみない拍手が送られ、待機していた聖導士がアルトの治療を開始。
しかし、しばらくすると聖導士のひとりがなぜかリングに上がってきたのだ。
「お二人とも、お見事な戦いぶりでした」
エリオットを前に、男はにこりと微笑んでこう告げる。
「折角です。自分とも、手合わせ願えますか」
落ち着いた雰囲気の青年は、濁ることのない真っ直ぐな目で騎士団長を見据えている。
「お前は?」
「ご挨拶が遅れました。蒼の聖導士、米本 剛(ka0320)と申します」
ずしりと音が聞こえてきそうな全身鎧は見慣れない意匠だが、王国産の全身鎧に類似しているように見える。
「……なるほど。お前には、俺の剣を使った方がよさそうだ」
そして迎えた第二試合。初手で剛の体躯から巨大なサーベルの一刀が撃ちだされた。
しかしそれは剣に正面から受けとめられ、剣と剣の衝突音が一帯を震わせる。
「あのアルトさんですら、傷を負わせるに手を焼く相手のようでしたから……やはり、難しいですね」
「お前は、誰かを負かす戦いではなく、誰かを生かす戦いに優れているはずだ」
間近な距離で鍔迫り合う両雄。ややあってエリオットは小さく息を吐くと、途方もない力で剛をサーベルごと弾き飛ばし、空いた距離から刺突一閃を放つ。
「ッ……!」
その一撃は恐ろしく重い。エリオットが使用しているのは、訓練用ではなく彼自身の剣だ。剛の硬さをもってしても、その体力を強引に削りに来るような斬撃。だが、剛も一方的に穿たれるだけの状態にさせるつもりはない。
「光導!」
剛から発せられた言葉に呼応し、周囲のマテリアルが急激に勢いを増す。激しい光の奔流は、瞬時に広がりをみせ、辺りを焼き払うように輝いた。客が短い悲鳴をあげて一斉に身を潜める一方、エリオットは剛に接近。魔術の直撃すら意に介さない男は、術後の僅かな隙を狙い、剛の脚部に強撃を叩きこむ。剛に受けきれないダメージではないが、その一撃は青年の重心を凶悪な力で突き崩し、立派な体躯は音を立てて石畳に沈む。
「剛、お前はいい騎士になりそうだ」
倒れ伏す自らの頭部と胴部の鎧の継ぎ目に剣の切っ先を突き立てるエリオットを見上げながら──
「はは……お手合わせ、ありがとうございました」
剛は、気持ちの良い笑顔を浮かべた。
●評判のレストランバーにて
「ほら、ユエル。あんまりお外でご飯食べないんでしょう? 何が食べたい? これなんかおいしそうよね。あ、お酒は飲む?」
「えっ、あ、私は……」
「はいはい、エステル、ストップ! 一応今日はジュースで乾杯だから!」
「なぁに? お金のことなら気にしないでいいのよ。だって、今日は私、お小遣い沢山持ってきてるの。頑張ったユエルにご褒美でごちそうしてあげるんだから!」
「なんだ、エステルの奢りか。そりゃあ飯がうまいな……」
「あなたの分は知~らない。私はユエルのた・め・に! お小遣い持ってきたのよ」
「………(うるさいわね)」
ここは第三街区でも評判のレストランバー。ランチ営業に定評があり、夜はバーとしても客層を広げるこの店はRB由来のメニューもあって幅広い人に支持されている。
「だぁから、一応僕ら未成年だろ?」
「それはRBの、それも貴方の国のお約束でしょ? この世界は地域部族風習によって成人年齢は其々よ」
「俺も一応未成年っちゃ未成年なんだよな。ま、別にジュースで構わないが」
「あの、皆さん、もうそろそろ静かにお食事を頂いた方が……」
「……いただきます」
今の会話はキヅカ・リク(ka0038)、エステル・L・V・W(ka0548)、ラスティ(ka1400)、ユエル・グリムゲーテ、そしてジェーン・ノーワース(ka2004)のものだ。
彼らは、戦勝記念祭に王国貴族グリムゲーテ家長女のユエルを誘い、食事に来ていたのだ。
テーブルに並ぶのは、海老とマッシュルームのアヒージョと焼き立てバゲット。ほうれんそうとハムのキッシュ。野菜たっぷりのラタトゥイユ。そして、羊肉のこんがりステーキ。最後のは、クラベル討伐記念で店が振る舞っている期間限定メニューだ。便乗商法なんてのはどの世界にもあるもんです。
既にドリンクが運ばれており、メンバーは思い思いにグラスを掲げている。
「よし。じゃあ、ユエル。乾杯の音頭とって」
「わ、私ですか!?」
リクの突然の振りに戸惑いつつも、同席する仲間の顔を見渡した少女はその思いを感じ、ややあって口を開いた。
「……この一年、いろんな事がありました。お父様が死んで、私は女で、子供で、無力さを味わうことばかり。けれど、皆さんがいつも背中を押してくれたから、今日まで走り続けられました。そして、遂にクラベル討伐という悲願を果たせました」
ぽつぽつと語り始めるその言葉は、至って生真面目だがそこに悲壮感はない。
しかし、黙って話を聞いていたエステルが、突然ふるふると全身を震わせる。
「ユエル……!」
「わ、エステルっ!?」
「貴女、本っ当に頑張ったのね! 偉い子! いい子!! 一緒に居られなかった私を許して頂戴ね」
「エステル、待て! まだ乾杯の音頭終わってないから! ほら、座りなって!」
思うさまぎゅうぎゅうと抱きしめられて戸惑うユエルを救出すべく、リクが間に入って「どうどう」と獣の愛を窘める。迸るハートマークを消すこともなく、にこにこ嬉しそうに席に着くエステルを見送って、少女は最後の音頭を取った。
「あの、ですから……怨敵討伐と、皆さんと出会えたことへの感謝と、それと……これからもよろしくお願いしますの意味を込めて……」
テーブルを囲む面々は、いずれもいい笑顔に溢れている。
だからこそ、少女は安心してグラスを掲げることが出来た。
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
気持ちの良い声が店中に響き渡ると、すぐさまリクがてきぱきと料理をとりわけ始めた。
それを眺めながら、ジュースを煽ったラスティがグラスを置いて一息つく。
「しかしクラベル討伐も、茨小鬼の件も、俺はいつも肝心な時に居あわせられなかったな」
その言葉に後悔などの後ろ暗さはない。ただ、共にあれればなおよかったという気持ちでラスティは笑う。
「ともあれ、まずはひと段落だ。本当に、お疲れさん!」
「うん、ラスティもお疲れ様。直前のユエル強化合宿には行ったんでしょ?」
切り分けられたキッシュの皿を受け取って、ラスティが頷く。
「あぁ、まぁな。でも、実戦に出たのはお前らだろ? リクもユエルも、本当によくやったな」
ニッと笑みを浮かべるラスティは、傍に居るエステルやジェーンの二人にも同じように視線を送った。
少年は、ここに居る皆が、自分の分まで其々の場所で其々の想いを果たしてくれたことを十分に理解している。
──皆、ありがとよ。
だからこそ、そんな風に感謝しているのだ。けれどそれは心の内に留めておくことにした。
多分、ラスティ曰く「言わせんな、恥ずかしい」というやつだと思われる。
そんな少年の頭のてっぺんの方で、突如ゴンッという音が鈍く鳴り響いた。
「うぉ、痛っ……てか、冷てっ!! 誰だよ!?」
「よ、ラスティ!」
少年の頭の上に乗っかっていたのは、キンキンに冷えたビール入りのジョッキ。悲鳴をあげて振り返ると、神代 誠一(ka2086)がくつくつとこらえるような笑い声をあげてラスティを見下ろしていた。
「なんだ、来てたのか?」
「まぁな」
冷えたジョッキに奪われた体温を取り戻そうと、頭をさするラスティ。その隣の椅子を拝借し、誠一が言う。
「こんばんは、皆さんも、来てたんですね」
「あ、 神代さん。お疲れ様です」
応じるリクに会釈をし、改めて皆で杯を交わす。
そうしてしばし、誠一はこの卓を囲む面々の様子を穏やかな表情で見守っていた。
かわされる会話に時に目を眇め、時に暖かい言葉をかける。そんな誠一はまるで彼らを見守る教師のようだ。
ややあって、頃合いを見計らうと誠一は改めてラスティにこんな言葉をかけた。
「いい仲間だな」
「……あんたもな」
「はは、そうか。……それはいいな」
明日は嵐を通り越してガルドブルムでも降ってくるんじゃないか、なんて冗談が口をついて出てくる。誠一は普段そういったことを言うタイプではないが、今は雰囲気も、酒の力もあったのかもしれない。
対するラスティは居心地悪そうな顔で照れくさそうにしていたが、そんな少年の頭を誠一はくしゃくしゃと撫でる。
「しかしまぁ、この1年も互いに大変だったな。それでも、こうして年の瀬に共に穏やな時間を過ごせることを嬉しく思うよ」
「そうだな。……そういや誠一、その後どうなんだよ?」
意地の悪い顔でつつくラスティに気づいていないのか、何の気なしに誠一が応える。
「んあ? 来年? なるようになるさ」
「そうじゃねえ! ま、いいけどな。もう片方から詳細は聞くさ」
「!!」
何を問われたか漸く気付いた誠一は、悟られまいと誤魔化すようにジョッキを煽る。
ぷは、と一息つくと、青年はそれまでよりもう少しだけ陽気な声で笑った。
「ともあれ、だ。この世界に来て、沢山の人と出会い、様々な戦いを乗り越えて、ようやく“無事”に一年が終わろうとしてる。それなら……来年も同じように、それ以上に、務めるだけだな」
「あぁ。相変わらず真面目だな、あんたは」
笑って応じるラスティと、誠一はもう一度互いのジョッキを重ね合わせた。
そこに、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。
「あれ? 神代さんも来てたんだね」
誠一が振り返ると、クィーロ・ヴェリル(ka4122)が片手を挙げて青年に笑いかけているのが見えた。
「クィーロさん!」
「ふふ、楽しんでる?」
「若い彼らの熱気にあてられてますけど、たまには悪くない。クィーロさんもどうですか、一杯」
誠一は隣の席を勧めると「そうだね、じゃあ少し」と応じてクィーロがテーブルに着いた。
「そうだ。神代さんは、この間の……北方動乱、受勲したって聞いて」
「まだ信じられませんけどね。つい昨日、王女殿下より賜りました」
おめでとう、と短く祝辞を送るクィーロはどこか眩しそうな顔で目を眇めた。
「僕は、先の動乱には全然関わってないけど……でも、この祭りの感じは、なんか、いいなぁって」
「はは、同感です。クィーロさんは、今日一日楽しまれましたか」
珍しい王国産ワインが入ったと聞き、クィーロのグラスには赤い雫が注がれている。
それをじっと眺めた後、静かに口をつけると青年はこう答えた。
「そうだね、僕も……ぼちぼち楽しませてもらったかな」
ぽつぽつと答えながらも、クィーロの頭の中を支配していたのはサルヴァトーレ・ロッソでの出来事だった。
未だ戻る気配がない自らの記憶。その唯一手がかりに成り得そうなものだと言うのに、あの時の頭の痛みを思うと、身が竦むような……強い気後れを感じるようになった。
ふと気付くと「どうかしました?」と尋ねる誠一の顔があり、周囲は相も変わらず酒に食事にどんちゃん騒ぎだ。
──こうしてお祭り騒ぎに参加してても自分の事ばかりとはね……。
少し、自嘲気味に微笑みながら「なんでもないよ」と友に返し、もう一度酒に口をつける。
広がる渋みに眉を寄せ、けれどそれが悪い心地でもないことに気付くと、青年は漸く表情を緩めた。
「さ、今年一年をのんびり振り返るとしようか。お酒も時間も、まだまだあることだしね」
今日くらいは、ハメを外してもいいよね……?
──そんな思いを胸の内に秘めながら。
◇
すっかり陽も暮れた頃、仕事に一息ついた騎士団員らがぼちぼち店に足を運んでくるようになっていた。
「よう、匠! それに……騎士団長殿か」
「久しぶりだな、ラスティ」
そんな会話があちこちで繰り広げられる中、匠の姿に気づいたユエルが席を立った。
「匠さん、あの……」
「クラベル討伐のこと、聞いたよ。おめでとう」
「背中を押して頂いて、本当に感謝しています。私、約束を果たしたこと……お伝えしたくて」
全ての縁に片をつけると言って戦地に赴いた少女は、見事にそれを成し遂げた。祝辞を述べる匠に、ユエルが首をぶんぶん振ってぎこちなく微笑む。
「匠さんも、叙勲おめでとうございます。流石ですね」
「全然そんなことないけど、ありがとう。それと……」
匠は、少女を前に逡巡。だが、穏やかに笑い、周囲に聞かれない程度の声量でこう尋ねた。
「……前には、進めそう?」
いつもくれる柔らかい後押しに、思わず甘えてしまいそうになる気持ちをこらえ、少女は一度だけ強く頷いた。
「ええ。今ならきっと、父にも、母にも、胸を張って伝えられると思います」
「そっか……良かった」
嬉しそうな顔をしている少女を見ていると、匠の胸中にじんわりと安堵の気持ちが湧いてくる。これまで抱えていた後悔にも似た後ろ暗さが、次第になりを潜めてゆくのが解ったのだ。
「……俺も、負けていられないな」
「え?」
不思議そうな顔をする少女に笑って「なんでもないんだ」と答え、匠はエリオットと共に奥のバーカウンターへと向かって行った。
◇
「はじめまして、ハンターのUisca Amhran(ka0754)と申します」
宴も酣。友との食事を終えたエリオットの元に、見慣れないエルフの少女が現れた。
「ソルラの知り合いか。騒がしいのが世話になったようだ」
「とんでもないです。あの……今日は一つ、団長さんとお話したいことがあったのです」
エリオットに勧められ、名産地デュニクスのグレープジュースを片手に、Uiscaはこんな問いを投げかけた。
「今後、亜人の方々との関係はどうなるのでしょう?」
その声音は少し硬い印象を受ける。けれど、それ以上に彼女のアメジストの双眸からは強い意思が感じられた。
「例の亜人の話かや?」
そこへ少女の姉の星輝 Amhran(ka0724)が、妹の姿を見つけたからか、器用に自分の居たテーブルのトランプを回収してバーカウンターへと移ってきた。
「はい、キララ姉さま」
「そうかそうか」
短く答えると、星輝はカクテルグラスに入ったナッツを差し出して、にんまりと笑みを浮かべる。
「で、団長はどう考えておる」
美しいエルフの姉妹に挟み撃ちにされ、答えぬ訳にもいかないだろうと溜息を吐く。そして、騎士団長は悩む間もなくこう告げた。
「これまで通り、だろう」
「……と言いますのは?」
Uiscaは、隣に座る男に体を向け、じっとその反応を待つ。
「元より王国において、人と亜人の間には不可視の境界が築かれつつあった。互いの領域を侵さず、暮らしてきたわけだ」
「そうじゃな。そこへ、あの茨小鬼の襲撃があった……」
「あぁ。先の千年祭での途方もないマテリアルの影響を受け、大峡谷に住む一部のゴブリンが長い時間をかけて変質。それが力を持ち、大峡谷を出て周囲の荒野に暮らしていた普通の亜人たちを力づくで平定していった。その支配を避けるため、亜人たちは逃げ出し、自らの新天地として人間の暮らしていた領地に目をつけ、人を殺し、土地を奪うようになったのが始まりだった」
「……ですが、それも元凶を討ち、動乱は終息したのですよね?」
「そうだ。茨の王が討伐され、彼ら茨小鬼に異常を与えていたマテリアルもあるべき場所へと還った。もう大峡谷にも荒野にも亜人を支配し追いやる存在はいない。そうとなれば、亜人は元々暮らしていたそれぞれの場所へと帰っていくだろう」
「つまり……今後は、人が襲われない以上、亜人への攻撃を積極的に行う事は……」
「現状予定はない。これまで通りになるだろうという話は、つまりそう言う事だ」
答えを聞き終えたUiscaは、安堵の息と同時に祈るように重ねていた両手の力を緩めた。
「……良かった」
その笑顔はとても柔らかい。それ故に、少女の亜人への想いの一端を察したエリオットが、遠慮がちに問う。
「亜人との間に、何かあったのか」
「そう、ですね。……私は彼らと共存できればと思っていたんです。もともと亜人の方達と争う事はありましたが、今回の茨の王との戦いでは協力してくれた亜人さんもいましたから」
「確かに、ダバデリ戦には、軍師騎士の兵器以外にも亜人の協力者のおかげでなんとか街を守れたという事があったのぅ?」
穏やかに語るUiscaの言葉を支えるように、姉が先の事例を振り返る。不理解が更なる悲劇を巻き起こしてしまわぬように──そんな姉妹の気持ちを慮りながら、エリオットは慎重に言葉を綴った。
「こんな言い方はおかしいかもしれないが……その件は、安心してくれていい。報告は全て耳に入っている」
自身の言葉では安心させられないと懸念したのか、エリオットがUiscaの肩にそっと手を置く。
「ありがとうございます。あの、それでもし可能であれば……王国の皆さんに、このことを伝えてもらえないでしょうか」
Uiscaにとっては、共に戦った亜人が王国民から一様に悪とみなされるのは辛いことなのだろう。
少女の優しい想いに呼応して、星輝も「かか」と笑ってグラスを煽る。
「ワシもアヤツらには今度会ったら礼をせねばならぬ。なにせ同じように身命を賭して戦ったのじゃ」
「……我々の求めに応じ、戦ったハンターが言うならば。今度は我々が、亜人に対し出来得る誠意は見せたい」
「話が早くて助かるぞ。システィーナもきっと、ワシと同じことを言うに違いなかろうの。……さ、堅苦しい話はここまでとしよう。団長、カードでもどうじゃ?」
◇
そうして賑わう料理店で溜息を零す少女が一人。
「私、なぜここに来たのかしら」
一言で言えば、場違いだ。ジェーンの心は周囲の盛り上がりに反し、静けさを保っている。いや、正確に言えば、少々ざわめいてはいた。だが、それはこの場を冷めた目で見ているから、という理由ではない。単純に場に不慣れであることが一つ。それと、もう一つ……
「ジェーンさん、王国の料理はお口に合いませんか?」
自らを心配そうに見つめるユエルの存在だった。
「そうじゃないわ。ただ……」
「ただ?」
「……いいえ、なんでもない」
この場を自分なんかが楽しんでいいものか。自罰的な感情が、未だ自分の状況を許せずにいた理由だった。だが、少女から発せられた突然の言葉に、ジェーンは珍しく驚いた表情を見せる。
「ジェーンさん、ありがとうございました」
「一体、なんのこと?」
「私が精霊と契約した時、助けてくださいましたよね。それに……お父様の最期に立ち会われていたと聞きました」
ユエルには謝るべきであれど、お礼を言われるようなことは何もしていない──ジェーンは、そう考えている。
実際理由を聞かされてなお、礼の意味を理解することはできなかった。
むしろ、自分が伝えるべき言葉は一つしかない。
「……ごめんなさい」
「どうしてですか?」
「貴方のお父上のこと。それに……肝心な時、いつも関われなかったこと」
ジェーンは、たまらず視線を落とした。すぐ傍にあるユエルの目を見ることができなかった。憚られるのは、幾つもの感情から来る後ろ暗さで、お礼を言われることすら今の彼女には苦痛だったのかもしれない。それでも、ユエルは首を横に振る。
「お父様の最期がどんなに立派であったか、知らせてくれたのは貴女や皆さんが生きて帰ってきて下さったからです」
真っ直ぐな答えに、ジェーンは思わず少女の顔を見た。迷いのない真実を伝えてくれていると感じる。
それでも、そんな思いに応えられるほど自分はまっすぐではないから。
「……そんなこと、ないけれど」
短く応じるに留め、少女は目の前の食事に再び口をつけ始めた。
「どうしてみんな不器用なのかしら」
「エステルほど強い人は余り見かけませんけど……」
エステルに苦笑いを浮かべるユエルを見て、リクが心底からこんな言葉を口にした。
「でもさ、ユエルも最後までクラベルと戦えるようになって……本当に、強くなったと思うよ」
「とんでもない! 正直リクさんがいなかったらと思うと、未だに背筋が寒くなることがあります」
「いい? ユエル。戦いには勝った。お父上にも十分報いたわ。次は、貴女のことよ」
今日初めて、思い悩んだ顔をするユエルの頬に手を当て、エステルはジッと少女の目を覗き込む。
「十分よ、本当に。だから、言って。貴女は何がしたい?」
──わたくしは、助けてあげるから。
赤い瞳の端から滲む涙は、くしゃっとした笑顔の上をゆっくり温かく伝っていった。
仲間達と店を出たリクは、おもむろに夜空を見上げた。
「……もっとこんなことが当たり前に出来る日が来ると良いな」
「リクー、先行ってるぞ!」
遠くから自らを呼ぶ友の声が聞こえてきて、思わず笑顔が溢れてくる。
「大丈夫、すぐ行く!」
そうして、少年はその先の道を──新たな戦いへと、赴いて行くのだった。
●それぞれの夜
「よう、不良少女」
RB風のお面屋台の奥から、ひょっこりと狐面が飛び出してくる。文月弥勒(ka0300)だ。少年はユエルを見つけると、夜ならではの賑わいを見せる目抜き通りを並んで歩きだした。
「随分すっきりした顔してんじゃねえか」
会話を交わす二人の顔には、祭りを彩る橙色の灯りが落ち、互いの顔を優しく穏やかに照らしている。だが、弥勒の顔はいつも仮面で覆われていて、少女には正確な様子が解らない。先の合宿では思いがけず、その"本当"を見ることが出来たけれど、ユエルにはそれが未だ気がかりだった。
「ありがとうございます。弥勒さんや皆さんのおかげです」
綺麗に礼をする少女の姿は少々居心地が悪い。
「別に。俺は途中で倒れちまったし、最後は良く解らねぇ。ただ……」
一呼吸、溜息のように息を吐いて少年は真っ直ぐに告げる。
「お前は、一番長く立ってた。……強くなったんじゃねえか?」
そんな弥勒の珍しい言葉に、少女は嬉しそうに微笑んだ。
やがて第二街区へと繋がる門の前に辿りつくと、そこでユエルが立ち止まった。おやすみの挨拶をするつもりで見上げた少年の感情は声色で多少伺えるけれど、やっぱり、その奥が見たいと思ったのだ。
「弥勒さん、私は今、仮面を外しています」
「はあ?」
意味がわからない、と言った声色の少年は仮面をつけたまま首を傾げている。それを見て、少女は小さく笑う。
「RBの心理学という学問では、自らの心を護る為に纏う鎧を“ペルソナ”──仮面と言うのだと知りました」
「……で?」
「“私は、もう外しています”。でも、弥勒さんは違う」
小さな沈黙が下りる。やがて、少女は弥勒の仮面に触れ、こう言った。
「それ……私に対しても、まだ必要ですか?」
尋ねたまま、少女はくるりと身を翻すとそのまま第2街区の向こうへと消えて行った。
「……チッ、好き勝手言いやがる」
◇
外はすっかり暗くなり、冷たい風が吹いている。未だ見えぬ探し人を思って溜息を零すと、少女の息は白くふわりと舞い上がってゆく。それを視線で追っていたら空から降ってくるそれに気がついた。
「……雪」
ブラウ(ka4809)の鼻先に落ち、体温で溶ける雪。その冷たさに赤くなる鼻を擦りながら、少女は自分の頬を叩く。
「まだ、探していない場所があるもの」
やがてブラウは多数の騎士たちが出てくる店を見つけると、その人混みを掻きわけるように進んで行く。
ぎゅうぎゅう詰めの通路を抜けるべく、力を入れて踏み出すと丁度会計を済ませたらしい男とぶつかった。
「悪い、大丈夫か」
瞬間、相手をみることもなく、匂いで理解した。
「エリオットさん……!」
見上げれば、そこには尋ね人の姿があった。
「あの時のゴブリンにお礼参り、出来たわよ」
店を出て、近くのベンチに並んで腰かけるとブラウは深呼吸。隣に座る男を見上げると、ほんの少しだけ自信ありげにこう告げた。少女が薄い胸を張れば、上着に燦然と輝く翠光中綬章までもが存在を主張してくる。
「おめでとう。短い期間で驚くほど成長したな。お前がいなければ、クラベル討伐はなせなかった」
エリオットは穏やかな表情で、誇らしげな少女の頭をぽんぽんと撫でる。
「あ、そう言えば……」
ふと、少女は贈り物を思い出し、持ち歩いていたクッキーの包みに手をやった。
しかし、それは袋の外からでもわかる状態で。
──ボロボロ、だわ。
今日一日、小さな体で人混みを懸命に探し回っていた。その最中で、崩れてしまったのだろう。咄嗟に少女はそれを後ろ手に隠し、青年を見上げて笑う。
「そろそろ遅いし、今日は失礼するわ」
しかし、立ち上がろうとする少女の手を無遠慮に掴んで男が問う。
「それはなんだ」
「……なんでもないの」
「俺に渡そうとしたように見えたが」
図星を突かれ、閉口するブラウ。しかし瞬後、少女の腕は更に強く引かれ、隠していたそれはひょいと男の手の中に奪われていた。
「! 違うの。本当に、それ、崩れていてとてもじゃないけれど……」
「崩れていたら、何か変わるのか?」
「……え?」
言葉の意味が解らず首を傾げるブラウをよそに、男は立ち上がる。
「ありがたく頂く。……さ、子供は寝る時間だ。宿まで送る」
その子供扱いに小さく頬を膨らませるブラウだが、彼なりの優しさを理解したのか小さく笑みを零す。
そして、小さな足で懸命に男の後を追いかけて行った。
──こうして、王都の賑やかな夜は更けてゆく。久方ぶりの祭りの余韻を、名残惜しみながら。
騎士団本部を出ると、そこは王都イルダーナで最も賑わう第三街区商店街。目抜き通りには多数の商店や露天が並び、今日は昼間から酒場も営業開始。その騒ぎは通常の比ではない。なんせ、こんなお祭り騒ぎは実に数年ぶりの出来事だ。
「ざくろんってお祭りとかお祝い事、何気に好きよね~」
くすりと微笑み、アルラウネ(ka4841)が恋人である時音ざくろ(ka1250)の顔を覗き込む。
「だ、だってこの間は怪我してたし。それに……」
間近で自分を見つめてくる恋人の顔。その青い瞳が蠱惑的で、思わずざくろの喉が鳴る。しかし、少年は首を振ってぽつりと本音を漏らした。
「……もっと、一緒に思い出増やしたくて」
鼓動を抑え込むように深呼吸。やがて、意を決したように少年は恋人の手を取った。
「あれ、射的かな?」
二人は、多くの人でごった返す商店街でも一際賑わう屋台を見つけた。その中心では、一人の少女がギャラリーの声援を一身に浴びている。
「すげえ! もう10発連続命中だぞ!!」
「いいぞ嬢ちゃん、もっとやれ!!」
歓声を浴びる少女の名はミオレスカ(ka3496)。
「はい。やはり、お祭りとあらば、射的はしないといけませんから」
こくりと頷き、そして構える。玩具といえど銃に触れると少女の目の色温度が下がる。それに合わせて周囲の歓声が水をうったように静まり返り、そして……
──パンッ!!
軽い音が響くと、それは台の端に位置した巨大なぬいぐるみを撃ち落とした。
既に少女に景品をあらかた持って行かれたらしく、射的屋のおやじの悲鳴を肴に、シューティングショウに熱狂する人々から笑いが起こる。
「仕方ない、ですね。今のが一番の大物でしたから、この辺でお開きにします」
ぺこりと頭を下げるミオレスカは、小さな体に持ち切れないほどの景品を一生懸命抱えると、祭りの人混みに消えていった。
「いやぁ~……いいもん見せてもらったぜ」
「流石ハンター、本職は違うわ」
去ってゆくギャラリーの後に残ったのは、しょぼくれた屋台の親父と仲睦まじいカップルだけ。
「……あの、おじさん。まだ店じまいじゃないよね?」
ざくろがおずおずと尋ねるものの、店主はむしろ強引に二人に射的を勧めてくる。
「いやいや、大歓迎だよ。さ、可愛い彼女さんのために、いいもん当てて帰ってな!」
実際、射的が始まれば、流石ハンターと言わざるを得ない。
その辺の素人とはくぐってきた修羅場が違うのだ。だがしかし。
「……ん、なかなか難しいわ」
本音か、建前か。アルラウネの撃つ弾は狙った獲物に対し、僅か右にそれた。直後、少女の隣でパンッと小気味よい銃声が響き、同時にどさりと音を立てて何かが落下した。
「うん、鈍ってないみたいだ」
常日頃銃を用いていないとはいえ、歪虚を相手に戦う日々だ。
大人しく静止した的を相手に、ざくろが攻撃を外すわけがない。
「流石ざくろんね……」
「そうかな? ありがとう」
ほんのり朱に染まる顔を隠さないざくろは、うまく撃てない恋人のためにとアルラウネの後ろに回る。
「ほら、銃はこう持って、この角度で……」
肌と肌をぴたりと合わせるようにして、彼女の両腕に触れ、腕の角度や姿勢を正す。そして……
「もう少し脇を緩めて、うん。そんなかんじ、それで……!!?」
少年の手が、"うっかり"暖かくて柔らかい何かに触れた。
「う、うわわわっ!!」
少年は漸く状況を自覚したのだろう。女の子らしいしなやかさがある暖かい二の腕。それに何より彼女自身から花のように魅惑的な香りがする。そんな風に、今なお初心な反応を見せるざくろを愛しく思ったのだろう。アルラウネがくすりと笑った。
「ううん、全然いいの。でもね、ざくろん」
ちら、と自分たちの様子を仏のような目で見守る存在を見やり、
「教えてくれるのは嬉しいけど……ほら、店員さんの目が……」
「ごっ、ごめん……!」
それからしばし、遊び疲れた二人は噴水の傍のベンチに仲良く並んで腰をかけた。
他愛のない話で笑い合いながら、やがて頃合いを見計らってざくろがあるものをさしだした。
「アルラ、さっきのこれ……今日の、思い出に」
それは、かわいらしいくまのぬいぐるみだった。
大切な人が自分の為に頑張って手に入れてくれた贈り物だ。嬉しくないわけがない。
アルラウネの手は、贈り物を受け取るかと思いきや、それを素通りし、ざくろの首の後ろにまわる。そして、ぬいぐるみごと愛しい人をぎゅっと抱きしめた。
「……ありがとう、ざくろん」
◇
賑わう第三街区の街並みを、少し離れたベンチからぼんやりと眺める少女がいた。
祭りの風景が、いつか見たあの夢の“祭”の光景に重なって──柏木 千春(ka3061)は、小さく息をつく。
目の前の景色に“彼女”の姿はない。あの痛ましげな瞳も、幼い横顔も、今自分の目に映る景色には存在しない。
──でも、あの日見たことは、彼女の願いは、確かにここに在った。
「……ッ」
唇を噛み、俯く。白く小さな拳には、思いの限りの力が籠っている。
彼女の役に立ちたいと差し伸べたはずの手は、もはや行くあてを失い、それでも素直に自分の胸元へ引き戻せずにいる。
瞼の裏には、今もなお焼きついている。フォーリ・イノサンティの最期もそう。護るべき人を護れなかったこと。大切な人を失う悲しみを背負わせてしまったことが心に暗い影を落とす。そんな時だった。
「おねえちゃん」
千春の足先に小さな毬が転がってきた。気付いて顔を上げると、幼い少女の姿が在る。
どんな理屈かも、どんな理由かもわからない。千春の錯覚の可能性だって否定できない。
なのにそれは、夢で見た“エリカ”によく似ていた。あの少女より、随分歳は幼いが。
「それ、わたしのなの。あっくんがね、けとばしちゃったの」
「……あ、あの……」
震える手でボールを拾い、そしてそっと少女に渡そうと手を伸ばす。
そんな千春ににこりと笑いかける顔まで、エリカに良く似ている気がした。
「ありがとう!」
そっと千春の手を両手で包むように触れ、ボールを握りしめると少女は王都を駆けていく。
白昼夢でないことは、手に触れた温かさが伝えてくれている。それを噛み締めるように、千春は立ち上がった。
「ん。……もう、大丈夫」
今はまだ、心から笑うことは出来なくても。
それでも……今度こそは、守れるように。この平和が何時までも続くようにと、少女は願い、歩き出した。
◇
酒を片手にふらふらとあちこちの様子を見ては、祭りの空気に口角を挙げる男が一人。
「ほーん、中々美味そうじゃねえの。おっさんも一つもらおうかしらぁ」
屋台のフライドフィッシュを一つ手に入れ、おもむろにかじりながら第三街区をほっつき歩くのは鵤(ka3319)。
男が目抜き通りを歩いてしばし、賑わう商店街を抜けて行くと、そこには聳え立つ城壁があった。城壁の奥には、聳え立つ城と、隣に並ぶ聖ヴェレニウス大聖堂の姿。王都に住まう人間なら誰もが日々目にする王国の象徴だ。
「……思えば王都に足を踏み入れるのは、あの巨大羊の襲来以降かねぇ」
思い返すは、あの惨劇。今、鵤自身が立つこの場所も戦場となり、多くの人の血が流れた。
正直、それ自体はどうでもいいことだ。そういう事実があった。それだけのことだからだ。
ただ、あの戦いにおいて惨劇の主な原因となった存在──人の壁を切り刻む、少女の姿をした歪虚を思い返す。
非常に知的好奇心がそそられる対象だった。あの少女がというより、あれが用いたもの自体が、だ。
「旦那の目的は逃したが……」
ぽつりと呟く。
“負の楔”──あれが敵の意図通りに為されていたのなら、今頃自分たちはどうなっていただろうか。
「ま、どうでもいいことだな」
起こらなかった事に執着する必要もない。
過ぎた情報とはつまり、生きていない……死んだ情報ということだ。
それにいま価値があるとも思えず、鵤は煙を吐き出した。
煙の向こう、男の目は一瞬だけひどく無機質な色をして見せたが、それもすぐまた元に戻る。
踵を返す男は白衣と紫煙を風に任せながら、賑わう酒場へと姿を消していった。
◇
「しっかしまぁ、禁欲のきの字もありゃしねえな……」
呆れを隠すこともせず、クルス(ka3922)は「通行人の邪魔だ」とばかりに商店街で大の字になって寝こける男の腕をひっつかんだ。
「おい、おっさん。昼間っから寝るにはちと寒い季節だぜ」
「んあ? そーれもないろ」
──だめだ、こいつ。
溜息一つ、零したところで祭りに興じる連中に聞こえるはずもない。
諦め半分、クルスは男をひょいと背負うと、通路の脇にぽいと捨て置いた。
「飲んだくれに効くとは思えねえけど。ま、餞別程度にくれてやるよ」
そう言って、少年は男にキュアを施すと再び祭りの熱狂へと戻っていった。
こんな騒ぎの中に居て思うのは、先ほど立ち寄った王国騎士団本部でのこと。
叙勲式に同席していた騎士団長のエリオットとかいう男から聞かされた話──それは、このお祭り騒ぎが王国にとって非常に珍しい機会であるということだった。
『先のアークエルス防衛戦でのデルギン隊迎撃に際し、俺の部下を1人でも多く救おうと尽力してくれたこと、心から感謝している』
ポケットには、昨日の受勲式以降、突っこんだままになっていた大層な勲章がある。
「俺が叙勲なんてな……」
どこか燻った気持ちでいたクルスが喧騒の中から見上げた空は、清々しいほどに美しい青をしている。
──でも、じいさんに少しは顔向けできるかな。
懐かしい顔を思い出し、クルスは改めて自分の手に視線を落とした。
大したことをしたつもりじゃない。ただ目の前の事に必死になって、1つでも多くの死を防ぐためがむしゃらになっただけだった。だからこそ、心境が勲章の形とこの騒ぎを受け入れるのに、少しの時間が必要だっただけ。
ふと気付けば、酒にのまれて喧嘩を始めた男たちが目に付いた。
しようもない連中だが、そんな光景にクルスは小さく笑いを零す。
「まあ……勝って守れたからこそ、こうやって馬鹿騒ぎも出来るんだろうからな」
やれやれと小さく独り言ち、少年はその騒ぎを諌めるべく、杖を片手に力強い一歩を踏み出した。
●王国騎士団本部にて
騎士団本部は、普段と異なる様子を見せていた。酒にのまれた大人の喧嘩と、それを仲裁する騎士。迷子の子供と、それをあやしながら別室へ案内する騎士。転んで動けなくなったご老人の処置をしているケースもあれば、治安のいい王国と言えど熱気に乗じてスリを働く輩もいる。
──まぁ、酷い状態だった。
そんな本部に、疲れた南條 真水(ka2377)がやってきた。
普段なかなか入ることのできない施設だ。休憩が目的ではあるが、記念に丁度いいだろうと少女はふらふら奥へ進んでいく。すると、ホールに続く廊下の向こうに人だかりが見えた。
「皆さま、お疲れさまですわ」
「おお! 久しぶりじゃねぇか。どこの迷子かと思ったぞ!」
「迷子じゃないですわ。チョココ(ka2449)ですの! アップルシナモンのタルトを焼いてきましたの」
……そこには、小さな妖精さん(のような娘)がいた。
なんで妖精さんがいるのかはこの際置いておくとして、そこで真水は気が付いた。
なんだかいいにおいが漂っている。
──なるほど、ここは食堂か。
小食な真水は今あまり食べ物に用がないのだが、食堂の椅子には用がある。どうせなら座って休みたいじゃないか。
休憩がてら隅の椅子に腰かけていると、必然、そこでの光景が目に入ってきた。
「あー、やっぱうめえ。嬢ちゃんの作るもんはなんでも沁みるわ」
「嬉しいですの。そうですわ、休憩にお茶も用意しますわー」
そんな会話を聞いていると、真水は少し興味がわいてきた。
折角騎士団本部に来たのだ。名物料理(※注:名物ではない)を食べずしては始まらない。
すすす、と席を移動して賑わうテーブルに連なると、チョココが切り分けたタルトを一口ご相伴にあずかる。
真水がそんな幸せをほんわり享受していると、騎士たちがチョココに声をかけはじめた。
「嬢ちゃん、祭りは楽しんだか?」
「ええ。わたくし、お祭りは大好きですの♪」
妖精さん──もといチョココはにこーっと愛らしい笑みを浮かべている。疲れた時は、可愛い子供の笑顔も心にしみるものだ。だからかは解らないが、ある騎士の懐かしみが周囲に伝播し、皆がしんみりと笑う。
「王都も久々の賑わいだよ。……昔はいつもこんな感じだったはずなのにな」
これは紛れもなく嬉しいことのはずなのだが、それをどこか俯瞰している自分自身がいるのだろう。
「……ヒトの生きる力は凄いですわ」
少し静かになった食堂で、チョココがにこりと笑う。
「わたくしも、こう見えて過去に故郷を失った身ですけど……諦めてはいませんわ」
「そうだな。国も、人も、まだこんなにも力が溢れてるんだから」
「はいですの。いつか復興の日の為に……」
彼女たちのやりとりを横目に、真水はぼんやりと先の祭りの様子を思い返していた。
受勲以降、携帯している翠光中綬章をポーチから取り出し、それを眺めて息を吐く。
勲章の中央には翠石が燦然と輝いていて、真水自身に不釣り合いな印象を与えてくるのが苦々しくもある。
そんな輝きに気がついたのだろうか。
「たまげたもんだ。そいつぁ王国の勲章か?」
「え……あ、はい」
「めったにお目にかかれねェ代物だぞ」
周囲の騎士たちがわらわらと真水を取り囲んでいく。
状況に気後れしながらも、真水は改めて居心地の悪さに視線を落とした。
「でも……こんな立派な勲章は、南條さんには似合わないよ」
しばし騎士たちは不思議そうな顔で互いに視線を送り合っていたが、真水に朗らかに笑いかける。
「そういうやつも、たまにはいていいんじゃないか」
「似合わなくて構わないなら、家のタンスに放っておけばいい。似合いたいなら、そうなるように歩めばいい」
「悩むのもいいさ。嬢ちゃんまだ若いだろ! そうだ、悩みが吹っ飛ぶように力比べでもするか?」
向けられる様々な言葉に苦笑する真水。けれど、一呼吸の後に腕まくりをする。
「仕方がないですね。ちなみに、女の子だからって甘く見ない方が……」
そう言って、根拠のない自信で真水は僅かに微笑んだ。
◇
『痛い痛い痛いもう降参ボクの負けでいいから離してー……!』
そんな悲鳴が聞こえてくる騎士団本部にずかずか侵入してきた青年──ジャック・J・グリーヴ(ka1305)は、ある重厚な扉の前で足を止めると、無頓着にノックを繰り返す。
「よぉ爺さんボケてねぇか? 北方動乱お疲れさん、て事で乾杯しようや」
返答を待たずに扉を開いた青年は、隙間からこれみよがしにデュニクスワイン「ロッソフラウ」を見せつける。
そんな青年の様子に部屋の主ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトはしばし閉口していたが──
「……もういい、入れ」
──やがて、露骨に溜息を吐いた。
「でも謎は色々と残っちまったよなぁ」
「ほう。何が気になる?」
「何って、法術陣やら巡礼やら諸々よ。……この先も、問題が起こりそうだ」
そんな気配がする。
──そう言って、ジャックはグラスを一気に空けると、どこか挑戦的な瞳で王国騎士団副長の男を見据える。
「……なぁ爺さん。俺をてめぇの駒にしねぇか?」
「くだらん戯言を」
所詮酒席でのこと。取り合う気はないと突き放すゲオルギウスだが、青年の眼差しが随分鋭いことに気が付いた。
「王国にゃ家族がいんだ、問題はさっさと解決してぇんだよ」
──この小僧、わしを利用しようと言う腹を隠さんのだな。
言葉を重ねるジャックの頭の天辺から指の先まで、じっくりと値踏みするようにゲオルギウスが見詰める。そんな男にとって、ジャックは酷く物珍しく映った。
「貴様、名は……」
「あ? 今さらふざけんな、俺様は……」
「ジャック・ジョン・グリーヴ、だったな。成りあがりの貴族、グリーヴ家が輩出した金の亡者。父親の方はリアルブルーの出身……いや、祖父もそうであったか。四男一女の次男坊で、貿易に手を出し派手な商売をしている。やり口から随分商売敵が多いようだな、夜道は気をつけるがいい。お前はハンターでもあるが、本業はさてどれだろうな。そういえば、貴様の金への執着ぶりだが……」
途端、言葉を遮るようにテーブルに拳が叩きつけられた。その衝撃音で老戦士の“ご挨拶”が終わるも、ジャックの瞳にはいまだ強い感情が滲んでいる。
「……悪くないな」
「試したのかよ」
くつくつと喉を震わす老戦士はワインボトルに手を伸ばすと、2つのグラスへ同様に注ぐ。
王国騎士団副長、そして諜報を兼ねる青の隊隊長でもある男は、他意のある笑みを浮かべた。
「小僧、貴様を買ってやる。貴族、商人、ハンター、密偵……四足のわらじ、履きこなして見せるがいい」
不敵に笑って応じる青年は、老戦士の売り言葉を一蹴し、勢いのままにグラスを掲げる。
「おい、爺さん。誰に向かって言ってんだ?」
こうして、ジャック・J・グリーヴと王国騎士団副団長ゲオルギウスの間に密約が交わされることとなった。
「ちなみに、小僧。“ぎゃるげえ”とやらは、そんなに面白いものなのか?」
◇
一方、第三街区の表通りでは祭りの熱狂に比例して問題事が増え始めていた。当然周囲の賑わいはそれを覆い隠すほどの盛況ぶりであり、静謐なエルフの森で生まれ育ったアイシュリング(ka2787)がこの空気に唖然とするのも無理のない事だったと言える。
──あの人が企画した祭りなんて、物珍しいと思ってきてみたけれど……。
少女の胸中を支配する戸惑いと気遅れ。眼前に広がる未知の世界に一歩を踏み出すことができないでいた。
けれど、そんな少女にも祭りは等しく熱気を分け与えてくれる。
「そこのべっぴんさん、迷子かい?」
すぐ近くの屋台の主が声を張ってアイシュリングに笑いかける。
「いいえ、そういうわけじゃ……」
「困った時は、“騎士団本部”に行くと良い。気のいい連中だよ」
耳慣れた響きに、少女は我に返る。きっとこんな状態では彼らも大変なことになっているだろう。
「……そうね、ありがとう」
容易く想像できる光景が、少しおかしく思えてくる。だからかは解らないが、少女はほんの少し口角をあげた。
さて、場所は騎士団本部に戻る。
「案の定、だなぁ」
祭りの運営本部でもあるこの場所の扉を開いた瞬間飛び込んでくる怒鳴り声や鳴き声に苦笑いを浮かべ、誠堂 匠(ka2876)が頬を掻いた。
「エリオットさん。お疲れ様です」
「あぁ、匠か。ええと……」
匠が"敢えて"声をかけた相手──それはこの祭りの発起人でもあり王国騎士の頂点でもあるエリオット・ヴァレンタインだった。重ね重ねになるが、一応彼はこの国の軍事における最高責任者でもあるのだが、そんな彼がいま何をしていたのかと言うと。
「その子のこと、俺が変わりましょうか?」
「………」
迷子対応だ。
匠が見兼ねた理由は、エリオットの仏頂面に迷子の少年が泣きやまず、まともに話ができる状態でなかったからだ。
「いや、今日の祭りはあくまでハンターや街の人々の為のものだ。これしきのこと……」
「おがあぁざあぁぁぁんん!!」
「………」
匠が溜息を吐いた。それでも「あんたの顔が怖いからだよ」と言えるはずもない。
「ともあれ、ほら。以前から皆さん、頑張り通しなんだし」
「それはお前たちも同じだろう?」
先の北方動乱における最終決戦。そこで働きを見せたハンターたちには王国から翠光小綬章、或いは翠光中綬章が与えられていた。その叙勲式にはエリオットも立ち会っている。匠が勲章を賜わる姿もしっかりと目に焼き付けていたのだから、今日の彼は労われてしかるべきと騎士団長は考えたのだろう。
「いや、あれは……」
複雑な表情で言葉を詰まらせる青年。そこへ……
「あなたたち、さっきから何をしているの?」
現れたのは、青年二人組を呆れ顔で見つめるアイシュリングだった。
基本的に匠は悪くないのだが、世の中には巻き添えという言葉もある。
「こんなお兄さんたちは置いて、あっちに行きましょう」
アイシュリングが白い手を差し出すと、見惚れたらしい少年はぴたりと泣きやんでおずおずと手を伸ばす。
「……見事なものだな」
「あなたが不出来すぎるのよ」
子供に向けるものとは全く異なる冷めた顔で青年を見やるアイシュリングだが、ハッと気付いて咄嗟に口を噤むと小さく首を振る。
「ともかく……裏の仕事で、わたしにできることがあったら、代わりにやっておくから。少しだけでも表に出てきて」
アイシュリングは、しっかりと子供の手を握り締めながら、いつもより優しい声色で……矢継ぎ早にこう告げた。
「街の人たちは、きっとあなたの顔を見たら喜ぶと思うわ」
先ほど匠にも同じようなことを言われた気がすると言って、青年は逡巡。
その迷いを後押しするように、匠がエリオットの肩を力強く叩いた。
「ここはなんとかしますよ。だから、行ってきてください」
重ねられた匠の言葉に再び促され、ようやくエリオットは首肯した。
「解った。気遣いに、甘えさせてもらうとしよう」
●簡易武術会、開催
そんなこんなでエリオットが騎士団本部を出て僅か一歩のところだった。
「エリオット・ヴァレンタイン。王国の頂点見せてくれないか?」
少女の申し出をいまいち理解できていない男に、美しい真紅の髪の少女──アルト・ヴァレンティーニ (ka3109)が尚も言葉を重ねる。
「私は茨の王を倒した者だ。どうか、手合わせを」
「ああ、いや、お前のことは知っている。先の叙勲式、俺も立ち合わせてもらっていたからな。だが、俺は今……」
困った様子のエリオットを見つけたのだろう。今度はヴァルナ=エリゴス(ka2651)が現れた。
「こんにちは。今日は賑やかな一日ですね。エリオット様はちゃんと休んでおられますか?」
「……こういうことだ」
騎士の頂点であるはずの男の情けない顔に、アルトはただ目を丸くした。
「──つまり? 今のあなたは、休息することと街の人との交流が為すべき仕事だと?」
「実際、そうしてハンターに勤務を交代してもらって得た貴重な時間だからな」
騎士団長の説明に、ヴァルナがすかさず首を縦に振る。
「せめてこういう日ぐらい、少しはお休みになられませんと。それに、顔を見せれば街の方々も喜ぶでしょうしね」
誠意をもって説明する青年だが、どうにも歯切れが悪い。その顔を見たアルトは、直感で瞬時に悟った。
──この男、本当は戦いたいんじゃないか?
それに気づいた時、少女はにやりと口の端をあげ、両手を叩いた。
「解った。じゃあ、こうしよう」
そして、2時間後──。
「戦勝記念祭、最大の催しが始まるよ! なんと、あの茨の王討伐者アルト・ヴァレンティーニと、我らが王国騎士団長エリオット・ヴァレンタインの直接対決だ!! 飛び入り参加も大歓迎! 会場は噴水広場だよ!」
「……どうしてこうなったんですか……」
愛犬を連れて第三街区を散歩中のルカ(ka0962)は、その触れこみを耳にした途端、盛大に肩をおとした。
「あ、ルカさん。こんにちは」
柔らかい声にルカが振り向くと、そこにはヴァルナの姿がある。
「ヴァルナさん……」
「ええ、あの……大丈夫です。わかります。王国の皆さんに顔を見せるだなんて、体の良い言い訳ですよね……」
苦笑交じりというより、もう呆れの類だろう。
どうしてあの男は大人しく休息できないのか──両者の頭にはそんな言葉が浮かんでは消えた。
「でも……エリオットさん、なんだかすごく活き活きしてませんか?」
騎士団員が長の一声で超特急に仮設したリングの外から男の様子を見ていたルカがぽつりと零すと、隣でヴァルナも苦笑いを浮かべる。
「ここ最近で一番楽しそう、ですね……ひとまず気分転換になったのであれば良いのですが」
そんな二人に気づいたのかエリオットがリングの中央からこちらへやってくる。
「ルカ、ヴァルナ。祭りは楽しんでいるか?」
いやもう、そういう話じゃないんですけどね。
顔を見合わせて溜息をつく二人に、理由がわからず首を傾げるエリオット。とりあえずルカが抱いている犬に気付いてそっと撫でまわす。
そんな男を見て、ルカが観念したように眉を寄せて笑う。
「エリオットさん、私から一つだけ。アルトさんは大変お強いです。どうかお怪我をしないように」
「そうですよ。……あ、その時はルカさんが治療要員ですかね」
「……お前たちの見解は理解した。ともかく、そこで見ていろ」
楽しむより楽しんで欲しい。癒されるより癒したい──ルカの願い通りかは解らないが、心なしか楽しげに見える男はリングの中央へと歩いて行った。
──そして、試合が始まった。
開始と同時、アルトが石畳を蹴った。持ち前の速度と技術による撹乱を織り混ぜ、刀を振るう。少々癖のある剣撃が二閃──しかし、それは青年の体を裂くより前に、切れ味の悪い訓練用の剣に叩き返された。
その手ごたえに笑みを浮かべ、アルトが短く息を吸う。そして“剣閃連華”。すさまじい速さで二度の剣閃が舞う。
冷静に、忠実に。翻弄し、撹乱する。直感、朧刃、そして……視線をフェイントに逆サイドへ二連、切りつけた。
──斬った。
二撃目がなんとか男の鎧に叩きこまれた。だが、寸でのところで重心がずらされ的確に致命傷をそれている。
「……いい腕だ、アルト・ヴァレンティーニ」
男が僅かに楽しげな顔をしたのも束の間、突如エリオットは剣の握りを変えて後退を開始。距離をあける勢いを転化して剣を大きく引くと、驚異的な身体能力で踏み込み、切っ先を突き出す。
放たれる強烈な衝撃がアルトを刺し貫こうと迫るが、ぎりぎりでそれをかわし、アルトが不敵に微笑む。
「あなたもだ、騎士団長。驚いたよ、捉えたはずなのに手ごたえがないなんて」
だが、その時重大な事実に気付いた。
青年との距離は約6m。相手は攻撃余力を残した短い移動にチャージングを重ね、少女が易々埋められない距離を作り上げた。実際、アルトが攻撃の為に接近すると、その隙を突いてエリオットの刺突一閃が穿たれ、少女の大腿部に強烈な痺れと激痛が走る。
「……回避が困難な技ばかりだな」
「お互い様だろう?」
両雄睨み合い、そして口の端を上げる。
「お前との手合わせは高揚する。だが……」
アルトだけを見据え、青年は腰を落とした。
「惜しいが、時間は有限だ」
──直後、アルトが接近に費やした行動の直後に刺突一閃が穿たれ、勝敗は決した。
両者には観客から惜しみない拍手が送られ、待機していた聖導士がアルトの治療を開始。
しかし、しばらくすると聖導士のひとりがなぜかリングに上がってきたのだ。
「お二人とも、お見事な戦いぶりでした」
エリオットを前に、男はにこりと微笑んでこう告げる。
「折角です。自分とも、手合わせ願えますか」
落ち着いた雰囲気の青年は、濁ることのない真っ直ぐな目で騎士団長を見据えている。
「お前は?」
「ご挨拶が遅れました。蒼の聖導士、米本 剛(ka0320)と申します」
ずしりと音が聞こえてきそうな全身鎧は見慣れない意匠だが、王国産の全身鎧に類似しているように見える。
「……なるほど。お前には、俺の剣を使った方がよさそうだ」
そして迎えた第二試合。初手で剛の体躯から巨大なサーベルの一刀が撃ちだされた。
しかしそれは剣に正面から受けとめられ、剣と剣の衝突音が一帯を震わせる。
「あのアルトさんですら、傷を負わせるに手を焼く相手のようでしたから……やはり、難しいですね」
「お前は、誰かを負かす戦いではなく、誰かを生かす戦いに優れているはずだ」
間近な距離で鍔迫り合う両雄。ややあってエリオットは小さく息を吐くと、途方もない力で剛をサーベルごと弾き飛ばし、空いた距離から刺突一閃を放つ。
「ッ……!」
その一撃は恐ろしく重い。エリオットが使用しているのは、訓練用ではなく彼自身の剣だ。剛の硬さをもってしても、その体力を強引に削りに来るような斬撃。だが、剛も一方的に穿たれるだけの状態にさせるつもりはない。
「光導!」
剛から発せられた言葉に呼応し、周囲のマテリアルが急激に勢いを増す。激しい光の奔流は、瞬時に広がりをみせ、辺りを焼き払うように輝いた。客が短い悲鳴をあげて一斉に身を潜める一方、エリオットは剛に接近。魔術の直撃すら意に介さない男は、術後の僅かな隙を狙い、剛の脚部に強撃を叩きこむ。剛に受けきれないダメージではないが、その一撃は青年の重心を凶悪な力で突き崩し、立派な体躯は音を立てて石畳に沈む。
「剛、お前はいい騎士になりそうだ」
倒れ伏す自らの頭部と胴部の鎧の継ぎ目に剣の切っ先を突き立てるエリオットを見上げながら──
「はは……お手合わせ、ありがとうございました」
剛は、気持ちの良い笑顔を浮かべた。
●評判のレストランバーにて
「ほら、ユエル。あんまりお外でご飯食べないんでしょう? 何が食べたい? これなんかおいしそうよね。あ、お酒は飲む?」
「えっ、あ、私は……」
「はいはい、エステル、ストップ! 一応今日はジュースで乾杯だから!」
「なぁに? お金のことなら気にしないでいいのよ。だって、今日は私、お小遣い沢山持ってきてるの。頑張ったユエルにご褒美でごちそうしてあげるんだから!」
「なんだ、エステルの奢りか。そりゃあ飯がうまいな……」
「あなたの分は知~らない。私はユエルのた・め・に! お小遣い持ってきたのよ」
「………(うるさいわね)」
ここは第三街区でも評判のレストランバー。ランチ営業に定評があり、夜はバーとしても客層を広げるこの店はRB由来のメニューもあって幅広い人に支持されている。
「だぁから、一応僕ら未成年だろ?」
「それはRBの、それも貴方の国のお約束でしょ? この世界は地域部族風習によって成人年齢は其々よ」
「俺も一応未成年っちゃ未成年なんだよな。ま、別にジュースで構わないが」
「あの、皆さん、もうそろそろ静かにお食事を頂いた方が……」
「……いただきます」
今の会話はキヅカ・リク(ka0038)、エステル・L・V・W(ka0548)、ラスティ(ka1400)、ユエル・グリムゲーテ、そしてジェーン・ノーワース(ka2004)のものだ。
彼らは、戦勝記念祭に王国貴族グリムゲーテ家長女のユエルを誘い、食事に来ていたのだ。
テーブルに並ぶのは、海老とマッシュルームのアヒージョと焼き立てバゲット。ほうれんそうとハムのキッシュ。野菜たっぷりのラタトゥイユ。そして、羊肉のこんがりステーキ。最後のは、クラベル討伐記念で店が振る舞っている期間限定メニューだ。便乗商法なんてのはどの世界にもあるもんです。
既にドリンクが運ばれており、メンバーは思い思いにグラスを掲げている。
「よし。じゃあ、ユエル。乾杯の音頭とって」
「わ、私ですか!?」
リクの突然の振りに戸惑いつつも、同席する仲間の顔を見渡した少女はその思いを感じ、ややあって口を開いた。
「……この一年、いろんな事がありました。お父様が死んで、私は女で、子供で、無力さを味わうことばかり。けれど、皆さんがいつも背中を押してくれたから、今日まで走り続けられました。そして、遂にクラベル討伐という悲願を果たせました」
ぽつぽつと語り始めるその言葉は、至って生真面目だがそこに悲壮感はない。
しかし、黙って話を聞いていたエステルが、突然ふるふると全身を震わせる。
「ユエル……!」
「わ、エステルっ!?」
「貴女、本っ当に頑張ったのね! 偉い子! いい子!! 一緒に居られなかった私を許して頂戴ね」
「エステル、待て! まだ乾杯の音頭終わってないから! ほら、座りなって!」
思うさまぎゅうぎゅうと抱きしめられて戸惑うユエルを救出すべく、リクが間に入って「どうどう」と獣の愛を窘める。迸るハートマークを消すこともなく、にこにこ嬉しそうに席に着くエステルを見送って、少女は最後の音頭を取った。
「あの、ですから……怨敵討伐と、皆さんと出会えたことへの感謝と、それと……これからもよろしくお願いしますの意味を込めて……」
テーブルを囲む面々は、いずれもいい笑顔に溢れている。
だからこそ、少女は安心してグラスを掲げることが出来た。
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
気持ちの良い声が店中に響き渡ると、すぐさまリクがてきぱきと料理をとりわけ始めた。
それを眺めながら、ジュースを煽ったラスティがグラスを置いて一息つく。
「しかしクラベル討伐も、茨小鬼の件も、俺はいつも肝心な時に居あわせられなかったな」
その言葉に後悔などの後ろ暗さはない。ただ、共にあれればなおよかったという気持ちでラスティは笑う。
「ともあれ、まずはひと段落だ。本当に、お疲れさん!」
「うん、ラスティもお疲れ様。直前のユエル強化合宿には行ったんでしょ?」
切り分けられたキッシュの皿を受け取って、ラスティが頷く。
「あぁ、まぁな。でも、実戦に出たのはお前らだろ? リクもユエルも、本当によくやったな」
ニッと笑みを浮かべるラスティは、傍に居るエステルやジェーンの二人にも同じように視線を送った。
少年は、ここに居る皆が、自分の分まで其々の場所で其々の想いを果たしてくれたことを十分に理解している。
──皆、ありがとよ。
だからこそ、そんな風に感謝しているのだ。けれどそれは心の内に留めておくことにした。
多分、ラスティ曰く「言わせんな、恥ずかしい」というやつだと思われる。
そんな少年の頭のてっぺんの方で、突如ゴンッという音が鈍く鳴り響いた。
「うぉ、痛っ……てか、冷てっ!! 誰だよ!?」
「よ、ラスティ!」
少年の頭の上に乗っかっていたのは、キンキンに冷えたビール入りのジョッキ。悲鳴をあげて振り返ると、神代 誠一(ka2086)がくつくつとこらえるような笑い声をあげてラスティを見下ろしていた。
「なんだ、来てたのか?」
「まぁな」
冷えたジョッキに奪われた体温を取り戻そうと、頭をさするラスティ。その隣の椅子を拝借し、誠一が言う。
「こんばんは、皆さんも、来てたんですね」
「あ、 神代さん。お疲れ様です」
応じるリクに会釈をし、改めて皆で杯を交わす。
そうしてしばし、誠一はこの卓を囲む面々の様子を穏やかな表情で見守っていた。
かわされる会話に時に目を眇め、時に暖かい言葉をかける。そんな誠一はまるで彼らを見守る教師のようだ。
ややあって、頃合いを見計らうと誠一は改めてラスティにこんな言葉をかけた。
「いい仲間だな」
「……あんたもな」
「はは、そうか。……それはいいな」
明日は嵐を通り越してガルドブルムでも降ってくるんじゃないか、なんて冗談が口をついて出てくる。誠一は普段そういったことを言うタイプではないが、今は雰囲気も、酒の力もあったのかもしれない。
対するラスティは居心地悪そうな顔で照れくさそうにしていたが、そんな少年の頭を誠一はくしゃくしゃと撫でる。
「しかしまぁ、この1年も互いに大変だったな。それでも、こうして年の瀬に共に穏やな時間を過ごせることを嬉しく思うよ」
「そうだな。……そういや誠一、その後どうなんだよ?」
意地の悪い顔でつつくラスティに気づいていないのか、何の気なしに誠一が応える。
「んあ? 来年? なるようになるさ」
「そうじゃねえ! ま、いいけどな。もう片方から詳細は聞くさ」
「!!」
何を問われたか漸く気付いた誠一は、悟られまいと誤魔化すようにジョッキを煽る。
ぷは、と一息つくと、青年はそれまでよりもう少しだけ陽気な声で笑った。
「ともあれ、だ。この世界に来て、沢山の人と出会い、様々な戦いを乗り越えて、ようやく“無事”に一年が終わろうとしてる。それなら……来年も同じように、それ以上に、務めるだけだな」
「あぁ。相変わらず真面目だな、あんたは」
笑って応じるラスティと、誠一はもう一度互いのジョッキを重ね合わせた。
そこに、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。
「あれ? 神代さんも来てたんだね」
誠一が振り返ると、クィーロ・ヴェリル(ka4122)が片手を挙げて青年に笑いかけているのが見えた。
「クィーロさん!」
「ふふ、楽しんでる?」
「若い彼らの熱気にあてられてますけど、たまには悪くない。クィーロさんもどうですか、一杯」
誠一は隣の席を勧めると「そうだね、じゃあ少し」と応じてクィーロがテーブルに着いた。
「そうだ。神代さんは、この間の……北方動乱、受勲したって聞いて」
「まだ信じられませんけどね。つい昨日、王女殿下より賜りました」
おめでとう、と短く祝辞を送るクィーロはどこか眩しそうな顔で目を眇めた。
「僕は、先の動乱には全然関わってないけど……でも、この祭りの感じは、なんか、いいなぁって」
「はは、同感です。クィーロさんは、今日一日楽しまれましたか」
珍しい王国産ワインが入ったと聞き、クィーロのグラスには赤い雫が注がれている。
それをじっと眺めた後、静かに口をつけると青年はこう答えた。
「そうだね、僕も……ぼちぼち楽しませてもらったかな」
ぽつぽつと答えながらも、クィーロの頭の中を支配していたのはサルヴァトーレ・ロッソでの出来事だった。
未だ戻る気配がない自らの記憶。その唯一手がかりに成り得そうなものだと言うのに、あの時の頭の痛みを思うと、身が竦むような……強い気後れを感じるようになった。
ふと気付くと「どうかしました?」と尋ねる誠一の顔があり、周囲は相も変わらず酒に食事にどんちゃん騒ぎだ。
──こうしてお祭り騒ぎに参加してても自分の事ばかりとはね……。
少し、自嘲気味に微笑みながら「なんでもないよ」と友に返し、もう一度酒に口をつける。
広がる渋みに眉を寄せ、けれどそれが悪い心地でもないことに気付くと、青年は漸く表情を緩めた。
「さ、今年一年をのんびり振り返るとしようか。お酒も時間も、まだまだあることだしね」
今日くらいは、ハメを外してもいいよね……?
──そんな思いを胸の内に秘めながら。
◇
すっかり陽も暮れた頃、仕事に一息ついた騎士団員らがぼちぼち店に足を運んでくるようになっていた。
「よう、匠! それに……騎士団長殿か」
「久しぶりだな、ラスティ」
そんな会話があちこちで繰り広げられる中、匠の姿に気づいたユエルが席を立った。
「匠さん、あの……」
「クラベル討伐のこと、聞いたよ。おめでとう」
「背中を押して頂いて、本当に感謝しています。私、約束を果たしたこと……お伝えしたくて」
全ての縁に片をつけると言って戦地に赴いた少女は、見事にそれを成し遂げた。祝辞を述べる匠に、ユエルが首をぶんぶん振ってぎこちなく微笑む。
「匠さんも、叙勲おめでとうございます。流石ですね」
「全然そんなことないけど、ありがとう。それと……」
匠は、少女を前に逡巡。だが、穏やかに笑い、周囲に聞かれない程度の声量でこう尋ねた。
「……前には、進めそう?」
いつもくれる柔らかい後押しに、思わず甘えてしまいそうになる気持ちをこらえ、少女は一度だけ強く頷いた。
「ええ。今ならきっと、父にも、母にも、胸を張って伝えられると思います」
「そっか……良かった」
嬉しそうな顔をしている少女を見ていると、匠の胸中にじんわりと安堵の気持ちが湧いてくる。これまで抱えていた後悔にも似た後ろ暗さが、次第になりを潜めてゆくのが解ったのだ。
「……俺も、負けていられないな」
「え?」
不思議そうな顔をする少女に笑って「なんでもないんだ」と答え、匠はエリオットと共に奥のバーカウンターへと向かって行った。
◇
「はじめまして、ハンターのUisca Amhran(ka0754)と申します」
宴も酣。友との食事を終えたエリオットの元に、見慣れないエルフの少女が現れた。
「ソルラの知り合いか。騒がしいのが世話になったようだ」
「とんでもないです。あの……今日は一つ、団長さんとお話したいことがあったのです」
エリオットに勧められ、名産地デュニクスのグレープジュースを片手に、Uiscaはこんな問いを投げかけた。
「今後、亜人の方々との関係はどうなるのでしょう?」
その声音は少し硬い印象を受ける。けれど、それ以上に彼女のアメジストの双眸からは強い意思が感じられた。
「例の亜人の話かや?」
そこへ少女の姉の星輝 Amhran(ka0724)が、妹の姿を見つけたからか、器用に自分の居たテーブルのトランプを回収してバーカウンターへと移ってきた。
「はい、キララ姉さま」
「そうかそうか」
短く答えると、星輝はカクテルグラスに入ったナッツを差し出して、にんまりと笑みを浮かべる。
「で、団長はどう考えておる」
美しいエルフの姉妹に挟み撃ちにされ、答えぬ訳にもいかないだろうと溜息を吐く。そして、騎士団長は悩む間もなくこう告げた。
「これまで通り、だろう」
「……と言いますのは?」
Uiscaは、隣に座る男に体を向け、じっとその反応を待つ。
「元より王国において、人と亜人の間には不可視の境界が築かれつつあった。互いの領域を侵さず、暮らしてきたわけだ」
「そうじゃな。そこへ、あの茨小鬼の襲撃があった……」
「あぁ。先の千年祭での途方もないマテリアルの影響を受け、大峡谷に住む一部のゴブリンが長い時間をかけて変質。それが力を持ち、大峡谷を出て周囲の荒野に暮らしていた普通の亜人たちを力づくで平定していった。その支配を避けるため、亜人たちは逃げ出し、自らの新天地として人間の暮らしていた領地に目をつけ、人を殺し、土地を奪うようになったのが始まりだった」
「……ですが、それも元凶を討ち、動乱は終息したのですよね?」
「そうだ。茨の王が討伐され、彼ら茨小鬼に異常を与えていたマテリアルもあるべき場所へと還った。もう大峡谷にも荒野にも亜人を支配し追いやる存在はいない。そうとなれば、亜人は元々暮らしていたそれぞれの場所へと帰っていくだろう」
「つまり……今後は、人が襲われない以上、亜人への攻撃を積極的に行う事は……」
「現状予定はない。これまで通りになるだろうという話は、つまりそう言う事だ」
答えを聞き終えたUiscaは、安堵の息と同時に祈るように重ねていた両手の力を緩めた。
「……良かった」
その笑顔はとても柔らかい。それ故に、少女の亜人への想いの一端を察したエリオットが、遠慮がちに問う。
「亜人との間に、何かあったのか」
「そう、ですね。……私は彼らと共存できればと思っていたんです。もともと亜人の方達と争う事はありましたが、今回の茨の王との戦いでは協力してくれた亜人さんもいましたから」
「確かに、ダバデリ戦には、軍師騎士の兵器以外にも亜人の協力者のおかげでなんとか街を守れたという事があったのぅ?」
穏やかに語るUiscaの言葉を支えるように、姉が先の事例を振り返る。不理解が更なる悲劇を巻き起こしてしまわぬように──そんな姉妹の気持ちを慮りながら、エリオットは慎重に言葉を綴った。
「こんな言い方はおかしいかもしれないが……その件は、安心してくれていい。報告は全て耳に入っている」
自身の言葉では安心させられないと懸念したのか、エリオットがUiscaの肩にそっと手を置く。
「ありがとうございます。あの、それでもし可能であれば……王国の皆さんに、このことを伝えてもらえないでしょうか」
Uiscaにとっては、共に戦った亜人が王国民から一様に悪とみなされるのは辛いことなのだろう。
少女の優しい想いに呼応して、星輝も「かか」と笑ってグラスを煽る。
「ワシもアヤツらには今度会ったら礼をせねばならぬ。なにせ同じように身命を賭して戦ったのじゃ」
「……我々の求めに応じ、戦ったハンターが言うならば。今度は我々が、亜人に対し出来得る誠意は見せたい」
「話が早くて助かるぞ。システィーナもきっと、ワシと同じことを言うに違いなかろうの。……さ、堅苦しい話はここまでとしよう。団長、カードでもどうじゃ?」
◇
そうして賑わう料理店で溜息を零す少女が一人。
「私、なぜここに来たのかしら」
一言で言えば、場違いだ。ジェーンの心は周囲の盛り上がりに反し、静けさを保っている。いや、正確に言えば、少々ざわめいてはいた。だが、それはこの場を冷めた目で見ているから、という理由ではない。単純に場に不慣れであることが一つ。それと、もう一つ……
「ジェーンさん、王国の料理はお口に合いませんか?」
自らを心配そうに見つめるユエルの存在だった。
「そうじゃないわ。ただ……」
「ただ?」
「……いいえ、なんでもない」
この場を自分なんかが楽しんでいいものか。自罰的な感情が、未だ自分の状況を許せずにいた理由だった。だが、少女から発せられた突然の言葉に、ジェーンは珍しく驚いた表情を見せる。
「ジェーンさん、ありがとうございました」
「一体、なんのこと?」
「私が精霊と契約した時、助けてくださいましたよね。それに……お父様の最期に立ち会われていたと聞きました」
ユエルには謝るべきであれど、お礼を言われるようなことは何もしていない──ジェーンは、そう考えている。
実際理由を聞かされてなお、礼の意味を理解することはできなかった。
むしろ、自分が伝えるべき言葉は一つしかない。
「……ごめんなさい」
「どうしてですか?」
「貴方のお父上のこと。それに……肝心な時、いつも関われなかったこと」
ジェーンは、たまらず視線を落とした。すぐ傍にあるユエルの目を見ることができなかった。憚られるのは、幾つもの感情から来る後ろ暗さで、お礼を言われることすら今の彼女には苦痛だったのかもしれない。それでも、ユエルは首を横に振る。
「お父様の最期がどんなに立派であったか、知らせてくれたのは貴女や皆さんが生きて帰ってきて下さったからです」
真っ直ぐな答えに、ジェーンは思わず少女の顔を見た。迷いのない真実を伝えてくれていると感じる。
それでも、そんな思いに応えられるほど自分はまっすぐではないから。
「……そんなこと、ないけれど」
短く応じるに留め、少女は目の前の食事に再び口をつけ始めた。
「どうしてみんな不器用なのかしら」
「エステルほど強い人は余り見かけませんけど……」
エステルに苦笑いを浮かべるユエルを見て、リクが心底からこんな言葉を口にした。
「でもさ、ユエルも最後までクラベルと戦えるようになって……本当に、強くなったと思うよ」
「とんでもない! 正直リクさんがいなかったらと思うと、未だに背筋が寒くなることがあります」
「いい? ユエル。戦いには勝った。お父上にも十分報いたわ。次は、貴女のことよ」
今日初めて、思い悩んだ顔をするユエルの頬に手を当て、エステルはジッと少女の目を覗き込む。
「十分よ、本当に。だから、言って。貴女は何がしたい?」
──わたくしは、助けてあげるから。
赤い瞳の端から滲む涙は、くしゃっとした笑顔の上をゆっくり温かく伝っていった。
仲間達と店を出たリクは、おもむろに夜空を見上げた。
「……もっとこんなことが当たり前に出来る日が来ると良いな」
「リクー、先行ってるぞ!」
遠くから自らを呼ぶ友の声が聞こえてきて、思わず笑顔が溢れてくる。
「大丈夫、すぐ行く!」
そうして、少年はその先の道を──新たな戦いへと、赴いて行くのだった。
●それぞれの夜
「よう、不良少女」
RB風のお面屋台の奥から、ひょっこりと狐面が飛び出してくる。文月弥勒(ka0300)だ。少年はユエルを見つけると、夜ならではの賑わいを見せる目抜き通りを並んで歩きだした。
「随分すっきりした顔してんじゃねえか」
会話を交わす二人の顔には、祭りを彩る橙色の灯りが落ち、互いの顔を優しく穏やかに照らしている。だが、弥勒の顔はいつも仮面で覆われていて、少女には正確な様子が解らない。先の合宿では思いがけず、その"本当"を見ることが出来たけれど、ユエルにはそれが未だ気がかりだった。
「ありがとうございます。弥勒さんや皆さんのおかげです」
綺麗に礼をする少女の姿は少々居心地が悪い。
「別に。俺は途中で倒れちまったし、最後は良く解らねぇ。ただ……」
一呼吸、溜息のように息を吐いて少年は真っ直ぐに告げる。
「お前は、一番長く立ってた。……強くなったんじゃねえか?」
そんな弥勒の珍しい言葉に、少女は嬉しそうに微笑んだ。
やがて第二街区へと繋がる門の前に辿りつくと、そこでユエルが立ち止まった。おやすみの挨拶をするつもりで見上げた少年の感情は声色で多少伺えるけれど、やっぱり、その奥が見たいと思ったのだ。
「弥勒さん、私は今、仮面を外しています」
「はあ?」
意味がわからない、と言った声色の少年は仮面をつけたまま首を傾げている。それを見て、少女は小さく笑う。
「RBの心理学という学問では、自らの心を護る為に纏う鎧を“ペルソナ”──仮面と言うのだと知りました」
「……で?」
「“私は、もう外しています”。でも、弥勒さんは違う」
小さな沈黙が下りる。やがて、少女は弥勒の仮面に触れ、こう言った。
「それ……私に対しても、まだ必要ですか?」
尋ねたまま、少女はくるりと身を翻すとそのまま第2街区の向こうへと消えて行った。
「……チッ、好き勝手言いやがる」
◇
外はすっかり暗くなり、冷たい風が吹いている。未だ見えぬ探し人を思って溜息を零すと、少女の息は白くふわりと舞い上がってゆく。それを視線で追っていたら空から降ってくるそれに気がついた。
「……雪」
ブラウ(ka4809)の鼻先に落ち、体温で溶ける雪。その冷たさに赤くなる鼻を擦りながら、少女は自分の頬を叩く。
「まだ、探していない場所があるもの」
やがてブラウは多数の騎士たちが出てくる店を見つけると、その人混みを掻きわけるように進んで行く。
ぎゅうぎゅう詰めの通路を抜けるべく、力を入れて踏み出すと丁度会計を済ませたらしい男とぶつかった。
「悪い、大丈夫か」
瞬間、相手をみることもなく、匂いで理解した。
「エリオットさん……!」
見上げれば、そこには尋ね人の姿があった。
「あの時のゴブリンにお礼参り、出来たわよ」
店を出て、近くのベンチに並んで腰かけるとブラウは深呼吸。隣に座る男を見上げると、ほんの少しだけ自信ありげにこう告げた。少女が薄い胸を張れば、上着に燦然と輝く翠光中綬章までもが存在を主張してくる。
「おめでとう。短い期間で驚くほど成長したな。お前がいなければ、クラベル討伐はなせなかった」
エリオットは穏やかな表情で、誇らしげな少女の頭をぽんぽんと撫でる。
「あ、そう言えば……」
ふと、少女は贈り物を思い出し、持ち歩いていたクッキーの包みに手をやった。
しかし、それは袋の外からでもわかる状態で。
──ボロボロ、だわ。
今日一日、小さな体で人混みを懸命に探し回っていた。その最中で、崩れてしまったのだろう。咄嗟に少女はそれを後ろ手に隠し、青年を見上げて笑う。
「そろそろ遅いし、今日は失礼するわ」
しかし、立ち上がろうとする少女の手を無遠慮に掴んで男が問う。
「それはなんだ」
「……なんでもないの」
「俺に渡そうとしたように見えたが」
図星を突かれ、閉口するブラウ。しかし瞬後、少女の腕は更に強く引かれ、隠していたそれはひょいと男の手の中に奪われていた。
「! 違うの。本当に、それ、崩れていてとてもじゃないけれど……」
「崩れていたら、何か変わるのか?」
「……え?」
言葉の意味が解らず首を傾げるブラウをよそに、男は立ち上がる。
「ありがたく頂く。……さ、子供は寝る時間だ。宿まで送る」
その子供扱いに小さく頬を膨らませるブラウだが、彼なりの優しさを理解したのか小さく笑みを零す。
そして、小さな足で懸命に男の後を追いかけて行った。
──こうして、王都の賑やかな夜は更けてゆく。久方ぶりの祭りの余韻を、名残惜しみながら。
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2015/12/05 21:03:46 |