ゲスト
(ka0000)
【節V】ユノの祝日1016
マスター:藤山なないろ
このシナリオは5日間納期が延長されています。
オープニング
●祖父の死
「葬儀の日取りが決まったわ。各地の遠征に散らばっている縁戚を呼び戻す都合、少し間が空いてしまうけれど」
母のエレミア・グリムゲーテからそう告げられ、娘のユエルは静かに首肯する。
言葉少なな少女の瞳は、元より美しい赤をしているのだが、それとは別の意味で赤く重い色になっていた。
祖父と共に過ごした思い出が頭の中をぐるぐる回り、もう二度と話をすることも、名前を呼んでもらうことも、温かい手のひらで頭を撫でてもらうこともないのだと思うと、涙が溢れて止まらなかった。自分の父の葬儀では、気丈に振る舞い、人前で泣くこともできなかった少女が、だ。
もっとたくさん話がしたかった。いつまでもそばにいてほしかった。
様々な感情がせめぎ合い、それを律する手段がもはや思い出せない。
「……貴女は、この一年ちょっとの間で、随分成長したのね」
しゃくりあげながら母を見上げるユエルは、その意図が理解できずにいたのだが、それでも今はこの涙を止めることと、襲い来る頭痛をこらえることが先決だと感じていた。
●叔母からの報せ
叔母であるグリム領主代行からの連絡でブラッド・グリムゲーテの訃報と葬儀日程を知った王国騎士団長エリオット・ヴァレンタインは小さく息を吐いた。
自身がここのところ忙しくしていたこともあるが、ゲイルの死以降、自分を頼らなくなった従妹のことがずっと気がかりだった。あれからグリム領を巡る話については諜報員の報告を定期的に受けているが、手を差し伸べることすらできていない。
約1年で相次いだ大切な身内の死に、どれほど心細い思いでいるだろう。エリオットの中では、ユエルは未だ幼い頃の印象のまま。先の叙勲の際は随分その成長に驚かされたが、いつまでも「お兄様」と自らを慕ってくる愛らしい姿が焼きついている。
青年は随分頭を抱えていたが、やがて意を決したように立ち上がった。
●実は、今まで(字数の都合で)触れられなかったことがあるんです
小麦や小麦粉を主要な特産品とするグリム領において、市街地で最も多いのはベーカリー、ついでパティスリーだ。王国ではわりあい有名な話だが、グリム領は特産品を活かした製パン・製菓も非常に注目されている。
質の高い小麦と、地元の農場から採れる選りすぐりの卵や牛乳、そして乳製品。これだけ揃えば打たない手はないわけで、町興しの一環として、製パン・製菓など特産品を活かした事業には代々の領主が非常に積極的に援助施策を行ってきた。そういった背景から成った競合店ひしめくグリムの街のベーカリーは、いずれも個性的であり、人気店にもなればいつも領外からの客で賑わっている。
ともあれ、そんなグリムでは多くの家でパンや菓子を焼く習慣がある。以前グリム領に初めてハンターを招いた際、当時の領主であるゲイル・グリムゲーテ侯爵は、妻エレミアが焼いたシフォンケーキを最上級のもてなしとして振る舞ったそうだ。
シフォンケーキと言えば、一見してシンプルであるがゆえに華やかな洋菓子には負けてしまいがちであり、もてなしとしてもやや物足りない印象は否めない。だが、グリム領では話が異なる。
香り立つ小麦の上質な香りはとびきり優しく胸をみたし、口に含むと柔らかくとろけるように消えてゆく。素材の良さを堪能するのに、これほどの贅沢はない──そう言わしめる、極上のデザートだった。
家ごとに異なるレシピがあり、その日の気分で違うパティスリーのケーキを楽しむのもグリム観光の醍醐味だろう。
さて、ここはグリム領の領主本邸。
生まれ育った自室の天蓋つきベッドで目を覚ましたユエルは、起きぬけに目をこすりながら鼻を動かした。
「……いいにおい」
卵とバターと小麦粉と……焼ける香りは甘く優しく、懐かしい。
もう、“それ”をどれくらい食べていなかっただろう。
『菓子作りが趣味とはまた随分女の子らしい』
『将来武家を継ぐことになるなど想像もできませんな』
『男の子の……ああ、いや、次のお子さんのご予定は?』
これはまだ随分ぬるい方だが、数えきれないほど無数の針を幼い頃から刺されてきた。思い出すと足が竦むので意図して封印していたけれど。
頭を振りかぶる。頬を両手で叩いて「しっかりしなきゃ」と呪文のように呟きながら。
触れた頬が寝起きの熱を含んでいて、この間触れたばかりの祖父の冷たい頬を思い返しては、溜息が零れた。
朝食の時間。テーブルにつくのは、母エレミア、弟エイル、ユエル、そして……。
「おはよう、ユエル」
「おはようございます、伯父様」
正確には伯父と慕いづらい部分もあるが、父親の異母兄弟であるアークエルスの学者──ヴラド・バークレー。
彼は先日亡くなった祖父が認めた実子ということもあり、葬儀までの間はこの屋敷に滞在するという話を聞いている。食卓で皆と温和に会話を楽しんだ彼は、食事を終えてすぐ「やることがある」と寝泊まりしている客間に戻って行ったのだが、正直まだどう接すればよいものか、ユエルは良くわかっていない。
「ユエル、今日は貴女が大好きだったケーキを焼いたのよ」
朝食を終え、ぼんやりそんなことを考えていた時、不意にエレミアがそんなことを言った。
朝起きてすぐ、私室のベッドで感じたあの香りの正体だ。
「お母様、私はもう、そう言うのは……」
「貴女がこの家でだけ、甘いものを食べたがらないのは知ってるわ」
「……!」
思わず視線をそらす。知られていたことを、ひどく恥ずかしく思った。
「お爺様のことで随分気を落としているでしょう。たまには、いいんじゃないかしら」
ね? と、微笑む母の顔をまともに見ることができない。
「姉様、母様のケーキきらいなの?」
恐る恐る訊ねる声にハッと顔を上げると、エイルが随分悲しそうな顔をしていることに気付く。
弟の顔をじっくり見るのは、どれくらいぶりだろう。こんなに溺愛しているのにも関わらず、だ。
「そんな、ことは……」
「失礼します。お嬢様、エリオット様よりご連絡が」
「……はい、伺います」
『非常に厄介な仕事なんだが、お前以外に頼めるあてを知らなくてな』
「……私に、ですか?」
どき、と鼓動が大きく跳ねる。
自分を必要とされることは、彼女の人生においてほぼ皆無であった(と少女は感じている)からだ。
それを知ってか知らずか──元よりいい年して鈍感な性質は厄介なのだが──エリオットはこう続ける。
『すぐ王都へ来られるか。1日か2日間でいい』
「お任せ下さい。任務の内容は……」
『概要はこちらで話す。気をつけて来るんだ、無茶はするな』
優しい声が通信の向こうから聞こえ、そして途切れた。
お爺様は、ご自身の人生に納得して、笑って旅立たれた。
ならば、私も……今自分にできることで、この世界に役立ちたい。
それに、仕事をしていればきっと気も紛れる──そんな思いで、少女はグリム領を後にした。
「葬儀の日取りが決まったわ。各地の遠征に散らばっている縁戚を呼び戻す都合、少し間が空いてしまうけれど」
母のエレミア・グリムゲーテからそう告げられ、娘のユエルは静かに首肯する。
言葉少なな少女の瞳は、元より美しい赤をしているのだが、それとは別の意味で赤く重い色になっていた。
祖父と共に過ごした思い出が頭の中をぐるぐる回り、もう二度と話をすることも、名前を呼んでもらうことも、温かい手のひらで頭を撫でてもらうこともないのだと思うと、涙が溢れて止まらなかった。自分の父の葬儀では、気丈に振る舞い、人前で泣くこともできなかった少女が、だ。
もっとたくさん話がしたかった。いつまでもそばにいてほしかった。
様々な感情がせめぎ合い、それを律する手段がもはや思い出せない。
「……貴女は、この一年ちょっとの間で、随分成長したのね」
しゃくりあげながら母を見上げるユエルは、その意図が理解できずにいたのだが、それでも今はこの涙を止めることと、襲い来る頭痛をこらえることが先決だと感じていた。
●叔母からの報せ
叔母であるグリム領主代行からの連絡でブラッド・グリムゲーテの訃報と葬儀日程を知った王国騎士団長エリオット・ヴァレンタインは小さく息を吐いた。
自身がここのところ忙しくしていたこともあるが、ゲイルの死以降、自分を頼らなくなった従妹のことがずっと気がかりだった。あれからグリム領を巡る話については諜報員の報告を定期的に受けているが、手を差し伸べることすらできていない。
約1年で相次いだ大切な身内の死に、どれほど心細い思いでいるだろう。エリオットの中では、ユエルは未だ幼い頃の印象のまま。先の叙勲の際は随分その成長に驚かされたが、いつまでも「お兄様」と自らを慕ってくる愛らしい姿が焼きついている。
青年は随分頭を抱えていたが、やがて意を決したように立ち上がった。
●実は、今まで(字数の都合で)触れられなかったことがあるんです
小麦や小麦粉を主要な特産品とするグリム領において、市街地で最も多いのはベーカリー、ついでパティスリーだ。王国ではわりあい有名な話だが、グリム領は特産品を活かした製パン・製菓も非常に注目されている。
質の高い小麦と、地元の農場から採れる選りすぐりの卵や牛乳、そして乳製品。これだけ揃えば打たない手はないわけで、町興しの一環として、製パン・製菓など特産品を活かした事業には代々の領主が非常に積極的に援助施策を行ってきた。そういった背景から成った競合店ひしめくグリムの街のベーカリーは、いずれも個性的であり、人気店にもなればいつも領外からの客で賑わっている。
ともあれ、そんなグリムでは多くの家でパンや菓子を焼く習慣がある。以前グリム領に初めてハンターを招いた際、当時の領主であるゲイル・グリムゲーテ侯爵は、妻エレミアが焼いたシフォンケーキを最上級のもてなしとして振る舞ったそうだ。
シフォンケーキと言えば、一見してシンプルであるがゆえに華やかな洋菓子には負けてしまいがちであり、もてなしとしてもやや物足りない印象は否めない。だが、グリム領では話が異なる。
香り立つ小麦の上質な香りはとびきり優しく胸をみたし、口に含むと柔らかくとろけるように消えてゆく。素材の良さを堪能するのに、これほどの贅沢はない──そう言わしめる、極上のデザートだった。
家ごとに異なるレシピがあり、その日の気分で違うパティスリーのケーキを楽しむのもグリム観光の醍醐味だろう。
さて、ここはグリム領の領主本邸。
生まれ育った自室の天蓋つきベッドで目を覚ましたユエルは、起きぬけに目をこすりながら鼻を動かした。
「……いいにおい」
卵とバターと小麦粉と……焼ける香りは甘く優しく、懐かしい。
もう、“それ”をどれくらい食べていなかっただろう。
『菓子作りが趣味とはまた随分女の子らしい』
『将来武家を継ぐことになるなど想像もできませんな』
『男の子の……ああ、いや、次のお子さんのご予定は?』
これはまだ随分ぬるい方だが、数えきれないほど無数の針を幼い頃から刺されてきた。思い出すと足が竦むので意図して封印していたけれど。
頭を振りかぶる。頬を両手で叩いて「しっかりしなきゃ」と呪文のように呟きながら。
触れた頬が寝起きの熱を含んでいて、この間触れたばかりの祖父の冷たい頬を思い返しては、溜息が零れた。
朝食の時間。テーブルにつくのは、母エレミア、弟エイル、ユエル、そして……。
「おはよう、ユエル」
「おはようございます、伯父様」
正確には伯父と慕いづらい部分もあるが、父親の異母兄弟であるアークエルスの学者──ヴラド・バークレー。
彼は先日亡くなった祖父が認めた実子ということもあり、葬儀までの間はこの屋敷に滞在するという話を聞いている。食卓で皆と温和に会話を楽しんだ彼は、食事を終えてすぐ「やることがある」と寝泊まりしている客間に戻って行ったのだが、正直まだどう接すればよいものか、ユエルは良くわかっていない。
「ユエル、今日は貴女が大好きだったケーキを焼いたのよ」
朝食を終え、ぼんやりそんなことを考えていた時、不意にエレミアがそんなことを言った。
朝起きてすぐ、私室のベッドで感じたあの香りの正体だ。
「お母様、私はもう、そう言うのは……」
「貴女がこの家でだけ、甘いものを食べたがらないのは知ってるわ」
「……!」
思わず視線をそらす。知られていたことを、ひどく恥ずかしく思った。
「お爺様のことで随分気を落としているでしょう。たまには、いいんじゃないかしら」
ね? と、微笑む母の顔をまともに見ることができない。
「姉様、母様のケーキきらいなの?」
恐る恐る訊ねる声にハッと顔を上げると、エイルが随分悲しそうな顔をしていることに気付く。
弟の顔をじっくり見るのは、どれくらいぶりだろう。こんなに溺愛しているのにも関わらず、だ。
「そんな、ことは……」
「失礼します。お嬢様、エリオット様よりご連絡が」
「……はい、伺います」
『非常に厄介な仕事なんだが、お前以外に頼めるあてを知らなくてな』
「……私に、ですか?」
どき、と鼓動が大きく跳ねる。
自分を必要とされることは、彼女の人生においてほぼ皆無であった(と少女は感じている)からだ。
それを知ってか知らずか──元よりいい年して鈍感な性質は厄介なのだが──エリオットはこう続ける。
『すぐ王都へ来られるか。1日か2日間でいい』
「お任せ下さい。任務の内容は……」
『概要はこちらで話す。気をつけて来るんだ、無茶はするな』
優しい声が通信の向こうから聞こえ、そして途切れた。
お爺様は、ご自身の人生に納得して、笑って旅立たれた。
ならば、私も……今自分にできることで、この世界に役立ちたい。
それに、仕事をしていればきっと気も紛れる──そんな思いで、少女はグリム領を後にした。
リプレイ本文
●調理とは戦いである。
「はじめまして、ユエル。わたし、アーシェ(ka6089)。よろしく、ね」
「はい! 一緒に頑張りましょう」
ほんわかした挨拶が交わされたのも束の間。
その日、調理場のど真ん中でルカ(ka0962)は拳を握りしめていた。
「いいですか、皆さん」
本来控えめな彼女だが、今日そこに居たルカはいつもと違う様子に見える。
「これは戦いです!」
きり、と精一杯強い視線を送る先は、ユエルの後方に控える数人のグリム騎士。
──戦闘より料理とお菓子作りがキツイと言う事を思い知らせるのには丁度良いです。
そう言ってユエルに依頼し、彼らをここへ呼び寄せたのだ。
「今から作戦会議を行いますっ。手順を説明しますので、工程別に効率よく分担して進めていきましょう」
女性陣が頷く中で一人、文月 弥勒(ka0300)は「なんだか面倒なことになった」と髪をがしがし掻いていたところをユエルに小突かれた。
「仕方ねえだろ。いつも食う側の人間だったんだ」
溜息をつき、渋々応じるように口を開く弥勒。だが……
「ま、困ってるんなら……」
「さぁ、皆さん。まずはカカオ豆の焙煎に取り掛かりましょう!」
「150個……たくさん用意する」
「……えっ?」
おー! と、拳を突き上げる逞しい女性たちの傍で、弥勒は目を白黒させていた。
──カカオから作んの? マジで?
さすが異世界ファンタジー、やることが違うわ……。
バレンタイン戦争、いざ、開幕──である。
◇
「さて、いよいよカカオの焙煎ですね」
ヴァルナ=エリゴス(ka2651)が一番大きな窯を前に火の様子をみていると、指示を終えた騎士が次々と豆を運んでくる。全く良くわからないため言われるまま動く彼らを前に、ヴァルナは「うーん、そうですね」と頬に指をあてながら思案。
「とりあえず焙煎では少々深く炒った物も用意して、チョコの味に幅が出せるようにしましょう」
──騎士団には男性も多いですし、甘さ控え目なのもあった方が良いかな。
そう言って、騎士たちの喜ぶ顔を思い浮かべ、柔らかく微笑んだ。
漂ってくる独特の香りはまさしく魅惑的な“チョコレート”そのもの。
良い香りがすればテンションも上がるものだ。皆の士気が高まる中、ロースト第一陣が終了。
「次は分離……これまた随分根気が要りそうな」
調理場の黒板に書かれた工程(著:ルカ)を見ていたシルウィス・フェイカー(ka3492)に、ユエルも苦笑いを浮かべる。
「はい……ご面倒をおかけします」
「そんなこと。これでも楽しみにしているんですよ。普段からそれなりに料理をしているつもりですけど……お菓子は、あまりつくったことがないものですから」
「先生の料理! いつか、食べてみたいです」
「振る舞うほどの物かはわかりませんけど機会があれば。ですが、今回は色々ご教授頂くことになりそうですね」
テキパキと道具を選別し、まるでコクピットのように配置していく少女の手際をシルウィスは微笑ましく見守っていた。
分離作業では、調理場隣接の食堂テーブルで行われ、非常に細々とした地味な作業が続く。
「そういえばユエル様、その後はお変わりありませんか?」
余りに真剣な顔をしていたユエルを気遣ってか、シルウィスが少女に声をかけた。
「えっ、あの……、はい」
お世話になった先生に心配をかけまいとしただけではあるが、隠すのも良くないとユエルは頷いた。
「実は、先日祖父が……亡くなりました。天寿を全うして。すごく、良い顔をしていたのですが」
そこで、言葉が途切れる。
「お爺様の事、とても大切に思っていらしたんですね」
思いがけず、ユエルの目頭が熱くなる。どうしてか、最近涙もろいのだ。
声は震えてしまうだろうから、少女はシルウィスに何度も頷くことで気持ちを示すことにした。
──ありがとうございます、という思いを。
そうこうしているとあっという間に日が暮れる。
こうして、大量のカカオ豆が今では綺麗に湯煎を待つばかりに変身。
リアルブルーの文明とは異なりフードプロセッサーなどもなく、全て手作業によるものだ。
恐ろしくキメの細かい状態とまではどうしても難しい。
けれど、懸命にやった結果に残る多少の荒さこそが人の温かさや気持ちを感じられるというものだろう。
●二日目
昨日合間を縫って街に必要な材料を買いだしに行っていた弥勒が、騎士団に手伝いを頼んでずらりと並べてゆく。
「小麦粉、卵、砂糖、バター、それと……はい、揃ってます。ありがとうございます」
「別に、俺も必要なモン用意しに行ったついでだしな」
ヴァルナに答える弥勒は「そんなもの製菓にいります?」と思うような道具を袋に詰めている。
が、それは後述。
「ん。準備もばっちり……かな。じゃ、早速、はじめよ」
アーシェ(ka6089)の言葉を合図に、本日のチョコレート菓子づくりが開始された。
「温度、絶対に変化を見逃さないでもらえるかしら」
湯煎の場では、今日も松葉杖をついたブラウ(ka4809)が騎士たちに目を光らせている。
「カカオマスが含む油分は高い温度で熱すると溶け出してしまうのよ。そうなると、パサパサになって口どけも舌触りも最悪になるの」
「つまり?」
「チョコがまずかったら全部湯煎担当のせい、ってこと。解るわね?」
不敵に笑んだブラウの目は、1ミリも笑っていない。
心なしか目元に怪しい影が差したように見え、「間違ったら殺される」──そんな悪寒すら与えてくる。
「火の番、頼むわね。貴方達にしか頼めないの」
最後に小さく微笑んで、ブラウはよたよたと杖をつきながら、作業場へ向かって行った。
「あれ、弥勒さんは……?」
気付いたヴァルナが周囲を見渡すと、先ほどまで樽に大量のチョコを流し込んでいた弥勒の姿がない。
「さっき、エリオットといっしょに、樽を運んで行ったよ……」
隣でケーキ生地を混ぜていたアーシェがそう答える。
「運ぶ? どこへでしょう?」
当然のルカの疑問に、ユエルが溜息を吐いた。
「……王城の氷室です」
「「「「えっ!」」」」
「『男の俺が、男に一番喜ばれるチョコを作れるに決まってるだろ?』なんて良くわからない啖呵で、お兄様が馬鹿正直に感銘を受けてしまって……」
あぁ、なるほどな──騎士団長を知る女子達から複雑な溜息が洩れた。
「気付いたら、女の子ばっかり……だね」
周囲の女子を見渡してアーシェがほくほくとした顔で笑う。
「たまには、こういうのもいいですよね」
「ん。お菓子作り、わたし、好きだし」
シルウィスの言葉にアーシェも楽しそうにこくこくと頷く。
そこへ、やってきたブラウが痛む体を休ませるように食堂の椅子に腰をかけた。
「そうね、私はよくクッキーを焼くわ。作りすぎちゃう事が多いけれど」
「私は、しっとりどっしりビターなガトーショコラが好きです」
「ふふ、皆で素敵なチョコレートを作りませんとね」
「さぁ、あとは焼くだけ。窯に持っていきましょう!」
「「「おー!」」」
クッキーやケーキの焼き上がりを待ち、皆思い思いのデコレーションやコーティングを行うと、最後にとびきりのラッピングを施して完成と相成った。
●いざ、贈呈!
◇シルウィスのバレンタイン
「そういえば。ユエル様は、どなたかにチョコを贈るのでしょうか?」
調理中、ふとした一言にユエルが肩をびくつかせた。
「いえ、私は……」
怖気るような表情が気になり、シルウィスは少女の強張る肩に優しく触れる。
「バレンタインは大切な方に日頃の感謝を伝える日なのだとか。せっかくですから、想いを込めた贈り物を用意してみては……?」
微笑むシルウィスの目尻がいつもより尚優しく見えて、次第に胸が暖かくなってゆく。
「先生、私……」
短い沈黙。そして
「お手伝い、して頂けませんか?」
その申し出に、シルウィスは一も二もなく楽しげに応じた。
「もちろんですよ、ユエル先生?」
やがて完成した“それ”を、ユエルは一番最初にシルウィスへと差し出した。
とても照れくさそうに。
「はい、先生に」
「私も一緒に作ったんですけどね?」
「それは、云わない約束です……」
精一杯の感謝を、ユエルオリジナルのシフォンケーキにたっぷりと込めて。
◇アーシェのバレンタイン
騎士団調理場には騎士の行列ができていた。
先頭では、小さな女の子がスープ用レードルで大鍋から甘い雫をひと救い。
「はい。……温まる、よ」
騎士が持つカップへ注ぐと、にこりと愛らしい笑みを浮かべる。
「ありがとう、嬢ちゃん」
「こんな洒落たもの、飲んだことねえや」
チョコに新鮮なミルク、隠し味にはオレンジジャムをたっぷりと。
漂う香りが胸を満たし、騎士は各々食堂へ向かっていく。そこには、ハンターたちが作ったチョコケーキやクッキー、チョコディップされた色とりどりのフルーツが並んでいる。
やがて行列を捌ききったアーシェが賑わう食堂で振る舞った菓子の感想を聞いていけば、
「俺、生きてて良かった……」
などと、感極まって目を潤ませる恵まれない騎士も出てくる始末だ。
こんなに可愛い女の子にそこまでして貰って嬉しくないやつは男じゃない。
だけど……
「でも……ばれんたいん、チョコを贈るのはなんで? ギリって何?」
小首を傾げてそう言われると、ちょっぴり涙も出てくるものだ。
だって、男の子だもん。
◇弥勒のバレンタイン
「……どうするんですか、これ……」
完成の一報を受け、エリオットと共に城に召喚されたユエルは開口一番溜息を吐いた。
「“これ”じゃねえ。等身大システィーナ・グラハム像(チョコ)だ」
日がな一日チョコを削っていた弥勒はこんなシロモノを生みだしてしまっていた。
「20×30×50……なるほど、確かに」
「厚みまでそっくりだろ?」
「二人とも、いい加減にしてください!」
だが、会心の出来に感動した騎士団長の手によってそれは謁見の間へと運ばれてしまった。
怒り疲れたのだろう。ユエルはがくりと肩を落としたのだった。
セドリック大司教が完成品にくつくつ笑う横で、顔を真っ赤にした等身大システィーナ・グラハム(本人)が立ち上がる。
「こっ……! こんなにこんなじゃないで……っ」
「こんな?」
首を傾げる弥勒に気付いて、慌てて王女は取り繕う。
「い、いえ。……“チョコが少し足りなかった”みたいですね」
「いや? 十分たりてるぜ」
ひ、ひどい……。
胸のあたりに視線をやって、王女がしょんぼりするものの。
「ふふ、ともあれ……ありがとうございます」
「しばし本部に飾って頂くとしましょう。文月弥勒、素晴らしい品に感謝する」
一足先にそれを抱えて城を出た騎士団長を追うように、弥勒とユエルは本部へ向かう。
「あー、満足した」
「そりゃそうだと思いますよ……」
「んだよ、皆褒めてたろ? けどま、疲れたな。チョコ食いたい」
まだ余ってたっけ?
訊ねる弥勒に口を噤んでいたユエルが、ややあって小さな包み紙をとりだした。
「シフォンケーキ、差し上げます」
「……前にお前ん家で食ったっけな」
美味かったよな、と言って弥勒は茶化すでもなく受け取る。
「母には負けますけど、悪くないと思いますよ」
「そか。……ヴァレンタインに聞いたぜ。昨日からみんな喜んでた、ってさ」
ハンターの皆さんのおかげ──心底から首を横に振るユエルに、弥勒は重ねて言った。
「お前のおかげだ」
包み紙を開けると、少年はカットケーキを手掴みで頬張り始める。
日暮れの王都に二つの影が長く伸びていた。
◇ヴァルナのバレンタイン
王城から帰還したエリオットが食堂に顔を出すと、状況説明も兼ねてヴァルナが出迎えた。
「随分賑わっているな」
「はい。沢山の方にチョコレートを喜んで頂けたと思いますよ」
活気に満ちた食堂。
騎士たちの楽しそうな笑い声を聞き、嬉しそうな笑顔を見渡す彼の表情が随分柔らかい事に気付く。
「……エリオット様、これ、よろしければ」
その言葉に気付いてヴァルナに視線を落とすと、差し出されているものがあった。
「ザッハトルテです。甘さは控えめですから、宜しければ召し上がってください」
──ユエルさんにも用意したので、後で差し上げたいなと。
微笑むヴァルナに、エリオットが少し表情を崩した。
「いつもすまないな。ありがたく、頂こう」
そう言って、ラッピングされたそれをしっかりと受け取る。
「とんでもありません。今後もよろしくお願いいたしますね」
「こちらこそ、頼りにしている」
◇ルカのバレンタイン
食堂が一段落した頃、ルカはエリオットの執務室へ顔を出していた。
「今日は皆さんのお菓子もありますし、これは後日また召し上がって頂ければ……」
少女が差し出したのは別途作成した一口サイズのチョコレートセット。
「気を遣わせたな。ありがとう、確かに頂く」
ルカはしばし青年の顔を見上げていたが、どこか浮かない顔に見えたのだろうか。
「あの、号外記事……読みました」
突然の言葉に驚いていたエリオットだが、
「エリオットさんが“友人”を信じるのなら、私も信じます。……それが、正しいとは限らなくても」
なんとなく、言わんとした事を理解したのだろう。
「ルカ。正否なんて、結果論だと思わないか」
少女の目に、男はどこか苦みを抱えているように見える。それが少女自身にも苦しく思えてしまうのだろう。
「だから、“今は信じて進むしかない”と……そう、思われるのですね」
「ああ」
「……貴方らしいと、思います」
◇ブラウのバレンタイン
「……エリオットさんに、ちゃんとしたクッキー渡したかったな……」
周りのハンターが片づけに専念する中、ブラウはぽつんと食堂にいた。可能な協力はしているが、少女は今酷い傷を負っていて思うようには動けないのだ。そんなところに、エリオットが現れた。
「そろそろ片付けも終わりか?」
ブラウは彼に視線を重ねることができず、つい顔をそむけてしまう。
無性に悲しい気持ちがじわじわと小さな胸を侵食してきて、どうにも堪えようがない。
「随分しょぼくれた顔をしているな」
「だって、わたし……」
成長したと思っていたのに──呟くブラウに、なぜかエリオットは小さく笑った。
「限界を自分で線引くな。お前は確かに成長した。それでも、まだ足りないならもっと成長すればいい」
──できなかったと言うには、随分早い気がするが。
青年は少女の頭をぽんと一度だけ叩くと、奥の調理場のハンターへと声をかけに向かう。
その背を、ただただ見守るしかなかった。
「……悔しい、悔しい……!」
小さな涙が一滴。けれどすぐ、少女は目元をごしごし拭って立ち上がる。
その目からは、もう弱気の虫は消えていた。
「絶対、立ち止まってなんかやらないわ。強くなってみせる……」
いつか、隣で戦えるように。
──こうして、王国騎士団のバレンタインは無事終わりを迎えたのだった。
「はじめまして、ユエル。わたし、アーシェ(ka6089)。よろしく、ね」
「はい! 一緒に頑張りましょう」
ほんわかした挨拶が交わされたのも束の間。
その日、調理場のど真ん中でルカ(ka0962)は拳を握りしめていた。
「いいですか、皆さん」
本来控えめな彼女だが、今日そこに居たルカはいつもと違う様子に見える。
「これは戦いです!」
きり、と精一杯強い視線を送る先は、ユエルの後方に控える数人のグリム騎士。
──戦闘より料理とお菓子作りがキツイと言う事を思い知らせるのには丁度良いです。
そう言ってユエルに依頼し、彼らをここへ呼び寄せたのだ。
「今から作戦会議を行いますっ。手順を説明しますので、工程別に効率よく分担して進めていきましょう」
女性陣が頷く中で一人、文月 弥勒(ka0300)は「なんだか面倒なことになった」と髪をがしがし掻いていたところをユエルに小突かれた。
「仕方ねえだろ。いつも食う側の人間だったんだ」
溜息をつき、渋々応じるように口を開く弥勒。だが……
「ま、困ってるんなら……」
「さぁ、皆さん。まずはカカオ豆の焙煎に取り掛かりましょう!」
「150個……たくさん用意する」
「……えっ?」
おー! と、拳を突き上げる逞しい女性たちの傍で、弥勒は目を白黒させていた。
──カカオから作んの? マジで?
さすが異世界ファンタジー、やることが違うわ……。
バレンタイン戦争、いざ、開幕──である。
◇
「さて、いよいよカカオの焙煎ですね」
ヴァルナ=エリゴス(ka2651)が一番大きな窯を前に火の様子をみていると、指示を終えた騎士が次々と豆を運んでくる。全く良くわからないため言われるまま動く彼らを前に、ヴァルナは「うーん、そうですね」と頬に指をあてながら思案。
「とりあえず焙煎では少々深く炒った物も用意して、チョコの味に幅が出せるようにしましょう」
──騎士団には男性も多いですし、甘さ控え目なのもあった方が良いかな。
そう言って、騎士たちの喜ぶ顔を思い浮かべ、柔らかく微笑んだ。
漂ってくる独特の香りはまさしく魅惑的な“チョコレート”そのもの。
良い香りがすればテンションも上がるものだ。皆の士気が高まる中、ロースト第一陣が終了。
「次は分離……これまた随分根気が要りそうな」
調理場の黒板に書かれた工程(著:ルカ)を見ていたシルウィス・フェイカー(ka3492)に、ユエルも苦笑いを浮かべる。
「はい……ご面倒をおかけします」
「そんなこと。これでも楽しみにしているんですよ。普段からそれなりに料理をしているつもりですけど……お菓子は、あまりつくったことがないものですから」
「先生の料理! いつか、食べてみたいです」
「振る舞うほどの物かはわかりませんけど機会があれば。ですが、今回は色々ご教授頂くことになりそうですね」
テキパキと道具を選別し、まるでコクピットのように配置していく少女の手際をシルウィスは微笑ましく見守っていた。
分離作業では、調理場隣接の食堂テーブルで行われ、非常に細々とした地味な作業が続く。
「そういえばユエル様、その後はお変わりありませんか?」
余りに真剣な顔をしていたユエルを気遣ってか、シルウィスが少女に声をかけた。
「えっ、あの……、はい」
お世話になった先生に心配をかけまいとしただけではあるが、隠すのも良くないとユエルは頷いた。
「実は、先日祖父が……亡くなりました。天寿を全うして。すごく、良い顔をしていたのですが」
そこで、言葉が途切れる。
「お爺様の事、とても大切に思っていらしたんですね」
思いがけず、ユエルの目頭が熱くなる。どうしてか、最近涙もろいのだ。
声は震えてしまうだろうから、少女はシルウィスに何度も頷くことで気持ちを示すことにした。
──ありがとうございます、という思いを。
そうこうしているとあっという間に日が暮れる。
こうして、大量のカカオ豆が今では綺麗に湯煎を待つばかりに変身。
リアルブルーの文明とは異なりフードプロセッサーなどもなく、全て手作業によるものだ。
恐ろしくキメの細かい状態とまではどうしても難しい。
けれど、懸命にやった結果に残る多少の荒さこそが人の温かさや気持ちを感じられるというものだろう。
●二日目
昨日合間を縫って街に必要な材料を買いだしに行っていた弥勒が、騎士団に手伝いを頼んでずらりと並べてゆく。
「小麦粉、卵、砂糖、バター、それと……はい、揃ってます。ありがとうございます」
「別に、俺も必要なモン用意しに行ったついでだしな」
ヴァルナに答える弥勒は「そんなもの製菓にいります?」と思うような道具を袋に詰めている。
が、それは後述。
「ん。準備もばっちり……かな。じゃ、早速、はじめよ」
アーシェ(ka6089)の言葉を合図に、本日のチョコレート菓子づくりが開始された。
「温度、絶対に変化を見逃さないでもらえるかしら」
湯煎の場では、今日も松葉杖をついたブラウ(ka4809)が騎士たちに目を光らせている。
「カカオマスが含む油分は高い温度で熱すると溶け出してしまうのよ。そうなると、パサパサになって口どけも舌触りも最悪になるの」
「つまり?」
「チョコがまずかったら全部湯煎担当のせい、ってこと。解るわね?」
不敵に笑んだブラウの目は、1ミリも笑っていない。
心なしか目元に怪しい影が差したように見え、「間違ったら殺される」──そんな悪寒すら与えてくる。
「火の番、頼むわね。貴方達にしか頼めないの」
最後に小さく微笑んで、ブラウはよたよたと杖をつきながら、作業場へ向かって行った。
「あれ、弥勒さんは……?」
気付いたヴァルナが周囲を見渡すと、先ほどまで樽に大量のチョコを流し込んでいた弥勒の姿がない。
「さっき、エリオットといっしょに、樽を運んで行ったよ……」
隣でケーキ生地を混ぜていたアーシェがそう答える。
「運ぶ? どこへでしょう?」
当然のルカの疑問に、ユエルが溜息を吐いた。
「……王城の氷室です」
「「「「えっ!」」」」
「『男の俺が、男に一番喜ばれるチョコを作れるに決まってるだろ?』なんて良くわからない啖呵で、お兄様が馬鹿正直に感銘を受けてしまって……」
あぁ、なるほどな──騎士団長を知る女子達から複雑な溜息が洩れた。
「気付いたら、女の子ばっかり……だね」
周囲の女子を見渡してアーシェがほくほくとした顔で笑う。
「たまには、こういうのもいいですよね」
「ん。お菓子作り、わたし、好きだし」
シルウィスの言葉にアーシェも楽しそうにこくこくと頷く。
そこへ、やってきたブラウが痛む体を休ませるように食堂の椅子に腰をかけた。
「そうね、私はよくクッキーを焼くわ。作りすぎちゃう事が多いけれど」
「私は、しっとりどっしりビターなガトーショコラが好きです」
「ふふ、皆で素敵なチョコレートを作りませんとね」
「さぁ、あとは焼くだけ。窯に持っていきましょう!」
「「「おー!」」」
クッキーやケーキの焼き上がりを待ち、皆思い思いのデコレーションやコーティングを行うと、最後にとびきりのラッピングを施して完成と相成った。
●いざ、贈呈!
◇シルウィスのバレンタイン
「そういえば。ユエル様は、どなたかにチョコを贈るのでしょうか?」
調理中、ふとした一言にユエルが肩をびくつかせた。
「いえ、私は……」
怖気るような表情が気になり、シルウィスは少女の強張る肩に優しく触れる。
「バレンタインは大切な方に日頃の感謝を伝える日なのだとか。せっかくですから、想いを込めた贈り物を用意してみては……?」
微笑むシルウィスの目尻がいつもより尚優しく見えて、次第に胸が暖かくなってゆく。
「先生、私……」
短い沈黙。そして
「お手伝い、して頂けませんか?」
その申し出に、シルウィスは一も二もなく楽しげに応じた。
「もちろんですよ、ユエル先生?」
やがて完成した“それ”を、ユエルは一番最初にシルウィスへと差し出した。
とても照れくさそうに。
「はい、先生に」
「私も一緒に作ったんですけどね?」
「それは、云わない約束です……」
精一杯の感謝を、ユエルオリジナルのシフォンケーキにたっぷりと込めて。
◇アーシェのバレンタイン
騎士団調理場には騎士の行列ができていた。
先頭では、小さな女の子がスープ用レードルで大鍋から甘い雫をひと救い。
「はい。……温まる、よ」
騎士が持つカップへ注ぐと、にこりと愛らしい笑みを浮かべる。
「ありがとう、嬢ちゃん」
「こんな洒落たもの、飲んだことねえや」
チョコに新鮮なミルク、隠し味にはオレンジジャムをたっぷりと。
漂う香りが胸を満たし、騎士は各々食堂へ向かっていく。そこには、ハンターたちが作ったチョコケーキやクッキー、チョコディップされた色とりどりのフルーツが並んでいる。
やがて行列を捌ききったアーシェが賑わう食堂で振る舞った菓子の感想を聞いていけば、
「俺、生きてて良かった……」
などと、感極まって目を潤ませる恵まれない騎士も出てくる始末だ。
こんなに可愛い女の子にそこまでして貰って嬉しくないやつは男じゃない。
だけど……
「でも……ばれんたいん、チョコを贈るのはなんで? ギリって何?」
小首を傾げてそう言われると、ちょっぴり涙も出てくるものだ。
だって、男の子だもん。
◇弥勒のバレンタイン
「……どうするんですか、これ……」
完成の一報を受け、エリオットと共に城に召喚されたユエルは開口一番溜息を吐いた。
「“これ”じゃねえ。等身大システィーナ・グラハム像(チョコ)だ」
日がな一日チョコを削っていた弥勒はこんなシロモノを生みだしてしまっていた。
「20×30×50……なるほど、確かに」
「厚みまでそっくりだろ?」
「二人とも、いい加減にしてください!」
だが、会心の出来に感動した騎士団長の手によってそれは謁見の間へと運ばれてしまった。
怒り疲れたのだろう。ユエルはがくりと肩を落としたのだった。
セドリック大司教が完成品にくつくつ笑う横で、顔を真っ赤にした等身大システィーナ・グラハム(本人)が立ち上がる。
「こっ……! こんなにこんなじゃないで……っ」
「こんな?」
首を傾げる弥勒に気付いて、慌てて王女は取り繕う。
「い、いえ。……“チョコが少し足りなかった”みたいですね」
「いや? 十分たりてるぜ」
ひ、ひどい……。
胸のあたりに視線をやって、王女がしょんぼりするものの。
「ふふ、ともあれ……ありがとうございます」
「しばし本部に飾って頂くとしましょう。文月弥勒、素晴らしい品に感謝する」
一足先にそれを抱えて城を出た騎士団長を追うように、弥勒とユエルは本部へ向かう。
「あー、満足した」
「そりゃそうだと思いますよ……」
「んだよ、皆褒めてたろ? けどま、疲れたな。チョコ食いたい」
まだ余ってたっけ?
訊ねる弥勒に口を噤んでいたユエルが、ややあって小さな包み紙をとりだした。
「シフォンケーキ、差し上げます」
「……前にお前ん家で食ったっけな」
美味かったよな、と言って弥勒は茶化すでもなく受け取る。
「母には負けますけど、悪くないと思いますよ」
「そか。……ヴァレンタインに聞いたぜ。昨日からみんな喜んでた、ってさ」
ハンターの皆さんのおかげ──心底から首を横に振るユエルに、弥勒は重ねて言った。
「お前のおかげだ」
包み紙を開けると、少年はカットケーキを手掴みで頬張り始める。
日暮れの王都に二つの影が長く伸びていた。
◇ヴァルナのバレンタイン
王城から帰還したエリオットが食堂に顔を出すと、状況説明も兼ねてヴァルナが出迎えた。
「随分賑わっているな」
「はい。沢山の方にチョコレートを喜んで頂けたと思いますよ」
活気に満ちた食堂。
騎士たちの楽しそうな笑い声を聞き、嬉しそうな笑顔を見渡す彼の表情が随分柔らかい事に気付く。
「……エリオット様、これ、よろしければ」
その言葉に気付いてヴァルナに視線を落とすと、差し出されているものがあった。
「ザッハトルテです。甘さは控えめですから、宜しければ召し上がってください」
──ユエルさんにも用意したので、後で差し上げたいなと。
微笑むヴァルナに、エリオットが少し表情を崩した。
「いつもすまないな。ありがたく、頂こう」
そう言って、ラッピングされたそれをしっかりと受け取る。
「とんでもありません。今後もよろしくお願いいたしますね」
「こちらこそ、頼りにしている」
◇ルカのバレンタイン
食堂が一段落した頃、ルカはエリオットの執務室へ顔を出していた。
「今日は皆さんのお菓子もありますし、これは後日また召し上がって頂ければ……」
少女が差し出したのは別途作成した一口サイズのチョコレートセット。
「気を遣わせたな。ありがとう、確かに頂く」
ルカはしばし青年の顔を見上げていたが、どこか浮かない顔に見えたのだろうか。
「あの、号外記事……読みました」
突然の言葉に驚いていたエリオットだが、
「エリオットさんが“友人”を信じるのなら、私も信じます。……それが、正しいとは限らなくても」
なんとなく、言わんとした事を理解したのだろう。
「ルカ。正否なんて、結果論だと思わないか」
少女の目に、男はどこか苦みを抱えているように見える。それが少女自身にも苦しく思えてしまうのだろう。
「だから、“今は信じて進むしかない”と……そう、思われるのですね」
「ああ」
「……貴方らしいと、思います」
◇ブラウのバレンタイン
「……エリオットさんに、ちゃんとしたクッキー渡したかったな……」
周りのハンターが片づけに専念する中、ブラウはぽつんと食堂にいた。可能な協力はしているが、少女は今酷い傷を負っていて思うようには動けないのだ。そんなところに、エリオットが現れた。
「そろそろ片付けも終わりか?」
ブラウは彼に視線を重ねることができず、つい顔をそむけてしまう。
無性に悲しい気持ちがじわじわと小さな胸を侵食してきて、どうにも堪えようがない。
「随分しょぼくれた顔をしているな」
「だって、わたし……」
成長したと思っていたのに──呟くブラウに、なぜかエリオットは小さく笑った。
「限界を自分で線引くな。お前は確かに成長した。それでも、まだ足りないならもっと成長すればいい」
──できなかったと言うには、随分早い気がするが。
青年は少女の頭をぽんと一度だけ叩くと、奥の調理場のハンターへと声をかけに向かう。
その背を、ただただ見守るしかなかった。
「……悔しい、悔しい……!」
小さな涙が一滴。けれどすぐ、少女は目元をごしごし拭って立ち上がる。
その目からは、もう弱気の虫は消えていた。
「絶対、立ち止まってなんかやらないわ。強くなってみせる……」
いつか、隣で戦えるように。
──こうして、王国騎士団のバレンタインは無事終わりを迎えたのだった。
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質問用 シルウィス・フェイカー(ka3492) 人間(クリムゾンウェスト)|28才|女性|猟撃士(イェーガー) |
最終発言 2016/02/11 01:01:48 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2016/02/08 00:55:32 |
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お菓子を作りましょう ブラウ(ka4809) ドワーフ|11才|女性|舞刀士(ソードダンサー) |
最終発言 2016/02/12 18:55:25 |