ゲスト
(ka0000)
光のゆくさきへ
マスター:藤山なないろ
このシナリオは5日間納期が延長されています。
オープニング
「エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)。本日付で王国騎士団長の職位を剥奪します」
この物語は、王女システィーナ・グラハム(kz0020)の言葉から幕を開けることとなった。
●騎士団長の責
「お願いですから、いい加減お休みになって下さい」
部下のフィアが、珍しく俺に食い下がっていた。
「そんなことはいい。それより、七街区の状況は」
「ちっともよくありません。このままじゃ、エリオット様……」
日頃毅然とした態度で男社会を戦う彼女の表情はまるで彼女らしくなく、今にも崩れてしまいそうな脆さを伺わせる。正直なところ──今の俺には、それが、酷く辛かった。
「……フィア、あまり俺を困らせないでくれ」
「ッ……!」
俺は、彼女にかける言葉の一切を持ってはいなかった。
「……ご報告、申し上げます。被害が甚大な第七街区西門を起点とし、騎士団並びに戦士団、そして一部貴族私兵の協力により復旧作業が順当に開始されたとのことです」
あの戦いにおいて、王国直下の騎士団と、教会直下の戦士団、そして王国貴族らの私兵団が王都を守るべく展開されていた。彼らは先の黒大公襲撃の際と比して格段に良い動きを見せていた。それは民間人被害者の数に直結していたことからもよくわかる。つまり、過去の反省が十全に活かされていた、ということだ。
王国はあの時のままじゃない。確実に前に進み、成長を遂げていたことの証だろう。
今の王国ならば、あれを撃ち滅ぼすことも夢ではない。
──そう考えていたのは、俺だけだったのかもしれないが。
王国に迫る圧倒的な脅威。
それを討ち払う起死回生の一手──それが、王国が千年の長きに渡り守り継いできた秘術“法術陣”だった。
『お前の判断を、国が、教会が、許すとは思えんぞ。それでもお前は“この作戦”を執るのだな』
そんな言葉を押し切ってまで、俺は実行に踏み切った。
法術陣は、計画通りに発動。
配下連中を消し飛ばし、メフィスト自身をも強力に抑え込み、その力を大きく制限することに成功していた。
だからこそ討伐できる芽があった。及ばずとも、深手を負わせることは出来る……そんな確信があった。
なにせ成長した王国連合軍とハンターが迎え撃ち、さらに苦渋の決断で身を切って“王国の千年の軌跡”を行使し、敵軍を抑え込む強力な術を仕掛けたのだ──勝算は、あるはずだと。
だが、甘かった。
事後になって、ある者はこう言った。
『お前はハンターに期待をかけすぎた。それが彼らには重過ぎたのだ』と。
だが、それは違う。
──これは紛れもなく、俺自身の傲慢が招いた結末だ。
●職位剥奪
他組織との連携協議を終え、王都復興への道筋を固めるまで然程時間はかからなかった。
此度の被害が先の大戦に比して軽微だったこともあるが、エリオットが休む間もなく山積みの課題に取り組み続けたことも理由に挙げられるだろう。尋常ならざる速度で地固めが成立。今後の動きに一定のめどがついたところで騎士団長は漸く王城へ参じることとなった。
「教会の秘蹟を用いてなお、貴様は敗北したのだぞ、エリオット・ヴァレンタイン!!」
王城、円卓の間で待ち受けていたのは当然の叱責だった。
「千年だ! 千年の、教会の──王国の民の軌跡を! 先王の死ですらも、貴様は無に帰したということだ!」
大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)の責めが収まることはない。
傍には王女システィーナが控えているが、沈痛な面持ちで様子を見守るばかりだ。
長が腹をくくり旗を振った以上、作戦失敗の責は、咎めは、長に集中して然るべきもの。
それを、王女は“痛いほど”理解している。
これまでの戦いを経て、騎士団が、戦士団が、貴族私兵が、そして国民が長じているように、彼女もまた成長している。だからこそ、目の前の男が背負うものの正体を正しく感じることができたのだろう。
「──エリオット・ヴァレンタイン騎士団長」
王女の声に胸に手を当て、応じる青年の瞳には疲労こそあれ陰りはない。
宿る光が『我々の王国は、まだ終わってなどいない』という明白に過ぎる事実を照らしている。
失敗は、連綿と続くこの国の歴史の、その一つの分岐点であっただけ。
これから先どんな道を迎えようとも、“歩み続ける”ことができれば、真の敗北は訪れやしない。
だからこそ、こうして今も足掻き続けているのだ。
聞くところによれば、あの敗北の瞬間からずっと、青年は国の為に身を尽くし続けているという。
「グラズヘイム王国、王女システィーナ・グラハムの名において命じます」
静まり返る円卓。立ち上がった少女は凛とした声を広間に響かせた。
「エリオット・ヴァレンタイン。本日付で王国騎士団長の職位を剥奪します」
●“雲”隠れの間に
『戦場ならいざ知らず、何もできない姫ではありません。これは一時的な措置ですが、どうか、短い間だけでも“貴方自身のため”、時間をとって下さい』
前に進むために──殿下は、敢えて微笑んで見せてくださった。
財務やその他膨大な処理を、可能な限り国が引き上げると言って。
笑うべき時でないと理解しながら、恐らくは、俺を気遣って。
王城の自室前に立ってしばし、煩悶していた俺はある事実に気付く。
──扉が、開いている。
侍女ならこんなことはしない。
侵入者の気配を悟った瞬間、体が動いていた。
身を低く突入。一瞬で距離を詰め、捉えた室内の影に剣を向ける──が、そこに居たのは。
「やあ、エリー! ……どうしたの、怖い顔してさ」
予感はしていた。“俺に接触してくるだろう”と、何の確証もない予感が。
「きみを待ってたよ。ここじゃなんだから外に出ない? 第一街区の裏路地にいい店があるんだ」
「……気分じゃない」
「なんだい、女の子みたいなこと言って。慰めてほしい、とか?」
「ふざけるな、叩き出すぞ」
冗談みたいな男を相手に凄んで睨み付けるなど、まるで意味のない行為だったとすぐ知れた。
食事の後、ヘクス・シャルシェレット(kz0015)の言うがままエリオットはある場所を訪れていた。
そこは、最も被害が大きい第七街区西部。荒廃した城壁に、こびりついた血液。
瓦礫は徐々に撤去されていたが、起きた事実が消えることはない。
「作戦は、王国連合軍の圧倒的敗北を以て失敗。……指揮したのは、きみだったね」
瓦礫に腰を下ろし、ヘクスが俺を見上げている。
雲一つない夜だった。月明かりが無遠慮に事実を照らし出してくる。
「及ばなかったのは、天か、地か──“人”か」
だが、月光の中にあってもヘクスの表情は伺えなかった。
「ほんとは解ってるんだろう、エリー?」
含まれた真意がどうであれ、俺は問わずにいられなかった。
「ヘクス、今お前が見ている景色は……“俺と同じ”はずだと、思っていてもいいのか」
切願めいた問いに、ヘクスはただ笑っていた。
この物語は、王女システィーナ・グラハム(kz0020)の言葉から幕を開けることとなった。
●騎士団長の責
「お願いですから、いい加減お休みになって下さい」
部下のフィアが、珍しく俺に食い下がっていた。
「そんなことはいい。それより、七街区の状況は」
「ちっともよくありません。このままじゃ、エリオット様……」
日頃毅然とした態度で男社会を戦う彼女の表情はまるで彼女らしくなく、今にも崩れてしまいそうな脆さを伺わせる。正直なところ──今の俺には、それが、酷く辛かった。
「……フィア、あまり俺を困らせないでくれ」
「ッ……!」
俺は、彼女にかける言葉の一切を持ってはいなかった。
「……ご報告、申し上げます。被害が甚大な第七街区西門を起点とし、騎士団並びに戦士団、そして一部貴族私兵の協力により復旧作業が順当に開始されたとのことです」
あの戦いにおいて、王国直下の騎士団と、教会直下の戦士団、そして王国貴族らの私兵団が王都を守るべく展開されていた。彼らは先の黒大公襲撃の際と比して格段に良い動きを見せていた。それは民間人被害者の数に直結していたことからもよくわかる。つまり、過去の反省が十全に活かされていた、ということだ。
王国はあの時のままじゃない。確実に前に進み、成長を遂げていたことの証だろう。
今の王国ならば、あれを撃ち滅ぼすことも夢ではない。
──そう考えていたのは、俺だけだったのかもしれないが。
王国に迫る圧倒的な脅威。
それを討ち払う起死回生の一手──それが、王国が千年の長きに渡り守り継いできた秘術“法術陣”だった。
『お前の判断を、国が、教会が、許すとは思えんぞ。それでもお前は“この作戦”を執るのだな』
そんな言葉を押し切ってまで、俺は実行に踏み切った。
法術陣は、計画通りに発動。
配下連中を消し飛ばし、メフィスト自身をも強力に抑え込み、その力を大きく制限することに成功していた。
だからこそ討伐できる芽があった。及ばずとも、深手を負わせることは出来る……そんな確信があった。
なにせ成長した王国連合軍とハンターが迎え撃ち、さらに苦渋の決断で身を切って“王国の千年の軌跡”を行使し、敵軍を抑え込む強力な術を仕掛けたのだ──勝算は、あるはずだと。
だが、甘かった。
事後になって、ある者はこう言った。
『お前はハンターに期待をかけすぎた。それが彼らには重過ぎたのだ』と。
だが、それは違う。
──これは紛れもなく、俺自身の傲慢が招いた結末だ。
●職位剥奪
他組織との連携協議を終え、王都復興への道筋を固めるまで然程時間はかからなかった。
此度の被害が先の大戦に比して軽微だったこともあるが、エリオットが休む間もなく山積みの課題に取り組み続けたことも理由に挙げられるだろう。尋常ならざる速度で地固めが成立。今後の動きに一定のめどがついたところで騎士団長は漸く王城へ参じることとなった。
「教会の秘蹟を用いてなお、貴様は敗北したのだぞ、エリオット・ヴァレンタイン!!」
王城、円卓の間で待ち受けていたのは当然の叱責だった。
「千年だ! 千年の、教会の──王国の民の軌跡を! 先王の死ですらも、貴様は無に帰したということだ!」
大司教セドリック・マクファーソン(kz0026)の責めが収まることはない。
傍には王女システィーナが控えているが、沈痛な面持ちで様子を見守るばかりだ。
長が腹をくくり旗を振った以上、作戦失敗の責は、咎めは、長に集中して然るべきもの。
それを、王女は“痛いほど”理解している。
これまでの戦いを経て、騎士団が、戦士団が、貴族私兵が、そして国民が長じているように、彼女もまた成長している。だからこそ、目の前の男が背負うものの正体を正しく感じることができたのだろう。
「──エリオット・ヴァレンタイン騎士団長」
王女の声に胸に手を当て、応じる青年の瞳には疲労こそあれ陰りはない。
宿る光が『我々の王国は、まだ終わってなどいない』という明白に過ぎる事実を照らしている。
失敗は、連綿と続くこの国の歴史の、その一つの分岐点であっただけ。
これから先どんな道を迎えようとも、“歩み続ける”ことができれば、真の敗北は訪れやしない。
だからこそ、こうして今も足掻き続けているのだ。
聞くところによれば、あの敗北の瞬間からずっと、青年は国の為に身を尽くし続けているという。
「グラズヘイム王国、王女システィーナ・グラハムの名において命じます」
静まり返る円卓。立ち上がった少女は凛とした声を広間に響かせた。
「エリオット・ヴァレンタイン。本日付で王国騎士団長の職位を剥奪します」
●“雲”隠れの間に
『戦場ならいざ知らず、何もできない姫ではありません。これは一時的な措置ですが、どうか、短い間だけでも“貴方自身のため”、時間をとって下さい』
前に進むために──殿下は、敢えて微笑んで見せてくださった。
財務やその他膨大な処理を、可能な限り国が引き上げると言って。
笑うべき時でないと理解しながら、恐らくは、俺を気遣って。
王城の自室前に立ってしばし、煩悶していた俺はある事実に気付く。
──扉が、開いている。
侍女ならこんなことはしない。
侵入者の気配を悟った瞬間、体が動いていた。
身を低く突入。一瞬で距離を詰め、捉えた室内の影に剣を向ける──が、そこに居たのは。
「やあ、エリー! ……どうしたの、怖い顔してさ」
予感はしていた。“俺に接触してくるだろう”と、何の確証もない予感が。
「きみを待ってたよ。ここじゃなんだから外に出ない? 第一街区の裏路地にいい店があるんだ」
「……気分じゃない」
「なんだい、女の子みたいなこと言って。慰めてほしい、とか?」
「ふざけるな、叩き出すぞ」
冗談みたいな男を相手に凄んで睨み付けるなど、まるで意味のない行為だったとすぐ知れた。
食事の後、ヘクス・シャルシェレット(kz0015)の言うがままエリオットはある場所を訪れていた。
そこは、最も被害が大きい第七街区西部。荒廃した城壁に、こびりついた血液。
瓦礫は徐々に撤去されていたが、起きた事実が消えることはない。
「作戦は、王国連合軍の圧倒的敗北を以て失敗。……指揮したのは、きみだったね」
瓦礫に腰を下ろし、ヘクスが俺を見上げている。
雲一つない夜だった。月明かりが無遠慮に事実を照らし出してくる。
「及ばなかったのは、天か、地か──“人”か」
だが、月光の中にあってもヘクスの表情は伺えなかった。
「ほんとは解ってるんだろう、エリー?」
含まれた真意がどうであれ、俺は問わずにいられなかった。
「ヘクス、今お前が見ている景色は……“俺と同じ”はずだと、思っていてもいいのか」
切願めいた問いに、ヘクスはただ笑っていた。
リプレイ本文
「“王国には未だ希望が残されている”?」
「言葉通りだよ。流石は誉れ高き騎士の中の騎士。あぁ、貴方の言う“金色の騎士”の方じゃないよ。王国最強の騎士団長──“白銀の騎士”」
「……その名と評判は記憶しています」
――やっぱり“当人を認識してない”か。
「そこさ。僕にはちゃんと王国を“絶望に突き落とす”用意があるんだ」
「ふん、汚らわしい法螺吹きめ」
「僕も知らなかったって謝ったのに……。ま、信じてくれなくてもいいよ」
──“事実”を持ちかえれば、解ってもらえるだろうからね。
●ゲームセットは訪れない
朝日が昇り始めようという時間。寝静まる王都を、一人の少年が歩いている。
白む景色に聳える瓦礫には異なる色合いの血痕が幾つもこびりつき、多くの人の戦いの跡を感じることができた。
「……くそ」
言葉以上に強く滲む感情。
少年──キヅカ・リク(ka0038)は、いま在りし日の事を思い描いていた。
少年は、リアルブルーにおける受験戦争の敗者だった。
“結果が全て”。
リクはそれを絶対の法則と語るが、その思いには如何ほどの重みがあっただろう。
「エリオットさんの重圧は、もっとすごいんだろうな」
他者から寄せられた期待を重圧に感じると言う事。
それは、無意識レベルで“期待というオーダーに応えねばならない”という観念が刷りこまれている故だろう。
厭う反面、そこから脱しきれていない自分に、リクはまだ気付いていないのだが。
少年は、世界が大嫌いだった。
けれど、そんな中で新たな世界に巡り合うことができたこと。それはまるで奇跡のような出来事だ。
この世界で出会った多くの大人達の存在も、彼にとっての奇跡の一つ。
彼らの多くは、決して目の前の出来事から逃げなかった。
それは少年が知り得る“大人”の概念を打ち破る事実。パラダイムシフトのようなものだった。
いま、少年の価値観は、こうした幾つもの奇跡を経て生まれ変わろうとしている。
だからこそ、“そんな大人の期待になら、応えてみせてもいいかも”なんて思えたのかもしれない。
──結果は変えようがなくとも、コンテニューできるなら勝つまでやって見せればいい。
「やってやる……」
世界には、たった一度の失敗で手のひらを返すクソみたいな大人ばかりじゃないって、気がついたから。
「此処から先は人間の手でケリをつける。手を出すんじゃねぇよ」
誰にとも知れぬ言葉は、朝靄に蕩けて消えた。
●これからを生きるために
王国騎士団本部。陽の高いこの時間は、多くの騎士が敗戦処理のため慌ただしく行き交っている。
報告を飛ばす騎士にぶつかっては頭を下げ、支援物資を担ぐ騎士の脇をぎりぎり摺り抜けながら、それでも少女は走ることをやめなかった。
「エリオット様……っ!」
騎士団長室の扉を勢いよく開いたと同時、なぜか胸騒ぎが加速した。
息を切らせた少女、ヴァルナ=エリゴス(ka2651)は、呼吸を繰り返し精一杯想いを伝えようと思考を巡らせる。
だが、いつもと変わらない男の表情、その向こうにある強烈な違和感が拭えなかった。
「あの……私……申し訳、ありませんでした」
執務机の向こうにいる男とは、たったの数歩の距離。今も互いの視線はしっかり交わっている。
──けれど、それでも遠い。
物理的な距離を越えた何かが、確かにそこにあった。
「力になると言いながら、共に戦場に赴くことすらできなかった。ですから……」
「なにもお前が謝ることはないだろう」
謝罪を拒む言葉に、少女は唇を噛む。しかしそれも一瞬の事。
「……だから、そんな顔をするな」
エリオットはどこか罰の悪そうな顔をしていて、だからこそ少女は漸く微笑むことができた。
「ある方が振り返ることなく前へ前へ進んで行く。私はそれを見守るだけ……あの時のお気持ち、少し察せました」
“聞き覚えのあるフレーズ”を唱え、少女は眉を寄せて笑う。
その笑顔は苦みを伴い、成長した女性の微笑にも見える。
「こうなった責の一端は、あの日彼らを止める事が出来なかった私にもあります」
迷いのない目。けれど、その姿に青年が感じるのは、心苦しさだった。
「私にも、共に『これから』を背負わせて下さい」
それでも、その在り方を否定したくはない──そんな思いが、青年の口を開かせたのだろう。
「いつかまたその日が来た時は……頼む」
●勝利を願う光
マリエル(ka0116)が怪我をおして辿り着いたのは騎士団長室。
ノックの後に名を告げると、「構わん、入ってくれ」と聞き覚えのある声。
許可を得て扉を開くと、部屋の主と目があった──途端。
「え……?」
──なぜか、エリオットが厳しい目つきで睨みつけてきたのだ。
青年は険しい表情のまま立ち上がるとまっすぐ少女の傍に寄ってくる。
「な、なんですか……っ?」
何が起こっているのか解らず混乱するマリエルをよそに──
「……わっ!? ちょ、やめ……、降ろして下さい……っ!」
エリオットは、マリエルの許可なく少女を横抱きしたのだ。
「騒ぐな、怪我人に拒否権はない」
ぴしゃりと言うと、マリエルをソファに休ませるようにそっと横たわらせる。
「全く……なぜこうも怪我に頓着しない輩が多いんだ」
一人ぼやく様を見て、マリエルは思わずくすりと笑う。
「ふふ、すみません。でも……存外、お元気そうですね」
「俺の事より自分の心配をしろ。……で、今日は何の用だ」
◇
「……私の大事な友人に、元気がないんです」
あの日、あの戦いに参加してからのことを、少女はとつとつと語り始めた。
「彼女、本当は……戦いの似合う人じゃない。それでも目を逸らさずに、突き進んでる」
少女は目を眇めて呟く。その仕草は無意識的なものかもしれない。
「お前は、友人を誇らしく思っているんだな」
「……はい。誇らしいし、諦めない彼女が大好きです。でもね、本当はもう少し寄りかかってほしいなとか、思う事もあるんですよ」
冗談めいた口調だが、恐らくは少女の本音だろう。マリエルは真っ直ぐに男の目を見て告げる。
「強い意志を持ってくじけずに進む彼女を信じてます。だから……私も、できる事をします」
「そうだな。……今を、大事にするといい」
次は勝ちましょう──そんな約束を交わし、マリエルは微笑んだ。
●其は贖罪に似て
エリオットは、あまりに“国の為に在りすぎた”。
“自分の存在をプライオリティの最下層に追いやり過ぎていた”。
ジェーン・ノーワース(ka2004)は、そんな“在り方”が彼に少し似ていたから、気付けたのだろう。
──きっと、皆わかってる。元より“彼”には空白が必要だったのだろう。
少女が物思いに耽り、立ち尽くしていた公園に現れたのは件の男。
「お前、ジェーンだろう?」
突如、赤いフードの頂点が掴まれると、そのまま剥かれて少女の顔が露わになった。
「……ッ!? な……なに、してるのよ……!」
「俺か? 所用で出かける所だ」
「そ、そうじゃないわよ、貴方馬鹿なの……!?」
“赤ずきん”は少女の心を鎧うものだ。
それを剥がされた少女は、慌ててエリオットの手を払い、フードを深々と被り直す。
「暑くないのか?」
「暑くないわよ、刻むわよ」
鋭い視線の少女と睨み合う事しばし、男は漸く表情を緩めた。
「それでいい。功労者がしょぼくれていると、誰も救われん」
──負けたくない、と。その為に強く在りたいと願ってからこれが何度目の負けだろう?
沈むような思いは、今や動的に変わっている。
「私は沢山の命を見殺しにしてきたわ。貴方の叔父だってそう。……それでも、功労者だなんて言えるの?」
「ならば、俺も同罪だろう」
その采配一つで左右される人生の数は、まるで比にならないと言うのに。
「飲み込めない自分は否定しないでいい。ただ、そのままをよしとするかはお前次第だ」
「……ふざけないで」
まだ、何一つ足りてない。もっと強くならなくちゃならない。
けれど、この男を前にすると余りに眩しくて……少女は、目を背けるしかなかった。
──だって、私は光になれないもの。
それでも。
光でないからこそできることもあるはずだと、少女はその時既に解っていたのだった。
●戦の誓い
「役に、立てなかったな……」
央崎 遥華(ka5644)は、賑わう第三街区の公園のベンチに腰掛け、ぼんやりと王国の街並みを見つめていた。
思い返すのはあの日、ベリト討伐戦でのことばかり。
──判断を誤らなければ、幾らか変わったかもしれない。
そう思うと、悔やまれて仕方がない。少女は、自責の念を引き摺っていたのだ。
しかし、そこへ──。
「具合でも悪いのか?」
「え? ……えっ!?」
ふと、声をかけられた遥華が見上げると、そこには元王国騎士団長エリオット・ヴァレンタインの姿があった。
「少し顔色が悪いようだ」
「いえ……あの、エリオットさん、私……」
居たたまれない気持ちの遥華は、正直彼に声をかけることすら戸惑われた。
だが、このままではいられなかった。
自分の中にある“靄”を取り払わなければならなかった。
それならば……。
「この間の戦いの事、考えていたんです」
自分の気持ちに正直に向き合うこと。それが一番の“特効薬”だと思い至った。
◇
「なるほど。お前の判断と結果については解った」
「……はい。それが、私のミスでした」
「なぁ、遥華。お前は“後悔したい”のか?」
「そんなわけ、ないじゃないですか……!」
「ならば、もう“作戦結果の検証”は済んだだろう。次は、どうするんだ?」
「……!」
私は、どうしたい?
どうするべきなのか?
その答えは、既に少女の中に燦然と輝いていた。
「……もう一度。もう一度ハンターとして誰かを助けたい。そのために、いつまでも気落ちしていられない」
「そうか、良くわかっているじゃないか」
エリオットは遥華の肩をそっと叩くと「これからの活躍を期待している」と告げ、三街区の奥へ消えて行った。
──白き魔女を名乗り、再び戦う。
胸に手を当て小さく首肯すると、少女はその先の道を再び歩き出した。
●継戦の光を灯せ
対崎 紋次郎(ka1892)が王都で調べていたのは、歪虚・メフィストの過去実績。
「野郎、やっぱり“メフィスト”としての実績はほぼないな」
──恐らく得意の“変容”で姿と名を使い分けてやがる。
だからこそあそこまでの強さを誇りながら、十三魔に名を連ねていなかったのだろう。
じゃあ、奴が行使した幻術の例は?
──これは、調べが行き詰った。
幻術の類を行使する歪虚や精霊なども、歴史上存在が確認されている。
だが、その幻が“メフィストの行使する術と同類か否か”という点において、関連性を明白にすることができなかった。幻は人によってみるものが異なる場合もあり、術の根幹、その類似性を明らかにすることは酷く難しい。
これは有効な捜索方法ではないだろう。
それでも、青年は丁寧に情報を精査し、潰していく。
あの日、歪虚の群れの中で意識を失った時、紋次郎は明白に死を意識した。
だが"歪虚は慈悲をかけた"のだという。それに縋って生きろと、高笑いさえ残して行ったと──
「このインターバルで、どれだけやれたかが勝敗を決める……」
自然、拳に力が入る。やるべきことは一つだった。
紋次郎が面会を臨んだのは、先の大戦でメフィストの幻術への対抗策を提案した魔術に長けた騎士ローレンス。
人払いがされた作戦室の椅子にローレンスが腰をかけるとすぐ、時間を惜しむように紋次郎が本題を切り出した。
「メフィストの行使した巨大な闇の魔法陣、あれを破壊することは可能か?」
瞬間、騎士の目が鋭さを増す。
「抑止でなく“破壊”か……団長が授けた名誉勲章もただの飾りではなさそうだ」
「ほら、例えば、魔法陣の交点を光の攻撃で撃ち抜き、陣を崩すとか」
「着眼点は悪くないが、問題は……」
ローレンスは指で天を指す。
「遥か天空に描かれたそれを如何に対処するかだ。ごく一握りの超長距離射程の弓ならば届くかもしれん。だが、亡霊などの霊的存在がそうであるように、闇の魔術と言う概念的装置に対し、物理で影響を与えることは難しかろう」
「くそ、そういうことか……」
だからこそ、“あの時誰も手を出すことができなかった”のだ。
「いや、しかし……お前の指摘は実に面白い。共有しておこう。だが、一つ言っておきたい事がある」
紋次郎ではなく、遥か彼方を睨み据えるようにローレンスは言う。
「先のメフィストの力は、あくまで“法術陣による制約下での力”だ。陣により弱体化され、あの時のやつは本来の力より“数割ほど能力が低減”しておったはず。本物のあやつの力はあんなものではなかろう」
「だからこそ“討伐の好機”だった、ってことか」
「如何にも。もうあの奇跡のような好機は得られんだろう」
それでも、紋次郎の目から強い光は消えることがない。
「その分、こちらには“情報”がある。……戦いは、終わっていないんだ」
●戒めを背に
復興作業を着々と進める騎士団を横目に、J・D(ka3351)は今、王都を歩いていた。
まだ太陽は頂点を過ぎたばかり。
ハットのつばに日差しを遮られながら、男は“例の現場”に向かっていった。
王都イルダーナ、第七街区。そこに足を踏み入れた時、男は安堵した。
瓦礫の山を臨みながら安堵するなんて、全くもっておかしな話だ。だが、それでも確かに安堵していた。
『歪虚共に負けたって、これで終わる筈もあるめえ』
当初、そう思ってこの地に足を踏み入れた。
そうしてサングラスの奥から見つめた景色は、レンズ色のフィルターを通してしまうけれど、“世界そのもの”の色でなくとも、男には紛うことなく映っていた。まだ“終わっていない”という事実と、未来への“芽”が。
「おじさん、この先はあぶないんだよ! 騎士団のひとがまだだめだって」
七街区の子供だろう。J・Dの姿を見て駆け寄ってきたようだ。
男の服の裾を引っ張る少年の顔に、悲壮感などない。
「おう、そうか。ありがとな、おっちゃんは平気だからよ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でてやると、少年は「気をつけてね」と手を振って走ってゆく。
何気ない出来事に“国がきちんと仕事してんだな”などと、そんなことを思えた。
もとより王国軍は、先の黒大公襲撃の経験を活かし、民間人の犠牲者をほぼ出していないと聞く。
ならばこそ、見据えるべきものは明白だった。
国が国のやるべきことをやっているのなら、ハンターがハンターとして出来ることは何なのか。
──今この状況が歪虚のお情けだってなら……メフィストとやらを成敗しねえ限り、一件落着とはいかねえ筈だ。
いつかの天使を思い返し、男は頭を振る。
「あれを繰り返させねえ為にも、連中の好きにはさせねえ」
●護る願い、殺す誓い
──護れず、殺せず。
「これじゃ、教会で惨劇を引き起こした羽虫もメフィストも殺せない」
七街区の瓦礫に腰をかけ、少女──松瀬 柚子(ka4625)は思案気に街を眺めていた。
頭の中にはただ一つ、執着にも似た強い想いが巡っている。
しかし、それも束の間。少女は思考の世界から解かれることになる。
「……あれ? なーにしてんですかっ、Jさん!」
先程の思案など億尾にも出さず、少女は人懐こい笑顔をつくって偶然見つけたJ・Dの腕を叩く。
「ま、散歩みてぇなもんだ。お前ェさんこそ何やってんだよ、“こんなとこ”で」
痛い指摘を誤魔化すように笑い、少女はこう切り出した。
「まぁ、いいじゃないですか! ……あ、そうだ。ちょっと一緒に歩きません?」
◇
「ごめんなさい、教会での仇取れなかったです」
男と二人、並んで歩く柚子はややあってぽつりと呟いた。
「次は必ず、あの蜘蛛も羽虫も殺します。前回は意識吹き飛ばされちゃいましたけど……次は大丈夫!」
矢継ぎ早に続く話は、まるで少女の焦燥感を隠すようにも見えて。
男は悟られぬよう眉を寄せ、溜息を零した。少女の“全速前進”は、どこか危うさを感じさせる。
「全部背負いこむ事ァねえンだぜ。お前ェさん一人の因縁でもあるめえし」
「やーだなー、背負うとか! 私から一番遠い感情ですよ、ソレ!」
あはは、と笑って柚子は髪を掻く。
──本当マジメと言うかお人好しというか。私は平気なんですけど……
柚子はそう思うのだが、自身では気づけないこともある。
人間は誰しも、心に“無意識”領域があり、それは“意識”の領域を圧倒的に超える。
「鉄火場じゃァ頼りにしてるさ。だから、無茶をやるンじゃねえぞ」
「はぁい、善処しまーすっ」
J・Dを見送った柚子は、男の背中が見えなくなると、漸く瓦礫に背を向けた。
それは、覚悟を決めたことの意でもある。
「……強くなる、もっと」
そのために、私はハンターになったんだから。
●光を背負う者
第七街区西部の瓦礫の前に、一人の青年が佇んでいた。
辺りが橙色に染まる夕刻。
それまで明らかであったものの輪郭が、光を失い闇に溶けてゆく狭間。
それはまさに、あの日、あの時の戦いと同じ時刻だった。
絶望に呑まれたのは、まだ幼い少年。
彼は確かに歪虚で、同時に傷ついた心を抱えた子供だった。
「──ッ」
今でも時折、彼を討った時の、肉を断つ生々しい感触が蘇る。
青年がその激情を堪えるには、拳に力を籠めるほかなかった。
爪先が掌に食い込む感触も痛みも、痛烈な悔恨の前では何の意味も成さないというのに。
──次こそはと、そう誓ったのに。……何も、できなかった。
どうしようもない無念が、きりきりと胃を締めあげる。
神代 誠一(ka2086)は、ベリト最終戦に赴くことができなかったのだ。
瓦礫を見降ろしたまま、どれくらいそうしていただろうか。
先の戦で西門は崩れ、地平に落ちる夕陽を遮る物はない。
眩さに背を向けた時、誠一は漸く自覚した。足元に伸びる長い影。それは普段の影よりずっと濃い。
『影を生むのはね、光なんだ。それならさ、光を消すのが一番確実でしょ』
この言葉をもう何度思い返しただろう?
だが、光がなければ、人は進むべき方角が分からず、他者の輪郭すら知覚できない。
自然、触れ合いも関わりも断たれ、世界のあらゆる幸福が見失われ、何もない世界でぽつりと一人佇む事になる。
誠一が、これまでの多くの出会いの中で育んできた人生観が明白に告げている。
“光がない世界を肯定することはできない”、と。
誠一の世界では、この時間帯を“逢魔が時”と呼ぶことがある。
「残された俺は前に進まないといけないんだ。だから……行くよ」
視線の先には、あの不器用な天使の姿が見えていたのかもしれない。
右胸の上、シャツを無意識に掴み、青年は歩きだす。
あの日の決意を、再び抱きながら──。
●昼行燈
「……青いもんだな」
視線の先、歩きだす黒髪の青年を遠目に眺めながら、鵤(ka3319)は肺の奥から煙を吐き出した。
既に“逢魔が時”は去り、辺りは静かな闇に支配されつつある。
だが、復興作業に従事していた騎士たちの一部は夜間も現場に止まるようだ。
崩壊した外壁から歪虚が侵入する事のないよう見張りを立てる必要性もあり、同時に火事場泥棒等を考慮した治安悪化への対策も兼ねているのだろう。この時間になっても現場を見張る騎士たちの姿が消えることはなかった。
そんな騎士たちの姿を横目に、もう一度、深く煙を体内に招き入れる。
──どうやら、復興作業は順調に行われているようだ。
なぜなら、あのベリト討伐戦からほどないというのにこの辺にはすでに遺体がないどころか、一部規制線すらも解かれているからだ。王国は先の黒大公戦と比べて長じていたのだろう。それは解った。
だが……ただただ、侮っていた。
「それしか、言いようがないねぇ」
自嘲するように笑うと、肺を一巡した煙が口角から漏れる。
鵤がこの事件に関わったのは何時も通り、陣に関するちょっとした“頼まれ事”の為だった。
──だが、おかげさまでご破算だ。
溜息も出ようと言うものだ。
骨折損のくたびれもうけなんざ、バッドエンドとしか言いようがない。
「まあ、後々今回の記録文書でも漁るとしよう」
そうでもしなければ、何にもならないからな……その一言は呑みこんで。
鵤は夜の街へと姿を消していった。
「あーあー酒を飲むだけで金が貰える仕事したいわぁ」
●意外と女の子らしいアルト
その日、アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)が、ある酒場の入口で遭遇したのは二人の男だった。
一人は王国騎士団長。そしてもう一人は……
「怪我人が何用だ」
「何用って……ッ……」
軋む体を堪える少女に、副長ゲオルギウスが溜息を零す。
「そんななりでは店の者に気を遣わせる。お前が行くのは診療所で十分だ」
そう言い残し、老騎士は店へ消えて行った。
「……すまん。あれで一応、心配していると思うが」
「気にしてない。爺ちゃんの言う通りだし」
痛みを耐えながら冗談めかして笑うアルトに、青年は困ったように髪を掻く。
「お前も無茶をするな。近くの診療所まで連れて行こう」
「いいよ、そんなの。……あ、でも、少しだけ貴方を借りてもいい?」
◇
近くのベンチでひと心地つくと、アルトは楽になった様子で息を吐いた。
「エリオットさんも、お説教?」
「……そんなところだ」
「そっか。ボクもお爺ちゃんから喰らった後だよ」
笑って、悪びれる風もなくアルトは空を仰いだ。
「あのさ、分かっているだろうとは思うが、あえて言うよ」
少女は視線の先に何を見ていたのだろうか。
やがてエリオットの眼を見つめると、明白に告げた。
「貴方が前に進もうとする限り、付いていきたいと思う人間はこの国にはたくさんいる。一人で背負いすぎることはない」
「……俺は、そんな大したものじゃない」
「馬鹿だな、貴方は」
少女の素直な言葉に対し、青年は不服そうな顔をするばかり。
「早く解ってくれるといいけど。さて、じゃあボクはもう行くよ」
「お前、そんな体でどこに……」
「どこって、そりゃ」
悲鳴を上げる体をおして立ち上がると、振り返って笑む。
「怒られてる貴方を見るのは面白そうだけれども……なんだか可哀想だから」
その顔は、戦場での彼女とは全く異なる、明るくも優しい微笑みを湛えていた。
●不器用な感謝をキミに
老騎士の説教が響く酒場に足を踏み入れたルカ(ka0962)は、ここぞとばかりに説教の方角へ向かっていく。
「そのお話、私もお邪魔させていただけませんか?」
「ルカ?」
驚いた様子の男──エリオットを横目に隣のハイチェアへかけると、老騎士の冷ややかな視線に構いもせず、少女は口を開いた。
「副団長さん、聞きたいことがあります。茨の乱の時、その責を教会の誰かが負ったのですか?」
気のない老騎士の間を繋ぐように、青年が応じる。
「あの作戦は成功し、茨の王は討伐され、マテリアルも回収出来た。誰かが責任を取る状況ではなかっただろう」
「ですが、戦の切欠となったのは教会だったのでは?」
食らいつくルカに、青年は言葉を選びながら答える。
「教会が当時聖女を責めたことを指しているのか? ならば、切欠は特定の誰かではなかったはずだ。“多くの人間がそういう雰囲気を作ってしまった”。そして、それに対し教会は内部の法術研究班の可視化を行い、聖女エリカを聖人に列するなど対応の変化を見せている。村人に資金援助もしている状況だ」
「そう、ですか」
短い沈黙。首肯し、ルカはもう一つ問いを重ねる。
「王国諜報部からテスカ教団変貌の報告は?」
「諜報部? 強いて言えば、騎士団なら青の隊がそう言った仕事もするが、報告の有無とは難しいな。組織の頭が変わることで全体の雰囲気が変わることはしばしばある。テスカの場合、当初それに当てはまっていたことで後手に回った感はあるだろう」
「解りました。色々、状況が複雑ですよね……少し、考えます」
思案気に席を立つルカは、最後にもう一度振り返ると
「そうだ。エリオットさん、無職になっても呼んで下さいね。それと……」
少女は男の傍に寄り、あるものを取り出した。
「少し早いですけど……コレ。お誕生日、おめでとうございます」
●掲げよ、我らが旗を
「──悪かった」
それは、その日出会い頭に交された言葉だった。
その少年──ウィンス・デイランダール(ka0039)は、真っ直ぐエリオットの眼を見つめている。
「……おい、ウィンス」
「なんだよ」
「今すぐ診療所に行け」
「……はあ?」
顔を顰めるウィンスの額に、無遠慮に手をあてるエリオット。
「熱はないようだが、ベリトの闇魔術の後遺症か、或いは……」
合点がいくと同時、少年は男の手を払いのけ、青筋を立てた。
「よぉし、よく解った……いいぜ、売られた喧嘩は……」
刹那、ゴッと存外いい音を響かせて落ちた拳骨が二つ。
一つはエリオットの頭に。もう一つはウィンスの頭に。
「場を慎め、脳筋共」
パイプを咥えた老騎士は、そう言い残して席をたつのだった。
◇
圧倒的敗北に際し、止まる事なかれとウィンスを奮い立たせたもの。
それは、彼が率いるグロウナイトの仲間だった。
自らの強さに拘り、目指すべき場所しか見えていなかった彼にとって、後背の状況はまさに“死角”。
彼の背を目指し懸命に走っている者がいることに、少年はまるで気付いていなかったのだ。
──『金髪馬鹿』にも既に啖呵を切ってる。
ならば、なおのこと。決して折れるわけにはいかない。
だが、少年が気付けていなかったのは“本当にそれだけ”だろうか?
「戦死者に化けて此方を惑わす、敵の卑劣な策に戸惑い、攻め手を欠いた」
「実際、攻め手を欠いたのは事実だ」
「……あぁ。“歪虚はヒトの心に付け込む”。学ばなければならない」
呟く少年の背に、“薄く笑声が聞こえた”のは気のせいだろうか。
『存外、つまらないね。君は』
振り返れども何もないのだが、リフレインは止むことがない。
「――上等だ」
どんな嘲りが向けられようと、相手が何だろうと、自身が未熟であろうと──
“自分の芯が屈するか否か”には何ら関係がない。
例え虚勢であろうとも、“屈さない”こと。
それこそが俺の在り方だと、今まさに俺が定義した。
仲間に無様を晒しはしない。掲げ続けてやる、自分という“旗”を。
●危険人物
ウィンスが去ったカウンターは再び静けさを取り戻していた。
エリオットがひとりグラスを傾けていると、隣の席から「かたん」と小さく音が立つ。
新しい客だろう。特に意識もしていなかったのだが、やがて青年の元に甘い香りが漂ってくる。
嗅ぎ慣れない香りに視線をやれば、そこにはトライフ・A・アルヴァイン(ka0657)がいた。
「煩いガキは消えたようだな」
視線を合わせる事はないが、トライフは男の視線にそう応じる。
「……お前たち仲がいいな」
「気色の悪い話はやめてくれ」
トライフは店員に適当な酒を頼むと、長い息を吐いた。
敗戦後の今、トライフが王都を訪れた目的は一つだ。
──こんな時だからこそ儲け話が転がってる。
上がる口角を隠すように煙草の煙を吐くトライフ。
だが、彼が目の当たりにしたのは、騎士たちが十全な警備で治安維持に努める光景だった。
先の黒大公襲撃直後、王都は瓦礫の街と化し、火事場泥棒の頻発はおろか、女性や子供の独り歩きすら危険な地区も発生する事態を迎えていた。有事に際し、エリオットはそう言った治安悪化を憂慮。事態を早急に対処していたのだった。
そもそも今回戦場となったのは第七街区──移民が多く、帝国ほどではないがスラムとも言える場所。
トライフに言わせれば「ろくなものがない」地区だ。
──こんなしょぼくれた場所で稼いだ小銭で目をつけられるなんざ、たまったもんじゃないな。
つまりどういう事かと言えば、トライフの"目論見失敗"である。
ともあれ、手ぶらで帰るのも気持ちが腐る。ならば、と評判の酒場に来た──というのがここまでの経緯。
隣のエリオットに煙を吹きかけるように吐き出すと、青年は眉を寄せ困惑した表情を浮かべる。
予想通りの反応に、トライフはにやにやと悪意のある笑みを湛えた。
「お前な……さっきから一体なんなんだ」
「なに、王国の有り様に興味はないが、負け戦と聞いてな。負け犬の顔を拝みに来たのさ」
「……大した物好きだ」
溜息をついて、グラスを傾ける元騎士団長。対するトライフは一転、冷めた目で男を見つめた。
「なぁ、俺は俺の責務を果たした。お前はどうだ?」
その“目”を見透かされぬよう、トライフは眼鏡のブリッジを押し上げる。
「責務、か」
短い沈黙。煽ったグラスをカウンターに音もなく戻すと、エリオットが珍しく好戦的な目をしてみせた。
「お前に似合わん言葉だが……悪くない。俺はまだ“果たすべき責務”がごまんとある。優秀なハンターの助力には対価を惜しまないが?」
──なるほど。この男、ただの堅物かと思いきや、見せ物としては多少面白そうだ。
満足げに煙草の煙を肺の奥まで満たし、トライフは立ち上がる。
「……最後に一つ。今回は教会の秘蹟、王国の切り札を切った訳だが──」
──どっちだ。All-Inか?
刹那、エリオットの目に強い警戒の色が浮かんだ。眼光鋭く、トライフと睨み合う。
……最初に笑ったのは、トライフだった。
「あんたの感情が表に出にくいってあれ、本当は冗談だろ?」
「どういう意味だ」
「言葉通りだ。……ま、俺にはどうでもいいことだがな」
●宴も酣
老騎士の説教が落ち着いてもなお、酒場に静けさが戻ることはない。
「はじめまして、ハンターのアシェ-ル(ka2983)と申します。ご一緒させて貰いますね」
エリオットの元には、同じ酒場に居合わせたハンターたちが集い始めていた。
「ご一緒って……構わんが、俺と飲んでも面白くはないぞ」
アシェールの突撃にエリオットが首を傾げるも、その隙に青年の隣席には綺麗な男の子が腰をかけていた。
「団長さん、お説教も落ち着いた頃だし、俺がお酌しましょうか?」
「ジュード? お前もここにいたのか」
「丁度、ね。エリオットさんたちの“お話”が終わるまで大人しくしてたんだけど」
くす、と笑うジュード・エアハート(ka0410)がグラスに唇をつけると同時、今度はカウンターの隅から声が響いた。
「おねえさん、そこのそれ、そうそう。ワイン。樽ごと頂戴よ。え? いいっていいって、寄付金代わりだ」
ワインを樽ごと購入し、うろたえるバーテンをつまみ代わりに鵤はへらへらと笑っている。
「そうだ。そこの坊やも、一緒に呑むかい?」
後背に現れた少年に向かって、鵤は何の気なしに言う。……が、しかし。
「あたしらだってねぇ、この人に言いたいこた山ほどあるんでやすよ」
ウォルター・ヨー(ka2967)がエリオットと肩を組もうとしたのだろうが、行きすぎた絡み方をしているようだ。
「ウォルター……お前、酒臭……じゃない、俺の首が閉まる前に、放せ……」
●ほろ酔いウォルター
「エリオット様。思うにね、あたしらは些か纏まりが無さすぎる」
ただの酔っ払いに見えたウォルターだが、恐らく、少年の頭は冴えているのだろう。
「“きっと誰かが”……なんて想いは希望でもあり、でもきっと怠惰でもある」
──功名餓鬼なんでやすよ。
少年はニッと笑って見せる。その笑顔はどこか苦い。
「それは俺に言いたい事じゃないだろう?」
「本題は、まぁ……冷めた頭で言う事でもありやせんしね」
「仕様のない奴だ」
青年が給仕を呼びとめると「さすがはエリオット様」と手を揉む少年の姿は板についている。
新しいジョッキを煽り、満足げに「ぷはっ」と息を吐くとウォルターはこう告げた。
「……エリオット様、もっと“僕”らをこき使ってやって下さい」
少年の様子に明らかな違いが表れた。それは一人称や口調の違いだけじゃない。
「僕も、もっと頑張りますから」
「お前が頑張るとは、どういう風の吹きまわしだ」
「ま、それはそれ。今日は飲みましょう。失敗した過去の話をしましょう」
ジョッキを互いにぶつけ合うと、ウォルターは目を眇めて笑う。
今この場にいる少年が、余りにこれまでの印象からかけ離れていて。
思わず、青年はそれを口にしていた。
「今日のお前は、随分眩しそうに笑うんだな」
「……“眩しそう”に? はは、随分痛い所を突かれたようで……」
頬を掻く少年の笑顔は、年より随分大人びて見える。
──たとえ失敗したとしても、貴方の決断は僕の憧れた騎士の在り方そのものだから。
紡ぐ言葉は、酔いに任せた戯言か。
「そうか。……だが、諦めた風な口を利くには、随分長すぎる余生だな。ウォルター?」
●サチコ様のために
「……先の戦い、大変でしたね」
ウォルターが物思いに耽った様子で席をたった頃を見計らい、アシェールがエリオットに水を差しだした。
軽く礼を伝えて受け取ると、唇を湿らせたエリオットが深い息を吐く。
「そうだな。大変でない戦いなど、有り得ないんだが」
「ですが、結局テスカ教団ってなにがしたかったんでしょう」
訪れた静寂に、アシェールがぽつりと呟く。
「……あれは、この国の"闇"の側面だ」
「王国やエクラに絶望した人たち。それが、闇なのですか?」
「国の力不足で生じてしまった不幸を、彼らに背負わせてしまった。怨む事、絶望することでしか、生きる気力を保てなかったのかもしれない。だが、それを扇動し利用したベリト……いや、メフィストの罪は、許されるものではないが」
アシェールにも彼の強い感情が痛いほど伝わって、思いがけず息をのんだ。
「……でも。歪虚は法術陣を汚染させたのに、どうして帰ったのでしょうか?」
「汚染はヴィオラによって浄化された。法術陣まで発動され、奴は焦っていたはずだろう」
「焦る事態になったのは、目論見が外れたからですよね? だとしたら、なんで、そもそも外れたのでしょう?」
「そこが問題だ。いま、誰もがその答えを探している」
情報の整理はできた。けれど、アシェールにとって友のためになる情報が得られたかは解らない。
それでも、アシェールが止まることはないだろう。
「エリオットさん、今日はお話できて良かったです。ありがとうございました」
……彼女の為に。
●真理見守る遥かな星
「しかし、今日は随分いろんなやつと会うな」
「敗戦直後の混乱も落ち着いて、王都の雰囲気もなんとなく“人恋しさ”みたいなものがあるのかな」
言葉を選びながら、ジュードが微笑む。
「ゲオルギウスさん、ああ見えてエリオットさんのこと大事にしてるんだね」
「それは解らんが、この国にはあの方が必要だ」
「頭が上がらないんだ? 今回は特に情報戦な所もあったし、尚の事かな」
「……お前にはお見通し、か」
エリオットは居たたまれない様子で頬を掻く。だが……
「ううん。でもさ、俺……あの日は“見通せなかった”モノ、沢山あったよ」
ジュートも苦笑を浮かべながら、エリオットのジョッキにエールを注ぐ。
その目は、ここではない遠くを見ているようだった。
「光と闇は相反するものではなく一緒に存在するもの……これってさ、なんだか許容しがたい事実だなって、今更思えてきて」
「光の千年王国にとって、都合のいい表現ではないな」
「でも、都合の悪い真実から目を逸らしちゃいけないよね」
グラスに目を落としていたジュードは、そこから視線を戻すとパッと明るい笑顔を見せる。
その顔に、不思議な安堵感を得たのはエリオットだけではないだろう。
「お前を見ていると気持ちが明るくなる」
「そうかな? ま、俺はこれまでもこれからも変わらないけど」
──離れた場所から見守り、いざという時に背中を押す風であれ、手を差し伸べる光であれってね。
そう言って、少年は綺羅星のような笑みを浮かべた。
●面食いですが何か
突然、ウェイターがエリオットの元に新しいグラスを持ってきた。
その酒は店でとびきり上等ものらしく、青年は困惑した様子で給仕を見上げる。
「……頼んでいないが」
「あちらのお客様から、エリオット様にと」
示されたのは、少し離れたテーブルからエリオットを眺めてにやつく少女。
「ふふ、“あちらのお客様から”、1度やってみたかったんですぅ」
「人違いじゃないのか?」
困惑する男に構う事なく、少女はひょいとテーブルを移動してエリオットの正面へと腰をおろした。
「失礼しまぁす。あ、ちなみに人違いじゃあないですねぇ。お店に入る前からずぅっと貴方のこと見てたので」
「俺をか?」
少女──星野 ハナ(ka5852)はテーブルに両肘を突いて青年を見つめ、満足げに首肯する。
「だぁって雲上人すぎて今までご尊顔を拝す機会がなかったんですぅ。それに、私はいい男成分補給して次の英気を養ってるだけだから迷惑かけてないですよねぇ?」
──まぁ、確かに。
折角ですからぁ、と笑って酒をかぱかぱ煽る少女に対抗する術もない。
青年は助けを呼ぼうとするのだが、ジュードやウォルターは既に去った後。
「重いお話、済んだ感じですかぁ?」
「まぁ、な。……先の戦では助かった。オーランは、国の未来を担う男だ」
「別にお仕事ですしぃ。あ、でもその敗戦のツケ、貴方一人で背負いこんでるんですよねぇ?」
指摘が的確に過ぎて、男は思わず髪を掻く。
「そう言うつもりはない。俺は、器用な人間じゃないんだ」
「ふぅん。まぁ、他人からは遠回りに見えてもぶっ倒れた先でしか自分を納得させられない事なんて世界にはざらにありますよぅ? 人が見えなくなってるなら1回そこまでやればいいんじゃないですかぁ」
“ただの面食い”を自称する割に、少女の言葉は随分と青年に響いたようだった。
「……お前、意外と考えてるんだな」
●“その時”までの約束
酒場を出たエリオットが、酔い覚ましに訪れた公園。そこには美しい先客が佇んでいた。
「こんばんは。……今夜は少し余裕があるみたいね」
「引き継ぎも終え、長の職務を外れたからな」
「変に隠したり、言い訳したりしないのね」
「お前にか? その余地も、意味もないだろう」
「……貴方らしいわ」
月明かりに金の髪が輝き、時折そよぐ夜風に吹かれて髪が長い耳を撫でる。
「お前は何をしていたんだ、アイシュリング(ka2787)」
「散歩よ。貴方も余裕があるなら……星でも見に行かない?」
酔い覚ましになるわ──そう言って、少女は微笑みを浮かべた。
「普段、夜空を見上げる余裕はある?」
「いいや。かろうじて、観葉植物に水をやる程度だ」
「……あの植物、貴方が職を離れる時、誰かに引き継ぐの?」
「馬鹿を言うな。“あれ”は“俺のもの”だ」
「……そう」
空を仰ぐ少女の横顔は、穏やかで暖かい。
「貴方、周囲の人には、追い立てられて生き急いでいるように見えているのかもしれないわ」
「だろうな。だが……」
「何もしないで休むよりも動いている方が落ち着くのね」
少女と同じように空を見上げ、月や星を眺めていると、自然と心が落ち着いた。
同時に、こうして話をしていることでも、気持ちが穏やかになっていくのが解る。
「……情けない話だが、お前の言う通りだ」
溜息一つ。それに小さく笑い合うと、少女は言う。
「ねえ、どんなにもどかしくても周囲の気遣いを汲むことも仕事のうちかもしれないわ」
その言葉は、少女自身にも向けられたものだったかもしれない。
「今は、休んだらいいじゃない。だって、“挽回の機会”はあるでしょう?」
いつか必ず来るであろうその日、その時、自分は何ができるのか?
そうして少女は、ある約束を交わす。
次の機会にこそ、自分にできることを見つけ、果たすのだと──。
●誓う未来に手を伸ばし
「結局私は何が出来て、何をしてあげられたのでしょう……」
クリスティア・オルトワール(ka0131)は第七街区の瓦礫を前に祈りを捧げていた。
思うのは、この戦いの犠牲となった人々と、そしてテスカの信徒たち。
堕落者を元に戻す方法は、今のところまだ見つかっていない。
だからこそ、あの時自分ができたことは、“その命に対する最善”だったはず。それでも……。
──命を賭して希望を守った人がいる。心を殺して未来を守った人がいる。そして、あの人は。
もっと何かができたのではないか?
焦りや後悔にも似た感情が胸の奥に渦巻く。それはどろりと重い心地がして。
少女は思わず目を閉じ、俯いた。
いま瞳を開いたら、余計な感情が溢れ落ちてしまいそうだった。
「……ごめんなさい。貴方たちの無念はいつか、必ず」
その日の夜、騎士団本部前で目当ての人物を見つけると、クリスはぎこちなく微笑んだ。
「こんばんは。……王女様にまで気を遣わせてしまうのは、どうかと思いますよ?」
「開口一番それか。まぁ、お前らしいか」
相手は王国騎士団長だった男、エリオット・ヴァレンタイン。彼と会うのは実に2ヶ月振りだ。
──なのに、もうずっと会っていなかったみたいで。
遠くに感じる気持ちもあった。だが、男の目を見ればそんな思いは吹き飛んでしまう。
「……何がおかしい?」
「え? 私ですか?」
「そうだ。……先ほどより、随分自然に笑っている」
指摘され、口を噤む。普段は恐ろしく感情の機微に疎いのに。
「こういう時だけ、鋭いんですね」
「どういう意味だ?」
「いいえ。本当は話したい事、沢山ありましたけど……まぁ、いいかなと」
──今はその瞳の光だけで十分。そう思えたから。
「エリオット様」
「なんだ」
「……お帰りなさい」
たった一言に、沢山の想いを載せて、手を差しのべた。
●“光”を追いかけて
初めて足を踏み入れた騎士団長執務室は、少女が探していた香りに包まれていた。
なぜかそれを知覚した途端、体の底から気持ちが溢れてくる。
少女がその男に見るものは、初めて出会った時とは全く別のものに変わっていたのだ。
「こんな所にどうしたんだ、ブラウ?」
「ちょっとでいいから……時間、もらえないかしら。お願いだから」
自身を迎えるエリオットの傍へ歩み寄り、ブラウがせがむ。
「……全く、お前は」
そんな少女の様子に、エリオットは苦笑しながら応じるのだった。
「この世の終わりみたいな顔をしてるぞ。話くらい聞くから、そこに座れ」
「……わたし、これまではただ自分の欲望に忠実に生きていたの」
今まで、少女にとって世界なんてどうでもいい存在だった。
生も死も、他者の命を奪う事すらもどうでもよかった。
なぜか? “そこには何もなかった”からだ。
「でもね、貴方に出会ってからわたしはきちんと前を向けるようになった。“光”を見つけて、世界が変わったのよ」
「大袈裟な奴だな……」
「わたしにとってはそうなのよ。否定しないで」
首肯する男に安堵し、少女は一呼吸の後に告げる。
「わたし決めたの。どんな時でも……例え“光”が消えても諦めないわ」
突然の言葉はどう受け取られたのだろうか。
だが、なぜかエリオットは思案し始め、やがてこんな問いを投げかけた。
「もし明日“光”が消えたとして……お前はそれを追い続ける覚悟があるか?」
「……え?」
男の気配が明白に雰囲気を変えた。だが、少女の決意には何の揺らぎもない。
「勿論よ。ずっと、いつだって、見えない“光”を、貴方の背中を追い続けるわ。だけど……!」
頭上に降ってきた男の掌が、今までよりずっと重く感じられる。
「ねえ、どうして……」
ブラウはその重みを感じながら、こみ上げる涙を堪えていた。
「どうして今日の貴方は、“いまにも消えてしまいそう”なの?」
●誰が為に俺はある
騎士団本部、青の隊・隊長室。
その部屋に入るなり、ジャック・J・グリーヴ(ka1305)はソファにどかっと腰をかけた。
上質なソファの背に手を回し、臆面なく酒を寄越せと爺にせがむ。
「お前そんなざまで本当にあの“メフィスト”とやり合ったのか? 聊か信じられん」
「……るせぇよ」
“その名”が出た途端、青年は苦みに眉を潜めた。
◇
「法術陣はメフィストが出てこなきゃ、多くの連中にとって知る由もなかった。あんたもそうなんだろ?」
若人の単刀直入な指摘に、老騎士は「やれやれ」と溜息をつく。
「まぁ、そうだな。……だがその後、法術陣に関するあらゆる情報を調べ上げた。それこそ世界中からだ。そうして掴んだ事実は、法術陣が“ごく一部の者”にしか口伝されない秘術であったということ。そして、その真の有様はグリフヴァルトの地下深くに眠り続けていたということだ」
「ごく一部、ってのは誰の事だよ」
騎士のボトルを奪い、勝手に二つのグラスに赤を注ぐ青年は、矢継ぎ早に尋ねる。
「無礼な小僧め。……この国と教会の頂点。所謂“時の権力者”と言う奴だ」
「ま、つまり現時点で考えられるのは“時の権力者”からの漏えいって筋だけか」
「本来は、な」
「憶測だがよ、この事件、法術陣を世間へ知らしめメフィストを倒す切欠を与える為だったなら……どうだ?」
途端、ゲオルギウスが珍しく声をあげて笑いだした。
「馬鹿も休み休み言え。貴様、その歳で“お花畑理論”などたいがいにしろ」
「誰が好き好んで歪虚に力を貸すってんだよ!」
「見えておらんな。先のテスカ教団は、どうだった」
「ッ、ともかく! 今一番危ねえのは、メフィストに情報を教えたヤツだ。俺は……悪いが、情報源は“ヘクス”だと思ってる」
途端、老騎士の目の色が変わり、青年は息を呑む。
「……奴の居所、爺の力で探しちゃくれねえか?」
「ふん、大貴族様なら闘技場の準備で忙しかろう」
「そういや居たな、あいつ……。くそ、そこにメフィストも現れると思ったんだが」
ジャックは髪をがしがしと掻くと、勢い任せに酒を煽り、こう切り出した。
「話は変わるが、メフィストは変容の力とあの性格を考えると王国の深い部分に入り込んでるんじゃねえか?」
「それは無い。傲慢が化けても、それが“人間でないことは一目で解る”。歪虚の力が強ければ強いほど、な」
ジャックは、最初にベリトに会った瞬間から“あれが人間ではない”とすぐ理解できたことを思い出すと、安心材料を得て小さく息を吐く。
「ま、それならいいがよ。最後にもう1つ。“フレデリク元司祭”を知ってっか?」
それが、ある種のトリガーだったのかもしれない。
「……少し前、その名の“遺体”と対面したぞ」
「マジかよ……クソがッ!!」
力強く叩きつけられた拳がテーブルを震わせ、グラスを揺らす。
「だが、なるほど。悪くない。報告は十分だ。さっさと帰れ、小僧」
かくして、物語は少しずつ動き出すのだった。
●運命の鍵を知る者【青】
元騎士団長の後ろをついて王城を歩くのは、誠堂 匠(ka2876)。
不慣れな場所は居心地が悪く、品のいい赤絨毯に自分の足跡が残ることすらも罰が悪かった。
「ここが、エリオットさんの部屋ですか」
先ほど誕生祝いとして匠から贈られた紅茶を淹れながら、エリオットは苦笑する。
「正確には騎士団長の居室だな。団長でない以上、俺はここを出ていかねばならんが」
不躾ながら策敵はすませた。部屋におかしなものもない。
彼曰く、“昨夜不法侵入があり、今朝がた部屋を一掃した”という点も好条件だったが、それにしても部屋には何もない。たった二脚のソファとベッドがあるだけの、恐ろしくがらんとした部屋だった。
◇
先の決戦は、余りに“出来過ぎた好機”だった。
これまで存在が特定されていなかった敵を法術陣下で孤立させ、かつ配下の敵軍を一掃。
メフィストの能力すらも低減させた状態で“殺すための条件が揃っていた”のだ。
「事件の始まりは、メフィストが法術陣に目を付けた事が切欠だったはず」
その動機について、以前奴自身はこう告げていた。
──まもなく法術陣を通り、偉大なる存在が顕現するでしょう。その時こそエクラに代わり我らが神が世界を救うときです。
つまり、敵は法術陣を“そういうものと認識していた”はずだが、しかし。
「陣の効果に対する齟齬が、一番の不審点だ。十三魔級の歪虚がその為に1年を費やしたのに、蓋を開けてみたら“術が目的と合致しなかった”なんて有り得ない」
訴えの根拠は正しい。故に、騎士は迂闊に口を開くことができなかった。
「メフィストは“法術陣の効果を誤認していた”けど、恐らくそれには“真実と思えるだけの根拠があった”はず」
「……筋が通っているな」
「禁書区域での事、覚えていますか?」
「あぁ、勿論」
「それじゃ、“扉に挟まっていた布切れ”のことは?」
紛れもなく、匠こそエリオットが知り得るハンターで“最も起死回生の一手に近い”場所にいる男だろう。
匠の笑いに苦みが混じる。
「やっぱり、エリオットさんは“あの布の主”をご存じなんですね」
騎士が吐きだす息は長い。だが、やがて彼は誠実に答えた。
「匠は俺の数少ない友だ。お前を信じて、話をしよう。あれは恐らく、俺が昔ある人物に贈ったストールだろう。手染めでムラが出やすく、“青”は染料の都合特に難しく貴重だそうだが、本当に美しい発色の青だった。見つけた時、すぐに『ああ、これにしよう』と、手に取った事を覚えている」
「大切な人への贈り物だったんですね」
「あぁ」
「……動けないのは、それが理由ですか」
男は、ひどく苦しげな顔をしている。この布を見つけた時もそうだった。
「俺が調べます。ここでただ終わるなんてできない。それにきっと“布の主”は今危険に……」
唐突に、匠の言葉が途切れた。エリオットが、本当にごく自然に微笑んでいたからだ。
「あの布、お前にとって“見覚えのある色”をしていたんだろう?」
「……それは……」
言葉が出なかった。
「お前の存在は、俺にとっての安心材料だ。だから……」
その言葉の意味を、匠は測りかねていた。いや、理解したくはなかったのだ。
「匠、“もっと強くなれ”」
機は必ず訪れる──それが、公式記録の「最後の言葉」となった。
●エリオット・ヴァレンタイン暗殺事件
王国は翌朝、衝撃に包まれることになった。
『凶報!! エリオット・ヴァレンタイン元王国騎士団長の“暗殺”事件発生!?』
『ヴァレンタイン元騎士団長に近しい者の証言によると、王城の彼の自室には大量の血液が飛び散っており、部屋は荒らされ、物が散乱していたらしい』
『現在まで元騎士団長の行方は知れず、遺体も発見されていない。事件の解明に過去最大級の捜査人員が投入されている』
『直前の騎士団長解任は、事件と何らかの関係があるのだろうか? 国民の強い悲嘆は治まることがない』
朝刊の一面を飾ったこのニュースに対し、民だけでなく騎士たちからの強い要望も受け、王国は国をあげての捜査に乗り出すことになる。
だが、人々の祈りもむなしく、エリオットの生存を示す痕跡は何一つ見つからなかった。
後日、国は事態の収束を図るべく、新たな騎士団長を選任。
新たにゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトを団長に迎えるも、彼自身この混乱を収めるには至らないと判断。
王国は、有力貴族ウェルズ・クリストフ・マーロウの後ろ盾を得ることで、騒動に一端の収束を図ることとした。
直前の団長解任騒動を経て“エリオットから全ての引き継ぎが終了していた”ことが不幸中の幸いだっただろう。
●Time to say good night.
「というわけで、王国はちゃんと絶望に落ちましたとさ。……僕のお詫びの気持ち、解ってくれたかい?」
「王国の光の象徴を暗殺、ですか。お前のような者には反吐が出ますね」
「はは、酷いなぁ。彼は人間のなかじゃ最強の部類だ。全人類にとっての損失でもあるんじゃないかな」
「そう、これでいい。これで、私は……、……」
「あれ、聞こえてない? まぁ、これで僕は“罰”を受け、同時に貴方が“もう一度出向く理由もなくなった”」
真相はいまだ
「全く、撤退の茶番終了まで術を浴び続けたにも係らず、ここまで動けた事自体驚異的だよ。流石は王の側近……おやすみ、“メフィスト様”。しばらくの間は“気持ちよく眠ってくれていいから”ね」
深い闇の中にある──。
「言葉通りだよ。流石は誉れ高き騎士の中の騎士。あぁ、貴方の言う“金色の騎士”の方じゃないよ。王国最強の騎士団長──“白銀の騎士”」
「……その名と評判は記憶しています」
――やっぱり“当人を認識してない”か。
「そこさ。僕にはちゃんと王国を“絶望に突き落とす”用意があるんだ」
「ふん、汚らわしい法螺吹きめ」
「僕も知らなかったって謝ったのに……。ま、信じてくれなくてもいいよ」
──“事実”を持ちかえれば、解ってもらえるだろうからね。
●ゲームセットは訪れない
朝日が昇り始めようという時間。寝静まる王都を、一人の少年が歩いている。
白む景色に聳える瓦礫には異なる色合いの血痕が幾つもこびりつき、多くの人の戦いの跡を感じることができた。
「……くそ」
言葉以上に強く滲む感情。
少年──キヅカ・リク(ka0038)は、いま在りし日の事を思い描いていた。
少年は、リアルブルーにおける受験戦争の敗者だった。
“結果が全て”。
リクはそれを絶対の法則と語るが、その思いには如何ほどの重みがあっただろう。
「エリオットさんの重圧は、もっとすごいんだろうな」
他者から寄せられた期待を重圧に感じると言う事。
それは、無意識レベルで“期待というオーダーに応えねばならない”という観念が刷りこまれている故だろう。
厭う反面、そこから脱しきれていない自分に、リクはまだ気付いていないのだが。
少年は、世界が大嫌いだった。
けれど、そんな中で新たな世界に巡り合うことができたこと。それはまるで奇跡のような出来事だ。
この世界で出会った多くの大人達の存在も、彼にとっての奇跡の一つ。
彼らの多くは、決して目の前の出来事から逃げなかった。
それは少年が知り得る“大人”の概念を打ち破る事実。パラダイムシフトのようなものだった。
いま、少年の価値観は、こうした幾つもの奇跡を経て生まれ変わろうとしている。
だからこそ、“そんな大人の期待になら、応えてみせてもいいかも”なんて思えたのかもしれない。
──結果は変えようがなくとも、コンテニューできるなら勝つまでやって見せればいい。
「やってやる……」
世界には、たった一度の失敗で手のひらを返すクソみたいな大人ばかりじゃないって、気がついたから。
「此処から先は人間の手でケリをつける。手を出すんじゃねぇよ」
誰にとも知れぬ言葉は、朝靄に蕩けて消えた。
●これからを生きるために
王国騎士団本部。陽の高いこの時間は、多くの騎士が敗戦処理のため慌ただしく行き交っている。
報告を飛ばす騎士にぶつかっては頭を下げ、支援物資を担ぐ騎士の脇をぎりぎり摺り抜けながら、それでも少女は走ることをやめなかった。
「エリオット様……っ!」
騎士団長室の扉を勢いよく開いたと同時、なぜか胸騒ぎが加速した。
息を切らせた少女、ヴァルナ=エリゴス(ka2651)は、呼吸を繰り返し精一杯想いを伝えようと思考を巡らせる。
だが、いつもと変わらない男の表情、その向こうにある強烈な違和感が拭えなかった。
「あの……私……申し訳、ありませんでした」
執務机の向こうにいる男とは、たったの数歩の距離。今も互いの視線はしっかり交わっている。
──けれど、それでも遠い。
物理的な距離を越えた何かが、確かにそこにあった。
「力になると言いながら、共に戦場に赴くことすらできなかった。ですから……」
「なにもお前が謝ることはないだろう」
謝罪を拒む言葉に、少女は唇を噛む。しかしそれも一瞬の事。
「……だから、そんな顔をするな」
エリオットはどこか罰の悪そうな顔をしていて、だからこそ少女は漸く微笑むことができた。
「ある方が振り返ることなく前へ前へ進んで行く。私はそれを見守るだけ……あの時のお気持ち、少し察せました」
“聞き覚えのあるフレーズ”を唱え、少女は眉を寄せて笑う。
その笑顔は苦みを伴い、成長した女性の微笑にも見える。
「こうなった責の一端は、あの日彼らを止める事が出来なかった私にもあります」
迷いのない目。けれど、その姿に青年が感じるのは、心苦しさだった。
「私にも、共に『これから』を背負わせて下さい」
それでも、その在り方を否定したくはない──そんな思いが、青年の口を開かせたのだろう。
「いつかまたその日が来た時は……頼む」
●勝利を願う光
マリエル(ka0116)が怪我をおして辿り着いたのは騎士団長室。
ノックの後に名を告げると、「構わん、入ってくれ」と聞き覚えのある声。
許可を得て扉を開くと、部屋の主と目があった──途端。
「え……?」
──なぜか、エリオットが厳しい目つきで睨みつけてきたのだ。
青年は険しい表情のまま立ち上がるとまっすぐ少女の傍に寄ってくる。
「な、なんですか……っ?」
何が起こっているのか解らず混乱するマリエルをよそに──
「……わっ!? ちょ、やめ……、降ろして下さい……っ!」
エリオットは、マリエルの許可なく少女を横抱きしたのだ。
「騒ぐな、怪我人に拒否権はない」
ぴしゃりと言うと、マリエルをソファに休ませるようにそっと横たわらせる。
「全く……なぜこうも怪我に頓着しない輩が多いんだ」
一人ぼやく様を見て、マリエルは思わずくすりと笑う。
「ふふ、すみません。でも……存外、お元気そうですね」
「俺の事より自分の心配をしろ。……で、今日は何の用だ」
◇
「……私の大事な友人に、元気がないんです」
あの日、あの戦いに参加してからのことを、少女はとつとつと語り始めた。
「彼女、本当は……戦いの似合う人じゃない。それでも目を逸らさずに、突き進んでる」
少女は目を眇めて呟く。その仕草は無意識的なものかもしれない。
「お前は、友人を誇らしく思っているんだな」
「……はい。誇らしいし、諦めない彼女が大好きです。でもね、本当はもう少し寄りかかってほしいなとか、思う事もあるんですよ」
冗談めいた口調だが、恐らくは少女の本音だろう。マリエルは真っ直ぐに男の目を見て告げる。
「強い意志を持ってくじけずに進む彼女を信じてます。だから……私も、できる事をします」
「そうだな。……今を、大事にするといい」
次は勝ちましょう──そんな約束を交わし、マリエルは微笑んだ。
●其は贖罪に似て
エリオットは、あまりに“国の為に在りすぎた”。
“自分の存在をプライオリティの最下層に追いやり過ぎていた”。
ジェーン・ノーワース(ka2004)は、そんな“在り方”が彼に少し似ていたから、気付けたのだろう。
──きっと、皆わかってる。元より“彼”には空白が必要だったのだろう。
少女が物思いに耽り、立ち尽くしていた公園に現れたのは件の男。
「お前、ジェーンだろう?」
突如、赤いフードの頂点が掴まれると、そのまま剥かれて少女の顔が露わになった。
「……ッ!? な……なに、してるのよ……!」
「俺か? 所用で出かける所だ」
「そ、そうじゃないわよ、貴方馬鹿なの……!?」
“赤ずきん”は少女の心を鎧うものだ。
それを剥がされた少女は、慌ててエリオットの手を払い、フードを深々と被り直す。
「暑くないのか?」
「暑くないわよ、刻むわよ」
鋭い視線の少女と睨み合う事しばし、男は漸く表情を緩めた。
「それでいい。功労者がしょぼくれていると、誰も救われん」
──負けたくない、と。その為に強く在りたいと願ってからこれが何度目の負けだろう?
沈むような思いは、今や動的に変わっている。
「私は沢山の命を見殺しにしてきたわ。貴方の叔父だってそう。……それでも、功労者だなんて言えるの?」
「ならば、俺も同罪だろう」
その采配一つで左右される人生の数は、まるで比にならないと言うのに。
「飲み込めない自分は否定しないでいい。ただ、そのままをよしとするかはお前次第だ」
「……ふざけないで」
まだ、何一つ足りてない。もっと強くならなくちゃならない。
けれど、この男を前にすると余りに眩しくて……少女は、目を背けるしかなかった。
──だって、私は光になれないもの。
それでも。
光でないからこそできることもあるはずだと、少女はその時既に解っていたのだった。
●戦の誓い
「役に、立てなかったな……」
央崎 遥華(ka5644)は、賑わう第三街区の公園のベンチに腰掛け、ぼんやりと王国の街並みを見つめていた。
思い返すのはあの日、ベリト討伐戦でのことばかり。
──判断を誤らなければ、幾らか変わったかもしれない。
そう思うと、悔やまれて仕方がない。少女は、自責の念を引き摺っていたのだ。
しかし、そこへ──。
「具合でも悪いのか?」
「え? ……えっ!?」
ふと、声をかけられた遥華が見上げると、そこには元王国騎士団長エリオット・ヴァレンタインの姿があった。
「少し顔色が悪いようだ」
「いえ……あの、エリオットさん、私……」
居たたまれない気持ちの遥華は、正直彼に声をかけることすら戸惑われた。
だが、このままではいられなかった。
自分の中にある“靄”を取り払わなければならなかった。
それならば……。
「この間の戦いの事、考えていたんです」
自分の気持ちに正直に向き合うこと。それが一番の“特効薬”だと思い至った。
◇
「なるほど。お前の判断と結果については解った」
「……はい。それが、私のミスでした」
「なぁ、遥華。お前は“後悔したい”のか?」
「そんなわけ、ないじゃないですか……!」
「ならば、もう“作戦結果の検証”は済んだだろう。次は、どうするんだ?」
「……!」
私は、どうしたい?
どうするべきなのか?
その答えは、既に少女の中に燦然と輝いていた。
「……もう一度。もう一度ハンターとして誰かを助けたい。そのために、いつまでも気落ちしていられない」
「そうか、良くわかっているじゃないか」
エリオットは遥華の肩をそっと叩くと「これからの活躍を期待している」と告げ、三街区の奥へ消えて行った。
──白き魔女を名乗り、再び戦う。
胸に手を当て小さく首肯すると、少女はその先の道を再び歩き出した。
●継戦の光を灯せ
対崎 紋次郎(ka1892)が王都で調べていたのは、歪虚・メフィストの過去実績。
「野郎、やっぱり“メフィスト”としての実績はほぼないな」
──恐らく得意の“変容”で姿と名を使い分けてやがる。
だからこそあそこまでの強さを誇りながら、十三魔に名を連ねていなかったのだろう。
じゃあ、奴が行使した幻術の例は?
──これは、調べが行き詰った。
幻術の類を行使する歪虚や精霊なども、歴史上存在が確認されている。
だが、その幻が“メフィストの行使する術と同類か否か”という点において、関連性を明白にすることができなかった。幻は人によってみるものが異なる場合もあり、術の根幹、その類似性を明らかにすることは酷く難しい。
これは有効な捜索方法ではないだろう。
それでも、青年は丁寧に情報を精査し、潰していく。
あの日、歪虚の群れの中で意識を失った時、紋次郎は明白に死を意識した。
だが"歪虚は慈悲をかけた"のだという。それに縋って生きろと、高笑いさえ残して行ったと──
「このインターバルで、どれだけやれたかが勝敗を決める……」
自然、拳に力が入る。やるべきことは一つだった。
紋次郎が面会を臨んだのは、先の大戦でメフィストの幻術への対抗策を提案した魔術に長けた騎士ローレンス。
人払いがされた作戦室の椅子にローレンスが腰をかけるとすぐ、時間を惜しむように紋次郎が本題を切り出した。
「メフィストの行使した巨大な闇の魔法陣、あれを破壊することは可能か?」
瞬間、騎士の目が鋭さを増す。
「抑止でなく“破壊”か……団長が授けた名誉勲章もただの飾りではなさそうだ」
「ほら、例えば、魔法陣の交点を光の攻撃で撃ち抜き、陣を崩すとか」
「着眼点は悪くないが、問題は……」
ローレンスは指で天を指す。
「遥か天空に描かれたそれを如何に対処するかだ。ごく一握りの超長距離射程の弓ならば届くかもしれん。だが、亡霊などの霊的存在がそうであるように、闇の魔術と言う概念的装置に対し、物理で影響を与えることは難しかろう」
「くそ、そういうことか……」
だからこそ、“あの時誰も手を出すことができなかった”のだ。
「いや、しかし……お前の指摘は実に面白い。共有しておこう。だが、一つ言っておきたい事がある」
紋次郎ではなく、遥か彼方を睨み据えるようにローレンスは言う。
「先のメフィストの力は、あくまで“法術陣による制約下での力”だ。陣により弱体化され、あの時のやつは本来の力より“数割ほど能力が低減”しておったはず。本物のあやつの力はあんなものではなかろう」
「だからこそ“討伐の好機”だった、ってことか」
「如何にも。もうあの奇跡のような好機は得られんだろう」
それでも、紋次郎の目から強い光は消えることがない。
「その分、こちらには“情報”がある。……戦いは、終わっていないんだ」
●戒めを背に
復興作業を着々と進める騎士団を横目に、J・D(ka3351)は今、王都を歩いていた。
まだ太陽は頂点を過ぎたばかり。
ハットのつばに日差しを遮られながら、男は“例の現場”に向かっていった。
王都イルダーナ、第七街区。そこに足を踏み入れた時、男は安堵した。
瓦礫の山を臨みながら安堵するなんて、全くもっておかしな話だ。だが、それでも確かに安堵していた。
『歪虚共に負けたって、これで終わる筈もあるめえ』
当初、そう思ってこの地に足を踏み入れた。
そうしてサングラスの奥から見つめた景色は、レンズ色のフィルターを通してしまうけれど、“世界そのもの”の色でなくとも、男には紛うことなく映っていた。まだ“終わっていない”という事実と、未来への“芽”が。
「おじさん、この先はあぶないんだよ! 騎士団のひとがまだだめだって」
七街区の子供だろう。J・Dの姿を見て駆け寄ってきたようだ。
男の服の裾を引っ張る少年の顔に、悲壮感などない。
「おう、そうか。ありがとな、おっちゃんは平気だからよ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でてやると、少年は「気をつけてね」と手を振って走ってゆく。
何気ない出来事に“国がきちんと仕事してんだな”などと、そんなことを思えた。
もとより王国軍は、先の黒大公襲撃の経験を活かし、民間人の犠牲者をほぼ出していないと聞く。
ならばこそ、見据えるべきものは明白だった。
国が国のやるべきことをやっているのなら、ハンターがハンターとして出来ることは何なのか。
──今この状況が歪虚のお情けだってなら……メフィストとやらを成敗しねえ限り、一件落着とはいかねえ筈だ。
いつかの天使を思い返し、男は頭を振る。
「あれを繰り返させねえ為にも、連中の好きにはさせねえ」
●護る願い、殺す誓い
──護れず、殺せず。
「これじゃ、教会で惨劇を引き起こした羽虫もメフィストも殺せない」
七街区の瓦礫に腰をかけ、少女──松瀬 柚子(ka4625)は思案気に街を眺めていた。
頭の中にはただ一つ、執着にも似た強い想いが巡っている。
しかし、それも束の間。少女は思考の世界から解かれることになる。
「……あれ? なーにしてんですかっ、Jさん!」
先程の思案など億尾にも出さず、少女は人懐こい笑顔をつくって偶然見つけたJ・Dの腕を叩く。
「ま、散歩みてぇなもんだ。お前ェさんこそ何やってんだよ、“こんなとこ”で」
痛い指摘を誤魔化すように笑い、少女はこう切り出した。
「まぁ、いいじゃないですか! ……あ、そうだ。ちょっと一緒に歩きません?」
◇
「ごめんなさい、教会での仇取れなかったです」
男と二人、並んで歩く柚子はややあってぽつりと呟いた。
「次は必ず、あの蜘蛛も羽虫も殺します。前回は意識吹き飛ばされちゃいましたけど……次は大丈夫!」
矢継ぎ早に続く話は、まるで少女の焦燥感を隠すようにも見えて。
男は悟られぬよう眉を寄せ、溜息を零した。少女の“全速前進”は、どこか危うさを感じさせる。
「全部背負いこむ事ァねえンだぜ。お前ェさん一人の因縁でもあるめえし」
「やーだなー、背負うとか! 私から一番遠い感情ですよ、ソレ!」
あはは、と笑って柚子は髪を掻く。
──本当マジメと言うかお人好しというか。私は平気なんですけど……
柚子はそう思うのだが、自身では気づけないこともある。
人間は誰しも、心に“無意識”領域があり、それは“意識”の領域を圧倒的に超える。
「鉄火場じゃァ頼りにしてるさ。だから、無茶をやるンじゃねえぞ」
「はぁい、善処しまーすっ」
J・Dを見送った柚子は、男の背中が見えなくなると、漸く瓦礫に背を向けた。
それは、覚悟を決めたことの意でもある。
「……強くなる、もっと」
そのために、私はハンターになったんだから。
●光を背負う者
第七街区西部の瓦礫の前に、一人の青年が佇んでいた。
辺りが橙色に染まる夕刻。
それまで明らかであったものの輪郭が、光を失い闇に溶けてゆく狭間。
それはまさに、あの日、あの時の戦いと同じ時刻だった。
絶望に呑まれたのは、まだ幼い少年。
彼は確かに歪虚で、同時に傷ついた心を抱えた子供だった。
「──ッ」
今でも時折、彼を討った時の、肉を断つ生々しい感触が蘇る。
青年がその激情を堪えるには、拳に力を籠めるほかなかった。
爪先が掌に食い込む感触も痛みも、痛烈な悔恨の前では何の意味も成さないというのに。
──次こそはと、そう誓ったのに。……何も、できなかった。
どうしようもない無念が、きりきりと胃を締めあげる。
神代 誠一(ka2086)は、ベリト最終戦に赴くことができなかったのだ。
瓦礫を見降ろしたまま、どれくらいそうしていただろうか。
先の戦で西門は崩れ、地平に落ちる夕陽を遮る物はない。
眩さに背を向けた時、誠一は漸く自覚した。足元に伸びる長い影。それは普段の影よりずっと濃い。
『影を生むのはね、光なんだ。それならさ、光を消すのが一番確実でしょ』
この言葉をもう何度思い返しただろう?
だが、光がなければ、人は進むべき方角が分からず、他者の輪郭すら知覚できない。
自然、触れ合いも関わりも断たれ、世界のあらゆる幸福が見失われ、何もない世界でぽつりと一人佇む事になる。
誠一が、これまでの多くの出会いの中で育んできた人生観が明白に告げている。
“光がない世界を肯定することはできない”、と。
誠一の世界では、この時間帯を“逢魔が時”と呼ぶことがある。
「残された俺は前に進まないといけないんだ。だから……行くよ」
視線の先には、あの不器用な天使の姿が見えていたのかもしれない。
右胸の上、シャツを無意識に掴み、青年は歩きだす。
あの日の決意を、再び抱きながら──。
●昼行燈
「……青いもんだな」
視線の先、歩きだす黒髪の青年を遠目に眺めながら、鵤(ka3319)は肺の奥から煙を吐き出した。
既に“逢魔が時”は去り、辺りは静かな闇に支配されつつある。
だが、復興作業に従事していた騎士たちの一部は夜間も現場に止まるようだ。
崩壊した外壁から歪虚が侵入する事のないよう見張りを立てる必要性もあり、同時に火事場泥棒等を考慮した治安悪化への対策も兼ねているのだろう。この時間になっても現場を見張る騎士たちの姿が消えることはなかった。
そんな騎士たちの姿を横目に、もう一度、深く煙を体内に招き入れる。
──どうやら、復興作業は順調に行われているようだ。
なぜなら、あのベリト討伐戦からほどないというのにこの辺にはすでに遺体がないどころか、一部規制線すらも解かれているからだ。王国は先の黒大公戦と比べて長じていたのだろう。それは解った。
だが……ただただ、侮っていた。
「それしか、言いようがないねぇ」
自嘲するように笑うと、肺を一巡した煙が口角から漏れる。
鵤がこの事件に関わったのは何時も通り、陣に関するちょっとした“頼まれ事”の為だった。
──だが、おかげさまでご破算だ。
溜息も出ようと言うものだ。
骨折損のくたびれもうけなんざ、バッドエンドとしか言いようがない。
「まあ、後々今回の記録文書でも漁るとしよう」
そうでもしなければ、何にもならないからな……その一言は呑みこんで。
鵤は夜の街へと姿を消していった。
「あーあー酒を飲むだけで金が貰える仕事したいわぁ」
●意外と女の子らしいアルト
その日、アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)が、ある酒場の入口で遭遇したのは二人の男だった。
一人は王国騎士団長。そしてもう一人は……
「怪我人が何用だ」
「何用って……ッ……」
軋む体を堪える少女に、副長ゲオルギウスが溜息を零す。
「そんななりでは店の者に気を遣わせる。お前が行くのは診療所で十分だ」
そう言い残し、老騎士は店へ消えて行った。
「……すまん。あれで一応、心配していると思うが」
「気にしてない。爺ちゃんの言う通りだし」
痛みを耐えながら冗談めかして笑うアルトに、青年は困ったように髪を掻く。
「お前も無茶をするな。近くの診療所まで連れて行こう」
「いいよ、そんなの。……あ、でも、少しだけ貴方を借りてもいい?」
◇
近くのベンチでひと心地つくと、アルトは楽になった様子で息を吐いた。
「エリオットさんも、お説教?」
「……そんなところだ」
「そっか。ボクもお爺ちゃんから喰らった後だよ」
笑って、悪びれる風もなくアルトは空を仰いだ。
「あのさ、分かっているだろうとは思うが、あえて言うよ」
少女は視線の先に何を見ていたのだろうか。
やがてエリオットの眼を見つめると、明白に告げた。
「貴方が前に進もうとする限り、付いていきたいと思う人間はこの国にはたくさんいる。一人で背負いすぎることはない」
「……俺は、そんな大したものじゃない」
「馬鹿だな、貴方は」
少女の素直な言葉に対し、青年は不服そうな顔をするばかり。
「早く解ってくれるといいけど。さて、じゃあボクはもう行くよ」
「お前、そんな体でどこに……」
「どこって、そりゃ」
悲鳴を上げる体をおして立ち上がると、振り返って笑む。
「怒られてる貴方を見るのは面白そうだけれども……なんだか可哀想だから」
その顔は、戦場での彼女とは全く異なる、明るくも優しい微笑みを湛えていた。
●不器用な感謝をキミに
老騎士の説教が響く酒場に足を踏み入れたルカ(ka0962)は、ここぞとばかりに説教の方角へ向かっていく。
「そのお話、私もお邪魔させていただけませんか?」
「ルカ?」
驚いた様子の男──エリオットを横目に隣のハイチェアへかけると、老騎士の冷ややかな視線に構いもせず、少女は口を開いた。
「副団長さん、聞きたいことがあります。茨の乱の時、その責を教会の誰かが負ったのですか?」
気のない老騎士の間を繋ぐように、青年が応じる。
「あの作戦は成功し、茨の王は討伐され、マテリアルも回収出来た。誰かが責任を取る状況ではなかっただろう」
「ですが、戦の切欠となったのは教会だったのでは?」
食らいつくルカに、青年は言葉を選びながら答える。
「教会が当時聖女を責めたことを指しているのか? ならば、切欠は特定の誰かではなかったはずだ。“多くの人間がそういう雰囲気を作ってしまった”。そして、それに対し教会は内部の法術研究班の可視化を行い、聖女エリカを聖人に列するなど対応の変化を見せている。村人に資金援助もしている状況だ」
「そう、ですか」
短い沈黙。首肯し、ルカはもう一つ問いを重ねる。
「王国諜報部からテスカ教団変貌の報告は?」
「諜報部? 強いて言えば、騎士団なら青の隊がそう言った仕事もするが、報告の有無とは難しいな。組織の頭が変わることで全体の雰囲気が変わることはしばしばある。テスカの場合、当初それに当てはまっていたことで後手に回った感はあるだろう」
「解りました。色々、状況が複雑ですよね……少し、考えます」
思案気に席を立つルカは、最後にもう一度振り返ると
「そうだ。エリオットさん、無職になっても呼んで下さいね。それと……」
少女は男の傍に寄り、あるものを取り出した。
「少し早いですけど……コレ。お誕生日、おめでとうございます」
●掲げよ、我らが旗を
「──悪かった」
それは、その日出会い頭に交された言葉だった。
その少年──ウィンス・デイランダール(ka0039)は、真っ直ぐエリオットの眼を見つめている。
「……おい、ウィンス」
「なんだよ」
「今すぐ診療所に行け」
「……はあ?」
顔を顰めるウィンスの額に、無遠慮に手をあてるエリオット。
「熱はないようだが、ベリトの闇魔術の後遺症か、或いは……」
合点がいくと同時、少年は男の手を払いのけ、青筋を立てた。
「よぉし、よく解った……いいぜ、売られた喧嘩は……」
刹那、ゴッと存外いい音を響かせて落ちた拳骨が二つ。
一つはエリオットの頭に。もう一つはウィンスの頭に。
「場を慎め、脳筋共」
パイプを咥えた老騎士は、そう言い残して席をたつのだった。
◇
圧倒的敗北に際し、止まる事なかれとウィンスを奮い立たせたもの。
それは、彼が率いるグロウナイトの仲間だった。
自らの強さに拘り、目指すべき場所しか見えていなかった彼にとって、後背の状況はまさに“死角”。
彼の背を目指し懸命に走っている者がいることに、少年はまるで気付いていなかったのだ。
──『金髪馬鹿』にも既に啖呵を切ってる。
ならば、なおのこと。決して折れるわけにはいかない。
だが、少年が気付けていなかったのは“本当にそれだけ”だろうか?
「戦死者に化けて此方を惑わす、敵の卑劣な策に戸惑い、攻め手を欠いた」
「実際、攻め手を欠いたのは事実だ」
「……あぁ。“歪虚はヒトの心に付け込む”。学ばなければならない」
呟く少年の背に、“薄く笑声が聞こえた”のは気のせいだろうか。
『存外、つまらないね。君は』
振り返れども何もないのだが、リフレインは止むことがない。
「――上等だ」
どんな嘲りが向けられようと、相手が何だろうと、自身が未熟であろうと──
“自分の芯が屈するか否か”には何ら関係がない。
例え虚勢であろうとも、“屈さない”こと。
それこそが俺の在り方だと、今まさに俺が定義した。
仲間に無様を晒しはしない。掲げ続けてやる、自分という“旗”を。
●危険人物
ウィンスが去ったカウンターは再び静けさを取り戻していた。
エリオットがひとりグラスを傾けていると、隣の席から「かたん」と小さく音が立つ。
新しい客だろう。特に意識もしていなかったのだが、やがて青年の元に甘い香りが漂ってくる。
嗅ぎ慣れない香りに視線をやれば、そこにはトライフ・A・アルヴァイン(ka0657)がいた。
「煩いガキは消えたようだな」
視線を合わせる事はないが、トライフは男の視線にそう応じる。
「……お前たち仲がいいな」
「気色の悪い話はやめてくれ」
トライフは店員に適当な酒を頼むと、長い息を吐いた。
敗戦後の今、トライフが王都を訪れた目的は一つだ。
──こんな時だからこそ儲け話が転がってる。
上がる口角を隠すように煙草の煙を吐くトライフ。
だが、彼が目の当たりにしたのは、騎士たちが十全な警備で治安維持に努める光景だった。
先の黒大公襲撃直後、王都は瓦礫の街と化し、火事場泥棒の頻発はおろか、女性や子供の独り歩きすら危険な地区も発生する事態を迎えていた。有事に際し、エリオットはそう言った治安悪化を憂慮。事態を早急に対処していたのだった。
そもそも今回戦場となったのは第七街区──移民が多く、帝国ほどではないがスラムとも言える場所。
トライフに言わせれば「ろくなものがない」地区だ。
──こんなしょぼくれた場所で稼いだ小銭で目をつけられるなんざ、たまったもんじゃないな。
つまりどういう事かと言えば、トライフの"目論見失敗"である。
ともあれ、手ぶらで帰るのも気持ちが腐る。ならば、と評判の酒場に来た──というのがここまでの経緯。
隣のエリオットに煙を吹きかけるように吐き出すと、青年は眉を寄せ困惑した表情を浮かべる。
予想通りの反応に、トライフはにやにやと悪意のある笑みを湛えた。
「お前な……さっきから一体なんなんだ」
「なに、王国の有り様に興味はないが、負け戦と聞いてな。負け犬の顔を拝みに来たのさ」
「……大した物好きだ」
溜息をついて、グラスを傾ける元騎士団長。対するトライフは一転、冷めた目で男を見つめた。
「なぁ、俺は俺の責務を果たした。お前はどうだ?」
その“目”を見透かされぬよう、トライフは眼鏡のブリッジを押し上げる。
「責務、か」
短い沈黙。煽ったグラスをカウンターに音もなく戻すと、エリオットが珍しく好戦的な目をしてみせた。
「お前に似合わん言葉だが……悪くない。俺はまだ“果たすべき責務”がごまんとある。優秀なハンターの助力には対価を惜しまないが?」
──なるほど。この男、ただの堅物かと思いきや、見せ物としては多少面白そうだ。
満足げに煙草の煙を肺の奥まで満たし、トライフは立ち上がる。
「……最後に一つ。今回は教会の秘蹟、王国の切り札を切った訳だが──」
──どっちだ。All-Inか?
刹那、エリオットの目に強い警戒の色が浮かんだ。眼光鋭く、トライフと睨み合う。
……最初に笑ったのは、トライフだった。
「あんたの感情が表に出にくいってあれ、本当は冗談だろ?」
「どういう意味だ」
「言葉通りだ。……ま、俺にはどうでもいいことだがな」
●宴も酣
老騎士の説教が落ち着いてもなお、酒場に静けさが戻ることはない。
「はじめまして、ハンターのアシェ-ル(ka2983)と申します。ご一緒させて貰いますね」
エリオットの元には、同じ酒場に居合わせたハンターたちが集い始めていた。
「ご一緒って……構わんが、俺と飲んでも面白くはないぞ」
アシェールの突撃にエリオットが首を傾げるも、その隙に青年の隣席には綺麗な男の子が腰をかけていた。
「団長さん、お説教も落ち着いた頃だし、俺がお酌しましょうか?」
「ジュード? お前もここにいたのか」
「丁度、ね。エリオットさんたちの“お話”が終わるまで大人しくしてたんだけど」
くす、と笑うジュード・エアハート(ka0410)がグラスに唇をつけると同時、今度はカウンターの隅から声が響いた。
「おねえさん、そこのそれ、そうそう。ワイン。樽ごと頂戴よ。え? いいっていいって、寄付金代わりだ」
ワインを樽ごと購入し、うろたえるバーテンをつまみ代わりに鵤はへらへらと笑っている。
「そうだ。そこの坊やも、一緒に呑むかい?」
後背に現れた少年に向かって、鵤は何の気なしに言う。……が、しかし。
「あたしらだってねぇ、この人に言いたいこた山ほどあるんでやすよ」
ウォルター・ヨー(ka2967)がエリオットと肩を組もうとしたのだろうが、行きすぎた絡み方をしているようだ。
「ウォルター……お前、酒臭……じゃない、俺の首が閉まる前に、放せ……」
●ほろ酔いウォルター
「エリオット様。思うにね、あたしらは些か纏まりが無さすぎる」
ただの酔っ払いに見えたウォルターだが、恐らく、少年の頭は冴えているのだろう。
「“きっと誰かが”……なんて想いは希望でもあり、でもきっと怠惰でもある」
──功名餓鬼なんでやすよ。
少年はニッと笑って見せる。その笑顔はどこか苦い。
「それは俺に言いたい事じゃないだろう?」
「本題は、まぁ……冷めた頭で言う事でもありやせんしね」
「仕様のない奴だ」
青年が給仕を呼びとめると「さすがはエリオット様」と手を揉む少年の姿は板についている。
新しいジョッキを煽り、満足げに「ぷはっ」と息を吐くとウォルターはこう告げた。
「……エリオット様、もっと“僕”らをこき使ってやって下さい」
少年の様子に明らかな違いが表れた。それは一人称や口調の違いだけじゃない。
「僕も、もっと頑張りますから」
「お前が頑張るとは、どういう風の吹きまわしだ」
「ま、それはそれ。今日は飲みましょう。失敗した過去の話をしましょう」
ジョッキを互いにぶつけ合うと、ウォルターは目を眇めて笑う。
今この場にいる少年が、余りにこれまでの印象からかけ離れていて。
思わず、青年はそれを口にしていた。
「今日のお前は、随分眩しそうに笑うんだな」
「……“眩しそう”に? はは、随分痛い所を突かれたようで……」
頬を掻く少年の笑顔は、年より随分大人びて見える。
──たとえ失敗したとしても、貴方の決断は僕の憧れた騎士の在り方そのものだから。
紡ぐ言葉は、酔いに任せた戯言か。
「そうか。……だが、諦めた風な口を利くには、随分長すぎる余生だな。ウォルター?」
●サチコ様のために
「……先の戦い、大変でしたね」
ウォルターが物思いに耽った様子で席をたった頃を見計らい、アシェールがエリオットに水を差しだした。
軽く礼を伝えて受け取ると、唇を湿らせたエリオットが深い息を吐く。
「そうだな。大変でない戦いなど、有り得ないんだが」
「ですが、結局テスカ教団ってなにがしたかったんでしょう」
訪れた静寂に、アシェールがぽつりと呟く。
「……あれは、この国の"闇"の側面だ」
「王国やエクラに絶望した人たち。それが、闇なのですか?」
「国の力不足で生じてしまった不幸を、彼らに背負わせてしまった。怨む事、絶望することでしか、生きる気力を保てなかったのかもしれない。だが、それを扇動し利用したベリト……いや、メフィストの罪は、許されるものではないが」
アシェールにも彼の強い感情が痛いほど伝わって、思いがけず息をのんだ。
「……でも。歪虚は法術陣を汚染させたのに、どうして帰ったのでしょうか?」
「汚染はヴィオラによって浄化された。法術陣まで発動され、奴は焦っていたはずだろう」
「焦る事態になったのは、目論見が外れたからですよね? だとしたら、なんで、そもそも外れたのでしょう?」
「そこが問題だ。いま、誰もがその答えを探している」
情報の整理はできた。けれど、アシェールにとって友のためになる情報が得られたかは解らない。
それでも、アシェールが止まることはないだろう。
「エリオットさん、今日はお話できて良かったです。ありがとうございました」
……彼女の為に。
●真理見守る遥かな星
「しかし、今日は随分いろんなやつと会うな」
「敗戦直後の混乱も落ち着いて、王都の雰囲気もなんとなく“人恋しさ”みたいなものがあるのかな」
言葉を選びながら、ジュードが微笑む。
「ゲオルギウスさん、ああ見えてエリオットさんのこと大事にしてるんだね」
「それは解らんが、この国にはあの方が必要だ」
「頭が上がらないんだ? 今回は特に情報戦な所もあったし、尚の事かな」
「……お前にはお見通し、か」
エリオットは居たたまれない様子で頬を掻く。だが……
「ううん。でもさ、俺……あの日は“見通せなかった”モノ、沢山あったよ」
ジュートも苦笑を浮かべながら、エリオットのジョッキにエールを注ぐ。
その目は、ここではない遠くを見ているようだった。
「光と闇は相反するものではなく一緒に存在するもの……これってさ、なんだか許容しがたい事実だなって、今更思えてきて」
「光の千年王国にとって、都合のいい表現ではないな」
「でも、都合の悪い真実から目を逸らしちゃいけないよね」
グラスに目を落としていたジュードは、そこから視線を戻すとパッと明るい笑顔を見せる。
その顔に、不思議な安堵感を得たのはエリオットだけではないだろう。
「お前を見ていると気持ちが明るくなる」
「そうかな? ま、俺はこれまでもこれからも変わらないけど」
──離れた場所から見守り、いざという時に背中を押す風であれ、手を差し伸べる光であれってね。
そう言って、少年は綺羅星のような笑みを浮かべた。
●面食いですが何か
突然、ウェイターがエリオットの元に新しいグラスを持ってきた。
その酒は店でとびきり上等ものらしく、青年は困惑した様子で給仕を見上げる。
「……頼んでいないが」
「あちらのお客様から、エリオット様にと」
示されたのは、少し離れたテーブルからエリオットを眺めてにやつく少女。
「ふふ、“あちらのお客様から”、1度やってみたかったんですぅ」
「人違いじゃないのか?」
困惑する男に構う事なく、少女はひょいとテーブルを移動してエリオットの正面へと腰をおろした。
「失礼しまぁす。あ、ちなみに人違いじゃあないですねぇ。お店に入る前からずぅっと貴方のこと見てたので」
「俺をか?」
少女──星野 ハナ(ka5852)はテーブルに両肘を突いて青年を見つめ、満足げに首肯する。
「だぁって雲上人すぎて今までご尊顔を拝す機会がなかったんですぅ。それに、私はいい男成分補給して次の英気を養ってるだけだから迷惑かけてないですよねぇ?」
──まぁ、確かに。
折角ですからぁ、と笑って酒をかぱかぱ煽る少女に対抗する術もない。
青年は助けを呼ぼうとするのだが、ジュードやウォルターは既に去った後。
「重いお話、済んだ感じですかぁ?」
「まぁ、な。……先の戦では助かった。オーランは、国の未来を担う男だ」
「別にお仕事ですしぃ。あ、でもその敗戦のツケ、貴方一人で背負いこんでるんですよねぇ?」
指摘が的確に過ぎて、男は思わず髪を掻く。
「そう言うつもりはない。俺は、器用な人間じゃないんだ」
「ふぅん。まぁ、他人からは遠回りに見えてもぶっ倒れた先でしか自分を納得させられない事なんて世界にはざらにありますよぅ? 人が見えなくなってるなら1回そこまでやればいいんじゃないですかぁ」
“ただの面食い”を自称する割に、少女の言葉は随分と青年に響いたようだった。
「……お前、意外と考えてるんだな」
●“その時”までの約束
酒場を出たエリオットが、酔い覚ましに訪れた公園。そこには美しい先客が佇んでいた。
「こんばんは。……今夜は少し余裕があるみたいね」
「引き継ぎも終え、長の職務を外れたからな」
「変に隠したり、言い訳したりしないのね」
「お前にか? その余地も、意味もないだろう」
「……貴方らしいわ」
月明かりに金の髪が輝き、時折そよぐ夜風に吹かれて髪が長い耳を撫でる。
「お前は何をしていたんだ、アイシュリング(ka2787)」
「散歩よ。貴方も余裕があるなら……星でも見に行かない?」
酔い覚ましになるわ──そう言って、少女は微笑みを浮かべた。
「普段、夜空を見上げる余裕はある?」
「いいや。かろうじて、観葉植物に水をやる程度だ」
「……あの植物、貴方が職を離れる時、誰かに引き継ぐの?」
「馬鹿を言うな。“あれ”は“俺のもの”だ」
「……そう」
空を仰ぐ少女の横顔は、穏やかで暖かい。
「貴方、周囲の人には、追い立てられて生き急いでいるように見えているのかもしれないわ」
「だろうな。だが……」
「何もしないで休むよりも動いている方が落ち着くのね」
少女と同じように空を見上げ、月や星を眺めていると、自然と心が落ち着いた。
同時に、こうして話をしていることでも、気持ちが穏やかになっていくのが解る。
「……情けない話だが、お前の言う通りだ」
溜息一つ。それに小さく笑い合うと、少女は言う。
「ねえ、どんなにもどかしくても周囲の気遣いを汲むことも仕事のうちかもしれないわ」
その言葉は、少女自身にも向けられたものだったかもしれない。
「今は、休んだらいいじゃない。だって、“挽回の機会”はあるでしょう?」
いつか必ず来るであろうその日、その時、自分は何ができるのか?
そうして少女は、ある約束を交わす。
次の機会にこそ、自分にできることを見つけ、果たすのだと──。
●誓う未来に手を伸ばし
「結局私は何が出来て、何をしてあげられたのでしょう……」
クリスティア・オルトワール(ka0131)は第七街区の瓦礫を前に祈りを捧げていた。
思うのは、この戦いの犠牲となった人々と、そしてテスカの信徒たち。
堕落者を元に戻す方法は、今のところまだ見つかっていない。
だからこそ、あの時自分ができたことは、“その命に対する最善”だったはず。それでも……。
──命を賭して希望を守った人がいる。心を殺して未来を守った人がいる。そして、あの人は。
もっと何かができたのではないか?
焦りや後悔にも似た感情が胸の奥に渦巻く。それはどろりと重い心地がして。
少女は思わず目を閉じ、俯いた。
いま瞳を開いたら、余計な感情が溢れ落ちてしまいそうだった。
「……ごめんなさい。貴方たちの無念はいつか、必ず」
その日の夜、騎士団本部前で目当ての人物を見つけると、クリスはぎこちなく微笑んだ。
「こんばんは。……王女様にまで気を遣わせてしまうのは、どうかと思いますよ?」
「開口一番それか。まぁ、お前らしいか」
相手は王国騎士団長だった男、エリオット・ヴァレンタイン。彼と会うのは実に2ヶ月振りだ。
──なのに、もうずっと会っていなかったみたいで。
遠くに感じる気持ちもあった。だが、男の目を見ればそんな思いは吹き飛んでしまう。
「……何がおかしい?」
「え? 私ですか?」
「そうだ。……先ほどより、随分自然に笑っている」
指摘され、口を噤む。普段は恐ろしく感情の機微に疎いのに。
「こういう時だけ、鋭いんですね」
「どういう意味だ?」
「いいえ。本当は話したい事、沢山ありましたけど……まぁ、いいかなと」
──今はその瞳の光だけで十分。そう思えたから。
「エリオット様」
「なんだ」
「……お帰りなさい」
たった一言に、沢山の想いを載せて、手を差しのべた。
●“光”を追いかけて
初めて足を踏み入れた騎士団長執務室は、少女が探していた香りに包まれていた。
なぜかそれを知覚した途端、体の底から気持ちが溢れてくる。
少女がその男に見るものは、初めて出会った時とは全く別のものに変わっていたのだ。
「こんな所にどうしたんだ、ブラウ?」
「ちょっとでいいから……時間、もらえないかしら。お願いだから」
自身を迎えるエリオットの傍へ歩み寄り、ブラウがせがむ。
「……全く、お前は」
そんな少女の様子に、エリオットは苦笑しながら応じるのだった。
「この世の終わりみたいな顔をしてるぞ。話くらい聞くから、そこに座れ」
「……わたし、これまではただ自分の欲望に忠実に生きていたの」
今まで、少女にとって世界なんてどうでもいい存在だった。
生も死も、他者の命を奪う事すらもどうでもよかった。
なぜか? “そこには何もなかった”からだ。
「でもね、貴方に出会ってからわたしはきちんと前を向けるようになった。“光”を見つけて、世界が変わったのよ」
「大袈裟な奴だな……」
「わたしにとってはそうなのよ。否定しないで」
首肯する男に安堵し、少女は一呼吸の後に告げる。
「わたし決めたの。どんな時でも……例え“光”が消えても諦めないわ」
突然の言葉はどう受け取られたのだろうか。
だが、なぜかエリオットは思案し始め、やがてこんな問いを投げかけた。
「もし明日“光”が消えたとして……お前はそれを追い続ける覚悟があるか?」
「……え?」
男の気配が明白に雰囲気を変えた。だが、少女の決意には何の揺らぎもない。
「勿論よ。ずっと、いつだって、見えない“光”を、貴方の背中を追い続けるわ。だけど……!」
頭上に降ってきた男の掌が、今までよりずっと重く感じられる。
「ねえ、どうして……」
ブラウはその重みを感じながら、こみ上げる涙を堪えていた。
「どうして今日の貴方は、“いまにも消えてしまいそう”なの?」
●誰が為に俺はある
騎士団本部、青の隊・隊長室。
その部屋に入るなり、ジャック・J・グリーヴ(ka1305)はソファにどかっと腰をかけた。
上質なソファの背に手を回し、臆面なく酒を寄越せと爺にせがむ。
「お前そんなざまで本当にあの“メフィスト”とやり合ったのか? 聊か信じられん」
「……るせぇよ」
“その名”が出た途端、青年は苦みに眉を潜めた。
◇
「法術陣はメフィストが出てこなきゃ、多くの連中にとって知る由もなかった。あんたもそうなんだろ?」
若人の単刀直入な指摘に、老騎士は「やれやれ」と溜息をつく。
「まぁ、そうだな。……だがその後、法術陣に関するあらゆる情報を調べ上げた。それこそ世界中からだ。そうして掴んだ事実は、法術陣が“ごく一部の者”にしか口伝されない秘術であったということ。そして、その真の有様はグリフヴァルトの地下深くに眠り続けていたということだ」
「ごく一部、ってのは誰の事だよ」
騎士のボトルを奪い、勝手に二つのグラスに赤を注ぐ青年は、矢継ぎ早に尋ねる。
「無礼な小僧め。……この国と教会の頂点。所謂“時の権力者”と言う奴だ」
「ま、つまり現時点で考えられるのは“時の権力者”からの漏えいって筋だけか」
「本来は、な」
「憶測だがよ、この事件、法術陣を世間へ知らしめメフィストを倒す切欠を与える為だったなら……どうだ?」
途端、ゲオルギウスが珍しく声をあげて笑いだした。
「馬鹿も休み休み言え。貴様、その歳で“お花畑理論”などたいがいにしろ」
「誰が好き好んで歪虚に力を貸すってんだよ!」
「見えておらんな。先のテスカ教団は、どうだった」
「ッ、ともかく! 今一番危ねえのは、メフィストに情報を教えたヤツだ。俺は……悪いが、情報源は“ヘクス”だと思ってる」
途端、老騎士の目の色が変わり、青年は息を呑む。
「……奴の居所、爺の力で探しちゃくれねえか?」
「ふん、大貴族様なら闘技場の準備で忙しかろう」
「そういや居たな、あいつ……。くそ、そこにメフィストも現れると思ったんだが」
ジャックは髪をがしがしと掻くと、勢い任せに酒を煽り、こう切り出した。
「話は変わるが、メフィストは変容の力とあの性格を考えると王国の深い部分に入り込んでるんじゃねえか?」
「それは無い。傲慢が化けても、それが“人間でないことは一目で解る”。歪虚の力が強ければ強いほど、な」
ジャックは、最初にベリトに会った瞬間から“あれが人間ではない”とすぐ理解できたことを思い出すと、安心材料を得て小さく息を吐く。
「ま、それならいいがよ。最後にもう1つ。“フレデリク元司祭”を知ってっか?」
それが、ある種のトリガーだったのかもしれない。
「……少し前、その名の“遺体”と対面したぞ」
「マジかよ……クソがッ!!」
力強く叩きつけられた拳がテーブルを震わせ、グラスを揺らす。
「だが、なるほど。悪くない。報告は十分だ。さっさと帰れ、小僧」
かくして、物語は少しずつ動き出すのだった。
●運命の鍵を知る者【青】
元騎士団長の後ろをついて王城を歩くのは、誠堂 匠(ka2876)。
不慣れな場所は居心地が悪く、品のいい赤絨毯に自分の足跡が残ることすらも罰が悪かった。
「ここが、エリオットさんの部屋ですか」
先ほど誕生祝いとして匠から贈られた紅茶を淹れながら、エリオットは苦笑する。
「正確には騎士団長の居室だな。団長でない以上、俺はここを出ていかねばならんが」
不躾ながら策敵はすませた。部屋におかしなものもない。
彼曰く、“昨夜不法侵入があり、今朝がた部屋を一掃した”という点も好条件だったが、それにしても部屋には何もない。たった二脚のソファとベッドがあるだけの、恐ろしくがらんとした部屋だった。
◇
先の決戦は、余りに“出来過ぎた好機”だった。
これまで存在が特定されていなかった敵を法術陣下で孤立させ、かつ配下の敵軍を一掃。
メフィストの能力すらも低減させた状態で“殺すための条件が揃っていた”のだ。
「事件の始まりは、メフィストが法術陣に目を付けた事が切欠だったはず」
その動機について、以前奴自身はこう告げていた。
──まもなく法術陣を通り、偉大なる存在が顕現するでしょう。その時こそエクラに代わり我らが神が世界を救うときです。
つまり、敵は法術陣を“そういうものと認識していた”はずだが、しかし。
「陣の効果に対する齟齬が、一番の不審点だ。十三魔級の歪虚がその為に1年を費やしたのに、蓋を開けてみたら“術が目的と合致しなかった”なんて有り得ない」
訴えの根拠は正しい。故に、騎士は迂闊に口を開くことができなかった。
「メフィストは“法術陣の効果を誤認していた”けど、恐らくそれには“真実と思えるだけの根拠があった”はず」
「……筋が通っているな」
「禁書区域での事、覚えていますか?」
「あぁ、勿論」
「それじゃ、“扉に挟まっていた布切れ”のことは?」
紛れもなく、匠こそエリオットが知り得るハンターで“最も起死回生の一手に近い”場所にいる男だろう。
匠の笑いに苦みが混じる。
「やっぱり、エリオットさんは“あの布の主”をご存じなんですね」
騎士が吐きだす息は長い。だが、やがて彼は誠実に答えた。
「匠は俺の数少ない友だ。お前を信じて、話をしよう。あれは恐らく、俺が昔ある人物に贈ったストールだろう。手染めでムラが出やすく、“青”は染料の都合特に難しく貴重だそうだが、本当に美しい発色の青だった。見つけた時、すぐに『ああ、これにしよう』と、手に取った事を覚えている」
「大切な人への贈り物だったんですね」
「あぁ」
「……動けないのは、それが理由ですか」
男は、ひどく苦しげな顔をしている。この布を見つけた時もそうだった。
「俺が調べます。ここでただ終わるなんてできない。それにきっと“布の主”は今危険に……」
唐突に、匠の言葉が途切れた。エリオットが、本当にごく自然に微笑んでいたからだ。
「あの布、お前にとって“見覚えのある色”をしていたんだろう?」
「……それは……」
言葉が出なかった。
「お前の存在は、俺にとっての安心材料だ。だから……」
その言葉の意味を、匠は測りかねていた。いや、理解したくはなかったのだ。
「匠、“もっと強くなれ”」
機は必ず訪れる──それが、公式記録の「最後の言葉」となった。
●エリオット・ヴァレンタイン暗殺事件
王国は翌朝、衝撃に包まれることになった。
『凶報!! エリオット・ヴァレンタイン元王国騎士団長の“暗殺”事件発生!?』
『ヴァレンタイン元騎士団長に近しい者の証言によると、王城の彼の自室には大量の血液が飛び散っており、部屋は荒らされ、物が散乱していたらしい』
『現在まで元騎士団長の行方は知れず、遺体も発見されていない。事件の解明に過去最大級の捜査人員が投入されている』
『直前の騎士団長解任は、事件と何らかの関係があるのだろうか? 国民の強い悲嘆は治まることがない』
朝刊の一面を飾ったこのニュースに対し、民だけでなく騎士たちからの強い要望も受け、王国は国をあげての捜査に乗り出すことになる。
だが、人々の祈りもむなしく、エリオットの生存を示す痕跡は何一つ見つからなかった。
後日、国は事態の収束を図るべく、新たな騎士団長を選任。
新たにゲオルギウス・グラニフ・グランフェルトを団長に迎えるも、彼自身この混乱を収めるには至らないと判断。
王国は、有力貴族ウェルズ・クリストフ・マーロウの後ろ盾を得ることで、騒動に一端の収束を図ることとした。
直前の団長解任騒動を経て“エリオットから全ての引き継ぎが終了していた”ことが不幸中の幸いだっただろう。
●Time to say good night.
「というわけで、王国はちゃんと絶望に落ちましたとさ。……僕のお詫びの気持ち、解ってくれたかい?」
「王国の光の象徴を暗殺、ですか。お前のような者には反吐が出ますね」
「はは、酷いなぁ。彼は人間のなかじゃ最強の部類だ。全人類にとっての損失でもあるんじゃないかな」
「そう、これでいい。これで、私は……、……」
「あれ、聞こえてない? まぁ、これで僕は“罰”を受け、同時に貴方が“もう一度出向く理由もなくなった”」
真相はいまだ
「全く、撤退の茶番終了まで術を浴び続けたにも係らず、ここまで動けた事自体驚異的だよ。流石は王の側近……おやすみ、“メフィスト様”。しばらくの間は“気持ちよく眠ってくれていいから”ね」
深い闇の中にある──。
依頼結果
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2016/05/26 21:28:27 |