ゲスト
(ka0000)
「I」にすべてを
マスター:神宮寺飛鳥
オープニング
――自分に残された時間が残り少ないことは、とうに承知している。
この身体は、数え切れないほどの祈りの入れ物。もとよりそれは決まっていた未来。
部屋のコルクボードに貼り付ける魔導カメラの写真に、どんどん“知らない景色”が増えていく。
いつ、どうやって撮影したのか、記憶にない。何故それを撮ろうと感じたのか、その温度すら思い出せない。
少しずつ自分が消えていく。何もかもが零れ落ちていく。
浄化の器は、最初から壊れていた。
“心”などありはしない。彼女が本来有するべき人格は、生まれる前に殺された。
自分が仮初の存在であることなどわかっていた。“この身体に本来宿るべきものではない”ことも。
ベッドに倒れ、天井を見つめる。この五感さえ、自分には似合わない。
「私は……偽物だ」
本当にこの体に宿るべきだった生命を、上書きして産まれた存在だから……。
「――多重人格、に近いのかしらね」
APVから少し離れた酒場で、タングラムと肩を並べ、ハイデマリーはグラス片手に切り出した。
「あの子としばらく暮らしてわかった。最初から安定していなかったけど、そもそも、心が一つじゃない気がする」
「でしょうね。浄化の器は本来、森の精霊、そして願いの容れ物です」
だから、器がまるで人格を持っているかのように動いている事が不思議だった。
タングラムはずっと警戒していた。本来、心を持たず自動的に動くだけだった道具が、ひとりでに歩くことを。
「サルヴァトーレ・ロッソがひとりでに飛び出したら、誰だって怖いでしょう? それと同じですよ」
「冷たい言い方ね」
「私は君達より正確にアレを理解しているだけです。道具に心を持たせてはならない。その結果産まれたのがオルクスという大罪なのだから。でも……既に産まれてしまった心なら、守ってあげたい」
タングラムは仮面を外し、グラスに映る自分を見つめる。
「たとえあの子がそれを望まなかったとしても……そう考えるのは、大人のエゴですかね」
新居は海にほど近く、港に行けば何時でも漣に包まれる事ができた。
器はそうしてじっと、海を見つめる。自分のような小さな器では、この世界は収まらない。
目を瞑れば、沢山の想いが胸にある。でも、それ以上に苦しい記憶が溢れていた。
それは、本来は“彼女の記憶ではない”。でも、目を閉じても耳を塞いでも、呪いは絶えず心を蝕んだ。
『早く……』『殺せ! あいつを!』『助けて……』『死ね死ね死ね死ね!』『苦しいよ……』
薄く開いた瞳に海を宿す。少しだけ、声が遠ざかる気がした。
『もう間もなく、選択の時だね』
少しだけ優しい声が聞こえて、隣に誰かが座る。
『本当に消えてしまうつもりなの?』
「そういう約束だから。私の心は、時間制限付き。だから、この体は返してあげなきゃ」
『自分が自分でなくなってしまう苦しみ、私はわかるよ』
「わかるわけない」
『わかるよ……だって、私達は同じだから。あなたが受け入れてくれたから、私はあなたの心に映る。忘れないで。あなたが受け取ったものは、憎しみだけではないでしょ?』
青い髪の少女が肩を叩き、姿を消す。
振り返り、立ち上がった器は頭を振って歩き出す。しかし次に踏み出した足が思うとおりに動かない。
目を丸くしながら崩れ落ちた身体から、まるでスイッチが切れるように意識が落とされた。
「目が覚めた?」
気づくと部屋のベッドの上。傍らにはハイデマリーが座り、手を握ってくれていた。
「私は……?」
「あなた、APVで倒れたのよ。覚えてないの?」
唇を結び、首を横に振る。
「タングラムと何か話してる最中にね。だから運んできたの」
「仕事で忙しいのに、迷惑かけた」
「バカね。子供がそんな事気にするもんじゃないわ。何か食べる? 出来合いだから美味しいわよ」
テーブルに料理を並べるハイデマリーの背中を見つめていると、何故か安らぐ気がした。
“答え”は今もわからない。そしておそらく、見つける前に終わるのだろう。
意味や理由なんてない。生命は始まりも終わりも理不尽だから。
「ありがとう」
海が見える家に住んで良かった。
自由に動かない視線の先、窓の向こうには今も、美しい世界が広がっていた。
この身体は、数え切れないほどの祈りの入れ物。もとよりそれは決まっていた未来。
部屋のコルクボードに貼り付ける魔導カメラの写真に、どんどん“知らない景色”が増えていく。
いつ、どうやって撮影したのか、記憶にない。何故それを撮ろうと感じたのか、その温度すら思い出せない。
少しずつ自分が消えていく。何もかもが零れ落ちていく。
浄化の器は、最初から壊れていた。
“心”などありはしない。彼女が本来有するべき人格は、生まれる前に殺された。
自分が仮初の存在であることなどわかっていた。“この身体に本来宿るべきものではない”ことも。
ベッドに倒れ、天井を見つめる。この五感さえ、自分には似合わない。
「私は……偽物だ」
本当にこの体に宿るべきだった生命を、上書きして産まれた存在だから……。
「――多重人格、に近いのかしらね」
APVから少し離れた酒場で、タングラムと肩を並べ、ハイデマリーはグラス片手に切り出した。
「あの子としばらく暮らしてわかった。最初から安定していなかったけど、そもそも、心が一つじゃない気がする」
「でしょうね。浄化の器は本来、森の精霊、そして願いの容れ物です」
だから、器がまるで人格を持っているかのように動いている事が不思議だった。
タングラムはずっと警戒していた。本来、心を持たず自動的に動くだけだった道具が、ひとりでに歩くことを。
「サルヴァトーレ・ロッソがひとりでに飛び出したら、誰だって怖いでしょう? それと同じですよ」
「冷たい言い方ね」
「私は君達より正確にアレを理解しているだけです。道具に心を持たせてはならない。その結果産まれたのがオルクスという大罪なのだから。でも……既に産まれてしまった心なら、守ってあげたい」
タングラムは仮面を外し、グラスに映る自分を見つめる。
「たとえあの子がそれを望まなかったとしても……そう考えるのは、大人のエゴですかね」
新居は海にほど近く、港に行けば何時でも漣に包まれる事ができた。
器はそうしてじっと、海を見つめる。自分のような小さな器では、この世界は収まらない。
目を瞑れば、沢山の想いが胸にある。でも、それ以上に苦しい記憶が溢れていた。
それは、本来は“彼女の記憶ではない”。でも、目を閉じても耳を塞いでも、呪いは絶えず心を蝕んだ。
『早く……』『殺せ! あいつを!』『助けて……』『死ね死ね死ね死ね!』『苦しいよ……』
薄く開いた瞳に海を宿す。少しだけ、声が遠ざかる気がした。
『もう間もなく、選択の時だね』
少しだけ優しい声が聞こえて、隣に誰かが座る。
『本当に消えてしまうつもりなの?』
「そういう約束だから。私の心は、時間制限付き。だから、この体は返してあげなきゃ」
『自分が自分でなくなってしまう苦しみ、私はわかるよ』
「わかるわけない」
『わかるよ……だって、私達は同じだから。あなたが受け入れてくれたから、私はあなたの心に映る。忘れないで。あなたが受け取ったものは、憎しみだけではないでしょ?』
青い髪の少女が肩を叩き、姿を消す。
振り返り、立ち上がった器は頭を振って歩き出す。しかし次に踏み出した足が思うとおりに動かない。
目を丸くしながら崩れ落ちた身体から、まるでスイッチが切れるように意識が落とされた。
「目が覚めた?」
気づくと部屋のベッドの上。傍らにはハイデマリーが座り、手を握ってくれていた。
「私は……?」
「あなた、APVで倒れたのよ。覚えてないの?」
唇を結び、首を横に振る。
「タングラムと何か話してる最中にね。だから運んできたの」
「仕事で忙しいのに、迷惑かけた」
「バカね。子供がそんな事気にするもんじゃないわ。何か食べる? 出来合いだから美味しいわよ」
テーブルに料理を並べるハイデマリーの背中を見つめていると、何故か安らぐ気がした。
“答え”は今もわからない。そしておそらく、見つける前に終わるのだろう。
意味や理由なんてない。生命は始まりも終わりも理不尽だから。
「ありがとう」
海が見える家に住んで良かった。
自由に動かない視線の先、窓の向こうには今も、美しい世界が広がっていた。
リプレイ本文
●PM16:30
紅薔薇(ka4766)の繰り出す巨大な刀、祢々切丸の繰り出す衝撃は、器の小柄な身体を吹き飛ばし余りある。
聖機剣ローエングリンで受け止めた器の体が砂上を転がり、同時に手放された聖機剣が砂浜に突き刺さる。
「どうしたホリィ! お主の力はそんなものではなかろう!? 本気を出せ!」
紅薔薇の叫びに耳を傾けながら、器は茜色の空を見上げていた。
ゆったりと流れ、いつかは千切れて飛んでいく白雲も、今は朱に染まっている。
じゃり、と口の中を砂を噛む。ゆっくりと上体を起こし、紅薔薇に目を向ける。
「お主は自分が何をしようとしているのか、きちんと理解しておるのか? それが何を意味するのか……本当にわかっておるのか!?」
「わかってるよ……」
ぎり、と歯を噛みしめ、紅薔薇は腕を振るう。
「わかってなどいない。だからそんな風に簡単に“答え”と言えるのじゃ!」
再び繰り出される祢々切丸を前転気味にかわし、砂に刺さった聖機剣を抜く。
鉄の聖櫃はマテリアルに反応し展開、光の刃を構築した。
――そもそも。万全な答えなど、存在したのだろうか?
誰もが満足する、誰も傷つかない答え。そんな冴えたやり方があるのなら、こんな事にはなっていない。
今だけを切り取れば、それは確かにそうだろう。だが、全ては時と共に積み重なってきたもの。
蓄積した罪の精算には、それなりの代償が必要で。それを無視する事は誰にもできない。
結局この世界は、誰かが犠牲にならねば成立しないゲームだ。
望むのなら、それを運命を言い換えてもいい。
光の剣を両手に構え、砂を蹴る。
その刃を正面から受け止めるように、紅薔薇もまた切っ先を持ち上げた。
●AM11:20
「よう」
リゼリオの海沿いに借りた、ハイデマリーと器が暮らす家の呼び鈴が鳴ったのは、昼前の事。
寝ぼけ眼を擦って扉を開くと、そこには春日 啓一(ka1621)の姿があった。
「話は色々聞いてる。そんでまあ、見舞いっつーか、そういう事で催しをやるらしい。こいつが招待状だ」
花厳 刹那(ka3984)にだいぶ念を押して持たされた招待状を手渡し、啓一は腕を組む。
「船で催しをやるらしいな。細かい所はサプライズっつーことで」
ひとまず着替えが終わるまで玄関前で待ちながら海を眺める啓一。そこへいつもの格好になった器が出てきた。
「よし、いくか。ところで一つ問題があってな」
「なに?」
「現場には魔導トライクで行くつもりだった。知ってるか? サイドカーがついていて、合法で二人乗りが出来る優れものだ」
「知ってるけど」
「問題は俺がそのトライクを何故か忘れてしまったってことだ」
いつも通りの真顔で哀しい現実を伝える啓一に対し、器も真顔で「なるほど」と応じた。
二人は結局、徒歩で現場に向かうことになった。
目的地も海なので、海沿いのあまり人気の多くない道を並んで歩くことになる。
「飲むか? トライクはないが、水筒のお陰でバッチリ冷えてるぜ」
そう言って渡されたミネラルウォーターを飲みつつ、器は啓一に目を向ける。
「話は聞いてるって、どれくらい?」
「何か最近元気がなかったり、倒れたりとかだ。大丈夫か? 何か悩み事や困り事がありゃ遠慮なく言ってくれ。もう掟の森とやらのヒステリマギにも目をつけられてるから引けねえ所迄来てるしな」
掟の森……それは謎のエルフの武装集団。が、謎と言っても十中八九エルフハイムの関係者だ。
「俺もエイルのねーさんも、いつもは悪態つくけど今この時も遠くからお前を思ってるリクだって、何があってもホリィの味方さ」
隣を歩く小さな少女との付き合いもそこそこになる。
最初は小生意気な嬢ちゃんとしか思っていなかった。今も生意気なのは変わらないか。
元々は自分ではなく、エイル・メヌエット(ka2807)が守りたいと言ったから守ろうと思った。
切欠はそれだけ。別段、器そのものに肩入れする理由はなかった。
だが、付き合いが長くなるに連れ、変わった事もある。
「ケーイチはさ、私に似てると思ってた。考え方とか、行動とか」
「そうか?」
「世の中がどうあっても、“自分の意志”で行動を選択し、それを背負うって事」
啓一は、確かに“エイルのため”に行動した。
だがそれは決して“エイルのせい”ではなかった。
“エイルのために行動すると決めたのは自分”だと考えているからだ。
「人に言われたからってだけじゃないよね」
「そりゃそうだ。生きてりゃ折れなきゃいけない時もあるさ。でも、どうせなら自分の意志で生きてたいだろ」
足を止め、海を見つめる。
「俺にとってホリィは『ねーさんが守りたいから守るモノ』じゃなくて、もう『俺が守りたい代えのきかないダチ』だからな」
そう選んだのは自分だ。自分で決めたことに嘘はない。
「友達って、なんなんだろう?」
腕を組み、眉間にシワを寄せる。
啓一は口数の多いタイプではないし、論理的に筋道立てて説明するのは難しい。
「ダチはダチだろ。上手く言えねーけど……そう思ったらもうそれはそうなんだよ」
「いつからとかさ」
「それこそ難しいな。気づいたらって話だが、強いていうなら……覚えてるか?」
ゴソゴソと取り出したのは、東方の三色団子。
それを見て器も「ああ」と小さく声を上げた。
「覚えてるか? もう一年くらいになるよな」
「そうだね。そんなに生きられるなんて、あの頃は思わなかった」
「まだまだ生きるさ。ダチの為なら心も体も張るからな」
そう言って団子を口にしつつ、器にも一串差し出す。
ゆっくりとした時の流れさえ忘れ、きらめく漣に耳を傾けていた。
●PM12:30
「器ちゃ~ん、久しぶりっ! じゃなくて、ドーモ……」
「ドーモ」
「きゃー! 覚えててくれたのね、それ!」
「うん。でも刹那おねーちゃん以外に使ってる人見たことn……」
「刹那おねーちゃんって呼んでくれるのねー!」
ひしと器の身体を抱きしめる刹那。エイルは啓一に目を向け。
「迎えに行くのに結構時間がかかったわね?」
「すまねぇ、トライクがなかった」
「うん……? まあ、お陰で準備は万端だから。早速始めましょう」
港には中型船が停泊しており、刹那手書きの『釣り大会&船上BBQ~お刺身もあるよ~』という旗がはためいていた。
ちなみにこの船はタングラムが貸してくれたものである。
今回はここで釣りを楽しみ、そのままバーベキューに雪崩込んでしまおうという計画だ。
「やっときたかァ。船を出すぜェ、さっさと乗りな。あ、フルーツ食う?」
船上で手を振るシガレット=ウナギパイ(ka2884)に急かされ、一行は船に乗り込んだ。
ある程度沖まで出てしまったら、後は錨を下ろして各々釣りを始める。
「BBQの食材は持ち込んでいますが、新鮮なお刺身が食べられるかどうかは皆さんの手腕にかかっていますよ!」
釣り竿を各々に手渡しつつ、刹那は得意げに語る。
「この日のためにリゼリオを駆け回り、ちゃんと青の世界のお醤油と山葵も確保してきましたから!」
「ほう。東方で使う調味料と同じじゃな」
「じゃあ東方風なんじゃ……」
「リアルブルー風です!」
紅薔薇のコメントに首を傾げる器に、ずいっと醤油を突き出し刹那は瞳を輝かせる。
「釣り……ですか。浅学で申し訳ないのですが、釣りは全くの素人です。果たして上手くやれるかどうか……」
「教えるよ。前に紅薔薇とかに教わったから」
無表情に挙手する器にフローラ・ソーウェル(ka3590)がはにかむ。
「会うのは久しぶりですね。戦場以外の場所でお話するのははじめて、でしょうか?」
「船上だけどね」
ドヤ顔のジョークに苦笑を浮かべるフローラ。
針の先端に小エビを付け、竿を思い切り振る。後はひたすら待つのみ。
「構えはこんな感じでしょうか……!?」
「普通で」
「心持ちなどは……!?」
「普通で」
「そんなに緊張してても疲れちまうぜェ。リラックス、リラックス」
煙草を片手に竿を振るシガレット。フローラは小さく息をつき。
「……真面目に考えすぎるのは私の悪い癖ですね。今日は羽を伸ばすと決めています。肩の力を抜い……て?」
その瞬間、強くフローラの竿がしなった。
魚がかかっているということは分かるのだが、この後どうすればいいのかさっぱりわからない。
「こここ、これはどうしたらよいのでしょうっ!?」
フローラの竿を横から掴み、一緒に引っ張る器。引き上げられた魚は空を舞い、勢い良く船上に転がった。
「や、やりましたがここから更にどうすれば!?」
「おー。針外してやっから、ちっと待ってなァ」
「順調なようで何よりだね。ホリィさんの体調も悪くなさそうだし」
椅子に腰掛けゆったりと糸を垂らすジェールトヴァ(ka3098)。その隣でエイルは微妙な表情だ。
「何故か今日は一匹も釣れないという自信があるわ……」
「釣りはじっくり楽しむものだよ。ボウズの時も、それはそれさ」
「大漁じゃああああ!!」
ジェールトヴァがそう言った横から紅薔薇が魚を釣り上げるのだった。
「そろそろBBQの準備すっか。火でも起こしてくらァ」
「先に少しお刺身でいただいてみますか?」
フローラの釣り上げた魚を刺身包丁でさばいていく刹那。
あっという間にきれいな白身魚の刺身が出来上がった。
「器用なものですね」
「飛燕というスキルです! この山葵醤油につけて召し上がれ~♪」
山葵も直接目の前で擦ったものだ。贅沢に乗せて口に運ぶと、独特の風味が鼻を抜ける。
「これは……斬新な味ですね……」
「器ちゃん、気に入ってくれたのは嬉しいけど、山葵のせすぎじゃない?」
「んまい」
涙目になるフローラに対し、器は黙々と山葵を口にする。もう刺し身というか、山葵だ。
「もう、しょうがないなぁ~! そんなに言うならお姉ちゃん、いっぱい山葵擦っちゃう!」
大量に擦り下ろされる山葵は、次から次へと器に口に中に消えていった……。
釣りもそこそこにBBQが始まると、持ち込まれた肉や野菜の他、焼き魚なども用意される。なんとなく火の番は、火に強そうなシガレット担当だ。
「縁日の屋台とかにいそうだよな」
「褒められてんのかねェ?」
啓一のコメントに苦笑するシガレット。エイルは焼き魚と一緒におにぎり草を器に差し出す。
「ホリィ、欲しがってた海のある毎日はどう?」
「快適だよ。潮のにおいにも慣れたし」
「あ。そういえば森育ちには不慣れよね」
海を眺めながらもごもごと口を動かす器。その頬についたおにぎり草を取りながら考える。
この少女の目に映るものは、どんな色をしているのだろうか、と。
見た目に大きな変化はない。だが、意識喪失時間が長くなってきたということは、それだけ“それ以外”の占める部分が大きくなったということだ。
それはきっと、少女の心境に変化も与えているはず……。
「器ちゃん、お肉も野菜もありますよ! はい、あ~ん!」
「んあ」
「きゃーっ、かわいい! もうキュンキュンしちゃうわ~! 器ちゃん、大好き!」
頬をモゴモゴさせている器を抱きしめる刹那。しかし、少し身体を放し。
「でも、最近体調不良なんだって? 養生しないとお姉ちゃん悲しいぞ?」
「体調不良というか、寝すぎというか」
「眠いの!? お姉ちゃんの膝使う!? いつも空いてるけど!?」
膝枕されながら延々と食事を口に運ばれる器。
その様になにかダメなものを感じつつ、BBQは賑やかさを増していく……。
●PM16:10
絢爛ささえなかったが、豪華ではあったクルージングを終え、港に戻った一行。
そのまま解散というのに早い時間だったので、そのまま器の家まで移動することになった。
「今日は花火も持ってきてるのよ。日が暮れたらみんなでやりましょうね」
エイルの声にちょっとした歓声があがる。
そうして皆仲良く歩いて器に家までついたところで、紅薔薇が声をかけた。
「皆、楽しげな所申し訳ないのじゃが、話があるのじゃ」
足を止め振り返る一同。その中の器に目を向け、紅薔薇は静かに告げる。
「ホリィ殿……聖機剣を持ってくるのじゃ」
「紅薔薇さん、どういうことなの?」
「すまぬが、今は成り行きを見守ってほしい。ホリィ殿の化けの皮を剥がすには、必要な事なのじゃ」
エイルの問いに険しい表情で応じる紅薔薇。
結局開けた場所となると家の前の砂浜しかなく、そこで二人は対峙する事になる。
「話を聞いてようやくわかった。ホリィ殿。お主は……自分自身の存在を認めておらんのじゃな」
応答はない。故に続ける。
「皆がホリィ殿を大切に思っても、自分は存在してはいけない者だと思いこんでいる。そうじゃな?」
応答はない。
「……それは、裏切りにも等しい」
胸に手を当て息を呑むエイル。フローラもジェールトヴァも険しい表情だ。
これまでずっと、心を通わせようと努力してきた者たち。“通っている”と信じていた者たち。
もしも器が自分を否定するのなら、それらの思いは届いていなかったということになる。
「本当の事を言ってくれ、ホリィ殿。お主はこれから、どうするつもりなのだ?」
「……正しく“器”に戻る。そのつもりなんですね?」
フローラの声に僅かに器の指先が動く。
「何となくわかっていました。あなたが何を考えているのか。あなたが言ったように、私達は……似ていますから」
無言で紫煙を吐き出すシガレット。啓一は何かを言おうとし、頭を振る。
「ホリィ……そうなの?」
エイルの絞り出すような声に、器は目を瞑る。
「最初から……決まってたことだから」
そうして開いた瞼の奥。瞳は嘘をついていない。
「私は、私の意志で、この世界から消える。それが、たった一つの答えなんだ」
●PM16:15
「道具には見えないよね、アイツ。経緯はどうあれちゃんと自我を持っている。ま、不安定みたいだけどね」
楽しいクルージングから戻ったハンターらを見届け、ヒース・R・ウォーカー(ka0145)は語る。
「だからこそ危うい。ヒトは時に過ちを犯す。ボクも……多分お前もそうだったんだろ、タングラム?」
船の手配をしてからタングラムは港に残っていた。そんな彼女とヒースは行動を共にしていた。
「私が前の器にできたのは、暴走を直前で止める……つまり、殺すことだけでした」
それがタングラムが森と袂を分った理由。そして、器を引き取ったわけだ。
「もうあんな事を繰り返さない。その為に私は器を保護下に置きました」
だが、誰も器の本質を知らない。器は皆が思うよりどうしようもなく、ずっと理不尽なものだ。
「器は森の精霊……神の容れ物。時が来れば意志は上塗りされ、なかったことになる。そもそも今の彼女、ホリィと呼ばれる人格自体がその一部」
「……器本人じゃないっていうのかぁ?」
「殆どの器は、その負荷に耐えきれず役割を継承した時点で人格を全焼します。彼女も例外ではなかった。ただその焼け跡に、“ヒトのふりをするもの”が居座っただけ」
あの日、エルフハイムを襲撃するオルクスから森を護るため、巨大な浄化結界を発動した。
その中にいた数名の“楔”に触れた術者の意識の断片が、たまたま残ってしまっただけのモノ。それが“ホリィ”だ。
「浄化の器、秘術発動の鍵となりえる可能性。最悪都市一つ滅ぼしかねない、か。スバルが託しシュネーたちが守りたいと願う相手……借り物だけどアイツを守る理由はある」
随分と昔に出会った誰かの姿が重なる。
それは間違いなく、自分にとって大切な存在だったはずだ。
「色んな奴がアイツの事を気にかけ守ろうとしている。それでも過ちを犯すかもしれない。秘術の発動や第二のオルクスになったり、ねぇ。その時はボクに任せろ。汚れ役は蝙蝠の仕事。お前はみんなに慕われるリーダーなんだ、汚れちゃいけない」
「我々が手を下す必要はないかもしれません。彼女はきっと、自分にその時が来たら、自ら命を断つでしょうから」
その言葉にはヒースもタングラムの横顔を注視する。
「死ぬ前にきれいなものが見たいから、好きな人達と一緒にいたいから、このリゼリオに来たんです。猫みたいにね」
「なんだ、その選択。そんな所まで……似てるな」
「正直な所、私にもわからないのです。どうすることが彼女にとって良いことなのか」
●PM16:30
「お主は他の誰でも無い、この世にただ一人の『ホリィ』殿なのじゃ。だから、もう、自分自身を認めて許してやるのじゃ」
地に剣を突き、それを支えに辛うじて立つ小さな身体。
紅薔薇は刀を向け、叫ぶ。
「お主も言いたい事があるなら本音で来い! ホリィ!!」
しかし、俯いたまま器は動かない。紅薔薇が刀を振り上げても反応がない。
唇を噛み締め、刀を投げ捨て紅薔薇は走る。そして器の胸ぐらを掴み上げた。
「こうまでしてもか。ここまでしても本心を言わぬのか! お主は結局、妾を友などとは――」
「――思ってるよ」
長い前髪の合間、くしゃくしゃの顔で少女は笑う。
「でも、だめなんだ。もう、私は私じゃなくなる。そしたらいっぱいヒトを殺す。いっぱい、いっぱい。大事な街も、大事な人達も、殺す……私は……そんなのはいやだよ」
それが今まで見たことのない顔だったので、紅薔薇も言葉を失う。
「私は……“ホリィ”は。産まれてきちゃ、いけなかったんだ」
「魚も肉も、美味しかったよね」
ぽつりと、ジェールトヴァが呟くように語りだす。
「いのちをいただく有難さを、つい忘れがちだけれど……。ホリィさんはいつも冷静だね。そうあらねばならないと律しているのかな。退屈かもしれないけど、爺さんの悩みを聞いてくれるかな?」
そう言ってジェールトヴァは少し前に出て、海を見る。
「私は昔、人から様々なものを奪って生きてきた。財産も、命も、人の想いも。長く生きる資格はないのに、まだ生きながらえているのは、ただただ身勝手な思いがあるから。毎日、いのちをいただいて、犠牲の上に生き続ける」
“生きる”とはそういうことだ。
誰にも迷惑をかけずに生きることはできないし、一人きりの力で生きることもできない。
生きていれば人は必ず罪を抱く。
「それでも生きたい。生きていいって、自分で自分を許してる。一種の開き直りかな」
そう言って小さく笑う。
「身勝手ついでに、友人には幸せであってほしいと思う。疲れた時は、弱音を吐いて甘えて欲しい。独りで抱えているのを見ると、少し寂しいかな」
「第一、ホリィの責任じゃないだろ。元々の人格も、今の状況もよォ」
わしわしと頭を掻き、シガレットは語る。
「とあるチンピラの話だ。そいつは暴食連中に故郷を焼かれてな、帰る家も暖かい家族も奪われてなァ。憎しみ一辺倒になったチンピラになんでか知らないがギリギリで繋ぎ止めてくれた奇特な聖女みたいなヤツもいたが、そいつも歪虚にやられちまった」
シガレットは頭を振り。
「ちと話が逸れたか。つまり俺が何を言いたいかというと、何気ない日常こそ、当たり前な光景こそ失ってから大事でかけがえのないものだと気がつくという事だ。ホリィには失う前に気がついて欲しいし、遠くに行く前に日常を大切にしてもらいたいと思うぜェ」
そう言ってシガレットは自らの胸を叩く。
「俺は“ホリィ”を一人の人間としてみているからなァ」
「私も、器ちゃんの味方だよ。お姉ちゃんね、器ちゃんが元気になったらしたいこと、いっぱいあるんだ。この世界から消えるなんて、そんな哀しい事……言ってほしくないな」
刹那がそう呟くと、紅薔薇は器の両肩を掴み。
「この声が聞こえるかは知らん。だが『その身体に宿る者達よ』妾は願う。『ホリィ』を妾達の前から奪わないで欲しいのじゃ!!」
それは、“運命”を呪う言葉。
「仮初とか本当は存在しないとか、そんなのは知らん。友達が消えたいとか言ってるのを怒って、何が悪いのじゃーーーーーー!!」
どれだけ叫んだ所で、何かが変わるわけではない。それは皆わかっていた。
わかっていても叫ばずにはいられなかった。
紅薔薇はそのままずるずるとその場に崩れ、砂に膝を着く。
差し出そうとした手をぐっと掴み、堪え解いて、器は「ごめん」と呟いた。
●PM18:00
“消えたい”と言った少女の言葉に、その境遇に、明確な答えを出せる者などいるはずもない。
重苦しい空気の中、何となく皆、離れる事も近づくこともできない空気になり、時間が過ぎた。
言葉もなくベッドの上に腰掛ける器へ、既に開いている扉をノックしてフローラが語りかける。
「ずっと考えていました。何が正しいのか。どうすべきなのか。けれど、結局答えは出なかった。私にはわからなかった」
月明かりを浴びて白く輝く少女は幻のようで、今にも消えてしまいそう。でも、
「この気持ちだけは本当で、本物だと信じています」
道具として生きる事を受け入れていたフローラに、今の器を否定する言葉はないだろう。
与えられる答えなどない。フローラがそうしたように、器も自分で見つけるしかないのだ。
「あなたやスバルに出会えてよかった。私は、私として生まれて、生きてきて。幸せでした。幸せ、です……」
息を呑み。胸の前で両手を組んで。
「最後に一つ、聞かせてください。あなたが“器”に戻る前に。ホリィ。私は……私たちは、あなたの友達になれましたか?」
器は片膝を抱え、俯いていた顔を上げる。
「友達の意味が、私にはよくわからないんだ」
でも。
「いつから友達とかじゃなくて……そう思ったのなら、もう“ダチ”なんだって」
「――そうですね。ええ、まさしく。ならばこそ、私達は友達です。その友達に問います。そこで膝を抱えていて、この夜が終わっても、あなたは後悔しないのですか?」
差し伸べられた右手。器は――ホリィはその手を取り、ベッドから立ち上がった。
砂の上に寝転び夜空を見上げていると、自分の小ささがよく分かる。
ヒトは有限。だから精一杯生きる。それは、自分も、ホリィも、この世界も同じ事。
いつか終わりが来るとわかっていた。早いか遅いかの違いだけ。
それなのに、消えたいと言って見たことのない顔をした少女にかけるべき言葉を持ち合わせない自分に、ひどく落胆していた。
「私……あの子の何をわかったつもりになっていたんだろう」
ずっとそばにいたのに。あの子はいつも思っていたんだ。
消えたいって。いなくなりたいって。なんでもないような顔をしながら、終わりを望んでいたなんて。
それを思うと胸が張り裂けそうで、年甲斐もなく叫び出したくなった。
「エイル」
声に背筋を震わせ、振り返る。そこには器の姿があった。
上手くかける言葉が見つからず、手元を手繰り寄せ。
「……花火、やる?」
派手に火花を散らす気分ではなく、必然的に線香花火に火を点けた。
「まだ……消えたいって考えてる?」
答えはない。
「どうして……」
――言ってくれなかったの? その言葉は呑み込んだ。
「もう、消えたいとは思わない」
ポツリと、火が堕ちて。
「私、ずっとここにいたい。皆と一緒にいたいよ」
零れ落ちた雫が少女の涙だと気づいた時、エイルはその身体を抱きしめずにはいられなかった。
「消えなくていい。ずっと一緒にいよう。ずっとあなたを見てきた。だからここにもあなたが住んでる」
器の手を取り、自らの胸に押し当て笑う。
「あなたがいなくなったら……私の心も欠けちゃうよ」
肉体は魂の容れ物だと誰かが言っていた。
それでも構わない。身体があるから魂を抱きしめられる。
心がどこかへ行ってしまわないよう、強く強く抱きしめる。
「……ありがとう、エイル」
それはきっと嬉しい言葉なのに、別れの挨拶のようで。
何の言葉も返せなくなるほど、エイルの心臓を強く締め付けていた。
●PM19:00
各々の沈黙にも耐えかね、解散するかという空気になった頃。
エイルに手を引かれ帰ってきた器は、皆を集めて言った。
「本当の事を言うから、怒らないで聞いて」
そう言って、小さく息を吸う。
「紅薔薇。ずっと嘘をついてて、ごめん」
頭を下げ。
「みんなも、ごめん。本当の気持ちを隠してて、ごめん」
皆に頭を下げ。
「おじいさん、ウナパイ先輩、心配してくれてありがとう。フローラ、背中を押してくれてありがとう」
そして頭を上げて。
「私やっぱり、消えたくないや」
「当然じゃない! それでいいんだよ、器ちゃん!」
鼻水を啜りながらしきりに頷く刹那。だが器の表情は浮かない。
「私はいま、すごく酷いことを言ったんだ。みんなに“死ね”って言うにも等しい。私が消えないっていうことは、そういうこと。これからひどいことが起こる。すごくすごく酷いことがはじまる。それでいっぱい、すごくいっぱいの命が失われる。私一人の命でそれを止められるのに、私は今、“皆を殺す”と言ったんだ」
「それでいいじゃないか。さっきも言っただろう? 生きるということは、そういうことなんだ」
「どーせ最初っからこんな時代でよォ、ひどい話ばっかりだ。言っただろ? それはホリィの責任じゃないってよォ」
ジェールトヴァとシガレットが双方から肩を叩く。
「他に止める方法が思いつかない。だから間違いなく、本当にひどいことになる。それに私はきっと、どの道消えちゃうんだ。でも、一応消えないようにがんばってはみる」
謎のガッツポーズに思わず笑うフローラ。
「ええ、その意気です。それがあなたの選んだ答えだというのなら、応援しますから」
「そしてひどいことになったら、なんとかしてほしい。しかも、私が消えないように」
あっけらかんとそんなことを言って。
「もし私が消えてしまっても、“本当の私”を責めないで。私が見て感じた沢山のきれいなものを、その子にも見せてあげて」
「こんな時までそんな事を考えておるのか? だがまあ、よかろう。その依頼、たしかに請け負った」
苦笑を浮かべ、紅薔薇は力強く頷く。
「リクもソフィアも、ホリィが消えないことを願うはず。我らは強い。どんな理不尽な戦いもきっと乗り越えて見せよう」
「うん。助けにきて。きっと、待ってるから」
「今更だな。言っただろ? ダチは必ず助けるって。心配せずともみんなで行ってやるから、大人しく待ってな」
腕を組み、啓一が微笑む。頷く器に、紅薔薇は小指を差し出す。
「約束じゃ。その時まで、さよならは言わないと」
絡めた小指を上下にゆすり切り離しても、心までは離れない。
改めて持ち寄った残りの食材を開いて、皆笑顔で語りだした。
未来のことはわからない。どうしたらいいのか、その答えは見つからない。
それでもなんとかすると決めた。そう約束したのだ。
消える事を願っていた少女の、それが最初で最後のワガママだった。
皆が去った後、器は一人で夜の海を眺める。
「お前の答え、聞かせてもらったよぉ」
振り返るとそこにはいつの間にかヒースの姿があった。
「こんばんは、と。聖機剣は大事にしてるみたいだねぇ。ボクの友達が遺したモノなんだ、大切にしてくれよぉ」
そう言いながら隣に並び、ヒースは懐から手帳を取り出す。
「これはボクがこれまでの報告書を基に調べた、お前に関する記録。こっちは何も書いてないただの日記帳だ」
「日記はもうつけてるよ。見る?」
首を横に振り、ヒースは無地の手帳を懐に戻す。
器は資料を開き、文字列に視線を走らせる。そこには自分の知らない自分の姿まで記録されていた。
「他者によって記されたお前の軌跡、そしてお前自身が記すお前の言葉。どちらも今のお前が存在した証だよ」
そう言って、ヒースは溜息を零す。
「お前が消えて、別の何かが目覚める。それは実際のところ、止められないんだろぉ?」
「うん。必ずそうなる」
「それをどうにかしろって、随分無茶を頼んだものだねぇ」
「これまでの事だって、十分無茶だったよ」
手帳を翳して笑う器に、ヒースも笑い返し、目をつむる。
「安心しなぁ。本当に酷いことにはさせないさ。いざとなったら、ボクが止めてやる。なあ、ナナクロ?」
肩に乗せた猫に語りかけながらヒースは立ち去った。器はそれを見送り、ぱたんと手帳を閉じた。
部屋に帰るとベッドに倒れ込み、大の字になって目を瞑る。
眠ることが恐ろしかった。瞼を閉じたら、もう二度と目覚めないような気がした。
深い深い暗闇に、何もかもが吸い込まれていくようだった。
「もう、こわくないよ」
穏やかに息を吸って、吐き出して。
生きることは罪深い。望むことは穢らわしい。
祈りは呪いにも似て、また誰かの心を縛り砕くだろう。
「それでも――私は」
眠りについた少女の前髪を、開いた窓から吹き込む風が揺らす。
一緒になってくるくると回る、窓辺に吊るされた短冊には、“生きる”と力強い筆跡で綴られていた。
紅薔薇(ka4766)の繰り出す巨大な刀、祢々切丸の繰り出す衝撃は、器の小柄な身体を吹き飛ばし余りある。
聖機剣ローエングリンで受け止めた器の体が砂上を転がり、同時に手放された聖機剣が砂浜に突き刺さる。
「どうしたホリィ! お主の力はそんなものではなかろう!? 本気を出せ!」
紅薔薇の叫びに耳を傾けながら、器は茜色の空を見上げていた。
ゆったりと流れ、いつかは千切れて飛んでいく白雲も、今は朱に染まっている。
じゃり、と口の中を砂を噛む。ゆっくりと上体を起こし、紅薔薇に目を向ける。
「お主は自分が何をしようとしているのか、きちんと理解しておるのか? それが何を意味するのか……本当にわかっておるのか!?」
「わかってるよ……」
ぎり、と歯を噛みしめ、紅薔薇は腕を振るう。
「わかってなどいない。だからそんな風に簡単に“答え”と言えるのじゃ!」
再び繰り出される祢々切丸を前転気味にかわし、砂に刺さった聖機剣を抜く。
鉄の聖櫃はマテリアルに反応し展開、光の刃を構築した。
――そもそも。万全な答えなど、存在したのだろうか?
誰もが満足する、誰も傷つかない答え。そんな冴えたやり方があるのなら、こんな事にはなっていない。
今だけを切り取れば、それは確かにそうだろう。だが、全ては時と共に積み重なってきたもの。
蓄積した罪の精算には、それなりの代償が必要で。それを無視する事は誰にもできない。
結局この世界は、誰かが犠牲にならねば成立しないゲームだ。
望むのなら、それを運命を言い換えてもいい。
光の剣を両手に構え、砂を蹴る。
その刃を正面から受け止めるように、紅薔薇もまた切っ先を持ち上げた。
●AM11:20
「よう」
リゼリオの海沿いに借りた、ハイデマリーと器が暮らす家の呼び鈴が鳴ったのは、昼前の事。
寝ぼけ眼を擦って扉を開くと、そこには春日 啓一(ka1621)の姿があった。
「話は色々聞いてる。そんでまあ、見舞いっつーか、そういう事で催しをやるらしい。こいつが招待状だ」
花厳 刹那(ka3984)にだいぶ念を押して持たされた招待状を手渡し、啓一は腕を組む。
「船で催しをやるらしいな。細かい所はサプライズっつーことで」
ひとまず着替えが終わるまで玄関前で待ちながら海を眺める啓一。そこへいつもの格好になった器が出てきた。
「よし、いくか。ところで一つ問題があってな」
「なに?」
「現場には魔導トライクで行くつもりだった。知ってるか? サイドカーがついていて、合法で二人乗りが出来る優れものだ」
「知ってるけど」
「問題は俺がそのトライクを何故か忘れてしまったってことだ」
いつも通りの真顔で哀しい現実を伝える啓一に対し、器も真顔で「なるほど」と応じた。
二人は結局、徒歩で現場に向かうことになった。
目的地も海なので、海沿いのあまり人気の多くない道を並んで歩くことになる。
「飲むか? トライクはないが、水筒のお陰でバッチリ冷えてるぜ」
そう言って渡されたミネラルウォーターを飲みつつ、器は啓一に目を向ける。
「話は聞いてるって、どれくらい?」
「何か最近元気がなかったり、倒れたりとかだ。大丈夫か? 何か悩み事や困り事がありゃ遠慮なく言ってくれ。もう掟の森とやらのヒステリマギにも目をつけられてるから引けねえ所迄来てるしな」
掟の森……それは謎のエルフの武装集団。が、謎と言っても十中八九エルフハイムの関係者だ。
「俺もエイルのねーさんも、いつもは悪態つくけど今この時も遠くからお前を思ってるリクだって、何があってもホリィの味方さ」
隣を歩く小さな少女との付き合いもそこそこになる。
最初は小生意気な嬢ちゃんとしか思っていなかった。今も生意気なのは変わらないか。
元々は自分ではなく、エイル・メヌエット(ka2807)が守りたいと言ったから守ろうと思った。
切欠はそれだけ。別段、器そのものに肩入れする理由はなかった。
だが、付き合いが長くなるに連れ、変わった事もある。
「ケーイチはさ、私に似てると思ってた。考え方とか、行動とか」
「そうか?」
「世の中がどうあっても、“自分の意志”で行動を選択し、それを背負うって事」
啓一は、確かに“エイルのため”に行動した。
だがそれは決して“エイルのせい”ではなかった。
“エイルのために行動すると決めたのは自分”だと考えているからだ。
「人に言われたからってだけじゃないよね」
「そりゃそうだ。生きてりゃ折れなきゃいけない時もあるさ。でも、どうせなら自分の意志で生きてたいだろ」
足を止め、海を見つめる。
「俺にとってホリィは『ねーさんが守りたいから守るモノ』じゃなくて、もう『俺が守りたい代えのきかないダチ』だからな」
そう選んだのは自分だ。自分で決めたことに嘘はない。
「友達って、なんなんだろう?」
腕を組み、眉間にシワを寄せる。
啓一は口数の多いタイプではないし、論理的に筋道立てて説明するのは難しい。
「ダチはダチだろ。上手く言えねーけど……そう思ったらもうそれはそうなんだよ」
「いつからとかさ」
「それこそ難しいな。気づいたらって話だが、強いていうなら……覚えてるか?」
ゴソゴソと取り出したのは、東方の三色団子。
それを見て器も「ああ」と小さく声を上げた。
「覚えてるか? もう一年くらいになるよな」
「そうだね。そんなに生きられるなんて、あの頃は思わなかった」
「まだまだ生きるさ。ダチの為なら心も体も張るからな」
そう言って団子を口にしつつ、器にも一串差し出す。
ゆっくりとした時の流れさえ忘れ、きらめく漣に耳を傾けていた。
●PM12:30
「器ちゃ~ん、久しぶりっ! じゃなくて、ドーモ……」
「ドーモ」
「きゃー! 覚えててくれたのね、それ!」
「うん。でも刹那おねーちゃん以外に使ってる人見たことn……」
「刹那おねーちゃんって呼んでくれるのねー!」
ひしと器の身体を抱きしめる刹那。エイルは啓一に目を向け。
「迎えに行くのに結構時間がかかったわね?」
「すまねぇ、トライクがなかった」
「うん……? まあ、お陰で準備は万端だから。早速始めましょう」
港には中型船が停泊しており、刹那手書きの『釣り大会&船上BBQ~お刺身もあるよ~』という旗がはためいていた。
ちなみにこの船はタングラムが貸してくれたものである。
今回はここで釣りを楽しみ、そのままバーベキューに雪崩込んでしまおうという計画だ。
「やっときたかァ。船を出すぜェ、さっさと乗りな。あ、フルーツ食う?」
船上で手を振るシガレット=ウナギパイ(ka2884)に急かされ、一行は船に乗り込んだ。
ある程度沖まで出てしまったら、後は錨を下ろして各々釣りを始める。
「BBQの食材は持ち込んでいますが、新鮮なお刺身が食べられるかどうかは皆さんの手腕にかかっていますよ!」
釣り竿を各々に手渡しつつ、刹那は得意げに語る。
「この日のためにリゼリオを駆け回り、ちゃんと青の世界のお醤油と山葵も確保してきましたから!」
「ほう。東方で使う調味料と同じじゃな」
「じゃあ東方風なんじゃ……」
「リアルブルー風です!」
紅薔薇のコメントに首を傾げる器に、ずいっと醤油を突き出し刹那は瞳を輝かせる。
「釣り……ですか。浅学で申し訳ないのですが、釣りは全くの素人です。果たして上手くやれるかどうか……」
「教えるよ。前に紅薔薇とかに教わったから」
無表情に挙手する器にフローラ・ソーウェル(ka3590)がはにかむ。
「会うのは久しぶりですね。戦場以外の場所でお話するのははじめて、でしょうか?」
「船上だけどね」
ドヤ顔のジョークに苦笑を浮かべるフローラ。
針の先端に小エビを付け、竿を思い切り振る。後はひたすら待つのみ。
「構えはこんな感じでしょうか……!?」
「普通で」
「心持ちなどは……!?」
「普通で」
「そんなに緊張してても疲れちまうぜェ。リラックス、リラックス」
煙草を片手に竿を振るシガレット。フローラは小さく息をつき。
「……真面目に考えすぎるのは私の悪い癖ですね。今日は羽を伸ばすと決めています。肩の力を抜い……て?」
その瞬間、強くフローラの竿がしなった。
魚がかかっているということは分かるのだが、この後どうすればいいのかさっぱりわからない。
「こここ、これはどうしたらよいのでしょうっ!?」
フローラの竿を横から掴み、一緒に引っ張る器。引き上げられた魚は空を舞い、勢い良く船上に転がった。
「や、やりましたがここから更にどうすれば!?」
「おー。針外してやっから、ちっと待ってなァ」
「順調なようで何よりだね。ホリィさんの体調も悪くなさそうだし」
椅子に腰掛けゆったりと糸を垂らすジェールトヴァ(ka3098)。その隣でエイルは微妙な表情だ。
「何故か今日は一匹も釣れないという自信があるわ……」
「釣りはじっくり楽しむものだよ。ボウズの時も、それはそれさ」
「大漁じゃああああ!!」
ジェールトヴァがそう言った横から紅薔薇が魚を釣り上げるのだった。
「そろそろBBQの準備すっか。火でも起こしてくらァ」
「先に少しお刺身でいただいてみますか?」
フローラの釣り上げた魚を刺身包丁でさばいていく刹那。
あっという間にきれいな白身魚の刺身が出来上がった。
「器用なものですね」
「飛燕というスキルです! この山葵醤油につけて召し上がれ~♪」
山葵も直接目の前で擦ったものだ。贅沢に乗せて口に運ぶと、独特の風味が鼻を抜ける。
「これは……斬新な味ですね……」
「器ちゃん、気に入ってくれたのは嬉しいけど、山葵のせすぎじゃない?」
「んまい」
涙目になるフローラに対し、器は黙々と山葵を口にする。もう刺し身というか、山葵だ。
「もう、しょうがないなぁ~! そんなに言うならお姉ちゃん、いっぱい山葵擦っちゃう!」
大量に擦り下ろされる山葵は、次から次へと器に口に中に消えていった……。
釣りもそこそこにBBQが始まると、持ち込まれた肉や野菜の他、焼き魚なども用意される。なんとなく火の番は、火に強そうなシガレット担当だ。
「縁日の屋台とかにいそうだよな」
「褒められてんのかねェ?」
啓一のコメントに苦笑するシガレット。エイルは焼き魚と一緒におにぎり草を器に差し出す。
「ホリィ、欲しがってた海のある毎日はどう?」
「快適だよ。潮のにおいにも慣れたし」
「あ。そういえば森育ちには不慣れよね」
海を眺めながらもごもごと口を動かす器。その頬についたおにぎり草を取りながら考える。
この少女の目に映るものは、どんな色をしているのだろうか、と。
見た目に大きな変化はない。だが、意識喪失時間が長くなってきたということは、それだけ“それ以外”の占める部分が大きくなったということだ。
それはきっと、少女の心境に変化も与えているはず……。
「器ちゃん、お肉も野菜もありますよ! はい、あ~ん!」
「んあ」
「きゃーっ、かわいい! もうキュンキュンしちゃうわ~! 器ちゃん、大好き!」
頬をモゴモゴさせている器を抱きしめる刹那。しかし、少し身体を放し。
「でも、最近体調不良なんだって? 養生しないとお姉ちゃん悲しいぞ?」
「体調不良というか、寝すぎというか」
「眠いの!? お姉ちゃんの膝使う!? いつも空いてるけど!?」
膝枕されながら延々と食事を口に運ばれる器。
その様になにかダメなものを感じつつ、BBQは賑やかさを増していく……。
●PM16:10
絢爛ささえなかったが、豪華ではあったクルージングを終え、港に戻った一行。
そのまま解散というのに早い時間だったので、そのまま器の家まで移動することになった。
「今日は花火も持ってきてるのよ。日が暮れたらみんなでやりましょうね」
エイルの声にちょっとした歓声があがる。
そうして皆仲良く歩いて器に家までついたところで、紅薔薇が声をかけた。
「皆、楽しげな所申し訳ないのじゃが、話があるのじゃ」
足を止め振り返る一同。その中の器に目を向け、紅薔薇は静かに告げる。
「ホリィ殿……聖機剣を持ってくるのじゃ」
「紅薔薇さん、どういうことなの?」
「すまぬが、今は成り行きを見守ってほしい。ホリィ殿の化けの皮を剥がすには、必要な事なのじゃ」
エイルの問いに険しい表情で応じる紅薔薇。
結局開けた場所となると家の前の砂浜しかなく、そこで二人は対峙する事になる。
「話を聞いてようやくわかった。ホリィ殿。お主は……自分自身の存在を認めておらんのじゃな」
応答はない。故に続ける。
「皆がホリィ殿を大切に思っても、自分は存在してはいけない者だと思いこんでいる。そうじゃな?」
応答はない。
「……それは、裏切りにも等しい」
胸に手を当て息を呑むエイル。フローラもジェールトヴァも険しい表情だ。
これまでずっと、心を通わせようと努力してきた者たち。“通っている”と信じていた者たち。
もしも器が自分を否定するのなら、それらの思いは届いていなかったということになる。
「本当の事を言ってくれ、ホリィ殿。お主はこれから、どうするつもりなのだ?」
「……正しく“器”に戻る。そのつもりなんですね?」
フローラの声に僅かに器の指先が動く。
「何となくわかっていました。あなたが何を考えているのか。あなたが言ったように、私達は……似ていますから」
無言で紫煙を吐き出すシガレット。啓一は何かを言おうとし、頭を振る。
「ホリィ……そうなの?」
エイルの絞り出すような声に、器は目を瞑る。
「最初から……決まってたことだから」
そうして開いた瞼の奥。瞳は嘘をついていない。
「私は、私の意志で、この世界から消える。それが、たった一つの答えなんだ」
●PM16:15
「道具には見えないよね、アイツ。経緯はどうあれちゃんと自我を持っている。ま、不安定みたいだけどね」
楽しいクルージングから戻ったハンターらを見届け、ヒース・R・ウォーカー(ka0145)は語る。
「だからこそ危うい。ヒトは時に過ちを犯す。ボクも……多分お前もそうだったんだろ、タングラム?」
船の手配をしてからタングラムは港に残っていた。そんな彼女とヒースは行動を共にしていた。
「私が前の器にできたのは、暴走を直前で止める……つまり、殺すことだけでした」
それがタングラムが森と袂を分った理由。そして、器を引き取ったわけだ。
「もうあんな事を繰り返さない。その為に私は器を保護下に置きました」
だが、誰も器の本質を知らない。器は皆が思うよりどうしようもなく、ずっと理不尽なものだ。
「器は森の精霊……神の容れ物。時が来れば意志は上塗りされ、なかったことになる。そもそも今の彼女、ホリィと呼ばれる人格自体がその一部」
「……器本人じゃないっていうのかぁ?」
「殆どの器は、その負荷に耐えきれず役割を継承した時点で人格を全焼します。彼女も例外ではなかった。ただその焼け跡に、“ヒトのふりをするもの”が居座っただけ」
あの日、エルフハイムを襲撃するオルクスから森を護るため、巨大な浄化結界を発動した。
その中にいた数名の“楔”に触れた術者の意識の断片が、たまたま残ってしまっただけのモノ。それが“ホリィ”だ。
「浄化の器、秘術発動の鍵となりえる可能性。最悪都市一つ滅ぼしかねない、か。スバルが託しシュネーたちが守りたいと願う相手……借り物だけどアイツを守る理由はある」
随分と昔に出会った誰かの姿が重なる。
それは間違いなく、自分にとって大切な存在だったはずだ。
「色んな奴がアイツの事を気にかけ守ろうとしている。それでも過ちを犯すかもしれない。秘術の発動や第二のオルクスになったり、ねぇ。その時はボクに任せろ。汚れ役は蝙蝠の仕事。お前はみんなに慕われるリーダーなんだ、汚れちゃいけない」
「我々が手を下す必要はないかもしれません。彼女はきっと、自分にその時が来たら、自ら命を断つでしょうから」
その言葉にはヒースもタングラムの横顔を注視する。
「死ぬ前にきれいなものが見たいから、好きな人達と一緒にいたいから、このリゼリオに来たんです。猫みたいにね」
「なんだ、その選択。そんな所まで……似てるな」
「正直な所、私にもわからないのです。どうすることが彼女にとって良いことなのか」
●PM16:30
「お主は他の誰でも無い、この世にただ一人の『ホリィ』殿なのじゃ。だから、もう、自分自身を認めて許してやるのじゃ」
地に剣を突き、それを支えに辛うじて立つ小さな身体。
紅薔薇は刀を向け、叫ぶ。
「お主も言いたい事があるなら本音で来い! ホリィ!!」
しかし、俯いたまま器は動かない。紅薔薇が刀を振り上げても反応がない。
唇を噛み締め、刀を投げ捨て紅薔薇は走る。そして器の胸ぐらを掴み上げた。
「こうまでしてもか。ここまでしても本心を言わぬのか! お主は結局、妾を友などとは――」
「――思ってるよ」
長い前髪の合間、くしゃくしゃの顔で少女は笑う。
「でも、だめなんだ。もう、私は私じゃなくなる。そしたらいっぱいヒトを殺す。いっぱい、いっぱい。大事な街も、大事な人達も、殺す……私は……そんなのはいやだよ」
それが今まで見たことのない顔だったので、紅薔薇も言葉を失う。
「私は……“ホリィ”は。産まれてきちゃ、いけなかったんだ」
「魚も肉も、美味しかったよね」
ぽつりと、ジェールトヴァが呟くように語りだす。
「いのちをいただく有難さを、つい忘れがちだけれど……。ホリィさんはいつも冷静だね。そうあらねばならないと律しているのかな。退屈かもしれないけど、爺さんの悩みを聞いてくれるかな?」
そう言ってジェールトヴァは少し前に出て、海を見る。
「私は昔、人から様々なものを奪って生きてきた。財産も、命も、人の想いも。長く生きる資格はないのに、まだ生きながらえているのは、ただただ身勝手な思いがあるから。毎日、いのちをいただいて、犠牲の上に生き続ける」
“生きる”とはそういうことだ。
誰にも迷惑をかけずに生きることはできないし、一人きりの力で生きることもできない。
生きていれば人は必ず罪を抱く。
「それでも生きたい。生きていいって、自分で自分を許してる。一種の開き直りかな」
そう言って小さく笑う。
「身勝手ついでに、友人には幸せであってほしいと思う。疲れた時は、弱音を吐いて甘えて欲しい。独りで抱えているのを見ると、少し寂しいかな」
「第一、ホリィの責任じゃないだろ。元々の人格も、今の状況もよォ」
わしわしと頭を掻き、シガレットは語る。
「とあるチンピラの話だ。そいつは暴食連中に故郷を焼かれてな、帰る家も暖かい家族も奪われてなァ。憎しみ一辺倒になったチンピラになんでか知らないがギリギリで繋ぎ止めてくれた奇特な聖女みたいなヤツもいたが、そいつも歪虚にやられちまった」
シガレットは頭を振り。
「ちと話が逸れたか。つまり俺が何を言いたいかというと、何気ない日常こそ、当たり前な光景こそ失ってから大事でかけがえのないものだと気がつくという事だ。ホリィには失う前に気がついて欲しいし、遠くに行く前に日常を大切にしてもらいたいと思うぜェ」
そう言ってシガレットは自らの胸を叩く。
「俺は“ホリィ”を一人の人間としてみているからなァ」
「私も、器ちゃんの味方だよ。お姉ちゃんね、器ちゃんが元気になったらしたいこと、いっぱいあるんだ。この世界から消えるなんて、そんな哀しい事……言ってほしくないな」
刹那がそう呟くと、紅薔薇は器の両肩を掴み。
「この声が聞こえるかは知らん。だが『その身体に宿る者達よ』妾は願う。『ホリィ』を妾達の前から奪わないで欲しいのじゃ!!」
それは、“運命”を呪う言葉。
「仮初とか本当は存在しないとか、そんなのは知らん。友達が消えたいとか言ってるのを怒って、何が悪いのじゃーーーーーー!!」
どれだけ叫んだ所で、何かが変わるわけではない。それは皆わかっていた。
わかっていても叫ばずにはいられなかった。
紅薔薇はそのままずるずるとその場に崩れ、砂に膝を着く。
差し出そうとした手をぐっと掴み、堪え解いて、器は「ごめん」と呟いた。
●PM18:00
“消えたい”と言った少女の言葉に、その境遇に、明確な答えを出せる者などいるはずもない。
重苦しい空気の中、何となく皆、離れる事も近づくこともできない空気になり、時間が過ぎた。
言葉もなくベッドの上に腰掛ける器へ、既に開いている扉をノックしてフローラが語りかける。
「ずっと考えていました。何が正しいのか。どうすべきなのか。けれど、結局答えは出なかった。私にはわからなかった」
月明かりを浴びて白く輝く少女は幻のようで、今にも消えてしまいそう。でも、
「この気持ちだけは本当で、本物だと信じています」
道具として生きる事を受け入れていたフローラに、今の器を否定する言葉はないだろう。
与えられる答えなどない。フローラがそうしたように、器も自分で見つけるしかないのだ。
「あなたやスバルに出会えてよかった。私は、私として生まれて、生きてきて。幸せでした。幸せ、です……」
息を呑み。胸の前で両手を組んで。
「最後に一つ、聞かせてください。あなたが“器”に戻る前に。ホリィ。私は……私たちは、あなたの友達になれましたか?」
器は片膝を抱え、俯いていた顔を上げる。
「友達の意味が、私にはよくわからないんだ」
でも。
「いつから友達とかじゃなくて……そう思ったのなら、もう“ダチ”なんだって」
「――そうですね。ええ、まさしく。ならばこそ、私達は友達です。その友達に問います。そこで膝を抱えていて、この夜が終わっても、あなたは後悔しないのですか?」
差し伸べられた右手。器は――ホリィはその手を取り、ベッドから立ち上がった。
砂の上に寝転び夜空を見上げていると、自分の小ささがよく分かる。
ヒトは有限。だから精一杯生きる。それは、自分も、ホリィも、この世界も同じ事。
いつか終わりが来るとわかっていた。早いか遅いかの違いだけ。
それなのに、消えたいと言って見たことのない顔をした少女にかけるべき言葉を持ち合わせない自分に、ひどく落胆していた。
「私……あの子の何をわかったつもりになっていたんだろう」
ずっとそばにいたのに。あの子はいつも思っていたんだ。
消えたいって。いなくなりたいって。なんでもないような顔をしながら、終わりを望んでいたなんて。
それを思うと胸が張り裂けそうで、年甲斐もなく叫び出したくなった。
「エイル」
声に背筋を震わせ、振り返る。そこには器の姿があった。
上手くかける言葉が見つからず、手元を手繰り寄せ。
「……花火、やる?」
派手に火花を散らす気分ではなく、必然的に線香花火に火を点けた。
「まだ……消えたいって考えてる?」
答えはない。
「どうして……」
――言ってくれなかったの? その言葉は呑み込んだ。
「もう、消えたいとは思わない」
ポツリと、火が堕ちて。
「私、ずっとここにいたい。皆と一緒にいたいよ」
零れ落ちた雫が少女の涙だと気づいた時、エイルはその身体を抱きしめずにはいられなかった。
「消えなくていい。ずっと一緒にいよう。ずっとあなたを見てきた。だからここにもあなたが住んでる」
器の手を取り、自らの胸に押し当て笑う。
「あなたがいなくなったら……私の心も欠けちゃうよ」
肉体は魂の容れ物だと誰かが言っていた。
それでも構わない。身体があるから魂を抱きしめられる。
心がどこかへ行ってしまわないよう、強く強く抱きしめる。
「……ありがとう、エイル」
それはきっと嬉しい言葉なのに、別れの挨拶のようで。
何の言葉も返せなくなるほど、エイルの心臓を強く締め付けていた。
●PM19:00
各々の沈黙にも耐えかね、解散するかという空気になった頃。
エイルに手を引かれ帰ってきた器は、皆を集めて言った。
「本当の事を言うから、怒らないで聞いて」
そう言って、小さく息を吸う。
「紅薔薇。ずっと嘘をついてて、ごめん」
頭を下げ。
「みんなも、ごめん。本当の気持ちを隠してて、ごめん」
皆に頭を下げ。
「おじいさん、ウナパイ先輩、心配してくれてありがとう。フローラ、背中を押してくれてありがとう」
そして頭を上げて。
「私やっぱり、消えたくないや」
「当然じゃない! それでいいんだよ、器ちゃん!」
鼻水を啜りながらしきりに頷く刹那。だが器の表情は浮かない。
「私はいま、すごく酷いことを言ったんだ。みんなに“死ね”って言うにも等しい。私が消えないっていうことは、そういうこと。これからひどいことが起こる。すごくすごく酷いことがはじまる。それでいっぱい、すごくいっぱいの命が失われる。私一人の命でそれを止められるのに、私は今、“皆を殺す”と言ったんだ」
「それでいいじゃないか。さっきも言っただろう? 生きるということは、そういうことなんだ」
「どーせ最初っからこんな時代でよォ、ひどい話ばっかりだ。言っただろ? それはホリィの責任じゃないってよォ」
ジェールトヴァとシガレットが双方から肩を叩く。
「他に止める方法が思いつかない。だから間違いなく、本当にひどいことになる。それに私はきっと、どの道消えちゃうんだ。でも、一応消えないようにがんばってはみる」
謎のガッツポーズに思わず笑うフローラ。
「ええ、その意気です。それがあなたの選んだ答えだというのなら、応援しますから」
「そしてひどいことになったら、なんとかしてほしい。しかも、私が消えないように」
あっけらかんとそんなことを言って。
「もし私が消えてしまっても、“本当の私”を責めないで。私が見て感じた沢山のきれいなものを、その子にも見せてあげて」
「こんな時までそんな事を考えておるのか? だがまあ、よかろう。その依頼、たしかに請け負った」
苦笑を浮かべ、紅薔薇は力強く頷く。
「リクもソフィアも、ホリィが消えないことを願うはず。我らは強い。どんな理不尽な戦いもきっと乗り越えて見せよう」
「うん。助けにきて。きっと、待ってるから」
「今更だな。言っただろ? ダチは必ず助けるって。心配せずともみんなで行ってやるから、大人しく待ってな」
腕を組み、啓一が微笑む。頷く器に、紅薔薇は小指を差し出す。
「約束じゃ。その時まで、さよならは言わないと」
絡めた小指を上下にゆすり切り離しても、心までは離れない。
改めて持ち寄った残りの食材を開いて、皆笑顔で語りだした。
未来のことはわからない。どうしたらいいのか、その答えは見つからない。
それでもなんとかすると決めた。そう約束したのだ。
消える事を願っていた少女の、それが最初で最後のワガママだった。
皆が去った後、器は一人で夜の海を眺める。
「お前の答え、聞かせてもらったよぉ」
振り返るとそこにはいつの間にかヒースの姿があった。
「こんばんは、と。聖機剣は大事にしてるみたいだねぇ。ボクの友達が遺したモノなんだ、大切にしてくれよぉ」
そう言いながら隣に並び、ヒースは懐から手帳を取り出す。
「これはボクがこれまでの報告書を基に調べた、お前に関する記録。こっちは何も書いてないただの日記帳だ」
「日記はもうつけてるよ。見る?」
首を横に振り、ヒースは無地の手帳を懐に戻す。
器は資料を開き、文字列に視線を走らせる。そこには自分の知らない自分の姿まで記録されていた。
「他者によって記されたお前の軌跡、そしてお前自身が記すお前の言葉。どちらも今のお前が存在した証だよ」
そう言って、ヒースは溜息を零す。
「お前が消えて、別の何かが目覚める。それは実際のところ、止められないんだろぉ?」
「うん。必ずそうなる」
「それをどうにかしろって、随分無茶を頼んだものだねぇ」
「これまでの事だって、十分無茶だったよ」
手帳を翳して笑う器に、ヒースも笑い返し、目をつむる。
「安心しなぁ。本当に酷いことにはさせないさ。いざとなったら、ボクが止めてやる。なあ、ナナクロ?」
肩に乗せた猫に語りかけながらヒースは立ち去った。器はそれを見送り、ぱたんと手帳を閉じた。
部屋に帰るとベッドに倒れ込み、大の字になって目を瞑る。
眠ることが恐ろしかった。瞼を閉じたら、もう二度と目覚めないような気がした。
深い深い暗闇に、何もかもが吸い込まれていくようだった。
「もう、こわくないよ」
穏やかに息を吸って、吐き出して。
生きることは罪深い。望むことは穢らわしい。
祈りは呪いにも似て、また誰かの心を縛り砕くだろう。
「それでも――私は」
眠りについた少女の前髪を、開いた窓から吹き込む風が揺らす。
一緒になってくるくると回る、窓辺に吊るされた短冊には、“生きる”と力強い筆跡で綴られていた。
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2016/09/26 22:29:20 |
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質問卓 シガレット=ウナギパイ(ka2884) 人間(クリムゾンウェスト)|32才|男性|聖導士(クルセイダー) |
最終発言 2016/09/27 13:28:57 |
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相談卓 シガレット=ウナギパイ(ka2884) 人間(クリムゾンウェスト)|32才|男性|聖導士(クルセイダー) |
最終発言 2016/10/01 17:16:40 |