♪ Foolish Dancing ♪

マスター:楠々蛙

シナリオ形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
4~10人
サポート
0~10人
マテリアルリンク
報酬
無し
相談期間
5日
締切
2016/10/08 15:00
完成日
2016/10/18 01:55

このシナリオは5日間納期が延長されています。

みんなの思い出

思い出設定されたOMC商品がありません。

オープニング

 港に停泊した一艘の船から、煌々と明かりが漏れる。いや、漏れ出るのは明かりばかりだけでなく、楽し気な宴の声と、宴を彩る楽曲の調べが、月光差す夜の港に響き渡っていた。
 今宵一間の船上パーティー、その会場で、壁に背を預ける少女が一人。
「まだかな、バリーさん」
 裾が大きく広がった、イエローカラーのマーメイドドレス姿の少女。名は、エルネスタ=ラヴィナーレという。
「ずーっと会えなかったんだもの、何から話そうかな」
 緩んだ口許を隠すように顔を俯かせ、首筋に流したウィッグを弄る、エルネ。
 と、下げた視界の端に、プレーントゥの爪先を捉えて、彼女は綻んだ顔を上げる。
「──あ、えと」
 期待した人物がそこに居なかった事に落胆し、同時に、不躾に自分の顔を覗き込む青年の視線に、身を引いた。
「君、一人? なら、僕と踊らない?」
「いえ、あの、人を待っているので──」
「大丈夫、大丈夫、ちょっとだけだからさ」
 強引にエルネの手を引こうとする、青年。
「──失礼」
 その肩を叩く者があった。青年が振り返れば、オールバックのブロンドの下、自分を射抜く蒼い眼光と眼が合う。
「私の連れに、何か用でも?」
「い、いえ、何でもないです……」
 丁寧な口調と物腰、しかし、その奥に潜む威圧に気圧され、青年はすごすごと離れて行く。
「ほら、エルネ」
 安堵の溜息零すエルネの前に、差し出されるカクテルグラス。マリンブルー揺蕩うグラスを受け取って、彼女は差し出した手の主を見上げる。
「あの、ありがとうございます、バリーさん」
「なに、こういう席で男がグラスを持って来るのは当然だ」
 鈍色のタキシードに身を包んだバリー=ランズダウンは、素知らぬ顔で、手に持ったグラスを傾けた。
「そうじゃなくて……」
 口籠る、エルネ。
 昔からこういう人なのだ。優しく振る舞い、何かと気遣ってくれる癖に、自分の隙は見せようとしない。
 妙に苛立たしくなって、エルネは口当たりの良いカクテルを一息に呷り、空いたグラスを通り掛かったウェイターの盆に置くや、バリーの顔を覗き込む。
「踊ってくださいっ、バリーさん」
「──今からか?」
「今すぐです。さ、さっきバリーさんが邪魔したから、私は踊る相手が居なくなったんですよ。だから、その、責任取って下さい!」
 手を突き出す、エルネ。
 我ながら酷い言い分だと思う。彼は助けてくれたというのに。そもそも、店の客から譲って貰った船上パーティーの招待券が勿体ないからと誘った時も、相当に強引だったのだ。その上でこの態度、呆れられても仕方がない。
「あ、その。ご、ごめ──」
 急に心が竦み、引き戻そうとした手──
「──喜んで」
 その手を取る、一回り大きな手があった。
「あ……」
 優しく掬い上げるようなその手付きに、思わず声が漏れる。
「──踊るんじゃ、なかったのか?」
 顔を伏せて立ち竦むエルネに、子供をあやすように問う、バリー。
 
 そういう所が──

「──ちゃんと、エスコートして下さいね?」
 精一杯済ました顔を作って、顔を上げるエルネ。
「お任せあれ」
 余裕のある微笑を浮かばせ、自分の手を引くバリーを見て、エルネは心の中で深く溜息を吐いた。

 ──そういう所が、無性に……なの。



 パーティー会場の中、溜息を漏らす少女がもう一人。
 橙色のキュロットドレスにカーマインのボレロを羽織った赤毛の少女は、ラウラ=フアネーレ。
 彼女は、バリーとエルネを遠巻きに見た後、傍らに居る連れを見遣って、アプリコットオレンジの口紅を引いた小さな唇から、溜息を吐いた。
「大違いだわ……」
「何か言ったか?」
 溜息を聞き咎めた、彼女の連れが、こちらへ振り向く。
 摘まんだローストビーフを呑み込んで、指先を舐めているその男は、キャロル=クルックシャンク。
 スラックスを吊り上げる、藍色のサスペンダーが見えるのは、彼がジャケットとベストの着用を拒否したからだ。
「……あなたね、フォークくらいは使いなさいよ」
 再びローストビーフを口に詰め込むキャロルを、ラウラは声を潜めて窘めた。対するキャロルは、赤ワインでローストビーフを流し込むや、ローストチキンに手を伸ばし始める。
「そんなまどるっこしい事やってられっか。たらふく肉を喰える機会なんざ、そう滅多にあるもんじゃねえかんな」
「……たしかに、どれも美味しいけどね」
 一口サイズのタルトを頬張って、呟くラウラ。甘酸っぱい木苺は確かに申し分ないが、ここは食事に没頭する場ではあるまい。
 再び傍らを見遣る。両手にチキンを持った、キャロルの姿があった。色気より食い気に憑かれたこの男に、これ以上何かを期待しても仕方ない。
「……わたし、ちょっと別の所に行って来る」
 再び溜息を吐いた後、ラウラは一人社交の場へと歩き出した。



「ああ、最近霧燈(むとう)がかもうてくれんせん」
 ここにも溜息を漏らす者が一人。
 しかし、裾に大胆なスリットを入れ、肩を出した紫苑色のドレスに身を包んでいるのは、少女と呼べる齢を過ぎた、妙齢の女性だった。名を、香扇(かせん)という。
「青果店の看板娘とよろしくやっているらしいな。良い事じゃないか」
 彼女の傍らに立つのは、ダークネイビーのタキシードを着込んだ、長身細身の男。切れ長の瞳で香扇を見遣るその男の名は、天雷(てんらい)だ。
「しかし、君が子離れできない性質だったとはな」
「……今日は随分と口が達者ではありんせんか」
 拗ねた様子で、視線を返す香扇。
「君がそんなザマではね」
 天雷は苦笑を浮かべながら、白ワイン揺蕩うグラスを傾ける。
「折角の宴だ、少しは気晴らしでもしたらどうだ? 無礼講で浮世の憂さを引き摺るのは、無粋というものだ」
「……なんだか妙に落ち着きはろうて居りんすね。わっちから誘うておうてなんですが、こうゆう席は不得手だとばかり」
 天雷の態度に口を尖らせる香扇。どうやら浮世の憂さを、彼を弄って晴らそうと目論んでいた折、出鼻を挫かれて鼻白んでいるらしい。
「なに、そう縁がなかったわけでもない。こういう場に紛れて仕事をする機会も多々あったさ。──あちらの世では」
「…………」
 天雷がその身に積んだ功は、香扇とて知っている。己の汗と血を流すだけでは、到底到達し得ない境地である事も、彼女自身の過去を通して、理解できる。
「こちらの世に渡って、まあ色々と苦労はあったが、そう悪い事ばかりじゃない。霧燈がああして、陽に当たれるようになった事も然り、だ」
 グラスを干して、「違うか?」と流し目を送る天雷に、「そうですね……」と返す香扇。
「そうは言うても、寂しゅうて……」
「憂さ晴らしなら付き合おう。幸いここには、酒も音楽もある」
 肩を竦め、ウェイターの盆から新しいグラスを取る天雷。
「──ん?」
「どうしんした?」
 会場の奥に眼を凝らす天雷に、香扇は首を傾げる。
「いや、今、黒猫が通った気がしたんだが」

リプレイ本文

 ルーエル・ゼクシディア(ka2473)は、思わず溜息を漏らした。レイン・レーネリル(ka2887)──恋人のドレス姿を前にして。
 小麦色の肌とコントラストになった純白のドレス。胸元を飾る薄青い薔薇を模したリボン飾りが楚々と揺れ、普段の彼女とまた違った印象を醸し出している。
「──どしたの、ルー君」
「う、ううん。何でもないよ」
「そう? へへ、ルー君もカッコ良いよ~?」
 見透かすように悪戯気のある笑みを浮かべるレイン。対してルーエルは「あ、ありがと」と、意味もなく白いネクタイを弄って、動揺を誤魔化した。
 薄紫のシャツに灰色のベストを重ね、襟元に黒いラインの入ったジャケットを羽織った姿は、実際に様になっている。元々騎士の家系という事もあるのだろう、服に着られる事なく着こなしていた。
「えーと、じゃあどうしようか。お姉さんは、何かしたい事ある?」
「それですが、本日は、ルー君に正しいレディとの付き合い方を勉強して貰います」
「れ、レディ?」
「そうです。いつもの可愛いルー君も素敵ですが、今日は、クールでジェントルマンな男性の作法を身に着けましょー」
「……どうすれば良いの?」
 首を傾げるルーエルに、レインはばっと手を広げ、パーティー会場を指し示した。
「見学です。今日は良い見本がいっぱいあります。眼で見て盗んでください」
「眼で見てって……、あっ。あれキャロルさんだよね」
 視線を巡らしたルーエルは、見知った顔を見付けて声を上げた。
「んー、どれどれ……、あれは論外だよ! ダメダメ、絶対ダメ!」
 レインは全力で首を振って、ルーエルの顔を両手で挟み、反面教師以外何の役にも立たない見本から目を逸らさせる。
「ほら、あれ、ああいうのを参考にするの」
「あれは、バリー……さん?」
 レインが動かした視線の先で、ルーエルが見咎めたのは、バリーと、彼の手にリードされてステップを踏むエルネの姿。
 時折エルネがステップを踏み違えて、周囲で踊るカップルにぶつかりそうになるものの、彼女の腰に手を当てたバリーがさり気なくフォローを入れて回避している。
「「おおー……」」
 声を合わせて、感歎の溜息を零すルーエルとレイン。
「ほらほら、他にも色んな人が居るんだから、めいっぱい吸収して、素敵な紳士にレベルアップしましょー」
「お、おー」



 賑わう会場の中、落ち着きを欠いた挙動の男が一人居た。
 スラックスのポケットに左手を掛け、右手のカクテルグラスに口を付ける事もなく、周囲に視線を巡らせているエルフの名は、J・D(ka3351)。
 着慣れないタキシード、帽子の鍔がない視界、そして何より、常なら腰元にある筈の重みがない事が、彼を普段の冷静沈着な態度と無縁にさせていた。
 如何に百戦錬磨のガンマンと言えど、銃がなくては、ただの男に過ぎない。左ポケットに隠す、先程拝借したテーブルナイフだけが、心許ない心の頼りだ。
「なぁに硬くなってるんですかぁ、Jさん♪」
 そんな彼に、快活な声が掛けられた。その声に、ふと視線を下ろすJD。黒水晶のレンズ越しに視界へ映ったのは、三又のフォークに突き刺さる、レアに焼かれた牛肉の一切れ。
「ほぅら、お肉ですよう。そんな番犬みたいな顔してないで、口を開けて下さい」
「……テメェで食えらァな」
 憮然と鼻を鳴らすや、JDは左手でフォークを受け取った。顰め面のまま牛肉を口に放り込み、噛み締めると──
「……美味ェ」
 口に広がる肉汁、そしてそれを引き立てる仄かな酸味と甘味に、彼は眼を見開いた。
「そうでしょう、そうでしょう。たぶん、ソースに摩り下ろした林檎を使ってるんでしょうねえ」
 牛肉を呑み込んだJDは、腕を組んでウンウンと頷いている少女に、視線を落とす。
 普段はハーフアップに纏めた栗色の髪を、うなじが覗く程のアップスタイルに変え、紅い椿の簪を差している。
 肩から流れるのは、腰をコルセットとベルトが、足許をフリルが彩る、鮮やかな青地のドレス。足許を飾るのは、シルバークロスのアンクレット。そして、甲に雪の結晶を模す宝石細工をあしらった、白銀のハイヒール。
 口に残った林檎の風味をカクテルで流し込んで、JDは呟く。
「……キチンとめかしこみゃァ、化けるモンだ」
「む、何ですか。その、馬子にも衣装みたいな言い方は」
 料理に舌鼓を打ち綻んでいた顔を顰めて、少女──松瀬 柚子(ka4625)が、睨むようにJDを見上げて来た。平素は左眼を覆っている眼帯を外している為、両の碧眼がJDのサングラスに反射する。
「中身も一人前にレディを気取りたけりゃァ、まずそのソースを拭いねェ」
 呆れた口調で、松瀬の頬を指差すJD。
「おっとっと、これは失礼をば」
 指摘された松瀬は、反射的に手で拭おうとするものの、持ち上げようとした手首をJDが掴んで制止する。
「このトンチキめ。んな格好で、はしたねェ真似する奴があるかィ。待ってな、確か胸ポケットにハンカチが──、ほれ、使いねェ」
「おぉ、ありがとうございます。では、ありがたく」
「ったく、手ェ掛けやがる……」
 JDは溜息を零して、ハンカチで口許を拭う松瀬から視線を逸らす。と──
「あ、やっぱりJDだ。こんなところで奇遇ね」
「ラウラの嬢ちゃんか? ほぉ、こいつはまた、様になってるじゃねェか」
 横合いに向けた視界に映る小さな淑女を見咎めて、顎に手を当て微笑を浮かべた。
「ありがと。あなたのタキシード姿もお似合いよ? ──ところで、そっちの人はお知り合い?」
 小首を傾げるラウラ。すると、ソースを拭い終えた松瀬がJDを押し退けて、ラウラの前に進み出る。
「はいはい、呼ばれて飛び出ました♪ 私は、超絶美少女ハンター、松瀬柚子ですよー♪」
 満面の笑みを浮かべて、快活に名乗りを上げる松瀬。
「──ごきげんよう」
 対するラウラは一呼吸置いてから、キュロットスカートの両端を摘まみ上げ、片足を内側に引き、上体を起こしたまま残した片足を曲げ、淑女のお辞儀(カーテーシー)の仕草を取った。
「わたしは、ラウラ=フアネーレ。──よろしくね、ユズ」
 バリーから教わった、慣れない社交の嗜みを披露した恥じらいからか、はにかんだ笑みを浮かべる、小さな淑女(リトルレディ)。
「上出来だ。何処ぞのお転婆に見習わせてやりてェくらいだ」
 称賛の中に交えられた、軽い皮肉。それに過敏に反応した松瀬が、JDに喰って掛かる。
「わ、私だって、やって見せたじゃないですか! ほら、このパーティにお誘いした時に!」
「……上辺だけ取り繕っても、お前ェさんの場合はおしゃまなだけだ」
「い、言わせておけば。Jさんだって、この場所に馴染んでない癖に──」
 食い掛かる松瀬に、溜息零すJD。
 二人を置いて、ラウラはその場を離れると、微笑を浮かばせて振り返る。
「……なんだか、親子みたい」



 軽快ながら、何処か気品のあるジャズ調の音楽の中に、紙片を捲る音が混じる。
 壁際に置かれた二人掛けのソファに腰掛けながら、活字の海に身を漂わす女性のエルフが一人。
 夜の帳めいた紺色の生地に、瞬く星屑を思わす散りばめられた金のラメ。裾と胸元に蔦を模す銀糸の刺繍をあしらい、背中を大胆に開けた、ホルターネックのイブニングドレス。
 床に擦るすれすれまで伸びるスカートの片側には大きくスリットが入り、片足の太腿が露になっているが、当の本人に気にする様子はない。
 アップに纏めたブロンドを飾る、皇帝ダリアの花飾りが小刻みに揺れているのは、彼女が曲に合わせて首を小さく振っているからだろう。
 さながら、波間に浮かんだ岩場に佇む人魚、と言った所だろうか。書を捲るその仕草までもが、彼女の魅力を引き立てているようで。その姿に惹かれ、声を掛ける者は少なくなかったが、活字に沈む彼女には届かない。
「あの、お嬢さん? 退屈しているのでしたら──」
 もう幾人目になるのか、また彼女に声を掛ける者があったが、またも気付かずにページを進める。しかし──
「──エア、待たせたかい?」
 声を掛けた男、その背から響く涼やかな声に名を呼ばれた女性──エルティア・ホープナー(ka0727)は、浮上するように、ふと顔を上げた。
「やっと来たのね、シーラ。──あら? この人、シーラの知り合い?」
 ようやく目の前の男に気付いた彼女は、その背後に立つ、自分と同じエルフ──右眼に鼻掛けのモノクルを着けた青年に視線を向け、小首を傾げる。
 男は苦笑を浮かべて、すれ違いざまに青年に軽く会釈を寄越しながら、会場の方へと戻って行った。
「……良いの、あの人。シーラに用事があったんじゃないの?」
 的の外れた疑問を発する彼女に、青年──シルヴェイラ(ka0726)は溜息を零して、首を振る。黒いタキシード姿、その首元の青いリボンタイが微かに揺れる。
「良いんだよ。もう彼の用事は終わっただろうから」
 微かな同情の調を声に宿らせて、問いに応えるシルヴェイラ。
「それにしても、こんな場所に来てさえ、読書とはね。その徹底振りには恐れ入ったよ」
 エルティアを見下ろすその視線には、言葉通り、呆れすら通り越した感歎が籠められている。
「そう? こんなとこなんて言うけど、落ち着いた音楽が流れてるのは、そんなに悪くないわよ。難点を言えば、人が多い事ね」
「パーティーなんだから、当然だ。大体人が多いからって、一度本に入り込んだら声なんか聞こえてやしないんだろう?」
「……そうなの?」
 首を傾げるエルティアに、溜息を零すシルヴェイラ。
「……そうなんだよ」
 脱力して肩を落とすシルヴェイラは、腕に掛かる重みで、二人分の食事を盛りつけた皿と、カクテルグラスの存在を思い出した。
「それより、折角のパーティーなんだ、少しは飲み食いしようじゃないか。──ほら、本は仕舞って」
 エルティアの隣に腰掛け、グラスを差し出し、皿をソファに備え付けてあるサイドテーブルの上に置く。
「さあ、まずは乾杯だ」
 エルティアにグラスを向けると、彼女は「何に?」と首を傾げた。シルヴィエラは、しばし思案すると、口を開く。
「……君の瞳に?」
 途端、吹き出すエルティア。
「……そこまで笑う事はないだろう」
 横目で彼女を睨んで、シルヴィエラは不平を口にする。顔を伏せて誤魔化しているつもりなのだろうが、剥き出しになった細い肩が震えている。常に澄ましている彼女が、ここまで感情を露にするのは珍しい。……理由が理由だけに、歓迎できるものではないが。
「──し、仕方ないでしょう。あんまりにもおかしかったんだもの」
 笑いを抑えて、エルティアはようやく面を上げた。口角が僅かに震えている事は、この際無視した方が心の健康に都合が良い。
「じゃあ、君が考えるんだな」
 鼻を鳴らすシルヴェイラに、「そうね……」とエルティアは、顎に手を当て、思案する素振りを見せた。
「──それじゃあ、今日と言うこの日に」
 唇で小さく弧を作って、彼女はグラスを掲げる。
「……今日? 何か特別な日だったか?」
「良いから。ほら──」
 訝しむシルヴェイラ、その手に持ったグラスへ、エルティアは不意打つように自分のそれを合わせる。
「──乾杯」
 透き通るような音が響き、グラスの中で揺蕩うカクテル。琥珀色のそれに口を付けると、彼女はまた、傍らの連れ添いに微笑を向けた。
「……ああ、乾杯」
 シルヴェイラもまた苦笑を浮かべ、グラスに口を付ける。
「──そうだ。人心地着いたら踊らないか?」
 食事に手を付けながら、シルヴェイラはダンスの誘いを切り出した。風情はないが、気障な言い回しを彼女に向けても、どうせ通用しない。
「ええ、勿論喜んで」
 フォークに突き刺した芽キャベツのアーリオオーリオを口許に運びながら、頷くエルティア。
 ほら、言わん事じゃない。自分を脚色しなくとも、彼女はこうして笑みを見せてくれる。
 その笑みが愛おしいから、彼はここに──彼女の隣に居続ける。



 一人所在なくテーブルの傍に立ち、掌中のグラスを弄ぶ男が一人。
「こんばんは、エリーおじさま」
 可憐な少女の声、聞き慣れたその声に、エリミネーター(ka5158)はふと視線を下げた。
「おっと、ラウラちゃんか?」
 視界に映った声の主は、思った通り、奇縁で知り合った一人の少女。しかしその立ち姿は、見慣れた姿ではなく、今の彼と同様に、この会場に相応しいドレスコードに合わせたもので。
「──ごきげんよう」
 その所作もまた同じく。
「これはこれは、お姫様も御機嫌麗しゅう」
 エリミネーターもそれに倣って、胸に掌を当てながら腰を曲げる、紳士流の辞儀で以って応じた。
 姿勢を正したラウラは、思わずと言った風に、笑みを零す。
「おじさまったら、どっかの誰かさんじゃないんだから」
「HAHA、そのどっかの誰かちゃんも、この場に居合わせたら同じ事言ったと思うぜ?」
 でしょうね、と応じるラウラ。声に宿る調は呆れのそれ。エリミネーターへ、と言うよりは、その誰かさんに思う所があるらしい。
「それより、おじさまは一人?」
 小首を傾げるラウラに、エリミネーターは苦笑を返す。
「悲しいかな、お独り様さ。ラウラちゃんこそ、他の御二人さんはどうしたんだ?」
「バリーはね、女の人と一緒なの。キャロルは……、食い倒れ中、かしら──そう言えば、マックスはどうしてるの?」
「ああ、アイツなら、お留守番だ。出掛ける時は恨めしそうに睨んでたもんさ」
 エリミネーターの飼い犬、シェパード犬の拗ね顔を思い浮かべたのか、ラウラは口許を緩める。
「ふふ、マックスは寂しがり屋さんだからね。あとでちゃんとご褒美をあげないといけないわよ?」
「HAHA、御忠言痛み入るよ。──そういうラウラちゃんとこの女王様は?」
「さあ? あの子は夜になるとどこか散歩に出かけるから」
 ラウラは、宿を出る時にはもう居なかったわ、と答えると、そ・れ・よ・り・も、と節目を付けて、話題の矛先を逸らした。
「おじさまは、今おひま? わたしはね、すっごくひまなの」
 手を後ろ手に組み、何やら含んだ笑みを浮かべ、こちらを見上げる少女。その言わんとする所を悟ったエリミネーターは、やれやれと言わんばかりに再び肩を竦めると、小さな淑女に掌を差し出した。
「Shall we dance?」
 小さな手がその上に重ねられる。
「あいど、らぶ、とぅー♪」



「ど、どうですかね、小夜」
 照れ臭そうにはにかみ、視線を僅かに逸らす遠藤・恵(ka3940)を前にして、玉兎小夜は両手に持ったカクテルグラスを取り落しそうになった。
 艶やかなワインレッドのドレスに、肩を覆う黒のボレロ。首元に掛けた真珠のネックレスは、彼女の滑らかな肌とグラデーションを作り、華美に過ぎない程度に飾り立てている。
 普段ツインテールに纏めている髪はアップに。差した花飾りは、やはり彼女らしい。
 少女から女へと変わっていく年頃の、まだ青い色香を引き立てるようなドレスアップに、小夜はしばし言葉を忘れた。
「小夜……?」
 不安気にこちらを見上げる恵の瞳に気付き、このままではいけないと、小夜はグラスを一息に呷る。
「すごく綺麗だよ……、恵」
 酩酊の助けを借り、緊張を振り払って、心からの言葉を口にした。いや、このカクテルにはアルコールが入っていたのだったか。なに、些細な事だ。何であれ、小夜は既に酔っている。浮き上がるような心地は、それ以外に説明が付かない。
「あ、あはは、面と向かって言われると、やっぱり照れてしまいますね……」
 はにかみながら、視線を逸らす恵。髪の下に覗く、小さな耳が桜色に染まっているのを見て、触れたいという衝動に駆られたものの、どうにか理性で封じ込め、代わりにもう一方のグラスを差し出した。
「ありがとうございます」と受け取った恵は、グラスに口を付ける。「おいしい?」と問い掛ける、小夜。
 すると恵は、「えーと」と一転して困ったような笑みを浮かべる。
「その、すいません。正直に白状しますと、味がわからないです」
 そして、「あはは」とやはり恥じらいを誤魔化すように笑って──
「その、私、やっぱり緊張してるんですかねえ?」
 その時、理性が一段階外れる音を、小夜は確かに耳にした。
「わ、わわっ、小夜!?」
 次の瞬間、恵を強引に抱き寄せて、ダンスホールへと歩き出していた。取り落としそうになった彼女のグラスは、小夜のモノと諸共に、ウェイターの手によって手早く回収される。「あ、ありがとうございます」と半ば連行されながら礼を告げる恵に、ウェイターは良い一時をとばかりに一礼を返した。
「さ、小夜? ほら、みんな見てますよ」
 急く足でダンスホールの中心へと向かう二人組、それも女性同士の二人連れという事もあって、好奇の眼差しが集う。
「別に、見られたって良いよ」
 それを気にする恵の耳元に唇を寄せて、小夜は囁き掛ける。
「だから……、踊ろう?」
 顔を引いて恵の瞳を見詰め「いや?」と首を傾がす小夜。すると、恵は勢い良く首を横に振って──
「勿論、喜んで♪」
 花咲く笑顔を浮かばせた。



 綿狸 律(ka5377)は、己でも判断の付かない想いがもたらす胸の高鳴りを抑え切れずにいた。
 どうにか紛らわそうと、タキシードのネクタイや、整髪料で整えた髪先を弄る右手。その薬指には、白雪を固めたような白銀の指輪が嵌められている。
「どうした? 律」
 己が名を呼ぶ、聞き慣れた声に顔を上げてみれば、視界に映ったのは、やはり見慣れた筈の顔。そう、見慣れている筈なのだ。白眉の下、自分を優しく見詰めるその眼差しは。
「……な、なんでもねえ」
 だと言うのに、応じる声は動揺も露に、震えたものになった。
「やはり様子がおかしいぞ? まさか、風邪でも引いたか」
 心なし肌に差す赤みが強い律の身を案じて、彼と同じく白銀の指輪を嵌めた手を伸ばす美丈夫。銀光纏う後ろ髪を一房に纏めた彼の名は、皆守 恭也(ka5378)。綿狸家の次代当主の命を担う、律の従者足る男である。──彼らの関係は、それだけに留まらないのだが、二人が共有するその想いは、彼らが揃って身に着けた白銀の指輪、その環の内に刻まれた誓言と同じく、律と恭也のみが知る事だ。
「……っ!」
 熱でも計ろうとしたのだろう。恭也が伸ばした手は、しかし律の手によって打ち払われた。
「あ──」
 右手を襲う痺れ。それに最も驚きの表情を浮かべたのは、手を払われた恭也ではなく、手を払った律であった。
「あ……その……」
 右手を押さえて、何かを伝えよう口を開く律。しかし、困惑ばかりが伝わるのみで、肝心の声は言葉にはならず、ただ意味を持たない呼気ばかりが吐き出される。
 持て余す感情にいよいよ耐え兼ねたのか、律は顔を逸らすと、
「か、厠に行って来る!」
 ただ一言言い捨てて、足早にその場を離れ行く。
「待てっ、律──」
 伸ばす手、呼び止める声は間に合わず、律はするりと逃れ、パーティー会場の雑踏の中に紛れた。
「どうしたと言うんだ、一体……」
 常ならば、寧ろ離れたがらない主君が、自ら逃れるその由縁。それに思い居たらず、独り残された恭也は、苛立ち交じりに呟きを零した。



「ねえ見た? 見た、ルー君。あの二人絶対何かあるよね!?」
「止めなよ、お姉さんったら。きっと喧嘩したんだよ、そっとしておかなくちゃ。大体、何かって何?」
「何言ってるの! どうしてわからないの!?」
「お姉さんが何言ってるのか、わからないよ……。ほら、それより、最初の目的を忘れてない?」
「おっと、そうだったそうだった」
 レインはルーエルの方へと向き直ると、決まり悪そうに咳払いを一つ挟み、
「それではルー君、見学は以上です。準備はよろしいですか?」
 存在しない眼鏡の弦を、クイと上げる。しかし「準備?」と首を傾げるルーエルに、クールな女教師の仮面を剥がして、唇を尖らせた。
「……本当にわからないの?」
 所在なく揺れる彼女の右手を見て、ルーエルは「あ、う……ん」と小さく頷く。
 深呼吸を一つ──
「──我が姫。どうか、このわたくしめの手をお取り頂けないでしょうか」
 彼はレインの前に跪くと、頭を垂れ、恭しい仕草で右手を差し出した。
「な、えと、その、……はい、よ、喜んで」
 普段と違う、恋人の騎士然とした礼節の所作に鼓動高鳴り、レインは頬を朱に染めながら、差し出された掌に、自分の手を重ねた。
 柔らかな感触に顔を上げたルーエルは、その表情を見遣ると、やけに余裕のある笑みを浮かべる。
「──お姉さん、可愛いね」
「ふぇ!?」と、更に朱くなるレイン。立ち上がったルーエルは、彼女の腰に手を当てて抱き寄せる。
「ちょ、ちょちょ、ルー君!?」
「どうしたの、お姉さん?」
 常日頃、初心な反応を揶揄われている仕返しか、自分のペースに持ち込んだルーエルは、悪戯気を含む笑みを浮かべて、小首を傾げる。
「お姉さんから誘って来たんだよ?」
「そ、そうだけどさ……」
 不慣れなダンス、いつもとは雰囲気の異なる恋人に、戸惑うレイン。ルーエルは、腰に当てた手を背に回し、エルフ特有の尖った耳元に、唇を寄せる。
「──愛してるよ、レイン」
 甘く囁くボーイソプラノ。それを耳にした途端、レインは蕩けてゆく心の中で、そう遠くないであろう未来を夢想する。今でこそ背丈で劣る恋人の視線が自分よりも高くなった時、互いとの間にある天秤が、彼の側に傾いてしまうのではないかと。
 この後、ルーエルは凄まじい羞恥に苛まれる事になるのだが、彼女はその様子に大層安堵し、ほんの少しだけ嘆息したという。 



「あれあれぇ? どうしたんですか、Jさん。ステップ遅れてますよぅ?」
「だァから言ったろゥが。こういうのは慣れてねェんだ」
 ダンスホールで手を取り合い、曲に合わせて舞う松瀬とJD。
 何故こうなったかと言えば、おしゃま呼ばわりされた松瀬が、ダンスで以って一人前の淑女だと認めさせてやると意気込んだからだ。松瀬とて、こういった席は初めての事だったが、元来物事を器用にこなす彼女の事、見様見真似でも、まごつくJDを揶揄う余裕が生じるくらいには、作法を身に着けたらしい。
「ほぉらほらぁ、さっきまで私を小馬鹿にしたJさんは何処に行ったんですかぁ?」
「言いがかりだぜ、そいつァ……。ったく」
 JDは嘆息を零しながら、このままでは恰好が付かぬと、周囲に視線を巡らせる。周囲のカップル、その紳士達の所作を見て取り、彼は松瀬の右手と絡ませた左手を解いて、彼女の腰に宛がった。
「ひゃう!?」途端奇声を上げて強張る松瀬に、「ああ、気に障ったか」と手を引こうとするJD。
「は、はぁ? 何言ってるんですか、余裕ですし全然平気ですし!」
 しかし松瀬自身がそれを制する。目まぐるしく視線を泳がせながらでは、まったくと言って説得力がなかったが。
 その様子を見て、JDは呟きを漏らす。
「──片意地張るんじゃねェ」
「だ、誰も意地張ってなんか──」
「今日だけじゃねェ、お前ェさんはいつもそうだ」
 食い掛かろうとする松瀬を遮って、JDは続ける。
「こないだ、テメェの事を晴女だと言ってやがったな。──けどな、気分が湿気こんでる時ぐれェ、雨降らしたって良いんだ」
「……何ですか、唐突に」
「日頃っから思ってた事だ。良いか、偶には雨降らしたって良いのさ。そん時ャ、誰かが傘差してくれんだろゥよ。そんくらいお前ェさんを好いてる人間は、山ほど居らァな」
 口許に微笑を浮かばせながら、俯いた松瀬を見遣る。
「──Jさんは」顔を下げたまま呟きを漏らす松瀬に、JDは「ん?」と応じる。
「Jさんは、傘差してくれないんですか?」
「俺ァ、自前の失くしちまったからな。そうさな、濡れた髪拭いてやるくらいの事ァできらァな」
 ともすれば、曲に紛れて消えそうな囁きに、灰色の眼を細めてJDは答えた。
「……また、──して」今度こそ聞き取れなかった声に、「何だって?」とJDは耳を寄せる。が──
「ダンスはもうおしまいです!」
 松瀬はJDの手を振り解いて背を向ける。
「──まだ手を付けてない料理がありますからね。ほら戻りましょう、Jさん」
 ついぞ顔を見せる事もなく、足早に駆けて行く松瀬。その背を追いながら、JDは肩を竦める。
「──ったく、つくづく手ェ掛けやがる娘っ子だ」



「よう、キャロルちゃん」
 独りバーカウンターに近付いたエリミネーターは、同じく独り席に着き、ラムを注いだグラスを傾けるキャロルに声を掛けた。
「──ラウラは?」
「ルーナちゃんを見掛けたとか言って、甲板に駆けてった。お陰でまた独り身さ」
 キャロルの隣に腰掛け、エリミネーターはバーテンダーにジンベースのマティーニを注文する。硝子製のコースターに置かれたグラスに口を付け、彼は人々が思い思いに楽しむ会場の方を振り返った。
「平和だねえ。こうも平和だと、うっかり銃の重みを忘れちまいそうになる」
 常なら腰に掛かる鉄の重さ、それを思い出すように右腰に手を当てる。
「──キャロルちゃんよお、初めて人撃った時の事、憶えてるかい?」
 唐突に問うエリミネーターに、キャロルは訝しんだ視線を浴びせる。
「……あんた、もう酔ってんのか?」
「HAHA、そうだな。中てられちまってんのかもな。──いや、済まなかった」
 忘れてくれと苦笑を浮かべ、グラスを干すエリミネーター。キャロルは「あんたは」と零す。
「あんたは憶えてんのか」
「俺かい? ──まあな、忘れたくとも忘れられんよ」
 空のそれと入れ替わりに置かれたグラスを三度傾け、エリミネーターは口許を歪ませた。
「震えたさ。こんなにも簡単に殺せるもんなのかってな」
 低く吐き出すような声に、「そうかい」とキャロルは相槌を打つ。
「俺は憶えてねえよ。人間撃つ時ゃ、俺はトカゲになってるかんな」
「トカゲ……?」
「そうさ。そう教わったんだ、昔な。──人間撃つその瞬間だけ、爬虫類並に脳味噌を堕とせ。でなきゃあんたは人間じゃなくなる、ってね」
 ラムを一息に飲み干すキャロル。
「ま、あんたの流儀でやれば良いさ。必要な時に仕事してくれりゃあな」
 干したグラスを置くと、彼は立ち上がった。
「何処へ?」と振り返るエリミネーターに「……便所」とキャロルは答える。
「それなら行き先が逆だと思うがね」
 含んだ声音で正しい方向を指す指先、だがキャロルは鼻を鳴らし、構わずに歩き出した。
 その背から視線を外すや、エリミネーターはぼそりと零す
「……やれやれ、若い者に愚痴垂れるたぁ、俺もまだまだ青いって事かねえ」



「疲れました……」
 不慣れなダンスに息を切らした恵は、休憩用のソファに身を預けていた。
「でも楽しかったですね、小夜」
 疲労の色浮かばせながらも、前に立つ小夜に笑みを向ける。彼女はと言えば、淡白な表情に然程の疲労は見られない。代わりにあるのは、葛藤である。
 湧き上がる衝動と理性の一髪千鈞を引く葛藤だった。果たしてどちらへ軍配が上がったのか。
「さ、小夜?」
 恵へ寄せた唇の行き先は、彼女の額。それを見る限り、辛くも理性が制したらしい。
 ダンスで上気した恵の頬が、更に朱く染まる。
 胸中に募る恥じらい。それでも心躍る時間をくれた相手に、彼女は精一杯の笑みと共に感謝の言葉を贈る。
「大好きですよ、小夜」


 船の甲板、その船首に立ち、星空の下で潮風を浴びるエルティア。無礼講の喧噪も今や遠く、耳を打つのは岸壁に波打つ水音ばかり。
「何してるんだい、エア」
 秋夜の冷たい夜気に晒される肩に掛けられる、男物の外套。
「だって外の方が落ち着くんだもの。勿論一番のお気に入りは、書庫だけれど。──貴方だってそうでしょ?」
 彼女は隣に立ったシルヴェイラに、問い掛けた。
「僕は……、君の傍が一番落ち着くよ」
「やっぱり、そうだと思った。何だかんだ言って、貴方も本好きだものね」
 やはり的を外した解釈で微笑むエルティアに、シルヴェイラは今更落胆する事なくただただ苦笑を漏らす。
「それにしても、あからさまに不慣れな癖に、妙に気品だけはあったな。君のステップは」
 彼は肩を竦めて苦笑を払うと、先のダンスに話題を変えて、エルティアに水を向けた。
「……仕方ないでしょ、向きじゃないんだもの。あんなの覚えるくらいなら、本に目を向けてる方が建設的だわ」
 憮然と答えるエルティアに、また微かに苦笑を浮かべたシルヴェイラは、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「ならなんで、こんな所に誘ったんだ? そもそも君が舞踏会に出るなんて、槍が降って来るんじゃないかと思ったものだけど」
「失礼な言い草ね。私だって、流石にこういう物を渡す場所くらいは、きちんと選ぶわよ」
 唇を尖らせながら、エルティアは両手に持ったそれを、シルヴェイラの胸に押し付けた。
「……これは?」
 リボンで口を閉じた紙袋、押し付けられたそれを眺め、戸惑うシルヴェイラに「開けてみて」と告げるエルティア。
 リボンを解き、丁寧に紙袋を開くと、現れ出たのはテンプルアクセ。チェーンの先に提げられているのは、猫の眼に似た光の筋を宿す、湖の蒼をそのまま映したかのような淡い水色のトルマリン。
「──今日は貴方の誕生日でしょ、忘れてたの?」
 未だ事情を察していない様子のシルヴェイラに、エルティアはらしからぬ悪戯っぽい微笑を見せる。
「ああ、そうだったな。うっかりしてた」
「折角だから、付けて見せてよ」
 催促に従い、モノクルの弦に細鎖を括り付ける。
「──似合うかい?」
 やや蒼みを帯びた銀色の瞳、その傍らに添えられたトルマリンが、潮風の中でゆらりと揺れる。
「ええ、とっても」
 二つの蒼を映したエルティアの瞳、同じく蒼を宿した彼女の瞳は、今日一番の笑みを浮かべた。
「いつも、ありがとう。──これからもよろしくね、シーラ」
 言葉に籠められた意味は、きっと些細な事だ。彼女は何気なく続く日常を願っているだけに過ぎない。それを心から歓迎できるかと言えば、それは嘘になる。だが、それを良しとする心がないかと言えば、それは否だ。
 何はともあれ、彼女の傍に居る。傍らに彼女が居るのなら。
「こちらこそよろしく、エア」



 彼の瞳を見て胸が暖かくなる事は、常の事。彼から名を呼ばれ、心地良い熱が宿るのは、そう、律にとっては慣れ親しんだ想いの筈だった。
 しかし今夜、この胸に灯った火の熱は、温もりよりも更に苛烈な痛切極まる想いとなって、律を苛む。
 彼の手を拒んで打ち払った右手を、左手で覆い抱く。右手薬指に嵌めた白雪の環は、しかし、胸の熱を冷ましてくれる事もなく、寧ろより一層痛みが増すだけだった。
 船尾側の甲板上に吹く、夜気の冷たさを孕んだ潮風でさえも、この熱を払ってはくれない。
「きょーや、きょーや、きょーやぁ……」
 昏い海に向かって、彼の名を呼ばう。それは空言に過ぎず、名の主が現れる筈もなく──
 しかし、呟く声が途絶えかけたその時だった──
「律!」
 律の名を呼ぶ恭也の声が、夜気に響いたのは。
 求めた筈のその声に、律は振り返る。だが、彼の足は逃げ場を求めるようにして、後退ろうとする。
 無意識に後ろへ下がろうとした律は、自分が甲板の縁際に立って居る事を失念していた。
「え──?」
 縁に腰を引っ掛け、海上に投げ出される半身。その重みをよろけた足で支える事は敵わず、律はそのまま海面へと──
「律──!?」
 次の瞬間、律は恭也の胸に抱き留められていた。
「おい、律、大丈夫か?」
 胸の中に抱く律を覗き込む恭也の瞳、その金瞳に案じる色が宿るのを見て、とうとう胸の内に湧く想いが、外へと漏れ出した。
「あ……あ──」
 熱い想いは、一滴の涙となって、律の頬を伝い落ちる。
「ど、どうしたんだ、律?」
 不意に零れた主の涙に、恭也は動揺露わにして戸惑いの表情を浮かべる。その問いに、律は、言葉を探すようにして口を開く。
「今日の俺、おかしいんだ……。いつものきょーやの筈、なのに、なんでだかわかんねーけど……胸が熱くて、火傷しちまいそうに熱くて、名前呼ばれるだけでも、耐え切らないくらい熱くなって、だから、だからさっきも、どうなっちまうのかわかんなくて、きょーやに触れられんのが、恐くなって……、ごめん、ごめん、ごめんなぁ」
 頻りに詫び言を繰り返す律、とうとう涙腺の堰が切れ、滂沱と零れる滴が頬を濡らす。
 その言葉、その様子に、恭也は溜息を零すと、肩の力を抜いて律の頬を流れる滴を指先でそっと拭った。
「律、もう泣くな」
 そう囁き掛けると、胸の抱く律は顔を上げる。
「今日誘ったのは、少し早いがお前の誕生日を祝う為、それともう一つ、大事な話があるからだ」
 恭也は律の右手、その薬指に嵌められた指輪に触れる。取り上げられるとでも思ったのだろうか、律の瞳に不安の色が過る。
「俺はお前の従者だ、これからもそれで良いと思っていた」
 言葉の結びは過去形。その響き──更に、だがと続ける恭也に、律の瞳に映る揺らぎは益々大きくなる。しかし、恭也はその不安すら慈しむように微笑み掛けた。
「本家を離れ、この地でお前と過ごす内、それだけでは居られなくなった。もっと、お前と近しい存在になれたらと、そんな夢を懐くようになった。もしも──もしもお前も同じ気持ちなら、この指輪を左手に嵌めさせてくれないか」
 その言葉の意味する所を悟った律は、大きく目を見開いた。
「い、良いのかよ、オレで。オレは、次期当主だぞ? 親父達だって、簡単には認めちゃくれない。それに、それに、オレはおと──っ!?」
 皆まで言わせず、恭也は律の言葉を遮った。その口を封じた。──己が唇で以って。
 律の瞳から、涙滴が散る。
 その心に孕んだ灼熱が、口付けた唇を伝い、恭也に吸い込まれて行くかのように落ち着いて行くのを感じる。痛みを伴う熱が、心安らぐ温もりへと変じて行く。
 唇を離し、律を真っ直ぐに見詰めて、恭也は告げる。
「お前で良いんじゃない。──お前が良いんだ、律。お前でなくてはいけないんだ」
「ああ、ああ、オレもだ、きょーや。お前じゃなくちゃ駄目なんだ!」
 涙の痕が残る顔で、満開の笑みを浮かべる律。右手から指輪を引き抜いた恭也に、左手を差し出した。
 環の内に宿る翡翠、そこへ刻まれた『いつまでも』という誓言が、律の左手薬指に触れる。
 どちらともなく、再び口付けを交わし合う二人。
 相手の首に手を回す律、反して恭也は悟られないよう気を配り、相手の懐に手を差し入れた。小箱を内ポケットに残して、手を引き抜く。
 果たして、小箱の存在に気付き。その中身を見た律がどんな反応をするのか、それを思い描きながら、恭也は主──いや、許嫁との逢瀬に身を委ねた。

 今宵くらいは、浮世の憂いを忘れるのも良いだろう?

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参加者一覧

  • 時の手綱、離さず
    シルヴェイラ(ka0726
    エルフ|21才|男性|機導師
  • 物語の終章も、隣に
    エルティア・ホープナー(ka0727
    エルフ|21才|女性|闘狩人
  • 掲げた穂先に尊厳を
    ルーエル・ゼクシディア(ka2473
    人間(紅)|17才|男性|聖導士
  • それでも私はマイペース
    レイン・ゼクシディア(ka2887
    エルフ|16才|女性|機導師
  • 交渉人
    J・D(ka3351
    エルフ|26才|男性|猟撃士
  • 白兎と重ねる時間
    玉兎・恵(ka3940
    人間(蒼)|16才|女性|猟撃士
  • むなしい愛の夢を見る
    松瀬 柚子(ka4625
    人間(蒼)|18才|女性|疾影士
  • クールガイ
    エリミネーター(ka5158
    人間(蒼)|35才|男性|猟撃士
  • 仁恭の志
    綿狸 律(ka5377
    人間(紅)|23才|男性|猟撃士
  • 律する心
    皆守 恭也(ka5378
    人間(紅)|27才|男性|舞刀士

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ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2016/10/04 21:37:40