ゲスト
(ka0000)
【猫譚】生存境界線【碧剣】
マスター:ムジカ・トラス
オープニング
●
木陰に身を隠し、息を潜める。シュリは意識を研ぎ澄ましながら、かつての授業を思い返していた。
シュリにとって、隠密や調査は得手としたい部分である。無理に呼吸を抑えず、身を沈めた。同時に、周囲に注意を張り巡らせる。
撤退戦の途中で、森に逃げ込んだ。すっかり日も落ちてしまい、肌寒さが勝る。
無様な、潰走だった。でも、仕方ない。アイツは、相性が悪かった。
――皆は、無事だろうか。
●
『歪虚対策会議』。
グラズヘイム王立学校の生徒たちが立ち上げた課外活動団体である。騎士科にかぎらず、多種多様な科から集うた生徒が、その名の通り歪虚に抗する研鑽を積むためのもの。
ハンターとの演習が執り行われ、その結果と指導をうけて、それぞれに鍛錬や武具の整備、戦術面での訓練や研究を行っている。
シュリもそうだ。
少年は、このメンバーの中では実力は頭一つ抜けている。それをひけらかすつもりは無いが、強さだけではなく、戦場での動き方のコツを掴みかけていた。
「シュリ・エルキンズ」
「はっ、はい?」
ロシュの声に、現実に引き戻された。今は、方針会議の時間であった。
「君の意見を聞きたい」
「……ええと」
盤面を見る。グラズヘイム王国の地図が広げられたそこには、各領からの目撃報告が挙げられている。
黒大公ベリアル。その配下と思しき羊型歪虚の目撃情報だ。シュリも、幾度か切り結んだ事がある相手だ。
「――戦力的には、無理は無い、と思います」
「理由は?」
「情報でも、僕自身の交戦歴を踏まえても、彼らには遠距離攻撃の手段は殆どありません」
恐る恐る見渡す。円卓に似せられたその場は、裏を返せば四方を彼らに取り囲まれていることにほかならない。不安を感じながら、続ける。
「僕達の長所は」
金です、とは言えなかった。
「――銃撃に代表できる、装備類です。それを前提に戦術を組み立てれば、距離さえ十分にとれていれば、同数程度の集団であれば殲滅は可能……かなぁ……なんて」
勿論、懸念はある。前回の演習であったように、自分たちの長所を潰し、短所を抉る『個』への対策は万全とは言えない。
けれど。
「よろしい」
ロシュは、その解答に満足したようだった。胸元に吊り下げた宝玉を右手で撫でると、
「では、出陣だ。戦場を選び、機動戦を仕掛けるぞ」
●
――結果として、戦果は上々だった。
一般科を含めた後衛を含め、殆ど全ての人員が王国が誇る名馬、ゴースロンに騎乗している。その上で、試作型魔導狙撃銃「狂乱せしアルコル」――どうやら新型が開発されたと風のうわさで聞いたが、一般科の面々の手には余る仕様であったため採用は見送られたそうだ――最大射程からの銃撃。
狙いはまだまだ甘いが、数を撃てば当る。接近する頃には多寡あれど手傷を負っている歪虚を前衛になる覚醒者が捌き、後衛が仕留める。
ロシュは徹底してリスクを廃した。必勝が期待できる場所を選び、各領を転戦し、勝利を積み重ねていく。
勝つ。『殺せ』。そのたびに、メンバーの熱気が高まっていく。『殺せ』。どこまでも、際限なく。『殺せ』。口汚く羊型歪虚を罵りながら銃撃でトドメを刺す学生も、居た。『殺せ』。それは次第に、ほぼ全ての人員がそうなった。『殺せ』。まるで、狂奔だ。『殺せ』と、シュリは思った。『殺せ』。命のやり取りの場で、倒れれば無に帰る歪虚。『殺せ』。一矢報いたと、それを誇り、喜ぶ学生たち。『殺せ』。
――『歪虚を、殺せ』
「……今、なにか」
「どうかしたのか?」
「あ、いえ」
何かが聞こえた気がして、シュリは馬足を止めた。ロシュの怪訝そうな声に、我に返る。
「また、ユグディラですね」
歪虚は消えても、多くの戦場でユグディラの遺体が転がっていた。羊型歪虚は、これを収集しているのだろうか?
「歪虚の考える事は解らんな。――埋葬しろ」
ロシュが不快げに鼻を鳴らして告げると、誰ともなく土を掘り、ユグディラの遺体を埋めた。
その時だ。
「人影です。ロシュさま」
「……何?」
何処からか駆け寄ってきた一般科学生の一人が、そう告げた。ロシュは首元に下げた双眼鏡を構える。その直後のことであった。
「総員、配置につけ!!」
「……!?」
目を凝らすシュリにも、ようやくその姿が目視できるようになった。黒く見慣れぬ装束に身を包んだ、
「……子供」
「歪虚だ!!」
ロシュが吠え立てるように言うと、メンバーは得物を構える。『殺せ』。シュリはその存在を『殺せ』。知らなかったが、ひと目で、危険な存在と知れた。『殺せ』。それに。
「二人に増え……?」
注視していた筈なのに、全然気づかなかった。唐突に、人影は二つになっていた。
遠方から金と銀、二つの眼光に射抜かれたシュリは、脊椎に氷柱を撃ち込まれたような錯覚を、抱いた。
●
銃弾に撃ち抜かれた筈のソイツらは全く意に返すことなく、詰め寄ってきた。ゴースロンの馬足でも射撃しながらであるからか、容易に追いすがる。その下半身は、最早人のそれではなくなっていた。
「「野良猫ばかりでツマラナイ仕事だったけど」」
同じ顔、同じ声。眼の光だけが、違う。『殺せ』。
それでも、学生達は銃撃し続ける。『殺せ』。
「「――コツを掴んだんだぁ、この身体の。あの刀の――」」
遠い筈なのに、声だけが届く。『殺せ』。その声には、余裕が溢れていた。その事が、たまらなく怖い。『殺せ』。
「――撤退させよう、ロシュ」
「何故だ!」
けたたましく銃声が響く中、激憤するロシュに、
「敵の情報がない。危険です」
苛立ちと共に、シュリは反駁した。何故、分からない。一般人の彼らもだ。何故、畏れない。
「未確認の歪虚ですよ!?」
「ああ、歪虚だ! だからこそ、武器を揃え同志を集めた!」
そうして、深く息を吸ったロシュは、
「何故殺さない!」
そう、叫んだ。混じり気なしの、殺意と共に。
「恐れたか! 地の利は十分、数も勝る。これ以上何を望む!!」
「彼らが死んでしまうでしょう!?」
「死など……!」
ぞるり、と。音がした。次いで、悲鳴。ロシュの足元で、馬が嘶く。とっさの判断でロシュが馬首を引き上げると同時、シュリの剣が奔る。
それは、黒い泥のように見えた。その泥が、碧剣に弾かれて消える。悲鳴の主へと視線を送った。ゴースロン達の多くが転倒し、悲鳴を上げている。その足元に、先ほどと同じような泥が凝っている。否。
「……喰ってる」
泥は、みるみるうちに馬を侵していく。溢れる血色を啜るように、馬鹿げた速さで平らげようとする。
――機先を取られ、機動力の多くを、失った。その事にシュリが思い至ると、同時。
「覚醒者の面々は足止めを! それ以外は相乗りしてでも撤退しろ!」
ロシュが吼える。怖気づいたように転進して散っていく面々を前に、遠方の泥が、『消えた』。
そして。
「アハ、楽しいね、ユエ」
「ウン、愉快だね、イエ」
災厄が、その場に現れた。
木陰に身を隠し、息を潜める。シュリは意識を研ぎ澄ましながら、かつての授業を思い返していた。
シュリにとって、隠密や調査は得手としたい部分である。無理に呼吸を抑えず、身を沈めた。同時に、周囲に注意を張り巡らせる。
撤退戦の途中で、森に逃げ込んだ。すっかり日も落ちてしまい、肌寒さが勝る。
無様な、潰走だった。でも、仕方ない。アイツは、相性が悪かった。
――皆は、無事だろうか。
●
『歪虚対策会議』。
グラズヘイム王立学校の生徒たちが立ち上げた課外活動団体である。騎士科にかぎらず、多種多様な科から集うた生徒が、その名の通り歪虚に抗する研鑽を積むためのもの。
ハンターとの演習が執り行われ、その結果と指導をうけて、それぞれに鍛錬や武具の整備、戦術面での訓練や研究を行っている。
シュリもそうだ。
少年は、このメンバーの中では実力は頭一つ抜けている。それをひけらかすつもりは無いが、強さだけではなく、戦場での動き方のコツを掴みかけていた。
「シュリ・エルキンズ」
「はっ、はい?」
ロシュの声に、現実に引き戻された。今は、方針会議の時間であった。
「君の意見を聞きたい」
「……ええと」
盤面を見る。グラズヘイム王国の地図が広げられたそこには、各領からの目撃報告が挙げられている。
黒大公ベリアル。その配下と思しき羊型歪虚の目撃情報だ。シュリも、幾度か切り結んだ事がある相手だ。
「――戦力的には、無理は無い、と思います」
「理由は?」
「情報でも、僕自身の交戦歴を踏まえても、彼らには遠距離攻撃の手段は殆どありません」
恐る恐る見渡す。円卓に似せられたその場は、裏を返せば四方を彼らに取り囲まれていることにほかならない。不安を感じながら、続ける。
「僕達の長所は」
金です、とは言えなかった。
「――銃撃に代表できる、装備類です。それを前提に戦術を組み立てれば、距離さえ十分にとれていれば、同数程度の集団であれば殲滅は可能……かなぁ……なんて」
勿論、懸念はある。前回の演習であったように、自分たちの長所を潰し、短所を抉る『個』への対策は万全とは言えない。
けれど。
「よろしい」
ロシュは、その解答に満足したようだった。胸元に吊り下げた宝玉を右手で撫でると、
「では、出陣だ。戦場を選び、機動戦を仕掛けるぞ」
●
――結果として、戦果は上々だった。
一般科を含めた後衛を含め、殆ど全ての人員が王国が誇る名馬、ゴースロンに騎乗している。その上で、試作型魔導狙撃銃「狂乱せしアルコル」――どうやら新型が開発されたと風のうわさで聞いたが、一般科の面々の手には余る仕様であったため採用は見送られたそうだ――最大射程からの銃撃。
狙いはまだまだ甘いが、数を撃てば当る。接近する頃には多寡あれど手傷を負っている歪虚を前衛になる覚醒者が捌き、後衛が仕留める。
ロシュは徹底してリスクを廃した。必勝が期待できる場所を選び、各領を転戦し、勝利を積み重ねていく。
勝つ。『殺せ』。そのたびに、メンバーの熱気が高まっていく。『殺せ』。どこまでも、際限なく。『殺せ』。口汚く羊型歪虚を罵りながら銃撃でトドメを刺す学生も、居た。『殺せ』。それは次第に、ほぼ全ての人員がそうなった。『殺せ』。まるで、狂奔だ。『殺せ』と、シュリは思った。『殺せ』。命のやり取りの場で、倒れれば無に帰る歪虚。『殺せ』。一矢報いたと、それを誇り、喜ぶ学生たち。『殺せ』。
――『歪虚を、殺せ』
「……今、なにか」
「どうかしたのか?」
「あ、いえ」
何かが聞こえた気がして、シュリは馬足を止めた。ロシュの怪訝そうな声に、我に返る。
「また、ユグディラですね」
歪虚は消えても、多くの戦場でユグディラの遺体が転がっていた。羊型歪虚は、これを収集しているのだろうか?
「歪虚の考える事は解らんな。――埋葬しろ」
ロシュが不快げに鼻を鳴らして告げると、誰ともなく土を掘り、ユグディラの遺体を埋めた。
その時だ。
「人影です。ロシュさま」
「……何?」
何処からか駆け寄ってきた一般科学生の一人が、そう告げた。ロシュは首元に下げた双眼鏡を構える。その直後のことであった。
「総員、配置につけ!!」
「……!?」
目を凝らすシュリにも、ようやくその姿が目視できるようになった。黒く見慣れぬ装束に身を包んだ、
「……子供」
「歪虚だ!!」
ロシュが吠え立てるように言うと、メンバーは得物を構える。『殺せ』。シュリはその存在を『殺せ』。知らなかったが、ひと目で、危険な存在と知れた。『殺せ』。それに。
「二人に増え……?」
注視していた筈なのに、全然気づかなかった。唐突に、人影は二つになっていた。
遠方から金と銀、二つの眼光に射抜かれたシュリは、脊椎に氷柱を撃ち込まれたような錯覚を、抱いた。
●
銃弾に撃ち抜かれた筈のソイツらは全く意に返すことなく、詰め寄ってきた。ゴースロンの馬足でも射撃しながらであるからか、容易に追いすがる。その下半身は、最早人のそれではなくなっていた。
「「野良猫ばかりでツマラナイ仕事だったけど」」
同じ顔、同じ声。眼の光だけが、違う。『殺せ』。
それでも、学生達は銃撃し続ける。『殺せ』。
「「――コツを掴んだんだぁ、この身体の。あの刀の――」」
遠い筈なのに、声だけが届く。『殺せ』。その声には、余裕が溢れていた。その事が、たまらなく怖い。『殺せ』。
「――撤退させよう、ロシュ」
「何故だ!」
けたたましく銃声が響く中、激憤するロシュに、
「敵の情報がない。危険です」
苛立ちと共に、シュリは反駁した。何故、分からない。一般人の彼らもだ。何故、畏れない。
「未確認の歪虚ですよ!?」
「ああ、歪虚だ! だからこそ、武器を揃え同志を集めた!」
そうして、深く息を吸ったロシュは、
「何故殺さない!」
そう、叫んだ。混じり気なしの、殺意と共に。
「恐れたか! 地の利は十分、数も勝る。これ以上何を望む!!」
「彼らが死んでしまうでしょう!?」
「死など……!」
ぞるり、と。音がした。次いで、悲鳴。ロシュの足元で、馬が嘶く。とっさの判断でロシュが馬首を引き上げると同時、シュリの剣が奔る。
それは、黒い泥のように見えた。その泥が、碧剣に弾かれて消える。悲鳴の主へと視線を送った。ゴースロン達の多くが転倒し、悲鳴を上げている。その足元に、先ほどと同じような泥が凝っている。否。
「……喰ってる」
泥は、みるみるうちに馬を侵していく。溢れる血色を啜るように、馬鹿げた速さで平らげようとする。
――機先を取られ、機動力の多くを、失った。その事にシュリが思い至ると、同時。
「覚醒者の面々は足止めを! それ以外は相乗りしてでも撤退しろ!」
ロシュが吼える。怖気づいたように転進して散っていく面々を前に、遠方の泥が、『消えた』。
そして。
「アハ、楽しいね、ユエ」
「ウン、愉快だね、イエ」
災厄が、その場に現れた。
リプレイ本文
“そこに居るんだろう! シュリ・エルキンズ!”
●
人里離れた街道を照らすのは、満天の星々と、いやに明るい月。涼やかな夜だが、バイクを押す龍華 狼(ka4940)の胸中では、苛立ちと差し込んだ後悔が苦く滲んでいた。
「あの時のような事にはしません……させません。必ず助け出してみせます」
呟く。胸の内はともかくとして、その言葉に偽りは無かった。
「――ええ」
言葉を継いだのは、柏木 千春(ka3061)。その心情は彼女にとっても他人事ではない。
「……寒くなってきたなの」
ディーナ・フェルミ(ka5843)は微かに身を震わせて、言った。
「早く見つけてあげないと、かわいそうなの。装備は捨ててなくても糧食はつきてるかもだし……」
口調こそ柔らかいが、その眉根は寄せられ心配げだ。
――いずれ来る必要経費、にしても、早すぎたのではないですかねえ。
そんなディーナをよそに、マッシュ・アクラシス(ka0771)は月夜を見上げながら、胸中で呟いた。
捜索の最中に見上げる余裕は『敵』を識るが故のものだ。一方で、金色の鎧を着込んだジャック・J・グリーヴ(ka1305)の双眸には昏い影が差し込んでいる。固く握り込んだ手は、厚い鎧の感触をただ返すばかり。
――俺があのクソ蜘蛛に頭下げちまったからこういう考えを持つ奴も出て来ちまったのか?
貴族子弟たち。その顛末に、王都での戦闘が影を差していることは明らかで。
「命は一番の財産だろうがよ……」
「それにしても、半藏イエ、とは。討伐されたと聞きましたが」
『半藏』とは少なからず、縁があるレイレリア・リナークシス(ka3872)は周囲を確認しながら、呟いた。
「……ともあれ、まずは要救助者を助けねばなりませんね」
ユエの本性は、識っている。要救助者たる学生たちの安否は気になるところだった。ちらり、と周りを見渡す。ハンター達の所作は人それぞれに異なるが、
「♪泥遊びに鬼ごっこに隠れんぼ……夜更かしは大好きだわ」
まるで、月と星空に向かって語りかけるように、雨音に微睡む玻璃草(ka4538)――フィリアは不安定な音階で言葉を紡ぐ。レイレリアの視線に気づいたのだろう。フィリアは肩を竦めるようにして目を細めた。
「――でも内緒にしなくちゃ、おねえさんに怒られちゃうわ?」
「……?」
●
平原を見渡したが、人の影は見当たらない。
「……これが、そうか?」
神城・錬(ka3822) がライトで照らす先、何かが引きずられたような幅広な痕跡があった。
「あの、大蛭の姿かもしれません」
記憶を辿ったレイレリア。それは、殿として残った3人――シュリ、フリー、クリスがあれと相対した事を意味する。
「……急がないといけませんね」
狼の言葉に、誰ともなく頷いた。
狼はバイクを森林の入り口に停め、ぐるりと周囲を見渡して景色を記憶に留める。逃げる足に必要になった際の備え、というのは勿論だが徒に失った銭は戻らないのだ。
「思ったより明るいですね」
「それでも探さねばならないものも多いのが、厄介だな」
気疲れの色を含んだ錬の呟きが返る。平原で見つけた大きな痕跡は、途中で跡形もなくなっていた。そこで半藏は変容を解いたのだろう。
――いつ、来やがる。
狼は、気配を感じる耳や触覚に神経を凝らした。学生たちが生きているとするならば、彼らは間違いなく『餌』になっている。自分たち、ハンターを釣るための。ならば半藏達の迎撃に注力することこそ正道と見た。
「半藏が泥なら、油ぶっかけて焼いちゃうのが1番だと思うの」
そんな中、ディーナはぽつ、と呟いた。犬とフクロウを探索に放とうとしたが、怯えてしまっていた。連れ歩く馬も、然り、だ。
「でも森の中じゃ多分こっちのダメージの方が大きいの……無念なの」
馬を落ち着けるように撫でるディーナ。その声に沿うように、レイレリアも息を吐いた。
「泥が……?」
「痕跡もありませんね……」
千春の表情には、疑念が浮かんでいた。油断なく探って、照明までも使ったのに、痕跡一つ見当たらない。
「……チッ」
手応えのなさに舌打ちを零したジャックは大きく息を吸う。
「おい! いるんだろ!」
大音声であった。周囲の反応を見渡しながら、続ける。
「シュリ! フリー! クリス! 助けに来たぜ!」
反応を伺う。周りのものも止めはしなかった。何かしらの気配があればそれで――、
――――しばしの後、届いたのは悲鳴。
絶叫、であった。
●
「急げ!」
誰ともなく叫び、走りかけた。瞬後のことだった。
「ね、待ってよ」
声と共に、気配が湧いた。進行方向に、一つの影。
「……イエ」
眼光をみて、レイレリアが言うとそれは嬉しそうに微笑んだ。
「生き残りは、いたんですね」
「ウン。意外と、ちゃんとしててさ」
千春の言葉に、イエは大きく頷き自らの腹を示した。
「――この子以外、ね」
ぞぶり、と。その腹が波立った。そこから、湧き出るように、人の頭が出て来る。
「……フリーさん、でしたか」
「てめェッ!」
マッシュが落胆と共に告げつつ、空いた片手で、銃を構えたジャックを制止し、周囲に目を配る。
「未熟だよねぇ。隠れていれば、死ぬこともなかったのに。この子も、『彼』も。あ、半分はキンピカの君のせいかな? まぁ」
苦無を逆手に持ったイエは、そのまま、首だけ浮かび上がったフリーの頭部を殴り、
「この子はまだ、死んでないんだけど、さ。」
「ッ!?」
強引に気付けされたフリーは黒く染まった眼球大きく見開き――ハンター達を認めるや否や、息を吸った。
「――逃げろ、囲まれてる!」
「ハイ、上出来〜」
瞬後のことだった。
フリーの首がそのまま自由落下し、
周囲から、多量の苦無が、殺到した。
●
「隠れてっ!」
応じるように千春、ジャック、そしてマントと大剣をかざしたマッシュが前へ。豪雨のように迫る苦無を、後衛に回さないように身体を張る。
「なんで、囲まれ……っ!?」
思いっきり身を低くした狼は見当をつけていた木陰へと隠れつつ叫んだ。後方でランタンが割れる。更に、馬の苦鳴が響いた。
「くっ……!」
光源が狙われていると気づいた錬が、ハンディライトを彼方へと投擲した。消す暇よりも今は回避を優先した結果、被弾は最小限で済んだ。不意に明かりが落ちた。ディーナの灯りまでも、破壊されたらしい。
「――なるほど」
『泥』の対処は慣れたもののマッシュは苦無の正体も知っている。故に可能な限り振り払いながら、呟いた。
「『これ』は、致し方ない。私達の手落ちですね」
「そういうこと」
大量の傀儡達の成果を誇るように笑うイエは、こう告げた。
「君たちは自分たちが何処を探しているか、ずっと示し続けてたわけ。なら、この子らを動かすなんて簡単な話だよね?」
●
「――突破を!」
千春はそう叫びながら前進した。悲鳴の正体は、間違いなく『生きている学生』のものだ。突破のためには、イエとその周囲の傀儡達を抑えなくてはいけない。
「急いで!」
前方では、既にマッシュがイエへと突き進んでいる。ジャックは咆哮しつつ銃撃を重ねていた。凄まじい流血が気になったが、今は時間がない。
「オォ……ッ!」
気勢をあげて、狼が往った。踏み込みの瞬間に銀閃が少年の周囲へと奔り、傀儡達を断ち切る。心地よい手応えを脳裏に叩き込みながら、狼は次の得物に持ち変える。その間に、マッシュがイエに肉薄。イエも既に両手を大きく広げ、身をかがめている。その手は銀刃へと変じている。
――刃、ですか。
気に留めつつも、大剣を振り払った。剣の腹を用い、斬撃というよりは、殴打に近しいそれ。颶風が、イエの右肩口を『削ぎ落とした』。落ちかける右上腕を支えるように黒々とした泥が繋ぎ、斬撃が返ってくる。鎧で弾き返しながら、マッシュは体を挟み込んだ。肉薄し、イエを抑える構え。
「ありがとうございます!」
狼とマッシュが切り開いた空隙に千春は飛び込み、聖光を紡ぎあげ、さらに傀儡達を弾き飛ばす。
「先に往く」「……任せるの!」
以前と似た呟きを残して、『捜索班』である錬とディーナが往った。その眼前に立ちはだかろうとする傀儡を、
「――イエ、貴方は」
凍れる声が、阻んだ。レイレリアの編んだマテリアルが、氷嵐となって顕現。
「許しません」
冷気が傀儡達を侵し、引き千切る。今度こそ、完全に道は拓いた。ディーナと錬は疾走を開始。
残ったのはジャック、狼、千春、マッシュ、そして、レイレリアの5人。
――あの方も、行ったのでしょうか。
フィリアの姿が見えない。既に隠密し、どこぞへと走ったか。
「踏ん張りどころ、ですね」
千春の呟きに頷きが返る。包囲はされては居るが――小粒が主だ。数的不利は痛いが致命的ではない。故に、ハンター達は往った。此処で、敵の足を止めるために。
●
悲鳴の出処は、今や明らかだった。だが、その声も小さくなっている。
「……っ」
予感を覚えるディーナの表情は硬い。『呼びかけに反応してしまった』学生が、もう一人の『半藏』に襲われているのだ、と。
――甘さが、命取りになったか。
錬も歯噛みしながら、走った。最早、隠密していては間に合わない。
「急げ……っ!」
木枝を屈むようにしてくぐり抜け、進み――抜けた。
「あ」
少し拓けたそこは、木々がなぎ倒された結果できた小広場と化していた。その中に子供がいた。半藏ユエ。東洋風の黒衣を来た、少女。ユエの右腕はその肩口から肥大している。
「あれ、早かったね」
「……っ」
そこには、もう二人いた。一人は、ユエと錬達との間で膝をつき、剣を地面に突き立てているシュリ。夥しい血痕が、彼の周囲に散っている。
そして、もう一人。クリス。ユエの右腕から先。クリスの顔が――
直に、消えた。
●
「向こうに連絡をするのっ! シュリ君も、立つの!」
ディーナはすぐに構えた。連れてきた馬も時間稼ぎになればいい、というくらいの少女である。動揺は無い。 苛立ちとめまいにも似た怒りを感じながら、錬は短伝話を手に連絡を取る。シュリを発見したが重傷。クリスは死亡。手短に伝えつつ、大剣を構えた。
「向こうはこちらには来れないそうだ」
「なら、撤退するの。目的は――」
「ダメだよ。まだ、食べたりないんだ」
達成した、と言いかけたディーナにユエが迫った。振るわれた巨腕から泥が爆ぜる。取り付くだけで、身を灼く泥が。
「……邪魔なのっ!」
少女の身から、聖光が湧き出た。イエの体ごと押しのけるように光が走るが、貫いて迫った泥に身を抉られる。鈍痛を堪えている間に、動けないシュリを錬が抱えていた。そのまま、一挙に後退を始めるのをみて、ディーナも転身した。
「……い、くぞ」
苦鳴に似た錬の声に、ディーナは状況を理解した。あの巨腕に、巻き込まれたのだと。この泥は、体を蝕み続ける毒に似ている。一体どのような苦痛が錬を蝕んでいるかは想像するしかないが、彼のほうが足が速い。走れる限り、託す必要があった。
この場には、彼女しか足止めが出来るものが居なかったからだ。
●
イエとの交戦の中で、狼は手応えを得ていた。降魔刀が最も手応えがよい、と。それは即ち、千春の攻撃も効果を上げていると言っていい。
「……チィ、ィ!」
しかし、だ。戦場は上手くない。狼は苦い舌打ちを零した。
「ジャックさん、大丈夫ですか……?」
「こっち見つめてんじゃねえ!」
レイレリアは、いえ、見つめてないですけど――とは、言えなかった。度重なる攻撃に、レイレリアを庇う位置取りのジャックの傷は重い。銃撃も、些か精細を欠いているようにも見えた。尤も、レイレリアにとっても、決して良い状況とはいえない。
『キミが一番ヤバそうだねえ』
レイレリアの攻撃の手の長さを見て取ったイエはそう言い、手勢を彼女へと寄せてきた。随所から迫る泥に身を削られているのは、ジャックだけではない。
――私のことを、覚えていない?
懸念が、生まれた。
「離れて!」
その時だ。傀儡を削っていたレイレリアの耳に、千春の叫び声が届いた。イエがその手を巨大化させ、大きく振るっていた。すぐにその場から飛び退る。「ずぉぉっ!?」ジャックも盛大に飛び跳ねる中、地面に大きく泥が広がり――。
「こういう仕組みでしたか」
マッシュが戦場から離れる方向へとイエに対し薙ぎ払いをした瞬後、そう言った。手応えの軽さに、理解が追いつく。
イエは、此処には居ない。ならば。
「――バアッ!」
その後方。泥の中から湧き出た、肥大化したイエが――レイレリアに組み付こうとしていた。
●
この時、いくつかの動きが同時に起った。
この戦場に、深手を追った錬とディーナ、シュリが到着し、そして――ユエが到達。
そして、イエに組み付かれたレイレリアが眼差しを強め、マテリアルを収斂させた。
もう一つ。
戦場に到着したユエの上方から、一人の少女が降ってきた。フィリアが、杙殺せしめんと突き立てた傘剣は、ユエを背中から腹部にかけて貫いていた。
そうして、ユエの耳元に、囁く。
「何度でも、代わりが作れるんでしょう?」
――結果もまた、同時に紡がれた。
レイレリアを中心に氷嵐が暴風と化してイエごと爆ぜ、
「アアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
急変したユエが、自らの背に立つフィリアを、泥と化した体で飲み込み、振るい、木々へと叩きつけた。
●
ユエは狂乱し、イエの姿は――あるいは破片となり――散った。まるで、ただの泥に返ったかのよう。
「撤退を!」
誰ともなく、叫ぶ。レイレリアが拓いた、傀儡達の間隙が残っている。
そこからは、必死だった。重傷を負っていた錬に変わりシュリを担いだマッシュが一目散に撤退。歯噛みするジャックを千春が叱咤し、狼とディーナはフィリアを抱え、バイクを忘れることなく、撤収した。
街道までたどり着いた後も一同は暫く走り続け――安全と思える場所まで離れたのち、ディーナと千春は漸く各人の治療を開始できた。
「――『俺』が、殺した、か」
錬やレイレリア、フィリアに次いで傷が重いジャックが、呆然と呟いた。引き金を引いたことを悔いる彼に、誰も言葉をかけられないでいる。一人は無理だった。だが、もう一人は、助けられたかもしれないのだ。
「無駄に、だけは」
千春は言いかけて、口を閉ざした。“無駄”。その言葉が、望外に重く、響いたから。
――このざまじゃ、ロシュに何もいえねえ、な。
狼ですらも、消沈している中で、
「帰るの」
治療を終えた事を確認したディーナは、そう告げた。気落ちしていないわけではない。でも。
「……今は、皆の治療を、急がないといけないの」
「そう、ですね」
マッシュは再び、夜天を見上げた。明滅する星。傾きはじめた月影。先程と似ているのに、決定的に違う気配を、振り切るように。
「……やれやれ、今回は、くたびれました」
●
人里離れた街道を照らすのは、満天の星々と、いやに明るい月。涼やかな夜だが、バイクを押す龍華 狼(ka4940)の胸中では、苛立ちと差し込んだ後悔が苦く滲んでいた。
「あの時のような事にはしません……させません。必ず助け出してみせます」
呟く。胸の内はともかくとして、その言葉に偽りは無かった。
「――ええ」
言葉を継いだのは、柏木 千春(ka3061)。その心情は彼女にとっても他人事ではない。
「……寒くなってきたなの」
ディーナ・フェルミ(ka5843)は微かに身を震わせて、言った。
「早く見つけてあげないと、かわいそうなの。装備は捨ててなくても糧食はつきてるかもだし……」
口調こそ柔らかいが、その眉根は寄せられ心配げだ。
――いずれ来る必要経費、にしても、早すぎたのではないですかねえ。
そんなディーナをよそに、マッシュ・アクラシス(ka0771)は月夜を見上げながら、胸中で呟いた。
捜索の最中に見上げる余裕は『敵』を識るが故のものだ。一方で、金色の鎧を着込んだジャック・J・グリーヴ(ka1305)の双眸には昏い影が差し込んでいる。固く握り込んだ手は、厚い鎧の感触をただ返すばかり。
――俺があのクソ蜘蛛に頭下げちまったからこういう考えを持つ奴も出て来ちまったのか?
貴族子弟たち。その顛末に、王都での戦闘が影を差していることは明らかで。
「命は一番の財産だろうがよ……」
「それにしても、半藏イエ、とは。討伐されたと聞きましたが」
『半藏』とは少なからず、縁があるレイレリア・リナークシス(ka3872)は周囲を確認しながら、呟いた。
「……ともあれ、まずは要救助者を助けねばなりませんね」
ユエの本性は、識っている。要救助者たる学生たちの安否は気になるところだった。ちらり、と周りを見渡す。ハンター達の所作は人それぞれに異なるが、
「♪泥遊びに鬼ごっこに隠れんぼ……夜更かしは大好きだわ」
まるで、月と星空に向かって語りかけるように、雨音に微睡む玻璃草(ka4538)――フィリアは不安定な音階で言葉を紡ぐ。レイレリアの視線に気づいたのだろう。フィリアは肩を竦めるようにして目を細めた。
「――でも内緒にしなくちゃ、おねえさんに怒られちゃうわ?」
「……?」
●
平原を見渡したが、人の影は見当たらない。
「……これが、そうか?」
神城・錬(ka3822) がライトで照らす先、何かが引きずられたような幅広な痕跡があった。
「あの、大蛭の姿かもしれません」
記憶を辿ったレイレリア。それは、殿として残った3人――シュリ、フリー、クリスがあれと相対した事を意味する。
「……急がないといけませんね」
狼の言葉に、誰ともなく頷いた。
狼はバイクを森林の入り口に停め、ぐるりと周囲を見渡して景色を記憶に留める。逃げる足に必要になった際の備え、というのは勿論だが徒に失った銭は戻らないのだ。
「思ったより明るいですね」
「それでも探さねばならないものも多いのが、厄介だな」
気疲れの色を含んだ錬の呟きが返る。平原で見つけた大きな痕跡は、途中で跡形もなくなっていた。そこで半藏は変容を解いたのだろう。
――いつ、来やがる。
狼は、気配を感じる耳や触覚に神経を凝らした。学生たちが生きているとするならば、彼らは間違いなく『餌』になっている。自分たち、ハンターを釣るための。ならば半藏達の迎撃に注力することこそ正道と見た。
「半藏が泥なら、油ぶっかけて焼いちゃうのが1番だと思うの」
そんな中、ディーナはぽつ、と呟いた。犬とフクロウを探索に放とうとしたが、怯えてしまっていた。連れ歩く馬も、然り、だ。
「でも森の中じゃ多分こっちのダメージの方が大きいの……無念なの」
馬を落ち着けるように撫でるディーナ。その声に沿うように、レイレリアも息を吐いた。
「泥が……?」
「痕跡もありませんね……」
千春の表情には、疑念が浮かんでいた。油断なく探って、照明までも使ったのに、痕跡一つ見当たらない。
「……チッ」
手応えのなさに舌打ちを零したジャックは大きく息を吸う。
「おい! いるんだろ!」
大音声であった。周囲の反応を見渡しながら、続ける。
「シュリ! フリー! クリス! 助けに来たぜ!」
反応を伺う。周りのものも止めはしなかった。何かしらの気配があればそれで――、
――――しばしの後、届いたのは悲鳴。
絶叫、であった。
●
「急げ!」
誰ともなく叫び、走りかけた。瞬後のことだった。
「ね、待ってよ」
声と共に、気配が湧いた。進行方向に、一つの影。
「……イエ」
眼光をみて、レイレリアが言うとそれは嬉しそうに微笑んだ。
「生き残りは、いたんですね」
「ウン。意外と、ちゃんとしててさ」
千春の言葉に、イエは大きく頷き自らの腹を示した。
「――この子以外、ね」
ぞぶり、と。その腹が波立った。そこから、湧き出るように、人の頭が出て来る。
「……フリーさん、でしたか」
「てめェッ!」
マッシュが落胆と共に告げつつ、空いた片手で、銃を構えたジャックを制止し、周囲に目を配る。
「未熟だよねぇ。隠れていれば、死ぬこともなかったのに。この子も、『彼』も。あ、半分はキンピカの君のせいかな? まぁ」
苦無を逆手に持ったイエは、そのまま、首だけ浮かび上がったフリーの頭部を殴り、
「この子はまだ、死んでないんだけど、さ。」
「ッ!?」
強引に気付けされたフリーは黒く染まった眼球大きく見開き――ハンター達を認めるや否や、息を吸った。
「――逃げろ、囲まれてる!」
「ハイ、上出来〜」
瞬後のことだった。
フリーの首がそのまま自由落下し、
周囲から、多量の苦無が、殺到した。
●
「隠れてっ!」
応じるように千春、ジャック、そしてマントと大剣をかざしたマッシュが前へ。豪雨のように迫る苦無を、後衛に回さないように身体を張る。
「なんで、囲まれ……っ!?」
思いっきり身を低くした狼は見当をつけていた木陰へと隠れつつ叫んだ。後方でランタンが割れる。更に、馬の苦鳴が響いた。
「くっ……!」
光源が狙われていると気づいた錬が、ハンディライトを彼方へと投擲した。消す暇よりも今は回避を優先した結果、被弾は最小限で済んだ。不意に明かりが落ちた。ディーナの灯りまでも、破壊されたらしい。
「――なるほど」
『泥』の対処は慣れたもののマッシュは苦無の正体も知っている。故に可能な限り振り払いながら、呟いた。
「『これ』は、致し方ない。私達の手落ちですね」
「そういうこと」
大量の傀儡達の成果を誇るように笑うイエは、こう告げた。
「君たちは自分たちが何処を探しているか、ずっと示し続けてたわけ。なら、この子らを動かすなんて簡単な話だよね?」
●
「――突破を!」
千春はそう叫びながら前進した。悲鳴の正体は、間違いなく『生きている学生』のものだ。突破のためには、イエとその周囲の傀儡達を抑えなくてはいけない。
「急いで!」
前方では、既にマッシュがイエへと突き進んでいる。ジャックは咆哮しつつ銃撃を重ねていた。凄まじい流血が気になったが、今は時間がない。
「オォ……ッ!」
気勢をあげて、狼が往った。踏み込みの瞬間に銀閃が少年の周囲へと奔り、傀儡達を断ち切る。心地よい手応えを脳裏に叩き込みながら、狼は次の得物に持ち変える。その間に、マッシュがイエに肉薄。イエも既に両手を大きく広げ、身をかがめている。その手は銀刃へと変じている。
――刃、ですか。
気に留めつつも、大剣を振り払った。剣の腹を用い、斬撃というよりは、殴打に近しいそれ。颶風が、イエの右肩口を『削ぎ落とした』。落ちかける右上腕を支えるように黒々とした泥が繋ぎ、斬撃が返ってくる。鎧で弾き返しながら、マッシュは体を挟み込んだ。肉薄し、イエを抑える構え。
「ありがとうございます!」
狼とマッシュが切り開いた空隙に千春は飛び込み、聖光を紡ぎあげ、さらに傀儡達を弾き飛ばす。
「先に往く」「……任せるの!」
以前と似た呟きを残して、『捜索班』である錬とディーナが往った。その眼前に立ちはだかろうとする傀儡を、
「――イエ、貴方は」
凍れる声が、阻んだ。レイレリアの編んだマテリアルが、氷嵐となって顕現。
「許しません」
冷気が傀儡達を侵し、引き千切る。今度こそ、完全に道は拓いた。ディーナと錬は疾走を開始。
残ったのはジャック、狼、千春、マッシュ、そして、レイレリアの5人。
――あの方も、行ったのでしょうか。
フィリアの姿が見えない。既に隠密し、どこぞへと走ったか。
「踏ん張りどころ、ですね」
千春の呟きに頷きが返る。包囲はされては居るが――小粒が主だ。数的不利は痛いが致命的ではない。故に、ハンター達は往った。此処で、敵の足を止めるために。
●
悲鳴の出処は、今や明らかだった。だが、その声も小さくなっている。
「……っ」
予感を覚えるディーナの表情は硬い。『呼びかけに反応してしまった』学生が、もう一人の『半藏』に襲われているのだ、と。
――甘さが、命取りになったか。
錬も歯噛みしながら、走った。最早、隠密していては間に合わない。
「急げ……っ!」
木枝を屈むようにしてくぐり抜け、進み――抜けた。
「あ」
少し拓けたそこは、木々がなぎ倒された結果できた小広場と化していた。その中に子供がいた。半藏ユエ。東洋風の黒衣を来た、少女。ユエの右腕はその肩口から肥大している。
「あれ、早かったね」
「……っ」
そこには、もう二人いた。一人は、ユエと錬達との間で膝をつき、剣を地面に突き立てているシュリ。夥しい血痕が、彼の周囲に散っている。
そして、もう一人。クリス。ユエの右腕から先。クリスの顔が――
直に、消えた。
●
「向こうに連絡をするのっ! シュリ君も、立つの!」
ディーナはすぐに構えた。連れてきた馬も時間稼ぎになればいい、というくらいの少女である。動揺は無い。 苛立ちとめまいにも似た怒りを感じながら、錬は短伝話を手に連絡を取る。シュリを発見したが重傷。クリスは死亡。手短に伝えつつ、大剣を構えた。
「向こうはこちらには来れないそうだ」
「なら、撤退するの。目的は――」
「ダメだよ。まだ、食べたりないんだ」
達成した、と言いかけたディーナにユエが迫った。振るわれた巨腕から泥が爆ぜる。取り付くだけで、身を灼く泥が。
「……邪魔なのっ!」
少女の身から、聖光が湧き出た。イエの体ごと押しのけるように光が走るが、貫いて迫った泥に身を抉られる。鈍痛を堪えている間に、動けないシュリを錬が抱えていた。そのまま、一挙に後退を始めるのをみて、ディーナも転身した。
「……い、くぞ」
苦鳴に似た錬の声に、ディーナは状況を理解した。あの巨腕に、巻き込まれたのだと。この泥は、体を蝕み続ける毒に似ている。一体どのような苦痛が錬を蝕んでいるかは想像するしかないが、彼のほうが足が速い。走れる限り、託す必要があった。
この場には、彼女しか足止めが出来るものが居なかったからだ。
●
イエとの交戦の中で、狼は手応えを得ていた。降魔刀が最も手応えがよい、と。それは即ち、千春の攻撃も効果を上げていると言っていい。
「……チィ、ィ!」
しかし、だ。戦場は上手くない。狼は苦い舌打ちを零した。
「ジャックさん、大丈夫ですか……?」
「こっち見つめてんじゃねえ!」
レイレリアは、いえ、見つめてないですけど――とは、言えなかった。度重なる攻撃に、レイレリアを庇う位置取りのジャックの傷は重い。銃撃も、些か精細を欠いているようにも見えた。尤も、レイレリアにとっても、決して良い状況とはいえない。
『キミが一番ヤバそうだねえ』
レイレリアの攻撃の手の長さを見て取ったイエはそう言い、手勢を彼女へと寄せてきた。随所から迫る泥に身を削られているのは、ジャックだけではない。
――私のことを、覚えていない?
懸念が、生まれた。
「離れて!」
その時だ。傀儡を削っていたレイレリアの耳に、千春の叫び声が届いた。イエがその手を巨大化させ、大きく振るっていた。すぐにその場から飛び退る。「ずぉぉっ!?」ジャックも盛大に飛び跳ねる中、地面に大きく泥が広がり――。
「こういう仕組みでしたか」
マッシュが戦場から離れる方向へとイエに対し薙ぎ払いをした瞬後、そう言った。手応えの軽さに、理解が追いつく。
イエは、此処には居ない。ならば。
「――バアッ!」
その後方。泥の中から湧き出た、肥大化したイエが――レイレリアに組み付こうとしていた。
●
この時、いくつかの動きが同時に起った。
この戦場に、深手を追った錬とディーナ、シュリが到着し、そして――ユエが到達。
そして、イエに組み付かれたレイレリアが眼差しを強め、マテリアルを収斂させた。
もう一つ。
戦場に到着したユエの上方から、一人の少女が降ってきた。フィリアが、杙殺せしめんと突き立てた傘剣は、ユエを背中から腹部にかけて貫いていた。
そうして、ユエの耳元に、囁く。
「何度でも、代わりが作れるんでしょう?」
――結果もまた、同時に紡がれた。
レイレリアを中心に氷嵐が暴風と化してイエごと爆ぜ、
「アアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
急変したユエが、自らの背に立つフィリアを、泥と化した体で飲み込み、振るい、木々へと叩きつけた。
●
ユエは狂乱し、イエの姿は――あるいは破片となり――散った。まるで、ただの泥に返ったかのよう。
「撤退を!」
誰ともなく、叫ぶ。レイレリアが拓いた、傀儡達の間隙が残っている。
そこからは、必死だった。重傷を負っていた錬に変わりシュリを担いだマッシュが一目散に撤退。歯噛みするジャックを千春が叱咤し、狼とディーナはフィリアを抱え、バイクを忘れることなく、撤収した。
街道までたどり着いた後も一同は暫く走り続け――安全と思える場所まで離れたのち、ディーナと千春は漸く各人の治療を開始できた。
「――『俺』が、殺した、か」
錬やレイレリア、フィリアに次いで傷が重いジャックが、呆然と呟いた。引き金を引いたことを悔いる彼に、誰も言葉をかけられないでいる。一人は無理だった。だが、もう一人は、助けられたかもしれないのだ。
「無駄に、だけは」
千春は言いかけて、口を閉ざした。“無駄”。その言葉が、望外に重く、響いたから。
――このざまじゃ、ロシュに何もいえねえ、な。
狼ですらも、消沈している中で、
「帰るの」
治療を終えた事を確認したディーナは、そう告げた。気落ちしていないわけではない。でも。
「……今は、皆の治療を、急がないといけないの」
「そう、ですね」
マッシュは再び、夜天を見上げた。明滅する星。傾きはじめた月影。先程と似ているのに、決定的に違う気配を、振り切るように。
「……やれやれ、今回は、くたびれました」
依頼結果
参加者一覧
サポート一覧
依頼相談掲示板 | |||
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2016/10/06 01:10:56 |
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相談卓 柏木 千春(ka3061) 人間(リアルブルー)|17才|女性|聖導士(クルセイダー) |
最終発言 2016/10/09 15:44:30 |
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![]() |
質問卓 柏木 千春(ka3061) 人間(リアルブルー)|17才|女性|聖導士(クルセイダー) |
最終発言 2016/10/08 01:11:11 |