【AP】SPACE COWBOY

マスター:楠々蛙

シナリオ形態
ショート
難易度
普通
オプション
  • duplication
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
4~6人
サポート
0~0人
マテリアルリンク
報酬
無し
相談期間
5日
締切
2017/04/05 15:00
完成日
2017/04/19 00:59

このシナリオは5日間納期が延長されています。

みんなの思い出? もっと見る

オープニング

 どんなに無学な人間でも知っての通り、宇宙には重力がない。上下左右の区別のない、この宙ぶらりんの世界には、重力と言う名の鎖は存在しない。
 故に、この世界には『墜落』という概念、『落下』という観念が存在しないのだ。それは何も宇宙空間のみに限った事ではない。
 例えば、火星。テラフォーミングの結果、人類が居住できるようになったかの星でも『落ちる』という意識は薄い。人間が宇宙空間に進出してから数十年。純粋な『火星人』と呼べる新世代にとっては、地球製の旧世代に比べて『落ちる』事に対する実感は、ざっと見積もって三分の一程度しか持っていない。
 宇宙産まれの猿──実際、宇宙へ移住する計画が持ち上がった当初は、そんな実験があったという話もあるが──は、木から落ちる実感を知らないのだ。
 にも関わらず──
『オチやがれ!』
 スペースモービル、わけても武器を積み込んだそれに乗るパイロットは、相手の船を攻撃する時、必ずと言って良い程その言葉を口にする。その意味のホントのところも知らずして、彼らは『オチろ』とそう叫ぶのだ。
 わざわざオープンチャンネルの通信越しに飛ばして来た威勢の良い文句を耳にして、そんな取り留めもない事を、言葉ではなくもっと漠然としたインスピレーションとして脳の片隅で繰り広げながら、キャロル=クルックシャンクは足裏に振動を伝えるフットペダルを操作すると、白銀の機体──スレイプニルの主翼に内蔵したエルロンスラスタが噴射剤を噴き、ロール。
 半転したコックピットのキャノピー、対放射線、紫外線コーティングを施したガラスの向こうを、蒼い稲妻が過ぎ去って行く。
 ♪──
 折しも、コックピットに響き渡ったサックスのシャウトと重なって、キャロルは何ともなしに口笛を吹いた。
 これもまた知っての通り、宇宙には音がない。だから、『オチろ』と叫ぶのと同様に、スペースモービル乗りの大半が、宇宙航行中には何かしらの音楽を掛ける。己が存在を謳う為、或はこの沈黙に押し潰されない為に。
 キャロルの場合は、もっぱらフリージャズだった。賞金稼ぎとしての彼の相棒、バリー=ランズダウンはブルースを好むが、あれはどうにも愚痴っぽくて頂けない。
 回避マニューバから体勢を戻すと同時に、プラズマガンを浴びせて来た敵機とすれ違う。勿論、見逃しはしない。まず誘ったのはあっちの方だ。ここは一つ応えてやらねば腐ってしまう。
 メインノズルのスラストリバーサを閉鎖して、機体に急制動を掛ける。
 猛るサックスに、掻き鳴らすギター、ドラムのビートまでもが乗って来た。こっからのパートが、最ッ高にグルーヴィなのだ。
 操縦桿を手前に引いて、機首を持ち上げる。ベンドを利かせたサックスが強く出るのを耳にしながら機体をループ。ちょいとばかり装飾が強過ぎるが、なぁに、ノリが良けりゃそれでイイ。お上品なクラシックジャズならまだしも、奔放なフリージャズならこんなものだ。
 フットペダルを小刻みに動かし、メインノズルの向きを調整して、見送った敵機の尻に船首を付ける。見るも鮮やかなインメルマンターンを決めて攻守を逆転させるや、大人しめだったドラムが狂ったように叩き鳴らす中、プラズマガンのセィフティを外して、口端を曲げる。
「オチはテメェで付けな!」
 這わせた指で、トリガーを押し込む。
 グロゥするサックスの雄叫びに合わせてプラズマの閃光が迸り、敵機を貫いた。爆散した機体、その破片を錐揉みして躱すと、モニターにバリーの顔が現れる。
『オイ、なにしてやがる。ふっ飛ばしたら、賞金に換えられんだろうが』
「なぁに、雑魚の一匹や二匹、惜しかねぇさ。狙うは大物だけだ」
 そう言って、コックピットの向こう側に見える巨大な帆船へ視線を移した。そう、何の冗談か、風も吹かぬ宇宙で真紅の帆を張った宇宙船である。キャロルは知らないが──数分前に聞いたバリーの解説は右から左へ突き抜けたからだ──あれはソーラーセイルという、太陽光を推進力に変える装置である。
 ともあれ彼は、そんなモノよりも、帆を張るマストの頂点に飾られた旗を見た。それは、俗に言う海賊旗だった。あの船は、所謂、宇宙海賊というヤツだ。この辺りの宙域を狩場にして、通り掛かった他の船から略奪する手合いである。
 あの船──『クイーンアンズ・リベンジ号』の船長、黒髭ティーチを名乗る男の首に掛けられたのは、八百万。時代遅れも甚だしいが、その額ばかりは伊達ではない。
「見てな、連中のジョリーロジャーを撃ち抜いてやる」
 声も高らかに、スロットルグリップを捻り、キャロルは愛機を奔らせた。



 ラウラ=フアネーレにとって、宇宙航行のお供と言えば、テクノポップだった。シンセサイザーが奏でる電子的な音楽には、アナログには絶対に出せないリズムがある。
 例えるなら、引き潮のない波のようなものである。ただただひたすら押し寄せるウェーブだ。それを一本調子の退屈な音楽だと揶揄する連中──その筆頭がキャロルである──も居るが、ラウラにしてみれば、段々と心の鼓動が合わさって昂揚して行くこの波こそがグルーヴなのだ。そもそも、彼女には引き潮というやつがどうにも合わなかったのである。火星生まれのキャロルと違い、純地球産少女であるラウラには、海にもそれなりに馴染みがあった。そしてそれは『落下』にしても同様だった。
 もっとも、彼女にとって重力からイメージする言葉は『見上げる』だ。昨今、人口減少が著しい地球から外に出るのは容易な事ではない。ひょんな事からその機会を得て、キャロルとバリーの宇宙船、ブケファラスに乗り合わせる事ができたのは、中々にツいていると言えない事もなかった。
 なにせ宇宙におけるマニューバには、何の制限もない。幼いながら、元々モービル乗りだった彼女にとって、この環境は、ステキの一言に尽きた。
 ここには、重力の戒めも空気の壁もない。Gさえ耐え凌げば、およそこの空間に不可能なムーブなど存在しなかった。彼女の愛機──ラビットハートは、流線形のスレイプニルと異なり、およそ航空機らしからぬフォルムを持つ。各所にスラスタを多く内蔵したこの機体は、大気圏内においても航行可能だったが、その本領はやはり、宇宙空間でこそ発揮される。
 上下左右思いのまま、自由自在に飛び回り敵機を翻弄する様は、さながら旅人をからかう妖精のようだった。
「ルーナ、照準任せたわ!」
 複座式のラビットハートには、ラウラの他に一匹の黒猫──ルーナが乗り合わせている。脳波を読み取る装置を頭に被ったルーナこそが、この機体の火器管制モジュールである。
 ラビットハートの機銃が火を噴き、敵機を蜂の巣へと変える。
「さぁ、ここからがショゥタイムよ♪」
 小さな手足で、ラウラは愛機を伸び伸びと駆らせた。

リプレイ本文

 ──敬愛なる我が相棒よ、良い報せがある。
 エアルドフリス(ka1856)が口端に笑みを浮かべてそう言った時、J・D(ka3351)は既に嫌な予感がしていた。軽佻浮薄という言葉が服を着て歩いているようなこの男が、こういう笑い方をする時は、女難か災難、何にせよトラブルを持ち込むモノと相場が決まっているからだ。
 ──なんだね、その顔は。今度の獲物は、聞いて驚くなよ、なんとあの黒髭ティーチだぞ?
 この時程相方の正気を疑った事はなかった。ティーチと言えば、大航海時代に名を馳せた大海賊の名ではないか。かの男の首なぞ、もう当の昔に骸骨になっている。相当にタチの悪い病気でも貰ったか。だから女癖の悪さも大概にしろと、かねてより忠告していたというのに。
 ──そっちこそ厭世も大概にするんだな。今を生きる賞金稼ぎが、黒髭と聞いてバッカニアにピンと来てたら、商売上がったりだろうに。
 俺達が狙うのは宇宙海賊の方さと、相棒は言った。八百万のボロイ商売だとも。
「──なァにが、ボロいだ」
 実際のところはボロボロだ。
 まず以って、海賊共の規模がデカい。成程、大海賊の名を騙るだけの事はある。問題は、数より質の方だ。どうやら、ティーチのみならず、他にも名うての賞金首を抱えているという噂は、あながちデマというわけでもないらしい。
 そして何より、同業者の数が多い。この職種の常の事、敵の敵は味方とはいかないのだ。今もまた、賞金稼ぎと思しきスペースモービルの一撃を危ういところで回避したばかりである。
 何の酔狂か、自ら標的にしてくれとばかりに主張する派手派手しい紅いカラーリングのスペースモービル。更には何の冗談か、機首に一本角が付いている。
 だが当のJDとて、他人の趣味をおいそれと笑えた義理ではない。彼が駆るスペースモービル──コルトもまた、酔狂な代物である。
 一言で表すなら、オンボロ。なにせ宇宙開拓期の先駆けになったと言われている機種だ。旧式を通り越して遺物と呼んで差し支えない機体である。
 故に、と言うべきなのか、そのコックピットに満ちる音楽もまた、時代に取り残された旋律だった。
 ボサノヴァ。一世紀近く昔に廃れた音楽が“新しい(ノヴァ)”を冠するとは、まったくもって皮肉が利いている。時代に取り残された音楽を聴き、遺物と化した機体を駆る。そんな男がどんな人と成りをしているかなど、一々語るまでもないだろう。野暮を承知で述べるなら、彼もまたナニカに取り残された男だった。
 そこにあるのは、シンパシーというより、同情だ。傷の舐め合いと呼んでもいい。その相手に、人間ではなく物や音楽を選ぶ辺りが、この男に残った最後の矜持なのかもしれなかった。
 機体下部に備える、回転式の弾倉を切り替える事で数種の弾頭を使い分けるリニア砲、『リボルバー』のトリガーに指を添えるその前に、JDはオーディオを操作し、選曲を切り替える。
 落ち着いた先の曲調とは打って変わった、軽快なテンポ。死出の往路の、せめてもの慰めにと、彼はドッグファイトに興じる前に、いつも古めかしいダンスミュージックを掛ける。
 所詮この世なぞ、泡沫のユメ。泡が弾けるその末期くらいは、愉快でありたいものだと。それが、人の世に向けた一抹の未練だと自覚する事もなしに、彼は今宵も、トリガーに指を這わせる。



 暴力的な程にパンチの入ったキック音。内蔵を鷲掴みにし、直接揺さぶるような、重く響くバスドラム。
 へヴィな音調のEDMで満ちる、真紅のスペースモービル──パンテーラのコックピットでは、鬼相を浮かべた男が操縦桿を握っていた。
 白髪の生え際から伸びるのは、雄々く凶き一本角。
 彼は己が名を知らない。そも、親の顔すら知らぬ自分に、名前というものがあるのかどうかすらも疑わしい。故に己が面貌にちなんで、イッカク(ka5625)と名乗っている。
 だが、おおよその人間は、彼をその名で呼ぶ事はしなかった。
 宇宙人。ヒトは彼をそう呼ぶ。この宇宙世紀の真っ只中、地球のみならず、月、火星、金星、はては土星や木星の衛星にまで人間が蔓延っている世の中で、宇宙人と呼ばれる事は、それはもうヒトでなしと呼ばれる事と同義だ。

 ──オマエはニンゲンではないと、そう言われ続けて来た。

 居場所と呼べるモノはなく、故に孤高。孤独に甘んじる事は、額の角が天を突く限り許さなかった。だから彼は、まず暴力に頼った。鬼に相応しい頑強な体躯を持つ彼にとって、暴力で人間を屈服させるのは容易な事だったのだ。
 暴力こそ、問題の解消を容易にする万能ツール。だが安易な解決法は、総じてより大きな問題を作る事になる。それを悟ったのは、すぐだった。
 そして、暴力に代わるもう一つの、もっと後腐れのない万能ツールの存在に気付くのにも、そう長い時間は掛からなかった。
 金だ。
 金、カネ、マニー。それだけが、額の角の存在を人間達から忘れさせる事ができた。
 金だけが、ヒトの世界と彼を繋げる縁(よすが)。
 
 ──金だけが、俺を人間にしてくれる。

 暴力と金だけを頼りとする男が、やがて賞金稼ぎという商売に行き着いたのは、必然の事だっただろう。
「──かましやがるッ。上ッ等だ!」
 イッカクは、そんな感傷を隠すように凶悪な笑みを浮かべる。
 暗闇に走る一条の灼線を反撃として見舞って来るや、すれ違っていったオンボロのガラクタを追わんと操縦桿を操作した。同じ獲物に群がる商売敵は払っておくに限る。寧ろイッカクにとっては、それこそが本命と言えた。賞金首なら生け捕りにしなければ金にはならないが、同じ賞金稼ぎなら、なんの仮借も要らないからだ。湧き上がる獰猛な衝動に衝き動かされるまま、愛機を駆らんとしたイッカクは、しかし──

 ────!
 突如、レーダーが発した警告音、そして機体を揺さぶった衝撃に、その出鼻を挫かれた。

 彼が瞠目したのは、敵機の接近を告げたアラート音とのタイムラグの短さ、そしてその攻撃手段が体当たりという余りにも短絡的なモノだった事とは、無縁だ。
「──んだよ、今の音は……」
 寸での所で機体を躱し、それでも擦過した機体越しに伝わった、ミュージック。余りにも破天荒なその音が、何よりもイッカクの肌を粟立たせた。
「……オモシレぇ」
 パンテーラと同じく、何処か宇宙開拓以前に普及していた有輪走行機械を彷彿とさせるフォルムを持つ、ゴールドラインの走る黒いボディをしたスペースモービルを標的と見定めて、イッカクは愛機を奔らせた。



 ♪────。
 唇から漏れるその口笛の音はしかし、誰の耳にも届かない。その唇の持ち主にさえも。
 宇宙空間とパイロットを隔てるキャノピーには、当然の事ながら相応の強度が求められる。ならばそれをびりびりと振動させる程の音とは一体、如何ほどのモノだろうか。
 幾度となく繰り返されるシンセリフも、ここまでの大音量ともなれば、真空をすら揺らがせるのではないかという錯覚に陥らされる。
「イ~イ反応♪ ってか、ワルかない趣味してんジャン?」
 その台詞もまた、爆音と呼ぶのも生温いユーロビートに掻き消され、誰の耳にも届かない。
 言いたいだけの事を言い放つに任せた口の端が、ひどく獰猛に歪む。獅子が笑みを浮かべたなら、こういうモノになるだろうという、そんな笑み。しかしその唇は、蠱惑的な紅いルージュに濡れていた。
 ♪────。
「なになになぁに、アタシにハシりで挑もうっての?」
 リオン(ka1757)は、再び誰一人として聞こえる事のない口笛を吹いた。その眼は、機体のサイドに取り付けられたミラーへと向けられている。いや、正確には、鏡面に映る真紅のスペースモービルへと。
 リオンは、浮かべる笑みをますます深く歪めると、ギアクラッチを踏み付け、シフトレバーを操作した。そう、彼女の愛機──バンガードビーストは、その操作系統に、旧時代のマニュアル有輪走行車めいたシステムを採用している。元よりこうだったわけではない。出自を辿れば軍用の試作機だったこの機体は、重装甲と高火力に突出した性能を持つスペースモービルだった。だが、機体と同じく元軍属の持ち主によって、エネルギー兵器へ回されていた出力を増設したスラスタに全振りされ、無駄に複雑な操縦システムに仕様変更された今となっては、設計者の構想など見る影もなく、劣悪な操作性を誇るスピードモンスターへと成り果てていた。
「アタシに追い付こうなんて──」
 宇宙艇すら撃墜可能なビーム砲を積む事を想定した高出力エンジンが生み出す最高速度は、直進に限れば、レーシングモービルをすら凌ぎ得る。
「──一世紀早いってぇの☆」
 掛かる曲が切り替わり、元々速かったBPMが、更に加速する。リズムが逸ると共に、鼓動までが釣られて早まる。スピードに興までもがノッて来た。
 リオンは本来、黒髭に雇われた用心棒だ。だが、彼女の頭からは、黒髭の義理などとうに失せていた。いや、そもそも雇われてからこっち、何事もない平穏な宇宙渡航に飽いていた彼女は、雇い主に反旗を翻すのもまた一興だと考えていたところだったのだ。
 だが、今ばかりはその飢えも無縁の事。最早、彼女のハシりを止められるモノなど、この宇宙には存在しない。


 エアルドフリスが好むのは、重金属系の音楽、いわゆるへヴィメタルである。わけても、イギリス二十世紀八十年代の黄金期──NWOBHMと称される音楽がお気に入りだ。
 だがエアルドフリスは、相棒と違って、別段古い音楽を愛好しているという自覚はない。彼の思想が、様式美を至上としているのであって、その美意識がたまさかその年代のへヴィメタにシンクロしたという、ただそれだけの事である。
 元より洒落者であるこの男は、その美意識、そして利害にさえ一致するなら、新しいモノを取り入れる柔軟さがあった。例えば彼の愛機──Gealachもまた、そういう思想に基づいた設計になっている。
 狼と月をペイントしたGealachの主砲は、特注して作らせた最新鋭の荷電粒子砲“Crom Cruach”だ。その咆哮は、まさしく科学技術の粋の粋。だが砲口より迸る閃光は、古めかしいへヴィメタルのメンタリティにこそ相応しい。流行りに浮ついた、上面ばかりの音じゃあ駄目なのだ。
 放たれし蒼白の光が、クイーンアンズ・リベンジ号の船端に並ぶブラズマ砲を薙ぎ払う。何とも時代が掛かった事に、カルヴァリン砲を模したブラズマ砲だ。
「こういうなんとも無駄な拘りは嫌いでもないが、これも商売なんでね」
 口端に、最近使うようになった電子煙草を咥えながら呟く。シャグ巻きをこよなく愛するJDとは違って、この辺りもまた、この男らしい抜きのある、程を弁えた拘りだった。言い方を変えれば、彼には、拘り過ぎる事で不変に陥る事を嫌う節があるのだ。
 それは、コックピットのインテリアにも窺えた。
 美女、美女、美女。際どい姿をした美女のホロが、エアルドフリスを囲むように並んでいる。野郎のスペースモービル乗りならそう珍しくもない趣味だが、彼の場合一味違うのは、これらの女達の全てが、以前夜を共にした相手であるという点だ。まあ、あまり褒められた趣味ではない。JDも一度この光景を目にした事があったが、どうしようもねェなと漏らしたモノだ。
 だがその彼も知らないだろう。肌を惜しげもなく晒したホロ群の中に唯一、清楚な和服に身を包む中性的な印象の人物を映した写真が飾られている事は。余人の眼には触れないように設置されたそれこそ、エアルドフリスの、掛け値なしの拘りだった。決して変わらない、いや、或は変えようと想っても変えられなかった、しがらみだ。ふらつく船を繋ぎ止める、係留柱。その写真に写る人物は、この男にとってそういう存在だった。



 地球は蒼かった。
 誰だったか、人類で初めて『無重力』にその身を晒した男がそう言ったのだという。
 その言葉には続きがある。
 ──しかし、神は居なかった。
 それは、間違いだ。居なかったのではない、神は居なくなったのだ。ヒトにとって未知の領域だった宇宙が、手の届き得る場所へと零落した時──バベルの塔が、とうとう天の頂きへと到達したその時に、神は御座から引き摺り下ろされたのだ。
 では今、宇宙がヒトの領域へと貶められたこの時代、神はドコに居るのか。Holmes(ka3813)は、その答えを知っていた。

 ココだ。

 ゴアトランス──電子が奏でる讃美歌。その旋律が震わす脳髄にこそ、神は宿る。この有機的な電子の旋律が神を掬い上げ、ヒトの頭に取り入れる。いや、トランスこそ神の声だ。かつて二人の処女が聴いたという神託(オラクル)だ。
 アダムとイブの末裔は、この音を聴く事で、ようやく失楽園以前の世界に回帰する。或はもっと、彼方の向こう側へと己が精神を解き放つ。
 人間が無重力に身を置くようになって、早一世紀。だが今尚ヒトは、己が身体の発する僅かな引力を振り切れないままだ。
 神の声がもたらす全能感に浸りながら、今こそ飛び立とう。

 グッバイ、母なる大地よ(マイホーム)──
 グッバイ、我が同胞よ(マイフレンド)──
 そしてさようなら、ボクの容れモノ(マイボディ)──

「──ん?」
 宇宙航行の最中、操縦桿を手放そうとしたホームズは、しかしコックピットに満ちるトランスミュージックに混じった、一つのノイズに気付き、ガンギマリ状態から我へと返った。
 野暮な──と彼女は眉を顰めない。いつだってそうだったからだ。いつもあと一歩というところで、届かない。或は──と、彼女は寧ろ僅かな期待を覚えながらスイッチを操作し、不意に訪れた通信の受信を許可する。
『メーデー、メーデー♪ ハロゥ、チューマ。ゴキゲンかい?』
 スピーカーが発したのは、救援を求む台詞とは思えぬ陽気な声。それを聞くや、ホームズの期待は何故かますます高まった。



 リコ・ブジャルド(ka6450)は、通りが掛かった同業の船との通信を切ると、すぐさまキーボードへと指を走らせた。愛機、トラバントIIのハンドルと一体になった、カスタムキーボードへと。
 通り掛かりの船を海賊船と見破ったのは、その特殊なボードと、その上を踊る指先の動きが指し示すように、彼女が名うてのクラッカーだからである。
 相手の船のメモリに記されている最近寄港した場所と、とある賞金首の情報との共通点を見出したのだ。
 キャプテン・ガンジャトリップ・シャーロックと言えば、あらゆる意味でキマッテいるフリーパイレーツとして、その名を知られている。オトした船より、オチた数の方が多いというが、それでも尚幽霊船にはなっていない。その悪魔的な悪運を分けて貰うのも一興だ。
『はぁい、宇宙を泳ぎ回るオタマジャクシさん達、今日もエンジョイしてる? こちらはスマイリーフロッグ放送局、お相手はお馴染み、DJメグミよ』
 リコは専らこうして、その都度アンテナが拾ったラジオを垂れ流しにしておくのを好んだ。四六時中マシンと向き合っては、たまに口へピザの切れ端を運ぶようなステレオタイプのハッカーは、執着的な拘りを持っているのが常だった。だが今時の、例えば彼女と同じく、自らこの無重力の世界へと飛び出すようなニュータイプのクラッカーはと言えば、寧ろそういった束縛を嫌った。旧時代のWWWよりも更に広大なSWWでは、そういう思考を狭める思想は命取りになると、彼らは知るまでもなく理解していたからだ。拘りなんてのは、片手間に納まるくらいが丁度良い。
「さぁて皆さまご注目、今宵ご覧に入れますのは、種も仕掛けもあるマジックショゥ♪」
 リコは、傍らにラジオのホームページへリクエスト曲を添付したメールを送りながら、スペースモービル用に手ずからこさえたウイルスソフト“チェシャキャット”を立ち上げた。
 電子戦に特化したトランバトIIと、《キルアイス》と称されるリコのクラッキングスキルが合わされば、凡庸なスペースモービルのファイアウォールなど、障子紙に等しい。
 トリック仕込みのトリートを送り付ける相手は誰にしようか。
「──悪戯猫のお相手だ、ここはウサギにすっかね」
 先程から我が物顔で飛んだリ跳ねたりしているスペースモービル、アレが良い。景気付けには、もってこいだ。
「細工は流々、あとは仕掛けを御覧じろってな♪」
 リズムよくタップし続けた指先を振り上げ、小気味よい音と共に、Enterキーを叩く。

 ────一瞬。
 いや、実際には、それは一瞬よりも尚早く、刹那よりも更に短い阿頼耶の領域に起きた事だった。

 モニターを埋め尽くすアラートに理解が追い付くのに、一瞬の時を要したというだけの事。
「なっ……!? おいおいおいおいっ!? なぁにが起きやがったってんだ!?」
 そう叫びはしたものの、何が起きたかは明白だった。アラートが告げているのは、ワクチンソフトが稼働しているという事実。それも、保険として“チェシャキャット”用に組み上げたソフトが、何重にも。
 ただしそれは同時に、システムに侵入されたという警告が全くないという事を意味している。
 “チェシャキャット”を無効化し、無数にコピーした事までは、百歩譲ってもまだ理解できる。その尋常ならざる速さにも眼を瞑ろう。だがそれをこちらに返すに当たって、何の足跡も残さないとは、一体何事か。トランバトIIのファイアウォールは、軍用の防壁にも劣らないという自負が、リコにはあった。いや、たとえ障子紙だって、強引にこじ開ければ穴が残る。
 ウィザード級のクラッカー? いや、手品にも限界というモノはある。これはもう、人間業じゃあない。
 あり得るとするなら、この電子の海における全能存在。ネットダイバー達の間で冗談交じりに、しかし何処か期待を籠めて語られる、電子の神サマ──

 ──デウス・エクス・マーキナ。

『──それじゃぁ次の曲、えぇと《キルアイス》からのリクエストね。タイトルは『アンダー・ワンダーランド』中々イイ選曲なんじゃない? 最近のエレクトロスウィングの中でも、飛び切りイイ音だと思うわよ? そんじゃ早速聴いて頂戴な──』
「け、……けっ、ケッケッケ。……オモシレぇ、イカスじゃねえかよぉ」
 クラシックなスウィングジャズの曲調を奏でるのは、ニューウェーブなエレクトロビーツ。“踊れるジャズ”をBGMにして、リコの指先が刻むタップも極みに高まり、飼い主に牙を向けて来た飼い猫の群れを容赦なく殺し尽くす。
 更にリコは、額のゴーグルを摺り落とし、眼を覆った。それは、眼球の動きを読み取る入力機器であると同時に、電脳空間を抽象化した映像として装着者に見せる機器でもあった。
 意味を成さない一ビット以下のデータ屑と化した残骸の向こうに、視えざる敵を見据えながら、リコはあらん限りの虚勢をかき集めて、チェシャ猫のように笑った。
「──やってやるよ、神サマ殺し」

 にゃあう。
「なんだか楽しそうね、ルーナ。それよりさっきから照準微妙に遅れてるんだけど──」
 うにゃう。
「え、照準返すって、ちょっと待ってよ!? わたしが撃つの下手なの知ってるでしょ!? ねえってば──」



 それは、ある種の会話だった。
 廃棄されたコロニー、更にはそれに便乗するようにして放置された、スペースモービルや宇宙艇の残骸。宇宙の片隅に堆積した巨大な粗大ゴミ群の間を縫いながら、踊るように駆け抜ける、二つの機影。
 パンテーラと、バンガードビースト。両者の舞い踊るようなデッドヒートは、ある種の会話だった。
 勿論ここは、お上品な社交場と違う。掛かる曲目は、重低音響かすEDMに、ひたすらノリを重視したユーロビート。となれば、交わされる言葉も自然、荒々しくなるというモノだ。
 互いに交わし合うは、鉄風雷火。バンガードビーストが後塵を浴びよとばかりにミサイルを撒き散らせば、パンテーラの機銃が火を噴いて全弾を撃ち落とす。
「クソッ……、うざってぇ」
 咲き誇る火球の群れを突き抜け、遥か前方を行くバンガードビーストの尻を睨みながら、イッカクは奥歯を軋らせる。
 最高速度では劣れども、旋回性能に秀でるパンテーラにとって、デブリの多いこのフィールドは独壇場となる筈だった。だがそれは、相手がデブリ群を障害物として認識してさえいたなら──の話だ。
「ヤロゥ、正気かよ……!?」
 今もまた、相手の尋常のなさをまざまざと見せつけられたところだ。
 正面に立ちはだかる巨大なコンクリートの塊は、コロニー内部に建っていたビルの残骸だろうか。それを前にしながら、バンガードビーストは露とて速度を緩める事なく、突っ込んだのだ。コンクリが爆ぜ割れ、粉塵を散らしながら、バンガードビーストが向こう側へと突き抜ける。
 いかに装甲に自信があっても、一歩間違えば自殺そのもの。まるで、己が命、たった一枚しかないチップを、惜し気もなくBETするかのようだ。
「……ああ、そうかい。そういうことかよ……!」
 イッカクはようやく、己の誤りを悟った。これは単なる速さの競い合いではなかったのだ。こいつは、どちらがよりハヤクハシルという些末事に、自分を張れるロクデナシかという、チキンレース。損得勘定を蔑ろにした、クダラナイ命の張り合い。
 それに気付くや、もう迷いなどなかった。
 スロットルレバーをフルスロットルにまで倒し込む。目前に迫るのは、バンガードビーストが撒き散らしたコンクリの破片。フットペダル、操縦桿を小刻みに動かし、最小限のマニューバで潜り抜ける。
 その時初めて、イッカクは生きていた。いや、彼はこの時初めて、世界へと産まれオチたのだ。
「──雄々ォォォォォォォォ!」
 顔も名も関係ない、ただ己が存在を謳う産声を上げながら、彼は奔る。
『ハァイ、チェリーボーイ。サカってるぅ?』
 ようやく黒い機影に並んだその時、唐突に通信機が女の声を発する。何ら違和感はなかった。いや、仮にそれがむさくるしい男のモノだったとしても、可憐な少女の声だったとしても、イッカクは些末事だと思った事だろう。性別や齢など、最早何の関係もない。
 しかし、そのアルコールとヤニに灼けたハスキーな声を耳にした時、何かがしっくり来た。そしてその台詞にも、何の反感を覚えたりはしなかった。寧ろ、確かにそうだろうと笑みを浮かべた程だった。
 この、何もかもを置き去りにしたような快感を知ったばかりの自分は、精通を終えたばかりの小便臭いガキも同然だ。
「……なぁ、イかせてくれよ、この先へ。アンタ、知ってんだろ?」
 他人に頼み言をしたのは、正真正銘初めての事だった。イッカクにとって、他者とのコミュニケーションと言えば、怯えられ蔑まれるか、命令するかのどちらかだったのだ。どちらにしても一方通行に過ぎず、返事など寄越す事も待った事もなかった。
 だから、スピーカーが失笑の声を発するその時まで、生きた心地というモノがしなかった。
『あたしを満足させられたら、ちぃぃっとは考えてあげてもイイけどぉ♪』
 からかうような、おちょくるような、それでいて誘うようなその声に、イッカクもまたその人生で初となる、返事を寄越した。
 その口端に、不敵でありながら、邪気のない純真な悪童のような笑みを浮かべながら。
「──上ッ等だ。後悔しても知んねえぞ」



 愛機、ヴァシーリーだけが、サイケデリックに溶けたホームズの脳みそを理解できる、唯一の理解者だった。
 この身軽で、かつ脆いスペースモービルだけが、彼女の錯綜した思考を読み取る事ができる。ホームズは半ば本気で、いや、神を頭にオロした今は欠片も疑う事なく、自分の相棒には意思が宿っているのではないかと考えている。
 ヴァシーリーの背後を位置取る、賞金稼ぎのスペースモービル。その主砲が、加速器で解放の時を待つ荷電粒子の光を発する。その時である、機体が独りでに動いたのは。
 放たれた荷電粒子の閃光は、ヴァシーリーの背を逃し、その直近にあったクイーンアンズ・リベンジ号の甲板を直撃する。
 はて、確かあの船を助ける為に、今ボクはここに居るのではなかったっけ?
 頭の片隅、小指の先程度にのこったまともな部分がそう囁くのを聞きながら、ホームズは操縦桿を撫でて、寸でのところでオトされるのを回避した愛機の労をねぎらった。たとえそれが、トランスのもたらす幻覚だったとして、それが彼女にとっての真実だ。
 だが、それも柄の間の事、もう一機のスペースモービルが備えた主砲、回転式の弾倉を回したリニア砲から、砲弾が放たれる。
 それは、避けずともヴァシーリーを僅かに逸れる弾道を描いていた。機体の傍を過ぎようとした砲弾は、しかし、突如のたうち回る無数の蛇の如き紫電を撒き散らす。
 電磁パルスに絡め取られたヴァシーリーの、電気系統が全て死んだ。ヴァシーリーの息遣い、そして神をオろすトランスさえもが消えて、コックピットには沈黙のみが満ちた。
 ──ああ。
 そこにあるのは、矮小で窮屈な疎外感。
 ──ああ。
 ふと小さな手を、キャノピーに触れさせる。ガラス一枚、たったそれだけ。なのにこんなにも遠い。
 
 ──ああ。ボクはどうしようもなくちっぽけで、こんなにも……、ひとりぽっちだ。



 電子の猫を殺し巡る事、何度目か。未だ以って届かない。量子の壁は超えられず、神には到底及ばない。
 リコが幾ら躍起になろうとも、相手からは“遊び”の気配が消えないのだ。
「──ケッケッケ」
 しかし、それを敏感に悟りながらも、リコは笑う。積りに積もったビットの残骸の向こうから伝わる気配に、少なからず手応えを感じ取ったからだ。
 相手は遊んでいる。だが、最初のいかにもあしらうようなそれとは違い、本気だ。
 ──ヤツは今、本気で遊んでいる。今全力で、この電子戦に興じている。
 この昂揚、長らく忘れていた。
 腕こきのクラッカーをやっていると、クラッキングは何処か退屈なモノになっていく。言うならそれは、ルーチンワークのようなモノだ。クレジットカードデータの改竄、軍事サーバーへの侵入、どれもこれも確かに多少のスリルはあっても、結局のところは前もった準備さえ整っていれば、後はもう決まり決まった流れの作業でしかない。
 そこに、新しい刺激があるわけじゃあないのだ。
 たとえば背筋を震わすような、この心臓を激しく波立たせるような、そんなゾクリとする瞬間は、長い事訪れやしなかった。
「けどま……、やられてばっかってのは、性に合わねぇよなぁ……!」
 息を吐く間もなき、攻防戦。その最中に、ようやくリコが反撃の目を見出したその時、
「なんだよ、そいつぁ……!?」
 ナンセンスな猫の残骸が突如渦巻き、巨大な影を成していく。最早そこには生前のしなやかな身体など見る影もなかった。
 それでも面影を残している箇所を挙げるとするならば、炯々と燃える両眼を縦に切り裂く瞳孔か。
 竜に似た、しかし異質なる化物──恐ろしきモノ。
「ジャヴァウォック……。ケッ、どこまでも気が利いてんじゃねぇか」
 最早、これまでの手は通用しない。アレを殺す為には、生半可なワクチンソフトではダメだ。怪物を殺す為には、それ専用の“剣”が要る。
 毒を吐く竜には、アスカロン。ファフニールには、魔剣グラム。八岐大蛇には、天羽々斬。
 そしてジャヴァウォックには──鋭き剣、“ヴォ―パル”。
 手に握られしは、細身の刺剣。飾り鍔より伸びしは、透き通る程に薄い刃。
 デジタルが彩る、ファンタジー。エレクトロスウィングが佳境に入る。
 はてさて、襲い来るは、顎か鉤爪か。付け焼刃の剣は果たして、かの怪物の命を奪い、我が手に首を獲らせる事ができるのか。
 とざい、とぉざい。これよりご覧に入れますは、筋も脈絡もない、ナンセンスな即興劇。見事怪物を撃ち滅ぼしますれば、御喝采。あえなく敗れましても、笑って下さりますれば、これ幸い。
 それでは、とくとご覧あれ。




 利き手である左手でトリガーを引きながら、右手で撃鉄を煽る。
 EMPによって宇宙海賊船の機関部を停止へと追い込んだJDは、船内へと侵入し艦橋を目指していた。先程から出くわした海賊達を撃ち倒しているのは、愛機よりも尚古い、シングルアクションリボルバー。最早、博物館に展示されてもおかしくはない骨董品である。
「やれやれ、頼もしい限りじゃあないか」
 その背後で細身の銃身を持つピストルを手にしながら、一度も銃爪を引く機会に恵まれずに、やや退屈そうに溜息を零すのは、エアルドフリスだ。
「なァに余裕をこいてやがる。道順はこっちで正しいんだろうな」
「その事なら心配には及ばんさ。この船の見取り図は、きっちりココに叩き込んである」
 リボルバーをリロードする傍らに視線を向けるJDに対し、空いた手の指先で、こつこつとこめかみを叩くエアルドフリス。
「……どこでどうして手に入れやがったんでィ」
「なあに、水心あればなんとやらというヤツだよ」
 なにやら得意気な笑みを湛えて肩を竦めるエアルドフリスから、JDはかぶりを振って胡乱気な視線を切った。
 空の真鍮管を排莢し終え、予備の実包を薬室へと込めていくJD。
 だがその最中に、勢い良く接近して来る足音があった。それを聞き咎めて振り返れば、ナイフを片手に肉迫する海賊の姿。すぐさま撃鉄をフルコックに起こそうとするJD。しかし、それよりも尚速く、彼我の間にエアルドフリスが割って入った。
 迫るタングステンの切先が、エアルドフリスのジャケットを喰い破るかに見えたその一瞬。そう、全てはようやく一瞬を満たす時の内に起きた。
 ナイフを握る海賊の拳を掬い取った掌は、さながら緩やかに流れる水のようでありながら、宙を一転して壁へと叩き付けられた海賊の身体を襲った衝撃は、激しく水飛沫を挙げる滝水の如く。
 水のようにあれ。まさしくジークンドーの作法に他ならなかった。
「いつ見ても、妙ちきりんな技だな、そいつァ」
「妙なモノか。だから言ってるだろう? 水心あれば──さ」
 再び胡乱な笑みを浮かべるエアルドフリスに、またJDが呆れも露わにした時、重く響く爆発音が聞こえたかと思えば、不穏な振動が足許を震わせた。
「とっとと黒髭の首獲りに行かなけりゃァ、こっちの尻にまで火が着きかねねェ」
「ああ、先を急ぐとしよう」

「ようこそ、俺の船へ。招かれざる客人共よ」
 船橋へ踏み入った二人を迎えたのは、なんとも芝居が掛かった台詞だった。声を発したのは、壮年の男。
 庇の大きな海賊帽に、豊かな髭面、肩に羽織った黒い外套、そして腰に差しているのは、フリントロックピストルとカットラス。
「まさか。招待もなしに他人の船を踏み荒すのはそちらの領分だろう? 招待状ならとっくの昔に届いてる」
 そう言いながら、エアルドフリスは懐から携帯端末を取り出して見せた。掲げたディスプレイに映っているのは、今目の前に立っている男と瓜二つの顔だった。間違いない、この男こそ、八百万の賞金首、黒髭ティーチだ。
「人の女を好き放題に犯しておいて、洒落臭い口を利きやがる」
 怒りを潜ませたティーチの台詞に、エアルドフリスは眉を潜ませる。はて? 黒髭と穴兄弟になった覚えはないが。
 だが、JDはティーチの言葉の意味を、理解していた。己が船を女に喩えるその心境を、彼も半ば解する事ができたからだ。
「……クイーンアン──か」
 何を想って、その名を己が船に冠したのかは知る由もないが、ただの酔狂というわけでもないのかもしれない。共感か、或は感傷か。
「まァいい。用があるのは、おめェさんの首の方にだ」
 何にせよ関係のない事だ。JDは胸の内を払うようにして、リボルバーの銃口を振り上げた。飯の種になるのなら、それで世は事もなし。それが賞金稼ぎの鉄則だ。
「時代遅れのカウボーイが、随分と大口叩きやがる」
 古めかしいブルーフィニッシュの輝きを照り返す銃を見て、ティーチは口端を曲げた。
「その時代に感謝するこったな。世が世なら、今頃鉛玉を馳走してるところだ」
 やおらにJDは撃鉄を起こす。
「吹くなよ。世情に任せなけりゃ、引金も引けねえんだろ?」
 コッキングによる最後通告を耳にしておきながら、ティーチは尚も笑みを絶やさない。JDは改めて、銃爪に掛けた人差し指に気を入れる。よしんばティーチの手が腰に提げた得物に伸びようものなら、その手を撃ち抜く所存であった。しかし──
「っ…………!?」
 直後、彼は己の不覚を知る事になった。JDはバッカニア御用達の得物に注視するあまり、ティーチが肩に掛けた外套を掴む動きに反応が遅れたのだ。
 照星を覗く視界が、黒い布地に覆われる。
 遅ればせながら爆ぜるリボルバー。翻る外套に銃痕が穿たれる。しかし、その主足るティーチは、カットラスを右手に構え、這うような姿勢で外套を潜り抜けると、JDに斬り付ける。
 寸でのところで、JDは迫る刀身を銃身で以って受け止めた。抵抗虚しくカットラスの刀身が、JDの喉元へと押し込まれて行く。
 させじと一歩踏み込むエアルドフリス。だがしかし、それを予見していたティーチは、彼が蹴りを放つよりも迅く、左手でピストルを抜き放つと、エアルドフリスの左胸に銃口を向けて銃爪を引いた。
 黒色火薬特有の濃い硝煙が上がる。
「エア……!?」
 JDのサングラスに、頽れてゆく相棒の姿が映った。

 とある星のとある街の一画に置かれた、とある和菓子屋。その店先に腰掛け、緑茶を啜る少女。いや、着物が女物であるというだけで、その中性的な顔立ちは少女のようだとも、少年のようだとも言えた。
 彼か彼女か、とにかく湯呑に添えられた指先で光るアイオライトに、亀裂が入った。

 銃弾を受けたエアルドフリスの身体が床に着くかと思われたその時、左足が前に出る。身体は前に沈んだまま、左足を軸足にして、右脚が弧を描き、カットラスを弾き飛ばす。
「──年貢の納め時だ、ティーチ」
 そして次の瞬間には、体勢を戻したエアルドフリスが握る自動拳銃の銃口が、ティーチの鼻先へと突き付けられていた。
「……海賊が税金納めるようになったら、商売上がったりだぜ」
 銃口を睨み返すと共に、ティーチが口先から吐いた皮肉の声は、先のそれとは異なり些か苦々しい調を含んでいる。
「残念ながら、私掠船免状なんて恩情は、なしだ」
「元より要らねえさ。──それよりてめえ、なんでピンシャンしてやがる」
 確かに弾はエアルドフリスの身体を捉えた筈だ。ティーチはピンシャンなどと嘯いたものの、彼の顔は若干の苦痛に歪んでいる。
 エアルドフリスは無言のまま、懐からライターを取り出した。鉛玉を受け止め、外装に埋め込まれたアイオライトが砕けているオイルライターを見せる事で、問いの答えを示したのだ。
 或はその苦々しい表情は、痛みとは別のモノかもしれない。捨てきれなかったしがらみで、命を拾ったという皮肉を噛み締めているのかもしれなかった。
「それじゃあ、大人しく付いて来て──」
 ライターを懐に仕舞ったエアルドフリスが口を開いたその時、それまでよりも尚大きい爆発音が、船橋を揺るがした。
「聞こえただろう。早く──」
「俺は残るぜ。ケツ捲るなら好きにしな」
 次にエアルドフリスを制したのは、ティーチの硬い声音だった。耳を疑わんばかりの表情を浮かべて、エアルドフリスは銃を構え直した。
「なんだと? こいつが見えないのか。そうでなくとも──」
「好きにしろと言ったぜ。なんにしても、俺はここを動かねえ。惚れた女残して逃げるようなら、その男は死んだも同然だからな」
「なにを……?」
 ティーチの言動にまたも眉を潜ますエアルドフリスは、不意に船橋を後にしようとする相棒の背に気付いて振り返った。
「おい、JD!」
「聞いたろゥ。俺達ァ死人に用はねェ。とっととずら駆ろう」
 JDは相棒の返事を待たずして、船橋を去って行く。
「……まったく、とんだくたびれ儲けだ」
 大層表情を苦くしながらも、エアルドフリスは相棒の後を追った。



 独り取り残された船橋で、ティーチは胡坐を組んで懐からスキットルを取り出し、蓋を開くと、中身のラムを一口呷った。そして、床に残りを垂らす。
 語る言葉はない。海賊はただ、歌を口ずさむ。

 ヨーホー、ヨーホー……



 かくしてこの話は終いだ。この話に登場した彼らが果たしてどうなったのか、ユメの続きに想いを馳せるのも一興だろう。
 いや、そうだ。おまけにもう一つ、語るとしよう。



 静寂が満ちるコックピットへ不意に訪れたその音に、膝を抱えていたホームズは顔を上げた。
 そこに居たのは、カーマイン色をした宇宙服に身を包む少女。
 キャノピー越しに見える彼女の唇が、だ・い・じょ・う・ぶ? と囁く。
 ──ああ。あれはきっと天使だ。弾けるようなテクノポップと共に降臨した、天の御使いだ。
 ホームズは再び、しかし先とは違う生き生きとした仕草で、ガラスに手を触れる。しばしきょとんとした表情を浮かべたその天使は、やがて愛嬌のある笑みを返して、ガラス越しに手を合わせてくれた。
 ホームズはこの時初めて知った。
 宇宙に神は居なくなっても、天使は居るという事を。

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MVP一覧

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参加者一覧

  • HappyTerror
    リオン(ka1757
    人間(蒼)|20才|女性|疾影士
  • ユニットアイコン
    ブラック・ゴールドスペシャル
    ストライカーLBGSP(ka1757unit001
    ユニット|CAM
  • 赤き大地の放浪者
    エアルドフリス(ka1856
    人間(紅)|30才|男性|魔術師
  • ユニットアイコン
    ゲアラハ
    ゲアラハ(ka1856unit001
    ユニット|幻獣
  • 交渉人
    J・D(ka3351
    エルフ|26才|男性|猟撃士
  • 唯一つ、その名を
    Holmes(ka3813
    ドワーフ|8才|女性|霊闘士
  • ユニットアイコン
    ヴァシーリー
    Василий(ka3813unit001
    ユニット|幻獣
  • 義惡の剣
    イッカク(ka5625
    鬼|26才|男性|舞刀士
  • 《キルアイス》
    リコ・ブジャルド(ka6450
    人間(蒼)|20才|女性|機導師
  • ユニットアイコン
    トラバント・ツヴァイ
    トラバントII(ka6450unit001
    ユニット|CAM

サポート一覧

マテリアルリンク参加者一覧

依頼相談掲示板
アイコン SPACE COWBOY
リコ・ブジャルド(ka6450
人間(リアルブルー)|20才|女性|機導師(アルケミスト)
最終発言
2017/04/04 23:02:30
アイコン オールナイト蛙スペオペ(質問)
リコ・ブジャルド(ka6450
人間(リアルブルー)|20才|女性|機導師(アルケミスト)
最終発言
2017/04/04 22:54:06
アイコン Re:SPACE COWBOY
エアルドフリス(ka1856
人間(クリムゾンウェスト)|30才|男性|魔術師(マギステル)
最終発言
2017/05/23 21:26:20
アイコン 依頼前の挨拶スレッド
ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2017/03/31 16:05:15