ゲスト
(ka0000)
なんでもない雨の日に
マスター:鮎川 渓
このシナリオは3日間納期が延長されています。
オープニング
●
雨。
ここ数日空がぐずつき、雨が降ったり止んだりと落ち着かない天気が続いていた。
雲が垂れこめたかと思えば晴れ、晴れ間が見えたかと思うと降る。
変わりやすい天候を読み切れず、辺境のオフィスは少々バタついていた。『お手伝い』として窓口に居座っている駄ハンター・香藤 玲(kz0220)も、貸出品の準備や天候不良による依頼の日程変更などに追われていた。
「玲、ハンターさんに貸し出す馬車に幌つけた?」
「つけるよう手配済みー。ねえモリスさん、明日の貸出物品表に松明ってあるけど、コレこのままで良いの?」
「このままだと明日も雨よね……貸出希望者に連絡して、ランタンかLEDライトがあるなら差し替えて!」
「了解ー。……は? 幌に穴開いてた? ダメじゃんもー!」
そうして何とか新品の幌を用意できた時には、すっかり夜が更けていた。馬車に乗り込み、雨の夜へ飛び出していくハンター達を見送る。
「気を付けてねー!」
玲は表へ出て叫んだが、幌を打つ激しい雨音に阻まれ、おそらく彼らの耳には届いていないだろう。
それでも車輪の音が聞こえなくなるまで手を振り続けてから、急いでオフィスへ引っ込む。濡れた袖を絞っていると大きなクシャミが出た。
カウンターの内側から職員・モリスがタオルを投げて寄越す。
「お疲れ様、遅くまで悪かったわね」
モリスの私物だろうタオルで遠慮なく髪をわしゃわしゃ拭きながら、玲は改めて時計を見やった。晴れていればもうすぐ朝日が拝める時刻だ。
「もうこんな時間? バタバタしてて気づかなかっ……ふあぁ」
クシャミに続き欠伸も出た。少々こまっしゃくれてはいるが、玲はまだ14歳。おまけにもリアルブルー出身のもやしっ子だ。無事にハンター達を送りだせた安堵から緊張が解け、一気に疲労が押し寄せる。
そんな玲を見、モリスは眼鏡の奥の目を細めた。
「明日は休んで良いわよ、ゆっくり身体休めなさい」
「モリスさんが僕に優しい……!? やーだぁ、この雨きっと1週間は止まないねー」
「ぐだぐだ言ってっと休み取り上げんぞこの駄ハンター!」
拳を振り上げたモリスにタオルを投げ返し、玲はそそくさと出入り口に向かった。扉の所で振り返り、
「おいで、パー子ちゃん」
声をかけると、オフィスの隅でうとうとしていたパルムがぴょこんと飛び上がり、玲の後をついていく。
パー子。
残念な名前を付けられてしまった玲のパルムだ。
玲がクリムゾンウェストへ転移してきた二年前から、ずっと一緒に過ごしてきた。桃色のワンピースを翻して歩く姿は何とも愛らしい。
しかし名はパー子。
パルムだからパー子。
玲のネーミングセンスはそんなもんである。
玲は外套の懐にパー子を抱くと、足早に家路に着いた。
●
「ふあぁ、お休みだお休みだぁー」
借りている部屋に帰りつくと、玲は濡れた服を脱ぎ散らかして寝台に倒れ込んだ。
パー子は床に散らばった服をせっせと集めて回る。こうして自然と世話を焼いてしまうのは、だらしない主人を持った故の悲しい性だ。
ふとパー子は思う。
何でこいつと一緒にいるんだっけ、と。
すると玲、寝台の脇からいそいそとバスケットを取り出した。その中には先日、リゼリオへ出向き買い込んできた東西の甘味がたんと詰まっている。
「へへー、明日はこれ食べながらゆっくりしよー。パー子ちゃんにもあげるからね♪」
パー子、ぴょこぴょこ飛び跳ねる。先程の疑問は甘味の前にかき消された。
しかしまたふとパー子は思う。
こいつ、明日に限らずいつも休日は食っちゃ寝してるだけじゃないか、と。
パルムとは何か。
ただのキノコではない。
神霊樹に情報を運ぶ端末の役割を担うれっきとした精霊である。
いわば歴史の観察者にして記録者。
ハンター達について回るのは、ハンターはその活動上、珍しい事例や事件に遭遇する可能性が高く、この世界の歴史の分岐点となりえる事柄に立ち会う事もあるからだ。
が、しかし。
この玲ときたら滅多に依頼に出ることはないし、オフィスの手伝いがない日には日がな一日食っちゃ寝食っちゃ寝、友人もいないため出かけることもない。
ちらと横目で窺えば、我慢できなくなったのか早速菓子の包みを開けている――寝台に寝そべったまま。
なんてぐうたらなのだろう。
頭を抱えたパー子の眼前に、半分に割ったクッキーが差し出された。
「はい、パー子ちゃんの分」
パー子、またぴょこぴょこ跳ねる。
濡れた服を洗濯籠に放り、クッキー齧って人心地。
――……って、これじゃいかん!
とばかりにパー子は立ち上がった。
ハンターの休日とはこんなものじゃないはずっ。もっとなんかこう色々してたりしてなかったりするはず! 有意義な過ごし方とかしてるはずっ!
知りたい――他のハンターさん達がどんな風に休日を過ごしているのかを!!
パー子は待った。
玲が眠りに落ちるのを。
そして玲が寝息を立て始めたのを確認すると、バスケットから菓子を失敬してポーチに詰め、そうっと窓から抜け出したのだった。
雨。
ここ数日空がぐずつき、雨が降ったり止んだりと落ち着かない天気が続いていた。
雲が垂れこめたかと思えば晴れ、晴れ間が見えたかと思うと降る。
変わりやすい天候を読み切れず、辺境のオフィスは少々バタついていた。『お手伝い』として窓口に居座っている駄ハンター・香藤 玲(kz0220)も、貸出品の準備や天候不良による依頼の日程変更などに追われていた。
「玲、ハンターさんに貸し出す馬車に幌つけた?」
「つけるよう手配済みー。ねえモリスさん、明日の貸出物品表に松明ってあるけど、コレこのままで良いの?」
「このままだと明日も雨よね……貸出希望者に連絡して、ランタンかLEDライトがあるなら差し替えて!」
「了解ー。……は? 幌に穴開いてた? ダメじゃんもー!」
そうして何とか新品の幌を用意できた時には、すっかり夜が更けていた。馬車に乗り込み、雨の夜へ飛び出していくハンター達を見送る。
「気を付けてねー!」
玲は表へ出て叫んだが、幌を打つ激しい雨音に阻まれ、おそらく彼らの耳には届いていないだろう。
それでも車輪の音が聞こえなくなるまで手を振り続けてから、急いでオフィスへ引っ込む。濡れた袖を絞っていると大きなクシャミが出た。
カウンターの内側から職員・モリスがタオルを投げて寄越す。
「お疲れ様、遅くまで悪かったわね」
モリスの私物だろうタオルで遠慮なく髪をわしゃわしゃ拭きながら、玲は改めて時計を見やった。晴れていればもうすぐ朝日が拝める時刻だ。
「もうこんな時間? バタバタしてて気づかなかっ……ふあぁ」
クシャミに続き欠伸も出た。少々こまっしゃくれてはいるが、玲はまだ14歳。おまけにもリアルブルー出身のもやしっ子だ。無事にハンター達を送りだせた安堵から緊張が解け、一気に疲労が押し寄せる。
そんな玲を見、モリスは眼鏡の奥の目を細めた。
「明日は休んで良いわよ、ゆっくり身体休めなさい」
「モリスさんが僕に優しい……!? やーだぁ、この雨きっと1週間は止まないねー」
「ぐだぐだ言ってっと休み取り上げんぞこの駄ハンター!」
拳を振り上げたモリスにタオルを投げ返し、玲はそそくさと出入り口に向かった。扉の所で振り返り、
「おいで、パー子ちゃん」
声をかけると、オフィスの隅でうとうとしていたパルムがぴょこんと飛び上がり、玲の後をついていく。
パー子。
残念な名前を付けられてしまった玲のパルムだ。
玲がクリムゾンウェストへ転移してきた二年前から、ずっと一緒に過ごしてきた。桃色のワンピースを翻して歩く姿は何とも愛らしい。
しかし名はパー子。
パルムだからパー子。
玲のネーミングセンスはそんなもんである。
玲は外套の懐にパー子を抱くと、足早に家路に着いた。
●
「ふあぁ、お休みだお休みだぁー」
借りている部屋に帰りつくと、玲は濡れた服を脱ぎ散らかして寝台に倒れ込んだ。
パー子は床に散らばった服をせっせと集めて回る。こうして自然と世話を焼いてしまうのは、だらしない主人を持った故の悲しい性だ。
ふとパー子は思う。
何でこいつと一緒にいるんだっけ、と。
すると玲、寝台の脇からいそいそとバスケットを取り出した。その中には先日、リゼリオへ出向き買い込んできた東西の甘味がたんと詰まっている。
「へへー、明日はこれ食べながらゆっくりしよー。パー子ちゃんにもあげるからね♪」
パー子、ぴょこぴょこ飛び跳ねる。先程の疑問は甘味の前にかき消された。
しかしまたふとパー子は思う。
こいつ、明日に限らずいつも休日は食っちゃ寝してるだけじゃないか、と。
パルムとは何か。
ただのキノコではない。
神霊樹に情報を運ぶ端末の役割を担うれっきとした精霊である。
いわば歴史の観察者にして記録者。
ハンター達について回るのは、ハンターはその活動上、珍しい事例や事件に遭遇する可能性が高く、この世界の歴史の分岐点となりえる事柄に立ち会う事もあるからだ。
が、しかし。
この玲ときたら滅多に依頼に出ることはないし、オフィスの手伝いがない日には日がな一日食っちゃ寝食っちゃ寝、友人もいないため出かけることもない。
ちらと横目で窺えば、我慢できなくなったのか早速菓子の包みを開けている――寝台に寝そべったまま。
なんてぐうたらなのだろう。
頭を抱えたパー子の眼前に、半分に割ったクッキーが差し出された。
「はい、パー子ちゃんの分」
パー子、またぴょこぴょこ跳ねる。
濡れた服を洗濯籠に放り、クッキー齧って人心地。
――……って、これじゃいかん!
とばかりにパー子は立ち上がった。
ハンターの休日とはこんなものじゃないはずっ。もっとなんかこう色々してたりしてなかったりするはず! 有意義な過ごし方とかしてるはずっ!
知りたい――他のハンターさん達がどんな風に休日を過ごしているのかを!!
パー子は待った。
玲が眠りに落ちるのを。
そして玲が寝息を立て始めたのを確認すると、バスケットから菓子を失敬してポーチに詰め、そうっと窓から抜け出したのだった。
リプレイ本文
●雨と白猫
こんもり茂る森のほど近く。
パルムのパー子は、この雨にすっかり参ってしまっていた。
桜色のワンピースは湿って重くなる一方。思えば訪ねるあてもない。
濡れたズックを引きずって木陰伝いを歩いて行くと、行く手に一軒の家が現れた。
パー子にとっては見慣れぬ建物。なのになんとなく懐かしい気にさせるその家は――リアルブルー出身の主・玲がいたならこう言っただろう。
『日本家屋だよ』と。
パー子はそぅっと門を潜ると、縁側へ駆け寄った。
「むむ、雨ですかー……困りましたねぇ」
寄るなりからりと掃き出し窓が開き、パー子は慌てて縁の下へ滑り込む。
床板越しにのんびりとした少女の声が降る。感覚を研ぎ澄ませ探ると、家にあるヒトの気配はひとつきり。どうやらこの少女が家の主であるらしい。
「洗濯物も乾きにくいですしー、本を読むにも紙が湿気を吸いそうですしー」
どうやら少女もあまり雨が好きではないようだ。親近感を覚えつつ、服の裾をぎゅと絞った。
少女が部屋を振り返る気配がする。さらりと衣擦れ。
「あ、折角だから縫い物でもしましょうかぁ。そろそろ新しい簪袋も作りたいと思ってましたしねぇ」
まあ素敵、それは是非見学させてもらいましょ。
そう決め込んでパー子が振り向いた時だ。
暗がりで煌々と光る一対の瞳と眼が合った。
――猫だ!
「~~ッ!?」
人間にとっては可愛らしい小動物でも、小さなパルムにとっては俊敏な獣である。
逃げようとしたがむんずと首根っこを咥えられてしまい、パー子はもう大パニック。
「お外へ出てしまったんですかー?」
愛猫を呼ぶ少女の声も、パー子の耳には入らない。
じたばたしている内に縁の下から連れ出され、ぎゅっと閉じた瞼越しに光を感じた。そして――
「あらぁ? 何を咥えて……え、パルムさん? ちょっと待ってくださいねぇ」
ややあって、柔らかな布に包まれる感触がした。
恐る恐る瞼を開くと、透明感溢るるエルフの少女のかんばせが目の前にあった。
「!!」
「怖くありませんよぅ。私は氷雨 柊(ka6302)といいます、ハンターなんですよぅ?」
幼いパー子はまだ喋れない。こくこく頷いて見せる。
「この雨で濡れてしまったんですねぇ、しっかり拭かないと風邪ひいてしまいますよぅ? ……パルムさんも風邪、ひくのかしらー?」
その面差しは背景を透かしてしまいそうに儚気で美しいのに、かくりと小首を傾げる仕草はどこか幼く愛らしくて。瞬きする度、紫水晶の瞳が濡れたように煌めいた。
不躾とは知りつつ、パー子は拭いてもらっている間、彼女や部屋の中をじっくり観察する。
自分を拭う為前屈みになった柊。長い髪が肩からさらさらと零れて、まるで銀の雨のよう。
きちんと着付けた和装姿は清楚で、ほんわりした雰囲気なのに背筋がしゃんと伸びている。
足元にはよく掃き清められた青畳。藺草の清々しい香りがする。
ふと気付けば、棚の上で真っ白な猫が丸まっていた。さっきパー子を捕まえた猫だ。パー子の視線に気付くと尾を一振りし、くぁっと欠伸をひとつした。
「あら、これはぁ」
柊の細い指が伸びて来て、ネームタグに触れた。
「パー子さん、ですかぁ。可愛いお名前ですー」
ああぁ見られた! この恥ずかしい名前見られたっ!
パー子は真っ赤になったが、柊はからかう素振りもなくにこにこと服を整えてくれる。手拭いで丁寧に水気を拭われた桜色のワンピースは、元通りふわりと広がった。嬉しくなってパー子はくるくる回る。
「ふふ。季節外れですけれど、そのワンピースを着ていると桜の妖精さんみたいですねぇ」
パー子、さらにくるくる。
その様子に目を細めながら、柊は脱がせたパー子のズックに紙を丸めて詰め、乾かしてくれた。
お礼に何か手伝おうと、パー子は勇ましく腕まくりして見せる。
「お手伝いしてくれるんですかぁ? 迷子ではなさそうだけれど、そもそもどうしてここまで来たんでしょうかぁ……? おうちの方、心配してませんかぁ?」
その問いに答えられる程の言葉を持たないパー子は、やる気を身振り手振りでアピール。柊は思わず吹き出した。
「ふふ、ありがとうございますぅ。……ええと、でも私、何をしようとしてたんだったかしらー?」
ぱちくりと目を瞬く柊に、パー子もぱちくり。おっとりさんであるらしい。
「やりかけの刺繍も進めて、台所の掃除もして、そろそろお菓子も作りたいし……あらー? 意外とやることが沢山……」
あらま本当に沢山。パー子もどうしたものかと首を捻ったが、その時裁縫箱が目に留まった。とてとて走っていくと、柊もぽてぽてついてくる。そして、
「ああ、簪袋を作ろうと思ってたんでしたぁ! パー子さんもやってみますかぁ?」
ちょっと難しそうだけど、糸通しなら任せてと、パー子は胸を叩いた。
ちくちくちく、すぃー。
しとしと、ぽたぽた。
ちくちく……すぃー。
すぅ、すぅ。
針仕事の音、雨垂れの音、白猫の寝息。
些細な音の集まりは不思議と穏やかに調和して、室内を満たしている。
針を握ると言うより抱えたパー子は、ちらっと柊の横顔を見上げた。
ともすれば気付かぬほどの何気ない音達が、こうして心地よく響き合うのは、ひとえにこの家の主――柊の性質故かもしれないなんて、こっそり思ったのだった。
そうして簪袋が完成した時には、ズックもすっかり乾いていた。居心地の良さに後ろ髪ひかれつつも、パー子は新たなハンターを求め出発する事にする。
「そろそろ行くんですねー? ならこれをどうぞ」
そう言って柊が差し出したのは――小さなパー子にぴったりの、小さな小さな和傘。傘と柊とを交互に見つめるパー子に、紫の双眸が細まる。
「少し前に暇だったので作ったのですけれど、ちゃんと油紙で折ったので多少は雨を凌げますよぅ」
パー子は両手を叩いて喜ぶと、早速傘を開いてみた。ぴったりサイズの傘なんて初めてで嬉しくて、ぴょこぴょこ飛び跳ねる。それからハッとして、ポーチからチョコを一枚取り出した。
「あらあら、お気遣いなくですよぅ。……でも、折角ですからいただきますねぇ。ありがとうパー子さん」
柊はパー子の頭をひと撫ですると、再び掃き出し窓を開けた。
「濡れて帰ったら心配されちゃいますから、気をつけて帰ってくださいねぇ」
まだ帰らないけど、頑張ってそうするね。言葉にはできなかったけれど、感謝の気持ちをいっぱい込めて、パー子は深く深くぺこり。何度も振り返って手を振りながら、雨の中へ飛び出して行った。
●迷宮と桃饅と
「……あらあら」
自らの菜園に足を踏み入れたエーミ・エーテルクラフト(ka2225)は、その中にででんと広がる見慣れぬものに目を瞬いた。
呆気にとられる彼女の傘の表で、雨粒がぽつぽつ踊る。
ハンターとしての依頼の他、心惹かれるものがあると、つい出かけたきり戻らない事がある彼女。
そう、それが私の悪いクセ……なんて自覚はあるのだが。
いや、あるからこそ、留守番を友人に頼んでいた。
頼んでいたがどうしてこうなった。
荷物を抱え直し、見慣れないそれへ近づいてみる。柔らかな地面を踏みしめる度、濡れた土の匂いが立ち上った。
彼女の目の前に広がっているもの。
それは、菜園の広い敷地を活かして作られた、巨大な迷宮になると思しき何かだった。
なると思しき、と曖昧な表現をするのは、それが未完成だから。
人の背丈ほどに組まれた竹枠。その傍にはトマト、キュウリ、ナス、ヘチマなど、まだ背の低い苗が植わっている。夏の盛りにこれらが成長した暁には、竹枠に絡んで茂り、迷宮の壁のようになるのだろう。
その竹枠の間を見れば、作りかけの小屋の土台がぽこぽこ並んでいる。
「これは迷宮というより、えーっと」
エーミ、幼い頃にリアルブルーで視聴したテレビの記憶を掘り起こす。
「リアルブルーの懐かしの番組で見たことあるかも……?」
人間がコマとなって動く、巨大双六のようなものを見たことがあるような、ないような。
和傘を差してこっそりエーミの後をついてきたパー子は、それの詳細をエーミの呟きごとメモに書き留めた。
と、その時。
「ようやく帰ってきたかー!」
溌溂とした声に振り向けば、菜園を見渡せる位置に設けたログハウスの入り口で、華奢な少女が手を振っている。巫女装束に身を包んだ年下の彼女は――
「フルルカさん!」
名を呼ばれたフルルカ(ka5839)は、どやぁっと胸を張る。
「今回はまた随分長い留守だったな。その間にわたしがイイモノを作っておいたぞ!」
「ええ、悪かったわね任せきりで。でもお陰で良いレシピが手に入ったわ。……で。あれは一体何かしら?」
ハウスに辿り着いたエーミは、傘の雫を払いながら例のアレを振り返る。フルルカはタオルを手渡しながら、再びどやぁっと笑みを閃かせた。
「ボードゲームというやつをリアルにした感じかの。皆で楽しめる迷宮を作ろうと思ってな!」
やっぱり。
あんまり楽しそうな顔に、エーミはつい悪戯したくなる。顎に指を当て、んーっと小首を傾げて見せた。
「でも確かあの辺りには、ハーブが沢山植えてあったと思うんだけどぉ……?」
ツと細まった黒耀の瞳に、フルルカわたわた。
「ちゃ、ちゃんと別の場所へ植え直したよっ。皆根付いて元気にしてるんだよっ!」
口調が歳相応な可愛らしいものになり、窺うようにエーミを上目遣いに見やる。
「……勝手に移動させちゃ、だめだったかな……?」
しょぼんと垂れた眦に、エーミはくすっと笑って抱えてきた荷物を見せた。
「冗談よ、お世話してくれて大助かり。それに楽しいことは大好きよ。ほら、お礼しようと思って沢山調達してきたの」
次々に取り出されたのは、小麦粉や果実や、根菜や新鮮な鶏肉……挙げきれないほどの食材の数々だ。
「うわあ♪」
フルルカの瞳がきらきら輝く。
「フルルカさんも私も今月誕生日でしょう? 長い間留守番させちゃったお詫びとお礼を兼ねて、ちょっと遅いけどお祝いといきましょう」
一通り雫を拭ったエーミは、気に入りのエプロンを取り出しきゅっと腰紐を結わく。裾を華麗に翻すと、調理台の前でぴっと人差し指を立てた。
「エーミ・エーテルクラフトの魔法、みせてあげるわ♪」
「待っておったぞー!」
フルルカ、諸手を上げて大喝采。
エーミの魔法。
それは、料理で人を笑顔にすることだ。
旅の魔術師に弟子入りし、様々な土地を巡ってきた彼女。それは魔術を磨くためのものであったが、同時に各地の調理法や食材に関する知識を貪欲に吸収してきた。
彼女には、様々な食材を手間暇かけて一皿に昇華させる料理こそが、魔法のように感じられたのだった。
確かな知識と技術で生み出す一品。口にした者は、皆自然と笑顔になる。
それこそが、エーミ・エーテルクラフトが操る魔法なのだ。
早速エーミは、まな板と包丁で小気味よいリズムを刻んでいく。
「ならばわたしは、迷宮の仕掛け作りをしようではないかー!」
フルルカも木材やトンカチを持ち出しトンテンカン。
屋内でもできる細々したパーツを作りにかかった。
菜園に降る不規則な雨音に、包丁と槌の規則正しい音が重なる。じきに鍋や蒸篭から立ち上る良い香りの湯気が漂い始めた。
フルルカは宙を仰ぎくんくん。
「良い香りだー♪ この匂い、エーミお得意のシチューだなっ」
「正解ー♪ でももう少し待って、じっくり煮込まないとね」
「美味しい食事のためならいくらでも待つぞっ」
「はいはい」
エーミは眉尻を下げ微笑む。
料理は楽しい。
けれど完成を心待ちにしてくれている人がいれば、楽しさもやる気も格段に跳ね上がるというものだ。
「ふああぁ……っ! 動物さん饅頭だー!」
テーブルに出揃った品々を前に、フルルカは胸の前で両手を組んだ。
湯気が立ち上る鍋いっぱいの、鶏もも肉を使ったホワイトシチュー。
菜園で採れた新鮮野菜のサラダには、エーミお手製のさっぱりジュレドレッシングが宝石のように輝く。
他にも、飾り切りしたフルーツをあしらったプリンに、シナモン香るアップルパイ。どれもこれもふたりの好きな物ばかりだ。
そしてエーミが蒸篭の蓋を取ると、中から現れたのはフルルカの大好物。可愛らしい桃や動物の形をした、様々なお饅頭の数々だった。甘い香りもさることながら、その見目がとにかく愛らしい。
「パンダさんだー! こっちにはヒヨコさんも!」
「パンダは胡麻餡入り、ネコは胡桃餡入り、パルムは干し椎茸入りの肉饅で、ヒヨコはカスタード入りよ」
「可愛いのだ……食べるのが勿体な、熱ッ!」
「慌てないで、沢山あるから」
早速手を伸ばして引っ込めたフルルカの指に、エーミはふーっと息をかけてやる。傍目にまるで姉妹のようだ。
「それじゃあ、いただきまーす!」
「召し上がれ♪」
フルルカはエーミが取り分けてくれた皿を次々に空にしながら、せわしなく口を動かす。
「んむ……でな、迷宮の仕掛けには、もぐもぐ……符術を使ったら面白いと思って、あむ」
「食べるのか喋るのかどちらかにしたらどう?」
「どっちもしたいのだっ! もぐ……で、ラッキーマスでは胡蝶符で蝶を舞わせたら可愛いと思うのだ」
「それは華やかー……って、それ攻撃スキルよね?」
「むう。あとは分かれ道で禹歩を使って、占いイベントを発生させるとかーあむあむ」
「あ、楽しそう♪」
「だろう? 嗚呼、夏が楽しみ……ごほっ!」
「ほらぁ、だから言ったじゃないのっ」
てんやわんやありつつも、ふたりの食事会は和やかに進み。
「ふー、もう食べられないぞっ。たんまり腹ごしらえが出来るのは幸せなことなのだ」
はち切れそうなおなかをぽふぽふ撫でるフルルカ。けれど、エーミは冷蔵庫から二段重ねのケーキを取り出した。
「困ったわ、まだメインのデザートが残ってるのに」
「食べるっ! 甘い物は別腹だからなっ」
フルルカ、即答。
「お饅頭もパイも甘かったと思うんだけど」
くすくす笑い合いながら、豪華なケーキにロウソクを飾っていく。部屋の明かりを消して炎を灯せば、雨模様で薄暗い部屋はたちまち幻想的な空間に早変わり。
「遅くなったけど、お誕生日おめでとう、フルルカさん」
「エーミもおめでとうだ、これからもよろしく頼むぞっ」
ちょっとだけ改まって、お祝いの言葉を言い合って。ふたりは揃って顔を寄せると、ふーっと炎を吹き消した。
後に残ったのは、温かな薄闇と溶けたロウの香り。一瞬遅れて、ふたりの拍手と歓声が室内に響いた。
――やっぱりお友達っていいなぁ。引き換え、うちのダラでぼっちなダメ主ときたら。
物陰にこっそり隠れていたパー子。暗闇に乗じて桃饅をひとつ失敬すると、代わりにそっとチョコを置き、再び雨の中へ飛び出して行った。
●けぶる街と番傘
和傘をおともにふらふら歩くパー子は、気付けばとあるハンターオフィスのそばへ来ていた。
足早に行き交う人々の中にも、覚醒者と思しき気配が多くある。
(さて、誰について行こう)
辺りを見回したパー子は、こちらへ向かい歩いてくるひとりの女性に目を奪われた。
すらりと伸びた長身、真っ直ぐ伸びた射干玉の黒髪。
その身に纏うは凛々しい着物。
長剣を佩いたその姿は、まるで絵巻物から飛び出してきた東方の侍のよう。
ぱりっと紅い番傘がなんとも言えず良く似あう。
パー子、思わずガン見。
そうとは知らない件の彼女。
番傘を戯れに回し、真新しい油紙の匂いを胸に吸い込んだ。
「ああ、悪くない」
通りがかった店の窓に、彼女の姿が映り込む。濡れて滲んだ景色の中、紅い番傘がくっきり浮かび上がっている。
「うむ、この色合い。雨で煙った街並みに、鮮やかな赤は映える」
満足げに頷くと、ついでに指先でさっと前髪を整えた。そんな己の無意識の行動に気付くと、ちょっぴり気恥ずかしそうに咳ばらいをひとつ。
「近場の依頼斡旋所で、先達の活躍を記した書類の写しでも貰ってくるかな」
少し赤らんだ頬で、早口にひとりごちて歩き始めた。
(この女侍さん、凛々しいのにやたら可愛いッ!)
何やらツボにはまったパー子が悶絶していると、ふと傘を打つ雨がやんでいるのに気付いた。見上げると、こちらに傘を差しかけている例の女侍さんが。
「!!」
「先程から視線を感じると思えば……『ぱるむ』とかいう精霊か」
(アヤシイものじゃないんです、ちょっと見惚れてただけですっ!)
パー子、必死で身振り手振り。
「たしか、この世界の記録を司っている存在だったな」
首がもげんばかりの勢いで頷きまくっていると、彼女は剣を扱っているとは思えないほど優しい手つきで、パー子のタグに触れる。
「これは、名札? ――パー子……玲……ふむ。お前、ひょっとして迷子なのか?」
(うっ。これは一体どう答えたらっ)
ガン見していたパー子、バツの悪さからたじたじになる。それを困り果てているものと思ったか、彼女は頼もしい笑みでパー子に手を差し伸べた。
「よし、わかった。私が玲殿とやらを共に探そう」
パー子、目をぱちくり。
「なに、気にすることは無い。困っている人間……いや、この場合は精霊か。それを助けるのは、ヒトとして当然のことだ」
パー子が侍のようだと感じたのは、あながち間違いではなかったようだ。彼女は侍のごとき義侠心を内に秘めていたのだから。
力強い言葉に誘われ、傘を畳んで彼女の掌にお邪魔した。彼女は掌にちょこんと乗ったパー子をしげしげ眺める。
「その小さな傘は、玲殿が拵えてくれたのか?」
パー子は首をぶんぶん。
(あのがさつな主には、こんな繊細な物作れないッ)
その勢いに彼女はくすりと笑みを零す。
「そうか、でもとても可愛らしい和傘だな。私の傘とお揃いだ……もっとも、私の方はふらりと寄った店で見惚れ、ついつい購入してしまった物だが」
(この番傘もとっても素敵)
そんな思いを込めてパー子が傘を指さすと、彼女の唇がもう一度緩んだ。
「ありがとう。さて行こうか」
言うと、彼女はそっとパー子を自らの頭の上に乗せてくれた。艶々の黒髪につるり滑って、咄嗟に髪を一筋掴んでしまう。けれど彼女は気にした風もない。
「背丈はそれなりに高い方だからな。私の頭の上なら遠くまで見渡せるだろう」
(ホントだ。女侍さんはいつもこんな景色を見てるのね)
腹ばいになって安定したパー子は、普段と違う高さの視点を満喫した。が、ここへ来てようやく彼女の名前を聞いていないことに気付く。尋ねたくともパー子は言葉が話せない。もだもだしていると、彼女が視線をあげた。
「ああ、そういえば名乗っていなかったな。私は閃(ka6912)、ひらめきと書いてセンだ」
まるで心を読んだかのようなタイミング、そして凛とした彼女にぴったりな名前。
パー子は何だか嬉しくなって、黒髪へ頬を擦りつけた。
「どこから探したものかな」
背の高い彼女の声が、おなかの下から響いてくる。パー子はその不思議な感覚を心地よく感じた。
「ぱるむを連れているのだから、玲殿ははんたぁか? では依頼斡旋所だろうか……いや、でもたしかお前はそちらから歩いて来たな」
真剣に思案してくれる閃に、パー子は段々申し訳なくなってくる。
実は迷子じゃないんです、ハンターさんウォッチングに来たんです、なんて、今更とても言い出せやしない。というか切り出す言葉さえ持っていない。
けれど閃は足許が濡れるのも構わずに、玲を探してくれている。
(どうしよう)
その時、ふっくら炊いた小豆の香りが鼻先を掠めた。見れば、傍らに落ち着いた佇まいの和菓子店が。
閃は動きを止めたパー子の視線を追い、店の存在に気付く。
「見たところ甘味処のようだが……ああ、なるほど。玲殿は甘いものが好きなのだな。こういう場所を探せば良いのか」
(あぁ、その洞察力流石っ! でもあのダラ主ここにはいないのっ)
パー子はまたぶんぶん頭を振ったが、閃は遠慮しているのだと思ったようで。気にせず店の中へ入っていった。
店内には甘い香りが立ち込めていて、喫茶スペースは若い女性で賑わっている。
閃はパー子を掌に下ろし、タグを見せながら店員やお客達に聞き込みをしていく。
「……そうか。どうもありがとう、手数をかけたな」
当然のことながら芳しい結果は得られず、視線を落とした閃の視界に、季節感いっぱいのお品書きが映った。
「尋ねてばかりでは何だな。パー子もひとつ、食べてみるか? 甘いものは私も好きでね。ご亭主、おすすめを幾つか見繕ってもらえないか」
(閃さん男前……女の人だけどっ!)
パー子、自らの立場も忘れ、腹の底から叫んだのだった。
窓硝子を叩く雨。けれどテーブルにちんまり座ったパー子は、あんみつを頬張り幸せいっぱい。
向かいには、葛餅を口に運ぶ閃がいる。
「うむ、程よい甘さだ」
パー子、こくこく。何だかもう本来の目的も申し訳なさも、甘味の力で押し流されていた。
「ほら、ついてるぞ」
なんて、口許を拭ってもらってまたにっこり。
食べきれず、残りを閃に引き受けてもらう頃には、すっかり大満足のパー子なのだった。
「……結局、玲殿は見つからなかったな。すまない、力になれなくて」
一先ずオフィスまでパー子を送って来てくれた閃、心底すまなさそうに頭を下げた。パー子はここへ来てようやく自らのしでかしたことを思い出す。腕によじよじよじ登り、申し訳なさを込めて、滑らかな頬を精一杯撫でる。そしてポーチからチョコを一枚取り出した。
「くれるのか?」
パー子、こくこく。ごめんなさいとありがとうの気持ちを込めて、優しい大きな掌に乗せた。
「すまない。気をつけてな」
(こちらこそ心配かけてごめんなさい。ご馳走様でした!)
パー子は深々一礼すると、閃をこれ以上心配させないよう元気いっぱい駆け出した。
●恋人達と恋の歌
分厚い雨雲の向こうで、陽が地平へ沈んだらしい。
濡れた路地には、仕事を終え癒しと屋根とを求める人々が流れる。色とりどりの傘は、濡れそぼる街に咲く花のよう。街灯の灯りを照り返し艶やかに照っていた。
パー子、店の軒先を借りて一休み。
もう帰ろうか。でももう一組くらいストーキング……もとい、見てみたい気もする。
と、目の前を、ひとつの傘に仲睦まじく収まった男女が行き過ぎる。
彼女の金の髪がなびき、少し背の高い彼の鼻先をくすぐった。彼は少し身を屈め、
「ん? アルカ、シャンプー変えたか?」
すると今度は彼の豊かに波打つ黒茶色の髪が彼女の頬を撫でる。
「なぁに? って、ラティ近……! くすぐったいよぉっ」
ころころ笑う年下の彼女に、
(……色気の無ぇ奴)
なんて彼は苦笑していたが、ガン見していたパー子は見逃さなかった。背けた彼女の頬がほんのり上気しているのを。
(これは行かねばなりますまい!)
パー子は謎の決意を固め、こっそりついて行くことにした。
パー子のストーキング対象となってしまった金髪の彼女はアルカ・ブラックウェル(ka0790)、ドワーフの割に長身の彼はラティナ・スランザール(ka3839)といった。
パー子はアルカの背中を見上げ首を傾げる。
(あれ? 彼女の方はどこかで見た事あるような――思い出した。エッグハントの時、お友達に『恋してるんじゃ?』と訊かれてたお姉さんだ!)
エッグハントは、春に主の玲が主催したイベントだ。様子を記録していたのは当然パー子である。一緒に参加した友人達から『綺麗になった』『恋してるんじゃ?』と追及され、真っ赤になっていたアルカをパー子は見ていたのだ。
(なるほどー、このお兄さんが例の……ふふふ♪)
にまにま緩む頬を押さえながら追っていくと、ふたりはある建物に入っていった。パー子は掲げられた看板を仰ぐ。
(吟遊詩人ギルド?)
聞き慣れぬ名前に、入ろうかどうしようか悩んでいると、程なくしてまたふたりが出てきた。再びひとつの傘を分け合って歩いて行く。
「丁度良い依頼があってよかったね」
(依頼?)
そういえば、彼の方はバイオリンケースを肩に下げている。ふたりの会話を聞くに、どうやら吟遊詩人ギルドとは、歌唱や演奏を生業とする者達へ音楽関係の仕事を紹介してくれる団体らしかった。彼女の方は歌い手で、古くはアオイドスやラプソドスと呼ばれた生業をしているらしい。パー子は丹念にメモを取る。
「酒場か。お前に悪い虫がつかねぇよう、しっかり目を光らせておかないとな」
言って、ラティナはアルカの横顔を熱っぽく見つめる。けれどアルカはきょとん。
「虫? ああ、最近暑くなってきたもんね」
「お前は何を言ってるんだ?」
「虫でしょ? 蚊とかイヤだよね」
「俺が言ってる虫の名は『酔っ払い』ってんだけどな?」
ようやく意味を飲み込んだアルカは耳まで真っ赤になり、
「やだなぁ、そんな事にはならないよっ」
「どうだか。俺の婚約者は美人だからな」
「~~~~ッ!」
アルカ、無言でラティナの背をばちんっ。それから真っ赤になった顔を両手でぱたぱた仰ぐ。
(やだもうこのカップル可愛いッ)
パー子が地面にごろごろ転がりそうになったのは言うまでもない。
そうして、夜の帳が降りた頃。
一軒の品の良い酒場には、力強いバイオリンの音色と、叙事詩を情感込めて歌い上げる少女の声が響いていた。この雨のせいか、はたまた戸口から溢れた楽の音に釣られて来たか、客席はカウンターまでほぼ満員。聴衆達はグラスを傾けながら、湿気た雨の日の終わりを、心地よい音楽に慰められているようだった。
勿論、店内の小さな舞台に立っているのは、少しめかしこんだアルカとラティナだ。
照明が控えられた店内で、燦々とライトを浴びるアルカは紛う事なき歌姫だ。時に声量を上げ凛々しく、時に囁くようにしっとりと、歌を、詞を、紡いでいく。
それを力強く受け止め、包み込むのはラティナのバイオリンだ。ドワーフらしい力強い旋律は、アルカの感情表現豊かな歌を得て更なる奥行きを生む。
カウンターの端にちんまり座ったパー子は、演奏もさる事ながら、初々しいふたりの所作にすっかり魅入ってしまっていた。
指揮者のいないふたりきりの演奏会。けれど想い合うふたりは、時折交わす僅かな視線で完璧に息を合わせ、見事な演奏を披露する。互いの眼差しが温かで信頼に満ちたものであろう事が、離れていても感じ取れるのだ。歌と音色を通し、睦言を交わしているようにさえ感じる。
曲の終わりを待って、通人らしい老人がマスターに話しかけた。
「あのふたり、若いがなかなかのものだねぇ」
「そうだろう? 吟遊詩人ギルドからの紹介でさ。彼女の方のご両親は名指しで請われる程の名人でね」
「ははぁ、サラブレッドって訳かい。彼の方も実に良い。ふたり揃って指名を受けるようになるのも直だろうなぁ、今のうちに懇意にしといた方が良いんじゃないのかい?」
「違いない」
笑い合うふたりの言葉に、パー子まで何だか嬉しくなった。
すると老人、すっと手を挙げた。
「リクエスト、宜しいかな?」
「はい、勿論!」
アルカの顔がぱぁっと輝く。期待されていなければ、リクエストなどあろうはずもないからだ。老人は茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「若いおふたりの奏でる恋の歌、是非聞かせて貰いたいんだがね」
その言葉でぼふっと赤くなるアルカに、客席からはやんややんやの大喝采。
「うう、あのお爺さん絶対分かって言ってるよぉ……どうする?」
小声で言って振り向いた彼女に、彼は大人びた色香を纏わせ眉を跳ね上げると、お客達に向き直る。
「ならとくと聴いてくれ。俺の故郷の村に伝わる、ある恋人達を謳った曲を」
そう言って銀の弦が奏で始めたのは、アルカも良く知る曲だった。休みの日、ラティナが幾度も弾き語って聴かせてくれた曲。
その歌の歌詞に出てくる恋人達は、丁度ふたりの境遇と似ていた。
幼馴染として育った男女。いつしか年下の彼女への想いに気付いた男は、天真爛漫な彼女の成長を見守った。成長した彼女は彼がずっと待ってくれていたことに気付き、彼の想いを受け入れるのだ。
何かを表現しようとする時、てきめんに効果があることと言えば『経験する』ことだ。
ラティナはじっと彼女を待つ男の辛さと喜びを奏で、アルカは恋を知った乙女の温かな胸の震えを歌い上げる。いつしか二対の瑠璃の瞳は互いだけを映し、並んで歩んできた時間、今共にある幸福を乗せ、古の恋歌を奏できった。
音の余韻が潰えると、今日一番の拍手がふたりを包んだ。アルカとラティナは互いに上気した頬で、にっこりと微笑み合う。
その拍手が、演奏を讃えるだけでなく若いふたりを祝福したものであることは、幼いパー子にも充分に感じ取れた。勢いに乗り、こっそりついてきた事も忘れ、カウンターの上でぴょこぴょこ跳ねる。と、ラティナと目が合った気がして慌てて伏せた。
それから歓声が収まった頃、パー子はマスターを掴まえチョコを渡した。身振り手振りで、『あの素敵なお歌のおねえさんへ』と伝えると、マスターは委細承知とにっこり。
パー子はまだ高鳴っている心臓を押さえながら、そうっと店を後にした。
●雨の日の駄主
そして。パー子が玲の部屋へ戻ってくると、室内は出かける前の何倍も取っ散らかっていた。
読みかけの本山積み。菓子の包み紙散乱。脱ぎ捨てた服が床で幅を利かせている。
溜息を零したパー子に、気付いた玲がベッドの中から手を振る。
「あれぇ、おかえりパー子ちゃん。どこ行ってたの? ねー、僕の買い置きのチョコが四、五枚足りない気がするんだけど知らなーい?」
パー子はもう一度深々息を吐くと、服を拾い始めた。
(恋人なんて贅沢言わないから、休日に一緒に出掛ける友達くらい作ったらどうなのよー)
そんな事を心の中でぼやきながら。
こんもり茂る森のほど近く。
パルムのパー子は、この雨にすっかり参ってしまっていた。
桜色のワンピースは湿って重くなる一方。思えば訪ねるあてもない。
濡れたズックを引きずって木陰伝いを歩いて行くと、行く手に一軒の家が現れた。
パー子にとっては見慣れぬ建物。なのになんとなく懐かしい気にさせるその家は――リアルブルー出身の主・玲がいたならこう言っただろう。
『日本家屋だよ』と。
パー子はそぅっと門を潜ると、縁側へ駆け寄った。
「むむ、雨ですかー……困りましたねぇ」
寄るなりからりと掃き出し窓が開き、パー子は慌てて縁の下へ滑り込む。
床板越しにのんびりとした少女の声が降る。感覚を研ぎ澄ませ探ると、家にあるヒトの気配はひとつきり。どうやらこの少女が家の主であるらしい。
「洗濯物も乾きにくいですしー、本を読むにも紙が湿気を吸いそうですしー」
どうやら少女もあまり雨が好きではないようだ。親近感を覚えつつ、服の裾をぎゅと絞った。
少女が部屋を振り返る気配がする。さらりと衣擦れ。
「あ、折角だから縫い物でもしましょうかぁ。そろそろ新しい簪袋も作りたいと思ってましたしねぇ」
まあ素敵、それは是非見学させてもらいましょ。
そう決め込んでパー子が振り向いた時だ。
暗がりで煌々と光る一対の瞳と眼が合った。
――猫だ!
「~~ッ!?」
人間にとっては可愛らしい小動物でも、小さなパルムにとっては俊敏な獣である。
逃げようとしたがむんずと首根っこを咥えられてしまい、パー子はもう大パニック。
「お外へ出てしまったんですかー?」
愛猫を呼ぶ少女の声も、パー子の耳には入らない。
じたばたしている内に縁の下から連れ出され、ぎゅっと閉じた瞼越しに光を感じた。そして――
「あらぁ? 何を咥えて……え、パルムさん? ちょっと待ってくださいねぇ」
ややあって、柔らかな布に包まれる感触がした。
恐る恐る瞼を開くと、透明感溢るるエルフの少女のかんばせが目の前にあった。
「!!」
「怖くありませんよぅ。私は氷雨 柊(ka6302)といいます、ハンターなんですよぅ?」
幼いパー子はまだ喋れない。こくこく頷いて見せる。
「この雨で濡れてしまったんですねぇ、しっかり拭かないと風邪ひいてしまいますよぅ? ……パルムさんも風邪、ひくのかしらー?」
その面差しは背景を透かしてしまいそうに儚気で美しいのに、かくりと小首を傾げる仕草はどこか幼く愛らしくて。瞬きする度、紫水晶の瞳が濡れたように煌めいた。
不躾とは知りつつ、パー子は拭いてもらっている間、彼女や部屋の中をじっくり観察する。
自分を拭う為前屈みになった柊。長い髪が肩からさらさらと零れて、まるで銀の雨のよう。
きちんと着付けた和装姿は清楚で、ほんわりした雰囲気なのに背筋がしゃんと伸びている。
足元にはよく掃き清められた青畳。藺草の清々しい香りがする。
ふと気付けば、棚の上で真っ白な猫が丸まっていた。さっきパー子を捕まえた猫だ。パー子の視線に気付くと尾を一振りし、くぁっと欠伸をひとつした。
「あら、これはぁ」
柊の細い指が伸びて来て、ネームタグに触れた。
「パー子さん、ですかぁ。可愛いお名前ですー」
ああぁ見られた! この恥ずかしい名前見られたっ!
パー子は真っ赤になったが、柊はからかう素振りもなくにこにこと服を整えてくれる。手拭いで丁寧に水気を拭われた桜色のワンピースは、元通りふわりと広がった。嬉しくなってパー子はくるくる回る。
「ふふ。季節外れですけれど、そのワンピースを着ていると桜の妖精さんみたいですねぇ」
パー子、さらにくるくる。
その様子に目を細めながら、柊は脱がせたパー子のズックに紙を丸めて詰め、乾かしてくれた。
お礼に何か手伝おうと、パー子は勇ましく腕まくりして見せる。
「お手伝いしてくれるんですかぁ? 迷子ではなさそうだけれど、そもそもどうしてここまで来たんでしょうかぁ……? おうちの方、心配してませんかぁ?」
その問いに答えられる程の言葉を持たないパー子は、やる気を身振り手振りでアピール。柊は思わず吹き出した。
「ふふ、ありがとうございますぅ。……ええと、でも私、何をしようとしてたんだったかしらー?」
ぱちくりと目を瞬く柊に、パー子もぱちくり。おっとりさんであるらしい。
「やりかけの刺繍も進めて、台所の掃除もして、そろそろお菓子も作りたいし……あらー? 意外とやることが沢山……」
あらま本当に沢山。パー子もどうしたものかと首を捻ったが、その時裁縫箱が目に留まった。とてとて走っていくと、柊もぽてぽてついてくる。そして、
「ああ、簪袋を作ろうと思ってたんでしたぁ! パー子さんもやってみますかぁ?」
ちょっと難しそうだけど、糸通しなら任せてと、パー子は胸を叩いた。
ちくちくちく、すぃー。
しとしと、ぽたぽた。
ちくちく……すぃー。
すぅ、すぅ。
針仕事の音、雨垂れの音、白猫の寝息。
些細な音の集まりは不思議と穏やかに調和して、室内を満たしている。
針を握ると言うより抱えたパー子は、ちらっと柊の横顔を見上げた。
ともすれば気付かぬほどの何気ない音達が、こうして心地よく響き合うのは、ひとえにこの家の主――柊の性質故かもしれないなんて、こっそり思ったのだった。
そうして簪袋が完成した時には、ズックもすっかり乾いていた。居心地の良さに後ろ髪ひかれつつも、パー子は新たなハンターを求め出発する事にする。
「そろそろ行くんですねー? ならこれをどうぞ」
そう言って柊が差し出したのは――小さなパー子にぴったりの、小さな小さな和傘。傘と柊とを交互に見つめるパー子に、紫の双眸が細まる。
「少し前に暇だったので作ったのですけれど、ちゃんと油紙で折ったので多少は雨を凌げますよぅ」
パー子は両手を叩いて喜ぶと、早速傘を開いてみた。ぴったりサイズの傘なんて初めてで嬉しくて、ぴょこぴょこ飛び跳ねる。それからハッとして、ポーチからチョコを一枚取り出した。
「あらあら、お気遣いなくですよぅ。……でも、折角ですからいただきますねぇ。ありがとうパー子さん」
柊はパー子の頭をひと撫ですると、再び掃き出し窓を開けた。
「濡れて帰ったら心配されちゃいますから、気をつけて帰ってくださいねぇ」
まだ帰らないけど、頑張ってそうするね。言葉にはできなかったけれど、感謝の気持ちをいっぱい込めて、パー子は深く深くぺこり。何度も振り返って手を振りながら、雨の中へ飛び出して行った。
●迷宮と桃饅と
「……あらあら」
自らの菜園に足を踏み入れたエーミ・エーテルクラフト(ka2225)は、その中にででんと広がる見慣れぬものに目を瞬いた。
呆気にとられる彼女の傘の表で、雨粒がぽつぽつ踊る。
ハンターとしての依頼の他、心惹かれるものがあると、つい出かけたきり戻らない事がある彼女。
そう、それが私の悪いクセ……なんて自覚はあるのだが。
いや、あるからこそ、留守番を友人に頼んでいた。
頼んでいたがどうしてこうなった。
荷物を抱え直し、見慣れないそれへ近づいてみる。柔らかな地面を踏みしめる度、濡れた土の匂いが立ち上った。
彼女の目の前に広がっているもの。
それは、菜園の広い敷地を活かして作られた、巨大な迷宮になると思しき何かだった。
なると思しき、と曖昧な表現をするのは、それが未完成だから。
人の背丈ほどに組まれた竹枠。その傍にはトマト、キュウリ、ナス、ヘチマなど、まだ背の低い苗が植わっている。夏の盛りにこれらが成長した暁には、竹枠に絡んで茂り、迷宮の壁のようになるのだろう。
その竹枠の間を見れば、作りかけの小屋の土台がぽこぽこ並んでいる。
「これは迷宮というより、えーっと」
エーミ、幼い頃にリアルブルーで視聴したテレビの記憶を掘り起こす。
「リアルブルーの懐かしの番組で見たことあるかも……?」
人間がコマとなって動く、巨大双六のようなものを見たことがあるような、ないような。
和傘を差してこっそりエーミの後をついてきたパー子は、それの詳細をエーミの呟きごとメモに書き留めた。
と、その時。
「ようやく帰ってきたかー!」
溌溂とした声に振り向けば、菜園を見渡せる位置に設けたログハウスの入り口で、華奢な少女が手を振っている。巫女装束に身を包んだ年下の彼女は――
「フルルカさん!」
名を呼ばれたフルルカ(ka5839)は、どやぁっと胸を張る。
「今回はまた随分長い留守だったな。その間にわたしがイイモノを作っておいたぞ!」
「ええ、悪かったわね任せきりで。でもお陰で良いレシピが手に入ったわ。……で。あれは一体何かしら?」
ハウスに辿り着いたエーミは、傘の雫を払いながら例のアレを振り返る。フルルカはタオルを手渡しながら、再びどやぁっと笑みを閃かせた。
「ボードゲームというやつをリアルにした感じかの。皆で楽しめる迷宮を作ろうと思ってな!」
やっぱり。
あんまり楽しそうな顔に、エーミはつい悪戯したくなる。顎に指を当て、んーっと小首を傾げて見せた。
「でも確かあの辺りには、ハーブが沢山植えてあったと思うんだけどぉ……?」
ツと細まった黒耀の瞳に、フルルカわたわた。
「ちゃ、ちゃんと別の場所へ植え直したよっ。皆根付いて元気にしてるんだよっ!」
口調が歳相応な可愛らしいものになり、窺うようにエーミを上目遣いに見やる。
「……勝手に移動させちゃ、だめだったかな……?」
しょぼんと垂れた眦に、エーミはくすっと笑って抱えてきた荷物を見せた。
「冗談よ、お世話してくれて大助かり。それに楽しいことは大好きよ。ほら、お礼しようと思って沢山調達してきたの」
次々に取り出されたのは、小麦粉や果実や、根菜や新鮮な鶏肉……挙げきれないほどの食材の数々だ。
「うわあ♪」
フルルカの瞳がきらきら輝く。
「フルルカさんも私も今月誕生日でしょう? 長い間留守番させちゃったお詫びとお礼を兼ねて、ちょっと遅いけどお祝いといきましょう」
一通り雫を拭ったエーミは、気に入りのエプロンを取り出しきゅっと腰紐を結わく。裾を華麗に翻すと、調理台の前でぴっと人差し指を立てた。
「エーミ・エーテルクラフトの魔法、みせてあげるわ♪」
「待っておったぞー!」
フルルカ、諸手を上げて大喝采。
エーミの魔法。
それは、料理で人を笑顔にすることだ。
旅の魔術師に弟子入りし、様々な土地を巡ってきた彼女。それは魔術を磨くためのものであったが、同時に各地の調理法や食材に関する知識を貪欲に吸収してきた。
彼女には、様々な食材を手間暇かけて一皿に昇華させる料理こそが、魔法のように感じられたのだった。
確かな知識と技術で生み出す一品。口にした者は、皆自然と笑顔になる。
それこそが、エーミ・エーテルクラフトが操る魔法なのだ。
早速エーミは、まな板と包丁で小気味よいリズムを刻んでいく。
「ならばわたしは、迷宮の仕掛け作りをしようではないかー!」
フルルカも木材やトンカチを持ち出しトンテンカン。
屋内でもできる細々したパーツを作りにかかった。
菜園に降る不規則な雨音に、包丁と槌の規則正しい音が重なる。じきに鍋や蒸篭から立ち上る良い香りの湯気が漂い始めた。
フルルカは宙を仰ぎくんくん。
「良い香りだー♪ この匂い、エーミお得意のシチューだなっ」
「正解ー♪ でももう少し待って、じっくり煮込まないとね」
「美味しい食事のためならいくらでも待つぞっ」
「はいはい」
エーミは眉尻を下げ微笑む。
料理は楽しい。
けれど完成を心待ちにしてくれている人がいれば、楽しさもやる気も格段に跳ね上がるというものだ。
「ふああぁ……っ! 動物さん饅頭だー!」
テーブルに出揃った品々を前に、フルルカは胸の前で両手を組んだ。
湯気が立ち上る鍋いっぱいの、鶏もも肉を使ったホワイトシチュー。
菜園で採れた新鮮野菜のサラダには、エーミお手製のさっぱりジュレドレッシングが宝石のように輝く。
他にも、飾り切りしたフルーツをあしらったプリンに、シナモン香るアップルパイ。どれもこれもふたりの好きな物ばかりだ。
そしてエーミが蒸篭の蓋を取ると、中から現れたのはフルルカの大好物。可愛らしい桃や動物の形をした、様々なお饅頭の数々だった。甘い香りもさることながら、その見目がとにかく愛らしい。
「パンダさんだー! こっちにはヒヨコさんも!」
「パンダは胡麻餡入り、ネコは胡桃餡入り、パルムは干し椎茸入りの肉饅で、ヒヨコはカスタード入りよ」
「可愛いのだ……食べるのが勿体な、熱ッ!」
「慌てないで、沢山あるから」
早速手を伸ばして引っ込めたフルルカの指に、エーミはふーっと息をかけてやる。傍目にまるで姉妹のようだ。
「それじゃあ、いただきまーす!」
「召し上がれ♪」
フルルカはエーミが取り分けてくれた皿を次々に空にしながら、せわしなく口を動かす。
「んむ……でな、迷宮の仕掛けには、もぐもぐ……符術を使ったら面白いと思って、あむ」
「食べるのか喋るのかどちらかにしたらどう?」
「どっちもしたいのだっ! もぐ……で、ラッキーマスでは胡蝶符で蝶を舞わせたら可愛いと思うのだ」
「それは華やかー……って、それ攻撃スキルよね?」
「むう。あとは分かれ道で禹歩を使って、占いイベントを発生させるとかーあむあむ」
「あ、楽しそう♪」
「だろう? 嗚呼、夏が楽しみ……ごほっ!」
「ほらぁ、だから言ったじゃないのっ」
てんやわんやありつつも、ふたりの食事会は和やかに進み。
「ふー、もう食べられないぞっ。たんまり腹ごしらえが出来るのは幸せなことなのだ」
はち切れそうなおなかをぽふぽふ撫でるフルルカ。けれど、エーミは冷蔵庫から二段重ねのケーキを取り出した。
「困ったわ、まだメインのデザートが残ってるのに」
「食べるっ! 甘い物は別腹だからなっ」
フルルカ、即答。
「お饅頭もパイも甘かったと思うんだけど」
くすくす笑い合いながら、豪華なケーキにロウソクを飾っていく。部屋の明かりを消して炎を灯せば、雨模様で薄暗い部屋はたちまち幻想的な空間に早変わり。
「遅くなったけど、お誕生日おめでとう、フルルカさん」
「エーミもおめでとうだ、これからもよろしく頼むぞっ」
ちょっとだけ改まって、お祝いの言葉を言い合って。ふたりは揃って顔を寄せると、ふーっと炎を吹き消した。
後に残ったのは、温かな薄闇と溶けたロウの香り。一瞬遅れて、ふたりの拍手と歓声が室内に響いた。
――やっぱりお友達っていいなぁ。引き換え、うちのダラでぼっちなダメ主ときたら。
物陰にこっそり隠れていたパー子。暗闇に乗じて桃饅をひとつ失敬すると、代わりにそっとチョコを置き、再び雨の中へ飛び出して行った。
●けぶる街と番傘
和傘をおともにふらふら歩くパー子は、気付けばとあるハンターオフィスのそばへ来ていた。
足早に行き交う人々の中にも、覚醒者と思しき気配が多くある。
(さて、誰について行こう)
辺りを見回したパー子は、こちらへ向かい歩いてくるひとりの女性に目を奪われた。
すらりと伸びた長身、真っ直ぐ伸びた射干玉の黒髪。
その身に纏うは凛々しい着物。
長剣を佩いたその姿は、まるで絵巻物から飛び出してきた東方の侍のよう。
ぱりっと紅い番傘がなんとも言えず良く似あう。
パー子、思わずガン見。
そうとは知らない件の彼女。
番傘を戯れに回し、真新しい油紙の匂いを胸に吸い込んだ。
「ああ、悪くない」
通りがかった店の窓に、彼女の姿が映り込む。濡れて滲んだ景色の中、紅い番傘がくっきり浮かび上がっている。
「うむ、この色合い。雨で煙った街並みに、鮮やかな赤は映える」
満足げに頷くと、ついでに指先でさっと前髪を整えた。そんな己の無意識の行動に気付くと、ちょっぴり気恥ずかしそうに咳ばらいをひとつ。
「近場の依頼斡旋所で、先達の活躍を記した書類の写しでも貰ってくるかな」
少し赤らんだ頬で、早口にひとりごちて歩き始めた。
(この女侍さん、凛々しいのにやたら可愛いッ!)
何やらツボにはまったパー子が悶絶していると、ふと傘を打つ雨がやんでいるのに気付いた。見上げると、こちらに傘を差しかけている例の女侍さんが。
「!!」
「先程から視線を感じると思えば……『ぱるむ』とかいう精霊か」
(アヤシイものじゃないんです、ちょっと見惚れてただけですっ!)
パー子、必死で身振り手振り。
「たしか、この世界の記録を司っている存在だったな」
首がもげんばかりの勢いで頷きまくっていると、彼女は剣を扱っているとは思えないほど優しい手つきで、パー子のタグに触れる。
「これは、名札? ――パー子……玲……ふむ。お前、ひょっとして迷子なのか?」
(うっ。これは一体どう答えたらっ)
ガン見していたパー子、バツの悪さからたじたじになる。それを困り果てているものと思ったか、彼女は頼もしい笑みでパー子に手を差し伸べた。
「よし、わかった。私が玲殿とやらを共に探そう」
パー子、目をぱちくり。
「なに、気にすることは無い。困っている人間……いや、この場合は精霊か。それを助けるのは、ヒトとして当然のことだ」
パー子が侍のようだと感じたのは、あながち間違いではなかったようだ。彼女は侍のごとき義侠心を内に秘めていたのだから。
力強い言葉に誘われ、傘を畳んで彼女の掌にお邪魔した。彼女は掌にちょこんと乗ったパー子をしげしげ眺める。
「その小さな傘は、玲殿が拵えてくれたのか?」
パー子は首をぶんぶん。
(あのがさつな主には、こんな繊細な物作れないッ)
その勢いに彼女はくすりと笑みを零す。
「そうか、でもとても可愛らしい和傘だな。私の傘とお揃いだ……もっとも、私の方はふらりと寄った店で見惚れ、ついつい購入してしまった物だが」
(この番傘もとっても素敵)
そんな思いを込めてパー子が傘を指さすと、彼女の唇がもう一度緩んだ。
「ありがとう。さて行こうか」
言うと、彼女はそっとパー子を自らの頭の上に乗せてくれた。艶々の黒髪につるり滑って、咄嗟に髪を一筋掴んでしまう。けれど彼女は気にした風もない。
「背丈はそれなりに高い方だからな。私の頭の上なら遠くまで見渡せるだろう」
(ホントだ。女侍さんはいつもこんな景色を見てるのね)
腹ばいになって安定したパー子は、普段と違う高さの視点を満喫した。が、ここへ来てようやく彼女の名前を聞いていないことに気付く。尋ねたくともパー子は言葉が話せない。もだもだしていると、彼女が視線をあげた。
「ああ、そういえば名乗っていなかったな。私は閃(ka6912)、ひらめきと書いてセンだ」
まるで心を読んだかのようなタイミング、そして凛とした彼女にぴったりな名前。
パー子は何だか嬉しくなって、黒髪へ頬を擦りつけた。
「どこから探したものかな」
背の高い彼女の声が、おなかの下から響いてくる。パー子はその不思議な感覚を心地よく感じた。
「ぱるむを連れているのだから、玲殿ははんたぁか? では依頼斡旋所だろうか……いや、でもたしかお前はそちらから歩いて来たな」
真剣に思案してくれる閃に、パー子は段々申し訳なくなってくる。
実は迷子じゃないんです、ハンターさんウォッチングに来たんです、なんて、今更とても言い出せやしない。というか切り出す言葉さえ持っていない。
けれど閃は足許が濡れるのも構わずに、玲を探してくれている。
(どうしよう)
その時、ふっくら炊いた小豆の香りが鼻先を掠めた。見れば、傍らに落ち着いた佇まいの和菓子店が。
閃は動きを止めたパー子の視線を追い、店の存在に気付く。
「見たところ甘味処のようだが……ああ、なるほど。玲殿は甘いものが好きなのだな。こういう場所を探せば良いのか」
(あぁ、その洞察力流石っ! でもあのダラ主ここにはいないのっ)
パー子はまたぶんぶん頭を振ったが、閃は遠慮しているのだと思ったようで。気にせず店の中へ入っていった。
店内には甘い香りが立ち込めていて、喫茶スペースは若い女性で賑わっている。
閃はパー子を掌に下ろし、タグを見せながら店員やお客達に聞き込みをしていく。
「……そうか。どうもありがとう、手数をかけたな」
当然のことながら芳しい結果は得られず、視線を落とした閃の視界に、季節感いっぱいのお品書きが映った。
「尋ねてばかりでは何だな。パー子もひとつ、食べてみるか? 甘いものは私も好きでね。ご亭主、おすすめを幾つか見繕ってもらえないか」
(閃さん男前……女の人だけどっ!)
パー子、自らの立場も忘れ、腹の底から叫んだのだった。
窓硝子を叩く雨。けれどテーブルにちんまり座ったパー子は、あんみつを頬張り幸せいっぱい。
向かいには、葛餅を口に運ぶ閃がいる。
「うむ、程よい甘さだ」
パー子、こくこく。何だかもう本来の目的も申し訳なさも、甘味の力で押し流されていた。
「ほら、ついてるぞ」
なんて、口許を拭ってもらってまたにっこり。
食べきれず、残りを閃に引き受けてもらう頃には、すっかり大満足のパー子なのだった。
「……結局、玲殿は見つからなかったな。すまない、力になれなくて」
一先ずオフィスまでパー子を送って来てくれた閃、心底すまなさそうに頭を下げた。パー子はここへ来てようやく自らのしでかしたことを思い出す。腕によじよじよじ登り、申し訳なさを込めて、滑らかな頬を精一杯撫でる。そしてポーチからチョコを一枚取り出した。
「くれるのか?」
パー子、こくこく。ごめんなさいとありがとうの気持ちを込めて、優しい大きな掌に乗せた。
「すまない。気をつけてな」
(こちらこそ心配かけてごめんなさい。ご馳走様でした!)
パー子は深々一礼すると、閃をこれ以上心配させないよう元気いっぱい駆け出した。
●恋人達と恋の歌
分厚い雨雲の向こうで、陽が地平へ沈んだらしい。
濡れた路地には、仕事を終え癒しと屋根とを求める人々が流れる。色とりどりの傘は、濡れそぼる街に咲く花のよう。街灯の灯りを照り返し艶やかに照っていた。
パー子、店の軒先を借りて一休み。
もう帰ろうか。でももう一組くらいストーキング……もとい、見てみたい気もする。
と、目の前を、ひとつの傘に仲睦まじく収まった男女が行き過ぎる。
彼女の金の髪がなびき、少し背の高い彼の鼻先をくすぐった。彼は少し身を屈め、
「ん? アルカ、シャンプー変えたか?」
すると今度は彼の豊かに波打つ黒茶色の髪が彼女の頬を撫でる。
「なぁに? って、ラティ近……! くすぐったいよぉっ」
ころころ笑う年下の彼女に、
(……色気の無ぇ奴)
なんて彼は苦笑していたが、ガン見していたパー子は見逃さなかった。背けた彼女の頬がほんのり上気しているのを。
(これは行かねばなりますまい!)
パー子は謎の決意を固め、こっそりついて行くことにした。
パー子のストーキング対象となってしまった金髪の彼女はアルカ・ブラックウェル(ka0790)、ドワーフの割に長身の彼はラティナ・スランザール(ka3839)といった。
パー子はアルカの背中を見上げ首を傾げる。
(あれ? 彼女の方はどこかで見た事あるような――思い出した。エッグハントの時、お友達に『恋してるんじゃ?』と訊かれてたお姉さんだ!)
エッグハントは、春に主の玲が主催したイベントだ。様子を記録していたのは当然パー子である。一緒に参加した友人達から『綺麗になった』『恋してるんじゃ?』と追及され、真っ赤になっていたアルカをパー子は見ていたのだ。
(なるほどー、このお兄さんが例の……ふふふ♪)
にまにま緩む頬を押さえながら追っていくと、ふたりはある建物に入っていった。パー子は掲げられた看板を仰ぐ。
(吟遊詩人ギルド?)
聞き慣れぬ名前に、入ろうかどうしようか悩んでいると、程なくしてまたふたりが出てきた。再びひとつの傘を分け合って歩いて行く。
「丁度良い依頼があってよかったね」
(依頼?)
そういえば、彼の方はバイオリンケースを肩に下げている。ふたりの会話を聞くに、どうやら吟遊詩人ギルドとは、歌唱や演奏を生業とする者達へ音楽関係の仕事を紹介してくれる団体らしかった。彼女の方は歌い手で、古くはアオイドスやラプソドスと呼ばれた生業をしているらしい。パー子は丹念にメモを取る。
「酒場か。お前に悪い虫がつかねぇよう、しっかり目を光らせておかないとな」
言って、ラティナはアルカの横顔を熱っぽく見つめる。けれどアルカはきょとん。
「虫? ああ、最近暑くなってきたもんね」
「お前は何を言ってるんだ?」
「虫でしょ? 蚊とかイヤだよね」
「俺が言ってる虫の名は『酔っ払い』ってんだけどな?」
ようやく意味を飲み込んだアルカは耳まで真っ赤になり、
「やだなぁ、そんな事にはならないよっ」
「どうだか。俺の婚約者は美人だからな」
「~~~~ッ!」
アルカ、無言でラティナの背をばちんっ。それから真っ赤になった顔を両手でぱたぱた仰ぐ。
(やだもうこのカップル可愛いッ)
パー子が地面にごろごろ転がりそうになったのは言うまでもない。
そうして、夜の帳が降りた頃。
一軒の品の良い酒場には、力強いバイオリンの音色と、叙事詩を情感込めて歌い上げる少女の声が響いていた。この雨のせいか、はたまた戸口から溢れた楽の音に釣られて来たか、客席はカウンターまでほぼ満員。聴衆達はグラスを傾けながら、湿気た雨の日の終わりを、心地よい音楽に慰められているようだった。
勿論、店内の小さな舞台に立っているのは、少しめかしこんだアルカとラティナだ。
照明が控えられた店内で、燦々とライトを浴びるアルカは紛う事なき歌姫だ。時に声量を上げ凛々しく、時に囁くようにしっとりと、歌を、詞を、紡いでいく。
それを力強く受け止め、包み込むのはラティナのバイオリンだ。ドワーフらしい力強い旋律は、アルカの感情表現豊かな歌を得て更なる奥行きを生む。
カウンターの端にちんまり座ったパー子は、演奏もさる事ながら、初々しいふたりの所作にすっかり魅入ってしまっていた。
指揮者のいないふたりきりの演奏会。けれど想い合うふたりは、時折交わす僅かな視線で完璧に息を合わせ、見事な演奏を披露する。互いの眼差しが温かで信頼に満ちたものであろう事が、離れていても感じ取れるのだ。歌と音色を通し、睦言を交わしているようにさえ感じる。
曲の終わりを待って、通人らしい老人がマスターに話しかけた。
「あのふたり、若いがなかなかのものだねぇ」
「そうだろう? 吟遊詩人ギルドからの紹介でさ。彼女の方のご両親は名指しで請われる程の名人でね」
「ははぁ、サラブレッドって訳かい。彼の方も実に良い。ふたり揃って指名を受けるようになるのも直だろうなぁ、今のうちに懇意にしといた方が良いんじゃないのかい?」
「違いない」
笑い合うふたりの言葉に、パー子まで何だか嬉しくなった。
すると老人、すっと手を挙げた。
「リクエスト、宜しいかな?」
「はい、勿論!」
アルカの顔がぱぁっと輝く。期待されていなければ、リクエストなどあろうはずもないからだ。老人は茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「若いおふたりの奏でる恋の歌、是非聞かせて貰いたいんだがね」
その言葉でぼふっと赤くなるアルカに、客席からはやんややんやの大喝采。
「うう、あのお爺さん絶対分かって言ってるよぉ……どうする?」
小声で言って振り向いた彼女に、彼は大人びた色香を纏わせ眉を跳ね上げると、お客達に向き直る。
「ならとくと聴いてくれ。俺の故郷の村に伝わる、ある恋人達を謳った曲を」
そう言って銀の弦が奏で始めたのは、アルカも良く知る曲だった。休みの日、ラティナが幾度も弾き語って聴かせてくれた曲。
その歌の歌詞に出てくる恋人達は、丁度ふたりの境遇と似ていた。
幼馴染として育った男女。いつしか年下の彼女への想いに気付いた男は、天真爛漫な彼女の成長を見守った。成長した彼女は彼がずっと待ってくれていたことに気付き、彼の想いを受け入れるのだ。
何かを表現しようとする時、てきめんに効果があることと言えば『経験する』ことだ。
ラティナはじっと彼女を待つ男の辛さと喜びを奏で、アルカは恋を知った乙女の温かな胸の震えを歌い上げる。いつしか二対の瑠璃の瞳は互いだけを映し、並んで歩んできた時間、今共にある幸福を乗せ、古の恋歌を奏できった。
音の余韻が潰えると、今日一番の拍手がふたりを包んだ。アルカとラティナは互いに上気した頬で、にっこりと微笑み合う。
その拍手が、演奏を讃えるだけでなく若いふたりを祝福したものであることは、幼いパー子にも充分に感じ取れた。勢いに乗り、こっそりついてきた事も忘れ、カウンターの上でぴょこぴょこ跳ねる。と、ラティナと目が合った気がして慌てて伏せた。
それから歓声が収まった頃、パー子はマスターを掴まえチョコを渡した。身振り手振りで、『あの素敵なお歌のおねえさんへ』と伝えると、マスターは委細承知とにっこり。
パー子はまだ高鳴っている心臓を押さえながら、そうっと店を後にした。
●雨の日の駄主
そして。パー子が玲の部屋へ戻ってくると、室内は出かける前の何倍も取っ散らかっていた。
読みかけの本山積み。菓子の包み紙散乱。脱ぎ捨てた服が床で幅を利かせている。
溜息を零したパー子に、気付いた玲がベッドの中から手を振る。
「あれぇ、おかえりパー子ちゃん。どこ行ってたの? ねー、僕の買い置きのチョコが四、五枚足りない気がするんだけど知らなーい?」
パー子はもう一度深々息を吐くと、服を拾い始めた。
(恋人なんて贅沢言わないから、休日に一緒に出掛ける友達くらい作ったらどうなのよー)
そんな事を心の中でぼやきながら。
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趣旨・サポート確認卓 エーミ・エーテルクラフト(ka2225) 人間(リアルブルー)|17才|女性|魔術師(マギステル) |
最終発言 2017/07/02 19:30:10 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2017/07/02 02:42:02 |