或る日のことです。
　一台の馬車がある細道へ入ってゆきました。両側は切り立った崖が遠くまで続いていて、頭上に一筋の青空が見えるばかりの狭い道でございます。壁には、なにやら動物でも住んでいるのでございましょう、ぽつぽつと穴が空いており、それが道の端まで続いているのでございます。
　馬車はがたごとと道を進んでいきますと、前方に別の馬車が見えてまいりました。なんでも狭い道でございますから、馬車一台が通るのでやっとの道幅なのでございます。前にある馬車はどうやら動いておらず、立ち往生しているのです。御者の男はたまらず、声をかけましたが返事はありませんでした。ただ、男の声だけが不気味に尾を引いて消えてゆくのでございました。
　近くになってみますと、どうやらその馬車は幌も破れ風雨にさらされている様でした。男は訝しんで、馬車から降りて近づいてみたのでございます。腰の短刀に手をかけて、万が一に供えたのでございました。
　道の両側はとても高い崖でございます。いかに器用な山賊とはいえあの高さから飛び降りればただではすみません。それに壁に空いている穴も、足をかけるには少し具合の悪い高さにあるのでございます。
　男は馬車の前方に回り込んで、御者席を見たのでした。そこには、乾いて黒くなった夥しい血痕と、これまた赤黒い骨らしきものが転がっているのでございます。恐ろしくなって、破れた幌をちょっと持ち上げて積荷を確認しますと、なにか食料を運んでいたのでございましょう、饐えた匂いのする食料と、それにたかる小蝿がぶんぶんと飛び回っておりました。
　いよいよ、不穏なものを感じずにはおれません。男は、いま来た道を引き返すことにいたしました。
　せっせと馬の轡を持って方向転換にあくせくしていると、男の手元に影が落ちました。鳥でも飛んでいるのかしら、と男は上を見ましたが、ただ澄んだ青空が見えるばかりです。幸い、男の馬車は小ぶりでしたので、小回りがきくのですが、こんな時に限って、馬は大変興奮しているらしく、思う様に男の言うことをきかないのでした。
　男は、気にすることをやめて、馬を元来た方へ進める様に付け替えることだけに専念いたしました。それも終わって、ほっと一息、御者席に腰掛けた時でございます。再びあの影が落ちたのでした。男は周囲を見渡しますが、なにもいる気配はありません。
　本日の目的地への別の道程を考えつつ、馬車を発進させようとしましたが、しかしそれは叶いませんでした。
　黒い影が三度現れたと思いますと、それは男の胸を撃ち抜いてしまったのでございます。
　危機を察知した馬は大きく嘶きましたが、それももう一つの黒い影が馬の首を貫いたので、空気と血の溢れる音が地面を叩くばかりなのでした。
　二つの黒い影は、馬車の側に降り立つと、むしゃむしゃと男と馬の死骸を貪り始めたのでございます。
　それは、二体の狐でございました。ただ、毛並みは異様に萎びており、その眼光は死者の様に暗いのであります。
　やがて、その強靭な牙で肉を食べ終わると、幌と崖を器用に蹴って、崖に空いた穴の中へ帰ってゆくのでござました。

　ハンターオフィスの職員が今回の任務の内容を告げる。
「ある崖に囲まれた街道に住まう雑魔化した二体の狐を退治してください」
　その街道は、行商人の間で、近道として有名なのだそうだ。しかし、切り立った崖に囲われており、小ぶりな荷馬車しか通れないのである。
　雑魔の狐は、どこか別の場所で歪虚となったものが、ここへ住み着いたと思われる。
「この街道に平和を取り戻してください。できるなら、街道に置きっぱなしになっている馬車の撤去もお願いします。馬は貸与することもできますので、何卒宜しくお願いしますね」

　この日もやっぱり晴れていた。
　軽快な蹄の音を響かせて、ハンターたちは今回の依頼の現場へとたどり着く。眼前にある、崖に囲まれた細い一本道。そこに住まう雑魔と化した狐を退治するためだ。
「ここから先は徒歩で行こう」
　セレス・フュラー(ka6276)が、オフィスから貸与された馬から降りて言った。
「この道は近道らしいけど、楽しようとすると痛い目見るってことかね……にしたって、命まで取られるのは、授業料としては高すぎるけど」
　この道は、商人の間ではそこそこ知られた近道らしい。だが、この道を使ったために犠牲者が出てしまったのだ。
「行商が止まると、それをアテにしてる連中も含めて困るからな」
　ジャック・エルギン(ka1522)が、街道を眺めながらいった。
　細いだけの、単純な一本道である。
「一緒なら寂しくないわよね。いい子で待っていてちょうだい」
　リシャーナ(ka1655)は、馬たちを優しく撫でつつ、ここで待機するよう言い聞かせる。馬はリシャーナに答えるように、嬉しそうに一度ぶるりと震えた。
　馬を戦場に連れていくことはできない。もともとオフィスから貸与されたのは荷物の運搬用の馬で、戦闘に耐えうるそれではないのだ。
「では早速行きましょう。後始末もありますし」
　T-Sein(ka6936)は淡々と告げるが、彼女の離れる気配を察したのか、一頭の馬が名残惜しそうにその鼻先をザインに擦り付ける。
「大丈夫です。すぐに帰ってきますから、リシャーナ様のおっしゃったようにいい子で待っていてくださいね」
　ザインは柔らかな口調で、そっと機械の腕で馬の撫でてやるのだった。
「よし。それじゃ狐退治といこうじゃねえの」
　ジャックが、武具の最終確認をして戦場へ皆を促す。
　ここより先は雑魔の住まう、死へ至る細道。
　しかし、それは尋常の者にとってのこと。
　覚醒者たるハンターたちは朗らかな闘志を携えて、その道へ一歩踏み出した。

　細い街道の只中では頭上に青い空が一条見えるだけ。周囲の崖にあいた穴は、どこか覗き穴のような不気味なものがあった。
「アレが行方知れずになった馬車か。そろそろ気をつけようぜ」
　ジャックの声に警戒の色が強くなる。前方に、報告にあった馬車が見えたのだ。
　ボロボロになった幌、馬車の車輪は生きているようだ。だが、御者と牽引してきた馬の血がべっとりと付いていて、それは最早、日常的な道具ではなく非日常の残骸としか見えなかった。
　あと、１０メートル。それだけ進めば馬車にたどり着く。それはすなわち、敵の殺傷圏に入ったと言うこと。
　崖に囲まれたこの道には音も届かない。鳥すら、飛ばない。あるのは、ハンターと未だ姿を現さない二体の狐だけ。
　感覚は際限なく研ぎ澄まされ、風の動きすら掴めそうなほど−−−−−−−−瞬間、２体の黒い影が、ハンターたちに向かって必死の弾丸となって襲いかかる−−−−−−−−！
　一体はセレスに向かって飛んでいった。しかし、行く手にザインが立ちはだかり、突き出されたナックルにより、軌道が逸れる。
　もう一体は、ジャックの肩を抉って崖の上へ消えていった。二体とも次の必殺の射出角度を探すためであろう。
「チッ、早えな！」
　ジャックは、傷を大事ないと判断すると、次の行動に移る。彼の腰までのびた金色の髪の先端が、熱せられた金属のような色へと変化し、火の粉の如きマテリアルが周囲できらめきはじめた。そして、ジャックの武器である剣も、そのマテリアルに感応して刀身が赤い光を放つ。
「俺が相手してやっから、かかってきやがれ！」
　マテリアルを利用した、堅牢なる守りの構えをとるのだった。
　狐たちは、ジャックめがけて飛んでいく。しかしその程度、ジャックの守りの前では致命傷たり得ない。
「あんまりちょこまか動かないでください。すごく、当てづらいので」
　そこへ、ザインの絶爪が放たれた。その攻撃は真っ直ぐに戦場を切り裂き、二体の狐の距離が離れる。
「今度はあなた達が狩られる番よ。逃がさないから覚悟なさい」
　リシャーナは魔法を紡ぎ、ウィンドスラッシュで追撃する。
　狐はそれを回避したが、連携は分断された。一体は崖の上で様子見を、そしてもう一体は単身突撃を開始する。
「向こうから飛び込んできてくれるなら、こっちからいく必要ないもんね」
　その着地点には、セレスがいた。
　狐は、セレスを掠めて通り過ぎ、そのまま突き当たりの崖に着地して、次の突進の準備をする。それをセレスは、恐れもせず慌てもせず、覚醒により伸びた髪を狐の突進が起こした風になぶられるままにして、呟いた。
「速い−−−−−−−−すごく速いね。君たちを倒せたら、もっと風に近づけるかな」
　セレスは、アクセルの入った体で、迎撃体勢をとる。
　狐もまた、必殺の射出角から飛び込んでくる。
　それを、セレスは剣の切っ先を下に向けて迎え撃つ。
　下段からの斬撃−−−−−−−−狐もそう判断したのであろう、剣の軌道を予測してすでに体をくねらせた。
　だが、セレスは瞬時に切っ先を、横薙ぎの斬撃を放つ構えへと移行する。
　そう、いまのはフェイント。この体勢では次の攻撃は避けられまい。セラスの二筋の攻撃は、退路を塞ぐように狐に襲いかかる。
　しかし、狐はなおも回避を試みる。素早い狐の雑魔は、その曲芸じみた回避行動を成功させるかに思えた。だが、鼓膜を叩く破裂音−−−−−−−−セレスの鳴らした鞭の音に気取られ、ついに一瞬の隙が出来てしまった。
　その刹那を、セレスは見逃さない。
　狐は、かろうじて一撃は回避したものの、続いて飛んできた白刃を避け切ることはできず、前足から胴にかけて両断され、その肉片は背後の崖に激突して音もなく塵となった。
「まずは一体−−−−−−−−っと」
　セレスの背後で衝突音が響き渡った。振り向くと、もう一体の狐の突進を防いでいるザインの姿があった。無防備なセレスの脇腹を狙ってきたのだ。
「ありがと。また助けられちゃったね」
「いえ、ご無事で何よりです−−−−−−−−それでは、残りも疾く殲滅いたしましょう」

　残った狐は、街道を跳ね回る。
　上から下から、右へ左へ、前に後ろに、無規則な動きを、ただの動物ではあり得ない動きを、殺意と空腹と歪虚の力が可能にしていた。ハンターたちの剣が、拳が、魔法が、応酬するも、ことごとく避けられてしまう。
　対して、狐の攻撃は当たるものだから、体力はどんどん消費していく。
「ったく、小さい割にいい威力してるじゃねえの」
　仲間を庇い続けているジャックの負傷は激しい。しかし、その顔には悲壮さなぞ微塵もない。不敵な笑みは、この攻撃の最中にあってなお勇気を味方に与える心強いものだ。その証拠に、彼の周囲ではマテリアルの火の粉が赫赫と輝いている。
「一手一手、確実に決めていけば、勝機はある」
「そうだね。何事も冷静さを欠いたら終わりだよ」
　セレスもそれに同意する。彼女もまた、泰然たる様子で敵の攻撃を見極めて器用に避けていた。
「ここで倒れるわけにはいきませんから」
　静かだが、清冽なる意志をもって声でザインが言う。
「ええ。ここで死んでいった者たちのために、遺された人たちのためにも」
　リシャーナの杖に冷気が収斂する。アイスボルト−−−−−−−−冷酷なる狩人の魔法が狐に向かって放たれる。
「足止めは任せて。最後の一撃は、宜しく頼むわ」
「ザイン、援護するから一発かましてやれ！」
　ジャックの声に、ザインは一層精神を研ぎ澄ませていく。
　狐は、街道を飛び回る。そのあまりの速さに、黒い影が飛んでいるようにすら見える。
　ザインの瞳は、その素早い姿を捉えていた。
　でも、それだけじゃ物足りない。視覚に追いつくスピードで。何より、確かな一撃で仕留める必要がある。
　時折、ザインの体を狐が掠めていくけれど、もう痛みなんて気にならない、集中はその程度じゃ途切れない。
「大丈夫、あたしたちがいる。避けるようなら、鞭の音で怯ませてやる」
　セレスが告げる。彼女は奇襲の時も、敵を仕留めた時も、冷静で、だからその言葉は確かに信じられる。
　ザインは極限まで意識を敵に集中させる。同時に、自身の武器であるナックルに渾身の力を溜めていく。
　瞬間、狐と目があった。生物とは程遠い、暗い瞳だった。
「−−−−−−−−獣風情、とっとと屠るに限ります」
　いまや、その動きの中でも、確かに敵が良く見える。その瞳も、萎びた体毛の一本一本が、わかる。鋭い爪、血に汚れた牙、生前は可愛らしかったろうその体。
　その体に、リシャーナの氷の矢が命中した。
　体毛に霜が降りる。致命傷には遠い−−−−−−−−だが、ここが最大の好機だ。
　ザインは体の底から、マテリアルを練り上げ、体内へ高速循環させる。
　必殺の拳を、作り上げるために。
　ザインの体に赤いラインがはしる。
　−−−−−−−−鎧すら貫く打撃を。
　続いて、体から蒸気がほとばしり、闘争の覚醒を告げている。
　−−−−−−−−致命に至る拳撃を。
　すでに死した獣にすら届く、破滅の一撃を。
「行きます−−−−−−−−さあ、大人しくしていてください」
　拳を引いて、渾身の力を乗せる。
　狐もそれを察した。回避行動に移ろうとするが、
「そっちはダメだよ、狐さん！」
　セレスの鞭打つ音に、体が一瞬硬直する。
「だが、こっちにも行かせないぜ！」
　続いてジャックの牽制射撃が、完全に退路を塞いだ。
「さよならです」
　温めたナイフでバターを切り分けるように、するりと狐の体にザインの拳は吸い込まれていった。
　その死骸は−−−−−−−−すでに死したる死骸は、ザインの後方へと抜けて地面に落ちるより早く塵となって霧散していくのだった。
「目標殲滅しました」
　ザインのその言葉が戦闘終了を知らせる。
　緊張した戦場に一陣の爽やかな風が抜けていった。それで、この場所の空気は戦場ではなく、もとのただ細い街道へと戻っていった。
「みなさま、お疲れ様でした。それでは葬いと、この道を再び使えるようにするとしましょう」
　リシャーナが、道を塞ぐ馬車を見て言った。

「馬車の中の確認は先に俺がやろう。他に雑魔がいねーか見ててくれ」
　まずはジャックが、馬車の点検をしに行った。隠れた敵や危険な要素がないか見にいったのだ。
　残ったハンターたちは、周囲の崖を、特に、そこにあいた穴に注意を向けたが変わった気配はない。
　ジャックの方も同じようで、とくに異変はなく、腐った食料と変色した骨が落ちているばかりだと言う。
　さっそくハンターたちは馬車をオフィスから借りてきた馬につないで街道の入り口まで引き出すことにした。馬の元へ戻ってすぐリシャーナは、
「あなたたち、ちゃんといい子で待っていたのね。偉いわ」
　馬たちをいたわって、その背を撫でてやった。馬はやっぱり嬉しそうにその体を揺らした。リシャーナはそっと微笑んだ。
　ザインも動物に好かれるらしく、また鼻先をその小さな体に寄せられていた。
「あなたたちの力をあと少しだけ貸してください。どうぞよろしくお願いしますね」
　街道に放置された馬車はつつがなく引き出された。馬車に積み込まれていた腐った食料は、ジャックが持ってきたスコップで土の中に埋めることにした。
　リシャーナは毛布を持って、被害者の遺骸を集めに行った。セレスとザインもそれを手伝うために付いて行った−−−−−−−−が、すぐに彼女たちは戻ってきた。
「何か、遺っているものはあったか？」
　ジャックは穴を掘るのを中断して声をかけた。
　遺体は狐が食べつくしてしまったのであろう、もう骨しか残っていなかったのだと言う。それでも、リシャーナは優しく、その白い指先で遺骨を、彼らが死の間際に被った悲しみや恐れを労るようにそっと撫でた。
「あまり良い状態とは言えねーが、家族んトコにゃ帰してやらねえとな」
「ええ。どんな状態であれ遺された人たちの救いになるはず−−−−−−−−さあ、あなた達を待ってる人達の元へ帰りましょう。もう少し、我慢してね」
　セレスとザインは馬車の点検をしていた。幌は二箇所穴が空いているだけで、オフィスに帰るまでは使えそうだった。
「人間の食べるものには興味なかったみたいだね」
　セレスが言った。幌以外に馬車の損傷はほとんどない。先ほどまで腐った食べ物が載っていたので、帰り道その匂いに苦しめられないよう、セレスとザインは軽く馬車を掃除して、帰り支度を整えた。
「こちらは準備が終わりました。そちらはいかがでしょうか」
　ザインが、ジャックに声を掛ける。
「おう、もうちょっと待っててくれ」
　ジャックは最後のひとすくいを穴にかけて、地面を均すと、手早く使った道具を整備した。
「待たせたな。こっちも終わった−−−−−−−−それじゃあ、オフィスまで帰ろうぜ」

　帰り道。中天を過ぎた太陽は黄色に空を染めている。
　馬の蹄の音。馬車の車輪が砂利を噛む音。そして、歌声が聞こえていた。
　リシャーナの歌声だ。
　亡くなった者たちが、せめて安らかに眠れるように祈る歌だった。
　それは、優しく温かく棚引いて、あの細い街道に伝わって、崖に反響して空へと昇っていく。
　雑魔に限らず、起こってしまう悲劇の後始末。こんな悲しみは何度でも繰り返されるのだろう。でも、哀しみを知るからこそ、届く音がある。リシャーナはそう信じて歌を歌った。
「泣きたい時に泣いていいのよ。あなたの悲しみが癒えるまで、いつでも、何度でも……」
　最後、遺族に遺品を引き渡す時、リシャーナは彼らを優しく抱きしめて言った。
　オフィスに帰ってきた頃にはすっかり夜だった。
　ハンターオフィスの職員は、依頼完了の判を押した。これで、狐退治は終了した。ハンターたちはそれぞれの場所へ帰っていく。

　この日はやっぱり夜まで晴れていた。
　暗闇の中で月光が美しく地上を照らしている。
　哀しいから届く音、悲しいから歌える歌、暗いから届く光。そんなものも、きっと、あるのだろう。