ゲスト
(ka0000)
見えない闇、見えない光
マスター:DoLLer

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- 普通
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 3~6人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2017/10/12 15:00
- 完成日
- 2017/10/21 19:07
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
爆竹が破裂するような音だった。
そんな胸を打つ音を間近で耳にし、硝煙が立つ拳銃を前にして、さらには頬を電撃のような衝撃と焼けつく痛みがかすめたとしても青年は身じろぎ一つしなかった。
それどころかそのリボルバーを向けた女に対して怖れもなく、また敵意も見せないように静かに近づいていく。
「あ、あ、あぁ……」
女が撃ったことを後悔しているのは震える手と瞳ですぐわかった。
そしてそれでも発砲しなければいけないような状態であることも。
「大丈夫、もう歪虚はいないよ」
青年は跪いた後、撃鉄の間に骨ばった指を挟んで暴発するのを抑えながら、さしたる力もこめずに銃とその手を床に向けてやりながら囁いた。
「ああ、ああ」
「大丈夫、君は何も悪くない。何も問題ない」
震えが大きくなる女に囁き続けた。
混乱する彼女にそう呼びかけるのは、もう何十回目だろうか。昨日は落ち着きを取り戻すのに1時間以上かかった。その前の日も、更にその夜も。その間ずっとそうして囁き続けたのだから言葉として数えれば千など容易に越えてしまう。
「歪虚が……襲ってくるの」
かすれた声で女が囁いた。
「君が倒した。もう全部終わったんだよ」
彼女の瞳の中に映っているのは自分ではなく、もはや過去となった戦禍の光景だ。そんな中を彼女は歯を食いしばって、心に鞭うって、あらゆるものを犠牲にして……勝利し、帰ってきた。
その代償は、覚めない悪夢。
「ここは君の家だ。誰も襲ってこない」
彼女はそれには答えなかった。
頭では当にそんなこと理解しているのだ。ハンターを辞めて戻ってきた街だ。目の前にいるのが自分が帰ってくるまで待ってくれていた恋人であることも。
「闇に乗じて……来るのよ。人の皮を被ってやって来るのよ」
「来ないよ。ほら、僕の血は温かいだろう?」
青年は銃を握っていた手に自分の手を重ね合わせて囁いた。
そうして何度も何度も彼女の疑念に大丈夫と言い続けて、母親のようにしてその背をさすってやり、揺りかごのように身体を押してやって数刻。張り詰めた心の糸がようやく緩んだのか、彼女は青年の腕の中でようやく寝息を立て始めた。
ベッドに戻すべく持ち上げても良かったが、それではまた彼女が飛び起きてしまうだろうと、青年はそのままシーツを手繰り寄せて彼女を包むとそのまま壁にもたれかけさせた。
そして青年は窓から覗く遅めの月光をぼんやりと見上げた。
「いつになったら終わるか、な……」
月影に浮かぶ青年の眼窩は落ちくぼみ、頬から顎にかけたラインは皺がより凹凸がはっきりと浮かび上がっていた。
この人の為なら死んでもいい。
彼女と再会した日に口にしたそんな歯の浮くようなセリフにも、今は甘い恋愛小説では味わう事のない底知れぬ闇を感じていた。
●
「ねぇ、もう……いいのよ」
切り出したのは女の方からだった。
外は明るいのだろう、時折戸板の隙間から漏れる風に合わせて秋風が光を運んでくれると彼女のクマのできてたるんだ下目蓋に支えられるように、サファイヤのような目が一際輝いた。
「私は迷惑でしかない。何度目を閉じても、何度目覚めても、私の心は戦場から帰ることができないのよ。戦友みんな置き去りにして一人生きた罰なんだから」
「みんなが命を託してくれたおかげで今があるんだろ。なのに君まで死んだら仲間の気持ちはどうなるんだ」
ほとんど条件反射のように青年はそう口にしたものの、言葉に力は無かった。たった数か月、彼女の悪夢につきあって眠れぬ日々を送っただけで、情けないほどにこの身体は言う事を聞かなくなったからだ。
虚ろな彼を見て、女は輝いた瞳から大粒の涙をこぼして彼の手を握りしめた。
「近くない未来、絶対に貴方を殺してしまう。今度こそ錯乱した私は歪虚と間違えて撃ってしまうかもしれない。私を慰撫する為に疲弊していく貴方の顔を、見るのが辛い。そうでなくても……どうしようもない私を、好きでいてくれなくなってしまう」
堪えるようにして女の握る手に力がこもり、爪が食い込むのが分かった。
「貴方の為に戦うって決めたのに、貴方を殺してしまったなら……私の生は意味がなくなってしまう。だから……ね?」
「……うん」
壁にもたれかかったままの青年はぼんやりと女の言葉に頷くしかできなかった。
そしてそのままその手に愛用の銃を一つ握らされることも。
どうしようもないのだろうか。
彼女の言葉をぼんやりと聞きいりながら、青年は天を仰いだ。戸板の隙間から漏れる光がまるで後光のように見える。
外では精霊が待ってくれているのだろうか、それともエクラの教える精霊がいるのだろうか。そんなことが頭の中を駆け巡っていると、ふと、青年の瞳に輝きが戻った。
そして彼は握らされた銃を持って彼女に返した。
「そうだね。終わりにしよう。意地張っていたけど……無理だったよ。僕は非力な人間だった」
その言葉に女は、懺悔に満ち溢れた顔をすると、宝石のような瞳と唇を引き絞って閉じた。
青年はそのまま銃をゆっくり持ち上げると、女の手がはらりと外れる。そこまで来て青年は抜けきってしまった力を腕にかき集めると、そのまま狙いをしっかりと定めて引き金を引いた。
爆竹が破裂するような音だった。
そんな胸を打つ音を間近で耳にし、硝煙が立つ拳銃を前にして、さらには頬に火の粉のような衝撃と焼けつく光がかすめたとしても女は驚くしかなかった。
光を閉ざしていた窓の戸板の留め金が吹き飛び、朝日が顔をうったのだから。
信じられないような顔をする女に対して、青年は深く息を吐き出して、ゆっくりと笑顔を作った。
「助けてって、言おう。この世界は僕と君だけのものじゃないんだから」
外れた窓からは闇を切り裂くような強い光が差し込み、闇にうずくまる二人を照らしてくれた。
そんな胸を打つ音を間近で耳にし、硝煙が立つ拳銃を前にして、さらには頬を電撃のような衝撃と焼けつく痛みがかすめたとしても青年は身じろぎ一つしなかった。
それどころかそのリボルバーを向けた女に対して怖れもなく、また敵意も見せないように静かに近づいていく。
「あ、あ、あぁ……」
女が撃ったことを後悔しているのは震える手と瞳ですぐわかった。
そしてそれでも発砲しなければいけないような状態であることも。
「大丈夫、もう歪虚はいないよ」
青年は跪いた後、撃鉄の間に骨ばった指を挟んで暴発するのを抑えながら、さしたる力もこめずに銃とその手を床に向けてやりながら囁いた。
「ああ、ああ」
「大丈夫、君は何も悪くない。何も問題ない」
震えが大きくなる女に囁き続けた。
混乱する彼女にそう呼びかけるのは、もう何十回目だろうか。昨日は落ち着きを取り戻すのに1時間以上かかった。その前の日も、更にその夜も。その間ずっとそうして囁き続けたのだから言葉として数えれば千など容易に越えてしまう。
「歪虚が……襲ってくるの」
かすれた声で女が囁いた。
「君が倒した。もう全部終わったんだよ」
彼女の瞳の中に映っているのは自分ではなく、もはや過去となった戦禍の光景だ。そんな中を彼女は歯を食いしばって、心に鞭うって、あらゆるものを犠牲にして……勝利し、帰ってきた。
その代償は、覚めない悪夢。
「ここは君の家だ。誰も襲ってこない」
彼女はそれには答えなかった。
頭では当にそんなこと理解しているのだ。ハンターを辞めて戻ってきた街だ。目の前にいるのが自分が帰ってくるまで待ってくれていた恋人であることも。
「闇に乗じて……来るのよ。人の皮を被ってやって来るのよ」
「来ないよ。ほら、僕の血は温かいだろう?」
青年は銃を握っていた手に自分の手を重ね合わせて囁いた。
そうして何度も何度も彼女の疑念に大丈夫と言い続けて、母親のようにしてその背をさすってやり、揺りかごのように身体を押してやって数刻。張り詰めた心の糸がようやく緩んだのか、彼女は青年の腕の中でようやく寝息を立て始めた。
ベッドに戻すべく持ち上げても良かったが、それではまた彼女が飛び起きてしまうだろうと、青年はそのままシーツを手繰り寄せて彼女を包むとそのまま壁にもたれかけさせた。
そして青年は窓から覗く遅めの月光をぼんやりと見上げた。
「いつになったら終わるか、な……」
月影に浮かぶ青年の眼窩は落ちくぼみ、頬から顎にかけたラインは皺がより凹凸がはっきりと浮かび上がっていた。
この人の為なら死んでもいい。
彼女と再会した日に口にしたそんな歯の浮くようなセリフにも、今は甘い恋愛小説では味わう事のない底知れぬ闇を感じていた。
●
「ねぇ、もう……いいのよ」
切り出したのは女の方からだった。
外は明るいのだろう、時折戸板の隙間から漏れる風に合わせて秋風が光を運んでくれると彼女のクマのできてたるんだ下目蓋に支えられるように、サファイヤのような目が一際輝いた。
「私は迷惑でしかない。何度目を閉じても、何度目覚めても、私の心は戦場から帰ることができないのよ。戦友みんな置き去りにして一人生きた罰なんだから」
「みんなが命を託してくれたおかげで今があるんだろ。なのに君まで死んだら仲間の気持ちはどうなるんだ」
ほとんど条件反射のように青年はそう口にしたものの、言葉に力は無かった。たった数か月、彼女の悪夢につきあって眠れぬ日々を送っただけで、情けないほどにこの身体は言う事を聞かなくなったからだ。
虚ろな彼を見て、女は輝いた瞳から大粒の涙をこぼして彼の手を握りしめた。
「近くない未来、絶対に貴方を殺してしまう。今度こそ錯乱した私は歪虚と間違えて撃ってしまうかもしれない。私を慰撫する為に疲弊していく貴方の顔を、見るのが辛い。そうでなくても……どうしようもない私を、好きでいてくれなくなってしまう」
堪えるようにして女の握る手に力がこもり、爪が食い込むのが分かった。
「貴方の為に戦うって決めたのに、貴方を殺してしまったなら……私の生は意味がなくなってしまう。だから……ね?」
「……うん」
壁にもたれかかったままの青年はぼんやりと女の言葉に頷くしかできなかった。
そしてそのままその手に愛用の銃を一つ握らされることも。
どうしようもないのだろうか。
彼女の言葉をぼんやりと聞きいりながら、青年は天を仰いだ。戸板の隙間から漏れる光がまるで後光のように見える。
外では精霊が待ってくれているのだろうか、それともエクラの教える精霊がいるのだろうか。そんなことが頭の中を駆け巡っていると、ふと、青年の瞳に輝きが戻った。
そして彼は握らされた銃を持って彼女に返した。
「そうだね。終わりにしよう。意地張っていたけど……無理だったよ。僕は非力な人間だった」
その言葉に女は、懺悔に満ち溢れた顔をすると、宝石のような瞳と唇を引き絞って閉じた。
青年はそのまま銃をゆっくり持ち上げると、女の手がはらりと外れる。そこまで来て青年は抜けきってしまった力を腕にかき集めると、そのまま狙いをしっかりと定めて引き金を引いた。
爆竹が破裂するような音だった。
そんな胸を打つ音を間近で耳にし、硝煙が立つ拳銃を前にして、さらには頬に火の粉のような衝撃と焼けつく光がかすめたとしても女は驚くしかなかった。
光を閉ざしていた窓の戸板の留め金が吹き飛び、朝日が顔をうったのだから。
信じられないような顔をする女に対して、青年は深く息を吐き出して、ゆっくりと笑顔を作った。
「助けてって、言おう。この世界は僕と君だけのものじゃないんだから」
外れた窓からは闇を切り裂くような強い光が差し込み、闇にうずくまる二人を照らしてくれた。
リプレイ本文
●傷
高瀬 未悠(ka3199)の頭が着弾の衝撃で真後ろに跳ねた。
「あああっ!!」
女の素早さは尋常ではなく、ベッドから跳ね起き叫びながらも的確に戦慣れしたハンター陣に銃撃の雨を降らせた。
「違うんだ! その人達は依頼で来てくれたハンターだよ!」
青年が必死に女を取り押さえようと足にすがりながら叫ぶが、女の理性を取り戻すにはいたらない。
「少女に化けているのよ、そっちのは歪虚の手先!」
「なるほど。外見で年齢を間違われるのは日常茶飯事だが、まさかこうなるとは思いもしなかったな」
Holmes(ka3813)はずり落ちそうになった帽子を抑えながらすぐさまテーブルの陰に隠れてそうぼやいた。実年齢と外見年齢がおおよそ10倍以上異なる自分がまず手慣れた優雅なる自己紹介をしたことが、彼女の特に鋭敏な『危機感』を刺激してしまったらしい。
「手先かぁ……うーん、これ耳なんだけどな」
そしてレンガの欠片と壊れた編み籠で作った、本人以外は仲間内ですらどう理解してよいのかわからないアート作品を差し出したアシェ・ブルゲス(ka3144)がタンスの陰で髪をかきながら、自分の作品を見直していた。
「そういう場合じゃないような気がしますわ!?」
笑顔を崩すまいと決めていたチョココ(ka2449)だが、さすがに未悠が撃ち抜かれたのを目の前にしてもそのままでいられるはずもなく悲鳴を上げて、すぐさまスリープクラウドの為に魔力を紡ぎ上げ始めた。
「いいのよ」
それを制したのは他でもない未悠だった。眉間から流れた血が目に流れ込むのも気にせず、未悠はチョココを優しく押し返して、それから震える女に対して笑顔を浮かべた。
「怖がらなくて大丈夫よ。私達は貴女とソルトを傷つけないわ」
騒ぐ闘争心を抑えながら、未悠はできるだけ自然になるようにして、女の手を触れ、そのままするすると彼女を抱きしめた。
「ほら、怖くない」
囁くように言いながらそっと覚醒して、そのままトランスキュアを試みた。
「っ」
銃撃すらも笑顔で受け止めた未悠が一瞬顔を歪めて倒れ込みそうになると、それをクレール・ディンセルフ(ka0586)がそっと抱えるようにし、女にはチョココが腕を精いっぱい伸ばして抱き留めてみせた。そしてHolmesが緊張の糸が切れて同じような腰砕けになって倒れる青年を助けてみせた。
糸が、切れたんだ。場所全体が、この部屋全体の糸が途切れて奇妙な半音下がりの空気に染まるのをルナ・レンフィールド(ka1565)だけがどうしようもなく見守るしかできなかった。
音楽の力で少しでも癒すことができれば、そんな風に考えて、安らぎの音色を胸の裡で反芻していたルナにとって、今の一連の動きに対応はとてもできなかった。
彼女の中だけではない。
この小さな部屋は戦場と同じ音色が流れていた。ひどく不協和な。
「ご、ごめんなさ……い」
「なんてことはないさ。ルナ君の音楽は、心落ち着けた、最高に整った舞台で行われることで、最高の力を発揮するんだもの。こういう場面は廃材アーティストによる歌で場所を整えるくらいがいいんだよ」
アシェは笑ってみせると肩を揺らしながら、調子の少し狂った、でも優しさに溢れた音色で歌い始めた。
「♪ねーむれ ねーむれ 母なる星の胸に 眠れ 眠れ 母なる星の手に」
そんなアシェからの目配せを得たチョココがそれに合わせるように詩を紡ぎながら、一度は霧散した魔力を再び集め出す。
「♪快き祈りに願いを歌声に」
紫雲が窓から差し込む光をけぶらせて、うすぼんやりとした甘い世界が広がる中、Holmesは眠りに落ちる依頼者たちの耳元で小さく優しく囁いた。
「目覚めたら特別な一杯を御馳走するとしよう、それでは良い夢を」
●夢
真面目で勇敢だった部下たちは、誰一人残らず息絶えていた。
戦火くすぶる足元をじっと見つめるしかない彼女に対して、背後から場にそぐわぬ爽やかなレモンを思わせる声が届いた。
「何故悲しむんだい。彼らの遺志はここで哀れんでもらう事かい?」
そして頭の上に置かれた手の温かみに彼女の胸は張り裂けそうになった。
悲しみを乗り越えようとする力と同時に、誰も死なせたくないという純粋な願いが音を立てて壊れていくのが聞こえた。
我慢できずに彼女は振り返って、彼に叫ぼうとしたが、その血塗れの姿に凍り付き、はちきれんばかりの想いが急激に喉元で閊える。
そんな姿を見ていた檸檬の君は、頭を撫でていた手が離して代わりに胸に銃を突き当てた。
そして。
「私達の時にも光を差すことを信じて。その闇、撃ちぬいて見せますっ!」
凛としたクレールの声と共に強い衝撃が眠りに落ちる未悠の胸を突き抜けた。と、同時に衝撃を緩衝したベッドから吹き出る埃と共に、何やら泥くさい霧状のマテリアルが滲み出ていた。その根源はクレールの手にした太陽印のカートリッジの手中に封じられている。
「やあ、お目覚めかね。おかげさまでステラ君は落ち着きを取り戻したよ。今、食事をしようと準備していたところなんだ」
Holmesはまるで自分の家ようにして椅子に脚を組んで座っており、未悠が目覚めると湯気の上がるホットミルクのティーカップを少し持ち上げて挨拶をした。
そこで先の夢は女の幻覚が自分の中に入り込んできたものだとようやく理解して、未悠はほっと胸をなでおろすと、それを見計らったようなタイミングで猫をかたどったマグカップに甘い香り漂わせるホットチョコが差し出された。
「ありがとうクレール。あなたの力で悪夢を見続けずに済んだわ。私の大好きなものまで準備してくれるなんて流石りんかふぇの店員ね」
「ふふふ、実はカカオ成分たっぷりのプレミアムチョコレートを使っているんです。ゆっくりしてくださいね」
本当はまともに眠ることすらではない依頼人たちのために作ったもので、未悠の好物を狙ったわけではないのだが、褒められたことは素直に喜ぶのがクレールである。
「ステラさん、ソルトさん、お味はいかがですか」
「ありがとう、ちょうどいいわ」
先程までは歪虚もかくやというような表情をしていた女はすっかり落ち着きを取り戻していて、柔和な笑みを浮かべていた。
「そういえば彼は?」
「アシェ君と別室にいるよ。男同士で話せることもあるかもしれないって言ってね」
Holmesは目を閉じてそう言った。なんといっても彼がホットミルクに隠し味はどうだろうと持ち込んだのがレモン他各種香辛料だった。レモンをミルクに入れれば分離することを彼は知っているはずだが。
いや、わざと分離させたいのかもしれない。不二の心となり共依存を引き起こしかけている二人の間を。
「小憎らしいじゃないか」
その言葉にHolmesの視線の端っこで何かかぴくりと反応した。
何でもないふりをして鋭い視線をそちらに送れば、そこはキッチン。そのサイドボードの下で誰かが息を殺しているのを見つけるとHolmesはくつくつと体を折って笑った。
「安心してほしい。こにくらしい、というのは決して君が味見しすぎて消えてしまったお肉ではないよ」
「あ゛ーっ、チョココさん! 全部食べちゃったんですか!!?」
「ちょっと美味しすぎたですのーっ。それに食べたのは肉じゃなくて魚ですのーっ」
やおら始まるクレールとチョココの追いかけっこに一同はケラケラと笑いあう中、ルナがすっと女の横に膝をついて座り、その横で照れたような愛らしい笑顔を彼女に向けた。
「ああ、良かった。ステラさん、笑顔ですよ」
「はい……久々に、笑った気がします」
笑顔というにはか細い顔の表情ではあったが、ルナにはそれが彼女が今精いっぱい笑っていることを感じ取ることができた。
「私もうまく笑えないときがあったんですよ、何してもダメで。止まったらもうどうやって笑ってたのか、それすらも分からない時があって」
歌うのは、もうやめよう。絶望の中の決意をしたことを今でもルナは思い出す。
「でも一歩踏み出せたのだからもう大丈夫」
窓から差し込む日差しを目を細めて仰ぎながらそう言うと、ルナは日差しを浴びる女の膝にそっと手を触れた。
「お日様の温かさ、風の囁き、大地の香り。取り巻く色んなものが自分を助けてくれているって感じられるようになりますから」
「……言わんとしていることはわかる。でもまだ、心が受け入れられない。でもそうなるように、するわ」
まっすぐな人だ。
ルナはにこりと笑うと、優しい秋の日差しと舞い込む風のリズムに乗せて小さくハミングし始めた。
「あっ、あっ、もう演奏会始まっちゃいますか!?」
ルナのハミングはいつだってよく通る。
その声につまみ食いされた分だけ新たに料理を作り直すクレールと、つまみ食いをした罰にお手伝いするチョココと、それから料理に使うリンゴを芸術的に剥いていくHolmesの顔が一斉に向いた。
「え、あ、まだですよ」
「あら、そういう予定なのね」
女はみんなの予定の混乱具合にまたくすくすと笑いだした。
「はい、アイデアルソングと言って、マテリアルの……いえ、ステラさんの生きる力を活性化させることができる歌をお送りしたいなと思っていたんです」
最初に挨拶した時は姿形だけで畏怖した彼女であったが、おだやかさを取り戻した彼女は覚醒者の持つ不可思議な力が加えられることに否定することはなかった。
「お願いします」
「おっと、その前に」
Holmesが二人の間にリンゴを差し出した。
半分になったリンゴの局面に刻まれた切れ込みが白鳥の翼のようにして大きく広がっている。それ指で滑らせると翼は閉じて水面に泳ぐかのような姿になった。
それが何よりも、飛び立つのはもう少し待ちなさい。そんなメッセージとなった。
「料理にも最高の瞬間というものがあってね。それも鑑賞してほしいところだ。出来立てというんだけれど」
Holmesが軽くウィンクして視線をキッチンに寄せると、クレールとチョココはまた思い出したかのように慌てて料理に取り掛かった。
●歌
さっぱりとしたジュース、ポトフ、白身魚のソテー、それから、ささみのサラダと半熟卵付き。
彼女の薄暗い部屋の窓という窓、扉という扉を全部開ければ、薄暗いと思っていた家全体は思った以上に明るいものだった。
「今までどうしてこんな暗い場所においででしたの?」
「光が眩しすぎたの。光が差し込むとどうしても影が生まれる。その境界が目に付くごとに……苦しくなって」
チョココの質問に女は答えた。だが、影に縛られてしまうような危うさはない。
それに唇を噛んで、感激に耐えているのは青年の方だった。目は赤く、せり出た鼻は細かく揺れていた。
「……一時でも、こんな時間を彼女に過ごしてもらえるだけで、良かった」
「何言ってるの。これからずっと続くのよ」
未悠にそんな言葉かけられて、青年は小さく頷くしかできなかった。
それを見た女もまた、俯くばかりであった。
「辛いですよね。看てもらってる人に迷惑かけているって……それで自分が嫌いになっていくんですよね」
鼻をくずらせて女はクレールの言葉に頷いた。
わかっている。
全部わかっている。
なのにどうしようもない、自分の心と身体が動いてくれない事実と、それに躍起になって心がすさむこと、それを看護人が怒りもせずに淡々と相手をしてくれること。全部が辛いこと。
クレールはよく知っていた。だから同じ顔はせず、飛び切り明るい笑顔で2人の手をとるのだ。
「辛い顔、消してみせます」
もしかしたら彼女たちの姿は昨日の自分たちからしれない。
もしかしたら彼女たちの姿は明日の自分たちかもしれない。
自分たちにダブる姿ならなおさら、二人が救われますように、これ以上苦しむことの無いようにと願わずにはいられない。
クレールは立ち上がった。その姿は先程までのエプロン姿ではなく、恋しょこのメンバーの一人としての姿だ。
「♪想うは月の影……暗き道を照らす光」
リュートのつま弾きと共に、ルナが歌うと共に彼女の身体から蒼い音符が流れ出る。
「ふわ、森の時とはまた違う光景ですの」
依頼人たちと共に聴衆に回ったチョココは音楽に満ち溢れる部屋を見上げて呟いた。
故郷の森では光に包まれていたけれど、今度はクレールの竜の紋章が部屋に照らされ、まるで夜伽の物語の世界に変わったようだ。
「♪幾千の夜を 幾万の星と共に」
ルナのリュートの音色が一層はっきりとするごとに、部屋の影は幻想的な青色に染まっていく。
そこにクレールの熱のこもった言葉が紡がれるごとに星が瞬き、艶やかな宇宙を作りだす。辛い過去も、傷ついた心もすべて包み込んで溶かしてくれるようなホットチョコ色の世界。
「♪願うは静謐 蒼に揺られて ただひたすらに」
「みんな……」
女が空を見上げてほろりと涙をこぼした。
他の誰が見上げても、彼女の言葉が指す人の顔はみえない。だけれどもそれが逝った仲間達なんだろうとは皆すぐに気づいた。
彼らは笑ってくれているのだろうか。くしゃくしゃになった女の顔からは読み取ることはできなかった。
「♪想い届けよ 蒼月の夜に」
Holmesは周りの光景にも飲まれずひたすらに女の顔だけを覗き見ていた。やがて静かな平穏に戻る部屋の中でHolmesはそっと彼女に囁いた。
「また会いに行こう。見捨てなければ、犠牲にしなければならなかった仲間に。そのための『日常』だ」
「そうだね。僕も……最後まで手伝うよ」
Holmesとは反対側からアシェに背中を押されたソルトが膝まづいて、彼女のもう片方の手を取った。
非覚醒者の自分が悔しい。と悲嘆した彼はもういない。
「君と共に生きる為に」
うん、と未悠は大きく頷いて二人を祝福した。
共に死ぬまでなんて後ろ向きな誓いはもういらない。明日に向かって支え合う生き方をするために。
そんな二人に。そして2人の傷を癒した美しい音色に対して、皆はそれぞれに惜しみない拍手を送ったのであった。
もう窓を閉めて見えない闇に恐怖することはない。
温かな想いが妄執のベールを溶かして、見えなかった光が射してくれるのだから。
高瀬 未悠(ka3199)の頭が着弾の衝撃で真後ろに跳ねた。
「あああっ!!」
女の素早さは尋常ではなく、ベッドから跳ね起き叫びながらも的確に戦慣れしたハンター陣に銃撃の雨を降らせた。
「違うんだ! その人達は依頼で来てくれたハンターだよ!」
青年が必死に女を取り押さえようと足にすがりながら叫ぶが、女の理性を取り戻すにはいたらない。
「少女に化けているのよ、そっちのは歪虚の手先!」
「なるほど。外見で年齢を間違われるのは日常茶飯事だが、まさかこうなるとは思いもしなかったな」
Holmes(ka3813)はずり落ちそうになった帽子を抑えながらすぐさまテーブルの陰に隠れてそうぼやいた。実年齢と外見年齢がおおよそ10倍以上異なる自分がまず手慣れた優雅なる自己紹介をしたことが、彼女の特に鋭敏な『危機感』を刺激してしまったらしい。
「手先かぁ……うーん、これ耳なんだけどな」
そしてレンガの欠片と壊れた編み籠で作った、本人以外は仲間内ですらどう理解してよいのかわからないアート作品を差し出したアシェ・ブルゲス(ka3144)がタンスの陰で髪をかきながら、自分の作品を見直していた。
「そういう場合じゃないような気がしますわ!?」
笑顔を崩すまいと決めていたチョココ(ka2449)だが、さすがに未悠が撃ち抜かれたのを目の前にしてもそのままでいられるはずもなく悲鳴を上げて、すぐさまスリープクラウドの為に魔力を紡ぎ上げ始めた。
「いいのよ」
それを制したのは他でもない未悠だった。眉間から流れた血が目に流れ込むのも気にせず、未悠はチョココを優しく押し返して、それから震える女に対して笑顔を浮かべた。
「怖がらなくて大丈夫よ。私達は貴女とソルトを傷つけないわ」
騒ぐ闘争心を抑えながら、未悠はできるだけ自然になるようにして、女の手を触れ、そのままするすると彼女を抱きしめた。
「ほら、怖くない」
囁くように言いながらそっと覚醒して、そのままトランスキュアを試みた。
「っ」
銃撃すらも笑顔で受け止めた未悠が一瞬顔を歪めて倒れ込みそうになると、それをクレール・ディンセルフ(ka0586)がそっと抱えるようにし、女にはチョココが腕を精いっぱい伸ばして抱き留めてみせた。そしてHolmesが緊張の糸が切れて同じような腰砕けになって倒れる青年を助けてみせた。
糸が、切れたんだ。場所全体が、この部屋全体の糸が途切れて奇妙な半音下がりの空気に染まるのをルナ・レンフィールド(ka1565)だけがどうしようもなく見守るしかできなかった。
音楽の力で少しでも癒すことができれば、そんな風に考えて、安らぎの音色を胸の裡で反芻していたルナにとって、今の一連の動きに対応はとてもできなかった。
彼女の中だけではない。
この小さな部屋は戦場と同じ音色が流れていた。ひどく不協和な。
「ご、ごめんなさ……い」
「なんてことはないさ。ルナ君の音楽は、心落ち着けた、最高に整った舞台で行われることで、最高の力を発揮するんだもの。こういう場面は廃材アーティストによる歌で場所を整えるくらいがいいんだよ」
アシェは笑ってみせると肩を揺らしながら、調子の少し狂った、でも優しさに溢れた音色で歌い始めた。
「♪ねーむれ ねーむれ 母なる星の胸に 眠れ 眠れ 母なる星の手に」
そんなアシェからの目配せを得たチョココがそれに合わせるように詩を紡ぎながら、一度は霧散した魔力を再び集め出す。
「♪快き祈りに願いを歌声に」
紫雲が窓から差し込む光をけぶらせて、うすぼんやりとした甘い世界が広がる中、Holmesは眠りに落ちる依頼者たちの耳元で小さく優しく囁いた。
「目覚めたら特別な一杯を御馳走するとしよう、それでは良い夢を」
●夢
真面目で勇敢だった部下たちは、誰一人残らず息絶えていた。
戦火くすぶる足元をじっと見つめるしかない彼女に対して、背後から場にそぐわぬ爽やかなレモンを思わせる声が届いた。
「何故悲しむんだい。彼らの遺志はここで哀れんでもらう事かい?」
そして頭の上に置かれた手の温かみに彼女の胸は張り裂けそうになった。
悲しみを乗り越えようとする力と同時に、誰も死なせたくないという純粋な願いが音を立てて壊れていくのが聞こえた。
我慢できずに彼女は振り返って、彼に叫ぼうとしたが、その血塗れの姿に凍り付き、はちきれんばかりの想いが急激に喉元で閊える。
そんな姿を見ていた檸檬の君は、頭を撫でていた手が離して代わりに胸に銃を突き当てた。
そして。
「私達の時にも光を差すことを信じて。その闇、撃ちぬいて見せますっ!」
凛としたクレールの声と共に強い衝撃が眠りに落ちる未悠の胸を突き抜けた。と、同時に衝撃を緩衝したベッドから吹き出る埃と共に、何やら泥くさい霧状のマテリアルが滲み出ていた。その根源はクレールの手にした太陽印のカートリッジの手中に封じられている。
「やあ、お目覚めかね。おかげさまでステラ君は落ち着きを取り戻したよ。今、食事をしようと準備していたところなんだ」
Holmesはまるで自分の家ようにして椅子に脚を組んで座っており、未悠が目覚めると湯気の上がるホットミルクのティーカップを少し持ち上げて挨拶をした。
そこで先の夢は女の幻覚が自分の中に入り込んできたものだとようやく理解して、未悠はほっと胸をなでおろすと、それを見計らったようなタイミングで猫をかたどったマグカップに甘い香り漂わせるホットチョコが差し出された。
「ありがとうクレール。あなたの力で悪夢を見続けずに済んだわ。私の大好きなものまで準備してくれるなんて流石りんかふぇの店員ね」
「ふふふ、実はカカオ成分たっぷりのプレミアムチョコレートを使っているんです。ゆっくりしてくださいね」
本当はまともに眠ることすらではない依頼人たちのために作ったもので、未悠の好物を狙ったわけではないのだが、褒められたことは素直に喜ぶのがクレールである。
「ステラさん、ソルトさん、お味はいかがですか」
「ありがとう、ちょうどいいわ」
先程までは歪虚もかくやというような表情をしていた女はすっかり落ち着きを取り戻していて、柔和な笑みを浮かべていた。
「そういえば彼は?」
「アシェ君と別室にいるよ。男同士で話せることもあるかもしれないって言ってね」
Holmesは目を閉じてそう言った。なんといっても彼がホットミルクに隠し味はどうだろうと持ち込んだのがレモン他各種香辛料だった。レモンをミルクに入れれば分離することを彼は知っているはずだが。
いや、わざと分離させたいのかもしれない。不二の心となり共依存を引き起こしかけている二人の間を。
「小憎らしいじゃないか」
その言葉にHolmesの視線の端っこで何かかぴくりと反応した。
何でもないふりをして鋭い視線をそちらに送れば、そこはキッチン。そのサイドボードの下で誰かが息を殺しているのを見つけるとHolmesはくつくつと体を折って笑った。
「安心してほしい。こにくらしい、というのは決して君が味見しすぎて消えてしまったお肉ではないよ」
「あ゛ーっ、チョココさん! 全部食べちゃったんですか!!?」
「ちょっと美味しすぎたですのーっ。それに食べたのは肉じゃなくて魚ですのーっ」
やおら始まるクレールとチョココの追いかけっこに一同はケラケラと笑いあう中、ルナがすっと女の横に膝をついて座り、その横で照れたような愛らしい笑顔を彼女に向けた。
「ああ、良かった。ステラさん、笑顔ですよ」
「はい……久々に、笑った気がします」
笑顔というにはか細い顔の表情ではあったが、ルナにはそれが彼女が今精いっぱい笑っていることを感じ取ることができた。
「私もうまく笑えないときがあったんですよ、何してもダメで。止まったらもうどうやって笑ってたのか、それすらも分からない時があって」
歌うのは、もうやめよう。絶望の中の決意をしたことを今でもルナは思い出す。
「でも一歩踏み出せたのだからもう大丈夫」
窓から差し込む日差しを目を細めて仰ぎながらそう言うと、ルナは日差しを浴びる女の膝にそっと手を触れた。
「お日様の温かさ、風の囁き、大地の香り。取り巻く色んなものが自分を助けてくれているって感じられるようになりますから」
「……言わんとしていることはわかる。でもまだ、心が受け入れられない。でもそうなるように、するわ」
まっすぐな人だ。
ルナはにこりと笑うと、優しい秋の日差しと舞い込む風のリズムに乗せて小さくハミングし始めた。
「あっ、あっ、もう演奏会始まっちゃいますか!?」
ルナのハミングはいつだってよく通る。
その声につまみ食いされた分だけ新たに料理を作り直すクレールと、つまみ食いをした罰にお手伝いするチョココと、それから料理に使うリンゴを芸術的に剥いていくHolmesの顔が一斉に向いた。
「え、あ、まだですよ」
「あら、そういう予定なのね」
女はみんなの予定の混乱具合にまたくすくすと笑いだした。
「はい、アイデアルソングと言って、マテリアルの……いえ、ステラさんの生きる力を活性化させることができる歌をお送りしたいなと思っていたんです」
最初に挨拶した時は姿形だけで畏怖した彼女であったが、おだやかさを取り戻した彼女は覚醒者の持つ不可思議な力が加えられることに否定することはなかった。
「お願いします」
「おっと、その前に」
Holmesが二人の間にリンゴを差し出した。
半分になったリンゴの局面に刻まれた切れ込みが白鳥の翼のようにして大きく広がっている。それ指で滑らせると翼は閉じて水面に泳ぐかのような姿になった。
それが何よりも、飛び立つのはもう少し待ちなさい。そんなメッセージとなった。
「料理にも最高の瞬間というものがあってね。それも鑑賞してほしいところだ。出来立てというんだけれど」
Holmesが軽くウィンクして視線をキッチンに寄せると、クレールとチョココはまた思い出したかのように慌てて料理に取り掛かった。
●歌
さっぱりとしたジュース、ポトフ、白身魚のソテー、それから、ささみのサラダと半熟卵付き。
彼女の薄暗い部屋の窓という窓、扉という扉を全部開ければ、薄暗いと思っていた家全体は思った以上に明るいものだった。
「今までどうしてこんな暗い場所においででしたの?」
「光が眩しすぎたの。光が差し込むとどうしても影が生まれる。その境界が目に付くごとに……苦しくなって」
チョココの質問に女は答えた。だが、影に縛られてしまうような危うさはない。
それに唇を噛んで、感激に耐えているのは青年の方だった。目は赤く、せり出た鼻は細かく揺れていた。
「……一時でも、こんな時間を彼女に過ごしてもらえるだけで、良かった」
「何言ってるの。これからずっと続くのよ」
未悠にそんな言葉かけられて、青年は小さく頷くしかできなかった。
それを見た女もまた、俯くばかりであった。
「辛いですよね。看てもらってる人に迷惑かけているって……それで自分が嫌いになっていくんですよね」
鼻をくずらせて女はクレールの言葉に頷いた。
わかっている。
全部わかっている。
なのにどうしようもない、自分の心と身体が動いてくれない事実と、それに躍起になって心がすさむこと、それを看護人が怒りもせずに淡々と相手をしてくれること。全部が辛いこと。
クレールはよく知っていた。だから同じ顔はせず、飛び切り明るい笑顔で2人の手をとるのだ。
「辛い顔、消してみせます」
もしかしたら彼女たちの姿は昨日の自分たちからしれない。
もしかしたら彼女たちの姿は明日の自分たちかもしれない。
自分たちにダブる姿ならなおさら、二人が救われますように、これ以上苦しむことの無いようにと願わずにはいられない。
クレールは立ち上がった。その姿は先程までのエプロン姿ではなく、恋しょこのメンバーの一人としての姿だ。
「♪想うは月の影……暗き道を照らす光」
リュートのつま弾きと共に、ルナが歌うと共に彼女の身体から蒼い音符が流れ出る。
「ふわ、森の時とはまた違う光景ですの」
依頼人たちと共に聴衆に回ったチョココは音楽に満ち溢れる部屋を見上げて呟いた。
故郷の森では光に包まれていたけれど、今度はクレールの竜の紋章が部屋に照らされ、まるで夜伽の物語の世界に変わったようだ。
「♪幾千の夜を 幾万の星と共に」
ルナのリュートの音色が一層はっきりとするごとに、部屋の影は幻想的な青色に染まっていく。
そこにクレールの熱のこもった言葉が紡がれるごとに星が瞬き、艶やかな宇宙を作りだす。辛い過去も、傷ついた心もすべて包み込んで溶かしてくれるようなホットチョコ色の世界。
「♪願うは静謐 蒼に揺られて ただひたすらに」
「みんな……」
女が空を見上げてほろりと涙をこぼした。
他の誰が見上げても、彼女の言葉が指す人の顔はみえない。だけれどもそれが逝った仲間達なんだろうとは皆すぐに気づいた。
彼らは笑ってくれているのだろうか。くしゃくしゃになった女の顔からは読み取ることはできなかった。
「♪想い届けよ 蒼月の夜に」
Holmesは周りの光景にも飲まれずひたすらに女の顔だけを覗き見ていた。やがて静かな平穏に戻る部屋の中でHolmesはそっと彼女に囁いた。
「また会いに行こう。見捨てなければ、犠牲にしなければならなかった仲間に。そのための『日常』だ」
「そうだね。僕も……最後まで手伝うよ」
Holmesとは反対側からアシェに背中を押されたソルトが膝まづいて、彼女のもう片方の手を取った。
非覚醒者の自分が悔しい。と悲嘆した彼はもういない。
「君と共に生きる為に」
うん、と未悠は大きく頷いて二人を祝福した。
共に死ぬまでなんて後ろ向きな誓いはもういらない。明日に向かって支え合う生き方をするために。
そんな二人に。そして2人の傷を癒した美しい音色に対して、皆はそれぞれに惜しみない拍手を送ったのであった。
もう窓を閉めて見えない闇に恐怖することはない。
温かな想いが妄執のベールを溶かして、見えなかった光が射してくれるのだから。
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日常を取り戻すために(相談卓) クレール・ディンセルフ(ka0586) 人間(クリムゾンウェスト)|23才|女性|機導師(アルケミスト) |
最終発言 2017/10/11 18:42:04 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2017/10/08 20:16:30 |