審判の朝、暁の空に望む星

マスター:藤山なないろ

シナリオ形態
イベント
難易度
普通
オプション
  • relation
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
1~25人
サポート
0~0人
報酬
無し
相談期間
5日
締切
2017/12/22 22:00
完成日
2018/07/18 15:30

このシナリオは5日間納期が延長されています。

みんなの思い出

思い出設定されたOMC商品がありません。

オープニング



「最後の最後で、我らを出し抜くか」
 大公ウェルズ・クリストフ・マーロウは、その日自らの邸に居た。信頼のおける側近を通した執務室。豪奢な椅子の背の向こうに広がる街を臨みながら報告を聞く、その表情は酷く険しい。
「ヘクス・シャルシェレットは審問会直後、至急教会の特殊治療室に運ばれており、現在もそのまま治療を継続しているとのことです。奴の証言通り、おそらくあれは“負の汚染”、その影響を強く受けている様子で──」
「……“よくも、人間でいられるものだ”」
 皮肉の故はわからない。だが、マーロウは遠くを見つめる眼差しのまま息を吐いた。
「国は奴に第一級の救命措置を施している、と。……あれが異端者にもかかわらず」
「はい。……また、同容疑により召喚されていた肝心のエリオット・ヴァレンタインですが、こちらは処分保留のまま釈放。当面は審問委員会の者が極秘に監視として張り付く旨の情報がありましたが」
「ふん、無駄なことを」
 困惑顔の側近を一瞥し、マーロウは机上に視線を落とす。そこには、自らが新たに認めたばかりの書状。宛先は──王国、その中枢。
「あれは“限りなく灰色に近い白”だ。恐らく直接歪虚と接触してはいまいよ」
「!? それでは、なぜ先の審問で……」
 ──ヴァレンタインを召喚したのか?
 気付いた男は、敢えてその先を問うことはしなかった。今に至る流れによって、答えは明白だからだ。エリオット・ヴァレンタインの異端審問召喚は、すべてヘクス・シャルシェレットを誘き寄せ、自白を引出し、彼を拘束することにあったのだ、と。
「あの騎士はな、黒大公に“奪われた”側の人間(貴族)だよ。──無論、私と同じとは言わんがね」
「僭越ながら……そうまでして、シャルシェレット卿をおさえる必要があったのでしょうか。いかに王家の傍流といえど……」
 ──訪れた沈黙は、決して短くはなく。老大公は、ややあって長い溜息をついた。
「この書状を、王城へ。あとは解るな」



 夜、王都第三街区の酒場にその男はいた。バーカウンターの隅でウィスキーのグラスを傾けながら、周囲の話題に耳を傾けている。
「見たか、昨日の号外。すっげえ大貴族が歪虚と通じていた、とかさ」
「第六商会を取り仕切ってる奴だったんだろ? そりゃ下手に触れねえよなぁ」
「は? 何でだ?」
「馬鹿、王国で商売やりたきゃ第六商会を敵に回せねえだろ。連中は農産業にまで進出してる。ほら、ノーム、つったか?」
「あー、なぁ……。この国の主要産業は何だって話か。ま、王国民なら十分すぎるほど恩恵受けてるしな」
「結局異端審問といえど、実際王国に何か事件っつーか、被害でも出てたのか?」
「うーん? そういや、そんな話は出てねえなぁ」
 話題は変わらず異端審問事件でもちきりだったが、不幸中の幸いか、あるいは“あの男の企み”であったかは定かではないが、現状はこの有様。
「……まったく、見事なものだな」
 ため息一つ、呷るようにグラスの中身を飲み干したのは、王国騎士団長ゲオルギウス・グラニフ・グランフェルト。
 彼は、ここまでの流れのおおよそが読めていた。教会と貴族が結託して異例の公開異端審問を開くこと。その対象がエリオットであること。そして、彼の審問が開始されれば必ずヘクスが出てくるだろうこと。それら総てをだ。
 だが、審問会後の状況はゲオルギウスの想定を遥かに上回る「静けさ」だったのだ。
 『清廉でないお前に、価値はない』──これは、ゲオルギウスがエリオットにかけた呪い(まじない)の一つ。
 清廉であり、国のために尽くしているのなら、いつか窮地に立たされた際「必ず救われることがある」。決して本人にその意を言うことはないが、彼は言葉の裏にそんな思いを託していた。恐らくは、自分自身が「そう在れない」からこそ、余計に強く言い含めたのかもしれない。
「貴方のところのお坊ちゃんは、ほぼ無傷で帰ってきたんですってね」
「さてな。あいつ自身は無傷などとは思っておらんよ」
 女主人が空いたグラスの変わりにチェイサーを差し出して笑う。
「そうかしら? もともとイメージの悪い人とか、妬まれやすい人が罪を犯すと、どうしても周りが批判的に話したり炎上しちゃうことがあるけど……“彼”の場合は、そうじゃなかった。少なくとも、こんな所で働いてるあたしが聞いてる限りは、みんな“彼”に同情的だわ。良かったわね、って……言えるかは解らないけど」
 審問の場においてエリオットの発言はごく僅かだった。
『――無論、知っていた。その上で、必要と思われる情報を入手した。それが、国のため出来得る最善だったからだ』
『此度の一連の疑惑、総ては俺の独断で――』
 審問後、拘束を解かれ釈放されたエリオットに対し、世論の流れは大きく一つ。これまでの功績と相俟って、およそ同情的な意見が広がっているというのが過半数だろうとみられている。
「公開審問で議場に民を引き入れたのは連中の失策だな。あれの愚直に過ぎる表情と言葉を直接浴びようものなら、民心にすら“義”が揺り戻る。……全く恐ろしい兵器よ」
「あら、貴方が“義”とか言っちゃうわけ? 彼に影響されたのかしら」
「抜かせ、此方は酷い目に遭わされた」
 悪態ついでに貨幣数枚を残し、老騎士は夜の街へと消えていった。



「……ヘクス・シャルシェレットに、面会を願いたい」
「出来ん。だが、もし可能な状態であったとしても、貴様だけはここを通さんだろうな」
「せめて、あいつの容態を教えてはくれないか」
「ならん。何度繰り返そうと無駄だ」
「頼む、この通りだ」
「……どうか帰ってくれ。俺だってなぁ、“そんな様子のあんたを見るのは、耐え難い”んだよ」
 ヘクスが教会の特殊療養室に収容されてから数日。エリオットは彼に会うことはおろか、容態すら把握できない状況が続いている。騎士団からの謹慎処分という名目の自宅待機命令を受けているが、それを無視することは織り込み済みなのだろう。
 青年が外に出れば、同時に二、三の影も動く。命令があり、重ねて監視の目もあると理解しながら、それでもなお“そこ”へ行く足を止められなかった。

 第一街区、ヴァレンタイン別邸前で待ち受けていたのは目立つ赤い女──鬼の頭領、アカシラだった。
「隊長サンよ、命令無視してどこ行ってたんだい?」
「お前、どうしてここへ──」
 しかし目が合った途端、アカシラは青年に詰め寄り、その頬を張ったのだ。
「時化たツラしてんじゃないよ」
「……悪かった」
「それ。アンタの指揮したメフィスト決戦、本体の大蜘蛛相手に黒の隊の──アタシの部下が大勢死んだことかい?」
 視線がぶつかり合い、殺し合いでも始めようかというほど空気が張り詰める。けれど。
「団長の使いだよ。読みな。んで、さっさと支度するこったね」
 去り行く女の背中を見送り、手紙の封を開ける。書かれていた文面に青年はただただ目を伏せた──。

リプレイ本文


 
 エリオット・ヴァレンタインは本質的には善良で生真面目な人物だ。職の内外に関わらずその傾向は変わる事は無い。彼は今回の事件で内心に思う事は多々あったが、仕事が与えられてしまえばそれを完遂しようと自分を律する事が出来た。騎士団長ゲオルギウスの命令は「頭を冷やせ」と言外に伝える意図もあったのかもしれない。あの老人がそこまで他人に優しい人物であると仮定すればの話ではあるが、一定の理があるようにエリオットには思えた。
 これまでの事件を経てなお表面上は何も無かったかのように振舞うエリオットは、彼を知る者からどのように見えただろうか。その無言に解釈の余地はあったが、彼を良く知る者達の心象をざわつかせた事だけは確かだった。ルカ(ka0962)がエリオットを見かけたのは祭りも徐々に温まる頃合い、手伝いの最中に彼と出会った。
「祭りの日には似つかわしくない顔ですよ」
「……普段通りのつもりだが」
「いえ、いつも以上の仏頂面、です」
 それは些細な違いだったがエリオットは「そうか」とだけ呟いて隠すように手で口元を覆う。日頃周囲からの印象に無頓着な彼がそうして見かけを取り繕う行為が、ルカにはたまらなく辛かった。
「………貴方にとっての騎士道はそれで良いのですか?」
 エリオットの視線がルカに向けられた。目の前の人間の声の重さを聞き違うほどには抜けていない。
「国、民、王の命を守るだけが騎士なのか。あなたは剣を捧げた王の心は守っていますか。―――貴方が傷つけば、貴方の大切な人の心も傷つきます」
 切実な声だった。
 「心」以前に、王の命を守れなかったエリオットにとって、責め苦のような問いだった。しばし視線を落とすと、一呼吸置いてルカに向き直った。祭りの日の為に用意した『顔』は消え去って、騎士エリオットとしての鋭く厳しい顔つきに戻っていた。ルカがその変化に気づくのを待ち、エリオットは良く通る声で答えを返した。
「お前の思う騎士の道は正しいのだろう。 臣下の不徳の致す所だ」
 明瞭な肯定と拒否であった。ルカの言葉は伝わっている、王女の悲痛も知っている、騎士の理想も胸にある。だがエリオットの答えにはその続きが無い。普遍的な理想を理解していても、そんな理想を全う出来ない程度に、彼は多くの責任を背負い込んでいる。同時に彼は今の自分の行動を最善と信じている。それでは何も変わらない。ルカは言葉を重ねようとしたが、クリスティア・オルトワール(ka0131)が二人の間に入ってそれを制した。
「お二人とも。せっかくの祭りの日ですから、今日は気分転換といきませんか?」
 クリスティアが慮らねばならぬほどにエリオットはその苦悩を外部には漏らしていなかった。仕事に集中する効能だろうか。祭りの手伝いをする人間が暗い顔をしていては浮かれた気持ちに水を差す。彼が普段の騎士の職務も同じように捌いてきたのだと思うと胸が痛い。
「それと……これは私の独り言ですが。エリオット様は十分に頑張っていらっしゃいますよ」
 ルカの言う通りエリオットを想う人々も傷つくだろう。彼が最善と信じ、少なくない犠牲を払って選んだ道だ。彼の職務はその始まりから夥しい流血を土台にし、流血でもって維持されている。
 ルカがエリオットを心配していないわけでも、クリスティアがエリオットを甘やかしているわけでもない。エリオットがだいたい悪いのだがその解決方法に致命的な隔たりがある。そこへ、レディファーストとばかりに少し離れた場所で控えていたクローディオ・シャール(ka0030)がやんわりと問いを重ねた。
「クリスティアの気持ちもわかるが、私も『その話』は詳しく聞いてみたい」
 騎士は何をもって騎士となるのか、その問い自体は非常に意義がある。ただの軍人であってはいけない、ただの戦士であってもいけない。ましてや忠誠だけ、理想だけでもいけない。そして全てを望むのは人の身にあまる。騎士の核たる要素、それをエリオットの口よりきいてみたい。
「良い機会だ、エリオット・ヴァレンタイン。黒の騎士となり貴方の部下となった私に、『黒の騎士』として何を為すべきか、方向を指し示してくれないか」
「難しい問いかけだな」
「そうかもしれないが、貴方には“見えている”のだろうと思ったんだ」
「……そうだな」
 エリオットは数秒だけ顎に手を当て思考に集中する。彼の中に答えはあるが、概念を言葉に切り替える時間が要る。
「黒の隊に課せられたのは歪虚に打ち勝つこと、この国を守る剣となること。選抜対象をハンターらにまで広げたのは、千年王国の『固定化された理念』を超え、未来を掴み得る『新たな選択肢』となることを期待しているからだ。……クローディオ、お前たちには信頼を置いている。何時どのような場所にあっても、必ず騎士の務めを果たすだろうとな」
 なんとなくクローディオにも理由はわかった。耳障りの良い言葉で取り繕っているがこの問いかけは詰まるところ、エリオットにもそのまま跳ね返る。未来のために為すべきを為す。例えそれがどんな手段であろうと──。彼自身も同じように誰かの為と信じて行動しているが、今この場にあっても彼の行動の是非を問う声は強い。力量不足で諦めるという事が許されない過酷な道でもあるのだ。彼が新たな騎士達に求める事は、自身がそうあれかしと願った姿。心技体揃ってもなお過酷な道を行けと彼は言う。
「確かに承った」
 それは望む所でもある。理想は得難いからこそ価値があるのだ。果たしてその道の果てはどこに至るのか。目の前の実例を見てもなお同じ道を歩めるのか。エリオットの視線は期待でもあるが、警告でもあるようにクローディオには思われた。




 夜の酒場はどこも騒がしい。仕事を終えた人々が酒精を求めて集まるのだから当然だ。加えて今日は祭りの夜、普段以上の騒ぎになるのは当然のことであった。どのテーブルもアルコールで顔を赤くした人々が楽し気に笑いあっている。この日ばかりは普段口うるさく注意する巡回の兵士達も輪に混ざり、ハンター達のような外部の者まで交えて大いに盛り上がっていた。
 祭りの日の酒場には普段目にしない者達も姿を現していたが、今日は一段と珍しい顔が二人いた。一人は鬼の棟梁アカシラ、もう一人は騎士団長ゲオルギウス・グラニス・グランフェルト。この場に居るのがおかしい人物ではないが、立場もあり多忙でもある為に顔を出す事は稀な二人である。珍しい二人を目当てに多くの人が入れ替わり立ち代わり言葉をかわしていった。ハンター達もこれは例外ではなかった。
 アカシラの席の近辺は屍がうず高く積まれていた。開店と同時に店に入り、ワインを水か何かのように飲み続けるアカシラに付き合っていた無謀な者達の成れの果てである。一人ずつ力自慢によって席の周りから移動させられているが、じきに同じ末路を辿りそうな赤ら顔の者達も大勢いた。その周辺で平気な顔をしているのはアカシラの他では酒豪のヴィルマ・レーヴェシュタイン(ka2549)と、空気に飲まれずペースを守っているフォークス(ka0570)だけであった。この席で騒がしいのは主にアカシラとヴィルマの二人だけだった。
「そんでそン時のバカがーーーーー」
「なんじゃそれは。訳がわからんにもほどがあろう。お、お腹……痛い。ンフフフフフ」
 アカシラの昔話にヴィルマは机に顔を突っ伏しながら笑っている。アルコールで笑いのハードルが下がった二人は割と大したことない笑い話でも大いに笑っていた。笑いがひとしきり収まった後、互いの杯に酒を注ぎあう合間を見計らい、席にもう一人客が現れた。アカシラと同じく人を上回る長身の鬼、セルゲン(ka6612)だ。
「鬼の棟梁、アカシラ殿だな」
「あ? いかにもそうさ。あんたは?」
 アカシラは酒を飲む速度を変えずに応じた。立ち上がるのも億劫というよりは「お前も気にせず楽にしろ」という意思表明がより近い。
「俺の名はセルゲンという。是非とも一度、棟梁と話がしたいと思ってな」
「なるほどね。で、なんだいその花は? アタシを口説きに来たのかい? それともその花は酒のあてになるのかい?」
 アカシラはセルゲンが持ち込んだ花束に視線を移す。言われた言葉にセルゲンは戸惑ったが、自分の行動がどう見えるか気づいたのかすぐに彼女の考えを訂正した。
「この花は、アンタの部下の墓前に供えてほしいと思い持参したものだ」
「なんだ、アンタもそのクチかい」
「も?」
 知らぬ顔で黙って話を聞いていたヴィルマが微妙な顔つきになる。それを見たフォークスが意地の悪い笑みを浮かべていた。
「こっちのことさ。ともかく話はわかった。けど今は気持ちだけ受け取っておくよ。それはあんたの手で供えてくれ。墓の場所なら教えるよ」
 セルゲンは言われて花を引っ込めた。受け取るにしてもここは酒盛りの席であり、死者に手向ける花は場違いだろう。
「わかった。これは手ずから供えてこよう」
 生真面目に答えるセルゲンにアカシラは呆れたような笑みを返す。アカシラは自分の杯を空にすると、ワインをなみなみと注いでセルゲンに差し出した。
「折角だ。一杯飲んでいきな」
 少し驚きつつもセルゲンは渡された杯を一気に呷り、丁寧に杯を返した。
「今日はひとまず用を終わらせてくる。いつか同じ戦場で戦えることを望んでいるぜ」
 一礼するとセルゲンは喧噪のやまない酒場から背を向けた。最後の言葉は言葉通りの意味だろうが、わかった上でフォークスは冷かすことにした。
「やっぱり口説かれてたんじゃないのかい?」
「ったく。どいつもこいつも真面目過ぎるんだよ。あんたらもだよ」
「我もか?」
「おうとも。見ず知らずの相手を記憶しておこうなんてのは真面目なやつのすることさね」
 アカシラの言葉は笑い飛ばすような語り口だが、どこか嬉し気な笑いを含んでる。この席でのバカ笑いはアルコールの影響として、その話題に彼女の死んだ仲間の話を望んだのはヴィルマだった。ヴィルマもフォークスもこの席についた目的は同じ、命がけで戦った鬼たちへの感謝を伝えるためだった。彼らとの思い出で一番古いのはチョコの騒動だ。誰もが互いの文化を良く理解しないまま、それでも誰かの為になるならと駆けずりまわったお祭り騒ぎのような月日。遠い日から今日までの大事な思い出を共有することは、葬儀に通じる大事な儀式だった。そうして仮初の儀式を行ううちに、アカシラの言葉は驚くほどに軽くなった。愚痴をこぼす事も同情を誘う事もしなかったが、彼女と彼女に付き従う鬼達の軌跡は周囲が思う以上に平坦でなかった事が、アカシラ本人の口より語られた事の意義は大きいだろう。
 ヴィルマとアカシラは大いに笑う。その横でフォークスは相槌を打って小さく笑みは作りながらも、胸のうちの痛みを消せないままアルコールを体内に貯めていった。アカシラが彼らの死を納得している事と、フォークスが死者に罪悪感を抱くことは別の問題だ。フォークスが酒に酔えない理由の半分はそれだった。フォークスにはこの国に思うところなどない。メフィストとの決戦に参集したのは別の理由だ。あの蜘蛛が自分の醜い感情や記憶を、何もかも見透かしているような気がしたからだ。実際にどうだったかはわからない。結果どうなったかは、セルゲンの語った通りである。
 自分の中の醜い感情のすべてと、彼らは無縁のように見えた。羨望なのかもしれない。周囲がこんな人物ばかりなら、自分も醜い感情と無縁でいられたのかもしれないと。
「アイツらもアンタらも、強いネ。あたいよりもずっと」
 笑いあう二人の眩しさに目を焼かれながら、それでもフォークスは目を逸らすまいとした。
「おうとも。腕っぷしなら自信があるよ」
 フォークスが言葉に込めた意味の半分も伝わっては居なかったが、フォークスはそれでよかった。湿っぽいのは自分だけで良い。彼女達の陰りの無い強さに憧憬を覚えたのだから。
「おっと、酒が切れたね。マスター、酒もってきな!」
 アカシラの酒盛りは今しばらく続きそうな気配であった。




 常に人だかりが出来て酒盛りの中心となるアカシラの席とは対照的に、騎士団長ゲオルギウスの席は喧騒を遠巻きに緩やかな時間が流れていた。ゲオルギウス自身がそのようなバカ騒ぎを求めていない事に加え、彼の性格・年齢・立場から彼の席でそのような大騒ぎを起こすほどの人間もいなかった。祭りの喧噪を肴に静かに一杯、そういう予定だった。空気を読まない誰かさんが来るまでは。
「爺さん、飲んでるか!」
「……ち、見つかったか」
 老齢なのは事実として騎士団長をこんな風に呼ぶ人間は他には居ない。アルコールで程よく理性が消えてるジャック・J・グリーヴ(ka1305)であった。
「クソ蜘蛛討伐ご苦労さんて事で酒飲もうや」
「貴様に言われんでも飲んどるわ」
「騎士団被害は甚大、貴族はキナ臭ぇ。それでも前には進んだ。祝うべきだろ。だから飲め飲め!」
 あからさまな溜息に気づかぬふりをしてジャックは酒瓶を並べたわけだが、流石に騎士団長は老齢である。付き合いはともかく若者のようにパーっとは飲めない。茹でたソーセージを酒の合間に食べながら、ペースを崩すことなくジャックをあしらっていたが、同じ席に座るラィル・ファーディル・ラァドゥ(ka1929)、対崎 紋次郎(ka1892)は気が気でなかった。
「ジャックがそない言うても、メデタシメデタシってわけにはいかんしな。堪忍したってや」
「そんな事言ったらいつ祝いの席が開けるんだよ? 憂鬱になるだけだぜ」
 ジャックは言いながらもワインを呷るペースを変えない。ラィルとジャックは現状認識はほぼ同じだが、その取扱いには隔たりがあった。ラィルも区切りを否定しているわけではないのだが、どうしてもネガティブな未来予想が先に来てしまう。
「悲観も楽観も過ぎれば毒よ。少なくとも今は、国が健全であるために祝うべきと思うが」
 ラィルの感傷を切って捨てるかのようにゲオルギウスは言う。国の現状を理解している男がこう言う以上はラィルもそれに従わざるを得ない。異端審問会があった以降の動きは不透明で、水面下を想像すれば楽しめないのも事実ではあるのだが。
「……国が一体となって、いうのはむつかしいもんやな。どうしたら手を取り合えるんやろな」
「…………………………」
 その問い、その祈りにゲオルギウスからの答えは無い。現実主義者にならざるを得ないゲオルギウスはどう落としどころを作るかと考えている。ただ手を取り合って「明日から遺恨は流して仲良くしましょう」という事は出来ない。貴族や政治家は人の縁の間でこそ力を発揮するゆえに、その力の大本である縁によって縛られる。これはもはや避けられない話だ。
 マーロウ大公がどうしようもない悪人であればこれほど悩むこともなく、粛清という安易な手段であってもある程度容認されただろう。しかし彼もまた国の未来を憂いているのは事実だ。大きな領土を預かり統治してきた経験と実績から、王女を血筋によって王に据える事は国家存亡の危機においては致命傷足りえると判断したのだろう。それは1面では十分に正当な意見だ。当時の王女が若く知識や判断力に乏しく、お飾りに近しかったことは否定できなかった。
「方法は無いでもないな」
「そうなんか?」
 ワインよりもハムを食べながら思考する対崎に、ラィルは訝しみながらも聞き返した。
「派閥が問題なら派閥を解体すれば良いだろう。強引にでもどちらかの派閥の旗印となる人物から権力を奪えば済む」
 それは恨みが残ると抗弁しようとしたラィルだが、それが今後起こりうる筋書では比較的穏当なことも理解できた。それが両派閥にとってどのような状態を指すのか考えれば、頷きようもないわけだが。
 場に沈黙が落ちる。騒がしいはずのジャックもその懸念を茶化す事は無い。沈黙を最初に破ったのは対崎であった。
「なんだ黙りこくって。なら丁度いい、騎士団長に聞きたいことがあったんだ」
「ほう? 言ってみろ」
 ややぞんざいな言い方だが、酒の影響もあるのだろう。突き放した言い方とは裏腹に体の向きを変えて聞く態勢にはなっている。
「現在行方不明のダンテとその部下たち、発見する事があれば騎士団はどう対応する? 戦う事も考える必要があると思ってな」
 ゲオルギウスの表情はやや呆れたような気配があった。
「そんな事は決まっておろう。人であれば救う。そうでなければ戦うだけだ。既に『元国王』を討伐しておる。今更躊躇う理由は無い」
 もし彼らが、既に人でなかったとしたら──それを示唆したところで、ゲオルギウスは顔色一つ変えることはなかった。覚悟自体は既に済ませている。騎士団としての問題はその後だ。
「ダンテと戦うとしたら何が効果的になると考える?」
「わからん」
 話を投げ出すように言い放ち、ゲオルギウスはワインを呷った。
「しかし、そこまで考えたなら歪虚騎士の資料を見ただろう。歪虚になった時点で空を飛んだり腕が伸びたり肌が金属になったりする。歪虚化したダンテが現れたとして、変異後の能力も弱点も現状ではわからん。国王のように性格も変わっておる懸念もあるわけだ。罠に嵌める算段も難しい」
 現状では対策の打ちようは無い。敵を捕捉して調べて、初めて対策を講じることが可能になる。ゲオルギウスであればおそらく幾つかのパターンで作戦は思考しているはずだが、現状では情報収集の優先度がより高い。
「人間としてのダンテを殺す算段でいうなら無くも無い。孤立させろ、足は殺せ、逃げ道は塞げ。そんなところだな」
 なるほどとおとなしく聞いていた対崎だが、途中で首をかしげる。確かに騎馬隊として活動するダンテを倒すならその3条件は必須だが、その条件はつまるところ──。
「正攻法で戦えということか?」
「そう言うことだ」
 ゲオルギウスはつまらなさそうに対崎の答えに頷いた。
「いくらあの体力バカでも限界はある。殺すこと自体は奴以上の戦力をぶつければ可能だろう。メフィスト以上の化け物ということもなかろうからな。問題はあいつが単なる猪ではないということだ。あいつはあれで優秀な指揮官だ。進むか引くか、戦うか逃げるか、その大事な選択を弁えている。それが可能かどうかもな。仮にメフィストに歪虚化されたのならば『傲慢』の歪虚になるわけだな。傲慢になって弱体化していることを祈るばかりだ」
 ゲオルギウスは傲慢を弱体化とみなした。自信に漲るあの男の姿を傲慢ではないとそう評価したという意味でもある。
「爺、そんな話よりも大事なことがあるだろ」
「酔っ払いの妄言よりはだいぶ有意義だが?」
 ゲルギウスは肩まで組んで絡んでくるジャックを鬱陶しそうに振りほどこうとするが、今日はどうにも絡み方がしつこい。
「まあ聞けって。俺は決めたんだよ。俺は何もかも笑い合える世界を作る、世界を変える。その障害となる今のこの世界が俺の敵だ。頭お花畑と笑いたきゃ笑え。荒野にいるよか花畑のがよっぽど楽しいじゃねぇか」
 酔って本音が出たのか、あるいは酔った振りなのか。素面に見えた事もあまりなかったなとゲオルギウスは思い直す。これはジャックらしい夢の語り方であり、ジャックらしい意地の張り方でもあるのだろう。
「俺様の野望の足掛かりとしてまずこの国だ。円卓の椅子、俺の分も用意しとけよな。近い将来ふんぞり返ってやっからよ!」
「口ばっかり達者なクソガキめ。……椅子は増やさん。蹴落とすつもりで来い」
 ゲオルギウスの目には今までに無い凄みがあった。騎士の矜持などではなく、野心家の見せる貪欲な気配だ。ジャックはその目に答えるようにビールを呷った。貪欲さにおいてはジャックは引くわけにはいかない。
「前言撤回すんじゃねえぞ爺さん。そんで話はあともう一つある」
「手短に言え」
「爺さんもう年だろ? 若いやつに後は任せて、ギャルゲをやれ」
 今日一番のダメなセリフをジャックは臆面もなく口に出していた。意味の分かった人間は「おい止めろ」と言いたげな視線を送ったがそれでジャックが止まるわけもない。幸いにしてゲオルギウスに意味は通じておらず、「チェスでも始めろ」ぐらいのニュアンスで伝わり事なきを得たのであった。




 祭りの日にあっても喧噪から遠い場所もある。主要な道路から外れる場所は自然とそうなるがその場所、王都の合同墓地は一段と静かだった。いつも以上に人の気配の無い墓地の中央に近い場所に、花を手向ける人影があった。女性らしい細さと鍛えた人特有のしなやかさを特徴的な赤い衣装で包んでいる。彼女、アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)の目的はここに埋葬された友人ソルラ・クート(kz0096)への墓参りだった。アルトは白い花束を墓石の前に置き、膝をついて祈りを捧げる。知識のある範囲で祈りの作法はエクラ教に合わせた。死者に少しでも想いが届けばという、彼女なりの感傷でもあった。
「なんだ。先客がいたか」
 アルトが無言で顔を声の方向に向けると見知った顔が居た。鳳城 錬介(ka6053)、彼もまたソルラの友人の一人である。手にはアルトと同じく花束が握られている。立ち上がったアルトと入れ替わり鳳城は花束を墓石の前に並べた。
「あなたもメフィストが倒れた事の報告に?」
「そうだよ。メフィストとの戦いで命を落とした全ての人達にね」
「はは。同じ報告なら省略しても良かったかもしれませんね」
 鳳城は間の悪さに苦笑した。だがそれは墓参において本質的ではなく、報告に訪れた事にこそ意味がある。苦笑する鳳城とは対照的にアルトの顔は凪いでいた。
「仇はとった。でもそれだけじゃ終わりじゃない」
 アルトの胸に去来するのは今日これまでの戦いで見てきた想いの煌めき。これで終わりにしてしまうには背負うものが増えすぎてしまった。メフィストさえ討伐できれば騎士を辞めても良いと思っていたはずだったが、それだけで収まらない想いの流動を胸に残している。アルトの祈りは報告と同時に変化への自覚、未来への決意だった。
「……名前、増えましたね」
 呟いたのは祈りを終えて立ち上がった鳳城だった。共同墓地に刻まれた戦死者の名前のことを指しているのだろう。共同墓地は来るたびに戦死者の名を増やしている。人間同士の戦争とは勝手は違うが、小競り合いとは言えない規模の戦闘が常に続いている。
「こんな戦い、いつまで続くのでしょうか」
 鳳城も以前のままの彼ではない。ここ数年で心身ともに成長をしている。以前よりも多くの物が見えるようになった。それでも先行きが見えない。王国民の多くが不安を抱くのと同じように、彼もまた先の不安を解決できずにいた。
「……自分の事も上手く出来ないのに、余計な心配なのかもしれません」
 アルトはその言葉に溜息で応じた。そこにどんな感情を込めたのかはわからない。
「つかぬ事を聞くけど、エリオットさん見ませんでした?」
「さあ。何か用事ですか?」
「イスルダ島の黒羊神殿をもう一度踏査したい。その為の上申をしようと思ってさ」
 気になっているのはメフィストの仕込みの残骸だ。騎士の死骸を素体として操っていたかの歪虚なら、赤の騎士を素体として保存している可能性がある。無論、島は神殿も含めて人類圏となった以上神殿にそれが残っていることはなかろうが、陰謀がそれだけと限った話でもないだろう。敵の動きの無い今の内こそが、地固めに最適の時間なのだ。
「貴方は強いですね」
「そうかな?」
 不思議そうにアルトは首をかしげる。鳳城は「ええ」と嬉しそうに微笑む。少なくとも彼女は未来への道を既に見据えている。それが解決に向かう道かはわからずとも、歩き続けることを止めない姿勢は鳳城には眩しく見えた。
「俺も強く、ならなければ」
 アルトを見送って、鳳城は深呼吸。立ち上がって共同墓地に背を向けた。強くなるには、同じところでうずくまっているわけにはいかないのだ。




 神代 誠一(ka2086)は並んだ華やかな露天の中で、面白い物を見つけた。ジョークグッズのヘアバンドで主に女性向けのその品は、祭りの最中だというのに愛想の悪い戦友に良く似合うと思われた。一緒に歩いているジェーン・ノーワース(ka2004)は時折立ち止まっては物思いにふけって足を止める。どうせネガティブな思考に取りつかれているのだろうが、ハレの日は節目を迎えるためのもの。大事なことを思い出してもらおうと、誠一は周りの見えない戦友の頭に背後からそっと忍び寄り、ヘアバンドをかぶせた。
「……なに?」
「似合ってるぞ」
「そうじゃなくて」
 誠一はくっくっと笑って体を折る。訝しんだままのジェーンだったが、装身具を売っている露店の鏡でヘアバンドの正体を見て、乱暴に猫耳のヘアバンドを取り外した。何かを言おうとして言葉に詰まり、呆れたような溜息で些細な文句を流した。猫耳のヘアバンドをしばし見つめたジェーンは誠一の顔を見ないように視線を横に逸らした。
「貴方は楽しそうね」
「当然だろ。祭りなんだ、楽しまないと」
「簡単にそんな気分には成れないわ」
「それはそうだ。だから祭りをするんだよ。君みたいに難しい顔する人にも、笑ってもらう為にね」
 ジェーンは思わず無言になる。それが正当な理屈であっても、誰かの為に願いを込めて言葉に出来る者は少ないだろう。願いは歪みやすく散逸しやすい。人は己が願望に振り回されながらも、最後の核心を守ろうと傲慢を振りかざす。誠一の言葉にはそのような衒いはない。
「……強いのね」
「強いのはジェーンのほうだろ」
 ジェーンは誠一の在り方、曇りなき眼と惑わない心を強いと評した。すべき事を理解し、出来る事に力を注ぐ。言葉にすれば容易いが、誰もが彼のように真っすぐに生きられるわけではない。
 誠一はジェーンの在り方、硬軟合わせ持つ戦い方を強いと評した。撚られた糸のように細く頼りないが、強靭で千切れる事が無い。
「ジェーン、嫌じゃないなら今後も俺を使え。君の強さと矜持は俺のそれと相性がいい」
「…………」
 ジェーンはそれには返事をせず、くるりと背を向けて歩き始めた。内面は推し量れないが、否定されたわけでない事は誠一にはよくわかっていた。
「……あ」
「うん?」
 不意にジェーンが声を上げた理由は、彼女の視線を追えばすぐに判明した。エリオット・ヴァレンタインがハンターらしき人物を連れて歩いている。ジェーンは小走りでエリオットの元に走っていく。彼女にとって他人の好意は気恥ずかしい物だったのかもしれない。誠一は一呼吸分ほど間を開けて、ゆったりした歩みでジェーンの後を追った。
「……ねえ」
「ジェーン、どうした?」 ジェーンと会話を始めながらも、エリオットは誠一に軽く目礼する。彼も歴戦の戦士ではあるが戦場以外では武の圧力よりも育ちの良さが表に出る。ここ最近の内心の波を見事に隠して対応するだけの余地があった。けれど、近づいて聞こえてきた言葉はいずれも彼にとって耳の痛いものだろうと慮ることはできる。
「貴方、優先順位をいい加減間違えすぎよ」
「……“何”と“何”の、だ」
「“貴方”と“世界、その他すべて”」
 小さな吐息。そして。
「自分を大事に、とか……寒気がする言葉をかける気なんてない。そんなんじゃない」
「大丈夫だ、解ってる。……解っては、いるんだ」
 ──なぜ私と貴方が似てるのか。通じる“根底意識”は舐め合うものじゃないけど。
 秘めた思いを洩らさず、降りてきた掌を払いのけて踵を翻す少女。
 自分のことを棚に上げてのセリフで誠一の苦笑いがこぼれる。二人が不器用なのは解っているつもりだが、話はそれほど簡単なことではない。彼は、彼女は、一皮むけば自己嫌悪に塗り潰されそうなほどの後悔や苦悩を抱えている。それでも必死に歩き続けているのだ。
 エリオットは強いのだと素直に感じた。同時にこの人は弱いのだと直感した。巨大な力の代償として重い足枷で繋がれている。人の繋がりを力とした者の行く先の一つだ。一歩間違えば人はこうなる。それは暗澹たる自身の未来予想図にも重なった。




 噴水のある広場に差し掛かった時、エリオットは雑踏の隙間から尋常でない圧力を感じて足を止めた。害意は無い事はわかっていたが、少しばかり空気が張り詰めるのは仕方ない。その空気に覚えのあるエリオットは人の流れを避けるように路地の曲がり角に進む。彼を追いかけてきたのはリリティア・オルベール(ka3054)だった。
「まさか仕事が終わった、なんて思ってませんよね?」
「祭りの仕事か?」
 エリオットはリリティアの剣呑な雰囲気を誤魔化すように驚いた風な顔を作る。
「貴方の本来の職務の話です」
「……何をそんなに怒っている?」
 エリオットの顔は自身の非を理解せず、心底理解が及ばないという顔であった。
「貴方は異端審問で諸共に裁かれて、退場しようと考えているのではないですか?」
「その話か」
 先の異端審問に際し、ヘクスの主張を前に取り乱した事はエリオットにも自覚はあるが、そこまで弱って見えるものかと驚いた。尚も詰め寄ろうとしたリリティアだが、横合いからルベーノ・バルバライン(ka6752)がエリオットの肩を掴んで引き寄せた為に出鼻をくじかれた。
「良いではないか。英雄殿には英雄殿の言い分がある。浮かぬ顔の理由をまず聞けば良かろう」
「ちょっと貴方───」
 酔っているように見えたルベーノの目にまだ正気が残っていることを感じ取り、リリティアは怒りを一時飲み込んだ。
「例えばそう、親友に後を託されたその信頼が重いとでも?」
「……」
 エリオットは口を閉ざした。英雄と評された事には拒絶反応に近い感覚を覚えたが、彼の言うように信頼を重いと感じた事は無い。言葉を発することを拒んだことには、別の理由があるのだろう。
「燻っていてはいかんな。打てる手を打つためなら命も要らぬ。次の謀のためにすでに動く。それが英雄殿の友人だろう」
 周囲から見れば自分の今日の行動は足踏みに思えるのだろうか。ヘクスの件も、働きかけるのが当の自分では動くものも動きはしないだろう。それを捨て置いても良かったのかもしれない。
「俺は弱い人間だ。時に判断を誤り、時に感情の制御を失う。だが……あいつが自分の命を軽んじたことは一度もない。命を“要らない”と思ったこともないはずだ」
 エリオットはルベーノの腕をするりと振りほどいた。ルベーノは思わずたたらを踏みながら、手際の良さに目をしばたたかさせていた。
「あいつがもし“死”を選ばなければならなくなったのならば、それは……いや、止そう」
 リリティアとエリオットの視線がぶつかる。信念を持って言葉をたたきつけているのはお互い様だ。
「死んで手を引きたいと思ったことはないが、死に近いことも否定しない。しかし、残された人間には“天が命を残した理由”──いわば“天命”がある。それは、痛いほど理解しているつもりだ」
「………………………」
 最後にはリリティアが折れる形となった。リリティアは無言のままルベーノの襟首を掴み、文句を言いたげな彼を引きずりながら路地の奥へと歩みを進めた。エリオットとすれ違った後も振り返る気配の無いリリティアにエリオットは改めて声をかける。
「リリティア」
「何ですか?」
 律儀に立ち止まるリリティア。耳を傾けている気配はある。
「心配してくれたのだろう? 感謝する」
「そういうところですよ!」
 最初に声をかけた時よりも荒っぽい怒りをにじませ、文句を言うルベーノを引きずりながらリリティアは早足で歩き去った。




 街はたくさんの笑顔があった。祝杯を挙げる十分な理由がある以上偽りではない。その上で人々の笑顔の実態をどう捉えるのか。事実は変わらないにせよ、それぞれにこれまでの人生訓が垣間見える。
 祭りの中心である第三街区は王国民の変化を直接知るには良い環境だった。エリオットが奉仕活動として参加するのとは別に、ハンター達も個人の意思でもって祭りの中へと踏み込んでいた。あくまでも個人の行動であるため、多くの人がひしめく祭りの最中にあってそれらが交わるのは稀であった。裏方で雑用に走り回ったレイレリア・リナークシス(ka3872)と表に出て食べ物の調理と販売を担当した鞍馬 真(ka5819)が出会ったのも、単純に偶発的な物であった。
「戦場働きだと見えるのは仲間の顔ばっかりだろ? 仲間の事も勿論大事だけど、自分のしたことが本当に役に立ってるのか肌身で知りたかったんだ」
 休憩がてら屋台の裏の店舗に引き込んだ鞍馬は、そんな風に今日見たものを語り始めた。王国は長い戦いの最中に居る。今日はその節目となる日になったが、果たして王国の人々はそれを心から実感できているのだろうか。苦痛が続くばかりの生活では回ってきた幸福を噛みしめるのに時間が掛かったりする。だから彼は変化の実感を知りたかった。
「皆の笑顔を見てたら希望が持てたよ。それとも楽観的に過ぎるかな?」
「希望を見る事と楽観的であることは違います。全てが終わったわけでない事は、貴方も十分に理解しているでしょう?」
 レイレリアの指摘に鞍馬は無言で答える。王国の民の全てがハンターのように多くの情報に触れられるわけではないが、自分の住む国の不穏な空気は肌身で感じているだろう。軋轢が流血となる一歩手前のような不穏さは祭りの熱気を容易に冷ます。歪虚達の首魁を2名討ち取ったことで好転した戦況も、ただ円満に終わったわけではない。次の脅威の気配が至る所に示されている。
「異端審問やって、はいおしまい。という事にはならないだろうな」
「何をするかはわかりませんがマーロウ大公は動くでしょうね。……それに、王国首脳部の懸念はそれだけではないのでしょう」
「でも姉さん達、その話題を今するには暗すぎへん?」
 ぎょっとして二人は声のする方、鞍馬の背後を見た。戦闘時同様に気を張っていたわけではないが、背後を取られた事は衝撃だった。それは背後に立っていた琴吹 琉那(ka6082)に、悪意がなかったゆえかもしれない。食べ終わったお菓子の包み紙を名残惜しそうにまとめながら、屈託のない笑みを浮かべている。
「先のこと考えんのは悪いことちゃうけど、ハンターも一緒に笑ったらええんやで」
「今ぐらいは、ですか?」
「せやで」
 琴吹はどことなく嬉しそうだった。レイレリアは怖くてその表情の意味を聞くことが出来なかったが、琴吹はあっけらかんとした顔で次の言葉をつづけた。
「ニンジャが活躍できる世界は、権謀術数と暗躍がうごめく時代やろ? これから忙しくなるんちゃう?」
 自分の時代が来た、という表現が正しいだろうか。ようやく役に立てるという自負だろうか。乱世を望む声にも聞こえるが、彼女の言葉はそのような剣呑さとは無縁だった。
「ニンジャも要らんようなったら、今度こそ本当の平和ってやつやろ」
 その時に自分は何をしているか。不安が無いでもないが、今日みたいな日が続くのならば悪くない。捨てようとして捨てられずもったままのクレープの包み紙。ゴミ箱を探しているだけなのだが、それをポイ捨てせずに持ち歩く精神性を持って、レイレリアは彼女の心根が善良であると理解した。




 半年ぶりに入った王都は変わらず熱気がある。文月 弥勒(ka0300)は益体も無くそんな感想を抱いた。変化が無い事を停滞と見るか、あるいは勤勉・努力の結果と取るか。文月はどちらであっただろうか。どちらかと言えば彼は変質こそが世の定めと割り切っていた。時代の変化を見つめる者ほど、その変化には敏感であるはずとも。
(半年あれば、マーロウが俺のことを買いかぶり過ぎたと思い直すには十分だ)
 悪辣な手を良しとする権力者相手にハンターという身分による保障だけでは心もとなく敵地を離れる、という体を取る事を優先した。今回の来訪に至った判断もマーロウの変化を証明する手立ては得られないわけだが、最悪でも普段以上の雑踏があれば逃げ出す事は出来る。文月はこの利をもって反撃に必要な情報を集める事にした。するかしないかではない。出来るか出来ないかという事実が身を守る。そして何より、やり返したいという意図も大きかった。
「マーロウ大公閣下のことですか?」
「それはもう立派な御方ですよ。おかげで私も商売がしやすい」
「王女殿下への敬意が足りません。大貴族ですがそこはいただけない」
「進退に関わるので俺からは何も」
 同じ質問を複数の相手に雑談を交えながら投げかけることを幾度。有名な人物である分だけその評価は答える者の立場や人格に大きく左右された。質問を投げかけたほとんどの者にとって彼は雲の上の人物であり、彼を知る手掛かりは公式の場での発言や彼の政策、彼の部下である文武官を通した物にならざるを得ない。その代わりに有名人である分だけ、彼が知りたかった家族構成・出自・財力・軍事力に関しては容易に情報が手に入った。出自・財力・軍事力に関しては大公の名に恥じない華々しい物、家族の話は平凡ではあるが名を連ねる大貴族は多い。親より受け継いだ領地を手堅く守り抜き、時に広げもした才能溢れる人物である。
 手早く情報は集まったが、市井の人々の持つ情報はこの程度でもあった。文月の行動範囲で接触しやすい者の中では、下級貴族の次男三男から騎士となった者達が文月の望む情報を比較的多く有していた。ここで文月は自分の見聞きした話を投げかけることにした。しがらみの渦中により近い者にこそ聞くべき話がある。
「イスルダ島の戦いで大公の息子を見たのだが───」
 ホロウレイドで死んだはずのマーロウ大公の息子。今顔を見せたという事は状況的に歪虚の手に落ちたと考えて間違いない。それを大公自身がどう捉えているのか。
「あ、ああ。それは俺も噂で聞いていた」
「しかし、それは」
 騎士達の口は重い。それぞれに思うところがあるからこそ、他人の思いに踏み込むような言葉は軽々に口に出来ないのだ。
「マーロウ大公はそれが理由で歪虚を憎むのでしょうか?」
 割って入ったのは誠堂 匠(ka2876)だった。物腰の柔らかい彼を、騎士達は敬意で持って迎え入れる。ハンターと騎士は上下関係の無い間柄ではあるが、黒の騎士の称号は騎士達にとって尊敬に値する。市井の者ではあっても最上位の騎士に認められた人物の前……それに、彼は先のメフィスト討伐戦における最大級の功労者の一人でもあり、騎士達の口も自然と軽くなった。
「大公閣下の気持ちもわかる、と言えば少々不躾であろう。だが息子を失えば私も同じように、強硬的な策を支持する立場となるだろう。そういう仲間も多い」
 子供を持つ者も持たない者も、その言葉には賛同した。歪虚への怒りと戦えない焦りは誰しもが大なり小なり感じている。マーロウ大公を権力欲に取りつかれただけの人物と捉える事は出来ない。
「確かに歪虚との戦争に注力したい人々にとって、マーロウ大公の打ち出す強硬策は魅力的かもしれない」
 誠堂は理解を示しつつもそれは下策だとも思った。貴族派の利で見れば妙手でも内乱は国の力を弱くするだけだ。
「舞踏会であの様子を見るに、その策を推し進める気だろう」
 文月は政治劇の一端を思い出す。外部に向けて大々的に演出することで逃げ場を潰し、政治の中枢を握る魂胆だろう。そうすれば王女の派閥に将来は無いが、ようやく国をまとまるという益もある。
「そうだね。でも、どんな方法であれ流血無しにまとまるのであれば悪い事じゃない。利己的な判断であったとしても、マーロウ大公が無益な流血は好まないのだとわかる」
 だからこそ問題はややこしくなるのだと誠堂はひそかに嘆息する。誰も彼もが愚かなのではない。聡明な人々にとっても瀕死のこの国を救う方策が正しいのかわからない。わからないなりにも最善を尽くそうとした結果がこの対立の根でもある。本来ならばそれでも手を取り合えるはずの人々であるのに、激情を伴う大公にとってはその足踏みすら苦痛だったのだろう。王族への敬意をかなぐり捨てるほどに。
「副団長もそうでなければあんな事は」
「あれでは背中から刺されたようなものだ」
「我々はどうすれば」
 自然と渦中の人物の話題となった。下級の騎士は知りうる情報が十分でない事もあって余計に不安を募らせている。それは主に上層部への負荷が重くなる一方であるという話だが、人的資源の絶対的な不足を埋められない限りは走るか死ぬかの二者択一。無理をしないでほしいと願ったところで、無理をしなければ死ぬしかない。根本的な状況の解決がなされない限り、彼は大義の為にひた走るだろう。誰もが同じ懸念を抱きながら、疾走する彼の後を追っている。
「“あいつ”、思ったより人気だな」
「ええ。彼を心配してくれる人はたくさんいます」
 誠堂はここに来る前にこっそりとエリオットの顔を見てきた。色んな人が入れ替わり立ち替わり彼を慮る様子を見て、何も言わずにその場を去った。表情から内心の全てを知る事は出来ないが、少なくとも表情を取り繕う程度の余裕はある。後は彼が自身の心にどう折り合いをつけるかだけだ。外野が出来る事は多くない。あるとすれば一つだけ、己を鍛える事だけだ。それも物理的に強ければ良いというものではない。心技体全て揃えてこそ難事を乗り越えることが出来る。誠堂は守るべき者の為に誓いを新たにした。それが自分が信を置く人物を助ける近道と信じて。




 祭りの喧噪からやや遠い場所。商人達の自宅や職人ギルドの集会所が並ぶような高級住宅地の一角に、第六商会の支店はあった。祭りも戦争も商人の仕事は事前の準備こそが本番。嵐のような納品業務を終えて人心地ついた昼過ぎに、ユーレン(ka6859)が姿を現した。アカシラの存在により鬼に慣れつつある王国民だが、それでも緊張が抜けきるほどではない。それも彼女が責任者と交渉を行う段階までの話だった。
「忙しい時期にすまぬが、少し物を尋ねたい。第六商会では、近々ルル聖導士学校へ赴く予定はおありだろうか」
 責任者の一人として対応した恰幅の良い中年の男性は、質問の意図がわからずに話の続きを促した。
「担当の者に確認しないとわかりませんが、……それが何か?」
「以前こちらでゴーレムを購入した農民達が居るのだが。蜘蛛、メフィストが聖導士学校を襲撃した際、彼らは自分達のゴーレムをだして防衛に協力し、殆どのゴーレムが大きく壊れた」
 ユーレンの言葉によって第六商会の者達はおおよそ現地の状況を察した。メフィストが国内を荒らしまわった件は記憶にも新しく、第六商会もその復旧に携わっている。
「あの学校も財政が厳しいゆえ彼らに見舞金など出せぬであろう。彼らは自力でゴーレムを直さねばならぬ。そちらも商会ゆえ利のないことはできぬであろう。適正に、双方利のある形で修理を行える道はないであろうか。あれを売った商会ならば、某かの案をお持ちではないかと思うてな…如何であろう」
 責任者は低く唸った。状況には同情の余地は十分にあるが、彼らも商人として守るべき一線がある。
「無理ですね」
 責任者は誤魔化すような言葉は一切使わず、きっぱりとユーレンに告げた。
「どうにもならないか?」
「ええ。仮に私が認可のサインをしたところで、私の上司がそれを却下するでしょう。こんな情勢ですから無体を言いたくはありませんが、商会は慈善事業ではありませんからね」
 彼が特別冷たいのではない。彼は自分の職位に見合った責任として選別を行っているに過ぎない。だが『依頼』自体は悪い発想ではないと商人は思う。問題は『依頼する先』だ
「しかし今回の事例、メフィストの災禍は国全体の問題でした。その奮戦の分だけ王国軍は兵力を温存できました。ですからその補填に関しては現地の領主を通じて国に要請するのが良いでしょう」
 ユーレンは顔を上げた。それは利の無いところで利を探すよりは余程分の良い話だ。
「資金が調いましたら是非とも現地の近い支店に御連絡ください。新品同様に修理いたしましょう。修理より新型をお求め頂いたほうが良い物もあるでしょうし、ご相談には応じますので」
 男は今日一番の笑顔でユーレンに微笑んだ。商人の理屈はユーレン自身にあまり馴染まない。営業スマイルを受け止めることが出来ず、曖昧なままユーレンもぎこちない笑顔を返した。




 祭りの喧噪の裏と言えばもう一つ。政争の嵐を見越して行動を起こした者がいる。宵待 サクラ(ka5561)はある目的でもって王都内にある大公の別邸に赴いた。内容としては視察の陳情だが、目的は別にあった。
「大公派に聖女を1人。ご入り用ではないですか?」
 対応に出た目つきの鋭い家令に宵待はそう切り出した。
「イコニア・カーナボン司祭はあと数年あれば、頭角を現し必ずや聖女となるでしょう。それゆえに思うのです。王女派は…いえ、シャルシェット卿は二人目の聖女を欲しないだろうと。ルル聖導士学校の教員の多くは大公様寄りの貴族の家系です。彼の方ならば、資金難で倒れるに任せ、その後商会を通じ引き取れば良いと考えることでしょう。あの方が倒れる時は、不都合なもの全てを連れて行くはず。その時にカーナボン司祭とルル聖導士学校を巻き込まないために、打てる手は打ちたいのです」
「なるほど。それで人材の売り込みですか。お話はわかりました」
 宵待の切実な声とは裏腹に、話を聞く家令の表情には感動の色が無い。
「数年後の聖女、司教。人材は多いに越したことはありませんが、数年後ですか」
「何か問題が?」
「いえ、カーナボン司祭にとっては良い事です。貴方の言うような人材が必要な時期は、もう済んだのです」
 家令の言葉は『じきに問題は確実に解決される』という雰囲気があった。理由はわからないが宵待は焦る。それでは彼女を守ってもらえない。家令は何か言いつのろうとする宵待を落ち着かせるように手で制した。
「心配には及びません。そもそも貴方の心配は杞憂でしょう。貴方の語るカーナボン司祭は無害なお方だ。王国全体を巻き込むような政争では、言い方は悪いですが捨て置かれるでしょう。彼女を害して得る利益が、彼女を害したことで被る悪評を上回らない。それに、貴方の話を検討するならば、今後この国の主導権を握る者にとってはカーナボン司祭は排除すべき対象になりますな」
 宵待の背筋を薄ら寒い感触が這う。
「心配なさらずとも、シャルシェレット卿はそう悪い方ではありませんよ」
「大公派の貴方から見てもそうなのですか?」
「ええ勿論。それを理解した上でこそ、政争が出来るというものです」
 家令は邪気の見えない顔で笑う。取り繕ったその表情の下にどんな打算があるのかはわからない。彼はシャルシェレット卿と同じ世界の人間だ。そう思うとこの屋敷も、宵待には毒虫の巣箱のように見えてしまった。




 街が祭りで賑わう時こそ水を差す騒動も起きやすい。祭りの片端でも警邏の業務に就くものは祭りとは線を引いている。彼らの表情は一様に硬く引き締まっているが、その内心は多様だ。湧きたつ気持ちを隠している者、隠しきれずに頬の緩む者、業務による不参加に不満を持つ者。彼らの統括であったヴィオラ・フルブライト(kz0007)はどうであったろうか。外見上は普段より笑顔が多いように見受けられたが、祭りの警邏という役割に合わせている部分も多い。実際には彼女も今後を思って穏やかではないのだが、それを指摘する者はこの場には居なかった。警邏につく彼女の部下を除けばの話である。
 ヴィオラは晴れた街路に開かれた傘に視線を向けた。その傘は何度も見た覚えがある。
「貴方は……」
 雨音に微睡む玻璃草(ka4538)は変わらない笑顔を浮かべていた。彼女の顔がそうでなかった時を見たことが無い。
「おじいさんが居なかったの。裏庭にも埋まってないなんて酷いでしょう?」
 ヴィオラは訝しむような顔でフィリアの言葉を受け止めた。フィリアの言葉は比喩や代名詞が多く意味を理解しづらい。その上で彼女の興味は人の感情を逆なですることがある。
「おねえさんはどうして此処にいるの? おじさんが倒れちゃったのにおねえさんが一番凄いんだもの。看病しなくて良いの?」
「シャルシェレット卿の件ですか? 治療なら私でなくても構いませんし、私よりも優れた人はいます」
 突き放すようにではあるがヴィオラは事実を語った。国で最も強力な聖導士である事は事実だが、彼女の場合はどちらかと言えば戦闘分野。研究や治療など戦闘に関わらない部分であれば彼女以上の知識や技術を持つ者は少なくない。そして彼女はいち聖導士として働く以前に組織の長としてすべきことが山ほどある。
「ふふ、怒ってるのね。どうして? おじさん達が仲良くしてたから? それとも仲間外れにされたから?」
 ヴィオラの細い眉がぴくりと跳ねる。フィリアは平然としたものだが、怒気を感じとった部下達は一様に我が事のように身を固くした。
「あのね。蜘蛛の人もずっと怒ってたでしょう? 王国、教会、エクラ、そして人に。きっと虐められちゃったのね、可哀想な王様も一緒に!
 茨のおねえさんも言ってたわ。“エクラは何も救わない”って。羊さんは助けてくれたのに変なの。おねえさん達は何をしたの? おねえさん達は何をしなかったの? エクラってなあに?」
 ベリアルのこと、メフィストのこと。誰もが傷を負って潜り抜けた戦の傷跡を探しに来たのだろうか。要点は掴めない。ただ興味本位に情報を欲しがっているだけかもしれない。
「──ねえ、『雨音』を聞かせて?」
 その言葉も全く同じ。ヴィオラは瞼を伏せ怒りを収めると、淡々と言葉をつづけた。 
「私には私の職務がありました。多くの人の助けがありましたが、すべきことは増える一方です」
 ヴィオラの胸に去来するのは、エリオットの死亡が囁かれたあの日以後のこと。結果はどうあれ騎士団と聖堂戦士団と交流が活発になったあの日以後、エリオット不在の分だけ彼女の職責は重くなった。
「ですが信じていました。これが役割分担なのだと。そのことを怒っているわけではありません」
 全ては来るべき時の為、しかるべき時に必要な力を発揮できるように。先の見えない籠城戦のような仕事を淡々とこなし、先の対ベリアル戦・対メフィスト戦ではその功労も報いられた。
 短いながらも近況を語り終え、ヴィオラは瞼をあげると、そこにフィリアの姿は無い。他の部下達も化かされたような顔をしている。わずかについた足跡が彼女の存在を幻でないと伝えていた。ヴィオラは溜息でフィリアの気配を頭から追いやった。
 怒りの理由を簡単に認めるわけにはいかなかった。言葉をいくつ重ねても言い訳にしかならない。それがエリオット・ヴァレンタインという自身以上の強者に対する甘えなどとは、彼女の理性が許さなかった。




 エリオットの仕事は普段の激務に比べれば判断に困るような話もなく、成否の結果に悩むような仕事も無い。命に関わる話でもない。そういった仕事ゆえに朝から代わる代わる多くの人が彼の元を訪れ、意見や感情を交わしてまた離れていく。陽が落ちて街に明かりが灯り、祭りの収束と共にその明かりすら消えた頃、エリオットの周りに残ったのは二人の女性だった。ヴァルナ=エリゴス(ka2651)、アイシュリング(ka2787)の二人は長く傍に留まった、というよりはタイミングの問題が大きい。手伝いを始めたり世間話を始めたりとしている内に、区切りが付かなくなった。それも祭りが終わる頃には自然と解散していく。街路の分かれ道でヴァルナが立ち止まり、釣られてエリオットも立ち止まる。
「祭りの日まで仕事に付き合わせて悪かったな」
「いいえ、エリオット様のお手伝いを出来るならそれで本望です」
 ヴァルナはエリオットの声と視線を受け止めきれず、やや俯きながら言葉を返した。ヴァルナの様子をエリオットは見ない振りをする。
「あの、エリオット様……」
「なんだ?」
「エリオット様からすれば、他の方々に比べて私は頼りない小娘だと思います。けれど私の想いは以前申した通りです。並び立てずとも、お力になりたい。いつかまた……──少しはその約束を果たせたでしょうか?」
 言葉を聞き終えたエリオットは、淡々とした顔にわずかな温かみを滲ませる。
「なあ、誰かと比べる必要なんてあるか? お前にはお前にしかできないことがあるだろう。それに、今日も……こうして力になってもらった。それでは答えにならないか」
 ヴァルナは安堵に緩んだ顔を隠すように深くお辞儀をすると、足早に分かれ道を進んでいった。この問答の結果を見たアイシュリングは別の感想を抱いていた。
「相変わらずね」
「何の話だ?」
「いいえ、何でもないわ」
 ──優しいのね、とは口にしなかった。アイシュリングはこれまでの交流の中で“エリオット・ヴァレンタイン”という男の人となりをよく理解していた。この男の“優しさ”の起源は、おそらく人類──いや、“世界が彼にとって守るべき対象”であることに端を発している。そういう類の“優しさ”だが、周囲に理解されるかは別の話。だからこそ今回の件の意味は大きい。
「ねえ、聞いてもいいかしら」
「改まって一体なんだ?」
「あなた、普段あまり感情を表に出さないけれど、あの人……へクスの容態には取り乱したでしょう」
「……取り乱した、か」
 黒い髪をくしゃりとかきあげ、ばつの悪そうな顔をする男を横目に小さく笑う。
「ええ、そう。……それだけ大切な人なのね」
 感情を表に出さないよう努めている理由はわかる。彼の表層に個人という概念は許されない。集団を率いるとなれば当然のこと。もとより、彼の中枢は“亡き主君への思い”に支配されていた。なのに、だ。
「人は変わるものね」
 訝しんだエリオットはアイシュリングに視線を向ける。
「ごめんなさい。個人的なことよ」
 ──お前のことか? と、尋ねようとした唇は少女の言葉に動きを止める。
「──王女殿下を、これからも助けていきましょう。」
「……ああ」
 エリオットはふっと力を抜いて笑顔を作った。国の要職にある彼の重責を、ハンターという根なし草が分かち合うのは難しい。それでも彼の心にささやかながら安寧をもたらすことはできる。それがその言葉だった。『王女のために』、出身・能力・立場も違う間柄でも同じ方向を見ているという安心感。思考を割かずに済む。並び立つ戦友が一人また一人と倒れていく中にあっては、そのささやかな言葉は、エリオットにとって計り知れない価値があった。
 祭りがあったから、騎士の職を抜け出したからと言って、彼の心が癒されたわけではない。それでも散り散りに乱れた心をかき集める手立てにはなった。自分の心の弱さ醜さを見つめることが出来れば、それは欠点であっても弱みにはならない。背負う者が多ければ自然と増えていくそれら心の欠片を集める事で、ようやく前を見ることが出来る。
 暗がりの中、喧噪の消えた街路に一人。祭りにあてられた熱気を振り払うかのように家路を急いだ。

(代筆:鹿野やいと)

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  • 其の霧に、籠め給ひしは
    ヴィルマ・レーヴェシュタインka2549
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    アイシュリングka2787
  • 黒の懐刀
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  • 囁くは雨音、紡ぐは物語
    雨音に微睡む玻璃草ka4538

重体一覧

参加者一覧

  • フューネラルナイト
    クローディオ・シャール(ka0030
    人間(紅)|30才|男性|聖導士
  • 古塔の守り手
    クリスティア・オルトワール(ka0131
    人間(紅)|22才|女性|魔術師
  • 壁掛けの狐面
    文月 弥勒(ka0300
    人間(蒼)|16才|男性|闘狩人
  • SUPERBIA
    フォークス(ka0570
    人間(蒼)|25才|女性|猟撃士

  • ルカ(ka0962
    人間(蒼)|17才|女性|聖導士
  • ノブレス・オブリージュ
    ジャック・J・グリーヴ(ka1305
    人間(紅)|24才|男性|闘狩人
  • 光凛一矢
    対崎 紋次郎(ka1892
    人間(蒼)|24才|男性|機導師
  • システィーナのお兄さま
    ラィル・ファーディル・ラァドゥ(ka1929
    人間(紅)|24才|男性|疾影士
  • グリム・リーパー
    ジェーン・ノーワース(ka2004
    人間(蒼)|15才|女性|疾影士
  • その力は未来ある誰かの為
    神代 誠一(ka2086
    人間(蒼)|32才|男性|疾影士
  • 其の霧に、籠め給ひしは
    ヴィルマ・レーヴェシュタイン(ka2549
    人間(紅)|23才|女性|魔術師
  • 誓槍の騎士
    ヴァルナ=エリゴス(ka2651
    人間(紅)|18才|女性|闘狩人
  • 未来を想う
    アイシュリング(ka2787
    エルフ|16才|女性|魔術師
  • 黒の懐刀
    誠堂 匠(ka2876
    人間(蒼)|25才|男性|疾影士
  • The Fragarach
    リリティア・オルベール(ka3054
    人間(蒼)|19才|女性|疾影士
  • 茨の王
    アルト・ヴァレンティーニ(ka3109
    人間(紅)|21才|女性|疾影士
  • 六水晶の魔術師
    レイレリア・リナークシス(ka3872
    人間(紅)|20才|女性|魔術師
  • 囁くは雨音、紡ぐは物語
    雨音に微睡む玻璃草(ka4538
    人間(紅)|12才|女性|疾影士
  • イコニアの騎士
    宵待 サクラ(ka5561
    人間(蒼)|17才|女性|疾影士

  • 鞍馬 真(ka5819
    人間(蒼)|22才|男性|闘狩人
  • 流浪の聖人
    鳳城 錬介(ka6053
    鬼|19才|男性|聖導士
  • 忍者(自称)
    琴吹 琉那(ka6082
    人間(蒼)|16才|女性|格闘士
  • 半折れ角
    セルゲン(ka6612
    鬼|24才|男性|霊闘士
  • 我が辞書に躊躇の文字なし
    ルベーノ・バルバライン(ka6752
    人間(紅)|26才|男性|格闘士
  • 黒鉱鎧の守護僧
    ユーレン(ka6859
    鬼|26才|女性|聖導士

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ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
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2017/12/20 21:21:06