• 陶曲

【陶曲】夜の帳に幕あがり

マスター:のどか

シナリオ形態
イベント
難易度
不明
オプション
  • relation
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
1~25人
サポート
0~0人
報酬
多め
相談期間
5日
締切
2018/04/26 12:00
完成日
2018/05/10 20:57

このシナリオは5日間納期が延長されています。

みんなの思い出

思い出設定されたOMC商品がありません。

オープニング


 ポルトワールの広場を埋め尽くす大勢の人々をオフィスから見下ろして、ロメオ・ガッディ(kz0031)は大きな大きなため息と共にガリガリと無造作に頭を掻いた。
 折り重なるようにしてもみくちゃになった市民たちは、互いに服を掴み合い、握りしめた拳を打ちつけ合い、赤いしぶきが宙を舞う。
 乱闘騒ぎの中では誰が暴動を起こしたデモ隊で、誰が巻き込まれた市民で、誰が抵抗する市民なのか、全く分からない状態だ。
 中には出動した軍の制服もちらほらと伺えるが、一般人相手では武器を使用するわけにもいかず、大勢で盾を構えてスクラムを組み、広場から先の住宅街へと暴徒が抜けることがないように予防線を張ることくらいしか手の打ちようがない様子であった。
「流石にもうムリだっ! 手に負えんっ! ソサエティに連絡は!?」
「既につけてあります。じきに応援のハンター達がやってくるでしょう」
 ロメオは部下の言葉に「そうかそうか」と大げさに頷いてみせると、もう一度、そろりそろりと窓の外へ視線を移す。
 何度見たところで自然と収まるようなデモではない。
 それは分かっているのだが、一分の望みというものに期待したいくらい、状況は最悪だった。
 その時、パタパタと騒がしい足音と共に扉が開け放たれる。
 飛び込んで来た別の部下が、強く握りしめすぎてしわくちゃになった書状をロメオへと差し出すと、彼はひったくるようにそれを受け取って乱暴に封を破った。
「――ブラマンデさんが来てくれるか!」
 書面に目を通しながら、その表情がぱあっと華やいだ。それから書面の続きを読むにつれて、次第にその表情は落ち着き、締まったものへと変わっていった。
「なるほど、希望の帆を……ふむ、効果があるのなら良い案だ」
 全てを読み終えるのと、ロメオが動くのとはほぼ同時のこと。
 彼は手早く部下たちに指示を下すと、もう一度だけ窓の外へと視線を向ける。
「……同じ船に乗っているのなら、分かってくれるはずだ。きっと――」


 ヴァリオスの議事堂の前に停まった1台のトラック。
 先ほどから数人がかりで積み込まれた大きな布束が、しっかりと荷台に固定されているのを確認して、エヴァルド・ブラマンデ(kz0076)は助手席へと滑るように乗り込んだ。
「運転を任されました、ヴィットリオ・フェリーニ陸軍大尉です。多少荒っぽい道中になるかと思いますが、無事にポルトワールまで送り届けます」
「そういうのは初めてではありませんので、全力で飛ばして貰って構いませんよ」
 略礼で挨拶をした運転席のヴィットリオ・フェリーニ(kz0099)は、エヴァルドの言葉に無言で、だが確かな自信を持って頷くと、外で見送る隊員たちに敬礼を送ってペダルをめいいっぱいに踏み込む。
 路上の砂ぼこりを巻き上げながら急発進したトラックが街の正門へと向かうと、そこには道中の警備を任されたハンター達が既に到着を待っていた。
 勢いを衰えさせず街道へ飛び出したトラックの後に、ハンター達も道なりに合流しながらその歩調を合わせていく。
「失礼ですが、荷台に積まれているものに関してお聞きしても……?」
 ちらりと一瞬視線を向けながら問うたヴィオに、エヴァルドは小さく笑みをこぼしながら頷いてみせる。
「今運んでいるのは、同盟の希望です」
「希望――ですか」
「未来と言っても差し支えないでしょう。もっとも、これがポルトワールの事件を解決する鍵となるかは私にも分かりません。ただ――私に出来る精いっぱい。それがこの、希望を届けることなのです」
 そう口にして、だがどこか不安を滲ませた瞳を進路へと向けるエヴァルド。
 その横顔を視界に収めて、ヴィオはハンドルを握る拳に静かに力を込めていた。


 豪奢な天蓋付きのベッドの前に、恭しく膝まづく赤いタキシード姿の男がいた。
 すらりとした長身は相当背が高いように思えるが、その長身に不釣り合いなほどか細い身体つきのせいで、見た者にどこか脆弱な印象を与える。
 しかし、ガッシリと固めたオールバックの下の表情はどこか挑戦的で、態度とは裏腹に敬う気持ちなど全くないかのような含みのある笑みを湛えていた。
「……いやよ、面倒だもの」
 ベッドの主である女性――ジャンヌ・ポワソン(kz0154)は、寝返り1つで男に背を向けながらため息交じりに答えて見せた。
 サラリとした長い金髪が、流れるようにベッドの上へと広がる。
 その反応に、男は予想通りとでも言いたげに「ククク」と耐えるような笑い声をあげると、静かに面を上げて怠惰なる姫の背中をモノクルへ写し出した。
「お言葉ですが――貴方様は現在、我が主の支援を受けてこの地に住まわれていることを、ゆめゆめお忘れになることなきよう。それに、主はなにも“貴方様”のお力添えを望んでおられるわけではございません。仮にも御客人でございますから……ただ、相応の“お気持ち”は示して頂きたいと、そういうことでございます」
 男は台本でも読み上げるかのようにすらすらとそう言い添えると、そのままはっきりと“待ち”の姿勢に入った。
 望み通りの返事をもらうまで動くつもりはないのだ――と、崩れぬ意思がそこにある。
 背中でそれを感じ取ったジャンヌは、結果として大きな大きなため息を吐きながら、後ろ手にヒラヒラと手を振ってみせた。
「……遊んでいらっしゃい、フランカ」
 その言葉に傍に控えた紺色のメイドが、嬉しそうにピョンと飛び跳ねる。
 男はにんまりと目を細めると、すくりと立ち上がって精練された足取りでフランカの元へと歩み寄る。
「ちょうどこの山を下りた街道に迫る集団があるとか。なにやら急ぎのようですし、手始めに軽く襲ってみてはいかがでしょう?」
 男の言葉に、フランカはスカートの端をちょんと持ち上げてお辞儀をする。
 その様子を満足げに伺いながら、彼がそっと手を差し伸べた。
「では武勇を振るわれる貴方へと、我が主からの贈り物です」
 差し出されたその手の中では、紫色の結晶が鈍い輝きを放っていた。


 広場の暴動の中心で、木のベンチに腰を掛ける1人の老人の姿があった。
 彼は争う人々の姿を眺めながらニィと口角を吊り上げると、しわくちゃの手でパチパチと控えめに拍子を打つ。
「精霊に手は出さないと言ったけれどね……もちろん、人間に手を出してはいけない道理はないよ」
 老人はしわがれた声で燻るように笑むと、シルクハットを卵型の頭に乗せて燕尾服のベントを揺らす。
 そして、ひたりひたりと喧騒の中へ身を投じていくと、やがてその姿はいずこかへ見えなくなってしまった。
 
「そろそろ精霊との知恵比べも飽きて来たところだ――今回は少し骨のある相手を期待したいものだね」

リプレイ本文


 『希望の帆』を積んだ軍の魔導トラックは早朝のヴァリオスを発ってポルトワールを目指す。
 山間から空が白み始めるころ、気温はまだまだ低く。
 街道を先へ先へと急いでいると、しっとりとした朝露が頬に湿り気を与えていた。
 10名のハンターがトラックの周囲と上空を輪形に取り囲んだ万全の警備体制の中で、数時間の道のりにひたすらに願われるのは道中「何事も無いこと」だった。
「今のところ動体の視認はなし……と」
 ワイバーン「asa tirano」の背で双眼鏡を覗き込んでいたマリィア・バルデス(ka5848)は、レンズから目を離して肉眼で周囲を見渡す。
「野生動物すら見当たらないのは逆に不気味ね。これだけ騒がしければ警戒はされるでしょうけれど」
 何となく嫌な予感はする。
 無意識に手綱を強く握りしめ、同時に怪我の痛みが電流のように全身を伝った。
 服で隠れてはいるが、ちらりと覗く肌には包帯が幾重にも巻き付けられている。
 怪我で全力を出せない、というのは言い訳にしかならない。
 どのような状態であってもその時できる方法で任務をこなす――それを認識しているのは、同じくワイバーンで上空の片翼を護るレイア・アローネ(ka4082)もまた同じだった。
 直前に勃発したグラウンド・ゼロ地点での戦いでは、ハンター達の被害も相応のものであった。
 まるでそれを見越したかのような今回のポルトワールでの大規模なデモ暴動事件は、どこか作為的なものを感じて仕方がない。
「何も起こらないハズがない。そう、思っておいても良いくらいだ。そしてその時は……頼りにしているぞ」
 鱗に覆われた首筋を撫でると、ワイバーンは息巻いた様子で炎をちらつかせた吐息を吐く。
「ハァイ、フェリーニ! こんなとこからごめんなさいねぇ!」
 トラックに並走する薄紅色のイェジド背から、沢城 葵(ka3114)が運転席目がけてパチリとウインクを飛ばす。
 ハンドルを預かるヴィットリオ・フェリーニ(kz0099)は、横目で手短かに略礼で返すとすぐに視線を前方へ戻した。
「息災のようで何よりだ。『世界の裏側』の様子はどうだった?」
「あら、いつの間に皮肉の1つも飛ばせる口になったのかしら」
「あの上司に毎日付き合わされていれば自然と身に付く」
 いつもの仏頂面のままそう言うものだから、葵は思わず噴き出してしまう。
 ケラケラと笑い転げる彼女をちらりと見やって、ヴィットリオも小さく口元に笑みを湛えた。
「ね、聞いてよ小夜ちゃん。生意気にも一杯食わされちゃったわ」
「えっ……えっ……?」
 不意に声を掛けられて浅黄 小夜(ka3062)はワイバーンの背の上でわたわたと取り乱すと、すーっと高度を下げて彼らの傍に並走する。
「あっ……大尉はん、お久しぶりです……」
「サヨか。そちらも息災のようだな」
「はい、その、えっと……」
 しどろもどろと視線を泳がせる小夜。
 ヴィットリオはそれの意図を察したのか、小さく鼻で息を吐いてから口を開いた。
「サルトリオ軍曹なら今日は基地待機だ」
「あっ……そう、ですか」
 彼の言葉にハッとして、それから小夜は心持ちしゅんと肩を落とす。
「来たがってはいたのだがな……我々軍の人員も有限だ」
「えぇんです……その、おねえはん元気ですか?」
「ああ。それを除いたら何が残るんだという程度にはな」
 諭すように口にすると、彼女も寂しげな笑みを浮かべながら頷く。
 その様子を見守っていた葵は、安心したように頬を緩ませながら悪戯な笑みを浮かべた。
「ねっ、言うようになったでしょ?」
 小夜も釣られて――今度はちゃんと楽し気にコロコロと笑顔を見せた。
 一方、車体後方で積み荷の大きな布包みを眺めていたミア(ka7035)は、バイクのスピードを上げると助手席側に向かって並走する。
「『希望の帆』って……あの時のニャスね?」
「ええ、各地のイベントで集めた寄せ書きで作った帆です。完成して議事堂に飾られる予定でしたが……今回はその力を信じる他ありませんね」
 そう口にする助手席のエヴァルド・ブラマンデ(kz0076)は、もどかし気に肩を竦めてみせた。
「勝算はあるニャスか?」
「さぁ……我ながら藁にも縋る想いですよ。もちろんポルトワールで待つガッティ氏にとってもそうでしょう」
 それは偽りのない本心。
 勝算なんてない……が、自分達が持つ武器はこれだけなのだ。
 ポルトワールで起こっているデモにしても同じ。
 それが力無き者にとっての唯一の武器だから、彼らはそれを手に取った。
 皆、自分の身の丈の中で必死にもがいている。
「大丈夫! 希望はきっと届くニャス! そして――」
 ミアはパチンとウインク交じりに笑顔を飛ばして、それから自信たっぷりに答えた。
「――きっと、届けるニャス!」

 ふと、鼻先を掠める匂いが変わってイルム=ローレ・エーレ(ka5113)は周囲をちらりと見渡した。
 ほんのり湿る空気に乗って漂う土の香り。
 よくよく目を凝らしてみれば、うっすらと周囲に霧が掛かっているように思える。
「街道から外れたところに霧が出やすい山があってな、気温が低いこの時間じゃこの辺りもその地理に引っ張られてるんだ」
 補足するジャック・エルギン(ka1522)に、イルムはなるほどと頷くとそっと目の前を覆うカーテンに手をかざす。
 うっすらと靄のようなものが目の前にちらつくが、先が見えないほどの濃さではない。
 進行に支障がないのは幸いだが……ふと、いつかの光景が脳裏によみがえる。
 あの時は一寸先も見えないほどの霧の中。
 状況は雲泥の差ではあるものの、似たようにポルトワールを目指していて――
「……っ!?」
 ふと進行方向の路上に何かを見つけて、先頭を行くイルムはハンドサインで後続に待ったを掛ける。
 一行が急停車すると、上空のマリィアが双眼鏡を覗き込んだ。
「どうした、何が見える?」
 ロニ・カルディス(ka0551)がワイバーンを寄せながら訪ねるが、彼女は目を凝らしながら、小さく首をかしげてみせた。
「あれって……干し草?」
 その口から出た言葉に、張り詰めていた緊張がふっと解ける。
 念のためハンター数名で確認のため近づいて確認したが、確かに小さく山になった干し草だった。
 この道を通った農夫か誰かが落として行ったのだろうか。
 何にせよ取り越し苦労に変わりはなかった。

――その時、一筋の光が街道を突き抜ける。

 マグマのような輝きを放つの光の束ははるか遠方から一直線に伸びて、一団の中でも最も目立つエクスシアの肩を貫く。
「うっ……これは……っ」
 操縦桿を握る天央 観智(ka0896)が咄嗟にペダルを踏み込むと、機体は半身大きく開いて熱線をやり過ごす。
 光はどこか彼方へと飛んで行ったが、直撃を受けた肩部の装甲はドロリと溶解し、真っ赤に熱せられた輪郭が徐々に周囲を浸食し燃え広がっているのが目に付いた。
「い、今の何なの……!?」
 ディーナ・フェルミ(ka5843)は咄嗟に光の軌道から射出点を探すが、視界の遠くに包まれる霧のさらに先から放たれた事以外、白い自然のカーテンに覆われて補足ができない。
 その時、遠くから何か動くモノがこちらへと向かって来るのが目に付いた。
 うっすらとしたシルエットのそれは人のようで、1人、また1人と次第にそのおぼろげな姿を露にする。
「フェリーニ、アクセル全開でよろしく! 会長さんも、少し荒っぽくなるわよ!」
 葵が叫んで、エヴァルドがダッシュボードに手をついたのを確認すると、ヴィットリオは即座にペダルを限界まで踏み込む。
 けたたましい音と土埃を上げて車輪が路上を空転するが、やがてガッシリと地面を掴んだ車体がグンと加速を付ける。
「何……メイド服を着たお人形……? リ、リーリー、負けないで走ってなの!」
 カラカラと音を立てながら薄い霧の中を迫って来るのは、精巧なデッサン用の木製人形を等身大にしたような姿の異形。
 黒いロングスカートのメイド服に身を包んだそれはブティックなどにあるマネキンのようにも見え、それが徒党を成して走り寄ってくる。
 そんな木偶メイド達の隙間から、キラリと光る光の筋。
 咄嗟にエルギンが馬に鞭を打ってトラックの真正面に躍り出ると、手にしたラウンドシールドを眼前に構える。
 直後、到達した熱線がシールドの丸みに弾かれて、四方八方へと細い糸くずのように飛び散った。
「ジャック! 今、防壁を張るの……!」
 ディーナが振るうメイスから流れたマテリアルがエルギンの身体を包み込んでその身を護る盾となる。
 光の防壁が熱線の威力を分散し――それでも、骨身に染みる衝撃がシールド越しに伝わっていた。
「くそっ……どこから!?」
 真っ赤に熱せられ、小さく穴の開いたシールドから前方を覗き込み、“敵”の姿を探る。
 だが、目に付くのはどれもこれも黒、黒、黒。
 黒い服のメイドばかり。
「違う、この攻撃はこいつらじゃ――」
 再び熱線が襲い掛かり、同じように盾で防ぐ。
 立て続けに灼熱の光線を浴びたラウンドシールドが、月食のようにまぁるく縁を欠いていく。
「敵は真正面から来るようだけど、どうしようか大尉さん。他の道を探すかい?」
「いや、他の道では時間が掛かり過ぎる。このまま突っ切れるか?」
「ああ、努力はしてみよう」
 ヴィットリオの問いにイルムはニコリとほほ笑むと、片手でリーリー「エールデ」の手綱を握ったままレイピアを抜き放つ。
 そのままタクトを振るう指揮者のように手首の返しで刃が美しい弧を描くと、進行方向正面のメイド達の足元をマテリアルの斬撃が切り裂く。
 脚をもつれさせるようにして態勢を崩したそのただ中に、翼を大きく広げたエールデが飛び込む。
「申し訳ないけれど道を空けて貰うよ」
 花びらが舞い散るように。
 そしてその花びらを1枚1枚刺し貫くように繰り出される剣戟が次々と放たれる。
 舞台の中央で踊るイルムが切っ先を振り下ろしてフィニッシュを決めると、四肢を断裂された人形がばらりと足元に転がる。
「今だっ!」
 彼女が叫ぶや否や、手薄になった一角へとトラックが猛スピードで突撃する。
 メイドの群れが取りつこうと飛び掛かると、2騎のワイバーンが空中でそれらを打ち払う。
「そう簡単にキングは取らせないわよ」
 アーザが空中で大きく翼を広げると、マテリアルの輝きが全身を包み込む。
 徐々に膨れ上がっていくその光はやがて臨界を迎えると、いくつもの光の束となって地上の敵へと降り注いだ。
 頭、手、足、胴、それぞれの着弾点をマテリアルの柱に貫かれる中、光の檻を縫って薄紅色のイェジド「桜華」が駆ける。
「木偶っていうくらいだから火で燃えないかしら……ね!」
 葵の放った炎の矢がうちの1体を穿った。
 直撃した左胸部から服へ、木製の身体へとボッと炎が燃え移り、見る見るうちに全身を包み込んでいく。
「あら、冗談のつもりだったのだけど」
 眼を丸くした彼女に、火だるまになった人影がゆらりゆらりと歩み寄る。
 その足がぐずりと炭になって崩れ落ちて身体が地面に投げ出されると、そのまま完全に燃え尽きるまで、ただもがく以外にできることはなかった。
「そういう事なら、放てッ!」
 レイアの掛け声で、ワイバーンがブレスを乱れ打つ。
 吐き出された火炎弾は地面に着弾すると爆炎をまき散らし、辺りの木偶メイドを丸ごと飲み込んでいく。
「これだけ道幅が広がれば……ッ!」
 道端に投げ出されたメイドをバンパーで弾き飛ばして、トラックは包囲を一気に突破して先を目指す。
 すれ違いざまに荷台に手を掛けようとした人形はディーナとリーリーが間に入るようにして遮って、振るったメイスが横っ面を強打する。
 慣性も乗った一撃は木片を散らしながらつるりとしたのっぺらぼうの木目にめり込んで、次の瞬間にはフリルをはためかせながら身体ごと吹き飛んでいく。
 すかさずエクスシアのアサルトライフルが銃弾の雨あられで追い撃つと、メイドは見るも無残な木くずに姿を変えていた。
「このまま抜けられれば……」
 トラックの助手席で両手それぞれでダッシュボードと背もたれにしがみ付くエヴァルドは、過ぎ去っていく木偶人形の姿を尻目に眉間に皺を寄せる。
 まさか再びこの歪虚達の姿を見ることになるとは……どこか奇縁めいたものを感じながらも、心中は穏やかではない。
「ッ……掴まれ!」
 咄嗟にヴィットリオの声がしたかと思うと、車体が大きく横に振られた。
 ギャリギャリとタイヤが路面を削り、トラックは大きく弧を描いて横に滑る。
 ドアに半身を激しく押し付けられながらもその衝撃。
 チカチカとするエヴァルドの意識と視界の先に熱線の筋だけがぼんやりと見えていた。
「――意外とすばしっこいのね。素敵だわ」
 薄霧の先から、よく通る鈴のような少女の声が響く。
 ゆったりとした足取りで浮かび上がる人の影。
 他の木偶歪虚と同じくメイド服を身に着けたその存在は、水色のポニーテールをふわりと揺らす。
 そしてスカートの端を両手でちょんと持ち上げて可愛らしくお辞儀をした。
「沢山来てくれたのね、いっぱいいっぱい遊びましょう。ね?」
 にっこりとほほ笑んだ彼女に、先頭のイルムが微笑み返すと、手にした剣の切っ先を上に向けて眼前に構える。
「やぁ、あの熱線はやっぱりキミだったんだねフランカ君! 再会を祝いたいところだけれど……残念ながらランデブーはお預けさ」
 振るった刃の軌跡は紺色のメイド――フランカの周囲でマテリアルの斬撃となって巻き上がる。
 彼女は軽やかな宙返りでそれを回避すると、後方にトンと着地してから、周囲の状況を見渡した。
「あらあら、せっかく作ったお友達が。ちゃんと片付けなきゃ、姫様に怒られちゃうっ」
 口にしながら両手を天に掲げてぐるぐると、まるで空をかき混ぜるかのようにゆっくりと振り回す。
 その動きに釣られて壊れた木偶メイドの姿がぼんやりとした負のマテリアルに包まれた。
「あまり……良いことが起こるようには思えませんね」
 観智のエクスシアがライフルを構えると、銃弾が帯のようにフランカへと迫る。
 彼女は赤い靴を履いた左足を振り上げると、ぱかりと太ももの辺りから2つに開いた。
 そして2枚羽の扇風機のようにぐるぐると高速で回転させると、それを盾にして銃弾を防いでしまう。
 その間に木偶メイドのパーツは、周りの他のパーツと寄せ木のように組み合わさって形を成す。
 元の人型ではない。
 4本の腕に4本の足を持って這いつくばる、まるで蜘蛛のような姿へと変貌を遂げていた。
「まあ、変な形になってしまったわ! でも、問題はないかしら?」
 合体した木偶人形たちは、八肢を器用に動かして地面を滑るようにトラックへと迫る。
「させへんよ……!」
 奇怪な姿に反して素早い動きで距離を詰める蜘蛛人形の眼前に、突如として土の壁がせり上がる。
 壁に突っ込むような形で進路を遮られた人形へ、小夜が真上から距離を測って冷気の渦を放った。
 みるみる薄氷が敵の身体を包み込んでいくと、唸りをあげたミアの魔導バイクがすかさずその脇腹にぶちあたる。
 次いで彼女の鋭い蹴りがよろめくどてっぱらにめり込んで、蜘蛛人形は上半身と下半身とに叩き折られていた。
「進路はミア達がなんとか確保するから、ブラマンデちゃんたちは先を急ぐニャぁ!」
「……ッ!」
 その言葉を受けてヴィットリオが激しくハンドルを切ると、トラックは脇道の草原から街道上へ車体を戻して先を急ぐ。
 だが、その真正面に待ち構えるフランカが両の手を翼のように左右へと広げる。
 そのままそれぞれの手の平に負のマテリアルを集めると、熱線に姿を変えて一斉に放った。
「2方向!? マジかよ!?」
 思わず目を見開いたエルギンを他所に、フランカは左右の熱線を真横から徐々に正面へと、トラックを挟み込むように動かしていく。
「僕が左側を! ジャックさんは、右側にいけますか!?」
「あ、ああ! やってやらぁ!」
 観智の言葉に、エルギンは我を取り戻して馬を駆る。
 2人はトラックの左右前方について、迫りくる熱線に身構えた。
「ぐぅ……!?」
 それぞれが構えた盾に灼熱の光線が直撃する。
 体感、先ほどの1本の光線の時ほどのパワーは感じない。
 威力も分散しているのだろうか――だが、一瞬でも気を抜くとただでは済まない。
 その時、フランカははっとして上空を見上げる。
 無機質の眼球が見つめる先、既に登り切った太陽を背に飛来する影が見えて、彼女は熱線の放出を止めて咄嗟に左足を掲げる。
 直後、頭上から降り注いだ黒いマテリアルの刃を、つま先から突き出した短い刃の一振りで打ち払う。
 何本かは服や陶器の肌を掠めて地面に突き刺さったが、その一振りで直撃は防いだように見えた。
「虚を突いたつもりだったのだがな」
「ざんねん。私とニンゲンとじゃ、身体の作りが違うのよ?」
 青紫のワイバーンで強襲したロニは、愛騎の手綱を振って再び上空へと飛び立つ。
 それを追いかけようとしたフランカだったが、その足がふと空を切った。
 まるで影が縫い付けられているかのように、身体がその場で空転する。
「あら、あらあら?」
 目を丸くした彼女の横を“帆”を積んだトラックとハンターが猛スピードで駆け抜けて、視線が咄嗟に後を追う。
「行って! 街まで行かせたらきっと怒られちゃうわ」
 その掛け声で蜘蛛人形と健在な木偶メイドが後を追うと、自らは立ち尽くしてその後を眺めるだけだった。
「怒られるって……また姫さんにか?」
 肩で大きく息を吐きながら、エルギンは馬上でバスタードソードの切っ先をフランカへ目がけて突きつける。
 チリチリと余波で焼け付いた衣服が痛々しいが、戦意が潰えた様子はない。
「前回、山中で会った時から不思議だったんだ。何で同盟の土地で、オマエがいたのかってな……あの姫さんもいんのか?」
 語るエルギンの視線が、ふと敵の胸元についたブローチを捉えた。
 紫色のくすんだ輝きを放つそれはどこか不思議な存在感を放ち、異彩を放つ。
 確か以前は、こんなもの付けてなかったはず……。
「姫様はここにはいないわ。ずっとお屋敷のベッドの上よ?」
 口にしながら、フランカはゆったりとした動きで右足の拘束を解き放つ。
 それを見て、残って上空から警戒をしていた小夜がビクリと肩を震わせた。
「つまり……ジャンヌ・ポワソンがこの同盟の地にいるということか」
 ロニが再び黒の刃を生成し、フランカの動きをけん制する。
 だが、フランカは全く気にした様子もなくぐいぐいと左足の拘束を解こうと身を捩り――スポンと股関節から足が外れて、地面の上に顔面から転んでいた。
「そりゃ怒られないように、ちゃんと仕事しなくちゃな……?」
 うつ伏せに寝転がったままの状態でしばらく動かなくなった彼女だったが、不意に顔だけ起き上がって、その表情がエルギンを見上げる。
「違うわ。怒るのは姫様じゃなくって――」
 そしてキョトンとした表情で首をかしげて、悪びれる様子もなく彼の質問に答えた。


 ここ数日、連日連夜行われているデモ行進は日に日にその参加者を増やしていた。
 お祭り感覚――というのが1つの要因にはあったのだろう。
 政治的何かがデモ発起の根底にあるというわけではなく、それぞれが持つそれぞれの不満をぶちまける場。
 その悪い意味でカジュアルでキャッチーな敷居の低さが、鬱憤の溜まっている労働者階級の間で流行した大きな理由であると考えられる。
 ポルトワールの役所に集まったハンターは、落ち着かない様子のロメオ・ガッディ(kz0031)からひとしきりの詳しい説明を受けると窓から遠巻きにデモの様子を伺っていた。
「ギャーギャーうるせぇなクソッタレ。叫んでるだけじゃ何も伝わりゃしねぇってのによ」
 ジャック・J・グリーヴ(ka1305)は唾を吐き捨てたい勢いで眉間に皺を寄せて言い放つ。
「ったく……こんだけの大ケガで出歩くたぁ俺様もどうかしてやがる」
 だが同時に包帯だらけの自らの姿も見やって、同じように言葉を吐き捨てた。
 駆け付けたハンターの多くは、つい直前まで星の裏側――グラウンド・ゼロで発生していた大規模な作戦に関わっていた。
 無事に本懐は成し遂げたもののこの戦いによってハンター達にも多大な被害が出ている。
 この場においても、彼のように生傷を身に抱えたまま駆け付けたハンターも少なくない。
「でも、故郷の大事だし何かしたいんだ。頑張るよ!」
 口にしてジュード・エアハート(ka0410)は傍らのエアルドフリス(ka1856)と、そして足元のふわふわとした白いユグティラ「クリム」と頷き合う。
「いやはや、下手を打っちまったことに申し開きはせんがな。できる事はやらせて頂くよ」
「ええ、ええ、どうかよろしくお願いします。これじゃおちおち寝てもいられないし、街の経済だってめちゃくちゃだ」
 エアルドフリスの言葉にロメオは疲れ切った表情で肩を落とす。
 幾重にも塗り重なった目元のクマを見ても、肉体も精神も相当参っている様子がうかがえた。
「ポルトっ子はケンカっぱやくてお祭りスキだから、盛り上がっちゃったんダネ~」
「でも、こういった火遊びは関わりたくない人を巻き込んじゃいけないものよ」
 どこかほっこりとした笑顔を浮かべるパトリシア=K=ポラリス(ka5996)だったが、これまたどこか含みのある笑みで答えたケイ(ka4032)の言葉にう~んと思考を巡らせる。
「ハイ、ロメオ。炊き出しとか準備できる? 出来ればたくさんネ」
「ああ、そのくらいならいくらでも準備させますよ」
「なら、ついでに準備してほしいものがあるのだが」
 そう言って小さな紙きれを手渡すアウレール・V・ブラオラント(ka2531)。
 ロメオはそれに目を通して、それから不思議そうな表情で彼の顔を覗き込んだ。
「構いやしませんが、こんなの何に使うんです?」
「いやなに、威張れる事ではないが私の身体も見ての通りだ……他に同じような状態の者たちも少なくない。正直、この状況を見た貴殿の心労はよく分かる。だからこそ、それを払拭できるだけの策をこちらも来たつもりでね」
 その堂々たる様と自信に満ちた説得力に、ロメオは思わず頷かされる。
「な、なあ……ほんとにこの作戦でいくのかよ?」
 そんなやり取りをする部屋の傍らには、どこか落ち着かない様子のボルディア・コンフラムス(ka0796)の姿があった。
 いつもは堂々とした戦士然たる彼女だが、今日はどこかその覇気がない。
「覚悟を決めましょう。大丈夫、私達も共に戦うわ」
 そんな彼女の手を取って、アリア・セリウス(ka6424)が諭すようにその瞳を見つめる。
 その励ましをうけて、ボルディアも一度ぐっと苦い表情を浮かべてから、やがて首を縦に固く振った。
「ああ、分かったよ……二言はねぇ。やってやるぜ」
 どこか紅潮した頬で、それでも力強く彼女は言い放った。

 街で起こっているデモは、どちらかと言えば暴動に近い。
 感情の箍が外れているのだからそれはそうなのだが、通り沿いの店は荒らされ、それに抵抗すれば殴る蹴るの喧嘩が始まり、それから助けようと、止めようと人が飛び込んで騒ぎが広がっていく。
 お祭り感覚、だが誰一人として遊びではない。
 そんな状況であるものだから、軍も下手に騒ぎに飛び込むこともできない。
 それで余計に暴動が広がってしまえば悪戯に負傷者が増えることは承知だった。
 だからこそ、せめてこれ以上は広がらないようにと通りに予防線を張って、デモ隊も悪戯にそれを突破しようとすることもなかった。
 それでも内から外に出れないとしても、外から1人2人内に入ることは不可能ではない。
 軍も狭い路地まで張り続ける事は不可能だし、見落としもある。
 結果としてデモの話を聞きつけて合流する人は後を絶たず、人数は膨れるばかり。
 対抗して可能な限りの兵士を導入しているものの同盟内の状況を鑑みても総動員するわけにはいかず、パワーバランスはいつ崩れるか分かったものではない。
 デモ隊もデモ隊で、軍が一般人相手に制圧の要である“兵器”を使えないことを分かっているのだ。
「これはまた、大騒ぎですね……賑やかなのは好きですが、こういう感じのは困ります」
 まだ遠巻きながら、飛び交う怒号と喧騒の塊となったデモの様子に鳳城 錬介(ka6053)は困ったような笑みを浮かべて頬を掻いた。
 軍の張った防衛線の後ろまで来ると、流石にその熱気を肌で感じるというもの。
「流石に、穏便な方法だけで済むようには見えませんね。これ以上、悪化の途を辿る前になんとかしなければなりません」
 防衛線の兵士に挨拶をしながら、エルバッハ・リオン(ka2434)は間を縫って広場の方へと歩み出る。
 それに続いてハンター達がぞろぞろと広場の方へ姿を現すと、近くのデモ隊もその姿に気付いたようでいくつかの視線が集まった。
「なんだ、てめぇらは?」
 気が立った売り言葉を放つ男に、トリプルJ(ka6653)は気さくな様子で語り掛ける。
「俺たちはこの騒動の鎮静化のために呼ばれたハンターだ。街の代表サンの依頼で来たんだが……話があるなら、なんなら上まで通せるぜ?」
「代表に話してどうにかなる事じゃねぇよ。俺たちの給料を決めるのは、支払うのは誰だ? 雇用者だ! そもそもハンターなんか連れ出してきやがって、実力で制圧する気満々ってか? ああ?」
 男が声高らかに言うと、周囲からは「そうだそうだ」と同意の声が上がる。
「まっ……口で言って済むくらいなら苦労しねぇか。で、嬢ちゃん。こんなもんでいいのか?」
 Jの言葉にアリアが小さく頷くと、その傍らに1匹のユキウサギが駆け寄ってくる。
 ふと辺りを見渡すと、ユキウサギが駆けて来た方向から赤い光が幕のようになってハンターとデモ隊とを仕切る。
「ありがとうございます。おかげで結界を敷く時間は稼げました」
「何をくっちゃべってんだ! 俺たちはハンターだろうと躊躇はしねぇぜ! 軍だって怖かねぇ!」
 そう雄たけびを上げるや否や、周りの数人を引き連れてハンター達の元へと駆けだす男。
 彼が敷居となる光のカーテンを跨ごうとしたその時――赤い光が彼の脚を包み込んで、その歩みを塞き止めた。
「な、なんだこりゃ……!?」
 その様子を目にして、周りのデモ隊は驚いたように歩みを止める。
 何とか抜け出そうとあがく男だったが、一般人にハンターのスキルを撥ね退ける力はありはしない。
「あー、あー、テステス。ツェー、アー、チッ、チッ、本日は……あー、曇天なり。曇天なり」
 突如、赤光のカーテンの裏から響く少年の声。
 幕に仕切られてその姿がデモ隊に見えることは無かったが、スピーカーから拡声されたその声に少なからずの人々が、呆気に取られたように意識を向けた。
「えー、唐突だがこれよりゲリラライブイベントを開催する。会場はもちろんここ、ポルトワール中央広場だ。この幕が上がるまで、準備には今しばらくの時間を。それまではどうぞ、観客の皆は好き勝手に騒いで場の熱を高めておいてくれたまえ」
 カーテンの裏、アウレールは流暢な演説めいた口調でそう語ると手の動きと視線で他のハンター達へと合図を送る。
 それを受け取ったアリアが今度はルシオ・セレステ(ka0673)へと目配せをすると、彼女は防衛線の外へと手招きをする。
 それを横目で確認したアウレールは手にした魔導マイクの音量を最大まで引き上げて、すぅっと深く息を吸い込んだ。
「おら、声が小せぇぞー! てめぇら、何のためにここに集まってんだ! 言いたい事があるならハッキリ聞こえるように言いやがれッ!!」
 キンキンとスピーカーが割れんばかりの勢いで叫ぶその言葉。
 そこまで言われて黙っているポルトっ子ではない。
 惚けていた顔はみるみる闘志に満ち溢れていき、赤光に脚を止められるのを憚らずに雄たけびを発してカーテン目がけて走り出す。
 当然それ以上進めなくなるのだが、カーテンの向こうの少年を罵る声は止まらない。
 同時に、カーテン前が込み始めると横から回ろうと多少知恵の回る人間も出始める。
「任せてください。大丈夫、不要な怪我人はふやしません」
 片翼へ立った錬介が、リーリーの威降と共に走りくる暴徒の前へと立ちはだかる。
 練り上げたマテリアルを周囲に漲らせると、意識がふわりと広がったような錯覚を覚えた。
「発散したいものがあるなら受け止めます。だからそれでどうか、満足してください……!」
 盾を構え、威降はその翼を大きく広げて、人の波へと相対する。
 今はとにかく時間を稼ぐ時……転機はきっと、その後に訪れると信じて。
「こっち側は俺が護るが、お優しいのは得意じゃねぇんだ。多少荒っぽくいくが、この道を選んだ運を恨むんだな」
 Jが前置くように口にすると、彼の前へと1匹のイェジドが歩み出る。
 闘争心むき出しで牙を剥き、低く唸り声をあげるその姿を見ただけで、群衆は一瞬ひるんでその歩みを止めた。
「流石に幻獣はビビるだろう。ようし、もう一丁揉んでやれ」
 その指示を受けて、ゆっくりとその身を屈めるイェジド。
 次の瞬間、先ほどのアウレールの叫びにも負けないほどの咆哮がビリビリと広場の空気を震わせた。
 目の前でその洗礼を受けたデモ隊は、思わずすくみ上がって放心状態へと陥る。
「言っただろう、荒っぽいってよ?」
 そう挑戦的な笑みを浮かべるJに、真っ向から掛かって行ける一般人はそうはいない。
「足さえ止めてくれればこっちのものだよ、クリムっ!」
 最前線が硬直したのを見据えて、ジュードが足元のクリムへと笑いかける。
 クリムは雪のような毛並みを靡かせながらピョコピョコと人の波の中を駆け抜けていくと、そのまま騒ぎの中心でリュートを構える。
「今、何か通ったか?」
「さぁ……」
 その姿を追い切れていない暴徒たちの足元から、ポロンと優しい音色が響き渡った。
 軽やかなリュートの響きと、クリムの可愛らしい歌声が、マテリアルの旋律となって辺りを心地よく包み込んでいく。
「はぁ……どうせこんな事したって、待遇が変わるわけねぇんだよな」
 歌声を聞いた人々はどこか気が抜けたように戦意を喪失させ、ぐったりとその場に立ちすくむ。
 そこに間髪入れずにホイッスルの音が響いて、脱力した者達の注意を引いた。
「ほーら、ぼんやりしてたら危ないよ! あっちで炊き出しやってるから、良かったら食べてってよ!」
 ジュードの誘導に引きつられて、ぞろぞろとデモの列から抜けていく参加者たち。
 それを安心したように見送りながら、彼はトランシーバーに語り掛ける。
「どう、エアさん? クリムの歌が効いてない人とか見かけた?」
「いや、今のところは順調のようだ……不気味なくらいにな」
 グリフォン「スキヤン」の背に乗って上空を周回するエアルドフリスは、最後にポツリとそう付け加えながら答えた。
「そっか。まあ良いこと……なんだよね?」
「ああ」
 もう一度、どこか煮え切らない答えを交わす2人。
 聞いた話によれば、デモの全体としての指導者の存在はないらしい。
 どこから始まったのか。
 誰から、ないし何の集団から始まったのかも不明。
 気づくとこれだけの規模に拡大していたという。
「パトリシア嬢、そちらも何か気になった点はないか?」
 尋ねると、塔の屋根の上に登ったパトリシアが、桜色のリーリー「ホル」の毛並みを撫でながら、口先を尖らせて首を振った。
「怪しさの欠片もないネ~。本当にたダ、みんなの不安や不満が爆発しタだけなのカナ……?」
 彼女もまた煮え切らない想い。
 この街で、同盟で、沢山のことを見て学んできたからこそ、今回のデモには明らかな違和感を感じていた。
 きっと大なり小なり、高ぶった人々の不満は本物。
 なのにそれが爆発したきっかけが見つからない。
 感じられない。
 そのもどかしさは言葉にし難いもの。
 ムカムカとした感情はふと胸の内に湧き上がって、彼女は慌てて頭を左右に振った。
「ダメダメ、パティもきっとお腹空いてるのネ。ちゃんと解決して、みんなでお腹いっぱい食べるんだヨ~」
 そう言い聞かせて、彼女は再び双眼鏡を覗き込んだ。

「糸、ですか」
「ああ。もしも見えたらマークして、可能なら共有してほしい」
 エアルドフリスの通信を受け取ったエルバッハは、小さく頷いてカーテンの先にいる暴徒たちへと視線を向ける。
 ここ何度か同盟領内では頻繁にデモ活動が行われている。
 エヴァルドの自由商売運動に、ヴァネッサの反社会運動……など。
 それらに共通している案件が「謎の糸」だった。
 活動の中心人物たちはみな鎮圧されたその時、身体にマテリアルの糸が通じていたという。
 糸が通じるその先へたどり着くことはできなかったが、これが何らかの手掛かり――文字通り裏で糸を引く存在を示す手掛かりであることは間違いない。
「見えますか?」
 傍らのミューリ・アズヴォルフ(ka0909)へと問いかけると、彼女は静かに首を横に振る。
「流石にこの騒ぎの中じゃ見えるものも見えないわね。せめてもう少し落ち着くか、閑散としてくれないと」
 エルバッハは小さく肩で息をついて、それから覚悟を決めたようにコツリと歩み出す。
 どちらにせよ、この暴動を止めなければ先は見えないということなのだろう。
「舞台の準備は?」
「申し訳ない、もう少しだけ時間をもらえるかい?」
 設営の手伝いにいそしむルシオからの返事に、小さく頷くエルバッハ。
「だとしたら、もう少し手荒な手段に出た方が良いみたいですね」
 そう独り言ちると、胸元から数枚の呪符を取り出してみせた。
 これだけ騒ぎが大きくなり始めると、他のデモ参加者たちもハンターの介入に気付き始めてくる。
 流石にハンターには敵わないと、大事になる前にそそくさと退散していく者たちもいる一方で、そうでない者たちは少しずつ広場の方へと押し寄せ始める。
 その波に押されるようにして、はじめのうちはデモ隊に抵抗していた街の住人たちの中にはいつの間にかデモ隊に混ざってこちらへ行進してくるような者もいた。
 辛うじて聞き取れる言葉では、彼らはこう口にしている。

――事態をややこしくしやがって!

「そうは言っても、こっちもこっちで依頼で来てるんでやがりますよ」
 涼し気な顔でさらりと口にしながら、迫りくる大軍の前へと立ちはだかる。
 そして厳かな所作で一礼すると、ニッコリと温かな微笑みを浮かべて見せた。
「どいつもこいつも熱くなりやがって、少しはわたくしみたいに落ち着きやがれ」
「な……何言ってんだてめぇ?」
 突然の彼女の物言いにいろんな意味で狼狽えるデモ隊だったが、とりあえず喧嘩を売られているんだろうとだけ判断して、威勢よく啖呵を切り返す。
 傍らで彼女のユグティラ「インフラマエ」が「やっちまったにゃぁ」とでも言いたげな表情を肉球で覆うと、シレークスは悪びれる様子もなく身体を半身開いて構えて、静かに腰を落とした。
「シレークス式聖闘術――『怒りの日』」
 練り上げたマテリアルが真っ赤なオーラとなって全身を包み込む。
 そして両の拳にエクラの聖印が浮かび上がって、彼女はただ「普通」に、ただ「力いっぱい」、レンガ造りの足元目がけて振り下ろした。
 ドゴンッ――と大砲でも放ったかのような轟音と共に突如として大通りのど真ん中に大きなクレーターが生まれると、デモ隊は口をあんぐりさせて立ちすくんでいた。
 当のシレークスは拳を振り下ろした格好のまま顔だけ隊の方へと向けると、ニッコリと、それはもう聖母のように微笑んでみせた。
「おら、てめぇら。聖職者の前でこれ以上、血なまぐさい真似するんじゃねぇです」
 思わず震えあがって、蜘蛛の子を散らすように逃げていくデモ隊の先頭集団。
 繰り上がりで前に出た後続集団はいったい何があったのかと怪訝な表情で、新たに行進を始めている。
「まったく、骨のない奴らばかりでやがります。インフラマエも出番がなくて退屈してやがりますよ」
 ふんすと鼻を鳴らして語る彼女に、インフラマエは苦い表情で視線を逸らしてみせた。
 
 紅水晶のカーテンの前は相変わらず大勢のデモ隊でごった返している。
 しかし、ハンターを前にしてまともな武器も策も持たない彼らではとうてい太刀打ちできるわけもなく、悪戯に突っ込んでは無力化され……を繰り返していた。
「まあ、見え透いていたことだけど……にゃん子、準備はいいわね?」
 ケイが自らのユグティラに問いかけると、にゃん子は力強く頷く。
 共にゴーグルにハンカチという今から泥棒にでも入りそうな恰好であったが、これはある種の正装だ。
 少なくとも、自分達が被害を受けないための。
「ささっ、やる気のない人たちは軍の指示に従って出てってちょうだい。残って怪我してもしらないわよ」
 にゃん子やクリムの歌で戦意を喪失した者達を急くように広場から追い出していく。
「ああ、それと完全に喧騒から離れるまで――決して振り返っちゃダメよ?」
 そう言い残してケイはホルスターから両手に銃を抜き放つと、抜き放ったリボルバーで石畳を戦場に撃ち抜いて参加者たちを牽制する。
 それからもう片方の手にクルクルと華麗に回転させながら魔導銃を抜き放つと、口元を覆ったハンカチの奥で不敵に笑ってみせた。
「物分かりの悪い子には、おしおきよ?」
 掃射された銃弾がデモ隊の顔や身体、至る所に着弾する。
 思わず悲鳴をあげる彼らだったが、すぐにペタペタと自分の身体をまさぐると、傷1つついていないことに気付く。
「……なんだこれ?」
 代わりに、着弾点にはべっとりと張り付いた赤い塗料。
 次の瞬間、空気に触れた塗料から気化した真っ赤な粉塵が一斉に吹き上がった。
「一体なに……うっ……へごあぁっ!?」
 粉塵に包まれた隊員たちは、謎の奇声を発しながらその場に崩れ落ちる。
 みな一斉にその目を鼻を抑え込んで、だらだらと涙鼻水涎冷汗、ありとあらゆる体液を垂れ流してのたうち回る。
「あ、あひゃっ!? 目が、喉がぁっ!?」
「ひゃっ、はっ、へあっ、はひゃあっ!?」
 その状況はまさしく地獄絵図。
「どう、デスピアのお味は?」
 艶やかな笑みを浮かべるケイの後方で、万が一のために同じことを考えていたジュードが思わず後ずさる。
 同じ弾を詰め込んだ手元のリボルバーをちらりと見やると、背筋にゾクリと悪寒が走った。
「あはは……これホントに殺傷能力ないんだよね?」
「大丈夫よ、製作者がちゃんと試し撃ちをしてるなら」
 赤い噴煙をバックに語るケイの言葉には、恐ろしいほど説得力が感じられない。
 それでも、とりあえず無力化には成功しているので良しとしておこう。
「まあ……流石にこのままってのは不憫ね。十分痛い目を感じた後なら、一思いに眠らせてあげるわ」
 口にしながらミューリは杖の先に青白い睡眠ガスを燻らせる。
 しかし、すぐにそれを放つ気配はなく、しゃがみ込んで頬杖をつきながらもだえる人々をじっくり観察するように眺めている。
 それを見るといっそう不憫に思えて、ジュードはリボルバーをそっと背中に隠して代わりにトランシーバーを取る。
「ステージの準備は!?」
「すまない! 箱の数が足りず、追加で持ってきてもらってきているところだ。だが……」
 答えたアウレールは言葉を詰まらせる。
 アリアの傍に彼女のユキウサギが歩み寄って、両の手のひらを向けながらふるふると首を横に振ってみせた。
 その報告を受け取って、アリアもまたアウレールへ目配せをする。
「……そろそろ幕が上がる。口惜しいがな、なんとか持ちこたえてくれるか」
 広場を仕切っていた赤いカーテンが、マテリアルの粒子となって消えていく。
 それを見上げて、アウレールは苦い表情を浮かべていた。
「幕があがったぞ! 訳の分からねぇ、ハンター達の好きになんかさせるもんかよ!」
 大勢を塞き止めていた赤いカーテンが失われて、溜まっていた民衆が一気になだれ込む。
 すぐに錬介ら前線のハンターが対応にあたろうとするが、いかんせん数の暴力を空いてにしては全てを抑え込むのは困難を極めた。
「鬱憤ならすべて受け止めてみせます! だからどうか……!」
 纏ったマテリアルで暴徒たちの注意を引きつけながら、錬介はひたすら盾ごしに訴えかけ続ける。
 いくら殴られようと一般人の一撃では大したダメージを受けはしない。
 だが、それはそれで彼らにとっては面白くないのだろうか。
 スキルの結界内に捕らわれている者ならまだしも、そうでない者たちは初めのころよりも彼に注意を惹かれることがなくなっている気がする。
「できるだけ、こちらから傷つけることはしたくないのですが……」
 人の波にもみくちゃにされながら錬介は葛藤する。
「てめぇら、いい加減にしやがれです! そもそも、こんな事して何になるってんですか!」
 拳を構えながら、シレークスは力いっぱい叫んだ。
「何にもなりゃしねぇかもしれねぇ! だが、何もしねぇよりはましだろうさ!」
「んなもん、ただの詭弁でやがりますよ!」
 ヘラヘラと答えた酔っ払いのオヤジに、彼女のイライラも頂点だった。
 まるで聞く耳を持ちやしない。
 いや、デモとはそもそもそういうことなのだろうが……それでも、おそらく彼らのその主張の根底にあるのは「仲間」の存在。
 同じことを思い、考えているヤツがこれだけいる。
 それだけが彼らの繋がりであり、武器なのだ。
「うう……ごめんよっ! あんまり苦しかったらクリムと看病するからっ!」
 目を伏せるようにして放ったジュードの激辛弾が炸裂する。
 名状しがたき刺激が目や鼻から脳を直接グラグラ揺らす――のが目で見ただけで分かる光景に、思わず手を合わせてしまう。
 広場の片隅に空き箱を並べるハンターと、それを目指す群衆、それを圧しとどめようとするハンター。
 下手に手出しができない分、情勢はデモ隊が有利。
「こうなると、眠らせるのにも限度がありますね……」
 紫雲に包まれて崩れ落ちていく民衆を前に、エルバッハは戦況を広く見渡した。
 次第に押され始めた戦線は、ようやく追加の箱が届いた設営ポイントへと押し上げられていく。
 
 そんな時、広場を見下ろす時計台の上から叫ぶ男の姿があった。
「てめぇら、聞けぇぇぇ!!」
 ビリビリと空気を震わせるその一言に、思わず群衆の視線が釘付けになる。
 間もなく昼時を告げる時計をバックに腕を組むグリーヴ。
 彼は群衆1人1人を見渡すように視線を巡らせると、もう一度、大きく息を吸い込んだ。
「てめぇら、言いたい事があるからここにいるんだろ!? なら拳に訴えてんじゃねぇ! 言葉で訴えろ! 全部、全部聞いてやる! ひとつ残らず!」
「てめぇ、何様のつもりだよ!?」
 はたから聞けば横暴な物言いに、群衆の1人が思わず声を張り上げる。
 彼はその言葉を受けて堂々と、一分の迷いもなく答えた。
「俺様だッ!!」
 訳が分からない――そんな様子で呆気に取られた群衆たち。
 そんな時、虚を突かれて動きが止まった彼らの中に、ふわりとマテリアルの輝きが漂っているのをJの翡翠色の瞳が見逃さなかった。
 咄嗟に石畳へ手をつくと、そこから伸びた影の手が参加者1人の脚を掴む。
 そのまま自らの方向へと引き寄せると、その襟元をぐいと掴みあげた。
「な、なんだお前は……というか、ここはどこだ……?」
 その参加者は、戸惑った様子で忙しなく周囲を見渡す。
 彼の身体から伸びたマテリアルの糸がふわふわと漂いながら、その先がプツリと途切れているの目にしてJは思わず舌を打つ。
「ヤロウ……何モンか知らねぇが、思ったより慎重なヤツのようだ」
 やがて霧散していく糸を尻目に、目の前の男を解放してJはトランシーバーを手繰り寄せる。
「やはり糸か……」
 報告を受け取ったエアルドフリスは、上空から参加者たちの様子をもう一度見下ろした。
 彼らは怒りの矛先をグリーヴ1人へと向けて、やたらめったらに罵詈雑言を叩きつけている。
「頭がたけぇんだよ! 見下ろしてんじゃねぇ!」
「ああ、それは悪かったな。ちょっと待ってろ!」
 サラリと口にして、屋根の上からぴょんと飛び降りるグリーヴ。
 着地の瞬間に全身の傷が一斉にズキリと響いたものの、それを顔には出さず人々の前に立ちはだかる。
「さっきから偉そうによ! お前たちには分からねぇだろうよ! トクベツじゃねえ、俺たちの気持ちなんてよ!」
「ああ、分からねぇよ。トクベツだとかそうじゃねぇとか、立場だけで世界を語るヤロウの気持ちなんざな」
「んだと……!?」
 筋骨隆々の職人肌の男が、グリーヴの胸倉を掴みあげる。
 抵抗する力もない彼の身体は軽々と捻り上げられ、ぶらんと力なく足が宙に浮く。
「言いたい事があるなら言えよ。俺は言ったぜ。“全部聞いてやる”。吐き出せよ。それでも足りねぇなら、そん時は拳で語ったって構いやしねぇ。ただし俺様だけだ。俺様が全部受け止めてやる。今なら覚醒もできやしねぇ。やり返しゃしねぇ。だがよ、他の平民を殴るのだけはこの俺様が許さねぇ。それが義務だ。“トクベツ”な俺様のなッ!」
「……ッ!」
 歯を食いしばった男の拳が固く結ばれ、振り上げられる。
 一瞬の間。
 息を飲む瞬間。
 どこかやり切れない表情を浮かべて――男の拳はグリーヴの頬へと抉り込まれていた。
 病体が吹き飛んで、レンガ造りの壁ひ激しく打ちつけられる。
 それが合図。
 わっと彼の姿に暴徒たちが群がっていた。
 怒号と喧騒で包まれる中、周囲で三毛色ノユグティラがおろおろと、しかし必死に癒しの音色を奏でる。


 街道を駆けるトラックとハンター。
 その後ろを、数多の蜘蛛人形と木偶メイドが追いかける。
 蜘蛛人形はトラックの速度に引けを取らないスピードで。
 メイド達は手の先から発したマテリアルの糸を蜘蛛人形の身体に絡ませて、半ば引きずられるようにその後を追う。
「ったく、しつこいわね! 積み荷が大事なものだって、分かってるつもりなのかしら?」
 葵が放った炎の矢を、蜘蛛人形はぴょんと高く飛び上がって避けた。
 代わりに糸で釣られて浮かび上がった後続のメイドに直撃して、その身体が炎上する。
 エクスシアのマテリアルライフルが飛び上がった人形目がけて放たれると、敵は前腕の指先からそれぞれ糸を発して街路樹に張り付けると、手繰り寄せる勢いでそれを回避する。
「思いのほか……厄介ですね」
 コックピットでロックオンカーソルを再度合わせる観智の頬を、冷たい汗が伝う。
 先ほど見かけた青いメイドは確か十三魔ジャンヌ・ポワソンの従者。
 ならその主人がもしこの近くに来ているとしたら――嫌な予感が脳裏を過って、それを振り払うように頭を振った。
 少なくとも今この身に特有の倦怠感は感じられない。
 そうであるならば少なくとも戦域周辺には居ないと、そう信じる他なかった。
「そろそろ街に近づいてきている……このまま引き連れていくわけにもいかないわね」
 マリィアが独り言ちると、空を滑空するアーザ・チラノがその身に光を蓄える。
 直後いくつもの光の柱が地上へと降り注いで、高速で飛び回る蜘蛛人形や木偶メイドをその“光の檻”の中へと包み込んでいだ。
 四肢や身体を貫かれた敵は至る所に焼け付いたような穴を空けながらも、痛みを感じさせない動きで戦場を飛び跳ね回る。
「もう……うっとおしい歪虚なの!」
 人間であればあり得ない方向に腕や足を曲げながら飛び掛かって来る木偶人形を、ディーナが放つ光の波動が吹き飛ばす。
 人型の個体はそれだけでマテリアルとなって霧散していくが、蜘蛛型は半身だけ生き長らえてトラックの外壁にへばりついた。
 そして2つの頭が運転席を覗き込むと、そこへ黒光りする銃口が突きつけられる。
 歪虚の接近には目もくれず、ただ拳銃だけを突きつけるヴィットリオの横顔。
 無言で放たれた銃弾の衝撃で、敵の姿が宙を舞う。
「あっちいけニャぁ!」
 ミアの腰がピョンとバイクから離れると、座席を蹴り上げ身体がふわりと宙を舞う。
 片手でハンドルを辛うじて握りしめたまま、それを軸にしてぐるりと大きく回転するようにして放たれたオーバーヘッドキック。
 出会いがしらの一撃が人形の顔面を撃ち砕いて、そのまま街道脇へと弾き飛ばす。
 地面に身を投げ出され、ゴロゴロと遥か後方へ転がっていく敵の姿を尻目にミアはひらりとバイクの背に戻ってバランスを立て直した。
「お見事! 支えは必要なかったみたいだね」
「そんな事ないニャス! ありがとうニャスよ~」
 咄嗟に腕を差し出しスタンバっていたイルムがにこやかにその手を叩くと、ミアもニッコリとほほ笑んでブイサイン。
 入れ違いに別の木偶メイドが飛び掛かって来て、今度はイルムが庭木用と思われる大ぶりのハサミをレイピアでいなす。
「これ以上、進行方向に敵は布陣していないみたいだね。待ち構えていたというよりは、出会いがしらという印象が強いようだけれど……」
 今回の敵襲に計画性は感じられない。
 そもそもこの任務自体が突発的に発生したものだ。
 それに歪虚が備えていた――とまでは流石に考えにくい。
「だとすれば……あちらも慌てて対応している、ということになる」
 後方から追いすがるメイドが手にしたナイフを投擲して、彼女のナイフが再び翻る。
 金属同士のぶつかる鈍い音。
 その直後、振り上げた刃の切っ先をマテリアルの蜘蛛がグルリと絡めとる。
 グンと身を引かれて思わずエールデの背の上でのけ反ると、後方の木々の上から糸を引く蜘蛛人形の姿が見えた。
「ははっ、本当に蜘蛛のようだ」
 主人が体勢を崩したために、慌てて片足でぴょんぴょんとバランスを取るエールデ。
 イルムもまた柄を握る掌に力を込めて、引き寄せんとする敵と拮抗する。
「桜華ッ!」
 葵の指示で飛び掛かったイェジドが、その鋭い爪でピンと張った糸を断ち切った。
 反動でガクンとつんのめりながらも足場を立て直すイルムらの横を、そのままの勢いで桜華の葵が駆け抜ける。
「ありがとう、助かったよ」
「良いってこと……よっ!」
 射程内に飛び込んだ瞬間、炎の矢を放つ葵。
 脚を射抜かれた炎上しながらバランスを崩して木の上から転げ落ち、路上を走る木偶人形を巻き込んで倒れ伏した。
「そのまま消し炭にしてくれる――」
 追って上空に陣取ったレイアとそのワイバーンが、仰向けで蠢く敵の頭上に影を刺す。
 騎龍の口元に蓄えられた火炎が噴き出し、人形たちを纏めて包み込んでいた。
「あの丘を越えれば、ポルトワールの街並みが見えてくるはずよ!」
 マリィアが指さしたその先には、ちょっとした街道の登坂。
 その先はまだよく見えないが、うっすらと潮の香が鼻先を掠めたような気がしていた。
 後方からは未だ数体の人形たちがカタカタと追いかけてくる。
 その指揮官たるフランカの姿はいまだ見受けられず、後続が上手く引き付けてくれているのだろうということだけは分かった。
「ジャックさん達、無事だといいの……」
 フランカが来ないのは良いが、仲間も追いついてこないと言うのは少し気に掛かるものがある。
 ディーナはどこか煮え切らない想いを表情に滲ませながら、人形たちのさらに後方の街道を見つめていた。


「――あー、テステス。ツェー、ツェー……は先ほどやったな」
 不意に拡声器から声が聞こえて、はたと喧騒が止む。
「……すまないジャック。おかげで助かった」
 一度マイクを外して、アウレールはポツリと呟く。
 それからもう一度口元に構えなおし、それから空いた掌をぐっと握りしめる。
「待たせたな! お前たちの言い分はよく分かった! 今度はオレ達のハートをぶつけさせてもらうぜ!」
 その掛け声に合わせて、ドンドドンと打ちあがるマテリアル花火たち。
 同時にレオーネの雄たけびが天高く響いて、群衆の関心は一気に広場の片隅――空き箱を積み上げた、簡易な仮設ステージへと奪われていた。
「テメェら……俺の歌を聴けぇぇぇ!!」
 肩掛けタイプのキーボードを抱え、鬼気迫る勢いで叫ぶボルディア。
 その声量に目の前のスタンドマイクがガタリと揺れる。
 鍵盤から溢れる鋼の音色が、魔導機で増幅されてビリビリと熱いビートを刻んだ。
 そこへ感じるままに、思うままに、伝えたい言葉を乗せる。
 バカヤロウ、そうじゃねぇだろ。
 頭プッツンで周りが何も見えねぇなら、代わりに俺を見ろ。
 聞け、俺はここにいる。
 世界に、不満に喧嘩を売ってんのはお前らだけじゃねぇ。
 俺もこうして1人で戦ってるんだ。
 初めは状況が呑み込めず尻込みしていた群衆だったが、やがてその内の1人が負けない声で張り上げる。
「ナメてんのか、お前ら……ッ!」
 その一声に触発されて溢れる憎しみの言葉。
 どかどかと、デモ隊は一丸となってステージへ向けて行進を始める。
「オルテンシア、行ってくれ。さて……ここからが勝負だ」
 前線へ駆けて行くユグティラを見送って、アウレールの瞳が鋭く群衆の姿を捉える。
 完全に頭に血がのぼっているデモ隊は、とても歌を聴いている状態ではない。
 それでも、ボルディアは歌い続ける。
 罵声を浴びても、モノを投げつけられても。
「そういうのはよくないな。少しは気を落ち着けて、歌に耳を傾けてはどうだい?」
 金色の影が駆け抜けてステージの真ん前に滑り込むと、激しいハウリングが近寄るデモ隊を威嚇する。
 ルシオは懇願するような笑みを浮かべて、同時に彼が乗るレオーネが獰猛な唸り声で人々を牽制した。
「け、結局はそうだ……力に訴えるんだろ! そらそうさ、俺達じゃとうていお前らに敵いやしない!」
 臆せずに返された言葉に「そうだそうだ」と同調の声が上がり、萎縮しかけたボルテージが再び高まる。
 ステージ上のボルディアへ、立ちはだかるハンターへ、瓶や石、靴、様々なものが罵倒と共に投げつけられる。
 完全に対峙した状況で、デモ隊ももはや力に訴えることは無駄だと分かっている。
 だからこそ可能な限りの棘を持った言葉を握り締めた石に込めて、投げる。
 酒瓶の1つがボルディアの頭部を直撃して、思わず歌声が途切れた。
 今までこれだけの憎悪を護るべき人々から向けられたことがあっただろうか。
 それはもはや賃金や格差といった社会への不平不満ではなく、目の前の“ハンター”という存在に向けたストレートな不満。
 力を持つ者と持たざる者。
 暗黙の内に走った亀裂が、デモ隊とハンターとの溝を深める。
 しかし、その溝を飛び越えて薄氷のようなリュートの音色が駆け巡った。
「隣人に振り下ろすのは、拳でなく助けの手……自らが傷つき、血を流しても、怒りと憎しみには捕らわれない」
 頭を抱えてうずくまったボルディアの隣に立ったアリアが、凛として言い放つ。
 それから険しい表情で人々の表情を見渡して、小さく息を吐く。
「見ているのでしょう、この状況を望む者よ! 残念だけど、この程度で心を折る私ではないわ。どんな状況であろうと、私は人々を見捨てない。私は私を見捨てない。その選択こそが自由。覚悟こそが自由――」

――自由なる風の心、それが同盟の誇りでしょう!

 響き渡った言葉に、誰もが息を飲む。
 一時の静寂の中、彼女の手がボルディアへと差し出された。
「まだ、歌えるわよね?」
「たりめぇだ……まだまだ言い足りねぇことが山ほどあるんだ」
 額から口元へと伝った血をぺろりと舐めて、ボルディアはその手を取る。
 握り合ったその手の上に、ぴょこりと小さな手が1つ追加で重ねられた。
「かっくいー歌聞いてタラ、パティも歌いたくなりまシタ♪」
 ニコリとひまわりのような笑みを浮かべるパトリシアに、思わず釣られて笑顔になる2人。
 音が再び広場へと溢れる。
 デモ隊はなおも反抗しようと拳を振り上げかけるが、言葉が上手く喉を出ず、腕だけが中途半端な高さでフラフラと上下する。
 こちらにもこちらの言い分がある。
 だがその選択は覚悟のあるものなのか?
 その葛藤が人々の拳を鈍らせる。

 そんな中、広場へと走り寄る集団の姿があった。
 それがヴァリオスから来るという別働のハンター達であるこを知るのは、それからすぐのこと。


「今、何……と言った?」
 フランカがさらりと口にした言葉に、ロニは珍しく狼狽えたようにして彼女の姿を見下ろしていた。
 彼女もまた、彼が何をそんなに驚いているのか理解もしていない様子で逆の方向へと首をかしげる。
「そんなに変な事を言ったのかしら? 人間って不思議ね――」
 口にしながらミシリと闇の刃から身を引きはがすと、咄嗟に振るわれたエルギンの剣を飛び越えて、ぴょんと離れたところに降り立って彼らへと相対する。
「悪いが今日は急ぎでな、ここらでお暇させて貰うぜ」
「そうね、確かにもう追いつくのは無理だと思うわ」
 エルギンの言葉をフランカは素直に受け入れたようにして、くるりふわりと街道の上を踊るように飛び跳ね回る。
 そして顔だけをカチリとハンター達の方向へ向けて回転させると、ニッコリとほほ笑んで言い放った。
「だから、あなた達にたくさん遊んでもらうことにしたの」
 回し蹴りの要領で足を振り上げると、踵の先から放たれた鋼鉄の針が放たれる。
 咄嗟に盾でそれを受け止めると、次の瞬間には急接近したフランカがラウンドシールドの表面を優しく撫でまわしていた。
 遊びという快楽に表情を歪ませる彼女の「タイ」の上、紫色の宝石が視界に飛び込んでくる。
「……メイドが随分と洒落たモン付けてんじゃねぇか」
「おじ様に貰ったの。素敵でしょ?」
 彼女は溶けて歪んだ縁を掴むと、力任せに振り回す。
 細い身体からは似つかない力で、エルギンの身体は盾を持ったまま馬から引きずり降ろされ、軽々しく宙に浮いていた。
「小夜、ジャックを! 俺はこのまま……!」
 生成していた闇の刃が、空中のエルギン目がけて手のひらを向けるフランカの横顔に迫る。
 飛来する黒色の刃に触れてはいけないということを彼女も学んでいるのか、攻撃の予備動作をやめてクルリクルリとダンスを踊るように刃の雨を潜り抜ける。
 刃はフリルのついたメイド服を引き裂いてこそいくものの、身体そのものへのダメージは紙一重で避けられていた。
 しかしながら、その間に空から落ちて来たエルギンの身体を小夜の小柄な身体でキャッチ――が、落下する人1人の重さを受け止めきれず、結局は竜胆の背中も使ってそれを受け止めた。
「ご、ごめんなさい……よう受け止められなくて」
「いやぁ……助かったぜ」
 冷汗を拭うエルギンを安全に地上に下して、小夜は再び竜胆の翼で空へと飛び立つ。
 ロニも肉薄していたのをピタリと止めると、手綱を振ってラヴェンドラを空へと誘った。
「逃がさないわ」
 フランカが両の掌を合わせて、1本の熱線を放つ。
 2方向ショットの時よりも長射程の火炎がどこまでも伸びて伸びてロニの背を追いすがり、シールドで受け止めるのを余儀なくされる。
「初めの長射程砲撃はそいつか……!」
 入れ違いに飛び掛かったエルギンのバスタードソードが、背後から敵の肩口を捉えた。
 刀身が放つ赤い輝きがボロボロのメイド服を照らし出すと同時に、ミシリと刃が身体へとめり込む。
 分厚い陶器を砕いたような、無機質な感覚が柄から掌へと伝わった。
「ほらよ、鬼はこっちだぜ?」
 フランカの首がぐるりと後ろを向いて、背後のエルギンと視線が合う。
 そしてニコリと笑みを浮かべると、そのまま腰からしたも背面へと向き直った。
 上半身と下半身が前後別の方向を向いた奇妙な恰好で、赤い靴を履いた脚が振るわれる。
 咄嗟に刃を抜き取って距離をあけると、ブレストプレートの表面を彼女のつま先から伸びた短剣が鋭く引っかく。
「これなら……!」
 フランカの頭上彼方から、小夜が紫色の重力球を発生させる。
 空中に生まれたそれは、僅かに距離を取ったエルギンの鼻先をギリギリ避けて敵の姿だけを飲み込む。
 やがて重力球が収縮すると、フランカの身体をその圧で蝕む。
「あら……あらあら、また身体が重いわ」
 左手から放った熱線が天を薙いで、小夜と竜胆を掠める。
 もう一方の熱線も迫るロニとラヴェンドラを牽制するように伸び、急旋回を余儀なくされた。
「ここだ……ッ!」
 両手が塞がれたのを見て、エルギンが再び踏み込んだ。
 切っ先を突き出し、踏み込みの勢いを込めた槍の如き一閃。
 フランカは残された脚でそれを受け止めようと、大きく腰を捻ってから振り上げる。
――直後、彼女の脚が視界から消えていた。
 否、代わりに刃が身を貫く熱い痛みと衝撃が、腹から全身へと伝わっていた。
「馬……鹿な」
 こちらの刃はまだ届いていない。
 だが、自分の腹部に彼女の脚が深々と突き刺さっていた。
 数m、先にいる彼女の下半身に――足はない。
「飛ばしやがったのか……自分の脚を……流石に反則、だぜ……?」
 自重するように笑みを浮かべて、その身体が砂利の上に崩れ落ちる。
「ジャック……! くそ……っ!」
 ロニが彼の元へと急行するが、フランカの熱線がその接近を遮る。
 その隙に小夜が逆方向へ回って戦場に氷の旋風を放った。
 視界を覆う強烈なブリザード。
 それを突っ切って飛来する熱線の存在は、彼女にとっては完全に意識の外の出来事だった。
「……っ」
 気が付いた時には既に熱線がその身を包み込む。
 嵐が過ぎ去った先、半身を凍てつかせながらも、右手を小夜の方向へと向けるフランカの姿がそこにはあった。
 僅かに耐えきった竜胆が、ぐったりとする彼女を背に戦域を離脱する。
 その隙にロニもまたエルギンの身体をラヴェンドラの背に掴みあげて、はるか上空へと飛び立った。
 その際にずるりと抜け落ちたフランカの脚が、街道の上に転がる。
 上半身だけになった彼女は腕の力だけで這うように下半身の元へとにじり寄ると、無言でゆっくりと起き上がった腰に自らの身体をはめ込む。
 そして遠く離れて行くいくワイバーンたちの姿を見ながら、小さく肩を落としてみせた。
 
 瀕死のエルギンに治癒魔術で手当をしながら、ロニは怪訝な表情でポルトワールのある方角を睨みつける。
 その口には、フランカが語ったあの言葉が思わず漏れ出ていた。
「王――だと?」
 胸の内のざわめきが抑えきれず、彼は急くようにラヴェンドラの手綱に力を込めた。


「みんなー、待たせたニャス!」
 騒がしいエンジン音と共に輪の中へ飛び込んで来たミアは、ステージ前にバイクを急停車させるとビシリ――と広場の一角を遠く指差す。
 突然の闖入者、その指の指し示す方向へと意識を惹かれて見上げた先。
 ポルトワールの街役場の屋上から、大きな大きな布が風に舞って広がった。
 否――それはただの布ではなく“帆”。
 一面に同盟各地のイベントで書かれた「未来への希望」の寄せ書きが詰まった、同盟の夢。
 ツギハギで作られた巨大な帆は、風に揺られて威風堂々胸を張りながら正午の日差しを受けて燦々と輝いて見えた。
「あれは……」
 群衆の1人がぽつりと声を漏らす。
「俺……あれ書いたぞ」
「俺も……たしか“家族が健康でありますように”って」
「俺は“次こそ大口契約が取れるように”って……」
 掲げられた“希望の帆”を前にして、水面の波紋が広がるようにざわざわと声が大きくなっていく。
 そこにあるのは怒りでも憎悪でもなく、寄せ書きを書いた時の温かな想い出。
 皆、眉間の皺がすっとほどけて肩の力が抜けていくのが見て分かった。
「ワォ! “希望”――なるほど、そういうことだったんだね!」
 パンと手を叩いたイルムに、額の汗を拭う葵が並ぶ。
「間に合ったようでなによりよ……いや、流石に肝は冷えたけどね」
「ええ……よかった、本当に」
 エヴァルドが疲れ切った表情で、だが胸いっぱいの安堵を含んで答えた。
 その瞳の先で揺れる帆は、まさしく彼にとっての希望だった。
「ブラマンデちゃんも、きっと誰かの“希望”ニャス!」
 掛けられた言葉に、エヴァルドはハッとしてミアを見る。
 そして、どこか諦めを含んだような表情で苦笑した。
「どうでしょうか……少なくとも私は、希望よりも野望に満ち溢れた存在だ。より所という意味ならば、ガッティ氏のような者の方がふさわしいと思います」
「ううん、少なくともミアはブラマンデちゃんと未来でも笑いたいと思うニャぁ。それって希望にならないのかニャス?」
 首をかしげる彼女に、エヴァルドは虚を突かれたように何かを考えた後――ふっと、気の抜けたような笑みを浮かべてみせた。
「そうですね。私もどうせ迎えるなら、笑える未来が良いと思います」
「ニャァ♪」
 ミアも笑い返して、2人でもう一度はためく帆を見上げる。
 
 気が抜けた――といった様子で、デモ隊は慎ましやかに解散の方向へと向かっていた。
「さーさー、もうお昼の時間だヨー! 役所の方で海鮮焼きに火鍋にチーズ、パンにワインがまってるヨー!」
 陽気に先導するパトリシアにぞろぞろとついて行く元デモ隊員たち。
 収まりはしたものの、おそらくこの規模のデモでは罪は免れない。
 周囲をがっちりと軍の兵士達に囲まれて、彼らの表情にはしっかりと諦めの色が浮かんでいた。
 その様子を上空で眺めていたエアルドフリスは、ふぅと一息つきながらスキヤンの首を優しく撫でてやる。
 ふと……その視線が地上を掠めた時、きらりと輝くマテリアルの糸が視界の端にちらついたような気がした。
「今のは……!」
 弾かれたように目を凝らすと、デモ隊の内数人の身体から外れた糸がするするとどこかへ巻き取られていくのが見える。
 それを遠く目で追って――その先にいる1人の老紳士と目があった。
 彼は初めからこちらに気付いてたかのように、むしろ見せつけるかのようにくるくると指先で糸を巻く。
 そして心臓をわし掴みにされた心地のエアルドフリスへ向かってゆっくりと口角を上げてほほ笑むと、パチパチとゆっくり――次第に盛大に、拍手を打ち鳴らした。
 
 突然のことに、弾かれたように振り向くハンター達。
 小柄な燕尾服姿の老紳士は腰かけていた噴水の縁からひょいと飛び降りると、軽く尻の埃を払ってシルクハットを正して見せた。
「……誰ですか、あなたは?」
 問いかけたエルバッハは、無意識に懐の呪符を握り締める。
 それは本能が彼女に告げていたある種の警告だった。
「ああいや、楽にして。ゲームはもう終わったんだ。今はインターバルといったところかな」
 さっき放つ彼女に老紳士は掌を向けて宥めるように制すと、そのままコツリコツリと閑散とした広場を歩み出す。
「クフフ……いやいや素晴らしい、感動をありがとう。完敗だ。良いものを見せてもらったよ」
 陽気に語るその表情には絶えず笑みが浮かび、歩く度にタイヤから空気が漏れるかのような笑いがこだました。
「あなた……歪虚ですよね?」
「うん、ご明察。隠すつもりはないよ」
 再びの彼女の問いに、老紳士はハットが零れ落ちそうなほど大きく頷く。
「そうか! この時代のニンゲンと話すのは初めてだったね」
 はっと思い出したようにして、彼はハンターらのほうへと向き直る。
 そしてシルクハットを脱いで髪の薄い卵型の頭を露にすると、カカトを揃えてぺこりとお辞儀をしてみせた。
「勝利のご褒美に答えよう。僕の名前はラルヴァ。このゲームのプレイヤーの1人さ」
「プレイヤー? ゲーム? 貴様は何を言ってる?」
 今にも噛みつきたい勢いで口にしたアウレールの凄みに当てられ、老紳士は驚いたように飛び上がる。
「ゲームはゲームさ! そして今回は僕が負けた。いや惜しい勝負だった。キミ達にとって一番痛い手を打ったつもりだったのだけどね。だけどまだ序盤の攻防を終えたところさ。ここからの勝負が本番だからね」
「つまりこのデモはゲームで、今回は私たちの勝利と……そういうことかしら」
 うんうんと頷きながら差し手の考察に励むラルヴァに、アリアは落ち着いて、だが強い感情を滲ませた言葉で尋ねる。
「う~ん、いや、語弊があるね。勝ったのは“君たちの”プレイヤー。そして負けたプレイヤーが僕」
「私達……の……?」
 言葉の意図が読み切れずに思わず言葉を濁す。
 だが、やがてはっと合点がいくと――代わりに浮かび上がった過程に、思わず喉がひり付いた。
「もう1回だけ聞いても良いかな……君は“何者”?」
 震える肩で問い質したのはジュード。
 その瞳に映るハッキリとした負の感情を、ラルヴァは心地よさそうに受け取った。
「答えたはずなのだけどね。僕はラルヴァ、このゲームのプレイヤー。そうだね、愛する僕の駒たちからは――」

――王と呼ばれているよ。

 ザワリと、ハンター達の背中を悪寒が走った。
「これはゲームさ。僕と精霊の知恵を競う一騎打ち。僕の駒は苦労して見繕った歪虚たち。そして精霊の駒は君たちだろう……契約を持つヒトの子らよ」
「わ、私達と精霊はそんな関係なんかじゃないの……!」
 ラルヴァの言葉に、ディーナが思わず声を荒げる。
「キミ達がどう思おうと勝手だけれど、当の精霊はどうだろうね。まあ、キミたちの間柄は僕にはなんの関係もないけれど……クフフ」
「違う……違うの、絶対に……」
 必死に否定するディーナに、ラルヴァは孫をあやす祖父母のような笑顔で頷き返す。
 それからシルクハットを被り直して、くるりと背を向ける。
「ま、待ってください……“序盤の攻防”と言いましたね? それはつまり、まだゲームは始まったばかりだと……そう言うんですか?」
 震える足で問うた錬介へと、肩越しにラルヴァが振り返る。
「もちろん、勝敗が着くまでね。もっとも、定石を刺しきるのに数百年掛かってしまったけれどね――」
 口にして、彼ははらりと右手を振り上げる。
 同時に指先から何本ものマテリアルの糸が噴き出し、まるで繭のようにその身を包み込む。
 やがて糸がほどけるように繭がはらりと消え去って、その先にラルヴァの姿はもう無かった。
 
 同時に、張り詰めていた緊張が一気に解ける。
 ある者は気が抜けてへたり込み、ある者は強い感情に身を震わせて、彼が消えた虚空を見つめる。
 自由の風が街を吹き抜け、希望の帆を揺らしていた。

依頼結果

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MVP一覧

  • 支援巧者
    ロニ・カルディスka0551
  • ボルディアせんせー
    ボルディア・コンフラムスka0796
  • 未来を示す羅針儀
    ジャック・エルギンka1522
  • 赤き大地の放浪者
    エアルドフリスka1856
  • ツィスカの星
    アウレール・V・ブラオラントka2531
  • 面倒見のいいお兄さん
    沢城 葵ka3114
  • 凛然奏する蒼礼の色
    イルム=ローレ・エーレka5113
  • 紅の月を慈しむ乙女
    アリア・セリウスka6424

重体一覧

  • ノブレス・オブリージュ
    ジャック・J・グリーヴka1305
  • 未来を示す羅針儀
    ジャック・エルギンka1522
  • きら星ノスタルジア
    浅黄 小夜ka3062

参加者一覧

  • 空を引き裂く射手
    ジュード・エアハート(ka0410
    人間(紅)|18才|男性|猟撃士
  • ユニットアイコン
    クリム
    クリム(ka0410unit002
    ユニット|幻獣
  • 支援巧者
    ロニ・カルディス(ka0551
    ドワーフ|20才|男性|聖導士
  • ユニットアイコン
    ラヴェンドラ
    ラヴェンドラ(ka0551unit004
    ユニット|幻獣
  • 杏とユニスの先生
    ルシオ・セレステ(ka0673
    エルフ|21才|女性|聖導士
  • ユニットアイコン
    レオーネ
    レオーネ(ka0673unit001
    ユニット|幻獣
  • 流浪の剛力修道女
    シレークス(ka0752
    ドワーフ|20才|女性|闘狩人
  • ユニットアイコン
    インフラマラエ
    インフラマラエ(ka0752unit002
    ユニット|幻獣
  • ボルディアせんせー
    ボルディア・コンフラムス(ka0796
    人間(紅)|23才|女性|霊闘士
  • ユニットアイコン
    ワイバーン
    シャルラッハ(ka0796unit005
    ユニット|幻獣
  • 止まらぬ探求者
    天央 観智(ka0896
    人間(蒼)|25才|男性|魔術師
  • ユニットアイコン
    アールセブンエクスシア
    R7エクスシア(ka0896unit008
    ユニット|CAM

  • ミューリ・アズヴォルフ(ka0909
    人間(紅)|23才|女性|魔術師
  • ノブレス・オブリージュ
    ジャック・J・グリーヴ(ka1305
    人間(紅)|24才|男性|闘狩人
  • ユニットアイコン
    ミケ
    ミケ(ka1305unit003
    ユニット|幻獣
  • 未来を示す羅針儀
    ジャック・エルギン(ka1522
    人間(紅)|20才|男性|闘狩人
  • 赤き大地の放浪者
    エアルドフリス(ka1856
    人間(紅)|30才|男性|魔術師
  • ユニットアイコン
    スキヤン
    スキヤン(ka1856unit002
    ユニット|幻獣
  • ルル大学魔術師学部教授
    エルバッハ・リオン(ka2434
    エルフ|12才|女性|魔術師
  • ツィスカの星
    アウレール・V・ブラオラント(ka2531
    人間(紅)|18才|男性|闘狩人
  • ユニットアイコン
    オルテンシア
    オルテンシア(ka2531unit002
    ユニット|幻獣
  • きら星ノスタルジア
    浅黄 小夜(ka3062
    人間(蒼)|16才|女性|魔術師
  • ユニットアイコン
    リンドウ
    竜胆(ka3062unit004
    ユニット|幻獣
  • 面倒見のいいお兄さん
    沢城 葵(ka3114
    人間(蒼)|28才|男性|魔術師
  • ユニットアイコン
    オウカ
    桜華(ka3114unit002
    ユニット|幻獣
  • 憤怒王FRIENDS
    ケイ(ka4032
    エルフ|22才|女性|猟撃士
  • ユニットアイコン
    ニャンコ
    にゃん子(ka4032unit001
    ユニット|幻獣
  • 乙女の護り
    レイア・アローネ(ka4082
    人間(紅)|24才|女性|闘狩人
  • ユニットアイコン
    アウローラ
    アウローラ(ka4082unit001
    ユニット|幻獣
  • ゾファル怠極拳
    ゾファル・G・初火(ka4407
    人間(蒼)|16才|女性|闘狩人
  • 凛然奏する蒼礼の色
    イルム=ローレ・エーレ(ka5113
    人間(紅)|24才|女性|舞刀士
  • ユニットアイコン
    エールデ
    エールデ(ka5113unit001
    ユニット|幻獣
  • 灯光に託す鎮魂歌
    ディーナ・フェルミ(ka5843
    人間(紅)|18才|女性|聖導士
  • ユニットアイコン
    リーリー
    リーリー(ka5843unit001
    ユニット|幻獣
  • ベゴニアを君に
    マリィア・バルデス(ka5848
    人間(蒼)|24才|女性|猟撃士
  • ユニットアイコン
    アーザ チラノ
    asa tirano(ka5848unit003
    ユニット|幻獣
  • 金色のもふもふ
    パトリシア=K=ポラリス(ka5996
    人間(蒼)|19才|女性|符術師
  • ユニットアイコン
    リーリー
    ホル(ka5996unit001
    ユニット|幻獣
  • 流浪の聖人
    鳳城 錬介(ka6053
    鬼|19才|男性|聖導士
  • ユニットアイコン
    イオリ
    威降(ka6053unit005
    ユニット|幻獣
  • 紅の月を慈しむ乙女
    アリア・セリウス(ka6424
    人間(紅)|18才|女性|闘狩人
  • ユニットアイコン
    ロズ
    ロズ(ka6424unit006
    ユニット|幻獣
  • Mr.Die-Hard
    トリプルJ(ka6653
    人間(蒼)|26才|男性|霊闘士
  • ユニットアイコン
    イェジド
    イェジド(ka6653unit002
    ユニット|幻獣
  • 天鵞絨ノ風船唐綿
    ミア(ka7035
    鬼|22才|女性|格闘士

サポート一覧

マテリアルリンク参加者一覧

依頼相談掲示板
アイコン 【護衛】相談卓
ジャック・エルギン(ka1522
人間(クリムゾンウェスト)|20才|男性|闘狩人(エンフォーサー)
最終発言
2018/04/26 06:11:52
アイコン 【鎮圧】相談卓
ジャック・エルギン(ka1522
人間(クリムゾンウェスト)|20才|男性|闘狩人(エンフォーサー)
最終発言
2018/04/25 12:57:49
アイコン 相談卓
ボルディア・コンフラムス(ka0796
人間(クリムゾンウェスト)|23才|女性|霊闘士(ベルセルク)
最終発言
2018/04/26 06:18:37
アイコン 質問卓
ボルディア・コンフラムス(ka0796
人間(クリムゾンウェスト)|23才|女性|霊闘士(ベルセルク)
最終発言
2018/04/23 01:49:56
アイコン 依頼前の挨拶スレッド
ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2018/04/26 06:33:17