聖導士学校――あるいは最後の戦い

マスター:馬車猪

シナリオ形態
ショート
難易度
難しい
オプション
  • relation
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
7~15人
サポート
0~15人
マテリアルリンク
報酬
多め
相談期間
5日
締切
2019/06/15 09:00
完成日
2019/06/23 19:10

このシナリオは5日間納期が延長されています。

みんなの思い出

思い出設定されたOMC商品がありません。

オープニング

●丘
 南風には負マテリアルが満ちていた。
 乾いた荒野は汚染されて歪虚の発生源となり、しぶとい雑草も枯れ果て空飛ぶ鳥は落ちていく。
 精霊の壁になることで人間への被害は出ていないが、森の生気は徐々に失われ破滅の時が近いと思われた。
「ルル様、ご無事ですか!」
 丘に駆けつけた地域有力者が目にしたのは、緩いジャージ姿でデッキチェアに寝転びクッキーをかじっている丘精霊だった。
 銀細工にも見える髪は艶めかしく陽光を反射し、細身ではあるが健康的な体付きがジャージの上でからでも分かる。
 纏う気配はまさしく精霊で、灰色に見える瞳には深い知性と長い時の積み重ねが感じられた。
 口元から胸元まで飛び散った食べかすで全てが台無しだが。
「どうぞ」
 絹製のハンカチが恭しく差し出される。
 丘精霊は平然とした顔で、しかし大慌てで口元を拭って胸元を払った。
「楽な状況ではありませんが」
 自然な動作でペットボトルの封を切り直接口をつける。
 地元産の柑橘類の香りがふわりと漂う。
「耐えるだけなら後1月はもちます。皆が戻るまで耐えればいいだけですから」
 この程度余裕、と胸を張る。
 見た目が十代半ばに変わっても、精霊本体の要素が強くなっても、こういう所は幼子時代と変わっていなかった。

●置き土産
「あの子達共々、よろしくお願いします」
 深く頭を下げて立ち去る男女は、あまりにも出来が良すぎた。
 全員が司教の位階に相当すると言われても納得できる人々だった。
「校長せ……校長」
 受け取りの儀礼の間無言であった丘精霊が、表面だけは真面目に司教にたずねた。
「これは何なのです?」
 味も素っ気もない箱だ。
 霊的な存在感は皆無。
 美味しい匂いもしない。
「書物の類いらしいですな」
 司教もよく分かっていなかった。
 期間無制限で社に保管するだけで、大量の物資が提供されるという話で実際提供された。
 整った指先が箱に沈み、薄い何かをそっとつまみだす。
 もちろん、箱自体に全く影響は無い。
「小さな……絵?」
「保存期間が短くなるので遊ばないで下さい」
 助祭の態度は敬意に満ち丁寧ではあるが遠慮がない。
「これが何か知っているのですか」
 薄いそれを目から離して尋ねると、助祭の頭の中に大量の情報が分かりやすく並べられた。
「ポストアポカリプス?」
「プラントが全滅した時に使うと言っていました。何も起きないのが一番楽なのですが……無理みたいですね」
 立場上詳しく話すことができないルルは、学校にいる生徒全員を出身世界に関係無く守ろうと改めて決心した。

●別れ
 命のない人型が隠し部屋のベッドに横たえられていた。
「礼を……」
「これについてはお互い何も言わず書き残さない方がいいでしょう」
 司祭の目を見て、丘精霊ルルは無言で頭を下げた。
 古エルフの子孫ともいえる歪虚に人類としての生活を与える。
 準備を整えるだけでも、異端認定で吊されて当然の所業だ。
「件の歪虚を殺さず無力化したときのみ儀式を行います。武力を奪うため目覚めるのは数ヶ月後です」
「司祭」
「私のことよりルル様ご自身のことを考えて下さい。世界の状況は、伝わっていますね」
 灰色の瞳から甘さが消えた。
 己の領域から知的生物が消え去るなど耐えきれない。
 あんな経験は一度だけでも多すぎる。
 それを回避するためなら、特定の人間に対する優遇や融通も行うつもりだ。
「ハンターの皆さんがハンター不在時の防衛体制を整えると思います。そのときに、いえ、その時も協力してあげてください」
 どの選択肢が選ばれたとしても、この地も大きな苦難に襲われる。
 丘精霊の助けなしで学校が生き延びる確率は極小だ。
「当たり前です、とは言うべきではないのでしょうね。任せなさい」
 司祭は微かに安堵の笑みを浮かべ、静かに頭を下げた。

●子供
 負の中心に、翼持つ人型が立っている。
 本体はエルフに近く年の頃は10代半ば。
 丘精霊ルルよりもさらに均整がとれていて、体も顔も性別を超越した美術品だ。
 だが目が全てを台無しにしている。
 最低限のしつけもされぬ子供の暴虐。生あるものに悪意と殺意を撒き散らす歪虚の性。両者を足して割らない最悪の人格が目に現れている。
 本体を包んでいるのは、溶ける途中の雪を思わせる白と黒と灰色が入り交じった巨大な翼だ。
 古に生きたエルフの残滓がせめて自制心を持たせようと翼の中で動き、しかし圧倒的な黒にくじかれ灰色に染まる。
 薄い色の唇が軽く開く。
 声は音には成っても言葉にはならず、長い時をかけて溜まった負の力が無造作に攻撃手段に変換され消費されていった。



・翼持つエルフ
 歪虚。本体はサイズ1。翼込みでサイズ3。移動力10
 負属性の大気(球状・広範囲攻撃)と、負属性の風(30度円錐状・超広範囲攻撃)を使う
 最大の脅威は学習能力であり、守護者スキルを除くスキルを2度目視すると身につける
 人格と知恵を除けば非常に強い
 左右一対の翼を完全に壊せば戦闘力を失います

・一部が透き通った闇鳥
 翼持つエルフを護衛する個体。左右に控える。飛行能力なし。サイズ3。移動力11
 他の闇鳥とは異なりブレスは使えない。他の全能力が強い
 攻撃手段は白兵(射程0~3スクエア2連続攻撃)のみ
 あらゆる手段を使って翼持つエルフを守るが、翼持つエルフからは守られない
 知性はほとんど残っていない

・闇鳥
 鳥に筋肉と体格を巨大化させた歪虚。飛行能力なし。サイズ4
 能力は個体差が大きい。移動力が最大6。ブレスの射程は最大で150スクエア。ブレスが範囲攻撃の個体もあり
 ハンターが翼持つエルフに攻撃を仕掛けると、Hそと、Jそに集結してからどちらも突っ込んできます

・目無し烏
 鴉型雑魔。サイズ1。飛行能力あり。単独では低レベルの雑魚。
 ハンター以外を足止めするため、地図の南部を中心にハンター以外に襲撃を仕掛ける


・古エルフの残滓
 エルフであればこの地にいるときに接触が可能です
 接触が深くなればなるほど戦闘能力が増し五感が研ぎ澄まされますが、深刻なダメージを受ける可能性も増えます
 翼持つエルフも使用しています。こちらはペナルティなしです

・聖導士学校
 前年度以上の新入生を受け入れました。情報機器大量導入済み
 医療課程(医学部)はリアルブルー出身者が多い

・農業法人
 社員である元騎士、元聖堂戦士は完全武装で地域の防衛を担当
 元聖堂戦士を社員として大量採用

・聖堂戦士団
 ハンター到着時点で残っているのは、負傷者を大量に含む1部隊のみ
 外部との連絡の際の護衛を受け持っています

・過去の悲劇の広報
 大量のオブラートに包んで(ゲーム等で)王国内に流通
 対傲慢戦の影響で騒がれていないもののイコニアが暗殺リストのトップ集団入り

・丘精霊からの要望
 無事に帰ってきて欲しい。お土産……

リプレイ本文

●激論
 丘精霊ルルは上機嫌だった。
 お代わりの回数が2倍に増え、無意識に加護をばらまきそうになって校長に苦言を呈され、延々フィーナ・マギ・フィルム(ka6617)に抱きつき最後には煩がられていた。
 だから、ハンター達が発する深刻な気配に気付かなかった。
「お主が防諜担当じゃな。うむ、では終わるまでしっかりと頼むぞ」
 ミグ・ロマイヤー(ka0665)が鷹揚に微笑むと、古株の学校職員が緊張した顔でうなずいた。
「安心するでちゅ。イコニアガードのユグディラさん達が建物をガードしてくれているでちゅ」
 北谷王子 朝騎(ka5818)が組織した護衛部隊は、非番聖堂戦士に媚びを売って魚の干物を貰っているところだった。
「では」
 人払いをされた校舎の中、その中心にある会議室でエステル(ka5826)が立ち上がる。
「今から懸案についての会議を行います。終了は本日の夕方。どのような結論に至っても会議の内容を外へは漏らさないこと」
 イコニアと比べるとはるかに穏和なはずのエステルが、今は司教よりもずっと厳格に見える。
「同意しない方は退出して下さい」
 静かに会議室を見渡す。
 特級の歪虚を目の前にしても平然としている面々が、今はそれぞれ程度は違うが緊張している。
「はい、では全員了承したとみなします」
 空気が張り詰める。
 ルルは真面目な顔でチョコを割ろうとしている。
「議事進行役ではありますが、校長先生から強い要望がありましたので私から発言いたします」
 教師ではあり得ない戦装束なのに、この場の誰よりも聖導士学校教師らしい。
「歪虚に人間としての生を与えることに反対します」
 歪虚の一部を取り出しオートマトン用の素体に封じて人間とする。
 凡人では考えつかず、ハンター達も考えはしても口には出さない計画が動き出している。
「できれば自然や精霊などの世界に祝福されて欲しいのです」
 それは全滅したエルフの残滓から生まれた。
 ひょっとしたら無垢であるのかもしれないが、歪虚でしかない。
「自然や精霊と触れ合えるように、負のマテリアルの存在のままでなく正のマテリアルの循環の存在に戻って欲しいと思います」
 つまり素体に封じるのは百害あって一利なし。
 エステルは穏やかな口調で断言した。
「また、それだけではありません。ルルが、その体験をする事により……」
 ルルの手からチョコレートが転がり落ちる。
 エステルの思考と予想を読んでしまい顔を青くする。
「どうしても離れたくない存在との別れの時に今回の事をなぞらないかがとても心配なのです」
 出来てしまうのだ。
 人間の人格と技術に触れ過ぎてしまい、禁忌に手を出すせるだけの技術と意思が芽生えてしまっている。
 今は無理でも数十年後にどうなるかは分からない。
「いくら害がない存在に出来たとしても、それは正しい流れから無理やり引きはがすエゴ。未来を強引に決めてしまうことに他ならない。できればルルにはそういったことをしない心を持ってほしい。まあこれも私と司教様の……校長先生のエゴですが」
 エステルはエルフの形をした精霊をじっと見つめてから、静かに礼をして進行役に戻った。
「イコニアさん、暖かい飲み物を用意してあげて」
 ディーナ・フェルミ(ka5843)は意識して気配を抑えている。
 今回の会議に口を出さないつもりの司祭は、ディーナの意図を察した上で気付かないふりをして給湯室へ向かった。
 ディーナは守護者だ。
 そして、守護者であるという事実が霞むほど超高位の聖導士だ。
「ルル様が間違っていると思うから諫めに来たの」
 意識の弱い精霊ならこの時点でディーナの言う通りにしていたはずだ。
 が、丘精霊は自ら育んだ心で圧倒的な重いに向かい合う。
「ルル様の助力なくこの地を守るのは難しい。でもルル様が過去に拘り今を蔑ろにするなら、結局この地から人は居なくなる。ルル様自身が、この地から人が絶える千年を作りだそうとしているの」
 何故、という思いを感じてディーナが言葉を続ける。
「歪虚を慰霊しこの地を安らかにすることは、この地に住む全ての人、王国や教会本部の願いとも一致するの。でも歪虚に新たな生を与えるのは、歪虚滅殺を掲げて行動してきた聖堂教会の根幹を揺るがすものなの。校長やイコニアさんが属する過激派にとってはもっと深刻。過激であっても必ず歪虚を倒すという一点だけで築き上げてきた信頼を裏切るものなの」
 エステルだけでなく、朝騎やフィーナまで予測には大筋で同意しているのに気付いて丘精霊が緊張を強める。
「今回の一件は、王国の歴史にも教会の歴史にも残せないほどのものなの。カーナボン司祭を火刑磔刑にしただけでは収まらないの」
 関連する情報全てを消去するため、この地にある全てが消される可能性すらある。
「カーナボン司祭は元々殉教の傾向があるから、ルル様が望み多少でもこの地が残る可能性があるなら、喜んで命を捧げる人なの。でも司祭を失えば、マティ助祭では王国や教会中枢を押さえきれない。結局この数年で築いたルル様と人間の関係が全て失われるの。人の残らない地の寂寥を知るルル様自身が、自らそれを成そうとしているの。ルル様は歪虚人間と朝騎さんとフィーナさんさえ残れば、他の人間はこの地から全て居なくなっても構わないの? ルル様……歪虚の人化に私は反対するの」
 想いと内容の密度が濃い言葉の後でも汗すらかかない。
 ディーナにとっては当たり前のことを言っただけなので当然だ。
 緊張し切ったルルとは対照的だった。
 東條 奏多(ka6425)とヴァイスが軽くうなずいてディーナに賛同する。
 それぞれ守護者と超高位の闘狩人であり、精々数十キロ四方の土地を象徴する精霊でしかないルルでは自分の意見を述べるのも難しくなる。
「傍観派を決め込むつもりじゃったがやめじやめじゃ」
 ディーナが着席したタイミングで、ミグが勢いよく席から立ってルルの後ろに回った。
「よく頑張ったな」
 比較的体格の良い背中を優しく撫でる。
 灰色の瞳がじわりと滲み、健康的に日焼けした肌が微かに震えた。
「ハンターとて対邪神のために敵から味方を募ろうとしている。ならば教会が歪虚に手を差し伸べるのはあってはならんことではもはやないのだ。変わっていけることこそが歪虚にはない人類の力なのだ」
 それも事実である。
 極めて野心的な方針ではあっても、これまで無数の理不尽を踏み越えてきたハンター達なら不可能ではないはずだ。
「それに、敵が暗殺を目指すということはもはや正論にてイコニア殿を止める術を持たぬということ。我らを混乱させることで事態を引き延ばして我らの意図をくじこうとしている。そのような手に乗るわけにはいかんよ」
 ルルが安堵の息を漏らす。
「そうそう。邪神との大戦が終われば既存の観念は変わりイコニアさんを暗殺するメリットが各対抗組織に無くなる。聖堂教会は政治や生活と関わりが深く無くなる事はない筈だけど現在の発言権を失うから大丈夫だよ」
 メイム(ka2290)が補足すると顔色が良くなる。
「それは……申し訳ないですが王国の保守性を甘く見過ぎです。最終的にそうなる可能性までは否定しませんが」
 エステルも、お盆を運んで来たイコニアも残念そうな表情で首を左右に振った。
 王国は一部を除いて保守的だ。変化には時間がかかり、変化する前にイコニアを含む多くが消える。
 ルルが視線を彷徨わせ、古エルフに最も縁が深いエルフの1人に気付いて目で助けを求める。
「誰も失わない、喪わないように生きている。喪えば戻らない。戻ってはないけないから」
 だが返って来たのは否定の言葉だ。
 古エルフの記憶に触れた故に、アリア・セリウス(ka6424)は強く思う。
「命の尊さは踏み入るべきではないわ」
 自発的に命や人生をかけている教職員とは違い、生徒達の大部分は成人に遠い子供達なのだ。
 アリアは今回の儀式に同意する気にはなれなかった。
「今其処に在ろうと、既に喪われた夢なのです」
 同じく目で見て古エルフを知ったイツキ・ウィオラス(ka6512)も賛成はしない。
「終わりは、どんなものにも訪れる必定。歪めてまで繋ぎ止める理由は、無いと考えます」
「でも」
 ルルの反論の言葉は続かない。
 イツキがルル以上に苦しんでいるのが分かるからだ。
「私たちが為すべきは、忘れない事。新たな時代に遺す事。――其れが、私が誓った事でも、有るのだから」
 この答えに辿り着くまでどれだけ苦しんだか分かるから、軽い言葉しか持たない今のルルは何も言えない。
「ルル様の気持ちは分かるのですが」
 紅茶とハーブティーの配膳をイコニアと手分けしてしながら、古エルフに関係無いエルフの代表者的立場にあるソナ(ka1352)がそっと呟く。
 丘精霊は古エルフを長い間見守ってきた。
 微かでも救える可能性があるなら、精霊の役割を半ば放棄することになっても手を伸ばし続けたいのだ。
「でも、過去のエルフはもういないのです。埋め合わせにもやり直しにもなりません」
 学校関係者が受け入れてくれるかどうかも分からず、世間に知られると過去の悲劇の繰り返しにもなりかねない。
「みんな、ルル様の気持ちを一番に叶えてあげたいから、ルル様がそうすると決めたなら反対はしないでしょう」
 学校とその周辺で働くエルフにとってはこれが本音だ。
 ルルに対する恩と情はあっても古エルフに対しては興味が薄い。
「ひとの信仰は都合がよく、失うも得るもそれこそ一瞬です。この前、皆がかけてくれた言葉とその心をよく考えて」
 丘精霊の耳に懐かしい音が響く。
 今は廃れた弦楽器の、古エルフと共にあった旋律だ。
「過去も未来も縦に繋げて、古エルフが示したものを捻じ曲げず受け止めて」
 エプロンを外したソナの瞳は優しくはあるが寂しげだ。
「翼と学校とイコニアさんと、何よりルル様のために」
 あ、と小さな吐息が漏れ、ルルの肩が大きく落ちた。
「じゃがのう、本当にしたいことをせずにする後悔はきついもんじゃぞ? イコニア殿もじゃ。死する覚悟はいい。されどその死によってその歩みが止まるようではいかん。その生きざまで皆に道を示すがいい。ここまでしといて出来ないふりはみっともないぞ」
 王国内だけでなく異世界でも好き勝手に行動してきたのがイコニアだ。
 本人を含む大勢の人生を狂わせるのを覚悟すれば、打つ手はいくつもある。
「なあルル」
 ボルディア・コンフラムス(ka0796)が中腰になってルルと視線をあわせた。
「歪虚を人として生き返させることがこの世界でどういう意味を持つか、分からないわけじゃないだろう」
 教会どころか普通の人間でも忌避する行為だ。
 歪虚の存在を受け入れられない沢山の人間と争うことになる。
 そして何より、古エルフの子供にその状況で生きることを強いることになる。
「それでもお前はやるんだな?」
 とてつもない苦難の道だ。
 それが古エルフにとって幸せか、ボルディアにはには分からない
「もし動機が罪悪感や後悔なら、俺は協力できない。お前のエゴの為に命を弄ぶことは許されないからだ」
 司祭の表情にも気配にも変化はない。
 彼女個人の嗜好は歪虚殺しに大賛成だ。
 ルルに人間の都合を押しつけた負い目があるからこうしているに過ぎない。
「だがお前が本当に古エルフの幸せを考えて、たとえ誰が敵に――それがハンターだったとしても――なっても戦うってンなら、俺も力を貸そう」
 超高位霊闘士であり、守護者でもあるボルディアがここまで言うという意味は大きい。
 ルルとイコニアだけでは不可能なことも、彼女がいれば押し通せるだろう。
「お前にその覚悟はあるか?」
 丘精霊に向ける目はかつてなく厳しい。
 力を持つが故に、その重みを理解している。
「それ、は」
 ハンターと親しいルルではない、丘精霊の要素が半ばを占めているのに即断できない。
 それを確認したボルディアは無言で目を閉じ息を吐いた。
「外に漏れないからぶっちゃけるでちゅけど」
 朝騎は状況を理解した上で平然としている。
 ルルが縋る様な視線を向けてくるのだが、反対派の意見をひっくり返せる気がしないので心苦しい。
「やっても教会にばれなければ問題ないでちゅ。仮にばれても……まあメリットデメリットは既にみんなが言った感じでちゅ」
 朝騎は小さく咳払いをして真顔になり、これまで無言だった宵待 サクラ(ka5561)にマイクを渡す身振りをした。
 薄い笑みと爛々と輝く緑の瞳が、この地を象徴する精霊を怯ませる。
 サクラは戦場で鍛えられた大きな声で、誤解の生じようのない明瞭な発音で宣言する。
「私が全てにおいて優先するのはイコちゃんで、私の最大の願いはイコニア・カーナボンの生存だ」
 彼女のならそういうだろうと思っているハンター達は動揺しない。
 しかし、守護者資格を持つ覚醒者の本気の怒りを浴びたルルは固まっている。
「人化した翼エルフはね、その願いを侵すんだ。ルルの願いが人化なら手伝いはするよ」
 サクラから冷たい気配が広がる。
 初年度生徒が時折持っている雑な殺意とは根本的に違う。
 理性で命を奪う戦士の殺意だ。
「でも、翼エルフの人化が王国にばれれば殺す、教会にばれれば殺す、翼エルフに歪虚的な行動様式が残っていれば殺す」
 ばれそうになったら、と言わない時点でとてつもなく譲歩しているつもりだ。
 もちろん必要以上の譲歩はしない。
「人化させられたことを嘆けば殺すよ」
 反論しようとしたルルの舌が動かない。
「王国も教会も、イヴの侵攻で壊滅しなかった。翼エルフの人化に正当性なんてない。これはただの、ルルの願いだ。ばれればイコちゃんが殺されるほどのことを、ルルが願ったんだ。何で私がイコちゃんの生存を諦められる? 当然だろ?」
 サクラが一同を見渡す。
 ハンターは賛否どちらの意見でも真正面から見返してきたが、ルルはとっさに目を閉じてしまい直後に切望的な表情になる。
「サクラさん」
 イコニアは微かに上気し、しかし意思の力で聖堂教会司祭としての仮面を被り直す。
「それ以上は駄目です。ルル様は」
「イコちゃんの願いと私の願いが対立しても、イコちゃんの願いを聞く気はないなあ。翼エルフの生存はイコちゃんの真摯な願いでもないし」
 にやりと笑う。
 司祭の舌が止まり、下を向いてごまかした。
「で、どうする。後はルルの決断次第だ。私だけじゃなく全員みんな好きに動くんだ。ルルだって好きに動けば良い」
 精霊は震えながら口を開き、涙を零しながら、片方の答えを選んだ。

●惜別の歌
 柔らかな歌声が、何故か寂しく聞こえた。
 中心を担うのは丘精霊と生徒達で、真摯な想いに偽りは含まれていない。
 しかし現代のエルフ達は戸惑っている。
 ハンターと精霊からの厳しい要求になんとか応えたはずなのに、何かが噛み合っていない。
「重ねて、連ねて、奏でていくこと。これからも少しずつ、良くしていくこと」
 アリアは息継ぎをして、淡くはあるが苦い表情を浮かべる。
 演奏担当のバンドエルフは理解していないようだが、聞こえるだけでなく素の能力が極めて高いアリアは感じ取れている。
 観客である古エルフの残滓が、想いの受け取りを拒否しているのだ。
 多分、ルルも知解していない。
 あまりにも生徒達に知覚なり過ぎ、去年であれば分かったことにも気付けなくなっている。
「結局無駄になっちゃったか~」
 本来なら音が届かぬ遠い森で、メイムが慰霊塔とコンテナを見上げている。
 覆堂なので一見何が目的の塔か分からないが、中身は王国の旧悪糾弾に等しい激烈な内容だ。
「お供えの余りならあるけど食べる? ルルの願いは憎悪するけど、ルル自身を憎んでるわけじゃない。2番目に大事って言ったじゃん」
 サクラを覗いていたルルル9歳バージョン(丘精霊の予備端末)が回れ右して逃げ出し、木の根に躓いて俯せに倒れた。
「あんまり驚かさない~。ちょっと顔拭くね」
 メイムは悪意も強い善意もなく普通の行動としてルルを立たせてタオルで顔を拭く。
「決めたなら進むしかないよ~? 会場は浄化したしソナさんもいるし、会が終わるまでは特に何も起こらないと思うよ」
 エルフにとっては住みやすい森にレジャーシートを広げてルルを座らせる。
 少し落ち着いたのか、少しふっくらしたお腹から可愛らしい腹の音が聞こえてきた。
「キノコと一緒に食べるのか、分け合って食べるのか難しいところだよね♪」
 メイムがお菓子を出し出す。
 手を伸ばそうとしたルル9歳が、キノコ(パルムの幼生)とユグディラと猫の視線に気付いて断腸の思いでお菓子を切り分ける。
「後は仕上げだけ~。それが難しいんだけど~」
 丘のある方角を見て、メイムは軽く肩をすくめた。
 ソナは丘で唱和しながら南を見ている。
 この地のここまで歪虚が蠢くようになったおおもとの原因は、人間の手によるエルフ虐殺だ。
 古エルフの残滓もそれが混じった歪虚も、原因から発生した結果の1つでしかない。
 演奏が終わり声が風の中に消えていく。
 ソナは軽く目を閉じて、怨恨の中にいる残滓の開放を願った。
「フィーナ?」
 慰霊の会が終わり、生徒達を学校に帰らせたルルは、いつもいてくれるはずの顔が見えないことに気付く。
 とても嫌な予感がする。
 大事なものが手の届かぬ場所で失われてしまうような、古エルフのときにも感じたものを感じていた。

●凍り付いた風
 守護者達が目にしたのは、1秒ごとに歪みが増し負の割合が増えるマテリアルだった。
 エルフ型の歪虚の背にある巨大な翼がそれだ。
 意識して造り上げたのなら作り手の悪意が強烈過ぎる。
 偶然に出来たのだとしたら神に一言文句をつけたくなる。そんな代物だ。
「俺が仕掛けるタイミングで南に走れ。いいな?」
 東條が語りかけると、高速走行と歪虚汚染への対抗で疲労しているリーリーが微かにうなずいた。
 彼自身は視線を動かさない。
 歪虚の本体をほとんど覆い隠す翼と、その左右に控える巨大鳥型歪虚を同時に観て警戒する。
 その背後には何もない。
 歪虚すら存在しない荒野が数キロにわたって続き、隣領に入ってしばらくして唐突に土地が復活している。
「時代に取り残された業か」
 実に痛々しい。
 悪い意味で無垢な気配がある中央の個体もそうだが、左右の擦り切れた闇鳥はさらに惨いと感じる。
 助けを求めても得られず、今はもう歪虚に成り果てた。
「行くぞキウイ」
 クリムゾンウェストと繋がりが濃くなり、東條は東條のまま人間の枠を超える。
 リーリーが吼えた。
 地面から負の、鞍上からは壮絶な正の気配に圧迫されながら全身に力を込め、左右からの超遠距離ブレスを躱しながら跳躍する。
 冷たい風とそれ以上に冷たい負マテリアルがリーリーの体温を奪う。
 だが、決して安定を崩さず速度も落とさず、翼持つ歪虚を飛び越え軽やかに着地した。
 強烈な踏み込みにより2体の闇鳥の足下が爆発する。
 方向転換と加速を一瞬で終了させ、圧倒的な速度と重量で東條を挟み込もうとする。
「巧いな」
 超覚醒で向上した身体能力でも躱しきれない。
 だが東條の戦闘技術は闇鳥の頂点2体の上をいき、聖盾剣で以て4連続のクチバシと体当たりを防いでみせた。
 風が吹いている。
 戦場全てを埋め尽くす負マテリアルが、東條だけでなくその至近にいる闇鳥2体まで巻き込み渦を巻く。
 歪虚の攻撃はそれでは終わらず、貪欲で情報を取り込む瞳が翼の合間からこちらを見ていた。
「真似をするつもりか」
 東條は悲しげですらある。
 王級にも届かぬ歪虚に、守護者の技を真似出来る訳がない。
 無理矢理に真似るなら効率的なマテリアル運用など出来ずに弱体化するだろう。
「隙だらけだ。このまま死んでも恨むなよ坊主!」
 東條が駆けてきた方向から刻騎ゴーレムがやって来て、護衛が反対側にいてしかも無防備な背中を晒した歪虚に巨大な槍を振り下ろす。
 全長8メートルでランス型という大重量なのに素晴らしく速く、そして膨大な正マテリアルの後押しを受けている。
 1対の翼が無意識の動作で盾となって負マテリアルで防ごうとして、表面から4分の1の深さまで何カ所も焼かれた。
「気付かれた?」
 上空。
 地上の攻撃が始まったタイミングで、ワイバーンの背に隠れたまま接近したフィーナが眉をしかめる。
 足場が全く安定しない状況で複雑極まる術式を発動させ、6つの魔法陣で翼エルフを中心にした空間に狙いをつける。
「解放」
 まだ引き金は引かない。
 この地の歪虚の核たる残滓に呼びかけその一部を自らの中に引き入れる。
 別人のように急成長したフィーナは、形は今の丘精霊に似ているのに中身は根本的に違う。
 陽性のルルとは逆に冷徹でもあり、感情に従うルルとは逆に非人類的なほどに緻密な術を完成させる。
「この程度は耐えなさい」
 淡々と呟き、魔法陣から1本ずつ計6本の粒子ビームを歪虚に向かって撃ち込んだ。
 死角から翼の付け根と狙った斬撃が回避される。
 守護者の1人であるユウ(ka6891)の斬撃は新米歪虚に躱せるほど甘くない。
 フィーナの攻撃範囲に追い込むため、狙って追い込んだのだ。
 粒子ビームが地面に当たって巨大な爆発を引き起こす。
 ユウ達守護者はフィーナの動きから効果範囲を見切って安全地帯を確保している。
 もちろん歪虚は回避などできず、大小の翼を使って防いで耐えるしかない。
 ビームの第二射を浴びながら大きな翼が広がる。
 エルフに見える本体から多数の魔法陣が浮かび上がり、フィーナのそれと比べると稚拙そのものの術をマテリアルの量で補い上向きの粒子ビームを発生させる。
 極めて高度な術ではあっても守護者の業ではない。
 素質だけは極めて高い翼エルフなら、一度見ただけで直感的に理解し真似出来るのだ。
「学習、ね」
 フィーナが落胆のため息を1つ。
 不安定な空中では命中力が半減する。基本能力が高いとはいっても、翼エルフの魔法技術はフィーナには遠く及ばない。
 結果として、11の粒子ビームが無意味な方向へ飛んで乾いた空を彩るだけで終わる。
「フィー! 避けて!」
 ようやく追いついてきたカティス・フィルムが、準備していたスキルを全て中断して絶叫した。
 翼エルフが剥き出しの苛立ちを浮かべている。
 獣の感情とも王級歪虚などの知性とも違う。
 一切の愛情を与えられなかった子供を思わせる激情だ。
 フィーナとユウが相棒のワイバーンに全速離脱を命じる。
 直後に発生した暴風は攻撃としては雑に過ぎ、しかし遠く離れた森に逃げない限り攻撃範囲から逃れられない。
「やるじゃねぇか」
 ボルディアの機体なら避けきれない打撃も装甲で耐えられる。
 超覚醒した守護者にとってはそよ風でしかない。
 だが、圧倒的な回避技術があっても防御と装甲が平均程度なら致命的だ。
 効果範囲だけは王級で、安全圏から逃げる前に止めの一撃が発生しかねない。
「闇鳥さんマジギレしてる気がしまちゅ」
 朝騎を乗せたイェジドがじりじりと近づいている。
 の頭に載せられた帽子が命綱で、1割で当たってしまう風にもなんとか耐えている。
「残念でちゅがここまででちゅ。これ以上は朝騎では防ぎきれまちぇん」
 イェジドを盾で庇っていたがそろそろ限界だ。
 幻獣は静かにうなずき、主を下ろして北へと走る。
 1人の残された朝騎を地を駆ける闇鳥が狙う。
 朝騎にイェジドの程の素早さはなく、短時間で仕留めることができると歪虚は考えていた。
「朝騎1人なら全然限界じゃないでちゅ」
 透明素材の盾で軽々受け止め揺れすらしない。
 形の良いエルフ足を見上げ、ため息混じりの息を吐く。
「しばらく大人しくするでちゅ」
 符を放つ姿はまさしく熟練の符術師で、理論上の限界まで高められた封印を翼エルフの至近に構築する。
「フィーには絶対に」
 カティスの周囲を小さな蒼球が高速で巡る。
 魔術師としての才能はあっても引っ込み思案なカティスが、魂を震わせ歌を紡いで翼エルフを構築する負マテリアルを妨害する。
 もとより不利な術対抵抗力の戦いが、一瞬で朝騎の術有利に変化した。
 手応えあった。
 威力粒子ビームを放とうとした翼エルフの周囲に、ビームになり損なった負マテリアルが無意味に漂った。

●歪虚猛攻
 ハンター対高位歪虚の決戦場には、普通の歪虚は1体もいなかった。
 翼エルフの油断とハンターの速攻が噛み合った結果だ。
 歪虚は広い土地に分散したまま集合に手間取り、首魁が術を封じられた頃ようやくいくつかの集団が出来上がる。
「こちらエラ。歪虚の集結を視認しました」
 エラ・“dJehuty”・ベルは偽装を外して西へ向かって走り出す。
 魔導バイクという高速移動手段があるので、闇鳥相手に退き撃ち可能だ。
「マジかよ。っと分かった。俺はそっちに回る」
 即座に反応出来たのはボルディアだけだ。
 膨大な負マテリアルを蓄えた翼エルフへの対処を優先した者が多く、左右に対する警戒が薄くなっている。
「間に合うか? 不味けりゃ他の連中にも頼むが」
「問題ありません。ただ」
 2本目の矢で指揮官を1羽仕留めて眉根を寄せる。
「数が多過ぎます。統制が低下しても脅威は残るでしょう」
 全集団が同時にハンターを襲う事態は防いだとはいえ、五月雨式に突っ込んで来るだけでも十分に脅威だ。
「その状況でいつも通り落ち着き払ってんのか」
 呆れと賛嘆が半々の言葉を聞いて、エラは少し茶目っ気を出した。
「頼もしい用心棒がいますから」
「はっ、なら期待を上回ってやるよ!」
 光纏う騎士と、津浪の如き群れが正面からぶつかり合う。
 砕けた翼が宙に舞い、正のオーラが業火の如く膨れあがった。
「グラウンド・ゼロ並か!」
 バリトンが心底楽しげに笑った。
「馬は内側に入れろ。移動手段が潰されたら全部殺しても質量で押し潰されるぞ」
 翼エルフも2体の護衛も未だ健在。
 最初に突っ込んできた歪虚群はエラ達が足止めしてくれているが、少し遅れて集結と侵攻を開始した東側は速度を徐々に増しながらこちらに向かって一直線だ。
「ラストテリトリーでは間に合いませんか」
 エステルが唇を噛み撤退まで視野に入れたタイミングで、ディーナを乗せたリーリーが不時着じみて急停止した。
 ディーナの祈りの言葉を聞いて意図を理解する。
「イツキ様とアリア様は翼の相手に専念して下さい。コロラ様はご自身で判断して援護を。バリトン様は」
「回復は任せたぞ」
 凶悪なまでのマテリアルを放って空間を一部ねじ曲げる。
 歪虚の津浪から放たれた多数のブレスが、エステル一党ではなくバリトンただ1人に集中する。
 特に足の速いやや小柄な闇鳥5体も、押し合い圧し合いしながらバリトンだけを狙い突進。バリトンの次元斬により切り刻まれた。
「なんと言うべきでしょうか」
 頑強な肉体と限界まで強化した装甲でも再起不能になっておかしくない威力であったのに、バリトンは五体も戦闘能力も維持している。
 ディーナの展開した光の障壁は、大精霊を思わせる強度でバリトンを含むこの場の全員を包んでいた。
「身動きできないの」
 後の世に聖女として称えられそうなディーナは、かなり深刻な顔で早口だ。
「出来たら機体の後ろにリーリー隠したいの」
 ミレニアムによる絶対的防御は後20秒ともう1回展開可能だがそれで終わりだ。
 効果時間終了に備えて、徒歩ハンターの撤退手段になるリーリーの安全を確保したい。
「上です」
「上?」
 視線は翼エルフに向けたまま頭上の気配を探る。
 癇癪を起こした歪虚が翼を広げて瞬間移動じみた高加速をして、金の機体が放ったファイアーボールの直撃を浴びた。
「最終的にどうするか皆さんにお任せしましたが」
 大精霊から賜ったマスティマの中で、魔術師であり操縦士であるエルバッハ・リオン(ka2434)が全ての事象を高速で計算する。
「私を含め、捕獲の際のリスクの計算が雑だったかもしれません」
 翼エルフが消える。
 異様な加速で超高位覚醒者であるエルバッハの五感を越えたのだ。
「もっとも」
 マスティマ・ウルスラグナに宙へ走らせる。
 ルクシュヴァリエと比べても安定性は抜群だ。そして、両足で踏ん張った瞬間頭部に衝撃が生まれる。
 ウルスラグナは少し後ろへよろめく。
 サイズは同等でも体術面で圧倒的に劣る翼エルフが回転しながら地面に落ちていく。
「動きが予想読み易いので問題ないようですが」
 展開した翼パーツを分離して真下の歪虚を襲撃させる。
 前衛守護者に比べば控えめな威力ではあるが、圧倒的な手数と射程が未熟なエルフもどきを怯えさせることに成功した。
「今回の依頼はエステルちゃんとその周囲の援護という感じで引き受けたんだけどね」
 矢が指揮能力を持つ闇鳥を貫き鏃が反対側から顔を出す。
「1番弱くて5年前のボスくらいありそう」
 ここまで強いと牽制射撃も制圧射撃もまず効かない。
 だからコロラ・トゥーラは、弓師として基本に忠実に敵全体の戦力を的確に削ぐ。
「イツキ様、先に治療を」
 重体寸前の体が完治する気配を感じる。
「エステルちゃんがいればいざというときも安心ね」
 コロラは平然と呟きながら、翼エルフとの間に立ち塞がる歪虚をいくつか射貫いて足取りを乱させた。
「退け!」
 バリトンが攻撃範囲をずらしてアリアの至近の闇鳥も消滅させる。
 放置された個体がバリトンに嘴を押しつける様にしてブレスを発射。
 さすがに装甲ごと肉が焼けるがエステルの手により瞬く間に完治した。
「俺はここにいるぞ」
 東條は単身で最高峰の闇鳥2体と渡り合っている。
 2体を引きつけるのは簡単だ。
 絶火刀を翼エルフに向けるだけで、東條の力を肌で感じる2体が彼の足止めに専念するしかなくなる。
 しかし油断はできない。
 目線、体重移動、武装の形状変化を巧みに使ってフェントを仕掛けても闇鳥は的確に移動して翼エルフへの道を防ぐ。
「よく鍛えている。生きていればグラウンド・ゼロでの戦力になっただろうに」
 この言葉もまたフェイントだ。
 闇鳥のマテリアルを刃で抉って翼エルフにも警戒させることで、東條は妹分と友人に最大最高の好機を提供しようとしていた。

●翼の混沌
 双剣に込められたマテリアルが月を思わせる光を放つ。
 ここまで強いと幻獣の影からでも気付かれる。
 アリアは奇襲は失敗したと即断。
 イェジド・コーディと共に全速で駆け出した。
 見慣れた闇鳥が様々な方向を向いている。
 ハンターの刃と爪を交え、ブレスによる弾幕を1集団で作り上げてハンターと対抗している。
 部隊としての質は低い。
 密集して通行不能の壁を作ることも出来ず、アリアに軽々突破され翼エルフまで70メートルの距離にまで接近される。
 東西から侵入した集団が、2体の護衛を補う形で翼エルフを守っている。
 ブレスだけなら躱すことも受け流すことも可能ではあるが、みっしりと詰まった巨体の防衛線は全力を出しても飛び越えられない。
「なら」
 光が、否、超高密度の正マテリアルが零れて鈴の如く鳴る。
 アリアの突きの構えは一幅の絵のようで、同時に禍々しさすら伴う破壊の気配を撒き散らす。
「これを耐えてみなさい」
 切っ先が消え光が溢れた。
 ルクシュヴァリエの一撃を超えるそれが、闇鳥最強部隊を焼き潰して止まらず無防備に広げられた翼に届く。
 痛い
 異質な、それでいて明瞭な意思が声としてアリアの耳に届いた。
「エイル!」
 切り開かれた道をイェジドとエルフが駆ける。
 エルフの手にあるのは蒼の光を帯びた槍の星神器で、わずかでも知性を残した闇鳥はそこに大精霊の気配を感じて驚愕する。
 ただ一体、畏れを感じるための知識を持たない翼エルフが、槍を奪い取ろうと無造作に前に出る。
「あの2体がいないなら」
 戦技がイツキに迫る個体2つは東條が押さえ込んでくれている。
 東西から闇鳥が流入し続ける状態であり、東條ほどの男でも長くはもたない。
「届かせる!」
 研ぎ澄まされたマテリアルが蒼の光ととして穂先から放たれ、濁った色の翼を貫き空へと消える。
 エルフにしか見えない顔と霊的な領域にある負マテリアルが重なり、癇癪を起こした赤子に近い形に見えた。
 イツキが視覚を切り替えるより翼エルフの接近と翼の移動の方が早い。
 掠めるだけで肉が抉れ骨が折れる速度で翼が迫り、イツキの格闘武器から伸びたマテリアル爪に巻き込まれる。
 どうして僕に逆らうのか
 無邪気という言葉からはあまりにも遠い、歪虚の中でも邪悪が強い感情が2つの瞳に確かに見えた。
「っ」
 イツキが奥歯を噛みしめ巨大な翼を投げ飛ばす。
 経験どころか知識もない翼エルフは受け身をとることが出来ず、摺り下ろされるようにして地面に激突する。
 どれだけ力があっても、体勢の崩れきった体をすぐに立て直すことは無理だ。
 弓や砲撃は負マテリアルの大量放出で防げても、立ち上がり翼を広げ再度速度を得るまでに時間がかかる。
 アリアは隙を見逃さない。
 剣を左右で持ち替え、心得のない翼エルフには新技に見えてその実同じ技で以て正マテリアルを増幅させる。
「もう一度」
 翼に含まれる白が薄れて力に変わる。
 親が我が子のために全てを擲つような、迷いのなくそして翼エルフとは思えぬ的確な判断だ。
 そして、銀光纏う槍が重厚な障壁が激突した。
 力と力が削りあい、翼の白が瞬く間に消え銀の光も弱くなる。
「解放するのは、初めてだけれど」
 イツキが星神器を活性化する。
 常人では目視しただけで魂を持っていかれかねない槍を御し、自らの力を重ね合わせる。
「――私は、よく知っている。レガリアも、教えてくれる」
 圧倒的に格上のはずの大精霊の存在感が、イツキの気配に圧倒され飲み込まれた。
「悪夢を断ち切る」
 濁った灰と黒しかない翼が不気味に歪む。
 エルフ由来の歪虚が精霊翻訳の対象にならない音で泣きわめき、助けに来た通常型闇鳥に負マテリアルを当て爆散させる。
「必滅の光を!」
 負の残滓の想いを見て感じて記憶した上で、イツキは渾身の力で神殺しの槍を投擲した。
 この場に限れば翼エルフの支配力は丘精霊を上回る。
 だがそんなものはイツキにとっては障害にすらならず、左の翼の最も太い箇所を引き裂き薄い肩を貫き右の翼へ縫い止める。
 エイルが庇ってもいくつも深い傷があるイツキの体が、最初から傷が無かったかのように完全な状態にまで回復した。
 助けて
 痛い
 イツキとアリアだけが見え、あるいは聞こえていた翼エルフの意思が分かり易くなる。
 小なりとはいえ土地を完全支配していた格を喪い、力はあってもただの歪虚でしかない格まで堕ちたのだ。
「イコニアさんのやり方が否定されても」
 闇鳥が乱射するブレスと、翼エルフの傷口から溢れる負マテリアルで地獄と化した戦場で、軽装のソナがほぼ無傷のまま歩いている。
 ミレニアムの影響下にはない。
 今を生きる普通のエルフとして、古エルフの覚醒者が最期に残した力を借りている。
 成り果てた理由すら喪った闇鳥は一切遠慮しない。
 背後からのブレスに押し流されるようにして、ブレスに焼かれながら4体の闇鳥が小柄なエルフを巻き込み押し潰そうとする。
「受け継がれてきた法術が否定された訳ではありません」
 ソナも守護者になり得る覚醒者だ。
 糸のように細い安全圏を選んでブレスと闇鳥の大部分を躱し、必然的に生じてしまう紛れ当たりだけを借り物の力で防いでファーストエイドを組み合わせた治癒術で全快する。
「きっとこの法術にも」
 聖導士スキルは聖堂教会の影響が大きいが聖堂教会そのままではない。
 大小様々な組織からノウハウが持ち寄られ、きっとその中にはエルフのものも含まれている。
「だから」
 負に傾いた力を用いて浄化の陣を描く。
 体の内側と魂が削られる感覚に襲われるが、巧みに装備と力を組み合わせて効率のよい浄化術を発動させる。
 翼の模様の変化が止まる。
 灰色に含まれていた微かな白が自らソナの術を招き入れ負マテリアル浄化に協力する。
「だか、ら」
 古エルフの愛と憎しみがソナの中で荒れ狂う。
 我が身を犠牲にしたくなる衝動に全霊で耐え、少しでも良い結果に導こうとただ足掻く。
「悪いが手加減は出来ないぞ。ハンター1人死ねば世界消滅が近づく」
 マジックアローの豪雨で足の速い闇鳥を蹴散らし、ラストテリトリーを展開して翼エルフ周辺の安全を確保しながらヴァイスが断言する。
「皆承知の上の行動だよ~。ヴァイスさんも安全第一で~」
 北からメイムの通信が届き、精悍な顔から笑いが零れた。
「安全第一か。確かにな」
 負マテリアルの噴出だけのブレスが非常に厳しい。
 個々の戦力はヴァイスとは比べものにならないほど低い。
 しかし範囲攻撃であるため躱し辛く、圧倒的な数によりダメージが高速で蓄積されていく。
「全て使いなさい」
 エステルの指示でポロウが幻影魔法を連続使用。
 邪神翼の全力攻撃すら防いだ結界だ。
 それを一定の空間に連ねて展開すれば短時間とはいえ強力な守りになる。
 また、エステル本人のマジックアローも凄まじい。
 装備が魔法に特化している分、ヴァイス上回りる攻撃で闇鳥の襲撃を退ける。
 微かな血の匂いが翼エルフの感覚を刺激する。
 守護者達の巨大な気配とは違う、薄く研ぎ澄まされた殺意がほんの少しだけ混じっていた。
「気付いたか」
 その声は、竜尾刀を翼の付け根に押し込まれてから届いた。
 マテリアルオーラがかき消え、あらゆるリソースを潜伏に当て深刻なダメージを受けたメンカルが姿を現す。
「だがもう遅い」
 マテリアル製の毒が傷口から入り込む。
 内側から蝕まれる感覚に翼エルフが大気とマテリアルを震わせる。
 翼の動きが目に見えて鈍くなり、だがまだ滅びには遠かった。

●狩人達
「これはまずいかもしれんな!」
 窮地の中にあってもミグは上機嫌だ。
 前後左右から撃ち込まれるブレスは、機体の向きを少し変え装甲で斜めで受けることで耐える。
 1発放てばキノコ雲という圧倒的攻撃力に相応しい防御力を持っているので、この程度なら後十数分は耐えられる。
 だが圧倒的多数からの白兵戦はまずい。
 爪や嘴だけでなく体重そのものが武器や障害物になるので、完全に囲まれてしまえば数分でヤクト・バウ・PC共々歪虚の腹の中だ。
「轟くは巨人の暴風~降り注ぐ鋼の礫~♪」
 CAMと背中合わせにホバリングするグリフォンから、勇壮な歌が周囲へ広がる。
 グリフォン・西風は風の結界で以て遠方からのブレスに耐え、死角からミグ機を狙う白兵戦闇鳥と激しくやり合っている。
「翼を狙える~?」
 片方のみでもエルフ部分より大きな翼だ。
 あれほど巨大な部位なら狙うのは可能なはずで、片方潰せば移動はもちろん防御も困難になると予想し、実際メイムの予想は当たっていた。
「狙えるが狙う暇は無さそうじゃ」
 エラからの要請に応えて砲撃を続ける。
 東西の集結ポイントに撃ち込んで闇鳥を部隊単位で消滅させ、翼エルフの至近に爆薬を落として合流を目指す有力部隊に打撃を浴びせる。
 10秒中断するだけでも戦線が崩壊しかねない……とまではいかないが、手を緩めれば重傷者が発生してもおかしくない状況だ。
「了解~。あっ」
 戦況に変化があった。
 地上で包囲され何度も打撃を浴びた翼エルフが、動きが雑になるのを覚悟の上で飛翔したのだ。
「隙だらけだぞこの野郎」
 炎神が飛んで後を追い、使用回数の限られているはずの光あれを容赦なく連発する。
 搭乗者本人の攻撃力を刻騎ゴーレムに反映する技なので、生身でも強いボルディアが使うと異様な威力と攻撃範囲を兼ね備えた必殺技になる。
 翼エルフは開戦直後とは別物の受け技術を披露する。
 しかしエルフ部分への被弾は防げても両方の翼へのダメージは防げない。存在する力がゆっくりとしかし確実に弱まっていく。
「西風、いざという時はお願い~」
 この歪虚を逃がすとどれだけ被害が出るか予測もつかない。
 いざというときは近くまで運んで来た素体を罠に使うことまで考えながら、メイムは急速に近づいて来る翼エルフを待ち構える。
「タイミングをあわせてください」
 エルバッハがカウントを始める。
「……1、0」
 地上で翼エルフを包囲していた面々を大精霊に似た気配が包み込み、200メートルの距離を一瞬で踏破させた。
 翼エルフの口がぽかんと開く。
 本人と大精霊の力を区別し辛い守護者スキルとは異なり、エルバッハのマスティマが使った力は正しく大精霊の持つ空間転移能力そのものだ。
「予定より苦戦しまくりでちゅが、逃がさないでちゅよ!」
 解けかけていた封印をかけ直す。
 劣化版とはいえ十数のスキルを身につけた翼エルフにとっては致命的な一撃だ。
 イツキの移動封じは警戒して回避出来たが、ハンターほぼ全員による集中攻撃は問答無用で翼エルフの命を削る。
「愉快なことになっとるのう」
 くつくつとミグが笑う。
 東西南北の闇鳥全てが、ハンターに囲まれた傷ついた翼エルフを凝視し、暴走した。
 部隊行動など出来るはずがない。
 ハンターを狙いブレスを撃つ個体の後ろに、限界を超えた加速と速度で翼エルフに向かう大型闇鳥がいる。
 その後発生するのは歪虚同士の同士討ちだ。
 強靱な足が闇鳥の背中に穴を開け、滅茶苦茶な方向に向けられたブレスが走る闇鳥を横から焼く。
「足が止まった歪虚は捨て置け。ミグは主力に接近中の闇鳥を狙い撃つ」
 同士討ちに倍する速度で闇鳥を消し飛ばす。それでも敵の数は減ったようには見えない。
「素晴らしいではないか。全て殺し尽くせば今年いっぱい歪虚のお代わりなしじゃ。ルルと生徒達のため、もう一踏ん張りじゃぞ!」
 ハンターになる前にも長い時を生きてきたミグは、己の強さを発揮する場を得られぬまま埋もれていった人間を数多く知っている。
「お主は果報者よ。そうれ、丘からルルが見ておるぞ。存分に吼え猛るが良い!」
 2問の砲が龍の如く吼え続け、狂奔する歪虚を滅ぼし続ける。
「ルルと生徒のためか。けど俺は」
 浅くない傷を負ったイェジド・ワイルドハントを一度だけ撫でてから、暴龍を思わせる異形の鎧が翼エルフを睨み付けた。
 気配も殺意も何もかも消す。
 歪虚が気付いたときにはカイン・A・A・マッコール(ka5336)の姿は土煙の中にある。
 新たな銃声が発生する。
 濃い土煙の中でジグザグに走りながら魔導銃による銃撃を行わせ、強引に飛び降りたタイミングで角状武器を先頭にした突撃を仕掛けさせる。
 片翼が真上に動く。
 イェジドが機敏に回避行動をとったが、高位歪虚の身体能力を上回るほどではない。
 直撃だけは回避したが強く打たれて地面にぶつかる。
 カインはひとつ舌打ち。エルフなら死角のはずの向きに回り込みながら長刃長柄の斬魔刀に8の字を描かせ膝、手首、喉を狙う。
 スキルですらない技が通用するほど高位歪虚は甘くない。
 カインの斬撃から体の動かし方を学んで、翼を剣というより棒のように扱いカインの体を叩こうとする。
 急停止して避けはしたがぎりぎりだ。
「駄目みたいだな柔よく剛を制すってのは、昔から練習してんのに嫌になるな」
 剛で以てカインの技が破られている。
 カインはそれを理解した上で歩みを止めない。
 風で土煙が流れてきたのに併せて斬魔刀を上段から振り下ろす。
 エルフは片翼すら動かさず手で払い、少し手の平を握り込んだ真っ直ぐに拳を突き出した。
「神からとか怨念から授かった力だろうが好きに使えばいい」
 拳と同時に翼が伸びてくる。
 直撃すれば胸部装甲ごと胸を貫かれてもおかしくない。
「力に善悪はない、だが生徒の教育に悪いだろうが!」
 相手の左足より外に周り込み胸を狙う。
 ひっかき傷が付いたのに気付いて拳の暗器を叩きつけ、しかし肝臓があるはずの位置に当てたのに効いた様子がない。
 カインは近づき過ぎた。
 露骨に不機嫌になった翼エルフがただただ速く片翼を振るい、胸部から腰の近くまでの装甲が歪む。
「諦めない、退かない、絶対に退かねえ! 諦めねえ!」
 無様であるかもしれないが怯懦は皆無だ。
「てめえなんざに、俺の好きな人を……イコニアを殺させるわけには行かねえんだよ! 曲がったガキはぶん殴ってやらあ」
 冷たい負の風に逆らい距離を詰め、怒りを込めて磨き抜いた拳を放つ。
 手応えは薄かったが、頬を打たれたエルフが呆然とカインを見上げていた。

●拮抗
 サクラがブレーキとハンドルを巧みに操り魔導トラックをドリフトさせる。
 複数飛んできたブレスが4メートル横、3メートル横と徐々に近くに着弾してついに荷台に直撃する。
「被害報告!」
 バックミラーに目を向けることすらせず怒鳴る。
 悪路ですらない荒野をタイヤが踏みしめる音はとても大きくて、これだけ大声を出しても助手席のイコニアですら聞き取りにくい。
「全員無事、ですが荷台の柵が……あっ外れた」
「なら問題ないねこのまま行くよ!」
 装甲はぺらぺらで回避能力も通常車両程度のトラックでは高位歪虚に近づくのは自殺行為だ。仮に近づけば範囲攻撃に巻き込まれただけで大破したはずだ。
 だから、出遅れた闇鳥が集結を完了するタイミングで、元騎士元聖堂戦士とついでにイコニアを積んで突撃する。
 距離が近づきブレスの命中率が急上昇。
 翼エルフ付近の戦いと比べると密度が1桁落ちるのにトラックは耐えきれず前半分が全壊した。
「ええもう無茶苦茶です!」
 残骸が中から蹴り飛ばされカソック姿の司祭が現れる。
 法術でサクラの五体を元に戻し、何とも表現し難い目でサクラを見た。
 イコニアの性的指向は徹底して保守的なので仮定にしかならないが、性別が逆なら自分から口説いていた程度に距離が近い。
「世の中全てうまく行くわけじゃないですね。皆さん! ハンターが仕留めるまで時間稼ぎします!」
 むさくるしい男達が歓声をあげ、全身鎧で全力疾走して闇鳥部隊に襲いかかった。
「増援到着で西の歪虚増援停止~」
 下向きの加速の中、メイムが片耳に装着固定したインカムに大声を出す。
「でも12、3分くらいで全滅しそう~」
 守護者なら単身で1部隊を相手取れるとはいえ元々強力な歪虚だ。
 一度退役した戦士や持久力に問題のある司祭では長くはもたない。
「カインさん落ち着いて~。今」
 大きな背に伏せて真横からのブレスを躱す。
 西風は四肢を器用に使って衝撃を吸収してくれたが、肺から空気が押し出されてしまう程の衝撃があった。
「歪虚の総攻撃始まったから~」
 翼エルフが完全にハンターに包囲されたことが闇鳥の統制回復に繋がった。
 知識も経験もないのに強制力だけは強い命令がなくなったのだ。
 体で覚えた効率の良い隊形から、ブレスの一斉射撃が次々に放たれる。
 1隊2隊ではなく各方向に10以上。
 飛んでくるブレスが御杉、メイムと西風は偵察を中断して降下せざるを得なかった。
 フィーナから2つの光の柱が伸び翼持つエルフを狙う。
 元から高速だった歪虚はその速度の使い方を拙いながらも身につけつつあり、左の翼に直撃を浴びはしたがもう1つの光は躱してみせる。
 そしてそのまま上昇する。
 ハンターの攻撃力は絶大でも飛行能力を持つ者は少ない。
 このまま距離をとれば完全回復する時間を稼ぐことも可能なはずだった。
「間に合いました」
 日差しが遮られる。
 マスティマから伸びる影が翼エルフから光を奪っている。
 CAMシリーズの始祖であり、取り込んだ星の記憶石で以て大精霊の力を部分的に再現すらした機体が、ただ静かに歪虚の子供を見下ろしている。
「おら!」
 ルクシュヴァリエが真下へ飛ぶ。
 膨大な光の攻めは咄嗟に伸ばした左の翼を芯まで焼いて本体にも悲鳴をあげさせる。
「確かこういうときは……」
 エルバッハは複数の機能の発動準備を整えながら、意識して高慢な表情をつくる。
 整った容姿と高度な教養を兼ね備えたエルバッハがそんな顔をすると、全ての黒幕のようにも見える。
「私の手の平の上から逃げられると思っていましたか?」
 エルバッハ自身背筋が寒くなる支配者の声になった。見上げるエルフの瞳に怯えが浮かび、次の瞬間怒りに変わって爆発した。
「最初から挑発した方が……いえ、追い詰めたから挑発が効くのでしょう」
 外部スピーカーのスイッチを切ってから呟き斜め下へ飛ぶ。
 翼エルフは歪んだ左翼と付け根は傷ついても機能は保った右翼を広げる。
 これまで非効率に撒き散らされていた負マテリアルが魔法陣に似た形に無理矢理固められ、自壊しながら凶悪な加速でマスティマに向かい超加速する。
 スピーカースイッチオン。
「まさかこれが攻撃ですか」
 直撃寸前の負マテリアルが消える。
 まるで最初から存在しなかったのように、装甲に髪の毛1本分の傷もつかず負マテリアルの残滓すらない。
 歪虚は、逃げた。
 今度こそエルバッハという恐怖から逃れようと、逃亡以外に全てを頭の外へ追いやりただ垂直に飛んだ。
「もう終わりにしよう」
 黒髪の男が目の前にいる。
 やや黄みがかった肌の、特に目立った特徴のない人間なのに、マスティマの力を人型にしたような気配がある。
「もう、辛い思いをしなくていいんだ」
 足場のない空中、大精霊の技の一部再現という極限の難度の技という悪条件をものともせず、大精霊が司る「正義」のマテリアルを真下に向かって打ち下ろす。
 翼エルフの防御は完璧だった。
 最も頑丈な翼2つで防ぐのに成功した。
 それでも不十分だ。左の翼が限界に達して爆ぜ割れ、右の翼も中まで焼かれて動きが鈍る。
「お願いします」
 エルバッハは自身のマテリアルでチャージを終えたプライマルシフトを発動。
 東條の時と同じく、ドラグーンの守護者を連れて跳んで翼エルフに先回する。
 スキルを付け焼き刃で学習しても一瞬でひっくり返されてしまう、次元の違う技であった。

●最後の戦い
 翼エルフの傷口から流れた血が気化して負マテリアルに戻っていく。
 既に汚染地帯というより負マテリアルのプールに近い状況だ。
 そんな地獄を、純白の龍角を持つドラグーンが駆けている。
 負マテリアルの斬撃が飛来する。
 ユウは視認するより早く気配で察し、速度を上げることで空振りさせた。
 翼エルフは折れた翼を地面に引きずり、健在な翼は攻撃直後のまま残心が出来ていない。
 この期に及んでようやく己の不利を悟り、助けを求める視線を左右に向けている。
 ユウが奥歯を噛む。
 真っ当に育つ機会を与えられなかった人間の反応に似過ぎている。
 圧倒的な力があれば、あるいはイコニアが用意していた儀式なら人間社会に取り込めるのかもしれない。
 だが今は無理だ。
 王国にはこれを許容する価値観も余裕もない。
 それに、ルル自身が諦めてしまった今、もう道は残っていない。
「……」
 歪虚の唇と舌の動きが見える。
 読唇程度軽くこなすユウであっても、言語として成り立っていない動きからは意味を読み取れない。
「ルル様に命じられたじゃない。私がっ」
 喉まで迫り上がった激情を飲み込む。
 目の周囲が熱くなり視界が微かに滲む。
「9時方向に術起動を確認」
 インカムからの声に無意識に反応して走る方向を微修正。
 槍を思わせる硬いマテリアルを、1センチにも満たない距離でわざとぎりぎりに躱す。
「私が決めます」
 一瞬ごとに膨大なエネルギーが燃え尽きる。
 ユウが注ぐ力に魔剣が悲鳴をあげ、20メートル近い光の刃を実に9度も展開する。
 右の翼が奥深くまで切り裂かれ、太陽の光にも耐えられなくなり発火し燃え上がった。
「ぁ」
 力が尽きる。
 ユウの視界が傾いていく。
 この体調で龍血覚醒に伴う取り立てが来れば、確実にユウの命は無い。
 エルフの形をした歪虚が全ての負担を翼に押しつけ、手の平の不吉な気配をユウに向けた。
「させません!」
 青みを帯びた銀が割り込む。
 豊かな毛を負の熱で縮れさせるエイルの背中で、イツキが両手を使って攻撃の核を斜め上へ弾く。
 壊れた翼ごと歪虚の体が跳ね飛ばされた。
 生きた時間の短さを示しているかのように、衝突音は悲しいほど軽かった。
「ぃぅ」
 歪虚の口から声がでる。
 恐怖に顔が引き攣ると同時に翼が解け、無数の炎と黒の灰の羽になりイツキとエイルとユウを襲う。
「っ」
 追いついたエステルがユウを完治させるが万全の状態でも危険だ。
 高位歪虚の大部分を消費する一撃にはそれほどの威力がある。
「貴方の親御さん達は」
 残滓が消える。
 今を生きるエルフを通じて、古のエルフの想いが守りの力として2人と1頭を覆う。
 張り詰めた、泣きそうな顔を、優しい光が照らして消えた。
「皆の死を望んでいません」
 翼を無くしたエルフが首を振る。
 人対人の関係で自然に身につけた動作ではなく、見よう見まねの不自然な動きだ。
 ユウが剣をその場に置く。
 翼を喪い、他者を傷つける手段を持たない歪虚に近づき、跪いた。
 身をよじり後ずさる歪虚を、意外なほど細い腕が抱きしめる。
 ユウは何も口にすることができず、少しでも暖かさを伝えようと無言のままその場にいた。
「離れてください」
 イツキの口から乾いた言葉が響く。
 かつて想いを受け取り、残滓と共に駆け抜けた者として。
 古のエルフたちに連なる者として、一人の守護者として。
 己の手で幕を引くつもりだ。
「ゃ」
 エルフが必死に暴れ出す。
 ユウ達の想いを理解できず、それでいてユウの暖かさに縋るように、手加減も何もしらない乱雑な動きでユウの体を打つ。
 その程度で傷つくほど弱くはないことが、ユウには何故だか寂しく感じられた。
 イツキが槍を構え直す。
 手の平の汗が邪魔をする。
 震える手足が穂先を揺らす。
 それでもやるしかない。闇鳥は未だ戦力を保っている。目の前の歪虚を奪いとられる可能性も小さくない。
 エルフが悲鳴をあげ穂先が微かに胸の皮膚を破った瞬間。
 音も無く伸びる光が、翼エルフの心臓と頭蓋をそれぞれ貫く。
 歪虚は、痛みを感じることもできずに意識を消滅させた。
「フィーナさん、何故」
 おそらく最も古エルフを気に掛けていたフィーナの凶行に、イツキはただ呆然としている。
 エルフの形が崩れ、ただ濃く重いだけのマテリアルが拡散してユウとイツキの体を撫で髪を揺らす。
 マテリアルの飛沫が体と魂に染みこんでいく気すらする。
「まだ終わりじゃない」
 小さなエルフはそれだけ言い残し、闇鳥を倒すための戦いへ戻っていった。

●戦後
 気力と体力を振り絞った告白の直後、倒れたカインを支えたイェジドを捉える手がひとつ。
「ワイルドハントさん、でしたね」
 翠の瞳が怖い。
 逆鱗に触れたとしか表現しようのない、怨念に限りなく近いものが渦巻いている。
 狩りなら臆する気は無いが他人の男女関係に首を突っ込む気も無い。だからワイルドハントはその場に腰を下ろして敵意のないことを示す。
「女から手を出すのを待つ男は対象外です。カインさんに伝えて下さいね」
 白い歯が骨すら切り裂く刃に見えた。
 カインを薄い緑の光が包む。
「今日中には目を覚ますと思います」
 昏睡状態のカインの全身に癒やしの力が行き渡り、後遺症を無くす目的で神経から筋骨まで修復する。
 イェジドが軽く頭を下げ、事前の打ち合わせ通り北へ駆け去った。
「あーもうっ、今日は倒れるまで酒飲みますっ」
 畜生婚期逃したかという司祭としても乙女としてもあるまじき言葉を吐き、イコニアは元戦士に慰められていた。
 闇鳥は纏まる理由を無くし、力が強いだけの歪虚となり部隊を維持できずにただ暴れている。
 歴戦の幻獣なら無傷で行き来可能だ。
 大きく息を吐いてから気分を切り替える。
「皆さん消耗しています。強い希望が無いなら学校に戻って治療と補給、いいですね?」
 特に異論は出なかったので、ハンターが重傷者(主に元騎士と元聖堂戦士)を引きずり帰路につく。
「イコニアさん容赦ないでちゅ」
 少しは男心が分かる朝騎が、少し非難の籠もった視線を司祭に向ける。
 この場に直接跳んで来ようとするルルを拒否する片手間だが。
「ガードが無駄になったでちゅかね?」
「ユグディラの皆さんの治癒術は長期戦に最適です。価値が急騰する直前の人材……猫材? を引き入れる妙手だと思います」
 少なくとも私では思いつくことも出来ませんでしたと、朝騎を褒め称えると同時に我が身の力不足を反省している。
「それとでちゅね」
「皆さんは聖堂教会という組織でも不可能なことを成し遂げました。後は、順に片付けていきましょう」
 2体の強力な闇鳥が姿を消した。
 今後味方になる可能性が限りなく0に近い。
「対邪神戦の間ルル様が元気でいられるよう、一緒に過ごしてあげて下さい」
「もちろんでちゅ!」
 丘で寝泊りしたり、朝ご飯の味噌汁作ったり、膝枕で耳掃除でしてそれから……。
「ルル様が興奮し過ぎないよう気を付けてくださいね? 前に比べれば落ち着かれていますが……朝騎さん?」
 イェジドと合流し丘に向かう朝騎は全く聞いていなかった。
 半日後。
 治療中の元戦士の代わりに警備をしながら、ユウが星空を見上げていた。
 あの子供は最期まで愛に気づけなかった。
 ユウが寄り添い伝えた暖かさも、どこまで理解していたのか今では自信が無い。
 翼が風を受ける音が聞こえた。
 休憩中のクウとは違う、けれど聞き覚えのある羽音だ。
「解釈次第」
 フィーナだ。
 ルルに長時間纏わり付かれ、通常なら機嫌が上向いているはずなのに深刻な表情で考え込んでいる。
「今日は、お疲れ様でした」
 フィーナは誰かがしなくてならないことを受け持っただけだ。
 責めるつもりはないし責める資格は誰にもない。
「解釈次第、とは?」
 ユウもフィーナも高位の覚醒者だが職も得意分野も根本的に違う。
「転生はあり得ない。循環途中に浄化され記憶は消える」
 自らに刻まれた刻印に手を触れる。
 会議中に見たときはその箇所にはなかった気がするのは気のせいだろうか。
「それはマテリアルを魂とする価値観の場合。記憶や、他のものを魂として定義するなら」
 ユウの隣に立ち空を見上げる。
 相変わらず歪虚が存在し無数の苦労がある世界だ。それでもルルもハンターもまだ生きている。
「ルルもいる。悪いことには、ならないと思う」
 肉親が残した言葉を噛みしめ、少しだけ平和になった夜を楽しむのだった。

依頼結果

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MVP一覧

  • ルル大学魔術師学部教授
    エルバッハ・リオンka2434
  • 丘精霊の配偶者
    北谷王子 朝騎ka5818
  • 聖堂教会司祭
    エステルka5826
  • 灯光に託す鎮魂歌
    ディーナ・フェルミka5843
  • 紅の月を慈しむ乙女
    アリア・セリウスka6424

重体一覧

  • エルフ式療法士
    ソナka1352
  • イコニアの夫
    カイン・A・A・カーナボンka5336
  • イコニアの騎士
    宵待 サクラka5561
  • 灯光に託す鎮魂歌
    ディーナ・フェルミka5843
  • 背負う全てを未来へ
    東條 奏多ka6425
  • 丘精霊の絆
    フィーナ・マギ・フィルムka6617
  • 無垢なる守護者
    ユウka6891

参加者一覧

  • 伝説の砲撃機乗り
    ミグ・ロマイヤー(ka0665
    ドワーフ|13才|女性|機導師
  • ユニットアイコン
    ヤクトバウプラネットカノーネ
    ヤクト・バウ・PC(ka0665unit008
    ユニット|CAM
  • ボルディアせんせー
    ボルディア・コンフラムス(ka0796
    人間(紅)|23才|女性|霊闘士
  • ユニットアイコン
    エンジン
    炎神(ka0796unit009
    ユニット|CAM
  • エルフ式療法士
    ソナ(ka1352
    エルフ|19才|女性|聖導士
  • ユニットアイコン
    ルーハン
    Laochan(ka1352unit003
    ユニット|幻獣
  • タホ郷に新たな血を
    メイム(ka2290
    エルフ|15才|女性|霊闘士
  • ユニットアイコン
    ナライ
    西風(ka2290unit006
    ユニット|幻獣
  • ルル大学魔術師学部教授
    エルバッハ・リオン(ka2434
    エルフ|12才|女性|魔術師
  • ユニットアイコン
    ウルスラグナ
    ウルスラグナ(ka2434unit004
    ユニット|CAM
  • イコニアの夫
    カイン・A・A・カーナボン(ka5336
    人間(紅)|18才|男性|闘狩人
  • ユニットアイコン
    ワイルドハント
    -Wild Hunt-(ka5336unit002
    ユニット|幻獣
  • イコニアの騎士
    宵待 サクラ(ka5561
    人間(蒼)|17才|女性|疾影士
  • ユニットアイコン
    魔導トラック
    魔導トラック(ka5561unit004
    ユニット|車両
  • 丘精霊の配偶者
    北谷王子 朝騎(ka5818
    人間(蒼)|16才|女性|符術師
  • ユニットアイコン
    イェジド
    イェジド(ka5818unit016
    ユニット|幻獣
  • 聖堂教会司祭
    エステル(ka5826
    人間(紅)|17才|女性|聖導士
  • ユニットアイコン
    ポロウ
    ポロウ(ka5826unit005
    ユニット|幻獣
  • 灯光に託す鎮魂歌
    ディーナ・フェルミ(ka5843
    人間(紅)|18才|女性|聖導士
  • ユニットアイコン
    リーリー
    リーリー(ka5843unit001
    ユニット|幻獣
  • 紅の月を慈しむ乙女
    アリア・セリウス(ka6424
    人間(紅)|18才|女性|闘狩人
  • ユニットアイコン
    コーディ
    コーディ(ka6424unit001
    ユニット|幻獣
  • 背負う全てを未来へ
    東條 奏多(ka6425
    人間(蒼)|18才|男性|疾影士
  • ユニットアイコン
    キウイ
    キウイ(ka6425unit002
    ユニット|幻獣
  • 闇を貫く
    イツキ・ウィオラス(ka6512
    エルフ|16才|女性|格闘士
  • ユニットアイコン
    エイル
    エイル(ka6512unit001
    ユニット|幻獣
  • 丘精霊の絆
    フィーナ・マギ・フィルム(ka6617
    エルフ|20才|女性|魔術師
  • ユニットアイコン
    シュヴァルツェ
    Schwarze(ka6617unit002
    ユニット|幻獣
  • 無垢なる守護者
    ユウ(ka6891
    ドラグーン|21才|女性|疾影士
  • ユニットアイコン
    クウ
    クウ(ka6891unit002
    ユニット|幻獣

サポート一覧

  • ヴァイス・エリダヌス(ka0364)
  • カティス・フィルム(ka2486)
  • エラ・“dJehuty”・ベル(ka3142)
  • バリトン(ka5112)
  • メンカル(ka5338)
  • コロラ・トゥーラ(ka5954)

マテリアルリンク参加者一覧

依頼相談掲示板
アイコン 質問卓
ボルディア・コンフラムス(ka0796
人間(クリムゾンウェスト)|23才|女性|霊闘士(ベルセルク)
最終発言
2019/06/14 09:19:15
アイコン 【相談卓】最後の戦い
ボルディア・コンフラムス(ka0796
人間(クリムゾンウェスト)|23才|女性|霊闘士(ベルセルク)
最終発言
2019/06/15 02:33:34
アイコン 依頼前の挨拶スレッド
ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2019/06/11 21:25:15