グラズヘイム王国の南部に広がる伯爵地【ニュー・ウォルター】を覆っていた暗い闇は、振り払われた。
　黒伯爵を名乗る歪虚軍長アスタロトが率いていた敵は壊滅。討伐が一段落して、少なくとも戦の状況からは脱したといえる。
　差し迫る危機は去ったものの、懸案は残った。畑が荒らされただけでなく、灌漑関連の破壊が顕著。そして各地では戦いの残照が残っていた。


　目に見える異変は、水の街マールで起こった。日に日に水路の水量が減り、わずか一週間で嵩が半分以下になったのである。雨が降らなかったとしても、このような急激な変化はこれまであり得なかった。
　マール城の領主アーリアと、その妹ミリアのところへ報告があがる。
「上流に異常はないですの。水源もしっかりしているようで、どこか他のところへ流れこんでいるとしか……」
「アスタロトとの戦いで、運河や井戸に細工されたことがあったな。今になって影響が現れた可能性はあるのだろうか」
　兄妹は執務室の窓からマールの城下を見下ろす。街に張り巡らされた水路は、陽光の煌めきを失っている。すべては水量が減ったためだ。
　それから程なくして、別件の報告が入った。
　現在、傲慢のアイテルカイト『ナアマ』の手に堕ちた内陸の街ドスガは、複数の部隊に外縁から監視させていた。そこから届いた緊急連絡文である。
「もうすぐ夏を迎えようとしているこの時期に、ドスガ周辺の土地は、まるで冬のような寒さらしい。日に日にそうなっているようだ」
「まさかそんなことが……」
　それから半日後、ドスガ周辺の写真も届けられた。先の連絡文の内容を裏付けるかのように、霜や氷に覆われた景色が捉えられている。
「地下水が凍ることで、回り回って水路の水量が減っているのかも知れないな」
「今すぐどうこうにはなりませんの。ただ、これがずっと続くとすれば……」
　アーリアとミリアは視線を合わせる。元よりドスガをこのままにしておくつもりはなかった。
「どうであれ、急ぐ必要はありそうだ」
「ですの」
　アーリアの呟きにミリアが頷く。それから詳しく調べたところ、ドスガを中心にして寒冷の範囲は、想定よりも広がっていた。
　偵察隊が遭遇したのは、地下から現れた直径二、三ｍ前後の太くて長い根だ。突如、地中から現れて襲いかかってきたという。凄まじい冷気を放っていたらしく、それが気象に大きく影響を及ぼしているのではといった仮説が立てられる。
　ミリアは万全を期すために、ハンターズソサエティー支部を訪ねた。そして真冬のようになってしまった草原地帯の再調査を依頼するのだった。

●
　ミオレスカ(ka3496)の目の前を枯れ葉が横切り、上空へと高く舞いあがっていく。「寒いです。ドスガには、凍える人はもういないのでしょうか？」身震いした彼女は、襟元の隙間を片手で閉じる。
　吹き荒ぶのは寒風。もうすぐ夏だというのに、草原地帯はまるで冬のようなセピアな景色が広がっていた。
「あぁーもう！　なんでこんな寒いんだよ。クソッ、あれもこれもそれもぜーんぶ歪虚が悪いんだこら、ブッた切ってやる。でてきやがれ！」
　厚着のボルディア・コンフラムス(ka0796)が枯れ草の大地で地団駄を踏んだ。
　ハンター一行はミリアが用意した馬車を中心にして移動。途中からは自らの足で先へと進んでいた。
「偵察隊の報告によれば、巨大な根が地中から飛びだしたのは、この辺りのはずだ」
　鳳凰院ひりょ(ka3744)が地図を眺めるのをやめて、顔を上げる。
　障害物のない見晴らしのよい場所なので、道の曲がりや岩などのわずかな目印を基準にするしかなかった。判断はかなり大雑把なものだ。一行は互いが目視できる範囲で、周辺の状態を確かめることにした。
「氷が張っているとは。六月後半で、さすがにこの寒さは異常だ」
　南護　炎(ka6651)は屈んで、小さな池を眺める。地下の水脈が凍っていても不思議ではない。
「私もこんなものを見つけたぞ。まるで走っている途中で凍らされたような……、まさかな」
　レイア・アローネ(ka4082)が抱えていた氷塊には、兎が閉じこめられていた。
「落とし穴？　……もしかして、さむさむ根っ子のかも？」
　ディーナ・フェルミ(ka5843)がじっと見つめた足元には、直径二ｍ前後の縦穴が。暗くて底は眺められなかった。
「失礼」
　歩夢(ka5975)が拾った小石を縦穴へと投げいれた。すぐに音が聞こえたので、深さはそれほどでもなさそうである。
「当るも八卦当らぬも八卦、まあ気休めになればな」
　続いて歩夢は、岩の上にカードを並べだした。彼の占術によれば、ここから北の方角が怪しいらしい。
「寒さが強まってンな。ってことは、こりゃ当たりっぽいな」
　魔斧を構えるボルディアが先頭になり、全員でゆっくりと北を目指す。
「地面が凸凹しています。ディーナさんが見つけた縦穴もそうですが、根が飛びだした跡のような気がします」
　ミオレスカは時折立ち止まって、双眼鏡で進行方向を確認する。
「十一時の方角、五十ｍ付近の地面で何かが揺れたような……」
　ミオレスカが報告した次の瞬間、鳳凰院は草むらから起きあがる十数の影に気づいた。
「お出ましか。いや、根ではないようだな」
　レイアが握りなおした剣で喉元を刺す。ゆらりと揺れながら近づいてきたのは、泥混じりの氷ゴーレムの群れであった。
「おまえも冷たいんだよ！」
　ボルディアが振るった魔斧が食いこむと、氷ゴーレムが崩れ落ちていく。
「頭に当てれば、一発ですね」
　ミオレスカは魔導拳銃で氷ゴーレムの頭部を破裂させていった。
「調査の邪魔はさせない！」
　南護炎はすれ違い様に、聖罰刃で氷ゴーレムを斬り捨てる。
「根が現れないとはどういうことだ？　偵察隊の報告書は間違いなのか？」
　レイアは疑問を感じながらも、氷ゴーレムを倒す。
　力こそ強かったが、一対一ではスキルを使う必要が感じられないほど氷ゴーレムは弱い。ハンター達の敵ではなかった。但し、まとまった数で迫られると厄介である。
「普通の兵士なら苦労する強さだとは思うが……。敵の上は、どういう意図で配置したんだ？」
　歩夢は日月護身剣で戦いながら、負のマテリアルの気配を探ろうとしていた。
「さむさむ根っ子、早くでてこいなの～」
　戦力に余裕があったので、ディーナは冷気の根を探そうと、メイスで地面をぽこぽこ叩く。その様子を含めて、魔箒で上空から俯瞰していた鳳凰院は、あることに気づいた。
「前に進むのはやめて、これまで来たほうへ戻ってくれないか？」
　無線で届いた鳳凰院の言葉は意味不明だったが、他の仲間達はその通りにしてみる。すると、氷ゴーレムは新たに現れなくなった。出現済みの氷ゴーレムも一定の範囲以上には追いかけてこず、地面の中へと消えていく。
「つまり……敵が設定したテリトリーに外部の者が足を踏みいれると、氷ゴーレムが現れる仕掛けですか？」
「ゴーレムだから、きっと単純な命令を受けているの」
　ミオレスカとディーナのやり取りに、鳳凰院が頷いた。
「前の偵察隊のときは、まだ氷ゴーレムは配置されていなかったと考えるのが普通だな」
「冷気の根の仕掛けがばれたので、慌てて護衛を用意した。といったところだろう。もしくは氷ゴーレムを出現させるには、ここまでの寒さが必須だったのかも知れないな」
　レイアと歩夢は、先程まで氷ゴーレムの群れと戦っていた一帯へと振り返る。
「姑息な真似を……。そうまでしてマール水路を枯らしたいのか」
「敵もまんざらバカじゃないってことだな。ま、やりようはあるだろ」
　南護炎とボルディアが吐く息は真っ白だ。より寒さが強まっていた。
　新情報が得られたところで、ハンター達は作戦を練り直す。この寒さは身体に堪える。日が暮れる前には終わらせたいと、急いで準備を整えるのだった。

●
　一部のハンターは留守番中の馬車まで引き返して、愛馬や魔導ママチャリを用意した。草原地帯を縦横無尽に走り回ることにより、目的の太い根を見つけだすことにしたのである。
「ど、どいて。うまく曲がれないの～」
　速さだけは凄まじい魔導ママチャリに跨がったディーナは、アクセルを握りしめながら叫んだ。彼女が通った轍の跡に沿って、次々と氷ゴーレムが出現していく。
「大丈夫です。慌てないでいきましょう」
　ミオレスカは愛馬のブラウンダイヤを宥めながら走らせる。
　二人が走るのに邪魔な氷ゴーレムは、四人のハンターが処理していく。
「いらねぇンだよ、おまえら！」
　ボルディアのぶん回される魔斧に触れた氷ゴーレムが粉砕されていった。
「戦いは私の本分だ。相手がなんであろうと臆するつもりはない」
　レイアの刃が、氷ゴーレムを真一文字に両断した。
「どれほどの氷ゴーレムが隠れていても、すべてを倒してやる！」
　南護炎はミオレスカを追いかけていた氷ゴーレムの足を刎ねて、転ばす。
「こちらは順調だ。どうだ？　冷気の根は地上からだと、二本確認できたぜ」
　歩夢は戦いの合間にインカムで鳳凰院と連絡を取り合う。魔箒で飛んでいた鳳凰院は注意深く、上から草原地帯を見下ろしていた。
「上から確認した冷気の根は三本だ。細めの根は無視したとして、どうやらこれで全部だろう。寒冷の範囲とも合致するからな」
　鳳凰院からの報告を受けて、歩夢は地上の仲間達に一旦撤退の合図をだす。ハンター達が敵のテリトリーから一斉に引きあげると、氷ゴーレムの群れは大人しくなる。やがて大地へと戻っていく。
　冷気の太い根が隠れている三個所がわかったので、氷ゴーレムの群れをすべて倒す必要はなくなった。迂回ルートを地図上に書きこんで、その通りに徒歩で進む。
「さむさむ根っ子、でてこいなの！」
　ディーナがモグラ叩きの要領で地面を叩いていった。やがて大地が盛りあがって、ディーナが「ひゃあ！」と叫んだ。
「木ごときが、俺の邪魔をすンじゃねえぇ！」
　ボルディアはここぞとばかりに、炎檻を使う。土塊の間に幻影の腕を突っこんで、無理矢理に引きだしたのは、探していた冷気の太い根であった。同時に細めの根も地上に現れて、ハンター達に攻撃を仕掛けてきた。
「まずいですね。このままでは凍え死んでしまいそうです」
　ミオレスカの指先が悴んでいた。時折手袋ごと脇へと挟んでいるものの、完全には温まらない。何か問題が起こる前にと、出し惜しむことなくフォールシュートを発動。銃弾の雨を降らせる。
　冷気の太い根は、鞭のように撓っての攻撃だけでは留まらなかった。いくつもの氷柱が辺りにばらまかれて、ハンター達を傷つける。
「冷気の太い根は十分、十分以内で倒すべきだ！　それ以上はかけるのは、得策ではない！」
　南護炎が細めの根を斬ると、氷の小さな粒が舞う。触れた肌から血が噴きだしても構うことなく、後ろから襲いかかってきた氷ゴーレムを振り向きざまに瘴気へと還した。
「さむさむなのは、倒しちゃえなの！」
　ディーナは敵をすべてひっくるめて、セイクリッドフラッシュによる聖なる光を浴びせかける。細い根はすぐに枯れたが、太い根は健在だ。それでも怯んでいる様子から、効いているのはよくわかった。
「そのまま続けてくれ。ここは私が守ろう」
　レイアがソウルエッジを纏わせた魔導剣で太い根と相対しながら、ディーナを守る。ガウスジェイルの妙で、一手に引き受けた。
（まさか、またこれを使う機会が来るとは思わなかったな……）
　鳳凰院のチェーンソーが凄まじい騒音を立てながら、太い根に食いこんでいく。凍るような冷気に包まれながら、火花を散らせた。
「とっとと、千切れろ！」
　ボルディアも暴炎を使い、太い根へと深く斬り込む。遠心力を使って、割れ目を広げていった。
「俺は動けないから、よろしく頼むぜ！」
　歩夢はストーンサークルで強化しつつ、五色光符陣の輝きで太い根を中心に、何度も敵をまとめて焼いた。その最中、負のマテリアルの状況に変化が生じたような気がして、仲間達に注意を促す。
　ボルディアの魔斧が止めを刺して、ついに冷気の太い根が切断された。その途端、切断面の両方から浸食するように根が消滅していく。地表にはとても長い凹みができて、地中奥深くで腐るように瘴気へと戻ったのがわかる。
　周辺の寒さが和らいだと思ったのもつかの間、まるで入れ替わるように二本目の冷気の根が大地から現れた。
　無数に思える氷柱による遠隔攻撃が、ハンター達を襲う。凌ぎつつ、反撃の手段を整えるものの、負傷そのものよりも寒さのほうが身体を蝕んでいた。
「元々近めに隠れていたから、こちらの戦いで活性化したのだろう。もう一本はかなり離れているから、おそらくは大丈夫。ここが踏ん張りどころだ」
　鳳凰院の状況分析を信じて、ハンター一同は一斉に動きだす。
「出発前にアーリアと約束したからな」
　南護炎は氷ゴーレムに専念して倒していくが、これまでと違って中には強い個体もいる。一之太刀で斬り込み、終之太刀で仕留めた。仲間達に近づけさせないよう、全力で屠っていった。
「根を辿るように当てたら、どうなるでしょうか？」
　ミオレスカは戦いながら気づいた戦法として、ハウンドバレットを選択する。
　撃たれた銃弾が二つめの太い根に当たって、そのまま内部を突き進んだ。太い根は一つの個体というよりも、構造的には複数の個体が連なっているようなものらしい。一撃以上のダメージを与えることができた。
「やり逃げは許さないの」
　太い根が地面へと隠れようとしたのを見逃さない。ディーナはプルガトリオによる闇の刃でその場へと縫い止める。
「そりゃないだろ？　もう少し付き合いな」
　ボルディアも炎檻による幻影の腕で掴まえて、太い根が地下深くへ潜るのを阻止した。
「地下まで届くかはわからないが、やってみる価値はありそうだ」
　歩夢が使ったのは浄龍樹陣。負のマテリアル汚染が浄化されたことで、太い根の動きが大分弱まってくる。
「これならいけるな。ならば！」
　レイアは壁歩きを活用して、空中でうねる太い根の表面を駆け抜けた。囮になりつつ、魔導剣を次々と突き立ていく。発動させたオロチアラマサと呼ばれる高速連撃は、目にも留まらない。まるでキツツキのように穴を開けていった。
「これでいけるはずだ。もう少し、もう少し……」
　真っ白な霜に包まれる鳳凰院のチェーンソーが呻りをあげる。二つめの太い根もついに切断。その瞬間、周囲の温度が体感できるほどにあがった。
　誰もが腰を下ろして休みたいところだったが、ここで戦いをやめては元の木阿弥である。冷気に痛めつけられた身体だが、力を奮い起こして最後の太い根への戦いに挑んだ。
　五分にも満たないわずかな休憩。そして二本の冷気を放つ太い根を伐ったことによる温度上昇は、ハンター達に活力を与えてくれる。また氷ゴーレムがでなくなったこともあって、全員で一丸となって集中できたのも大きい。
　三つめの太い根を伐って、細い根も含めて一気に瘴気と化す。夕暮れ時までには、大分六月らしい気温になってきた。
「やれやれだぜ。これが普通だよな」
　ボルディアは、それまで着ていた防寒具を脱ぐ。
「この様子だと、明日には地面がぬかるみそうですね」
　ミオレスカは、まだ冷たさが残っていた指先に温かい息を吹きかける。
　ディーナは草原地帯に歪虚関連の何かが落ちていないか探したものの、特に見つからなかった。木の根が出現した辺りの水分については、サンプルを回収した。
　他に気づいたことといえば、ドスガの方角へ進むとわずかながら寒くなっていく事実である。完全に冷気の根を倒しきったわけではないらしい。
「この根っこ、本当にニューウォルターへの水害目的だけなのかな……。ドスガに残った人達、水や寒さは大丈夫なのかな……」
　おそらくドスガは冷気に包まれたままなのだろう。そう、ディーナは想像していた。
「マール水路への影響具合がすぐに確認できればいいが、さすがにそれは無理だ。ただ、当分は大丈夫そうだな」
　鳳凰院もディーナと同じく、ドスガの方角を眺めながら呟いた。
「急いで帰ろう。暗くはなるが、今日のうちにマールには戻れるだろう」
「この辺りの監視は、領の兵士達に任せばいい。もし次があるとしたら、状況が悪化する前に、知らせてくれるだろうさ」
　レイアと歩夢は馬車が待つ方へと歩きだす。他の仲間達も同じように進みだした。
「討伐、大変に助かった」
「お疲れ様ですの」
　マールへの到着は深夜になったが、アーリアとミリアが帰りを待っている。後日、報告書を提出することになるが、まずは口頭で伝えた。このときディーナが水のサンプルを提出する。
「アーリア、水量減少は解決したはずだ。明日の朝を楽しみにしてくれ」
　南護炎が太鼓判を押した通り、翌朝のマール水路はわずかながら水量が増えていた。日を追うごとに、元へと戻りそうである。
「冷気の元凶が潜んでいるのは、ドスガの地なのだろう。このままだと領地全体の農作物に影響がでそうだ……」
　窓辺のアーリアは城下を眺めてから、ミリアに頷く。そしてドスガ進攻への意思を固めるのだった。