虹の欠片、君の温もり

マスター:葉槻

シナリオ形態
ショート
難易度
普通
オプション
参加費
1,500
参加制限
-
参加人数
3~4人
サポート
0~4人
マテリアルリンク
報酬
無し
相談期間
4日
締切
2019/06/17 19:00
完成日
2019/06/19 13:22

このシナリオは5日間納期が延長されています。

みんなの思い出

思い出設定されたOMC商品がありません。

オープニング

 その日は珍しく朝からスッキリとした晴れ間で、溜まった洗濯物を片付けたり、布団を干したりする人々が見受けられた。
 ところがこれが「そろそろ三時のおやつでも」と腰を浮かした頃になってどしゃぶりの雨になってしまい、嘆く人、呆然とする人、自宅へと走る人と、街は憂鬱な空気に満ちていた。
 先日、ハンターズ・ソサエティでは大袈裟でもなんでもなく、文字通り世界の今後を左右する決定がなされたが、そんなことは生活している一市民は知る由も無い。
 ただ今日も自分の日常を送るだけだ。

 一気に湿度が上がり、机の上、無造作に置かれた紙がふやけてうねる。
 人々は「酷い雨だ」と忌々しそうに顔をしかめながら傘を開いたり、傘のない者は足早に道を急ぐ。
 服飾店の軒下では雨宿りする人の姿。
 喫茶店や古書店に飛び込む人がいる一方で、買い物を済ませて出てきて雨に気付いた人の姿もあった。
 子ども達が雨の中を甲高い悲鳴を上げながら走って行く。
 恐らくスラム街に行けば薄い板と布を貼り合わせただけの小屋の中で雨漏りに濡れ、震える人々を見る事も出来るだろう。
 この天候に対する人々の反応も、またそれぞれだ。

 そんな中、街外れの教会の鐘が鳴った。豪雨のせいかその鐘の音も精彩を欠いているように聞こえた。
 どうやら今日は葬式が行われているようだ。
 空さえも号泣しているようだが、参列者もまた心から死者を悼み、永久の別れを惜しんでいる。
 思えば教会も不思議な場所だ。
 生まれた子に祝福を与え、生ける者の悩みを受け止め、婚姻を見届け、死者の平安を祈る。


 持つ者、持たざる者。

 選ばれし者、選ばれなかった者。

 生き残った者、死んだ者。

 あなたは前者であり、後者は他人だ。


 一陣の風が吹くと、雨脚が弱まった。
 空は唐突に明るさを取り戻し、あれほど重く垂れ込めていた雲は消え去っていく。
 人々はホッとしたように傘を閉じ、軒下から顔を出し空を見上げる。
「虹だ」
 誰かが声を上げ、空を指差した。
 青空には綺麗なアーチを描く虹が架かってる。

 虹にはこんな言い伝えもある。
 『虹の足元には宝が埋まっている』とか。
 『虹を見ると事態が好転する』とか。
 『好きな人と一緒に虹を見ると両想いになれる』なんておまじないじみたものまで。

 ……そして、空想家のことを『虹を追う人(Rainbow Chaser)』と言う。

 あなたは唐突に思い至る。
 もう二度と、こんな風に虹を見ることがないかもしれないという、可能性に。

 ――ソサエティの決定は覆らない。
 あなたは、あなたの友人は、大切な仲間は、あなたの好きな人は、激化する一方の戦いに飛び込まざるを得ない。もしくは否応なしに巻きこまれてく。

 虹は、龍。もしくは神の化身という地域もある。
 ゆえに、『指を指してはならない』という言い伝えもある。


 ――あなたは、この日。何を思うのだろうか。



リプレイ本文

●今までとこれからと。変わるもの、変わらないもの。
「よう、じーさん、また来たぜー」
 飄々と手を振る劉 厳靖(ka4574)と、その後ろには礼儀正しく会釈をするユリアン(ka1664)と、その隣で劉の背に隠れるように顔を出している浅黄 小夜(ka3062)の顔を見て、フランツ・フォルスター(kz0132)は好々爺らしいその笑みを深めた。
「おやおや、こんな雨の中、良く来たのぅ」
「お忙しい中済みません、また押しかけてしまって……」
 ユリアンがお土産のレアチーズケーキを手渡すと、フランツは目尻を下げたまま首を横に振る。
「いやいや、お忙しいのは皆さんの方じゃろう? わざわざ訪ねて来て頂けるとは有り難いことじゃよ」
「……逢いたかってんよ?」
 特に何をと言う程もないのだけれど、また顔を見たかった。そう小夜が告げれば、今度こそフランツは相貌を崩した。
「こんな愛らしいお嬢さんにそんな事を言われて嬉しくない爺はおりませんなぁ」
 それはまるで遠方に住む孫娘に久しぶりに会ったお爺ちゃんのようで、ユリアンと劉は顔を見合わせて微笑んだ。


「……一先ず、方針は出ました」
 フランツが手ずから入れた紅茶が各人の目の前に置かれると同時に、ユリアンが口火を切った。
 恐らくフランツはその情報を既に知っていたのだろう。静かに頷き、3人に紅茶とユリアンの持参したチーズケーキを勧めた。
 しかし、紅茶にもチーズケーキにも手を出さず、ぎゅっと膝の上で拳を握り締め、テーブルを見つめている小夜に、劉もユリアンもフランツも気付く。
「どうした嬢ちゃん」
 小夜の背中をぽんぽんと優しく叩くと、小夜は珍しく眉間にしわを寄せたままフランツを見た。
「……もうすぐ、本当に……最後の戦い、なんやって……邪神のお話も聞いて。
 最初は……誰かを救いたいっていう想いが、最後には……他を、犠牲にしてまでも、願いを維持しようとする……結果になって……」
 あまり多弁ではない小夜が一生懸命言葉を紡ぐ様子に、3人は静かに聞き入る。
「ぎょうさんの為に、それより小さなものを犠牲にする……そら剣機博士の……アダムの時と、おんなじことなんやないかなって……」

 アダム・エンスリン。万能薬と称されるエリクサー生成の為に禁忌とされる歪虚の実験を行い、無辜の人々をスライムへと変態させた人間。
 そして剣機博士はその歪虚を捕らえ、“最強の剣機”を生み出した歪虚。
 剣機博士の末路は当然の結果だったが、最強の剣機ことアルゴスはベルトルードの軍港を壊滅させるのと引き替えに退治に至った。
 一方でアダムは色々な思惑と政治的取引が絡んだ結果、南方大陸の『竜の巣』へと島流しとなり、最終的には望み通りの死を与えられた。
 3人はその全てに関わってきた。
 あの時、きちんと解決に導いたはずなのに感じたやるせなさ、口惜しさ、スッキリとはしないもどかしさ……表現しようのないもやもやとした思いは2年以上経った今になっても忘れられるものではない。

「あの時も今も、それを“えぇよ”って出来ひん気持ちに変わりはのうて……そやさかい邪神を……これ以上の哀しみを止める事を、選んだんやけど」
 ぎちり、と音が立つほどにスカートの布が握り締められる。
「護る為に……戦う道を選べるのんは、結局、私自身に戦う力があったからやけど。
 ……そやけど戦う力が、あらへん人達にとっては、束の間でも……平穏を選びたかったかも知れへん。
 “未来の”為の戦いよりも、“今”を大事にしたい、を選びたなる気持ちは……私も、解るようになった気がするから。
 邪神を止められな、ここで出会うた皆も、帰る場所も失う。……失いたないものを賭けた選択はえらい怖いなぁ」
「小夜さん……」
 子どもだと思っていた少女と、出会ってもう3年以上。劉からすればおおよそ5年前だ。
 少女はもう立派な女性へと変わりつつある。
 そんな小夜の成長をこの中で1番嬉しそうに見つめているのがフランツだった。
「力があっても、無くても。たとえ決議の結果が『戦う』だとしても『戦わない』、という選択肢は残っておるよ」
 それは逃げてもいいというフランツの優しさだ。
 事実これからの戦いで、覚悟が出来ていない者ほど足を引っ張る存在はいないだろうと推測される。軽々しく命を捨てる者もそれはそれで厄介だが、覚悟が出来ていないまま参戦し、周囲を引っかき回されれば余計な被害が出る恐れもある。
 フランツの言葉を受け、小夜は強く首を横に振った。
「ほんでも……これが最後になるかも知れへんなら、尚更後悔をしとうなかったから。
 気持ちに嘘を吐かへんで、やれるだけやってみた事なら……どないな結果でも、受け入れられる思えると、アンネはんが見してくれたから。
 そやから私も諦めへんで、これからも皆で生きて行く為に、戦うていきたい」

 アンネ――アンネリースは自らの病と正面から戦い、そして亡くなった少女で、フランツもよく知る知人の娘だった。
 あの時。小夜は彼女に残酷な事実を伝えた。彼女は事実と最悪の可能性を知って、それでもなお笑った。そして自分の望みを叶えた。
 「教えてくれて有り難う」と笑って、いざという時の対策まで考えて、最期まで自分らしく生きて、死んだ。
 だから、小夜も戦う事を選んだ。失いたくないものが沢山あるから。

「怖おしても、皆で立ち向かえるなら……きっと頑張れる。……そやから、フランツのお爺ちゃんも……一緒に頑張って、くれますか?」
 小夜の言葉にフランツは「もちろんじゃよ」と微笑みを返す。
 フランツの言葉に、小夜は明らかに安堵して両肩の力を抜いた。
「ほれ、紅茶が冷めてしまうぞ? 外は寒かったじゃろう? 温かいうちにお飲みなさい」
 勧められて、小夜は二度、ふぅふぅと息を吹きかけてから紅茶を啜った。
 少し冷めてしまったが、その分飲みやすくなった紅茶はほんのりと甘く、優しい香りが鼻腔をくすぐった。


 その後暫くは、他愛ない談笑に花を咲かせた。
「で、結局のところどうなのよ?」
 ちょっと色のある話しになりかけたところで劉がユリアンを突っつき、ユリアンは弱り切った表情でフランツを見て、「あ」と零した。
「……あの。伯と亡くなられた奥方の話を伺っても良いですか?」
「ほ? これはまた唐突じゃのう」
「あの帝国の動乱の最中、そしてその後、お二人がどう生きて来られたのか……
 誰かと人生を共に歩む事に、迷いや不安はなかったのか。……差し支えなければ」
「お、いいね、俺も聞きたい」
 おやおや、と困惑したフランツに止めを刺したのは、小夜のきらきらとした双眸だった。
「……まぁ、聞いて面白い話しなどではない気もするがね……」
 そういってフランツが語り出したのは50年近く昔の話し。まだ、フランツが“フォルスター”の名と領土を持つ前の話だった。

「その当時のわしは、まぁ、荒れておってなぁ。精霊に見初められず覚醒者になれない事実を世界中に嘲笑われておるような気がして、喧嘩を売って、売られてそりゃぁ、日々生傷が絶えなんだよ」
 ほっほっほ、と笑うフランツに劉が「見えねぇなぁ」と呆れた声を上げる。
 そんな頃、上司であるロルフ・フォルスターから一人娘、オリヴィアを紹介された。
「まぁ、最初はただの温室育ちのお姫様としか思っておらなんだよなぁ」
 いつも静かに微笑んでいるお上品なお姫様。蝶よ花よと育てられたか弱い令嬢だと思っていた。その印象を変える事件が起こる。
 珍しく招待された舞踏会で、無差別毒殺事件が起こった。従者としてその場にいたフランツは肝を冷やしてロルフの無事を確認した後オリヴィアを探すと、彼女はテラスで手に取ったグラスから零れ落ちるワインを見つめていた。
「香りが違うんだもの。随分とずさんな犯人ね」
 その後犯人はあっさりと捕まり、その犯行理由が自分より豊かな領地を持つ者へのヒガミだったというのだから同情の余地など無い。
 そして、自分より下に見ていたオリヴィアの方が社交界において、それこそ優雅に渡り歩いていることを知る。
「微笑みは最大の武器よ。ちょっと突けば、男は基本的に女を馬鹿だと思っているから『くれぐれもお父上にはご内密に』とか言って話しちゃうし」
 フランツにとってオリヴィアが自分と同じ“この世界”で生きている者だと気付いた瞬間だった。

「……そんなわけで、お見合い結婚したんじゃよ」
 はい、お終い。とフランツが話しを切り上げたため、劉はガクッと身体を傾げ叫んだ。
「えぇー、もっと聞きたぁい!」
 小夜も劉に同調するようにこくこくと首を縦に振っているが、フランツは敢えて小夜を見ず、劉に冷めた目を送る。
「人のことより自分の事はどうなんだい、君は……」
「俺はいいのよ。三度の飯より酒が好き♪」
 茶化すようにひらひらと右手で仰ぎながらも同時に『守れなかった。そんな想いをするのは二度と御免だ』と劉は胸の中でそっと呟く。
 そんな劉に「しょうがないのぅ」と諦めの視線を投げ、ユリアンへと向かい合う。
「今は違うらしいが、昔は政略結婚が当たり前でのぅ。わしだって最初は『この領地と娘をやるから後を継げ』と言われたんじゃよ。
 たまたま妻が良く出来た人で、何だかんだで存外家族というのも悪い物ではないと教えてくれた」
 激動の時代。いつ暗殺者に狙われるかもしれないという不安。誰が味方で敵か分からず、裏切らないとは限らないという疑心暗鬼の中、唯一無条件に信頼出来る家族が出来たのはフランツにとってはこれ以上ない僥倖だった。
「俺は……誰かと道を征く勇気が、持てなくて」
 錯覚や自惚れでなければ。
 ジューンブライドのイベント会場。試着コーナーで感じた距離を思えば、答えはもう出ているに等しい。
 しかし、つい伸ばした手は彼女に触れる前に留めた。だから、迷う。
 確かな答えを、言葉に出来ない。
 口に出しかけた言葉も、結局口にすることは無かった。
 理性が、迷いが、求める心を凌駕する。
「生き抜く善処はしても、置いて行くかもしれないのに」
 ……彼女に 答えを待って貰ってしまっている。
「どんなに将来を誓い合っても、人はあっけなく死ぬものじゃよ」
 フランツもまた、妻を病で亡くしている。
「最近は離縁もしやすくなったと聞いたが……ユリアン殿を見ておるとそんなことも無いように思えるのぅ」
「まぁ、悩み給えよ、青少年!」
「ちょ、厳靖さん、やめて!」
 穏やかに笑うフランツとユリアンの頭をぐしゃぐしゃと掻き乱す劉。その様子を見て笑う小夜。3人の笑顔にユリアンもまた小さな苦笑から笑顔に変わった。


 4人が談笑している間にどうやら雨は上がったようだった。玄関先まで見送りに来てくれたフランツに3人は思い思いに別れを告げる。
「俺に、方針の全てに手を伸ばせる力は無いですが、やれる限りは 足掻きます。
 伯、どうか……またご報告に伺える様に見守っていて下さい」
「まあ、全力でやってくるからよ、終わったらまたひと勝負させてくれよな」
 チェスの駒をつまみ上げる仕草をする劉と、丁寧に頭を下げるユリアン。
「お爺ちゃん、会えて良かった……今日は……ほんま、おおきに。また、ね」
 お辞儀をして、小さく手を振って、小夜は劉とユリアンの後に続いていく。
「あぁ、そうだ。ユリアン殿」
「はい?」
「わしが妻と結婚を決めたのはね、『あぁ、かなわないなぁ』と観念したからじゃよ」
 振り返ったユリアンにそう言っていたずらっぽく笑うフランツ。
「精一杯、守ってあげなさい。そして守られてきなさい。
 なぁに、言葉なんてものはどうとでも繕えるが、己の心は理屈じゃどうにもならなくなる瞬間がくるもんじゃ」
「……はい」
 ユリアンはもう一度深く頭を下げて、今度こそ前へと歩き出した。
「……あ。虹、です」
 小夜が指差す先、東の空に美しい虹の橋が架かっていた。
「おー、久しぶりにみたなー」
「……綺麗だね」
 立ち止まり、暫し虹に見とれる。

 歌を取り戻して伸びやかにひたむきに声の限り歌を届ける彼女に、自分が出来る事があるのだろうか。捧げられるものがあるのか。
 ――人ひとり守る事さえままならないのに。

 ユリアンは虹に手を伸ばして良いのかすら迷う。
 迷ってばかりの人生だ。
 それでも、いつか答えを出さなければならないと、知っている。
(彼女も、この虹を見ているだろうか?)
 こんなにも思い浮かべるのはただ一人なのに。
 ユリアンはまだ言葉にできない想いを抱え、前を向いて歩いて行く。



●紫陽花の咲く庭で
 街から離れた森の近くに、一軒の質素な家がある。家と一言で言うが、様式はクリムゾンウェストでは珍しい日本家屋。そこが、氷雨 柊(ka6302)の自宅だった。
 珍しく良く晴れた朝だった。梅雨の晴れ間だと喜んで洗濯をすませ、掃除をして、お昼を済ませ、最愛のクラン・クィールス(ka6605)が訪ねてきてくれて、2人揃ってほっと一息入れたところだった。
 お茶を啜りながら、気がつけばいつの間にか鳴き出した蛙の合唱に耳を傾け、「あら、雨の匂いがしますねぇ」「道中、雲1つない青天だったのにな」などとクランと話していたら、一気に降り始めてしまって、慌てて洗濯物を取り込み、ガラス戸を閉めて回ったのが先刻。
 何とか濡れずに済んだ洗濯物を畳みつつ、それでも久しぶりに訪れたのんびりとした時間を二人楽しんでいた。
 雨音が瓦に、雨どいに、木々に、大地に降り注ぎ、音を奏でるのを聞く。
 そう、柊がこんな雨の時間を穏やかに過ごせるようになったのはクランのお陰だ。だからこそ、この時間はより一層愛おしいものとなる。
 一方でそれはクランにとっても同様だった。
 ついに方針は下った。こうやって二人で穏やかに過ごせるのは、邪神との決着が着くまでもう数えるほどしかないのだろうことは想像に難くなく、最悪の結果を思えば今日が最後になる可能性すらある。
 先日、とても無関係とは思えない凄惨な夢を見た。決断の結果を受け、それは夢ではなく現実になろうとしている。
 以来、浅い眠りを繰り返し、無辜の人々を見れば夢の内容を思い出す。自分がそんな繊細なタイプだとは思っていなかったが、ここに来る道中、柊と同じくらいの背丈の少女を見かけたときが1番堪えた。
 ――違う、あんな未来を望んで俺はこの選択をしたんじゃ……っ!――
「はにゃ、クランさん! お外! お外見て下さいーっ」
 いつの間にか洗濯物を強く握り締めて固まっていたクランは柊の声にハッと顔を上げて、柊を見て、外を見た。
「ん……あぁ、本当だな。強い雨だったし、いつ止むやらと思ったが……」
「ふふ、すっかり上がりましたねぇ、雨」
 柊に誘われて縁側へ出れば、湿った風が頬を撫でた。
 雨水を湛えて光る薄紫の花と深緑の葉と水たまり。そして、目の端に大きな虹を捕らえ、クランは思わず吐息を零した。
「……ん」
「にゃあ?」
 小さく声を漏らしたクランに首を傾げつつ視線を向ける柊。その表情を見て、クランは目尻を和らげて空を指差した。
「あぁ、いや。虹が架かっているな、と。……綺麗なものだな」
「あぁ! 本当ですねぇ」
 指差され、初めて虹に気付いた柊は感嘆の声を上げて頬を緩ませる。
 先ほどまでの曇天は何処へやら。青い空に浮かぶ虹はあまりに美しく。
 暫く二人は無言で虹を見上げていた。

 小さなアマガエルが紫陽花の葉の上に飛び移り、ケロケロと小さく鳴き、そよそよと先ほどまでの雨のなごりを感じさせる涼風が日本家屋を駆け抜けていく。

 沈黙はクランの独り言とも取れる言葉に破られた。
「……世界が苦難の道程を進むと決まっても、何も変わらない。まるで……そんな現実は幻だったんじゃないかと思うくらいに」
 その声があまりにも苦しそうで。柊は喉の奥がきゅっと閉まる。
「……後悔、してますか? 世界の選択に。……自分の、選択に」
 ぽつり、花が落ちるように零れた問いに、クランは頭を振って答える。
「……まさか。ただ、少し……何事も無い世ならばと、そう思いはするさ。
 街に行けば、作戦の事を知らない連中がいつも通りの日常を過ごしている。あの綺麗な虹の様に、何一つ変わらずに。
 世界も、ハンターも……俺達も。そういられたんなら、何れ程良かったか。……考えても仕方のない感傷だがな」
 あの凄惨な夢の内容は、とても柊に語る気にはなれない。
 それ以前にも、実際に凄惨な現場を目撃したことはあったし、ハンターになってから幾つもの戦場を駆け抜けてきた。
 結果的に“そうなってしまった”ことはあっても、最初からその凄惨な経過が分かっていて、それでも選択しなければならないという現状は、クランにとっても初めての体験で、思わず弱音が口をついた。
「……そう、ですねぇ。いくら考えても仕方ないけれど、でもやっぱりちょっぴり考えます」
 柊はクランを見つめ、その苦悩を受け止め、小さく頷き苦笑を浮かべると再び虹へと視線を移した。
「だって、もしそうあれたなら。こんなに不安になることも、怖がることもなくて済むから」
 己の指先でそっと唇を触れた。整えられた指先には今は淡い青から紫のグラデーションが乗っている。紫陽花とクランの瞳をイメージして描いてもらった爪先だった。
 ちょっと引っかければ傷付いてしまう爪先、それはクランの今の瞳に似ている気もしてきゅっと握り締める。
 大切なものを失うという体験は柊にとっても身近すぎた。
 過去の体験はもちろん、普段はこれ以上考えないようにしているが、エルフの柊と人間のクランとではそもそも寿命が違いすぎる。
 人間とエルフのハーフとは言うが、外見上エルフの特徴が濃い柊は間違いなくエルフの血を引いていて。
 大切な者が出来た今、エルフという種族の大半が外界(多種族)との接触に否定的な理由も否応なく分かってしまった。
「……本当に、そうだったら……良かったのに」
 エルフより寿命が長い種族を探すほうが困難な程だ。結果必然的に大切な人を見送る側になる。平穏な世界ならなおのこと。
 自分より先に老い、死んでゆく愛しい者を見送り、その後は清浄な森の中で隠居生活を強いられ数百年を生きる。それを生き地獄と言わず何と喩えるのか。
 外界との交流を制限した理由には「これ以上悲嘆に暮れる仲間を作らないように」という優しさが逢ったのでは無いかと思い至った。
 だからこそ、知らない方が良かったのでは無いか、という思いは消えない。
 種族の違いも、世界の危機も。何も知らないままだったなら、こんな思いはきっと知らずにすんだ。
 ……でも、ハンターになったから、クランに逢えた。それは抗いようのない事実で。色々な事を知り、悲しい別れを経ても立ち直れたのはクランのお陰で。
 だから、完全に否定しきれない柊がいることもまた事実だった。
「……さっきの。後悔がどうのという話だが。……この先に不安はあったとしても、選択に後悔はないよ、俺は」
 そんな柊の胸中を察した訳では無いが、クランは努めて悲愴さを消そうと強く両目を瞑った後、前を睨み付けた。
「数え切れない程の知らない顔が……赤の他人が死んでいく。ともすれば、知っている誰かすら失うかもしれない」
 夢で見た無辜の人々の死に様が目に浮かぶ。この数日、幸せな眠りにつけていない程度にはクランもまた疲弊している。
「……世界が"変わらない日常"すら叶えてくれないのは、とうの昔に知ったことだ」
 脳裏には失った故郷の村。生前の顔を思いだすのが困難になるほどに惨殺された家族の姿。以来、心をすり減らし、生き抜くだけの日々。そんな中出逢った、愛おしい笑顔。
 クランは柊に不器用な笑顔を向ける。
「それでも……何を失おうとも。柊が安心して、幸せに生きられる未来を手にする」
 宣言して、手を伸ばす。届かない虹へ。握り締めてもそこに虹はない。それでも、未来を掴み取るのだとクランは強く誓う。
「それは、未来へ問題を先延ばしにする……お前が不安を口にしていた封印でも、来るかどうかも分からない未来に全てを投げ出す恭順でも出来ない事だろう」
 だから、後悔などないとクランは言い切る。
「……ん、私も。後悔はありません。不安だし、失うことはとても怖いけれど。でも隣にクランさんがいるから、大丈夫。ちゃんと前を見ていられます」
 クランの二の腕をぎゅっと握り、その肩に額をそっと寄せた。
 いつか来る“その日”を恐れるよりも、今ある幸せを全身全霊で愛したい。きっと、母もそうだったのだろうと思うから、柊はこの選択を間違ったものにしたくない。
「それに何があっても前に進めたなら、未来があるから。貴方と安心して共にいられる未来が。
 だから、私も何を失ったとしても……知ってる人がいなくなったら泣いちゃうと思いますけれど、それでも立ち止まることはしないです」
 じわり、と柊の目の端に滲んだ輝きを人差し指でそっとすくい上げて、クランはその真っ直ぐな瞳を柊に向けた。
「共に生きて、俺の手で幸せにする。約束は違えないさ。……必ず」
 触れた指先の熱と真っ直ぐな瞳に射抜かれて、柊は頬を赤らめたあと、ふわりと微笑んだ。
「……なら、クランさんを幸せにするのは私ですね。変わらない日常……世界が叶えないのなら、私たちの手で叶えましょう?」
 お互いの頬に手を添えて、そっと額をくっつける。互いの熱が混じり合い、そして心の奥に炎が灯るのを感じる。
 そっと瞼を開けた柊が、至近距離にあるクランの閉じられた双眸と長いまつげを見つめ、笑みを深めた。
「今こうして虹を2人で見たように……まだまだ貴方と見たい景色も、作りたい思い出も、沢山あるはずだから。
 ……だから、クランさん。私とこの先も、一緒に生きてください」
 一心同体などなれない。けれど、死がふたりを分かつまで。
 平穏で穏やかな日々が、いつかおじいちゃんになったクランと外見年齢は重ねられても共には死ねない柊を寿命という運命が引き裂くまで。
 ……そして、引き裂かれた後も、その想い出を幸福と思い返せる日々になりますようにと柊は祈る。

 衣擦れの音と縁側の軋む音。
 紫陽花の葉からアマガエルが跳んだ。
 葉が揺れて零れた雫が、水たまりに波紋を描く。
 揺れる水面に、静かに身体を寄せ合う二人の姿が映っていた。


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  • 抱き留める腕
    ユリアン・クレティエ(ka1664
    人間(紅)|21才|男性|疾影士
  • きら星ノスタルジア
    浅黄 小夜(ka3062
    人間(蒼)|16才|女性|魔術師
  • 一握の未来へ
    氷雨 柊(ka6302
    エルフ|20才|女性|霊闘士
  • 望む未来の為に
    クラン・クィールス(ka6605
    人間(紅)|20才|男性|闘狩人

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ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2019/06/13 22:51:56