Duvet

マスター:ことね桃

シナリオ形態
イベント
難易度
易しい
オプション
参加費
1,000
参加制限
-
参加人数
1~25人
サポート
0~0人
報酬
無し
相談期間
5日
締切
2019/06/26 12:00
完成日
2019/07/09 10:31

このシナリオは5日間納期が延長されています。

みんなの思い出

思い出設定されたOMC商品がありません。

オープニング

●それは雨が降るから

 6月下旬。
 時折薄く晴れたかと思えば、その数十分後にはざっと雨が降る。
 そんな冴えない天気ばかり続く日のこと。

 コロッセオ・シングスピラの屋内練習場では軍人が筋力トレーニングに打ち込み、
 幹部候補の若者達は指揮のシミュレーションに励んでいた。

 しかし絶火の騎士フリーデリーケ・カレンベルク(kz0254)は珍しく布団に包まって眠っている。
 彼女には邪神戦争を前にやるべきことがたくさんあるのに。
 それは歪虚を倒すことで信仰を集め多くの民から力を貸してもらうこと。
 そして自分自身の戦術を磨くこと。
 だけど今日はなぜかひどく寒くて、人肌が恋しい。
 原因はわかっている。自分がひとりじゃなくなったからだと。
(……こんな雨の中じゃ誰も来ないんだろうな。
 だからといって私が演習に出ても……軍人達は遠慮するばかりだしな……)
 旧い時代の英霊が相手をするとなれば、軍人達はどこか遠慮がちに引き下がる。
 結局は昔覚えた斧を用いた演舞を見せ、斧の扱い方を教えるぐらいしかやることがない。
「歪虚が出ればな……討伐に行くんだが」
 先ほどオフィスに向かったものの、こんな日に限ってこれといった事件は起きていなくて。
 戦うしかできない自分には……今日は何もできない日になってしまった。
 ぼんやりとした心とぼさぼさの頭のまま、ひとりで熱い紅茶を淹れる。
(ひとりだと……なんだかつまらないな)
 空になったカップを水に浸し、フリーデはまた布団の中に包まってしまった。


●びしょびしょの花の精霊

「ファー! 雨ハオ花ヲ元気ニシテクレルケド……私ハオ水ガ苦手ナノヨー!」
 とつぜんの雨でびしょ濡れになったフィー・フローレ(kz0255)がコロッセオに飛び込むと、
 精霊の世話役を務める少女メルルがリネン室から大判のタオルを持ち出した。
 すっかり湿り気を帯びた毛をタオルでほぐすように拭きながら彼女が言う。
「フィー様、大丈夫ですか?
 寒いでしょう、すぐに客室の暖炉に火を入れますからね。お風呂の準備もしましょうか?」
「ウン、アリガトウナノ……」
 何しろフィーの体はコボルドが基になっている。
 本質は水に強い地の属性であれど、じっとりとした感覚はやはり苦手らしい。
 それに水を含むと普段はふっくらした長い毛がすっかり萎れ、
 もはや別の生き物のようになってしまうのも困りものだ。
 そこでメルルが提案する。
「雨が止むまで客室でお休みになってはいかがでしょう。
 お風呂で体を温めて、ぐっすり眠ればその間に雨はきっと止んでいますよ」
「ウン、ソレジャチョットダケ雨宿リサセテモラウノ。
 アトネ、私ノヨウニ雨デ困ッタ子ガイタラ助ケテクレルト嬉シイノ……」
「はい、それはもちろんです。
 今も火や光の精霊様達はこちらで休養されているんですよ。早く梅雨が明けるといいんですけどね」
 こくんと頷くフィー。メルルの手にひかれ、小さな背中が浴場に入っていった。


●薄暗い空の下で、光り輝く者は

『はぁ……空に太陽がないっていうのはこんなにしんどいものなんだねェ』
 そう言って管理小屋のベッドで寝転ぶのはローザリンデ(kz0269)。
 彼女は光の精霊であり、光がなければ力が弱り――暗闇の中では顕現ができなくなる。
 毎日が濃い雲に覆われる日々ではいつもの威勢のいい姐御肌も精彩を欠き、
 残っている力を使わずに済むよう小屋の照明の下で大人しく寝ているばかりだ。
(……正直、この時期は本当に困ったもんだよ。
 そりゃまぁ、棺の中に入ってた頃よりはずっと体が楽なんだけどさ……)
 そもそも昼間の外よりも部屋の中が明るいという状況がおかしい、とローザが唇を尖らせた。
 照明に向けて手を伸ばしてみればはっきりとした影が自分の顔に落ちてくる。
 ――本来ならこれぐらいの光がいつも外に満ち溢れているはずなのにさ。
 その時、真っ黒な雲の谷間から激しい光が部屋を強く照らし出した。雷だ。
 続けて空を引き裂くような轟き。
 公園からは精霊達が息を呑む音と、外の通りからは人間達の騒めきが聞こえる。
 そしてバケツをひっくり返したような雨が屋根と大地を叩きつけるように降り出した。
 ローザは気だるさを忘れ、窓を全開にすると
「アンタたち、コロッセオに避難しな。このままじゃ風邪をひいちまうよ!」と叫ぶ。
 そしてふらりとベッドに倒れ込み――再び照明のもとで意識を繋いだ。
(もう少しで梅雨も明ける。
 その頃には邪神戦争も本格化するかねェ……それまでには本調子にしないといけないんだがねェ)
 気に入りの煙管を吸う気力もなくうとうとし始めるローザ。
 彼女は早くこの黒雲がきれいさっぱり消えるようにと重いながら――目を瞑った。


●雨が運ぶ匂い、音、そして切ない気持ち

 こんなダウナーな天候が続く季節。
 あなたはどんな風にお過ごしだろうか。
 精霊達のように眠る?
 自室で物思いに耽る?
 友人や恋人と穏やかな時間を過ごす?
 雷雨に負けず外出して楽しい時間を過ごす?
 それとも強雨の中だろうとその冷たさに打ち勝つ心で自らを鍛え上げているのだろうか。
 ……いずれにせよ、平穏な時間は残り僅か。
 あなたのために使う時間を少しだけ――覗かせてほしい。

リプレイ本文

●Case1.ミグ・ロマイヤー(ka0665)の場合

 大粒の雨粒が工房の屋根を激しく叩く。
 だがミグはそんなことを一切気にせず、愛機たるCAM達の整備改造に集中していた。
 作業場のデスクに広げられているものは新しい改造計画の設計書と、
 付箋がびっしり貼られたリアルブルーのSFコミック。
 彼女はそれを捲りながら愛らしい唇をツンと立てる。
(この漫画に描かれている変幻自在のコンビネーション、手持ちの機体で再現するには苦しいのう。
 ……マスティマがあれば実地検証に踏み込めるんじゃがなぁ)
 大精霊から借り受けることでしか搭乗できない伝説のCAM・マスティマ。
 彼女は工房に空けた大きなスペースを見ると小さくため息を吐いた。
「……マスティマの機体サイズと重量は確認済。
 奴めの専用スペースも設けたというに……貸し出しに必要な要件が揃わぬ。
 既に実戦配備され中には専用機として整備された機体もあるという。
 だのにミグは申請すらまかりならん。つまらん、つまらんのう」
 そうぼやきながらも愛機の挙動を確認し、設計書に思いついたアイデアを次々と書き込んでいく。
 その点においてミグはやはり非凡な技術者であり、優れたパイロットに他ならなかった。
 ――その時、工房の扉が重い音を立てて開いた。
「ご苦労様です、お届け物です。……ああ、こんな雨の中でもお仕事頑張っておられるんですね」
 ハンターオフィス所属の配達員が小包をミグに手渡す。彼女は受領サインを記し、胸を張った。
「雨じゃろうがなんだろうが己の使命に関係はなかろう。そなたも役割がある以上はそうじゃろ?」
「そうですね、僕の仕事がお役に立つのであれば」
 雨合羽を被ったまま頭を掻く配達員。ミグが「うむ」と頷く。
「そなたが今日のうちにこれを運んだがゆえに、ミグの研究も大きく一歩進むというわけじゃ。
 ……ミグは愛機達の整備改造で毎日忙しい。じゃが寝る暇も惜しいぐらい力が漲っておる。
 寝落ちなんぞ当たり前。機体も一日とて同じ姿・同じ機能であったことなんぞない。
 そうさな、これは仕事ではなく、生命活動の一環とも言えるじゃろう」
 小包にはCAMの改造に必要なパーツが梱包されている。
 彼女の真剣なまなざしに配達員が「いいなぁ」と声を漏らした。
「あん?」
「あ……いえ、何でもありません。それでは他の地域も周りますので、今日はこれでっ!」
 どこか忙しない様子で退去する配達員。ミグは小首を傾げたが、すぐに作業を再開する。
(……まぁ、それよりも何よりもまずはマスティマの分解じゃな。
 あの高度なトレース機能、そして一騎当千の戦闘能力には正直……惹かれるものがあるわえ)
 以前目にしたマスティマの仕様書を諳んじ、心を躍らせるミグ。
 早速先ほど届いたパーツを愛機に組み込んでいく。
 結果、機体の反応速度がかなり向上した。
 本来は背部と脚部のバーニアも総交換したかったのだが、細かな調整でここまでできたのなら十分だろう。
 眠気覚ましに珈琲を淹れたその時、工房のドアがノックされた。
 ミグが顔を出すと先ほどの配達員が頬をわずかに上気させてこちらを見ている。
「何じゃ。また届け物か?」
「あ、いえ。配達が終わったので。ここから整備の様子を見せてもらっていいですか?」
「……?」
「実は僕、CAMが好きなんです。でも覚醒者の適性がなくて諦めていたんですが……。
 ロマイヤーさんの工房ではCAMそのものが見られますから、つい惹かれてしまいまして」
「それならそこで突っ立っておるより中に入れ。精密機器に湿気は天敵だからの」
「えっ、いいんですか!?」
「モノに触らなければな。……それよりもそなた、CAMに携わる道は無数にあるのじゃぞ?
 例えば正しい知識と技術が備われば技師となれよう。
 勝手に諦めて遠巻きに眺めるより、自分の可能性を突き詰めればいくらでも道は開ける。
 それこそ眠る暇など勿体ないと思えるほどにな」
 にやり、と不敵に笑うミグ。配達員は彼女の言葉に心を大きく昂らせ、目を輝かせた。
「そうか、その道があったんだ……。ロマイヤーさん、詳しくそのお話聞かせてください!」
「いいじゃろう、少しぐらいならな」
 ミグが来客用のマグカップに珈琲を注ぐ。たまにはこんな日があってもいいだろうと思いながら。


●Case2.時音 ざくろ(ka1250)と白山 菊理(ka4305)の場合

 ここはざくろを中心とした冒険団の拠点。
 拠点の主・ざくろはリビングで先祖の遺品である手記を読みながらソファへ物憂げに身を沈めた。
 そのパートナーである菊理は冒険団の仲間達が全員外出したのを確認するや、レースのカーテンを閉める。
 その時――ざくろは外の木々や草花を揺らす雨の音に耳を傾けながら呟いた。
「こう雨が続くと外にも行けないし、ちょっと退屈……
 だからざくろはあんまり雨が好きじゃないんだけど、菊理は?」
 冒険心あふれる彼に菊理はいつもの落ち着いた物腰でコーヒーポットと揃いのカップを運ぶ。
「雨は嫌いじゃないかな。こうして雨音を聴きながら目を閉じていると、リラックスできるんだ。
 ……とはいえ、湿度が高いのは勘弁かな」
 菊理が胸元をゆるめ、ソファに座る。
 ブラウスの間からやや汗ばんだ白い谷間が露わになったが、夫婦として気心の知れたふたりのこと。
 自然に肩を寄せ合うように座り、手記を眺める。
 菊理が淹れた珈琲は豆の選び方も淹れ方も良いのだろう、
 程よい苦みと酸味が梅雨でぼんやりとした頭を醒ましてくれる。
「……菊理の淹れてくれた珈琲はやっぱり美味しいね。本当に美味しい」
「それはおそらく、君との付き合いが長いからだ。私の作るものが自然と君の喜ぶ味になったんだろうさ。
 人の舌……特に珈琲の好みは千差万別だ。
 その中で君好みの味になったのは、君を喜ばせたいと私が無意識に想っているからだろうな」
 ふふっと笑い、珈琲を口にする菊理。
 自身もそれを美味いと感じるあたり、夫の趣味に染まったのだろうと恥ずかしげに胸へ手を当てる。
 そこから始まる他愛のない会話。菊理の料理の話、ざくろの夢の話、冒険の話。
 そして最近の依頼の話から始まり――最終的にどちらともなく「これから」について語り出す。
「ねえ、これから世界の未来をかけた戦いが始まるけど、絶対に生きて帰って一緒に未来を掴み取ろうね」
 カップを置いて、菊理の肩を強く抱くざくろ。そんな夫に菊理が微笑んだ。
「ああ。こんなところで死んでしまうつもりはないさ。
 ……ふふ、でも皆にも同じことを言っているんだろう? 悪い男だ、君は」
 ざくろの形の良い鼻をつん、と白い指先がつつく。
 彼は一瞬バツが悪そうに苦笑したが、すぐに菊理の目をまっすぐに見つめた。
「そうだね、ざくろ達全員がこの世界の神秘と謎を求め、
 今では世界を救うために結ばれているかけがえのないパートナー。
 誰ひとりだって欠けるのは許せないし、大切に思ってるのは本当だよ」
「ふむ……そうやって甘い言葉で包み込むんだ。そういうところがやはり悪い男だというのだよ?」
 艶やかな唇を三日月の形にした途端
「そんな悪い子には御仕置きだ」とソファに膝をつき、ざくろの首元を吸う菊理。
 そこでざくろは愛妻の細腰を抱くと、まっすぐに見つめながら優しい声で続けた。
「皆が大切なことは否定しないよ。
 それでもね、ざくろはこれからもずっと菊理と一緒に歩んでいきたいんだ。……後ね?」
「何だ?」
 するとざくろの唇が菊理の耳元に寄せられる。柔らかな声が甘い吐息とともに菊理の耳に届けられた。
「……ざくろ達の子供も欲しいな」
 ざくろの顔はまるで熟れた林檎のように赤い。一方で菊理は真面目な娘だ。
 赤面しながらも彼の願いに一言一言考えながら言葉を紡いだ。
「う……ん。子供は……そうだな。順番というものがあるからな。
 もし作るとしたら世界が平和になってからの方が良い」
「平和になってから……。そうだね、君の体が第一だもの」
「何より戦で荒ぶる心身よりも平穏の中で深い愛情を受けた方が優しい子になるだろう。
 君と私で設ける大切な子だ。それだけは譲れんよ」
 そう言って菊理は肉付きの薄い腹部をそっと右手で撫でた。
 ざくろもまた、菊理の右手に自身の華奢な手を重ねる。
「約束だよ、菊理がいなくなったらざくろはその夢が叶えられなくなる。
 ざくろは必ず生き残るから……菊理も絶対に……」
「ああ、私とて君と様々な冒険という名の修羅場を潜ってきた身だ。この戦も必ず乗り越えてみせるさ」
 ざくろの手に左手を重ねて包み込む菊理。
 その微笑みには柔らかな母性が芽生えつつある。
 菊理のその温かみにざくろは安堵し――彼女の肩にそっと頭を擡げた。
 この愛おしい女性とふたりっきりになれるのなら、たまには雨の日も悪くはない。


●Case3.アウレール・V・ブラオラント(ka2531)とツィスカ・V・アルトホーフェン(ka5835)の場合

 ここはブラオラント家の別邸。
 無数の書物が並ぶ書斎でアウレールは部屋の片隅に置いたソファで戦史書を読んでいる。
 そこにツィスカが紅茶に季節の果物を添えて、テーブルに並べた。
「……決戦前夜と呼ぶには憂鬱な天気ですけれど、束の間の休息には丁度良いと思えば気も晴れましょうか」
「ああ、幸いにも今日は歪虚による事件は起きていないらしい。
 ……時にツィシィ、今日ぐらいは貴女もゆったりと休め」
 アウレールが己の隣の席を軽く叩いた。
 そっと腰を下ろすツィスカの頬がほのかに赤く染まる。
 そこでアウレールが戦史書に視線を戻し、口を開いた。
「……雨は嫌いじゃない。雨音は喧噪を掻き消し、物思いに浸らせる。
 降っては流れる水のように、思索が浮かんでは消えるのだ」
「思索、ですか。我々の往く道が決まっても、それでもなお想いに耽ることがあると?」
「ああ。同じ祈りを抱けど道を違え、交わらぬ敵の事。
 朽ちた願いを宇宙ごと改めんとする、これからの戦いの事。それに……」
 言葉を紡ぐ毎に巡る思考とあふれ出す願い。
 ――それがひとつの存在に行き当たった途端、瞳も脳も……書を捲る手さえも止まった。
「どうなされたのです?」
「ああ、何でもない」
 アウレールは目を伏せ、良家の令嬢らしく脚の上で重ねられたツィスカの白い手に視線を送る。
(どうしてだろう、ここで思考が止まる。私の目の前にいる彼女を考える度に。
 私を信じ、追い続ける存在に……何と応えれば良いのだろう。
 こうして過ごすのなら、甘い言葉のひとつでも囁いた方が良いのだろうか)
 ある黙示騎士との対話でも実感した、想いを言葉で伝える難しさ。
 今までアウレールは様々な武具と戦術を駆使し、あらゆる敵を駆逐した。
 しかしその明晰な頭脳もこの女性の前では不器用に沈黙してしまう。
「アウレール殿、いかがなされましたか……?」
 言葉を紡げぬのなら、とアウレールがツィスカの手をとる。
 ツィスカの髪が揺れ、花のように芳しい香りが彼の鼻を刺激した。
 しかしツィスカは小首を傾げたままで。
 アウレールは彼女の青い瞳を見つめ、心の片隅で願う。
(よもや伝わらぬか、私の想いが……いや、それは愚にもつかぬことだな。
 この本にも想い人への言葉の掛け方など、書いてあるはずもない……)
 そもそもこの書斎に置いてある本には政略結婚や家系図の記録以外、男女間に纏わる記述がない。
 自分は目の前の女性を喜ばせる言葉さえも思いつかないのか。
 彼は胸のうちで苦笑するとツィスカの手を解放し、暖炉の隣に積んだ薪を暖炉に入れた。
「今日は冷えるな。今、暖炉に火を入れよう」
「お心遣い、ありがとうございます」
 健気に微笑むツィスカに頷き、アウレールは黙々と暖炉の支度をする。
 その間に彼は――自分の本心に気がついた。
(ああ、語彙が足りないのではない。
 本心故に口から出ないのだ。仕事で囁く『甘言』なら千と一夜でも紡げようものを)
 先のエリザベートとの茶会では社交人を気取り、男の喜ぶ服や仕草を事細かに語ることができた。
 要は知識がないわけではない、口にしようとすれば幾らでもできる。
 それでもツィスカの前となると朴訥な男になってしまうのだ。
 一方、ツィスカは火掻き棒を扱うアウレールの背を切なげに見つめた。
(アウレール殿は内省的な部分があるのでしょうか。
 私には本当のことを伝えてほしいのに、いつも肝心な部分に踏み込もうとすると口を噤まれる。
 それが例えどれほど残酷なことであっても私は受け止めますのに……)
 そこで暖炉に火が行き渡ったのを確認するや、再びソファに座るアウレール。
 ツィスカはカップをテーブルに戻すと、彼が戦史書を手にする前に腰を落とし、彼の手を握った。
「……貴方の胸のうちに秘めたものは私では上手く答えを出せないかもしれません。
 それでも言葉にすることでお心を少し軽くできるかもしれません。……どうか私に、真なる想いを」
 ツィスカは悩み続けている自分が愚かだと思っていた。
 それでも挫けずに力を尽くさねばとも思っている。だから今日こそは、諦めない。
 アウレールは自分を見上げる彼女の真っ直ぐな瞳に心を暴かれるような感覚を覚えた。
 そのために己の感情を言葉に変えていく。ひとつひとつ、丁寧に。
「私は貴女の実直な精神を尊く……その潔さと強さも守らねばと思っている。
 それ故に私自身も誠実であらねばならないのだ。貴女に嘘を吐くことはできない。
 真実を話さねばと思うがゆえに……伝える言葉を選ぶようになる。交わす約束にも慎重になる。
 だからこそ全てを終わらせなければ伝えられぬ……そういう想いがあるのだよ」
 その言葉にツィスカは身体に眩い光が奔るような感覚を覚えた。ようやく、悟った。
 彼がそこまで覚悟して胸に秘めた言葉は、自分に対しても大きな意味を持つものなのだろうと。
「アウレール殿がそこまでお覚悟を決めているのでしたら……
 私は最後まで貴方の背と帰るべき場所を守り抜きましょう。
 帝国軍人としての責務のみではなく、貴方の本当の想いを聞くために……」
 アウレールは彼女の髪を何度も撫でながら本心を語れぬ痛みを胸に……愛しさと尊さを何度も感じた。
(……ツィシィ、感謝する。やはり貴女は私を照らす大輪の銀華なのだな)
 これから大きな戦いが始まる。
 守護者たるアウレールは常に最も危険な戦場で戦うことになるだろう。
 次にふたりで会えるのはいつの日になるのか。
 ツィスカは彼が言葉を紡げるようになる日まで、いつまでも彼の大きな背中を追い続けたいと思った。


●Case4.サクラ・エルフリード(ka2598)、そして鞍馬 真(ka5819)の場合

「エクラの神よ、そして数多の精霊よ……どうか我々を正しき道へ導きたまえ……」
 ここは街角にある小さな教会。
 サクラは日課の祈りを捧げると外に出て、止まることのない雨音にため息を吐いた。
(今日も雨、ですか。鍛錬には不向きな天気ですね。依頼も急ぎの案件はないようですし。
 ……たまには散歩でもしましょうか。戦に向けて準備するものもありますしね)
 ハンター専門のショップを巡り、戦に必要な道具を揃えていくサクラ。
 そんな時、町はずれにあるコロッセオから威勢のよい掛け声が聞こえてきた。
(……? コロッセオから大勢の声が聞こえますね。何か催しでも……?)
 コロッセオを警備する軍人にさりげなく尋ねてみれば、
 今日は帝国軍の師団の精鋭たちが集まり合同訓練を行っているという。
「雨の日でも訓練しているのですね……。私も混ざっても大丈夫でしょうか……?
 こういう日は身体を動かした方が気が晴れますし……」
 軍人はサクラの提案に満面の笑みを浮かべて歓迎した。
「ええ、喜んで! 実戦経験の豊富なハンターから指導や手合わせを受けられるのは貴重な機会です。
 今も訓練に協力してくださっている方がいるんですよ。そちらも腕利きの方で、本当に助かっています」
 自分の他にも同じことを考えていたハンターがいたとは。サクラは真面目な顔を僅かに緩ませた。
「そうなんですか、ありがとうございます……。それでは私も力を尽くしてみせましょう……」
 その頃、コロッセオの屋内闘技場では次々と軍人達が真へ打ち込みを試みていた。
 全員が訓練用の武具を身に着けており、真も刃を潰した剣で対応する。
 まずは右の剣で大業物の太刀をいなし、左の刃で矢を弾き返した。
 しかしその間に懐にナイフを持った疾影士が飛び込み、彼の脇を突く。
「……っ!」
 急いて疾影士から距離を取り、
 左右の軍人を牽制するもそれでも彼らは餓狼のように攻めの手を緩めない。
(なるほど、これが軍人の戦法か。数が多いからこそ互いを守り、力を結集して強者を倒す。
 ……統率の取れた狼のようだ。私本来の剣術がどこまで通用するか……!)
 真は勝敗にも自分の強さの誇示にも拘らない。
 ただただ「知らない戦い」を知るために真摯に「学ぶため」に剣を振るう。
 彼は軍人の攻撃をできる範囲でいなし、
 威力の低い攻撃は敢えて受けながら、二刀流で相手の手を打ち怯ませた。
 しかし軍人達はむしろ次々と息を合わせて真に攻撃を仕掛ける。
 途端に体へ鋭い痛みが奔った。それでも真は剣を振るい続ける。
(私に立ち止まっている暇はないんだ。進み続けなければ……!)
 後方から斬りかかった軍人を剣の柄で小突き倒し、
 前方から槌を振り上げた軍人の足を剣の峰で薙ぎ転倒させる。
 まだだ、まだ鍛えねばと彼は剣を強く握った。
 ――と、その時。闘技場に警備役の軍人が華奢な少女を連れてきた。
「鞍馬さん、聖導士のサクラさんがお見えになりまして共に訓練をされたいそうです。
 ですので集団での模擬戦はおふたりを分けたチーム戦で行いませんか?」
「それはありがたい話です。
 今後は帝国軍の皆さんとの連携が欠かせなくなります、対抗戦はよい経験になるでしょう」
 快諾する真にサクラが柔らかな笑みを向けた。
「今日はよろしくお願いします……」
「こちらこそ。互いに良い経験になるよう、ベストを尽くそうね」
 ふたりは握手を交わし、それぞれの陣営に離れる。
 そして模擬戦が開始されるや、
 どちらにも熟練のハンターが属しているためか軍人達の士気は高く早々に激しい打ち合いが始まった。
 真が二刀流で斬り込む間に、サクラが仲間の傷を癒し、プルガトリオで敵陣に足止めを施す。
 真側の隊長が荒い息を吐きながら指揮刀を前方に突き出した。
「あちらは守りに長けている。全力で敵の守備を貫くぞ!」
「「おお!」」
 真っ先に前に出たのは真。彼は仲間を庇いながら前のめりの攻撃的な戦を展開した。
 彼に続いて軍人達は粘り強く侵攻、サクラ所属の隊と拮抗する。
 激戦の中、真はこの訓練に参加できたことに深く感謝した。
(最近の戦いで心が無力感と焦燥で一杯だった。今、無心に身体を動かせる場があるのがありがたい!)
 ――結果、模擬戦は時間切れの引き分けとなった。
 攻撃に特化した真と、守りに長けるサクラの存在はその結果に大きな影響を及ぼしたようだ。
 真が帰り際にどこか吹っ切れたような笑みを浮かべ、軍人達に一礼する。
「ありがとうございました。戦場では帝国軍の皆さんのお力が頼りです。
 これからも宜しくお願いします。それとサクラさん、良い試合をありがとう」
「いえ……こちらこそ。強い方との手合わせは貴重な機会です……。
 兵士の皆さんにもお力添えいただき感謝しています……」
 そこに軍人達がふたりに敬礼した。
 決戦まで残り僅か、彼らもより強くならねばと気負っていたのだろう。
「我々もより精進し、必ずやハンターの皆様を邪神めにこの手が届かずとも
 皆様が戻られる地を守ってみせましょう。どうか、御武運を!」
 こうして帝国軍の訓練は終わった。そこでサクラが女性士官を呼ぶとそっと耳打ちする。
「あの……浴場をお借りできないでしょうか……。
 存分に訓練を行ったもので、汗でびっしょりなのです……」
 やはりサクラは年頃の女の子だ。士官は快く彼女を1階の浴場へ案内した。


●Case5.Gacrux(ka2726)の場合

 Gacruxは寄宿先の部屋を黙して掃除していた。
 以前は借家暮らしをしていたが、こちらの方が自由が利くと彼は言う。だが、そもそも。
(俺は一所にいると飽きてしまう性分……
 邪神戦争が終わる頃にはまた別の居場所を求めるようになるかもしれませんね)
 そんな放浪を求める気分に合わせ、旧い時代の詩人が残した詩を口ずさむ。
 孤独に旅を続け、最期まで詩を紡いだその詩人はどのような心境にあったのだろう。
 彼の詩は時や季節の移ろいを繊細に描いているが、どれも共通してそこに自分はなく――物悲しい。
 自分は彼と同じようにこれからも居場所を変えながら生きていくのだろうか。
 もし「あの人」が自分とともにあるのなら、居場所がどこだろうと心が安らいだだろう。
 もし「あの人」が隣で笑ってくれるなら例えどこにいても飽きなかっただろう。
(……何を考えているんでしょうかね、俺は。
 もう我々の道は決まった、彼女はそれを受け入れることができなかった。……それだけなのに)
 棚と床を丁寧に磨く。本当は布団も干したかったが、雨が止まぬかぎりそれは叶わない。
 彼は気分だけでも切り替えようと淡青の鳥のモビールを天井から吊るし、珈琲を飲んだ。
 カップが空になれば、今度は曇った手鏡を布で磨く。自分の顔がはっきりと映った。
(……ひどい顔色だ)
 それ以上は見たくないと鏡を伏せる。
 ――彼は気分直しに傘を手に外出した。
 目で見て気持ちの良いものを選べば少しは気分直しになろうか。
 ふと、青果店で足を止める。初夏はとかく鮮やかな色に満ちている。
 眩しい色の柑橘類、色鮮やかなベリー、夏らしさに溢れた純朴な西瓜。
 その中で彼は柔らかなオレンジ色に目を惹かれた。
「……そちらの杏を包んでいただけますか」
「はいよっ! お兄さん、せっかくならこちらのライチもいかがですかい?
 リゼリオから取り寄せた逸品で蕩けるように甘いって評判なんでさ。あと郷祭でも評判の……」
 来年の郷祭ではこの商品が絶対に評判になると新商品を勧める店主。
 世界の危機が迫っているのにそれでも来年がきっとある、
 生き抜いてこの店を守り抜くと信じて疑わないその強靭な精神と気概。
 Gacruxはそれに驚き、愛想笑いを浮かべた。
「ああ、でも今は杏だけで。傘を差してますので。今度はぜひ別の果物も味わってみたいものです」
「それなら小袋に包みましょう。傘を持ちながらだと難儀しますからねぇ」
 店主から商品を受け取ると、彼は家の戻る道すがら傘を閉じて歩き出した。
 そこで新鮮な杏を齧ると僅かな甘みを帯びた酸味が口いっぱいに広がる。
 雨と果汁が交ざり合おうが構うものか。水溜まりで靴が濡れても構わない。
 雨が全身を濡らし、シンプルなシャツは淡く透け、デニムはすっかり重くなった。
 靴は歩くたびに内外に水音を立てなんとも野暮ったい。
 ――そして雨で重く垂れさがった前髪。それを後ろに撫でつけ、彼は大きく天を仰ぐ。
 大粒の雨粒が容赦なく顔を叩き、視界を滲ませた。それも構わずに彼は空を見つめ続ける。
(……今は冷たく重い雨が体にいくら打ち付けようとも。
 雨が上がれば全てが過去になる……苦しみも、悲しみも、全て)
 彼は杏の種を紙で包み、ポケットに押し込んだ。
 杏の花言葉は「臆病な愛」。
 大切なものを喪うことを恐れ続ける「あの人」の顔が不意に脳裏に浮かぶ。
(全てが終わった時、俺には何が残るんでしょうね。
 それでも俺は貴女から目を逸らせない。逸らしてはいけない。それしか……道がないんです)
 そこから彼は再び、かの詩人の詩を諳んじた。
 強い雨の中でもどこまでも歩み、死ぬまで世界を見続けた彼の詩を。


●Case6.星野 ハナ(ka5852)、そしてマリィア・バルデス(ka5848)の場合

 ハナはフィーが午睡から起きた時間を見計らい、
 紅茶とクッキー作りの材料をバッグに入れてコロッセオに向かった。
「フィーちゃん、遊びに来ましたよぉ!
 こういう時こそおやつをいっぱい作ってぇ、みんなにお裾分けに行くと良いと思うですぅ」
「オヤツヲ皆デ分ケッコスルノ? ワァ! 皆喜ンデクレルカナ!?」
 小さい両手を胸の前でぐっと握って笑顔になるフィー。
 ハナは彼女の頭を撫でると「それはそうですぅ」と笑みを返した。
「雨の日はお外に出られませんからぁ、のんびりお茶してぇ、
 ついでに明日以降の準備もしちゃえば楽しさ倍増だと思いますぅ。
 兵隊さん達に渡しても良いですしぃ、他の精霊さんの所へ持って行っても良いじゃないですかぁ」
「ソッカ……クッキーナライツデモ食ベラレルモノネ!」
 コロッセオのキッチンを借りて早速準備に取り掛かるハナとフィー。
 お揃いのエプロンを着けて、ボウルに大量の材料を投入。
 その時マリィアがキッチンに立ち寄った。
「あら、今日のフィーはお風呂で早寝したと聞いたのだけど元気いっぱいね」
「マリィア! ソウナノ。
 今日ハオ昼寝シテタンダケド、起キタラネ、ハナガクッキー作ロウッテ言ッテクレタノ」
「そうなの。でも少し意外だわ。
 こういう日はてっきり貴女も元気よくお花を見て回っているかと思ったけど、違ったのね」
「ウン……私ノ体ハ土ジャナクテ、コボルドガ基ニナッテルカラ濡レルト冷エ冷エニナルノ」
「なるほどね、でも傍にお風呂があって良かったわね。今の貴女、とってもいい匂いよ。
 ……実は私、貴方にちょっぴり元気を分けてもらおうと思ったの。
 こういう日でもテンションの高い人っているでしょう? ちょっと羨ましかったのよ」
 フィーの柔らかな毛を抱きしめるマリィア。その時、ハナがふたりに明るく声をかけた。
「フィーちゃん、マリィアさん、クッキーを一緒に作りましょうぅ。
 たくさん作って配れば皆が幸せ、私達も笑顔になって幸せ2倍ですぅ!」
「あらあら、私も参加していいの?」
「もちろんですぅ! 材料はたくさんありますしぃ、オーブンも大きいですからぁ
 精霊さんや兵隊さんの分まで作って元気の源にしてもらいましょうぅ」
「それならクッキーが完成したら配って、後でお茶会をしましょうか。
 丁度フィーの大好きな蜂蜜、ドライフルーツ、ナッツ、それに紅茶を持ってきたの。
 これを生地に練り込めば色んな味のクッキーができて楽しいはずよ」
 マリィアが次々と調理台に食品を並べる。
 ハナが持ってきた動物や花の金型を組み合わせれば様々な種類のクッキーができるはずだ。
 ――それから4時間後、無数のクッキーが紙袋に小分けされ精霊や軍人達のもとに届けられた。
 思わぬ贈り物に皆は大喜び。
 それでもハナ、マリィア、フィーのもとには結構な量のクッキーが手元に残ってしまった。
「ふふっ、これだけで十分にお茶会ができそうね?
 皆喜んでいたし……ささやかだけれど良い景気づけになったんじゃないかしら」
 マリィアが3つのカップに紅茶を注ぎ、テーブルに就いたフィーとハナに配る。
 フィーが小首を傾げた。
 その疑問に答えるようにハナが目を伏せる。
「ええ、今後帝国軍の皆さんや戦闘型の精霊さんは
 戦場に行きますしぃ……少しでも緊張を解せたなら良いんですけどぉ」
 守護者のハナやマスティマを所有しているマリィアには邪神に立ち向かう強い力がある。
 しかし軍人達や精霊達はどうなのだろう。
 できれば全員が無事に故郷に帰ってほしいと思う。でも……恐らくはそうならないだろう。
 フィーは自分の弱さに胸を痛めた。自分が強ければもっとたくさんの人を助けられるのにと。
「……フィー、貴女は無理に強くある必要はないの。
 貴女はそこにいるだけで人を元気づけて、癒す力がある。
 傷ついた人を労って、優しい力を揮うだけできっとたくさんの人を救えるわ」
 マリィアが紅茶のカップで温めた手でフィーの手を包み込んだ。
「……アッタカイ」
「貴女にはね、誰にでもこういう気持ちを抱かせられる不思議な力があるの。
 だから自分を責めないで。それよりも自分と他者を愛して……幸せにして。それが私の願いよ」
「そうですねぇ、私もフィーちゃんにはずっとそのまんまでいてほしいですぅ。
 戦うのは私達の仕事ですからぁ、心配しないでぇ……ね?」
 マリィアもハナもこれから死地へ赴く身だ。そして当然ながら両者とも死ぬ気など毛頭ない。
 しかしそれは――どこか覚悟を秘めているように思えて。
 フィーは何度も頷きながら蜂蜜たっぷりのクッキーを食べた。
 その味は甘いはずなのに……なぜか薄い塩の味がした。
(絶対ニ帰ッテキテネ、私ノ大好キナオ姉チャン達……!)


●Case7.アルマ・A・エインズワース(ka4901)の場合

(今日も雨ですか。背と右腕が疼くので好きじゃないんですけどねぇ)
 アルマは肘から先のない右腕に義手を装着し、ため息を吐いた。
「……そういえばフリーデさんはどう過ごされてるんでしょうか」
 先日籍を入れたばかりの傷だらけの妻の姿が脳裏に浮かぶ。
 互いの生活があるゆえに別居しているが、それでも会いたいと思うのは新婚ならではの愛しさか。
 彼は気に入りの服と外套を纏うと傘を手にいそいそと外出した。
 ――ところ変わって、コロッセオのフリーデリーケ・カレンベルク(kz0254)の
 私室前でアルマは「フリーデさん?」と声を掛け、軽くノックをした。
 すると「ずでんっ」と何か重い物が落ちる音がして。続いてどたどたと重い物が走り回る音がして。
 それから数十秒後『アルマか。どうした、こんな日に』と
 何でもないような顔をしてフリーデが顔を出した。
 しかしその頭は寝癖が元気良く立っていて、襟のホックもひとつ掛け違えている。
 その様子がどこか可笑しくて可愛らしくて。
 アルマはくすりと笑いながら「起こしちゃったです? ごめんです」と挨拶をした。
『ああ、いや。寝てなんかいないぞ? 絶火の騎士が何の意味もなく寝るなんて、そんな私が……』
 慌てて言い訳するフリーデの頬をアルマがそっと撫でる。
 彼女は日常生活では酷く不器用で嘘を吐くのが苦手だ。アルマはそれを知っている。
「わふふ。来ちゃったです。フリーデさんが寂しがっている気がして。
 ……っていうのは建前で、僕が会いたくなったので」
 えへ、と笑ってフリーデの顔を立てるアルマ。彼は無邪気なようでいて、やはり紳士だ。
 こうしてふたりは大きなベッドに並んで座る。
 紅茶のカップを傾けた後、アルマがさりげなく問うた。
「ところでフリーデさんは雨の日はどうしてるです?」
『そうだな。兵士に斧を教えたり、最近編纂された歴史書を読んでいる。
 もっとも人に物を教えるのは上手ではないし、歴史書も読むのが辛い部分が増えたがな』
 かつて亜人が討伐すべき邪悪なものとされた時代に生まれた英雄フリーデリーケ。
 歴史書を読む度に過去の過ちが頭に過ぎるのだろう。
「フリーデさん……今のあなたは英雄フリーデリーケではないんです。
 これからどう生きるかが大切だと僕は思うですよ?」
『そうだな……』
 手を膝の上で組み、視線を落とすフリーデ。
 そこでアルマはぽんと手を叩くと、わざと声音を明るくした。
「そうだ、こんなお天気が続くから気持ちも沈むですっ。つまんない時はお歌を歌うですーっ!」
 背負ってきた荷物からリュートを取り出し、雨を題材にした楽しい歌を弾き語りするアルマ。
 フリーデは最初は彼の歌を聴くだけだったが、次第に憶えたパートを口ずさんでみせた。
「そうです、そうです。その調子です! フリーデさんの元気な声で雨を吹っ飛ばすですーっ♪」
 アルマはいよいよ勢いよくリュートをかき鳴らし、次は雨が晴れゆく場面を口ずさむ。
 フリーデはいつの間にか笑顔になり、夫の演奏に聴き惚れていた。
『お前は何でもできるのだな。
 戦闘の他にも私なんかよりずっと社会を知っているし……楽しいこともたくさん知っている』
「んー、音楽については僕らリアルブルーでV系やったことあるですよ? エルフなめちゃだめです!」
 茶目っ気たっぷりに当時のバンドメンバーや演奏時の出来事を話すアルマ。
 その様子をフリーデは興味深く聞き入っていた。
「音楽はV系以外にも色々やれるですよ。
 フリーデさん、リクエストあるです? わかるものだったら何でもどうぞ!」
『そうか、それなら……フリーデリーケの母が小さい頃に聴かせてくれた歌なのだが……』
 アルマはその願いに応え、リュートを爪弾く。
 幸いにもその歌は民謡として帝国で広く歌い継がれているものだった。
 ふたりで声を合わせて歌えばいつしかフリーデは彼の腕に小麦色の腕を絡め、身を寄せていた。
『ありがとう、お前のおかげで心が温かくなった。もう、寂しくない』
「それは良かったです。……わふふっ、おいで?」
 リュートを壁に立てかけ、ベッドに寝転ぶアルマ。彼に抱き着くようにフリーデも身体を横たえた。
「ぎゅー、してくれるです?」
『ああ、もちろんだとも』
 大きな手がアルマの背を抱く。フリーデの体から晴天の下でそよぐ初夏の風のような香りが漂った。
『……同じ「寝る」という行為でも、お前がいると幸せな気持ちになる。……不思議だな』
「それは僕も一緒です。フリーデさんのこと、だいすきですから。
 戦争が終わったらいつだって一緒にいられるです。だから僕、必ず帰るですよ。
 フリーデさんも必ず帰って来てくださいね? ……約束ですよ」
 愛妻の頭をかき抱き、そのまま小さく寝息を立て始めるアルマ。
 長梅雨で傷が疼き、落ち着いて眠れる時間が減っていたのだろうか。
 いずれにしても彼の心遣いはありがたく。
 フリーデは『ありがとう、私の最愛のひと』と呟くと彼の唇にそっとキスをした。


●Case8.白樺(ka4596)の場合

 白樺はお気に入りの傘を手に自然公園へ繋がる道を歩いていた。
 彼が視線を上げてみれば、そこには色鮮やかな青空が浮かんでいる。
 傘の内側に青空の絵が描かれている、憂鬱な雨の日も心が明るくなる不思議な傘。
「早くお空が晴れてくれるといいよね、そしたらお日さまの力でローザもきっとまた元気になってくれるもの」
 丈の長いブーツを履いているとはいえ、これから大好きなひとのもとへ行くのだ。
 靴を汚してはならないと水溜まりを避ける。
 そこで彼は美しい紫陽花を見つけた。白い縁取りの中に青紫がほのかに彩られているものだ。
「綺麗……。ごめんね、少しだけお花を分けて頂戴ね」
 彼は花の前でぺこっとお辞儀をし、花鋏で花の房をいくつか摘むと籠に優しく添えた。
 その数分後、白樺は管理小屋にそっと足を踏み入れる。
 そこではローザリンデ(kz0269)はベッドの上で浅い呼吸を繰り返していた。
(ローザ……少し苦しそうなの。心配だけど……急に眩しくしちゃうと起こしちゃうよね……?)
 そこで白樺はロザリオに薄いハンカチを被せ、シャインの魔法を唱えた。
 柔らかな光が部屋を照らし、ローザの呼吸が安らかになった。
(うん、これで大丈夫だよね。まずは紫陽花を飾って……あとはアロマキャンドルも炊こう。
 ほんのり光が出るし……それにローザは元々自然の中にいたんだもの、
 木やお花の香りがした方が嬉しくなると思うの)
 籠から次々と見舞い品を取り出し、せっせと管理小屋を飾る白樺。
 蝋燭からグリーンフローラルの香りが漂うと心が落ち着いてくる。
(後はてるてる坊主をたくさん飾るの。お顔はシロの知ってる精霊さんのお顔!
 まずはリンのお顔……リンは光の珠だったからお顔はなかったけど、きっといつもニコニコしてたよね)
 自作したてるてる坊主に色つきのペンで似顔絵を描いていく白樺。
 次々と愛らしいタッチで仕上げてはせっせと窓に飾る。
(明日は晴れますように……ローザが元気になりますように……)
 その時、ほのかな熱を帯びた手が白樺の華奢な身体を背中から抱きしめた。
「わ、わわっ! ローザ、起こしちゃったの!?」
『白樺……見舞いに来てくれたんだね? ありがと、嬉しいよ。……本当に愛しい子だ』
 ローザの顔はほんの少し疲れを見せてはいたものの、白樺のシャインで大分力を回復させたのだろう。
 いつもの笑顔を彼に向ける。
「ごめんなの、起こすつもりはなかったんだけど……」
『いいや、気にすることはないよ。ある程度ここで力を蓄えたら起きるつもりでいたし……。
 アンタのおかげでそれがずっと早く叶ったってわけだ』
 そう言っててるてる坊主を見上げるローザ。
 黄色に塗られた笑顔のてるてる坊主を見て『ああ、この子はリンだね』と破顔した。
「うん。そういえばリンも光の精霊なんだよね。大丈夫かな、ローザもこれだけ大変なのに……」
『ああ、あの子は大丈夫だよ。アタシは完全に光に依存しているけれど、リンは木漏れ日。
 地の力も僅かに受けられるからね。むしろ水を吸って元気でいるかもしれないよ』
「へえ……元気だといいなぁ。ね、憶えてるでしょ?
 落ち着いたら一緒にラズビルナムに行ってリンに会おうねって」
『ああ、もちろんだよ。きっと今頃は立派な精霊になるために頑張っているはずさ』
「そうだよね……なら、シロが大きくなってることにも気づいてくれるかな」
 白樺はローザと結ばれてから徐々に体が成長を始めていた。
 かつて愛くるしいソプラノだった声は可憐なアルトに変わり始め、身長も伸びた。
『それは絶対そうさ。アンタと一緒にいるアタシが日々驚かされているんだからね。
 久方ぶりのリンとなればきっと腰を抜かすんじゃないかい?』
「うん。でも見た目だけじゃなくて、心も……守り手や癒し手としての力も。
 シロは頑張ってるよって。リンも一緒に頑張ろって伝えたいな……」
『……アンタはやっぱりいい男だね。皆に元気を与えてくれる』
 そう言うとローザは白樺のハニーブロンドをくしゃっと撫でてベッドに座り込んだ。
 やはり本調子にはまだほど遠いらしい。
「ねえ、ローザ? 本当はまだちょっと疲れてるんだよね?
 大丈夫、シャインはまだ使えるの。
 だからその力が尽きるまでシロが傍にいてあげる……今日は一緒にお昼寝、しよ?」
 ロザリオを枕元に置いて、白樺は横になったローザの手を握る。
 以前よりも心持ち、小さくなったように思えるローザの手。
 でもそれは白樺が成長した証に他ならず。
 ずっと年上の恋人は白樺を頼るように彼の手を両手で包んで安らかな寝息を立てた。


●レイア・アローネ(ka4082)、そして澪(ka6002)と濡羽 香墨(ka6760)、ならびにリアリュール(ka2003)の場合

「ん、今日の予定はキャンセルだと? まぁ、この天気だからな。仕方あるまい」
 レイアは一日共に過ごす予定だった友人から予定の延期を告げられると、
 仕方がないとばかりにスマホをベッドの上に放り投げて横になった。
(……戦うことしか出来ない私には今日一日やる事がなくなってしまったか。
 ……ん? 何かおかしな事を考えただろうか……?)
 どこかの誰かが考えていたことを彼女は受信してしまったのだろうか。
 ……前にもこんな事があったような気がするが、それはともかく。
「そうだ、以前会ったフリーデと手合わせをしてみたいな。コロッセオに行けば会えるだろうか?」
 壁に立てかけていた剣を背に、盾を手に。
 雨は強いが戦闘用のブーツさえ履いていればそう問題あるまい。
 だがコロッセオに到着し、フリーデの部屋に足を運んでみると男物の傘が傘立てに立てかけられていた。
(ああ、そういえば……フリーデはアルマと結婚したのだったな。
 ここは気を利かせるとしよう。決戦も近いし……こういう時こそ気を使わねばな)
 さて、今度こそ本当に一人になってしまった。
 そこでこれからどうしようかと考えた時、
 コロッセオには旧い文献から比較的新しい史料まで保管されているという話を思い出す。
(管理者に声を掛ければ数冊程度は閲覧も許されようか。
 たまには静かに本を読むのも悪くはないな。そうか、私には戦い以外もあったんだな……)
 そこでコロッセオの受付に挨拶をしようとしたところ、彼女は既知の少女の姿を目に留めた。
 自身が憧れる愛くるしい少女、澪の姿を――!

 その頃、澪と香墨はメルルの案内を受けながらコロッセオの浴室に向かっていた。
「……こう雨続くと。さむい」
 質の良いローブを着るも、梅雨独特のひやりとした空気がかつての路上生活を思い出すのだろう。
 香墨が両肩を抱き震えた。
「香墨さん、大丈夫ですか? 浴室も客室も温めてますのでゆっくり休んでいってくださいね」
「ん。ところで。メルルは。体の方は。大丈夫?」
「はい、おかげさまで!
 ソフィアの遺した資料と先生方の協力もあってあの病気の特効薬の完成が近いようなんです。
 薬の効きがずっと良くなって、時々コロッセオのお手伝いもしているんですよ」
 元気な声に澪が安堵の息を漏らした。
「良かった。たった一日とはいえ契約者になったから……体、どうなってるのかなって心配だった」
 かつて強化人間となり歪虚と戦おうとした人々はじきに死期が迫っているという。
 澪と香墨はメルルの寿命もそれに近いのではと心配だったのだ。
「ええ、司祭様やお医者様の話によると私の寿命はあと20年弱だそうです。
 皆さんのおかげで契約期間が短く終わったので……本当にありがとうございました」
 その答えに澪と香墨が複雑な面持ちで向かい合った。
 精一杯生きても残り20年。それはうら若い少女にとってはあまりに短い時間だ。
 でもメルルは病気でいつまで生きられたかわからない時代よりはるかに健康に、
 生きたいように生きていける時間を得られたのだからと屈託なく笑む。
「今は私と同じ病気で苦しんでいる人達が早く元気になれるように、
 薬の開発に協力してくださっている皆様のお役に立てればと思っています。
 だから夢が叶う日まで頑張って生きなくちゃ!」
 その眩しい表情に香墨が目を細めた。
「そう。メルルは強くなったね。考え方も生き方も。
 ……そういえば。メルルに初めて会ったのも。お風呂だったの。懐かしい」
「そういえば、そうだったね」
 澪はこくんと頷き「また皆でこうして一緒にお風呂に入れるのは嬉しいかも」と声を弾ませる。
 そして浴室に向かうと――何故か目を赤くしたフィーが水着姿でちょこちょこ歩き回っている。
「フィー、フィーが寒がっているってメルルから聞いたんだけど大丈夫?」
「ウ、ウン……澪ト香墨ハ?」
「私達は大丈夫。それにしてもどうしたの? 目が真っ赤」
「……」
 黙ってしょんぼりと肩を落とすフィー。
 香墨が「少しずつでいい。話、聞かせて」と言うとローブを脱いだ。

 ――そんな一行が浴場に入るとサクラとレイアがゆったりと脚を伸ばして湯浴みを堪能していた。
 先の模擬戦で体を酷使したサクラは手足を揉みながら微笑む。
「運動した後のお風呂は格別です……。体が温まって疲れがとれていきます……」
 その傍ら、レイアは澪の姿を見た途端に世話焼き気質に火が点ったようだ。
「澪、偶然だな。まさかこのような場所で会おうとは! よかったら今日は背中を流そうじゃないか!」
 しかし水着姿の澪は「背中ぐらい自分で洗える」と返し、またもレイアは撃沈。
 せめて澪が転ばないようにとそっと彼女を見守ることにした。
 香墨はいつも通り湯着で肌を隠して体を洗い、フィーの手を引いて入浴。
 元気のない彼女にその真意を問う。
「どうしたの。フィー。なんか元気がない」
「ン……アノネ、香墨モ澪モ危ナイトコ行クノ?
 軍人サン達、コレカラ危ナイトコ行クッテ……ソレナラハンターノ皆モ戦イニ行クノカナッテ……」
「……それは……」
 香墨は返答に詰まった。現実はフィーが想像しているより過酷なものだ。
 ある程度はグラウンド・ゼロに邪神からの攻撃を集中させるとはいえ、
 世界各地にシェオル型をはじめとした無数の歪虚が出現することになる。
 その厳しい現実を目の前の硝子のような心の精霊に話していいものか、戸惑う。
 香墨の視線を受けて澪が小さく頷いた。
「そうだね……この前の依頼でも話した通りだよ。
 これからの戦いには私達ハンターの力が必要になる。……何もかも失ってしまう前に進むしかない」
 その言葉に後押しされて、香墨が続けた。
「でも。フィーや葵、グラン……精霊達。
 それにメルル達人間が私達を信じてくれるなら。必ず勝って帰る。それだけは約束する」
 そう言ってフィーの両肩を優しく掴み、腰を落とす香墨。ほどよいぬくもりが皆の体を温めていく。
「……今日はさむい。お風呂で温まるのって、気持ちいい、ね」
「ウン」
「きっと邪神の中は寒いと思う。死が繰り返される世界だって。聞いたから。
 だけど。帰ってくればまた澪と。フィーと。ぬくぬくできる。……だから絶対に死ねない」
「……だね。皆で帰って、温まって、お昼寝して。のんびり暮らせる、そんな日が来るって信じてる」
 そう告げるふたりにフィーは「信ジテル……約束ダヨ……!」と言って抱き着いた。
 そこにレイアが「それじゃ、私も。澪達を守るのも私の役目だからな!」と笑いながら輪に加わった。
 続いてサクラも「聖導士は人を守るのが役目ですから」と言ってフィーと握手する。
「アリガトウ、レイア、サクラ……!」
 フィーの目から大粒の涙が零れる。
 これだけの人が仲間を守ってくれるのだ、後は信じるだけだと。

 ――その頃、リアリュールが晴れ間をみてコロッセオへレモネードを届けに来た。
 リアリュールは本来、雨音を好む女性である。
 単調なリズムと音色に耳を澄ませているうちに心身のリズムが整い、癒されるのだ。
(私は雨にエネルギーをもらうことで家事がはかどるの。
 特に暴風雨は晴れの日よりも体が動くわ。でもこんなに続けばやることがなくなってしまう。
 フィー様のもとへ行けば、きっと賑やかで元気をいただけるのではないのかしら)
 そう思いながらフィーが休んでいるという客室に行くと
 澪と香墨とフィーがベッドの上でパジャマパーティーをしていた。
 毛布を被ってトランプ遊びに興じる3人はまるで姉妹のよう。
「あら、皆さんお揃いね。良かったら私も仲間に入れてくださる?」
 するとフィーがベッドからぴょんと飛び降りて、
 ハナとマリィアと一緒に作ったクッキーをリアリュールに差し出した。
「リアリュール! 良イトコニ来テクレタノ! 一緒ニ遊ボ!」
「ふふ、お招きありがとうございます。素敵な贈り物も……さて、何をして遊びましょうか?」
 それからというもの、日が傾くまで4人で様々な遊びを楽しみ、
 澪、香墨、フィーは布団の中で安らかな寝息をたてはじめた。
 リアリュールは照明を消し、誰も起こさないようにそっと立ち去った。
 ――外は再び雨が降り始めていた。
 予備の傘を開き、リアリュールは足早に帰途に就く。
 ……雨音が声を掻き消してくれる。ほんの小さな独り言ならば。
「皆の前で前向きな言葉を連ねたけれど……最悪の事から目を逸らしてしまう。
 見ないふりをしてしまう自分が情けないわ。……他の事なら簡単なのに」
 今は誰もが邪神との決戦に大小さまざまな不安を抱えている。
 しかし大切な者を守るために不安を押し殺して闘志を宿しているのだ。
 リアリュールはその事実を知っていながらも……それでも自分の心の痛みから目を背けられなかった。


●フィロ(ka6966)の場合

 フィロはその日、コロッセオに向け静かに目を伏せて歩いていた。
 その顔は先日の依頼で得た「真実」により深い失望に染まっている。
 かつて強迫観念に近いほど求め続けた自分の「真実」――それはあまりにも残酷なものだった。
 自分は量産されたオートマトン、そしてその心は動作性能を高めるために作られた疑似的なもの。
 それでも静まり返る夜には。
 メンテナンスのため個室に佇む時間は全ての生命が消えたようで、エバーグリーンでの孤独を思い出す。
 雨の日もそうだ。
 雨粒で生活音が掻き消されてしまうからもの悲しくて。だから誰かに会いたいと思ってしまう。
(フリーデ様なら転居祝いと称して会いに行ってもお許しくださるかもしれない。
 丁度いらっしゃれば良いのだけれど……)
 コロッセオでフリーデの個室に向かうフィロ。
 その扉をノックしようとした瞬間、彼女は思わず息を漏らした。目の前に立てかけられた男物の傘。
(私は何を考えていたのだろう。そうだ、この方はもう独りではないのだった……!)
 ドアノブに茶菓子と紅茶を入れた紙袋を掛け、慌てて背を向ける。
 その時スカートの裾が袋に当たった。中から足音が聞こえ、扉が開く。
『フィロか。どうした、こんな雨の日に』
「今日は寒い日ですのでお茶でもいかがかと思ったのですが、旦那様がいらっしゃるならと……」
『なんだ、それなら断る理由など全くないぞ。
 アルマは奥の間で休んでいる。何よりお前の厚意、とても嬉しく思う』
 こうしてテーブルで向かい合うふたり。フィロが淹れた茶にフリーデが深く感心した。
『相変わらずお前が淹れてくれた茶は旨いな』
「紅茶は銘柄に合わせた茶葉の量、温度、時間を意識する事が肝要ですので。
 ハンドメイドですがクッキーもぜひ召し上がってくださいませ」
 フリーデの豪快な食べっぷりにフィロが微笑む。
 しかしフリーデはその笑みの裏に感ずるものがあったようだ。
『……ところで、何かあったのか?』
「あ、それは……」
 相手を困らせてはならないという思考が口を噤ませる。
 だがフリーデの強いまなざしにフィロが言葉を紡ぎ始めた。
「エバーグリーンの依頼で私の名前……『フィロ』は型式を示す言葉と判明しました。
 オートマトンの中には私と同じ仕様の者がいるのです。
 私は代替の利く刃、心もプログラミングされた造り物に過ぎないのです……」
 震える手でカップを下ろすフィロ。フリーデはそうか、と言うとフィロの手を包むように握った。
『それを言うなら私も同じだ。私は英雄フリーデリーケではない。
 彼女の伝承と歴史書の記述を基に形成された名もなき風の精霊だ』
「それは存じております。
 ですがフリーデ様は多くの人々の心を支えておられるたったひとりの存在ではありませんか」
『何を言う、お前にも心はあるだろう。
 自らの拳を鍛えたのも、私と穏やかな時を過ごしてくれたのも、誰かの命令によるものなのか?
 それにお前も多くの人を救ってきたのだろう。その者達にとってお前はただひとりの存在なのだぞ』
「それは……!」
 従来の自己否定と同時に発生する自己矛盾。
 機械仕掛けの心が揺れ、慌ててフリーデの手を振り解き、駆けだした。
 ここにいては頭がおかしくなりそうだ。
 傘を掴み、走る。フリーデがそれを追う。
『待て、フィロ!』
「いけません! 濡れてしまいますよっ、それに旦那様が……!」
『いいか! 私にとっての「フィロ」はお前しかいないんだ。
 例えその同型機とやらが現れたとしても、それをお前と同じ存在としては見られない。
 例えそのプログラミングで私と本気で戦うことになったとしても
 相手がお前なら……何度殴られようが斧を振るえん。
 その時はお前ともう一度友に戻れるようあらゆる手を尽くす。それはお前が私の大切な友だからだ!』
「友……? 私が、ですか……?」
『当然だ。あの日の花は今でも咲いているぞ、大通りの花屋で加工してもらって鮮やかに。
 なぁ、お前は私の大切な友達のたったひとりの「フィロ」だ……それではいけないか?』
 傘が落ちた。
 フィロは今、己の目から零れる水が雨だと理解している。
 だけどそれが涙に近いものだと思った。雨の日は泣いて良い、雨の日は泣けるのだ。
 嗚咽のようにため息を漏らすと彼女はフリーデの胸に顔を埋めた。
 フリーデはフィロが濡れないよう大きな背を丸めて彼女の嗚咽を黙って聞いた

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参加者一覧

  • 伝説の砲撃機乗り
    ミグ・ロマイヤー(ka0665
    ドワーフ|13才|女性|機導師
  • 神秘を掴む冒険家
    時音 ざくろ(ka1250
    人間(蒼)|18才|男性|機導師
  • よき羊飼い
    リアリュール(ka2003
    エルフ|17才|女性|猟撃士
  • ツィスカの星
    アウレール・V・ブラオラント(ka2531
    人間(紅)|18才|男性|闘狩人
  • 星を傾く者
    サクラ・エルフリード(ka2598
    人間(紅)|15才|女性|聖導士
  • 見極めし黒曜の瞳
    Gacrux(ka2726
    人間(紅)|25才|男性|闘狩人
  • 乙女の護り
    レイア・アローネ(ka4082
    人間(紅)|24才|女性|闘狩人
  • 黒髪の機導師
    白山 菊理(ka4305
    人間(蒼)|20才|女性|機導師
  • 曙光とともに煌めく白花
    白樺(ka4596
    人間(紅)|18才|男性|聖導士
  • フリーデリーケの旦那様
    アルマ・A・エインズワース(ka4901
    エルフ|26才|男性|機導師

  • 鞍馬 真(ka5819
    人間(蒼)|22才|男性|闘狩人
  • アウレールの太陽
    ツィスカ・V・A=ブラオラント(ka5835
    人間(紅)|20才|女性|機導師
  • ベゴニアを君に
    マリィア・バルデス(ka5848
    人間(蒼)|24才|女性|猟撃士
  • 命無き者塵に還るべし
    星野 ハナ(ka5852
    人間(蒼)|24才|女性|符術師
  • 比翼連理―瞳―
    澪(ka6002
    鬼|12才|女性|舞刀士
  • 比翼連理―翼―
    濡羽 香墨(ka6760
    鬼|16才|女性|聖導士
  • ルル大学防諜部門長
    フィロ(ka6966
    オートマトン|24才|女性|格闘士

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ミリア・クロスフィールド(kz0012
人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人
最終発言
2019/06/24 19:02:08