ゲスト
(ka0000)
【未来】Tomorrow and...
マスター:ムジカ・トラス
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出? もっと見る
オープニング
●
蕭々と草原を撫でていった風が、小高い丘にぶつかり、吹き上がっていく。
その先で、ふわりと浮き上がりそうになる帽子をおさえ、男が笑った。男は車椅子に座っていた。背後には、女が一人。
「――最後に、これが見たかったんだよねえ」
王都を見下ろしながら、男は笑みを深めた。もともと色素の薄かった髪は白髪へと染まり、その肌にも柔らかな皺が刻まれている。
眼下に広がる光景を、両の目に焼き付ける。夜闇のかんばせが薄く白んで青を描き、地平線の先に橙色が滲み始める。
夜明けの光景だった。
美しい、春の夜明け。
「ごめんね、どうしても目が覚めちゃったんだ。君には無理ばかり押し付けちゃうけど」
「……別に、いい。ボクは貴方と違って元気。大口のパトロンだし。少しくらいのワガママは聞いてもいい」
「それは良い」
くつくつと笑う男は、司祭――エクラ教の役職としては下位にあたる――の装束を身にまとっていた。黒色のカソック。しいて言えば生地が上質な程度で、かつてセドリック・マクファーソン(kz0026)が着ていたような豪奢な装飾はない。男が病と世継の不在を理由に貴族の身を退いて聖堂教会に属するようになってから長い。位階には責務が伴うという理由と、かつての遺恨を仄めかして聖職者としては下位に名を連ねることになったが、勤労に励むことはなく、一向にその役職があがることもなかった。彼が興した商会では精力的に活動していたようではあるのだが、ともあれ、その転身には政治的な手打ちという見方が強い。
それでも、彼はそのカソックを身にまとい続け、ここにいる。
車椅子に身を沈めている彼は介護者を必要としていた。それが、応じた声の主、エステル・マジェスティである。騒がしいパルムの相棒は不在だった。かつての少女はすでに成熟した女性となっていたが、野暮ったいローブに身を包み、男と同じ光景を眺めている。
「……勝手だけど、さ。似ていると思っていたんだ。"君"のこと。目的のために手段を選ばないところとかさ」
遠くを見つめ、言葉を落とす。ここではない何処かに在る、塔にむけて。
「君と違って、僕にはお膳立てぐらいしかできなかったけれど……それでも、運命に抗うことはできたと思うよ」
眼前に広がる黄金の夜明けに祈りを捧げるように、黙祷。
そして。
「……いろんなもの、を……犠牲に、した、けど、さ……」
言葉のひとひらをすくい上げるように、風が吹き上がった。
王国歴1050年4月。
ヘクス・シャルシェレット(kz0015)は静かにその生に幕をおろした。
●
「……というわけで。仕事が残ってる」
「ふむ!」
エステル・マジェスティは作家である。傍らのパルム、イェスパーは五月蝿いだけのパルムだ。役には立たない。
年の頃も四十に入ったエステルであったが、フィールドワーク中心の生活のためか、三十路に入ったところにみえる、活力的な美女、といった外見であった。
背丈はかつてよりもずいぶんと伸び、165cm程度。伸長相応にすらりと伸びた手足は、すっぽりとローブに包まれており、いささか野暮ったい。長く伸びた赤毛はかるく結い上げている。
ヘルメス情報局での彼女の記事はそれなりに好評を博しており、書籍化されたものも少なくない。
特に、ハンター達の活動を記した記事は時節から熱狂的に支持され、資料的価値も手伝い、ひと財産を彼女のもとにもたらした。
彼女はその財産を第六商会に預けながら活動を続けていたが――ヘクス・シャルシェレットから呼び出しを受けたのは約25年前、王国歴1025年のことだ。
曰く、記事を書いてくれないかとのことだった。提示された報酬はただの取材と比べたら桁が6つほど多い。下手な貴族の総資産ほどの額とともに、ヘクスは何百人かの一般人と、「それから、ハンターたち。何人でもいい。多ければ多いほうがいいね」と添えた。
いつまで、と聞いた。「君が死ぬまでに。できれば、死後も続くといいねえ」と言う。
無茶苦茶だ……とは、思わなかった。
それなりに付き合いもあった。何のためにヘクスがそれを望んでいるかは良くわかった。
取材には一定の対価が生じる。エステル――あるいはその後継となる者はそのための窓口であり、同時に、ヘクスにとっては誰かたちに向けた支援の一環となる、ということだろう。
彼女はそれを引き受け、以来、活動を続けている。弔いもそこそこに、彼女は遺志を果たさんと今日も歩く。
「ん。次はリゼリオに行く」
幸いというべきか、アポイントメントはある。書くべきことも、また。
●序文
敬愛なる読者諸君。これなるは、数多の個々人の物語だ。
歴史の中に沈み、あるいは綺羅星の如く瞬いた一時の断片だ。
事実とは筆者らは言うまい。
空想とも筆者らは語るまい。
これらは記録である前に、記事である。
断片的記事の集体が、この書籍――失敬、正しくはアーカイブである。
神霊樹に頼ることなく、この形を選んだことを、鑑みていただきたい。
多少の嘘も許容した方が読み物として相応しかろうと我々は愚考する。
彼らの生涯の断片が、貴方がたにもたらすものを筆者らは約束しかねる。
なぜならこれは、ある一人の男の、私的な試みに過ぎないからだ。
はるか【未来】に残したい。語り継ぐべき物語のはずだ、と。
その想いだけで蒐集された断片に過ぎないからだ。
これは、未来を望んだ者たちの物語。
明日を求め、運命に抗い、道を拓いた者たちの、終わることのない事後譚だ。
――どうか、心ゆくまで、お楽しみ願いたい。
蕭々と草原を撫でていった風が、小高い丘にぶつかり、吹き上がっていく。
その先で、ふわりと浮き上がりそうになる帽子をおさえ、男が笑った。男は車椅子に座っていた。背後には、女が一人。
「――最後に、これが見たかったんだよねえ」
王都を見下ろしながら、男は笑みを深めた。もともと色素の薄かった髪は白髪へと染まり、その肌にも柔らかな皺が刻まれている。
眼下に広がる光景を、両の目に焼き付ける。夜闇のかんばせが薄く白んで青を描き、地平線の先に橙色が滲み始める。
夜明けの光景だった。
美しい、春の夜明け。
「ごめんね、どうしても目が覚めちゃったんだ。君には無理ばかり押し付けちゃうけど」
「……別に、いい。ボクは貴方と違って元気。大口のパトロンだし。少しくらいのワガママは聞いてもいい」
「それは良い」
くつくつと笑う男は、司祭――エクラ教の役職としては下位にあたる――の装束を身にまとっていた。黒色のカソック。しいて言えば生地が上質な程度で、かつてセドリック・マクファーソン(kz0026)が着ていたような豪奢な装飾はない。男が病と世継の不在を理由に貴族の身を退いて聖堂教会に属するようになってから長い。位階には責務が伴うという理由と、かつての遺恨を仄めかして聖職者としては下位に名を連ねることになったが、勤労に励むことはなく、一向にその役職があがることもなかった。彼が興した商会では精力的に活動していたようではあるのだが、ともあれ、その転身には政治的な手打ちという見方が強い。
それでも、彼はそのカソックを身にまとい続け、ここにいる。
車椅子に身を沈めている彼は介護者を必要としていた。それが、応じた声の主、エステル・マジェスティである。騒がしいパルムの相棒は不在だった。かつての少女はすでに成熟した女性となっていたが、野暮ったいローブに身を包み、男と同じ光景を眺めている。
「……勝手だけど、さ。似ていると思っていたんだ。"君"のこと。目的のために手段を選ばないところとかさ」
遠くを見つめ、言葉を落とす。ここではない何処かに在る、塔にむけて。
「君と違って、僕にはお膳立てぐらいしかできなかったけれど……それでも、運命に抗うことはできたと思うよ」
眼前に広がる黄金の夜明けに祈りを捧げるように、黙祷。
そして。
「……いろんなもの、を……犠牲に、した、けど、さ……」
言葉のひとひらをすくい上げるように、風が吹き上がった。
王国歴1050年4月。
ヘクス・シャルシェレット(kz0015)は静かにその生に幕をおろした。
●
「……というわけで。仕事が残ってる」
「ふむ!」
エステル・マジェスティは作家である。傍らのパルム、イェスパーは五月蝿いだけのパルムだ。役には立たない。
年の頃も四十に入ったエステルであったが、フィールドワーク中心の生活のためか、三十路に入ったところにみえる、活力的な美女、といった外見であった。
背丈はかつてよりもずいぶんと伸び、165cm程度。伸長相応にすらりと伸びた手足は、すっぽりとローブに包まれており、いささか野暮ったい。長く伸びた赤毛はかるく結い上げている。
ヘルメス情報局での彼女の記事はそれなりに好評を博しており、書籍化されたものも少なくない。
特に、ハンター達の活動を記した記事は時節から熱狂的に支持され、資料的価値も手伝い、ひと財産を彼女のもとにもたらした。
彼女はその財産を第六商会に預けながら活動を続けていたが――ヘクス・シャルシェレットから呼び出しを受けたのは約25年前、王国歴1025年のことだ。
曰く、記事を書いてくれないかとのことだった。提示された報酬はただの取材と比べたら桁が6つほど多い。下手な貴族の総資産ほどの額とともに、ヘクスは何百人かの一般人と、「それから、ハンターたち。何人でもいい。多ければ多いほうがいいね」と添えた。
いつまで、と聞いた。「君が死ぬまでに。できれば、死後も続くといいねえ」と言う。
無茶苦茶だ……とは、思わなかった。
それなりに付き合いもあった。何のためにヘクスがそれを望んでいるかは良くわかった。
取材には一定の対価が生じる。エステル――あるいはその後継となる者はそのための窓口であり、同時に、ヘクスにとっては誰かたちに向けた支援の一環となる、ということだろう。
彼女はそれを引き受け、以来、活動を続けている。弔いもそこそこに、彼女は遺志を果たさんと今日も歩く。
「ん。次はリゼリオに行く」
幸いというべきか、アポイントメントはある。書くべきことも、また。
●序文
敬愛なる読者諸君。これなるは、数多の個々人の物語だ。
歴史の中に沈み、あるいは綺羅星の如く瞬いた一時の断片だ。
事実とは筆者らは言うまい。
空想とも筆者らは語るまい。
これらは記録である前に、記事である。
断片的記事の集体が、この書籍――失敬、正しくはアーカイブである。
神霊樹に頼ることなく、この形を選んだことを、鑑みていただきたい。
多少の嘘も許容した方が読み物として相応しかろうと我々は愚考する。
彼らの生涯の断片が、貴方がたにもたらすものを筆者らは約束しかねる。
なぜならこれは、ある一人の男の、私的な試みに過ぎないからだ。
はるか【未来】に残したい。語り継ぐべき物語のはずだ、と。
その想いだけで蒐集された断片に過ぎないからだ。
これは、未来を望んだ者たちの物語。
明日を求め、運命に抗い、道を拓いた者たちの、終わることのない事後譚だ。
――どうか、心ゆくまで、お楽しみ願いたい。
リプレイ本文
●【王国歴1019年12月】
誠堂 匠(ka2876)が黒の隊の正規騎士を拝命し、エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)を支える者の中でも、特に”右腕”としてその能力を発揮し、王国に尽力した。
在任中の教練にも関わり続け、王国全土に対して歪虚、あるいはそれに準ずる脅威への即応能力の向上を目的とした組織体制の構築に大きく寄与した。
●『ただ一度、語られた想い』(【王国歴 1020年1月】)
彼が今居るのは王都イルダーナにおいて王城に次ぐ豪奢さを誇る大聖堂の最奥である。
「やあ、英雄さん!」
「……よしてください。俺は一騎士に過ぎませんよ」
からかわれるであろうとは思っていたが、この扱いだった。久しぶりに目にしたヘクスは、黒色のカソックを着ている。聖堂教会に正式に入るやも、という噂は本当なのだろうか。
「国に勤めることになったので改めてご挨拶とお礼をと。特に貴方にはイスルダ決戦を含め、お世話になりましたので」
「真面目だねえ」
「……立場がありますから」
"仕事"の話は尽きることはなかった。この部屋に引きこもっているとはいえ、ヘクスは様々な情報と知見をもとに会話を広げてくれる。
――少しくらい羽目を外しても、いいかもしれない。
「陛下が即位され傲慢王は滅びました。これで王国は安泰……“でしょうか?”」
「さて」
ちらと飾られているCWとRBの地図に目を向けたヘクスは、
「実際のところ、うまくは回っているだろう?」
「ええ、今の所、ですが……」
「不安かい?」
過るのは、異端審問の場面だった。人が人を信仰のもとに裁く野蛮。RBで生まれた匠にとっては傲慢な在りようとして映るそれ。
「不安、なんでしょうね……この国はいい国だ。俺自身、様々な方々に多くを教わりましたし……」
救われた、とすら思う。贖罪のための戦いに、光を見出すことができた。
「俺は、この国が好きです。だから……恩返しがしたい」
「ふふ……だったら、大丈夫さ。問題は多いだろうし、この国にしたって『主権』の所在も変わっていくだろう……けれど」
逆説を置いて。ヘクスは匠の瞳をまっすぐに見つめた。
「この輝かしい時は永遠に無くならないよ。僕たちが誰かの光になったのなら――きっと、君自身も誰かの光になる。それは悠久に語り継がれ、受け継がれていくモノになる。この国がいつか終わりを迎えることになったとしても、ね。
僕は信じているんだ。僕も――この国が、この国の為に尽力してくれた君たちが、大好きだからね」
「…………そう、ですか」
匠はその時初めて、ヘクスの挺身の理由が、わかった気がした。
だって、こんなにも。
「精一杯、力を尽くします」
――こんなにも眩しく、力強い想いは、匠のそれと、ひどく良く似ていたから。
1
●『社会的緊張』(【王国歴1020年1月】)
その日、王都イルダーナには雪が降っていた。石造りを主としている建物はとにかく寒い。法術陣研究の第一人者、オーラン・クロスの住まいにしてもそうだった。床から何から寒気が押し寄せてくる。戦時中より取り組まれていた技術転用の流れもあって、オーランは変わらず多忙な日々を過
ごしていたが、オーランは使用人も雇わず一人で住み続けていた。
”あの日”以来、人の気配がどうにも落ち着かず、自分のために誰かの時間を費やしてもらうことに忌避感があったのだ。
ともあれ、買い出しのために戸を開き――仰天した。
「大変よ、”おじいさん”。寒いわ」
雨音に微睡む玻璃草(ka4538)――フィリアが、大きな荷袋と雨傘を手に立っていた。
―・―
そそくさと家にあげ、リビングのソファで向き合う。
「……なんで此処を?」
「ふふ、『泡吹く蜜蜂』が教えてくれたの。錆びた角砂糖を拾いに行かなきゃって!」
「ははあ」
彼女の言うことは――過去のやりとりの甲斐もあって――なんとなくわかるが対応は難しい。半分以上期待を込めて続ける。
「ええと、その荷物は旅の途中とかかな?」
「ねえ、今でも悲しいの?」
「……」
すぐには答えを返せなかった。
彼女は少女で、幼い。そんな彼女にオーランの濁った胸中を曝け出すことはできるはずもない。その沈黙を、少女はどう受け取ったか。
「……悲しいのね。綾なす匙、蔦挽きの網。あれだけ影侍る沼を掬っても足りないだなんて」
「そうはいってない……ぶあ」
「仕方のないおじいさん」
煙に巻こうとしたオーランに膨れっ面をしたフィリアは、よいしょと机越しに身を乗り出すとオーランの頬に手を添えた。それからフィリアは荷袋の中から色々なものを取り出し始めた。着替え一式。それから、雨合羽や長靴その他諸々。最後に大きな毛布をどんと膝の上において一息。
「まさかと思うけど、此処に住む気かい?」
「ええ、だって一人は寂しいでしょう?」
●【王国歴1020年3月】
エアルドフリスがリゼリオの逗留先でもあった宿屋を引き払う。
以降、エアルドフリスは北方地域をめぐり、かつてと同様、薬師としての行商生活に戻ったとされる。ハンターとしての経験も生活の糧とし、ときに荒ごとにも臨んだ。
延べ5年半を超える利用客との別れを惜しんだ宿の主人は、優れた薬師にして歪虚との大乱を生き抜いたハンターでもある彼の部屋を可能な限り当時の状況のまま保存することにした。その一室には宿の者を除き、エアルドフリスの関係者のみが出入りを許されたという。
●『友よ、幸あれ』(【王国歴1020年7月】)
ヘクス・シャルシェレットの住まいは聖ヴェレニウス大聖堂にあると聞いて、ヴィルマ・レーヴェシュタイン(ka2549)は仰天したものである。
治療室というよりは、居宅というべきか。三、四部屋程度ありそうな雰囲気だが、ヴィルマが通されたのは最初の部屋にあたるダイニング・リビング。酒がいるかい、という声にヴィルマは苦笑。
「やめたんじゃ」
「へえ? あんなに酒が好きだった君がねえ……子供、かい?」
「相変わらず気が早いな、そなた……まあ、遠からずじゃな……長く生きて傍に居たい伴侶がいるからのぅ」
「はー。そういうのを酒の力を借りなくても言えるようになったのなら、もう酒はいらないのかもね。それじゃ……紅茶にしておこう。その子はどうだい?」
棚に並べられたキレイな酒瓶の数々を食い入るように見つめていたユグディラのトレーネを指しての言葉に、ヴィルマは首を振った。
「そやつは水で結構」
―・―
「そなたも色々無茶をしたであろうし、身体もボロボロなんじゃろ?」
「実際、外を出歩いて何かをする、っていうのはかなり厳しい。こないだはチョット玉座に行こうとしただけで死にかけたし」
「そんな身体で無茶をしたのか、そなた……」
「二度としなくて済むように祈りたいね」
と、わざとらしく祈り手を切るヘクスに、ヴィルマは嘆息を零した。
――その結果が、この部屋、か。
あちらこちらと暗躍暗闘していたヘクスは、この部屋から出ることはもうかなわないのかもしれない。
「……不思議とそれなりに長く生きそうに見えるのが不思議じゃが」
「やりたいこともあるし、足掻くつもりだけどねえ」
腐っているわけではないらしい。そのことが確認できただけでヴィルマとしては十分だ。
「これからも我は霧の魔女として、そして同時に愛すべき家族を持つ幸せな女として道を歩んでいく。……そなたもらしく、生きていくんじゃろうな?」
「ふふ……そうだね。風の便りに、君が子供を産んだりしたその時には、お祝いくらいはさせておくれ」
ヘクスは友の日常に、と言葉を添えてカップを軽く掲げた。
●『CW在来種におけるウィルスのゲノムシークエンスの検討』【王国歴1021年1月】
クオン・サガラ(ka0018)はRBへと帰還する際に、いくつかの生体サンプルをCWより持ち帰る。解析を行い、RBとは異なる病原性を有したウィルス群が複数種同定され、緊急的に科学誌に掲載された。この件を受けサルバトーレ・リーラ内に防疫研究所と検疫施設が併設され、渡航者の検疫が強化されたという。
●『前線生活1021』(王国歴1021年不詳)
アルト・ヴァレンティーニ(ka3019)は戦後まもなく、レクエスタに身を投じていた。いつ終わるとも知れぬ、戦線を押し広げる日々の中で、あいも変わらず多忙な日々を過ごしている。
「物資の照合にはどの程度かかりそう?」
「一時間ほどは……」
レクエスタは伸びる補給線との戦いと言っても過言ではなく、支援物資は一度辺りの量が増える傾向にある。それを支えるエステル(ka5826)の奮闘のおかげでもあるが、前線に近い位置での哨戒をやむなくされるのはいささか歯がゆい。
アカシラ(ka0146)たちの部隊とは相補的に動くことが多く、今のようにアルト達が支援物資の受け取りをしている間はアカシラたちが前線に残る。赤の隊の中でもレクエスタに身を投じた過激派と、もとより彼女の手足であった鬼たちの混成部隊は精強かつ恐れ知らずで、アカシラは吹っ切れたように大物ばかりを狙いがちで――故に、アルトの気持ちは前線へと向けられている。何かが起これば、お呼びが掛るだろうと。
ふと、彼女との会話を思い出す。
―・―
「アタシが戦う理由?」
「ああ。参考までに、と」
「ほー……」
隊を辞した今でも赤の隊の騎士鎧を纏うアカシラはくるりと赤毛を指でいじりながら、こう答えた。
「アタシはもともと、鬼たちのコトしか考えてなかったのさ。アタシらのせいで、東方に住みにくくなった鬼もいるしさ。裏切り、悪事を働いたって”色”がついちまった鬼がこの世で生きていくには、誰かが証を立てなきゃなんないだろう? だから……そうさね、最初は贖罪だったのさ。"アタシ達"の、ね」
「今は違う?」
「……そうさねぇ。この国で認められて騎士に、隊長になった。アンタも知ってるかもしれないが、王都にも鬼が住めるようになったし、小さかったアタシらんとこのガキどもが、学び舎にも入ってもいるのさ」
「……」
「恩義、だろうねえ……うちの馬鹿たち共々いつ果ててもいいと思っていたはずが、今じゃ違う。アタシ達が戦い、勝利することで確かに残るものがある。アタシは……王国の剣を背負ってるのさ」
アカシラは言いながら、音もなく刃を抜き、曇りなき刃を見つめた。
「これは未来を拓く剣だ。だから――アタシ達は、王国騎士団赤の隊は、この戦場で示さなくちゃなんないのさ。馬鹿みたいに精強で、恐れず、退かない奴らが王国にいるってね」
見ているもの。想像しているものは――似ているのかもしれない。起こりは違えども、彼女が隊を率いて戦場に立つ理由を聞いてそう思った。
「ありがとう。その……聞けて、嬉しかったよ」
「……ハ。どうだい、アンタも飲むかい?」
そうして、照れ笑いと共に掲げた酒瓶を見て、アルトは苦笑したのだった。
―・―
「赤の隊より連絡です! 50メートル級を釣り上げたと!」
「……また無茶をする」
苦笑がこぼれた。「呼べば来るだろ」というアカシラの雑な信頼を感じてのことだ。
――それでも、この環境は居心地がいい。
未だ、練武に果てはなく、この戦いには――確かな意味があるから。
●【王国歴1021年6月】
アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)が王国名誉男爵叙任後、アカシラの推挙をもって王国騎士団、赤の隊隊長に任命される。
アルト自身にとっても青天の霹靂の出来事であったが、周囲は綿密に準備を行っていたという説もある。
●年代不詳
――この記録は、王国に縁あった人物の取材記録である。
本人の希望により匿名の記事となる。個人の特定を避けるため、諸般の記載には一部変更が加わっている部分もある。
―・―
「1022年ごろまで、私は王国復興の諸事の手伝いをしていました。あとは、エリオットさんの手伝いも」
小雨のような少女の一部始終を、エステル・マジェスティは静かに聞いていた。
「幸い、活動のための蓄えもありましたし……王都に限らず、沢山の爪痕が残っていましたから」
「ヘクスから聞いた。たしか、寄付をしたと」
「そうですね」
「1億Gを越えてたって。商会なんかを除いたただの個人だと、最高額」
「……私には、要らないお金でしたから」
本当に何事でもないように、そう言った。
―・―
「……私は、王女様や、エリオットさんの力に……支えになりたいと思ったことはあっても」
わずかに言葉を切った後、続けた。
「仕えたいと……エリオットさんの部下になりたいと思った事は一度もありません。私は……私にとって大切な人が幸せであれば良いんです」
●『感謝の言葉』(【王国歴1023年3月】)
クローディオ・シャール(ka0030)は眼前に積み上がった書類の山を見て、目元を覆った。
「ようこそ、クローディオ。歓迎する」
「相変わらず、仕事の山ですね、隊長――ヴァレンタイン卿」
「……そうか?」
エリオット・ヴァレンタインの執務室でのことである。
名誉男爵として家から独立したクローディオは現在も独身生活を満喫している。生家であるシャール家からは婚姻の催促は来ているものの、忙しさを理由にそれとなく逃げていた。
「お前も忙しくしているのだろう。俺なんかに今更用があるとは思えないが……」
「お礼をと、思いまして」
背筋を伸ばしたまま、クローディオはエリオットを見つめ。
「私を黒の隊に任命してくださった事について、お礼を申し上げます」
数年来の感謝の言葉を紡いだ。
「今の私があるのは、”彼"と貴方のお陰です。黒の隊という居場所、役割を与えてくださったことに……感謝します」
深く、頭を下げる。自分は変わることができた。その謝意を伝える術を不器用なクローディオは他に知らなかった。
「何を言う」
こちらもまた、不器用な男だった。立ち上がり、クローディオの肩に手を乗せる。
「黒の隊はお前たちハンターそのものだ。王国の助けとなったのは他ならぬ……クローディオ、お前たち自身だ。それは俺が感謝されることではない。お前自身が……誇るべきことだと俺は思う。だから……顔をあげてくれ、感謝をいうべきなのは、その献身を受けた俺たちの方だ」
「……っ」
不器用な言葉は――それでも、クローディオの胸に、深く刺さるものだった。
認められるはずがない、と。あの頃のクローディオはそう思っていたのだ。自分でなくていい――呪いのように染み付いた自己否定と自己承認欲求の二律背反が自暴自棄につながっていた。
だから。黒の隊に任命されて救われたのは間違いがないことで――エリオットの言葉は『居場所』の価値と意味を、正しく肯定するものだった。
故に。
「……ならば、私は、感謝するべきなのです」
顔をあげることは、できなかった。
●【王国歴1024年2月】
Uisca Amhran(ka0754)が女児を出産。アルテミスとして活動していたUiscaは前年に結婚しており、Uisca=S=Amhran(・=セオリ=・)と呼ばれるようになっていた。
Uiscaは女児に「Mule:ミュール」と名付けた。(注:ミュールとは王国のある地方の混血児を表す蔑称であり、かつてハンターにより討伐された傲慢王の片腕とされる歪虚の名である)
ミュール討伐で功績のあったハンターであるUiscaの命名を、人々は大いに訝しんだという。
●『傾慕』(【王国歴1024年2月】)
古の塔の管理は、クリスティア・オルトワール(ka0131)が刻令ゴーレムの使用を提案をしたことを契機に作業が急速に進んだ。
大掛かりな清掃は既に終わり、内装を整える段となるとそれはそれで大忙し。なにせ、塔そのものの広さに加え、一箇所のみに手をいれるわけにもいかない。包括的な検討が必要となる。
今、山程の資料積み上がる室内には、二人。クリスティアに加え、エリオットの姿もある。
行き詰まり、息詰まり。
ふと、ついと。魔が差してしまった。
「……エリオット様はいい加減、身は固めないので?」
「ん?」
「え、いや……やる事は多いとはいえ、そういう話も来てるのではと思いまして」
「縁談の類は無いな。そもそも、俺に誰かと添い遂げるつもりはない」
「本当ですか!?」
クリスティアにとっては驚愕すべき解答だった。
「お家はどうするんですか?」
「弟が継ぐことになる。俺では家名に傷がつくだろう」
違う、そういう話じゃない……と思いつつも、予想以上に深い沼だった。
――自分が、幸せになってはいけないと思っている……?
「あくまでも王国のために生きる、ということですか?」
「そうなるな。俺にどこまでできるかは分からないが……」
とても、子供が見たい……ということは言える空気じゃなかった。
けれど、【傾慕】を戴く守護者たる自分にはその様すら――愛おしく思ってしまうのも事実で。
「――お手伝いしますよ。私も」
と、言った。
いつか。
この人の、この愚直さを……私は誰よりも愛したのだと胸を晴れるように。
●【王国歴1024年3月】
エステル(ka5826)が聖堂教会司祭の位に就く。
教会外部の関係者として関わった聖堂教会の宣伝部門、ならびにRBの取り組みを参考に行った結婚式事業の立ち上げ、ルル大学や、同領の農業法人に対する貢献もあり、内外ともに大きな反対はなかったという。実務家としての面が際立ってはいたが、周囲に及ぼした功績は後年非常に高く評価されている。
●『社会的な死について』(【王国歴1024年6月】)
あっという間の4年だった。なんとか押しかけ二人暮らしを回避した僕は以降も手を尽くし、家事が壊滅的だった"彼女"の生活のサポートをしたりと振り回されていた。
「こんにちは"オーランさん"。昨日振りね! 逢いたかったわ!」
そう。彼女は毎日家にきた。
「ご飯は食べた? 今日はいい天気よ。お弁当を作ってきたの」
けれど、今日はいつもと違っていた。どこか――早口で。
「だから結婚しましょう?」
??????
「え? 夢?」
「またそうやってはぐらかすのね! 料理は上手になったし、掃除も洗濯も! それに胸だってこんなに大きくなったのに……何が不満なのかしら?」
「不満というか」
そこで気がついた。
――彼女は今日、雨傘を差していない。
長い付き合いだ。彼女にとって、『雨』が切り離せないことはわかっていた。それが……傘も差さずにいい天気と。
「二人なら寂しくないわ? ほら、『歯車仕掛けの蛇』だってそう言ってる」
「その蛇は多分、いけない蛇だなあ……」
だとしたら僕はどこかで絡め取られていたのかもしれない。それが彼女の思惑だったのか、『蛇』とやらの入れ知恵かは定かではないけれど……気が紛れたという意味では――たしかにそうだった。
「それにね……わたし、『おじいさん』の事がとっても好きだもの」
「……さすがにちょっと、考えさせてほしいなあ……」
歳の差とか、そもそも聖職者だ。だから――。
「嫌よ。もう、待ちたくないもの」
●『目覚めた時、解かれるもの』(【王国歴1025年2月】)
王立病院の特別病室。白を貴重に、王国の紋章にも使われている緑がかった青色を基調とした、優しい色合いの誂え。
そこに据え置かれたベッドに、シュリ・エルキンズは眠っていた。
周囲には様々なものが置かれている。花や真新しい衣服、それから積もり積もった書き置き。年々重なっていく厚みをみて、ヴィルマは目を細めた。自分のような物好きは、まだいるらしい。
「それにしても、そなたは中々目を覚まさぬのぅ」
まるで時が止まったかのように、体つきも、筋肉の量も変わらない。シュリも変わらず、"元気そう"だった。ここ数年、流石に年齢にともなう変化を感じてきたヴィルマであったので、悪戯心でその頬をむにとつねる。
「…………」
少年は、すかー、と口を開きがちにして寝ているまま。
「もち肌じゃのぅ……」
若干のやっかみで、ぐいと頬に指を突き入れる、と。
「……っ……?」
「は?」
少年が顔を顰めた。
吉報かもしれないが、何か良からぬことをしてしまったような気がしなくもない。
病院のスタッフや友人たちにどう説明したものか? と頭を巡らせているうちにも、シュリはモゴモゴと顔を動かして今にも起きだしそうになっている。
椅子に座り直し、手櫛で髪を整え――気持ちが落ち着いたところでシュリの手を握った。温かい。それもまた刺激になったのか、シュリは目をあけ、
「あ、れ、ヴィルマさん……?」
すぐに、手を取られていることが分かったのだろう。寝ぼけ眼のままヴィルマを認識した。そして。
「……ここは……」
「……そなたは、随分と長いこと寝ておったのじゃよ、シュリ」
ヴィルマは空いた左手でシュリの頭をくしゃりと撫でると、
「おはよう」
微笑みと共に、少年の帰還を迎え入れた。
●『かつての少年たち』(【王国歴1025年2月】)
引き続き、病室でのこと。
「その時に僕は気づいたんだ。ヴィルマさんの左手。薬指に光る指輪にね」
「……」
「その後でジュードさんも飛んで来てくれたんだけどね……はー。幸せそうだったなー」
けっ、とらしからぬ舌打ちをしたシュリに、ロシュ・フェイランドは嘆息した。
「ところでそっちの女の子は? ロシュの……あれ、狼さん?」
「――なんで"俺の"は気づくんだろうな」
小声で舌打ちをしたのは、龍華 狼(ka4940)。ロシュの子飼いとなって長いが身長は159cmと小柄なまま。女顔もあいまってショートのウィッグをつけ女物の服を着ればそれだけで”女性”らしい。
「この姿はこの姿で色々と便利なんですよ」
『しな』を作って微笑んで見せるとシュリは「似合ってるなあ」と感嘆した。
「あの歪虚のこと、聞きました?」
「……うん。あの場で討伐された、と。あの時あそこにいた女の子は?」
困り顔になった狼はロシュへと視線を投げると。
「見つかっていない。私達が戦闘を行っていたところとは異なる出口から逃げたのかもしれないし……術式の材料にされたのかもしれん。楽観はできんが、その後の歪虚掃討および調査でも掛からなかった。騎士団一応は決着がついたと見ている」
「……」
飲み込むしか、ないのだろう。気を紛らわすべく、狼に向き直る。
「狼さんって、お母さん似なのかな。本当によく似合ってるね」
「え?」
予想外の言葉に、狼は驚きの表情で固まった。
「……それよりも、だ」
狼の困惑に何かを察したか、ロシュは先程よりも大きく咳払いをして、強引にシュリの注意を引き寄せる。
「用があるのだ」
―・―
「……僕が、フェイランド家に?」
「現当主である父からの提案だ。大恩ある先代『碧剣の騎士』の息子であり、当代でもあるシュリが目覚めたのならば、当家に迎えいれたいと」
ただの平民を養子として招くということが貴族の典礼上正しいとも言えない。婿養子というわけでもない。常識的に考えて批判は避けられないだろう。
「……いや、そもそも急すぎるよ」
「お前はそう言うが、その決定は5年前のものだぞ」
ちら、と助けを求めるように狼を見やるシュリだが、狼は謎にガッツポーズを決めて頷くばかり。
「……貴族だよね?」
「もちろん、次代当主になるわけでもないし、貴様が他家に婿養子に出る可能性もある」
「ふぁー……」
遠大過ぎてよくわからない。そもそも貴族になりたいなんて考えたこともない。庶民感覚ではとにかく畏れ多く。同時にこんなにも熱烈な好評を"お断り"するのは――躊躇われた。
「ええ、と……じゃあ、お願いします……?」
「そうか!」
「やった!」
ぱあ、とロシュの表情が晴れた。狼もガッツポーズを決めている
「録ったか?」「もちろんですとも」
「よし……では、次だ」
と、何やら怪しい話をしたうえで、一枚の書類をシュリに差し出した。
「"名前が間違っている"が女王陛下直筆のものだ」
「……ずるい」
書類を上から下まで眺めて、シュリは呻いた。
その書類には、「シュリ・エルキンズを王国騎士団 白の隊騎士に任ず」という旨が書いてある。家宝にしたいほど、喜ばしいものだ。
しかし――素直には喜べない!
王家と貴族のパワーバランスの変化がこんな所にまでくるなんて。
「まあ、そうはおっしゃらず……受けておいたほうがいいですよ。だって」
狼は言いながら、つ、と手を差し出す。
「500万ゴールド、まだ返して貰ってないんで。利子が大変なことになっちゃいましたよ?」
―・―
最終的にシュリは貴族にして白の隊の騎士となり、"ひと仕事"を終えた狼は。
「……似ている、か」
ポツリと零した。自分が女装をするようになった理由は――、と。
「……お金もだいぶ貯まったんだ。いつ母さんが迎えに来てもいいように」
もし、自分じゃない誰かでも自分に似た誰かを見つけることができたら。
――この願いも、叶うのだろうか。
●『ディンセルフ工房狩人店(弟子募集中!)』 【王国歴1025年4月】
彼女は正しく、"人物"であるといえよう。ハンターとしての戦勲はめでたく功績は大きい。かつて、筆者の記事においても取り上げた人物は、年月を経てもなお、その輝きを失うことはなかった。
此度は、名前も添えて大きく取り上げたい。クレール・ディンセルフ(ka0586)。
戦乱を生き抜いたハンターであり――鍛冶師の女性だ。
聞いて驚くことなかれ。
今は、ヒトを鍛とうとしているのだという。
―・―
「お久しぶりです、記者さん!」
「……お久しぶり。元気そう……それに、この店は?」
待ち合わせに訪れた場所は、リゼリオの職人街のとある店舗であった。
「ええ、『ディンセルフ工房狩人店!』です!」
「工房なの? 狩人……?」
店の中を見る限り、奥には確かに工房としての設備を備えているように見える。彼女自身もまた、鍛冶師として熱心に活動していたと記憶にもあり、エステルは判断しかねている。
「狩人の……ハンターのためのお店、ということ?」
「そうです。私は……すべてを順調にこなせたハンターじゃありませんから、だからこそ、後進の育成に進むべきだと、そう思ったんです!」
「ん……なるほど」
だからこそ、狩人店というわけか。確かにハンターほど素養が必要で、幅広い経験と自己研鑽を求められる職は少ない。
「ハンターは仕事を受けた以上、確実になせないと駄目なんです!」
「そ、そう」
以前からクレールは熱い女性だったが、年齢を重ねてますます盛んになっているように思えた。
「私なら、大抵の武具をつくることができますし……それに、経験だって積んでます。腕も――この通り、ですから」
――その子にあった"最適"な教育ができます、と。
強烈な自負と共に、言う。
なるほど。それならば、工房のみならず、”実践的”な気配の濃い装備や教本にも合点が行く。
いやしかし。この店内は……とても、静かで。
「……誰か、来たの?」
「今の所、友達の口コミだけなんですよね……狩子を預けたいと言ってくれるハンターの友達はいるんですが……なので!」
「ひゃうっ」
ガバッ! と、エステルの両肩を掴むクレールは、両目をギンギンに輝かせながら、
「……広告、うてますか!」
―・―
『ディンセルフ工房狩人店』
求ム! ”達成”ヲ求メル者!
勲章多数、経験豊富なスタッフが貴方の依頼、訓練をサポートします!
短剣一つ、いや身体一つあれば十分です!
あなたも■せますから!
●【王国歴1025年3月】
エリオットの執務室には何故か物が多い。
長らく此処に手伝いに出入りしていた女性がそれとなく置いていった物、というべきか。さしあたり、『彼女』の私物らしいのは6品ほどある。ひょっとしたら、自分が気づいていないだけでもっとあるのかもしれないが。
苗木。いつの間にか執務机に置かれていたガラスペン。
書類置き場の中に忍ぶように挟まれていた花占符と銀のしおり。
それから、資料置き用の棚に置かれた、銀の香炉と高級蜜蝋。
すこしだけ便利で、仕事ばかりの時間に彩りを添えるものたちばかり。
「物は……」
ずるいな、と。らしくないことを考えてしまう。
どうしても思い返してしまう。彼女らしからぬ稚気で置いていったのかもしれない品々を目にするたびに、唐突に訪れなくなった彼女のことを、何度も。
信頼でき、親しい仲間だった彼女は今、どこかで幸せに暮らしているだろうか。
感謝はある。それ以上に願いがあった。せめて、幸せでいてほしい、と。
そう思える仲間だった。
――そんな事を思い出させる、物たちだった。捨てることなど、できようもあるまい。
●『側室?』(【王国歴1025年4月】)
東方からの使者が会いに来るという知らせをヘクスが受けたのが3ヶ月前のことだった。彼方此方で活動していたとはいえ、東方との縁は薄い。まして皇室となると。
部下たちも結託してか一切の情報を流してこず、ヘクスにしては珍しく困惑とともに当日を迎えたのであるが――結果から言うと、拍子抜けすることになる。
「ようこそ、このような場所……って、君が?」
「ええ、まあ……何だか、すみません……」
それなりに正装をして迎えた相手は、東方の衣装に身を包んだアシェール(ka2983)だった。
―・―
「玉の輿じゃないか!」
「ストレートですね!? いや、まあ、そうなんですけど……一応これでも、現場のヒトなんですよ」
「今回の来国も外交の一環ってこと? はー、立派になって」
「……」
ジト目になるアシェールだが、内心では安堵してもいた。思っていた以上に元気そうだ。ヨボヨボになってはいないかと、危惧していたくらいなのだ。
――そう。身の上話をしにきたわけでは、ない。
―・―
「ははあ、秘術……」
「黒龍と帝の秘術、ですね。この聖堂は……」
言葉を切ったアシェールは道中を思い返し、室内を眺め。
「基本的に、法術を用いた継続的な浄化術のようですし、龍脈を利用した秘術は異なるアプローチですから、ある程度の効果は期待でき……少しは生き長らえられる、と思います。といっても生命力が増える訳じゃなくて、より、細く長くなるだけですが……」
「……あ、なるほど。そういうことか」
細く長く、という点は触れないわけにはいかなかった。術理で叶えられるのは、乱れた流れを整えることに過ぎない。
それでも――彼はそれを望むだろういう、考えもあった。
「表向きは帝から指示ですが……きっと、女王様の願いかと」
「システィーナがねえ……」
お見通し、というわけかどうかはわからない。無い袖は振れないとヘクスとしては思うのだが、システィーナなりの算段はあるのだろう。そうなるとヘクスのエゴでネガティブな介入はしたくない。
――つまりは、これを断るという選択肢は最初からない、ということだ。
「わかったよ。どのぐらいの期間なんだい?」
「数年間は定期的に来ますよ。ただ、しばらくは疲れやすくなったり、眠る時間が延びたりするかもしれません」
「数年おきに君がこうして来るって?」
「何が言いたいんですか?」
「……大事にされてる?」
「されてます!!」
●『救恤の司祭』 ( 【王国歴1025年5月】)
教会の一室。エステルは自らの執務室の中で大きく息を吐く。重く深く、疲労の籠もったそれを、彼女以外に誰もいない室内は平時通りに受け止めるばかり。
「苦では、ないんですけどね……」
ぽつりと落ちた言葉には、若干の自戒が籠もる。というのも、彼女の手元にある書類はすべて、彼女自身が望み、手を伸ばした物の結実である。
聖堂教会の司祭としての活動然り、彼女自身の資産を通じて出資・支援、あるいは共同して行っている事業の展開然り、それらを通じた戦災孤児や貧困層への取り組み然り、とにかくやることが多い。
尤も、終戦直後はレクエスタにアルトの援助を兼ねて、その傭兵団、ならびに王国騎士の関係者の参戦者への支援もあわせて行っていた。日々動く戦線、必要な物資の継続的な供給など、当時のほうが業務量・心的負担ともに大きかったのは間違いない。
それでも、無事にやり遂げた。
結果的にアルトは王国騎士団の隊長に転身し、日々こき使われていることはエステルとしては大変好ましいことである。
『お姉さまが!? お似合いです!』とひと演技打ったのも今は昔。アカシラからの推薦状の存在は幸いであったが、アルトが某騎士にこそりと打ち明けて以降、一族および騎士団関係者が双方向的に準備を進めた甲斐があったというものだった。
――抑止力たらんと日々切磋琢磨するアルトのことを誰よりも応援しているエステルである。公共の利益にかなうことはもちろん、敬愛する姉自身にとってもよい道であらんと願い、そのようにしたまでのこと。
しかし仮に、と。自問する。アルト自身がそれを望んでいなかったとしても、エステルはアルトの隊長就任を後押ししただろうかと。そうすると、ふわりと浮かぶ答えがある。
「……一人でも多くの人を救えるなら……」
騎士団だって。王国だって――絶大な力を有する姉であっても、利用するだろう。
その負担は、彼女が身を切ることで贖うことができるのであれば――と。
だから、彼女は書類の山をさばき続けるのだろう。ずっと、その身体が動き続ける限り。
動き始めて、自分のなかに明確な価値判断の基準がはっきりと分かるようになってから、エステルは一つ、思い至ることがあった。
「シャルシェレット卿も、”こう”だったんでしょうね……」
初めて気づいたときは、あらゆることが腑に落ちたものだ。
そして……だとしたらこれは止まることはない想いなのだろうなと諦めているのだからしようもない。
●『先生のお願い』(【王国歴1025年5月】
ボルディア・コンフラムス(ka0796)。春の日も高くなり、随分と暖かさを感じるようになってきた。
王都の第一街区を歩くボルディアの足並みは威風堂々たるもの。平素足を踏み入れることはない場所ではあるが、迷いはない。目指す先は王国の内務省である。王国は三つの政府省を有しており、内務省、労務省、軍務省からなる。
尋ね人は――聖導士学校を卒業した、教え子のもとだった。
―・―
「おっすー、懐かしの先生が会いに来たぜ―?」
「え、来たの先生なんですか?」
「……んだよ、文句あんのか?」
「な、ないです」
聖導士学校を卒業したものたちの進路は様々だが、その中でも王国の政庁にはいった教え子も少なくない。今回は名指しでアポイントメントを取った形だが、そう言えば”勤め先”は言ったが誰が行く、とかは触れていなかったかもしれない。
「――まあ、なんだ、頑張ってるみたいじゃん。うん、立派になった。先生は嬉しいよ?」
「セドリック様はかなり厳しいですからね……」
教え子の成長ぶりはひと目でわかる。知識人としての風格だ。ちゃんと学びつづけているようで、教師としては安心できた。
「で。ただ褒めに来たわけじゃないですよね。先生のことですから」
「うん、その通り!」
―・―
「……つまり、聖導士学校への支援の話、ですね」
一通り話を聞いた教え子はふむ、と唸った。
どのような計算をしているのかはわからないが――此処は、ボルディアとしても押しの一手しかない。
「かつての戦争の傷跡も大分癒えたとはいえ、まだ全員じゃない。戦争で被災して親がいなくなった子供達はまだ居る」
「……」
「先生は、その子達を全員救いたい。だから、君達の力を貸して欲しいの」
「私の一存で、とはいかないのは先生もご存知ですよね?」
「もちろん。けど、他に縁が無いんだ」
とはいったものの彼女の戦友をたどれば何かしらの縁はありえる。だから、これは我儘だ。彼女は、このヨスガを頼りに成し遂げたかった。
しばし、沈黙が落ちる。
「……恐らく、やりようはあります。問題は、聖導士学校のキャパシティです」
「ほう?」
「財源はアテがあります。女王は善政を優先する御方ですし、”投資”に理解があります。国として戦災孤児に投資をすること自体に否やは無いかと」
「”全員に””教育”、というのが問題ってこと?」
「……まあ、平たくいえばそうです。我々が把握している数でも、かなりの数に及びますから」
「――わかった。そしたら、こっちでも準備を進める。具体的な数字がわかったら、それとなく報せてくれないかな。で、そっちはそっちで話も進めてくれると先生は嬉しいな」
そこでようやく、緊張が解けた。子どもたちを通じて、この話を進められる。その手応えが得られただけでも収穫だった。自分たちにもやらねばならないことがある。けれどこそは、”先生”としての努力の為所だろう。
だから、今は万感を籠めて、こう結んだのだった。
「……本当に立派になったね」
●『お役目』(【王国歴1026年7月】)
「はーい来ましたよー! 東方の后ですよー!」
「はいはいはいはいどーもどーも、ありがとう」
幾度目かの来訪ともなれば、ヘクスも慣れたもので、若干対応が雑になっていた。
「今日はこんなものも持ってきました! ジャン!」
「……うわ、これ第六商会も関わっているのかい? 聞いてないんだけど……」
どん! とアシェールが持ち込んできたのは、一見するとただの車椅子だ。しかし、第六商会と、謎にエトファリカの紋様が刻まれている。
「NDAがしっかりしていていい商会ですね!」
「……そうだね。で、これは?」
「ふふーん、その名も、刻令式車椅子です! 第六商会との共同開発ですよ!」
「ほおん……でも、さっき手で押してきたよね?」
ヘクスの怪訝げな問いに、う”、とわかりやすく固まったアシェールは、小さく頬を掻いた。
「この部屋、マテリアル燃料は持ち込み禁止だったんですよね……」
―・―
施術にはたいして苦痛は伴わないが時間はそれなりに掛るので、リラックスできる姿勢をとってもらうこととなる。つまりはまあ、ベッドにうつ伏せになってもらった。
アシェールが”診る”かぎり、ヘクスの変調は負のマテリアルによる汚染と、その後遺症としての臓器不全、そして、マテリアルの循環不全だ。汚染はこの部屋そのものが対処となる。アシェールが取り組むのは、後者への治療――介入だ。
「そういえば、術を施してからの体調はどうですか?」
「うーん。ちょっと眠気が強いかなあ」
「そうですか……ならまあ、順調ですかね」
言いながらひとつ、ふたつ、と術を施していく。
「……そういえば、ヘクス様って、好きな人とか愛人とか居なかったのですか?」
「過去形かい? うーん、そうだなあ……例えば、エリーとか」
「ぶっっ!」
エリー。つまり!
「ホモ!」
「……大丈夫?」
「これが落ち着いていられますか!」
「いや、”とか”って言ったろ? システィーナも、ダンテも、セドリックだって好きだよ、僕は。アダムやオーランもそう」
「あーはいはいそういうのですね」
「もちろん、君もね。君だけじゃないけれど……」
「……またそういう事を言う」
「はは。めげずに頑張るヒトが好きなんだ、僕は」
なんだか、施術以上にカロリーを使うやり取りになってしまった。
けどまあ、本来聞きたかったのはそういう話じゃないのだ。こういう暮らしを余儀なくされているヘクスは。
「……寂しくないんですか?」
「別に。僕は十分、幸せだよ」
――ほのかに笑って、そう言ったのだった。
●付記 ハンターズ・ソサエティに対しての提言、あるいは苦言
ここで、長きに渡り取材を続けていく中で一部のハンター達から預かった”想い”として、まとめて取り扱うべきと判断したものを扱いたい。
注意いただきたいのは、これはあくまでも取材記録であるという点である。個々人の意見の集積ではあるが、実際の記録、事件を扱うものではないことをここに記しておく。
また、当アーカイブが特定の政治的思想を有していないことも明記するものである。
―・―
『ディーナ・フェルミ(ka5843)』
彼女は、ジェオルジの温泉街に拠点を構えている現役のハンターだ。
1035年時点で今もなお精力的に活動し、王国の聖導士学校で教鞭も取っている。
「子供達の就職先を、確認せずに斡旋できないの」
と語る彼女は、ソサエティについて、こう述べた。
「”私達”は人を守るためにハンターになったけど、ソサエティがそのことすら目を背けてる気がすることが増えた気がするの。ソサエティはハンターを統括しているハンターの互助組織だと思ったけど違ったのかな。ハンターと人を繋ぐ組織が、ハンターを押さえることでしか人に阿ることができないというなら……そんな組織は遠からずハンターにも人にもそっぽを向かれると思うの」
覚醒者という超人たちに対する裏切りだと、彼女は言う。自分たちの善意を裏切るものである、と。
「善意を善意だけで回すにはそれなりの胆力が要るのはわかるの。……ただ、今のソサエティにはそれがないのが残念なの」
彼女はいま、夫ともに二子を育てる母でもあった。
――それでなお戦場に立ち続けるというのだから、彼女の”胆力”には感嘆すべきものがあるだろう。
―・―
『ハンス・ラインフェルト』(ka6570)
記録には王国歴1035年に、東方を出奔したとされている。
筆者が彼の取材に臨んだのは1036年のことだ。正確には、”彼と思われる人物”となる。
かつてを彷彿させる着流しを身にまとうた男は、覆面を被っていた。
「家族が居ると、それを人質に取ろうとする輩が現れます。それが嫌になりましてね」
ソファーに身を沈めながらも、何時でも飛び出せるように構えている姿が印象的だった。当時彼は東方に居を構えていたという。
「人質に屈せぬ姿勢を見せるために、次男を殺しかけまして。智里さんのお陰で死なずに済みましたが……勿論報復しましたとも」
けれど、と続く。それ故に、出奔せざるを得なくなったと。
「元々私は乱波に近いことをしていたので、そういう縁には困りませんでしたから。その伝で”お仕事”をさせていただいております」
実際の”仕事”については筆者の知るところではないが、この頃、ハンターズ・ソサエティに対する抵抗運動が一部で見られていた。そこには、かつてハンターとして邪神との戦いに身を投じていたベテランの関与も見られており、ハンスもまた、その一人である、と目されている。
彼は最後に、こう結んだのだった。
「天叢雲は家族のもとに置いてきました。何重にも意味が伝わったと思います」
―・―
『マリィア・バルデス(ka5848)』
「人類領域の拡大にも異世界探査にも、ハンターの能力はあった方が良い。高位の覚醒者じゃなくても、その方が生存率が上がる……そういう上申を、ソサエティに何度も出したわ」
彼女はかつてを振り返り、首を振った。
「ハンターが居る事で起きる騒乱も異端視化も確かにあると思う。でも、ハンターの増加を制限するのは、人間領域を拡げようと活動している人間を危険に晒す行為だわ」
狩子制度のことをさしてのことだろう。事実、彼女は自身の狩子については終ぞ触れることはなかった。
「これは、安全地帯でぬくぬくと生活している人間からの逆差別なのよ。私達ハンター……覚醒者に対する、ね。北征南征の終了宣言するまで、そんなバカなことをソサエティにはしないでほしかった。だから王国の聖導士学校に協力するの。唯々諾々と従うのは、保身に走った卑怯な行為だと思うからよ」
――そんなマリィアにも、娘がいる。一人娘で、かつて愛した夫との結晶だという。
そんな娘を、マリィアは聖導士学校に入学させた。それは、娘にとっての最善を望む彼女にとっては、当然のことだったのだろう。
「ジェイミー。エドラや他の子供達が、笑って生きられる世界にしたいわね……」
そういって、数少ない家族写真を眺めた彼女は悲痛の漂う笑みを落としたのだった。
―・―
『星野 ハナ(ka5852)』
彼女もまた活動的に行動していた。
部族なき部族に関わり、聖導士学校で講師をして、ディーナ同様に、北征と南征に参戦し……更にはユニゾンの依頼にも介入していたという。
「私ぃ、自分が傲慢の歪虚より傲慢な自覚ありますしぃ……なりたくて深紅ちゃんの守護者になった自負もありますぅ。人が死ぬ時周囲に歪虚が居ないようにしようと思ったらぁ、手っ取り早いのは人間領域の拡大ですぅ。だから王国の聖導士学校運営に協力してぇ、学校絡みで北征南征にも関わってますぅ」
だからこそ、彼女には忸怩たるものがあったのだろうか。
「でもぉ……ハンターって農民や軍人と同じ一技能職に過ぎないんですぅ。それを一般常識にできないのはぁ、そういう教えを共有する場所がないからだと思いますぅ。狩子みたいにぃ、個々に教えるなんて悪手も良い所ですぅ」
ぷぅ、と頬を膨らませて、冗談めかしてはいるものの、その諦観や怒りは本物だったのだろう。
「そのためのマニュアルも講習も場所もぉ、本来はオフィスが率先して準備すべきだったと思いますぅ」
――星野 ハナは、ハンスを始めとした『抵抗運動』に参加していたと目されるハンターの一人でもある。
―・―
『トリプルJ(ka6653)』
スワローテイルに参加し、聖導士学校で戦闘指導にも携わる好漢というべき男もまた、ハンターズ・ソサエティに対してこのように苦言を呈していた。
「オフィスか……ありゃ早晩ぶっ潰れるんじゃね?」
大仰に肩をすくめ、続ける。
「ある意味俺達ぁ軍事力だ。二重三重の安全弁かけるためにも文民統制が望ましいと思うが……オフィスにゃその基盤がない。フォローして統制を命じる外部組織もない」
ここでいうオフィスとは、ソサエティのことであろう。
「ハンターなんて本来ただの技能職だ。漁師や軍人と大差ねぇ……しかし、それをそう言いきれる胆力が今のオフィスにねぇ。オフィスのトップが俺らを怖がってるんだ。駄目だな、ありゃ」
落胆していた。かくあれと願う形が彼には確かにあったのだろうから。
「連合宙軍のような組織化ができりゃハンターもただの一職業になれるんだが……今のオフィスじゃ足りないものが多すぎる。能力と善意があっても、蔑ろにされりゃそんなもんはすぐ腐る。若きゃ若いほどその速度は早いだろう? オフィスがあの路線を貫くなら、なくなる前に血の雨くらい降るだろうな」
と、後の抵抗勢力をほのめかす発言をして、忙しげに彼は席を立った。先述の通り、彼のいるべき場所に戻るためだった。
―・―
『ドラストル・アレシーダ(ka7421) 』
まさしく好々爺というべき老人は、筆者にあうなり孫の写真を見せてくれた。
結婚式の晴れ舞台じゃよ、とのこと。孫夫婦にはつい最近曾孫が生まれたらしく、そちらについてもニコニコと見せてくれた。
「うむ、孫バカのドラストルとは儂の事じゃ!」
老父ではあるものの、その戦歴は短い。しかし、伝えたい事はあった。
「ソサエティはハンターが要らなくなる、人心を安んじるためにも人数を制限すると言っとるようだが……ありゃギルドの姿勢として駄目じゃの。ギルド員と世間の橋渡しを放棄して、世間の恐怖を煽るように動きよった。ギルドとしては早晩割れて抗争が起こるじゃろ? その結果神霊樹も全て焼かれて2度とハンターの生まれぬ世界になるかもしれんが、それも神の思し召しじゃ。
……人ができると思い上がったことは大抵できんからの」
眦を釣り上げながらも、最後には老人は怒りを無理矢理鎮めながら。最後は呟くように、そう言っただった。
―・―
『フィロ(ka6966)』
王国歴、1035年。フィロはルル大学防諜部門長を辞した。(筆者はこのとき、同部門の存在を初めて知った)
一部抵抗勢力に参加することなく、彼女はハンターズ・ソサエティの意思決定に対して、働きかけるように努めた。最終的に円満解決を期待して。
しかし、彼女自身は――忸怩たる想いを、抱いていたのだろう。
「狩子制度は、実際には張り子の虎です。あれでハンターになる人数を抑制することはできません。そういう見せかけのスタンスだと分かっているからこそ、私達の聖導士学校はその隙間を縫って成功しておりました。そして、それこそがオフィスの意向との乖離の始まりでもあったのです」
彼女から見て、不満を覚えたものたちの火元はあくまでもハンターズ・ソサエティの意向と姿勢にあった。
「関係者、教鞭をとる者は皆、未来の子供達に対する熱い想いを持っておりました。そして押しなべて過激な歪虚撲滅派でもありました。あの頃のオフィスは、民意と言う見えないものに怯え、ハンターへの対応を誤ったのです。あの頃、子供達の夢と未来を閉ざす者として、オフィスと聖堂教会過激派の流れをくむ教師たちは、一種即発の状態にありました」
――ここまで、聖導士学校の面々が過剰に取り沙汰されてはいるが、実際にはボルディアのように静かに教導に臨んでいたものも多いことは添えておく。
「あれを放置したら、オフィスを襲っての全面抗争も有り得るほど内圧が高まっていたのです。鎮圧されるまでにどれだけの神霊樹や設備、人材が失われるか。人を守り子供を守る者として、放置することはできませんでした」
さて。実際に何があり、どうなったかについて、筆者は語るべきを持たない。それは当事者、あるいは係累の者たちの声を残すという、本アーカイブの取り組みに悖るものだからだ。
●『求めるはπ乙カイデー』(【王国歴1028年7月】
ハンターとしてのキャリアは短いんだけどよ、と語りだしたラスティ・グレン(ka7418)。当時は10代前半だったというが、家族の為にハンターの道を選んだ。当時は邪神戦争も佳境で、終末期といっても過言ではない。
彼は開口一番こう言った。
「インタビュー受けたらπ乙カイデーなねぇちゃん紹介してくれる?」
―・―
「俺は殆ど邪神戦争終末期にハンターになったからなあ。これで母ちゃんや家族を守れる、π乙カイデーなねぇちゃんにも会えるかもって」
前者はともかく、後者については照れ隠しかもしれない。筆者が知る限り、ハンターには『パイオツカイデー』な人物は多い(筆者はインタビュー後にこの意味するところを知った)。
しかし、だ。
「泣いて吐いてチビりながら戦場に出たら、知り合ったのは胸囲がデカイあんちゃんだけだったよ」
へっへっへ、と下卑た様子で笑うかつての少年は、しかし不満の色はなかった。当時は当時で、彼にとってはいい思い出になっているのだろう。結果的に彼は家族を守ることに貢献することができたわけである。
少年は戦後、まずは研鑽と目的をたてた。
最初にしたことは、総合大学への入学。そこできっちりと学ぶべきを学ぶ――とした選択からは、冗句の裏に滲む彼の気質が伺えるところである。実際には、なかなか卒業には至らなかったとのことだが……それは、それ。さぞ誘惑の多い学業生活であったに違いない。
その後のハンター生活の傍らで、亜人との”交流”も積極的に取り組んだ。”成果”のほどは定かではないが、ジャイアントとは良縁を作れなかったらしい。
「俺の冒険はまだまだこれからだ!」
……彼は再び、πの旅に出るのだろう。
●『矛盾の英雄』(【王国歴1030年3月】
邪神戦争の英雄、鬼塚 陸(ka0038)。戦時、最前線を走り抜け、守護者として生きた彼は、戦後も精力的に働き続けた。
最たるものは、その名を轟かせることとなった【VCU】の企業化であろう。CWで活動を行うレクエスタ課、RBで活動を行うエージェント課を二本の柱とし、覚醒者を中心とした活動を継続的に行っている。
1030年現時点においては、CWとRBをつなぐ計画、および、CWの将来として、宇宙開発を見越して準備を進めているのだとか。
これは、そんな彼への取材記録である。
―・―
戦後10年を越えると、かつての青年はすっかり老練の気配をにじませていた。
「うちの理念である、『誰もが生きられる明日を創る』という言葉なんですが」
【VCU】を立ち上げ、今も精力的に活動する理由を尋ねたところ、彼はこのように答えた。
「この言葉は、僕の初恋の子が言ってた言葉なんです。……あの子とは、病気で死別してしまったけれど、あの子の願いは、僕の中でずっと生きています」
あの邪神戦争中のことだという。彼女との未来は、ある日突然、病魔によって失われることとなった。遺された陸は、その願いに衝き動かされるままに、戦場を転々とした。
少年の肩には大きすぎる夢だった。それでも、彼は動き続け、自らに誇るものはないという凡人は、それを成すために、非凡の証明とも言える守護者にすら手を伸ばした。
「……まあ、結果的には片方には胸倉掴まれるわ、もう片方にはお前守護者らしくないって言われるわ……散々だったんだけど」
すごい力だったよと笑う彼は、その経験すらも良きものとして捉えているのだろう。暗い影は一切見当たらなかった。
彼の道程は決して平坦なものではなかった。
それゆえに、自ら凡人と称する彼一人には――到底、果たせるものではなかったと語る。「そんな僕と共に居てくれる仲間が居て。好きだと言ってくれた……今の家内が居て。やっともう一度、この言葉と向き合えるようになったかな」
向き直ると、中々に難しかった。『誰しもが生きていくことができる明日』――という願いには果てがない。
生きる、ということもまた、難しい。そこに答えを見出すことは陸をしてもできなかった。しかしそれは、願いのための指針を見失ったということと同義ではない。
「生きるって、なんだろう。楽しい事も、悲しい事も……あるけれど、それでも明日は良い日であるといいなって。そんな風に思える世界にしたい」
彼はそう語り、今も、そして未来に渡り、戦い続けることだろう。
彼の願いは借り物だったかもしれない。それをもって、凡人だと言うのかも知れない。
今は――どうだろう。”彼女”が遺した願い、”世界"は……彼を英雄にした。
「僕は……あの子の願った世界を生きている。何時か向こうに行った時、胸を張れるように」
こう言うと、大げさかもしれないが。いつかの出会いが、後に世界を救ったのだとしたら――さて、件の少女は、どう言うだろうか。
●『その名は異端、しかし標なれと願う』(【王国歴1027年11月】)
アルテミスにとって、外部の資金源の中で肝と言えるのは、第六商会と黄金商会の二つになる。民間人の登用が進んだ手前仕方がないことだが、先立つものは必要不可欠。
黄金商会の突き上げもあり、競うように資金提供をしてくれる第六商会からヘクスが足を洗ったとは聞いていたが、聖堂に引きこもっているというのは想定外だった。
どうしても礼をしたいというUiscaの意向を汲んで、此度の席が設けられることとなった。
「……わざわざいいのに、律儀だねえ、君は」
「いえ。本当に感謝していますので」
苦笑して迎えたヘクスに対して、Uiscaは丁寧に一礼。その手には、長い通路を通る過程で疲れてしまったのか、幼児が抱えられている。
「赤子を連れてきたのは君が初めてだよ。おめでとう……しかし、えらい名前をつけたものだね」
「ご存知だったんですね」
まあ、座って、と。案内された先は、幅広のソファーであった。
「せっかくの機会だ。理由を聞いても?」
「ええ、もちろん」
かすかな寝息をたてる、”ミュール”と名付けられた娘をかるく撫でながら、Uiscaは口を開いた。
「……貴方と同じですよ」
「ははあ」
そう言われるとヘクスは弱い。ベリアルによる大暴露は、ヘクスにとっては黒歴史だ。
「ミュールちゃんを始めとする歪虚への憎悪、混血児を忌む悪しき風習……そうした王国の心の闇を祓うため、あえて私が責めを負うような手を取った、ということです」
「……そうか」
慈愛に満ちたUiscaの眼差しを見れば、覚悟の上だとわかる。
「いずれ、ミュールちゃんが歪虚でありながら、ヒトと手を取り合おうとした事実が広まれば、『ミュール』の名があらゆる違いを乗り越えて、手を取り合うことができる象徴となる、と思っています」
「……そして、”あの子”の供養になる、と」
なるほどねえ、と。ヘクスは呟くのみ。
けれど。
「……そう聞いちゃうと、何もしないのも気分が悪いよなあ」
「え?」
そういうと、ヘクスは何ごとかを手元に引き寄せた紙に書き殴り、封筒へとしまいこんだ。
「いい話を聞かせてくれたところ悪いんだけど、一つ仕事を頼まれてくれないかな?」
―・―
――以上が、とある少女の歴史的事実を詳らかにするためのプロジェクトの興りだということを知るものはUiscaと、第六商会の一部のスタッフのみである。
なお、資金の提供の礼に”律儀”にも訪れたUiscaに対し、ヘクスはこう言ったそうな。
「君の”娘”にいい格好したかっただけさ」
●『比翼』(【王国歴1030年4月】)
読者諸君は、『極楽鳥』というブランドをご存知だろうか?
リゼリオに本拠地を置き、CW全土に展開する同ブランドは、「可愛いは正義」を合言葉に、菓子や服飾品を扱っている。
RBとの関係、つまりは邪神戦争の影響も少なからずあるとは思われるが、女性の社会進出を背景に爆発的な人気を誇るようになった。今では若い女性は須らく足を運んでいるといっても過言ではない同店がハンターがオーナーであることはあまり知られていない。
今回は、その従業員にインタビューをする運びとなった。『極楽鳥』の人気店の一つ、王国店の従業員である。
―・―
「私、王国出身なんですけど、騎士だった両親が小さい頃に死んじゃって……戦乱後親戚を盥回しにされたんですけど、丁度その頃うちのオーナーが出資した全寮制学校が出来たんですよ。孤児も奨学金貰いながら通えるって話聞いて、飛び込んだんです」
オーナーはジュード・エアハート(ka0410)。ベテランハンターである。
ジュードは現役時代から様々なファッションに身を包んでいたが、その才覚を活かして『極楽鳥』を創業。それと同時に、資金を半ば吐き出すように、孤児や恵まれない子どもたちに対して働きかける教育機関への支援を行った。奨学金もその一つである。
――余談だが、青色と白色を基調とした制服は、王国店独自の制服らしい。各国ごと、景観に配慮した制服は、『極楽鳥』の売りの一つでもある。
「それで色々勉強させて貰って……今はこんなに可愛い制服着て可愛いお店で働けてるんですから超幸せです」
さて、ここで、彼女からみた『オーナー』の人物像について聞いてみたところ、彼女はふふり、笑い。
「年齢も性別も不詳で不思議な人ですけど、可愛くて凄い人ですよねぇ……」
戦後10年。ハンター歴を考慮すると、15年のキャリアを経てなお、この評価であった。
『極楽鳥』と、オーナーの活動が示すとおりだ。可愛く、誰かの止まり木となる懐の広さを持ち、そして、その活動性は留まるところを知らない。聞けば、オーナーが良く赴く店舗として、『王国』、『辺境』の二店舗が挙げられるらしい。CW全土を股にかけるその活動範囲の広さもまた特筆すべきだろう。
「この『王国』店舗には、5年くらい前までは誰かのお見舞いでよくいらっしゃってたんですよ。その後快復したらしくって、たまにこのお店でお茶をしてたりしています」
騎士らしいんですよね、と少女は言う。
しかし、となると『辺境』というのは中々興味深い。彼の地は中々に波乱が止まぬ土地である。『極楽鳥』のコンセプトを思えば、苦難も多いと思われるのだが。
そうすると、彼女は更に笑みを深め、こう言ったのだった。
「辺境店勤務の子が言うには、旦那さんとラブラブらしいですよー!」
なるほど。
しかしそうなると、性別不詳というのも――。
―・―
「……という感じの記事になったの」
「ふんふん……俺は良いと思う! やー、いい感じで話してくれたんだねー」
個人的な知己でもあったエステルは、15年越しのジュードを眺めて小首をかしげている。
「ジュードは10年前から殆ど見た目が変わってない……ずるい……」
「……ふふ」
そうして、遠くを眺め、笑みを深める。
遠い空。それでも、その生は繋がっていると感じられる――遙かなる蒼天。
「やっぱり愛のなせる業かなー」
●『連理』(【王国歴1030年4月】
いざ、自分の生き方に向き合うと、これはこれで発見は多いもの。
エアルドフリス(ka1856)はいっそ晴れやかな気持ちで蒼穹を見上げ――途方に暮れていた。
「ま、待ってくれ、ゲアラハ……」
先を行こうとする旅の相棒、イェジドのゲアラハを呼び止める。
何かと言うと、激しい腰痛に見舞われているのであった。
―・―
集落までたどり着いたエアルドフリスは厚手の絨毯とクッションに座る。
「さて、調子は如何かな。具合の悪い人は順にどうぞ」
すでに”流れの薬師”の訪れに行列となっている。男はざっと列全体を眺め、喫緊で対応しなければならない者がいないことを確認すると最前の人物に向き直った。
「やあ、ご無沙汰してます、長老。どうやら、顔色はいいようだ」
ざっと検めて問題がないことを確認し、予め調合しておいた薬の包みを渡す。集落とはいえ列に並ぶ人数も多く、加えてエアルドフリスの辺境暮らしも、この集落との付き合いももう10年になる。
次に並ぶ女性も顔見知りである。その腕にはまだ生まれて間もない赤子を抱いている。
「やあ、お産は無事済んだのだね」
「ええ! 薬師さま。良かったら、触れてはくださいませんか?」
「ああ、もちろん」
用意しておいた水桶で汚れを落としたのち、右手で赤子の額を覆うように触れる。
「……いい子だ。あんたも体力が落ちているだろうから、この薬草茶を飲むといい」
「ありがとうございます。貴方のように、壮健に育つといいのですが」
「……俺かい? こう見えてもう40だ。腰痛と戦う日々だよ……」
そう言うと、ど、と列に並ぶ者ものに笑いが生まれた。暖かな気配に男もまた皮肉げに笑う。
「患者の気持ちが理解できるようになって薬師としての格が上がったってもんだよ」
そうしてまた一つ、高い笑いが起こった。
平穏で、和やかな――辺境の時間だ。
―・―
診察が終わった頃合いに、長老から獣が出るとの相談を受け、その退治を承った。旅暮らしの合間に、こうして戦いの依頼を受けることも少なくない。ゲアラハにとっても良き機会になるという心づもりもあるが、エアルドフリス自身も望むところである。
辺境の夜は寒い。厚手の天幕の中ランプを灯すと、胸元から手紙を取り出した。
ジュードからの近況報告。それから今後の予定が書き連ねてある。ジュードが辺境に出店した『極楽鳥』の店舗に行く予定には赤文字で線が引かれている。”奇しくも”その日は、エアルドフリス自身がそこを訪れる日でもあった。
数ヶ月に一度の機会。それは、恋人同士の逢瀬としては少ないとは思う。けれども――共に生きていくのであればそれでも十分、エアルドフリス自身の願いを追求すればいいのだ、と背を押してくれた。
背反する想いを優しく包んでくれたこと。
エアルドフリスの魂が求めている二つを両立できたこと。
その幸福を噛み締めながら、生きている。
辺境を旅する中で、不穏な火種の興りも目にしてきた。しかし、そこに関わらない道を選んだのはエアルドフリス自身でもあった。それもまた、巡り巡る理の一つだと、受け入れて。
ずっと。この身が果てるまで――この旅は、終わらない。
この地で治療を続け、生きていくと決めたのだ。
”彼”と、共に。
●『両界のバラ』【王国歴1030年5月】
セシア・クローバー(ka7248)は最初に、彼女の家の庭を見せてくれた。
数多の薔薇が咲き誇るその庭の中で、セシアは誇らしげに胸を張った。
「我が家の庭の薔薇も全て義妹が両世界の薔薇を交配させて生み出したものだ」
義妹は彼女の夫との縁らしい。
大規模作戦にあわせRBから避難してきた義妹は、邪神戦争後もリゼリオに残った。
そうして取り組んだのが、世界を超えての薔薇の交配だ。
その薔薇を用いたジャムは、彼の良夫が開いた店で味わうことができるらしい。
「明日へ受け継ぐものを残していけたらこんな嬉しいことはない」
そう語り、数多の薔薇を背負ったセシアの姿は、とても誇らしげであった。
世界の壁は、いつしか再び開かれる時がくる。その時、義妹と共にRBにこの”種”を届けることが、今の夢だと彼女は朗らかに語ったのだった。
―・―
そのまま、彼女とともに、リゼリオの一角にある有名店へと赴いた。
RBのイタリア家庭料理を扱う店。そう、先述の夫の店は、知る人ぞ知る名店であった。
1021年4月に開店した同店は、以降客足が絶えたことはない。リゼリオの気風はもともとRBの欧州のそれに近いというが、間に有名店への道を駆け上がった。
「二つの世界があってこそ生まれた薔薇……それを使ったドルチェを作りたかったのさ」
義妹の夢。セシアの想い。そしてそれらを結実させたのが、レオーネ・ティラトーレ(ka7249)。当店のオーナーであり、シェフである。
――薔薇のジャムを用いたクロスタータの提供は今月からとなる。
店の混雑具合もさることながら、素材となった薔薇の数にも限りがある。
ゆめゆめ忘れぬよう、敢えて記しておこう。
店主の意向により、筆者も賞味させてもらった。
その風味、香りの高さについての感想は、敢えて述べずにおきたい。ぜひ読者諸君には、驚きとともにこの体験をしていただきたい。
―・―
「誰かにとって大きな架け橋になる、という願いもある……シニョリータ、君が物語を残すのと同じようなものだ」
最後に彼は、そう言って伊達男らしく一礼をしたのだった。
●『巡り、継がれるもの』(【王国歴1035年1月】)
ボルディア・コンフラムス。彼女は歴戦の勇士であり、世界の守護者であり――そして、今や学校の教師、である。
かつての勇猛果敢ぶりを知るものは驚くことだろう。彼女は武威を誇ることなくただ静かに教鞭を奮っている。
「大した話は聞けないと思うけどね」
――そんな彼女の話だからこそ、聞きたいと思ったのだ。
―・―
「先生の持論だけど、国に元気があるかどうかはその国の子供達を見れば分かると思う。子供が暗い顔してる国は遅かれ早かれ滅ぶものだからね」
かつては俺、と言っていたボルディアが戦後15年も経つとこうも変わるか。
彼女は終始、自らを先生と言い続けた。それは、彼女のこれまでを如実に表す言葉で――誇り、と言えるものなのだろう。
「その点、戦争中でも王国の子供たちはよく笑ってたよ。これは、戦争中からここでずっと子供達を見てた先生が保障する」
戦時中、そして戦後も子どもたちを見守り、教え導いてきたボルディアの言葉には喜びが満ちていた。
「あれから大分経ったけど…子供たちの笑顔はもっと輝いてる。沢山の子供たちを助けて……子供たちの笑顔を見れて、先生は先生になれて良かったな」
万感とともに、ボルディアは言った。
そんな彼女だからこそ、彼女の助けになろうという”子供たち”も多いのだろう。笑顔の種が巡る。彼女の教師としての生き方は、とても豊かで――とても、母性に溢れたものに感じられた。
●『物語るものども』(【王国歴1040年1月】
1040年現時点において、御伽話作家ルスティロ・イストワール(ka0252)の名は広く知れ渡っている。数多の物語を紡いでは世に広めているルスティロは、現在でこそ活動量は減ってしまったがれっきとしたハンターである。
邪神戦争以前から作家業を営んでいたが、戦時中にスランプに突入したルスティロは、スランプ打開のためにハンターになった。さて。戦争が終わった今や、スランプは何のその。以来20年に渡って物語を書き続けており――その筆は留まるところをしらない。
―・―
「僕は英雄を見たかったし、未知の文化を知りたかったし、行った事の無い場所に行きたかった。それは全て叶えられた」
戦時中を振り返ったルスティロは、双眸を優しく細めながらそう言った。かつての思い出一つひとつ、戦友一人ひとりを辿るように、ゆっくりと。
「だから僕は、きっと死ぬまで書くだろうね。死んでも書きたい位さ!」
ルスティロにとって、衝撃的な旅だったのだろう。スランプを砕き、ばかりか創造の泉は無限を思わせるほどにわき続けている。
「あの日々の輝かしさを。苦しくも足掻き続けた命の灯を……僕は未来へ伝え続けたいと願っている。子から子へと継がれる御伽噺として」
彼はエルフだ。故に、『遺す』という行為に重きを置いているのかもしれない。彼の周囲に居たであろう者たち。その、彼らと過ごした日々を遺すためには、彼自身が物語ることが、最も目的に適う手段となる。
だから、であろうか。彼はこのアーカイブにも非常に好意的だった。
あの日々を記録すること。そうして語り継ぐこと。
ひょっとすれば将来、このアーカイブに何篇かの御伽噺が加わることになるかもしれない。その時はぜひ、子どもたちへと読み聞かせていただきたい。
きっと――当時の想いから紡がれた、珠玉の物語であろうから。
●『esistenza』(【王国歴1040年6月】)
1040年。その日は、二人にとって特別な日だった。
セシアとレオーネの結婚20周年。リゼリオの一角のイタリア家庭料理店は、今日ばかりは休日である。尤も、数時間ほど前までは身内を招いてのどんちゃん騒ぎだ。歌あり、酒あり、涙あり。友人たちの趣向に、セシアとレオーネは多いに笑い、そして少しだけ、嬉し涙を流した。
夜が深まるころには皆は去り、子どもは遊び疲れて眠りについている。
あとに残ったのは二人だけ。二人は中庭の椅子に並んで座り、空を眺めている。きらきらと眩い夜天。
「20年、か。あっという間だったな……」
「ふふ」
レオーネのつぶやきに、セシアはつい吹き出してしまった。
「私もちょうど同じことを考えていた」
「君がいなかったら今まで厳しかったと思うよ。家族にも……友人にも恵まれた俺は、本当に果報者だ」
この20年を振り返る。この世界に住まうと決めて、あっという間に時が経った。慌ただしくも――幸せな日々だったと。
「私も果報者だな」
つと、ぽつりと落ちたセシアの言葉にレオーネはそっと彼女の背へと手を回し、髪を撫でる。
「……あなたには、感謝してもしたりないな。私の人生を豊かにしてくれた」
「――では、お互い様だな」
柔らかく、暖かな時間だけが満ちる。
――RBには”彼”の空の星もあるのだろう。
――……”お前”もまた、俺の中に息づいているよ。
そうして、夜天に向かい、それぞれに物思うたことは、奇しくもレオーネの昔の半身のことだった。彼を縛り――彼の礎となっている、一人の男。
「Ti amo,Amore mio」
「……Ti amo,Bellissima mio」
CW育ちのセシアのイタリア語に、レオーネは一瞬目を丸くしたあとで、微笑して答えた。
「……私の物語が終わるまで、よろしく」
「俺の物語が終わるその時まで、よろしく」
そうして二人は、夜闇に溶けるような、かすかな口づけを交わしたのだった。
●『名匠来たりて』(【王国歴1045年1月】)
かつての少女、クレール・ディンセルフは衝動を抑えきれなかった。
腕を組んで立つクレールの向かいにはグラズヘイム・シュバリエの大工房。
戦争以降も技術を磨き続け、世界最先端の技術屋集団の城。
けれど、と。クレールは確かな熱とともに、思うのだった。
――私も所帯を持って、狩子も弟子も育てて……子供もできて……カリスマリスと、ディンセルフコートと一緒に頑張ってきた。
人を育て、得物を鍛ち、武技と鍛冶の腕を磨いてきた。人生をかけて打ち込んできた思いと熱量ならば――負けはしない、という自負すらある。
職人としての頂きを拓く。そのために、クレールは衝動にまかせて、熱にまかせて、此処にきた。
「頼もう! 造りにきました!!」
門が割れんばかりの大音声に、一瞬辺りが静まり返る。
『やつが来たぞ!』『カチコミだ!』『逃がすな!』
そんな声を遠くに、クレールは仁王立ちして待ち構えていたが――あれよあれよという間に職人たちに抱きかかえられ、大工房へと連れ込まれることになった。
蓋を開けば、かの職人集団もディンセルフ工房には熱視線を送っていた、ということであったらしいが……ともあれ、この日を境にグラズヘイム・シュバリエは特色である『実用性』を更に高次元まで磨き上げることになったという。
●【王国歴1050年】
宵待 サクラ(ka5561)が失踪。イコニア・カーナボン(kz0040)の死去に前後して、サクラはイコニアへの崇拝と信仰を語り、その際にRBにおける聖女の逸話と、彼女に付き従い、後に狂ったジル・ド・レへの共感を述べていたという。
イコニア・カーナボンの死が、彼女に何を齎したかは明らかにされていないが、以降のサクラに関する記述は渉猟し得る限りでは存在していない。
● 『世界の果てに住まう者』【王国歴1055年】
ルベーノ・バルバライン(ka6752)は『ユニゾン』の外部市民として暮らしている。
レクエスタには参加しなかったそうだ。曰く、「利権がキナ臭すぎた」とのこと。
そんな彼は、ユニゾンの「マゴイ」に絆されて以来、30年以上に渡りユニゾンで暮らしている。
「ユニゾンはそこで生まれた者には窮屈だろうが、死に行く者や傷付いた者には優しい地だ」
と、言うくらいである。ルベーノ自身が勇士であることを踏まえると、消して温い土地ではないことはわかる。
けれど、と。ルベーノは大笑して、こう言うのだった。
「端から見ればユニゾンはディストピアだろう。しかしあれでもEGにあった本家ユニオンとは随分変わった。多様性の一つの形としてこの世界で認められれば良いが……まあ、胆力がいるのは否定はせん!」
もはや、王国歴すら遠く感じるというルベーノは、CW人としては中々異質な人生を歩んでいた。
「俺ももう王国まで来ることもあるまい、これが最後の奉公だ、ハッハッハ」
さらば! と言って、取材料を受け取ったルベーノは、そのまま何処かへと消えた。
――嵐のような人物であった。
●『星のヒト』(【王国歴1061年4月】)
RBにおいて、宇宙開発100年目となる当年は、CWにおいても宇宙開発が始まっていることとあわせ、世界をまたいで大々的に祝われることとなった。
それぞれの関係者、責任者、各国首脳がこぞってあつまるレセプションの中に、彼の姿があった。クオン・サガラ。そこで取材予定を取り付けたわけであるが―― このとき既に老年に当たるはずであるが、筆者が取材することが出来た容姿に準じ、この記録においては青年として記載するものである。
―・―
火星は、オリンポス山近くの農業用ドームでの話だ。1030年代、RBにおいて火星の開拓が積極的に進めらることとなった際、クオンはエージェントでもある自らの能力を十全に活かし、開拓に取り組んだという。
この巨大なドームはその最初の取り組みの一つだ。嵐の多い火星において、ドームの存在は必要不可欠。そのドームの元で、彼は開拓者が自給自足できるように取り組んだ。
「私は、半世紀前に火星行きを志して多くの危機を乗り越えて、ここに辿り着きました」
視線の先には、沢山の緑が生い茂っている。その周囲はあいにくの砂嵐ではあったが、広大な世界を感じさせる壮大な景色であった。
クオンは、預言のように、こうも触れていた。
「ただ、これは始まりです……まだ遠い世界と危機が私達を待っていますので、足場を固めて行きましょう」
このとき、彼が何さして語っていたのかは明らかにはなっていない。
あたかも『違う世界』を予感させる言葉の意味は――遠い将来、明らかになるのであろうか。
●『ひかりの中へ』(【王国歴1064年不詳】)
夜明け前。RB風に舗装された道を、二人の男が進んでいた。
ジャック・J・グリーヴと、クローディオである。瑞々しい体躯を誇るジャックに比して、クローディオは痩せ細っているのが対称的であった。
病魔に侵されたクローディオを内緒で連れ出し乗せた車椅子を押しながら、ジャックは努めて快活に言う。
「シンドイ時に俺の我儘で連れ出して悪ぃな」
「構わん」
顔を見なくても親友が薄く笑っているのがわかり、ジャックは少しだけ緊張を解いた。
「……歪虚を潰せば多少は楽になるかと思ったが、ハッ、お互いクソ爺になった今も忙しねぇなんて笑えるぜ」
――バカ野郎が、と。心の中では叫びたかったのをこらえて、静かに。
献身的に過ぎるあまり、手のつけようが無いほどに病に身を崩した誰かには、言えようもない。
「そういやお前、まだあの『勝負』覚えてるか? ありゃ勿論俺様の勝ちだよな! 俺様がどんだけの奴を救ってきたか!」
領民が目覚めんばかりの大音声。木霊を、気まずげに聞く。
「……ジャック」
「……すまねえ」
しばし、静かな時間が過ぎた。
「いや、なんか言えよ」
「私は別に、異論はないが」
「バーカ、お前の勝ちだ」
と、吐き捨てる。
「俺はいっつも上ばっか見ていてよ、俺について来る奴はいなかった。けどお前は俺について来た、俺の隣にいてくれた、俺は孤独じゃなかったんだ」
「……」
「お前の勝ちだ。クローディオ」
「……では、貰っていくとも。ジャック」
薄い笑いを浮かべるクローディオに対して、ジャックの表情は――固いままだった。聞かねばならないことがあった。
「だから……あぁクソ、これを聞くのがずっと怖かったよ」
小高い丘に車椅子を止め、クローディオと向き直ったジャックは膝を折った。
「俺は……お前を救えたか? お前の世界を彩る事は出来たか?」
覗き込むような、射抜くような視線に――こらえきれないようにクローディオは笑ったのだった。
「……笑ってんじゃねーよ!」
「すまない。だが、今更言葉を紡がずともわかるだろう?」
「……わかんねーよ。先に逝っちまう奴の胸の裡なんてよ」
聞かせてくれよ、というジャックの目を、クローディオは静かに見つめた。
「私はお前に、ジャック・J・グリーヴという男に救われたよ。全てがモノクロに見えていた頃が嘘のように、今の私の世界は鮮やかに彩られている」
――ああ。そうだ。
永遠の別れだというのにも関わらず、なぜ自分が笑えているのかが腑に落ちた。
――私もお前に、新たな光を照らすことはできたのだな。
「そう、かよ」
情の籠もった声を聞いて、クローディオは深い安堵を抱いた。同時に――糸が切れたように、クローディオに視界からジャックの姿が霞んでいく。
最後の時だ。
「……叶うならこれから先もお前と共に在りたかったが……私は、ここまで……の、ようだ」
先に、休ませてもらう。と、小さく言った、その時のことだった。
ジャックの向こう。地平線の彼方から、茫漠たる光がせり上がってくる。
視界が――世界が――光に包まれていく……!
黄金色の麦畑が、風を受けてそよぐさまを確かに感じた。ジャックという男の光を、確かに感じた。
「…………」
もはや言葉も紡げない。けれども、遺して逝かねばならない親友のためにかろうじて、笑みを浮かべた。
届いただろうか。
もはや――それも、分からない。
「色んな奴を見送ったがよ……お前が逝くのは辛ぇな。あばよダチ公……俺の世界はお前のおかげで金色だ」
●『風待ちて』【王国歴1075年8月】
気立てのよい女性であった。穂積 智里(ka6819)。知人の孫の結婚式に合わせて、取材の予定を組むことができたのは幸いだった。
東方で暮らす彼女は、子育てと詩天を望み、なかなか機会を得ることもできなかったのだ。
―・―
「面白そうなお話を集めてらっしゃるとか。うちの宿六も参りましたでしょうか」
開口一番、智里は淑やかに告げた。助六――つまりは、彼女の伴侶であるハンスのことだと知る。取材の記録が残っていることを告げると、大層喜んでいた。この記録も、残るのですね、とも。
「子供達は皆詩天で仕事をしております。息子の虎太郎と龍次郎は水野様に、娘の芙蓉は詩天様にお仕えさせていただいております」
立派に育て上げた、ということだろう。ハンスの言だと、大変な困難にも見舞われていたということであったし。
「宿六が家を出ていきましたのは、30年……いえもう40年近く前になりますでしょうか。年を取ると物忘れが酷くて困りますわね」
30年、彼女は一人で子を育て、詩天に尽くし続けた。
寂しくなかったかという筆者の問いに、智里は薄く笑って、こう応じた。
「剣で世の中を渡りたかったあの人と詩天を繁栄させたかった私。道が分かたれるかもとは思っておりました。お骨になれば戻ってきますでしょう?」
ですから私、ずっと待っておりますの。と、老女は微笑んだ。
四十年を越えてもなお、信じているのだった。彼女の良人が、今もどこかで達者に暮らしていることを。
おそらくは、この先も――ずっと。
●【王国歴1089年6月】
クリスティア・オルトワールが死去。
塔の守り手として管理にあたると共にその在り方を模索しつづけた。
彼女の貢献は著しく、塔1階と2階を遺物の研究所として開放し王国独自の技術発展に尽くしたことは、開明的な女王の方針の支えとなった。
また、禁書や危険な遺物の保管も塔の上層で担当し、ゴーレムを徘徊させ徹底的な管理を行った。いつしか『知識の塔』と呼ばれ、知識を追い求める人達の集う場所となったという。
管理者の役目を狩子に託して以降は、世界を旅して回った後、王都にて静かに眠りについた。
その亡骸は、かつての想い人の墓近くへと埋葬されたという。
70年以上に渡る傾慕に尽くした生であった。
●『Jを継ぐ者』 【王国歴1095年12月】
「とりあえず生涯独身だったんスわ、マジで。DDTしたかはしらねえッスけど?」
ジャック・J・グリーヴの狩子の言である。ジャックが見出した後継者は、エルフにも関わらずRBノリの強い男性であった。
「いや、マジでジャックさんパネェかったスよ。黄金商会もバッキバキでしたし。ジャックさん王族かっつーくらいガンガン前でてたし。円卓会議でもサンッザン女王とやりあったらしいし? あー、そいや、居なくなったっつーオシャンティッシュさんのことずっと目の敵にしてたわ。ありゃ幻覚キメてっかなって。いねえっつーのに『うっせえな! 居るんだよ! そのへんに!』ってこの調子(笑) ヤバくね? 女王とは仲悪かったケド、結局爵位とかバツバツ上がってたし、実は仲よかったンスかね? よくわかんね。けど、クローディオさん死んじゃった辺りから、ちーと丸くなったんかな? なんか悪巧みしてたみてえ。100年計画? がなんちゃら、とか協力すっぞ、みたいな」
――ジャックの偉業について、教えて下さい。
「あ、そうね。ジャックサンまじヤベエの。サオリちゃんの黄金像って知ってる? 合言葉を言えばゴーレムだから動くんだぜアレ。キモくね?」
●『長命の定め』(【王国歴1120年1月】)
「インタビューとはまた懐かしいネ!」
アポイントを取り付け、筆者を見るなり、アルヴィン = オールドリッチ(ka2378)は開口一番、そういった。聞けば、筆者の祖母と、その助手であったパルムとも面識があるという。
つくづく、縁はめぐるものである。
―・―
アルヴィンはかつて、【帝国】という絶対王政から飛び出したはみ出しものであった。
”かつての”帝国貴族にしてエルフ。異例の境遇にあった彼はハンターになった。
そうして戦争を乗り切った彼は、生家へと戻ったそうだ。
民主化を目指した帝国での混乱は教科書にも載るほどである。その中で、自家の人々の面倒を見たというアルヴィンが実際にどれだけの面倒事に巻き込まれたかは、想像するしかない。
なぜかといえば、そこで起こったであろう難事について彼は決して語ろうとしなかった。
彼が話したのは――沢山の、友人たちのことだった。友人たちがどれだけ素晴らしかったのか。彼らが何を果たしたのか。彼らと共に過ごしたときが――どれだけ、素晴らしいものだったのか。
「僕はエルフだからサ。いっぱいいっぱい見送ってきたんだよネ」
1010年代。およそ100年前の出会いは、アルヴィンにとって特別な輝きを有していたのだろう。
そして、友人たちは――その煌きを残して、光の身元へと還ったのだろう。
「喋り過ぎ? 大丈夫? これ、どこまで載せてくれるノ?」
冗談参りにそういった彼の目は、忘れられないものだった。そこに込められた、深い期待を――裏切ることは出来ないと、そう思わせる瞳だった。
彼は指折り、友人たちの話をした。
100年を超える出会いの数々である。とてもではないが、紙幅は足りない。
だが、気づけば筆者は追加のアポイントをとっていた。
これこそが、このアーカイブを立ち上げたいと思った、”彼”の願いであり。
語り尽くせぬものを、語り尽くさんとする、アルヴィンの願いに叶うものだと思ったからだ。
(注:それらについては、後日【列伝】という形で出版されることとなった。是非、お買い求めいただきたい。)
アルヴィンの話は、実に10日間に及んだ。
そこで彼は初めて――そう、初めてだ――満足げな表情を見せてくれた。
そうして筆者はようやく、アルヴィンのことを尋ねることが出来たのだった。
彼は決して、自身のことは語りたがらないだろうとわかっていた。
それを踏まえての筆者の質問に、彼はこう答えたのだった。
「出会った全てのお陰で、好い人生だった。……ソウ、全くもって、楽しい人生だったヨ!」
―・―
記録をたどる限り、アルヴィンは自らを傍観者と定義していた節がある。
だとしたら、その想いの深さは測り知れないものがある。
なにせ、彼は自身が記憶し、体験したものを――『忘れ去られることがないように』と、願いを込めた。
ヒトの死とは、いつか。
――友人たちの死に、報いるために、どうするべきか。
彼の最後の取材記録は、まさしくそれを体現するものであったと、筆者は思う。
故に、と結びたい。
故に筆者は、アルヴィンの記録を、こう結びたい。
洒脱な装い、奇抜な言動とは裏腹に。
誠実で、情感豊かで――最高に幸せな人物であったと。
誠堂 匠(ka2876)が黒の隊の正規騎士を拝命し、エリオット・ヴァレンタイン(kz0025)を支える者の中でも、特に”右腕”としてその能力を発揮し、王国に尽力した。
在任中の教練にも関わり続け、王国全土に対して歪虚、あるいはそれに準ずる脅威への即応能力の向上を目的とした組織体制の構築に大きく寄与した。
●『ただ一度、語られた想い』(【王国歴 1020年1月】)
彼が今居るのは王都イルダーナにおいて王城に次ぐ豪奢さを誇る大聖堂の最奥である。
「やあ、英雄さん!」
「……よしてください。俺は一騎士に過ぎませんよ」
からかわれるであろうとは思っていたが、この扱いだった。久しぶりに目にしたヘクスは、黒色のカソックを着ている。聖堂教会に正式に入るやも、という噂は本当なのだろうか。
「国に勤めることになったので改めてご挨拶とお礼をと。特に貴方にはイスルダ決戦を含め、お世話になりましたので」
「真面目だねえ」
「……立場がありますから」
"仕事"の話は尽きることはなかった。この部屋に引きこもっているとはいえ、ヘクスは様々な情報と知見をもとに会話を広げてくれる。
――少しくらい羽目を外しても、いいかもしれない。
「陛下が即位され傲慢王は滅びました。これで王国は安泰……“でしょうか?”」
「さて」
ちらと飾られているCWとRBの地図に目を向けたヘクスは、
「実際のところ、うまくは回っているだろう?」
「ええ、今の所、ですが……」
「不安かい?」
過るのは、異端審問の場面だった。人が人を信仰のもとに裁く野蛮。RBで生まれた匠にとっては傲慢な在りようとして映るそれ。
「不安、なんでしょうね……この国はいい国だ。俺自身、様々な方々に多くを教わりましたし……」
救われた、とすら思う。贖罪のための戦いに、光を見出すことができた。
「俺は、この国が好きです。だから……恩返しがしたい」
「ふふ……だったら、大丈夫さ。問題は多いだろうし、この国にしたって『主権』の所在も変わっていくだろう……けれど」
逆説を置いて。ヘクスは匠の瞳をまっすぐに見つめた。
「この輝かしい時は永遠に無くならないよ。僕たちが誰かの光になったのなら――きっと、君自身も誰かの光になる。それは悠久に語り継がれ、受け継がれていくモノになる。この国がいつか終わりを迎えることになったとしても、ね。
僕は信じているんだ。僕も――この国が、この国の為に尽力してくれた君たちが、大好きだからね」
「…………そう、ですか」
匠はその時初めて、ヘクスの挺身の理由が、わかった気がした。
だって、こんなにも。
「精一杯、力を尽くします」
――こんなにも眩しく、力強い想いは、匠のそれと、ひどく良く似ていたから。
1
●『社会的緊張』(【王国歴1020年1月】)
その日、王都イルダーナには雪が降っていた。石造りを主としている建物はとにかく寒い。法術陣研究の第一人者、オーラン・クロスの住まいにしてもそうだった。床から何から寒気が押し寄せてくる。戦時中より取り組まれていた技術転用の流れもあって、オーランは変わらず多忙な日々を過
ごしていたが、オーランは使用人も雇わず一人で住み続けていた。
”あの日”以来、人の気配がどうにも落ち着かず、自分のために誰かの時間を費やしてもらうことに忌避感があったのだ。
ともあれ、買い出しのために戸を開き――仰天した。
「大変よ、”おじいさん”。寒いわ」
雨音に微睡む玻璃草(ka4538)――フィリアが、大きな荷袋と雨傘を手に立っていた。
―・―
そそくさと家にあげ、リビングのソファで向き合う。
「……なんで此処を?」
「ふふ、『泡吹く蜜蜂』が教えてくれたの。錆びた角砂糖を拾いに行かなきゃって!」
「ははあ」
彼女の言うことは――過去のやりとりの甲斐もあって――なんとなくわかるが対応は難しい。半分以上期待を込めて続ける。
「ええと、その荷物は旅の途中とかかな?」
「ねえ、今でも悲しいの?」
「……」
すぐには答えを返せなかった。
彼女は少女で、幼い。そんな彼女にオーランの濁った胸中を曝け出すことはできるはずもない。その沈黙を、少女はどう受け取ったか。
「……悲しいのね。綾なす匙、蔦挽きの網。あれだけ影侍る沼を掬っても足りないだなんて」
「そうはいってない……ぶあ」
「仕方のないおじいさん」
煙に巻こうとしたオーランに膨れっ面をしたフィリアは、よいしょと机越しに身を乗り出すとオーランの頬に手を添えた。それからフィリアは荷袋の中から色々なものを取り出し始めた。着替え一式。それから、雨合羽や長靴その他諸々。最後に大きな毛布をどんと膝の上において一息。
「まさかと思うけど、此処に住む気かい?」
「ええ、だって一人は寂しいでしょう?」
●【王国歴1020年3月】
エアルドフリスがリゼリオの逗留先でもあった宿屋を引き払う。
以降、エアルドフリスは北方地域をめぐり、かつてと同様、薬師としての行商生活に戻ったとされる。ハンターとしての経験も生活の糧とし、ときに荒ごとにも臨んだ。
延べ5年半を超える利用客との別れを惜しんだ宿の主人は、優れた薬師にして歪虚との大乱を生き抜いたハンターでもある彼の部屋を可能な限り当時の状況のまま保存することにした。その一室には宿の者を除き、エアルドフリスの関係者のみが出入りを許されたという。
●『友よ、幸あれ』(【王国歴1020年7月】)
ヘクス・シャルシェレットの住まいは聖ヴェレニウス大聖堂にあると聞いて、ヴィルマ・レーヴェシュタイン(ka2549)は仰天したものである。
治療室というよりは、居宅というべきか。三、四部屋程度ありそうな雰囲気だが、ヴィルマが通されたのは最初の部屋にあたるダイニング・リビング。酒がいるかい、という声にヴィルマは苦笑。
「やめたんじゃ」
「へえ? あんなに酒が好きだった君がねえ……子供、かい?」
「相変わらず気が早いな、そなた……まあ、遠からずじゃな……長く生きて傍に居たい伴侶がいるからのぅ」
「はー。そういうのを酒の力を借りなくても言えるようになったのなら、もう酒はいらないのかもね。それじゃ……紅茶にしておこう。その子はどうだい?」
棚に並べられたキレイな酒瓶の数々を食い入るように見つめていたユグディラのトレーネを指しての言葉に、ヴィルマは首を振った。
「そやつは水で結構」
―・―
「そなたも色々無茶をしたであろうし、身体もボロボロなんじゃろ?」
「実際、外を出歩いて何かをする、っていうのはかなり厳しい。こないだはチョット玉座に行こうとしただけで死にかけたし」
「そんな身体で無茶をしたのか、そなた……」
「二度としなくて済むように祈りたいね」
と、わざとらしく祈り手を切るヘクスに、ヴィルマは嘆息を零した。
――その結果が、この部屋、か。
あちらこちらと暗躍暗闘していたヘクスは、この部屋から出ることはもうかなわないのかもしれない。
「……不思議とそれなりに長く生きそうに見えるのが不思議じゃが」
「やりたいこともあるし、足掻くつもりだけどねえ」
腐っているわけではないらしい。そのことが確認できただけでヴィルマとしては十分だ。
「これからも我は霧の魔女として、そして同時に愛すべき家族を持つ幸せな女として道を歩んでいく。……そなたもらしく、生きていくんじゃろうな?」
「ふふ……そうだね。風の便りに、君が子供を産んだりしたその時には、お祝いくらいはさせておくれ」
ヘクスは友の日常に、と言葉を添えてカップを軽く掲げた。
●『CW在来種におけるウィルスのゲノムシークエンスの検討』【王国歴1021年1月】
クオン・サガラ(ka0018)はRBへと帰還する際に、いくつかの生体サンプルをCWより持ち帰る。解析を行い、RBとは異なる病原性を有したウィルス群が複数種同定され、緊急的に科学誌に掲載された。この件を受けサルバトーレ・リーラ内に防疫研究所と検疫施設が併設され、渡航者の検疫が強化されたという。
●『前線生活1021』(王国歴1021年不詳)
アルト・ヴァレンティーニ(ka3019)は戦後まもなく、レクエスタに身を投じていた。いつ終わるとも知れぬ、戦線を押し広げる日々の中で、あいも変わらず多忙な日々を過ごしている。
「物資の照合にはどの程度かかりそう?」
「一時間ほどは……」
レクエスタは伸びる補給線との戦いと言っても過言ではなく、支援物資は一度辺りの量が増える傾向にある。それを支えるエステル(ka5826)の奮闘のおかげでもあるが、前線に近い位置での哨戒をやむなくされるのはいささか歯がゆい。
アカシラ(ka0146)たちの部隊とは相補的に動くことが多く、今のようにアルト達が支援物資の受け取りをしている間はアカシラたちが前線に残る。赤の隊の中でもレクエスタに身を投じた過激派と、もとより彼女の手足であった鬼たちの混成部隊は精強かつ恐れ知らずで、アカシラは吹っ切れたように大物ばかりを狙いがちで――故に、アルトの気持ちは前線へと向けられている。何かが起これば、お呼びが掛るだろうと。
ふと、彼女との会話を思い出す。
―・―
「アタシが戦う理由?」
「ああ。参考までに、と」
「ほー……」
隊を辞した今でも赤の隊の騎士鎧を纏うアカシラはくるりと赤毛を指でいじりながら、こう答えた。
「アタシはもともと、鬼たちのコトしか考えてなかったのさ。アタシらのせいで、東方に住みにくくなった鬼もいるしさ。裏切り、悪事を働いたって”色”がついちまった鬼がこの世で生きていくには、誰かが証を立てなきゃなんないだろう? だから……そうさね、最初は贖罪だったのさ。"アタシ達"の、ね」
「今は違う?」
「……そうさねぇ。この国で認められて騎士に、隊長になった。アンタも知ってるかもしれないが、王都にも鬼が住めるようになったし、小さかったアタシらんとこのガキどもが、学び舎にも入ってもいるのさ」
「……」
「恩義、だろうねえ……うちの馬鹿たち共々いつ果ててもいいと思っていたはずが、今じゃ違う。アタシ達が戦い、勝利することで確かに残るものがある。アタシは……王国の剣を背負ってるのさ」
アカシラは言いながら、音もなく刃を抜き、曇りなき刃を見つめた。
「これは未来を拓く剣だ。だから――アタシ達は、王国騎士団赤の隊は、この戦場で示さなくちゃなんないのさ。馬鹿みたいに精強で、恐れず、退かない奴らが王国にいるってね」
見ているもの。想像しているものは――似ているのかもしれない。起こりは違えども、彼女が隊を率いて戦場に立つ理由を聞いてそう思った。
「ありがとう。その……聞けて、嬉しかったよ」
「……ハ。どうだい、アンタも飲むかい?」
そうして、照れ笑いと共に掲げた酒瓶を見て、アルトは苦笑したのだった。
―・―
「赤の隊より連絡です! 50メートル級を釣り上げたと!」
「……また無茶をする」
苦笑がこぼれた。「呼べば来るだろ」というアカシラの雑な信頼を感じてのことだ。
――それでも、この環境は居心地がいい。
未だ、練武に果てはなく、この戦いには――確かな意味があるから。
●【王国歴1021年6月】
アルト・ヴァレンティーニ(ka3109)が王国名誉男爵叙任後、アカシラの推挙をもって王国騎士団、赤の隊隊長に任命される。
アルト自身にとっても青天の霹靂の出来事であったが、周囲は綿密に準備を行っていたという説もある。
●年代不詳
――この記録は、王国に縁あった人物の取材記録である。
本人の希望により匿名の記事となる。個人の特定を避けるため、諸般の記載には一部変更が加わっている部分もある。
―・―
「1022年ごろまで、私は王国復興の諸事の手伝いをしていました。あとは、エリオットさんの手伝いも」
小雨のような少女の一部始終を、エステル・マジェスティは静かに聞いていた。
「幸い、活動のための蓄えもありましたし……王都に限らず、沢山の爪痕が残っていましたから」
「ヘクスから聞いた。たしか、寄付をしたと」
「そうですね」
「1億Gを越えてたって。商会なんかを除いたただの個人だと、最高額」
「……私には、要らないお金でしたから」
本当に何事でもないように、そう言った。
―・―
「……私は、王女様や、エリオットさんの力に……支えになりたいと思ったことはあっても」
わずかに言葉を切った後、続けた。
「仕えたいと……エリオットさんの部下になりたいと思った事は一度もありません。私は……私にとって大切な人が幸せであれば良いんです」
●『感謝の言葉』(【王国歴1023年3月】)
クローディオ・シャール(ka0030)は眼前に積み上がった書類の山を見て、目元を覆った。
「ようこそ、クローディオ。歓迎する」
「相変わらず、仕事の山ですね、隊長――ヴァレンタイン卿」
「……そうか?」
エリオット・ヴァレンタインの執務室でのことである。
名誉男爵として家から独立したクローディオは現在も独身生活を満喫している。生家であるシャール家からは婚姻の催促は来ているものの、忙しさを理由にそれとなく逃げていた。
「お前も忙しくしているのだろう。俺なんかに今更用があるとは思えないが……」
「お礼をと、思いまして」
背筋を伸ばしたまま、クローディオはエリオットを見つめ。
「私を黒の隊に任命してくださった事について、お礼を申し上げます」
数年来の感謝の言葉を紡いだ。
「今の私があるのは、”彼"と貴方のお陰です。黒の隊という居場所、役割を与えてくださったことに……感謝します」
深く、頭を下げる。自分は変わることができた。その謝意を伝える術を不器用なクローディオは他に知らなかった。
「何を言う」
こちらもまた、不器用な男だった。立ち上がり、クローディオの肩に手を乗せる。
「黒の隊はお前たちハンターそのものだ。王国の助けとなったのは他ならぬ……クローディオ、お前たち自身だ。それは俺が感謝されることではない。お前自身が……誇るべきことだと俺は思う。だから……顔をあげてくれ、感謝をいうべきなのは、その献身を受けた俺たちの方だ」
「……っ」
不器用な言葉は――それでも、クローディオの胸に、深く刺さるものだった。
認められるはずがない、と。あの頃のクローディオはそう思っていたのだ。自分でなくていい――呪いのように染み付いた自己否定と自己承認欲求の二律背反が自暴自棄につながっていた。
だから。黒の隊に任命されて救われたのは間違いがないことで――エリオットの言葉は『居場所』の価値と意味を、正しく肯定するものだった。
故に。
「……ならば、私は、感謝するべきなのです」
顔をあげることは、できなかった。
●【王国歴1024年2月】
Uisca Amhran(ka0754)が女児を出産。アルテミスとして活動していたUiscaは前年に結婚しており、Uisca=S=Amhran(・=セオリ=・)と呼ばれるようになっていた。
Uiscaは女児に「Mule:ミュール」と名付けた。(注:ミュールとは王国のある地方の混血児を表す蔑称であり、かつてハンターにより討伐された傲慢王の片腕とされる歪虚の名である)
ミュール討伐で功績のあったハンターであるUiscaの命名を、人々は大いに訝しんだという。
●『傾慕』(【王国歴1024年2月】)
古の塔の管理は、クリスティア・オルトワール(ka0131)が刻令ゴーレムの使用を提案をしたことを契機に作業が急速に進んだ。
大掛かりな清掃は既に終わり、内装を整える段となるとそれはそれで大忙し。なにせ、塔そのものの広さに加え、一箇所のみに手をいれるわけにもいかない。包括的な検討が必要となる。
今、山程の資料積み上がる室内には、二人。クリスティアに加え、エリオットの姿もある。
行き詰まり、息詰まり。
ふと、ついと。魔が差してしまった。
「……エリオット様はいい加減、身は固めないので?」
「ん?」
「え、いや……やる事は多いとはいえ、そういう話も来てるのではと思いまして」
「縁談の類は無いな。そもそも、俺に誰かと添い遂げるつもりはない」
「本当ですか!?」
クリスティアにとっては驚愕すべき解答だった。
「お家はどうするんですか?」
「弟が継ぐことになる。俺では家名に傷がつくだろう」
違う、そういう話じゃない……と思いつつも、予想以上に深い沼だった。
――自分が、幸せになってはいけないと思っている……?
「あくまでも王国のために生きる、ということですか?」
「そうなるな。俺にどこまでできるかは分からないが……」
とても、子供が見たい……ということは言える空気じゃなかった。
けれど、【傾慕】を戴く守護者たる自分にはその様すら――愛おしく思ってしまうのも事実で。
「――お手伝いしますよ。私も」
と、言った。
いつか。
この人の、この愚直さを……私は誰よりも愛したのだと胸を晴れるように。
●【王国歴1024年3月】
エステル(ka5826)が聖堂教会司祭の位に就く。
教会外部の関係者として関わった聖堂教会の宣伝部門、ならびにRBの取り組みを参考に行った結婚式事業の立ち上げ、ルル大学や、同領の農業法人に対する貢献もあり、内外ともに大きな反対はなかったという。実務家としての面が際立ってはいたが、周囲に及ぼした功績は後年非常に高く評価されている。
●『社会的な死について』(【王国歴1024年6月】)
あっという間の4年だった。なんとか押しかけ二人暮らしを回避した僕は以降も手を尽くし、家事が壊滅的だった"彼女"の生活のサポートをしたりと振り回されていた。
「こんにちは"オーランさん"。昨日振りね! 逢いたかったわ!」
そう。彼女は毎日家にきた。
「ご飯は食べた? 今日はいい天気よ。お弁当を作ってきたの」
けれど、今日はいつもと違っていた。どこか――早口で。
「だから結婚しましょう?」
??????
「え? 夢?」
「またそうやってはぐらかすのね! 料理は上手になったし、掃除も洗濯も! それに胸だってこんなに大きくなったのに……何が不満なのかしら?」
「不満というか」
そこで気がついた。
――彼女は今日、雨傘を差していない。
長い付き合いだ。彼女にとって、『雨』が切り離せないことはわかっていた。それが……傘も差さずにいい天気と。
「二人なら寂しくないわ? ほら、『歯車仕掛けの蛇』だってそう言ってる」
「その蛇は多分、いけない蛇だなあ……」
だとしたら僕はどこかで絡め取られていたのかもしれない。それが彼女の思惑だったのか、『蛇』とやらの入れ知恵かは定かではないけれど……気が紛れたという意味では――たしかにそうだった。
「それにね……わたし、『おじいさん』の事がとっても好きだもの」
「……さすがにちょっと、考えさせてほしいなあ……」
歳の差とか、そもそも聖職者だ。だから――。
「嫌よ。もう、待ちたくないもの」
●『目覚めた時、解かれるもの』(【王国歴1025年2月】)
王立病院の特別病室。白を貴重に、王国の紋章にも使われている緑がかった青色を基調とした、優しい色合いの誂え。
そこに据え置かれたベッドに、シュリ・エルキンズは眠っていた。
周囲には様々なものが置かれている。花や真新しい衣服、それから積もり積もった書き置き。年々重なっていく厚みをみて、ヴィルマは目を細めた。自分のような物好きは、まだいるらしい。
「それにしても、そなたは中々目を覚まさぬのぅ」
まるで時が止まったかのように、体つきも、筋肉の量も変わらない。シュリも変わらず、"元気そう"だった。ここ数年、流石に年齢にともなう変化を感じてきたヴィルマであったので、悪戯心でその頬をむにとつねる。
「…………」
少年は、すかー、と口を開きがちにして寝ているまま。
「もち肌じゃのぅ……」
若干のやっかみで、ぐいと頬に指を突き入れる、と。
「……っ……?」
「は?」
少年が顔を顰めた。
吉報かもしれないが、何か良からぬことをしてしまったような気がしなくもない。
病院のスタッフや友人たちにどう説明したものか? と頭を巡らせているうちにも、シュリはモゴモゴと顔を動かして今にも起きだしそうになっている。
椅子に座り直し、手櫛で髪を整え――気持ちが落ち着いたところでシュリの手を握った。温かい。それもまた刺激になったのか、シュリは目をあけ、
「あ、れ、ヴィルマさん……?」
すぐに、手を取られていることが分かったのだろう。寝ぼけ眼のままヴィルマを認識した。そして。
「……ここは……」
「……そなたは、随分と長いこと寝ておったのじゃよ、シュリ」
ヴィルマは空いた左手でシュリの頭をくしゃりと撫でると、
「おはよう」
微笑みと共に、少年の帰還を迎え入れた。
●『かつての少年たち』(【王国歴1025年2月】)
引き続き、病室でのこと。
「その時に僕は気づいたんだ。ヴィルマさんの左手。薬指に光る指輪にね」
「……」
「その後でジュードさんも飛んで来てくれたんだけどね……はー。幸せそうだったなー」
けっ、とらしからぬ舌打ちをしたシュリに、ロシュ・フェイランドは嘆息した。
「ところでそっちの女の子は? ロシュの……あれ、狼さん?」
「――なんで"俺の"は気づくんだろうな」
小声で舌打ちをしたのは、龍華 狼(ka4940)。ロシュの子飼いとなって長いが身長は159cmと小柄なまま。女顔もあいまってショートのウィッグをつけ女物の服を着ればそれだけで”女性”らしい。
「この姿はこの姿で色々と便利なんですよ」
『しな』を作って微笑んで見せるとシュリは「似合ってるなあ」と感嘆した。
「あの歪虚のこと、聞きました?」
「……うん。あの場で討伐された、と。あの時あそこにいた女の子は?」
困り顔になった狼はロシュへと視線を投げると。
「見つかっていない。私達が戦闘を行っていたところとは異なる出口から逃げたのかもしれないし……術式の材料にされたのかもしれん。楽観はできんが、その後の歪虚掃討および調査でも掛からなかった。騎士団一応は決着がついたと見ている」
「……」
飲み込むしか、ないのだろう。気を紛らわすべく、狼に向き直る。
「狼さんって、お母さん似なのかな。本当によく似合ってるね」
「え?」
予想外の言葉に、狼は驚きの表情で固まった。
「……それよりも、だ」
狼の困惑に何かを察したか、ロシュは先程よりも大きく咳払いをして、強引にシュリの注意を引き寄せる。
「用があるのだ」
―・―
「……僕が、フェイランド家に?」
「現当主である父からの提案だ。大恩ある先代『碧剣の騎士』の息子であり、当代でもあるシュリが目覚めたのならば、当家に迎えいれたいと」
ただの平民を養子として招くということが貴族の典礼上正しいとも言えない。婿養子というわけでもない。常識的に考えて批判は避けられないだろう。
「……いや、そもそも急すぎるよ」
「お前はそう言うが、その決定は5年前のものだぞ」
ちら、と助けを求めるように狼を見やるシュリだが、狼は謎にガッツポーズを決めて頷くばかり。
「……貴族だよね?」
「もちろん、次代当主になるわけでもないし、貴様が他家に婿養子に出る可能性もある」
「ふぁー……」
遠大過ぎてよくわからない。そもそも貴族になりたいなんて考えたこともない。庶民感覚ではとにかく畏れ多く。同時にこんなにも熱烈な好評を"お断り"するのは――躊躇われた。
「ええ、と……じゃあ、お願いします……?」
「そうか!」
「やった!」
ぱあ、とロシュの表情が晴れた。狼もガッツポーズを決めている
「録ったか?」「もちろんですとも」
「よし……では、次だ」
と、何やら怪しい話をしたうえで、一枚の書類をシュリに差し出した。
「"名前が間違っている"が女王陛下直筆のものだ」
「……ずるい」
書類を上から下まで眺めて、シュリは呻いた。
その書類には、「シュリ・エルキンズを王国騎士団 白の隊騎士に任ず」という旨が書いてある。家宝にしたいほど、喜ばしいものだ。
しかし――素直には喜べない!
王家と貴族のパワーバランスの変化がこんな所にまでくるなんて。
「まあ、そうはおっしゃらず……受けておいたほうがいいですよ。だって」
狼は言いながら、つ、と手を差し出す。
「500万ゴールド、まだ返して貰ってないんで。利子が大変なことになっちゃいましたよ?」
―・―
最終的にシュリは貴族にして白の隊の騎士となり、"ひと仕事"を終えた狼は。
「……似ている、か」
ポツリと零した。自分が女装をするようになった理由は――、と。
「……お金もだいぶ貯まったんだ。いつ母さんが迎えに来てもいいように」
もし、自分じゃない誰かでも自分に似た誰かを見つけることができたら。
――この願いも、叶うのだろうか。
●『ディンセルフ工房狩人店(弟子募集中!)』 【王国歴1025年4月】
彼女は正しく、"人物"であるといえよう。ハンターとしての戦勲はめでたく功績は大きい。かつて、筆者の記事においても取り上げた人物は、年月を経てもなお、その輝きを失うことはなかった。
此度は、名前も添えて大きく取り上げたい。クレール・ディンセルフ(ka0586)。
戦乱を生き抜いたハンターであり――鍛冶師の女性だ。
聞いて驚くことなかれ。
今は、ヒトを鍛とうとしているのだという。
―・―
「お久しぶりです、記者さん!」
「……お久しぶり。元気そう……それに、この店は?」
待ち合わせに訪れた場所は、リゼリオの職人街のとある店舗であった。
「ええ、『ディンセルフ工房狩人店!』です!」
「工房なの? 狩人……?」
店の中を見る限り、奥には確かに工房としての設備を備えているように見える。彼女自身もまた、鍛冶師として熱心に活動していたと記憶にもあり、エステルは判断しかねている。
「狩人の……ハンターのためのお店、ということ?」
「そうです。私は……すべてを順調にこなせたハンターじゃありませんから、だからこそ、後進の育成に進むべきだと、そう思ったんです!」
「ん……なるほど」
だからこそ、狩人店というわけか。確かにハンターほど素養が必要で、幅広い経験と自己研鑽を求められる職は少ない。
「ハンターは仕事を受けた以上、確実になせないと駄目なんです!」
「そ、そう」
以前からクレールは熱い女性だったが、年齢を重ねてますます盛んになっているように思えた。
「私なら、大抵の武具をつくることができますし……それに、経験だって積んでます。腕も――この通り、ですから」
――その子にあった"最適"な教育ができます、と。
強烈な自負と共に、言う。
なるほど。それならば、工房のみならず、”実践的”な気配の濃い装備や教本にも合点が行く。
いやしかし。この店内は……とても、静かで。
「……誰か、来たの?」
「今の所、友達の口コミだけなんですよね……狩子を預けたいと言ってくれるハンターの友達はいるんですが……なので!」
「ひゃうっ」
ガバッ! と、エステルの両肩を掴むクレールは、両目をギンギンに輝かせながら、
「……広告、うてますか!」
―・―
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●【王国歴1025年3月】
エリオットの執務室には何故か物が多い。
長らく此処に手伝いに出入りしていた女性がそれとなく置いていった物、というべきか。さしあたり、『彼女』の私物らしいのは6品ほどある。ひょっとしたら、自分が気づいていないだけでもっとあるのかもしれないが。
苗木。いつの間にか執務机に置かれていたガラスペン。
書類置き場の中に忍ぶように挟まれていた花占符と銀のしおり。
それから、資料置き用の棚に置かれた、銀の香炉と高級蜜蝋。
すこしだけ便利で、仕事ばかりの時間に彩りを添えるものたちばかり。
「物は……」
ずるいな、と。らしくないことを考えてしまう。
どうしても思い返してしまう。彼女らしからぬ稚気で置いていったのかもしれない品々を目にするたびに、唐突に訪れなくなった彼女のことを、何度も。
信頼でき、親しい仲間だった彼女は今、どこかで幸せに暮らしているだろうか。
感謝はある。それ以上に願いがあった。せめて、幸せでいてほしい、と。
そう思える仲間だった。
――そんな事を思い出させる、物たちだった。捨てることなど、できようもあるまい。
●『側室?』(【王国歴1025年4月】)
東方からの使者が会いに来るという知らせをヘクスが受けたのが3ヶ月前のことだった。彼方此方で活動していたとはいえ、東方との縁は薄い。まして皇室となると。
部下たちも結託してか一切の情報を流してこず、ヘクスにしては珍しく困惑とともに当日を迎えたのであるが――結果から言うと、拍子抜けすることになる。
「ようこそ、このような場所……って、君が?」
「ええ、まあ……何だか、すみません……」
それなりに正装をして迎えた相手は、東方の衣装に身を包んだアシェール(ka2983)だった。
―・―
「玉の輿じゃないか!」
「ストレートですね!? いや、まあ、そうなんですけど……一応これでも、現場のヒトなんですよ」
「今回の来国も外交の一環ってこと? はー、立派になって」
「……」
ジト目になるアシェールだが、内心では安堵してもいた。思っていた以上に元気そうだ。ヨボヨボになってはいないかと、危惧していたくらいなのだ。
――そう。身の上話をしにきたわけでは、ない。
―・―
「ははあ、秘術……」
「黒龍と帝の秘術、ですね。この聖堂は……」
言葉を切ったアシェールは道中を思い返し、室内を眺め。
「基本的に、法術を用いた継続的な浄化術のようですし、龍脈を利用した秘術は異なるアプローチですから、ある程度の効果は期待でき……少しは生き長らえられる、と思います。といっても生命力が増える訳じゃなくて、より、細く長くなるだけですが……」
「……あ、なるほど。そういうことか」
細く長く、という点は触れないわけにはいかなかった。術理で叶えられるのは、乱れた流れを整えることに過ぎない。
それでも――彼はそれを望むだろういう、考えもあった。
「表向きは帝から指示ですが……きっと、女王様の願いかと」
「システィーナがねえ……」
お見通し、というわけかどうかはわからない。無い袖は振れないとヘクスとしては思うのだが、システィーナなりの算段はあるのだろう。そうなるとヘクスのエゴでネガティブな介入はしたくない。
――つまりは、これを断るという選択肢は最初からない、ということだ。
「わかったよ。どのぐらいの期間なんだい?」
「数年間は定期的に来ますよ。ただ、しばらくは疲れやすくなったり、眠る時間が延びたりするかもしれません」
「数年おきに君がこうして来るって?」
「何が言いたいんですか?」
「……大事にされてる?」
「されてます!!」
●『救恤の司祭』 ( 【王国歴1025年5月】)
教会の一室。エステルは自らの執務室の中で大きく息を吐く。重く深く、疲労の籠もったそれを、彼女以外に誰もいない室内は平時通りに受け止めるばかり。
「苦では、ないんですけどね……」
ぽつりと落ちた言葉には、若干の自戒が籠もる。というのも、彼女の手元にある書類はすべて、彼女自身が望み、手を伸ばした物の結実である。
聖堂教会の司祭としての活動然り、彼女自身の資産を通じて出資・支援、あるいは共同して行っている事業の展開然り、それらを通じた戦災孤児や貧困層への取り組み然り、とにかくやることが多い。
尤も、終戦直後はレクエスタにアルトの援助を兼ねて、その傭兵団、ならびに王国騎士の関係者の参戦者への支援もあわせて行っていた。日々動く戦線、必要な物資の継続的な供給など、当時のほうが業務量・心的負担ともに大きかったのは間違いない。
それでも、無事にやり遂げた。
結果的にアルトは王国騎士団の隊長に転身し、日々こき使われていることはエステルとしては大変好ましいことである。
『お姉さまが!? お似合いです!』とひと演技打ったのも今は昔。アカシラからの推薦状の存在は幸いであったが、アルトが某騎士にこそりと打ち明けて以降、一族および騎士団関係者が双方向的に準備を進めた甲斐があったというものだった。
――抑止力たらんと日々切磋琢磨するアルトのことを誰よりも応援しているエステルである。公共の利益にかなうことはもちろん、敬愛する姉自身にとってもよい道であらんと願い、そのようにしたまでのこと。
しかし仮に、と。自問する。アルト自身がそれを望んでいなかったとしても、エステルはアルトの隊長就任を後押ししただろうかと。そうすると、ふわりと浮かぶ答えがある。
「……一人でも多くの人を救えるなら……」
騎士団だって。王国だって――絶大な力を有する姉であっても、利用するだろう。
その負担は、彼女が身を切ることで贖うことができるのであれば――と。
だから、彼女は書類の山をさばき続けるのだろう。ずっと、その身体が動き続ける限り。
動き始めて、自分のなかに明確な価値判断の基準がはっきりと分かるようになってから、エステルは一つ、思い至ることがあった。
「シャルシェレット卿も、”こう”だったんでしょうね……」
初めて気づいたときは、あらゆることが腑に落ちたものだ。
そして……だとしたらこれは止まることはない想いなのだろうなと諦めているのだからしようもない。
●『先生のお願い』(【王国歴1025年5月】
ボルディア・コンフラムス(ka0796)。春の日も高くなり、随分と暖かさを感じるようになってきた。
王都の第一街区を歩くボルディアの足並みは威風堂々たるもの。平素足を踏み入れることはない場所ではあるが、迷いはない。目指す先は王国の内務省である。王国は三つの政府省を有しており、内務省、労務省、軍務省からなる。
尋ね人は――聖導士学校を卒業した、教え子のもとだった。
―・―
「おっすー、懐かしの先生が会いに来たぜ―?」
「え、来たの先生なんですか?」
「……んだよ、文句あんのか?」
「な、ないです」
聖導士学校を卒業したものたちの進路は様々だが、その中でも王国の政庁にはいった教え子も少なくない。今回は名指しでアポイントメントを取った形だが、そう言えば”勤め先”は言ったが誰が行く、とかは触れていなかったかもしれない。
「――まあ、なんだ、頑張ってるみたいじゃん。うん、立派になった。先生は嬉しいよ?」
「セドリック様はかなり厳しいですからね……」
教え子の成長ぶりはひと目でわかる。知識人としての風格だ。ちゃんと学びつづけているようで、教師としては安心できた。
「で。ただ褒めに来たわけじゃないですよね。先生のことですから」
「うん、その通り!」
―・―
「……つまり、聖導士学校への支援の話、ですね」
一通り話を聞いた教え子はふむ、と唸った。
どのような計算をしているのかはわからないが――此処は、ボルディアとしても押しの一手しかない。
「かつての戦争の傷跡も大分癒えたとはいえ、まだ全員じゃない。戦争で被災して親がいなくなった子供達はまだ居る」
「……」
「先生は、その子達を全員救いたい。だから、君達の力を貸して欲しいの」
「私の一存で、とはいかないのは先生もご存知ですよね?」
「もちろん。けど、他に縁が無いんだ」
とはいったものの彼女の戦友をたどれば何かしらの縁はありえる。だから、これは我儘だ。彼女は、このヨスガを頼りに成し遂げたかった。
しばし、沈黙が落ちる。
「……恐らく、やりようはあります。問題は、聖導士学校のキャパシティです」
「ほう?」
「財源はアテがあります。女王は善政を優先する御方ですし、”投資”に理解があります。国として戦災孤児に投資をすること自体に否やは無いかと」
「”全員に””教育”、というのが問題ってこと?」
「……まあ、平たくいえばそうです。我々が把握している数でも、かなりの数に及びますから」
「――わかった。そしたら、こっちでも準備を進める。具体的な数字がわかったら、それとなく報せてくれないかな。で、そっちはそっちで話も進めてくれると先生は嬉しいな」
そこでようやく、緊張が解けた。子どもたちを通じて、この話を進められる。その手応えが得られただけでも収穫だった。自分たちにもやらねばならないことがある。けれどこそは、”先生”としての努力の為所だろう。
だから、今は万感を籠めて、こう結んだのだった。
「……本当に立派になったね」
●『お役目』(【王国歴1026年7月】)
「はーい来ましたよー! 東方の后ですよー!」
「はいはいはいはいどーもどーも、ありがとう」
幾度目かの来訪ともなれば、ヘクスも慣れたもので、若干対応が雑になっていた。
「今日はこんなものも持ってきました! ジャン!」
「……うわ、これ第六商会も関わっているのかい? 聞いてないんだけど……」
どん! とアシェールが持ち込んできたのは、一見するとただの車椅子だ。しかし、第六商会と、謎にエトファリカの紋様が刻まれている。
「NDAがしっかりしていていい商会ですね!」
「……そうだね。で、これは?」
「ふふーん、その名も、刻令式車椅子です! 第六商会との共同開発ですよ!」
「ほおん……でも、さっき手で押してきたよね?」
ヘクスの怪訝げな問いに、う”、とわかりやすく固まったアシェールは、小さく頬を掻いた。
「この部屋、マテリアル燃料は持ち込み禁止だったんですよね……」
―・―
施術にはたいして苦痛は伴わないが時間はそれなりに掛るので、リラックスできる姿勢をとってもらうこととなる。つまりはまあ、ベッドにうつ伏せになってもらった。
アシェールが”診る”かぎり、ヘクスの変調は負のマテリアルによる汚染と、その後遺症としての臓器不全、そして、マテリアルの循環不全だ。汚染はこの部屋そのものが対処となる。アシェールが取り組むのは、後者への治療――介入だ。
「そういえば、術を施してからの体調はどうですか?」
「うーん。ちょっと眠気が強いかなあ」
「そうですか……ならまあ、順調ですかね」
言いながらひとつ、ふたつ、と術を施していく。
「……そういえば、ヘクス様って、好きな人とか愛人とか居なかったのですか?」
「過去形かい? うーん、そうだなあ……例えば、エリーとか」
「ぶっっ!」
エリー。つまり!
「ホモ!」
「……大丈夫?」
「これが落ち着いていられますか!」
「いや、”とか”って言ったろ? システィーナも、ダンテも、セドリックだって好きだよ、僕は。アダムやオーランもそう」
「あーはいはいそういうのですね」
「もちろん、君もね。君だけじゃないけれど……」
「……またそういう事を言う」
「はは。めげずに頑張るヒトが好きなんだ、僕は」
なんだか、施術以上にカロリーを使うやり取りになってしまった。
けどまあ、本来聞きたかったのはそういう話じゃないのだ。こういう暮らしを余儀なくされているヘクスは。
「……寂しくないんですか?」
「別に。僕は十分、幸せだよ」
――ほのかに笑って、そう言ったのだった。
●付記 ハンターズ・ソサエティに対しての提言、あるいは苦言
ここで、長きに渡り取材を続けていく中で一部のハンター達から預かった”想い”として、まとめて取り扱うべきと判断したものを扱いたい。
注意いただきたいのは、これはあくまでも取材記録であるという点である。個々人の意見の集積ではあるが、実際の記録、事件を扱うものではないことをここに記しておく。
また、当アーカイブが特定の政治的思想を有していないことも明記するものである。
―・―
『ディーナ・フェルミ(ka5843)』
彼女は、ジェオルジの温泉街に拠点を構えている現役のハンターだ。
1035年時点で今もなお精力的に活動し、王国の聖導士学校で教鞭も取っている。
「子供達の就職先を、確認せずに斡旋できないの」
と語る彼女は、ソサエティについて、こう述べた。
「”私達”は人を守るためにハンターになったけど、ソサエティがそのことすら目を背けてる気がすることが増えた気がするの。ソサエティはハンターを統括しているハンターの互助組織だと思ったけど違ったのかな。ハンターと人を繋ぐ組織が、ハンターを押さえることでしか人に阿ることができないというなら……そんな組織は遠からずハンターにも人にもそっぽを向かれると思うの」
覚醒者という超人たちに対する裏切りだと、彼女は言う。自分たちの善意を裏切るものである、と。
「善意を善意だけで回すにはそれなりの胆力が要るのはわかるの。……ただ、今のソサエティにはそれがないのが残念なの」
彼女はいま、夫ともに二子を育てる母でもあった。
――それでなお戦場に立ち続けるというのだから、彼女の”胆力”には感嘆すべきものがあるだろう。
―・―
『ハンス・ラインフェルト』(ka6570)
記録には王国歴1035年に、東方を出奔したとされている。
筆者が彼の取材に臨んだのは1036年のことだ。正確には、”彼と思われる人物”となる。
かつてを彷彿させる着流しを身にまとうた男は、覆面を被っていた。
「家族が居ると、それを人質に取ろうとする輩が現れます。それが嫌になりましてね」
ソファーに身を沈めながらも、何時でも飛び出せるように構えている姿が印象的だった。当時彼は東方に居を構えていたという。
「人質に屈せぬ姿勢を見せるために、次男を殺しかけまして。智里さんのお陰で死なずに済みましたが……勿論報復しましたとも」
けれど、と続く。それ故に、出奔せざるを得なくなったと。
「元々私は乱波に近いことをしていたので、そういう縁には困りませんでしたから。その伝で”お仕事”をさせていただいております」
実際の”仕事”については筆者の知るところではないが、この頃、ハンターズ・ソサエティに対する抵抗運動が一部で見られていた。そこには、かつてハンターとして邪神との戦いに身を投じていたベテランの関与も見られており、ハンスもまた、その一人である、と目されている。
彼は最後に、こう結んだのだった。
「天叢雲は家族のもとに置いてきました。何重にも意味が伝わったと思います」
―・―
『マリィア・バルデス(ka5848)』
「人類領域の拡大にも異世界探査にも、ハンターの能力はあった方が良い。高位の覚醒者じゃなくても、その方が生存率が上がる……そういう上申を、ソサエティに何度も出したわ」
彼女はかつてを振り返り、首を振った。
「ハンターが居る事で起きる騒乱も異端視化も確かにあると思う。でも、ハンターの増加を制限するのは、人間領域を拡げようと活動している人間を危険に晒す行為だわ」
狩子制度のことをさしてのことだろう。事実、彼女は自身の狩子については終ぞ触れることはなかった。
「これは、安全地帯でぬくぬくと生活している人間からの逆差別なのよ。私達ハンター……覚醒者に対する、ね。北征南征の終了宣言するまで、そんなバカなことをソサエティにはしないでほしかった。だから王国の聖導士学校に協力するの。唯々諾々と従うのは、保身に走った卑怯な行為だと思うからよ」
――そんなマリィアにも、娘がいる。一人娘で、かつて愛した夫との結晶だという。
そんな娘を、マリィアは聖導士学校に入学させた。それは、娘にとっての最善を望む彼女にとっては、当然のことだったのだろう。
「ジェイミー。エドラや他の子供達が、笑って生きられる世界にしたいわね……」
そういって、数少ない家族写真を眺めた彼女は悲痛の漂う笑みを落としたのだった。
―・―
『星野 ハナ(ka5852)』
彼女もまた活動的に行動していた。
部族なき部族に関わり、聖導士学校で講師をして、ディーナ同様に、北征と南征に参戦し……更にはユニゾンの依頼にも介入していたという。
「私ぃ、自分が傲慢の歪虚より傲慢な自覚ありますしぃ……なりたくて深紅ちゃんの守護者になった自負もありますぅ。人が死ぬ時周囲に歪虚が居ないようにしようと思ったらぁ、手っ取り早いのは人間領域の拡大ですぅ。だから王国の聖導士学校運営に協力してぇ、学校絡みで北征南征にも関わってますぅ」
だからこそ、彼女には忸怩たるものがあったのだろうか。
「でもぉ……ハンターって農民や軍人と同じ一技能職に過ぎないんですぅ。それを一般常識にできないのはぁ、そういう教えを共有する場所がないからだと思いますぅ。狩子みたいにぃ、個々に教えるなんて悪手も良い所ですぅ」
ぷぅ、と頬を膨らませて、冗談めかしてはいるものの、その諦観や怒りは本物だったのだろう。
「そのためのマニュアルも講習も場所もぉ、本来はオフィスが率先して準備すべきだったと思いますぅ」
――星野 ハナは、ハンスを始めとした『抵抗運動』に参加していたと目されるハンターの一人でもある。
―・―
『トリプルJ(ka6653)』
スワローテイルに参加し、聖導士学校で戦闘指導にも携わる好漢というべき男もまた、ハンターズ・ソサエティに対してこのように苦言を呈していた。
「オフィスか……ありゃ早晩ぶっ潰れるんじゃね?」
大仰に肩をすくめ、続ける。
「ある意味俺達ぁ軍事力だ。二重三重の安全弁かけるためにも文民統制が望ましいと思うが……オフィスにゃその基盤がない。フォローして統制を命じる外部組織もない」
ここでいうオフィスとは、ソサエティのことであろう。
「ハンターなんて本来ただの技能職だ。漁師や軍人と大差ねぇ……しかし、それをそう言いきれる胆力が今のオフィスにねぇ。オフィスのトップが俺らを怖がってるんだ。駄目だな、ありゃ」
落胆していた。かくあれと願う形が彼には確かにあったのだろうから。
「連合宙軍のような組織化ができりゃハンターもただの一職業になれるんだが……今のオフィスじゃ足りないものが多すぎる。能力と善意があっても、蔑ろにされりゃそんなもんはすぐ腐る。若きゃ若いほどその速度は早いだろう? オフィスがあの路線を貫くなら、なくなる前に血の雨くらい降るだろうな」
と、後の抵抗勢力をほのめかす発言をして、忙しげに彼は席を立った。先述の通り、彼のいるべき場所に戻るためだった。
―・―
『ドラストル・アレシーダ(ka7421) 』
まさしく好々爺というべき老人は、筆者にあうなり孫の写真を見せてくれた。
結婚式の晴れ舞台じゃよ、とのこと。孫夫婦にはつい最近曾孫が生まれたらしく、そちらについてもニコニコと見せてくれた。
「うむ、孫バカのドラストルとは儂の事じゃ!」
老父ではあるものの、その戦歴は短い。しかし、伝えたい事はあった。
「ソサエティはハンターが要らなくなる、人心を安んじるためにも人数を制限すると言っとるようだが……ありゃギルドの姿勢として駄目じゃの。ギルド員と世間の橋渡しを放棄して、世間の恐怖を煽るように動きよった。ギルドとしては早晩割れて抗争が起こるじゃろ? その結果神霊樹も全て焼かれて2度とハンターの生まれぬ世界になるかもしれんが、それも神の思し召しじゃ。
……人ができると思い上がったことは大抵できんからの」
眦を釣り上げながらも、最後には老人は怒りを無理矢理鎮めながら。最後は呟くように、そう言っただった。
―・―
『フィロ(ka6966)』
王国歴、1035年。フィロはルル大学防諜部門長を辞した。(筆者はこのとき、同部門の存在を初めて知った)
一部抵抗勢力に参加することなく、彼女はハンターズ・ソサエティの意思決定に対して、働きかけるように努めた。最終的に円満解決を期待して。
しかし、彼女自身は――忸怩たる想いを、抱いていたのだろう。
「狩子制度は、実際には張り子の虎です。あれでハンターになる人数を抑制することはできません。そういう見せかけのスタンスだと分かっているからこそ、私達の聖導士学校はその隙間を縫って成功しておりました。そして、それこそがオフィスの意向との乖離の始まりでもあったのです」
彼女から見て、不満を覚えたものたちの火元はあくまでもハンターズ・ソサエティの意向と姿勢にあった。
「関係者、教鞭をとる者は皆、未来の子供達に対する熱い想いを持っておりました。そして押しなべて過激な歪虚撲滅派でもありました。あの頃のオフィスは、民意と言う見えないものに怯え、ハンターへの対応を誤ったのです。あの頃、子供達の夢と未来を閉ざす者として、オフィスと聖堂教会過激派の流れをくむ教師たちは、一種即発の状態にありました」
――ここまで、聖導士学校の面々が過剰に取り沙汰されてはいるが、実際にはボルディアのように静かに教導に臨んでいたものも多いことは添えておく。
「あれを放置したら、オフィスを襲っての全面抗争も有り得るほど内圧が高まっていたのです。鎮圧されるまでにどれだけの神霊樹や設備、人材が失われるか。人を守り子供を守る者として、放置することはできませんでした」
さて。実際に何があり、どうなったかについて、筆者は語るべきを持たない。それは当事者、あるいは係累の者たちの声を残すという、本アーカイブの取り組みに悖るものだからだ。
●『求めるはπ乙カイデー』(【王国歴1028年7月】
ハンターとしてのキャリアは短いんだけどよ、と語りだしたラスティ・グレン(ka7418)。当時は10代前半だったというが、家族の為にハンターの道を選んだ。当時は邪神戦争も佳境で、終末期といっても過言ではない。
彼は開口一番こう言った。
「インタビュー受けたらπ乙カイデーなねぇちゃん紹介してくれる?」
―・―
「俺は殆ど邪神戦争終末期にハンターになったからなあ。これで母ちゃんや家族を守れる、π乙カイデーなねぇちゃんにも会えるかもって」
前者はともかく、後者については照れ隠しかもしれない。筆者が知る限り、ハンターには『パイオツカイデー』な人物は多い(筆者はインタビュー後にこの意味するところを知った)。
しかし、だ。
「泣いて吐いてチビりながら戦場に出たら、知り合ったのは胸囲がデカイあんちゃんだけだったよ」
へっへっへ、と下卑た様子で笑うかつての少年は、しかし不満の色はなかった。当時は当時で、彼にとってはいい思い出になっているのだろう。結果的に彼は家族を守ることに貢献することができたわけである。
少年は戦後、まずは研鑽と目的をたてた。
最初にしたことは、総合大学への入学。そこできっちりと学ぶべきを学ぶ――とした選択からは、冗句の裏に滲む彼の気質が伺えるところである。実際には、なかなか卒業には至らなかったとのことだが……それは、それ。さぞ誘惑の多い学業生活であったに違いない。
その後のハンター生活の傍らで、亜人との”交流”も積極的に取り組んだ。”成果”のほどは定かではないが、ジャイアントとは良縁を作れなかったらしい。
「俺の冒険はまだまだこれからだ!」
……彼は再び、πの旅に出るのだろう。
●『矛盾の英雄』(【王国歴1030年3月】
邪神戦争の英雄、鬼塚 陸(ka0038)。戦時、最前線を走り抜け、守護者として生きた彼は、戦後も精力的に働き続けた。
最たるものは、その名を轟かせることとなった【VCU】の企業化であろう。CWで活動を行うレクエスタ課、RBで活動を行うエージェント課を二本の柱とし、覚醒者を中心とした活動を継続的に行っている。
1030年現時点においては、CWとRBをつなぐ計画、および、CWの将来として、宇宙開発を見越して準備を進めているのだとか。
これは、そんな彼への取材記録である。
―・―
戦後10年を越えると、かつての青年はすっかり老練の気配をにじませていた。
「うちの理念である、『誰もが生きられる明日を創る』という言葉なんですが」
【VCU】を立ち上げ、今も精力的に活動する理由を尋ねたところ、彼はこのように答えた。
「この言葉は、僕の初恋の子が言ってた言葉なんです。……あの子とは、病気で死別してしまったけれど、あの子の願いは、僕の中でずっと生きています」
あの邪神戦争中のことだという。彼女との未来は、ある日突然、病魔によって失われることとなった。遺された陸は、その願いに衝き動かされるままに、戦場を転々とした。
少年の肩には大きすぎる夢だった。それでも、彼は動き続け、自らに誇るものはないという凡人は、それを成すために、非凡の証明とも言える守護者にすら手を伸ばした。
「……まあ、結果的には片方には胸倉掴まれるわ、もう片方にはお前守護者らしくないって言われるわ……散々だったんだけど」
すごい力だったよと笑う彼は、その経験すらも良きものとして捉えているのだろう。暗い影は一切見当たらなかった。
彼の道程は決して平坦なものではなかった。
それゆえに、自ら凡人と称する彼一人には――到底、果たせるものではなかったと語る。「そんな僕と共に居てくれる仲間が居て。好きだと言ってくれた……今の家内が居て。やっともう一度、この言葉と向き合えるようになったかな」
向き直ると、中々に難しかった。『誰しもが生きていくことができる明日』――という願いには果てがない。
生きる、ということもまた、難しい。そこに答えを見出すことは陸をしてもできなかった。しかしそれは、願いのための指針を見失ったということと同義ではない。
「生きるって、なんだろう。楽しい事も、悲しい事も……あるけれど、それでも明日は良い日であるといいなって。そんな風に思える世界にしたい」
彼はそう語り、今も、そして未来に渡り、戦い続けることだろう。
彼の願いは借り物だったかもしれない。それをもって、凡人だと言うのかも知れない。
今は――どうだろう。”彼女”が遺した願い、”世界"は……彼を英雄にした。
「僕は……あの子の願った世界を生きている。何時か向こうに行った時、胸を張れるように」
こう言うと、大げさかもしれないが。いつかの出会いが、後に世界を救ったのだとしたら――さて、件の少女は、どう言うだろうか。
●『その名は異端、しかし標なれと願う』(【王国歴1027年11月】)
アルテミスにとって、外部の資金源の中で肝と言えるのは、第六商会と黄金商会の二つになる。民間人の登用が進んだ手前仕方がないことだが、先立つものは必要不可欠。
黄金商会の突き上げもあり、競うように資金提供をしてくれる第六商会からヘクスが足を洗ったとは聞いていたが、聖堂に引きこもっているというのは想定外だった。
どうしても礼をしたいというUiscaの意向を汲んで、此度の席が設けられることとなった。
「……わざわざいいのに、律儀だねえ、君は」
「いえ。本当に感謝していますので」
苦笑して迎えたヘクスに対して、Uiscaは丁寧に一礼。その手には、長い通路を通る過程で疲れてしまったのか、幼児が抱えられている。
「赤子を連れてきたのは君が初めてだよ。おめでとう……しかし、えらい名前をつけたものだね」
「ご存知だったんですね」
まあ、座って、と。案内された先は、幅広のソファーであった。
「せっかくの機会だ。理由を聞いても?」
「ええ、もちろん」
かすかな寝息をたてる、”ミュール”と名付けられた娘をかるく撫でながら、Uiscaは口を開いた。
「……貴方と同じですよ」
「ははあ」
そう言われるとヘクスは弱い。ベリアルによる大暴露は、ヘクスにとっては黒歴史だ。
「ミュールちゃんを始めとする歪虚への憎悪、混血児を忌む悪しき風習……そうした王国の心の闇を祓うため、あえて私が責めを負うような手を取った、ということです」
「……そうか」
慈愛に満ちたUiscaの眼差しを見れば、覚悟の上だとわかる。
「いずれ、ミュールちゃんが歪虚でありながら、ヒトと手を取り合おうとした事実が広まれば、『ミュール』の名があらゆる違いを乗り越えて、手を取り合うことができる象徴となる、と思っています」
「……そして、”あの子”の供養になる、と」
なるほどねえ、と。ヘクスは呟くのみ。
けれど。
「……そう聞いちゃうと、何もしないのも気分が悪いよなあ」
「え?」
そういうと、ヘクスは何ごとかを手元に引き寄せた紙に書き殴り、封筒へとしまいこんだ。
「いい話を聞かせてくれたところ悪いんだけど、一つ仕事を頼まれてくれないかな?」
―・―
――以上が、とある少女の歴史的事実を詳らかにするためのプロジェクトの興りだということを知るものはUiscaと、第六商会の一部のスタッフのみである。
なお、資金の提供の礼に”律儀”にも訪れたUiscaに対し、ヘクスはこう言ったそうな。
「君の”娘”にいい格好したかっただけさ」
●『比翼』(【王国歴1030年4月】)
読者諸君は、『極楽鳥』というブランドをご存知だろうか?
リゼリオに本拠地を置き、CW全土に展開する同ブランドは、「可愛いは正義」を合言葉に、菓子や服飾品を扱っている。
RBとの関係、つまりは邪神戦争の影響も少なからずあるとは思われるが、女性の社会進出を背景に爆発的な人気を誇るようになった。今では若い女性は須らく足を運んでいるといっても過言ではない同店がハンターがオーナーであることはあまり知られていない。
今回は、その従業員にインタビューをする運びとなった。『極楽鳥』の人気店の一つ、王国店の従業員である。
―・―
「私、王国出身なんですけど、騎士だった両親が小さい頃に死んじゃって……戦乱後親戚を盥回しにされたんですけど、丁度その頃うちのオーナーが出資した全寮制学校が出来たんですよ。孤児も奨学金貰いながら通えるって話聞いて、飛び込んだんです」
オーナーはジュード・エアハート(ka0410)。ベテランハンターである。
ジュードは現役時代から様々なファッションに身を包んでいたが、その才覚を活かして『極楽鳥』を創業。それと同時に、資金を半ば吐き出すように、孤児や恵まれない子どもたちに対して働きかける教育機関への支援を行った。奨学金もその一つである。
――余談だが、青色と白色を基調とした制服は、王国店独自の制服らしい。各国ごと、景観に配慮した制服は、『極楽鳥』の売りの一つでもある。
「それで色々勉強させて貰って……今はこんなに可愛い制服着て可愛いお店で働けてるんですから超幸せです」
さて、ここで、彼女からみた『オーナー』の人物像について聞いてみたところ、彼女はふふり、笑い。
「年齢も性別も不詳で不思議な人ですけど、可愛くて凄い人ですよねぇ……」
戦後10年。ハンター歴を考慮すると、15年のキャリアを経てなお、この評価であった。
『極楽鳥』と、オーナーの活動が示すとおりだ。可愛く、誰かの止まり木となる懐の広さを持ち、そして、その活動性は留まるところを知らない。聞けば、オーナーが良く赴く店舗として、『王国』、『辺境』の二店舗が挙げられるらしい。CW全土を股にかけるその活動範囲の広さもまた特筆すべきだろう。
「この『王国』店舗には、5年くらい前までは誰かのお見舞いでよくいらっしゃってたんですよ。その後快復したらしくって、たまにこのお店でお茶をしてたりしています」
騎士らしいんですよね、と少女は言う。
しかし、となると『辺境』というのは中々興味深い。彼の地は中々に波乱が止まぬ土地である。『極楽鳥』のコンセプトを思えば、苦難も多いと思われるのだが。
そうすると、彼女は更に笑みを深め、こう言ったのだった。
「辺境店勤務の子が言うには、旦那さんとラブラブらしいですよー!」
なるほど。
しかしそうなると、性別不詳というのも――。
―・―
「……という感じの記事になったの」
「ふんふん……俺は良いと思う! やー、いい感じで話してくれたんだねー」
個人的な知己でもあったエステルは、15年越しのジュードを眺めて小首をかしげている。
「ジュードは10年前から殆ど見た目が変わってない……ずるい……」
「……ふふ」
そうして、遠くを眺め、笑みを深める。
遠い空。それでも、その生は繋がっていると感じられる――遙かなる蒼天。
「やっぱり愛のなせる業かなー」
●『連理』(【王国歴1030年4月】
いざ、自分の生き方に向き合うと、これはこれで発見は多いもの。
エアルドフリス(ka1856)はいっそ晴れやかな気持ちで蒼穹を見上げ――途方に暮れていた。
「ま、待ってくれ、ゲアラハ……」
先を行こうとする旅の相棒、イェジドのゲアラハを呼び止める。
何かと言うと、激しい腰痛に見舞われているのであった。
―・―
集落までたどり着いたエアルドフリスは厚手の絨毯とクッションに座る。
「さて、調子は如何かな。具合の悪い人は順にどうぞ」
すでに”流れの薬師”の訪れに行列となっている。男はざっと列全体を眺め、喫緊で対応しなければならない者がいないことを確認すると最前の人物に向き直った。
「やあ、ご無沙汰してます、長老。どうやら、顔色はいいようだ」
ざっと検めて問題がないことを確認し、予め調合しておいた薬の包みを渡す。集落とはいえ列に並ぶ人数も多く、加えてエアルドフリスの辺境暮らしも、この集落との付き合いももう10年になる。
次に並ぶ女性も顔見知りである。その腕にはまだ生まれて間もない赤子を抱いている。
「やあ、お産は無事済んだのだね」
「ええ! 薬師さま。良かったら、触れてはくださいませんか?」
「ああ、もちろん」
用意しておいた水桶で汚れを落としたのち、右手で赤子の額を覆うように触れる。
「……いい子だ。あんたも体力が落ちているだろうから、この薬草茶を飲むといい」
「ありがとうございます。貴方のように、壮健に育つといいのですが」
「……俺かい? こう見えてもう40だ。腰痛と戦う日々だよ……」
そう言うと、ど、と列に並ぶ者ものに笑いが生まれた。暖かな気配に男もまた皮肉げに笑う。
「患者の気持ちが理解できるようになって薬師としての格が上がったってもんだよ」
そうしてまた一つ、高い笑いが起こった。
平穏で、和やかな――辺境の時間だ。
―・―
診察が終わった頃合いに、長老から獣が出るとの相談を受け、その退治を承った。旅暮らしの合間に、こうして戦いの依頼を受けることも少なくない。ゲアラハにとっても良き機会になるという心づもりもあるが、エアルドフリス自身も望むところである。
辺境の夜は寒い。厚手の天幕の中ランプを灯すと、胸元から手紙を取り出した。
ジュードからの近況報告。それから今後の予定が書き連ねてある。ジュードが辺境に出店した『極楽鳥』の店舗に行く予定には赤文字で線が引かれている。”奇しくも”その日は、エアルドフリス自身がそこを訪れる日でもあった。
数ヶ月に一度の機会。それは、恋人同士の逢瀬としては少ないとは思う。けれども――共に生きていくのであればそれでも十分、エアルドフリス自身の願いを追求すればいいのだ、と背を押してくれた。
背反する想いを優しく包んでくれたこと。
エアルドフリスの魂が求めている二つを両立できたこと。
その幸福を噛み締めながら、生きている。
辺境を旅する中で、不穏な火種の興りも目にしてきた。しかし、そこに関わらない道を選んだのはエアルドフリス自身でもあった。それもまた、巡り巡る理の一つだと、受け入れて。
ずっと。この身が果てるまで――この旅は、終わらない。
この地で治療を続け、生きていくと決めたのだ。
”彼”と、共に。
●『両界のバラ』【王国歴1030年5月】
セシア・クローバー(ka7248)は最初に、彼女の家の庭を見せてくれた。
数多の薔薇が咲き誇るその庭の中で、セシアは誇らしげに胸を張った。
「我が家の庭の薔薇も全て義妹が両世界の薔薇を交配させて生み出したものだ」
義妹は彼女の夫との縁らしい。
大規模作戦にあわせRBから避難してきた義妹は、邪神戦争後もリゼリオに残った。
そうして取り組んだのが、世界を超えての薔薇の交配だ。
その薔薇を用いたジャムは、彼の良夫が開いた店で味わうことができるらしい。
「明日へ受け継ぐものを残していけたらこんな嬉しいことはない」
そう語り、数多の薔薇を背負ったセシアの姿は、とても誇らしげであった。
世界の壁は、いつしか再び開かれる時がくる。その時、義妹と共にRBにこの”種”を届けることが、今の夢だと彼女は朗らかに語ったのだった。
―・―
そのまま、彼女とともに、リゼリオの一角にある有名店へと赴いた。
RBのイタリア家庭料理を扱う店。そう、先述の夫の店は、知る人ぞ知る名店であった。
1021年4月に開店した同店は、以降客足が絶えたことはない。リゼリオの気風はもともとRBの欧州のそれに近いというが、間に有名店への道を駆け上がった。
「二つの世界があってこそ生まれた薔薇……それを使ったドルチェを作りたかったのさ」
義妹の夢。セシアの想い。そしてそれらを結実させたのが、レオーネ・ティラトーレ(ka7249)。当店のオーナーであり、シェフである。
――薔薇のジャムを用いたクロスタータの提供は今月からとなる。
店の混雑具合もさることながら、素材となった薔薇の数にも限りがある。
ゆめゆめ忘れぬよう、敢えて記しておこう。
店主の意向により、筆者も賞味させてもらった。
その風味、香りの高さについての感想は、敢えて述べずにおきたい。ぜひ読者諸君には、驚きとともにこの体験をしていただきたい。
―・―
「誰かにとって大きな架け橋になる、という願いもある……シニョリータ、君が物語を残すのと同じようなものだ」
最後に彼は、そう言って伊達男らしく一礼をしたのだった。
●『巡り、継がれるもの』(【王国歴1035年1月】)
ボルディア・コンフラムス。彼女は歴戦の勇士であり、世界の守護者であり――そして、今や学校の教師、である。
かつての勇猛果敢ぶりを知るものは驚くことだろう。彼女は武威を誇ることなくただ静かに教鞭を奮っている。
「大した話は聞けないと思うけどね」
――そんな彼女の話だからこそ、聞きたいと思ったのだ。
―・―
「先生の持論だけど、国に元気があるかどうかはその国の子供達を見れば分かると思う。子供が暗い顔してる国は遅かれ早かれ滅ぶものだからね」
かつては俺、と言っていたボルディアが戦後15年も経つとこうも変わるか。
彼女は終始、自らを先生と言い続けた。それは、彼女のこれまでを如実に表す言葉で――誇り、と言えるものなのだろう。
「その点、戦争中でも王国の子供たちはよく笑ってたよ。これは、戦争中からここでずっと子供達を見てた先生が保障する」
戦時中、そして戦後も子どもたちを見守り、教え導いてきたボルディアの言葉には喜びが満ちていた。
「あれから大分経ったけど…子供たちの笑顔はもっと輝いてる。沢山の子供たちを助けて……子供たちの笑顔を見れて、先生は先生になれて良かったな」
万感とともに、ボルディアは言った。
そんな彼女だからこそ、彼女の助けになろうという”子供たち”も多いのだろう。笑顔の種が巡る。彼女の教師としての生き方は、とても豊かで――とても、母性に溢れたものに感じられた。
●『物語るものども』(【王国歴1040年1月】
1040年現時点において、御伽話作家ルスティロ・イストワール(ka0252)の名は広く知れ渡っている。数多の物語を紡いでは世に広めているルスティロは、現在でこそ活動量は減ってしまったがれっきとしたハンターである。
邪神戦争以前から作家業を営んでいたが、戦時中にスランプに突入したルスティロは、スランプ打開のためにハンターになった。さて。戦争が終わった今や、スランプは何のその。以来20年に渡って物語を書き続けており――その筆は留まるところをしらない。
―・―
「僕は英雄を見たかったし、未知の文化を知りたかったし、行った事の無い場所に行きたかった。それは全て叶えられた」
戦時中を振り返ったルスティロは、双眸を優しく細めながらそう言った。かつての思い出一つひとつ、戦友一人ひとりを辿るように、ゆっくりと。
「だから僕は、きっと死ぬまで書くだろうね。死んでも書きたい位さ!」
ルスティロにとって、衝撃的な旅だったのだろう。スランプを砕き、ばかりか創造の泉は無限を思わせるほどにわき続けている。
「あの日々の輝かしさを。苦しくも足掻き続けた命の灯を……僕は未来へ伝え続けたいと願っている。子から子へと継がれる御伽噺として」
彼はエルフだ。故に、『遺す』という行為に重きを置いているのかもしれない。彼の周囲に居たであろう者たち。その、彼らと過ごした日々を遺すためには、彼自身が物語ることが、最も目的に適う手段となる。
だから、であろうか。彼はこのアーカイブにも非常に好意的だった。
あの日々を記録すること。そうして語り継ぐこと。
ひょっとすれば将来、このアーカイブに何篇かの御伽噺が加わることになるかもしれない。その時はぜひ、子どもたちへと読み聞かせていただきたい。
きっと――当時の想いから紡がれた、珠玉の物語であろうから。
●『esistenza』(【王国歴1040年6月】)
1040年。その日は、二人にとって特別な日だった。
セシアとレオーネの結婚20周年。リゼリオの一角のイタリア家庭料理店は、今日ばかりは休日である。尤も、数時間ほど前までは身内を招いてのどんちゃん騒ぎだ。歌あり、酒あり、涙あり。友人たちの趣向に、セシアとレオーネは多いに笑い、そして少しだけ、嬉し涙を流した。
夜が深まるころには皆は去り、子どもは遊び疲れて眠りについている。
あとに残ったのは二人だけ。二人は中庭の椅子に並んで座り、空を眺めている。きらきらと眩い夜天。
「20年、か。あっという間だったな……」
「ふふ」
レオーネのつぶやきに、セシアはつい吹き出してしまった。
「私もちょうど同じことを考えていた」
「君がいなかったら今まで厳しかったと思うよ。家族にも……友人にも恵まれた俺は、本当に果報者だ」
この20年を振り返る。この世界に住まうと決めて、あっという間に時が経った。慌ただしくも――幸せな日々だったと。
「私も果報者だな」
つと、ぽつりと落ちたセシアの言葉にレオーネはそっと彼女の背へと手を回し、髪を撫でる。
「……あなたには、感謝してもしたりないな。私の人生を豊かにしてくれた」
「――では、お互い様だな」
柔らかく、暖かな時間だけが満ちる。
――RBには”彼”の空の星もあるのだろう。
――……”お前”もまた、俺の中に息づいているよ。
そうして、夜天に向かい、それぞれに物思うたことは、奇しくもレオーネの昔の半身のことだった。彼を縛り――彼の礎となっている、一人の男。
「Ti amo,Amore mio」
「……Ti amo,Bellissima mio」
CW育ちのセシアのイタリア語に、レオーネは一瞬目を丸くしたあとで、微笑して答えた。
「……私の物語が終わるまで、よろしく」
「俺の物語が終わるその時まで、よろしく」
そうして二人は、夜闇に溶けるような、かすかな口づけを交わしたのだった。
●『名匠来たりて』(【王国歴1045年1月】)
かつての少女、クレール・ディンセルフは衝動を抑えきれなかった。
腕を組んで立つクレールの向かいにはグラズヘイム・シュバリエの大工房。
戦争以降も技術を磨き続け、世界最先端の技術屋集団の城。
けれど、と。クレールは確かな熱とともに、思うのだった。
――私も所帯を持って、狩子も弟子も育てて……子供もできて……カリスマリスと、ディンセルフコートと一緒に頑張ってきた。
人を育て、得物を鍛ち、武技と鍛冶の腕を磨いてきた。人生をかけて打ち込んできた思いと熱量ならば――負けはしない、という自負すらある。
職人としての頂きを拓く。そのために、クレールは衝動にまかせて、熱にまかせて、此処にきた。
「頼もう! 造りにきました!!」
門が割れんばかりの大音声に、一瞬辺りが静まり返る。
『やつが来たぞ!』『カチコミだ!』『逃がすな!』
そんな声を遠くに、クレールは仁王立ちして待ち構えていたが――あれよあれよという間に職人たちに抱きかかえられ、大工房へと連れ込まれることになった。
蓋を開けば、かの職人集団もディンセルフ工房には熱視線を送っていた、ということであったらしいが……ともあれ、この日を境にグラズヘイム・シュバリエは特色である『実用性』を更に高次元まで磨き上げることになったという。
●【王国歴1050年】
宵待 サクラ(ka5561)が失踪。イコニア・カーナボン(kz0040)の死去に前後して、サクラはイコニアへの崇拝と信仰を語り、その際にRBにおける聖女の逸話と、彼女に付き従い、後に狂ったジル・ド・レへの共感を述べていたという。
イコニア・カーナボンの死が、彼女に何を齎したかは明らかにされていないが、以降のサクラに関する記述は渉猟し得る限りでは存在していない。
● 『世界の果てに住まう者』【王国歴1055年】
ルベーノ・バルバライン(ka6752)は『ユニゾン』の外部市民として暮らしている。
レクエスタには参加しなかったそうだ。曰く、「利権がキナ臭すぎた」とのこと。
そんな彼は、ユニゾンの「マゴイ」に絆されて以来、30年以上に渡りユニゾンで暮らしている。
「ユニゾンはそこで生まれた者には窮屈だろうが、死に行く者や傷付いた者には優しい地だ」
と、言うくらいである。ルベーノ自身が勇士であることを踏まえると、消して温い土地ではないことはわかる。
けれど、と。ルベーノは大笑して、こう言うのだった。
「端から見ればユニゾンはディストピアだろう。しかしあれでもEGにあった本家ユニオンとは随分変わった。多様性の一つの形としてこの世界で認められれば良いが……まあ、胆力がいるのは否定はせん!」
もはや、王国歴すら遠く感じるというルベーノは、CW人としては中々異質な人生を歩んでいた。
「俺ももう王国まで来ることもあるまい、これが最後の奉公だ、ハッハッハ」
さらば! と言って、取材料を受け取ったルベーノは、そのまま何処かへと消えた。
――嵐のような人物であった。
●『星のヒト』(【王国歴1061年4月】)
RBにおいて、宇宙開発100年目となる当年は、CWにおいても宇宙開発が始まっていることとあわせ、世界をまたいで大々的に祝われることとなった。
それぞれの関係者、責任者、各国首脳がこぞってあつまるレセプションの中に、彼の姿があった。クオン・サガラ。そこで取材予定を取り付けたわけであるが―― このとき既に老年に当たるはずであるが、筆者が取材することが出来た容姿に準じ、この記録においては青年として記載するものである。
―・―
火星は、オリンポス山近くの農業用ドームでの話だ。1030年代、RBにおいて火星の開拓が積極的に進めらることとなった際、クオンはエージェントでもある自らの能力を十全に活かし、開拓に取り組んだという。
この巨大なドームはその最初の取り組みの一つだ。嵐の多い火星において、ドームの存在は必要不可欠。そのドームの元で、彼は開拓者が自給自足できるように取り組んだ。
「私は、半世紀前に火星行きを志して多くの危機を乗り越えて、ここに辿り着きました」
視線の先には、沢山の緑が生い茂っている。その周囲はあいにくの砂嵐ではあったが、広大な世界を感じさせる壮大な景色であった。
クオンは、預言のように、こうも触れていた。
「ただ、これは始まりです……まだ遠い世界と危機が私達を待っていますので、足場を固めて行きましょう」
このとき、彼が何さして語っていたのかは明らかにはなっていない。
あたかも『違う世界』を予感させる言葉の意味は――遠い将来、明らかになるのであろうか。
●『ひかりの中へ』(【王国歴1064年不詳】)
夜明け前。RB風に舗装された道を、二人の男が進んでいた。
ジャック・J・グリーヴと、クローディオである。瑞々しい体躯を誇るジャックに比して、クローディオは痩せ細っているのが対称的であった。
病魔に侵されたクローディオを内緒で連れ出し乗せた車椅子を押しながら、ジャックは努めて快活に言う。
「シンドイ時に俺の我儘で連れ出して悪ぃな」
「構わん」
顔を見なくても親友が薄く笑っているのがわかり、ジャックは少しだけ緊張を解いた。
「……歪虚を潰せば多少は楽になるかと思ったが、ハッ、お互いクソ爺になった今も忙しねぇなんて笑えるぜ」
――バカ野郎が、と。心の中では叫びたかったのをこらえて、静かに。
献身的に過ぎるあまり、手のつけようが無いほどに病に身を崩した誰かには、言えようもない。
「そういやお前、まだあの『勝負』覚えてるか? ありゃ勿論俺様の勝ちだよな! 俺様がどんだけの奴を救ってきたか!」
領民が目覚めんばかりの大音声。木霊を、気まずげに聞く。
「……ジャック」
「……すまねえ」
しばし、静かな時間が過ぎた。
「いや、なんか言えよ」
「私は別に、異論はないが」
「バーカ、お前の勝ちだ」
と、吐き捨てる。
「俺はいっつも上ばっか見ていてよ、俺について来る奴はいなかった。けどお前は俺について来た、俺の隣にいてくれた、俺は孤独じゃなかったんだ」
「……」
「お前の勝ちだ。クローディオ」
「……では、貰っていくとも。ジャック」
薄い笑いを浮かべるクローディオに対して、ジャックの表情は――固いままだった。聞かねばならないことがあった。
「だから……あぁクソ、これを聞くのがずっと怖かったよ」
小高い丘に車椅子を止め、クローディオと向き直ったジャックは膝を折った。
「俺は……お前を救えたか? お前の世界を彩る事は出来たか?」
覗き込むような、射抜くような視線に――こらえきれないようにクローディオは笑ったのだった。
「……笑ってんじゃねーよ!」
「すまない。だが、今更言葉を紡がずともわかるだろう?」
「……わかんねーよ。先に逝っちまう奴の胸の裡なんてよ」
聞かせてくれよ、というジャックの目を、クローディオは静かに見つめた。
「私はお前に、ジャック・J・グリーヴという男に救われたよ。全てがモノクロに見えていた頃が嘘のように、今の私の世界は鮮やかに彩られている」
――ああ。そうだ。
永遠の別れだというのにも関わらず、なぜ自分が笑えているのかが腑に落ちた。
――私もお前に、新たな光を照らすことはできたのだな。
「そう、かよ」
情の籠もった声を聞いて、クローディオは深い安堵を抱いた。同時に――糸が切れたように、クローディオに視界からジャックの姿が霞んでいく。
最後の時だ。
「……叶うならこれから先もお前と共に在りたかったが……私は、ここまで……の、ようだ」
先に、休ませてもらう。と、小さく言った、その時のことだった。
ジャックの向こう。地平線の彼方から、茫漠たる光がせり上がってくる。
視界が――世界が――光に包まれていく……!
黄金色の麦畑が、風を受けてそよぐさまを確かに感じた。ジャックという男の光を、確かに感じた。
「…………」
もはや言葉も紡げない。けれども、遺して逝かねばならない親友のためにかろうじて、笑みを浮かべた。
届いただろうか。
もはや――それも、分からない。
「色んな奴を見送ったがよ……お前が逝くのは辛ぇな。あばよダチ公……俺の世界はお前のおかげで金色だ」
●『風待ちて』【王国歴1075年8月】
気立てのよい女性であった。穂積 智里(ka6819)。知人の孫の結婚式に合わせて、取材の予定を組むことができたのは幸いだった。
東方で暮らす彼女は、子育てと詩天を望み、なかなか機会を得ることもできなかったのだ。
―・―
「面白そうなお話を集めてらっしゃるとか。うちの宿六も参りましたでしょうか」
開口一番、智里は淑やかに告げた。助六――つまりは、彼女の伴侶であるハンスのことだと知る。取材の記録が残っていることを告げると、大層喜んでいた。この記録も、残るのですね、とも。
「子供達は皆詩天で仕事をしております。息子の虎太郎と龍次郎は水野様に、娘の芙蓉は詩天様にお仕えさせていただいております」
立派に育て上げた、ということだろう。ハンスの言だと、大変な困難にも見舞われていたということであったし。
「宿六が家を出ていきましたのは、30年……いえもう40年近く前になりますでしょうか。年を取ると物忘れが酷くて困りますわね」
30年、彼女は一人で子を育て、詩天に尽くし続けた。
寂しくなかったかという筆者の問いに、智里は薄く笑って、こう応じた。
「剣で世の中を渡りたかったあの人と詩天を繁栄させたかった私。道が分かたれるかもとは思っておりました。お骨になれば戻ってきますでしょう?」
ですから私、ずっと待っておりますの。と、老女は微笑んだ。
四十年を越えてもなお、信じているのだった。彼女の良人が、今もどこかで達者に暮らしていることを。
おそらくは、この先も――ずっと。
●【王国歴1089年6月】
クリスティア・オルトワールが死去。
塔の守り手として管理にあたると共にその在り方を模索しつづけた。
彼女の貢献は著しく、塔1階と2階を遺物の研究所として開放し王国独自の技術発展に尽くしたことは、開明的な女王の方針の支えとなった。
また、禁書や危険な遺物の保管も塔の上層で担当し、ゴーレムを徘徊させ徹底的な管理を行った。いつしか『知識の塔』と呼ばれ、知識を追い求める人達の集う場所となったという。
管理者の役目を狩子に託して以降は、世界を旅して回った後、王都にて静かに眠りについた。
その亡骸は、かつての想い人の墓近くへと埋葬されたという。
70年以上に渡る傾慕に尽くした生であった。
●『Jを継ぐ者』 【王国歴1095年12月】
「とりあえず生涯独身だったんスわ、マジで。DDTしたかはしらねえッスけど?」
ジャック・J・グリーヴの狩子の言である。ジャックが見出した後継者は、エルフにも関わらずRBノリの強い男性であった。
「いや、マジでジャックさんパネェかったスよ。黄金商会もバッキバキでしたし。ジャックさん王族かっつーくらいガンガン前でてたし。円卓会議でもサンッザン女王とやりあったらしいし? あー、そいや、居なくなったっつーオシャンティッシュさんのことずっと目の敵にしてたわ。ありゃ幻覚キメてっかなって。いねえっつーのに『うっせえな! 居るんだよ! そのへんに!』ってこの調子(笑) ヤバくね? 女王とは仲悪かったケド、結局爵位とかバツバツ上がってたし、実は仲よかったンスかね? よくわかんね。けど、クローディオさん死んじゃった辺りから、ちーと丸くなったんかな? なんか悪巧みしてたみてえ。100年計画? がなんちゃら、とか協力すっぞ、みたいな」
――ジャックの偉業について、教えて下さい。
「あ、そうね。ジャックサンまじヤベエの。サオリちゃんの黄金像って知ってる? 合言葉を言えばゴーレムだから動くんだぜアレ。キモくね?」
●『長命の定め』(【王国歴1120年1月】)
「インタビューとはまた懐かしいネ!」
アポイントを取り付け、筆者を見るなり、アルヴィン = オールドリッチ(ka2378)は開口一番、そういった。聞けば、筆者の祖母と、その助手であったパルムとも面識があるという。
つくづく、縁はめぐるものである。
―・―
アルヴィンはかつて、【帝国】という絶対王政から飛び出したはみ出しものであった。
”かつての”帝国貴族にしてエルフ。異例の境遇にあった彼はハンターになった。
そうして戦争を乗り切った彼は、生家へと戻ったそうだ。
民主化を目指した帝国での混乱は教科書にも載るほどである。その中で、自家の人々の面倒を見たというアルヴィンが実際にどれだけの面倒事に巻き込まれたかは、想像するしかない。
なぜかといえば、そこで起こったであろう難事について彼は決して語ろうとしなかった。
彼が話したのは――沢山の、友人たちのことだった。友人たちがどれだけ素晴らしかったのか。彼らが何を果たしたのか。彼らと共に過ごしたときが――どれだけ、素晴らしいものだったのか。
「僕はエルフだからサ。いっぱいいっぱい見送ってきたんだよネ」
1010年代。およそ100年前の出会いは、アルヴィンにとって特別な輝きを有していたのだろう。
そして、友人たちは――その煌きを残して、光の身元へと還ったのだろう。
「喋り過ぎ? 大丈夫? これ、どこまで載せてくれるノ?」
冗談参りにそういった彼の目は、忘れられないものだった。そこに込められた、深い期待を――裏切ることは出来ないと、そう思わせる瞳だった。
彼は指折り、友人たちの話をした。
100年を超える出会いの数々である。とてもではないが、紙幅は足りない。
だが、気づけば筆者は追加のアポイントをとっていた。
これこそが、このアーカイブを立ち上げたいと思った、”彼”の願いであり。
語り尽くせぬものを、語り尽くさんとする、アルヴィンの願いに叶うものだと思ったからだ。
(注:それらについては、後日【列伝】という形で出版されることとなった。是非、お買い求めいただきたい。)
アルヴィンの話は、実に10日間に及んだ。
そこで彼は初めて――そう、初めてだ――満足げな表情を見せてくれた。
そうして筆者はようやく、アルヴィンのことを尋ねることが出来たのだった。
彼は決して、自身のことは語りたがらないだろうとわかっていた。
それを踏まえての筆者の質問に、彼はこう答えたのだった。
「出会った全てのお陰で、好い人生だった。……ソウ、全くもって、楽しい人生だったヨ!」
―・―
記録をたどる限り、アルヴィンは自らを傍観者と定義していた節がある。
だとしたら、その想いの深さは測り知れないものがある。
なにせ、彼は自身が記憶し、体験したものを――『忘れ去られることがないように』と、願いを込めた。
ヒトの死とは、いつか。
――友人たちの死に、報いるために、どうするべきか。
彼の最後の取材記録は、まさしくそれを体現するものであったと、筆者は思う。
故に、と結びたい。
故に筆者は、アルヴィンの記録を、こう結びたい。
洒脱な装い、奇抜な言動とは裏腹に。
誠実で、情感豊かで――最高に幸せな人物であったと。
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/10/27 18:39:32 |