ゲスト
(ka0000)
『血の厄災』 希求
マスター:葉槻

- シナリオ形態
- ショート
- 難易度
- やや難しい
- オプション
-
- 参加費
1,000
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 4~10人
- サポート
- 0~0人
- マテリアルリンク
- ○
- 報酬
- 普通
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2016/04/22 07:30
- 完成日
- 2016/04/29 03:23
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
●エンスリン病院にて
「先生、父の容態ですが……」
「えぇ、今は安定されておられますよ」
死の淵にいる資産家の息子に声を掛けられ、アダム・エンスリンは穏やかに告げる。と、男は「えぇそれなんですが」とこそりと耳打ちをする。
「相続の件、上手く行きましたので……もう父の延命は不要になりました。今まで有り難うございました」
アダムが眼鏡の奥のまなじりを上げて男を見るが、男は「死んだら、連絡を下さい」と下卑た薄ら笑いを残して去って行く。
速歩で自室へと戻ると、扉を閉めて深い溜息を吐く。
「……なんて、欲深い」
金持ちの言う事は大概いつも同じだった。特に、入院し、出来うる限りの延命を望む者ほどその地位や名誉、財産に固執する者が多い。
一方で、不要となった途端こうやって切り捨てる。
アダムは二度目の溜息を吐いた。
机の上には、一通の手紙が置かれている。先日『自主退院』をやってのけた少女の置き手紙だ。
あの日、覚醒者の賊が2名ほど入ったが、これといって盗まれた物も無かったため、軍へ不法侵入の届け出をし、警備の強化に努めている。
せめてあの賊を捕らえることが出来れば良かったのだが、暗がりだった上に2名共仮面で顔を隠していた為、体格からしておそらく女性であること以外は分からない。
少女のカルテの住所欄を見て、眉を顰める。住所にはかつて旧帝国軍諜報機関最高責任者だった男が治める地名が書かれていた。
「……まさか、今頃あなたが動くとも思えませんが」
そう、彼は王に見放され領地以外の全てを失ったはずだ。その彼が、今頃になって何かを成そうと動き出すとは思えなかった。
だが、もしも帝国がこの病院の秘密に気付いて動き出したのだとしたら……アダムはこめかみを親指の腹で圧迫しながら思案にふけるのだった。
●白亜宮にて
「わざわざ足労頂いて申し訳無いわ」
ハンターオフィスの説明係の女性は、『アダム・エンスリンをよく知る者』だとフランツから紹介を受けて、盲目の老女の前に座していた。
静々と目の前に用意された紅茶を「特製のブレンドハーブティなの」と紹介すると、カサンドラは静かに一口口に含んだ。
「フランツから話しは聞いているわ。本当は私が行くのが筋だったのでしょうけれど、この目では遠方への外出は厳しくてね」
「あぁ、いえ。我々としては情報を頂けるのであれば、行ける所まで出向きます」
……そのくらい隙が無いのだ、あのエンスリン病院という場所は。
彼女の言葉にカサンドラは満足そうに微笑み返すと、膝の上で両手を組んだ。
「……さて、まず何から話しましょうか。私の知る情報が、お役に立てば良いのですけれど」
静かに語られた物語は過去20年以上前の旧帝国時代に遡った。
アダム・エンスリンは、非常に優秀な聖導士だった。
彼の中の治療優先順位は【指揮官>軽傷者>重傷者>致命傷負傷者】という点においてまったくぶれることが無く、その為に上の覚えは非常に良かった。
助けられたかも知れない者を放置し、上官から治療するという選択に周囲からは酷いやっかみや妬み恨みをぶつけられることも多かったが、彼は意に介さず肩で風を切り、足音高らかに出世街道を歩いて行った。
当時、彼の上官としてカサンドラは何度彼と衝突したかわからない。顔を突き合わせれば啀み合いを始めると言われる程、彼とはソリが合わなかった。
それでも、彼は自分の意思を――正義を――曲げること無く戦場に立ち続けた。
その後、カサンドラが視力の低下を理由に退役。最終的には衛生機関の最高責任者にまで名を上げ、王の忠臣として名を連ねた。そして革命が起き……彼は、戦場に姿を現さなかった。
「革命後、発見された彼は戦いに参加しなかったという事で命だけは救われたけれど、それ以外の物全て……爵位も軍医としての地位も名誉も全て失って……それで彼はただ一人の医者として開業すると言ったわ」
カサンドラは革命後、開業するためハーブを学ばせて欲しいと現れた彼を見て驚いたのを今も覚えている。
「革命前のとげとげしさが消えて、雰囲気が優しくなっていたのよ。彼はきっと良い医者になると思ったわ」
リアルブルーから伝わる医術や薬学を学ぶ為に何度もロッソへ行き、向こうから転移してきた医者に話しを聞き、教えを請う。
「そうして出来たのがエンスリン病院よ」
カサンドラの語るアダム・エンスリンの人柄は高潔な印象があった。
説明係の女性は紅茶で喉を潤した後、ハンター達からもたらされた情報を問う。
「ミス、カサンドラ。『体内マテリアルの循環不全による奇形細胞増殖症』という病名にお心当たりは?」
「……昔は『不治の病』で一括りにされていた病の一つね。発症部位によって色々な呼び方があるけれども、原因を病名に当てはめるとそれね」
「では、これを治療する薬の副作用で『死亡した患者の亡骸は骨さえ残らずに消失する』というのはあり得ますか?」
そう問われて、カサンドラは首を傾げた。
「どれほど強い薬を使えばそうなるのかしら……? リアルブルーの薬には骨を脆くしてしまう副作用の物があるとは聞いたことがあるけれど、消失するなんて……」
薄いレースのベールの向こうでカサンドラは柳眉を寄せた。
●ある薄暗い室内にて
どうして彼女が捕まったのか、その経緯は知らない
ただ、王は言った
「これを調べることが我々の繁栄に繋がるのだ」
彼女は小さな口を戦慄かせて涙声で囁いた
「私を助けて下さい」
革命が起き、私は彼女の手を取って逃げた
「馬鹿な男。地位も栄誉もどぶに捨てて!」
妻は私の理解者とはなり得ず、職も何もかもを失い私は茫然自失となった
だが、彼女は言った
「私がおそばにおります」
――懐かしい夢を見て目が覚めた。
あれからもうすぐ14年。
人と歪虚との戦いは終わらず、それでも革命後はリアルブルーから持ち込まれた科学と情報により随分と人々は進化し発展した。
それでも、まだまだ足りない。彼の国では高度な腫瘍摘出手術を始め、生体移植や、全血交換輸血に無菌室での骨髄移植などが行われるというのに、この国の技術ではそれらにはまだ対応出来ないのだ。
悔しい。もっと国が落ち着けば? そう言い続けて14年なのだ。私ももう随分歳を取ってしまった。
「アダム……」
気遣うように彼女がそっと私の節くれ立った手に、白い陶器のようななめらかで冷たい手を置いた。
ここ数日、大量の血液を強制的に抜かれ続けていたが、それも先日、無事終わった。
病的なまでに色を失っていた白皙の肌には少しずつ赤みが戻りつつある。
「……大丈夫だよ、ペレット。さぁ、行こうか」
私はあの日のように彼女の手を取り、穏やかに微笑み返した。
……まだ、終わるわけにはいかない。こんなところで、終わらせない。
私の願いは、望みは、この手で必ず果たしてみせる。
「ペレット、君さえいれば……」
「先生、父の容態ですが……」
「えぇ、今は安定されておられますよ」
死の淵にいる資産家の息子に声を掛けられ、アダム・エンスリンは穏やかに告げる。と、男は「えぇそれなんですが」とこそりと耳打ちをする。
「相続の件、上手く行きましたので……もう父の延命は不要になりました。今まで有り難うございました」
アダムが眼鏡の奥のまなじりを上げて男を見るが、男は「死んだら、連絡を下さい」と下卑た薄ら笑いを残して去って行く。
速歩で自室へと戻ると、扉を閉めて深い溜息を吐く。
「……なんて、欲深い」
金持ちの言う事は大概いつも同じだった。特に、入院し、出来うる限りの延命を望む者ほどその地位や名誉、財産に固執する者が多い。
一方で、不要となった途端こうやって切り捨てる。
アダムは二度目の溜息を吐いた。
机の上には、一通の手紙が置かれている。先日『自主退院』をやってのけた少女の置き手紙だ。
あの日、覚醒者の賊が2名ほど入ったが、これといって盗まれた物も無かったため、軍へ不法侵入の届け出をし、警備の強化に努めている。
せめてあの賊を捕らえることが出来れば良かったのだが、暗がりだった上に2名共仮面で顔を隠していた為、体格からしておそらく女性であること以外は分からない。
少女のカルテの住所欄を見て、眉を顰める。住所にはかつて旧帝国軍諜報機関最高責任者だった男が治める地名が書かれていた。
「……まさか、今頃あなたが動くとも思えませんが」
そう、彼は王に見放され領地以外の全てを失ったはずだ。その彼が、今頃になって何かを成そうと動き出すとは思えなかった。
だが、もしも帝国がこの病院の秘密に気付いて動き出したのだとしたら……アダムはこめかみを親指の腹で圧迫しながら思案にふけるのだった。
●白亜宮にて
「わざわざ足労頂いて申し訳無いわ」
ハンターオフィスの説明係の女性は、『アダム・エンスリンをよく知る者』だとフランツから紹介を受けて、盲目の老女の前に座していた。
静々と目の前に用意された紅茶を「特製のブレンドハーブティなの」と紹介すると、カサンドラは静かに一口口に含んだ。
「フランツから話しは聞いているわ。本当は私が行くのが筋だったのでしょうけれど、この目では遠方への外出は厳しくてね」
「あぁ、いえ。我々としては情報を頂けるのであれば、行ける所まで出向きます」
……そのくらい隙が無いのだ、あのエンスリン病院という場所は。
彼女の言葉にカサンドラは満足そうに微笑み返すと、膝の上で両手を組んだ。
「……さて、まず何から話しましょうか。私の知る情報が、お役に立てば良いのですけれど」
静かに語られた物語は過去20年以上前の旧帝国時代に遡った。
アダム・エンスリンは、非常に優秀な聖導士だった。
彼の中の治療優先順位は【指揮官>軽傷者>重傷者>致命傷負傷者】という点においてまったくぶれることが無く、その為に上の覚えは非常に良かった。
助けられたかも知れない者を放置し、上官から治療するという選択に周囲からは酷いやっかみや妬み恨みをぶつけられることも多かったが、彼は意に介さず肩で風を切り、足音高らかに出世街道を歩いて行った。
当時、彼の上官としてカサンドラは何度彼と衝突したかわからない。顔を突き合わせれば啀み合いを始めると言われる程、彼とはソリが合わなかった。
それでも、彼は自分の意思を――正義を――曲げること無く戦場に立ち続けた。
その後、カサンドラが視力の低下を理由に退役。最終的には衛生機関の最高責任者にまで名を上げ、王の忠臣として名を連ねた。そして革命が起き……彼は、戦場に姿を現さなかった。
「革命後、発見された彼は戦いに参加しなかったという事で命だけは救われたけれど、それ以外の物全て……爵位も軍医としての地位も名誉も全て失って……それで彼はただ一人の医者として開業すると言ったわ」
カサンドラは革命後、開業するためハーブを学ばせて欲しいと現れた彼を見て驚いたのを今も覚えている。
「革命前のとげとげしさが消えて、雰囲気が優しくなっていたのよ。彼はきっと良い医者になると思ったわ」
リアルブルーから伝わる医術や薬学を学ぶ為に何度もロッソへ行き、向こうから転移してきた医者に話しを聞き、教えを請う。
「そうして出来たのがエンスリン病院よ」
カサンドラの語るアダム・エンスリンの人柄は高潔な印象があった。
説明係の女性は紅茶で喉を潤した後、ハンター達からもたらされた情報を問う。
「ミス、カサンドラ。『体内マテリアルの循環不全による奇形細胞増殖症』という病名にお心当たりは?」
「……昔は『不治の病』で一括りにされていた病の一つね。発症部位によって色々な呼び方があるけれども、原因を病名に当てはめるとそれね」
「では、これを治療する薬の副作用で『死亡した患者の亡骸は骨さえ残らずに消失する』というのはあり得ますか?」
そう問われて、カサンドラは首を傾げた。
「どれほど強い薬を使えばそうなるのかしら……? リアルブルーの薬には骨を脆くしてしまう副作用の物があるとは聞いたことがあるけれど、消失するなんて……」
薄いレースのベールの向こうでカサンドラは柳眉を寄せた。
●ある薄暗い室内にて
どうして彼女が捕まったのか、その経緯は知らない
ただ、王は言った
「これを調べることが我々の繁栄に繋がるのだ」
彼女は小さな口を戦慄かせて涙声で囁いた
「私を助けて下さい」
革命が起き、私は彼女の手を取って逃げた
「馬鹿な男。地位も栄誉もどぶに捨てて!」
妻は私の理解者とはなり得ず、職も何もかもを失い私は茫然自失となった
だが、彼女は言った
「私がおそばにおります」
――懐かしい夢を見て目が覚めた。
あれからもうすぐ14年。
人と歪虚との戦いは終わらず、それでも革命後はリアルブルーから持ち込まれた科学と情報により随分と人々は進化し発展した。
それでも、まだまだ足りない。彼の国では高度な腫瘍摘出手術を始め、生体移植や、全血交換輸血に無菌室での骨髄移植などが行われるというのに、この国の技術ではそれらにはまだ対応出来ないのだ。
悔しい。もっと国が落ち着けば? そう言い続けて14年なのだ。私ももう随分歳を取ってしまった。
「アダム……」
気遣うように彼女がそっと私の節くれ立った手に、白い陶器のようななめらかで冷たい手を置いた。
ここ数日、大量の血液を強制的に抜かれ続けていたが、それも先日、無事終わった。
病的なまでに色を失っていた白皙の肌には少しずつ赤みが戻りつつある。
「……大丈夫だよ、ペレット。さぁ、行こうか」
私はあの日のように彼女の手を取り、穏やかに微笑み返した。
……まだ、終わるわけにはいかない。こんなところで、終わらせない。
私の願いは、望みは、この手で必ず果たしてみせる。
「ペレット、君さえいれば……」
リプレイ本文
●突入前
夜明け前が最も暗い。
それが今にも泣き出しそうな曇天の下なら尚更。
最低限の灯りと湿った空気の中、帝国兵10人とハンター10人は病院前に集合していた。
「認められません」
ユリアン(ka1664)が少しでも早く中に入っておきたいと希望を伝えたが、そう捜査隊長に告げられた。
これは以前の『覚醒者による不法侵入』が響いているであろうことは想像に難くない。
「……わかりました」
ここで意固地になる程ユリアンも状況が分からないわけではないので、大人しく引き下がった。
突入時に裏口と救急出入口へ帝国兵が2名ずつ逃亡者が出ないように見張りに付くというので、その者達と共にユリアンは裏口へと回ることにした。
「お気をつけて」
金目(ka6190)がユリアンへ運動強化を施しユリアンを見送る。
「ぐっ!」
「ど、どうしたの、リュカ君!?」
突然顔面を押さえて蹲ったリュカ(ka3828)に、隣に居た水流崎トミヲ(ka4852)は驚いておろおろと声を掛けた。
「……鼻が……」
些細な音も聞き漏らさないよう動物霊の力を借りて調査する予定が、悪戯好きな動物霊を呼んでしまったのか、嗅覚が異常に研ぎ澄まされてしまったのだ。そして、その臭いがまた、酷い。
「何て、血生臭い……」
不意打ちで吐き気を催す程の悪臭に晒される目となったリュカは、生理的に溢れてくる涙を乱暴に手の甲で拭った。
「……すまない」
涙目で上目使いになりながら、リュカが覇気無く謝る。それに対しトミヲは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、そっぽを向きながらも「む、無理はしないでね」と声を掛けるのが精一杯なのだった。
「……立入り調査……これで……今までの理由……解るかな……」
『どうして?』という疑問ばかりが浅黄 小夜(ka3062)の中でぐるぐると回る。
「小夜、大丈夫?」
神妙な表情で、ぐっと両手を組んでいる小夜を見て、エリオ・アスコリ(ka5928)が優しく声を掛けた。
「はい……頑張り、ます」
解らないままは嫌だった。だから、小夜は握った手をさらに強く握って、頷いた。
そんな小夜を見てエリオもまた、アダムを一発殴るのだと心に誓い、正面玄関を睨んだ。
●1階、正面玄関及び待合
まず、正面玄関側にいる警備に捜査隊長が令状を見せ、用件を告げる。
警備の男は目を丸くして驚きつつも、奥にいる他の警備員と共に動かないよう注意を受けると、大人しくそれに従った。
「鬼が出るか蛇が出るか……ふふ」
Gacrux(ka2726)は一階へと二階へと分かれていく仲間と帝国兵達を見送りながら独りごちた。
警備員達が護身用に持たされていたという拳銃や警棒を受け取りながら、間取りを見る。
(出入口3つはそれぞれ死角になって見えないのか)
正面玄関からは待合を見ることは出来るが、その先の救急出入口は曲がり角の向こうで見えない。また、救急出入口から裏口もまた、壁が邪魔になって見えない仕様になっている。
一応その場にある物で簡易的なバリケードは作る予定になっていたが、いざという時を考えると彼らをこの広い待合に取り残すのはやはり危険な気がした。
マリル(メリル)(ka3294)と相談し、警備員達を外来の室内へと移動することにすると、Gacruxは動揺しつつも大人しく兵の命に従って場所を移動していく警備員達をじっと観察する。
(……警備員達はシロ、かな)
その時、トランシーバーに怒声のような報告が入った。
「凄い数のスライムです! ダメだ、止められない!!」
金目の切羽詰まった報告に、マリルは思わず天井を見上げた。
●1階、各フロア
「しっかし、血のスライムで日光が苦手ってきくと、リアルブルーの吸血鬼を思い出すなぁ……」
「この間はしてやられたけど今度はヘマしないわよ! きっちり仕事をこなすわ、見てらっしゃいな」
人の話が聞こえていないまま、腕まくりでもせんばかりの勢いで突き進むドロテア・フレーベ(ka4126)を見て、劉 厳靖(ka4574)はやれやれと肩を竦めながら笑う。
「俺が気になっているのは薬剤所なんだがなぁ……」
「とりあえず奥の部屋から見ていきましょ」
「仰せのままに」
受付はトミヲ達に任せ、正面入口から最も遠く、裏口に近い、特別外来へと2人は向かった。
壁一面に小さな歯車が幾つもかみ合い、何を調べるのかも検討が付かない機械が鎮座している以外は普通の診察室のようだ。
その奥に、扉があるのに気付いた2人は、慎重にその扉を開けた。
続いての部屋は私室に近いイメージがあった。壁一面の本棚と広い机、革張りのソファ。
「車いす……?」
カーテンの前に置かれた車いすを見て、ドロテアは首を傾げた。
少なくとも、ドロテアがあの日出会った男は二本の足で立って歩いていた。
「おい、ドロテア、あれ……」
劉が指差す壁。そこに飾られた絵を見て、ドロテアは息を呑んだ。
それは、今にも絵の中の男が杖をかざして動き出しそうな生々しい肉感を持ち、見る者が呼吸を忘れるほどの柔らかみを孕んだ複雑で精緻な表情。そして、傍らにいる少女は白いヴェールに顔を隠しているがゆえに、その奥の美貌を暴きたくなるような神秘性を持った肖像画だった。
この絵を見るのは初めてだが、ドロテアも劉も同時に同じ男を思い出していた。
「……何で、貴方の絵がここにあるの……?」
絵画の隅。小さく刻まれた名前。そんな物が無くても2人には分かっていた。今はアネリブーベにて長期懲役刑にある男、アルフォンスの書いた絵であることを。
沈黙を、機械越しの金目の切羽詰まった声が引き裂き、呆然と立ち竦む2人の意識を強制的に引き戻す。
「……2階がやばそうか!」
「裏口の側にも階段があるわ! 行きましょう!」
2人は顔を見合わせるとすぐに部屋から飛び出し、その場にいたスライムをまず叩き潰すと、2階へと駆け上がっていった。
そして、2人が出て行った後、カーテンがゆらりと揺れた。
リュカとトミヲは正面玄関を入ってすぐ左側、受付や現在通院中の患者のカルテなどが置いてある事務所の中を見ていた。
リュカはパルムにカルテの記録をお願いし、もう一体のパルムの視界を借りて、人では行きづらい狭いところ等を見て回っていた。
その間、トミヲは周囲を警戒しながら、事務所の横にあった薬棚を見ていた。
「……これと言って妖しそうな薬品はないかなぁ……」
乾燥ハーブやそれらを煎じて作ったと思われる粉薬などがラベル入りの瓶に入って陳列されている。
とはいえ、こちらの医学知識がある訳で無し。『ラベルを信じるのであれば』という前提が付く。
そんなトミヲの足元で、カルテの記録を任されていたパルムが得意げに用紙を広げて見せた。
「あー…うん、良く書けている、かなぁ~……あはは」
幼児ぐらいの知性しかないパルムにはカルテの内容は難しすぎたらしい。複雑な記号が入り交じった訳の分からない芸術作品がそこには出来上がっていた。
「……ダメだな。霊安室のような部屋は見当たらない」
リュカが親指と人差し指で目頭を揉みながら首を振る。上手く捜査が進まない事に気ばかりが焦る。
「まぁ、僕らは荒事時の助っ人だし……」
そんなトミヲの声を遮るようにトランシーバーから金目の声が響いた。
ハッと2人が入口を見ると、その扉の下の隙間からスライムがにょろりと這い出てきたところだった。
「これでもっ! ……あれ?」
トミヲが金属箱の中にツナ缶の中身を放り込み、床を滑らせ、スライムのすぐ傍へと寄せた。しかし、スライムはその箱には全く興味を示さないまま2人の方へと距離を縮めてくる。
「……倒していいのか?」
「……うん」
リュカは軽くステップを踏むと、スライムに向かってその拳を叩き込んだ。
●突入――2階、詰所前
捜査令状を見せられた若い看護師は驚いた後、酷く困惑した表情で後ろにいるリーダー格の看護師と若い医師を見た。
「この病院が……私達が何か不正をしているとはとても……」
狼狽している3人を見て、エリオは眉間にしわを寄せた。
「ジリリリリリリリ!」
突然のベル音に一同がびくりと身を震わせた。
このベル音を聞いて、看護師の1人がゆっくりと手を上げた。
「あの、患者さんからのナースコールなのですが、様子を見にいってはいけませんか?」
「じゃぁ、私が一緒に」
小夜が兵士の1人と共に付いていく事で、若い看護師を詰所から出した。
「もう1人の看護師さんは?」
「今、病室で……あぁ……」
狼狽した様子で顔を覆いながらリーダー格の看護師が答え、そして、唐突に一言を付け加えた。
「おなかがすいた」
……嫌な予感がした。看護師の2人は、非常に痩せていた。そして、ここは敵のテリトリーだ。
「皆さん、下がって!!」
エリオが叫ぶと同時に、目の前の看護師はべちょっと溶けるように赤いスライムへと一瞬で変貌し、エリオへと襲いかかってきた。
兵士が何やら叫ぶが、エリオはそれを黙殺し、スライムをギリギリの所で躱すと、持ち込んでいた鶏の血入りワイン瓶を転がした。
するとスライムはするりとその中へと収まっていく。それを見届けてエリオは丁寧に再度蓋をする。
「……上手く行った」
エリオは安堵して思わず微笑んだ。そして、兵士に医師の護衛を依頼するとすぐに廊下へと飛び出す。
部屋から次々とスライムが出てくるのを見て、ギリリと奥歯を噛み締めると、床を力一杯蹴り走り出した。
金目は令状を持った兵士と共に厨房へと足を踏み入れていた。
「そんなわけで、作業は続けて貰って良いので……ご飯、配り終わったら、ちょっとお話聞かせて下さい」
突然の話しに厨房にいた年配の女性2人は顔を見合わせたが、とりあえず朝食作りは続けて良いと言われて、ほっとしたように貯蔵庫を開けた。
取り出されたのは肉の塊。それをとても手慣れた様子で包丁で滅多切りにして、ミンチへと変えて行く。
「……えっと……それは、何をしているんです?」
「流動食を作っているんだよ。これと、若鶏の血を混ぜたモノが重病者の朝食なんだ」
「へ、へぇ……」
あまりにも当然、と言わんばかりに説明され、金目は嫌な汗を全身から吹き出すのを感じた。
もう1人は生肉を薄切りにして、サラダへと盛りつけている。
血が滴るような生肉が次から次へと切りそろえられ、皿へと盛りつけられていく。
詰所からはベル音が響いて――
「先生から『新鮮な生野菜と生肉料理を欲しますので、与えてあげてください』とは言われていたんですけれど……」
あの上品そうな夫人の声が耳の奥で響く。心臓がばくばくと責め立てる。ここは、あの薬をばらまいた場所だったのでは無いのか。ならば――
エリオの叫ぶ声と、帝国兵のモノと思われる怒声が聞こた。さらに背後で大きな物音がして金目が振り返るのと、視界に薄赤いヴェールが掛かったのはほぼ同時だった。
「何……?」
小夜が不安げに曲がり角の向こうの詰所のある方向を見る。エリオの声が聞こえ、怒声のようなものが聞こえた気がした。
小夜の心配を余所に、看護師は一つの個室の扉へノックをして声を掛け、中へと入ってく。
「ヴラクさんっ!?」
看護師が驚いた様子で中へと走って行く。小夜も不安になって兵士と共にその後を追うと、ベッドから力なく垂れた右腕が見えた。
(……亡くなってる……!?)
患者の脈をとったり、声を掛けたりしている看護師の様子を、呆然と見つめていたが、その看護師の動きが急にぴたりと止まったのを見て、小夜は恐る恐る声を掛けた。
「あの……? 人、呼んできましょうか……?」
「おなかがすいた」
「……え?」
一瞬、小夜には看護師が何を言ったのかわからなかった。
その意味を理解したときには、看護師の姿は赤いスライムへと変わり、死体へと食らいついていた。
「うわあああああーーっ!!」
兵士が恐怖に腰を抜かしながら絶叫する。それは病室中、そして廊下へと響き渡った。
「小夜さん!」
裏口から2階へと上がってきたユリアンが小夜をスライムから庇う様にして前に立つと、骨喰を振るった。
スライムはふるふると身体を震わせ、死体から離れる。
先ほどまで見えていた右腕が、枯れ枝のようになっているのを見て、小夜は両手を口に当てて涙と叫び声を押し殺した。
「小夜さん、一旦引こう。ここじゃ狭すぎる」
小夜は兵士と共にユリアンに促されるように廊下へと転がり出た。
しかし、廊下も既にスライムで溢れていた。
●混戦
病院中にスライムが溢れ出ていた。
特に厨房は真っ先にスライムの大軍に襲われ、金目が厨房の職員と共に死に狂思いで貯蔵庫にあった肉をスライムへと投げつけて意識を逸らし、その間にエリオが攻撃をし、道を切り開いて職員を庇いながら脱出していた。
そうしている内に病室から這いずり出てくるスライムの数は20体を越え、これが他の個室の生きている病人達をも襲って行く。
それを防ぐ為には2階にいた4人だけでは手が足りず、結局1階にいたドロテア、劉、リュカ、トミヲにも上に上がってきて貰って何とか対応していた。
人を襲う前のスライムはさほど脅威では無く、逆に襲ったモノは一回りも二回りも大きくなって更に人を襲おうと狂暴化していた。
「やばい、息が、切れる……っ!」
劉がソウルトーチを使って自身へとスライムを集めながら廊下を走る。
そして集まったスライムをトミヲの雷や小夜の氷塊で撃ち貫き、ドロテアが鞭打ち、金目が斧で叩き切り、ユリアンが切り伏せ、エリオが蹴り飛ばし、リュカが殴り潰す。
この連携が出来上がってようやく、事態は収拾の目処が立ったのだった。
混乱の続く2階をよそに、特別外来の奥から白いロングドレスの少女を抱いた男が悠々と歩き出てきた。
堂々と正面玄関に現れた男に、Gacruxはトランシーバーをオンにしたまま、話しかけた。
「あんたが、アダムか」
「……」
男は面倒臭そうに一つ溜息を吐いた。
「裏口も救急出入口も塞いでくれたお陰で、大回りだ。ココを通してはくれないかね?」
「この令状が見えないか?」
「あぁ、見えないね」
Gacruxがフェガロフォスを握る手に力を込めた、その時。
「お願い、通して」
鈴のような軽やかで愛らしい声がGacruxの耳朶を打った。
トクントクンと脈が速まり、声の主を見たいのに、恥ずかしくて顔が上げられない。
(あぁ、彼女がそう望むのなら)
そんな思いに支配されGacruxは、その場にいた兵士と共に道を譲った。
「ありがとう」
彼女の微笑んだ気配に、Gacruxは心臓がキュンと音を立てたように感じた。思春期の少年のように頬を染め、顔を上げることも出来ないまま忙しなく足元に視線を彷徨わせる。
「ちょーっとまったーっ!!」
そこに割り込んで来たのはメリルだ。
ずっとトランシーバーを傍受にしていた事と、外来がすぐ近くだった事、スライムが外来には来ていなかった事が重なり、すぐに駆けつけることが出来たのはまさに三重の幸運だった。
「……それが、スライムの母体、だね」
「随分な言い方だが、まぁ結果的にはそうだね」
あっさりと認められて、マリルは目を見張る。
「剣機と共謀して何を企んでいるの?」
「あれは私の本意ではないが……結果的にそうなっていることは否定しない」
何としても真相に迫りたいと頭をフル回転させるが、出てきた言葉はマリルではなく。
「おっさんは、その歪虚と一緒に絶対に潰す」
メリルが白雪丸を抜刀し、その脚を狙って下段から斬り掛かる。
しかし、それを杖の一動作で弾かれ、お返しと言わんばかりに強力な一撃がマリルの胴に叩き込まれる。衝撃に吹き飛び、隣の柱に全身を強く打つと床に崩れ落ちた。
「……他愛ない」
歩き出そうとしたそのズボンの裾を掴んでメリルは呟く。
「マリルとおっさんはそっくり。頭いいとこ、心の弱いとこ。その心支えてくれる奴がいるとこ。本当はみーんな支えあって生きてるのに気づけないなんて。可哀想」
アダムは無表情のままマリルの頭部を杖で殴打し、マリルは意識を手放した。
その心に、止められない事への無力感を抱いたまま。
●ハンターオフィスにて
「今、APVより連絡が来ました。病院の制圧完了。被害は看護師3名及び入院患者21名が歪虚化、10名が突然死またはスライムに襲われ死亡、厨房の女性1名が重傷。アダムは歪虚と思われる少女と逃亡したそうです。それとスライム型歪虚一体を捕獲したとのことで、こちらは錬魔院に連絡済みです」
説明係の女性は目の前にいる好々爺じみた笑みを貼り付かせる紳士を見る。
「そうか。やはりアダム氏にはこちらの情報が筒抜けていたようじゃのぅ……」
彼はティーカップをソーサーへと音も無く戻すと、静かに席を立った。
「さて、では内通者を洗い出すことしよう。ハンターの皆にはよくやったと伝えておくれ」
「……貴方は、何者ですか?」
女性は柳眉を寄せながら彼――フランツ・フォルスター(kz0132)を見る。
「ただのしがない隠居爺じゃよ。ただ、ちぃとばかり情報通なだけの、な」
フランツは相貌を崩さず、ゆったりとした足取りでオフィスの扉を開けた。
冷たい雨風が、オフィスの中に流れ込む。
午前中だというのにまるで宵闇の中にいるような、暗く重たい春雨が帝都を濡らしていた。
夜明け前が最も暗い。
それが今にも泣き出しそうな曇天の下なら尚更。
最低限の灯りと湿った空気の中、帝国兵10人とハンター10人は病院前に集合していた。
「認められません」
ユリアン(ka1664)が少しでも早く中に入っておきたいと希望を伝えたが、そう捜査隊長に告げられた。
これは以前の『覚醒者による不法侵入』が響いているであろうことは想像に難くない。
「……わかりました」
ここで意固地になる程ユリアンも状況が分からないわけではないので、大人しく引き下がった。
突入時に裏口と救急出入口へ帝国兵が2名ずつ逃亡者が出ないように見張りに付くというので、その者達と共にユリアンは裏口へと回ることにした。
「お気をつけて」
金目(ka6190)がユリアンへ運動強化を施しユリアンを見送る。
「ぐっ!」
「ど、どうしたの、リュカ君!?」
突然顔面を押さえて蹲ったリュカ(ka3828)に、隣に居た水流崎トミヲ(ka4852)は驚いておろおろと声を掛けた。
「……鼻が……」
些細な音も聞き漏らさないよう動物霊の力を借りて調査する予定が、悪戯好きな動物霊を呼んでしまったのか、嗅覚が異常に研ぎ澄まされてしまったのだ。そして、その臭いがまた、酷い。
「何て、血生臭い……」
不意打ちで吐き気を催す程の悪臭に晒される目となったリュカは、生理的に溢れてくる涙を乱暴に手の甲で拭った。
「……すまない」
涙目で上目使いになりながら、リュカが覇気無く謝る。それに対しトミヲは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、そっぽを向きながらも「む、無理はしないでね」と声を掛けるのが精一杯なのだった。
「……立入り調査……これで……今までの理由……解るかな……」
『どうして?』という疑問ばかりが浅黄 小夜(ka3062)の中でぐるぐると回る。
「小夜、大丈夫?」
神妙な表情で、ぐっと両手を組んでいる小夜を見て、エリオ・アスコリ(ka5928)が優しく声を掛けた。
「はい……頑張り、ます」
解らないままは嫌だった。だから、小夜は握った手をさらに強く握って、頷いた。
そんな小夜を見てエリオもまた、アダムを一発殴るのだと心に誓い、正面玄関を睨んだ。
●1階、正面玄関及び待合
まず、正面玄関側にいる警備に捜査隊長が令状を見せ、用件を告げる。
警備の男は目を丸くして驚きつつも、奥にいる他の警備員と共に動かないよう注意を受けると、大人しくそれに従った。
「鬼が出るか蛇が出るか……ふふ」
Gacrux(ka2726)は一階へと二階へと分かれていく仲間と帝国兵達を見送りながら独りごちた。
警備員達が護身用に持たされていたという拳銃や警棒を受け取りながら、間取りを見る。
(出入口3つはそれぞれ死角になって見えないのか)
正面玄関からは待合を見ることは出来るが、その先の救急出入口は曲がり角の向こうで見えない。また、救急出入口から裏口もまた、壁が邪魔になって見えない仕様になっている。
一応その場にある物で簡易的なバリケードは作る予定になっていたが、いざという時を考えると彼らをこの広い待合に取り残すのはやはり危険な気がした。
マリル(メリル)(ka3294)と相談し、警備員達を外来の室内へと移動することにすると、Gacruxは動揺しつつも大人しく兵の命に従って場所を移動していく警備員達をじっと観察する。
(……警備員達はシロ、かな)
その時、トランシーバーに怒声のような報告が入った。
「凄い数のスライムです! ダメだ、止められない!!」
金目の切羽詰まった報告に、マリルは思わず天井を見上げた。
●1階、各フロア
「しっかし、血のスライムで日光が苦手ってきくと、リアルブルーの吸血鬼を思い出すなぁ……」
「この間はしてやられたけど今度はヘマしないわよ! きっちり仕事をこなすわ、見てらっしゃいな」
人の話が聞こえていないまま、腕まくりでもせんばかりの勢いで突き進むドロテア・フレーベ(ka4126)を見て、劉 厳靖(ka4574)はやれやれと肩を竦めながら笑う。
「俺が気になっているのは薬剤所なんだがなぁ……」
「とりあえず奥の部屋から見ていきましょ」
「仰せのままに」
受付はトミヲ達に任せ、正面入口から最も遠く、裏口に近い、特別外来へと2人は向かった。
壁一面に小さな歯車が幾つもかみ合い、何を調べるのかも検討が付かない機械が鎮座している以外は普通の診察室のようだ。
その奥に、扉があるのに気付いた2人は、慎重にその扉を開けた。
続いての部屋は私室に近いイメージがあった。壁一面の本棚と広い机、革張りのソファ。
「車いす……?」
カーテンの前に置かれた車いすを見て、ドロテアは首を傾げた。
少なくとも、ドロテアがあの日出会った男は二本の足で立って歩いていた。
「おい、ドロテア、あれ……」
劉が指差す壁。そこに飾られた絵を見て、ドロテアは息を呑んだ。
それは、今にも絵の中の男が杖をかざして動き出しそうな生々しい肉感を持ち、見る者が呼吸を忘れるほどの柔らかみを孕んだ複雑で精緻な表情。そして、傍らにいる少女は白いヴェールに顔を隠しているがゆえに、その奥の美貌を暴きたくなるような神秘性を持った肖像画だった。
この絵を見るのは初めてだが、ドロテアも劉も同時に同じ男を思い出していた。
「……何で、貴方の絵がここにあるの……?」
絵画の隅。小さく刻まれた名前。そんな物が無くても2人には分かっていた。今はアネリブーベにて長期懲役刑にある男、アルフォンスの書いた絵であることを。
沈黙を、機械越しの金目の切羽詰まった声が引き裂き、呆然と立ち竦む2人の意識を強制的に引き戻す。
「……2階がやばそうか!」
「裏口の側にも階段があるわ! 行きましょう!」
2人は顔を見合わせるとすぐに部屋から飛び出し、その場にいたスライムをまず叩き潰すと、2階へと駆け上がっていった。
そして、2人が出て行った後、カーテンがゆらりと揺れた。
リュカとトミヲは正面玄関を入ってすぐ左側、受付や現在通院中の患者のカルテなどが置いてある事務所の中を見ていた。
リュカはパルムにカルテの記録をお願いし、もう一体のパルムの視界を借りて、人では行きづらい狭いところ等を見て回っていた。
その間、トミヲは周囲を警戒しながら、事務所の横にあった薬棚を見ていた。
「……これと言って妖しそうな薬品はないかなぁ……」
乾燥ハーブやそれらを煎じて作ったと思われる粉薬などがラベル入りの瓶に入って陳列されている。
とはいえ、こちらの医学知識がある訳で無し。『ラベルを信じるのであれば』という前提が付く。
そんなトミヲの足元で、カルテの記録を任されていたパルムが得意げに用紙を広げて見せた。
「あー…うん、良く書けている、かなぁ~……あはは」
幼児ぐらいの知性しかないパルムにはカルテの内容は難しすぎたらしい。複雑な記号が入り交じった訳の分からない芸術作品がそこには出来上がっていた。
「……ダメだな。霊安室のような部屋は見当たらない」
リュカが親指と人差し指で目頭を揉みながら首を振る。上手く捜査が進まない事に気ばかりが焦る。
「まぁ、僕らは荒事時の助っ人だし……」
そんなトミヲの声を遮るようにトランシーバーから金目の声が響いた。
ハッと2人が入口を見ると、その扉の下の隙間からスライムがにょろりと這い出てきたところだった。
「これでもっ! ……あれ?」
トミヲが金属箱の中にツナ缶の中身を放り込み、床を滑らせ、スライムのすぐ傍へと寄せた。しかし、スライムはその箱には全く興味を示さないまま2人の方へと距離を縮めてくる。
「……倒していいのか?」
「……うん」
リュカは軽くステップを踏むと、スライムに向かってその拳を叩き込んだ。
●突入――2階、詰所前
捜査令状を見せられた若い看護師は驚いた後、酷く困惑した表情で後ろにいるリーダー格の看護師と若い医師を見た。
「この病院が……私達が何か不正をしているとはとても……」
狼狽している3人を見て、エリオは眉間にしわを寄せた。
「ジリリリリリリリ!」
突然のベル音に一同がびくりと身を震わせた。
このベル音を聞いて、看護師の1人がゆっくりと手を上げた。
「あの、患者さんからのナースコールなのですが、様子を見にいってはいけませんか?」
「じゃぁ、私が一緒に」
小夜が兵士の1人と共に付いていく事で、若い看護師を詰所から出した。
「もう1人の看護師さんは?」
「今、病室で……あぁ……」
狼狽した様子で顔を覆いながらリーダー格の看護師が答え、そして、唐突に一言を付け加えた。
「おなかがすいた」
……嫌な予感がした。看護師の2人は、非常に痩せていた。そして、ここは敵のテリトリーだ。
「皆さん、下がって!!」
エリオが叫ぶと同時に、目の前の看護師はべちょっと溶けるように赤いスライムへと一瞬で変貌し、エリオへと襲いかかってきた。
兵士が何やら叫ぶが、エリオはそれを黙殺し、スライムをギリギリの所で躱すと、持ち込んでいた鶏の血入りワイン瓶を転がした。
するとスライムはするりとその中へと収まっていく。それを見届けてエリオは丁寧に再度蓋をする。
「……上手く行った」
エリオは安堵して思わず微笑んだ。そして、兵士に医師の護衛を依頼するとすぐに廊下へと飛び出す。
部屋から次々とスライムが出てくるのを見て、ギリリと奥歯を噛み締めると、床を力一杯蹴り走り出した。
金目は令状を持った兵士と共に厨房へと足を踏み入れていた。
「そんなわけで、作業は続けて貰って良いので……ご飯、配り終わったら、ちょっとお話聞かせて下さい」
突然の話しに厨房にいた年配の女性2人は顔を見合わせたが、とりあえず朝食作りは続けて良いと言われて、ほっとしたように貯蔵庫を開けた。
取り出されたのは肉の塊。それをとても手慣れた様子で包丁で滅多切りにして、ミンチへと変えて行く。
「……えっと……それは、何をしているんです?」
「流動食を作っているんだよ。これと、若鶏の血を混ぜたモノが重病者の朝食なんだ」
「へ、へぇ……」
あまりにも当然、と言わんばかりに説明され、金目は嫌な汗を全身から吹き出すのを感じた。
もう1人は生肉を薄切りにして、サラダへと盛りつけている。
血が滴るような生肉が次から次へと切りそろえられ、皿へと盛りつけられていく。
詰所からはベル音が響いて――
「先生から『新鮮な生野菜と生肉料理を欲しますので、与えてあげてください』とは言われていたんですけれど……」
あの上品そうな夫人の声が耳の奥で響く。心臓がばくばくと責め立てる。ここは、あの薬をばらまいた場所だったのでは無いのか。ならば――
エリオの叫ぶ声と、帝国兵のモノと思われる怒声が聞こた。さらに背後で大きな物音がして金目が振り返るのと、視界に薄赤いヴェールが掛かったのはほぼ同時だった。
「何……?」
小夜が不安げに曲がり角の向こうの詰所のある方向を見る。エリオの声が聞こえ、怒声のようなものが聞こえた気がした。
小夜の心配を余所に、看護師は一つの個室の扉へノックをして声を掛け、中へと入ってく。
「ヴラクさんっ!?」
看護師が驚いた様子で中へと走って行く。小夜も不安になって兵士と共にその後を追うと、ベッドから力なく垂れた右腕が見えた。
(……亡くなってる……!?)
患者の脈をとったり、声を掛けたりしている看護師の様子を、呆然と見つめていたが、その看護師の動きが急にぴたりと止まったのを見て、小夜は恐る恐る声を掛けた。
「あの……? 人、呼んできましょうか……?」
「おなかがすいた」
「……え?」
一瞬、小夜には看護師が何を言ったのかわからなかった。
その意味を理解したときには、看護師の姿は赤いスライムへと変わり、死体へと食らいついていた。
「うわあああああーーっ!!」
兵士が恐怖に腰を抜かしながら絶叫する。それは病室中、そして廊下へと響き渡った。
「小夜さん!」
裏口から2階へと上がってきたユリアンが小夜をスライムから庇う様にして前に立つと、骨喰を振るった。
スライムはふるふると身体を震わせ、死体から離れる。
先ほどまで見えていた右腕が、枯れ枝のようになっているのを見て、小夜は両手を口に当てて涙と叫び声を押し殺した。
「小夜さん、一旦引こう。ここじゃ狭すぎる」
小夜は兵士と共にユリアンに促されるように廊下へと転がり出た。
しかし、廊下も既にスライムで溢れていた。
●混戦
病院中にスライムが溢れ出ていた。
特に厨房は真っ先にスライムの大軍に襲われ、金目が厨房の職員と共に死に狂思いで貯蔵庫にあった肉をスライムへと投げつけて意識を逸らし、その間にエリオが攻撃をし、道を切り開いて職員を庇いながら脱出していた。
そうしている内に病室から這いずり出てくるスライムの数は20体を越え、これが他の個室の生きている病人達をも襲って行く。
それを防ぐ為には2階にいた4人だけでは手が足りず、結局1階にいたドロテア、劉、リュカ、トミヲにも上に上がってきて貰って何とか対応していた。
人を襲う前のスライムはさほど脅威では無く、逆に襲ったモノは一回りも二回りも大きくなって更に人を襲おうと狂暴化していた。
「やばい、息が、切れる……っ!」
劉がソウルトーチを使って自身へとスライムを集めながら廊下を走る。
そして集まったスライムをトミヲの雷や小夜の氷塊で撃ち貫き、ドロテアが鞭打ち、金目が斧で叩き切り、ユリアンが切り伏せ、エリオが蹴り飛ばし、リュカが殴り潰す。
この連携が出来上がってようやく、事態は収拾の目処が立ったのだった。
混乱の続く2階をよそに、特別外来の奥から白いロングドレスの少女を抱いた男が悠々と歩き出てきた。
堂々と正面玄関に現れた男に、Gacruxはトランシーバーをオンにしたまま、話しかけた。
「あんたが、アダムか」
「……」
男は面倒臭そうに一つ溜息を吐いた。
「裏口も救急出入口も塞いでくれたお陰で、大回りだ。ココを通してはくれないかね?」
「この令状が見えないか?」
「あぁ、見えないね」
Gacruxがフェガロフォスを握る手に力を込めた、その時。
「お願い、通して」
鈴のような軽やかで愛らしい声がGacruxの耳朶を打った。
トクントクンと脈が速まり、声の主を見たいのに、恥ずかしくて顔が上げられない。
(あぁ、彼女がそう望むのなら)
そんな思いに支配されGacruxは、その場にいた兵士と共に道を譲った。
「ありがとう」
彼女の微笑んだ気配に、Gacruxは心臓がキュンと音を立てたように感じた。思春期の少年のように頬を染め、顔を上げることも出来ないまま忙しなく足元に視線を彷徨わせる。
「ちょーっとまったーっ!!」
そこに割り込んで来たのはメリルだ。
ずっとトランシーバーを傍受にしていた事と、外来がすぐ近くだった事、スライムが外来には来ていなかった事が重なり、すぐに駆けつけることが出来たのはまさに三重の幸運だった。
「……それが、スライムの母体、だね」
「随分な言い方だが、まぁ結果的にはそうだね」
あっさりと認められて、マリルは目を見張る。
「剣機と共謀して何を企んでいるの?」
「あれは私の本意ではないが……結果的にそうなっていることは否定しない」
何としても真相に迫りたいと頭をフル回転させるが、出てきた言葉はマリルではなく。
「おっさんは、その歪虚と一緒に絶対に潰す」
メリルが白雪丸を抜刀し、その脚を狙って下段から斬り掛かる。
しかし、それを杖の一動作で弾かれ、お返しと言わんばかりに強力な一撃がマリルの胴に叩き込まれる。衝撃に吹き飛び、隣の柱に全身を強く打つと床に崩れ落ちた。
「……他愛ない」
歩き出そうとしたそのズボンの裾を掴んでメリルは呟く。
「マリルとおっさんはそっくり。頭いいとこ、心の弱いとこ。その心支えてくれる奴がいるとこ。本当はみーんな支えあって生きてるのに気づけないなんて。可哀想」
アダムは無表情のままマリルの頭部を杖で殴打し、マリルは意識を手放した。
その心に、止められない事への無力感を抱いたまま。
●ハンターオフィスにて
「今、APVより連絡が来ました。病院の制圧完了。被害は看護師3名及び入院患者21名が歪虚化、10名が突然死またはスライムに襲われ死亡、厨房の女性1名が重傷。アダムは歪虚と思われる少女と逃亡したそうです。それとスライム型歪虚一体を捕獲したとのことで、こちらは錬魔院に連絡済みです」
説明係の女性は目の前にいる好々爺じみた笑みを貼り付かせる紳士を見る。
「そうか。やはりアダム氏にはこちらの情報が筒抜けていたようじゃのぅ……」
彼はティーカップをソーサーへと音も無く戻すと、静かに席を立った。
「さて、では内通者を洗い出すことしよう。ハンターの皆にはよくやったと伝えておくれ」
「……貴方は、何者ですか?」
女性は柳眉を寄せながら彼――フランツ・フォルスター(kz0132)を見る。
「ただのしがない隠居爺じゃよ。ただ、ちぃとばかり情報通なだけの、な」
フランツは相貌を崩さず、ゆったりとした足取りでオフィスの扉を開けた。
冷たい雨風が、オフィスの中に流れ込む。
午前中だというのにまるで宵闇の中にいるような、暗く重たい春雨が帝都を濡らしていた。
依頼結果
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サポート一覧
マテリアルリンク参加者一覧
依頼相談掲示板 | |||
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2016/04/19 04:34:03 |
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相談卓 エリオ・アスコリ(ka5928) 人間(クリムゾンウェスト)|17才|男性|格闘士(マスターアームズ) |
最終発言 2016/04/22 07:09:53 |