ゲスト
(ka0000)
ヒカヤ高原にて
マスター:京乃ゆらさ
このシナリオは5日間納期が延長されています。
オープニング
●糸
跪いたままのシスティーナ・グラハム(kz0020)が面を上げると、礼拝堂に差し込む柔らかな光が目に入った。
眩しさに思わず目を細め、そこでようやくシスティーナは自分が決して短くない時間、ひたすら祈りを捧げていたのに気付いた。
――また、お仕事が溜まっているかも……。
このところセドリック・マクファーソン(kz0026)大司教は容赦なく事務仕事を割り振ってくる。それは望むところではあるのだけれど、少しだけ大変でもある。
システィーナはゆっくりと立ち上がり、礼拝堂――聖ヴェレニウス大聖堂のその場を後にした。
「王女殿下、本日午後の予定はございません」
「えっ」
「謁見希望もなく、殿下が採決すべき案件もありません」
最近の日課である祈祷を済ませ、執務室に戻ってきたシスティーナを出迎えたのは侍従長マルグリッド・オクレールのそんな台詞だった。
システィーナが念のためにもう一度「え?」と問い返すと、オクレールさんはすまし顔できっぱりと、
「殿下がやらねばならないことは何一つありません。一切合切、何一つとして、ございません」
「そ、そこまで言わなくても……」
なんとなくいらない子扱いされた気分である。
秘かに肩を落とし、机に置いた手をぐーぱーしてみる。そっとオクレールさんの顔を窺うと「余計なことはしなくてよろしい」みたいな顔をしている気がした。仕方なくシスティーナは席を立ち、私室へと戻る。
足取りは何故か、とても重い。
グラズヘイム王国、王都イルダーナはその王城。その中でも奥まった所に存在する私室は、どことなく隔離されたゆりかごのようだ。
システィーナはベッドに寝そべりながら、そんなことを思ってため息をついた。室内には所在なさげに右へ行っては左に戻るユグディラがいるだけ。ごはんをチラつかせると飛び掛かってくるけれど、最近のこの子は妙に気が逸っているように見える。
昨年、とある事情からユグディラ集団を一時保護し、最終的に自然に帰そうとしたのにここに居ついてしまった一匹だった。飼い始めて一年になるけれど、つい二ヶ月前まではこんな様子になったことなどなかった。
気分転換代わりに話しかけてみる。
「どうかしたの?」
にゃあぁあ~!
「どこかに行きたいの?」
にゃあぁあ~!
「お腹すいた?」
にゃあ。
最後の質問だけやたらと真顔で返事された。
システィーナはベッドから下りて机の上のノートを持つと、扉を開けた。
「一緒に中庭にいこっか。お茶の準備をしてもらいましょう」
少しだけ元気が出た気がする。システィーナはユグディラを伴って城の庭園へ歩く。
庭でお茶を飲みながらノート――ハンターからもらった、思ったことや目標を書き綴るその紙面に向き合っていれば、きっと調子も良くなるだろう。
●闇(笑)に蠢く
「殿下は少しばかりお休みになられた方がよいのではないでしょうか……」
執務室。
マルグリッド・オクレールが呟くと、低い声が返ってきた。
「私はそうは思わない。気が塞いでおいでなのは確かだろうがね」
セドリック・マクファーソン。現在の王国を事実上動かしている人間であり、聖堂教会の大司教でもある。
そんな男が言うからには、今やっているように忙しさで気を紛らわせた方がいいのだろうか。オクレールは迷い、しかし首を横に振る。
頭脳という面でセドリックに劣っているのは事実だが、王女殿下に関して言えば圧倒的に自分の方が付き合いが長い。それに、とオクレールは自らの役職に救いを求める。
――私は王女殿下の侍従隊の長。殿下、いえシスティーナ様を幼少のみぎりより見てきたのはこの私……!
カッ!
オクレールは足を踏み鳴らして直立すると、正面からセドリックを睨めつけた。システィーナ様第一の臣下の座は渡さない。そんな気分で。
「いいえ。システィーナ様にはお休みいただきますわ! それこそが今のあの方に必要なことと、私は私の判断を信じます」
「そうかね。ならばこちらも業務を調整しておこう」
そうと決まればのんびりしてなどいられない。オクレールはすぐさま踵を返して退室するや、傍仕え班を除く侍従隊各班に招集をかけた。
結果、約十分で非番を含めた三十五名が集まった。
訝しげにこちらを見つめる三十五名。オクレールはその視線を一身に受け、最重要機密に触れるように話し始めた。
「これより私達は非常態勢に入ります」
「「「ひ、非常……態勢……!?」」」
「王女殿下にはどこかで羽を伸ばしていただく予定です。おそらくは……そう、ヒカヤ高原となるでしょう。その際の警備態勢等は追って伝えますが、心積もりだけはしておくように。では各々方、身命を賭して職務に励みなさい」
「「「かしこまりました……!」」」
三十五名のメイドが機敏に散開していく。その後ろ姿を見送り、オクレールは鷹揚に頷いた。
――かくして、本人の与り知らぬところで休日が決まったのであった。
●システィーナの休日
抜けるような青空。微風にそよぐ緑。遠く聞こえる川のせせらぎ。
この日、ヒカヤ高原は絶好のピクニック日和だった。
御料馬車から降りたシスティーナはその穏やかな大自然に一瞬で心を奪われた。
「何年ぶりでしょう……ここを訪れるのは……」
深呼吸。豊かな草木の香りが鼻腔をくすぐる。空気。平地よりは若干涼しいけれど、初夏の熱がじわじわとせり上がってくるかのようだ。
「十年になるかと」
「お父様がいて……オクレールさんがいて……近衛の方たちは困っていて……」
目を瞑って思い出に浸っていると、少しして後続の馬車が止まる音がした。
先行には侍従隊を配置し、後列には警備の依頼をしたハンターたちが乗っていると聞いている。
父はいない。けれどオクレールさんはいる。新しく繋がりを得た人たちもいる。
システィーナはぐっと握り拳を作って意気込んだ。
「これはのんびりしていられませんね。まずは皆でヒカヤ紅茶の茶葉を摘――」
「茶摘みは既に終わっております」
「…………」
ともあれシスティーナは近辺の散策に出かける。
遠めに警護するのは侍従隊員で、すぐ傍につくのがオクレールさんとハンターたち。ついでに言えば飼っているユグディラもトコトコと着いてきている。
ゆっくりと茶樹の間を抜け、眼下に小川の見える所まで足を運ぶ。
微風に弄ばれる髪はそのまま。
ふと、寝そべりたくなった。
システィーナはきょろきょろと辺りを見回し――、はたと気付いた。
ハンターたちが各々の得物に手をかけていることと。
川下の方に何か――黒い揺らぎが漂っていることに。
跪いたままのシスティーナ・グラハム(kz0020)が面を上げると、礼拝堂に差し込む柔らかな光が目に入った。
眩しさに思わず目を細め、そこでようやくシスティーナは自分が決して短くない時間、ひたすら祈りを捧げていたのに気付いた。
――また、お仕事が溜まっているかも……。
このところセドリック・マクファーソン(kz0026)大司教は容赦なく事務仕事を割り振ってくる。それは望むところではあるのだけれど、少しだけ大変でもある。
システィーナはゆっくりと立ち上がり、礼拝堂――聖ヴェレニウス大聖堂のその場を後にした。
「王女殿下、本日午後の予定はございません」
「えっ」
「謁見希望もなく、殿下が採決すべき案件もありません」
最近の日課である祈祷を済ませ、執務室に戻ってきたシスティーナを出迎えたのは侍従長マルグリッド・オクレールのそんな台詞だった。
システィーナが念のためにもう一度「え?」と問い返すと、オクレールさんはすまし顔できっぱりと、
「殿下がやらねばならないことは何一つありません。一切合切、何一つとして、ございません」
「そ、そこまで言わなくても……」
なんとなくいらない子扱いされた気分である。
秘かに肩を落とし、机に置いた手をぐーぱーしてみる。そっとオクレールさんの顔を窺うと「余計なことはしなくてよろしい」みたいな顔をしている気がした。仕方なくシスティーナは席を立ち、私室へと戻る。
足取りは何故か、とても重い。
グラズヘイム王国、王都イルダーナはその王城。その中でも奥まった所に存在する私室は、どことなく隔離されたゆりかごのようだ。
システィーナはベッドに寝そべりながら、そんなことを思ってため息をついた。室内には所在なさげに右へ行っては左に戻るユグディラがいるだけ。ごはんをチラつかせると飛び掛かってくるけれど、最近のこの子は妙に気が逸っているように見える。
昨年、とある事情からユグディラ集団を一時保護し、最終的に自然に帰そうとしたのにここに居ついてしまった一匹だった。飼い始めて一年になるけれど、つい二ヶ月前まではこんな様子になったことなどなかった。
気分転換代わりに話しかけてみる。
「どうかしたの?」
にゃあぁあ~!
「どこかに行きたいの?」
にゃあぁあ~!
「お腹すいた?」
にゃあ。
最後の質問だけやたらと真顔で返事された。
システィーナはベッドから下りて机の上のノートを持つと、扉を開けた。
「一緒に中庭にいこっか。お茶の準備をしてもらいましょう」
少しだけ元気が出た気がする。システィーナはユグディラを伴って城の庭園へ歩く。
庭でお茶を飲みながらノート――ハンターからもらった、思ったことや目標を書き綴るその紙面に向き合っていれば、きっと調子も良くなるだろう。
●闇(笑)に蠢く
「殿下は少しばかりお休みになられた方がよいのではないでしょうか……」
執務室。
マルグリッド・オクレールが呟くと、低い声が返ってきた。
「私はそうは思わない。気が塞いでおいでなのは確かだろうがね」
セドリック・マクファーソン。現在の王国を事実上動かしている人間であり、聖堂教会の大司教でもある。
そんな男が言うからには、今やっているように忙しさで気を紛らわせた方がいいのだろうか。オクレールは迷い、しかし首を横に振る。
頭脳という面でセドリックに劣っているのは事実だが、王女殿下に関して言えば圧倒的に自分の方が付き合いが長い。それに、とオクレールは自らの役職に救いを求める。
――私は王女殿下の侍従隊の長。殿下、いえシスティーナ様を幼少のみぎりより見てきたのはこの私……!
カッ!
オクレールは足を踏み鳴らして直立すると、正面からセドリックを睨めつけた。システィーナ様第一の臣下の座は渡さない。そんな気分で。
「いいえ。システィーナ様にはお休みいただきますわ! それこそが今のあの方に必要なことと、私は私の判断を信じます」
「そうかね。ならばこちらも業務を調整しておこう」
そうと決まればのんびりしてなどいられない。オクレールはすぐさま踵を返して退室するや、傍仕え班を除く侍従隊各班に招集をかけた。
結果、約十分で非番を含めた三十五名が集まった。
訝しげにこちらを見つめる三十五名。オクレールはその視線を一身に受け、最重要機密に触れるように話し始めた。
「これより私達は非常態勢に入ります」
「「「ひ、非常……態勢……!?」」」
「王女殿下にはどこかで羽を伸ばしていただく予定です。おそらくは……そう、ヒカヤ高原となるでしょう。その際の警備態勢等は追って伝えますが、心積もりだけはしておくように。では各々方、身命を賭して職務に励みなさい」
「「「かしこまりました……!」」」
三十五名のメイドが機敏に散開していく。その後ろ姿を見送り、オクレールは鷹揚に頷いた。
――かくして、本人の与り知らぬところで休日が決まったのであった。
●システィーナの休日
抜けるような青空。微風にそよぐ緑。遠く聞こえる川のせせらぎ。
この日、ヒカヤ高原は絶好のピクニック日和だった。
御料馬車から降りたシスティーナはその穏やかな大自然に一瞬で心を奪われた。
「何年ぶりでしょう……ここを訪れるのは……」
深呼吸。豊かな草木の香りが鼻腔をくすぐる。空気。平地よりは若干涼しいけれど、初夏の熱がじわじわとせり上がってくるかのようだ。
「十年になるかと」
「お父様がいて……オクレールさんがいて……近衛の方たちは困っていて……」
目を瞑って思い出に浸っていると、少しして後続の馬車が止まる音がした。
先行には侍従隊を配置し、後列には警備の依頼をしたハンターたちが乗っていると聞いている。
父はいない。けれどオクレールさんはいる。新しく繋がりを得た人たちもいる。
システィーナはぐっと握り拳を作って意気込んだ。
「これはのんびりしていられませんね。まずは皆でヒカヤ紅茶の茶葉を摘――」
「茶摘みは既に終わっております」
「…………」
ともあれシスティーナは近辺の散策に出かける。
遠めに警護するのは侍従隊員で、すぐ傍につくのがオクレールさんとハンターたち。ついでに言えば飼っているユグディラもトコトコと着いてきている。
ゆっくりと茶樹の間を抜け、眼下に小川の見える所まで足を運ぶ。
微風に弄ばれる髪はそのまま。
ふと、寝そべりたくなった。
システィーナはきょろきょろと辺りを見回し――、はたと気付いた。
ハンターたちが各々の得物に手をかけていることと。
川下の方に何か――黒い揺らぎが漂っていることに。
リプレイ本文
青空、草原、川のせせらぎ。
それらを侵食するのは黒い靄と金属音。色鮮やかな自然を塗り潰さんとする闘争の証。
「残念お姫様、また後でね! わたくし、貴女といっぱいお話してみたいの」
「王女殿下におかれましてはお下がりくださいますよう。どのような攻撃が来るか分かりません」
エステル・L・V・W(ka0548)とヴァルナ=エリゴス(ka2651)が前に出る。システィーナが緊張した面持ちで後退ると、侍従長が主の体を敵から隠すように位置取った。
足元ではユグディラが右往左往している。ラィル・ファーディル・ラァドゥ(ka1929)が気を利かせてツナ缶を出してみた。
「一緒に戦いたいんかな?」
にゃ!?
「せやな、ご主人の為に頑張ろか」
ぶんぶんぶん!!
「ぜ、全力で否定してそうですけど!」
「いくでツナ缶!」
「えぇえ!?」
にゃあぁあ~!!
憐れ食欲に負けた猫がラィルと共に坂を下る。陽波 綾(ka0487)はそれを見送り、思わず笑い声を上げた。
にゃははと牧歌的な声が天を衝く。そんな空の下、坂を下るハンター達。川向うの黒い靄は今や明確な形を成し、人間を睥睨している。
竜鎧を誇らしげに纏うジョージ・ユニクス(ka0442)が先陣を切る。
「この先は一歩たりとて進ませない!」
「ハ、ありがたい事に奴もこっちに反応してると見える」
口角を歪めてユーロス・フォルケ(ka3862)。敵――黒幽鬼は揺れながら、確実にこちらを見据えている。
最後尾、綾が坂で自動拳銃を抜く。スライドを引き装填、狙いをつけ、引鉄に指を――、
かける、寸前。
川辺を黒い炸裂が襲った。
●黒幽鬼
川向うから飛来した黒炎弾が、中空で炸裂して地表を舐めるように炙っていく。
黒い太陽のようだ。逃げ惑うユグディラを視界端に捉えつつ構え直した綾が発砲――長衣に命中。合せてヴァルナが聖剣を払うと、清冽な剣気が川を渡り敵を一閃した。
敵に回避する素振りはない。おそらく亡霊。核は錫杖の石か?
「敵の武器を!」
「わたくしの覇道に戦術的後退の文字はありません!」
「ま、待って!」
渡河しかけたエステルにジョージが声をかける。
「……えっと」
「わたくしの覇道に戦術……」
「に、仁王立ちして待ち受けるのも覇道です!」
「……つまりわたくしこそが道?」
黒炎が再び襲ってきた。
素早く散開しつつラィルがリボルバーを構える。
――できれば川は越えたくない。けど射程は向こうが長い……我慢になりそやな……。
ラィルと綾の銃撃が錫杖先端を掠め、お返しとばかり黒炎弾が炸裂した。
ジョージは型をなぞるように刺突を繰り出し、撃砲――衝撃の弾丸を敵へ浴びせる。だが敵は距離を詰めてこない。
黒炎弾が尽きるまで敵は動く気がないのか。
――このままでは耐え切れなくなる可能性が……戦況を動かさないと……!
敢えて渡河し状況をかき回す。
それは勇気ある行為で、だが王女の護りを考えれば躊躇する行為。
故に今のジョージは川辺で留まる。護らねばならない。護りたいからだ。
代りとばかり、エステルが跳び越えた。
焦れたエステルは迷いなく境界線を越えるや、肉薄して回り込んだ。
敵が右腕を振るう。湾短刀。案外踏み込みが速い。槍柄を跳ね上げ刀身を弾いた。短く咆哮。効かない。だったらと前蹴りで敵を川側へ押し込むと、エステルは大上段から槍を叩きつけた。
「庶民はこうして川遊びをするんでしょ? ステキ!」
押す、押す押す押す押す押しまくる!
遂には川の中程まで敵を運んできたエステルは、平然と元の岸辺へ移って守りを固めた。暗い眼窩がエステルを強烈に射抜く。
敵がエステルを睨み踏み出す――刹那、
「参りましょう!」
ヴァルナの号令一下、散開していた一行が引き合うように敵へ殺到した。
川中央に陣取る敵。今さら退くより留まった方がいいとの判断か。
そこを左右からラィルとユーロスが強襲する。
錫杖側にユーロス、短刀にラィル。左右の連撃が敵武器を削る。水飛沫。陽光に照らされた水滴は美しく、狭間を駆ける二人は幻影のよう。ユーロスが敵左腕を鋼鞭で絡め取れば、ラィルの短剣が湾短刀を弾き飛ばす。同時に前からジョージとヴァルナが突っ込む。眼前で黒い炸裂。自分を中心に黒炎をまき散らした敵が、跳び上がって包囲を逃れ――銃声。
綾。中腹で半身にならず正面に構えている。引鉄の重い感触。発砲――弾着。空中で敵姿勢が崩れる。が、崩れながらも鋭利な黒炎矢をユーロスに射出した。
避け――られない。
幾多の矢がユーロスを貫いた。
水中に片膝をつき前のめりに倒れながら、ユーロスは何故か父親、いやあの阿呆の事が脳裏を過った。と同時に、どうしようもない何かが胸の内で煮え滾るのを感じる。
王女サマの護衛とか、王都の事とか、妹可愛いとか、何かもう色々と浮かんでは消え、それらが全て煮え滾る何かにくべられて、
――俺が、倒れたら、家族はどうなる?
気付けばユーロスは片足を前に突き出し水面限界から敵を睨めつけていた。敵は肩から着水し立ち上がらんとしている。
「クソ野郎……ッさっさと、消えろ……!」
瞬後、水を切って伸び上がるユーロスの斬撃が錫杖を両断した。そして、
「お任せを……!」
ジョージとヴァルナ、二人の戦士から放たれた衝撃波が柘榴石を直撃した。
柘榴石が砕かれ塵へ還っていく黒幽鬼と、帰還するハンター達。しれっとユグディラも得意顔で闊歩している。
システィーナは血を流す彼らの姿を見つめ、胸の内を掻き毟りたくなった。何度も味わってきた無力感。解っていても、つらい。
けれどこういう時、待つ側はそんな顔をすべきでない事も知っている。だからシスティーナは両腕を広げ、彼らを迎えた。
「皆さま……おかえりなさい」
せめて誰かの居場所になれるように。
●高原の遊び
小川で体を洗い服を乾かす間に、システィーナ発案のお茶会はみるみる整えられていた。
天候に恵まれ短時間で洗濯できたのは不幸中の幸いか。
「川辺で服を乾かすのは庶民の嗜みです!!」
エステルの嬉しげな声が響く中、いち早くシスティーナに攻勢をかけたのは綾だ。
綾はやたら大きな盾を持って駆け寄るや、
「ソリしよう! 草ソリ!」
「そ、それでですか?」
「コレで!」
強引に手を取り坂へ連れていく。制止しようとしたオクレールだが、今回ばかりはこの勢いこそ必要なのかも、と考えると何も言えなかった。
そうして人知れず懊悩する侍従長に、
「なんやお母……お姉さんみたいやね」
ラィルがきっちり反応した。
「いっくよー!」
システィーナを乗せた盾をぐっと押し、勢いがついてくると自らも飛び乗って綾は歓声を上げる。
最初緩やかだった盾ソリはぐんぐん速度を増すや、コブに乗り上げ一気に右へ傾いた。悲鳴。慌てて左に重心移動。軌道修正で――きない!
「きゃああぁっ!?」
「あああああああああああああ」
あえなく横転、坂を転げ落ちる二人。咄嗟に綾はシスティーナを抱えると、一体となって重力に引かれていく。やっと止まった時には目の前に小川があり、二人は顔を見合せ笑った。
綾がシスティーナの髪についた雑草を払う。
「にゃはははっ! システィーナさん、草まみれでもキラキラしてる!」
「目が回ります……」
「今度はエアトリック狙うよ!」
「む、むりではないかとっ」
笑いながら綾は跳ね起きて盾ソリ片手に坂を駆け上がり、おいでおいでとシスティーナを呼ぶ。
結局お茶会が始まるまでに九往復した。
●夕焼けメヌエット
お茶会? そうだな、道中を含めれば何度やった事か。
そこにはな、一人の紅茶狂いがいた。思い出すだに恐ろしい、金髪の捕食者がな。
――――ユーロス・フォルケの述懐
そんなお茶会が終り、一行はラィルの案内で川向うの茶園へ向かっていた。
橋を渡り、茶樹の間を抜けて林へ。そこには、小川に続いているのだろう小さな泉があった。
「こないだ来た時に見つけてん。知っとったかな?」
薄暗い林に、茜色に染まり始めた陽射しが木漏れ日となって降り注ぐ。幾筋もの光が水面で乱反射し、泉周りだけを仄かに照らしている。
「ふふっ、そうですね、実は知っていました」
「ありゃ。流石やなぁ」
「けれどありがとうございます」
ざぁっと枝葉が風に揺れる中、ラィルとシスティーナは笑みを交す。
そこにオクレールが絶妙に割って入ると「お茶に致しましょう」と水筒を取り出した。本日二度目のお茶会である。
「お、王女様!」
ジョージが意を決して話しかけたのは、エステルがユーロスに庶民の暮しを訊きに行った時だった。
バクバク煩い心臓を無視し、口を開く。
「ほ、ほんじちゅはおひがらもよく!」
「ふふっ、戦う時より緊張しておられるようです」
「う、その……やっぱり雲上人ですから……」
思わず言うと僅かに王女の顔が曇るのが判る。
何とか挽回したいが、咄嗟に何かできる程の経験はない。ジョージは頭が真白になりながら話を変える。
「そ、その! い、良い場所ですね、ここは……王女様にとって大事な場所ならば護った甲斐があると思います」
「本当は茶摘みも体験したかったのですけれど」
「ですがおかげで新茶を味わえます」
「確かに」
微笑するシスティーナを見て、ジョージはどこか気恥ずかしくなってカップに口をつけた。温かい風味。落ち着く。
――護る。護る、か。
胸の内にある相反する思い。一方へと傾きつつある天秤に後悔は、ない。
「……良いですね、本当に。ここも――この国も、王女様も……護りたいと、今はそう思えます」
「大切な場所があるのですね、ユニクス様も」
カップで口元を隠したまま、頷いた。
ラィルはエステルに絡まれているユーロスを温かくスルーし、後ろに手をつき木々を見上げた。
深呼吸。自然の香り。極寒でもなく酷暑でもない、ノビノビ生きる自然の香り。そこでお茶会する。贅沢すぎて吐きそうだ。
――僕は……。
にゃぁ~。
ユグディラが腕に顔を擦りつけてくる。視線を落し、ふと笑みを零す。
「なんやろなぁ、お前、何か思うところでもあるんか?」
にゃにゃ!
どっちだ。肩を竦めた――その時、
「あああああ!! もふっていい!? もふっていいかな!?」
横から綾が飛び込んできた。頭から。
「や、うん。ええんやないかな」
「わあああああああああああああああ」
ポイとユグディラを渡すと、綾は全力で獣の腹に顔を押し付けた。
「程々になー」
「むぁい!」
周りを見ればシスティーナまで目を丸くして笑っていた。よく見る微笑でなく、自然な笑い。
凍えていた何かが溶けていくような気がした。
――過去と今、か……。
ラィルは頭を振ってやおらカップを取ると、天に掲げて言った。
「よっしゃ、どんどん盛り上がってこか! ヒカヤ紅茶は永遠や! 何年経とうと僕ら皆お茶友や!!」
●一夜の夢
二度のお茶会に続く夕食は、少し苦行に思えたな。
いや、そりゃ王女サマと同じ卓で食えたのはボーガイの喜びってやつだけどさ。
――――ユーロス・フォルケの述懐
「周辺のマテリアルバランスを調査すべき」というラィルの提案を皆で協議しながらの食事は固い話題ではあるが有意義で、それはそれで大事だとエステルにもよく解った。
しかしだ。
そんな事より重要な事が、今のエステルにはある!
「おっひめっさま! 約束通りいっぱいお話しましょ!」
システィーナにしな垂れかかって言うと、少女は絵に描いたような苦笑。細い肩を抱き寄せてエステルは耳元で囁く。
「おともだちになりましょう? わたくし達、とってもお似合いじゃない?」
「そ、そうですか……」
何やら少女は身を固くしている。
ふれあいに慣れてないのかもしれない。エステルは体を離して微笑む。
「ユエル・グリムゲーテ」
それは王国貴族の名。紛う事なきお友達だ。そしてこの娘も彼女の友人だと聞いている。
――お姫様の事はまだあんまり知らない。でも。
他ならぬあの子のお友達なら、きっとこんな子だと想像がつく。
頑張って、頑張って、止まれない。だって止まると息苦しくなってしまう。
「ねえ、わたくし、きっと貴女と似ているんじゃないかなって。だってユエルとお友達なんでしょう?」
「はい……」
少女は頬を赤らめて俯いている。エステルはさらなるお友達攻勢をかけようとして――やめた。お友達になるのは確定なのだから遅いか早いかの違いしかない。
「ぁ、の……文通から……」
チラチラと様子を窺い提案してくるシスティーナに、エステルは満面の笑みを返した。
主にエステルと綾によって賑やかになった食後。
気付けば頭上には既に満天の星空があり、ヴァルナは片付けの手を止め空を仰いだ。
大半の人は夜の散策や周辺巡回に出ていて、ヴァルナ以外に残るのは侍従長だけ。王女殿下に同行しないのかと問うと「私がいると気分転換になりませんから」と返ってきた。
「難しいお役目なのでしょうね」
視線を戻しヴァルナが言う。
沈黙。食器を片付ける音だけが小さく響く。話を続けるべきか少し悩み、ふとヴァルナは思い立った。
こういう時は食べて飲むに限る。
「眠る前にお茶に致しましょうか」
「え?」
「お茶は私がお淹れします。お恥ずかしい話、実は気になっていたのです。ここが殿下の思い出の場所とはお聞きしたのですが、どのような思い出なのか……それをお二人からお聞かせ願えれば、と」
ヴァルナが悪戯をするように企画してみると、侍従長は虚を衝かれたようにぽかんとし、暫くして頭を下げた。
「お気遣い、ありがとうございます」
この夜、星空の下で三人だけのお茶会が開かれた。
●不寝番の追想
――まさか本物の王女サマに同道する事になるとは。
ユーロスは独り高原の岩に腰かけて嘆息する。
先程まで姦しく続いていた秘密のお茶会も解散し、高原は静寂に包まれている。時折侍従隊らしきメイドが通る程度。
ただ独りの世界でこの半日を振り返っていたユーロスは、本物の王女サマと遭遇した衝撃からやや立ち直ってきた自分の胸の内を覗き込み、思ったよりこの国に思い入れがあった事に気付いた。
――ま、結局は……俺にあるのは家族だけって事か。
何をどう悩もうが、自分にやれる事なんざそれしかない。そしてそれだけでいい。
深夜の高原を吹き抜ける風は涼しく、草木の奏でる旋律は耳に快い。が、とても眠れそうになかった。何しろ王女サマがすぐ近くにいるのだから。
いっそ門番でもやるかとユーロスは思い立ち、コテージを見やる。そして未だ胸の奥で燻る緊張を自覚し、肩を竦めた。
退屈しない夜になりそうだ。
<了>
――後日。
システィーナは、王国各地の一部ユグディラが同様に奇妙な行動を取っている事を知った。
それらを侵食するのは黒い靄と金属音。色鮮やかな自然を塗り潰さんとする闘争の証。
「残念お姫様、また後でね! わたくし、貴女といっぱいお話してみたいの」
「王女殿下におかれましてはお下がりくださいますよう。どのような攻撃が来るか分かりません」
エステル・L・V・W(ka0548)とヴァルナ=エリゴス(ka2651)が前に出る。システィーナが緊張した面持ちで後退ると、侍従長が主の体を敵から隠すように位置取った。
足元ではユグディラが右往左往している。ラィル・ファーディル・ラァドゥ(ka1929)が気を利かせてツナ缶を出してみた。
「一緒に戦いたいんかな?」
にゃ!?
「せやな、ご主人の為に頑張ろか」
ぶんぶんぶん!!
「ぜ、全力で否定してそうですけど!」
「いくでツナ缶!」
「えぇえ!?」
にゃあぁあ~!!
憐れ食欲に負けた猫がラィルと共に坂を下る。陽波 綾(ka0487)はそれを見送り、思わず笑い声を上げた。
にゃははと牧歌的な声が天を衝く。そんな空の下、坂を下るハンター達。川向うの黒い靄は今や明確な形を成し、人間を睥睨している。
竜鎧を誇らしげに纏うジョージ・ユニクス(ka0442)が先陣を切る。
「この先は一歩たりとて進ませない!」
「ハ、ありがたい事に奴もこっちに反応してると見える」
口角を歪めてユーロス・フォルケ(ka3862)。敵――黒幽鬼は揺れながら、確実にこちらを見据えている。
最後尾、綾が坂で自動拳銃を抜く。スライドを引き装填、狙いをつけ、引鉄に指を――、
かける、寸前。
川辺を黒い炸裂が襲った。
●黒幽鬼
川向うから飛来した黒炎弾が、中空で炸裂して地表を舐めるように炙っていく。
黒い太陽のようだ。逃げ惑うユグディラを視界端に捉えつつ構え直した綾が発砲――長衣に命中。合せてヴァルナが聖剣を払うと、清冽な剣気が川を渡り敵を一閃した。
敵に回避する素振りはない。おそらく亡霊。核は錫杖の石か?
「敵の武器を!」
「わたくしの覇道に戦術的後退の文字はありません!」
「ま、待って!」
渡河しかけたエステルにジョージが声をかける。
「……えっと」
「わたくしの覇道に戦術……」
「に、仁王立ちして待ち受けるのも覇道です!」
「……つまりわたくしこそが道?」
黒炎が再び襲ってきた。
素早く散開しつつラィルがリボルバーを構える。
――できれば川は越えたくない。けど射程は向こうが長い……我慢になりそやな……。
ラィルと綾の銃撃が錫杖先端を掠め、お返しとばかり黒炎弾が炸裂した。
ジョージは型をなぞるように刺突を繰り出し、撃砲――衝撃の弾丸を敵へ浴びせる。だが敵は距離を詰めてこない。
黒炎弾が尽きるまで敵は動く気がないのか。
――このままでは耐え切れなくなる可能性が……戦況を動かさないと……!
敢えて渡河し状況をかき回す。
それは勇気ある行為で、だが王女の護りを考えれば躊躇する行為。
故に今のジョージは川辺で留まる。護らねばならない。護りたいからだ。
代りとばかり、エステルが跳び越えた。
焦れたエステルは迷いなく境界線を越えるや、肉薄して回り込んだ。
敵が右腕を振るう。湾短刀。案外踏み込みが速い。槍柄を跳ね上げ刀身を弾いた。短く咆哮。効かない。だったらと前蹴りで敵を川側へ押し込むと、エステルは大上段から槍を叩きつけた。
「庶民はこうして川遊びをするんでしょ? ステキ!」
押す、押す押す押す押す押しまくる!
遂には川の中程まで敵を運んできたエステルは、平然と元の岸辺へ移って守りを固めた。暗い眼窩がエステルを強烈に射抜く。
敵がエステルを睨み踏み出す――刹那、
「参りましょう!」
ヴァルナの号令一下、散開していた一行が引き合うように敵へ殺到した。
川中央に陣取る敵。今さら退くより留まった方がいいとの判断か。
そこを左右からラィルとユーロスが強襲する。
錫杖側にユーロス、短刀にラィル。左右の連撃が敵武器を削る。水飛沫。陽光に照らされた水滴は美しく、狭間を駆ける二人は幻影のよう。ユーロスが敵左腕を鋼鞭で絡め取れば、ラィルの短剣が湾短刀を弾き飛ばす。同時に前からジョージとヴァルナが突っ込む。眼前で黒い炸裂。自分を中心に黒炎をまき散らした敵が、跳び上がって包囲を逃れ――銃声。
綾。中腹で半身にならず正面に構えている。引鉄の重い感触。発砲――弾着。空中で敵姿勢が崩れる。が、崩れながらも鋭利な黒炎矢をユーロスに射出した。
避け――られない。
幾多の矢がユーロスを貫いた。
水中に片膝をつき前のめりに倒れながら、ユーロスは何故か父親、いやあの阿呆の事が脳裏を過った。と同時に、どうしようもない何かが胸の内で煮え滾るのを感じる。
王女サマの護衛とか、王都の事とか、妹可愛いとか、何かもう色々と浮かんでは消え、それらが全て煮え滾る何かにくべられて、
――俺が、倒れたら、家族はどうなる?
気付けばユーロスは片足を前に突き出し水面限界から敵を睨めつけていた。敵は肩から着水し立ち上がらんとしている。
「クソ野郎……ッさっさと、消えろ……!」
瞬後、水を切って伸び上がるユーロスの斬撃が錫杖を両断した。そして、
「お任せを……!」
ジョージとヴァルナ、二人の戦士から放たれた衝撃波が柘榴石を直撃した。
柘榴石が砕かれ塵へ還っていく黒幽鬼と、帰還するハンター達。しれっとユグディラも得意顔で闊歩している。
システィーナは血を流す彼らの姿を見つめ、胸の内を掻き毟りたくなった。何度も味わってきた無力感。解っていても、つらい。
けれどこういう時、待つ側はそんな顔をすべきでない事も知っている。だからシスティーナは両腕を広げ、彼らを迎えた。
「皆さま……おかえりなさい」
せめて誰かの居場所になれるように。
●高原の遊び
小川で体を洗い服を乾かす間に、システィーナ発案のお茶会はみるみる整えられていた。
天候に恵まれ短時間で洗濯できたのは不幸中の幸いか。
「川辺で服を乾かすのは庶民の嗜みです!!」
エステルの嬉しげな声が響く中、いち早くシスティーナに攻勢をかけたのは綾だ。
綾はやたら大きな盾を持って駆け寄るや、
「ソリしよう! 草ソリ!」
「そ、それでですか?」
「コレで!」
強引に手を取り坂へ連れていく。制止しようとしたオクレールだが、今回ばかりはこの勢いこそ必要なのかも、と考えると何も言えなかった。
そうして人知れず懊悩する侍従長に、
「なんやお母……お姉さんみたいやね」
ラィルがきっちり反応した。
「いっくよー!」
システィーナを乗せた盾をぐっと押し、勢いがついてくると自らも飛び乗って綾は歓声を上げる。
最初緩やかだった盾ソリはぐんぐん速度を増すや、コブに乗り上げ一気に右へ傾いた。悲鳴。慌てて左に重心移動。軌道修正で――きない!
「きゃああぁっ!?」
「あああああああああああああ」
あえなく横転、坂を転げ落ちる二人。咄嗟に綾はシスティーナを抱えると、一体となって重力に引かれていく。やっと止まった時には目の前に小川があり、二人は顔を見合せ笑った。
綾がシスティーナの髪についた雑草を払う。
「にゃはははっ! システィーナさん、草まみれでもキラキラしてる!」
「目が回ります……」
「今度はエアトリック狙うよ!」
「む、むりではないかとっ」
笑いながら綾は跳ね起きて盾ソリ片手に坂を駆け上がり、おいでおいでとシスティーナを呼ぶ。
結局お茶会が始まるまでに九往復した。
●夕焼けメヌエット
お茶会? そうだな、道中を含めれば何度やった事か。
そこにはな、一人の紅茶狂いがいた。思い出すだに恐ろしい、金髪の捕食者がな。
――――ユーロス・フォルケの述懐
そんなお茶会が終り、一行はラィルの案内で川向うの茶園へ向かっていた。
橋を渡り、茶樹の間を抜けて林へ。そこには、小川に続いているのだろう小さな泉があった。
「こないだ来た時に見つけてん。知っとったかな?」
薄暗い林に、茜色に染まり始めた陽射しが木漏れ日となって降り注ぐ。幾筋もの光が水面で乱反射し、泉周りだけを仄かに照らしている。
「ふふっ、そうですね、実は知っていました」
「ありゃ。流石やなぁ」
「けれどありがとうございます」
ざぁっと枝葉が風に揺れる中、ラィルとシスティーナは笑みを交す。
そこにオクレールが絶妙に割って入ると「お茶に致しましょう」と水筒を取り出した。本日二度目のお茶会である。
「お、王女様!」
ジョージが意を決して話しかけたのは、エステルがユーロスに庶民の暮しを訊きに行った時だった。
バクバク煩い心臓を無視し、口を開く。
「ほ、ほんじちゅはおひがらもよく!」
「ふふっ、戦う時より緊張しておられるようです」
「う、その……やっぱり雲上人ですから……」
思わず言うと僅かに王女の顔が曇るのが判る。
何とか挽回したいが、咄嗟に何かできる程の経験はない。ジョージは頭が真白になりながら話を変える。
「そ、その! い、良い場所ですね、ここは……王女様にとって大事な場所ならば護った甲斐があると思います」
「本当は茶摘みも体験したかったのですけれど」
「ですがおかげで新茶を味わえます」
「確かに」
微笑するシスティーナを見て、ジョージはどこか気恥ずかしくなってカップに口をつけた。温かい風味。落ち着く。
――護る。護る、か。
胸の内にある相反する思い。一方へと傾きつつある天秤に後悔は、ない。
「……良いですね、本当に。ここも――この国も、王女様も……護りたいと、今はそう思えます」
「大切な場所があるのですね、ユニクス様も」
カップで口元を隠したまま、頷いた。
ラィルはエステルに絡まれているユーロスを温かくスルーし、後ろに手をつき木々を見上げた。
深呼吸。自然の香り。極寒でもなく酷暑でもない、ノビノビ生きる自然の香り。そこでお茶会する。贅沢すぎて吐きそうだ。
――僕は……。
にゃぁ~。
ユグディラが腕に顔を擦りつけてくる。視線を落し、ふと笑みを零す。
「なんやろなぁ、お前、何か思うところでもあるんか?」
にゃにゃ!
どっちだ。肩を竦めた――その時、
「あああああ!! もふっていい!? もふっていいかな!?」
横から綾が飛び込んできた。頭から。
「や、うん。ええんやないかな」
「わあああああああああああああああ」
ポイとユグディラを渡すと、綾は全力で獣の腹に顔を押し付けた。
「程々になー」
「むぁい!」
周りを見ればシスティーナまで目を丸くして笑っていた。よく見る微笑でなく、自然な笑い。
凍えていた何かが溶けていくような気がした。
――過去と今、か……。
ラィルは頭を振ってやおらカップを取ると、天に掲げて言った。
「よっしゃ、どんどん盛り上がってこか! ヒカヤ紅茶は永遠や! 何年経とうと僕ら皆お茶友や!!」
●一夜の夢
二度のお茶会に続く夕食は、少し苦行に思えたな。
いや、そりゃ王女サマと同じ卓で食えたのはボーガイの喜びってやつだけどさ。
――――ユーロス・フォルケの述懐
「周辺のマテリアルバランスを調査すべき」というラィルの提案を皆で協議しながらの食事は固い話題ではあるが有意義で、それはそれで大事だとエステルにもよく解った。
しかしだ。
そんな事より重要な事が、今のエステルにはある!
「おっひめっさま! 約束通りいっぱいお話しましょ!」
システィーナにしな垂れかかって言うと、少女は絵に描いたような苦笑。細い肩を抱き寄せてエステルは耳元で囁く。
「おともだちになりましょう? わたくし達、とってもお似合いじゃない?」
「そ、そうですか……」
何やら少女は身を固くしている。
ふれあいに慣れてないのかもしれない。エステルは体を離して微笑む。
「ユエル・グリムゲーテ」
それは王国貴族の名。紛う事なきお友達だ。そしてこの娘も彼女の友人だと聞いている。
――お姫様の事はまだあんまり知らない。でも。
他ならぬあの子のお友達なら、きっとこんな子だと想像がつく。
頑張って、頑張って、止まれない。だって止まると息苦しくなってしまう。
「ねえ、わたくし、きっと貴女と似ているんじゃないかなって。だってユエルとお友達なんでしょう?」
「はい……」
少女は頬を赤らめて俯いている。エステルはさらなるお友達攻勢をかけようとして――やめた。お友達になるのは確定なのだから遅いか早いかの違いしかない。
「ぁ、の……文通から……」
チラチラと様子を窺い提案してくるシスティーナに、エステルは満面の笑みを返した。
主にエステルと綾によって賑やかになった食後。
気付けば頭上には既に満天の星空があり、ヴァルナは片付けの手を止め空を仰いだ。
大半の人は夜の散策や周辺巡回に出ていて、ヴァルナ以外に残るのは侍従長だけ。王女殿下に同行しないのかと問うと「私がいると気分転換になりませんから」と返ってきた。
「難しいお役目なのでしょうね」
視線を戻しヴァルナが言う。
沈黙。食器を片付ける音だけが小さく響く。話を続けるべきか少し悩み、ふとヴァルナは思い立った。
こういう時は食べて飲むに限る。
「眠る前にお茶に致しましょうか」
「え?」
「お茶は私がお淹れします。お恥ずかしい話、実は気になっていたのです。ここが殿下の思い出の場所とはお聞きしたのですが、どのような思い出なのか……それをお二人からお聞かせ願えれば、と」
ヴァルナが悪戯をするように企画してみると、侍従長は虚を衝かれたようにぽかんとし、暫くして頭を下げた。
「お気遣い、ありがとうございます」
この夜、星空の下で三人だけのお茶会が開かれた。
●不寝番の追想
――まさか本物の王女サマに同道する事になるとは。
ユーロスは独り高原の岩に腰かけて嘆息する。
先程まで姦しく続いていた秘密のお茶会も解散し、高原は静寂に包まれている。時折侍従隊らしきメイドが通る程度。
ただ独りの世界でこの半日を振り返っていたユーロスは、本物の王女サマと遭遇した衝撃からやや立ち直ってきた自分の胸の内を覗き込み、思ったよりこの国に思い入れがあった事に気付いた。
――ま、結局は……俺にあるのは家族だけって事か。
何をどう悩もうが、自分にやれる事なんざそれしかない。そしてそれだけでいい。
深夜の高原を吹き抜ける風は涼しく、草木の奏でる旋律は耳に快い。が、とても眠れそうになかった。何しろ王女サマがすぐ近くにいるのだから。
いっそ門番でもやるかとユーロスは思い立ち、コテージを見やる。そして未だ胸の奥で燻る緊張を自覚し、肩を竦めた。
退屈しない夜になりそうだ。
<了>
――後日。
システィーナは、王国各地の一部ユグディラが同様に奇妙な行動を取っている事を知った。
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依頼相談掲示板 | |||
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2016/07/09 14:00:22 |
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王女殿下の休日 ユーロス・フォルケ(ka3862) 人間(クリムゾンウェスト)|17才|男性|疾影士(ストライダー) |
最終発言 2016/07/12 00:00:18 |