ゲスト
(ka0000)
Rain, a rose & rain.
マスター:葉槻
このシナリオは5日間納期が延長されています。
オープニング
初夏の薔薇が香る庭園の東屋で、1人の老紳士が1匹の大型犬と寄り添うように座っていた。
『……まさか、貴方とこうしてまたお茶が出来る日が来るなんてね』
あの日。
ほぼ全盲だった彼女は白いベールの奥に隠した目元、目尻のしわを深めながら、そう言って微笑った。
「……本当に……人生何があるか分からないものだ」
甘栗色の犬の背を撫でながら老紳士――フランツ・フォルスター(kz0132)は少し寂しげに微笑んだ。
革命の時点で、フランツの周囲にはもう歳の近い知人など数えるほどになっていた。
それが年月を重ねるごとに1人減り、2人減り……気がつけば自分1人だけがまだ生き存えている。
「……ついぞ精霊と契約を結べなかったわしが未だ生きていて……お前さんの主の方が先に居なくなるとはのぅ……」
『でも、本当に嬉しいわ。またリヴァとの思い出話が出来る人とこうしてお茶が出来るのが』
そう言って微笑んでいた彼女はもういない。
――そしてついぞ彼女とは、亡き妻の話題を交わすことが無かった事を思い出した。
視線を庭にやれば、色とりどりの薔薇はしっとりと濡れたような花弁を広げ咲き誇っている。
重たくぬるい湿度をはらんだ風が、薔薇の花弁を撫でると、その芳香が辺りへみなぎるのを感じた。
生来、寂しいことは嫌いな人だった。
人の死は悼むが、それ以上に残された人々の事を想い行動するような人だった。
『近しい人の死は悲劇だわ。それが急な物であればあるほど。残された者はこれからも生きていかなければならないのだから』
そう言って、残された者達の職場を探したり、孤児院の手配をしたり、大切な者の死を受け入れられない者に寄り添い話を聞いたりということもしていた。
彼女はいつだって前向きでひたむきで、優しくて強かった。そして音楽を愛し、薔薇を愛し、そして何より人を愛した。
「……ハンターの皆さんにも声をかけようかの……」
ここに来たことがある者なら、別れを告げたいと望む者がいるかも知れない。
カサンドラ・クスター。享年83歳。
『聖母』と呼ばれた彼女は、最期は眠るように息を引き取ったという。
●薔薇と葬列
白亜宮、と呼ばれる屋敷があった。
確かに一介の帝国臣民が1人で住むには大きすぎる豪邸ではあるが、豪奢な装飾が付いているわけでも、壁や床が大理石や御影石という訳でも無い。
ただ、白い漆喰で外壁を整えられた、どちらかと言えば質素で上品な印象を与える屋敷だった。
この屋敷の女主人も自分の住まいを『白亜宮』等と大それた名前で呼ぶことはない。
ただ、『聖母』と讃えられた彼女の人柄と、屋敷裏手にある大きな薔薇園の薔薇が香り立つ様から、人々は自然と『白亜宮』と呼び慕ったのだと言う。
その、女主人であったカサンドラが老衰の為に亡くなった。
彼女を慕う村人達がお別れ会を開くということで、そこにハンター達も呼ばれる事となった。
「どうか、彼女が心安らかに逝けるように助けてやっておくれ」
いつもよりも一回り小さくなったようなフランツが柳眉を下げたまま静かに頭を下げた。
『……まさか、貴方とこうしてまたお茶が出来る日が来るなんてね』
あの日。
ほぼ全盲だった彼女は白いベールの奥に隠した目元、目尻のしわを深めながら、そう言って微笑った。
「……本当に……人生何があるか分からないものだ」
甘栗色の犬の背を撫でながら老紳士――フランツ・フォルスター(kz0132)は少し寂しげに微笑んだ。
革命の時点で、フランツの周囲にはもう歳の近い知人など数えるほどになっていた。
それが年月を重ねるごとに1人減り、2人減り……気がつけば自分1人だけがまだ生き存えている。
「……ついぞ精霊と契約を結べなかったわしが未だ生きていて……お前さんの主の方が先に居なくなるとはのぅ……」
『でも、本当に嬉しいわ。またリヴァとの思い出話が出来る人とこうしてお茶が出来るのが』
そう言って微笑んでいた彼女はもういない。
――そしてついぞ彼女とは、亡き妻の話題を交わすことが無かった事を思い出した。
視線を庭にやれば、色とりどりの薔薇はしっとりと濡れたような花弁を広げ咲き誇っている。
重たくぬるい湿度をはらんだ風が、薔薇の花弁を撫でると、その芳香が辺りへみなぎるのを感じた。
生来、寂しいことは嫌いな人だった。
人の死は悼むが、それ以上に残された人々の事を想い行動するような人だった。
『近しい人の死は悲劇だわ。それが急な物であればあるほど。残された者はこれからも生きていかなければならないのだから』
そう言って、残された者達の職場を探したり、孤児院の手配をしたり、大切な者の死を受け入れられない者に寄り添い話を聞いたりということもしていた。
彼女はいつだって前向きでひたむきで、優しくて強かった。そして音楽を愛し、薔薇を愛し、そして何より人を愛した。
「……ハンターの皆さんにも声をかけようかの……」
ここに来たことがある者なら、別れを告げたいと望む者がいるかも知れない。
カサンドラ・クスター。享年83歳。
『聖母』と呼ばれた彼女は、最期は眠るように息を引き取ったという。
●薔薇と葬列
白亜宮、と呼ばれる屋敷があった。
確かに一介の帝国臣民が1人で住むには大きすぎる豪邸ではあるが、豪奢な装飾が付いているわけでも、壁や床が大理石や御影石という訳でも無い。
ただ、白い漆喰で外壁を整えられた、どちらかと言えば質素で上品な印象を与える屋敷だった。
この屋敷の女主人も自分の住まいを『白亜宮』等と大それた名前で呼ぶことはない。
ただ、『聖母』と讃えられた彼女の人柄と、屋敷裏手にある大きな薔薇園の薔薇が香り立つ様から、人々は自然と『白亜宮』と呼び慕ったのだと言う。
その、女主人であったカサンドラが老衰の為に亡くなった。
彼女を慕う村人達がお別れ会を開くということで、そこにハンター達も呼ばれる事となった。
「どうか、彼女が心安らかに逝けるように助けてやっておくれ」
いつもよりも一回り小さくなったようなフランツが柳眉を下げたまま静かに頭を下げた。
リプレイ本文
●
最初に白亜宮の扉を叩いたのは志鷹 都(ka1140)と志鷹 恭一(ka2487)の2人だった。
「お初にお目にかかります」
女中代わりの女性に案内されたサロン。そこにフランツ・フォルスター(kz0132)の姿を見つけ、恭一は穏やかな表情で頭を下げた。
独り残される辛さや寂しさ……恭一は己の人生とフランツを思い重ね、密かに眉根を寄せる。
何と言葉をかけようかと逡巡していると、フランツもまた好々爺然とした微笑みで頷き返した。
「今日はわざわざ有り難う。奥に小さな祭壇があるから挨拶をしてやっておくれ」
「行きましょう、恭」
「……では、後ほど」
夫婦で低頭して奥へと進む。壁際に1人の老婦人の肖像画が飾られている。肖像画の婦人は瞳を静かに伏せたまま微笑んでいるが、これは彼女が視力を失ってから描かれたものだからだろうと推測された。
その周囲は薔薇を中心に季節の花に彩られ、その芳香が2人の鼻腔をくすぐる。
持参した花束とキャンドルを献花台に供え、2人は手を合わせた。
「初めまして。カサンドラ夫人。貴女の事を妻からお聞きしました。とても素敵な方だったと……願わくは一度、お会いしたかった」
恭一が静かに話しかけ、都は瞳を細めて恭一を見つめた後、肖像画へと視線を戻す。
「貴女と彼、三人でお話が出来る日を……ずっと夢見ていました」
『あなたは、彼に笑って欲しいのね。幸せでいて欲しいのね』
一昨年の晩秋、満月の下。初めて会ったカサンドラとの会話を思い出す。
『では、まずは誰よりもあなたが笑顔でいることね。そしてあなたが幸せでなければ』
交わした言葉は多くなく。あの日以降会うことも無かったけれど。
(あの満月の夜、貴女がくれた言葉は生涯私の胸に在り続けるでしょう)
「都」
恭一は都の頬を伝う雫をそっと人差し指で拭う。その指先の冷たさと反して伝わる優しさに都は更に涙を零した。
「お悔やみ申し上げます。お会いしたのは2度ですが、魂の美しさが滲み出た方でした」
己の部族に伝わる白い巫女装束に身を包み、そう言ってフランツに頭を垂れたのはエアルドフリス(ka1856)だった。
その横で同じように頭を下げたのは黒と白を基調としたゴシックドレスを違和感なく着こなしているジュード・エアハート(ka0410)。
「今回も駆けつけてくれたこと、感謝するよ。どうかゆっくりしていっておくれ」
普段とは比ぶべくもない弱々しい眼光に、エアルドフリスは思わず言葉に詰まる。
一切は巡り流れる。
(カサンドラ夫人も円環の彼方へ去ったが、いつか再び巡り来るのだと)
雨の精霊と歩みを共にするエアルドフリスにとってそれは自明の理。
(だが、一時の別れが辛くない訳もなく)
この世界において、長く生きるというのはそれだけ多くの縁者を見送ることに他ならない。
エアルドフリスは、ただ静かにフランツの心の安寧を願った。
「ご遺族はいらっしゃらないのですか」
「彼女には子どもがいなかった。この地の領主であった夫とももう40年も前に死別しているからね」
フランツからカサンドラの略歴を聞き、アウレール・V・ブラオラント(ka2531)は肖像画を見上げた。
旧帝国軍にいたというカサンドラの訃報は、彼の母親の耳にも届いていたらしい。どこからかアウレールがこの会に参列すると聞いた母から弔電を預かり、ブラオラント家を代表しての参列となった。
春、長患いの末に祖父を亡くし。先月末の戦いでは強化人間達……自分よりも幼い子らを手に掛けた。
立て続けに死と直面し、今こうしてダークスーツに身を包んだアウレールは、『生死』について深く考えざるを得ない。
長く病床に伏せり何事も儘ならぬ命。仕方ないの一言で散らされる幼い命。
一方で祖父と同じ激動の時代を駆け抜け、決して“楽”だけでは無かった晩年だったが、穏やかな最期を向かえた命。
「カサンドラ……貴女は、幸せでしたか?」
額縁の中の老婦人は何も言わず微笑んでいる。
その笑みにアウレールは静かに黙祷を捧げた。
静寂に包まれていた白亜宮に灯火が灯るような賑やかさが訪れた。
「ご無沙汰しています」
「おや、ユリアン殿、それに……ルナ嬢だったね。遠路遙々来てくれて有り難う」
ユリアン(ka1664)とルナ・レンフィールド(ka1565)が揃って会釈をするその後ろから、小さな足音が小走りに近付いて来る。
紫苑の花束を抱えた黒無地の着物姿の浅黄 小夜(ka3062)がフランツを見つけ、足を止めた。
「お爺ちゃん」
「小夜嬢も、来てくれて有り難う」
きゅっと柳眉を寄せた小夜は首を横に振って、小さく頭を下げた。
「いつかの音楽会で……見た星空も、薔薇の花も、とても綺麗で……少しのご縁だったけど、綺麗なものを……頂いたお返しに……」
「……有り難う。カサンドラもきっと喜ぶよ」
その後ろからカフカ・ブラックウェル(ka0794)と高瀬 未悠(ka3199)、そして鞍馬 真(ka5819)が続き、各々フランツに挨拶を済ませるとカサンドラの肖像画の元へと歩いて行った。
(種族柄、職業柄、見送るばかり。……解ってても悲しいものです)
ブーケを献げ、顔を伏せていたユメリア(ka7010)に、真とUisca Amhran(ka0754)の会話が飛び込んで来た。
「……前にここで演奏してからもう2年半か」
『ステキね』と子供のように喜んでくれたカサンドラと過ごした時間をまるで昨日のことのように思い出しながら、真は顔を上げる。
「かつてみんなと演奏した時のことが懐かしいですね……」
弔事用の巫女服に身を包んだUiscaが己の知る作法で冥福を祈り、顔を上げた。
「失礼ですが、お二人はこのご婦人と懇意でいらっしゃったのでしょうか?」
ユメリアの問いに、真とUiscaはきょとんと顔を見合わせ、緩やかに首を横に振った。
「懇意という程では無いけど……」
「以前ここに来たときには……」
そして二人は語り出した。最初にカサンドラから受けた『お願い』の話を。
『チェンバロをお借りしても宜しいでしょうか?』
『勿論よ』
カサンドラと最初に交わした短い言葉を思い出し、ルナはコツンとネームボードの角に額を当てた。
「またよろしくね」
一つ鍵を弾けば調律の行き届いた弦が震えて音を奏でる。
「こちらは準備OKだよ」
カフカが【S】の一人一人の顔を見つめ、頷く。
「では、ルナさん、お願いします」
竪琴を構えたユメリアがルナを見る。
「さあ、奏でましょう」
その視線を受け止めたルナが、鍵盤の上に指を落とした。
奏でられるのは聖堂教会で良く演奏されるレクイエムの一曲。
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、涙を誘う静かな旋律が室内に響く
レクイエムは外の薔薇園へも聞こえていた。
「あぁ、いい曲だな」
レイア・アローネ(ka4082)はサロンから聞こえる音楽を耳にして顔を上げた。
レイアはカサンドラとは面識が無い1人だ。
たまたま、ハンターオフィスでの話しを聞いて参列を決めた。
……ゆえに着慣れない喪服に動きづらさを感じなくも無いのだが、友人に選んで貰った手前、そしていくら世間知らずとはいえ、弔事にはその土地や文化に沿った作法があり、それに準ずる必要性は分かっているため、文句を言うのは控えた。
「人望のある方だったのだな……」
よく手入れのされた薔薇園を見て歩きながら、カサンドラのような人物が天寿を全うできたのは喜ぶことかも知れないと思う。
「カサンドラ……お逢いする事は出来なかったが……貴女のような者達が安らげるような世界を作る為に剣が振るえるのなら……それだけで私の人生も報われるだろう……」
何故剣を手にするのか。その理由を再確認したレイアは静かに泣き続ける空を見上げた。
(……どうか、安らかに)
しとしとと降る雨の中、ジャック・J・グリーヴ(ka1305)は一人薔薇園を散策していた。
ジャックもまた、カサンドラを知らない。
聖母と謳われていたというが、『要するにバァさんなんだろ?』程度の認識しか無い。
それでも来た理由。それは白亜宮とこの薔薇園を見るためだった。
この家の使用人らしき男が、説明してくれたところによると、この庭園自体はカサンドラの夫が作ったモノで、その死後はカサンドラが引き継ぎ世話を行い、彼女が盲いた後は村の有志達の手によって維持されてきたのだと言う。
「俺様は今んとこ花を取り扱った事ねぇし詳しい事ぁ分からねぇ。けどよ、その花を見りゃ育ててるヤツの心は何となく分かる気がすんだ」
(ここのバアさんは色んなモンを見て色んな感じ方をして欲しいと願ってたんじゃねぇかな)
そしてその意思を継ぐ人々により維持され、こうして色々な人々が訪れる場となっている。
一通り薔薇園を見終わり、傘を閉じると灰色の空を仰いだ。
「アンタの薔薇最高だったぜ!」
初夏の蒼天の如く、晴れやかな笑顔でそう叫ぶ。
悲しむだけが人を送るという訳では無い。最期ならばなおのこと、思いっきり褒めて送ってやりたかった。
金の髪に慈雨が水滴となって絡みつき、輝く。
ジャックは犬のように頭を振って水気を飛ばすと、再び傘を差した。
案内をしてくれた男は驚いた様にジャックを見ていたが、その視線を気にすることも無く、ジャックは白亜宮を後にしたのだった。
●
ジャックの叫び声に室内にいた人々は一瞬驚いた様に薔薇園側を見たが、暫くすると何事も無かったように各々視線を元に戻した。
(嘗てこの館で奏でた音楽を、在りし日の夫人はそれは嬉しそうな笑顔で聴いてくれた。トルバドゥールたる僕にとって最大の賛辞だったのを覚えている。今は貴女を偲び、曲を捧げよう……どうか天に向かう迄の標となる様に……)
「想いを継ぎ繋ぐ曲を……どうか天国のカサンドラ夫人の道標とならん事を……」
静かに穏やかに故人に想いを馳せゴールデンハープを爪弾く。
(初めてなのに懐かしい……)
初めて訪れたはずの白亜宮はまるで来たことがあるような既視感をユリアンにもたらしたが、それは恐らくここに来た事のある妹が詳細に音楽会の様子を教えてくれたからだろうと思い至る。
そんな妹は今回来なかった。
小さなハーブリースを二つ、ユリアンに託した。
夫人とフラット伯にと。
泣いてしまうから私の代わりに傍にと。
【S】の面々が奏でる音楽に耳を傾けつつ、ユリアンはフランツにハーブティを淹れていた。
薫り高いハーブティの茶葉。
特徴ある香草のブレンドに、フランツの私邸で飲んだものと同じであると気付いた。
(この機会も、会えなかった夫人の最後の贈り物なのかもしれない)
ユリアンは改めてカサンドラに感謝と哀悼を献げつつ、フランツの前にティーカップを置いた。
「……俺はまだ伯に何も恩返しができていません」
今この時間も、尊く。限りある機会と知るから、伝えたいとユリアンはフランツを見据えて告げる。
「及ばずとも何時でも馳せ参じます。貴方の為に」
ユリアンの決意を前に、フランツは眩しい物を見るようにユリアンを見た。
「……有り難う。その時は宜しく頼むよ」
そう返すフランツの笑みが、やはりいつもより覇気がないように見えて、ユリアンは微かに眉を顰めた。
【S】5人の音がそれぞれに共鳴し合う、その音色に未悠は感情が溶け出していくのが分かった。
(私は大切な親友達と離れたくない。想い焦がれるあの人とも……一日でも長く一緒にいたい)
フランツを見れば、彼女の愛犬でパートナーだったという大型犬と共に静謐な眼差しで奏者を見ている。
改めて、大切な人達を失うという恐怖を未悠はひしと感じていた。
だが、それ以上に。
(自分が死ぬ恐怖を感じるのは初めてだわ……)
未悠は喉の奥が締め付けられるような感覚に戸惑いながら、そっと涙を拭い演奏に耳を傾けた。
桃色の猫と音符の柄が愛らしい傘の下、ミア(ka7035)は幽き雨音に包まれながら薔薇を見て、ふとサロンの方へと視線を向けた。
「……いいニャぁ」
音楽を愛し、薔薇を愛し、他人を愛した人だからこそ、みんなに愛されたんだろう。
白亜宮の中で働いている人々、そして今日集まった人達。そして柔和な微笑みを浮かべた肖像画。
カサンドラがどう生きてきたか、どう親しまれていたか、彼ら見れば察することは出来た。
そして、その想いが伝わるからこそ、ミアは思い出さずにはいられなかった。
惜しまれること無く逝った、双子の兄のこと。
長老にも、両親にも、“その時”のミアにも。
「いつか、ちゃんと悼んであげられるかニャ……? ごめんなさいって……ありがとう、って……伝えられるかニャぁ?」
青い薔薇を見つけ、祈る。そしてミアは鞄からオカリナを取り出すと、サロンから聞こえるレクイエムに合わせて口を寄せた。
雨水を湛えた花弁は重みに小さく揺れて雫を払う。それはまるで瞬きと共に涙を散らすかのようだった。
●
Uiscaが想像していたより、50年前の音楽は案外簡単に調べが付いた。
……というのも、基本的に帝国は徐々に腐敗を増したとは言え、建国より皇帝に支配された独裁国家であったため、音楽の遍歴も辿りやすかったのだ。
一種の宮廷音楽のようなもので、今なお奏で続けられている曲も多くあるし、楽譜も手に入れることが出来た。
Uiscaは鈴を鳴らしながら、覚えたその曲を歌い始めた。
カサンドラに、そしてフランツに、古き佳き日を少しでも体感して貰うために。
それを下支えするのがユメリアだった。
『死は詩から志となりますように』
曲の持つ力で言葉を代弁し、悲しみ、悔やみ、感謝して。
感情を発露させ、全て洗い流してほしいと、ユメリアは竪琴を奏で続けた。
「……あぁ、懐かしい歌だ」
フランツの吐息のような呟きに、小夜は隣のフランツを見る。
「知ってる歌、ですか?」
小夜の問いに、フランツは目尻を落としたまま頷いた。
「……妻が、良く口ずさんでいた歌だよ。キャスとも良く歌っていたな……」
キャス、というのがカサンドラの愛称だということはこの時の小夜には分からなかったが、その表情からとても優しい記憶を思い出していることが察せられて、小夜は小さく微笑んで頷いた。
(私がいて何か出来る訳でもないかも知れないけど、お爺ちゃんはいつも私に優しくしてくれるから……お爺ちゃんの寂しい時くらい、側にいるくらいは)
「私の世界では、天寿を全うして……亡くなった人の場合……お葬式では、思い出話をして……優しく送り出す事もある、らしいから」
だから、聞かせて欲しいと小夜は微笑む。
そんな小夜の思いが通じたのか、フランツは少し寂しそうに微笑んだ後、亡き妻と、そしてカサンドラと過ごした思い出をぽつりぽつりと話し始めたのだった。
クリムゾンウェストにおいて、本来の寿命を全うできるということは少ない。
アーク・フォーサイス(ka6568)はその事実を身を持って知っている。
師匠が亡くなったときも寿命では無かった。
人は容易くその生命を散らす。それが事故でも、害されたものでも。
もう盛りを過ぎてしまった薔薇に目が留まった。先が茶色く変色した花弁が降雨の刺激に耐えられなくなったのか、はらりと地へと落ちた。周囲にはそれよりも茶色味を増した花弁が数枚落ちていた。
『人は必ず死ぬ』。それは、理解している。
「けれど、その必然までの時間を伸ばせるように、その時間までを健やかに過ごせるように……そうしたいと願った」
だから、ハンターになった。
命を護り、命を救うために。
そのためには心も体も強くならねばならないと自己鍛錬も欠かしていない。
だが。あのリアルブルーでの戦いは……
『みんなを狙う、わるものめっ!』
あの声が、悲鳴が、動かぬ手足を震え続けていたあの姿が、ふいにアークを苛む。
強化人間には自分よりも幼い子らもいた。
諦めたくない、生かしたいと足掻いたのは自分自身。
その全てを抱えていくと決めた――それでも。
「俺は……守れているだろうか。人の命を。俺の願いを」
激動する世界。激化していく戦い。
アークは伸ばした手で空を掴む。
雨を含んだスーツはすっかり重くなっていた。だが、それ以上にアークの心には自分への問いかけが鉛のように重く沈んでいった。
蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)もまた、リアルブルーでの戦いを胸に傘も持たずに薔薇園へと足を向けた。
「此処の主人は『聖女』と呼ばれたそうじゃ……共に逝くなれば、その旅路も賑やかなものとなるじゃろう……」
手にしているのはアスガルドの記念写真。この時は、あんな事態が起こるなど、誰が想像出来ただろう。
そこに写った笑顔のほとんどは失われてしまったか、眠ったまま未だ目覚めない。
自らが摘み取った花の命然り、彼らの命もまた自らが奪った。
戦う事を選んだ子ども達。目覚めぬ子ども達。失われた命。護られた命。力を持たぬ一般人。庇護を求める人々。
「命の重さに違いは無い……違いは無い」
何度も自問自答した。その度に出てくる答えは同じで、だからこそ亡くした笑顔は胸に迫る。
「美しい薔薇じゃ……生きて共に見たかった……と……願うは妾の傲慢と言うものよな」
蜜鈴は東屋の下まで来ると、指先に炎の蝶を纏わせた。
それを空へと放ち、見送る。
黒いベールの奥、熱を持った雫が頬を滑り落ちる。
遠くに聴こえる白亜宮からの鎮魂曲。静かな雨音。むせ返る様な薔薇の香り。肌に張り付く髪。重みを増したフォーマルドレス。
「聖母は賑やかなのが好きだそうじゃ……おんし等も寂しゅうなかろう?」
炎の蝶はゆらゆらと上空へと舞い上がっていく。
その姿が消えるまで、蜜鈴は瞬きもせずに見送った。
「誰もが幸せになるにはどうすれば良いのでしょうか。皆の本当の幸とは何なのでしょうか」
真の優しいフルートの旋律を聴きながら、アウレールがぽつりと零した。
何かを選ぶ度に悩み、いつも答えは得られない。
「難しい問いだのぅ」
フランツが落ちた言葉を拾い、すくい上げた。
「そうだのぅ……わしなりの答えを告げるなら、『命を脅かされない世界』が最も幸福なのではないかとわしは思っておるよ。ゆえに、わしはハンターの皆さんをささやかながら応援し、その活躍を伝えていきたいと思っておる」
何度精霊との契約を試みただろう。
だが、フランツはついに精霊と契約を結ぶことが出来なかった。
軍にいながら覚醒者となれなかった者の寿命は短い。だが、フランツはそれを情報と頭脳、そして人を使うことで現役時代を生き抜いた。
当時の帝国の内部が、歪虚よりも腐敗貴族の方が魑魅魍魎と化し跋扈していた時代だったのも幸いしたと言って良いだろう。
人間は人間とは戦える。
「個人の幸せなど、個人が勝手に求めれば良い物だ。だが、歪虚の脅威だけはただの人には荷が重すぎる」
「……なるほど」
『私は人を幸福に出来ているのか』
フランツの答えを聞いても、問い続ける声は消えない。
だが、それで良いのだとフランツの言外の肯定を受けたアウレールは再び舞台へと視線を戻した。
●
カフカは竪琴から横笛に持ち替え、横笛で小鳥の囀りの如く皆の音と祈りを導いて行く。
(僕らの想い、祈り、心……それらが一つの音楽となって今、貴女に贈ろう。カサンドラ夫人……貴女の黄泉路にも届いているだろうか……)
そんなカフカの演奏を継いで歌い始めたのはルナだった。
未悠の心は、包み込むようなルナの歌声に震えてしまう。
「……え? あれ……?」
涙が止まらない。どうしてなのかもわからない。
(ただ、あの人に会いたい)
焦燥感に駆られるように、次々に想いが溢れてくる。
――死んでしまったら彼の為に何も出来なくなる。
――彼の味方でいられなくなる。
力になれなくなる。
(ああ、ネグローリはどれほど無念だったのだろう)
御伽噺の中に出てくる全てが不詳の宮廷魔術師。
出会ったその英霊はただ一人の皇帝を愛し、また皇帝に必要とされていた。
だからこそ、きっと、余計に。
――死ぬのが怖い。
――あの人を独りにしてしまうから。
ルナの少し明るい声色で奏でられる、感謝の歌。
未悠はその優しい歌を聴きながら、ただ一人を想って黒いワンピースに包んだ己の身体を抱きしめた。
ルナの歌声は続く。
カサンドラの優しい面影を思い出し、暖かな太陽が夕焼けを残しつつ沈むのを見送るように、感謝の想いを音色にのせて。哀しみは堪えて、努めて少し明るい調子で。
初めて会った日の楽しかった思い出を、感謝を。想いを歌い上げる。
エアルドフリスとジュードにはここの音楽会と薔薇園で深めた絆がある。
初めてここに来た時、エアルドフリスはジュードの肩口に額を預け甘やかしてもらった。
二度目の時は音楽に身を任せ二人きりで踊った。
愛していると告げて、『名』を呼んだ。
三度目の今日。エアルドフリスにとって雨は親しいが……
月の綺麗な夜に歩いた時は軽やかだった足取りが今日は心なしかジュードには重い。
二人は手を繋ぎ、体を寄り添い薔薇園を歩く。
「寒くないかね?」
あの満月の下でかけて貰った言葉と同じだと気付いてジュードは思わず立ち止まって微笑み返す。
伸ばされたエアルドフリスの、自分とは違う節の大きな指先が冷えた頬を撫でる感触が心地良くて、思わず目を細めた。
「良い方だったね」
「……あぁ」
「それに相応しい穏やかな別れ方だと思ったんだ」
「……あぁ」
恐らく『幸福な死』とはこういう逝き方だろうとジュードは思った。
それでもやはり悲しいものは悲しくて、でもこの足取りが重いのはそれだけが原因ではない。
ジュードは身を屈め、ビロードのような花弁を雨露に濡らしている薔薇を見つめた。
「俺もこうやって大切な人達を遺していくんだろうね」
エアルドフリスが息を呑んだが、その気配は雨音が隠してしまってジュードには届かない。
『大切な人を遺して先に逝ってしまうだろう』
根拠などない。けれど、漠然としているのに確信めいたものはあって。
さらにこの空模様が自分の不甲斐なさを憂う気持ちを増長させる。
「エアさんが旅に出ているとき、離れた場所で俺が死んでもエアさんは悪くないからね?」
――願わくは。
俺が死んでも幸せでいて、愛しい人。
ジュードの切なる想いは深い慈愛を含んだ瞳だけが語る。
そのやわらかだがまっすぐな瞳に射抜かれたエアルドフリスにとって、ジュードを喪う時の事など想像でも苦しい。
(だが部族の生き残りとして巡り流れる使命を優先しているのは俺だ)
以前は歪虚を駆逐したら再び旅に出るつもりだった。
だがその決意が近頃揺らいでいる事に気付いている。
(ジュードと離れる事が本当に正しいのか)
答えはまだ出ない。
●
【S】の5人は演奏を終えると揃って頭を下げた。
五月雨のような静かな拍手が注ぐ中、自分を呼ぶ声にルナは顔を向けた。
「ユリアンさん……っ……!」
ユリアンの顔を見て緊張の糸が切れたのか、ルナの両目からは止めどなく涙が溢れてきた。
「やだ……私ったら……ごめんなさい」
留めようと目を押さえ、涙を拭うが逆に勢いを増すようについにしゃくり上げてしまった。
「ルナさん」
ユリアンの近付く気配に顔を上げようとしたその時、ルナの額はユリアンの胸にぽふっと納まっていた。
一瞬驚きで止まったものの、その暖かさに再び涙が溢れてくる。
「カサンドラ様に、歌、聴いて貰いたかったな……」
「うん。想いも音楽もきっと届くよ」
ユリアンの優しい声音と言葉にルナはついに声を上げて泣き始めた。
話した回数は少ない。ただ、いつも音を楽しんで下さる人だった。
良い演奏だったと笑顔で褒めてくれ、それが決してお世辞だけではないことが分かるくらい喜んでくれる人だった。
たった2回会っただけの人。だけれど、こんなにも好きになっていたのだとルナは初めて気付いた。
「少しだけこうさせて……」
「……うん」
ユリアンはルナの涙が止まるまでその背中を優しくポンポンとあやし続けた。
――暫く経って、ルナの涙が止まった頃。
ようやく顔を上げたルナは徐々に顔に熱が上がってくるのが分かった。
「ルナさん?」
軽くルナの肩に触れると、ルナは驚いた様にユリアンを見た。
「少し、外の薔薇を見に行こうか」
ユリアンの誘いにルナは頬をバラ色に染めたまま大きく頷いて返した。
「この歌を貴女に贈ります。 おやすみなさい。カサンドラ様……」
薔薇園にある東屋。慈雨で指濡らしつつ、都は竪琴をつま弾き始めた。
水により響きと深み増したハープの音に乗せしっとりと歌うのは、愛する人との別れを歌った歌。
一音一音に心を籠め奏でる旋律は、眠るカサンドラを木洩れ陽が優しく包みこむ様にどこまでも暖かい。
――天国で目蓋を開いた時、花と光に満ちた世界が貴女を包んでくれますように。
その音は、サロン内で紅茶を飲んでいた恭一にも届いた。
彼女と出逢った日、再会した日、夫婦となった日も雨が降っていた。
湿った花と翠雨の香り、そして都が紡ぐ音に、ふと過去を思い出し、恭一は静かに目を伏せた。
演奏を終えた真は会場をそっと抜け出して薔薇園にいた。
この2年半、真は沢山の死を見つめてきた。
真自身も死にかけたのは一度や二度ではない。そして、遂には子供を手に掛けた。
死に対しての恐怖も薄くなってしまった自分に気付いてしまった。
「……そんな私が、安らかな眠りを迎えた婦人を、送っても良かったのだろうか」
……こんな気持ちでいたら、婦人に失礼なのだろうけど、とひとつ溜息を零すと、罪悪感と居た堪れなさを抱えつつ、雨に打たれる薔薇を見つめた。
よく手入れされた薔薇は美しい。
野性味を残した薔薇もまた素朴に美しいものだが、薔薇は手を掛けたなら掛けただけ人工的な美しさを纏って咲くような気がする。
止まない雨に暫し全身をさらし続けた。
演奏を追えたUiscaが肖像画を見上げる。
やわらかに微笑む姿は、初めて会った日の少女のように笑った彼女よりややおすまし顔に見えた。
あの時も仲間と共に色々なジャンルの音楽を奏でた。
音楽に合わせて、色を付けたLEDライトを振ったり、アロマキャンドルを灯したり。鳴り物を身につけ、踊りと同時に音を奏でたり。
カサンドラが明暗しか分からない程に視力を失っていると知り、全身で音楽を楽しんで貰おうと工夫し合った。
「ここで再び演奏できたことに感謝します。カサンドラさんが愛した音楽をこれからも愛し、大切に歌い続けますね」
Uiscaの誓いに、カサンドラの肖像画が少女のように笑ってくれたような気がした。
カサンドラ・クスター。享年83歳。
『聖母』と呼ばれた彼女は、最期は眠るように息を引き取った後、18人のハンター達により音楽と花と涙に彩られながら見送られたのだった。
最初に白亜宮の扉を叩いたのは志鷹 都(ka1140)と志鷹 恭一(ka2487)の2人だった。
「お初にお目にかかります」
女中代わりの女性に案内されたサロン。そこにフランツ・フォルスター(kz0132)の姿を見つけ、恭一は穏やかな表情で頭を下げた。
独り残される辛さや寂しさ……恭一は己の人生とフランツを思い重ね、密かに眉根を寄せる。
何と言葉をかけようかと逡巡していると、フランツもまた好々爺然とした微笑みで頷き返した。
「今日はわざわざ有り難う。奥に小さな祭壇があるから挨拶をしてやっておくれ」
「行きましょう、恭」
「……では、後ほど」
夫婦で低頭して奥へと進む。壁際に1人の老婦人の肖像画が飾られている。肖像画の婦人は瞳を静かに伏せたまま微笑んでいるが、これは彼女が視力を失ってから描かれたものだからだろうと推測された。
その周囲は薔薇を中心に季節の花に彩られ、その芳香が2人の鼻腔をくすぐる。
持参した花束とキャンドルを献花台に供え、2人は手を合わせた。
「初めまして。カサンドラ夫人。貴女の事を妻からお聞きしました。とても素敵な方だったと……願わくは一度、お会いしたかった」
恭一が静かに話しかけ、都は瞳を細めて恭一を見つめた後、肖像画へと視線を戻す。
「貴女と彼、三人でお話が出来る日を……ずっと夢見ていました」
『あなたは、彼に笑って欲しいのね。幸せでいて欲しいのね』
一昨年の晩秋、満月の下。初めて会ったカサンドラとの会話を思い出す。
『では、まずは誰よりもあなたが笑顔でいることね。そしてあなたが幸せでなければ』
交わした言葉は多くなく。あの日以降会うことも無かったけれど。
(あの満月の夜、貴女がくれた言葉は生涯私の胸に在り続けるでしょう)
「都」
恭一は都の頬を伝う雫をそっと人差し指で拭う。その指先の冷たさと反して伝わる優しさに都は更に涙を零した。
「お悔やみ申し上げます。お会いしたのは2度ですが、魂の美しさが滲み出た方でした」
己の部族に伝わる白い巫女装束に身を包み、そう言ってフランツに頭を垂れたのはエアルドフリス(ka1856)だった。
その横で同じように頭を下げたのは黒と白を基調としたゴシックドレスを違和感なく着こなしているジュード・エアハート(ka0410)。
「今回も駆けつけてくれたこと、感謝するよ。どうかゆっくりしていっておくれ」
普段とは比ぶべくもない弱々しい眼光に、エアルドフリスは思わず言葉に詰まる。
一切は巡り流れる。
(カサンドラ夫人も円環の彼方へ去ったが、いつか再び巡り来るのだと)
雨の精霊と歩みを共にするエアルドフリスにとってそれは自明の理。
(だが、一時の別れが辛くない訳もなく)
この世界において、長く生きるというのはそれだけ多くの縁者を見送ることに他ならない。
エアルドフリスは、ただ静かにフランツの心の安寧を願った。
「ご遺族はいらっしゃらないのですか」
「彼女には子どもがいなかった。この地の領主であった夫とももう40年も前に死別しているからね」
フランツからカサンドラの略歴を聞き、アウレール・V・ブラオラント(ka2531)は肖像画を見上げた。
旧帝国軍にいたというカサンドラの訃報は、彼の母親の耳にも届いていたらしい。どこからかアウレールがこの会に参列すると聞いた母から弔電を預かり、ブラオラント家を代表しての参列となった。
春、長患いの末に祖父を亡くし。先月末の戦いでは強化人間達……自分よりも幼い子らを手に掛けた。
立て続けに死と直面し、今こうしてダークスーツに身を包んだアウレールは、『生死』について深く考えざるを得ない。
長く病床に伏せり何事も儘ならぬ命。仕方ないの一言で散らされる幼い命。
一方で祖父と同じ激動の時代を駆け抜け、決して“楽”だけでは無かった晩年だったが、穏やかな最期を向かえた命。
「カサンドラ……貴女は、幸せでしたか?」
額縁の中の老婦人は何も言わず微笑んでいる。
その笑みにアウレールは静かに黙祷を捧げた。
静寂に包まれていた白亜宮に灯火が灯るような賑やかさが訪れた。
「ご無沙汰しています」
「おや、ユリアン殿、それに……ルナ嬢だったね。遠路遙々来てくれて有り難う」
ユリアン(ka1664)とルナ・レンフィールド(ka1565)が揃って会釈をするその後ろから、小さな足音が小走りに近付いて来る。
紫苑の花束を抱えた黒無地の着物姿の浅黄 小夜(ka3062)がフランツを見つけ、足を止めた。
「お爺ちゃん」
「小夜嬢も、来てくれて有り難う」
きゅっと柳眉を寄せた小夜は首を横に振って、小さく頭を下げた。
「いつかの音楽会で……見た星空も、薔薇の花も、とても綺麗で……少しのご縁だったけど、綺麗なものを……頂いたお返しに……」
「……有り難う。カサンドラもきっと喜ぶよ」
その後ろからカフカ・ブラックウェル(ka0794)と高瀬 未悠(ka3199)、そして鞍馬 真(ka5819)が続き、各々フランツに挨拶を済ませるとカサンドラの肖像画の元へと歩いて行った。
(種族柄、職業柄、見送るばかり。……解ってても悲しいものです)
ブーケを献げ、顔を伏せていたユメリア(ka7010)に、真とUisca Amhran(ka0754)の会話が飛び込んで来た。
「……前にここで演奏してからもう2年半か」
『ステキね』と子供のように喜んでくれたカサンドラと過ごした時間をまるで昨日のことのように思い出しながら、真は顔を上げる。
「かつてみんなと演奏した時のことが懐かしいですね……」
弔事用の巫女服に身を包んだUiscaが己の知る作法で冥福を祈り、顔を上げた。
「失礼ですが、お二人はこのご婦人と懇意でいらっしゃったのでしょうか?」
ユメリアの問いに、真とUiscaはきょとんと顔を見合わせ、緩やかに首を横に振った。
「懇意という程では無いけど……」
「以前ここに来たときには……」
そして二人は語り出した。最初にカサンドラから受けた『お願い』の話を。
『チェンバロをお借りしても宜しいでしょうか?』
『勿論よ』
カサンドラと最初に交わした短い言葉を思い出し、ルナはコツンとネームボードの角に額を当てた。
「またよろしくね」
一つ鍵を弾けば調律の行き届いた弦が震えて音を奏でる。
「こちらは準備OKだよ」
カフカが【S】の一人一人の顔を見つめ、頷く。
「では、ルナさん、お願いします」
竪琴を構えたユメリアがルナを見る。
「さあ、奏でましょう」
その視線を受け止めたルナが、鍵盤の上に指を落とした。
奏でられるのは聖堂教会で良く演奏されるレクイエムの一曲。
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、涙を誘う静かな旋律が室内に響く
レクイエムは外の薔薇園へも聞こえていた。
「あぁ、いい曲だな」
レイア・アローネ(ka4082)はサロンから聞こえる音楽を耳にして顔を上げた。
レイアはカサンドラとは面識が無い1人だ。
たまたま、ハンターオフィスでの話しを聞いて参列を決めた。
……ゆえに着慣れない喪服に動きづらさを感じなくも無いのだが、友人に選んで貰った手前、そしていくら世間知らずとはいえ、弔事にはその土地や文化に沿った作法があり、それに準ずる必要性は分かっているため、文句を言うのは控えた。
「人望のある方だったのだな……」
よく手入れのされた薔薇園を見て歩きながら、カサンドラのような人物が天寿を全うできたのは喜ぶことかも知れないと思う。
「カサンドラ……お逢いする事は出来なかったが……貴女のような者達が安らげるような世界を作る為に剣が振るえるのなら……それだけで私の人生も報われるだろう……」
何故剣を手にするのか。その理由を再確認したレイアは静かに泣き続ける空を見上げた。
(……どうか、安らかに)
しとしとと降る雨の中、ジャック・J・グリーヴ(ka1305)は一人薔薇園を散策していた。
ジャックもまた、カサンドラを知らない。
聖母と謳われていたというが、『要するにバァさんなんだろ?』程度の認識しか無い。
それでも来た理由。それは白亜宮とこの薔薇園を見るためだった。
この家の使用人らしき男が、説明してくれたところによると、この庭園自体はカサンドラの夫が作ったモノで、その死後はカサンドラが引き継ぎ世話を行い、彼女が盲いた後は村の有志達の手によって維持されてきたのだと言う。
「俺様は今んとこ花を取り扱った事ねぇし詳しい事ぁ分からねぇ。けどよ、その花を見りゃ育ててるヤツの心は何となく分かる気がすんだ」
(ここのバアさんは色んなモンを見て色んな感じ方をして欲しいと願ってたんじゃねぇかな)
そしてその意思を継ぐ人々により維持され、こうして色々な人々が訪れる場となっている。
一通り薔薇園を見終わり、傘を閉じると灰色の空を仰いだ。
「アンタの薔薇最高だったぜ!」
初夏の蒼天の如く、晴れやかな笑顔でそう叫ぶ。
悲しむだけが人を送るという訳では無い。最期ならばなおのこと、思いっきり褒めて送ってやりたかった。
金の髪に慈雨が水滴となって絡みつき、輝く。
ジャックは犬のように頭を振って水気を飛ばすと、再び傘を差した。
案内をしてくれた男は驚いた様にジャックを見ていたが、その視線を気にすることも無く、ジャックは白亜宮を後にしたのだった。
●
ジャックの叫び声に室内にいた人々は一瞬驚いた様に薔薇園側を見たが、暫くすると何事も無かったように各々視線を元に戻した。
(嘗てこの館で奏でた音楽を、在りし日の夫人はそれは嬉しそうな笑顔で聴いてくれた。トルバドゥールたる僕にとって最大の賛辞だったのを覚えている。今は貴女を偲び、曲を捧げよう……どうか天に向かう迄の標となる様に……)
「想いを継ぎ繋ぐ曲を……どうか天国のカサンドラ夫人の道標とならん事を……」
静かに穏やかに故人に想いを馳せゴールデンハープを爪弾く。
(初めてなのに懐かしい……)
初めて訪れたはずの白亜宮はまるで来たことがあるような既視感をユリアンにもたらしたが、それは恐らくここに来た事のある妹が詳細に音楽会の様子を教えてくれたからだろうと思い至る。
そんな妹は今回来なかった。
小さなハーブリースを二つ、ユリアンに託した。
夫人とフラット伯にと。
泣いてしまうから私の代わりに傍にと。
【S】の面々が奏でる音楽に耳を傾けつつ、ユリアンはフランツにハーブティを淹れていた。
薫り高いハーブティの茶葉。
特徴ある香草のブレンドに、フランツの私邸で飲んだものと同じであると気付いた。
(この機会も、会えなかった夫人の最後の贈り物なのかもしれない)
ユリアンは改めてカサンドラに感謝と哀悼を献げつつ、フランツの前にティーカップを置いた。
「……俺はまだ伯に何も恩返しができていません」
今この時間も、尊く。限りある機会と知るから、伝えたいとユリアンはフランツを見据えて告げる。
「及ばずとも何時でも馳せ参じます。貴方の為に」
ユリアンの決意を前に、フランツは眩しい物を見るようにユリアンを見た。
「……有り難う。その時は宜しく頼むよ」
そう返すフランツの笑みが、やはりいつもより覇気がないように見えて、ユリアンは微かに眉を顰めた。
【S】5人の音がそれぞれに共鳴し合う、その音色に未悠は感情が溶け出していくのが分かった。
(私は大切な親友達と離れたくない。想い焦がれるあの人とも……一日でも長く一緒にいたい)
フランツを見れば、彼女の愛犬でパートナーだったという大型犬と共に静謐な眼差しで奏者を見ている。
改めて、大切な人達を失うという恐怖を未悠はひしと感じていた。
だが、それ以上に。
(自分が死ぬ恐怖を感じるのは初めてだわ……)
未悠は喉の奥が締め付けられるような感覚に戸惑いながら、そっと涙を拭い演奏に耳を傾けた。
桃色の猫と音符の柄が愛らしい傘の下、ミア(ka7035)は幽き雨音に包まれながら薔薇を見て、ふとサロンの方へと視線を向けた。
「……いいニャぁ」
音楽を愛し、薔薇を愛し、他人を愛した人だからこそ、みんなに愛されたんだろう。
白亜宮の中で働いている人々、そして今日集まった人達。そして柔和な微笑みを浮かべた肖像画。
カサンドラがどう生きてきたか、どう親しまれていたか、彼ら見れば察することは出来た。
そして、その想いが伝わるからこそ、ミアは思い出さずにはいられなかった。
惜しまれること無く逝った、双子の兄のこと。
長老にも、両親にも、“その時”のミアにも。
「いつか、ちゃんと悼んであげられるかニャ……? ごめんなさいって……ありがとう、って……伝えられるかニャぁ?」
青い薔薇を見つけ、祈る。そしてミアは鞄からオカリナを取り出すと、サロンから聞こえるレクイエムに合わせて口を寄せた。
雨水を湛えた花弁は重みに小さく揺れて雫を払う。それはまるで瞬きと共に涙を散らすかのようだった。
●
Uiscaが想像していたより、50年前の音楽は案外簡単に調べが付いた。
……というのも、基本的に帝国は徐々に腐敗を増したとは言え、建国より皇帝に支配された独裁国家であったため、音楽の遍歴も辿りやすかったのだ。
一種の宮廷音楽のようなもので、今なお奏で続けられている曲も多くあるし、楽譜も手に入れることが出来た。
Uiscaは鈴を鳴らしながら、覚えたその曲を歌い始めた。
カサンドラに、そしてフランツに、古き佳き日を少しでも体感して貰うために。
それを下支えするのがユメリアだった。
『死は詩から志となりますように』
曲の持つ力で言葉を代弁し、悲しみ、悔やみ、感謝して。
感情を発露させ、全て洗い流してほしいと、ユメリアは竪琴を奏で続けた。
「……あぁ、懐かしい歌だ」
フランツの吐息のような呟きに、小夜は隣のフランツを見る。
「知ってる歌、ですか?」
小夜の問いに、フランツは目尻を落としたまま頷いた。
「……妻が、良く口ずさんでいた歌だよ。キャスとも良く歌っていたな……」
キャス、というのがカサンドラの愛称だということはこの時の小夜には分からなかったが、その表情からとても優しい記憶を思い出していることが察せられて、小夜は小さく微笑んで頷いた。
(私がいて何か出来る訳でもないかも知れないけど、お爺ちゃんはいつも私に優しくしてくれるから……お爺ちゃんの寂しい時くらい、側にいるくらいは)
「私の世界では、天寿を全うして……亡くなった人の場合……お葬式では、思い出話をして……優しく送り出す事もある、らしいから」
だから、聞かせて欲しいと小夜は微笑む。
そんな小夜の思いが通じたのか、フランツは少し寂しそうに微笑んだ後、亡き妻と、そしてカサンドラと過ごした思い出をぽつりぽつりと話し始めたのだった。
クリムゾンウェストにおいて、本来の寿命を全うできるということは少ない。
アーク・フォーサイス(ka6568)はその事実を身を持って知っている。
師匠が亡くなったときも寿命では無かった。
人は容易くその生命を散らす。それが事故でも、害されたものでも。
もう盛りを過ぎてしまった薔薇に目が留まった。先が茶色く変色した花弁が降雨の刺激に耐えられなくなったのか、はらりと地へと落ちた。周囲にはそれよりも茶色味を増した花弁が数枚落ちていた。
『人は必ず死ぬ』。それは、理解している。
「けれど、その必然までの時間を伸ばせるように、その時間までを健やかに過ごせるように……そうしたいと願った」
だから、ハンターになった。
命を護り、命を救うために。
そのためには心も体も強くならねばならないと自己鍛錬も欠かしていない。
だが。あのリアルブルーでの戦いは……
『みんなを狙う、わるものめっ!』
あの声が、悲鳴が、動かぬ手足を震え続けていたあの姿が、ふいにアークを苛む。
強化人間には自分よりも幼い子らもいた。
諦めたくない、生かしたいと足掻いたのは自分自身。
その全てを抱えていくと決めた――それでも。
「俺は……守れているだろうか。人の命を。俺の願いを」
激動する世界。激化していく戦い。
アークは伸ばした手で空を掴む。
雨を含んだスーツはすっかり重くなっていた。だが、それ以上にアークの心には自分への問いかけが鉛のように重く沈んでいった。
蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)もまた、リアルブルーでの戦いを胸に傘も持たずに薔薇園へと足を向けた。
「此処の主人は『聖女』と呼ばれたそうじゃ……共に逝くなれば、その旅路も賑やかなものとなるじゃろう……」
手にしているのはアスガルドの記念写真。この時は、あんな事態が起こるなど、誰が想像出来ただろう。
そこに写った笑顔のほとんどは失われてしまったか、眠ったまま未だ目覚めない。
自らが摘み取った花の命然り、彼らの命もまた自らが奪った。
戦う事を選んだ子ども達。目覚めぬ子ども達。失われた命。護られた命。力を持たぬ一般人。庇護を求める人々。
「命の重さに違いは無い……違いは無い」
何度も自問自答した。その度に出てくる答えは同じで、だからこそ亡くした笑顔は胸に迫る。
「美しい薔薇じゃ……生きて共に見たかった……と……願うは妾の傲慢と言うものよな」
蜜鈴は東屋の下まで来ると、指先に炎の蝶を纏わせた。
それを空へと放ち、見送る。
黒いベールの奥、熱を持った雫が頬を滑り落ちる。
遠くに聴こえる白亜宮からの鎮魂曲。静かな雨音。むせ返る様な薔薇の香り。肌に張り付く髪。重みを増したフォーマルドレス。
「聖母は賑やかなのが好きだそうじゃ……おんし等も寂しゅうなかろう?」
炎の蝶はゆらゆらと上空へと舞い上がっていく。
その姿が消えるまで、蜜鈴は瞬きもせずに見送った。
「誰もが幸せになるにはどうすれば良いのでしょうか。皆の本当の幸とは何なのでしょうか」
真の優しいフルートの旋律を聴きながら、アウレールがぽつりと零した。
何かを選ぶ度に悩み、いつも答えは得られない。
「難しい問いだのぅ」
フランツが落ちた言葉を拾い、すくい上げた。
「そうだのぅ……わしなりの答えを告げるなら、『命を脅かされない世界』が最も幸福なのではないかとわしは思っておるよ。ゆえに、わしはハンターの皆さんをささやかながら応援し、その活躍を伝えていきたいと思っておる」
何度精霊との契約を試みただろう。
だが、フランツはついに精霊と契約を結ぶことが出来なかった。
軍にいながら覚醒者となれなかった者の寿命は短い。だが、フランツはそれを情報と頭脳、そして人を使うことで現役時代を生き抜いた。
当時の帝国の内部が、歪虚よりも腐敗貴族の方が魑魅魍魎と化し跋扈していた時代だったのも幸いしたと言って良いだろう。
人間は人間とは戦える。
「個人の幸せなど、個人が勝手に求めれば良い物だ。だが、歪虚の脅威だけはただの人には荷が重すぎる」
「……なるほど」
『私は人を幸福に出来ているのか』
フランツの答えを聞いても、問い続ける声は消えない。
だが、それで良いのだとフランツの言外の肯定を受けたアウレールは再び舞台へと視線を戻した。
●
カフカは竪琴から横笛に持ち替え、横笛で小鳥の囀りの如く皆の音と祈りを導いて行く。
(僕らの想い、祈り、心……それらが一つの音楽となって今、貴女に贈ろう。カサンドラ夫人……貴女の黄泉路にも届いているだろうか……)
そんなカフカの演奏を継いで歌い始めたのはルナだった。
未悠の心は、包み込むようなルナの歌声に震えてしまう。
「……え? あれ……?」
涙が止まらない。どうしてなのかもわからない。
(ただ、あの人に会いたい)
焦燥感に駆られるように、次々に想いが溢れてくる。
――死んでしまったら彼の為に何も出来なくなる。
――彼の味方でいられなくなる。
力になれなくなる。
(ああ、ネグローリはどれほど無念だったのだろう)
御伽噺の中に出てくる全てが不詳の宮廷魔術師。
出会ったその英霊はただ一人の皇帝を愛し、また皇帝に必要とされていた。
だからこそ、きっと、余計に。
――死ぬのが怖い。
――あの人を独りにしてしまうから。
ルナの少し明るい声色で奏でられる、感謝の歌。
未悠はその優しい歌を聴きながら、ただ一人を想って黒いワンピースに包んだ己の身体を抱きしめた。
ルナの歌声は続く。
カサンドラの優しい面影を思い出し、暖かな太陽が夕焼けを残しつつ沈むのを見送るように、感謝の想いを音色にのせて。哀しみは堪えて、努めて少し明るい調子で。
初めて会った日の楽しかった思い出を、感謝を。想いを歌い上げる。
エアルドフリスとジュードにはここの音楽会と薔薇園で深めた絆がある。
初めてここに来た時、エアルドフリスはジュードの肩口に額を預け甘やかしてもらった。
二度目の時は音楽に身を任せ二人きりで踊った。
愛していると告げて、『名』を呼んだ。
三度目の今日。エアルドフリスにとって雨は親しいが……
月の綺麗な夜に歩いた時は軽やかだった足取りが今日は心なしかジュードには重い。
二人は手を繋ぎ、体を寄り添い薔薇園を歩く。
「寒くないかね?」
あの満月の下でかけて貰った言葉と同じだと気付いてジュードは思わず立ち止まって微笑み返す。
伸ばされたエアルドフリスの、自分とは違う節の大きな指先が冷えた頬を撫でる感触が心地良くて、思わず目を細めた。
「良い方だったね」
「……あぁ」
「それに相応しい穏やかな別れ方だと思ったんだ」
「……あぁ」
恐らく『幸福な死』とはこういう逝き方だろうとジュードは思った。
それでもやはり悲しいものは悲しくて、でもこの足取りが重いのはそれだけが原因ではない。
ジュードは身を屈め、ビロードのような花弁を雨露に濡らしている薔薇を見つめた。
「俺もこうやって大切な人達を遺していくんだろうね」
エアルドフリスが息を呑んだが、その気配は雨音が隠してしまってジュードには届かない。
『大切な人を遺して先に逝ってしまうだろう』
根拠などない。けれど、漠然としているのに確信めいたものはあって。
さらにこの空模様が自分の不甲斐なさを憂う気持ちを増長させる。
「エアさんが旅に出ているとき、離れた場所で俺が死んでもエアさんは悪くないからね?」
――願わくは。
俺が死んでも幸せでいて、愛しい人。
ジュードの切なる想いは深い慈愛を含んだ瞳だけが語る。
そのやわらかだがまっすぐな瞳に射抜かれたエアルドフリスにとって、ジュードを喪う時の事など想像でも苦しい。
(だが部族の生き残りとして巡り流れる使命を優先しているのは俺だ)
以前は歪虚を駆逐したら再び旅に出るつもりだった。
だがその決意が近頃揺らいでいる事に気付いている。
(ジュードと離れる事が本当に正しいのか)
答えはまだ出ない。
●
【S】の5人は演奏を終えると揃って頭を下げた。
五月雨のような静かな拍手が注ぐ中、自分を呼ぶ声にルナは顔を向けた。
「ユリアンさん……っ……!」
ユリアンの顔を見て緊張の糸が切れたのか、ルナの両目からは止めどなく涙が溢れてきた。
「やだ……私ったら……ごめんなさい」
留めようと目を押さえ、涙を拭うが逆に勢いを増すようについにしゃくり上げてしまった。
「ルナさん」
ユリアンの近付く気配に顔を上げようとしたその時、ルナの額はユリアンの胸にぽふっと納まっていた。
一瞬驚きで止まったものの、その暖かさに再び涙が溢れてくる。
「カサンドラ様に、歌、聴いて貰いたかったな……」
「うん。想いも音楽もきっと届くよ」
ユリアンの優しい声音と言葉にルナはついに声を上げて泣き始めた。
話した回数は少ない。ただ、いつも音を楽しんで下さる人だった。
良い演奏だったと笑顔で褒めてくれ、それが決してお世辞だけではないことが分かるくらい喜んでくれる人だった。
たった2回会っただけの人。だけれど、こんなにも好きになっていたのだとルナは初めて気付いた。
「少しだけこうさせて……」
「……うん」
ユリアンはルナの涙が止まるまでその背中を優しくポンポンとあやし続けた。
――暫く経って、ルナの涙が止まった頃。
ようやく顔を上げたルナは徐々に顔に熱が上がってくるのが分かった。
「ルナさん?」
軽くルナの肩に触れると、ルナは驚いた様にユリアンを見た。
「少し、外の薔薇を見に行こうか」
ユリアンの誘いにルナは頬をバラ色に染めたまま大きく頷いて返した。
「この歌を貴女に贈ります。 おやすみなさい。カサンドラ様……」
薔薇園にある東屋。慈雨で指濡らしつつ、都は竪琴をつま弾き始めた。
水により響きと深み増したハープの音に乗せしっとりと歌うのは、愛する人との別れを歌った歌。
一音一音に心を籠め奏でる旋律は、眠るカサンドラを木洩れ陽が優しく包みこむ様にどこまでも暖かい。
――天国で目蓋を開いた時、花と光に満ちた世界が貴女を包んでくれますように。
その音は、サロン内で紅茶を飲んでいた恭一にも届いた。
彼女と出逢った日、再会した日、夫婦となった日も雨が降っていた。
湿った花と翠雨の香り、そして都が紡ぐ音に、ふと過去を思い出し、恭一は静かに目を伏せた。
演奏を終えた真は会場をそっと抜け出して薔薇園にいた。
この2年半、真は沢山の死を見つめてきた。
真自身も死にかけたのは一度や二度ではない。そして、遂には子供を手に掛けた。
死に対しての恐怖も薄くなってしまった自分に気付いてしまった。
「……そんな私が、安らかな眠りを迎えた婦人を、送っても良かったのだろうか」
……こんな気持ちでいたら、婦人に失礼なのだろうけど、とひとつ溜息を零すと、罪悪感と居た堪れなさを抱えつつ、雨に打たれる薔薇を見つめた。
よく手入れされた薔薇は美しい。
野性味を残した薔薇もまた素朴に美しいものだが、薔薇は手を掛けたなら掛けただけ人工的な美しさを纏って咲くような気がする。
止まない雨に暫し全身をさらし続けた。
演奏を追えたUiscaが肖像画を見上げる。
やわらかに微笑む姿は、初めて会った日の少女のように笑った彼女よりややおすまし顔に見えた。
あの時も仲間と共に色々なジャンルの音楽を奏でた。
音楽に合わせて、色を付けたLEDライトを振ったり、アロマキャンドルを灯したり。鳴り物を身につけ、踊りと同時に音を奏でたり。
カサンドラが明暗しか分からない程に視力を失っていると知り、全身で音楽を楽しんで貰おうと工夫し合った。
「ここで再び演奏できたことに感謝します。カサンドラさんが愛した音楽をこれからも愛し、大切に歌い続けますね」
Uiscaの誓いに、カサンドラの肖像画が少女のように笑ってくれたような気がした。
カサンドラ・クスター。享年83歳。
『聖母』と呼ばれた彼女は、最期は眠るように息を引き取った後、18人のハンター達により音楽と花と涙に彩られながら見送られたのだった。
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出席者控え室(相談&雑談卓) カフカ・ブラックウェル(ka0794) 人間(クリムゾンウェスト)|17才|男性|魔術師(マギステル) |
最終発言 2018/06/17 07:22:18 |
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2018/06/17 07:20:38 |