ゲスト
(ka0000)
藤の園と秘め事の夜
マスター:音無奏

- シナリオ形態
- イベント
- 難易度
- 普通
- オプション
-
- 参加費
500
- 参加制限
- -
- 参加人数
- 1~25人
- サポート
- 0~0人
- 報酬
- 少なめ
- 相談期間
- 5日
- 締切
- 2019/04/26 22:00
- 完成日
- 2019/05/13 02:24
このシナリオは5日間納期が延長されています。
みんなの思い出
思い出設定されたOMC商品がありません。
オープニング
無人の庭園は静謐さだけを湛え、ほのかな月明かりの下、藤の花が風にそよぐ。
一面の紫はカーテンのように広がり、瀑布のように壮麗な花を咲かせている。
かつて10年の間荒廃気味だったこの場所だが、新たな主を得た後、数年をかけて再建されていた。
ひび割れた石畳は風情を壊さない程度に取り替えられ、廃墟同然だった母屋はかつての形を残しながら建て直しを、涼亭の欠けた屋根も補修された。
だが、誰もいないし、誰も来ない。
同時期、一つの依頼がハンターズソサエティに出された。
『とある藤の別荘にて、泊まり込みで夜間警備の依頼。
少額だが危険性はほぼ皆無、当日警備するハンター以外別荘は無人。
1~3人にて一日ごとにローテーション、現地に危険性はないことを証明することが目的。』
…………。
かの庭園は、かつて叶わぬ恋の元、名家の男が恋人を匿うために作られた。
男は実家に頼らず商いで金を稼ぎ、その金で女の愛した花である藤の庭園を作り上げた。
高い生け垣で覆われた庭園はたとえすばしっこい子供でも侵入を許さない、生け垣の奥には更に柵が張り巡らされていて、念入りに侵入者を阻んでいる。
唯一の出入り口はまるで裏口のような、花の装飾を施された小さな鉄扉。そこから生け垣に挟まれた細い道を通り、もう一つ鍵を開けてようやく秘密の花園に踏み入る事が出来る。
玄関の狭苦しさに反して中は広い、今は修復された白い石畳が伸び、少し歩けば藤の花が立ち並ぶ並木道が広がる。
そのまま直進すれば二人で気兼ねなく過ごすための程よい母屋、裏にはバルコニーがあり、その先には半径50mほどの池が広がっている。池を挟んだ母屋の反対側には小さな涼亭、枝垂れた藤によって覆い隠され、母屋側からはまずその存在に気づく事が出来ないのだという。
この別荘にはかつて歪虚が発生していたが、ハンター達によって討伐され、その経緯は報告書に認められた。
甥である若当主によって引き取られた別荘はその後、数年をかけて手入れされ、建て直されたのだという。
若当主はこの別荘を必要する人間に広く貸し出すつもりでいるらしいが、かつて歪虚騒ぎのあった場所だ。庭園に惹かれても経緯に尻込みする人間が絶えず、そんな若当主に、幼馴染であるという領主が手を差し伸べた。
「あの別荘はもともと領主が引き取るつもりだったんだ、利権とかそういうのじゃない、あの方はただ、少女趣味な物語が好きっていうだけで」
近衛であるシャルルが経緯を補足する、領主曰く、あの時は余り助けになれなかったから、今回困ってるなら助けてあげたかったとの事らしい。
「やる事は文面の通りだ、別荘に泊まり込み、特に何もない事を証明して欲しい」
ハンターへの報酬は領主の私費から支払われる。
危険があったら別途手当が出るらしいが、まずありえないとの事、数年かけた工事中だって特に何も起きる事はなかったのだ。
「泊まりは一組につき一日で構わない、武装も程々でいい、組分けは三人以下で好きにしてくれ」
持ち込む必要があるものは、見回りの時に使う灯りだけ。池と母屋には灯籠があるが、涼亭には置かれていない。
「徹夜の必要は……?」
「数時間ごとに見回りをしてくれれば、普通に母屋で寝てくれても構わない」
警戒してたから何もなかったなどと、ケチをつけられても困るのだ。隠居したつもりでのびのびと過ごす、それが一番依頼達成に近くなるだろう。
一面の紫はカーテンのように広がり、瀑布のように壮麗な花を咲かせている。
かつて10年の間荒廃気味だったこの場所だが、新たな主を得た後、数年をかけて再建されていた。
ひび割れた石畳は風情を壊さない程度に取り替えられ、廃墟同然だった母屋はかつての形を残しながら建て直しを、涼亭の欠けた屋根も補修された。
だが、誰もいないし、誰も来ない。
同時期、一つの依頼がハンターズソサエティに出された。
『とある藤の別荘にて、泊まり込みで夜間警備の依頼。
少額だが危険性はほぼ皆無、当日警備するハンター以外別荘は無人。
1~3人にて一日ごとにローテーション、現地に危険性はないことを証明することが目的。』
…………。
かの庭園は、かつて叶わぬ恋の元、名家の男が恋人を匿うために作られた。
男は実家に頼らず商いで金を稼ぎ、その金で女の愛した花である藤の庭園を作り上げた。
高い生け垣で覆われた庭園はたとえすばしっこい子供でも侵入を許さない、生け垣の奥には更に柵が張り巡らされていて、念入りに侵入者を阻んでいる。
唯一の出入り口はまるで裏口のような、花の装飾を施された小さな鉄扉。そこから生け垣に挟まれた細い道を通り、もう一つ鍵を開けてようやく秘密の花園に踏み入る事が出来る。
玄関の狭苦しさに反して中は広い、今は修復された白い石畳が伸び、少し歩けば藤の花が立ち並ぶ並木道が広がる。
そのまま直進すれば二人で気兼ねなく過ごすための程よい母屋、裏にはバルコニーがあり、その先には半径50mほどの池が広がっている。池を挟んだ母屋の反対側には小さな涼亭、枝垂れた藤によって覆い隠され、母屋側からはまずその存在に気づく事が出来ないのだという。
この別荘にはかつて歪虚が発生していたが、ハンター達によって討伐され、その経緯は報告書に認められた。
甥である若当主によって引き取られた別荘はその後、数年をかけて手入れされ、建て直されたのだという。
若当主はこの別荘を必要する人間に広く貸し出すつもりでいるらしいが、かつて歪虚騒ぎのあった場所だ。庭園に惹かれても経緯に尻込みする人間が絶えず、そんな若当主に、幼馴染であるという領主が手を差し伸べた。
「あの別荘はもともと領主が引き取るつもりだったんだ、利権とかそういうのじゃない、あの方はただ、少女趣味な物語が好きっていうだけで」
近衛であるシャルルが経緯を補足する、領主曰く、あの時は余り助けになれなかったから、今回困ってるなら助けてあげたかったとの事らしい。
「やる事は文面の通りだ、別荘に泊まり込み、特に何もない事を証明して欲しい」
ハンターへの報酬は領主の私費から支払われる。
危険があったら別途手当が出るらしいが、まずありえないとの事、数年かけた工事中だって特に何も起きる事はなかったのだ。
「泊まりは一組につき一日で構わない、武装も程々でいい、組分けは三人以下で好きにしてくれ」
持ち込む必要があるものは、見回りの時に使う灯りだけ。池と母屋には灯籠があるが、涼亭には置かれていない。
「徹夜の必要は……?」
「数時間ごとに見回りをしてくれれば、普通に母屋で寝てくれても構わない」
警戒してたから何もなかったなどと、ケチをつけられても困るのだ。隠居したつもりでのびのびと過ごす、それが一番依頼達成に近くなるだろう。
リプレイ本文
軋む音を立てて、アティ(ka2729)の目の前で鉄の格子扉が閉まる。
鍵は渡されていたけれど、外から中が見れないように、中からも外を伺う事は出来なかった。
本当に隔絶した場所なんだなと改めて思い、アティはキヅカ・リク(ka0038)と連れ立って庭園に歩みを向ける。
今日だけ、今日だけで良かった。
少しだけリクを戦場から引き離したかったから。
到着早々見回りに行こうとする彼を引き止め、我儘と称して厨房に引っ張り込む、たじろぐ彼から献立の要望を聞き出すと、彼も観念したのか、料理の手伝いを申し出てくれる。
「少し話をしない?」
眠れないと正直に告げたけれど、彼を一人にしたくないのも強かった。了承したリクにハンターとして戦う理由を尋ねられて、アティは迷う事なく即答した。
「幼馴染のため」
前しか見ない人だった、色んなものを振り捨てて、その内一人になってしまいそうだったから追いかけた。
かつてはその子がアティにとっての全てだったのだと、アティは翳った笑みを見せる。
「キヅカ君は? 君はどうなりたい?」
「それは――考えた事がなかった、というか……」
考えたくなかったと白状の言葉が零れた。
がむしゃらになれるのは未来を考えてないから、この場限りの命なら、幾らでも貪欲になれる。他に選択肢などないと思い込めば、戦う事に怯える必要だってないのだ。
アティが息を詰め、リクはそれに視線を向ける事なく目を伏せた。
もう少しこのままでいる事を許して欲しい、生き残ったら、明日<ミライ>の話をするからと。穏やかに語る背中にアティが抱きつく、リクはそれを怪訝に受け止めて、どうしたのかと困惑気味に問うた。
「アティ? ……怖いのか?」
顔は見えなかったけれど、アティは震えていたから。ぐしぐしと背中で泣く彼女に手を添えて、大丈夫だよとリクは語りかける。
「大丈夫、君はその大事な人の処に帰れるよ」
その未来はちゃんと僕が切り開くから、そう語る彼にアティはぶんぶんと首を横に振った。
「そうじゃない……」
戻るなら二人一緒がいい、君の明日が来るまで、私が君を護ってあげたいと思うのだ。
+
庭に溢れる光がGacrux(ka2726)の目を眩ませる、世界から切り離された庭園は平穏で、なのにどうしようもなく行き場がないと感じてしまう。
囲われたこの場所を鳥かごのようだと思う、囲われた女は幸せだったのかどうかと考えたが、どの道未来を望めない時点で認めがたいのだと、Gacruxはため息混じりに思考を振り払った。
駆け落ちの相場は悲劇だと決まっている、だから手段も結末も、どうしても厭うてしまう。
愛する人には未来をあげたくて、彼女にもそれを望んで欲しいと思っているのだ。
その望みについてはまだ手を伸ばしてる最中だから、苦々しく想うしかないのだけれど。
何ら口にする事なく、ぼんやりと庭の見回りを続ける。
安全は確認したけれど、この庭の曰くは人を選ぶだろう。
閑静と許容の庭、でもGacruxが望んでいるのはこのようなものじゃないと、それだけを心の内で確信していた。
+
甘やかな微笑みを浮かべて、エステル・ソル(ka3983)は兄の腕を取る。
形式的には庭園の見回りだったが、実際のところはデートと言って差し支えがない。
甘えを隠さない妹に対して、アルバ・ソル(ka4189)は少し笑みを零して好きにさせた。なんといっても独り立ちの元暫く家を離れていたのだ、このような時間を取れるのは久しぶりだったし、妹が多少甘えたがりになるのも致し方無いと思えていた。
妹に手をひかれながら藤の間をすり抜けていく、花が綺麗だとはしゃぐ妹は、湖の畔に出るとまた別の声を上げた。
「見てください、兄様!」
こっちも綺麗ですとエステルが水辺へと駆けていく、花を映した水面が風に揺れ、神秘的であると同時に爽やかさも感じさせる。
「兄様、私池の上でダンスしたいです!」
怪訝な顔を向けるよりも早く、二人分のウォーターウォークをかけたエステルが、自分の手を引いたまま湖の上に踏み出していた。
少し緊張はあったけれど、妹に誘われるまま踏み出すとちゃんと二人とも水面の上に立つ。二人して水面の上を進むと、無邪気に笑う妹がくるりとダンスのステップでスカートを翻した。
「わたくし達も花びらになったみたいですね、兄様!」
妹に乞われるまま、暫しダンスの相手を務めた。はしゃぐ時だけは少しだけ幼少に戻ったようだけれど、妹はもう立派なレディなのだから、ダンスホールから下がるのと同じ要領でエスコートして岸に戻る。
この後、妹の用意した弁当が自分たちを待ち受ける、要望を聞くと決めたからには、妹のあーんも受けて立たなければいけないのだろう。
……夜になっての添い寝要望は、流石に少し考え込んだのだけれど。
+
彼の側はいつだって賑やかだったから、唐突の二人っきりが少し新鮮で、緊張すら募る。
時音 ざくろ(ka1250)が肩に触れると、アルラウネ(ka4841)は少しだけ息を詰めて、紅潮した顔と共に体を預けた。
庭園が持つ力だろうか、二人で過ごす時間は遥かに穏やかで、起きるアクシデントも少し躓くのを支えてもらったりなど、お互いを想い合いながら距離を縮めるものに留まっている。
思いの他近くなった距離に二人の言葉が消え、既に重ねた思いの元、二人は顔を寄せて最後の距離を詰めるのだ。
テラスで寛ぎ湖を眺める。いつも皆と一緒にいたから、たまには二人っきりも喜んでもらえるんじゃないか、彼が赤くなりながら口にしたそれにアルラウネの愛しさが溢れる。
その特別さをくれようと思った事がたまらなく嬉しい、彼が愛の深い人だという事は知っていたけれど、それを今日は一人で受け止めればと思っている。
「すごくいい所だよね、藤園は綺麗だし、静かだし……世界が無事に平和になったら、こういう所で暮らすのもいいかもね」
実現するとしたらもう少し広い場所が必要だけれど、愛する人たちに平穏とした世界を与えたい、ざくろはそんな漠然とした思いを抱いていた。
夜間、二人用のベッドに横たわって手を繋ぐ。
頻繁にしている事なのに、こんなにも緊張するのは二人しかいないからだろう。
アルラウネは皆と共にいる賑やかさを好んでいたけれど、二人しかいないと、ざくろしか目に入らないから落ち着かない。
まるで改めて恋をしたように、重ねた指に力をこめて、そっと胸前に引き寄せた。
+
大体こうなるのだという予感はあった。
母屋に到着して早速状況の確認、処理した方がいい事柄を洗い出して、順に手をつけていく。
やらなきゃいけない事柄は本当は少ない、なのに何かに追い立てられるように、言われてない事までやってしまう。
精力的に働くアウレール・V・ブラオラント(ka2531)の後ろを、文句一つ言わずにツィスカ・V・アルトホーフェン(ka5835)がついていく。
時々気まずい様子を見せるのはどっちかというとアウレールの方で、ツィスカはそれに気づかず、仕事の合間にもどこかに思いを馳せる様子を見せる。
ツィスカは自分のような仕事中毒にさえついてきてくれて、それを有り難く思う一方で、言い訳のような気持ちがアウレールの心に浮かぶ。
大切に思っていない訳じゃない、この場所を仕事としか見ていない訳でもない。ただ考えたくないだけで、その結果逃げるようにして仕事に没頭していた。
点検洗濯掃除、全てやった。後は洗濯物が乾くのを待つだけで、仕事がなくなった今、何か言うべきなんじゃないかと心が自分を叱咤する。
「……見回りに行こうと思うのだが」
お供しますと返されて情けない気持ちになる。間違った事はしていないと断言出来るのに、後ろをついてくる彼女の存在がどうしても心を引くのだ。
…………。
頼まれた仕事をこなす合間、ツィスカは庭園の結末に思いを馳せる。
彼らはどのような気持ちでこの場所にたどり着き、どのような気持ちでここで過ごしたのだろう。
窓枠に布巾をかける自分の目の前を、藤の花びらが散っていく。
その言葉は「決して離れない」、死がふたりを分かつまで……そんな言葉が苦味と共に浮かんだ。
アウレールと共に歩いていきたいと思っていた、出来ると思っていた。
なのに彼は守護者になってしまって、だからだろうか、遥か先に行かれてしまったような錯覚を覚えてしまう。
ロマンチックな庭園だけど、アウレールがいつもと変わらず、次々と仕事を頼んでくれる事も今はどちらかと言えば嬉しい。
一介のハンターに過ぎない自分でも彼に必要とされているようで、複雑な心境をごまかす事が出来るのだ。
●夜
見回りのために夜の別荘を抜け出す、浅黄 小夜(ka3062)の宿直は一人、仕事だし、誰も咎める人はいないのだけれど、夜歩きに似た感覚が少しの興奮と高揚を心に潜ませた。
母屋の鍵はしっかりと握りしめられている、今日だけ、今日だけはこの庭園を好きに歩きまわっていいのだ。
かつてこの庭に来た時、小夜は戸惑うばかりだった。
恋の熱なんて知らなくて、突き動かされるような衝動もわからなくて、行き着いて散っていく結末を前に立ち尽くしていた。
当時思っていた幸せは、家族と共に日常を回す、そんなありきたりでかけがえのないものだったと思う。だから、生まれた世界に背を向けて、二人で飛び出す気持ちに追いつけなかったのだ。
夜の庭に一人、空っぽで誰もいなくて、だからいくらでも思い描く余地がある。
一緒に過ごしたい人はいっぱいるけれど、最初に来て欲しい人は一人しかいない。
「――」
少し足りない勇気と共に、溢れる思いは言葉にならず消えた。だって此処は閉じた庭だから、あの人を連れ込む事は出来ない。
もしも、もしもだけれど、あの人が来てくれるというのなら、小夜は間違いなく喜んだだろう。
喜んで、でもいつかはあの二人みたいに、この庭を出ていくのだ。
+
ジュード・エアハート(ka0410)がランプを上げると、藤の花がかすかなオレンジを帯びる。
綺麗な場所、そんな風に振り返って笑いかけると、エアルドフリス(ka1856)が穏やかな笑みを返した。
涼亭までたどり着いて、二人してランプを置いて腰掛ける。藤の花幕があり、湖から母屋まで一望出来るこの場所はいいロケーションだと思う。
涼やかな風が安らぎを促すようで、ふと思いついたようにジュードがエアの袖を引く。
だってこんなにも優しさに満ちた場所だから、自分こそが彼を包んであげたくて、ジュードは自分の膝を叩くのだ。
エアはプライドにたじろぎ、ジュードは建前にまみれた抵抗を捨てさせようと迫る。
自分より余程意志の強い恋人にエアが逆らえるはずもなく、結局は細くて滑らかな感触の腿に身を沈める事になった。
ぎごちなさは時間によって溶かされる、この場所はかつて結末がついた地であり、逃避が作った許容の庭と、そこで散った結末の話をエアはぽつぽつと語った。
話の先に、一つの結論が見える。まだそうすると決めた訳じゃない答えが間近に迫る。
エアの心情をどこまで汲んでいるのか、悪魔の囁きのようにジュードが呟きを零した。
「こういう場所で好きな人が来るのを待つのも悪くないかも」
「――」
側にいると決めたはずなのだ、なのにどうしてジュードの言葉を振り払えないのだろう。
彼を置いていくなんてありえないと、そう言うべきなのに。
「ジュード、俺は……」
伸ばした手がジュードの手を掴む、エアが贈った指輪が彼の指で輝く。
冷たい感触を華奢な指ごと握り込んだ、この手を離したくない、なのにそうしている限りは、他のものを拾えないのだと心の隅が囁く。
ジュードこそがエアの至宝、他に何を欲張るというのか。
離したらかつて喪った何かのように、二度と掴めないかもしれない。掴み続けてれば彼一人を護るために力を尽くせると、そう言えるかもしれないのに。
頷けない自分がいる、迷いは裾を引かれるように似て、自分と繋がったままのものをどうしても振り払えない。
しかし、エアにはそれを許せとジュードに言う気概すらないのだ。
「……俺に望んでよ、エアさん」
出来ない、だって勇気も、覚悟も、貪欲さもまるで足りていない――。
+
見回りなら自分が全部請け負う、そんな事を言い出すユリアン(ka1664)にルナ・レンフィールド(ka1565)は正論で迫った。
「二人で受けたお仕事ですよね」
「……うん」
でも、軽い内容だから睡眠を削ってまでルナが付き合う必要はない。思いはしたけれど、行きますと言い張るルナにユリアンは黙って頷いていた。
相談の結果、ルナは少し早めに仮眠を取り、深夜から夜明けにかけてユリアンと見回りを行う。
ちゃんと迎えに来てくださいねとルナはいたずらっぽく釘を刺して、夕方ごろに自分に割り振られた個室に引っ込んだ。
ユリアンは一人取り残される、あたりは静かで、なんというか落ち着かない。気を抜けば彼女の吐息でも聞こえて来そうで、意識を別の場所に追いやるのに必死だった。
時間になって彼女を呼び、夜の庭に出た。
空気は薄く張り詰めていて、いつもより近い距離なのに、二人してそれに気づかない振りをする。
気晴らしのように問う戦いが終わった後の話、命を落とさなかったならと付け加えて、ユリアンは師より教わったものを持って、各地を旅して薬草を探し集める事を考えていると語った。
命に触れる、そんな言葉が思考に浮かぶ。
師が語るところによると、薬草自体一つの命で、それを使って触れようとするのもまた命で、最終的に、馳せるイメージは久しく会ってない家族へと行き着く。
「母さんがね、似たような事をしてたんだ」
でも結婚してユリアンを身ごもると、母親は旅をやめて育てる方向に転向した。
命を、家を、……ユリアンを。
親がした選択に挟める言葉などない、ただ、選択肢を奪ってしまったように感じるのは、ユリアンが留まる気質でいられないからだろうか。
「ユリアンさん、私は」
音を探しに世界を巡りたい、でもそれを言った瞬間見送られるのは絶対に嫌だったから、ユリアンさんの旅に連れて行ってくださいとルナは間髪入れずに迫った。
かつての話に挟める言葉はない、しかし抱いた意志を見せる事は出来る。
ユリアンから直答はなかったけれど、驚きと共に考え込む気配はしていた。
夜は少しずつ薄くなり、輝く色合いは藤の花の色のようで、ルナの瞳でもある色をユリアンは黙って見つめ続けていた。
+
イルム=ローレ・エーレ(ka5113)が恭しく自分をエスコートする素振りを見せる。
照れくさいのだけれど嫌ではなくて、メアリ・ロイド(ka6633)はくすりと笑って差し出された手を受け取った。
自分をこんな風に扱うなんて物好きだなと思う心もあるのだけれど、素直に受け取らせる物腰があるから、メアリはイルムを尊敬している。
自分を顧みて凹みそうになるのだけれど、それにも目ざとく気づいて、イルムはメアリの手を握って励ましてくれるのだ。
その一句一句がどれほど嬉しい事か、感謝の気持ちは溢れるばかりだから、礼を告げて、メアリは二人だけの居間で気持ちをこめてお茶を淹れる。
最近覚えた、そう悪戯っぽく言えばイルムは心底素晴らしい事であるとばかりに称賛してくれるのだ。
二人で夜の見回りに出る、持ち出したカメラは何もないという証拠のためだと言っていたけれど、イルムはメアリに隠すことなく「本当は来れなかった友達のため、そして麗しいメアリ嬢の姿を残すため」と笑っていた。
釣られてメアリもカメラを持ち出してしまって、イルムと共に撮る事を許してもらえるかと問えば、何を当然とばかりにイルムが頷いた。
「だってボク達は友達だし、思い出は大切なものだろう?」
ならば色々な形で残しておけばきっと幸せも増す。記憶が色あせても、残された絵姿はきっと何度でも気持ちを思い出させてくれるのだ。
途中、散った花びらをいくつか拾い、メアリはそれを手帳の中に丁重に仕舞い込んだ。
これが乾燥するまでにはまだ時間が必要だろう、出来上がったら、一つを栞にしてイルムにも分けるつもりだ。
「藤の花言葉には、『決して離れない』というのもあるそうだよ」
逸話の事も考えれば、深い愛情を感じるよねと語るイルムにメアリは頷きを返す。
「私は」
イルムさんのような凛々しくて真っ直ぐな騎士になりたいのですとメアリは零した。
言われたイルムといえば珍しく迷う素振りを見せて、それでも尚、いつもと同じような真摯な言葉で語りかけてくれる。
「ボクは君が思うほど立派ではないけれど」
でも、君の期待に恥じない振る舞いが出来ればいいと思っている。
+
寝室からでも藤は見れる、二人用のベッドに腰掛け、窓一面に広がる藤を見ながらユメリア(ka7010)は感嘆の吐息を漏らした。
表の光源も寝室には届かないようで、月明かりを受ける藤が夜景の中で皓々と際立つ。
幻想的な光景を損なわないように灯りはなく、真っ暗な寝室の中、傍らに座る高瀬 未悠(ka3199)の手がユメリアに触れた。
言葉はない、代わりにかすかな笑みと吐息を転がして意思を交わす。景色に対する感想など、もうわざわざ口に出さずとも通じてしまう。
言葉を交わすのが嫌いな訳じゃない。むしろかけがえがなく、とても大切に想っている。でも時には言葉のない距離感が愛おしくて、手指だけがシーツの上で重ねられた。
沈黙だからこそ、ユメリアからの想いは強く感じられる、藤の精のような彼女が、かつて隠していた心で寄り添ってくれることを、未悠に何よりも喜ばしく思う。
…………。
彼女――未悠を見つめるこの感情は、きっと歓びだと言われるのだと思う。
ユメリアはこれほど自分が詩人である事を僥倖だと思った事はないだろう、守護者としての彼女の思いを、耳に挟む事が出来たから。
彼女の温もりに憧れのような感情を抱き、前を見つめる彼女の輝きに、眩むような思いをしていた。
……少しだけ、貴女の手を引くのを許してもらえますか。
彼女の想いに自分の色があって嬉しかったのだ、その気を引きたがる自分が罪深いように思えて、でも今までしなかった我儘をするように、彼女の優しさに甘えてしまう。
少しでいいから、振り向いて欲しいと思ってしまう。
その紅玉のような瞳に、私の思い募る淡青を映して欲しい。
混ざれば藤色で、それは叶わぬ思いの色になってしまうけれど。そんな事わかってるのに、それすら受け止められるくらいに強くなりたいと思うのだ。
おかしいとわかっている、自分らしくない、でも、藤の花言葉は『恋に酔う』だから。
「戦いが怖いと言ってた貴女は、私の背中を護ってくれた」
彼女からの囁きに目を見張る、驚く表情を浮かぶ自分を慈愛深く見つめて、彼女はくすりと笑った。
「そんな貴女を、守りたいって思ったの」
……きっと、私にとってはそれで十分だった。
触れただけの手指を繋ぎ合う、彼女の手に身を任せて、囁きかけられる子守唄に自分の音色を重ねた。
貴女に捧ぐのは慈愛と敬愛の音色、いずれ体は寝台に沈み、歌声も途絶えるだろう。
月と静寂と想いに包まれて、藤の夢を見よう――。
+
庭園に怪しいものなどない、機械指輪まで使って鞍馬 真(ka5819)が何度も見回った。
これが最後になるだろう夜中の巡回で、真はようやく一息をつく、念の為軽い武装までしたけれど、恐らくこのまま芝生に寝転がったところで危険などないだろう。
本当にそうしてみるのもいいかもしれない、そんな事を考えながら真は夜の庭園を散策する。
他に誰もいないのだから気恥ずかしさを意に介する必要もない、湖の畔を歩きながら、真は歌を歌う。
庭園は一人だと空虚過ぎたけれど、どこか心地よさも感じていた。
静けさに漂白されるかのよう、許容の庭は停滞で真を包み込む。隠居するならこんな場所がいい、引退した後、誰もいない場所でこうして朽ちていくのも悪くない。
歌の最後のフレーズはなんだっただろうか、確か、私は一人になって――。
「……疲れてるな」
思い出すのを諦め、ぽふんと芝生に倒れ込んだ。
視界の端で藤がたなびく、葉擦れの音は波のようで、張り詰めた思考を静かに落ち着けさせた。
引退を考えるのはまだ早い、これも、短時間で色々ありすぎたせいに違いない――。
+
わざわざ違う場所で夜を過ごそうと思ったのは、ハンス・ラインフェルト(ka6750)にとってどのような心情からか。
彼女に対して思うところなどない、ないからこそ、かつて誰かの想いがあったのだろう母屋で彼女と共に過ごすのは酷く不釣り合いに思えた。
庭を一望出来る涼亭に腰を下ろし、此処で仕事を果たそうと三味線を爪弾く。距離を置いて俯瞰する、その立ち位置が今の自分にとても馴染んだ。
彼穂積 智里(ka6819)が母屋についたのも、自分を探しに外に出たのも、自分を見つけて、引き返して、母屋に入っていったのも全て見えていたし気づいていた。
だからなんだというのか。
彼女は自分と関係ないただの他人だ、いや、かつては違ったらしい、でもそれはただの記録だとしか感じられず、どこにも実感を伴わない。
馴れ馴れしくさせる理由も、懐に入れる理由もなかった、自分の心は剣にしか向いていないのだから。
…………。
そんな事、智里にだってわかっている。正しく言えば、わからないのに思い知らされた。
彼の腕を取ろうとしたのだ、自分に許された距離が、変わる事はないと思っていた。
なのに振り払われて、家を追い出されそうになって、必死で呼びかけた結果、記憶と記録がギリギリ関わりを繋ぎ止めた。
悲しくて、ショックで、心に冷たい風が吹き荒ぶ。
絆はかつてのものになり、今はもう手を伸ばしてはいけない、だから智里は自分に許された距離で、彼と共にいる。
彼を見つけて、一度母屋に戻ると、彼のためにおむすびを作った。
彼の邪魔をしないようにひっそりと近づき、いずれ気づくだろう距離に、そっとそれを忍ばせる。
「貴女が私と同じ依頼を受けるとは思いませんでした」
一方的にかけられた声に体が竦む、返事は出来なかった、自分に許された領域を超えてしまえば、また追い出されるかもしれないから。
返事を求められている訳ではなかったのか、彼は意に介する事なく、手元の酒盃を呷った。
まるで気にかけられてないようで、心がくしゃくしゃになる。
――そんなの、今もあなたを思っているから。
求められていない言葉は心の中で壁に投げつけられて、足元に転がり、見えなくなった。
+
時折窓から外を眺め、灯(ka7179)は居間で寛いだ時間を過ごす。
大分遅い時間だけれど、二人とも眠る様子はない。白藤(ka3768)が言うには「仕事やしな?」との事だけれど、彼女は悪戯っぽく笑っていたから、建前が大いに含まれているとすぐ気づいた。
ソファにもたれかかる白藤を横に、灯は外へと視線を戻す。感嘆が吐息として漏れて、藤の美しい姿に思いを馳せるのだ。
「昔……愛した人が、私に似た花だって言ったんです」
あの時は意味を聞けなくて、今はもう聞く事すら出来ない。どういう意味かわからなくて惑うけれど、好きな花に喩えられたのは溢れるほどに嬉しかった。
「そうやね……」
答えを求められている訳ではない、そんな事はわかっているし、白藤にだって正解はわからない。
でも友人が惑うなら、少し手を引いて、方角を示してあげるくらいは出来るのだ。
「藤は……優雅や柔らかさと聞いた事があるわ」
そうなって欲しいと、名付けられた自分が今はコレなのだけどと、白藤は少しおどけるようにして笑った。
でもきっと素敵な言葉だ、大切な人はきっとそれを灯に贈った。言葉はなく、少し遠い目になった灯の側に寄り添って、今でも愛してたと言える灯りが羨ましいのだと、笑みに少し翳をにじませた。
白藤がくるりと姿を翻す、暗くなるなんて自分らしくなくて、灯にもそれを気づいて欲しくなくて、暗い気持ちを振り払うようにして厨房へと向かう。
夜を過ごすのはわかっていたから、そのために持ち込んだいくつかの飲み物。
仕事中だからアルコールは控えて、代わりのもので透き通る青の液体を作りグラスに注いだ。
「三月生まれの灯に似合うカクテルやとおもわん? 飲んだってな」
美しい色に見入ったのか、彼女が息を詰めて礼を言う。グラスに唇が寄せられるのを見て、白藤は満足げに微笑んだ。
二人でアルコールのない酒盛りをして、ふと灯が内緒話をするように小さく尋ねてくる。
「白藤さんは、何の花が一番好きですか、今は」
「それは……まぁ」
思いを込めて名付けられが白藤はやはり特別で、隊を象徴する赤薔薇も大切に思っている。
でも、好きというならそれだけに留まらない、明かすべきかどうかとても悩んで、恥じらいだって抑え込む必要があって。大切な友人が知りたいと思ってくれたのだから、葛藤の末心を見せるべきだと決心したのだ。
「……椿」
吐息に紛れる言葉を、彼女にしか聞こえないように耳元で囁いた。
理由なんて説明させないで欲しい、もっとも灯ならば察しているのだろうけれど。
白藤の恥じらいを灯は微笑みと共に受け止めて、では彼も誘わなくてはと優しく笑いかける。
夜を明かし、色々片付けた後に昼前で宿直を引き上げる。次のハンター達に鍵を渡し、それで一日分の仕事は終了。
次を引き継ぐ相手が誰かはわかっていた、外に出た白藤たちは彼女たちに鍵を差し出して渡し、すれ違いざまに小さく激励の言葉を交わした。
「よい夜を」
そう言って灯は抱えていたレモンシロップを相手に瓶ごと渡し。
「蜜鈴が無理せんよう、見張っといてな?」
白藤は微笑んでミア(ka7035)に小さく手を振った。
…………。
友人たちと話せたせいか、室内の空気は少し浮ついていた。
昼の合間に蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)は厨房で食事を作り、夜になってそれを持ち、ミアに「出かけるか」と声をかける。
藤の花見、見回りなら少し前に済ませたから気兼ねする必要はどこにもない。
月を見上げて花のさざなみに耳を傾ける、身を浸す空気が穏やかで心地よくて、傍らに大切な友人がいる事が何よりも蜜鈴の心を満たした。
ふと視線を向けるとミアがシェイカーを用意している、気づかれたミアは蜜鈴にえへと笑いかけ、ノンアルニャスよ~と言いながら振り始める。
蜜鈴にも差し出された酒盃に注がれた液体は少しとろみのあるオレンジ、「シンデレラ」という名のカクテルだとミアは胸を張った。
本当はお酒が良かったのだけれど、一応は警備中。だからシンデレラの如く、雰囲気だけでも魔法にかかったかのように酔ってみたいのだとミアは語る。
口にしたカクテルは甘めで濃くて、芳醇だった。酒精などなくとも礼儀とばかりに蜜鈴は流し目を作り、口当たりの余韻に身を任せる。良い腕じゃと呟くと、ミアは更に機嫌を良くして笑みを深めた。
夜風にあたりながら藤を眺める。
持参した弁当も程々に減ってきている、ミアは蜜鈴が作った茄子の煮浸しを頬張りながら、最近茄子を見ると既視感を覚えるのだと語った。
夢なのだろうか、だとしたらとても幸せな夢な気がする。どんな幸せだろうと考えて、でもミアの考えはすぐ違う方向に引っ張られた。
「蜜鈴ちゃんは今、幸せニャス?」
蜜鈴は心の内に沈み気持ちを確かめるような素振りをする、大切な物を一つ一つ数えて、妾の幸せはすぐ傍にいるのだと語る口ぶりはどこかつかみどころがない。
白藤と灯、そしてミア。これを伝えて重荷を背負わせたい訳ではない、彼女達がしてくれたのは、蜜鈴を気にかけ案じるという些細な事で。些細な事だけど、それだけのことで蜜鈴は世界が輝くような思いをして、それが蜜鈴を変える切っ掛けにもなった。
わかっていたのだ、自分は弱い、だから何気なく渡された気持ちにも縋りたくなってしまう。
自身を微力だと称する灯にさえ、自分は芯の強さで負けてしまうかもしれなくて。
寄りかかっては行けないと自身を律する必要があるから、蜜鈴にとっては、彼女たちが目の前にいて、笑ってくれるだけで幸せと言う事が出来た。彼女たちが月であり太陽であり、照らす光だった。
語りながら、蜜鈴はミアの手を引いて母屋に戻る。
「独り、怖いニャス?」
ミアの問いかけに、蜜鈴はふと苦笑をして否定をしなかった。
その通りだとも、でも強がりでもあるのだ。
「ミアは……未来に何を願う?」
「みんな一緒に」
短く答えて、ミアは引かれた手を強く握り返した。
「だいじょうぶニャスよ。“同じ時”を、これからも過ごそうニャス♪」
ミアが明るく笑うから、蜜鈴は眩しげに目を細める。気遣いに礼を告げて、二人でダブルの寝床に潜り込んだ。
吐息が触れ合うほどに近い、蜜鈴を安心させたいとばかりにミアは手を握ったままで、夢に半ば沈みかけながらも語りかける。
「ミアが傍にいるのに……つまらない思いニャんて、させニャいニャス……」
どこまで想い深い言葉に蜜鈴の笑みが漏れた。蹴られてずれた布団を掛け直し、ミアの髪を一房手に取って唇を寄せる。
「おやすみ、妾の太陽……目覚めと共に、また明るい笑みを見せておくれ」
鍵は渡されていたけれど、外から中が見れないように、中からも外を伺う事は出来なかった。
本当に隔絶した場所なんだなと改めて思い、アティはキヅカ・リク(ka0038)と連れ立って庭園に歩みを向ける。
今日だけ、今日だけで良かった。
少しだけリクを戦場から引き離したかったから。
到着早々見回りに行こうとする彼を引き止め、我儘と称して厨房に引っ張り込む、たじろぐ彼から献立の要望を聞き出すと、彼も観念したのか、料理の手伝いを申し出てくれる。
「少し話をしない?」
眠れないと正直に告げたけれど、彼を一人にしたくないのも強かった。了承したリクにハンターとして戦う理由を尋ねられて、アティは迷う事なく即答した。
「幼馴染のため」
前しか見ない人だった、色んなものを振り捨てて、その内一人になってしまいそうだったから追いかけた。
かつてはその子がアティにとっての全てだったのだと、アティは翳った笑みを見せる。
「キヅカ君は? 君はどうなりたい?」
「それは――考えた事がなかった、というか……」
考えたくなかったと白状の言葉が零れた。
がむしゃらになれるのは未来を考えてないから、この場限りの命なら、幾らでも貪欲になれる。他に選択肢などないと思い込めば、戦う事に怯える必要だってないのだ。
アティが息を詰め、リクはそれに視線を向ける事なく目を伏せた。
もう少しこのままでいる事を許して欲しい、生き残ったら、明日<ミライ>の話をするからと。穏やかに語る背中にアティが抱きつく、リクはそれを怪訝に受け止めて、どうしたのかと困惑気味に問うた。
「アティ? ……怖いのか?」
顔は見えなかったけれど、アティは震えていたから。ぐしぐしと背中で泣く彼女に手を添えて、大丈夫だよとリクは語りかける。
「大丈夫、君はその大事な人の処に帰れるよ」
その未来はちゃんと僕が切り開くから、そう語る彼にアティはぶんぶんと首を横に振った。
「そうじゃない……」
戻るなら二人一緒がいい、君の明日が来るまで、私が君を護ってあげたいと思うのだ。
+
庭に溢れる光がGacrux(ka2726)の目を眩ませる、世界から切り離された庭園は平穏で、なのにどうしようもなく行き場がないと感じてしまう。
囲われたこの場所を鳥かごのようだと思う、囲われた女は幸せだったのかどうかと考えたが、どの道未来を望めない時点で認めがたいのだと、Gacruxはため息混じりに思考を振り払った。
駆け落ちの相場は悲劇だと決まっている、だから手段も結末も、どうしても厭うてしまう。
愛する人には未来をあげたくて、彼女にもそれを望んで欲しいと思っているのだ。
その望みについてはまだ手を伸ばしてる最中だから、苦々しく想うしかないのだけれど。
何ら口にする事なく、ぼんやりと庭の見回りを続ける。
安全は確認したけれど、この庭の曰くは人を選ぶだろう。
閑静と許容の庭、でもGacruxが望んでいるのはこのようなものじゃないと、それだけを心の内で確信していた。
+
甘やかな微笑みを浮かべて、エステル・ソル(ka3983)は兄の腕を取る。
形式的には庭園の見回りだったが、実際のところはデートと言って差し支えがない。
甘えを隠さない妹に対して、アルバ・ソル(ka4189)は少し笑みを零して好きにさせた。なんといっても独り立ちの元暫く家を離れていたのだ、このような時間を取れるのは久しぶりだったし、妹が多少甘えたがりになるのも致し方無いと思えていた。
妹に手をひかれながら藤の間をすり抜けていく、花が綺麗だとはしゃぐ妹は、湖の畔に出るとまた別の声を上げた。
「見てください、兄様!」
こっちも綺麗ですとエステルが水辺へと駆けていく、花を映した水面が風に揺れ、神秘的であると同時に爽やかさも感じさせる。
「兄様、私池の上でダンスしたいです!」
怪訝な顔を向けるよりも早く、二人分のウォーターウォークをかけたエステルが、自分の手を引いたまま湖の上に踏み出していた。
少し緊張はあったけれど、妹に誘われるまま踏み出すとちゃんと二人とも水面の上に立つ。二人して水面の上を進むと、無邪気に笑う妹がくるりとダンスのステップでスカートを翻した。
「わたくし達も花びらになったみたいですね、兄様!」
妹に乞われるまま、暫しダンスの相手を務めた。はしゃぐ時だけは少しだけ幼少に戻ったようだけれど、妹はもう立派なレディなのだから、ダンスホールから下がるのと同じ要領でエスコートして岸に戻る。
この後、妹の用意した弁当が自分たちを待ち受ける、要望を聞くと決めたからには、妹のあーんも受けて立たなければいけないのだろう。
……夜になっての添い寝要望は、流石に少し考え込んだのだけれど。
+
彼の側はいつだって賑やかだったから、唐突の二人っきりが少し新鮮で、緊張すら募る。
時音 ざくろ(ka1250)が肩に触れると、アルラウネ(ka4841)は少しだけ息を詰めて、紅潮した顔と共に体を預けた。
庭園が持つ力だろうか、二人で過ごす時間は遥かに穏やかで、起きるアクシデントも少し躓くのを支えてもらったりなど、お互いを想い合いながら距離を縮めるものに留まっている。
思いの他近くなった距離に二人の言葉が消え、既に重ねた思いの元、二人は顔を寄せて最後の距離を詰めるのだ。
テラスで寛ぎ湖を眺める。いつも皆と一緒にいたから、たまには二人っきりも喜んでもらえるんじゃないか、彼が赤くなりながら口にしたそれにアルラウネの愛しさが溢れる。
その特別さをくれようと思った事がたまらなく嬉しい、彼が愛の深い人だという事は知っていたけれど、それを今日は一人で受け止めればと思っている。
「すごくいい所だよね、藤園は綺麗だし、静かだし……世界が無事に平和になったら、こういう所で暮らすのもいいかもね」
実現するとしたらもう少し広い場所が必要だけれど、愛する人たちに平穏とした世界を与えたい、ざくろはそんな漠然とした思いを抱いていた。
夜間、二人用のベッドに横たわって手を繋ぐ。
頻繁にしている事なのに、こんなにも緊張するのは二人しかいないからだろう。
アルラウネは皆と共にいる賑やかさを好んでいたけれど、二人しかいないと、ざくろしか目に入らないから落ち着かない。
まるで改めて恋をしたように、重ねた指に力をこめて、そっと胸前に引き寄せた。
+
大体こうなるのだという予感はあった。
母屋に到着して早速状況の確認、処理した方がいい事柄を洗い出して、順に手をつけていく。
やらなきゃいけない事柄は本当は少ない、なのに何かに追い立てられるように、言われてない事までやってしまう。
精力的に働くアウレール・V・ブラオラント(ka2531)の後ろを、文句一つ言わずにツィスカ・V・アルトホーフェン(ka5835)がついていく。
時々気まずい様子を見せるのはどっちかというとアウレールの方で、ツィスカはそれに気づかず、仕事の合間にもどこかに思いを馳せる様子を見せる。
ツィスカは自分のような仕事中毒にさえついてきてくれて、それを有り難く思う一方で、言い訳のような気持ちがアウレールの心に浮かぶ。
大切に思っていない訳じゃない、この場所を仕事としか見ていない訳でもない。ただ考えたくないだけで、その結果逃げるようにして仕事に没頭していた。
点検洗濯掃除、全てやった。後は洗濯物が乾くのを待つだけで、仕事がなくなった今、何か言うべきなんじゃないかと心が自分を叱咤する。
「……見回りに行こうと思うのだが」
お供しますと返されて情けない気持ちになる。間違った事はしていないと断言出来るのに、後ろをついてくる彼女の存在がどうしても心を引くのだ。
…………。
頼まれた仕事をこなす合間、ツィスカは庭園の結末に思いを馳せる。
彼らはどのような気持ちでこの場所にたどり着き、どのような気持ちでここで過ごしたのだろう。
窓枠に布巾をかける自分の目の前を、藤の花びらが散っていく。
その言葉は「決して離れない」、死がふたりを分かつまで……そんな言葉が苦味と共に浮かんだ。
アウレールと共に歩いていきたいと思っていた、出来ると思っていた。
なのに彼は守護者になってしまって、だからだろうか、遥か先に行かれてしまったような錯覚を覚えてしまう。
ロマンチックな庭園だけど、アウレールがいつもと変わらず、次々と仕事を頼んでくれる事も今はどちらかと言えば嬉しい。
一介のハンターに過ぎない自分でも彼に必要とされているようで、複雑な心境をごまかす事が出来るのだ。
●夜
見回りのために夜の別荘を抜け出す、浅黄 小夜(ka3062)の宿直は一人、仕事だし、誰も咎める人はいないのだけれど、夜歩きに似た感覚が少しの興奮と高揚を心に潜ませた。
母屋の鍵はしっかりと握りしめられている、今日だけ、今日だけはこの庭園を好きに歩きまわっていいのだ。
かつてこの庭に来た時、小夜は戸惑うばかりだった。
恋の熱なんて知らなくて、突き動かされるような衝動もわからなくて、行き着いて散っていく結末を前に立ち尽くしていた。
当時思っていた幸せは、家族と共に日常を回す、そんなありきたりでかけがえのないものだったと思う。だから、生まれた世界に背を向けて、二人で飛び出す気持ちに追いつけなかったのだ。
夜の庭に一人、空っぽで誰もいなくて、だからいくらでも思い描く余地がある。
一緒に過ごしたい人はいっぱいるけれど、最初に来て欲しい人は一人しかいない。
「――」
少し足りない勇気と共に、溢れる思いは言葉にならず消えた。だって此処は閉じた庭だから、あの人を連れ込む事は出来ない。
もしも、もしもだけれど、あの人が来てくれるというのなら、小夜は間違いなく喜んだだろう。
喜んで、でもいつかはあの二人みたいに、この庭を出ていくのだ。
+
ジュード・エアハート(ka0410)がランプを上げると、藤の花がかすかなオレンジを帯びる。
綺麗な場所、そんな風に振り返って笑いかけると、エアルドフリス(ka1856)が穏やかな笑みを返した。
涼亭までたどり着いて、二人してランプを置いて腰掛ける。藤の花幕があり、湖から母屋まで一望出来るこの場所はいいロケーションだと思う。
涼やかな風が安らぎを促すようで、ふと思いついたようにジュードがエアの袖を引く。
だってこんなにも優しさに満ちた場所だから、自分こそが彼を包んであげたくて、ジュードは自分の膝を叩くのだ。
エアはプライドにたじろぎ、ジュードは建前にまみれた抵抗を捨てさせようと迫る。
自分より余程意志の強い恋人にエアが逆らえるはずもなく、結局は細くて滑らかな感触の腿に身を沈める事になった。
ぎごちなさは時間によって溶かされる、この場所はかつて結末がついた地であり、逃避が作った許容の庭と、そこで散った結末の話をエアはぽつぽつと語った。
話の先に、一つの結論が見える。まだそうすると決めた訳じゃない答えが間近に迫る。
エアの心情をどこまで汲んでいるのか、悪魔の囁きのようにジュードが呟きを零した。
「こういう場所で好きな人が来るのを待つのも悪くないかも」
「――」
側にいると決めたはずなのだ、なのにどうしてジュードの言葉を振り払えないのだろう。
彼を置いていくなんてありえないと、そう言うべきなのに。
「ジュード、俺は……」
伸ばした手がジュードの手を掴む、エアが贈った指輪が彼の指で輝く。
冷たい感触を華奢な指ごと握り込んだ、この手を離したくない、なのにそうしている限りは、他のものを拾えないのだと心の隅が囁く。
ジュードこそがエアの至宝、他に何を欲張るというのか。
離したらかつて喪った何かのように、二度と掴めないかもしれない。掴み続けてれば彼一人を護るために力を尽くせると、そう言えるかもしれないのに。
頷けない自分がいる、迷いは裾を引かれるように似て、自分と繋がったままのものをどうしても振り払えない。
しかし、エアにはそれを許せとジュードに言う気概すらないのだ。
「……俺に望んでよ、エアさん」
出来ない、だって勇気も、覚悟も、貪欲さもまるで足りていない――。
+
見回りなら自分が全部請け負う、そんな事を言い出すユリアン(ka1664)にルナ・レンフィールド(ka1565)は正論で迫った。
「二人で受けたお仕事ですよね」
「……うん」
でも、軽い内容だから睡眠を削ってまでルナが付き合う必要はない。思いはしたけれど、行きますと言い張るルナにユリアンは黙って頷いていた。
相談の結果、ルナは少し早めに仮眠を取り、深夜から夜明けにかけてユリアンと見回りを行う。
ちゃんと迎えに来てくださいねとルナはいたずらっぽく釘を刺して、夕方ごろに自分に割り振られた個室に引っ込んだ。
ユリアンは一人取り残される、あたりは静かで、なんというか落ち着かない。気を抜けば彼女の吐息でも聞こえて来そうで、意識を別の場所に追いやるのに必死だった。
時間になって彼女を呼び、夜の庭に出た。
空気は薄く張り詰めていて、いつもより近い距離なのに、二人してそれに気づかない振りをする。
気晴らしのように問う戦いが終わった後の話、命を落とさなかったならと付け加えて、ユリアンは師より教わったものを持って、各地を旅して薬草を探し集める事を考えていると語った。
命に触れる、そんな言葉が思考に浮かぶ。
師が語るところによると、薬草自体一つの命で、それを使って触れようとするのもまた命で、最終的に、馳せるイメージは久しく会ってない家族へと行き着く。
「母さんがね、似たような事をしてたんだ」
でも結婚してユリアンを身ごもると、母親は旅をやめて育てる方向に転向した。
命を、家を、……ユリアンを。
親がした選択に挟める言葉などない、ただ、選択肢を奪ってしまったように感じるのは、ユリアンが留まる気質でいられないからだろうか。
「ユリアンさん、私は」
音を探しに世界を巡りたい、でもそれを言った瞬間見送られるのは絶対に嫌だったから、ユリアンさんの旅に連れて行ってくださいとルナは間髪入れずに迫った。
かつての話に挟める言葉はない、しかし抱いた意志を見せる事は出来る。
ユリアンから直答はなかったけれど、驚きと共に考え込む気配はしていた。
夜は少しずつ薄くなり、輝く色合いは藤の花の色のようで、ルナの瞳でもある色をユリアンは黙って見つめ続けていた。
+
イルム=ローレ・エーレ(ka5113)が恭しく自分をエスコートする素振りを見せる。
照れくさいのだけれど嫌ではなくて、メアリ・ロイド(ka6633)はくすりと笑って差し出された手を受け取った。
自分をこんな風に扱うなんて物好きだなと思う心もあるのだけれど、素直に受け取らせる物腰があるから、メアリはイルムを尊敬している。
自分を顧みて凹みそうになるのだけれど、それにも目ざとく気づいて、イルムはメアリの手を握って励ましてくれるのだ。
その一句一句がどれほど嬉しい事か、感謝の気持ちは溢れるばかりだから、礼を告げて、メアリは二人だけの居間で気持ちをこめてお茶を淹れる。
最近覚えた、そう悪戯っぽく言えばイルムは心底素晴らしい事であるとばかりに称賛してくれるのだ。
二人で夜の見回りに出る、持ち出したカメラは何もないという証拠のためだと言っていたけれど、イルムはメアリに隠すことなく「本当は来れなかった友達のため、そして麗しいメアリ嬢の姿を残すため」と笑っていた。
釣られてメアリもカメラを持ち出してしまって、イルムと共に撮る事を許してもらえるかと問えば、何を当然とばかりにイルムが頷いた。
「だってボク達は友達だし、思い出は大切なものだろう?」
ならば色々な形で残しておけばきっと幸せも増す。記憶が色あせても、残された絵姿はきっと何度でも気持ちを思い出させてくれるのだ。
途中、散った花びらをいくつか拾い、メアリはそれを手帳の中に丁重に仕舞い込んだ。
これが乾燥するまでにはまだ時間が必要だろう、出来上がったら、一つを栞にしてイルムにも分けるつもりだ。
「藤の花言葉には、『決して離れない』というのもあるそうだよ」
逸話の事も考えれば、深い愛情を感じるよねと語るイルムにメアリは頷きを返す。
「私は」
イルムさんのような凛々しくて真っ直ぐな騎士になりたいのですとメアリは零した。
言われたイルムといえば珍しく迷う素振りを見せて、それでも尚、いつもと同じような真摯な言葉で語りかけてくれる。
「ボクは君が思うほど立派ではないけれど」
でも、君の期待に恥じない振る舞いが出来ればいいと思っている。
+
寝室からでも藤は見れる、二人用のベッドに腰掛け、窓一面に広がる藤を見ながらユメリア(ka7010)は感嘆の吐息を漏らした。
表の光源も寝室には届かないようで、月明かりを受ける藤が夜景の中で皓々と際立つ。
幻想的な光景を損なわないように灯りはなく、真っ暗な寝室の中、傍らに座る高瀬 未悠(ka3199)の手がユメリアに触れた。
言葉はない、代わりにかすかな笑みと吐息を転がして意思を交わす。景色に対する感想など、もうわざわざ口に出さずとも通じてしまう。
言葉を交わすのが嫌いな訳じゃない。むしろかけがえがなく、とても大切に想っている。でも時には言葉のない距離感が愛おしくて、手指だけがシーツの上で重ねられた。
沈黙だからこそ、ユメリアからの想いは強く感じられる、藤の精のような彼女が、かつて隠していた心で寄り添ってくれることを、未悠に何よりも喜ばしく思う。
…………。
彼女――未悠を見つめるこの感情は、きっと歓びだと言われるのだと思う。
ユメリアはこれほど自分が詩人である事を僥倖だと思った事はないだろう、守護者としての彼女の思いを、耳に挟む事が出来たから。
彼女の温もりに憧れのような感情を抱き、前を見つめる彼女の輝きに、眩むような思いをしていた。
……少しだけ、貴女の手を引くのを許してもらえますか。
彼女の想いに自分の色があって嬉しかったのだ、その気を引きたがる自分が罪深いように思えて、でも今までしなかった我儘をするように、彼女の優しさに甘えてしまう。
少しでいいから、振り向いて欲しいと思ってしまう。
その紅玉のような瞳に、私の思い募る淡青を映して欲しい。
混ざれば藤色で、それは叶わぬ思いの色になってしまうけれど。そんな事わかってるのに、それすら受け止められるくらいに強くなりたいと思うのだ。
おかしいとわかっている、自分らしくない、でも、藤の花言葉は『恋に酔う』だから。
「戦いが怖いと言ってた貴女は、私の背中を護ってくれた」
彼女からの囁きに目を見張る、驚く表情を浮かぶ自分を慈愛深く見つめて、彼女はくすりと笑った。
「そんな貴女を、守りたいって思ったの」
……きっと、私にとってはそれで十分だった。
触れただけの手指を繋ぎ合う、彼女の手に身を任せて、囁きかけられる子守唄に自分の音色を重ねた。
貴女に捧ぐのは慈愛と敬愛の音色、いずれ体は寝台に沈み、歌声も途絶えるだろう。
月と静寂と想いに包まれて、藤の夢を見よう――。
+
庭園に怪しいものなどない、機械指輪まで使って鞍馬 真(ka5819)が何度も見回った。
これが最後になるだろう夜中の巡回で、真はようやく一息をつく、念の為軽い武装までしたけれど、恐らくこのまま芝生に寝転がったところで危険などないだろう。
本当にそうしてみるのもいいかもしれない、そんな事を考えながら真は夜の庭園を散策する。
他に誰もいないのだから気恥ずかしさを意に介する必要もない、湖の畔を歩きながら、真は歌を歌う。
庭園は一人だと空虚過ぎたけれど、どこか心地よさも感じていた。
静けさに漂白されるかのよう、許容の庭は停滞で真を包み込む。隠居するならこんな場所がいい、引退した後、誰もいない場所でこうして朽ちていくのも悪くない。
歌の最後のフレーズはなんだっただろうか、確か、私は一人になって――。
「……疲れてるな」
思い出すのを諦め、ぽふんと芝生に倒れ込んだ。
視界の端で藤がたなびく、葉擦れの音は波のようで、張り詰めた思考を静かに落ち着けさせた。
引退を考えるのはまだ早い、これも、短時間で色々ありすぎたせいに違いない――。
+
わざわざ違う場所で夜を過ごそうと思ったのは、ハンス・ラインフェルト(ka6750)にとってどのような心情からか。
彼女に対して思うところなどない、ないからこそ、かつて誰かの想いがあったのだろう母屋で彼女と共に過ごすのは酷く不釣り合いに思えた。
庭を一望出来る涼亭に腰を下ろし、此処で仕事を果たそうと三味線を爪弾く。距離を置いて俯瞰する、その立ち位置が今の自分にとても馴染んだ。
彼穂積 智里(ka6819)が母屋についたのも、自分を探しに外に出たのも、自分を見つけて、引き返して、母屋に入っていったのも全て見えていたし気づいていた。
だからなんだというのか。
彼女は自分と関係ないただの他人だ、いや、かつては違ったらしい、でもそれはただの記録だとしか感じられず、どこにも実感を伴わない。
馴れ馴れしくさせる理由も、懐に入れる理由もなかった、自分の心は剣にしか向いていないのだから。
…………。
そんな事、智里にだってわかっている。正しく言えば、わからないのに思い知らされた。
彼の腕を取ろうとしたのだ、自分に許された距離が、変わる事はないと思っていた。
なのに振り払われて、家を追い出されそうになって、必死で呼びかけた結果、記憶と記録がギリギリ関わりを繋ぎ止めた。
悲しくて、ショックで、心に冷たい風が吹き荒ぶ。
絆はかつてのものになり、今はもう手を伸ばしてはいけない、だから智里は自分に許された距離で、彼と共にいる。
彼を見つけて、一度母屋に戻ると、彼のためにおむすびを作った。
彼の邪魔をしないようにひっそりと近づき、いずれ気づくだろう距離に、そっとそれを忍ばせる。
「貴女が私と同じ依頼を受けるとは思いませんでした」
一方的にかけられた声に体が竦む、返事は出来なかった、自分に許された領域を超えてしまえば、また追い出されるかもしれないから。
返事を求められている訳ではなかったのか、彼は意に介する事なく、手元の酒盃を呷った。
まるで気にかけられてないようで、心がくしゃくしゃになる。
――そんなの、今もあなたを思っているから。
求められていない言葉は心の中で壁に投げつけられて、足元に転がり、見えなくなった。
+
時折窓から外を眺め、灯(ka7179)は居間で寛いだ時間を過ごす。
大分遅い時間だけれど、二人とも眠る様子はない。白藤(ka3768)が言うには「仕事やしな?」との事だけれど、彼女は悪戯っぽく笑っていたから、建前が大いに含まれているとすぐ気づいた。
ソファにもたれかかる白藤を横に、灯は外へと視線を戻す。感嘆が吐息として漏れて、藤の美しい姿に思いを馳せるのだ。
「昔……愛した人が、私に似た花だって言ったんです」
あの時は意味を聞けなくて、今はもう聞く事すら出来ない。どういう意味かわからなくて惑うけれど、好きな花に喩えられたのは溢れるほどに嬉しかった。
「そうやね……」
答えを求められている訳ではない、そんな事はわかっているし、白藤にだって正解はわからない。
でも友人が惑うなら、少し手を引いて、方角を示してあげるくらいは出来るのだ。
「藤は……優雅や柔らかさと聞いた事があるわ」
そうなって欲しいと、名付けられた自分が今はコレなのだけどと、白藤は少しおどけるようにして笑った。
でもきっと素敵な言葉だ、大切な人はきっとそれを灯に贈った。言葉はなく、少し遠い目になった灯の側に寄り添って、今でも愛してたと言える灯りが羨ましいのだと、笑みに少し翳をにじませた。
白藤がくるりと姿を翻す、暗くなるなんて自分らしくなくて、灯にもそれを気づいて欲しくなくて、暗い気持ちを振り払うようにして厨房へと向かう。
夜を過ごすのはわかっていたから、そのために持ち込んだいくつかの飲み物。
仕事中だからアルコールは控えて、代わりのもので透き通る青の液体を作りグラスに注いだ。
「三月生まれの灯に似合うカクテルやとおもわん? 飲んだってな」
美しい色に見入ったのか、彼女が息を詰めて礼を言う。グラスに唇が寄せられるのを見て、白藤は満足げに微笑んだ。
二人でアルコールのない酒盛りをして、ふと灯が内緒話をするように小さく尋ねてくる。
「白藤さんは、何の花が一番好きですか、今は」
「それは……まぁ」
思いを込めて名付けられが白藤はやはり特別で、隊を象徴する赤薔薇も大切に思っている。
でも、好きというならそれだけに留まらない、明かすべきかどうかとても悩んで、恥じらいだって抑え込む必要があって。大切な友人が知りたいと思ってくれたのだから、葛藤の末心を見せるべきだと決心したのだ。
「……椿」
吐息に紛れる言葉を、彼女にしか聞こえないように耳元で囁いた。
理由なんて説明させないで欲しい、もっとも灯ならば察しているのだろうけれど。
白藤の恥じらいを灯は微笑みと共に受け止めて、では彼も誘わなくてはと優しく笑いかける。
夜を明かし、色々片付けた後に昼前で宿直を引き上げる。次のハンター達に鍵を渡し、それで一日分の仕事は終了。
次を引き継ぐ相手が誰かはわかっていた、外に出た白藤たちは彼女たちに鍵を差し出して渡し、すれ違いざまに小さく激励の言葉を交わした。
「よい夜を」
そう言って灯は抱えていたレモンシロップを相手に瓶ごと渡し。
「蜜鈴が無理せんよう、見張っといてな?」
白藤は微笑んでミア(ka7035)に小さく手を振った。
…………。
友人たちと話せたせいか、室内の空気は少し浮ついていた。
昼の合間に蜜鈴=カメーリア・ルージュ(ka4009)は厨房で食事を作り、夜になってそれを持ち、ミアに「出かけるか」と声をかける。
藤の花見、見回りなら少し前に済ませたから気兼ねする必要はどこにもない。
月を見上げて花のさざなみに耳を傾ける、身を浸す空気が穏やかで心地よくて、傍らに大切な友人がいる事が何よりも蜜鈴の心を満たした。
ふと視線を向けるとミアがシェイカーを用意している、気づかれたミアは蜜鈴にえへと笑いかけ、ノンアルニャスよ~と言いながら振り始める。
蜜鈴にも差し出された酒盃に注がれた液体は少しとろみのあるオレンジ、「シンデレラ」という名のカクテルだとミアは胸を張った。
本当はお酒が良かったのだけれど、一応は警備中。だからシンデレラの如く、雰囲気だけでも魔法にかかったかのように酔ってみたいのだとミアは語る。
口にしたカクテルは甘めで濃くて、芳醇だった。酒精などなくとも礼儀とばかりに蜜鈴は流し目を作り、口当たりの余韻に身を任せる。良い腕じゃと呟くと、ミアは更に機嫌を良くして笑みを深めた。
夜風にあたりながら藤を眺める。
持参した弁当も程々に減ってきている、ミアは蜜鈴が作った茄子の煮浸しを頬張りながら、最近茄子を見ると既視感を覚えるのだと語った。
夢なのだろうか、だとしたらとても幸せな夢な気がする。どんな幸せだろうと考えて、でもミアの考えはすぐ違う方向に引っ張られた。
「蜜鈴ちゃんは今、幸せニャス?」
蜜鈴は心の内に沈み気持ちを確かめるような素振りをする、大切な物を一つ一つ数えて、妾の幸せはすぐ傍にいるのだと語る口ぶりはどこかつかみどころがない。
白藤と灯、そしてミア。これを伝えて重荷を背負わせたい訳ではない、彼女達がしてくれたのは、蜜鈴を気にかけ案じるという些細な事で。些細な事だけど、それだけのことで蜜鈴は世界が輝くような思いをして、それが蜜鈴を変える切っ掛けにもなった。
わかっていたのだ、自分は弱い、だから何気なく渡された気持ちにも縋りたくなってしまう。
自身を微力だと称する灯にさえ、自分は芯の強さで負けてしまうかもしれなくて。
寄りかかっては行けないと自身を律する必要があるから、蜜鈴にとっては、彼女たちが目の前にいて、笑ってくれるだけで幸せと言う事が出来た。彼女たちが月であり太陽であり、照らす光だった。
語りながら、蜜鈴はミアの手を引いて母屋に戻る。
「独り、怖いニャス?」
ミアの問いかけに、蜜鈴はふと苦笑をして否定をしなかった。
その通りだとも、でも強がりでもあるのだ。
「ミアは……未来に何を願う?」
「みんな一緒に」
短く答えて、ミアは引かれた手を強く握り返した。
「だいじょうぶニャスよ。“同じ時”を、これからも過ごそうニャス♪」
ミアが明るく笑うから、蜜鈴は眩しげに目を細める。気遣いに礼を告げて、二人でダブルの寝床に潜り込んだ。
吐息が触れ合うほどに近い、蜜鈴を安心させたいとばかりにミアは手を握ったままで、夢に半ば沈みかけながらも語りかける。
「ミアが傍にいるのに……つまらない思いニャんて、させニャいニャス……」
どこまで想い深い言葉に蜜鈴の笑みが漏れた。蹴られてずれた布団を掛け直し、ミアの髪を一房手に取って唇を寄せる。
「おやすみ、妾の太陽……目覚めと共に、また明るい笑みを見せておくれ」
依頼結果
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依頼前の挨拶スレッド ミリア・クロスフィールド(kz0012) 人間(クリムゾンウェスト)|18才|女性|一般人 |
最終発言 2019/04/26 18:14:36 |
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秘め事の前に(雑談卓) イルム=ローレ・エーレ(ka5113) 人間(クリムゾンウェスト)|24才|女性|舞刀士(ソードダンサー) |
最終発言 2019/04/26 21:38:28 |