ゲスト
(ka0000)
【空蒼】これまでの経緯
お久しぶりであるな、異世界の盟友諸君! あなたのドナテロ議長である!
なにやら大精霊との対話に成功してリアルブルーへの帰還が可能になりそうと聞いたが……。
申し訳ないのだが、こちらの状況もやや雲行きが怪しくなってきたのである……。
火星クラスタを撃破し、世界を救った諸君らの力をもう一度お借りしたい。今度こそ、真の平和の為に!
更新情報(11月2日更新)
【空蒼】ストーリーノベル
南雲雪子
トマーゾ・アルキミア
ドナテロ・バガニーニ
ネイサン・アワフォード
南雲雪子はそう言ってソーサーに手を伸ばす。
火星クラスタの脅威が去っても、月面基地崑崙に平穏は訪れなかった。
火星の衛星と同等の大きさを有していたクラスタが一度は地球に肉薄したのだから、そこから放たれた膨大な数のVOIDをすべて処理するのは困難なわけで。
“狂気”の眷属ゆえにリーダーを失ったVOIDは活動したりしなかったり、思い出したように暴れてみたり、宇宙や地上のあちこちでくすぶっていた。
特にこの月面基地崑崙は宇宙防衛の要であり、コロニーの再建運動やらなにやらとセットで忙しい毎日を過ごしていた。
そんな崑崙の会議室で雪子だけではなくトマーゾ・アルキミア(kz0214)、ドナテロ・バガニーニ (kz0213)、そしてアワフォード社の社長、ネイサン・アワフォードの四名が顔を合わせていた。
「こんなところで足踏みしている場合ではないのであるが……」
ドナテロは深々と溜息を零し、ちょこんと丸まった前髪を指先でなぜた。
イギリスで発生した強化人間の暴動事件は世界中のメディアで取りあげられ、新聞の一面を飾り続けた。
それによる問題は方々に発生した。いかんせん。“地球”というのはすこぶる広い世界である。
人権保護団体からのクレームはかつてないほどの火勢を見せているし、強化人間に関する情報開示を求める連合各国からの問い合わせでマンハッタンはパンクした。
その隙にとVOID戦役(と括るには早すぎる気がしたが)で破壊されたコロニー群の再建や、その勢いに乗じた宇宙自治政府の独立運動も勢いづいている。別にそれはそれでよいことだが、連合政府への責任追及であるとか、宇宙開発への再出資であるとか、そこら中から毒矢が飛んできて、ドナテロはこの一か月で5?も痩せた。
この会議は宇宙自治政府に顔を出した後、「政府」「軍」「研究者」「企業」それぞれの代表が認識のすり合わせの為に開いたものだった。
「――結局のところ、強化人間とはなんなのですか?」
雪子が単刀直入に切り込む。さては軍のお偉い方から、いよいよ言質を取ってこいと放たれたのだろう。
強化人間系のプランは軍ではなく議会が強引めに推し進めてきたものだ。故に、雪子も詳しい事は知らされていない。
かといって強化人間に関してはドナテロも詳しくない。というか、強化人間という技術がどこからもたらされたのか、さっぱりわからない。
「わしに期待しても無駄じゃぞ。確かにわしは覚醒者のデータをおぬしらにせがまれて一部提供した。じゃが、あのデータだけで強化人間なんぞ作れるわけなかろう」
助けを求めるようなドナテロの眼差しにトマーゾがぴしゃりと言い放つ。その一方、
「ウ?ン、やっぱり日本の和菓子はいつどこで食べても最高ですね! 殺風景な鉄素材むき出しの会議室も、目を瞑れば一瞬で和室に早変わりですよ。ああ、竹林のにおいまで感じるゥ……!」
雪子が持ち込んだ日本土産に舌鼓を打ちながら恍惚としているネイサン・アワフォードは、CAMなどの近代兵器以外の事はサッパリな男だ。強化人間なんか知る由もない。
「結局強化人間については分からずじまいですか……」
「面目ない……。ただ、さすがに我輩もずっと調査しているのに何もわからないというのはおかしいのである」
「あー、つまりアレですね。バガニーニ議長に話が伝わらないように暗躍している者がいる、とか?」
指にひっついた饅頭の薄皮を舐めとり、ネイサンが微笑む。
実際問題、それ以外に答えはなかった。何者かが――或いは何者か“たち”が。それも統一連合議会の議長を封じられるほどの権力が、事件の裏で動いているのだ。
「ロンドンにアワフォードの工場はありませんでしたが、好きな映画のロケ地だったんですよ。あー……なんでしたっけ、あのソウリョ……」
「慈恵院明法」
慈恵院明法
「結局、慈恵院明法の目的も不明なまま……」
「騒ぎを起こす事そのものが目的だったんじゃないですかね。あのイカした金ピカの仏像も巨大な広告塔だと思えば筋が通ってます。まず目立つ、そして知ってもらう事がマーケティングには重要です。意外性のあるデザインとかね」
ネイサンの言う通り、あの事件で“強化人間”という言葉の知名度は爆発的に上がった。
戦争に縁遠い民間人からしてみれば、強化人間も覚醒者も同じようなものだ。
だから火星クラスタを破壊して地球を救ってくれた“英雄”として強化人間を大歓迎したし、なんならドンドン増やせと世界中がその思想に賛同したのだ。
「彼らにとって強化人間は“なんだかすげえカッコイイ”くらいの存在だった。でも今は、強化人間と覚醒者はなんとなく別物で、覚醒者こそ真の英雄、強化人間は暴走する怪物、といった認識に変わり始めている。ところがどっこい、彼らはその二つを正確に見極められていません」
「自分たちに都合のいい英雄こそ覚醒者であり、悪に堕ちた者は強化人間“だったことになってしまう”」
それはモノの本質を結果から逆算する危険な思想だ。
しかしそれが一気に燃え広がり、皆結局よくわからないまま独り歩きする強化人間という言葉にだけ反応し、彼らは危険だと叫んでいる。
「強化人間の中には、地球を守ろうと自ら志願した者たちが大勢いるのである! 確かに行き場を失った孤児を強化人間施設に受け入れもしたが、それも彼らが望んだことである! 動機に違いこそあれど、彼らは正義を望んでいたのである!」
「知ってますよ。だから僕も強化人間用に調整したCAMの生産を許可したんです。悪いのは技術(チカラ)じゃない。それを使う人間です」
でも――そんな風には考えられない。
人間はみんな恐れている。自分の利益や生活、命が脅かされることを。
危機から遠ざかりたい。不確定要素は排除したい。自分より強い誰かに守ってほしい――。
「――それでも守るのが、軍人ですわ」
雪子はさらりと締め、ティーカップに口を付けた。
「おっと、そろそろ時間ですね。僕はイギリスに戻ります。宇宙に来るのは趣味なのでたまには顔を出しますが、続きはビデオ通話で!」
少しわざとらしく腕時計を指さし、ネイサンが立ち上がる。
「ではでは、例のブツはよろしくお願いしますよ、“キングメイカー”」
ウィンクを残してネイサンはスタスタと姿勢よく歩き去っていく。
「キングメイカー?」
「……わしのあだ名じゃ。ネイサンめ、わしに五個も六個もあだ名をつけおる。まったく妙ちくりんな小僧じゃ」
アワフォード家とは昔からの付き合いだ。実はけっこうな数の秘密を共有する間柄にある。ネイサンなんか、子供の頃から知っている。
「少し変わっていますが、ハッキリとした自分を持った若者ですね」
「フン。技術屋としては三流もいいところじゃが、ビジネスのセンスだけはある。アワフォードの家は爺さんの代から付き合いがあるが、あいつだけマシンが作れなくてな。代わりに会社をデカくするのだけ得意じゃった。それで親父が家督を譲って社長をやっとるのよ」
爺さんの代から付き合いがある、というのがなかなかエキセントリックだが、トマーゾの過去にツッコミを入れるとキリがないので謹んで遠慮した。
「そういえば、ついでに教授にお確かめしたい事があります」
雪子はそう言って鞄から書類の束を取り出す。そこには不鮮明な画質の写真が何枚かクリップで止められていた。
「黙示騎士マクスウェルに破壊された、サルヴァトーレ級三番艦――サルヴァトーレ・ヴェルデのその後についてです」
OF-004
天王洲レヲナ
「興味本位なんだけどさー」
そう前置きして、同じく議長の護衛としてやってきた天王洲レヲナが声をかける。
「君はどうして強化人間になろうと思ったの?」
人間がゆうに三人は並んでくぐれる扉を挟み、左右に立つ二人。レヲナが視線だけを向ける。
普段であれば、何も答えなかった。任務中なので当然だ。
だが、レヲナの言葉には――どこか抗いがたい、応じてしまいたくなるリズムがあった。
「……俺は、L5コロニーで暮らしていた。L5は2013年12月8日、VOIDの攻撃により放棄された。俺のコロニーは破壊され、救助されるまで脱出艇の中で28日間、宇宙を漂流した」
崑崙の地下にあるこの殺風景な通路は、丁度あの脱出艇を思わせた。
「それには30名の乗員が約2週間生存できるだけの水と食料が備えられていた。乗り込んだのは宇宙では掟破りの定員オーバー、34名だった」
「じゃあ、全然食料足りないじゃん。28日間、助けがなかったんでしょ?」
「ああ」
だから、当たり前の事が起きた。
まず、治療できない負傷者がどんどん死んでいった。そして死んだ者の食料を分配する事になった。
まだ死んでいないが、もう死にそうな者の食料はどうするかでモメた。
争いで死んだ者が現れた。その食料はどうするのかでモメた。
だんだん、弱い者からは奪ってもいいと、何故かそういうことになった――。
「俺には弟と妹がいた。父さんと母さんはコロニー崩壊に巻き込まれて、多分死んだ。だから俺だけだったんだ、二人を守れたのは」
レヲナはもう口を挟まなかった。
「二人が殺された後、俺はそいつを殺し返して、二人のビスケットを食ったんだ。俺は食料を二人に渡してて、自分は食ってなくて力が出なかった。それで二人を守れなかったのに、あいつらは俺が多めに渡した食料を隠し持ってて、いよいよって時には俺に食わせるつもりだったんだ。考えている事は同じだった。そのビスケットを、俺は、食ったんだよ」
そこまで淡々と語ってから、少年は息を吐いた。
「俺は、何かを間違ったんだろうか」
強化人間になれば力が手に入ると思った。力があれば、何かを守れると信じた。世界の過ちを正したいと願った。
VOIDが憎かった。この命に代えても絶対に殺してやると誓った。
その憎しみだけが、“人類への憎しみ”を消してくれたのに。
「俺たちはいったい、何のために生まれたんだろう」
英雄になりたかったわけじゃない。でもやっぱり、羨ましかった。
命を救える彼らが。憎い敵を討てる彼らが。
そんな英雄(カイブツ)になってまで――それでも何かを信じ、救おうと行動できる彼らが。
「羨ましかったんだ」
会話は2分44秒で終わった。所詮、そんなものだ。
言葉にすればあっけないな――そんな感想だけで、感情は湧かなかった。
剥き出しの鉄に囲まれた通路には、ダクトを循環する空気の音だけが残っていた。
(文責:フロンティアワークス)
ベアトリクス・アルキミア
ナディア・ドラゴネッティ
トマーゾ・アルキミア
大精霊クリムゾンウェスト
少年
リアルブルーの月面基地崑崙にベアトリクス・アルキミアの明るい声が響く。
リゼリオの異世界転移門を使って転移してきたベアトリクスと、ナディア・ドラゴネッティ (kz0207)をトマーゾ・アルキミア (kz0214)が迎え入れる。
「二人とも無事じゃったか。報告は聞いていたが、この目で見て安心したぞ。して、大精霊クリムゾンウェストは……」
「わらわの中にまだ入っておる。教授、なんとかこいつを外に出せないものかのう?」
【反影】作戦で大精霊クリムゾンウェストの憑代となったナディアだが、大精霊の力を顕現させると肉体にいちいちダメージを受けてしまう。
解決のためには大精霊を外に出す――つまりベアトリクス同様、オートマトンボディに納める必要があった。
今日はその前準備を含め、今後の相談のために転移してきたのだ。
「私の見立てだと、結構難しそうなのよねぇ。ナディアと大精霊の相性が良すぎて強力に癒着してるから。自我を持つ器が大精霊なんて巨大な存在を受け入れられている時点でアンビリーバボーなのに、がっちりマッチしてるのってちょっとした奇跡」
「『そこをなんとかなりませんか』」
心の中で大精霊も同時にごちる。息ピッタリ。
「ふぅむ。まあ、検査してみないことにはわからんが、善処しよう」
「教授にはもう一つ確認したいことがあるのじゃ。強化人間の――」
「――強化人間の話かい?」
自動ドア(限られた人間に託されたIDカードなど多重認証が必要)をくぐって現れたのは、古本の値札をはがしながら歩く少年だった。
ナディア、ベアトリクス、そして少年。三人がそれぞれの瞳を覗き込む。
『……コレは人間ではありませんね。ナディア、警戒を。ベアトリクスと同じ、最大神格の気配です』
「君、ただの人間じゃないね。中にすごいもの入れてるな……どうして生きてるんだ」
じーっと見つめ合う三人。最初に視線を外したのは少年だった。
「強化人間は負のマテリアルを力に変えている。そんなことはずっと前からわかっていたはずだ。どうして目の前の現実から目を逸らす?」
ぺらぺらとページをめくる。少年の手にした本にはデフォルメされた美少女のイラストとやけに長いタイトルがびっしりと拍子を埋め尽くしている。
「よくわからないものは切り捨て、抹殺する。それがヒトのやり口だろうに。わけのわからない物に頼るからこうなるのさ」
「急に現れてなんじゃおぬし? 強化人間について何か知っとるのか?」
「知っているも何も……見ればわかるだろう。アレは――“歪虚”だよ」
その言葉は大きな動揺なく受け入れられた。
負のマテリアルを扱える者はクリムゾンウェストに存在しない。故にクリムゾンウェストであれば真っ先に歪虚の関係性を疑うだろう。
そう断言できなかったのは、ここがリアルブルーという未知の世界であり、負のマテリアルすら力に変える技術が存在する可能性があったからだ。
事実として強化人間達は負のマテリアルを使うものの、人類に対して友好的である。
彼らの事情は様々だが、これまでは同胞に刃を向けるような強行に及ぶことはなかったし、命がけの戦いをハンターと共に乗り越えてきた“仲間”だった。
「――そうやって君たちクリムゾンウェスト人は、自分とは違うものを受け入れてきたわけだ」
ハンターたちは“共に命を懸けて闘う仲間”を絶対に見捨てない。
その姿形がドラゴンであろうが獣であろうが、その大多数が人類と敵対していようが、それでも信じようとする。
ナディアも彼らと価値観を共有するからこそ“総長”でいられる。
地位や名誉ではなく“絆”で生きる彼らだからこそ、強化人間というイレギュラーに違和感を覚えつつも、それを真正面から切り捨てられない。
英雄に憧れる――世界を救おうと力を欲する彼らを、“裏切れなかった”。
「そういう君たちの在り方をつく敵だっているだろうさ」
ナディアは腕を組み、険しい表情を浮かべる。
『気に入りませんが、アレの言う通りですね。ナディアもハンターも甘すぎます。異分子は剪定しなければ、世界は存続できない』
「……わらわはそうは思わぬ。異分子や弱者を切り捨てた先にあるものは、繰り返し先細るだけの未来じゃ」
『愚かですね、ナディア。それで傷つくのは、結局ハンターではないのですか。あなたも一軍の長ならば、最も辛い選択は自ら背負いなさい』
またもやぐうの音も出ない。腐っても大精霊、バイアスはかかっているが大局をみた発言をする。
「……せめて証拠さえあれば……」
ナディアは総長ではあるが、ハンターが納得しない命令を強要したくはなかった。
もし強化人間と戦うなら、彼らが納得するだけの材料を揃えてから……そんな考えが甘かったのだろうか。
「今日のあなたは随分おしゃべりね。私よりもナディアの方がタイプなのかしら??」
にこりと笑みを浮かべるベアトリクス。少年は露骨に眉を顰め。
「君とは話が合わない。同属嫌悪というやつだよ」
「ナディアとは話が合うの?」
「そういうわけじゃないさ。ただ……そうだな。まだ世界とヒトの共存を諦めない若者に対する、老婆心からのアドバイスだ」
それ以上話す事はないと言わんばかりに少年は研究室の隅にある椅子に腰を下ろした。
「結局あやつは誰なのじゃ?」
「“三年寝太郎”って図書カードに書いてたわね」
『そんなことより早く検査を始めないと、クリムゾンウェストに戻されますよ』
「そうじゃな……って、ん!? おぬしが仲間に加わったのに戻されるの!?」
ナディアの言葉に話を察したのか、トマーゾとベアトリクスも目を丸くする。
『私の召喚は本能ですから、正直止め方がわかりません……』
「はあああああっ!? それでも神なの!?」
『むぅ……!? 神の存在規模をなめないでください。力とその影響範囲が膨大過ぎて、どこがどうなってるのか把握するのには時間がかかるんです。あなたのような矮小な存在は自分を操るのに苦労したりしないのでしょうけれど???』
「ぬああああああこいつムカツクんじゃあああああ!!!! 教授早く追い出してくれぇええええ!!!!」
自らの額を壁に叩きつけながら絶叫するナディアに、トマーゾとベアトリクスは同時に肩をすくめた。
シュレディンガー
ラプラス
それは強化人間だけが理由ではない。地球圏に残留しているVOIDたちが、徐々に活発に動き出そうとしているのだ。
『もう間もなくこの世界も終わりか。すべて計画通りだというのに、面白くなさそうだな』
統一連合政府が議会を置くマンハッタンの地にて、黙示騎士シュレディンガーは街を眺めていた。
イースト川のむこう、ルーズベルト・アイランドの夜景を眺めながら退屈そうに眼を細める。
「予定通りっていうのは愉快ではないねー。あと僕、RPGのラスボス戦直前で急に萎えるタイプなんだよ。キャラの強化とか準備はもう万全で絶対勝てるし、ストーリー展開も読み切れてるのに、わざわざラスボス倒す必要ない気がしちゃうんだよね」
『何の話かわからんが、勝者の余裕といったところか』
黙示騎士ラプラスの言葉にシュレディンガーはあくびを返す。
そう――退屈だ。世界を滅ぼすのは、いつも退屈だ。
だってそうだろう? 世界はいつだって“勝手に滅びる”運命にある。
これまで数えきれないほどの世界を滅ぼしてきた。けれど、どの世界も辿る末路は同じ。
自滅。自滅。自滅。自滅。
「どんなに美しい物も、どんなに尊い物も、何の価値もないんだよ」
世界の構造そのものが間違っている。自分はその間違いを少しだけ早めているだけ。
エバーグリーンは勝手に滅びた。リアルブルーも勝手に滅びるだろう。そしてクリムゾンウェストも、その例外にはならない。
「血の宿業、か。最初にそう呼んだのは、誰だったかなぁ」
どうでもいいか――そう結論付ける。
ああ、大抵の事はどうでもいい。どうせいずれは滅びる定め。考える事すら面倒だ。
『イグノラビムスも使うのだろう?』
「“故郷”の幕引きは自分の手でやらせてやりたいしねー」
それでもあの獣は止まらないだろう。決して満たされない渇きに苦しみながら、命を屠り続ける。
「歪虚が満たされる時は来るのだろうか」
シリアスに呟き、風がくせっ毛をなぜる。次の瞬間にはケロリと笑顔に戻っていた。
「は?、シリアスごっこ飽きちゃった。部屋に戻ってネトゲやろ?っと。女の子のフリしておっさんに装備貢がせる遊び徹夜でやるんだ」
『それは楽しいのか?』
「まあまあ」
ビルから飛び降りるシュレディンガーに続き、ラプラスも身を投げ出す。
次の瞬間、二つの影は夜の街から消え去っていた。
(文責:フロンティアワークス)
『市街地の中央で起きた発砲事件は、市民に20名弱の死傷者を出す惨事となり……』
『異世界からやって来た正義のヒーロー、覚醒者により悪の強化人間は打倒されました!』
毎日のように世界中で放送される強化人間にまつわる事件に民衆は釘付けとなった。
彼らは強化人間という驚異の存在により安全を脅かされる被害者である。そしてその身の安全を守るため、行動を起こし始めた。
――強化人間、排斥運動である。
その責任追及の矛先は、強化人間の管理と流布の元締めに当たる、統一連合政府へと向けられた。
官僚答弁で時間を稼ぐ政府への不満と不信は日に日に増し、議会の置かれたマンハッタンでは毎日のようにデモが繰り返される。
プラカードを掲げたりドナテロの写真に火をつけているくらいならば可愛いものだったが、警備部隊との武力衝突まで始まると、最早流血は避けられなかった。
ドナテロ・バガニーニ
「そう、我らも被害者だ! 仕方がなかった!」
統一連合議会の控室に、4名の初老の男が並んでいた。人種、国籍も様々で、それが個人的な繋がりであることを示していた。
3名の武装兵を伴い、ドナテロ・バガニーニ(kz0213)は男たちを糾弾する。
「何故であるか……!? 何故……VOIDと手を組んだのだ!?」
ドナテロの声は大きかったが、しかし怒気を孕んではいなかった。純粋に疑問、或いは悲愴か。そういった複雑な感情が垣間見えた。
強化人間による調査が大きく進展したのは、奇しくも強化人間暴動事件で協力者が大幅に増えた為だった。
既存の物に新たな路線の情報網を加え、ひとつひとつ、改ざんされていた情報を丁寧に拾い集め、そして辿り着いた。
彼ら――統一地球連合議会に属する国家代表議員たちの中に、強化人間のルーツがあったのだ。
「最初から手を組んでいたわけではない! 我々はあの力が……覚醒者の力が欲しかったのだ!」
「異世界の英雄! VOIDを打ち倒す新たなるイコン! 現代に叙事詩を紡ぎあげれば、政府による統治は完璧なものとなる……そのはずだった」
名古屋クラスタ殲滅戦で、異世界から来た英雄たちは圧倒的な光を放った。
それまでは“異世界対策特別法”などと言って“奪う”つもりだった力が、どれだけ遠い場所にあるのかを理解した。
あんな怪物たちに真っ向勝負を挑んで勝てるわけがない。だから、自分たちも同じになりたかった。
「そんな時、覚醒者のデータがもたらされた。これを提供したのは、トマーゾ・アルキミアと聞いている」
「違うのである! トマーゾ教授は技術の開示に慎重な男。誰よりも人類を信用しないからこそ、何の意味もない誤魔化しのデータしか与えていないはず!」
「だが、そう聞いていたのだ! それで、我々は……そう、トマーゾもいけないのだ。アレが最初から正しい情報を提供していれば、こんなことには……!」
どうあれ、研究は始まってしまった。それが正しい手段だと信じて。
トマーゾも、異世界人も出し抜くために秘密裏に行われた研究は、数多の強化人間を生み出していった。
そうやって強化人間が増えたところで、初めて知ったのだ。
「アレが……VOIDの力であると……」
「取り返しのつかないことをしてしまった……それはわかっていた。だから、我らは……」
「隠したのであるか……? なぜその時! 過ちに気が付いた時! 我輩に相談してくれなかったのであるかッ!?」
ドナテロは泣き出しそうだった。彼らは共にこの世界を良くしようと立ち上がった同志たちの筈。
彼らの後押しがあったから、ドナテロは議長になれた。心から彼らを信頼し、仲間だと思っていたのに。
「もう遅いのだ、バガニーニ……。我々は、死にたくなかった……」
「黙示騎士の恐ろしさ、貴様も知っているだろう? 逆らえるわけがない……それに、手を貸せば我らを永遠の楽園に導いてくれると約束したのだ」
「楽園……? そんなものVOIDに作れるわけがないのである!」
「だが事実として、VOIDというのは寿命もないというではないか。黙示騎士など、何千年も生きているという」
「我らも老いた。恫喝と不死の魅力に抗えるほど……そして人々と向き合うほど、勇敢ではいられなかったのだ。許せ……許してくれ、バガニーニ」
いかめしい顔つきの男たちが泣いていた。
自分たちがあまりにも情けなく、何より死が恐ろしく、既に取り返しのつかない現状に泣いていた。
やるせない様子で二の句を失ったドナテロであったが、けじめはつけねばならない。
「……諸君らを拘束する。そして情報の出所について洗いざらい説明してもらおう。その暁には我輩も一緒に民間人に頭を下げ、誠心誠意許しを得られるよう努力するのである」
「バガニーニ……お前……」
「うっわー……オッサン同士の友情物語とか、マジでないわー。キモキモのキモだわー」
声が聞こえたと同時、兵士の発砲音が聞こえた。
だがすぐに銃声は鳴りやんだ。黒い影――マクスウェルの姿を取った黙示騎士シュレディンガーが、兵士を一瞬で斬り殺したからだ。
血に染まった剣ごと外見の模倣を解くと、シュレディンガーは退屈そうに椅子に腰かける。
シュレディンガー
「なぜここに……!? じゃないよね? バレちゃったからおしおきにきたんだべぇ?」
その言葉に初老の男たちがガタガタと震えだす。だが、ドナテロだけは彼らを庇うように毅然と立ち向かった。
懐からピストルを取り出し、両手で構える。その様子をシュレディンガーは滑稽そうに笑うだけだ。
「……アッハハハハハハ!! なにそれ!? 5mm弾で黙示騎士倒せるわけないじゃん! ほーれ好きなだけ撃って来いよ?。ビビってんのか?い?」
アゴを突き出し、中腰になって煽るシュレディンガー。だがそれも長くは続かない。
「でさ。ドナテロ君も改心してVOIDについたら不老不死にしてあげるけど、どうする?」
「断るのである。我輩は人類の代表、統一連合議会議長、ドナテロ・バガニーニ! VOIDには……決して屈しないのである!」
「あはっ! ガッタガタに震えながらイキっても滑稽なだけだよねー。でもまー、うんうん。君ってそういう奴なんだよなー」
その言葉には違和感があった。どこか遠い過去を懐かしむような、何かを惜しむような響き。
「ま、いいや。君に真実ってやつを教えてやるよ。この世界の裏側に潜む、目を覆いたくなるような醜い真実を」
ニッと歯を剥き少年が笑う。同時にパチンと、小さな指が音を立てた。それが合図だった。
四人の議員が身悶え始める。手足をバタバタと壊れた人形のように激しく動かし、白目を剥き、しかし顔は鬱血したように真っ赤だった。
「いぎぎぎぎひぃいイイイイイイ!?」
「バガニーニ……グ、ガ……アガガガガ……!!」
「か……彼らに何をしたのであるか!?」
「ん? 不死になりたいっていうからしてやったんじゃん。真の救済にようこそ! これで死の恐怖とも生の苦痛ともおさらばだ!」
骨が砕け肉が変形し、皮膚を突き破り黒い触手が暴れ出す。
醜い怪物――VOIDに姿を変えた議員たちがドナテロへと迫る。
「楽しみなよ、ド・ナ・テ・ロ・く・ん」
恐怖と絶望に引きつった横顔を眺め、シュレディンガーはうっとりと笑みを浮かべた。
ナディア・ドラゴネッティ
南雲芙蓉
『はい。どこからか流出した情報が世界各国に広がっています。もう、情報拡散を止める方法はありません』
リゼリオの通信機越しに南雲芙蓉がうつむくと、ナディア・ドラゴネッティ (kz0207)は思わず舌打ちする。
地球統一連合議会とVOIDに繋がりがあり、そこから強化人間技術が齎されたのだと、誰かが世界中に情報を発信していた。
トマーゾ教授も芙蓉も、他の民衆と同じタイミングでこの話を知った。
「デマではないのか?」
『いえ、内容はかなり信憑性があります。事細かに調べられていますし、過去の記録と矛盾もありません。ドナテロ議長にもすぐに連絡をとったのですが……』
議長へ直通の連絡手段も通じる事はなかった。
彼がこの騒動から逃亡を図るとは思えない。であれば既に始末されたのか――或いは、捕えられたのか。
「無事でいてくれると良いのじゃが……。なんだかんだ言って、あの男はまだこの世界に必要じゃからな」
『こちらでも議長の調査は続けています。もし“敵”に捕らえられている場合は、ハンターの皆さんのお力が必要になります』
面倒な事になった。盛り上がった数えきれないほどの被害者たちは、その怒りや恐怖をぶつける先を探している。
トマーゾ教授や異世界勢力への牽制を兼ねた情報流出であるとすれば、立派な“敵”からの攻撃と見るべきだ。
『状況はかなり混乱しています。引き続き強化人間の暴動を抑える必要がありますが……その、強化人間の方々も、知ってしまいましたから』
強化人間技術は――VOIDに由来するものだ。
今はまだ、ただの噂に過ぎない。だがそれが真実だと、彼らはきっと勘づくだろう。
『強制的な暴走ではなく、自暴自棄になった強化人間が故意に暴動を起こせば、取り返しがつかなくなります』
「いや。最早故意なのか強制なのかさえ分からなくなってしまった……それも敵の策か」
いつになくナディアは苛ついていた。
その暴走が故意なのかそうでないのかによって対応も変えなければならない。いや、ハンターは変えようとするだろう。
だが、強化人間が正しい戦闘能力を戦術的に発揮して来たら、説得しようとしたハンターが返り討ちになる可能性もある。
「やはりわらわが甘かったか……」
『トマーゾ教授も対策に動いてくれていますから、転移座標の調整や皆さんとの連絡役は私が引き継ぎます。私は……全てにおいて中立の存在。最後まであなた達の味方です』
芙蓉は自らの胸に手を当て、深呼吸を一つ。
『……私はナディア総長と同じ。大精霊と契約した、“守護者”と呼ばれる者です』
「やはりそうか。いや、月の戦いの時の報告は受けておったからな」
驚きは少なかった。だが、そうであるならば……リアルブルーの大精霊も、この状況を見ている筈だが。
『私は守護者としては見習いですが、星を守護する任において、ナディア総長と同じ立場にあります。どうか、皆さんの戦いに私をお役立てください』
強化人間技術がVOIDに由来するものであるという告発は、強化人間本人の耳にも届いていく。
受け入れられない現実に絶望する者、それでも尚、自らの本懐を果たそうとする者……。
怒りと混乱が、青い星を飲み込もうとしていた。
(文責:フロンティアワークス)
南雲雪子
ネイサン・アワフォード
ナディア・ドラゴネッティ
ベアトリクス
トマーゾ・アルキミア
トモネ・ムーンリーフ
落ち着いた、しかし疲労を滲ませた声で南雲雪子が呟く。
崑崙の通信室には雪子とネイサン・アワフォードが。そしてリゼリオの通信室にはナディア・ドラゴネッティ (kz0207)とベアトリクス・アルキミア (kz0261)が同じく神妙な面持ちで対峙する。
『ニダヴェリールは反重力機関による浮遊、単独での大気圏離脱が可能な上、絶対防御とも言うべきバリアを持つ移動要塞です。正直、サルヴァトーレ級での攻略も困難です』
「それが敵に奪われてしまった、と……」
ナディアの呟きにネイサンはがっくりと肩を落とす。
『いや?面目ない……といってもあれはムーンリーフ財団が管理していたものですから、阻止は困難だったでしょうね!』
「そもそも反重力機関ってなんじゃ?」
「サルヴァトーレ・ロッソを飛行させたり、宇宙コロニーを維持するために使用されているものよぉ。結論を言うとエバーグリーンからおじいちゃんが持ちこんだマジックアイテムね?」
トマーゾ・アルキミア (kz0214)がエバーグリーンを脱出する際、リアルブルーに持ち込んだオーバーテクノロジーが3つある。
生命(広義では惑星を含む)の持つエネルギーを利用するマテリアル技術。
CAMなどの原型となった、自動兵器技術。
そして、物体の質量をキャンセルする反重力機関だ。
「反重力機関はエバーグリーンの限られた工場で、限られた資材から限られた数だけしか生産できなかった。具体的にはアレは“星の核”を人工的に再現したもので、それそのものが超高密度なエネルギー源でもあるの」
『トマーゾ教授の力を以てしても、今のリアルブルーでは増産できないそうです。つまり、彼が最初に持ち込んだ数しか反重力機関は存在しない! 一つ一つがべらぼうに貴重なのです!』
『故に、破壊されたコロニーから反重力機関を回収すること、それを再利用することは、地球にとって非常に重要な意味を持っていました』
VOID戦役で破壊されたコロニーは数多く、搭載された反重力機関も散逸したものと思われていた。
ムーンリーフ財団は統一地球連合軍と協力し、この回収作戦を買って出た。そしてコロニーの残骸からニダヴェリールを作り、地球を守る盾を求めた。
『もちろん、実際の運用は軍が担う予定でした。しかし、統一地球連合軍は各国の連合軍であり、兵器開発や人員の補填は各国企業とその国家組織に依存しています。……結局のところはこの組織体制に問題があり、人類が国の垣根を超えて一つになることはできなかった、という結論なのかもしれませんわね』
『ウーン、兵器開発とか半分くらいウチの会社がやってますからねぇ。ウチが反旗を翻したら兵器供給はストップです。そこまでではないとしても、ムーンリーフ財団の機能停止は影響デカいですよ』
「トモネ殿は……大丈夫であろうか」
ナディアがトモネと顔を合わせたのは反影作戦より前の事だが、まだ年端も行かぬ少女であったはず。
ニダヴェリールを強奪したのが腹心のユーキ・ソリアーノであったという報告が事実なら、もう二度と立ち上がれぬほどの傷を負っていてもおかしくない。
『ドナテロ議長の行方も知れず、軍も議会も……正直、今や機能不全です。最上部から指示が下りないまま、現場ではその場しのぎの対応が続いています。私も今や、ほぼ独断で行動しているくらいです』
「うーん。けっこう普通に詰んでるわね?? 何をどうしたら解決できるのか、見当もつかないわ?」
「というか、敵の狙いはなんなのじゃ? 混乱が続く、同士討ちをする……それはわかる。が、それだけでは意味がなかろう?」
歪虚の目的が世界を無にすることだというのなら、結局このままではその目的は達成できないだろう。
強化人間が排斥されようが、混乱により人類が殺し合おうが、結局そこまで。
「人類は一匹残らずお互いを殺し尽くすほど、愚かではない」
『仰る通りですわ。戦争はその目的を達成するか――目的に見合わない程の血を流せば終息する。極端な話、何もしなかったとしてもこの世界は滅びません』
「だから、何か別の狙いがあるんじゃないかしら? それが何かって言われると、私にもわからないんだけど?」
四人はそれぞれ頭をひねる。だが、現時点で得られている情報では答えは出せないとわかっていた。
『とにかく、僕らはドナテロ議長を捜索しつつ、軍や議会を再度まとめられないか動いてみます。ナディア総長、それまでなんとかお力添えをお願いします!』
シュレディンガー
ユーキ・ソリアーノ
荒れ狂う海。
吹き荒ぶ風。
文字通り嵐のような中を、かつて『希望の象徴』と呼ばれた建造物が突き進む。
「あっはっはっ! いやー、最高だね!」
ニダヴェリールのブリッジでシュレディンガーは高笑いしていた。
外見は二十四時間自宅警備をしているように見受けられるが、これでも古参の黙視騎士だ。
「ありがとうございます」
ユーキ・ソリアーノは深く頭を下げた。
ムーンリーフ財団総帥付きの世話役兼補佐役であったユーキだが、ニダヴェリールの除幕式の最中に反旗を翻していた。
「苦労した甲斐があったよ。統一地球連合議会へ接触して強化人間を広めたり、坊主くんに翼の欠片を渡して強化人間を暴走させたり。あれもこれも苦労は全部、あの瞬間の為だよね」
この日までシュレディンガーは様々な工作を行っていた。
エンドレスの集めた戦闘データを元に、強化人間の技術提供や増産の支援。
さらに慈恵院明法を使って強化人間暴走の予行練習。
それもすべてこの為に準備されてきたのだ。
「あ、坊主くんの支援も感謝するね」
「はい。総帥が下された強化人間捜索の妨害や逃走の際の痕跡を消去などをさせていただきました」
今回の歪虚側の作戦では、ユーキが大きく働いていた。
ユーキが行ったのはニダヴェリールの強奪だけではない。ムーンリーフ財団を使い、強化人間暴走の支援を行っていた。
慈恵院明法の如意輪観音やエリュマントスもユーキが影で作らせていた兵器である。ロンドンの暴走事件も含め、ユーキは前からシュレディンガーと繋がっていた。
「それから報告です。敵艦のラズモネ・シャングリラも奪取に成功しました」
「いいねー。まさに大成功じゃない。この調子で強化人間の増強もしないとね」
「増強ですか」
「そ。ここで油断してたら、危ないでしょ。こういう時こそ戦力を上げておかないとね。じゃあ、後は頼んだよ」
そう言い残して、シュレディンガーは姿を消した。
ニダヴェリールのブリッジは、ユーキ一人となった。
「…………」
ユーキはトモネからプレゼントされた革靴を鳴らしながら、窓際まで歩み寄った。
外では相変わらず嵐のような光景である。希望の象徴は、嵐の中を突き進んでいる。
「これから……そう、これからです。私の戦いは始まってしまったのですから」
ユーキは、海の彼方を見据えている。
トゥールビヨンの腕時計は、今も時を刻み続けている。
ドナテロ・バガニーニ
ファナティックブラッド
ネイサン・アワフォード
ナディア・ドラゴネッティ
その演説映像は、そんな言葉で切り出されていた。
地球統一連合議会は、国連を解体・再構成した国際組織であり、地球統一連合宙軍とあわせ、VOIDと戦う人類の希望であった。
彼らの行動には良い部分も咎めるべき部分もあったが、結論としてはドナテロ・バガニーニ (kz0213)議長の下、クリムゾンウェストと連携し、火星クラスタを撃破するに至った。
VOID戦役が終息しても、未だ完全にVOIDの脅威から解放されたとは言えないリアルブルーにおいて、連合議会は今後も世界を牽引する組織であるはずだった。
そのドナテロ議長がいつものように迫力のある演説に乗せたのは、VOIDへの降伏の言葉。
『圧倒的な力を持つ邪神ファナティックブラッドを前に、人類に残された時間は決して多くない! 我々は一刻も早くVOIDに恭順を示し、邪神と一つになる必要があるのだ! その先にこそ人類の存続、永久に約束された楽園が待つであろう!』
『などと供述していますが、流石に偽物でしょうね!』
ネイサン・アワフォードはあっさり断言する。
実際のところナディア・ドラゴネッティ (kz0207)も同感であった。あのドナテロが、臆病で図々しくてナルシストな小太りの男が――それでも義理堅く、熱い心を持ったあの男が、人類を裏切るわけがない。
「いやしかし、結局ドナテロは見つかっておらぬのだろう? 操られているという可能性もある」
『ですね。本物かそうでないか、そこは厄介です。まあ、知人は彼の裏切りをフェイクと見抜けますが――民間人はそうではないので。本物、と見るでしょうね』
リアルブルー人は実のところ、VOIDという存在に疎い。
最前線で戦う覚悟を持った軍人以外は庇護下にあるのだから、VOIDを直接目にした者の方が少ないだろう。
『彼らにしてみれば“宇宙人”くらいの理解……いえ、“クリーチャー”ですか。宇宙人と定義しているなら人権団体が騒ぎそうなもんですが、そんな声は聞いたことありませんからね』
なんにせよ、ドナテロが操られているかもしれないとか模倣されているかもしれないという発想に至ることはないだろう。
『議会とVOIDには繋がりがある。議員は裏切り者だ、という以前からの噂を補強しています。元々暴動待ったなしでしたが――不可解な事に、世界各地でVOIDとの交戦が始まっています』
「はあ? それは……どういうことじゃ?」
確かに地上には火星クラスタから分離したVOIDがまだ残留している。
が、その多くは活動休止状態であり、絶対数も少なく大した脅威とは認識されていなかったはず。
『それが……どうやら敵がワープしてきているようなのです。異世界から、地上に、直接』
「何!? なぜ、そんなことができる!?」
『さて、なぜなのか……。VOID戦役中も、VOIDが直接地上に出現することはなかった。だから火星クラスタなんて仰々しいもので直接乗り付けたわけですし』
「……であるならば、何らかの理由で新たにできるようになった……ということか?」
それが妥当な推論だろう。だが、原因がわからない。
なぜ今になって? 元々できたのにしなかったのか? それとも連合議員が何かを……?
「駄目じゃ、わからぬ……! 情報が少なすぎる……対策のしようがないっ!!」
『ええ、同感です。今はとにかく、出てくるVOIDを倒すしかありません。そして各国と民衆の暴走を抑えるために――彼らより先に、世界中に逃亡した悪徳議員を捕えるしかありませんね』
ハンターズ・ソサエティに出撃を依頼する地域とその詳細を伝え、崑崙との通信は途絶えた。
その直後、ナディアは苛立ちを隠そうともせずにテーブルを拳で叩く。
「モノに八つ当たりなんてみっともないわよー、ナディア?」
ベアトリクス
疲れた表情で振り返るナディアを見下ろし、ベアトリクス・アルキミア(kz0261)は眉を顰める。
「仕方なかろう……リアルブルーの状況は悪化の一途じゃ」
「それもペースが速い。ちゃんとテンポよく攻めてきてるわね」
「……ベアトリクス、何か策はないのか!? 神の力を持つおぬしなら、良い考えの一つや二つ思いつくじゃろう?」
「残念だけど、それは無理ねー。まあそもそも、星の危機に対し神様に縋ろうって考えはナンセンスよ。わかってるでしょ、あなたも」
そう言ってベアトリクスはナディアの頭に掌を置き、ゆっくりと撫でる。
「大丈夫よ。きっと逆転の目はあるわ。その一瞬の好機を逃がさないために、今できる事をしましょう」
「だが……わらわが手をこまねいている間に、ハンターは望まぬ戦いを強いられておるのだぞ……」
「うーん……まあ、それはそれっていうか……たぶん彼の意図はそうっていうか……試しているっていうかぁ……だから、みんなの努力は無駄じゃない。ちゃんと“神様”は見ているもの」
意味が分からず首をかしげるナディア。
ベアトリクスの笑みには、どこか確信めいたものがあった。
ラヴィアン・リュー
南雲雪子
ユーキ・ソリアーノ
南雲芙蓉
大精霊リアルブルー
地球上をランダムに飛行し続けており、特にこれと言って行動を起こす気配はない。
「今日も動きはなし、ですか……」
ラヴィアン・リュー(kz0200)が更に眉間のシワを深くしながらモニターを睨む。
サルヴァトーレ・ブルの艦橋では、もう何日も奇妙な緊張状態が続いている。
現時点における地球上の最大戦力であるサルヴァトーレ・ブルだが、しかしそのマテリアル主砲もニダヴェリールの重力バリアの前には通用しなかった。
マテリアル主砲はこの世界でも最高ランクの攻撃兵器だ。これ以上の瞬間火力となると、核ミサイルでも打ち込むしかないだろう。
かといってこれを捨て置くわけにもいかず、何か動きがあった時には即時対応しろとの命令を受けたものの、その後何も起きず、更に混乱の中で命令が下りてこないという二重苦に苛まれていた。
「特に何をするわけでもないので全戦力を投入するほどの脅威ではなく、かといってブルでは落とせない……これもユーキ・ソリアーノの戦略なのだとしたら、大したものです」
「無視もできませんからね……結果的に、サルヴァトーレ級を手玉に取っています」
艦長席で南雲雪子がこきこきと首を鳴らす。
事件は世界中で起きている。どこも現地軍や統一連合宙軍の一部が独断で対応しているが、手は足りない。結局ハンターズ・ソサエティの協力が必要だ。
「仮にブルを動かせたとしても、市街地戦には向きません。火力とサイズが大きすぎますからね」
「そういう意味ではハンターという戦力は実に万能です。小回りも効くし頑丈で火力もある。超小型の戦車みたいなものですから」
「結局我々に出来るのはせいぜいニダヴェリールの監視ですわね……」
「軍の命令を無視することも想定に入れなければなりませんか」
堅物のラヴィアンまでそんなことを言うのだから、状況は実に末期的である。
「……VOIDの異世界からの転移すら許している状態です。このままでは地球は持ちません! 我が神よ、どうか人類にご慈悲を!」
一方そのころ。月面基地崑崙の一室に閉じこもり、大精霊リアルブルーは山積みになった本を消化していた。
買ってみたはいいがどうにも食指が動かないという矛盾で放置していたものを読み始めたのは、世界の終わりを実感したからだ。
「慈悲はあるだろう。だからこれまで転移を防いでいたわけだし……というか、僕は今も防いでるつもりだし」
表紙の外れた古本から視線すら動かさない“神”に、ついに南雲芙蓉も顔色を変える。
「我が神、ご無礼をお許しください!」
ひったくった文庫本を少年の額に叩きつけると、クッキリと背表紙の形が赤く残った。
「痛いなあ。神に手をあげる守護者がどこにいるんだ……いや、向こうには50人くらいいるか」
「このままでは、あなた自身が消えてしまうのですよ!?」
「僕は別に消えてもいいと……」
「私が! あなたに! 消えて欲しくないのです!」
ぽりぽりと頬を掻き、少年は溜息を零す。
「……まだそんなに慌てる段階じゃない。敵の狙いは概ねわかってるしね」
「ならば今からでも遅くありません。ハンターズ・ソサエティと協力して……」
「それはダメだ。彼らには彼らの役割が、僕には僕の役割がある」
「意地を張っている場合ですか!?」
「意地じゃない、順当な権利だ。……やれやれ、ポンコツ守護者のせいでゆっくり読書もできないよ。仕方ないからマスティマでもいじってくるか」
座った姿勢のままふわりと浮かび上がり、そのままふよふよと飛んでいく。
そんな神の後姿を見送り、ポンコツ守護者は盛大に溜息を吐いた。
(文責:フロンティアワークス)
ドナテロ・バガニーニ
マクスウェル
シュレディンガー
男は――ドナテロ・バガニーニ (kz0213)は、粗雑な作りの椅子に縄で拘束されていた。
その扱いはとても人道的とは言えない。床には爪や歯、皮膚片、そして血痕が遺されている。
顔は打撲でボコボコに腫れあがり、内出血を示す青痣が。パンツ一丁にひん剥かれた体には、鞭打ちの痕があった。
「ドナテロく?ん、まだ生きてる??」
重い鉄扉が開くと、自動的に照明が男を照らす。
手に食事トレイを乗せた黙示騎士シュレディンガーと、腕を組んだ黙示騎士マクスウェル。二体の高位歪虚が歩み寄る。
『フン……無様だな。おいシュレディンガー、何故この男を生かしておく?』
「何度も言ってるじゃん。僕の趣味だよ」
マクスウェルにとって、拷問やら監禁は全く理解できる趣向ではない。
彼の心根は戦士そのものだ。無意味に弱者を痛めつける事は好まない。だが、シュレディンガーは違う。
ドナテロを拷問し、治療し、また拷問し、治療し……食事も与え排泄物の処理も丁寧に行っていた。
「君も放送は見ただろう? ドナテロくんはもう全世界、全人類の敵となった。世界中が疑心暗鬼になって、内乱になるだろう。もう君に帰る場所はない」
ドナテロの正面に置かれた椅子に腰かけ、シュレディンガーはニマリと笑う。
「どうだい。もう人類の為に頑張る理由はないんじゃない? 大人しく僕と契約して、VOIDになってよ!」
男の身体は恐怖にブルブルと震えていた。最早虚勢を張る余裕すらない。
泣きわめき、命乞いをした。下の世話もされた。すっかり人間としてのプライドは消え去っている。だが――。
「それは……できない……」
ハッキリとした拒絶だった。
「は? まだ痛めつけられたいの?」
「い、痛いのは嫌である! ごめんなさい、許してくださいであるぅ??っ! なんでもします! 痛いのは嫌であるぅううううっ!!」
「今何でもするって言ったよね? だったら……」
「――それは、できないのである」
ピクリとマクスウェルの触覚が動いた。
闘気だ。この男、これだけ無様を晒しているのに。恐怖に涙と鼻水を垂らしているのに、闘気がある。
「確かに、我輩にはもう帰る場所はないのだろう。帰ったところで……異世界の友人達に、迷惑をかけるだけだ。後の事は、きっとトマーゾ教授や南雲艦長、アワフォード社長が引き継いでくれる」
「だったらもういいだろ? 人類を裏切るのがそんなに嫌?」
「誰かを裏切るのは、別にいいのである。我輩は姑息で矮小な男だ。これまでだって、誰かを裏切って来た。でも……」
ぐっと紫色の唇をかみしめて、男は絞り出す。
「自分だけは…………裏切りたくないっ!! もう誰も我輩を信じてくれなくても……我輩を必要としてくれなくても……せめて、自分だけは守らなくては……それが、“人間”だと思うから……」
僅かな沈黙。後、マクスウェルが低く笑う。
『ククク。この状況でよくもまあ……クハ、ハハハ!』
笑い声が響く中、シュレディンガーは無表情を崩さない。
そしてドナテロは、ぽろぽろと涙を零し続けた。
「……怖かったろうなあ。痛かったろうなあ……」
『……ん?』
「強化人間の子供達は、何もわからぬまま死んでいった。可哀そうである……。異世界の友人たち……ハンターの皆も、いつも痛くて怖くて、それでも戦っていたのであるなあ。こんな、こんなにどうしようもない、黙示騎士のような敵を相手に、何度も倒れ、傷つきながら……」
黙示騎士は――本当に怖かった。
怖い、怖い。それしか考えられない。何がどうなったらこれに立ち向かう勇気が持てるのだろう?
生物としての本能が全力でアラートを鳴らしている。言葉を交わすだけで恐怖で心臓が止まりそうだ。
そんなバケモノどもを相手に。まだ年若い少年少女さえ。何度も、何度も……。
「帰してあげたかったなあ……。故郷に……家族のところに……。そして……戦いのない世界を……彼ら、に……」
一体誰が、彼らの苦しみを理解していたのだろう?
自分を置いて他に誰が、彼らに未来を作ってあげられただろう?
大人として、一人の人間としての責任を果たしたかった。ハンターを――“助けてあげたかった”。
『…………? こいつ、気絶したのか?』
「ああ……まったく。君ってやつは……どこまで醜悪(バカ)なんだ」
片手で顔を抑え、シュレディンガーは静かに呟く。
「昔からそうだった。自分勝手でどんくさくて……でも、本気で何かを……誰かを救おうと……そう、僕が孤児院でいじめられていた時も……」
『シュレディンガー? 一体何を言っている?』
「――あ? ん? 僕、今なんか言ってた?」
振り返った少年は、マクスウェルの知る少年だった。
「ごめん。色んな歪虚や人間の真似してるから、たまに変な事言うんだよね。特に問題はないから、気にしないで。さーて、気絶してる間にドナテロ君のお世話しなきゃねー。一流の“メイド”として……」
ブツブツと独り言をもらしながら、かいがいしくドナテロの治療をし、食事の代わりに点滴を打つ。
その姿はまるで――愛する人への奉仕のようだった。
●
ジェイミー・ドリスキル
トマーゾ・アルキミア
それが、強化人間ジェイミー・ドリスキル (kz0231)が目覚めた第一声だった。
その言葉を聞いたトマーゾ・アルキミア (kz0214)教授がベッドに横たわるドリスキルの顔を覗き込む。
「ん? 気分が悪いのか? おかしいな、そのような後遺症は残らないはずじゃが……」
「目覚める時は美女のキスと決めていたのに、目を開けたらムサいじいさんが居やがった。こいつはきっと、悪い夢だ」
額に手を当ててため息をつくドリスキル。
トマーゾはドリスキルの言葉をあっさりと聞き流す。
「はぁ。それだけ冗談が言えれば十分じゃな」
「ここは?」
「月面基地『崑崙』にある研究所じゃ。お前さんは、強化人間として暴走していたんじゃが、ハンター達に助けられてな。ここに運び込まれたんじゃ」
ローマを舞台にしたラズモネ・シャングリラ奪還作戦は、ハンターの尽力により勝利。
戦車型CAM『ヨルズ』と共に暴走していたドリスキルもハンター達により身柄を確保する事ができたのだ。
「そうか。まったく記憶にねぇ」
「だろうな。やっと強化人間の暴走を止める手段を見つけたが、遅すぎたようじゃ……」
トマーゾは近くの椅子に腰掛けた。
強化人間の研究を進めたトマーゾは、ついに強化人間の暴走を止める手段を発見するに至った。
しかし、もっと早く見つける事ができれば強化人間達の命は失われずに済んだ。ハンター達も苦しい境遇で戦わなくても良かった。悔やむに悔やみきれない事実である。
「暴走って事は、結構被害を出したのか。俺は」
そうトマーゾに声をかけられたドリスキルだが、その内実は後悔していた。
子供達を守る。そう言っていた自分自身が、敵に翻弄されて暴走していたのだ。
記憶にない時間をどのように過ごしていたのか。
そう考えるだけで、気が重くなる。
「今は前だけを見て考えるべきじゃ」
「そうだな。ハンター達に借りを返さなきゃならねぇ。それに俺を暴走させた連中にも。リボンを付けて倍返しにしてな」
「なら、話は早い。強化人間を救うための研究に協力してくれんか?」
「協力?」
トマーゾによれば、暴走を止める手段は見つけたものの、強化人間そのものの研究は完全ではない。暴走を止めたとしてもVOIDに使われる立場はまったく変わっていない。
より多くの強化人間を救う為には、研究を続ける必要がある。
「やるべき事は山のようにあるからな。強化人間を救える事実をVOIDに悟られぬよう秘密裏に動いて欲しいのじゃ。……そうじゃ。お前さんのヨルズは現在修理中じゃぞ。まあ、ムーンリーフ財団が改修していたというから、ここらでしっかり調査しておいた方が良いじゃろう。何か仕掛けられているかもしれん」
「だろうな。あの財団のイケメンがヨルズのシートにラブレターなんぞ仕込んでいたら、俺に気付かれないように捨ててくれ」
ドリスキルの冗談が顔を見せ始める。
その様子にトマーゾは、そっと胸を撫で下ろす。
この調子なら、『あの話』をうまくやり遂げてくれるはずだ。
「ヨルズの修理が完了次第、やって欲しい事がある。お前さんが一番適任じゃ」
指揮系統の崩壊した連合宙軍や正気を保った強化人間による必死の抵抗も、新たに出現するVOIDの増援に押しつぶされていく。
ハンターは要請に片っ端から応じてリアルブルーで作戦展開を繰り返すが、全世界を救う事はできなかった。
「……おうちに帰りたいよ」
避難所として使用された学校の運動場で、膝を抱えた少女が呟く。
戦場となった街はハンターの活躍で救われたが、まだ帰宅は許可されていない。
「お兄ちゃん……わたしたち、死んじゃうの?」
隣に座った兄には何も答えられなかった。
何もわからない。なぜ自分たちがVOIDに攻撃を受けるのかも、何が正しいのかさえも。
政府は沈黙した。軍は機能不全。ハンターは来てくれたり来てくれなかったりで、守ってくれる保証はない。
「俺にも……力があれば」
力が――悪を倒す力が必要だ。
何かを守り、維持し、救う為に。何よりまず、力が必要なのだ。
力がないから守られるだけ。力がないから騙されるだけ。力がないから奪われるだけ……。
「どうして俺たちは……ハンターになれないんだ」
ハンターの中には子供もいる。なら自分だってハンターになれるはずだ。
リアルブルー人は、そういう才能があるのだと前に聞いた。なのにどうして、この手には力がない?
ハンターと自分たちの何が違う? どうして彼らは世界を救おうとヒーローで、自分は怯えるだけの一般人なのか?
「兄ちゃんが……守ってやるからな」
我ながら白々しく思いながらも、妹の頭を撫でた――その時だ。
周囲がざわついていた。暫く途絶えていた“放送”が始まったらしい。
無用の長物になりかけていたスマートフォンの電源を入れると、小さなモニターの中に小さな少女の姿が映し出された。
『――繰り返す。わらわはハンターズ・ソサエティ総長、ナディア・ドラゴネッティ。リアルブルーに暮らす人々に、“力”を授ける者である』
ナディア・ドラゴネッティ
ベアトリクス・アルキミア
ネイサン・アワフォード
シュレディンガー
ナディア・ドラゴネッティ(kz0207)は震える手で“原稿”を見つめていた。
それは彼女が読むために用意されたものではない。誰かが――ナディアの顔と声をした誰かが、“勝手に読み上げた”ものだ。
「リアルブルー人には、覚醒者になる資質がある……。ハンターズ・ソサエティのハンターシステムを使えば、誰でもハンターになれる……」
「嘘は言ってないわねぇ」
横から覗き込み、ベアトリクス・アルキミア(kz0261)が眉を顰める。
「……リアルブルー人が誰でもすぐに“契約”出来るように、イクシード・アプリを開発した。これを使えば、誰でも“ハンター”になることができる……うーん」
「不可能だ! ハンターシステムは! リゼリオにしかないっ!!」
『仰る通りです。ちなみにこれ、インストールする時に利用規約が出てくるんですが、恐らくこれが歪虚との契約書になっています』
モニターの向こうでネイサンが実際にスマホを見せてくれる。そこには書き方さえややこしいものの、見るものが見ればはっきりと“歪虚との契約に同意する”という記述がみられた。
「待て……待て待て待て!! 契約書! 読んでおらぬのか!?」
『歪虚(ヴォイド)ってこういう書き方もあるんですね。リアルブルーだと“VOID”ですから』
「いやっ! そういう……っ!!」
言葉にならなかった。ナディアは口をパクパクと開け閉めしながら、よろよろと椅子に座り込む。
「つまり…………どうなる?」
『簡単に言うと、同意することでVOIDとの契約者――“強化人間”になります』
「どうして疑わない……!?」
『ナディア総長は、昨年崑崙にお越しいただいた際の取材記事などでソサエティの総長として顔が知れています。既にドナテロ議長が裏切ったとされている事により世界中が絶望的状況ですから、彼らにとっては唯一の希望と言えるでしょう』
「シュレディンガー……なのか?」
「そうね。反影作戦の時、私達は彼を止められなかったから……あなたの姿をじっくり観察する余裕はあったはずよ」
「規約はっ!?」
『読みませんよ。目の前の希望に縋りつきたい人達は』
両手で頭を抱えた。最悪だ。
リアルブルー人はもう、自分の身を自分で守らねばならない状況になってしまった。
そして――ハンターという存在があまりにも眩しく、希望として映りすぎている。
憧れる。当然だ。だから、躊躇しない。
『もちろん、怪しんでいる人達も大勢います。しかし、実際にアプリをインストールした人間は、本当に力を得るんです』
「歪虚の負の力、だけどねぇ?」
『負のマテリアルを一般人は感じ取れませんからね。悪の強化人間ではなく、正義の覚醒者になったと感じるでしょう。そして一人が力を示してしまえば、アプリは爆発的に拡散し――』
「もう……沢山だ……」
ネイサンが言葉を止める。ナディアは笑いながら両目からぽろぽろと涙を零していた。
「では、何か? 今度はハンターに民間人を殺せと命じるのか? 何の為のソサエティだ……! 何の為の総長なのだ!? 私はっ! 彼らを人殺しにするために送り出したわけじゃないっ!!」
『……そうですね。兵器開発を生業にする僕が言っても空しいだけかもしれませんが、お気持ちはお察しします』
ネイサンは佇まいを直し、まっすぐにモニターを見つめる。
『僕は、アワフォードは兵器を作っています。兵器というのは、VOIDだけではなく人間にも向けられる力です。僕の大好きなロボットや武器が、不本意ながら殺人に使われる事もあります。それはすごく、哀しいです。でも、力とは本質的にそういうものですよね』
正しく使われれば善となり、間違ってしまえば悪となる。
VOIDの力だとしても、強化人間が人々を守るために使えば善。覚醒者の力だって、犯罪に用いられることだってある。
『人は間違える。それはある意味仕方がない。間違いを否定する事は、生きる事を否定するに等しい。僕らは生きなければならない。その為に哀しくても、間違いでも、受け入れて進むしかないんです』
「……ネイサンの言う通りね。きっとおじいちゃんが何とかする方法を見つけてくれる。それまで持ちこたえましょう」
実際に戦っているハンターに比べれば、自分の苦悩など比べるべくもない。ナディアはそう理解している。
だが――嫌なものは嫌た。
ハンターが。愛すべき彼らが。望まぬ戦いをさせられることが、たまらなく嫌だった。
戦いとは何かを救うためのものでなければいけない。希望という結論に至る、ただの過程であるべきだ。
そうでなければ――ヒトは誰しも、憎悪に呑まれてしまう。
『追い打ちをかけるようで申し訳ないのですが、もう一つ問題があります』
涙を拭って顔を上げると、ネイサンはより一層困惑した様子で。
『実は――VOIDでも強化人間でもないものが……その、なんていうんでしょうか。天使……? みたいなものが、現れたんです』
「「は?」」
『ですから――天使(ANGEL)です。クリムゾンウェストでは、“精霊”と呼ぶのでしたっけ?』
イクシード・アプリは本物だった。インストールしただけで全身に力がみなぎっていく。
そこらに落ちていた鉄パイプやら、やられてしまった軍人や警官の装備を拾って使えば、VOIDにも対抗できた。
「やった……やったぞ!! 俺たちでもVOIDを倒せた!!」
少年が叫ぶと、自然と勝鬨があがった。故郷の街を占拠していたVOIDを、避難所のみんなで倒したのだ。
「お兄ちゃん……お怪我、痛くないの?」
「大丈夫だ。結構血が出てるけど、全然痛くないんだよ。心配かけてごめんな」
VOIDの反撃で少なくない数の負傷者が出たが、この“力”があれば平気だ。
痛みも、恐怖心も消えた。行ける。VOIDに勝てる。“覚醒者”になった今なら――。
「あ……」
少女が兄の腕に包帯を巻こうとした時、空に光が瞬いた。
空間に光が集束し、何かを形作る。転移ではない。元々そこにあったものが結実する――そんな印象だった。
姿を見せたのは、白い何かだった。CAMという、地球の兵器にも似ている。
「天使……さん?」
頭上に光の輪を浮かべたソレはゆっくりと地上に舞い降りる。その姿を人々は黙って眺めていた。
暖かい光だ。それが正のマテリアルと呼ぶべきものであることを、彼らは知らない。
「俺たちを……助けに――」
兄の言葉はそこで途切れた。少女の両手に急に重さが加わった。
肩から先がない。兄の身体は、腕だけを残して蒸発していた。
天使は次々に光を放ち、人々を消し去っていく。
そこに一切の慈悲はなく、言葉も、理解もない。
「お兄ちゃん……?」
空から次々に沸いてくる光の使徒は、闇の契約者を葬り去っていく。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……おにいちゃん…………」
事を済ませると、天使たちは次の目的地に向かって動き出す。
少女はひとり、傷一つ負うこともなく。
兄の腕をぎゅっと抱きしめたまま、静かな街角で一人、膝をついていた。
(文責:フロンティアワークス)
大精霊リアルブルー
トマーゾ・アルキミア
南雲芙蓉
我ながら酔狂なものだと、少年の姿をした神は自嘲する。
月面基地崑崙の秘密ハンガーに立つCAMのコクピットから這い出し、その顔を見上げる。
通常のCAMより一回りほど大きな体躯を持つ、緑のロボット。それは、大精霊としての力を戦闘に用いる為の器なのだという。
大精霊リアルブルーの身体は、あまり強くない。他の大精霊に比べればひ弱で、このオートマトンボディでは戦闘など不可能だ。
そもそも彼(ないし彼女)の存在は既に風前の灯。いつこの地球という世界から消えてもおかしくない程だ。
「今更こんなもの手に入れて、僕は何をしようって言うんだ?」
随分と昔――それこそ、こんな肉体を持たなかった時代。この世界にはまだ神が息づいていた。
ヒトは神と共にあり、彼らはこの世界――即ち星への畏敬を忘れなかった。
だが、ヒトと世界の共存は、ヒトが想定外の存在として成長する度に崩れていった。
中には時折、神の存在を感じる者もいた。
そのような人間たちは「救世主」と呼ばれ、神の存在を人々に語り、乱れた世界を救おうともした。
だが、救世主にも限界があった。ヒトである限りいずれは死ぬ。
故に大精霊は時に、そうした救世主に特別な力を与えた。
死者の復活。生命の促進。未来の予知。浄化の力。神秘のマテリアル――魔法。
だが、ヒトは救世主を信じなかった。救世主の語る「世界」を信じなかった。
それは……別によい。自分だって言うほどヒトに寄り添った存在ではない。
だが徐々に……バランスは崩れ、やがて逆転していく。
「人類はもう……僕(セカイ)より強い」
今の世に神は不要だ。だが、世がある限り神もあらねばならない。
トマーゾ・アルキミア(kz0214)は自分をサルベージした時、そのままにしておけばよいのにあえてオートマトンボディを与え、ヒトの姿を取らせた。
そのせいだろう。余計な事を考えたり、感じたりするようになってしまったのは。
「いや……だからこそ、まだ消えずに済んでいるのかもしれないけど」
「やはりここにいらしたのですね、我が神」
無重力のハンガーを泳ぎ、南雲芙蓉が少年の傍に取りつく。
「使徒の話か」
「はい。使徒は強化人間やアプリ使用者を狙っています。このままでは数多くの人が犠牲になります」
「クリムゾンウェストの大精霊は、結局自分の一部に過ぎない精霊たちを制御できず、ハンターの反撃を受けたんだろう? 何度も言ってるけど、僕も同じ。僕に使徒は止められない」
「では……どうすればよいのです? このまま黙って見ているだけなんて……」
「そんなの僕が聞きたいよ。芙蓉、僕はどうすればよかったんだ?」
少年は振り返り、少女の瞳を覗き込む。
少女もまた、少年の瞳を見た。ヒトの感情など介さない神だと思っていた。なのに――。
「僕の意思じゃない。止めることもできない。これは世界の意思なんだ。あらゆる存在は自己の存続の為に最低限の努力を強いられる。使徒は星を護るために行動しているに過ぎない。……だったら、僕はどうすればよかったんだ?」
神もまた、答えを求めて苦しんでいる。
きっとこの状況は、大精霊が動いたところで避けられなかった。
全知全能の神ではないから、こんなロボットも必要とする。
「……すみません。私、自分の都合ばかり……」
「君の気持は理解しているつもりだよ。そうでなければ、僕は君と契約しなかった」
「でも……気持ちだけでは何も救えないんです。いえ……力だけでも、ですね」
大精霊には大きな力がある。芙蓉には世界を護りたいという気持ちがある。
だがどちらもイマイチかみ合わない。かみ合った所で、何かが変わるわけでもない。だからわからないのだ。
「私……考えたんです。ハンターの皆さんと話して、その姿を見て、感じて……。彼らって、その……たぶん、そんなに先の事は考えてないんじゃないでしょうか」
「え?」
「彼らの戦いは毎回先行きもわからない、誰も知らない未来です。無理だと、できっこないと言われた事を、誰も試したことがない道を進んでいます。わからないのは、みんな同じなんです」
マスティマ
やってみなくちゃわからないことだってある。ハンターはそう教えてくれた。
未来に辿り着くということは、今をなんとか生き抜くと言うことの連続だ。
苦しくても光が見えなくても、とりあえず今を持続する。クリムゾンウェストの未来は、そうやって作られた。
「私は私に出来ることをやってみます。だから……どうかあなたも、悔いなき選択を」
芙蓉は決意に満ちた言葉を残し、ふわりとその身を浮かび上がらせる。
少年は鋼の巨人を見た。鋼鉄の天使を見た。自分に残された最後の力を見た。
「……君は僕を受け入れてくれるかい? “マスティマ”」
●
イグノラビムス
クリュティエ
シュレディンガー
ファナティックブラッド
単純な戦闘力では他の黙示騎士に劣るが、増殖の能力を持ち、単機で世界を滅ぼす事すら不可能ではない。
そうして世界を屠った後には大きく消耗し、眠る。機能の停止。マテリアルの補充。そうして再び滅びを求め彷徨うのだ。
「哀れだな」
ぽつりと、女の声が聞こえた。獣はゆっくりと瞼を開く。
シュレディンガーが作った鋼鉄の棺。その内側から、覗き窓の向こうを見ていた。
女の姿が見える。黙示騎士ではないが、似通ったものだ。
本能的に、黙示騎士の中でも特に自分に近しいと感じた。懐かしさすら覚える。
どこかで過去にまみえたかとも考えたが、すぐに思い直す。
自分は食い残さない。“邪神に取り込まれる前に、焼き払うのみ”。であれば――。
「古き救世主、今は黙示録の獣よ。お前は哀れだ。そして……美しい」
女の手が棺に触れる。口元は仮面で隠れてよく見えないが、声から微笑みも感じられた。
凪のような声だ。特に怪物の類には、心地よく響くに違いない。
「……あっ! こんなところにいた!! あのさ?、勝手にニダヴェリールの中を歩き回るのは勘弁してよね?」
自動ドアを開き、姿を見せたのはシュレディンガーだ。女はゆっくりと振り返り、少し申し訳なさそうに眉を顰める。
「すまない。一度、ゆっくり彼を見ておきたかったのだ」
「イグノラくんを? なんでさ? 君とイグノラくんって因縁なくない?」
「今となっては、な。だが、我と彼には共通項もある」
「ふぅん? テセウスもそうだけど、なんか君も変な歪虚になっちゃったなあ。僕、ちゃんと観測したんだけど」
女は凄まじい負の力を纏った歪虚であり、鋭く射貫くような眼光を湛えている……のだが、どこか柔らかく、落ち着いた印象も受ける。
「元にした情報が拙かったな。仇花の騎士というのは、こういうものなのだろうよ」
仇花の騎士――即ち、クリムゾンウェストにおける世界の守護者たち。
歪虚でありながら神を救おうとした愚かな騎士の情報を、確かに盛り込みはした。だが、この形に落とし込んで再現したのは邪神ファナティックブラッドのはず。
「わっかんないな?。邪神は何考えてんのかな??」
「邪神が我に望むのは、最大効率での世界制圧であろう」
「ん? それってどういうこと?」
「邪神側がコストを支払うことなく、他の世界を侵略する方法はひとつ」
女は無表情に、これといって感情を込めず、当たり前のように告げた。
「“和平交渉”だ」
「和平……交渉……?」
「口説くのだ。消えかけた神を」
「君もしかして僕をバカにしてる?」
「……? していない。まったく。これっぽっちも」
本当にしていない、という様子で首を横に振る。確かに生まれたばかりの彼女にジョークを繰り出すユーモアはないだろう。
「試したわけでもないのだ。やってみなければわからんだろう?」
カレンデュラ
マクスウェル
「それには及ばない。我にはどうやら名前があるらしい」
女はふっと瞼を閉じ、そして空気を声に変える。
「我が名はカレ……クリュティエだ」
「今一回間違ったよね?」
クリュティエと名乗った歪虚は困ったように眉を顰め、ひらひらと片手を振る。
「やり直しても?」
「いやいや……もういいよ。これから頑張ってね、クリュティエ」
あきれた様子で溜息を零すシュレディンガー。クリュティエはまた僅かに眉をひそめる。
『あれは……クリムゾンウェストで見かけた妙な歪虚の女? 何故やつがここに……?』
そんな二人の様子を黙示騎士マクスウェルは覗き見ていた。
覗き見るという行為は本来傲慢な騎士のするべきことではなかったが、傲慢故に姿を見せづらい事情もある。
相手があの女――カレンデュラ(kz0262)に似た歪虚だと言うのなら、なおの事。
『奴には、このオレ直々に問い質さねばならぬことがあるからな……クク、クックック……!』
クリュティエとシュレディンガーが同時に目線を向けると、マクスウェルは素早く物陰に身を隠した。
(文責:フロンティアワークス)
マスティマ
ネイサン・アワフォード
トマーゾ・アルキミア
大精霊リアルブルー
リアルブルーで開発されたCAMとは全く異なるコードからもわかる通り、この機体はリアルブルーのものではない。
トマーゾ・アルキミアが異世界エバーグリーンから持ち込んだ、技術的特異点そのものである。
元々はエバーグリーンの大精霊を載せるための新型機として開発されたマスティマは、大精霊の器として極めて高い能力を持つ。
クリムゾンウェストで大精霊の力をガーディアンウェポンという道具に納めたように、大精霊の力を憑依させれば、マスティマは文字通り手足のように動かすことが可能だった。
即ち、この巨人の目こそが……この手足、翼こそ神そのものである。
「なるほど。この機体なら僕でも戦えそうだ」
「あるぇー!? 誰ですか、勝手にマスティマを動かしているのは!?」
格納庫に鳴り響く警報に続々と集まってくる技師たちに紛れ、ネイサン・アワフォードが目を丸くする。
「大精霊じゃろう。あのマスティマは通常の操縦用コンソールを搭載しておらん。機体と一体化せんと動かせん作りじゃ」
一方、トマーゾ・アルキミア(kz0214)は落ち着いた様子だ。
「まるでこうなるとわかっていたみたいな口ぶりですね、マエストロ」
「バカもん、わかるわけなかろう。ただ、“どうなるのかわからん”ことは分かっておったからな」
マスティマは固定具を破壊し、一歩踏み出す。その四つ目の光がトマーゾとネイサンを捉えた。
「あー、こうやってスピーカーでも話せるのか。騒がせちゃって申し訳ないね。このマスティマ、悪いけど借りていくよ」
「フン。どうせ貴様が使わねば宝の持ち腐れ、好きにしろ」
「えぇー!? 好きにさせちゃっていいんですか!? 世界に一機しかないのに!?」
「いや一機だけじゃない。壊れとるだけで何機かある」
「その話は別にお聞かせ願いたいのですが、大精霊は何をするのかわからないのでは!?」
そんな話をしているうちに、真上に向かって抜けるハッチが徐々に開き始める。
「君たち逃げた方が良くない? ここ、エアー抜けるけど」
「殺す気ですかーーー!? 神のくせに……いや悪魔! 僕のマスティマを奪う悪魔めーーーー!!!」
号泣しながら手足をブンブン振り回すネイサンを引き連れ、ぞろぞろと人間達が撤収していく。
マスティマは肩をすくめ、背中の翼を広げる。そして一気に縦穴を伸びり切り、月の外へと飛び出した。
「こいつに乗ってれば、自分自身を転移させられるかな」
念じると同時、青い光がマスティマを包み込む。そしてその光が瞬くと、眼前には地球が広がっていた。
「やはり使徒の存在は地球に近づけば感じられる。後はどう動くか、だ」
地球へと降下しながら、大精霊は炎の中で思案する。
この鋼鉄の翼があったとしても、自分に出来ることは多くない。神とはそこまで万能の存在ではない。
だが――使徒の動きを止める事は出来なくても、優先順位は操作できるかもしれない。
あえて自分が率いる事で、闇雲に強化人間を攻撃するのではなく、真に攻撃すべき目標を破壊できれば――。
「……人間は僕が襲ってきたと感じるだろうな」
使徒は星の抗体だ。世界存続の危機に対し、不純物を取り除くためだけに存在する防衛装置だ。
神でも止められないし、神の指揮下に入ってもすべての挙動は制御できない。
人間の目からは、マスティマも使徒も同じに映るだろう。そうなれば、神が人類を粛正する構図の完成だ。
「敵の思い通りになるのは、嫌だったんだけどな」
人間は誤解と認識力不足、こうであってほしい、こうだったら嫌だといった願望や恐怖に支配されている。
この世界の人間は、自分の目で見て、自分で聞いて考えるという行いをできない程、爆発的に繁殖してしまった。
だからもう今からはどうにもならない――それも妥当な推論だろう。だが……。
炎のヴェールを抜けて、マスティマは青空に辿り着いた。
果てしなく続く雲の海と、目に染みるような空の青。
一度は追放された舞台へ、少年はもう一度立つことを決めたのだ。
OF-004
クリュティエ
カッツォ・ヴォイ
目覚めたOF-004が最初に見たのは自分の腕に触れているクリュティエの姿だった。
反射的に手を振り払い身体を起こすと、同席している白い仮面の男――カッツォ・ヴォイ(kz0224)に視線が向いた。
「ここはどこだ? 俺は……また気を失ったのか?」
「その通りだ。ここは空中要塞ニダヴェリールの医務室……おまえがここに来るのは初めてではない」
「またあんたか。ハンターの言う通りいけ好かない男だ」
「フ……ハンターに私の話を聞いたのか」
カッツォは気にするでもなく、低く笑って見せる。
「ああ。あんたに気を付けろと言われたよ。尤も、気を付けるも何もないんだがな……」
OF-004は深く息を吐きだした。体調は……もうずっとよくない。
VOIDと戦って倒れると、気づけば機体も修理され、また新しい戦場に送られる。そんな生活を繰り返していた。
「まあ、なんでもいい……さっさと俺を新しい戦場に送ってくれ」
「いや。おまえの力は十分に測れた。その在り方も理解した。私と共に来い、クドウ・マコト。おまえには“嫉妬”の力こそ相応しい」
くっきりと隈を作った、生気のない眼差しが仮面を睨む。
「おまえは既に“嫉妬”の力に目覚めている。機械と一体化し、その力を何倍にも引き出すという能力にな」
戦えば戦うほどマシンの力が強くなるのは感じていた。それが普通ではないということもわかっていた。だが……。
「断る。どうせ俺はもう長くないんだろう。だとしても、人間として最期まで戦って死んでやる」
「マコト。残念だがお前はもう普通に死ぬことはできない」
クリュティエはそう言って、ベッドに腰かけた青年の前に腰を落とす。
「お前はあまりに歪虚を倒しすぎた。常に負の力と負の想いに囚われ過ぎた。お前は間もなく死ぬ。そして――堕落者として蘇るだろう」
「堕落……? なんの、ことだ?」
「極めて優れた才能を持つ契約者がその命を最後まで燃やし切った時、生物としての死を迎え、そして歪虚に転生するのだ」
カッツォの言葉に初めて自分の状況を理解した。そして納得する。これまで自分が何をさせられていたのか。
「……そうか」
「驚かないのかね?」
「何の意味もなく生かされていたとは思っていない。まったく、ハンターの言う通りだったというわけだ」
思わず笑ってしまう。最初から最後まで、結局自分は思う通りに生きられない。
いや。そもそも他の生き方など考えられなかった。この結末はもう、故郷を失った時から決まっていたのだろう。
「マコト。お前は――少し運命が違えば、世界を救う側の人間だったのだろう」
クリュティエは優しく、そして悲しげに告げる。
「お前はとっくに死んでいてもおかしくない状態でありながら、強力に負のマテリアルと親和することで生き永らえている。負の力との適合力は正の適合力とほぼ同等だ。故にお前は反転した“救世主”となる素質がある」
「救世主? 俺が? ははは、面白い冗談だ」
「我はこれから、この世界の神に会いに行く」
その言葉に青年の顔色が変わった。
神。それが言葉の通りの存在だとしたら、この世界がこんなになるまで放置しやがったクソ野郎の名前だ。
これまでのすべてを誰かのせいにするつもりはない。悲劇も、絶望も、すべて自分の人生だ。
だがどうしても、神とかいう奴は一発ぶん殴らないと気が済まない。
「クドウ・マコト、救世主のなりそこないよ。己の運命を確かめ、それに抗う最期の好機だ」
女の差し出す右手。
不思議だった。この女は間違いなくバケモノだが、まるで人間のような温かみも感じる。
「一緒に行こう、マコト」
その手を取って立ち上がった時、初めて運命に立ち向かえる気がした。
(文責:フロンティアワークス)
ナディア・ドラゴネッティ
トマーゾ・アルキミア
大精霊リアルブルー
ベアトリクス・アルキミア
リゼリオのソサエティ本部でナディア・ドラゴネッティ(kz0207)はトマーゾ・アルキミア(kz0214)からの通信を待っていた。
しかし、通信時間にコールしてきたのは、トマーゾではなく大精霊リアルブルーであった。
ナディアは勿論驚いていたが、どこか納得した様子で、呆れたように問い返す。
「こんにちはではないじゃろう……おぬし、目的は果たせたのか?」
『おかげ様でね。トマーゾからの連絡も、今回の件に関するものだろう。それは僕から共有させてもらうよ』
「随分とお行儀がよくなったのねぇ。ハンターと話して得るものがあったのかしら?」
茶化すようにベアトリクス・アルキミア(kz0261)が笑うと、少年は眉を顰める。
『それなりにはね。おかげさまで、使徒による過剰な人類への攻撃は停止できた』
「は? そうなのか!?」
『ここまで見越して僕にオートマトンボディを与えたのだとすると、トマーゾは相当な賢人だ』
リアルブルーは人間としての身体を与えられるまでは、使徒と同じくただそこに存在するだけの力であった。
クリムゾンウェストがそうであったように、そもそも存在の概念・規格がまるで違うため、対話する為には何かしらの器が必要なのだ。
そして使徒――リアルブルーの精霊も同じく、人の感情や言葉を介する存在ではなかった。
使徒にとってハンターという存在は全く理解できない異物だ。なんなら、“人間”という命すら意味不明だったに違いない。
『――でも、今は存在を一部共有した僕を通じて、ハンターを認識しつつある。これもマスティマのおかげだ』
元々、ハンターと交戦した使徒の認識・情報は世界に蓄積されていた。
大精霊は先の戦いをトリガーに、自分を通じてその情報を拡散させたのだ。
『彼らが使徒と戦ってくれたおかげと言えるだろうね。彼らが守ろうとしたもの、何のために戦うのか……接触しなければ、使徒は理解できなかっただろう』
「ハンターとわざわざ一戦交えたのは、使徒をコントロールするためじゃったのか……それならそうと言ってくれれば……!」
「本気でやらないと意味がないのだものね?」
まだすべての使徒を止められたわけではないが、少なくとも人類側の被害は低減されるだろう。
使徒も少しは人間という別種の生物をよけて攻撃してくれるはずだ。
「それで、あなたが伝えたかったのはそれだけじゃないのでしょう?」
『ああ。既にトマーゾも把握しているだろうけど、こっちの都合に付き合わせてしまった詫びも兼ねて、僕からデータを転送させてもらう』
リアルブルーがコクピットを操作すると、すぐにリゼリオにデータが届き、ベアトリクスが解析する。
『ハンターの中にも気づいていた者はいたようだけど、敵は何らかの大規模ネットワークを利用してイクシード・アプリを配信している。これを阻止するためには、発生源の破壊が必要だ』
「それで世界中の電波塔を壊して回っていたのねぇ」
『ああ。でも、どうやらソレは電波塔ではないらしい。お手上げだけど――恐らくは邪神翼のような機能を持ったものが、こっちの世界に既に存在するんだろう』
「邪神翼じゃと……!?」
邪神の背にある七つの翼。ソード・オブジェクト「ダモクレス」とも呼ばれた楔は、【反影】作戦でハンターにより破壊された。
だが残り六つの邪神翼が残されているはずであり、そして邪神翼には確かに強力なVOIDゲートとしての機能が存在することは明らかとなっている。
「なるほど……確かにこのレベルの大規模契約は、強力な媒体がないと無理よね」
「じゃが、邪神翼はかなり巨大じゃぞ? そんなものが突然現れたら、流石に気づくのでは?」
『僕もそう思って、元々世界に存在しているものとすり替えるなり擬装しているなりと思ったのさ』
「ムーンリーフ財団のユーキ・ソリアーノなら、秘密裏に邪神翼を格納した施設を用意していてもおかしくはないわね。例えば――ニダヴェリールとか」
コロニーと同等のサイズを誇る巨大建造物であるニダヴェリールならば、確かにあり得るだろうが……。
『僕もそれで接触しようとしたんだけど、多分あれは違うね。ただ、異世界からエネルギーを獲得してるのは間違いないはずだ』
「そうでなきゃあのレベルの建造物の維持は不可能だものね。となると……そうね。“アンテナ”の捜索は私とおじいちゃんに任せて頂戴」
ポンと胸を叩き、ベアトリクスが微笑む。
『できるの?』
「この中では一番神として年上だしねぇ。戦闘はダメダメだけど、こういうのはおね?さんにお任せよ?ん」
『……そうか』
ぽりぽりと頬を掻き、少年はそっと視線を外す。
『でも……それでもまだ相手の方が上だ。解析すれば君もわかると思うけど、そもそもイクシード・アプリ自体がVOIDゲート強化のためのものなんだ』
「なに……?」
『イクシード・アプリは人類を混乱させ、使徒という抗体反応を引き起こすことだけが目的じゃない。地球全体に“眷属”を作り、邪神を召喚するためのものなんだ』
すべては用意周到に仕組まれたことだ。
ニダヴェリールが奪われ、それが飛び続けた事さえ、邪神召喚の儀式の一部だろう。
人間の絶望も不信も憎悪も、闇の力を求める願いに変わった。
『ハンターにも指摘されたが……お陰で僕の力はもう限界だ。地球は今、邪神を信仰し……その来訪を無自覚に求めている。人類全体が、終焉を望んでいるんだ』
少年の表情に変化はなかったが、瞳には深い絶望があった。
ナディアはそれを見つめる。誰にも求められない神……それがどれだけ孤独で弱弱しい存在か、今は理解できるから。
『――邪神は今度こそこの世界にやってくる。召喚まで、もう一週間ほどしかないだろう』
「邪神の召喚は、もう止められぬのか?」
『わからない。今更邪神翼を破壊したところで、召喚を遅らせるくらいしか……』
「わからないのなら、やってみよう」
ナディアの言葉に少年が面を上げる。
「“一週間しかない”ではなく、まだ“一週間もある”のだ。可能な限りの準備を整え、邪神を迎撃するのじゃ!」
『……馬鹿な。なぜそんな風に言える? 君たちは見たんだろう? クリムゾンウェストを一度は滅ぼした、邪神の姿を……』
絶望したはずだ。だって――無理だもん。
あんなバケモノに勝てるわけがない。世界を喰らい、神を滅ぼすから“邪神”なのだ。
これまで誰も、どの世界も勝てなかった最強の存在。滅びという運命そのもの。だから“ファナティックブラッド”と呼ばれているのに。
「簡単なことじゃ。我らはまだ、生きているからな。過去は過去、未来は未来。忘れたのか、リアルブルー? ここには――三柱も大精霊がいるということを」
ナディアの言葉には力強さがあった。
その身に宿した紅の大精霊もまた、その言葉に同意している。これは、もう一人の神の言葉に等しい。
『……そうか。それが君たちの強さなんだね。納得したような、わからないような……』
溜息と共に苦笑し、少年は顔を上げる。
『残り一週間。僕は世界中で使徒の制御に努める。上手くいけば使徒を邪神迎撃に使えるはずだ』
「使徒は一体一体がかなり強いからのう。それは助かるのじゃ」
『……すまないが、後のことはトマーゾと相談してほしい。僕にできるのは、多分ここまでだ』
突然、ぷっつりと通信は途切れてしまう。
まだ何か言いたそうな様子ではあったが、少なくともほしかった情報は手に入った。
「彼、大丈夫かしら」
「マスティマもあるし、とりあえずは大丈夫じゃろう?」
「そうだけど……イクシード・アプリの横行する今の世界は、彼にとって相当負担になっているはずよ。かといって、イクシード・アプリの拡散を阻止する方法は私には思いつかないんだけど」
ドナテロ・バガニーニ
世界中にひとつのメッセージをぶち上げると言う意味では、ドナテロ・バガニーニ(kz0213)以上の適任者はいない。
彼は粗忽なところもあったものの、それだけ全世界に信頼されたリーダーだったのだ。
「だからこそ、真っ先に狙われたのじゃろうな」
「そうかしら? 私はそういうのじゃないと思うけど」
「ん? だったらなんだというのじゃ?」
「わからないけど、そうねぇ……」
唇を指先で撫でながら、ベアトリクスはウィンクする。
「恋する乙女の暴走――みたいな?」
●
ソレは、心を持たない闇だった。
姿も形もない。あらゆる環境に適応し、あらゆる敵を■■する為の装置。
ソレが作り出されたのは、まだ■■が本来の役割にあった時代。
■■の■■の為に生まれた者。名を■■■■と言った。
星を渡る船。人々の願いを叶える最強の神。
善である。その行いは、疑念を挟む余地すらない、絶対正義である。
誰もが願い、誰もが望んだコト。それを叶えるために、絶対正義は存在する。
「血の宿業(ファナティックブラッド)だ。そう名付けた」
「物騒な名前だね」
「まったくだな。これは善なる願いだというのに」
男は自嘲する。■■は思った。結局どっちもどっちなんじゃない――と。
「美しさと醜悪さ、善と悪。認識の問題だよね。どっちも同じなんだよ、きっと」
吐き気をもよおすような闇も、おぞけるような光も……ああ、そのどちらも美しい。
「故に私は断言しよう。これこそは、想像し得る最善であると」
男は両腕を広げ、黒い風にその身を晒す。
「さあ、呼んでくれ。終わりなき旅を始めよう。ありとあらゆる、すべての“結末”を否定するために――」
シュレディンガー
意識が途切れたわけではない。単に、なにがなんだかわからなくなっただけだ。
椅子の背もたれに全身を投げ出した状態で、黙示騎士シュレディンガーは目を覚ました。
好物のコンソメポテチの袋が空いていて、おどろおどろしい紫色の炭酸飲料も目減りしている。
意識はあったのだろう。ただ、そう自覚できなかっただけで。
「アレって……いつの夢だっけなあ」
この世界の仕事はもうすぐ終わる。邪神を倒せる存在など万が一にもあり得ない。
だから、黙示騎士の仕事は結局邪神を呼び込むことだ。その時点で決着はついている。
「次はクリムゾンウェストか。あの世界ネトゲないんだよなぁ」
やっと一仕事終わるのに、この胸にぽっかりと穴があいたような感覚はなんなのか。
急に叫びだしたくなるような、手当たり次第に何もかも破壊したくなるような焦燥感は、一体。
「僕は……」
この世界を――終らせたくないのか?
ディスプレイの電源を切る。もうゲームをする気にはなれそうもない。
真っ黒なディスプレイに映り込む自分の頬を抓る。
「僕は………………ダレだ?」
邪神召喚まで、残り一週間。
決戦の時は、刻一刻と迫っていた。
(文責:フロンティアワークス)
邪神ファナティックブラッドの地球来訪が予告された後、世界には最大規模の混乱が訪れた。
自分だけは生き延びたい。けれど、どこにも逃げ場はない。
この世界そのものが破壊されてしまえば人類は打ち止めだ。未来へ到達する者などありはしない。
地球をひっくり返したような混乱が終わると、諦めを示す静寂が街を包んでいた。
「こんなところにいたのか。あんまり避難所から離れると危ないぞ」
人気のない河川敷で膝を抱えた少女を、夕日が照らしている。
初老の男性はその隣に腰を下ろし、共に川のきらめきを見た。
「どこにも逃げ場はないんでしょ? 避難所にいても同じだよ」
「アプリ使用者が徘徊しているんだ。乱暴されると困るだろう」
空には少しずつ、月の光が顔をのぞかせようとしている。
「月に避難した人達は、無事なのかなぁ?」
「わからないね。月は戦場にもなると言うし……コロニーには避難しきれないし……」
少女は無表情に、男性の手をぎゅっと掴んだ。
恐怖ではない。現実味がないのだ。
何やらバタバタしてはいたが、それでも人々の日常は維持されていた。
それが、邪神とやらの来訪で何もかも台無しになった。あっけなく、唐突に。
この狂った世界を恐怖できるほど、少女の精神は成熟していない。
「お腹空いたね」
「そうだなあ」
「お風呂入りたい」
「ああ」
「死ぬときって……どんな感じなのかな」
男性は答えなかった。残されたのは静寂。
耳が痛むほどの静寂だけが、世界を飲み込んでいく――。
●
南雲雪子
南雲芙蓉
ネイサン・アワフォード
トマーゾ・アルキミア
崑崙の会議室で南雲雪子がモニターに示したのは、月と地球の中間に位置する宙域だ。
「地球への直接召喚は、大精霊とマスティマが防いでいます。敵側に可能な最短距離への転移ですね」
これに南雲芙蓉が答えると、雪子は頷き返し。
「ええ。L1コロニーからは住民を避難させ、ここは軍事拠点として徴用します。地球またはコロニーからの避難民はL4とL2に移動……または、月の地下シェルターで保護します」
「結局、この崑崙が最も神の加護厚い地ですからね。“世界樹”があるので敵に狙われるでしょうが、まあ、それでも少しは安全です」
ネイサン・アワフォードが苦笑する。ぶっちゃけもう、どこもかしこも戦場だし、絶対安全な場所などないだろう。
「それはさておき、結局軍の指揮はミス雪子が執られるので?」
「はい。突然ですが、先日少将に昇任されましたわ」
「いくらなんでも雑すぎませんかねぇ!?」
「統一連合軍と言っても、元を正せば所属は各国軍……自国への呼び出しも始まって組織はほぼ壊滅状態です。私より上の階級も在籍はしていますが、機能は期待できませんね」
「まあ……有象無象が権利主張して混乱するよりはマシですか。ある意味最善な判断なのが草を禁じ得ません……」
ガクっと肩を落とすネイサン。一方、トマーゾ・アルキミア(kz0214)は悠々とした様子だ。
「これでやっとわしの行動制限も解かれるじゃろう。むしろせいせいするわい」
「仰る通りですわ、教授。これより超法規的措置として、あなたに崑崙の全機能を委任します。略式ですが、これが指令書です」
「承った。では忌憚なく意見させてもらうが――普通に考えれば現状の戦力で地球を守り切れんだろう。退却の準備も進めさせてもらう」
その言葉には流石に緊張が走った。
トマーゾの分析は信頼できる。故に、その言葉は無視してはならない。
「準備は既に勝手に進めておる。プランはこの通りじゃ」
「先生、これは……本気ですかっ!?」
芙蓉が思わず声を上げる。が、トマーゾは至って冷静だ。
「本気じゃ。これが誰も死なせずに可能な限り多くを救う方法じゃろう」
「それはそうかもしれませんが……でもこれでは、彼は……っ。こんなの……あんまりです」
「懸念はわかるが、これには奴も同意しておる。まあ……理論上はな。実際のところは、出たとこ勝負じゃが」
「ではそうならないように、私は私の役目を果たしましょう」
雪子が立てた作戦はシンプルだ。
地球が今現在保有する戦力を可能な限りかき集め、それを邪神に叩きつける。
「アガタ級75隻、テレーザ級58隻、シャングリラ級量産型8隻、シャングリラ級ラズモネ型1隻、サルヴァトーレ級1隻。それぞれに搭載・展開したCAM、合計約3300機でランデブーポイントを包囲します」
「マエストロ、月面の戦力は?」
「CAMとパイロットをありったけ集めて540機ほどじゃ。一部は包囲に回す」
「弊社も全工場をフル稼働させてCAMと武装を増産していますが……マシンがあってもパイロットが足りませんね」
「使えるパイロットならいるぞ。それも、そこらの兵士とは比べ物にならんほど上質な戦力がな」
トマーゾの言葉に注目が集まる。
「そんな戦力が一体どこから……?」
「無論、地上からだ。さんざんハンターが捕縛して送り込んでくれた連中を、崑崙で調整してある」
「まさか、それは……」
「ああ。――強化人間じゃよ」
●
ドナテロ・バガニーニ
シュレディンガー
表向きは次世代型太陽光発電所とされ、砂漠化したオーストラリアの大地にびっしりと並べられたソーラーパネルから電力を生み出しているという。
流線形の近未来を思わせる鏡と硝子のオブジェにも似た施設は、周囲20km四方に敷かれた立ち入り禁止区域により孤立している。
「で、答えはここ。この施設が邪神召喚の起点なのさ」
召喚システムは当然ながら歪虚の力で行われているが、その術式の維持には莫大なエネルギーが必要だった。
大量の強化人間を電池のように繋いで負のマテリアルの保持や安定化を図っているものの、この大規模発電所がなければ召喚式の維持はできない。
「もちろん、この施設には邪神翼が組み込まれている。火星クラスタみたいな機能を持っているわけだ」
ドナテロ・バガニーニ (kz0213)には、さっぱりなにも理解できなかった。
なぜ、黙示騎士シュレディンガーが自分をニダヴェリールから連れ出したのか。
なぜ、彼が自分と二人きりでこの施設の前に立って、説明をしているのか……ついでにその説明が何を意味するのか。
少年の姿をした怪物は顔だけで振り返り、目を細める。
「ドナテロ君さ。もう、どっか行っていいよ」
「どういうことで……あるか?」
「言葉の通りだよ。食料とかその鞄に詰めといたから。この星が終わるまでのわずかな時間、君は自由だ」
わからない。謎である。
ただ、ドナテロは謎に直面するのは慣れていて、少しズレた感性の持ち主でもあった。
「シュレディンガー。どうしてもわからないことがある」
「なんだよ」
「なぜ君は、レヲナ君と似ているのであるか?」
少年の横顔が驚きに染まる。
そして、乾いた風に揺れる髪が青からゆっくりとピンクに変化し、振り返る頃には天王洲レヲナ (kz0260)の姿を取っていた。
天王洲レヲナ
「それは違う」
ぴしゃりと言い放ち、ドナテロは腕を組む。
「レヲナ君とは、まだ彼が幼子の頃からの付き合いだ。天王洲レヲナは実在する。君はその模倣にすぎない」
「ああ……だから、僕は時折レヲナと入れ替わっていたんだよ。ずっと変わってると、いくらなんでも負のマテリアルでバレるからね」
メイドは自らの頬に手を当て、そして爪を立てる。
「だから僕は、レヲナと記憶を共有した……ハンターと共にいる時間も……君と共にいる時間も。そのせいだ、僕が僕を理解できなくなったのは」
まるで自分もニンゲンになったみたいだ。
ハンターは仲間? ……違う、ただの敵だ。
ドナテロは? 育ての親? 利用すべき駒……?
「違う……僕は違う! 僕はね……すべての世界を救うんだ……それまで立ち止まるわけにはいかないんだよ……!!」
最初はただの駒だった。
なのに、一体どういう了見なのか、悪性に付け込む暗示が一切通用しない男だった。
奇跡のようだ。まさか、善性しか有さない人間などあるはずはない。
だが……だからこそ、この上なく魅了された。
「お前を見てるとイライラするんだよ! お前のせいだ……全部お前のせいだっ!! 僕は間違ってない! 正しい事をしてる! なのにお前は……なんで、どうして……っ」
頭を抱え、わしわしと髪を乱しながら、頬を歪め、怪物は涙を零す。
「お前がいると僕はダメなんだ……だから……だから、さっさとどっかに消えてくれよっ!!」
「断る」
またも、ぴしゃりとした言い切った。
「というか我輩、ここから自力で人里に辿り着くのは無理である。我輩に出来ることがまだあるというのならば……この施設にしかないだろう」
「はあ……? 君に一体何ができるっていうんだよ……?」
「ここが電波塔としての役割も有しているというのなら、世界中にメッセージを飛ばせる。統一地球連合議長として、我輩の最後の仕事である」
ドナテロは毅然としていた。真っすぐに、己の成すべきことを探している。
「ハッ……はぁぁぁぁぁああ??!? なんで諦めないわけ? できることなんか、あるわけないじゃんッ!!」
「やってみなければ、わからないのである」
のしのしと、大きな体を揺らして男はソーラータワーに向かっていく。
「待てよ! ハンターも馬鹿じゃないからここは戦場になるぞ! せっかく逃がしてやるって言ってるのに!」
「世界が終わるかどうかという時に、自分だけ生き延びて何とする。我輩が愛したのは、誰もが幸福に生きられる世界だ。一人生き延びる孤独になど、耐えられんよ」
ドナテロの姿がタワーに消えていくのを、怪物はじっと見ていた。
そうだ。ヒトリで生き続けることの、なんとコドクなものか。
自分など消えてしまう。何もかも闇に染まってしまう。他人事に思わねば――心を維持できない。
「違うんだ……僕は、ただ……」
膝をつき、震える声で呟く。
「君に最後まで……生きていて欲しかっただけなのに……」
荒野に差し込む日の光が、ゆっくりと茜色に代わっていく。
まるで世界を彷徨うすべてを、焼き尽くすかのように。
(文責:フロンティアワークス)
ドナテロ・バガニーニ
『我輩の名は、ドナテロ・バガニーニ。かつて統一地球連合議会で議長を務め、そしてVOIDに囚われた愚かな男である』
『一度は世界を混乱に陥れた我輩が、もう一度こうして何かを願うことを、どうか許してほしい』
『今、世界の誰もが耐えがたい不安と苦しみの中にいるであろうことは、想像に難しくない』
『邪神という強大な敵を前に、逃げ出したい気持ちでいっぱいだと思う』
『だが、そんな気持ちを必死にこらえて、今も世界を守ろうと戦っている者たちがいる』
「X地点に大規模な空間崩壊を確認! ……VOIDの転移、来ます!」
その日、火星クラスタとの闘いに引き続き、地球防衛作戦と名付けられた作戦が実施された。
第二次地球防衛戦――。
南雲雪子
わずか一週間で用意されたにしては健闘したと言える数であった。だが――。
「敵反応増大! どんどん転移してきます……数が……多すぎる……!?」
「VOID第一陣、予想戦力……2万……いえ、3万……まだ増えています!」
地球防衛軍、旗艦サルヴァトーレ・ブル内にどよめきが走っていた。
もちろん、相当な数の敵が予想されるからこそかき集めた戦力だ。先の火星クラスタ戦を生き延びた精鋭揃いでもある。
そんな彼らにしても、戦力差は甚大であった。
「全艦、主砲一斉射撃! 転移直後を叩き、可能な限り数を減らします!」
南雲雪子の号令で、四方八方からマテリアル砲の閃光が転移地点に降り注ぐ。
それだけで何千体ものVOIDが蒸発するも、肉の壁で生き残った個体が次々に宇宙に拡散していく。
「敵の狙いは地球と月です! 可能な限り、ここで食い止めます!」
戦域はあっという間に広がっていく。
邪神が出現するXポイント以外にも敵の転移は続いており、崑崙への襲撃もほどなくして開始された。
「敵はまだ先遣隊だって聞いたが……なんだよこの数! わけがわからん!」
「センサーぶっ壊れてんのか!? 周り全部敵しかいねぇぞ!」
「ダメだ、ドームに抜けられる……! 細けぇのは諦めろ! せめてデカブツだけでも落とせ!」
月面では大量のCAM部隊が対空攻撃を続ける。
小さな浮遊型の数が尋常ではなく多く、引き金を引けば狙わなくても何かしらには当たる状態だが、そんな戦力差を押しとどめる事などできない。
ワープした擬人型がマテリアルの剣で連合軍のドミニオンを切り裂く。
「後退しろ! 敵の中にワープできる個体が混ざってる! 新型だ……強いっ」
「――そいつらは任せて!」
戦場に似つかわしくない子供の声。だが、兵士たちは彼らが何者なのか、もう理解していた。
専用のエクスシアやコンフェッサーに乗り込んだ強化人間たち。
一度は危険因子として世界から疎まれた彼らが、尋常ならざる機体制御で次々にVOIDを屠っていく。
「強化人間部隊! 来てくれたのか!」
兵士たちは肩を並べ、連携して戦う。
そこに強化人間という異物への恐怖はもう見られなかった。
トマーゾ・アルキミア
強化人間の暴走は無作為なものではない。それには法則性があり、トリガーがある。
契約元の邪神からの呼び声へ反応することにより、狂気に陥り暴走するのだ。
それは何らかの中継手段を用いたとしても、結局は同じ呼び声。それを遮断してしまえば、強化人間は暴走しない。
トマーゾ・アルキミア(kz0214)は崑崙周辺にこの結界を展開していた。
「分かってしまえば単純じゃ。やっとる事は界冥作戦と一緒だからな」
そして可能な限り強化人間の負担を抑えるように調整し、彼らの意思を問うた。
即ち――戦うか、眠り続けるか。
そして彼らは、自らの意思で戦う事を選択したのだ。
「暴走した僕たちを、ハンターは生かしてくれた」
「邪神の眷属とかよくわからないけど、やられっぱなしは悔しいし……」
「わたし達は、この世界を守るために強化人間になったんだよ」
「地球の為に異世界の奴らが戦うってんなら、俺たちにも出来ることはまだある」
命を救ってもらった恩は――闘いで返す!
『彼らは……特別な存在なのだろうか? 彼らは英雄なのか? 人知を超越した存在なのか?』
『否――断じて否である。彼らもただの人間だ。どんなに強くても、どんなに勇敢でも、ただの人間なのだ』
『痛みも恐怖も苦しみも不安も感じる、ただただ、普通の人間なのだ』
『諸君らが手にしたイクシード・アプリは、人間の弱さに付け込むものだ。邪神の呼び水となるものだ』
『どうか、ほんのわずかでいい。勇気を……彼らと同じ勇気を持ってほしい』
『その力を捨てて、空を見て――家族や友人を愛する気持ちのひとかけらだけでも、祈ってはくれないだろうか』
マスティマ
ナディア・ドラゴネッティ
大精霊クリムゾンウェスト
宇宙で戦う兵士たちは、闇の中にはばたく光の翼を見た。
「これは……使徒!?」
マスティマに率いられ、宇宙へと上がって来た精霊の軍勢。大小合わせてその数、およそ1200体。
人間を無視して歪虚へと次々に襲いかかり、その強大な力をいかんなく発揮する。
それぞれが、あのハンターと互角の戦いを演じられるほどの戦力だ。生半可なVOIDなど相手にもならない。
「よしよし……いい子だ。頼むから人間に噛みついてくれるなよ」
マスティマを通じて、或いはハンターと直接戦うことでヒトという存在を理解した天使は、今やこの上ない友軍となった。そして――。
空間を引き裂き、巨大な艦影が宇宙に転移する。最大戦力の到着だ。
「サルヴァトーレ・ロッソ、リアルブルーへの転移完了! Xポイント付近に正常にドラフトしました!」
「周囲に使徒の展開を確認! これは……友軍です! 人類側と連携して敵を倒しています!」
オペレーターの報告にナディア・ドラゴネッティkz0207)は頬を緩ませる。
「やればできるではないか、リアルブルーの!」
『ナディア、我々も出ましょう。邪神相手に出し惜しみは無しです』
「おう! 状況が状況じゃ。身体を貸すぞ、クリムゾンウェスト!」
身体に宿した大精霊の言葉に力強く答える。
炎のヴェールを纏ったナディアは龍の翼を広げ、ロッソの甲板から飛び立った。
無論、ここは宇宙空間だ。通常の生物がまっとうに活動できる領域ではない。故に――。
「空間認識完了、置換開始」
クリムゾンウェストは、非常に貪欲な大精霊だ。
どんな世界も、ヒトも、命も、喰らいつくして“自分の物”にする力がある。
「我が炎ありし場所こそ星の聖域。ここを――クリムゾンウェストとする」
赤い光が広がり、宇宙が煌めきに飲み込まれていく。
封神領域マグ・メル。大精霊が自由に世界法則を書き換えられる空間だ。
「これで覚醒者の強化と、面倒ですが一般兵の保護、幻獣の宇宙戦闘対応など、一括対応します」
『おぬしやることが基本的に大袈裟……』
「小言は後です。本命が来ますよ」
ファナティックブラッド
大精霊リアルブルー
闇の向こうから這い出ずるは、巨大なる神の腕。
まだVOIDゲートは完全に開き切っていない。故に、邪神が顕現できたのはまだ腕だけだ。
(それなのに……なんて大きさだ)
腕の大きさは既に転移済の部分だけで8kmほど。
邪神はその存在の膨大さ故に、異世界へ侵入する際には召喚の強さに応じて大きさが変わる。
小さなVOIDゲートでは、小さな力しか転移できないからだ。
この腕のサイズは以前ハンターが撃破した邪神腕よりもはるかに大きく、その転移の勢いは衰える様子もない。
恐らく――完全転移は時間の問題だろう。
(やっぱり…………か)
宇宙に漂うマスティマは、震える己の掌をじっと見つめた。
(勝てない………………)
あまりにも出力が違いすぎる。どうシミュレートしてみても、邪神には勝てない。
未来予測は正確だ。この世界はもう終わっている。邪神が転移し次第、速やかに殲滅されるだろう。
死――。これを正面から見つめることを、リアルブルーはずっと恐れていた。
(身体が……動かない……)
力が入らない。マスティマの瞳から光が消え、マテリアルの翼も消滅する。
(どうして君たちは闘えるんだ? わからない……こんなに恐ろしいものを目の当たりにして、なぜ諦めずにいられる?)
人間としての心を持ってしまったが故の不具合。
無感情なシステムとしての神であれば、ここには来られなかった。
しかしだからこそ――ヒトとして怯え、竦み、動けなくなってしまう。
(ごめんよ、芙蓉。僕は……本当はただの臆病者なんだ)
『この放送を聞いているすべての人々へ』
『我輩の知る限りの真実を伝える。それを聞いて何を思うかは諸君にゆだねよう』
『我輩は信じている。ヒトが持つ勇気と、誰かを愛する気持ちを』
『どうかその手に、正しき選択を』
(文責:フロンティアワークス)
ファナティックブラッド
ナディア・ドラゴネッティ
大精霊クリムゾンウェスト
大精霊リアルブルー
ダニエル・ラーゲンベック
トマーゾ・アルキミア
南雲芙蓉
南雲雪子
そして邪神腕の侵入に対してもハンターらの迎撃により大ダメージを与え、小康状態に陥ったように見えたが……。
「邪神の召喚が止まらない……いや、これは……邪神そのものが能動的に介入しているのか?」
宇宙空間に漂うマスティマの先、破壊された腕だけではなく別の腕が空間を突き破り侵入してくる。
四本の腕はそれぞれ空間を強引に広げ、引き裂いていく。
「まずい……空間そのものが崩壊を起こすぞ……!」
『クリムゾンウェスト、なんとかならんのか!?』
「邪神の影響を相殺するだけで手いっぱいです……!」
頭の中のナディア・ドラゴネッティ(kz0207)の声に返しながら、大精霊クリムゾンウェストが魔法陣を展開する。
こうなることも予想済みで展開していたマグ・メルだが、空間反転(ブラックホール)に巻き込まれればひとたまりもないだろう。
「クリムゾンウェスト、僕も力を貸す! 二人で空間を固定してハンターや艦隊を守るんだ!」
少女の姿をした神の背後に、天使の翼を広げたCAMが降り立つ。
二体の神を中心にすべてを飲み込むような眩い光が宇宙に瞬く。
そしてそれと対となるような暗い光が爆ぜ、激しい衝撃波がL1宙域全域に広がっていった。
「どう……なった? 各員、状況を報告しろ……!」
「艦隊は隊列を崩していますが、なんとか無事です。しかし……」
報告など受けるまでもなかった。
超巨大なサルヴァトーレ・ロッソと比較しても圧倒的に巨大なVOIDが、ダニエル・ラーゲンベック(kz0024)の目にも見えたからだ。
「やっぱり召喚は止められなかったわね……おじいちゃん?」
『ああ。これより作戦は最終フェーズに入る。我々は予定通り第二プラン……地球封印作戦を実行する』
「第二プラン……どうしてもやるってのか?」
『他に方法はない。真っ向勝負では邪神に勝てん……“今はまだ”、な』
邪神の召喚が阻止できなかった場合、この世界を守るために必要な方法は二つ。
邪神を倒すか。或いは、邪神を他の世界に転移させるか――。
しかし、現在の状況ではどちらも不可能だ。夥しい数の戦死者を出し、結局ハンターだけ逃げ帰ることになる。だから……。
『リアルブルーの維持を放棄する。古代クリムゾンウェスト人がそうしたように、生存者をクリムゾンウェストへと転移させるのじゃ』
●
地球防衛作戦の最終フェーズは、「地球封印作戦」と名付けられた。
その説明に最も反対したのは、リアルブルーと契約した守護者、南雲芙蓉だった。
ハンターズ・ソサエティにとってもそれは過去の繰り返しであり、明確な「敗北」である。簡単には容認できない。
だが、このままでは地球に住む全人類が死滅する可能性があるというのなら――僅かでも戦力を、人類を生かすべきだ。
「当然、無策ではない。全人類を見捨てる決断など、わしにもできんからな」
会議の場でトマーゾ・アルキミア(kz0214)が提案したのは、文字通り地球そのものを封印する事だった。
「地球に降り立ったファナティックブラッドはまずこの星にアンカーとなる邪神翼を打ち込むじゃろう。そして星を砕き、吸収しやすくしたマテリアルを根こそぎ持っていく。それをやられたらもうこの星を再生する方法はない……クリムゾンウェストのように、他の世界を犠牲にしない限りはな」
「だったら、最後まで残って一緒に戦うしか……!」
「リアルブルーはそれを望んでおらん。あ奴は自分自身を……この星の時間を停止させ、星ごと邪神を閉じ込めるつもりじゃ」
それが弱虫な少年が選んだ答えだった。
自分では勝てない、かといって人類を見捨てる事も出来なかった半端者の神は、自ら邪神封印の礎になることを選んだのだ。
「世界そのものを凍結させてしまえば、邪神にも手出しはできん。時を止められた人々が傷つけられる事もない」
「でも……だからって……っ」
「ああ。故に――これは戦略的撤退じゃ。リアルブルーが邪神を留めている間に戦力を整え、地球を取り戻せばいい」
あまりにも突拍子もない話だ。
世界中の人達に、「一度時間を止めます。保証はないけどいつか助けに来ます」と言って、はいそうですかと納得されるはずもない。
数えきれないほどの絶望と、どうしようもない悲劇がこの星を覆うだろう。
「それでも……命が失われるよりは……いいと?」
「――そうだ。生きてさえいれば、可能性はある」
トマーゾはまっすぐに答える。戸惑いも怒りもすべて受け止めると、その眼差しが伝えていた。
「可能な限りの人々をシャトルで月に集め、そして月ごとクリムゾンウェストに転移させる。無論、地球防衛艦隊もじゃ」
「……既に世界各地で段取りは進めています。邪神召喚の失敗を伝えれば、予定通り各国からシャトルが打ち上がるでしょう」
南雲雪子が補足する。その為にL1コロニーだけではなく、他のコロニーからの避難民も受け入れる構えだ。
「無茶苦茶ですよ……」
怒りに震える拳を解き、芙蓉が呟く。
「私……まだ、彼に何もしてあげられてない……。私はこの世界を守ると誓った守護者なのに……」
「守護者だからこそ、あなたにも出来ることがあるはずよ。大精霊の力を繋いで月の転移を実行できるのは、あなただけでしょう?」
雪子がそっと芙蓉の肩を叩く。
彼女の言う通りだ。自分にしかできない事はまだ残っている。
理屈ではこの作戦が一番多くの命を救えるし、邪神を倒すという結果にもつながる可能性があるのだとわかっている。
それでも――。
「……ごめんなさい」
ひとりぼっちの少年の姿を瞼に浮かべ、涙を零す。
「私はやっぱり……英雄にはなれなかった……」
●
テセウス
シュレディンガー
クリュティエ
カッツォ・ヴォイ
OF-004(クドウ・マコト)
マスティマII
宇宙要塞ニダヴェリールのコントロールルームに怒声が響く。
テセウスは珍しく苛立っていた。子供のように近くのコンソールに当たり散らし、蹴りをめり込ませる。
「シュレディンガー様の能力なら瞬間移動で逃げられたはずだ! なのにどうして……!」
「シュレディンガーはお前と私にそれぞれ能力を継承している。つまり、元々あそこで戦い抜くつもりだったのだろう」
そこへ現れたクリュティエが怒りに震えるテセウスの手を取り、語り掛ける。
「お前も感じたはずだ。シュレディンガーが能力を継承した意味を」
「わかってるよ……。俺がみんなをニダヴェリールに避難させたんだから」
シュレディンガーの空間転移能力はテセウスへと引き継がれていた。
故に、先の作戦で回収を担当したのはテセウスだったのだ。
「おかしいと思ったんだ。急に次の黙示騎士は俺だなんて言って……。そりゃあ嬉しかったけど、俺、シュレディンガー様みたいに頭よくないし……っ!」
「大丈夫だ。お前にはシュレディンガーにはない強さがある。ヒトの心に近いという強さがな」
クリュティエはそっとテセウスの身体を抱き寄せ、背中を撫でる。
「……あれ? なんかちょっとモヤモヤした感じがなくなった?」
「怒りも哀しみもお前の強さになる。テセウス、これからはお前が私たちの戦いを繋ぐのだ」
「――果たしてその男にできるかね?」
そこへ姿を見せたのはカッツォ・ヴォイ(kz0224)だ。
仮面の下の表情は相変わらず窺い知ることはできないが、声色は少し苛立った様子だ。
「まさかシュレディンガーが討たれるとはな。これでは黙示騎士と手を組む利点が薄くなる」
「そ……そりゃ、俺はシュレディンガー様みたいには出来ないと思いますけど……」
「だろうな。あれの性格はいけ好かなかったが、仕事は十全に果たす男だった。こんな形で舞台を降りるとは……」
「もしかしてカッツォさん、シュレディンガー様の死を悼んでくれてるんです?」
明確に怒気を込めた睨みが返ってくると、テセウスはそっとクリュティエの背後に隠れた。
「カッツォ、彼の方はいいのか?」
「ああ。彼はもう役者として完成している。後は思うままに舞台を盛り上げるだろう」
OF-004と呼ばれた青年――クドウ・マコトは、一人でぽつんと格納庫に立っていた。
その眼前には黒いCAMと思しき人型兵器が格納されている。だが、それはエクスシアではない。
既存のどのCAMにも属さない系統の機体――CAMの祖とも呼ぶべき、異界天使である。
「――マスティマ」
エバーグリーンから持ち込まれた六機のうちの一つ。
特に損傷が激しく放棄されたその機体は、統一連合政府の研究対象として長らく保管されていた。
もう第一線の兵器として利用できない落伍者の烙印を押された機体。それを、ムーンリーフ財団の力も借りて改造し、歪虚専用機としたものだ。
青年はもう、人ではなかった。今やハンターすら越える莫大なマテリアルを――負のマテリアルを操る存在だ。
堕落者。救世主にもなり得た青年はその命を燃やし尽くし、闇の存在として転生した。だが……。
「結局俺は……何をどうしたいんだ」
歪虚としての、嫉妬の眷属としての本能は、今ものうのうと生き続ける人類への憎悪に満ちている。
しかしその一方で、ハンターという自分を救おうとしてくれた人達への想いも薄れずに残っていた。
「俺は人類を救えなかった……そして人類を憎み切る事も出来なかった、お前と同じ半端者だ」
英雄になりたかった。
彼らが羨ましかった。願ったままに何かを救えるその力が。
そして、その力に溺れずに“人”であり続けようとする、彼らの笑顔が。
「確かめられるだろうか……お前と一緒なら」
●
マスティマ
闇を漂う意識がクリムゾンウェストの声で覚醒する。
マスティマが姿勢を制御し、そして少年は巨大な邪神の姿を見た。
こちらには目くばせ一つしない。もう興味がないのだ。
小さな米粒のような「分体」よりも――目の前にずっと大きくて瑞々しい、蒼い星があるのだから。
「くそ……さっきのでマスティマにだいぶガタが来てるな……」
「こちらもです。かなりナディアに無理をさせてしまいました」
クリムゾンウェストが苦悶の表情を浮かべる。ナディアがいかに優れた憑代と言っても所詮は人間。神の力を表現し続ければやがて死に至るだろう。
『案ずるな。この程度の苦痛、どうということもないわ。そんなことよりおぬし、わらわを気にして力を抑えるのはやめよ! 手足、内臓の一つや二つくれてやるわ!』
「しかし……それでは、あなたが……」
『ハンターはもっと危険で痛い思いをしておるのじゃぞ! 力があるのに使わんでどうする!?』
ナディアの想いは誰よりも深く、正しく伝わってくる。その覚悟も、心の強さも。
彼女もまた、心のどこかで英雄の力を求め、そしてどこかで諦めていた。
真の英雄――ハンターの背中を見送るしかない無力な自分はもう嫌だ。
『今こそ責任を果たす時じゃろう、大精霊!』
「……わかりました。私も大精霊として全力を出します。そうしなければ次の作戦は実行できない。だからナディア、この身体はあなたに預けます」
『なんじゃと?』
最初は面倒なだけだった。だが、今はこのちんちくりんの少女が自分の器で良かったと感じる。
慈悲なき神に心を与えてくれた。ナディアの熱い血潮に従えば――自分はきっと善き神でいられる。
「私が力を。あなたは身体を。それぞれ分担してコントロールすれば、或いは負担を低減できるかもしれません」
『同じ身体で二人三脚ってわけじゃな。面白い! やってやろうではないか、相棒!』
マスティマはその掌にナディアを載せ、光の翼をはばたかせ加速する。
「このまま邪神を追う! 奴が地球を破壊したら、時間凍結は不可能になる……! 悪いけど、練習は道中で頼むよ!」
そんなマスティマに並走するように二つのサルヴァトーレ級が現れた。
甲板に着艦したマスティマと共に加速し、ハンターらを乗せた箱舟は邪神の追撃へと向かう。
目指すは蒼き星、地球。圧縮熱の炎を纏い、二つの船は流星となって闇を切り裂いていく……。
(文責:フロンティアワークス)
ニダヴェリール
漆黒の空に浮かぶ女神――大規模宇宙ステーション『ニダヴェリール』は、未だ健在であった。
反重力バリアを展開する事で統一地球連合宙軍の艦隊が砲撃を繰り返しても、ダメージは一切無効化されてしまう。
その間にニダヴェリールから出撃する狂気の群れ。軍艦は狂気と交戦しながら、撤退を繰り返す。
地球へと向かった邪神に代わり、今やこのニダヴェリールが人類最後の牙城となった月を攻め落とそうとしていた。
そんな中、状況を一変させる一本の矢が放たれていた。
『……説明はそんな所じゃ。理解できたか?』
トマーゾ・アルキミア (kz0214)教授からの通信を、ジェイミー・ドリスキル (kz0231)はとある戦闘機の操縦席で聞いていた。
破壊された戦車型CAM『ヨルズMk.II』のパーツを流用する形で生産された宇宙用戦闘機。『ヨルズMk.III』と呼称するにはあまりにも外見が変わりすぎていた。
トマーゾ・アルキミア
ジェイミー・ドリスキル
『本当か? ワシが何と言ったか答えてみい』
「俺が崑崙に帰還したら、バーのボトルを全部キープしてくれるんだろ? できれば、チーズはスモークしてくれ」
『違うわい!』
短い付き合いではあるが、トマーゾはドリスキルという男を理解し始めていた。
軽口を叩く割りに性格は真面目。おまけに責任感は強い。
ああ言ってはいるが、話している内容はちゃんと理解しているはずだ。
『もう一回だけ説明するぞ。ニダヴェリールの反重力バリアは完璧じゃ。だが、高出力かつ同派系のパルスで相殺できるはずじゃ』
「分かってる。それがこのヨルズに搭載された『反重力爆弾』だってぇんだろ?」
反重力爆弾はトマーゾが今回の作戦の為だけに製造した特別製の爆弾だ。
この爆弾でニダヴェリールの風穴を開け、ハンター達の突破口とする。この突破口から内部へ侵入してニダヴェリールを制圧する手筈となっている。
『すまんのう。反重力爆弾を軍艦から発射できれば良いのだが、可能な限り至近距離で撃ち込まなければならんのじゃ』
「仕方ねぇよ。それにこの役目には感謝して……うわっ!」
ドリスキルが言い掛けた瞬間、機体が激しく揺れた。
どうやら近くにいた狂気のビームが機体を掠めたようだ。
『大丈夫か? 気を付けてくれ。その爆弾は一発しかない。それにこのチャンスを逃しては、時間的にニダヴェリール攻略は厳しくなる』
「最後のチャンスか。いいねぇ、ここは俺の見せ場だろ? 格好良くダンディに決めてやる。こんな事なら新品のスーツに着替えてくるべきだったか」
『やれやれ、貴様という男は……むっ。もう攻略部隊が到着したか』
トマーゾの声に反応してレーダーを確認するドリスキル。
後方からシャングリラ級の戦艦が接近している。その艦のコードには見覚えがある。
「よぉ、バアさん」
『バアさんじゃないザマス。まだ還暦じゃ……って、ドリスキルさんザマスか!?』
ラズモネ・シャングリラ艦長の森山恭子(kz0216)が、ドリスキルの声を聞いて驚嘆している。
無理もない。ローマで保護されてから、一度も恭子と話していなかったのだ。
おそらく恭子も行方不明としか知らされてなかったはずだ。
『今まで何をしていたザマス! とっても心配したザマスよ』
『なに? あの戦車に乗った男か。生きておったのか』
ラズモネ・シャングリラに乗り込んだトモネ・ムーンリーフもようやく事態が把握できたようだ。
「ちょーっとあの世にピクニックへ行ってた。それよりバアさん、しっかり援護を頼むぜ」
ドリスキルは一機にブーストをかける。
森山恭子
トモネ・ムーンリーフ
『ニダヴェリールへ牽制開始ザマス。ドリスキルさんには当ててはダメザマスよ!』
ニダヴェリールに向けてラズモネ・シャングリラのマテリアルキャノンが発射される。
反重力バリアの前にキャノンの一撃は掻き消させる。
だが、それで良い。ヨルズが予定ポイントにまで到達できれば――。
「この間の借り、返させてもらうぜ!」
ドリスキルはトマーゾが指定したポイントに向けて照準を合わせ、引き金を引く。
しかし――。
「ん? 発射しねぇぞ!?」
『どうした!?』
慌ててトマーゾが通信を入れた。
ドリスキルは何度もスイッチを入れるが、爆弾が発射される気配はまったくない。
「くそっ! さっき攻撃を受けた時に発射機能が壊された!」
『なんじゃと!? ……仕方あるまい。引き上げてくれ』
「おい、ニダヴェリールはどうするんだよ」
『戻って修理している暇はない。ニダヴェリール奪還は諦める他あるまい』
失敗。
人生で何度目だ?
いや、失敗するだけなら構わない。
だが、それで周りに何度迷惑をかけてきた?
その度に周囲の者に助けられてきた。
その連中に自分は、何をしてやれたのか。
自分の背中を誇りを持って見せられたのか。
軍人として、大人のとして未来を担う若者に範を示せたのか。
トモネが求めた道を拓く『責任』がある。
「まだ方法はある」
ドリスキルは再びブーストを全開にする。
『何をする!? 馬鹿な真似は止せ!』
「馬鹿な真似? 違うな、未来を掴む連中が進む道を拓くんだ」
通信のやり取りで、恭子にも異常事態が発生した事に気付いた。
だが、恭子よりも早くトモネが声を上げる。
『ドリスキル、死んではならん! ここで死ねば……』
「悪いな。ガキには分からねぇだろうが、腐っちまっても俺は軍人だ。お前の道を拓くのは、大人の俺だ。お前も自分の我が侭を通してここに来たんだろ? だったら、屍一つ乗り越えて先に進む覚悟を見せろ。クソッタレな世界で生きて行くってぇのは……そういう事だ!」
その言葉を最後に通信は途絶えた。
通信に入り込むノイズが、激しくなる。
ラズモネ・シャングリラのブリッジからは爆破ポイントで一際大きな爆発が見えた。
「ドリスキル……」
トモネは思わずその場でへたり込んだ。
先程まで話していた相手が、瞬く間に消えた。
しかも、ニダヴェリールへの突破口を開く為に。その衝撃に呆然とする他なかった。
「……艦長。予定通り反重力バリアが消えました。突入部隊の出撃準備は完了しています」
力無いオペレーターの声が木霊する。
ドリスキルの乗ったヨルズの反応がロストした事に気付いているのだろう。
その報告を受け、恭子は椅子より立ち上がる。
一人の軍人が宇宙に消えた事実。それによるショックを表に出さないようにしながら。
「トモネさん。ドリスキルさんの拓いてくれた道を進むザマス。あなたも行くと覚悟を決めたザマショ」
「……そうだな。行かねばならん。ユーキと決着をつけねば」
「その意気ザマス。ハンターの皆さんは出撃。ラズモネ・シャングリラは彼らを援護するザマス!」
ニダヴェリールの反重力バリアが破られた。
事は順調に進んでいる。
あとは、流れに身を任せるだけだ。
ユーキ・ソリアーノ
ニダヴェリールを強奪したユーキ・ソリアーノは、眼下に広がる星空に目を向けた。
この強化ガラスを隔てた向こうは、人が生身で生きる事が許されない世界。
その世界へ身を投げ出せば楽になるのかもしれない。
だが、ユーキにそれを行う事は許されない。
「総帥。あなたの事です。自らお出でになりますね」
間もなく、すべてが終わる。
その時、何と声をかければ良いか――。
きっといつもと同じ笑顔を浮かべてしまうのだろう。
「もう、まもなくすべてが終わります。そして、あなたは自由を掴み取れるのです」
●
南雲芙蓉
渦巻く数多の力の中心となった月の地下で、南雲芙蓉は大地に蒼機を打ち付ける。
「――我らが蒼き清浄なる星に願い奉る。今こそ迷える魂に、真の祝福を!」
まばゆい光が溢れ、擬装された「月」の真実の姿が明らかとなる。
大地は割れ、光と共に縦穴から巨大な緑が溢れだす。
世界樹と呼ばれる巨大な神霊樹。界冥作戦でハンターらも目撃した、この星の封神領域だ。
芙蓉の使命は、月をクリムゾンウェストへと転移させること。そしてここから大精霊の地球封印を支えることだ。
本当はこんな事したくない。でも、より多くを救う選択こそ守護者の運命ならば……。
『――芙蓉。君が泣いたってなんにもならないだろう?』
頭の中に声が聞こえた。大精霊と世界樹がリンクした証拠だった。
『弱虫で泣き虫なのは、僕一人で十分だ。君がそんなんだと、クリムゾンウェストに笑われる』
「我が神……ごめんなさい。私、あなたに偉そうなことを言っておきながら……なんにもできなくて……っ」
『いいんだ。君は十分僕に与えてくれた……“傍に誰かがいてくれる時間”をね』
木々は育ち、生い茂り、月さえも覆い隠さんほどの勢いだ。それらはVOIDの攻撃から人々を守る盾にもなるだろう。
「違うの。私は何もできなかった。あなたの名前を……呼んであげることさえ……」
唇を噛みしめ、守護者は力を高めていく。
「だからせめて……ここであなたを待っています。きっと……いいえ。必ず、ここに帰ってきて!!」
『検討しておくよ。それじゃあさよなら……いや、“また会おう”、僕のポンコツ守護者さん』
クリュティエ
ラプラス
ベアトリクス・アルキミア
月から伸びる世界樹に、月付近へ転移したクリュティエとラプラスが迫る。
『む……予定よりだいぶ上空に転移したな』
「そう言ってやるな。テセウスもまだ不慣れなのだろう」
『確かに。目的地付近に出ただけましだな』
テセウスはシュレディンガーに代わり、今回はニダヴェリール内で黙示騎士のサポートに当たっている。
さっきもマクスウェルとイグノラビムスをちょっと変なところに転移させてしまったと青ざめていたが……。
防衛に向かってくるCAMをあっさり両断し、二体のVOIDは加速する。
『ふむ。月に移した星の核か……ならば、ここさえ落とせば済む道理』
「そうくると思ってたから、ここで待ってたのよねぇ?」
無数に伸びた木々の根の上。ベアトリクス・アルキミア(kz0261)は白衣のポケットに両手を突っ込んで待ち構えていた。
一部崩壊した崑崙の施設はリアルブルー大精霊の生み出す「封神領域」により守られ、宇宙に面しながらも自在に会話も可能だ。
「狂気王か……久しぶりだな」
クリュティエのどこか親しみを込めた言葉に、ベアトリクスは首を傾げる。
「うん? 私とあなたは初対面だと思うけど……やっぱりそういうことなのかしら?」
ふわりと降り立ち、ベアトリクスは笑う。
「あなた、黙示騎士でもないでしょ。普通じゃない。ハンターの読み通り、大精霊に何かできるのね?」
「そうだと言ったら?」
「邪魔しちゃう♪」
「そうか」
クリュティエは声色を変えず、二刀を抜き構える。
「ならば、切り伏せるだけだ」
●
地球へと降り立ったファナティックブラッドは、その巨大な翼を剣に変えて海に打ち込んだ。
今や海上にそびえる巨大な塔は、ただそこにあるだけで尋常ならざる負のマテリアルを放出し、そして正のマテリアルを吸い上げる殺戮兵器だ。
ファナティックブラッド
ナディア・ドラゴネッティ
大精霊リアルブルー
「承知しています。ダニエル艦長、ご武運を」
「武運もクソもあるか。俺らが失敗したらその時点で地球終了じゃねえか。頼むからしっかりしてくれよ、大精霊サマよぉ!!」
地球を砕くために邪神はエネルギーを溜めている。そしてそれが完了した時、血盟作戦で観測したのと同じ結末を迎えるだろう。
この星に巨大な穴が穿たれ、そしてマテリアルは吸い尽くされる。そうなれば地球は一巻の終わりだ。
二つのサルヴァトーレ級は東西に分かれ、巨大な邪神を迂回して“翼”を目指す。
「あれをブチ折ればひとまず邪神の動きを止める事が出来る! ここが正念場じゃぞ、リアルブルー!」
大精霊クリムゾンウェストに力のコントロールを任せ、肉体の操作を預かったナディア・ドラゴネッティ (kz0207)が吼えた。
二つの戦艦の上にはそれぞれの世界の神が立つ。
「ああ……わかってる。もう少しだけ持ってくれよ、マスティマ」
天使は翼を広げ、光のオーラでサルヴァトーレ・ブルをつつみこむ。
これだけ邪神の近くにいれば、ハンターとて無事では済まない。戦う為には、神の加護が必要だ。
「僕が君たちを守るから……だから……」
少年はコクピットで息を呑む。
「代わりに僕を――“助けてくれ”、ハンター!」
ずっとずっと、誰にも言えずにいた言葉が。
誰にも託せなかった想いが、機械の翼を経て光を編む。
これが世界の終わりだというのなら、きっと涙を流すべきじゃない。
今は笑って――諦めずに、わずかでも出来ることをやるべきなんだ。
青空へと打ち上がるロケットを、世界中の人々が見上げていた。
何もわからない人。信じられない人。或いは何かを信じて、だからこそこの星に残った人。
誰もが空を見て、手を伸ばし、何かを掴もうとした。
たとえ今日、この星が終わるとしても――。
残せるものはきっとあるのだと、そう信じていた。
大精霊リアルブルー
マスティマ
ファナティックブラッド
南雲芙蓉
地球に突き刺さった二つの邪神翼は破壊された。これにより、邪神は地球破壊を中断し次の行動に移ろうとしている。
だがそれよりも、大精霊リアルブルーが地球凍結結界を展開する方が早い。
マスティマが空に舞い上がり、光の翼を広げた。
それは世界中の空を覆いつくす黄金の光。時を凍てつかせる残酷さとは対照的に、温かく柔らかな輝きだった。
人々は空を見上げる。VOIDの動きも既に停止した。握りしめていた銃を下ろせば、大切な誰かの手を取ることができる。
「マスティマ……頼む。あともう少しだけ、持ってくれ……!」
膨大な光は全てマテリアルエネルギーだ。その中心にあるマスティマは先の戦闘で受けたダメージにより軋み、砕け、装甲が剥がれ落ちていく。
マスティマという外骨格がなければ、リアルブルーは能力を発揮できなくなる。完了できるかは、イチかバチかだ。
いや……計算上、この術の成立と同時にマスティマは機能停止する。大精霊リアルブルーは、凍結からは逃れられないだろう。
「それでいいんだ」
地球の凍結とは即ち、世界のすべてを大精霊が観測し、それをピンで留めるような行いだ。
世界中の心を、魂を受け止めて理解し、それを保持する。今の彼には――それができる。
痛みも、恐怖も――勇気も知った。だから今は迷わずに、出来限りのありったけを出しきる。
「邪神ファナティックブラッド……お前はもう、何処にも行かせない!」
光は邪神にも降り注ぎ、周辺の大小さまざまなVOIDを凍結させていく。
それさえも振り切って伸ばされる邪神の腕を、大量の使徒らが自らを盾として防いでいた。
「止まれえええええええええええええ――――っ!!」
光と風が、砕け散ったマスティマの装甲を空に巻き上げる。
巨大な光の翼は、今や地球すべてを包み込もうとしていた。
「大精霊様……」
地球の封印が始まったことを、南雲芙蓉は直感的に理解していた。
そして、今こそ月の転移を開始しなければならないことも。
芙蓉は涙を拭い、大地に蒼機を叩きつける。
「座標……固定。対象……選択。出力……安定。異世界転移……開始っ」
月と、その月に集まろうとしているシャトル。そして、月を守るために輝いていたニダヴェリールが光に包まれ消えていく。
可能な限りの戦力を、命を異世界に逃がした。そして月のこの封神領域も、その転移と共にクリムゾンウェストへと吸い込まれていく。
「我が神……」
結局、自分では彼を救えなかった。
命を知った彼が出した答えが「自己犠牲」なのだとしたら、それはあまりにも残酷だ。
後悔と迷いがこみ上げる。だが、自分が共に転移しないわけにはいかない。クリムゾンウェストに移動した月を制御するのは、芙蓉にしかできない仕事だ。
だから少女はただじっと空の穴を見上げ、蒼い星をその瞳に焼き付けた。
OF-004(クドウ・マコト)
地球を眺める、しかし月からは大きく離れた宙域に転移したサルヴァトーレ・ネロの甲板で、クドウ・マコトは地球を見つめていた。
「邪神がここに封じられるとなると、俺たちはどう動くべきやら……」
ふっと笑みを浮かべる。歪虚としては困った状況だが――人間の悪あがきを見るのは思いのほか痛快だった。
ニダヴェリールも奪還された以上、これからはサルヴァトーレ・ネロを拠点として運用する必要があるだろう。
『ヌオオオオオ!? テセウスーッ!! このオレを中途半端なところに転移させるとはアアアァァァァッ!?』
「マクスウェルとイグノラビムスか……何をやっているんだ」
二体の黙示騎士が現れたのはネロからだいぶ離れた位置で、しかも勢いを載せて転移したのか、回転しながらあらぬ方向へ吹っ飛んでいく。
クドウは小さく息を吐き、二人を回収するためにマスティマを急がせた。
●
世界のすべてが光に包まれると同時、リアルブルーは五感を見失った。
神とは本来そういうものだ。世界を俯瞰する存在。人間のような小さな主観に収まるものではない。
だから元に戻っただけ。しかし、何故かそれを寂しく思う。
(ああ……それでも僕は、やれるだけのことはやった。邪神を縫い留めたし、これで彼らに時間を作ってあげられる)
予め準備すればこの結末を避けられただろうか? ……いや、それも違う。
この結末は、迷ったり転んだり泣いたり怒ったり、意味のない無駄なプロセスを経て初めて辿り着けるものだ。
(無意味じゃないんだ)
苦しいことも、悲しいことも、全部無意味じゃない。
意味を見出すのは、それを作るのは自分自身だ。
「今」の自分だから出せる答え。それがどんな時も最高の選択なのだから。
(……感謝するよ、トマーゾ。君がくれたこの身体、案外悪くなかった――?)
少年は、目を覚ました。
ナディア・ドラゴネッティ
大精霊クリムゾンウェスト
マスティマの四肢は崩壊し、コクピットは砕けている。このまま消え去るのが筋書きの筈だった。
そこに、全身を強大なマテリアルに焼かれながら立ち向かう、ナディア・ドラゴネッティ (kz0207)が現れなければ。
「何を……しているんだ?」
「決まっておろう? おぬしを、助けに来たのじゃ」
ナディアはいつもと変わらず八重歯を見せて笑う。だが、内なる大精霊は心底困惑していた。
『ナディア! なぜ異世界に転移しないのです!?』
「すまんのう。じゃが、ロッソとブルは転移させたので心配ないぞ」
『そういう話ではありません! あなたの考えている事はわかります! それは愚かな行いです!』
ナディアの身体はもう限界だった。
守護者との契約の為に僅か数分大精霊の力を使っただけでも疲弊しきってしまうのに、この作戦で一体どれだけ超覚醒を続けたのか。
大精霊とナディアの相性がいくら良かろうと、とっくに限界を超えている。
「ハンターがうまいことやってくれたのでな。まだもう少しだけ、力を絞り出せる」
「何を考えているのかわからないけど、よせ! 君が付き合う必要はない!」
「それは聞けない相談じゃなぁ。わらわはこれ以上、誰かを見捨てるのも……何かを救うために別の何かを犠牲にするのもウンザリじゃ」
腕のちぎれた大精霊の肩を抱き、血に染まった横顔でナディアが笑う。
「のう、リアルブルー。クリムゾンウェストはいいところだぞ。きっと気に入る。だから――先に行って、待っておれ」
「まさか……僕の代わりに封印術を最後まで続けるつもりか!?」
「案ずるな、ギリでワープする。ちゃんとリゼリオに行くから、治療の準備して待っとってくれ」
「待っ――!!」
その瞬間、コクピットから声が途絶えた。
一人取り残されたナディアの前に、封印に抗おうと咆哮するファナティックブラッドの腕が迫る。
『………………なぜ…………』
わかっているはずだ。もう持たないと。
わかっていたはずだ。さっきのが最後のチャンスだったと。
あそこでリアルブルーを見捨てて逃げなければ、もう、ナディアは――。
「――なぜ諦める? やってみなければわからんじゃろうが」
リアルブルーがやるより、自分がやったほうが成功率が高い。ただそれだけ。
「博打だろうがなんだろうが、全員助かる可能性があるのなら、その低い可能性に賭ける。頼むぞマスティマ! おぬしのご主人様の為に、もうひと働きしてくれ!」
ナディアの声に応じ、マスティマが四つの瞳を輝かせる。
残された掌にナディアを載せ、邪神へ封印術を転写した。
『――ナディア! こちらで可能な限り支援します! だから……絶対に諦めないでください!』
「そうそう、それでいい! グチグチ言っとる暇があったら手を動かせよ、相棒!」
――ああ。この人間はバカだ。
非合理的で、まったく度し難い愚か者だ。
だけど――それなのに。なぜこんなにも心地よいのだろう。
『まったく……あなたは本当に……! 最低最悪で――最高の契約者です!』
「おうともっ!」
血を零しながらも広角を上げる。絶望には程遠い感情を、力に代えて。
「『いっっっけえええええええええええええええーーーーーーーーッ!!』」
“諦める”ことは、結局ひどく退屈だ。
わかり切っているからやらない。無駄になる可能性が高いからやらない。
――違う。そんなのは面白くない。だって、何も始まっていないじゃないか。
やらない理由を探すな。やるべき想いを見つけ出せ。
希望はいつでも伸ばした掌の先にある。ナディアの心が、そう叫んでいた。
●
マリィア・バルデス
ジェイミー・ドリスキル
爆発の規模からある程度の方向を計算。現れる狂気を排除しながら、必死に探し続ける。
深淵の闇の中、明かりは星と愛機のレーダーだけ。砂山に落とした針を探すような気の遠くなる捜索。発見できれば、奇跡と言っても差し支えない。
それでもマリィアは探した。
必ず帰る、と約束したのだから。
月が消え、ニダヴェリールが消え、宇宙艦隊も消えていく。
新しい世界への逃避が生み出す光を背景に、ようやくマリィアは辿り着いた。
「ジェイミー……ジェイミー!」
マリィアは愛機を降りてその身を宇宙空間へと晒す。
そして、ジェイミー・ドリスキル (kz0231)中尉の体を大きく揺さ振った。
見た所、体に大きな傷は無い。
宇宙用スーツがドリスキルを守ってくれたのか。
だが、安心はできない。頭を強打していれば、目覚めない可能性もある。
マリィアの必死の呼び掛け。
懇願にも似たマリィアの声へ応えるように、ドリスキルは静かに瞳を開ける。
「最悪だ」
「ジェイミー!」
「晴れの舞台なのに、タキシードを着て来なかった。美女が出迎えてくれたってぇのに。目覚めのキスをするなら、早めにな。崑崙にいるじいさんに見つかれば何を言われるか分からん」
「……馬鹿」
「ご挨拶だな。ヒーローのご帰還だ。……言ったろ? 必ず帰るって」
マリィアの手が、そっとドリスキルのヘルメットに触れる。
温もりが伝わらないはずなのに、心が満たされる。
戦いの果てに訪れた再会。
星々の輝きと闇に似た宇宙空間は、二人だけの世界となった。
ドナテロ・バガニーニ
地球に戻れない。日常は跡形もなく消えて、代わりに突き付けられたのは見ず知らずの世界での生活。
だが――そこには確かな希望があった。
『我々は今もこうして命を繋いでいるのは、我らを救い受け入れてくれたクリムゾンウェスト人の友情のおかげである』
月面都市崑崙は地上都市部分が大打撃を受けた為、人々は地下空間か広大な収容面積を持つサルヴァトーレ・ブルならびにニダヴェリールにて避難生活を過ごしている。
『地球は凍結された。だが! これは決して今生の別れではない! 敢えて言おう。これは転進であると!!』
絶望的な混乱の中にあっても、ドナテロ・バガニーニ (kz0213)は決して俯かずに人々を鼓舞し続けた。
そして崑崙の再建について的確に指示をすると、ハンターズ・ソサエティを通じてクリムゾンウェスト各国に理解を呼びかけた。
クリムゾンウェストにとって、リアルブルー人の受け入れは既に通った道である。
この世界には先の大転移を含み大小さまざまな転移があり、クリムゾンウェストにはリアルブルー人が開拓した土地もある。
そういった場所に暮らすリアルブルー人は新たな同胞の来訪に大いに同情し、そして大いに支えた。
月から地上への移動は、非覚醒者を大量に転移させることは危険であるため、サルヴァトーレ・ロッソが用いられた。
そして多くの人々が冒険都市リゼリオを始め、クリムゾンウェストという異世界の大地を踏みしめるに至ったのだ。
南雲芙蓉
大精霊リアルブルー
ナディア・ドラゴネッティ
ベアトリクス・アルキミア
ミリア・クロスフィールド
ルビー
「そうは言うけど、君、非力じゃないか」
ハンターズ・ソサエティ本部。その廊下を南雲芙蓉と大精霊リアルブルーが寄り添って歩いていた。
大精霊はボディを大きく破損しているため南雲芙蓉が支えているのだ、少年の身体はオートマトン。つまり、見た目よりだいぶん重い。
「ぐぬぬ……だ、大丈夫です……! 守護者として、あなたを支えると決めたんですから……っ!!」
顔を真っ赤にして歯を食いしばる芙蓉の横顔に少年は苦笑を浮かべる。
あの時――ナディアが自分を逃がしてくれなかったら、今頃この身体は砕け散って消えていただろう。
トマーゾが応急処置を施してくれたが、後でボディ自体を乗り換える必要がある。それまでは芙蓉の世話になるしかない。
二人がリゼリオにやってきたのは、ここにある治療室に用があったからだ。
扉をくぐるとそこには大きなベッドが一つ。様々な機械装置と魔導装置に繋がれて眠るナディア・ドラゴネッティ(kz0207)を取り囲んでいる。
「あら? やっと来たのね、二人とも」
白衣の裾を翻し、ベアトリクス・アルキミア(kz0261)が微笑む。
「修理に時間がかかってね。クリムゾンウェストは……いや。ナディアの容態は?」
「ん?……わかんないわぁ。ただ、肉体は極限まで傷んでいたし、全然目を覚ます気配もなしよ。外科手術も魔法治療も全部やったけど、今の技術じゃお手上げねぇ」
実際に両手をバンザイするベアトリクス。だがその表情は少し寂しげだ。
ナディア・ドラゴネッティは地球の封印を最後まで成し遂げた。そしてリゼリオに転移してきた時には甚大なダメージを受けており、意識もなかった。
「ボロ雑巾みたいになって生死の境を彷徨ってたけど、流石は青龍の心臓ねぇ。本当に生きてるのが奇跡だわぁ」
「ナディア総長……」
「まあ、峠は越えたからそのうち目を覚ますと思うわ。でも……もう一回無茶をしたら、次はないわね」
ベアトリクスの声色は冷たく、それが避けようのない事実だと伝える。
ナディア・ドラゴネッティが全力で戦えるのは、あと一度きり。それが終われば彼女は、間違いなく死に至ると。
リアルブルーはその小さな手を取り、眉を顰める。
「教えてくれ、ベアトリクス。僕にも何かできることはないか?」
「ほぼないわね?」
なにせ、リアルブルーの力の源である地球は凍結されている。
マスティマも一応改修したが、ボロボロで修理には当分かかるだろう。
「あなたは私と同じ、星を喪った神よ。クリムゾンウェストで出来ることはそう多くないわ」
「そう…………だね」
「でも、ナディアが目覚めるまで私たちが繋がなきゃいけない。この子が目覚めた時にがっかりするのは、それは……なんていうか、ダメだもん」
ベアトリクスは優しく笑って、そして少年の手を握る。
「私とあなた。半端者同士でも力を合わせれば、きっと出来ることがあるわ。それを見つけましょう」
リアルブルーはしっかりとその手を握り返す。迷いはなかった。
「ああ。この魂はクリムゾンウェストに救われた。借りは返す――絶対にね」
病室で二人の元神が結束する様子を、ナディアの着替えを持ったミリア・クロスフィールド(kz0012)とルビー(kz0208)が覗き見ていた。
「……リアルブルーは救えなかったようですが、どうやら希望は繋がったようですね」
ルビーは小さく呟き、震えるミリアの肩を抱く。
「だから……私たちも頑張りましょう。もう誰も、何も失ってしまうことがないように」
「うん……」
ぼろぼろと涙を零すミリアの目には黒く隈取が出来ていた。
ナディアが心配で心配でたまらない。それでも、諦めることも立ち止まることもしてはならない。
あの小さな総長ならば、きっと前進だけを選んだはずだから――。
●
トマーゾ・アルキミア
イェルズ・オイマト
レギ
森山恭子
邪神の契約者となってしまった彼らは、崑崙の地下でコールドスリープ状態にあったが、救済の方法が見つかったのだ。
クリムゾンウェストで確立された、ハンターシステムによる精霊との契約――。
契約者を覚醒者に切り替える事は技術的に可能だと、皮肉にもテセウスの元になったイェルズ・オイマト(kz0143)は証明している。
精霊との契約で上書きし、契約者を覚醒者にする。それはリアルブルー人という、元々覚醒者適性が極めて高い人々だからこそ実行可能な対策でもあった。
この実行にはクリアしなければならない条件が多かった。
まずそもそも精霊との契約を簡略化したハンターシステムはクリムゾンウェストにしかなく、リアルブルーからの転移が必要だった。
負のマテリアルを持つ存在の転移というのはクリムゾンウェスト側からもリアルウブルー側からも大精霊により本能的に拒絶されていたというのも大きな理由の一つだ。
崑崙という一か所に集めた上で双方の大精霊の同意を受け、転移させるための大規模な術を使用して初めて実現可能になった方法である。
それでも、強化人間やイクシード・アプリ使用者は、その依存度に応じて多くの寿命を消費している。
邪神との契約で壊れた精神は戻せないし、食いつくされた寿命も取り戻せない。覚醒者になっても、余命はせいぜい数年だろう。
「それでも……人間に、戻れるんですね」
崑崙基地でトマーゾから説明を受けた強化人間達の中、レギ(kz0229)が震える声で呟いた。
彼だけではない。強化人間育成施設であるアスガルドからここに連れてきた子供たちも。ハンターが諦めずに拿捕してくれた仲間たちも――助かる。
あの戦いは無駄ではなかった。光の見えない暗闇を走り続けた日々が、報われる。
レギはきつく目を閉じ、拳を握りしめる。強化人間達はみな、一様に打ち震えていた。
「おおおおお????んっ!! 良かったザマスな???レギさん!!」
「も……森山艦長!?」
顔中の穴という穴から汁を吹き出しながら、森山恭子(kz0216)は強化人間一人一人をハグしていく。
「これまでずっと苦しい思いをしながら戦い抜いてきた甲斐があったザマスッ!! 本当によかったザマスぅうううううっ!!」
本当に……本当に苦しい戦いだった。
人間の為に戦った強化人間たちが、ヒトとして認められず弾圧された。
最後までVOIDと戦い抜いて散っていった命も。その役割を果たせず、操られて討たれた命もあった。
辛いという言葉では言い表せないほどの日々が、いつの間にか強化人間の子供達から心を奪っていたのだ。
その凍り付いた感情が、全力で泣きじゃくる森山を見て、氷解していく。
気づけば誰もが涙を流し、ガッツポーズを取ったり抱き合ったり、全力で喜び、全力で悲しんでいた。
――そうだ。自分達がこうして生きていられるのも、指導、監督する立場であった恭子が最初から最後まで強化人間という存在を見捨てなかったからだ。
そして……自分達の為に戦い続けたハンター達がいてくれたから。
暴走をする強化人間を前に、辛い選択をしたハンター達もいた。
強化人間達に生き残る道があるのなら、あの時とった手段は何だったのかと思う者もいるかもしれない。
――それは違う。あの選択は、あの時においては最善だった。
1つの選択、1つの決断。それら全てがあって――今の結果がある。
皆がそれぞれに足掻いて、もがいて……そして今、ひとつの戦争が終わったのだ。
それを実感した瞬間、レギの両足から力が抜ける。
「よかった……本当に……本当に、よかった……」
救えたモノよりも、救えなかったモノの方が多すぎる。
壊れた日常はもう取り戻せない。それでも、命は続いていく。
「助けてやるのが遅くなって、すまんかったのう。じゃが、必要なデータは事前に揃えてある。明日からでも契約可能じゃ!」
……それはそれとして。
「ハンターシステムで契約している以上、全員登録上は“ハンター”なんですね……」
「ルビーさんっ!!!!! 今日の契約予定者!!!! 88人なんでっ!!!! 次のグループ!! お願いしますっ!!!!」
ハンターオフィスはなんかすごく大変なことになっていた。
文字通り血眼で書類整理に追われるミリア。正直、もう泣いてる暇もない。
世界は問答無用で変わっていく。
ルビーは軽く肩を回し、苦笑を浮かべるのだった。